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29・前世と今世の思考のはざま

「ん……。」


 肌寒さと、体の痛みから逃げるように、なぜか狭いそこで身をよじった時に、少しだけ、目を開けた。


 見慣れない光景に、首をかしげて瞼を下ろす。


(……私、寝ぼけてる? いつ王都の実家に戻って来たんだっけ……。)


 もう一度眠りに戻ろうとしたが、最近では感じたことのなかった寒さと痛みにそれをあきらめ、重い瞼を上げると、目の前にあったのは、見慣れない無機質な石の壁。


 最近ようやく慣れた、上品な部屋の寝台ではない。 もちろん、王都にある家でもない。


(あれ? ここどこだっけ……。)


 慣れない頭重感に顔をしかめつつ、周囲をしっかり見渡せば、ベッドが整然と並び、そこで横たわる人達。


 そして、鼻につく臭気と、起き上がった時に判じる全身の痛みと怠さに顔をしかめれば、思い出されるのは昨日までのおよそ2人分の記憶。


 それでようやく、自分が今どこにいて、どういう状況なのかをはっきりと思い出した。


「そうか、騎士団の兵舎にいたんだったわ。」


 兵士夜勤棟、昨日時点で自分のものになり医療院と名を変えた建物だ。


 いま感じている頭重感は、前世の記憶を取り戻したことによる頭の使いすぎと睡眠不足、全身に感じるだるさと痛みは普段動かさない筋肉を使った事による疲労性の筋肉痛だろう。


(若いって実感した、翌日に筋肉痛が来るんだなぁ……。)


 等と、感心しながら立ち上がって我が身を見れば、少しゆとりのある白いシャツに乗馬用のパンツ、それから、庭師が付けるごくごくシンプルな褐色のエプロンを付けた姿で、毛布の代わりに厚手のショールを肩からかけている。


 身体を預けていた物は大きな木の椅子だったことから、昨夜はこの格好のまま、椅子で寝ていたらしい。


 私の椅子の隣にある簡素なベッドでは、シーツにくるまったアルジが、静かに眠っている。


(そうそう、どちらがベッドで寝るかでちょっともめたんだったわね。 結局、先に眠気に負けたアルジを、無理やりベッドに寝かせたんだったわ。 良く寝ているわ、アルジも疲れたわよね。 最後まで意地を張っていたけれど、ベッドに寝かせてよかった。)


 くすくすと笑いながら、肩にショールをしっかりかけなおすと、私は桶と手布を手にし、医療院の外に出た。


 ひんやりとした冷たい風に、身を震わせる。


「まだ日の出前だわ。 気持ちがいい。」


 明るくなり始めた空だが、まだ太陽は出てきてはいない。


 少し靄のかかった肌寒い程度のそよ風は、朝露が新緑に心地いい。


「さ、洗顔を済ませて、仕事しましょう。」


 体の隅々まで、その清々しさを取り込むように大きく深く深呼吸をしてから、まずは御不浄に行き、己の排せつを済ませ、近くにある井戸で水をくみ上げ、桶に入れる。


 そうして、顔を洗おうと桶の水に手を伸ばし……はっとして手を止めた。


(あれ? そういえば井戸の水って清潔なの? もしかして煮沸が必要なんじゃないの? もしかして、ヘリコバクターピロリが元気に仕事してるのでは?! どこかから引いている水なの!? それとも井戸から湧き出ている水なの!? っていうかトイレ近くない!? あ! まって、この世界の農業って肥料って何!?)


 つい疑問に思ってしまうと、そこから湧き出るように一気にいろいろ考えてしまい、手が止まって動かない。


 この水は不潔!? 清潔!? 水源は何!? などだ。


「いや、待って! 自分! 昨日まで普通に使ってたのに何をいまさら躊躇してるの?! 大丈夫! 飲料用にも使われているから大丈夫っ!」


 ぶんぶん、と頭を振ってから、冷たい水を手に掬い、やや激しめにバシャバシャと顔を洗う。


(前世を思い出すのって良し悪しだわ!)


 しっかりさっぱり、顔を洗い終え、新たに汲みなおした水でうがいもすると、乾いた手布に顔を埋めて溜息をつく。


(私、図太く生きてきたつもりだったけど、意外と繊細だったんだわ。)


 これから先が思いやられてしまう。


 一度前世を思いだしてしまえば、便利で先進的な日常生活の記憶が、いまの生活習慣に疑問を投げかけて来る。


 前世は公衆衛生管理が世界トップクラスでしっかりしていた日本生まれの日本育ち!


 しかも残念なことに、感染対策だ公衆衛生だといろいろうるさかった医療従事者である。


(諦めるのよ! そもそも思いだしたらきりがないわ。 けど、覚えておきなさいっ! 公衆衛生は絶対に大事だから、せめて私の住むこの辺境伯領だけでも、これから公衆衛生面を徹底して改善してやる! あのくそ旦那様の金でねっ!)


 目指せ上下水道完備!


 自動洗浄機付き便座とまでは言わないまでも、水洗トイレ大事、絶対!


 ぐっとこぶしを握り決意してから、洗面に使った水を捨てようと桶に手を伸ばした。


「植木にかけときましょう……この木は水木かしらね……。」


 色々考えこまないように、木の名前を考えながら全力で水を投げ捨てる。


「神経質に考えこむの禁止……っと。」


 地面にたまった水に映った自分と目が合った。



 改めて、記憶を取り戻して現在の自分の顔を見るのは初めてで戸惑ってしまう。


 今の私は、ネオン・モルファ(旧姓ネオン・テ・トーラ)。 18歳。


 三大公爵家テ・トーラ家にだけ、時折現れるらしい、虹色に煌めく不思議な色合いの髪と、柔らかな紫色の大きな瞳をもち、通った鼻筋に小さめの桜色の唇と、なんだか申し訳ないくらいに大変に可愛らしい顔立ちだ。


(可愛いけど苦労したよねぇ。 いや、可愛いから苦労した? この顔で得した事なんてなかったね。)


 公爵令嬢だった時にはお茶会でやっかみを受け、公爵家から追い出された後は、綺麗な外見は悪人を呼び寄せるだけの煩わしいものだった。


 市井に降りてすぐから、いろんな人にいろんな声かけられたが、すべてうっとうしく思い無視していた。 しかし2週間たった頃であろうか、家に帰る途中に攫われそうになったらしい。


(あまり記憶にないけれどね……。)


 何事もなく、すぐに解放され家に逃げ帰ったが、あの時はどうして助かったのか覚えていない。


 ただその後、外に出る事も、男という者も、とんでもなく恐ろしく感じた。


 しかし、自分が働きに出なければ家族もろとも餓死してしまうと考えていた。


 そこで、家を都合してくれた母の友人に相談し、髪を泥で染め、顔を汚し、背を丸めて、夜明けから日が暮れる前までの仕事を紹介してもらい、精いっぱい働いて、慎ましく暮らしていたのだ。


 公爵家の化け物が迎えに来るまでは。


(は~、嫌な事思い出しちゃった。 悲劇のヒロイン思考、やめやめ! 髪も顔も、もう汚さなくてもいいんだから!)


 現在はきめ細かくてつやつやな肌と艶やかな髪は、一年前までは、手入れどころか、わざと泥で汚くしていたためボロボロで、半年の監禁教育の間に磨き上げられた公爵家の侍女たちの努力の賜物だ。


 今なら胸を張って断言できる、この体の自分は美少女だ、美少女万歳! 前世で着れなかったお洋服、作って着てしまおうと考えているくらいだ。


(で、18歳でしょ? 日本ならやっと成人の仲間入りしただけのお嬢ちゃんなのに、父親が屑だったばっかりに、貴族に生まれて捨てられて、市井で必死に働いて生きて。 なのにまた拾われて政略結婚したかと思えば、今度は使用人に嵌められて……この世界はシビアだわ。 ま、死が隣り合わせな国は、前世にもあったけれども……私は経験がないもの。)


 前世で同じ年の頃なにをしてたかと言えば、看護学生なり立てで、将来に何となく不安はあったけれど希望もあって、友達と馬鹿して、好きなもの追いかけて、親に甘えて……少なくとも、たった一人で遠方に嫁がされたり、領民とか責任とか、そんな重いもの、背負ったりなんかしてなかった。


 昼は雑多として、様々な音と、抱えきれないほどの娯楽と、惑わされるばかりの多種多様な情報に溺れ、夜はネオンや街頭で明るく闇夜の方が遠ざかっていくような世界だったから。


 昨夜は、正直、怖いと思った。


 真っ暗な闇夜に頼る物は小さな魔道ランプの明かりしかない。


 外はしんと静まり返り、時折、魔獣か野生動物の遠吠えが聞こえる夜。


 鍵は閂で、そんなもの、魔獣であればあっという間に壊してしまうだろう。


 ここはそんな者達から国を守る最前線の、砦。


 昨日、旦那様に切った啖呵も、今思えば感情のままの正義論だけだった気がして、稚拙で恥ずかしい。


 嫌な思考を放り出すように、先ほどよりも明るくなった空を見上げてもう一度、深呼吸をした。


 明らんで来たばかりの柔らかな紫色の空は、自分の瞳の色。


「うん! 夜勤で肌はボロボロ、白髪もちらほらの黒髪ひっつめ髪だった私が、こんな美少女に転生したんだもん。 これからの未来は明るいに決まってる!」


 うん! と、桶を抱えて頷く。


「さて、そろそろ夜も明けるし、一度皆様の健康チェックと水分補給もして……昨夜からの記録を一通り書いたら、アルジを起こして、昨日持ってきてもらった朝ごはんを食べましょうか。」


「おい、そこのあんた。」


 やるべきことを思案し、反芻しながら滑り落ちたショールを肩からまき直し、医療院に入ろうとしたところで、私の背後から声を掛けられた。


 その声の質に、何故か嫌な予感しかしない。 が、振り向かないわけにはいかない。


「なにか御用でしょうか?」


 ため息まじりにそう答え振り返ると、自分よりも頭2つ分背の高い、檸檬色の髪をした、ニヤニヤと笑いを浮かべた青年が立っていた。


「お、なんだ、えらく若くて美人じゃないか。 しかし、なんだってあんたはこんな時間に、こんなところにいるんだ。 ……あぁ、なるほど。」


 にやついた顔をこちらに近づけ、分厚く汚い手袋を付けた手で、ショールのかかった肩を抱こうとした。


「誰かのところで仕事して、これから帰るところか? なるほどな。 なぁあんた、ならこれから俺の部屋に来てもう一仕事しな……がっ!」


 私に言いたかったであろう言葉を、彼は最後までは、どうやら言えたらしいが、そのまま飛ぶ様に井戸の方に倒れ込んだ。

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