表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/168

『ラスボラ視点』戦女神、立つ

 食事と入浴が終わり、執務室に戻った私の机の上には、きちんとそろった書類が置いてあった。


「……ジョゼフめ……」


 あいつは元々、兄上の侍従だったからか、私の行動や思考を読まれやすい。


 ため息をつきながら、執務机の椅子に座り、その紙の束を手に取る。


『ネオン・テ・トーラ嬢に対する報告書』


 と書かれたその表紙をめくると、彼女の絵姿と共に、彼女の経歴が事細かに書かれている。


 幼いとは思っていたが、自分より9つ年下の18歳。


 テ・トーラ公爵家の嫡男だった血筋の男の娘として産まれたものの、その男の放逐に伴い、元男爵令嬢の母親を嫌っていた祖父母によって彼女達も公爵家の籍を抜かれ、放逐。


 その後は市井で、慎ましやかに、病気の母と弟妹のために、異父兄は商家へ、彼女自身は飲食の出来る宿屋で、身を粉にして働き、母を医者に掛からせ、弟妹を学校に行かせながら暮らしていた……らしい。


(あの美しさと目立つ髪で、良くもまぁ今まで無事だったものだ。)


 と思ったところでその後の記載が目に入った。


 市井を降りてすぐ、人買いに誘拐されかけるが、子供たち、とくに唯一公爵家の色を持って生まれたネオン嬢の利用価値を解っていた叔父である現当主が、一家に付けていた者の手により間一髪のところでネオン嬢を保護、自宅へ届けられた。 その後も、何度もその予兆はあったが、彼らの手によって事前に助けられていたようだ。


 そもそも市井に降りる際、何も持たされず放り出された母親は、昔の知り合いを頼り身を寄せたようであったが、その実、先回りした公爵家が、その周囲を息のかかった人間で固め、監視と保護をしていたようだ。


 知らぬは本人ばかりなり、とでもいおうか。


 素知らぬ親切な人の顔をして食料を、薬を与え、大切に市井に隠していたという状況が本当のようだった。


(そんなことをするのであれば、離れでも作って広い公爵領に送ればよかったであろうに……いや、先代の当主が面倒な人間だったのであろうな。)


 ため息をつきながら読み進める。


 この事件の事に対しては、本人はショックのためか、その時の事は詳細に覚えていない様子だが、自己防衛のためか、その後は髪と顔を泥で隠して暮らすようになっている。


 それまで何不自由なく、令嬢として育っていた少女が、怖い思いをし、誇るべき顔と髪を汚し、金を得るために働く……それがどれほど令嬢の心を苦しめただろうか。


 そんな生活が約10年。


 その後、王家の『提案』による3公爵家と3辺境伯家の婚姻の際に、現当主である叔父から、脅迫に近い形で交渉され、母と弟妹の身の安全、現在の生活を守り、決して政略など貴族との関わり合いを持たせない、という事、そして月に100万マキエの慰謝料と生活費をと、なんとも慎ましやかな条件を提示、自ら公爵家の戸籍へ復籍、公爵家にて半年の貴族教育を施されている。


 と、ここで、報告書は終わっていた。


「……はぁ……。」


 こんな報告書、見なければよかった、と、私は溜息をついた。


(それであのような生活でも、嬉しそうに笑っていられるのだな……。)


 穏やかに、平穏に。 王都に残してきた母と弟妹のため。


 辺境伯家の離れという狭い檻の中で、人質として生きることを叔父から望まれ、お飾りであることを夫から命じられたあの少女は、自分からは絶対に、契約を破ることなく、このまま穏やかに静かに暮らしていくだろう。


 働く場が、飲食を提供する宿屋の下女から、辺境伯家のお飾り妻に変わっただけなのだろう。


(そもそも彼女は公爵家からの人質だ。 何を錯覚していた。 私になにか大切なものが出来たのではない。 家族という名の足枷、公爵家との縁という金銭的・社会的縁の形が彼女なのだ。 そうだ、彼女は月女神でも何でもない。 王都から、公爵家から預けられた、洞窟の奥から吐き出される毒をいち早く見つけるためだけの哀れな小鳥なのだ。)


 では自分にできることは。


(……預かりものならば、せめて、その鳥籠を住みよくしてやろう……。)


 私は静かに、報告書を机の上に起き、置いてあったグラスの酒をあおった。








「なんだと!? 今、なんといった!」


 領地の巡視を終わらせ、砦に戻った私に、真っ青な顔をして走って来たのは4番隊隊長で、幼馴染であった男だった。


「第2部隊第5班第2小隊が小規模の魔物の強襲に鉢合わせ、敗戦。 医療隊が連れて帰ったがほぼすべての人間が大けがを負い、魔障を受けている! ほとんどの者が助からないだろうとの報告だ。」


「っ! またか!」


 ぐっと、私は手綱を強く握り絞めた。


 ここ一月ほど、魔物の強襲が増えた。


 それに合わせ、隣国にも不穏な空気が漂っている。 正直、隣国がそれにかかわっているのではないかと探りを入れているくらい、時期が同じだった。


 先日も、小規模であったが国境近くで魔物の強襲が発生。


 そしてそれから逃げてきましたと、近くにあった小さな集落に少数遊牧の民が入ったかと思うと、甘い菓子に混ぜた毒がまかれたのだ。


 甘い菓子だったことで、被害者は子供や女が多かった。


 彼らは全員捕まえたが、何も言わずに自死した。 隠し持っていた毒を含んだらしい。 使われた毒も、その背後のつながりも、調べさせたがなにもわからないまま。 ただ一つ、踊り女のイヤリングに彫り物があったが、それも意味のわからないままだ。


 毒の種類がわからない以上、それを拡散させないために被害にあった集落は閉鎖、毒をばら撒かぬために亡骸は集落と共に焼かせ、生き残った者達は少し離れた場所へ移動させ、現在は病気や後遺症の発生の可能性を考え、人の出入りを厳しく管理し、終始監視させたうえでもう大丈夫であろうと判断。 


 最近ようやく閉鎖を解除したばかりだが、後遺症にいまだ悩んでいるらしく、なんでも教会が介入すると報告が上がっていた。


 ともかく、頭が痛い事ばかりだ。


 再びそんなことになっては困る、と、私はとっさに思案し、指示を出す。


「今ここにいるものと、アミア、それに第1部隊の1、2、3番隊は私と共にそこへ向かう。 4、5番隊は近隣の集落の確認を。 必要があれば閉鎖もやむを得ない。 とにかく、被害が大きくなる前に制圧する。 ゼブラ! お前はここに残り状況把握を。 何かあれば報告を。」


 馬を降りぬまま、私のもとに走って来た4番隊隊長ゼブラ・ダ・ニオにそう告げ、共に巡視に出ていた一番隊隊長アミア・カルヴァにそう告げ馬を走らせようとした時、その手綱をゼブラがつかんだ。


「なんだ!」


「ラスボラ様、襲撃はすでに2番隊、プニティが兵を率い、制圧。 近隣集落は現在確認中で、団長が今慌てて出る必要はない。」


「制圧済? ではなぜ、そのように急いで報告に来たのだ。」


 解決済みであれば、いつものように執務室で報告をすればいいだけである。 しかし報告に走って来たとなれば、何かあったと思うべきである。 そう思って問うと、彼は、思いもよらないことを言った。


「辺境伯夫人が……団長の奥方様が、此方にいらっしゃっている。」


「は?」


 馬の背に乗ったまま聞いたその言葉は、一瞬理解できなかった。


「いま、なんと?」


 そう言うと、ゼブラは背筋を伸ばし、私に詳細の報告をする。


「本日、医療班の視察にと奥方様が昼過ぎにいらっしゃったのだ。 そしてあろうことか、救護室の前に通してしまったのだ……まさに、負傷兵が運び込まれた直後の救護室の前をだ。 奥方様は、惨状を目の当たりにされてしまったようだ。」


「なに!?」

 

 手綱を握った手に力が入り、馬が動揺するのを慌てて収めたゼブラは私に馬から降りるように言うと、話を続けた。


「なぜ彼女がこんなところに来ているのだ。 いや、それより何故救護室?」


(鳥籠で過ごしているはずではなかったのか?)


 驚く私に、ゼブラは馬を宥めながら報告を続ける。


「なんでも辺境伯夫人としての視察、という事らしい。 朝方、団長が視察に出た後で先ぶれがあったそうで、侍女を一人連れ、焼き菓子をもって現れたそうだ。 その為、いつもの通り、貴族用の広報班の者に頼んで砦内を回っていただいたのだが……帰る直前に、救護班に兵士は運ばれ、彼女はそこに鉢合わせた、という事らしい。」


 救護院とは、傷つき、死にゆく者を収容する、ただそれだけの場所だ。


 そんな場所に、行ったというのか。


 なぜ? と思う反面、すぅっと、頭が冷えた。


(年若い彼女があの惨劇を見たというのなら、もしかしたら王都に帰りたいと言うかもしれない。 そうだ、婚姻さえ継続していれば契約を結んでいても領にいる事とは示していない。 親弟妹と共に屋敷を与えて保護すればいい。 そうだ、そうすれば、私の足枷も外れるというものだ。)


 これで、重荷がなくなると私は内心ほっとして、報告してくるゼブラに問う。


「それで? 彼女は逃げ帰ったか?」


 しかし、彼は難しい顔をした。


「それなんだが……。」


「なんだ。 はっきり言うがいい。 悲鳴でも上げ、屋敷へ逃げ帰ったとか、そういう事だろう?」


 自分から言ってしまえば相手は報告しやすいのかもしれないと思いそう告げると、彼は思いもしないことを口にしたのだ。


 つまり。 


「今、夜回り用の者の兵舎を使用し、負傷兵をそこへ運び込んで救護の指示を出しているという事だ。」


「……な!?」


(ありえない。 彼女は何をしているというのだ!)


 その言葉に馬から飛び降りた私は、追いかけて来る副隊長であるアミア・ゼブラの他に、兵舎に向かう途中で合流したチェリーバ、神父などを加え、彼女のもとに向かった。


 足早にそこに向かい、乱暴に扉を開け。


 そして、私は見た。


 月女神のようだと思った面影は、そこになく。


 血膿の匂い、怪我人から洩れる呻き声、彼らの陰を揺らす灯の灯った室内で。


 胸を張って立ち。


 魔道具の明かりで赤味のかかった紫水晶の瞳を怒りに染めて私に向け。


 乱れ落ちた一筋の髪の毛を、戦旗のように揺らめかせながら。


 私の問いに一歩も引くことなく、かつ、無用なものと心と共に捨てて来た私の弱く醜いものを『私に預けろ』と言った彼女に。


 傷ついたものには癒しの手を差し伸べながら、戦いに向かうものには祝福を与えるという戦女神を見た。

いいね、お気に入り登録、ブックマークありがとうございます。

誤字脱字報告も、合わせてありがとうございます!


見事、旦那様の意味の分からない空回り(無自覚ひとめぼれ)でした。

明日からはまたネオンが突っ切って走り回ります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
医療はそれなりに調べ、ゆるっと読んで違和感を私は持たないが。 軍隊の構成がめちゃくちゃでイメージが持てない。 >>第2部隊第5班第2小隊 この表現、「小隊」というのだから50人±30、といったところ、…
「自分からは絶対に、契約を破ることなく、このまま穏やかに静かに暮らしていくだろう。」 あの初夜に交わされた約束、後に正式に契約したことを破ることができるの?破ることが出来るほど罰則が小さければ安心で…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ