『ラスボラ視点』望まぬ婚姻と、月女神
『我が国の守り、政、そのすべてを盤石にするために。』
そんな話から決まったのは、この国の国防を担う3つの辺境伯家と、この国の政の三権の長を担う3大公爵家と王命に近い政略結婚だった。
陛下は我らと同年代。
年若く、自身が治める国の未来に、曇りひとつ、ある事が許せなかったのであろう。
王家の血を引く公爵家を使って辺境伯家を取り込み、離反を防ぐ目的があったのだろう。
乗り気ではなかったが、王命に近い形の要請。
断る事も出来ようが、断れば『要請』は『王命』に変わり、さらに断れば戦火を呼ぶ。
戦火を呼べば横のつながり強い3辺境伯が王家にとってかわることは出来ようが、無駄な血を流す必要は、今はまだない。 心からの同意はしがたいが、いらぬ血を流さぬために3辺境伯家は沈黙した。
王はそれを察し、ここ数代の平和の礎としよう(要はお互いうまくやろう)と宣言し、巻き込まれた3公爵家と3辺境伯家の話し合いの場が設けられた。
王都に住む気位の高い高位貴族の令嬢令息が、魔獣や隣国の襲撃の危険がある、娯楽も社交などありもしない辺境などで暮らせるはずもないのは想像に難くなく、トラブルの種になるやもしれない。
世継以外の子がある2つの辺境伯家は、そんなトラブル回避のため、王都の公爵家へ子を差し出した。
北方辺境伯家は一の姫を行政の長、ド・ラド公爵家嫡男の元へ嫁に。
西方辺境伯は次男を立法の長、ア・ロアーナ公爵家の惣領娘の元へ婿に。
しかし南の辺境伯である当家には、嫡子であった長男をなくし、婚姻を結べるのは次男の身で嫡子となった自分だけ。
その為、当家は王都へ、公爵家へ人質――もとい、嫁・婿に出せる該当者がいないため、辺境へ嫁、もしくは養子に来れないのであれば辞退するしかない、と、申し出た。
これで断れるだろうと思った矢先、司法のテ・トーラ家の当主は笑顔で当家の娘を嫁に出す、と言ってきた。
そして、南方辺境伯である我が家は、司法のテ・トーラ公爵家の当主の娘を嫁にもらうことになったのである。
(あぁ、面倒くさいことになった。)
私はただただ、頭を抱えてため息をつくしかななかった。
嫁とは『守るべき家族』という名の足枷でしかなく、しかもその足枷の先には、国と公爵家という厄介な重しがぶら下がる。
辺境伯とは戦うべき領主、守るべきもの、など、不必要以外の何でもない。
(守るものがあると、人は弱くなってしまうのだから。)
兄は『弟である私』を守って死んだ。 母は『弟に殺された兄』の死を悼み、自分が保てず儚くなった。
そんな母兄と死に別れた父は『本当は死ぬべきだった息子』である私に当主を譲り、現在は辺境伯家とは縁遠い別の領地に引きこもった。
勿論私も、守るものが出来たことで弱くなることは、兄との約束で許されないから、そんな父の事は必要最低限でしか思い出さない。
父の事は、今までも、これから先も避けるつもりであった。
身軽に、戦い、勝利を掴みゆくもの。 それが辺境伯の当主であり、辺境伯騎士団の隊長のあるべき姿であると考えていたのだ。
しかし、最も避けるべきであった、苦く重く絡みつく『その足枷』を、国によって嵌められた。
「なんと! あと半年で奥様がいらっしゃるという事ですか!?」
家令のジョゼフに伝えると、彼は、新たに来る女主人のために屋敷の改修や、女主人に仕える侍女の再教育を始め、また、嫁に来る公爵家の娘について調査を始めた。
屋敷の人間は、母がなくなり長らく不在だった女主人を迎え入れるのに浮足立っていた。
(なんて面倒くさい事に……。)
私はそんな興味もなかったし、持たないように心がけていたのに、次から次に指示を貰いにやってくる。 最終的にはお前に任せる、と、放り出してしまったほどだ。
ただ一つ、王都から人身御供でやってくる彼女の安全は守れるよう、屋敷に閉じ込めて危険から遠ざけ、自分は最大限近づかぬようにしようと心から誓った。
部下たちにはぎりぎりまで黙っているつもりだったが、たまたま砦に訪れた西の辺境伯の酒の席での愚痴から、その話が漏れた。
話を聞いた部下たちは、私に一体どうするのかと問いただしてきたが、ほぼ王命であり、断れなかったため、嫁にもらうが、相手の女性には、婚姻契約を結んだあとは、最低限以上のかかわりを持たず、屋敷か領地、どこか彼女の好む方で、厳重な警備の下、好きに暮らしてもらうつもりだと包み隠さず告げておいた。
しかし。
『それは相手に失礼です! そもそも、相手は政略結婚であることは初めから承知で、この辺境に嫁がされるのです。 政略結婚においては、両家のつながりを形にするため、嫡子を成すことが夫婦の……妻の勤めと、教育されるのは御存じでしょう!? 相手の令嬢に『そんなことは家が許さない』と泣かれ、『せめて子が出来る間だけでもお慈悲を』と、縋られるに決まっています!』
等と様々なことを、全員に口をそろえて言われた(西の辺境伯もそんなことをもっと貴族的に話していたな)。
ではそれをどう退けるか考えなければならないと思った。
かなり厄介でめんどうだ、とうんざりした。
良い考えはまとまらぬまま半年という期間はあっという間に過ぎ去り、気が付けば、結婚式の日になっていた。
公爵家の意向を確認したうえで、王宮内の聖堂で王と司祭が見守る中、神の前で婚姻の儀式を行った後は、すぐに辺境へ移動し、結婚式は南方辺境伯領主要都市の教会で、身内だけで執り行うと事となった。
婚姻式の最中も、王都から辺境伯領までの移動中も、ついぞ一度も取られることのなかった分厚いヴェールで身を隠した花嫁は、辺境の教会での簡素な結婚式を終え、公爵とは名残惜しむことも言葉も交わすことなく一足先に、当家の屋敷へ入った。
遅れて屋敷へ戻った私も、使用人たちに追い立てられるように、初夜の支度が終わった花嫁の待つ寝室へと向かった。
初夜の、契りを交わす気がない以上、寝室へ向かう必要はないかと思ったが、何も知らぬまま、ただ一人、寝ることもできず、来ぬ夫を待って朝を迎えさせるのは、さすがに良くないだろうと思い直したからだ。
部屋の前に立った私は、ひとつ、深呼吸をした。
名乗り、順序だて、きちんと説明をし、納得してくれれば良し、縋られたり泣かれたりした時には、丁寧に謝り、侍女に後を任せて部屋を出ればいいと思っていた。
「失礼する。」
そう言って、暗い寝室に入った私は、一瞬、息を呑んだ。
月明かりが差し込む寝室のベッドの端には、己が身を守る鎧のような、分厚いヴェールと花嫁衣裳を脱ぎ去り、初夜のために扇情的な薄い夜着を着せられた、公爵家特有の虹を放つ髪によって、闇夜にも浮かび上がるように輝く美しい少女が、座っていたからだ。
(戦場に現われる月の女神か!)
彼女の美しさに思わず息を呑んだ自分は、それでも彼女にその動揺を気取られぬよう、強く意思を持ち、彼女の前に立つと口を開いた。
ひどいことを言ったのは自覚している。
酷く華奢で、繊細そうな彼女の、高位貴族に生まれた気位高い令嬢のプライドを叩き壊す暴言だ。
嫌ってくれればいい、憎んでくれればいい、逃げて行ってくれてかまわない。
だからここで部下たちが言ったように、彼女が自ら足枷になろうとした時には、それを振りほどかねばならない。
(自分には、守る力をそいでしまう元凶である足枷は不要なのだ。)
チリリと痛む胸の痛み等に気が付かないように蓋をしながら、その思いのまま、彼女に冷徹にすべてを告げた。
私の話を聞き終わった後、呆然と、宝石のように煌めく瞳を大きく見開いて自分を凝視する彼女。
昔母が読んで聞かせてくれた、水をあふれさせた、ひしゃくの中の美しい宝石のようだと感じた。
だから、女神を泣かせてしまうのではないか、と、手を差し伸べようとした時だった。
彼女は、その宝石の瞳を細め、美しく微笑んだのだ。
「率直にお話ししてくださってありがとうございます。 実は私も望まない形での婚姻でしたので、辺境伯様のお申し出は大変にありがたいですわ。 ご命令通り、辺境伯夫人として求められるお仕事をしっかり行わせていただきます。(略)このような形の結婚であれば、わたくしがこちらで休むのもおかしな話ですので、本日は別室で休ませていただきますね。」
可憐に微笑み、私に何の恨み言も、怒りもぶつけることなく、何事もなかったかのようにそう言い終わった彼女は、さらにお互いのために自分は離れに一人で暮らしたい、明日にでも屋移りさせていただく、と言い、そばに置かれていたガウンを身に着け、躊躇なく部屋の扉へと進み、その前で美しく私にカーテシーをして見せてから、部屋を出た。
それは、はかなげな月女神のようだった彼女とは違う、分厚い雲に闇が広がり、獣の瞳しか明かりのない戦場で、雲が割れ、洗われた月の光が一筋落ちる戦場に立つ戦乙女にも、見えて。
残された私は、月光の中から消えた女神の、儚くも美しい潔さに、家令が呼びに来るまでほぼ一晩、ベッドの端に座り、呆然としていた。
翌日も、朝食を取ったのち、すぐに彼女の申し出により、婚姻に関する契約書を作成した。
それはとてもあっけないもので、出された茶にも菓子にも手を出すことなく、すべてが淡々と行われ、契約が完了すると。
「それでは旦那様、末永くよろしくお願いいたします。 ごきげんよう。」
と、昨夜と同じ、いや、日の光の下で見る彼女はまるで春の花の女神の様な愛らしい笑顔を浮かべ、屋敷から出ていったのだ。
呆然と見送った私は、己の胸に手を当てた。
何やら痛みと、それとは違う疼きを感じた。
それはまるで、乾ききり、ひび割れた砂地しか広がらぬ不毛の地に、一輪の月光の花の種と、一滴の甘露水がもたらされたような錯覚だった。
足枷じゃなくて首輪だよっ! この駄犬が!
と、思った方もいたのじゃないかなぁ~などと思います(作者が言う)




