23・私にできる事
すこし、きしんだ音を立てて、木の扉が開いた。
うす暗くなった石造りの室内に入ると、血や膿の刺激臭が鼻を刺す。
なるほど。 現代のような自動空調設備がないと、たった数時間でも匂いはこんなにも室内に篭るらしい。
前世では気が付かなかったであろう建築工学? のありがたさを感じながら、自分が入って来た扉を少しだけ開けたまま、私の代わりに救護室にいてくださった騎士様に小さな声でお礼を伝え、ブルー第三騎士隊長殿に用意してもらった軽食を渡す。
すると彼らも小さな声で感謝を伝えてくれ、会釈をしてから、一番奥の空いたベッド付近で、静かに食事をとり始めた。
そこまで見届けた私は、魔道具の手持ちランプを持ち、整然と並べられたベッドの中の、扉に一番近いベッドに近づいた。
今こちらにいらっしゃる中で一番重症の騎士様は、しっかりと眉間に皺を寄せ、体を使って呼吸をしている。
ひとまず体位交換を、と、10度くらいの角度で、体を傷の深い左側を下とし、少しだけ右側の背中を浮かせ、手布を折って作った枕のようなものを入れる。 これで少しは楽に呼吸できるといいのだが……。
(いや、左下でいいんだっけ? やだな、間違ってないといいな……。 根拠とかわからず左側臥位にしちゃったけど……先輩がいたら、なんでそっちにしたの! って言われるんだろうなぁ……。)
自分の知識不足、経験不足を嘆きながら、今度は桶の中の冷たい水に手布を浸してきつく絞る。
時折上がるうめき声は重く、そっと額に触れれば、びっしりと汗をかいているにもかかわらず、とても熱く、これは熱が高いだろう。
丁寧に汗を拭きとり、再び手布を絞って、今度は首回りなど、大きな血管のある部位を拭いていく。
(冷罨法の代わり、と言っても、これじゃあ焼け石に水にもならない……。 そういえば、この世界に解熱鎮痛剤ってあるのかしら? いや、その前にお医者様とか、医療ってどのレベルなのかな? もしやこの時代、まだ陰陽師的な医者がお経を唱えて鬼を払うとかなのかしら……?)
と考えてから、いや、そういえば家族と暮らしていた王都の庶民層街に、ちゃんとお医者様はいた事を思い出す。
私は比較的頑丈な方だったから医者にかかることなく、庶民の間に伝わる、いわゆる民間療法で体調不良は治してきたけれど、母や弟妹の薬は医者まで買いに行っていた。
ならば水準的には、医学が前進し始めた18世紀くらいだろうか。
(母さんの飲んでいた薬は、お医者様の問診をもとに、いろんな薬草を乾燥し、刻んで煎じて飲ませていた生薬……じゃあ漢方みたいなものかも。 あ~、でも、煎じ方はわかっても、薬品配合率がわからないし、そもそも生薬の見分けもつかない。 薬にワクチン、開発した先達って有難いな……本当にありがとうございます。 感謝しているので、少しその恩恵を私の脳みそにちょぉっとだけでも分けてもらえませんか?)
ちょっとだけ神様にそんな事をお願いしてから、改めて現状を把握しようと考える。
昔の私は医者でもなければ薬剤師でも、理学療法士でもなく、勉強不足の看護師。
そんな私に今できる事は、現世で覚えている程度の知識を最大限に使って、安全な方法で傷病者へ『生きるために必要な援助と、現状で最も安楽な状態を保てる』ようにすることだけ。
下手に焦らない。
知ったかぶりをしない。
こちらでは医療や医学にかかわってこなかったから、この世界の医療水準がわからない。
そもそも前提として、この世界は『剣と魔法の異世界ファンタジーの世界』そのままだから、病気以外にも魔法があり、魔物がいる。
魔物の出す人で言う魔力=瘴気による、瘴気病という、ステータス異常だってあるくらいは知っている。
(となると、看護技術も役に立たないのでは? あれ? じゃあ、無駄なことをやろうとしてるだけなんじゃ……?)
突然、目の前が暗くなり始めるが、騎士様のうめき声に、はっと視界を取りもどす。
(……違う違う、出来ることをやるって決めたじゃない! 弱気になるな! 余計なことを考えず、アセスメントしよう!)
汗で生ぬるくなった手布を、桶に浸し、水の冷たい感覚を自分の頭にも届かせるように大きく深呼吸をして……。
手布を絞り、目の前の騎士様に向き合う。
今、目の前にいる騎士様たちは、損傷による身体侵襲をうけており、加えて創部から侵入した、魔物の持つ瘴気と……たぶん、細菌やウイルスの類に感染をおこしていて、そこからも発熱をしているのだろう(多分)。
ここには、前世に会った抗生剤や解熱鎮痛薬などの医薬品も、医療資材もない。
(ついでに、前世のちゃらんぽらんなお気楽看護師の記憶はあっても、いまの私は家名ばかりが立派な貴族な、世間知らずでひ弱な18歳。 ……あ?! 私、半分以上も若返ってる?! じゃあ、落ち着いたら向こうで出来なかった、やりそこなったこと、全部出来るよっ!)
思考を前向きに修正し、よし、と気合を入れて、脳細胞をフル回転させる。
看護診断、看護計画、なんて、学生の時は本で調べてやったけれど、今のご時世パソコンで出来てたから、建て方忘れたなぁ……とおもいつつ、なけなしの知識をフル稼働させる。
「とりあえず、今できることは、クーリングと、換気と清潔を保つ事……。 水分補給……。」
よし、氷と、水を漏らさない頑丈な袋を用意しよう。 氷枕や氷嚢が作れれば、しっかりとしたクーリングが出来るだろう。 そこから水分の補給、栄養の補給へとつなげていきたい。
まずは水筒の代わりの水袋にタオル……はないので、タオルとバスタオルサイズの手布をたくさん用意する事にしよう、と、忘れないうちにメモを取るため、騎士様から離れようとしたその時、騎士様の口元が呻きとは違う動きをした。
「……ァ……」
首をかしげて耳をそっと近づける。
「ル……シア……」
ルシア。
この地方では女子によく使われる名前だ。
彼の恋人か、母か、娘か、誰にせよ、きっと彼にとって大切な人なのだろう。
汗でぬるくなってしまった手布をもう一度洗い、その額を噴き、口元も、と思ったところで唇の乾燥が目についた。
(脱水、よね。 そういえば点滴ってみたことないわ。 現世なら点滴で補給できるけれど、それがないとしたら、経口で水分補給もさせないといけない。 ……この世界に、コップ以外で寝たきりの人が使えるような形のものがあるかしら?)
首をかしげながら、顔を拭き終わると、騎士様の顔を少しだけ横に向け、水分補給用に置いていたカップの水にそっと真新しい布を浸し、そっと、上になった唇の端にそえる。
「ゆっくりお水が入ります。 飲んでくださいませ。 ルシア様がお待ちになっていますよ。 後でまた、冷たいお水をお持ちしますね。 今はおつらいでしょうが、お怪我が治るまでお傍に居ります。 どうか頑張ってくださいませ。」
そう言いながら手布を少しだけ指先で絞り、ゆっくりと伝い落ちる速度で水分を口に流すと、こくり、と、喉仏が動いた。
2度、3度それを繰り返した後、騎士様は口を閉じられてしまったため、手布を下げ、乾いた新しいもので口の周りを拭く。
「布に水分、じゃ、衛生的にも良くないし、量的にも焼け石に水程度だから吸い飲みが欲しいわね。 それに、やはりハンカチより吸水性の良いタオルみたいな生地なんてあるかしら?」
使い終わった手布は再生利用用の桶に入れ、一度外に出てうがいと手洗いを済ますと、中に戻って用意していたメモに、水袋、氷、吸い飲み的な物、タオル、……と、書きだしていく。
「これくらいかしらね。 では、そろそろもう一度、中断している話をしに戻ろうかしら。」
メモを抱え、残ってくださる騎士様にお願いをした後、魔道具のランプをもって重症の騎士様のお顔をもう一度確認しながら兵舎を出ようとした時だった。
「……りがと……」
意識が戻ったかと思って振り返ったが、騎士様は眠っていらっしゃる。
「こちらこそ、皆のために戦ってくださってありがとうございます。」
そう言ってゆっくりと頭を下げた後、兵舎を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
書くための『元気の素』になり、作者頑張れますので、
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