150・研修のはじまり
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***注意書き***
作者の全ての作品は異世界が舞台の『ゆるふわ設定完全フィクション』です!
その点をしっかりと踏まえていただき、楽しくお読みくださいね。
本日ネオンが仕事や看護に関して結構きつめに語りますが、それはこの世界での見解であり、その中でのネオンの見解で、現実社会での過去現在未来において、すべての医療従事者様にご迷惑をかけるための文章ではありません。フィクションの中のネオンの思いと言葉です。
この点はしっかりと踏まえてくださいませ。
「この股関節と鼠径部の間、しわの間も開いて丁寧に泡立てた石鹸で優しく洗います。前から後ろ、上から下というのが大前提です。前側を洗い終わったらこの陰部洗浄用の如雨露を使ってしっかり石鹸成分を洗い流してもらいます。水分を拭き取るときは、必ず乾いた陰部洗浄用と決めてあるこの赤い縁取りの布で押すように。決して強く拭いてはいけません。ここまでが終わったら今度は患者を側臥位にして臀部を洗います。こちらも泡でしっかり臀部割れ目を中心に、肛門周囲や陰部の複雑な部分までしっかりと洗い乾布でふき取った後、おむつを用意してからこちらのスキンクリームを臀部全体にしっかりと塗ってから仰臥位に戻しておむつを整えて終わりです」
てきぱきとわかりやすく、仰臥位の患者の恥骨部分から下、陰部をしっかりと泡洗浄した後、側臥位にして臀部から陰部に向かって綺麗に洗い流した私は、小さなツボに入った半透明の軟膏を手に取り綺麗に塗り込んでいると、一人の女性が手を上げた。
「隊長、そのスキンクリームとは何ですか? 何のために塗るのですか?」
「これは蜂が放棄した巣の中に残った蠟の成分と、樹木の果実からとった油を合わせて作った保湿剤です。これを塗ると排せつ物が皮膚に接触した時の刺激を減らし、かつ保湿もできるので皮膚炎やおむつかぶれになることが格段に減ります。こうして全体に綺麗に薄くむらなく塗ってください」
「わかりました」
現在。私が実際におむつ交換をするのを見学しているのは、各々の所属する隊の色のスクラブを着た研修生で、彼らは説明が終わると各自の席に戻る。
「では皆さんは席に戻り、黒板に書かれている手技、それから見学をして気づいたことや大切だと思ったことを記録してください」
席に戻りペンを取り始めた彼らを確認しつつ近くの手洗い用の水場でそれを終えた私は、この手技の見学に患者役として協力してくれた一人の可愛い男の赤ちゃんを抱き上げた。
「おむつ交換の講義に協力してくれてありがとう、ネオン君」
抱き上げた小さな男の子は、濡れたおむつから解放されてにこにこと愛らしい笑顔を浮かべながらこちらを見返してくれて、私は胸が温かくなる。
この淡く生えたふわふわの栗色の髪に同じ色の瞳の赤ちゃんは、私の立つ教卓にあたる場所から一番近い席に座り、支給された紙に今見た手技と背後にある黒板に書かれた手順を必死に書き写している若い女性の子どもだ。
この子の父親は辺境伯騎士団に所属している騎士。しかも私が医療院を立ち上げるきっかけとなった、あの二番隊第五班の隊員(彼は比較的軽症で早期に退院していた)だったそうで、あの地獄の中で私を見ていた彼は、退院後に妻である彼女にその話をし、もしかしたら会う事が出来なかったかもしれないお腹に宿った赤ちゃんに、男女関係なく私の名前を付けると決意したという。
『仲間を助けていただき、弔ってくださってありがとうございます』と、騎士団の面会開放日に、ネオン君を連れ夫婦そろって頭を下げてくれた時はとてもびっくりし、私の名でいいのだろうかとも思ったが、同時にその気持ちが本当にありがたくも嬉しく、予定されていた騎士団教会で行われる初めての洗礼に同席させてもらい、後日神父様を通じてその名を刻んだ『銀の匙』を贈らせてもらった。
異世界の風習ではあるが、赤子に銀の匙を送るのは『一生食べるものに困ることなく、幸福に過ごせますように』といういわれに基づいたもので、後で神父様には彼らが大変恐縮し、家宝にすると言っていたと笑っていた。
そんなネオン君がなぜ看護師育成の研修会場でみんなの前でおむつ交換をされているのかといえば。
前世にはあったのだが、この世界には人体模型がないのだから、看護学生用の採血や陰部洗浄用など看護技術を養うのに特化した特殊な模型などあるわけもなく。しかし三十余名の研修生を相手に実際に入院中の患者を……など尊厳が損なわれ、患者は羞恥で苦しむだろう。どうしようかと悩んでいた私に、妻の研修を申し込みのために医療院へ来てくれたネオン君の父が「みんなで一斉に習うならまずは小さな赤ちゃんではどうですか? そのほうが大人でやるよりも衝撃も少ないとおもいます」と申し出てくれ、協力してくれることになったわけなのだが……。
(赤ちゃんでもこんな大勢にみられておむつ交換されるなんて恥ずかしいと思うのよ……ごめんね)
ご両親にお支払いする謝礼金とは別に、ネオン君個人へうんと奮発してお礼を渡そうと心に決めながら、おむつが新しくなってご機嫌なネオン君の背中をトントンと優しく撫でた私は、そのまま記録を取る大勢の研修生を見た。
そう。
先日の話し合いから約半月立った昨日から、看護研修生を集めた研修が始まったのである。
会場となっているここは南方辺境伯騎士団医療院ではなく領都内にある女神の医療院で、私の目の前で机に向かうのは、緑・黒・白のスクラブに身を包んだ男女合計三十余名が集まっている。
緑のスクラブは西方辺境伯騎士団、黒のスクラブは北方辺境伯騎士団から来た騎士たちで、白いスクラブは、私と補佐官のガラ、そして私の部下として十番隊副隊長となったドンティス副隊長の三人で面接を行い選抜した、男女合わせて十余名のモルファ領民だ。
その白いスクラブの研修生の中には、看護師になりたいと言ったライアの姿もあり、彼女もまた、真剣な表情でメモを取りながら、隣にいる読み書きがまだ不得手な女性に丁寧に書き方を教えている。
会場を女神の医療院にしたのには二つの理由があった。
一つは現在の南方辺境伯騎士団の安全警備と医療院の抱える人材不足問題。
当初、研修は南方辺境伯騎士団医療院で行う予定であったが、現在の南方辺境伯騎士団の状況では状況で他騎士団員や身元調査中の領民を入れるのは得策ではないこと。また女神の医療院には、スタンピードで受傷した患者がいる事もあり、こちらで全員の研修を行うことによって、女神の医療院に派遣していた医療隊員を研修にあたる私とシルバーと、医師班の研修の目的でこちらに派遣という形のラミノーとエンゼを除く全員を砦内の医療院へ返すことができた。(ちなみにだが、アルジは残りたがったのだが、あなたはラミノーの後継として医療班の班長になるのだからあちらで皆をまとめ、クルス先生が暴走することのないように働きなさいと説き伏せた)
もう一つは、地域経済の活発化。
比較的温暖なモルファ領には観光客や旅人が多く訪れるが、他の地域が雪で閉ざされる冬や、他の地域より温度の高い夏は観光客が減る。そこで、遠方からやってきたモルファ領民と西方・北方騎士団からの研修生には、鈴蘭祭や季節によってはやや閑古鳥が鳴き気味である領都内にある宿屋を宿泊施設として騎士団で借り上げ提供し、休日には領内で買い物や観光してもらう事で経済も回すことにしたのだ。
これには領民はもちろん、騎士団の砦に閉じ込められる覚悟で来た研修生自体も喜んだ。
もちろん、羽目を外してしまった人間が問題を起こす可能性も出てくるが、騎士団として彼らの身の上を預かる以上は彼らと領民、双方の安全を考慮する必要がある。そこでカルヴァ隊長と相談の上、騎士団員は問題行動が露呈した時点で軍の規律による処罰対象になることを各騎士団へ説明し、全員から誓約書を受け取った。領民の方にはぼったくりなどしないよう、そして何かあった際は行動にとる前にまずは騎士団へ必ず相談するようにと広めておいたので、そんな愚かなことをする者はいないだろう。
というわけで。現在女神の治療院では南方辺境伯騎士団医療隊による看護研修が行われているのである。
彼らが記録を取っているのは、先ほど見た物を自分なりに記録してもらうため。
印刷技術がまだ追いついていないために教科書が作れなかったため、代わりに自分でケアの目的や手順、必要物品などを後から振り返れるように書いてもらうことにした。
正直、私は人にものを教えるなどやったことがないため、患者向けの指導教室をイメージし、インプット後のアウトプットで正しく理解し自分の知識としてもらう目的もあり、そのうえで質問をうけつける手法を取った。
「今までのところでわからなかったところはありますか?」
うとうとし始めたネオン君をあやしながら皆に問いかけると、後ろの方からそろそろと手が上がる。
「どうぞ? なにかしら?」
「あの……先ほどのあれを、私たちがやるのですか? 下の世話を?」
手を上げ、困惑気にそう言ったのは緑のスクラブを着た年若い男性で、それに呼応するように周囲にいた研修生も神妙な顔で頷いている。
「もちろんです。」
おそらくはおむつ交換・陰部洗浄に面食らっているのだろうが、ここであいまいな答えをする意味はなく、私ははっきりと答える。
「まず前提として。一人で、または付き添いがあれば安全に動ける方に関してはもちろんトイレに行っていただきます。しかしここは医療院で、動けない方、動くのに不安がある方が多いのが前提です。医療院に入院されている患者には毎日一回と排便後には必ず陰部洗浄、週に最低2回は全身の清拭を行います。これは患者の清潔を保つうえでの最低限度の決まりです。昨日始まったこの研修においてまずおむつ交換を見てもらったのは、そのような事情があれ【陰部洗浄やおむつ交換を含む一連の排泄介助】【清拭】【口腔ケア】という、人間が健康を保つために行うべき最低限の援助技術が出来ない人に、患者の看護をすることが困難であると考えるからよ」
そういえば、半数はなるほどとうなずき、半数はさらに困惑した表情を浮かべている。それは集まった男女の中に性差はなく半々といった具合だが、他者の排泄介助などと思う気持ちが強いのだろうと思う。
「他者の陰部を洗ったり排泄物のお世話をする行為に皆が戸惑う気持ちはよくわかります。最初は私も、そして現在医療班で働く私の部下もそうでした。ですが考えてください。食事、睡眠、排泄は人が生きる上であらがっても止めることのできない生理的基本行動であり、看護とは、病気、怪我などの理由でそれが出来ない患者の療養生活が、安心安全安楽であるように援助するのが仕事なのです」
それには、別の研修生が手を上げてやや強めの口調で発言をする。
「医療班の仕事は、そのような下男や下女のやることではなく、病気や怪我の治療ではないのですか?」
「いいえ」
先ほどの青年の言葉に、私は首を振る。
「病気や怪我の治療をするのは、医学や薬学に対し真摯に勉強を重ねた医師の仕事です。私たち医療隊に所属する看護師の仕事は、医師が行う治療を円滑に進める補佐をしながら、床につく患者が一日でも早く健康かつそれに近い状態に回復するために生活の援助をしながら心のケア、病状の観察をし、いち早く異変や異常に気付き医師に報告・相談することで、早期発見早期治療につなげる事です。そしてそれは、常に患者に寄り添う看護師だからできることだと私は考えています」
そう伝えれば、なるほどと納得した者が半数、納得できず表情を歪める者が半数で、その大半が色つきのスクラブを着た者だ。
辺境騎士であるという自尊心に加え、そんな下男や下女がするような汚れ仕事をしたくないのだろう。
私は、腕の中で眠ってしまったネオン君を近くに用意していたゆりかごに寝かせてから皆の方を向く。
「この子は今一人にされたら生きていけない稚い命です。ですが幸いなことにこの子にはこの子を愛してくれる素敵な両親とあたたかい隣人がいて、こうして健康に育っています」
ぷくぷくとしたほっぺに頬を寄せれば、自分と同じ名前を持つ子は頬を緩ませる。そんな愛らしい表情に目を細めてから、目の前の研修生たちをもう一度見る。
「皆様も。赤子のころは誰かにおむつを替えてもらい、ミルクや食事を与えてもらい、病の時は寄り添い、独り立ちしてからは危険がないよう誰かに見守られてきたと思うのです。それは両親、兄弟、友人、仲間、孤児院の修道女、近隣の人間……いろいろでしょう。そして決して与えられたそれが満足な物でも、平等でなかったとしても。今、ここにこうして生きているという事は、誰かの手でそうして守られていたという事です。だって、その手がなければ赤子という稚い存在は、あっという間に神の元に戻ってしまうのですから……。それと同じ。自分がしてもらったことを今度は仕事として返すのです。同じ土地で暮らす自分のために汗水流して働き日々の糧をもたらしてくれた人、故郷の安寧のために命を懸けて戦う人、その方たちが傷つき倒れたとき、今度は私たちが仕事として看護をするのです」
「いや、だけど他人の下の世話なんて……」
「隊長の言っていることは綺麗事だよな」
わざとだろう。聞こえるように、けれど決して手を上げずにそういう言葉を口にする者の方を向く。
傍にいたシルバーがこぶしを握って一歩前に出るが、それを制してからそちらに向かってにこやかに微笑む。
「先ほどお話したのは私の持論で皆様に強制するものでも、強制する気もありません。ですが私が話すことで、聞いた者が良心を痛め、手伝おうかな? と思わせるように罠に誘導したように聞こえたでしょう。その点については謝罪します。ですからここからは現実的なお話をさせていただきますね」
そういったうえで、私はさらに笑みを深める。
「今回の研修には、自分の意思で参加を希望された方だけ受け入れますと各騎士団へ通達しております。つまりここにいる皆様は、自らの意志で看護を仕事とすると決めたのです。仕事とは勤務時間内に指示された・任された事柄を責任もって全うし、その対価として給金を受け取るという契約。それは母や隣人たちが幼子に与える無償の愛でも、教会が貧しい方に施す慈悲ではありません。能力差はあれど、騎士として剣を取り戦う、職人が物を作り売る、地を耕し丹精込めて育てた物を売る、そうして金を得るように、皆様は医療者として患者に看護を提供し給金を得ると決めてここに来られたのです。ですから、下男下女がするもの、汚いからやりたくない・めんどうだからしたくない・出来ないは通用しないことも、承知の上だと思います」
私の言葉に納得して頷くがいる中で、さらに怒りで顔を赤くすしたり、不服そうに舌打ちする者がいるのを見ながら、私は言葉を続ける。
「ですが、辞める辞めないもまた自由です。昨日から今日までの研修内容を踏まえ、自分に出来る出来ない、向いている向いていない。いろいろ思う事もあるでしょう。それは個人の自由です。やっていく自信がない、不安だ、辞めたい。そう思われるのであれば、意思表明でも、ただの相談でも構いません。どうぞ気軽にお声掛けください。もちろん、私に言いにくければここにいるシルバー・ハチェット、マイシン先生、修道士様、夜勤に来る隊員、誰にでも結構です。この仕事は納得できないままするものでもできるものでもありません。今日排泄介助を見てもらったのには、そういう理由もあるのです。あぁ、夕刻が鳴りましたね。今日の研修は以上です。明日も同じ時間にこちらへ集合です。質問・相談がある方はどうぞ遠慮なくいらしてくださいね。皆さん、お疲れさまでした」
私の言葉が終わると同時に、後ろにある扉が護衛騎士によって開かれ、すると研修生たちは表情や態度にいろいろあれど、こちらへ一礼してから教室を出ていく。
私の元には赤ちゃんの母親がやってきて、男の子を抱き上げると、お礼を言って出て行った。
「隊長、大丈夫ですか? あの緑のスクラブの奴、殴ってもよかったのでは?」
「大丈夫よ? それに、シルバーが懲罰を受けてしまう方が問題だわ。あれは普通の反応なのだから、余り怒っては駄目よ? さ、私たちも最後のケアをして夜勤に来てくれるラミノーとシルバーに申し送りをしましょう」
「はい」
そっと近づいて来てくれたシルバーにそう答えると、マスクとエプロンを付けた私とシルバーは患者の排泄介助と水分補給に向かうのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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誤字脱字報告、ありがとうございます。
** 2026年最初の更新です。継続して更新していけるよう頑張ります **
以前から読んでくださっている皆様、コミカライズから来てくださった皆様へ。
皆様の2026年が、光に満ちた良き一年になりますように。
そして本年も、猫石と『目の前の惨劇で前世を思い出したけど‥‥』をどうぞよろしくお願いいたします。
(喪中につき、新年の寿ぎは控えさせていただきます)




