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147・夜空の鳥籠とほころび 1-2

お詫び。

最終チェック前に更新してしまい、日頃にまして誤字脱字大変多く醜い文体を晒してしまいました。

(金曜日公開予定でしたので)慌てて修正をしましたが、ご不便、ご不快をおかけしました。

心よりお詫び申し上げます。



*** 宣伝 ***

ブシロードノベルより『目の前の惨劇で前世を思い出したけど(略』1巻2巻発売中です。

コミックグロウル、ほか電子書籍サイト様にてコミカライズ第4話(Renta様は選考なので5話)更新されています。

「ネオン、約束を守りに来た」

 差し出された腕と甘やかな声が私を誘う。

 あぁ、このままあの日そうであったように、何も考えず彼の腕の中に飛び込めたら。

 どんなに幸せだろう。 


(――だめよ! ネオン!)


「……っ」

 そんな自分の行動と気持ちを制する声に、今にも伸ばしてしまいそうだった右腕を咄嗟に掴んだ左手が、その肌に戒めるように爪を立て、その痛みが立ち上がりたい足に動くことを許さずにいられた。

 それでも抑えきれない感情が、彼の言葉に応えるように瞬きと同時に大きな涙の粒となって月の光を弾いて滑り落ちていく。

 そんな私を見つめる彼がそこから動かないのは……目の前で動けずにいる私に、何かを感じているのかもしれない。

 内なる自分の声のお陰で、反射的に彼の元に飛び出す事を止められた私は、涙を拭い掠れた声で問う。

「……な、ぜ?」

 言葉にしたいことはたくさんあった。けれど出せたのはたったそれだけ。

 しかし彼には十分だったのか、私との距離を詰めることなく、月明かりの境界の前でゆっくり膝を折ると私と視線を合わせた。

 まじりあう視線に、気を抜けば自分がどんな行動に出るかわらかない。

 だからこそ、これ以上情けない姿を見せぬようにと腹に力を入れ、ネオンは彼は静かに見つめた。

 カーテンから差し込み床に線を描く細い月明かりでできた光の筋が、互いの間にある明確な()()であり、私からそれを犯さないであろうこと、そして彼もそうであろうことを理解し、安堵と共に空しく悲しさを感じる。

「なぜ、ここに?」

 国の守護の要である辺境伯領騎士団砦になぜ入れたのか。

 強固に護られたここへどうやって入れたのか。

 なぜ私の元に来たのか。

 何故、どうして? 数少ない言葉にすべてを詰め込んでそれだけを口にすれば、彼は微笑んだ。

「約束していた。必ずお前の元に戻る。と」

 二年前最後に交わした言葉。

 頬に触れていた手が離れ、その手が名残惜しいと重ねた指が離れた時、彼はそう言って商隊と共に王都を去っていき、私は泣きながらそれを見送ってから四ヶ月すぎたあの日まで、彼の帰りを待ち続けていた。

「……でも、それはもう」

 ふるふると首を振るだけしかできない私に、彼は目をそらさず告げる。

「二年も昔だ。だが俺にとってはお前との、唯一の大切な約束だった」

 それは、自分も変わらない。

 自分だってそうだったのだと叫びたい。

 だが、しかし。

 ぎゅっと、寝具を掴み、首を振る。

「……あの頃とは状況が変わったわ……」

 酷く渇いた喉から少しずつしか出せない掠れて上ずった言葉に、彼は視線を逸らさずいる。

「そうだな……」

 それだけを言うと、一度小さく息を吐くのと共に話し始めた。

「あの日、俺は()()()()()だった。お前の家族に頭を下げ、お前をこの国から連れ出すつもりだった。だが宿に着いた時、いつも通りのそこにお前の姿だけが消えていた。貴族に連れさられた後だと知ったのは、酔った馴染みの客が口を滑らせたからだ」

「……」

 思い出すかのように伏せた青い瞳の前に、飾りとともに編み込まれた白い髪が一房、滑って落ちる。

 揺れて落ちた髪の房についた髪飾りが、月明かりを弾いて闇ばかりの部屋に星の様なきらめきを弾く。

 情景は手に取るように解る。

 王都の、大手とはいえ庶民街の宿屋兼酒場だ。誰が聞いているかもわからないそんなところで、誰もがそれを話す気にはなれなかった、貴族にはかかわりたくなかった。だから誰も何も言わなかった。

 話の流れは夜半に変わった。仕事をこなしながらネオンを探し、いつもより遅い時間に彼がようやく(何食わぬ顔と思われてしょうがない無表情で)食堂兼酒場に顔を出せば『理不尽だ、可愛い子だった! 気立ての良い看板娘だった! なぜもっと貴様は早く帰ってこなかったのだ』と泥酔した顔見知りの客に殴られ、なじられるまで。

「皆が彼を裏に連れ出した後、他の人間に聞いてもただ口を閉ざす中、酒場の親父(オヤジさん)に呼ばれ店の奥に連れていかれた俺は、彼にただ頭を下げられ、金貨の袋を渡された。『ネオンが貴族と何かあったのは解っていた、だがあんな高位貴族で、しかもこんなことになるなんて』『ただあの娘を雇い入れ、破落戸共から守ってほしいと商会の総締めから言われて……事情なんて、知らなかったんだ』と。そんな彼が押し付けてきた金を受け取らず、わかる限りの情報が欲しいと言った俺に、せめてもの詫びだと彼は家を教えてくれた」

「……家? ……私、の?」

 頷いた彼は、私に青い瞳を向ける。

「向かえばそこは荷造りの途中だった。訪ね、声をかければすぐに俺に気が付いてくれ、裏から中へ入れてくれた。お前が連れていかれた後、すぐに公爵家所有の屋敷への引っ越しを命じられたらしいが、母君が一晩だけ荷造りをする時間をくれと懇願し時間を稼いだと。もしかしたら……ネオンが話をしていた恋人が訪ねてくるのではないかと思ったと」

「母さんが?」

 ――幸せになるのよ。

 そう言って、痩せた手で頭を撫でてくれた母さんの優しい微笑みを思い出す。

 一方的とは言わないが、それでもあの男に騙された後は体裁の為に公爵家に嫁がされ、当主夫人を筆頭に公爵家の人間に虐げられ体を壊し、男の失態のせいで子供と共に市井に捨てられた母さんは、あの現当主(養父)かその遣いの相手に立ち向かい、たった一晩とはいえ必死で時間を稼いだのだろう。

 いつかいなくなると解っていたであろう(わたし)の万が一の可能性にかけて。

 途中で放り出された私なんかよりもずっと、母さんにはわかっていたのだ。貴族の、公爵家の抱える秘密と執着がそんなに甘くはないのだと。

 未熟だった自分を恥じるように黙り込んだ私の様子を見ながら、彼は穏やかに私の知らぬ話を語る。

「お前の母君に、昔に描かれたと言われたお前の絵姿を見せてもらいながら聞かされた。お前がこの国でも特別な公爵家の中でも、さらに特別な娘なのだと。保存状態が悪いその姿絵でよくわからなかったが、その容姿のせいで他の子より苦労を背負わせたと。そのうえでお前の母君は、見ず知らずで正体もわからぬ俺の手を取り、深く頭を下げた。『ネオンを好きになってくれて、恋をするという、女の子として幸せな気持ちを与えてくれてありがとう』と。そのうえで『いつかこうなる事は予想していた。あの子のことはあきらめてほしい、ネオンのせいではない。ネオンが俺を裏切ったわけではない。だがこれはどうしようもない事なのだ』と。どうか許し、忘れてやってほしいと頭を下げられた」

「謝って……?」

 突然訪ねてきた異国の男に、自分達も突然娘を連れ去られ、居を移せと言われて動揺している中で頭を下げ、娘を許してほしいと願ったのだと知り、最後だと思ったはずの涙が溢れる。

「ネオンが連れていかれたことは悔しい、諦めきれない。しかしあの家の血を引いた以上は仕方がなく、公爵家から逃げられるなどただの一度も思っていなかった。ただネオンには特に苦労をさせ続けると。そしてもう一度、俺の身を案じ、このままネオンの事はいなかったものとして忘れてほしいと頭を下げられたんだ。あの子を忘れて、貴方の幸せを掴んでほしい、と」

 母さんの気持ちに涙が溢れて止まらない。そんな私に彼は続ける。

「母君の話はよく理解できた。だが俺はお前を諦めるつもりはないと伝えた。最後になってもいい、今生の別れになってもかまわない。せめて最後に、ネオンと言葉を交わしたい、幸せであるかと確かめたい。その為に追うと告げた。危険だと何度も止めた母君も、最後は、もしネオンに会えたら渡してほしいと、家族の絵姿のペンダントを預かった。『もしこのしがらみからネオンが抜け出せたら、その時は今までの分まで幸せになって欲しいと伝えてくれ』と。礼を言って家を出た俺に、今度はネオンの兄妹が菓子の礼と、荷造り中にお前のベッドの下にあった粗末な木箱を渡された。皆が寝静まった夜中によく眺めていた、宝物だと思うから渡してほしいと」

 なぜだろう。

 母に、兄弟に、彼の思いに。

 苦しくとも、嬉しいと感じるはずであるのに。彼の語る言葉が、静かに雪が降るように体の中に落ち、冷たく敷き詰められるように心の底に溜まっていくのを感じる自分がいる。

 次の言葉で、それはすとんと腑に落ちた。

「お前の詳細はすぐに辿れた。ただ公爵領では下準備が不十分で、お前は政略の道具となって他者の妻となってしまった。あの時、俺には手が足りなかった。だからこそ、手を尽くし、機会を窺った。それがあの祭りだった」

 違和感だ。

 そう思った時に耳に入ってきた言葉に思い出されるのは、花祭りで傷ついた子を抱いて連れてきてくれた姿。

「あれは」

 もしかして意図的なものだったのか。そう思ったのが顔に出ていたのだろう。彼は首を振った。

「子が襲われた場所が、俺が警護していた商隊の店の前だっただけだ。領主夫人がバザーをするとは聞いていたため、舞姫の警護で教会へは向かっていたし、お前のことも見つけていた後だ。だが事件は起き、子を連れて行った先でお前と会話をすることになったのは誤算だった。しかし大勢の子に囲まれ、部下に慕われ、民に『領主夫人』ではなく『ネオン様』と名を呼ばれていたお前は、皆に囲まれ幸せなのだろうと理解できた」

「アナベルの事、は?」

「あれは辺境伯夫人が本当にお前であるか確かめるためだ。答えは返ってこなかったが、表情で分かったよ。だからペンダントと荷物をお前の部下に預けた」

「何故、一度に渡してくれなかったの……?」

「預かった木箱はほぼ壊れていたから、オルゴールに入れ替えて商隊の馬車の荷に載せていたんだが、ペンダントの方は母君に許可をもらって、商隊の細工師に名を彫ってもらってた。その為、間に合わなかった」

 銀のオルゴールと絵姿の入ったペンダントが手元に届いた僅かな時差の謎も矛盾がないと感じたところで、私は静かに、ショーロン伯爵から聞かされて以来、心の中で渦巻いていた気持ちを言葉にする。

「私の絵姿を見たのね?」

「あぁ。母君は大切にしていたのだろうが、色はあせていたし、擦れてもいたが」

「じゃあ」

 思い出すように笑う彼に、私は問う。

「私の、本当の姿を知ったのね」

 彼は知ったのだ、宝石姫と呼ばれる姿を。

 あの日、話そうと思っていたただ珍しいと思い込んでいただけの、押しつぶされてしまいそうな真実を背負った醜い姿を。

 泣き出してしまいそうな声を飲み込む。

「貴方が良く話してくれたビ・オートプやデゼルート……きっと生きやすいだろうと話してくれた東方の話……私のためだと思っていたけれど、それは違ったの?。スティングレイ商隊が東方の後ろ盾を持つときいたわ……『宝石たる斎姫を探している』と。だとしたら貴方はいつから私のことを知っていたの? 母さんに聞いた時? それとも聞く前? 私が宝石だと知ったから……だから……ここまできたの?」

 そう言って。

「……違う、違うわ……」

 あぁ違う。

 こんなことが言いたいわけでも聞きたいわけではなく、自分の中の猜疑心と悲しみの大元を理解した。

 他者から自分の正体を知らされ、それを彼が知っている可能性を示唆された時、違う、そうではない。あの言葉に嘘はなかったと、必死に否定し続けた言葉。彼の口から聞きたい真実(こと)はそうではないのだと、ふるふると首を振り、もう一度、言葉を絞り出すように紡ぐ。

「ブレンは……貴方は! 私が『宝石』だと気が付いた。だからあの日、花をくれたの?」

 色あせないまま心の宝物にしていた大切な思い出が、自分の言葉に呼応するようにボロボロと崩れて落ちていく。

 自分には不釣り合いなほど繊細で華やかなアナベルの花と共にもらった、私だけに向けられた、優しいと信じた、信じたかった言葉。

「好きだと言ったの?」

 顔を上げたブレンの青い瞳は、ただ静かに凪いでいる。

「……そうか、知ったか」

 凪いだままの瞳に、納得したような静かな言葉に、目の前が真っ暗になった気がして、その顔が見ていられなくて、肩を落とし、項垂れる。

「そ、う……」

 眦から落ちた最後の涙の一粒が、爪を立て、血のにじむ腕に落ちた。

「だから、ここまで会いに、迎えに来たのね? 宝石でなければ、私なんか……」

 宝石でなければ。

 虹を放つ髪の毛でなければ。

 光を弾く紫の瞳でなければ。

 わたしなんか誰も必要とすらしてくれなかったのではないか、と。

 その絶望的な気持ちが、ボロボロと涙になって落ちていき、私をさらなる奈落へ連れていく。

 私は、何のために存在をしているのかと、自己を否定する言葉だけが溢れてくる。

「ネオン」

 すべての感情を遮断してしまいたい中に、優しい声が聞こえた。

「この虹色の……東方(あちら)では真珠と称えられるこの髪のことは、祭りの時に初めて知ったよ」

 先ほどより声が近いことに気付き顔をあげれば、大きな隔たりのように感じた細い月明かりをやすやすと越えた、大好きな青い瞳を持つ彼の顔が私の目の前にあり、そんな彼の手の中には、月の光を放って虹色に輝く髪の一房があった。

「母君が見せてくれた絵姿は保存状態は良くなかった。手入れが行き届かず随分色あせていたから気が付かなかった。実際は、こんなに綺麗な色だったんだな」

 さらりと彼の指の間をすり抜けて落ちていく髪に、彼は笑う。

「いつも汚していただろう。親父さんたちには、あの子には事情があるから自分から言うまで何も触れず、聞かないでくれと言われていた。化粧も。加減を知らないんじゃない、どうしても隠そうという意識が先決になり、まぶたやまつ毛にまでしっかり泥と油を塗りこめていただろう?目の周りを赤く腫らせていたのは、それが目に入っていたんだろう。こんなに綺麗な紫色だとは知らなかった」

 髪から離れた手は、強く食い込ませていた私の手を包むように外させると、呆れたようなため息をともに、彼の腰のベルトについたポケットから取り出した薬を塗り込んだ後で、視線を合わせ、話す。

「きちんと話さなかった俺が悪いのだが、お前を好きになったのは初めて会った時だ」

「初めて?」

 薬を塗り終わり腕から手を離した彼は、覚えていないか? と笑う。

「アナベルと共に好きだと伝えるよりずっと前だ。商隊に入ってすぐの、まだ旅慣れていない頃に脱水で朦朧としていた俺は、涼しかった厩舎で水騎獣(バフク)に寄り添って寝かされていた。その時、心配して優しい言葉をかけ、手を額に添え、それから急いで取りに行ってくれたらしい冷たい水を飲ませてもらった。その時は脱水と熱で浮かされてお前の顔すら満足に見えなかったが、それだけで十分だった」

 正直覚えていないその話に、私は目の前の彼を見る。

「そんな事、が?」

「宿屋の親父に確認したよ。ただ彼女が15になるまで話しかけるなと言われた。今考えれば、しがらみがあったのだな」

 ふっと笑った彼は、そっと私の両手を自分の手で包んだ。

「もしお前が幸せなら、ここでこうして声をかけることはしなかった。託されたものを渡し、従者として主人に付き従う。それで終わるつもりだったんだ」

「……?」

 優しく私の手を包んだまま、彼は青い瞳で私を愛おしそうに見る。

「二度目にお前に会う前、俺は孤児院へ行った」

「なぜ?」

 それに首を傾げれば、彼は笑う。

「あの時助けた子達の怪我の見舞いに。当たり前だが皆とても元気だった。俺の事を覚えていてくれた子もいて、そこでお前の話になった」

「私の?」

 突然変わった話に、私は首を傾げる。

「おまえは、自分があそこでなんと呼ばれているか知っているか?」

 質問の意図がわからぬまま、それでも頷く。

「もちろん。みんな、ネオン様、お姫様、と」

 思い当たる限りの言葉を並べれば、彼は笑って首を振った。

「違うな」

「え?」

「お前はあの子たちからネオンお母様と呼ばれている。皆、そう呼んでお前を心から慕っていた。親がないあの子達は、お前をお母様と呼び、心の支えにしていて、修道士たちは公には出来ないものの、親を亡くした子達の心がそれで癒えるなら、将来の力になるのならと黙認していると言っていた」

「それ、は」

 小さな子供たちの気持ちに嬉しさと戸惑いを感じる中で、自分の手を包む手の力が強くなったのを感じ、私は顔を上げる。

「……ブレ……」

「酒場でも、宿屋でも、教会でも市場でも。お前は『女神様』『ネオン様』と呼ばれていた。領民はお前が思うよりもずっとお前のことを知り、心を許していた。それと同時に、お前が領主によって辛い思いをしたという話も聞いた」

 ひゅっと、息を呑む。

 心の奥底が冷え込むのがわかる。

「もとより評判の良い男ではなかったようだが、そこにネオンが来て変わり始めたと、だがつい先日も領主が暴挙を犯し、それをお前が身を呈したお陰で20を超える領民の命が守られたと聞いた。そのお前にあの男は何をした?」

「それ、は」

 彼の面差しに、もう全て知っているのだと悟り声が出なくなった私に、彼は告げる。

「お前が幸せでないと分かったのであれば、お前を連れて逃げても良いと考えた。だが慕われる領主夫人が突然に消えるのは良くない。それ以上に、一番お前が了承をする方法で連れていきたい」

 私の意志を確認しているのかと首を傾げると、彼は溜息をついた。

「……ブレン?」

「お前がそうであると知らなかったから、俺自身も生涯隠し通すつもりでいた。どのような状況になっても、お前と共に行けたのであればなおさらだ。俺にもお前には絶対に言う必要のないと思っていた秘密がある」 

「それはなに?」

 突然変わった話に掠れた声で首を傾げて問えば、彼はそっと私の髪を、そして目元を触れた。

「祭りの日、お前に会い、お前が長年にわたり東方から隠され続けた『斎姫』である真実を知り、そのお前が辺境伯夫人として幸せではないと知った今、隠す必要がないと判断した。だから、話す」

 ふっと、息を吐く。

「話した方が、物事が進みやすいだろうからな」

「……何?」

 恐れるように身を逸らそうとすれば、彼は私の手を取ったまま、半歩後退し、差し込む月明かりの下に立つ。

「俺の目を見てみろ」

「……目?」

 手を包む力が僅かに強くなり、逃げられず月明かりの下に身を動かした私は、生まれて初めて本当に間近で彼の顔を覗き込む形となり、戸惑いながらも彼の青い瞳と視線を交わした。

 銀色の月明かりがその青い瞳を浮かび上がらせる。

「……っ!」

 息をのんで、彼の手から逃げ、ベッドに座り込む。

 月明かりから逃げるように壁の闇に背をつけた彼は、頭からローブを被ると再び暗闇に包まれた室内で私に微笑んだ。

「見えたか?」

 何が、と彼は問わない。

 何が、と私も問えない。

 しかし自身の目で見たものを否定することは出来ない。

 恋焦がれた、夏の青い瞳。

 その夏の青いその瞳の光彩の中に、何故か、月から落ちてくる光を反射して金に輝く星が、虹彩とは思えぬ光を放ち、その様は以前聞いた話に近い。

 震える私に、彼はローブで隠した顔を上げると距離を取ったまま静かに問いかけてきた。

「ネオン。あの日の約束の通り、俺と共に生きることを考えてくれないか?」

 あの日に聞きたかった言葉に、けれど私は首を横に振る。

「なぜ?」

「私を調べた貴方が何故と聞くの?」

「昔は家族のためだったな……」

 そう言われ、宿屋のネオンの頃に聞かれたことを思い出す。

 一度は、母や兄妹が心配だからついていけない、といった。ならばお前が安心できる方法を考えてやろうと彼が言ったのを思いだす。実際、彼はあの事件さえなければ、家族を共に逃がしてくれていたのかもしれない。

「あの時とは違う。けれど私は貴方とは行けない」

 あの時はそんなことは考えはしなかったが、今、彼にその力がある事を知った私は首を振る。

 そんな私に彼は言う。

「お前を躊躇させるものは何だ?」

 静かに手を差し伸ばしてきた彼は問う。

「何がお前をここへ留める? 夫か? 地位か? 郷愁か?」

「私、は」

 首を振り、一度俯いた私は、顔を上げしっかりと彼を見る。

 行けない理由。

 あの日であれば、何の躊躇もなくできる決断。

 そんな私が今、彼の胸に飛び込んでいけない理由は。

 一つ、二つと呼吸を整えて、私は笑む。

「私は、この南方辺境伯夫人で、南方辺境伯騎士団医療隊の隊長で、孤児院の支援者であり、女神の医療院の設立者なの。ここで患者を抱え、部下を抱え、領地領民を抱え、孤児院に暮らす可愛い子供たちもいて。学び舎に来てくれている子供たちに、それについてきてくれる大人達……ありがたいことに、私を信頼し、慕い、大切にしてくれる人がたくさん、本当にたくさんいてくれるの。私は、ここにきてたくさんの人に力と気持ちをもらったの。その大切な人たちを裏切ることは出来ないわ」

 医療隊員、孤児院の子供達、修道士様たち、学舎に通ってくる母娘……思い浮かぶみんなの顔に俯けば、彼の低い声が聞こえた。

「その中に好きな男ができたわけではないのか?」

 突然の言葉に、私は悲鳴のような声をあげる。

「違うわ!」

 言葉のナイフでずたずたに引き裂かれたような錯覚に心からの悲鳴になる。

「いない、いないわ! ブレン以外、は……」

 止まったはずの涙が零れ落ちる。

 崩れ落ちそうな体を支え、両の手で涙と声を抑えこむ。

「いないわ。ずっと、ずっと逢いたかったもの……貴方が何者でも、誰でもよかったの……」

 強く、言う。

「あの日、貴方を待っていたわ……最後に一目、一目で良い、会いたかった……」

「俺は、今もそうだ」

 酷く冷たい声に顔をあげれば、彼は、冷たい、護衛剣士として(いつも)の顔で、私を見下ろす。

「南方辺境伯領の領主夫人としての責任、隊長としての責任。それが、お前をここに縛り付けるものなのだな」

 ふるふるっと首を振る私に、彼は続ける。

「医療院に孤児院……弱者を守る事、か」

 顔をあげれば、彼と視線が合う。

「お前が守りたいのはお前を慕ってくれるものすべてということでいいのか」

 一歩、二歩と再び近づき、ベッドの上で身を硬くする私の頬から零れ落ちる涙をそっと拭った彼は、ローブの隙間から、青い瞳で私を見据えた。

 その、血も通わないような冷たい瞳に、わずかに体を引いた私の左腕を掴んだ彼は、その腕にいつの間にか嵌められていたあの銀の装身具にそっと口づけた。

「ならば、それを守り、それらと共にならば、俺と共に来てくれるんだな?」

「……え?」

 口元に笑みを浮かべ、私から離れた彼は、ふわりとローブの裾を翻して私に背を向けた。

「ならば、そのように動こうか」

「……なに、を?」

 困惑する私に、彼は肩越しに微笑む。

「俺としてはお前だけでいいのだが。けれどお前が心を砕き大切にするもの、思うもの。失えば苦しむものがあるのならば、俺はお前が泣くのは見たくない。だからお前の望むままに。お前が抱えるものすべてと共に俺の傍に来られるように、体裁を整えて迎えにこよう。そうすれば何の憂いもなくお前は俺と一緒にいてくれるのだろう?」

 肩越しに微笑んだ彼は、外から聞こえてきた音に口元を歪めると、手慣れたように腰につけた携帯ポーチから出した一枚の紋様の描かれた紙を床に落とし、右足で踏み込む。

「……次は、必ずお前を連れ帰る」

「まって!」

 足元で踏み潰された紙から突然天井まで上がった青い炎。

(転移の魔術式!?)

 その紙の意味を知り、慌てて彼の言葉の真意を問うため、私は咄嗟にベッドから飛び降りて青い炎に手を伸ばし……しかし、彼は焼け落ちるようにしてその場から消え、届かなかった私は大きな音を立て無様に床に転げ落ちた。

(……手が焼けるっ!)

 床に転げ落ちた瞬間に燃えた紙の切れ端を掴んだ手に、強い熱を感じる。

「ネオン様!」

 飛び込んできたアルジとベラが、病室の床に倒れ込んだ私に駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか?!」

「どうなさったのですか?!」

「ごめんなさい、水を飲もうとして体勢を……大丈夫、よ」

「そんなこと。お呼びくださいと申し上げたではありませんか! さ、ベッドに戻りましょう!」

 紙を握りこんだ手をかけてくれた肩掛けの端に隠したまま、アルジとベラの手を借りた私はゆっくりと床から立ち上がり、ベッドの端に腰を下ろす。

「あぁ、お膝に怪我を。クルス先生を呼んできます」

「これくらい大丈夫よ」

「いいえ、いけません!お待ちくださいませ!」

 飛び出して行ったアルジを見送り、ベラが私を見る。

「ネオン様、お顔の色が悪いですわ。何かございましたか?」

「いいえ……夢を、見ていたの」

「夢、ですか?」

 訝しげな視線を私に向けるベラに、私は目を伏せる。

「えぇ。酷く懐かしくて、怖い夢よ」

 その時、そっと冷たい手が私の頬に触れた感覚に自分が泣いているのに気づく。

「……色々あったのですから当たり前です。処置はアルジに任せ、私は暖かい飲み物を用意しましょう。おそばを離れても大丈夫ですか? ご安心ください、扉の外にはブルーガが」

「えぇ、ありがとう……」

「では、お待ちくださいね」

 扉を開け、外に立つブルーガに何かを告げて出ていったベラと、心配げな顔で頭を下げたブルーガに詫びて、私はこっそりとシーツの下の自分の手を見た。

 黒い煤で汚れた掌の中には、焼け焦げて残った、何やら呪禁の書かれた紙の欠片が残っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回から最終章になります。たぶん(が、今まででかなり長いです、今までの2章分くらいです)


リアクション、評価、ブックマーク、レビュー、感想などで作者を応援していただけると、やる気がもりもりわきますので、是非よろしくお願いします。

誤字脱字報告、ありがとうございます。


また、先日の更新後の長々言い訳にご感想、DMなど、本当にありがとうございます

沢山たくさん元気を頂きました!

感想も全部拝見しております。 感想への返信は少々厳しい状況ですが、物語上大切な質問にはどこか機会に返答&お話しの修正をしてまいりますね。


本当に、ありがとうございます!


次回更新は4月3日(金曜日) コミックグロウルでのコミカライズの更新日と一緒です!

よろしくお願いいたします(^^

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― 新着の感想 ―
うーん、侵略フラグぅ……
一気読みしているところなんですが、このままずっと好きだった人とくっついてくれたら良いなぁと思いました。 周りを排除したい人と周りも全て抱えようと言う人 真逆の考えのように思いました。
いち男性読者目線としては、最初からこの初恋相手が胡散臭すぎて好きになれなかったです。初恋の相手より成り行きとはいえ慕ってくれる辺境の皆を選んでほしくある。
感想一覧
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