15・完全勝利S、ですわ。
「貴女は、何を言っているのかわかっているのか……?」
私の言葉に理解が追い付かないようで、やや呆然とした表情でそう返してきた旦那様。
頭を下げたままこの成り行きを見ていた周りの人たちも、皆、一斉に顔を上げて、なんなら困惑気にこちらを見ているけれど、そんなこと気にせず私は笑顔のまま畳みかける。
「あら? 私、何かおかしなことを申し上げましたか? 先程も申し上げました通り、テ・トーラ公爵領では、孤児院、修道院などと共に、医療院という、身分に問わず、自領の者については無料で傷病人を治療・看病する施設がありましたので、此方にそれを作りたいと思っただけなのですが。 もちろん、旦那様のお母様である前辺境伯夫人の事業も、合わせて継続させていただきますわ。」
ちなみにその、話を聞くだけなら慈善の鑑のような医療院。 実際にテ・トーラ公爵領にあるにはあるのだが、実際は無料提供専任の職員は不在で、寄付額や納税額が高い金持ちの商人相手にしか機能していないという実態がある。 前世的に言うところの『箱もの事業』(語弊あり?)だが、建前だけは大変に素晴らしく、軍人=負けず嫌いであれば乗ってくるかも? と、引き合いに出したのだ。
「私のお願い、御了承いただけますか? 旦那様。」
あえて、断定や決定ではなく、『お願い』という体で問いかけると、意外と早く復帰した旦那様は、眉間にしわを寄せ私を見、唸るような低い声を出す。
「し、しかし……箱入りの貴族の令嬢の世迷言に、大切な騎士の命を預けるなど……」
(どの口でそんなこと言うの? お前が言うな!)
「旦那様。 このような言い方をしたくはございませんが……。」
憤慨、とまではいかないまでも、感情的になっていらっしゃる旦那様に、心の声のままに反論するわけにもいかず、淑女として正しい言葉を選んで、かつ旦那様が承諾せざるを得ないように反論と、説明をする。
「こちらにいらっしゃる負傷した騎士様方は、旦那様が先ほど、不要と断言なさった命ですわ。 で、あれば。 小娘の私に預けてくださってもよろしいのではないですか。 先ほどの私の発言を踏まえてお考え下さいませ。 私はモルファ南方辺境伯夫人の慈善活動として、ここを『救護・医療院』にしたいのですわ。 そうして、環境や人員を整えながら、辺境伯騎士団の負傷兵の方の看病をしていきたいのです。 もちろん、現在配属されていらっしゃる医務班の方に協力をしていただかなくてはいけませんが、それも含め、この建物と騎士団の医療班、そして騎士団の任務の中で発生する傷病者に対する全権を、私にゆだねていただけませんでしょうか。 もちろん、私が口を出すのは傷病者と救護院、そして救護班のことだけです。 それ以外の騎士団のお仕事には、一切、口を出さぬとお約束します。」
「辺境伯騎士団の仕事は、ご令嬢のままごと遊びではないのだぞ!」
まだ渋っていらっしゃるのか、あいも変わらず眉間にしわを寄せ、厳しい口調でそういう旦那様ですが。
(確かに貴族のご令嬢やご婦人は慈善事業で教会でバザーを行ったり、ボランティアを行ったりするけれど、その言い方はどうなの? ご自身の母親がやっていたことまでままごとって言っていることに気が付いているのかしら? もしかしなくても脳筋なの!? これはもう、目に見える効果が必要なのね。)
はぁ、とため息をついた私は、両手を広げる。
「では、今その目で、此方のベッドで休まれている騎士様をご覧ください。 私がままごと遊びで言っているわけではないと、理解していただけますわ。」
私の強い言葉に対して鼻で笑った旦那様は、軽く周囲を見回し、目を見張る。
鎧を解かれ、泥や血膿を洗い流され、傷の手当てをされて、綺麗なシーツにくるまってベッドの上に横たわる騎士様の姿をようやく認識したのであろう。 が、しかし、あざ笑うかのように私を見下ろした。
「確かに何かしたようだが、箱入り令嬢である貴女にこんなことができるはずがない。 一体誰に命じてやらせたのか?」
「確かに。 あの場の騎士様をこちらへ運んだり、資材やお湯の用意などは、騎士様に手伝っていただきました。 ですが、騎士様たちの身を清め、傷を清めたのは、私と、此方にいらっしゃる2人の騎士様、そして私の侍女のアルジです。 旦那様、もう一度ご覧くださいませ。 私はこれを、騎士様が床を離れるその時まで、丁寧に継続してやりたいだけなのです。」
「戯言を。 実際に令嬢にこんな事が継続してできるはずが……」
私の言葉を虚言だと笑った旦那様に、そろそろ物理的に一発拳をくれてやろうかと思った時だった。
「恐れながら旦那様! 発言をお許しいただけますでしょうか。」
「なんだ。 もうしてみよ。」
私の後ろに控えていたアルジの声に、鋭い口調で旦那様が問う。
「私は辺境伯家にお仕えして4年、現在は奥様付きの侍女をさせていただいているアルジ・イーターと申します! 今、旦那様が見ていらっしゃるのは、全て奥様がなさいました。 騎士様と私はお手伝いをしたまでです。 奥様の御指示と采配がなければ何もなしえませんでしたっ! 奥様のお言葉をお疑いになるのでしたら、今、目の前にいらっしゃる奥様のお姿をご覧ください! 奥様のお言葉が嘘ではないと、旦那様でしたらお分かりになるはずです。」
馬鹿な、とつぶやき鼻で笑いながら、改めて私の姿を見た彼は、その姿に明らかに絶句した。
(あぁ、必死だったから忘れていたけれど、今の私って……。)
改めて自分の姿を考えれば、ドレスは全体的に土埃と血と泥で汚れ、綺麗に整えられたはずの髪もぼさぼさ、丁寧に施してもらったであろう化粧は、動いている間に流れた汗を何度も腕でぬぐったために、見る影もなくなっているだろう。
アルジに言われるまで気が付かなかったが、今の私は、おおよそ、貴族の女性とは思えぬ姿なのだ。
そして旦那様も、その姿を見て悟り、言えぬ感情をぶつけるところがなかったのだろう。
綺麗に整えていた深紅の髪をぐしゃぐしゃっと片手でかき崩し、ゆっくりと目を伏せ、一息の深呼吸のうち、口を開いた。
「チェリーバ。」
「はっ。」
部下の名は呼んだものの、どのように言葉にすればいいのか悩むように口を開け、閉じては唇を噛み、すこしの間そうした後で旦那様は名を呼ばれた彼に言った。
「この建物を騎士団医療院とし、騎士団の医療班をネオンの管理下に。 彼女もそのうち飽きるだろうから、それまでは好きにやらせてやれ。 ただし、役に立たないと解ったらすぐに屋敷に追い返してかまわない。 それと、医療班に従事する騎士たちの中で、彼女に従うことを拒否する者がいれば、その時は別部署に異動をさせてやれ。」
「かしこまりました。」
「ネオン。」
「はい、旦那様。」
深く頭を下げたチェリーバという名前の騎士様を横目で見、それから睨みつけるように私を見た旦那様は、私がにっこりと微笑んだのが気に入らないのだろう。 苦虫を噛み潰したようにますます顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
「今回は勝手な行動を許したが、調子に乗って勝手なことをするな、解ったな。」
(解りやすい捨て台詞ですね、旦那様。)
可愛いところもあるのですね、と思いながら、私は笑みを深めてカーテシーをした。
「かしこまりました。 旦那様の温情、決して無駄には致しませんわ。」
そんな私の事がますます癪に障ったのだろう。
「……っ。 私は執務室へ戻る。」
私が顔を上げる前に踵を返した旦那様は、チェリーバと言われた騎士様以外の鋼の鎧の騎士様を連れ、足早に兵舎を出ていったのだった。