137・懺悔と願い
「……なにか、思うところがおありなのですか?」
私のかけたその言葉に、項垂れていたカルヴァ隊長は少し驚いたような面持ちで頭を上げ、それから小さく『参ったな』とつぶやいた。
それから一呼吸置くと、背筋をただし、ふたたび頭を下げたのだ。
「カルヴァ隊長?」
「御身には、こちらに嫁いでこられてからの一年は、ただ辛く苦しいだけの一年であったと思います。それに対しては私個人としても、モルファ一門カルヴァ侯爵家当主としても心からお詫びを。その上でここからは、私の独り言だと思って聞いていただければと思うのですが」
私が頷くと、カルヴァ隊長は静かにそれを話し始めた。
「……ネオン隊長には……この辺境が、騎士団が。最悪の状況となる前に、その身を呈してラスボラを止めてくださったこと、私も、妻ポーリィも、そして一門の当主たちも、本当に感謝しているのです」
独り言という彼の言葉に、私は言葉を発せぬよう口元を押さえながらも、その真意がわからず彼を見つめる。
「実は、ラスボラとネオン隊長の婚姻が正式に決まる少し前、私はその予兆に気が付きました」
氷交じりの雨だれが落ちるような、哀切を帯びた声でとつとつと語られたのは、私が想像していた通りの、騎士や領民の苦難の末の決意の行動にいち早く気が付いてしまった、旦那様の兄フィデラ様の乳兄弟であり、旦那様の幼馴染であり、彼を支えるべき立場である副団長、侯爵家当主となった彼の苦悩。
一兵卒やそうであった者たちが抱えるのは強制され続ける理不尽。それに対する恐怖と隣り合わせにある死への焦り。領民たちに広がるのは最愛を奪われ残された者たちの心に絶え間なく降り積もる悲しみと憎しみと怒りの連鎖。それは、決して届かないとわかっていても、何とか苦しみを与える原因である領主へ一矢報いんがため、家族や故郷を守るために支給された剣を、生活を豊かにするための農具を握り振りあげる寸前まで来ていた。
皆の心にあるのは、長年にわたり蓄積した溶岩の如く燃え上がり渦巻く灼熱の負の感情。
その憎悪が漏れ出す兆候をいち早く知ったカルヴァ隊長、二番隊ティウス隊長は、五番隊イロン隊長が率いる、口が堅く腕の立つ一小隊を極秘に動かし、彼ら彼女らが集まっていた場所に秘密裏にむかった。
くしくもそれは、昨年の鈴蘭祭の前夜であった。
辺境の平穏と安寧、そして亡くなった者達を悼むために大切に連綿と続いていた鈴蘭祭の開会。その挨拶のために舞台に向かう領主を狙う彼らに、どうか思いとどまるようにと頭を下げた。
侯爵家当主が平民に、副団長が末端の騎士に頭を下げた。
その行動は、けして領主である旦那様を守る為ではなく、武器を取り、理不尽と戦おうとする彼ら自身を守るためだった。
今、お前たちが動けば、締結を控えた婚姻が消えてなくなる。それは、平民が領主に対し暴動を起こし、この国で最も尊い方の発した王命を汚すことになる。そうなれば国に対し反逆の意ありと、彼ら自身はもちろん、大切な家族や親戚、ひいては辺境自体が王家からの処分対象となりかねないのだと、決意の末に握った武器を見せつけ、失った者の形見を胸に泣き叫び、それでも一矢報いたいのだ、見逃してほしい、命と引き換えてでも思い知らせたいと乞うた彼らを説得し、押し留めた。
嘆き怒る者達がいる中、見せかけだけの平穏を保つ辺境で鈴蘭祭は滞りなく終わり、それと同時に婚約は締結され、半年後、王都から花嫁はやってきた。
豪奢で美しい馬車の列に付き従う公爵家の騎士や侍従達からばら撒くように配られる慶事のパンや菓子、酒と肴に沸き立つ領都の片隅で、彼らは息を潜め耐えてくれた。
祝祭が落ち着いたら。
皆が日常に戻ったら。
花嫁をどこかへ逃がし(逆らえば諸共の可能性もあっただろう)犠牲と被害を最低限に押えながら旦那様をその座から引きずり下ろすために練られた計画。そしてそのシナリオ通り、迎えた妻を捨て置いた領主のおかげで、領内はすぐに落ち着きを取り戻し、陰に潜んでいた彼らはじき訪れるであろう機会を待つ日々。
しかしいよいよと思われた計画は、別の者の手で頓挫した。
隠れていた、隠していたはずの彼らの動きを知ったブルー隊長以下、団長崇拝派の騎士達や、血の穢れを嫌う穏健派、そして辺境家の使用人たちが、彼らより一歩早く行動に移ったのだ。
何も知らない花嫁は、騎士団の砦へと誘導された。
彼らの杜撰な策略とも言えない計画を知った者達は、その一連の行動を、攻め込む好機と成り行きを見守った。
しかしその場は、皆の心がねじ切られてしまいそうな事態となった。
突然発生した魔物の強襲。傷つき、倒れ、砦まで運び込まれたのにも関わらず、あの救護室へ放り込まれていく同胞たち。
そんな場所に、呑気に焼き菓子を抱えて侍女と向かう花嫁の姿に、それを押しのけ、彼らを助け、怒鳴りたいのを必死に押し留めあいながら、彼女がそこに向かうのを息をひそめ、見張り続けた。
このまま逃げ出してくれれば、砦を出たところで彼女を保護し、そのまま王都へ送り出すきっかけにもなる。
もう少し。
あと少し。
もう少しで、領主の首に手が届く。
「しかしそこで大きな誤算が生じました」
カルヴァ隊長は、私を見た。
「逃げ帰ると思っていた花嫁は、傷ついた騎士の為に我が身を顧みず彼らを助けた。そしてその後は領地領民の為に心を尽くし、子供らの将来を憂い、手を差し伸べた。本来は騎士である我々が示すべき正しくあるべき道を示し続けられたのです。古いおとぎ話にある、辺境に降り立った女神の如く慈愛に満ちた貴女に、隠れていた者達、そして我々も救われた」
双方の思惑を全て裏切った、医療院を立ち上げ、支持を得ていく花嫁の姿に皆が唖然としながらも感謝し、頭を下げ、感服するしかなかった。
「結果的に、考えうる中で最も犠牲の少ない穏やかな幕引きに繋がりました。しかし我々は間違った。巻き込んではならない貴女にすべてを押し付け、我らの懇願に、目の前の困難に、常に真摯に向き合い続ける貴女に追い縋り、それに甘え続けてしまった。それが貴女をどれだけ苦しめ傷つけるかわかっていなかった……いえ、わかっていて目をそらし続けた。そしてその末に倒れた貴女を目の前に、ようやく我らは皆、己が間違いを直視したのです。
これまで、騎士団に従事し、命を散らした騎士達やその家族の憎しみと怒りは、時間をかけ、謝り、寄り添い、癒えるのを待つしかありません。しかしこれは貴女には全く関係のない事柄で、貴女を巻き込んではいけないことだ。しかし、今はあなたがいなければそれを成し遂げられない。
……正直に申し上げて、貴女を逃がす方法を、今の私たちは持ち合わせていません。我らはこの先、彼が領民にしてきた事と同じことを貴女に強いなければならない」
椅子から立ち上がったカルヴァ隊長は、片膝をつき、深く深く、私に頭を下げた。
「本当に、申し訳ありません」
心からの後悔から出たであろう謝罪の言葉に、私は静かに目を伏せた。
嘘偽りは本当にないのかと、これですら、今度も私を盾として使うための嘘かもしれない。
そもそも、こんな話をされて嬉しいはずがない。
皆も苦しんだのですねと同情する気も、私の事を案じてくれてありがとうと感謝することも、逆になんてことをしてくれたのだと怒る気にもなれない。
ただ、皆、限界だった。それだけだ。
一つ、息を吐く。
そして、頭を下げ続けるカルヴァ隊長を見る。
「頭を上げてください」
どう表現していいかわからない。ただ不思議と凪いだ心のまま、頭を上げ、私を見つめるカルヴァ隊長を見、口を開く。
「……独り言にしては、聞き捨てならないことの多いお話でしたわ。おかげでわたくし、いったい誰を相手に、何を怒ればいいのか……わからなくなってしまいました」
罪悪感とも戸惑いともとれる表情で私を見るカルヴァ隊長に、静かに告げる。
「こちらに嫁いできて、本当に様々なことがありました。それをカルヴァ隊長はただ辛いだけの一年だったとおっしゃいましたけれど、それはちがいます」
「それ、は」
戸惑うカルヴァ隊長に私ははっきりとした声で言う。
「確かに辛く大変な事の多い一年でした。ですが、わたくしのことをネオン隊長、ネオン様と笑顔で呼んでくれる皆と出会えました。彼らと意見を出し合い、試行錯誤しながら働き、笑い合い、支えられてきた日々は大変に充実し、楽しく幸せなものでした。ですから、それまでの事情や国や貴族たちの思惑には怒りを感じ、思う事は多くありますが、こちらに来たことについては後悔はしておりません」
私の言葉が意外だったのか、呆けたような顔で彼は私の事をまじまじと見ている。その姿表情に、つい、笑いが漏れてしまった。
「それから、常に貴公子然としていらしっしゃるカルヴァ隊長のそのようなお姿が見られましたので、少しは溜飲が下がりましたわ」
「それは……いや、失礼を」
「冗談です」
慌てて取り繕おうとする姿にふふっと笑い、しかし表情をただし、言う。
「……ですが、わたくし個人の意志や気持ちを一度も慮っては下さらなかったこと、たくさん策略や謀に巻き込まれたこと、そのたびにわたくしを守ろうとしてくれた皆を巻き込み傷つけたことに対しては、正直、とても腹が立っていますし、今この場で全て許す、などとは申し上げられません」
「それは……当然です。我らはけして許されないことを貴女にし、押付けました。お詫びのしょうもありません」
「では、お願いをきいていただけますか?」
俯き、苦しそうに言葉を発するカルヴァ隊長に、私が言うと、彼は顔を上げた。
「お願い、ですか?」
「はい。カルヴァ隊長が……辺境伯一門の方が、騎士団隊長の皆様が。わたくしに対し少しでも本心から悪かったと思ってくださるのであれば、お願いを聞いてくださいませ」
「はい。私どもにできることでしたらなんなりと」
なんでも、も言わない当たり、彼の誠実さを垣間見た気がして、私は笑う。
「では1つ目。わたくしと医療院、医療隊員の心身の安全と安寧を守り、その職務に敬意を払っていただくこと。この先策略や謀など行わず、騙しうちのような事もせず、言える範囲で結構ですので事前に情報を下ろし、私達の意見を聞いてください。
互いに完全に分かり合うということは不可能ですが、せめて理解し合い、齟齬をなくし、納得できるよう心がけてください。わたくしたちは駒ではありません」
「それは、もちろん」
頷いてくれた彼に、頷き返し、そして告げる。
「それからもう一つ。これはわたくし個人のお願いなのですが」
「何でしょう?」
「先程、わたくしを逃がす方法がないとカルヴァ隊長は仰った。それは今は、という意味だととらえています。ですから、少しでもわたくしに悪いと、償いたいと思ってくださるならば、いつかわたくしをここから逃がすと。背負わされたすべてのモノから解放すると、お約束ください」
「それは」
戸惑う彼に、私は微笑む。
「南方辺境伯夫人でも、ネオン隊長でもなくただのネオンに。それが叶った時こそ、わたくしは全てを許しますと皆様に言う事ができると思います」
ぽろぽろと、零れ落ちるように出た言葉は、これまで流してきた涙の代わりで。
約束は、これから生きていくことへの希望。
それがわかったのであろうか。
これまでで一番悲痛な面持ちで私を見つめたカルヴァ隊長は、ぐっと目元を押さえると、腰に佩いた剣を床に立て、静かに頭を下げた。
「確かに。アミア・カルヴァ。わが剣と名にかけて必ずやあなたにこれまでの、これからのご恩をお返しするとお約束いたします」
その言葉に、私は静かに頷いた。
「長い時間ご無理申し上げ、申し訳ございません」
「いいえ。この後のことは、事前の話し合い通りに」
膝を床から離し、立ち上がったカルヴァ隊長は私に頭を下げた。
「かしこまりました。本部に戻りましたらすぐにでも書類の手配を。用意出来次第、お届けに参ります」
「お願いいたしますね」
「……それと。これはネオン隊長から断っていただくしかない要件なのでお話しさせていただきますが……」
「はい?」
最後の最後で何かしら?とおもっていると彼は1枚の面会を求める旨の書かれたカードを私に渡した。
「実は、北方辺境伯騎士団のペシュカ・ショーロン卿が、こちらを立つ前に、短時間でかまわないので一度、隊長とお話をさせていただきたいとのことでした」
「わたくしと、ですか?」
カードを見れば確かにそのようなことが書かれている。
「多忙ゆえとお断りしたのですが、どうしても、と」
軍議で話した彼を思い出し、しかし首を傾げる。医療院、医療隊員の受け入れのことであれば急ぎではないはずだし、急ぎであってもお断りできるはずである。
常識のありそうな彼が、無理を押し付けたとは考えにくい。
「何の話かと、おっしゃっていましたか?」
「それが、ショーロン卿はただ一言、コルデニア嬢の事でどうしても、と」
「……コルデニア様の事で?」
その名に思い出されるのは遠い日の茶会での笑顔と、王都で行われた婚姻式での美しい姿。
最後にお見かけし、一言二言言葉を交わしただけのあの方の事で何の話があるのだろうと首を傾げる。
「ショーロン伯爵は、いつこちらをお立ちに?」
「明日だと聞いております」
それであれば、今日の内が良いのであろうが、正直目覚めたばかりでの面会二件は到底体が耐えられそうにないと自分でも感じたため、それでは、と私は言う。
「明日の早朝お会いしますとお伝えください」
「よろしいのですか? こうして面会を申し出た私が言えることではありませんが、お体のこともあります。また後日という形でも……」
厳しい表情で私を案じてくれるカルヴァ隊長に頷き応える。
「大丈夫です、とは言えませんが、コルデニア様は行政公ド・ラド公爵家ご令嬢であった方です。その方の事でと言われれば、否やはありませんので……」
そういえば、カルヴァ隊長も何も言う事が出来ないのか、渋々の様子で頷いた。
「かしこまりました。では、そのように伝えます」
「よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げ、部屋を出ていったカルヴァ隊長を見送った私は、入れ替わりで入ってきた際、カルヴァ隊長の背中に向けてあっかんべーし、さらに明日の朝の面会の予定に激怒するアルジをなだめながら身支度を整え、ハーブ水で渇いた喉を潤しつつ薬を飲んで、ベッドに横になった。
疲れのためか、薬のせいか。すぐに深い眠りに引きずりこまれた。
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