130・謝罪と誓い
「ネオン隊長」
「はい?」
ドンティス隊長のエスコートで会議室を出、階段を下りて第九番隊の詰め所へと向かう途中に名を呼ばれ、少しだけ顔を上げると、旦那様と同じ黒色の、けれどそれより緑の強い瞳と目が合った。
「なにか?」
「その、御髪は……」
酷く傷ついた者を見るような、そして彼自身がそうであるような、複雑な感情を含んだ眼差しと、幾度と言い淀み、噛みしめ、ようやく言葉に出来たらしいそれだけの言葉に、彼の言いたいことを理解する。
(心配してくださったのだわ)
本部についた際、私の姿を見て驚くような素振りを見せず出迎え、会議室まで自らが案内してくれたのは、わずかにも事前に私が負傷してからの経緯を聞き、この人なりに心配してくれていたのだろう。
私はわざと、明るく振る舞うような笑顔を浮かべ、空いた左の手で髪の一房を揺らした。
「似合いませんか?」
「……よくお似合いになっている。……が……」
きらりと光を弾いた髪の先を見送って隣に立つ人をもう一度見上げると、彼は眉をわずかにひそめ、一文字にしていた口もとをさらにきつく締め、息を吐くように言う。
「……ラスボラを諫めるために、お切りになった、と」
筆舌に尽くしがたい、とはこういう時に、こういう方が使うのかもしれないとその様子を見ていて少し他人事のように考え、そう割り切っていられる自分に安堵して、首を横に振り、微笑む。
「その様に大袈裟なことではありません」
「そんなことはない! 決して、そんなことは……」
わずかに荒げた声に、自分で驚いたのか、空いた手で口元を押さえたドンティス隊長は、自分と私の補佐官に目配せをして彼らを遠ざけると、口元から手を離した。
「我らは、何処から間違ってしまっていたのだろうか」
「……? ドンティス隊長?」
互いの補佐官以外は誰もいない階段の踊り場。
その補佐官たちも、顔を見合わせると上へ、下へと顔を見合わせ行ってしまい、誰もいなくなる。
止まってしまった足元。
突然の静けさに戸惑い、周囲を見る。
ドンティス隊長の手は、口元を離れ握りこまれているが、その拳は小さく震えていた。
「……あの」
「貴女には、本当に辛い思いばかりさせてきた……今さらではあるが、心からお詫び申し上げる」
ドンティス隊長は本当に小さな、しかし私の耳にははっきりと届いた言葉に驚き顔を上げ、さらに驚く。
いつものように前を見据え。しかし、常に穏やかに、余裕のある微笑みを浮かべ、時に厳しくも正しく貴族然、紳士然としているドンティス隊長の精悍な顔立ちが、酷く悲しげに、悔し気に歪んでいる。
怒りと、後悔と、悲しみと、苦しさと。そのほか、たくさんの言い表せない感情が入り混じったその表情は、全てをご存知なのだと理解し、視線を床に落とす。
「ドンティス隊長が謝られることではありません」
「いや」
低く、後悔のにじむ、絞り出すような小さな声。
「貴方が髪を落としたと。それが、あのラスボラを諫めるためであったと聞かされた時、私はにわかには信じられなかった。婦女子の髪は貴族としての矜持と同義。それ以上に、三公の宝石色の髪は国宝と並び称されるものだ。それを自らの手で切り落とし、我らが手出しできなかった……いや、違う。一度や二度、アレに拒絶されたのをいいことに、顔を背け、耳をふさぎ、口を閉ざして、他者に責任を押し付け逃げていた問題だった。それを理解させるため、アレと向き合った、と。
それが、よりによってその身を危険にさらすことになるとは……っ」
抽象的な言葉の一つ一つが、何を指し示しているのかを理解しているが、私はそれに返す言葉を持たず、ドンティス隊長の腕に乗せたままの指先に力をこめた。
「ドンティス隊長……。」
「今も、そのお体は万全ではないはずだ……それなのにあの軍議にお呼びすることになった。止めることも出来なかった……大変に申し訳なく思う。
貴女がこの辺境へ嫁いでから今日の日まで、騎士達を相手にその小さな体で立ち向かってきていた。わずかにも心休まる日があっただろうかと……。貴女がこうなるまで気付かなかった自分にも絶望した……今日、貴女の姿を見、酷く後悔したのです……。わが子、我が孫とも言える年若い貴女に、いったい何を期待し、何を押し付け、一人で背負わせて来たのかと。貴女に捧げた騎士の誓いなど、無いに等しい。騎士の誇りなど、あまりに軽く、随分と地に落ちたものだ……」
彼の言葉に、私は首を振る。
「この髪は旦那様を諫めるために落としたのではありません」
ドンティス隊長がこちらを見たのがわかったが、あえて私はそちらを見ないまま話す。
「この髪は、旦那様が無慈悲に刈り取って来た命を弔うために落としました。この身を神に捧げ、修道女になる事は叶いませんが、せめてその志を持って、これからも領主夫人として過ごすという決意の証です。けして旦那様のためではありません。」
そう言ってから、顔を上げると、目元を赤くしたドンティス隊長に微笑む。
「嫁いでから今日まで、めまぐるしくも様々なことがありました。私が決めたうえでやるべきことも、私がやらなくてはならないことも、相変わらず問題は山積みです。……ですが、ありがたいことにここに来てからの私は、本当に人に恵まれてきました」
思い浮かべるのは、私のために身を尽くしてくれたアルジであり、医療院のメンバーであるラミノーやエンゼたちであり、離れに暮らす私を温かく見守り、生活を支えてくれる使用人たちでるモリマやアナ、デルモといった使用人であり、教会の神父様や修道士様、それに可愛い子供達だ。
「皆が付いてきてくれなければ何事も成せませんでした、これからもきっとそうです。私は、他者から見れば虎の威を借り、大口をたたき、理想を押し付けるだけのただの小娘です。でもそんな私をネオン隊長、ネオン様と呼び、慕ってくれる者達がいるのもまた事実。そんな人たちがいてくれるだけで、私は十分戦えますわ」
「……貴方はお強い……そして、非常に危うくも、ある」
呟くように、私ではなく自分に言い聞かせるかのように、小さく、本当に小さくそう言ったドンティス隊長は、一度私の手をそっと外すと、腰に佩いた細い宝剣を手に取り跪いた。
「これを」
「ドンティス隊長……?」
美しい宝飾の施された宝剣が、私の前に差し出される。
「なにを」
戸惑う私をしっかり見つめたドンティス隊長は、背筋を伸ばし、顔を上げ、口を開いた。
「今日、この時、この瞬間より、わが剣、わが命は貴女に捧げる。南方辺境伯騎士団隊長の中では一番の年よりではあるが、なに、その分、人生の経験がある。私の全てをもって、貴方を守る剣とも、盾ともなるとお誓いする。我がドンティス伯爵家は、貴女を必ず全てからお守りする。それが例え、我が家門に逆らうことになっても」
「……それは」
「もう、何も間違うことの無いよう、貴族として、騎士として、領地領民のために正しくあることを、思い出させてくださった貴女に、心から感謝申し上げる」
そう言い、深く頭を下げたドンティス隊長の背に、思う。
(……これは、謝罪なのね)
私を通しての、謝罪。
無体を働いてきた領主を諫め、道を正すことが出来なかったことへの、誠心誠意の謝罪と、これから先への誓いなのだろう。
最初にお会いした時の、重いようでとても軽かった誓いが、こんな風に形を変えると思ってもいなかった。
突っぱねることはできるだろう。
今までの暴走気味のあれやこれを考えれば信じていいのかすら怪しい。が、それでも。
(剣を捧げてくださったのは、初めてだわ)
騎士の誇りである剣。
それを、旦那様は領民を罰し、反論した者を黙らせるために握り。
ドンティス隊長は守るために使う、と捧げてくれた。
で、あれば。
「騎士の誓い、しかとお受けいたします……しかし、その志を向ける相手は、私ではありません」
顔を上げたドンティス隊長の、その剣に私は触れた。
「この剣も、そのお気持ちも、どうか隊長を慕う皆へ捧げてあげてください」
「ネオン隊長」
「気恥ずかしくていらっしゃるなら、私を通じてで構いません。僭越ながら、私もお手伝いをさせていただきます」
私の言葉に、ドンティス隊長は大きく目を開き、それから何度も頷いて、ようやく一言。
「ありがたく」
剣を捧げたまま深く頭を下げたドンティス隊長は、静かに剣を下げ、腰に佩くと、再び私に手を差し出してくれた。
「このような場所で詮無いことを申し上げました。これでは大切な時間があぶくとなり、消えてしまう。客人も待たせておりますからな、参りましょうか、我が姫君」
「えぇ。珍しいお客様とはどのような方たちか楽しみですわ」
そっとその手を取ると、上に下にと補佐官に目配せし、それからいつものように貴族らしく表情を張り付けて、一歩、歩き出した。
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