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125・自身の内と、工芸茶

 クルス先生に改めて問われ、私はこの半年を振り返る。

 今の自分を突き動かすものは何か。

 最初は前世の記憶のままに、つい体が動いてしまった。

 怖くて恐ろしくて逃げてしまいたかったけれど、目の前で傷つき苦しむ人たちを、放っておくことが出来なかったからだ。そしてその負傷兵を守るため、慈善事業を盾に旦那様を言い負かし、医療院設立とその建物の権利を得ることが出来た。

 その後は只目の前の事に必死だった。

 自ら口に出した事柄の責任と体裁を整える為に、使えるものは何でも使い、教会でのバザーを始めたのだが、そこで出会った辺境に住まう孤児や子供達の現状に、つい王都に置いてきた弟妹を重ねてしまい、孤児院に学舎を置き、子供たちの将来のために識字率を上げ、手に職をつけさせ、そのついでに感染予防や公衆衛生の向上にも力をいれたら、その親たちもついてきてくれた。

(こう考えると、私、相変わらず何も考えずに仕事しているのでは? 衝動で行動し、そのつじつまを合わせるように動いてきただけよね。)

 反省しつつ、今抱えていることを今度は考える。

 相変わらず、次から次に持ち込まれる問題は山積みではあるが、始めた事柄に関して言えば、ゆっくりであるが浸透し始めていている。旦那様との関係は冷めきったものであるため、いずれ自分がこの地から離れることがあるだろうが、それらがしっかりと継続して行けるようにと地盤を作り始めている。

 いつかこの地から離れることが出来たら。

 旦那様と離縁し、公爵家とも縁を切り、母や兄弟の元に帰る事が出来たら……

 もしかしたらあったかもしれない、けれどもう望むことの出来ない未来を忘れるべく、ぎゅっと固く目をつむり、両の手を握って。

 ふっと、自嘲が漏れた。

(結局、領地領民と言っているけれど、全て私自身の保身のためね。旦那様の巻き添えで死にたくない、旦那様と離縁し、ここから逃げだしたいとずっと願っているもの……なんて利己的なのかしら)

 ふっと心の中で笑ってから、目の前の人に悟られぬようにひとつ深呼吸をすると、ブランデーケーキを頬張っているクルス先生を見た。

「答えが出たかい?」

「えぇ。私の思いの源は、身勝手な思い上がりと傲慢な自己保身です。貴族として、領主夫人として義務と責任があり、その責任を果たすためと言いつつ、本当は我が身に危険が及ぶのを恐れているだけです。施すべき施しを行い、傷つき病んだ人を助け、安定した領地経営を行い、正しく領主であることを認めてもらい、己の立ち位置の安寧を願っているだけです」

 ふぅん、とつまらなさそうにクルス先生は聞いてくる。

「それは時に己が非情、人でなしと言われることになっても、そうするってこと?」

「……えぇ、はい。先日の事件。想像以上の苛烈な罰に取り乱しはしましたが、私は旦那様に彼の家族の減刑を願い出るつもりではいましたが、彼自身の減刑を願い出るつもりはありませんでした。領主として、貴族として、それが正しい判断だと理解はしているからです。

 ライアの事もそうです。きっと皆、私が何の罪咎も問わず、彼女を許すだろうと思っていたと思います。ですが私は領主夫人として、騎士団の隊長として、医療院に乱入し、騎士に無礼を働き、私に暴言を吐いたライアに対し、罰として3年間の侍女見習いと医療院の下働きを命じました。ブルー隊長の提案した修道院行に比べれば随分甘い判断だと思われるでしょうが、将来伯爵夫人になる予定の、家族から甘やかされて育った子爵令嬢に対し、侍女見習いは行儀見習いとしてよくある事ですが、騎士団の、自分の家門より格下の爵位又は平民、しかも異性の生活の世話や身体介助や掃除や洗濯や、庭仕事などといった下働きを命じたことは大変厳しかったと思います。そういう面を含め、私は今後も必要に応じてそう言った判断を下すと思います」

 静かに言った私の言葉を聞いていたクルス先生は、行儀悪く咥えていたフォークをつまむと、くるん、とその先で弧を描きながら少し考えたように視線を動かし、そして私を見た。

「それは、不特定多数から『領主夫人』や『医療隊隊長』の君に対しての感情だろう? 僕が聞いているのはさぁ……」

 ぴし。

 私の目の前に、フォークの先が突き付けられた。

「ネオン隊長。君個人に向けられる言葉として言っているんだけど、どうかな?」

「私、個人ですか?」

 突き付けられたフォークの先にある、此方を射抜くようなクルス先生の漆黒の瞳を凝視すると、彼はふんわりと目元を和らげた。

「そう。君は自分に向けられる感情に無頓着なところがあるけれど、君は、君個人に向けられる感情に対して、非情に振舞う事は出来るかい?」

「それはどういう事でしょうか? 仰っている意味が難解ですわ」

「……そうだな。目の前のもの、今だと僕が君の敵だった時に、君は目の前のナイフで僕を殺すことが出来るのか。アルジとモリー、二人が人質になっているときにどちらか一方を選ぶことが出来るのか、ラミノーやエンゼが君を逃がすために敵陣に向かうのを止めることなく逃げることが出来るのか……」

 わずかに首を傾げると、クルス先生はフォークを持ち替え、手元のブランデーケーキに突き刺す。

「君を心底愛する人間が、今を捨て逃げてほしがった時、全てが捨てられるのか」

「……え?」

 カシャン……。

 クルス先生の手から離れたフォークが、ブランデーケーキを崩し、皿の上で倒れて音を立てた。

「とかねっ」

 何かを含むようなにこやかな笑顔を浮かべたクルス先生は、倒れたフォークを手に取ると、崩れたブランデーケーキを口に運び、皿の上を綺麗にすると、ぺろりと口の周りを妙に長い舌でなめとって、それから紅茶を飲んだ。

「あの、クルス先生……」

「それはそうと、さっきの後継の話なんだけど。僕、人に教えるのが本当に苦手なんだけど、実は、医療隊の中で、2人ほど、僕の後継者として育てたい隊員がいるんだよね?」

「……はい?」

 質問の真意がわからず困惑し、その違和感と気持ち悪さで落ち着かず、先生の名前を呼ぶと、ティーカップから口を離した先生は、にこにこと、いつもの飄々とした様子で、自分のティーカップを空にした後、お茶を淹れ直そうか? と笑いながら立ち上がり、すっかり冷めてしまった紅茶が揺れるティーカップを手に取って中身を捨てると、魔道具で湯を沸かし、茶葉を用意しながら私の方を見た。

「ここに来た時から思っていたんだよね。重症患者の処置に対しても尻込みせず、前向きに物事を捕らえられる度胸のある隊員がいるなぁってさ。だから、その二人なら僕の後継として育ててもかまわないよ。騎士で、しかも苦境を乗り越えただけあってマイシンが耐えられなかったことも耐えられそうだしね。ただ、看護隊員が減ってしまうっていうデメリットがあるんだけど」

 切り返しの早さに感情と思考が追いつかないまま、私は頷く。

「えぇ。看護隊員が減るのは困ります。ですが人を教えるのが苦手だとおっしゃる先生が、それでも教えても良いと思うのであれば、本人が望めばよいかとは……その隊員とは誰ですか?」

 うん、と私を見たクルス先生は、さらに笑みを深める。

「ラミノーとエンゼ」

「え?」

「はい、どうぞ。ちょっと変わったお茶なんだけど、口に合うといいなぁ」

「え、あ、はい。ありがとうございます」

 にこにこと、本当にいつも通り笑いながら、さらっと看護隊の中でも私が最も信頼する三人のうちの二人の名前を口にしながら、柔らかな湯気の立つお茶を差し出してくれたため、戸惑いながらもそれを受け取った私は、それを見て今日何度目かの衝撃を受ける。

(え……緑茶!?)

「あ、あの、先生。これは?」

「ビ・オートプ産のお茶だよ。九番隊の、えっと、誰だっけ? 君のバザーの会計係になったとかいう……」

「9番隊……あぁ、パーンですか?」

「あぁ、そうそう。そのパーン君がね? 君が休んでいる間に、ここにバザーの資料をお借りしたいって訪ねてきたんだ。ガラがその書類を用意してくれている間にちょっと話をしたんだけど、彼、東方に留学していたんだって? 僕も東方にいたことがあるから懐かしくてね、話が弾んでしまったんだ。で、その縁で、このお茶を持ってきてくれたんだよ。いやぁ、懐かしいなぁ」

 にこにこと笑いながら、味わうようにそのお茶を飲むクルス先生に勧められ、私も一口、二口とそれを飲む。

(あ、何だろう。紅茶とは違う渋さが凄く和む……ざ、日本人! って感じ。紅茶も好きだけど、緑茶は格別だわ。パーンにお願いしたら分けてもらえるかしら?)

「どうだい、ネオン隊長」

「いつも飲んでいるお茶より少し苦みが強いですが、ほっとする味ですね。とても美味しいです」

 まさか前世で飲んでいました、滅茶苦茶しっくりきます! とはいえずにこやかにそう答えると、クルス先生はうんうん、と頷きながら、お茶を置き、戸棚から小さな紙の包みを三個取り出した。

「じゃあこれも気にいるかな?」

 私の目の前に置かれた包みを手に取ると、中からは花を綺麗に丸くして乾燥させたものが2つと、小さな柑橘にお茶を詰め込み乾燥させたものがでてきた。

「これは……工芸茶、ですか?」

 ツキンと、胸が痛むのを気付かないふりをして笑う。

「あ、知ってたのか」

「実家の取引先でやり取りしているもののうちの一つですわ」

(嘘だ)

 そう言いたくなるのを押し込めながら、努めてにこやかにクルス先生を見る。

「工芸茶は見栄えが良いでしょう? 実家の養母が自宅で開く茶会でよく使うのです。最近は小さな金の花のお茶がお気に入りのようですが、懐かしいですわ」

(嘘、嘘だ)

 苦い気持ちを吐き出しそうになるのを笑顔の奥に押し留め、紙に包みなおす。

 ――東方のお茶だ。これは茉莉花の花を薔薇で包んだ物。今は冬だから花が贈れない。だからこれを持ってきたんだ。

 歪みのない薄い硝子のカップにそれを入れ、湯を注ぎ、それを二人で見守る。

 なんの匂いもしなかったそれが、湯の中でゆるゆると乾燥していた花弁に色を取り戻しながら開き始め、それに合わせて湯から甘い花の香りがたち始める。

 それを、肩を寄せあい、ぼんやりと眺めているのが好きだった。

 金盞花、茉莉花、百日紅、千寿菊、薔薇。

 普段見ることのない大輪の花が目の前で開いていく様を見、そうして淹れられた一杯のお茶を、二人で分け合って飲む時間が、どれだけ幸せだったか。

「随分と懐かしそうだ」

 はっとして顔を上げると、いつもと、そして先ほどまでの張りつめた物とも違う、柔らかな目元をしたクルス先生がふっと笑った。

「大切な思い出でもあるのかな? 君にもそういう顔が出来ると解って少し安心したよ。それはあげるから、夜にゆっくり楽しむといいよ」

「いいえ……」

 慌てて表情を取り繕い、ふるふると首を振る。

「それは申し訳ないですわ、これは大変高価なものですもの」

「かまわないよ。患者の心の健康の管理をするのも医者の役目だからね」

 ゆっくりとティーカップを傾けながら、穏やかにそう言ったクルス先生は、口に含んだお茶を飲み下すと、ふっと、いつも通りの顔で笑った。

「そうそう、それでね。ラミノーとエンゼを、看護班の仕事をしながら僕に預けてくれないかなぁ。僕の持てる軍医として必要な知識を叩きこんであげるよ」

「あ、それは」

 慌てて私は背筋を伸ばし、クルス先生を見る。

「二人の意思確認も必要ですわ。けれど二人が望むのであれば、ぜひ。

 今は医療院を二つ抱え、クルス先生とマイシン先生に多大なるご負担をおかけしておりますし、軍医が増えるのは騎士団としてもありがたいことだとは思います。

 医療隊員については、今回のこともあって女神の医療院は市井から看護師として働いてくれるものを探すつもりですし、騎士団の方にも医療隊に来てもいいと言ってくれる人を募集していただくつもりでしたので何とかなるかと」

 そう、もう少し医師も欲しいと思っていたのは確かで、教える立場の先生が望み、それを本人たちも望むのであれば推し進めたいと思う。

「じゃあネオン隊長から二人に意志を確認してみてくれない? 医師が増えるのも、医療隊員が増えることも、いいことだと思うからね。僕にマイシン、それから君だって、いつまでここにいるかわからないんだしさ」

 にこにこと笑ったクルス先生の言葉に、私はお茶に向けていた視線をあげる。

「それは、どういう意味ですか?」

「うん? おかしなことを言ったかい? 君、あの団長と離縁を望んでいるんだろう? あれ? もしそれが叶った後も、君はここに留まるつもりかい? 何の縁もゆかりもないんだろう? 親元に帰るのも、それこそ、東方に行ってみるのだって、君の自由じゃないか? 東方の言葉まで勉強しているんだから、興味があっての事だろう?」

「……それは……」

 静かに視線を淡い翡翠色のお茶に落とす。

「そう、ですね」

 静かに頷いた私は、クルス先生の何とも言えない視線を感じながらも、それに気づかぬふりをしてティーカップの中で揺れる翡翠色のお茶を飲み干した。

お読みいただきありがとうございます。

クルス先生とのお話はここで終わり、次からはバザーのお話と学校の話になります!

気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク、感想、評価等、していただけると大変に嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
前半は読みやすかったのに、だんだんと文字が詰まりすぎてて目が滑る。私だけかな。話は面白いです!もうちょっと空間的?画面的?な意味での読みやすさにも気を配ってくださったら、100点の面白さだと思います。
>クルス先生とのお話はここで終わり なんてこったい。 クルスが転生者かどうかだけでも明らかになると思っていたのですが。 これだけ信頼し合っていて表に出せない知識も共有しているのに腹の探り合いを続ける…
先生は転生じゃなく不老チート持ちの転移者じゃなかろうか?
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