124・医療倫理と自身の評価
今回のお話は、この世界の宗教と医療の『倫理問題』を取り上げております。
読まれる前に今一度、これが『空想のファンタジー』である事を必ず念頭に置かれてください。
また、作者は、様々な文化や歴史、思想、及び、医療の進歩、先人の偉業に対し、心からの敬意を表します。貶める気持ちは一切ありません。
様々なご意見、ご批判があるかもしれませんが、このことを前提にお読みいただきたいと思います。
ちなみに、この世界の宗教設定・倫理観は国によって違います。
トロピカナフシュ国は『大地の女神』が主神で『女神の恩恵で人は生きている。自分が愛した国をその目で見守るため地上に降り立った女神は当時の王と婚姻し、それが現王家となった』、東方では『すべての生きとし生ける物は尊く、それに見合った様々な神が存在し、それらを統治している神の国家』がある。基本的に神は天上から地上を見守る者である。という成り立ちがあります。
しつこくてすみませんが、現実世界と混同しないでください!
「後継、ねぇ……」
その微妙な反応に、私は僅かに首を傾げる。
「もしかして、弟子は取らない主義でいらっしゃいますか?」
「う~ん、いや、そういうんじゃなくてね……」
避けていた話題なのか、気が乗らないのか。
私からの問いかけに珍しくやや難しい顔をし、ポリポリと頭を掻いたクルス先生は、ややあってから溜息を吐き、眉根を下げた。
「昔はそれなりに弟子をとってたんだけど、気がつくといなくなってることが多かったんだよねぇ。僕なりに精一杯教えていたんだけどねぇ」
「え? いなく? 先生の気のせいではなく、ですか?」
「朝起きたら机の上に書置きがあって。『他の先生を見つけたので』ってのがまぁ多かったんだけど、書き置きもなくいなくなったこともあって。マイシンと手分けして探したこともあったなぁ。う~ん、僕の教え方の問題かな?」
最初の方は真剣に。後の方はいつものように飄々と、ウインクなんてしながら私を見るクルス先生。
「……えぇと……」
(正直、わからなくはないけれど、本当にお分かりになっていないようだし、反応に困るわ)
返答に困り、しかし反応しないわけにもいかず、私はいつも通り鍛え上げられた貴族の微笑みを浮かべ、その裏で無難な言葉を探す。
「その様なことはないと思います。私たちはしっかり教えていただいておりますし、先生は腕の良いお医者様でいらっしゃいますもの、きっと先生の技術や知識が膨大過ぎてついていけなかったのですわ。マイシン先生という立派なお弟子さんがいらっしゃるのがその証拠です」
そういえば、クルス先生はあぁ、とわずかに微妙な笑みを浮かべた。
「まぁ、マイシンは立派だよね。僕の技術と知識の10%も教えられない、不出来な弟子だけど」
「え?」
私は耳を疑い、聞き返す。
「不出来? それはどういうことですか? とても信頼し合っているように見えますが?」
クルス先生をこのモルファ領に縁づかせたのはマイシン先生だ。
私の気持ちを汲んだマイシン先生がクルス先生と引き合わせてくれたのが始まりで、今もクルス先生はマイシン先生と同じ屋敷に寝泊まりし、お二人で2つの医療院の仕事に従事してくださっている。
そんな二人の関係性を知っているからこそ、先生の言葉を不思議に思い問いかけると、クルス先生はテーブルの上に置かれたままの『解体新書』を指し示した。
「それ。マイシンに見せたことがないんだ」
「……え?」
先生のその言葉に、私はさらに耳を疑う。
「この内容は、医師として必要な知識ではないのですか」
私の言葉に、クルス先生は頷く。
「勿論必要さ。けれど彼は自身でも言っていた通り血が苦手でね、その本を見せる前段階すら耐えられないだろうと判断したんだ。それに、それ以前の問題もあったしね」
「それ以前の問題……とは?」
「簡単な事だ。彼には覚悟が足りず、医師としての探求心より、人としての倫理観が優先された」
先生は口の端だけで笑った。
「彼は、敬愛する女神の教えに背いてまで、医学の発展のために避けて通ることの出来ない経験を積むことを良しすることができないと、他国の医学校を退学になった後、とある縁で僕のところにやって来た。僕はそれを許容できないのなら医者になるのを諦めろと言った。けれど彼は他に身を立てる物がなく、どうしても弟子になりたいと食らいついてきた。だから血を伴わない実験の助手として雇った。
けれどあれは貴族のわりに魔力が少なすぎてそれすら役に立たなかった。まっ、付き合っていく間に、それらを補って余りある記憶力と観察力、それから人あしらいの上手さに目をつけてね。もともと持って生まれた人に好かれる性質に、貴族の生まれだからマナーも身についている。だからそれを使って上客相手の小銭稼ぎ要員にすることにしたんだ。
徹底的に過去の病気の症例や治療法、比較的安全性の高い薬の知識、ついでに簡単な傷の処置方法も教えてね。一度は医師になる事を諦めさせた後だったから、寝る間を惜しんで努力した。そのお陰でほどほどの形になったから医学が発展していない彼の祖国に放り込んだところ、あっという間に貴族の間で名が売れてね。結果、現在は辺境伯家のお抱えの侍医になったわけさ」
先程同様、答えて貰えない前提で問えばと、クルス先生は、ちらりと黒い瞳をこちらに向け、内容にかなり難はあるものの、今度はちゃんと答えてくれたため、私は静かに頷いた。
「先生の企みはうまく行った、というわけですね。よく解りました。しかし、ならばこそ、この本を見せ、さらなる知識を与える事も出来たはずです。それをしなかったのは何故ですか?」
それには、先生は首をグルンとひねってから、溜息をついた。
「そうだな……さっきも言ったとおり、あれは医師としての探求心より、自身の倫理観を優先した。医師としての好奇心……いや、向上心と言おうか。それを突き詰める覚悟を持てなかったと言うのが一番大きい。しかし僕はそれを責めることはできないししない。それは彼の根本であり心の支えで、その思いは尊重されるべきものだからだ」
「向上心と覚悟……?」
先生の言葉を反芻し、それから首を傾げる。
(医師としての向上心と覚悟……いえ、クルス先生はまず好奇心と言ったわ。今の話から心の支えとはきっと信仰よね? この解体新書を教えるための前段階……血の嫌いな助手……血を伴う前段階の実技……解体新書、必要な情報、それを照らし合わせる方法……ん?)
「まさか……先生、解ぼ……」
「しっ」
先生の、のらりくらりとした答えの中にある言葉をつなぎ合わせて思いついた答えを口にすれば、先生を見れば、人差し指を口元に当て、ふっと笑った。
「いろいろな国を旅してきたけれど、この国の民ほど、幼少期から一度たりとも朝晩と食事の時に祈りを欠かさない国はない。信仰が厚い証拠だ。そしてその教えの中には、女神から与えられた体を傷つけてはならない、とあり、それがこの国の医療が進まない理由だ。しかし、それが学術の発展を阻害している! 害悪だ! と非難し、破れと強要する権利は誰にもない……しかし」
そこまで言ったクルス先生は、にこりと笑って私を見た。
「足を失った患者に対する治療について僕が聞いた時、君は躊躇なく、一度治り始めた部分を切除することを提案してきた。火傷に対するスライムの貪食治療もそうだ。先ほども言ったけれど、患者の為ならば他者が躊躇する新しい知識や治療を受け入れる柔軟性を持ち合わせているネオン隊長は、マイシンよりよほど医師に向いているね」
「そ、それは……」
言われ、閉口する。
先程けむに巻いたと思う話を引き合いに出されたこともだが、ここにきてようやく、私は幼いころから傍にあった教えの中に、そのような記述があったことを思い出したのだ。
あまりの事に身を震わせる。
(そう、確かに、故意に体を傷つけてはいけないとあった……けれど、自他傷禁止の前提に悪意があっての行為はと解釈していた……治療に悪意はないし、今後の事を考えて、より良い状況にするために必要な外科的治療で、前世では当然で、それが出来るクルス先生がいたから提案した……あぁでも、そうか、これはわたしの勝手な解釈だわ)
自身の行いに、いまさらながらに恐ろしさを感じ、内心、頭を抱える。
(私が、宿屋のネオンだったら躊躇どころか反対したわ。あの外科的アプローチも、怪我が日常で、旦那様の愚行で騎士達が絶望を重ねてきた騎士団だから肯定的に受け止められていたけれど、これが市井なら非難を受ける可能性が高い……私は余りにも軽率に前世の記憶と感覚で動いてしまっていたのだわ)
様々なことが、頭の中で駆け巡って、動けなくなる。
「ネオン隊長」
自分が、良かれと思って突き進むようにやってきた行動が、他者を傷つけていたかもしれない、他者の気持ちを傷つけていたかもしれない可能性にたどり着いた私は、ずるずると引きずられるように思考に落ちていくのを、クルス先生の声に引き上げられた。
いつの間にか俯いていた頭をあげると、目の前のクルス先生は先ほどまでと打って変わって真剣な表情で私を見据えていた。
「すぎた事で後悔するのは時間の無駄だ。いまさら気に病むことに意味はない。君が今進めている事柄は、いずれこの国でも必ず必要になる。ただ全てにおいてだが、先達となる人間は、思いがけず他者を傷つけること、そして世論の非難と悪意を浴びる事が大いにある。必要以上にそれを受け止め、傷つく必要はないが、その事だけは覚悟していくことだ。」
その言葉が、ひとつずつ、しっかりと体の奥まで落ちてくる。
一つ、大きく深呼吸をして。
私はクルス先生を見つめ返す。
「……はい」
一つ頷けば、先生はいつものように表情を崩した。
「あまり辛ければ他国に逃げると言う手もあるけれど、君には心強い味方が多くいるのだから、もっと周りを頼るといい」
「そうですね、ありがたいことですわ」
にこっと笑って頷くと、興味津々、とばかりにクルス先生は私を見る。
「しかし君の味方は過激派が多いよね。闇属性に魅了の力はないのに、何が皆をそんなに引き付けるのだろう? ぜひ研究してみたい。君は、何を大切にし、何に嫌悪する? 君のその行動の原動力はなんだい? 君を崇高な唯一に見せる、強固な信念の根本はなんだい?」
その大仰な物言いに、私はびっくりして被りを振る。
「お待ちください、崇高だなんてそんな。その様に評されるようなもの、私にはありません」
しかしそんな私に対し、クルス先生は本当に呆れたような顔で深い溜息をついた。
「君のそれは生来のものかい? 自身の評価が大変低いようだが、度の過ぎた謙遜は美徳ではない。いや、いっそ醜悪だ」
「醜悪……っ」
歯に衣着せぬ物言いに絶句してしまった私に、先生はいつものように飄々と、しかし重みのある言葉を吐く。
「君がもし意図して自らを貶めるその言動と行為をとっているのならば、君を慕い従う者達まで貶める恥ずべき行為だと理解し、辞めた方がいい。逆にもし君が謙遜などでなく、真実そう思っての言動と行動であるならば、早急に己に対しての認識を改め、それを変えるべきだ。君は『貴族』というだけで周りの者が自分に従っていると思っているのかもしれないが、少なくともこの医療院に集う者達は皆、君という高潔にして崇高な存在に惹かれ、献身に胸うたれ、行動に勇気づけられ自らを動かす原動力としている。
騎士団としては決して許されることのない上官の命令に逆らうといった行動を彼らに取らせたのも、君が間違いなく彼らにとって唯一の存在であるからだ。
君の一挙手一投足、その全てが皆を魅了し、けん引する。さっき言った様な、倫理に反するような事柄も、君の前では大義になる」
「……そんな」
その先の言葉を口にしようとして、私は思いとどまる。
(あぁ、けれど。そうだ、私が私を否定すれば、私を慕ってくれているみんなの事も、私は否定してしまっているのか)
思い浮かべるのは、すべての始まり。
あの日、私に力を貸してくれた始まりの3人と、あれからの忙しくも充実した医療院での日々と、ここに集い、力を貸してくれている皆の顔。
クルス先生からの思いもよらない重い言葉は、私は自分の思いあがりを恥じ、そして責任を痛感するとともに、私の心に温かくも新たな責任をしっかりと浸透させる
「私は、もっとしっかり自分の置かれた状況を見極め、その上で立ち振るまわねばならないのですね」
「君は、本当にみのうちに入れたものに対しては寛大で素直だなぁ」
そう言った私に、クルス先生は笑った。
「決して気持ちのいいものでもないだろうに、素直に他者の意見を聞き、落とし込めるところも、君の良いところだと私は思う。まぁ、そんなところで」
おほん、と、大仰に咳払いをしたクルス先生は、椅子から立ち上がると、奥の戸棚から取り出したブランデーケーキをザクザクとナイフで切り分けて皿に盛ると、一等大きなものを自分の前に、よくある薄さにスライスした物を私の前に置きながら、取り出したシルバーの先をご機嫌に振りながら、私を見た。
「では改めて聞こう。君が、その身を投げうってでも行動する、思いの源は何だい?」
改めて問われた言葉に戸惑いながら、私は己の身の内を考えた。
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