121・新たな受難(難易度低め)と、再びの人材不足!
「さぁさ、ネオン様。たんとお召し上がりくださいませ」
「そうですよ、ネオン様。たぁんとお召し上がりください」
好意しかないその言葉に、私は申し訳ないと思いつつ首を振る。
「マーシ。アナ。毎朝言っているけれど、私はこんなには食べられないの」
「何をおっしゃるのですか、そんな細いお体で。ネオン様はもう少し体力とお肉が必要ですよ」
「マーシさんの言う通りですよ、ネオン様!」
「いえ、だから。二人の気持ちは本当にありがたいのだけれど、胃が受け付けないの」
少しだけ涙目になってしまうのは仕方がない。
現在、私の目の前には、数種類の焼き立てパンの並んだ籠を抱えるアナと、野菜をゴロゴロ大きく切って乾燥肉と煮込んだものをパン生地で包んで焼いたと言うカルツォーネ風の大きなパンを切り分けているマーシが、満面の笑みでそれを勧めてくるのだ。
その量と強めの油の匂いが、元来粗食が過ぎて脆弱の上、寝起きでからっぽの胃袋を容赦なく刺激してくる。
(う……ちょっと無理)
そう言っている間に、具材たっぷりの切り分けられたカルツォーネ風パンと、砂糖のかかった甘いパンが問答無用で目の前に置かれ、そのとたん、喉元まで酸っぱいものが上がってきた。
二人の好意を無にするわけにはいかず、しかし思わずナフキンで口元を押さえてしまった。
あの事件から五日がたった。
翌日の旦那様との話し合いを終えた後、その日のうちに離れの使用人たちと共に、先々代の辺境伯から仕えている使用人夫婦ジミーとマーシが管理するリ・アクアウムの辺境伯別邸へと住まいを移した。
翌日は、辺境伯別邸まで朝早くに往診に来てくれたクルス先生に診察をしていただき、身体介助など無理はしないのを前提で行動許可を得、痛み止め薬を飲みながら騎士団へ出勤したところ、医療院で待ち構えていたのは、騎士団の上層部を代表して訪れた副団長であり一番隊隊長のカルヴァ隊長からのお叱りの言葉だった。
彼の言い分はこうだ。
近隣で魔獣が出たばかりの上、旦那様が領民に無慈悲な行いをした直後なのにその街に居を移すなど、危機管理がなっていないのではないか、私自身、己の身分を理解していない事、リ・アクアウムで住民からどのような目で見られるか、再び襲撃の危険性があるかもしれないのに得策ではない等、かなり手厳しい苦言を頂き、それについては丁寧に謝罪し、今後気を付けることを約束した。
彼らの言い分は正しいからだ。
しかし一方で、不可解な状況も体験していた。
実は前夜、夜の闇に紛れるようにしてリ・アクアウムに入った時にはわからなかったが、翌日の出勤時……つまり苦言を頂いた朝、騎士団へ向かう辺境伯家の家門の入った馬車を見た住人からは、石を投げられるようなことはなく……というか、何故かリ・アクアウムの住民が皆、馬車から見える私に、目元を押さえながら手を振ってくれたり、名を呼び、歓声をあげたりと、どうやら歓迎されている事実があったのだ。
カルヴァ隊長からの苦言を含め、夕方に屋敷に戻りリ・アクアウムの状況をマーシに確認したところ、リ・アクアウムの住人は、奥様が引っ越してきたのだから街の警護がさらに強化されるだろうと言う点。そして、確かに領主から住人に向けて苛烈な制裁があり、それには動揺と怒りの声が上がったものの、その原因が領民の為にと女神の容姿の領主夫人が建てた慈悲の医療院での領民からの暴行であったという事実が広まっており、領民たちは領主の制裁に対し『お貴族様に理不尽な怒りをぶつけ怒りをかった、ましてそれが女神の如く慈悲に溢れた領主夫人に対して理不尽な暴力を振るったのなら当たり前だ』と罪人の愚かさを恥じ、怒りの声はあっという間に沈下したと言う。
さらには、被害者である私が、彼らの家族に対しては罪を問わないでほしいと願い、さらに己に危害を加えた罪人たちの死を悼むため、女性であれば庶民貴族問わず大切にする命に等しき髪を落としたと聞き、馬車の中で領民に手を振る短い髪の私にそれが本当であったと驚き、慈悲深くも哀れな姿に見えたようで、わずかに残っていた非難の言葉も消えてなくなったと言う。
その話を聞いた時、暴行事件や領民殺しの件はともかく、私が引っ越してきたこと、助命嘆願と落髪したことなど、幾らお膝元とはいえ、昨日の今日で領民に噂が流れるのが早すぎるのではないか、いったい誰がそんなうわさを流したのかと、首を傾げたが、それはいくら聞いても解らなかったと言う。
(騎士団と南方辺境伯家の情報管理は一体どうなっているのかしら?)
と首を傾げるしかないが、総括すると旦那様の愚行は貴族だからという階級社会における固定観念と、私の哀れな姿に上書きされ、随分と同情的、好意的にとられており、カルヴァ隊長が心配するようなことは(とりあえずは)なかったのである。
そして現在。
出勤前の身支度をおえ、朝食……と思ったのだが、こちらに来て3日、長く屋敷管理だけをしてきたが、私が居を移したため久々に女主人に仕えると言う事でものすごく張り切っているマーシと、給仕だけでなく調理も出来るようになったこと、そして料理上手なマーシがいることで、それに張り合うようにさらに元気になったアナが、二人がかりで私と離れの使用人全員で一日かけて食べても到底食べきれない量の御馳走やお菓子を作ってくれるのだ。
今朝も、いつもの野菜のサンドイッチ、サラダ、スープの他に、卵料理や果物、パイなどが並んでいて、前世であれば飛びついてしまうほど美味しそうな、しかしすでに胃がストライキを申し出るほどの良い匂いがしているのだ。
(……胃が……)
ナフキンで口と鼻を押さえた私に気が付かないアナとマーシは、若い娘の様に互いの料理を褒め合っていて、大変微笑ましく和やかであるが、やはり胃が辛い。
「はいはい、皆さん。そこまでになさってくださいネオン様が困っていますよ。ネオン様、大丈夫ですか? こちらをどうぞ」
「……デルモ、ありがとう」
静かに近づいてきたデルモが持つシルバートレイに載った柑橘とミントの様に清涼感のある薬草を使用したハーブ水を貰った私は、クルス先生が調合した痛み止め、マイシン先生が調合した胃薬を飲み干した。
双方が生薬のため、口の中にとんでもない苦みが広がるが、ハーブ水で流し込む。
そうして、ほっと一息をついてから、私の周りに心配げに集まった使用人たちに声をかけた。
「私の事は大丈夫よ、薬がよく効くもの。それより、皆、席について。さ、朝ご飯を頂きましょう? ね?」
「はい。」
皆、私の言葉にほっとした表情を浮かべると、それぞれ席に着き始めた。
こうして、身分関係なく全員が集まる食卓を私はほっとして眺めていた。
私がこちらに引っ越して先ずお願いしたのは、一緒にご飯を食べてほしい、だった。
元々実家では家族全員で食事を取っていた。離れの屋敷ではお茶の時間はそうしていたし、騎士団で仕事を始めてからは、お昼はずっと誰かと一緒だった。
だから、一人でご飯を食べるのは寂しい。私の方が皆に食事場所も食事内容も合わせるから、ぜひそうして欲しいとお願いした。
管理人夫妻のジミーとマーシ、そして騎士団に乗り込んで来た一件から私の元で行儀見習い中であるアテール子爵家の令嬢ライアは、その申し出にためらっていたものの、私が離れから連れてきた皆が快諾していたため、しぶしぶといった風ではあったが彼らも了承してくれた。
と、言うわけで。
主家の者が使用する最も格式高い食堂ではなく、使用人専用の食堂の大きなダイニングテーブルには、お誕生席に主人である私、右隣に管理人であり男爵位を持つジミーとマーシ、左隣に子爵令嬢であるライアが座った後は、皆がそれぞれお互いに話し合って決めた場所に座り、食事を取るようになった。
お給仕も一度で済むように、それぞれの食事量に合わせたお皿を使ってのワンプレートで、家事の手間を減らすようにとしている。
のだが、マーシとアナが日に日に品数を増やし始めているので私はちょっと困っているのだ。
それでも、大人数で食べる食事は美味しい。
皆が基本のマナーを守りながら食事をし、その後は『これだけは自分が』と言って譲らなかったデルモが淹れてくれるお茶を皆で飲みながら、朝食後は互いに連絡事項や情報、今日一日の予定を確認し、すり合わせる。
もちろん私の予定もここで合わせる事が多い。
「では、そろそろ騎士団に向かう準備をしましょうか。」
時計を見てそう言えば、皆が席を立ち始め、私の出発の準備と見送りに動き出してくれる。
一度部屋に戻った私は、侍女のリシアに手伝ってもらいながら、衣裳部屋にある籠の中に用意された洗濯して綺麗に畳まれたスクラブを手に取ると、上下を身に着けてブーツをはく。
そしてその上から、先日騎士団と契約している裁縫士にアイデアを出して作ってもらった、ちょうどくるぶしが隠れる程度の長さで隊服と同じ濃紺色の、布をたっぷりと使った巻きスカートを腰に巻き付け、大きく広く取った腰ひもを後ろで大きく蝶結びにして形を整えてもらうと、その上から隊服を身に纏った。
これは、流石に高位貴族の夫人として、スクラブでの出勤は出来ないが、いちいちドレスなどを着て、騎士団に着いたら脱いで、スクラブを着て……と言った着替えの手間を省きたいための苦肉の策だ。
ちなみに、私と共に騎士団へ行くアルジは、正式に騎士団の隊員であるため上下スクラブを着て隊服の上着だけを羽織っており、侍女見習いの立場ながら騎士団医療院で下働きにも従事しているライアは、以前の私たち同様に上にシャツ、下にはトラウザーズを履き、そしてその上から、少し前に頑張って働いているご褒美にと用意した、ブルー隊長の瞳の色の巻きスカートを、手入れしながらとても大切に身に着けている。
(本当に、いい風に変わったわね)
以前は高い位置でツインテールにしていた髪の毛は、ブルー隊長の髪と同じ色のリボンを使って綺麗にまとめ上げていて、時折リシアやデルモに叱られながら、真剣に侍女見習いとして頑張ってくれている。
(ブルー隊長もお父上である子爵も、安心したと言っていた……よかったわ。)
預かった以上責任があるが、思った以上に良い方向へ成長したと安堵しながら、私は用意してもらった馬車に乗ると、アルジとライアも同様に乗り込み、そのまま馬車は騎士団砦に向けて出発した。
「ネオン隊長、今宜しいですか?」
「えぇ、どうぞ」
朝の申し送りと医療棟の清拭と処置が終わったため、ガラと共に書類仕事を片付けるため執務室に戻った私の元にやってきたのは、先程別れたばかりのラミノーだった。
「どうかしたの?」
「えぇ。はい……じつは、その……」
言い出しにくそうに口元をもごもごと歪めてから、ラミノーは勤務表を私に見せた。
「人員が足りないのです」
「……人員が……?」
「はい。正しくは、女神の治療院の方へ馬で向かう事を考えた時、アルジは単身で馬に乗る事が出来ないのであちらへ行く人員として勤務を組むのが少し厳しく……。そこで、隊員の移動にあれを使う事は出来ないか、と」
「あぁ、あれね……それは……トラスル隊長のお怒りを思い出すと、ちょっと難しいわね」
「ですよねぇ……」
ラミノーが言う『あれ』とは、魔術塔と各辺境伯砦、辺境伯家、そして特例でクルス先生の部屋、女神の医療院とつながったクルス先生・マイシン先生が生活する辺境伯家所有の屋敷をつなぐ魔法陣だ。
医療班をリ・アクアウムへの異動させる際に無断で使用してしまった件に関しては、クルス先生は『一年間の無償魔術協力』の契約を結ばされ、使用した隊員全員に口止めの魔導契約が結ばれ、私は『監督不行き届きでの3か月の減俸』を言い渡された。
もともとダメもとで言ってみたのだろう。あっさりと引き下がったラミノーは、しかし、どうしようかなぁと悩み始めた。
「現在医療棟に三名、回復棟に五名、女神の医療院に重傷者四名が収容されています。医療隊員は元々ギリギリの人数で回していますから……」
現在の人員数と患者数を把握し、勤務表を見ても、これでは5日に一度の休暇すら取れなくなる。
「そうね……女神の医療院の方が重症度も患者も多いし、困ったわね……。人員については、もう少し増やしていただけないか、掛け合ってみるけれど、配属されても皆の様に即戦力というわけにはいかないから、根本的な解決には、少し時間がかかってしまうわね」
「そうですね……。根本的な解決にはなりませんが、ひとまず、回復棟はみなADL(日常生活動作)が一部介助、もしくはほぼ自立ですから、そちらから看護班の人員を医療棟へ回し、医療棟のメンバーを女神の治療院へ向かわせます。回復棟の方が隊員一人と物資班一人、それからライア嬢で回すようお願いすることにします」
それには頷く事しかできず、しかしそうだわ、と顔を上げた。
「アルジと私は今リ・アクアウムに住んでいるから、あちらから直行直帰にすれば勤務可能よ。私はしばらく軍議を欠席することになっているし、書類も今は急ぎの物もないから、私達に向こうの勤務を入れてくれて大丈夫よ。移動の時間の事も考えれば皆の負担も減るでしょう?」
「とんでもない」
私の提案は、しかしすぐに却下されてしまった。
「アルジの事は正直有難いのでそうさせていただきたいと思います。ですが隊長は違います。お忘れかもしれませんが、隊長は胸の骨が折れて安静を言い渡されているのですよ? 痛みがないかもしれませんが、少しは自覚なさってください。隊長に許されているのは回復棟で観察勤務までで身体介助は含まれていません。これ以上は私達がクルス先生に叱られてしまいます」
そう言われてしまえば、私は自分の状況を思い出し、大丈夫だと言いかけた言葉を飲み込む。
(そうだった、常時痛み止めを飲んでいるから忘れてたわ……。)
そうして考え、反省し、頷く。
「わかったわ。ではそのようにしましょう。それから、人材不足の件は早急に案を考えるわ」
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません。それでは、また勤務を考えてからご相談に上がります」
「えぇ。苦労を掛けてごめんなさいね」
「いいえ、隊長のせいではありません! それでは、失礼いたします。」
「人員は、頭の痛い問題ですね。何かお考えが?」
「……そうね、ひとまず希望する隊員がいないかの確認をするとして……女神の治療院の事は、入院患者が入る事を想定していなかった私の落ち度だから、良い案を考えないと……」
頭を下げて出て行ったラミノーを送り出した後、書類整理をしながら一連の話を聞いていたガラに問われ、私は額に手を当て考える。
(人材、人材不足か……さて、どうしようかしら……)
騎士団とリ・アクアウム。
そもそも離れた建物への人員を一か所から出すこと自体が間違っているのだろう。
想定していなかった女神の治療院の入院患者に関しても、今後同じように魔物の強襲が発生したり、感染症が流行った時の事を考えれば、これを機に、しっかりとした人材を確保しておくのが良いだろう。
二つの医療院の医療スタッフの人材を充実させる。そのためには、しっかりとした看護技術を持ったものを増やしていき、二つに分けるしかない。
(う~ん。あちらの患者は騎士団関係者じゃないから、情報の漏洩や間者の侵入などを考えればこちらに連れて来れない……けれどこちらから連れて行くのは大変で……だとしたら人材は向こうで確保する……ん? 向こうで労働者を確保……? これに似たこと、してなかったかしら……?)
考え、思い浮かべたのは修道院に併設された学舎で学ぶ子供達の笑顔だ。
「あ、そうだわ!」
「どうなさいました? ネオン隊長」
「いいことを思いついたの。ガラ、申し訳ないけれど、私の頭の中の整理も兼ねて、市井に住む立場で私の話を聞いてくれる?」
「勿論ですが、どのような案を思いつかれたのですか?」
「ふふ、それはね……」
私は一つ、浮かんだ考えをメモに取りながら、ガラに思いついたことを説明し始めた。
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