連載開始一周年 御礼閑話・私に関わらない問題もいっぱいいっぱいです!
数あるお話の中から、本作をお読み下さり本当にありがとうございます!
本日3月21日は、1年前にこのお話を描き始めた日なので、閑話を入れさせて頂きます。
「貴女がネオン隊長ですね! 兄様を、私の婚約者を返してください!」
「……え?」
それは、少しじめじめした梅雨も終わり、陽の温かさが増してきた穏やかな昼下がり。
常に何かしらの緊張感が漂う辺境伯騎士団の強固な砦の中は、いつもは騎士たちの模擬試合や点呼などの掛け声が主であるのだが、今日はその間に妙に明るく高い声が混じり賑やかで、行きかう道も、濃淡あれど基本は青が基色の隊服を身に着けた人ばかりのいつもと違い、様々な色や質感のものが、ひらひら、ふわふわと競い合うように入り混じり、実に華やかだと感じた。
「今日は騎士団内も華やいでいるわね。」
「三月に一度の面会日ですから。それに、今回は奥様のバザーの前の実演演習でいろんな『屋台』が出ていますからね。余計です。あぁ、いい匂いだなぁ。」
ジュウジュウという音と共に空いた窓から漂ってくる、肉や甘い物を焼く匂いに、エンゼがすんすん、と鼻を鳴らしている。
そんな彼の様子を笑いながら、私は浮足立っている隊員たちに微笑んだ。
「そうね。ここは私とアルジがいるから、面会がある人はどうぞ行ってきて。仕事だからと急がなくていいわ。ゆっくりしてきて頂戴ね。」
私とアルジがそういうと、医療班の隊員たちは、大きく頷いた。
「「「はい。ありがとうございます、隊長!」」」
そんな彼らに、私は頷きながら、キュッキュと机や床頭台を拭き上げた。
今日は『辺境伯騎士団砦正面大門の開放日』だ。
辺境伯騎士団員となった者で、入隊して5年未満の者、5年経過後本人が希望する者(貴族でない限りほぼ全員なのだが)、遠方出身でいわゆる出稼ぎなどの事情がある者は、騎士団砦内にある兵舎に居住しており、その数は騎士団員の8割を超す。
そんな彼らには、日々の手紙のやり取りと、年に一度、移動時間を含めきっちり二十日間の里帰り休暇が許されているのだが、若い者達はホームシックに掛かり、逃げ出してしまう事も多い。
その為、騎士団関係者の家族は四か月に一度の決められた二日間だけ、騎士団に訪れることが許されている。
その2日間は、部外者立ち入り禁止の騎士団は、決められた区画だけではあるが自由に行き来することができ、解放された区画でのみだが、家族と心置きなく面会し、ゆっくりと時間を過ごすことが許されている。(ちなみに夜間は門が閉じられるため、家族は一晩だけ騎士団が借り上げた近隣の宿に泊まる事になる。)
今日はその特別な日であり、騎士団内にある医療院も家族を持つ患者がいる以上それに準ずる必要がある。……のだが。
私がいる。
それを理由に今回の面会日。医療院は『部外者完全立ち入り禁止区域』に指定されるところであった。
しかし、騎士として勤務の最中に受傷し、医療院に入院した経緯を持つ入院患者たちにも家族はいる。
近隣出身の者は、厳しい申請と身体検査を受けて面会をすることは可能だったが、遠方出身の騎士達はそうもいかず、夜になると、届く手紙にベッドの中で涙する姿を見かけることも多かった。
その為、何とか入院患者と家族を会わせたいと私は彼らの上官である2番隊ティウス隊長、実質騎士団内での私の同隊長内の相談役である3番隊ブルー隊長、そして(自称)騎士団内での私の後見であるドンティス隊長を通じて医療院内での患者と家族の面会許可を申し出、何度か本部での話し合いを繰り返して、私に常時2人体制で専属の護衛をつける事を条件に『医療院一階にだけ、事前申請したものに限り立ち入りを許す』と認めてもらう事が出来たのである。
本当であれば一般の騎士達が許されているのと同じ程度には、医療隊員の家族にも、子供が、夫が働く医療院の内部の見学を許してあげたかった。
だが、あくまでここは医療院であり、治療を必要とする患者のための施設。
しかし、辺境伯夫人が管理していること、さらに傷病者に対しての騎士団の扱いへの悪評から、ただ興味本位で見学したい、もしくは辺境伯夫人とお近づきになりたい等の思惑で、医療隊員や入院患者と一切関係ない人間にまで入られて、医療院内に病気や穢れ、憂いごとを持ち込まれてはたまらない。
そのため、入院患者の家族のみ、事前にこちらから手紙で現在入院中であることを改めて連絡し、その手紙に同封された面会許可証を持参のうえ、さらに医療院の立ち入りに際しては『大声を出さない』『医療隊員のいう事を聞く』『医療院内での決まり事は必ず守る』『約束を破った際は強制退去されても文句は言わない』という、医療院の衛生環境と、入院患者の安心安全を守る約束事への誓約書にサインをした家族のみ、医療院への立ち入りを許可する形を取った。
そのおかげか、医療院はいつもより少し賑やかではあるが、入院患者である騎士達はベッドの上とはいえ、訪れた家族と共に穏やかな時間を過ごせていたのである。
(……いいなぁ……。)
私は、ナースステーションからその様子を見守っていた。
ベッドの上で小さな子供を抱き上げる者、抱き合って涙を流し再会を喜ぶ者、家族の持ち込んだ料理に舌鼓を打つ者とさまざまであるが、皆共通して、穏やかで、幸せそうな笑顔を浮かべ、心安らかな時間を過ごしている。
(母さん達に会いたいな……。)
もう一年もあっていない王都で過ごす家族を思い出し、鼻の奥がツンとして、目元は熱くなり、口元が歪んでしまう。
少し、顔を伏せて気を紛らわせるように手元にあったカルテを開いた私の耳に、医療院の木の扉が大きな音を立てて開けられる音が聞こえた。
「ネオン隊長はどこ!?」
高めの声に顔をあげれば、すでに傍にいた私の護衛が一人、佩刀した剣に触れながらそちらの方に向かっていった。
「きゃあ! 何するの! 止めて! 止めて頂戴! 私は子爵令嬢なのよ! 離して頂戴!」
叫び声は扉の方から聞こえ、私はカルテを閉じて立ち上がると、そのまま護衛騎士様と、手に私考案という名の前世の不法侵入者に対しての英知の結晶である『サスマタ』を持ったアルジが走ってやってきた。
「隊長! ここは私が!」
「アルジ、怪我をするからサスマタを置いて頂戴。今日は護衛騎士様がいらっしゃるから大丈夫よ。しかし、子爵令嬢……と、言っていたわね。」
「……えぇ、はい。」
護衛騎士様を見て、サスマタを壁に立てかけたアルジは私の言葉に頷いてくれたのだが、扉の方では女性の怒鳴り声が未だ聞こえている。
「離して頂戴! 私は! 騎士団の隊長の婚約者なのよ! 不敬よ! ネオン隊長をだしなさい! 人の婚約者をたぶらかすなんて最低よ! 直々に文句を言わなきゃ許せないわっ!」
その言葉に、私は首を傾げてアルジを見た。
「アルジ、気のせいかしら? 私が誰か……隊長をたぶらかしたと言っているようだけど。」
「許せませんね、殴ってきます。」
「駄目よ、アルジ、私が行くわ。」
ぐっとこぶしを握り締め、走り出そうとしたアルジを慌てて止めると、私が護衛に止められた。
「お二人とも。婦女子がそのようなことをなさってはいけません。拳を痛めてしまいます。ネオン隊長、騒動の主は有害でしかありませんので、今すぐ砦から追い出します!」
そう言ってもう一人の後を追おうとした護衛に、私は首を振った。
「あぁ、いいえ。いいわ。隊長のお知り合いという事だから、何かあった時にもめるのも面倒くさいもの。私が行くわ。」
「いけません。」
止めてきた護衛に、私は笑った。
「大丈夫よ。だって、守ってくださるのでしょう?」
そういえば、ぎゅっと口元を引き締めた護衛係の騎士は、大きく頷いた。
「わかりました。では、必要以上に近づかれませんように。必ずやお守りいたします。」
「えぇ、約束するわ。よろしくお願いしますね。」
護衛に頷いた私は、患者の見守りをアルジにお願いすると、受付の横を通って騒動の元である女性の元へと足を向けた。
受付から出て見えたのは、解放された扉とその向こうのギャラリー。そして、護衛の騎士が手に持った剣を使い、必要以上に令嬢に触れないようにしながらも、これ以上の医療院の立ち入りを拒んでいる様子だった。
「私は子爵令嬢よ! 隊長の婚約者なのよ! ここを通しなさい!」
「できません、ここは医療院です。騎士団長の命令により、許可のない物の入室は許されておりません。同じくネオン隊長への面会も制限されています。」
「なによ! 私は隊長の婚約者なのよ!」
完全に堂々巡りだ……とつい笑ってしまう。
自分の行く手を阻む剣の鞘を握り、憤慨しているのは私と同じ年位の、淡い金の髪を高い位置でツインテールにし、大きな黒の瞳を吊り上げて叫ぶ少女……とはもう言えない年齢の令嬢だ。
(この年でツインテールにふわふわの乙女ティックなプリンセスラインのドレス……にあってはいるけれど年相応ではないわね……。それに礼儀もなっていない……それとも子爵令嬢って、これで許されるのかしら?)
そんなことを考えながら、私は後ろについてくれた騎士に目配せをしてから一歩、二歩と、彼女の方に近づき、あと五歩のところで足を止めた。
「医療院で騒ぐのはやめてください。私が医療隊隊長のネオン・モルファです。貴女はどなたですか?」
にこりと貴族の淑女として正しく微笑んで、護衛騎士様に食って掛かっているドレス姿の女性に声をかける。
すると、私の存在に気が付いた令嬢は、騎士に向けていた目の吊り上がった顔を動かし私を見、それから一瞬、あっけにとられたようにぽかんと口を開けて固まった。
(……あらあら、お顔立ちは可愛らしい方なのに、随分と間の抜けたお顔。というか、ここまで感情をお顔に出して、貴族としてやっていけるのかしら……?)
そう思いながらも、「なにか?」とさらに笑みを深めると、彼女は顔を真っ赤にしてから、キッと目を吊り上げて私の方を指さした。
「貴女が私の婚約者をたぶらかしているネオン隊長ね! この泥棒猫!」
(……泥棒猫って、こっちの世界でも使うのね……。)
と、変なところに感心しながらも、私は少しだけ首を傾げて笑う。
「私には仰っている意味が解りませんが、どなたかとお間違えではありませんか?」
「いいえ、貴女よ! だって、兄様はずっと、ネオン隊長がすごいとか、ネオン隊長はかっこいいとか、そんな事ばっかり言っているんですもの! 貴方が兄様を……私の婚約者をたぶらかしたのよっ!」
「婚約者、ですか……。」
彼女の言い分を聞きながら、私はそっと後ろの騎士を見た。
目が合った彼は、困ったような、呆れかえったような顔をして首を振る。
誰だろう、という問いに気付き、解らない、と示してくれたのだろう。
「失礼ですが、貴女の婚約者をわたくしは存じ上げないのですか、どなたの事を言ってらっしゃるのですか?」
「まぁ! わからないほどにいろんな男をたぶらかしているのね! ちょっとかわいいからって、なんてふしだらなっ! 貴方なんかに、兄様は渡さないんだからっ!」
「……(ふぅ)」
剣から手を離し、ふんっ! と鼻をならした令嬢に、私は頭痛を覚えた。
貴族の令嬢としての矜持か、気位だけは高そうだが、マナーも言葉使いもなっていない。
(どなたかの知り合いという事だし、どう対応しようかしら……。)
困ったなぁと思案していると、扉の向こうに集まった野次馬のさらに向こうから、声をあげてこちらに近づいてくる人たちがいた。
「お、お嬢様! お嬢様、おやめください!」
そんな声と共に現れた、令嬢の侍女と思われる2人の女性が、私の前で仁王立ちしている令嬢の腕を掴むと、私の方に頭を下げている。
「申し訳ございません、申し訳ございません! お嬢様は誤解なさっているのです!」
「なに言ってるの! 私は誤解なんかしてないわ! この女が……っ」
自分の腕を掴みながら頭を下げ続ける侍女に苛立つようにあげられた声は、聴きなれた男性の声でかき消された。
「皆、すまないがここを通してくれ! ライアっ! お前はここで何をしているんだっ!」
大きな声とともに、出来ていた人の山は二つに分かれ、背の高い、濃い赤桃色の髪の騎士団長がものすごい勢いでこちらへ近づいてきた。
その顔に、私は毒気を抜かれた気がした。
「ブルー隊ちょ……」
「チェ、チェリーバ兄様!」
私の声は、令嬢の悲鳴のような声にかき消された。
「なにをしているんだと聞いている。」
「だって兄様!」
見たことのない怖い顔をしながら、医療隊の入り口にたどり着いた長身の男性に、飛びつくようにしがみついた令嬢は、それから吊り上がった眼で私を睨みつけ、さらに指さすと、大きな声で叫んだ。
「だって! だってこの人のせいで、兄さまは結婚してくれないのでしょう!?」
「なにを馬鹿な事を言っているんだ! それは違うと言っているだろう!? 私たちの婚約が進まないのはお前が言われたことをきちんとやらないからだ! それを棚に上げてネオン隊長を悪く言うとは、お前は本当に……。 いや、まず、お前のやった非礼を今すぐ詫びるんだ!」
その言葉に、令嬢は思い切り傷ついた顔をして、悲鳴のような声を上げた。
「ひどい! 兄様! 兄様はいつも、いつも、そうやってネオン隊長の事ばっかり! 婚約者のいる男性にすり寄るなんて最低な行為なのでしょう!? なのになぜ兄様は、そんな身持ちの悪い女をなんで庇うの!?」
(ものすごい言われようだわ……)
もう呆れて反論する気もなく、目の前の大惨事を『喜劇』だと思うようにして見ていると、話の通じない令嬢に心底苛ついたのだろう。
ブルー隊長は雷の様な大きな声を、腹の底から吐き出した。
「いい加減にするんだ! ネオン隊長は南方辺境伯夫人だ! モルファ辺境伯夫人なんだ! たかが子爵令嬢のお前が、その方の前でどれだけの不敬を繰り返すつもりだ!」
その大声に、周囲にいた人はもちろん、叫ばれた令嬢も、目を真ん丸にして私の方を見、それから波打つように、一斉に頭を下げたのだった。
「ネオン隊長。この度は彼女がご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。後程、ブルー伯爵家、アテール子爵家より正式に謝罪をさせていただきますが、まずは私から謝罪を。ライア。お前もきちんとネオン隊長に謝罪するんだ。」
「ほ、本当に……申し訳ございません……。」
私の執務室で。
私の目の前のソファに座ったブルー隊長の言葉に、その隣に座っていた令嬢は、しゃくりあげるように泣きながら、深々と頭を下げた。
彼女はライア・アテール子爵令嬢、というらしい。
ブルー隊長の幼馴染……というには年が離れているが、彼女が赤ちゃんの頃から共に過ごしていた、ブルー隊長のお母様の仲の良い弟の娘……つまり従兄妹であり、間違いなくブルー隊長の婚約者であるらしい。
……のだが。
「子爵令嬢、ひいては伯爵夫人としての必要な教育が終わらないうちは結婚しない、ですか。」
「そうなのです。」
なるほど、と、私は頷いた。
「たしかに、今のまま彼女を社交界に出すのは……絶対に無理でしょうね。」
そんな私の言葉に、ライア嬢はさらに嗚咽を大きくした。
(なんていうのか、ものすごく子供っぽい。 というか、子供だ。)
洋服の好みなどは置いておいても、しゃべり方、立ち振る舞いなど、淑女としての嗜みが、半年で叩き込まれた私よりも拙いのだ。
「えぇ、わたしもそう思い、彼女にそれを告げたのが学園を卒業した二年前です。この辺境に住むとはいえ、母方のもつ伯爵位を継ぐ私の妻になるのです。伯爵位と言えば上位貴族に位置します。年に1度の王都での社交シーズンになれば、伯爵夫人として社交会に顔を出し、正しく貴族同士の交流を行わなければなりません。ですが、もともと辺境育ちの上、両親も男兄弟5人の中の一人娘の彼女が可愛いようで甘やかしてしまい、貴族令嬢らしくなく、おおらかに育ちすぎてしまいましたので、そのような条件を出したのです。」
それには、私は頷くしかない。
「それはそうでしょうね。彼女が拙いのはこの短時間拝見しただけでもわかりました。が、淑女教育は、学園でもお受けになったのですよね?」
「……ま、毎回、怒られて、追試験を何度も受けていました……。」
「……なるほど……。」
涙で目元を腫らしながら、嗚咽まじりにそういう彼女に、深い溜息が漏れてしまった。
が、それはブルー隊長も同じだったようで、彼も深い溜息をついて、私の方を見る。
「ネオン隊長。ライアが本当に失礼いたしました。公爵令嬢であり、辺境伯夫人へ、誤解があったとしても決して発していい言葉ではありません。このことは両家の親に伝えます。厳しく処分してもらうつもりです。婚約も白紙に戻し、ライアを修道院へ送るように進言したいと思います。」
「に、兄様……。うわぁぁぁぁぁん!」
ブルー隊長のその言葉に、ライア嬢はさらに大きな泣き声を上げた。
いやだ、それだけは嫌だ、許してほしいと何度も何度も繰り返す彼女に、ブルー隊長は眉一つ動かさず、視線も合わせず、私に深く頭を下げる。
それを見て、さらに大泣きするライア嬢。
私は一つ、大きなため息をつくと、静かにライア嬢の方に体を向ける。
「ライア嬢。泣いていても状況は変わりません、貴族令嬢として情けない限りです、泣き止みなさい。」
ぴしりと彼女に向かって言い切ると、一瞬、顔をあげて私の方を見た彼女は、さらに大きな声をあげて、怖い、酷い、謝っているのにと泣き出した。
(……おこちゃまかな?)
聞けば私の二つ年上だというのにこの有様。
ここで許しても、社交場で何かをしでかしてしまう可能性大である。
(一つの失敗で家門が消えるなんて、想像つかないのかしらね……。)
まさに先程、家格が上の人間相手に人前で侮辱するという、夜会の席などであれば即座に家門が消されそうなことをしでかしたというのに、我が身可愛さに他者を責めて泣いてばかりの彼女。
ここまで来ると、愚かしくも憐れで、一周回って同情してしまう。
(切り捨ててもいいのだけれど、ブルー隊長がこうして謝るという事は、彼女に対して少なからず情があるのでしょうし、何度もお世話になっているから、一度だけ、チャンスをあげましょうか。)
そう考えて、私は一度立ち上がると執務机に置いていた扇を手にし、ソファに戻ると一度、扇を開いた。
そのままブルー隊長を見れば、ひとつ、頷いてくれる。
(私の意図がどこまで伝わったかはわからないけれど、彼の許可が出たという事で……。)
パチリッ!
室内に、扇が叩きつけられる大きな音が響いた。
自分の掌がじぃんとしびれる中、ブルー隊長の横で泣いていたライア嬢が顔を上げた。
「いつまで泣いているのです、みっともない。貴族の令嬢としての矜持が貴女にはないのですか? そうやって泣いていればすべてが許されるのと思っているのですか?」
「そ、そんな! 許してくれないんですか!?」
目に涙を浮かべ、再びボロボロと涙を零しながら私を見るライア嬢だが、私はわざと大きなため息をついた。
「許す? 公衆の面前で、婚約者をだました女、泥棒猫と馬鹿にしておいて、ただで済むと思っているのですか?」
それには、ライア嬢が首を振る。
「誤解があったんです! だって、チェリーバ兄様が……。」
「ブルー隊長は関係ありません。公衆の面前で私を罵ったのは貴女です。子爵令嬢が、公爵令嬢を……辺境伯夫人を言葉汚く罵ったのです。これは、モルファ辺境伯家、そしてテ・トーラ公爵家への侮辱ととらえます。」
「こ……公爵令じょ……あ……。」
その言葉に、ようやく気が付いたのか見る見るうちにライア嬢の目から涙は引っ込み、顔色はなくなっていく。
「あ、そんな……そんなつもりは……。」
「そのようなつもりはないと? それはありえません。貴族として、全てのとは言いませんが、自領の周辺の貴族の顔と名前くらいは覚えておくものです。それに、先程貴方は自分が子爵令嬢だと周りの者に言い、言う事を聞かせようとしていましたね? それと同じことです。我が家門を侮辱されたのであれば、私は正式に、辺境伯家と公爵家からアテール子爵へ抗議を入れます。もちろん、侮辱された事への慰謝料も請求します。」
「そ、そんな……ネオン隊長がモルファ辺境伯夫人なんて、知らなかったんです……。」
「今言ったことが理解できませんでしたか? それは通用しませんよ。あなたはブルー隊長の婚約者なのですよね? その婚約者の上司夫人を知らなかったでは許されません。ブルー隊長は貴女に話したはずです。私が辺境伯夫人であるということを。それに、テ・トーラ公爵家の娘が、モルファ辺境伯家へ嫁いだのには王命に等しい経緯があることは、国内の貴族ならば知っている事です。政治的な話にはご興味がなかったのでしょうが、この辺境に住む子爵家の娘であれば、どこでその人と顔を合わせるかわかりません。その際、知らないで済ませることは出来ないのですよ?
それから。貴女はブルー隊長の婚約者だと先程から何度も言われていますが、彼と結婚すれば貴女は伯爵夫人となる。伯爵夫人が公爵令嬢、辺境伯夫人を公衆の面前で口汚く罵ったとなれば、ブルー隊長は上司の妻を侮辱したとして、辺境伯騎士団を放逐されるかもしれませんね。もちろん、多額の慰謝料を請求されますから、支払いが出来ず、爵位を返上する事にもなりかねません。」
そういえば、彼女の顔色はどんどん悪くなっていく。
「そ、そんな大げさな……。」
「大袈裟ですか? ではあなたが同じように領民に侮辱されたらどう思いますか? 貴方のお父様が平民に侮辱されたら、お父様はどう対処されますか? 身分が下の者に口汚く罵られたとしても、知らなかったのだから大丈夫よと許せますか? 家門を侮辱され、公衆の面前で罵られたのに、無かったことに出来ますか?」
「……あ……。」
そこまで言われ、彼女はようやく自分がやったことをわずかには理解したのだろう。もう、泣く余裕すらないようで、ガタガタと震えながら、ただただ許しを乞うように私の事を見上げている。
「貴族は体面を大切にします。ですから私があの場で護衛に命じ、貴女を文字どおり切り捨てていたとしても、誰も文句は言いません。わかりますか? ブルー隊長にちゃんと聞けば、誤解は解けました。御父上に確認すれば、ネオン隊長が南方辺境伯夫人であることはすぐにわかりました。貴族名鑑を見れば、私が公爵家の人間であることもわかります。貴女は、一瞬の感情に囚われ、貴族として致命的な行動をとったのです。その責任、どうとられるおつもりですか?」
そこまで、感情のこもらない声で、しかし穏やかな笑顔で問いかけてみれば、彼女はガタガタと震えながら、これ以上ないほど深く頭を下げた。
「……も、申し訳ありません……申し訳……ほん……本当は、お父様やお母様、お兄様達やチェリーバ兄様は、違うと、愚かな事をするなと……説明してくれていました……。それなのにこんなことをしたのは私なのです……家族や兄様は関係ありません……何もしないでください……。」
突然の殊勝な言葉に、私は少しだけ彼女をみた。
泣き腫らした目元に、青い顔、小さく震える体どうやらかなり堪えているみたいではある。
(少し脅かしすぎたかしら? まぁそれでも、まぁ、自覚するのがかなり遅いのだけれど……。)
ふっと気付かれないように息を吐いた私は、眉間に皺を寄せ、あくまでも厳しい態度の、しかしその奥で見守るような眼差しを送るブルー隊長の視線をずっと見ていた。
(ブルー隊長は……あの旦那様を見捨てないどころか、傍にいて、その歪みを修正まではいかなくとも手をまわして支えてくれた人。そして私が医療班を立ち上げるときに尽力してくれた人でもあるわ。その忠義には、ちゃんと報いないと駄目よね。)
うん、と、心の中で考えて、口を開く。
「ブルー隊長。」
「はい。」
「率直にお伺いしますけれど、隊長は彼女の事、どう思っていらっしゃるの? 好ましいと思っている? それとも、もう子供のお守りからは解放されたいと思っているのかしら?」
明確に問えば、ライア嬢は大きく身体を震わせ、そんな姿を見ていたブルー隊長は静かに頭を下げた。
「正直に申し上げれば、赤ん坊の頃から見知った仲ではありますし、男女の情かと言われればそうとは言えませんが、それでも家族として、妹として、色々と問題の多い彼女に2年の教育の猶予を与える程度には好ましくは思っておりました。……しかし、これでは妻として、伯爵夫人としてそばに置くことは出来ません……貴族令嬢としても厳しいかと……。父親のアテール子爵とも相談しますが、その……」
ブルー隊長の言い淀んだ言葉の先を想像し、ライア令嬢はハラハラと涙をこぼすが、今度は泣きわめくような真似はしなかった。
少しは、まずかったことを自覚したのかもしれない。
(猶予を与えるほどには、情があるという事ね。だからこそ彼も厳しく接してもいたのでしょうけれど効果がなかったと。まぁ、親の育てかたの問題もあるわよね……いまから少しでも矯正できるかしら?)
考えて、私は一つの案を提案した。
「ブルー隊長。もしもまだ、彼女を好ましいと、妻にしたいと思っているのならば、婚約を白紙に戻す前に、もう2年間の猶予を。そしてその間、彼女の身を一度、私に預けてくださらないかしら?」
「ネオン隊長、それは……。」
「大丈夫よ、悪いようにはしない。もし受け入れてくださるなら、今回の事は私からの抗議を両家に出させていただくことと、形だけの慰謝料で終わらせるわ。」
あくまで貴族らしく、穏やかに口元だけで笑う私に、ブルー隊長はやや戸惑ったような顔をしながらも、深く頭を下げた。
「それは……? いえ、はい。失礼をしたのはライアの方ですので、彼女の実家にもそう申し伝えます。温情を頂きありがとうございます。」
「承諾してくださってありがとうございます。……それと、出来ればそれから、ひとつ、彼女のために骨を折っていただきたいのだけれど……」
私は扇を執務机に置くと、再びソファに座り、にっこりと笑った。
「ネオン様。出発の時間でございます。」
「あら、もうそんな時間なのね。」
侍女に声を掛けられ、私は彼女が手にした隊服に袖を通し、エントランスへと向かった。
「ではいってきます。私が留守の間の事は任せましたよ? デルモ。」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ。」
「「「行ってらっしゃいませ。」」」
そうして馬車に乗り込むと、そこには騎士服を着たアルジと、以前の私たちのように乗馬服にエプロン姿、髪をしっかりとまとめあげたライア嬢の姿があった。
ライアには、2年間のモルファ辺境伯家への住み込みで私付きの侍女見習い、そして日中は騎士団医療班の下働きとして働くことを慰謝料として提示した。
一般の侍女見習いと同様、辺境伯家の使用人屋敷に住み、私がいるときには侍女見習いとして働きながら行儀見習いとして淑女マナー、伯爵夫人としての教養を学び、騎士団では物資班のみんなと身分性差関係なく、患者のために働いてもらうのだ。
勿論、住み込みの侍女見習いとして、他の使用人同様にお給金も出るし、衣食住は保証される。
甘やかされたお嬢様には辛いだろうが、しかし、その中で学んでくれればよいと思っていたのだが、最初は泣きながらやっていた仕事も、2週間も経てば楽しくなってきたのか、笑顔も見受けられるようになっていた。
「さて、アルジ、ライア。今日も一緒に、しっかり働きましょうね。」
「「はい!」」
目の前のふたりににっこりと私は笑うと、2人も笑顔で頷き返してくれる
身内の婚約者の行儀見習いなんて新たな問題も抱え、常にいっぱいいっぱいな気もしないでもないが、目の前のふたりや私の周りのみんなが笑顔でいてくれる限り頑張れるなと、窓の外の青空を見上げた。
お読みいただきありがとうございます。
気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると大変に嬉しいです!
誤字脱字報告もありがとうございます。
本作は書籍化も控えておりますので、これからもよろしくお願いいたします。