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113・辺境伯領という土地

「団長、到着しました。」


 上の空のまま話を聞いて数十分。


 リ・アクアウムまであと20分程度、というところで馬車は速度を落とし、やがて止まると、コンコンと馬車の扉が叩く音とともに声がかけられた。


「あぁ。わかった。」


 馬車の外から聞こえたブルー隊長の声に、ドンティス隊長と頷き合い、彼に続いて馬車を降りた旦那様は馬車を降りてから、ちらっと私の方を見た。


「なにか?」


「いや……すぐに終わる。君はこのまま馬車の中で待っていろ。」


「かしこまりました。お気を付けて。」


「あぁ。」


 問うた私に向かって旦那様がそう言ったため、模範的社交辞令を述べて頭を下げると、黒曜石のように冷たい瞳の目元を細めた旦那様は、ドンティス隊長を伴って馬車を降り、牧草地の方から近付いてきた、白金の鎧を身に着けた騎士と共に歩いて行った。


 旦那様が立ち去った後、すぐに閉められた馬車の扉は、外側から鍵がかけられたようだ。


 そんなことをしなくても勝手に出たりはしないのにと思いながら、換気でもしようと少しだけ扉につけられた窓を開けた。


 入ってくる風に息をつきつつ、そのまま馬車の外を見回すと、馬車の警護のために残っていた馬上の騎士様たち。その中で、私の馬車に一番近いところに陣取っている、黒鋼の鎧の騎士に私は声をかけた。


「もしかして、そちらにいらっしゃるのは、ブルー隊長でいらっしゃいますか?」


「はい。」


 名を呼ばれ、重々しい音を立てながらこちらを振り返った黒鋼の騎士は、私を怖がらせないためにか、わずかに面頬の部分を上げると、少しだけ顔をのぞかせて返事をしてくれた。


「どうかなさいましたか? ネオン隊長。」


「警護の最中にお声かけしてごめんなさい。お役目で難しければ、断っていただいて結構なのですが、実は状況がよくわからないので、教えていただけますか?」


 そう言えば、ブルー隊長はなるほどと頷き、僅かにずらしただけだった面頬をしっかりと上に押し上げ、笑ってくれた。


「他の者もおりますから、お話くらいでしたら大丈夫ですよ。ただ、いざというときに動くことが出来ないと困るので、馬上からお話しする事をお許しください。」


「それはもちろん、隊長のお役目を最優先でお願いしますわ。……それで、今日はブルー隊長も随分と物々しい恰好でいらっしゃるのですね。」


 そう。頭の先から足の先まで鎧姿、しかも帯刀した姿を見たのは初めて辺境伯騎士団に行った、あの日以来だ。


 あの日も、小規模の魔物の強襲が起きた。そこに巡察していた騎士達が遭遇・敗戦し、あの粗末な救護室に投げ込まれた。


(そしてたまたま視察に向かった私がその前を通りがかってしまって、あんまりの状況に嘔吐してたら前世を思い出して、考えるよりも先に行動した上に旦那様の物言いに切れちゃって、辺境伯夫人として、医療隊隊長として働く現在に至る、と。嫁入りからここまで、なかなかに濃密な半年よね。)


 そんなことを思い出しながら問いかけると、ブルー隊長は頷き、先程旦那様とドンティス隊長が他の騎士と共に向かった方向を見た。


「そうですね。昨夜この辺りで魔獣が出ています。そこに辺境伯である団長とネオン隊長がいらっしゃるのです。何かあった時にはお二人をお守りするのが我らの役目、重装備なのは仕方がありません。用心に越したことはない。……あぁ、先遣隊が合流したようです。」


 頷いた私は、ブルー隊長の視線の先にいる旦那様とドンティス隊長、そして数名の騎士様、そこから少し離れたところで等間隔に並び、警戒するようにあたりを見回している騎士様の様子を確認し、ブルー隊長の方を見た。


「旦那様達がいらっしゃるあたりが、昨夜魔狼の出た現場という事ですか?」


 そこは、リ・アクアウムへ向かうときによく見ていた街道沿いの放牧地。


 家畜を逃がさないために作られた粗末な木の柵以外は、背の高い旦那様の膝丈くらいの草花が風に揺れるしかない広大な放牧場。その中で時折遠くに見える森や、リ・アクアウムの方を指さす騎士様の話を聞いている旦那様とドンティス隊長の方を見ながら確認すると、同じ方向を見たブルー隊長は頷いた。


「魔獣の発生源はもう少し奥の森であったようですが、家畜が襲われたのが目撃されたのがあの場所だそうで、ここに放牧されていた家畜は全滅しました。幸いな事に放牧されていたのはオスの家畜だけだそうで。夜はメスと子供は厩舎に戻していたそうなのです。ですから、すぐに大きく生活がひっ迫するという事はないでしょう。まぁ、放牧地を変える必要がありますから集落の者は暫くは忙しい日が続くでしょうが、人的被害もありませんでしたし、不幸中の幸いでしたね。」


「放牧地を変える……?」


 ブルー隊長の言葉に、私は首を傾げた。


「魔獣の制圧も、襲われた家畜の死骸の処理もすでに終わっているのですよね? でしたら、あんなにもしっかりとした牧草が青々としているのですから、移動の必要はないのではありませんか?」


 首を傾げると、私の方を見たブルー隊長は少し驚いたように私と顔を合わせると『あぁ、なるほど。』と納得したように頷いた。


「私の説明不足でした。私たちの様な辺境で生まれ育った者には当たり前の事でしたので……。」


「説明ですか?」


 問い返した私に、ブルー隊長は頷く。


「はい。ネオン隊長は王都でお育ちの貴族のご令嬢なのですから、御存じないことを念頭にお話しするべきでした。」


 首を傾げた私に、ブルー隊長は申し訳なさそうに頭を下げてから話を切り出した。


「ネオン隊長は、魔獣や魔物が発生したり、襲われた人や家畜の遺骸、その現場となった場所を見たことがおありですか?」


「……いいえ。そういえばないわ。 魔物に襲われた人の怪我なら見たことはあるけれど。」


 質問の意図がわからないが、必要な事なのだろう考えて答えると、ブルー隊は一つ大きく頷いてから話を始めた。


「高位貴族の、しかも深窓のご令嬢などであればまぁ例外もあるでしょうが、少なくとも魔獣の発生が絶えず起こっている辺境に住む者であれば、身分や性別に関係なく、一度は必ずその光景を見たことがあります。それに遭遇したことがない幼子でも、物心つく前からそれに遭遇した際の対処法を、年長者たちから生活の術として教わり、10にもなれば、一応の対処が出来るようになっていると思います。それくらい辺境と言われる地は魔獣が発生し、野生の動物や家畜が襲われるという事がよくあるのです。そして私は今、それを前提に話をしてしまいました。ネオン隊長にそれをご説明するのを忘れていたのです。」


「なるほど。生活に根付いたものですね。」


 幼子にも根付くほどなのか、と関心と共に辺境の地の厳しさを知った私に、ブルー隊長は頷きながら教えてくれた。


 曰く。魔獣に襲われた家畜は、人と同じくその傷から『瘴気』を放つ。その瘴気は遺骸の血肉にしみこんでいくそうで、瘴気を吸い込んだ遺骸をそのまま放置してしまえば、人が魔物に襲われた時の傷のように血が止まらず変色し、いずれ汚泥の様な体液をまき散らしながら腐敗していく。そしてその病んで腐った血肉は、例外なく大地にしみこんでいくそうだ。


 問題なのはその後だ。


 魔獣の瘴気を含んで腐った血肉を吸ったその土地は、数年の間、草木は枯れ、新たに芽吹くことも出来ず、土は汚泥のように腐臭を放つ不毛の土地となってしまうらしい。


 その為、その場所で瘴気の元となる食い荒らされた家畜をその周辺の植物の根ごとしっかりと焼き尽くし、次の春、新たにその地の花や草の芽が自然に出てくるまで、土地を休める必要があるそうだ。


 それならば放置するのと同じではないかと思うが、それをしなかった場合の土地の回復は、その10倍、場合と規模によってそれ以上かかるそうだ。


 そしてその処置は、早ければ早いほどいいらしい。


「なるほど。皆さんはそれを知っているのですね。そして私はそれを知らなかったから、そのまま放牧してもいいのではと言った……。それで説明が足りなかったと仰ったのですね。」


「はい。ここからは見えないでしょうが、おそらく団長たちの足元は、昨夜、この地で魔獣に襲われた家畜は、昨夜のうちに騎士団の手で燃やされていますし、その周囲にもわずかに瘴気の痕跡が残っている可能性もあります。ここから見れば青々としているように見えるかもしれませんが、近くによれば放牧地としては使えないことがわかるでしょう。」


 領民の事を思ってか、わずかに目元を歪めたブルー隊長の言葉に、私は頷いた。


「そうなのですね。やはり辺境は、とても厳しい環境にあるのですね。頭ではわかっているつもりでしたが、ちゃんとは理解していなかったようです。」


「そんなことはありません。」


 反省の念に駆られる私に、ブルー隊長は首を振ってから笑った。


「ネオン隊長は領地の事、領民の事。すべてを良く考えて、皆のために十二分に働いてくださっています。ネオン隊長が来てから今日までだけでも、どれだけ救われたものがいるかわかりません。もう、騎士団はもちろん、リ・アクアウムとその周辺の領民にとって、ネオン隊長……モルファ辺境伯夫人は、なくてはならない存在になりつつあるのです。それはやがて、モルファ辺境伯領全体に広がるでしょう。それと同じように、ネオン隊長がこれから数年、数十年をかけてこの地の厳しさも優しさも知ってくださると、私は嬉しいです。」


「そう、ね。」


 何気ないブルー隊長の言葉に、私はすぐには頷くことが出来なかったが、それに気が付かなかったブルー隊長は、旦那様のいる方を指さした。


「先ほどの話ですが、土地は、襲われた物の血肉が広がった分の、その倍ほどの広さをしっかりと焼くことになります。ここも、団長のいる周辺はしっかりと焼いてありますね。範囲が広そうだ……あ、降りて現場を見てみたい、とは言わないでくださいね。魔狼の残滅の報告はまだ上がっておりませんので。」


 笑っていたかと思えば、急に真剣な顔をして……相変わらず、大きな犬のように表現豊かなブルー隊長に、私は先ほど感じた胸の軋みが僅かに和らいだのを感じて、少しだけ息を吐いてから、彼に頷いた。


「流石にそのような我儘は言いませんわ。しかし、魔物に襲われた騎士様も、やはり瘴気で傷口がひどく変色し、血が止まりにくく、しみ込んだ瘴気を洗い流すのにも苦労しました。魔獣に食い殺された家畜もそれは同じこと。少し考えればわかる事でしたのに、ブルー隊長に教えていただくまで、うまく結びつきませんでしたわ。……ここで放牧していた領民たちは、今から別の放牧地を探さなければならないのですね。……それはとても大変なことですね。」


(けれど都合よく、新たな放牧地が見つかるかしら?)


 庶民の暮らしにあまり余裕はないだろう。畜産は全く分からないが、新しい放牧地を探し、それから朝晩と動物を誘導し、その間、日々の暮らしは立ちいくだろうかと心配になっていると、そんな私の考えがわかったのか、ブルー隊長は大丈夫ですよと笑った。


「皆、こういう時のためにいくつか放牧地になる場所を日ごろから用意しているのです。ですから心配には及びません。」


「そうなのですね、良かった……。でも、先程忙しくなるとおっしゃっていましたよね?」


「えぇ、忙しくなりますよ。放牧地に柵を立て、家畜を全て移動させる必要がありますし、これから秋にかけて、出産の時期になりますからね。」


「出産?」


「えぇ。予想ですが、メスは腹に子を抱えているのでしょう。ですから夜間はオスしか放牧していなかったのだと思います。こういった場合に我ら騎士団が出来ることは、早いうちに発生している魔獣を駆除し、これ以上領民に被害が及ばないよう注意を払う事です。ネオン隊長は牛や羊の出産を見たことがありますか? 最初はいろいろとまぁ、びっくりしますが、なかなか感動するものですよ。」


「……ブルー隊長は、見たことがあるのですか?」


「私の両親とも、モルファ辺境伯領の隣に位置する畜産や養蚕を主とした辺境田舎貴族ですからね。幼い頃から父や兄に連れられて出産の手伝いに行ったものです。ネオン隊長も、一度見学をお勧めします。存外感動しますよ。」


「……ふふっ。」


 先ほどまでの真剣な表情とうってかわった、まるでいたずらが成功した悪ガキの様な満面の笑顔を浮かべてそう言ったブルー隊長に、少し驚いたあと、気落ちしていたのが嘘のように心が軽くなり、つい笑ってしまった。


「そうですわね。一度見学できるように頼んでみようと思います。けれど安心できないとそのような余裕もないでしょうから、ブルー隊長が言われたとおり、私も辺境伯夫人として、医療隊の隊長として。自分のできることを考えようと思いますわ。」


「それはいいですね。何かあったら遠慮なく仰ってください、3番隊はいつでもお手伝いします。」


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いしますね。」


 お礼を言いながら、こういう時、領主夫人として一体なにが出来るか考えながらそう答えていると、旦那様とドンティス隊長がこちらに向かって歩いて戻って来たため、ブルー隊長は私に頭を下げてから、旦那様とドンティス隊長の方へ向かい、少し話してから護衛の隊列に戻っていき、馬車の中には旦那様とドンティス隊長が入ってきた。


「お疲れさまです。お話は終わられたのですか?」


「……あぁ。」


 私の言葉に、先程よりも明らかに低い声でそれだけ言った旦那様が出した合図とともに、再び馬車は騎馬隊の護衛と共に、リ・アクアウムに向かってゆっくりと動き出した。

お読みいただきありがとうございます。

気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると大変に嬉しいです!

誤字脱字報告もありがとうございます、日々精進中です。


3月21日は、一年前にこのお話の第一話を投稿した日です!

一年か~、いろいろあったなぁと、本当に感慨深いです。

そこで、ちょっと本編に掛かってくる閑話を更新したいと思います♪

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