111・心配性の2人と、世間知らずの私。
「ネオン様。お顔の色が優れませんが、もしかして昨夜はよくお眠りになれなかったのですか?」
心配げな声色でかけられた言葉に、ただ書類に視線を向けていただけの私は、顔を上げると、馬車の中、自分と対角線上に座っているデルモを見た。
心配してくれているのだと解る表情をしている彼は、いつも通りであれば、屋敷で私を見送ってくれる側の人だ。
しかし今日の出仕は、騎士団へ立ち寄りアルジを下ろし、入れ替わりで医療隊長補佐官であるガラを乗せて、医療班隊長兼辺境伯夫人としてリ・アクアウムへ第2回バザーの打ち合わせに向かう事になっている為、デルモが同乗しているのだ。
「すこし寝付けなくて。でも大丈夫よ。今日は久しぶりに辺境伯夫人として、医療隊隊長としてリ・アクアウムへ向かうから緊張したのかもしれないわね。」
当たらずと雖も遠からず。そんな言葉を思い浮かべながらそう告げる。デルモのとなり、そして私の正面に座るアルジが声を上げた。
「それはいけません。ネオン様、あまりご無理なさらないでください。こちらは王都よりも格段に温暖な地方ですが、それだけに夏場は暑くなります。慣れない気候でお体を壊す前に、しっかりお休みを取ってください。」
至極真剣にそう言ったアルジに、私は笑ってしまう。
「そんなに心配しなくてもこちらの気候には私も慣れてきたし、大丈夫よ。アルジは心配性ね。」
「いいえ、ネオン様は日ごろからご無理をしがちなのです。私共が大袈裟に騒いで事前に対策し、用心するくらいでちょうどいいのです。」
そう言いながら、元同僚の侍女達に今日の帰りにはあれもこれも頼まなくてはと言い出したため、まぁまぁとそれを止めようとすると、彼女の意見を後押しするように、デルモも頷く。
「アルジの言う通りです。こちらは王都よりも夏は暑く、土地の者でも体調を崩しやすくなりがちです。ネオン様のように王都より居を移した者達は、その暑さに食欲をなくし、寝込む事が多いのです。」
「そうなの?」
(う~ん、前世で言うところの暑気あたりや夏バテや熱中症みたいなものかしら? 王都の夏も比較的暑かったけれど、南方というのだからあれ以上よね? 王都は毎年雪が積もるけれど、辺境伯領は雪が降らないと言っていたわね。……そう考えると、甲信越地方から沖縄、くらいのイメージかしら? それなら確かになれるまで体調を崩すわね。)
そう考えながらデルモに聞くと、彼は頷く。
「こちらでは寝具も夜着や掛物だけでなく、枕などの素材も季節で変えて対策をするくらいです。
ネオン様。実は以前より少し考えていたのですが、今はまだ騎士団とお屋敷の往復、お屋敷とリ・アクアウムとの行き来もさほど多くはありませんでしたが、これからは次回のバザーのためにリ・アクアウムと騎士団、お屋敷を日に何度も移動する回数も増えて参ります。辺境伯夫人の執務が落ち着かれるまで、騎士団のお仕事を、少しお休みなさってはいかがでしょうか?」
「いいえ、それは駄目よ。」
デルモの申し出に慌てて首を振った私は、手に持っていた書類を整えながら目の前に座る2人を見た。
「騎士団の仕事も私の大切な執務だもの。王都で暮らす女主人と違って、私は社交や夜会に出席していないわ。その分、騎士団の仕事をしていると思えば、通常に比べて格段に仕事をしている、というわけではないでしょう? それなのに仕事を減らすなんて、自分が納得いかないわ。」
ね、と言っても、明らかに納得しかねるといったような顔をした二人に、さらに私は困ったように笑って話を続ける。
「貴族の、しかも高位貴族の女主人の仕事は多岐にわたるのは知っているでしょう? テ・トーラのお義母様は王都にお住まいのしかも公爵夫人だったから、其れこそ一日も休みがなかったと思うわ。屋敷の采配や領地から上がって来る書類仕事、様々な貴族から送られてくる社交の案内状に、自分が取り仕切るお茶会や夜会の手配に采配……自ら招待状を書くこともあったし、王都や領地の修道院や孤児院の慰問にも足しげく通っていた。それなのに一つも弱音を吐いたところを見たことがないの。お義母様はご自身の部屋を一歩出れば常に完璧な公爵夫人だったの。だから、私がこれくらいで音を上げていたら叱られてしまうわ。」
私がそう言えば、彼らは顔を見合わせ何も言えなくなってしまった。しかし少し思案した後「それでは。」と、デルモが提案してきた。
「もし騎士団にお許しいただけるのであれば、騎士団内でもネオン様の辺境伯夫人としての執務の補佐をスムーズにできるよう、私が騎士団に出向するというのはいかがでしょうか?」
その提案に、私は考えるまでもなく首を振った。
「それは駄目よ。往復の移動時間や屋敷を離れなければいけない事を考えると、デルモの負担が大きくなってしまうわ。今日だって、リ・アクアウムに慈善事業の話し合いがあって向かうからついてきてくれているけれど、帰ってからも大変でしょう?」
私の言葉に、デルモは穏やかに笑った。
「確かに馬車での移動時間がかなりあります。しかしその時間は、こうしてネオン様と落ち着いてお話しすることが出来ますし、書類を持ち込めば、打ち合わせをする事も出来ます。それに……」
ちらっと、デルモは自分の隣に座るアルジを見た。
「ネオン様は良くアルジに意見を聞いたりされていますが、侍女から騎士となったアルジを公式の場に連れて行き、意見を聞き、取り入れることは難しい。しかし朝晩の馬車の中であればこのとおり、それも可能となります。以前お話されていた軽食の屋台や、慈善事業で販売する小物の件についても、アルジから意見を聞き、私の発言として持ち込むことも出来ます。」
なるほど、と私は思う。が、しかし。
「そう聞かされてしまうととても魅力的な話だけれど、お屋敷の仕事は大丈夫なの? 執事の仕事は多岐にわたるでしょう? とくに離れの業務を一任されているのだから、休憩時間などが無くなるほど忙しくなるのではない?」
聞けば、デルモは穏やかに笑った。
「ネオン様のお働きに比べれば微々たるものです。私が辺境伯家で与えられております仕事は、ネオン様のお住まいになっている離れの管理と奥様の執務の補佐でございます。三日に一度であれば離れのお屋敷の管理に何ら支障はありません。それに、今まではネオン様の辺境伯夫人としての慈善事業であるバザーに関するやり取りの一切を、手紙で行っておりましたので、騎士団との連絡が取りやすくて助かります。」
「それであれば、私もたくさんお手伝いできますよ、ネオン様。」
「そう……そうね。」
どうですか? と、自信ある顔で笑いかけてくれる2人に、私は自然に口元が緩んだ。
「今日、ドンティス隊長にお会いするときに、デルモの出入りを許していただけるか確認しましょう。もし許可が出たら、負担をかけてしまうけれどお願いするわ。アルジも、たくさん期待しているわ。」
「「はい。」」
笑みを浮かべてそう言ってくれたデルモと、それを後押ししてくれるように同意してくれるアルジ。きっと二人とも私を心配し、負担を少しでも減らそうとしてくれているのだろうと分かり、その優しさにほんのりとした胸の温かさを感じ、同時にその優しさを無碍にはしたくないと思ったため、素直に受け取ると決めてそう言うと、2人はほっとしたように笑って頷いてくれた。
そのまま三人で頷き合うと、先程話に上がっていた、バザー開催時に孤児院の広場に設営予定の軽食を出す屋台に対して様々な意見を出し合い始めた。
そうすると、馬車はあっという間に騎士団の砦に着いてしまった。
「それではネオン様、いってまいります。」
話したりなさそうな顔をしながらも、きちっとそう言って頭を下げたアルジは馬車を降りてそう言った。
「えぇ。昼過ぎには帰って来るから、それまで医療院をよろしくと皆にも伝えて頂戴ね。」
「解りました!」
そんなやり取りをしたあと、アルジは一つ礼を執って医療院へ向かっていく。
手を振ってその背を見送った私は、換気のために扉を開けたままにしてもらい、昨夜デルモが確認していたパーン隊員の調査書に目を通しながらガラを待つ。
(もしかしたら、と思ったけれど、勘ぐり過ぎだったわね。)
短期間に集中的に彼からの接触があったものだから、パーン隊員も遊牧商隊と接点があって来たのでは……? と、ひどく勘ぐっていた自分の心配は杞憂だったようだ。
彼は全寮制の学園で勉強に邁進し、その後は実家と同じく生鮮食品を扱う商会だったようで、しかも彼は商会長の秘書の一人、つまり事務方として働いていたようだ。
新規顧客を探すための営業や、店先など、他者と関わって仕事をしていたわけではないし、商会長自らが取引するような相手とは、顔を合わせることはあっても何か頼みごとをしたりすることはないだろう。
そもそもスティングレイ商隊の主な輸送物は、装飾品や、旅で必要な日持ちのする食料品や東方の医薬品、それと『娯楽』だ。
綺麗な舞姫や歌姫が乗っていて、滞在先ではその踊りと歌、曲芸を披露していたのも、舞台のそでからこっそり見せてもらったことがある。
(そうそう、よく当たると評判の占い師もいたわね。商隊が宿に来るたびに、若い女の子が列をなしていたわ。そう考えると前世の遊牧の民にも似ている……もしかすると、情報屋の役割もあるのかもしれないわね。)
そんな可能性すら考えていなかった昔は、細部まで凝った装飾の施されて華やかな舞姫や歌姫専用の馬車に入れてもらって喜んでいたが、こうして立ち位置が変わると、なるほど。いろんな側面が見えてくる。
彼が役割を担っていた護衛騎士という仕事も、そうだ。
舞姫や歌姫にのめり込み、身上を狂わせる人間はどこにでも一定数いるだろう。そう言った輩は逆恨みをすること、短絡的に心中を求めたり、誘拐しようとしたりすることもある。実際、宿にそういう輩が押し掛けてきたことがあった。そういった者達や旅の途中に魔物や夜盗から舞姫達や商品を守るために彼らはいるのだと普通に思っていたが、それだけではなかったとしたら。
(今から考えると、私、ものすごく怖いもの知らずだったのかもしれない……。)
目まぐるしい人生の中で、暖かくも甘い綿菓子の様な初恋が、簡単に折れてしまいそうな心の唯一の支えとなっていた。そのため、危機感もなく包み込まれた状況だっただけで、今考えれば、あれは前世で言うところのロマンス詐欺の可能性だってある。
そう考えると、私はあまりにも危機感がなさ過ぎた。
(うん、こうして冷静に考えると、私が浮かれて惑わされていたのがよくわかったわ、これでちゃんと終わらせられる。)
一瞬、脳裏をよぎった、熱のこもった青い瞳には気が付かないふりをして。
ふっと、冷静になったところで、口の端を少し上げた。
(それにしてもよくできた調査書ね。流石騎士団と言ったところかしら。そしてこれを見る限り、パーン隊員の身上はとても綺麗なようだから後は人柄ね。その点に関しては少しずつ見て行けばいいし、ドンティス隊長のお墨付きもあるから、ひとまずは安心していいわね。)
自分の中でしっかりと決着も結論もつき、肩の力も抜け、ほっとした時だった。
「ネオン隊長、お待たせいたしました。」
「いいえ、大丈夫よ。それほど……」
聞きなれたガラの声に、書類から視線を上げた私は、声のした方に立っていた人に驚き、少し腰を浮かしてしまった。
「旦那様っ!?」
そこには、私の驚いた声がお気に召さないかのように、やや目元を細めて私の方を見ている旦那様が立っていた。
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