11・三度目まして、旦那様。
「どういうことだ、妻がここに来ている、など!」
勢いよく木の扉が開いたかと思うと、何の躊躇も遠慮もなく、ずかずかと派手な靴音を立てて入ってきたのは、黒銀の鎧に深紅のマント姿が大変に麗しい、ちょっと見上げてしまうくらいの大柄の男性とそのお供。
騎士様たちが寝ていらっしゃるところに、乱暴に大声と足音で入ってくるのはやめてほしい……と思いつつ、一番前に立つ人を見ると、そこには三度目ましての人がいた。
美しい顔立ちを怒りで歪めているのは、貴方を愛することはないと言い切った、結婚式の日と、翌日の契約の日。 そして今日は3度目の対面となる、旦那様なんだけれど、美人さんだから、三回目でも旦那様ってわかるの、便利だ。
(えぇ、と、名前は確か……早々、ラスボラ・ヘテロ・モルファ辺境伯だったかしら。 しかし前世の記憶が戻ってから聞くと、滅茶苦茶ラスボス感たっぷりな名前だわ~。 後、ものすごいイケメン。 西洋の彫りの深い顔が多いこの世界には珍しい、切れ長涼やかアジアンビューティー!)
と、ちょっと前世寄りの意識で考えてから、いかんいかんと『ネオン・モルファ』の意識に戻る。
ちなみに、そんなイケメン旦那様の後ろには、結婚式の日にお会いした騎士団の重要メンバーだと紹介された、鋼色の鎧を着た騎士様が3人と、やや驚いた表情の神父様がいる。
(偉い先生の総回診みたい……昭和の遺物だけど。)
と、その人たちを観察していると、一番前に立つ旦那様と目が合った。
「まさか、本当に来ていたのか……。」
目を見張り、まじまじと私を見る旦那様の表情からは、すっかり怒りが抜け絶句している。
この様子から予想するに、旦那様が視察や何かで砦を離れている隙に、私が『慰問ですよ』とやって来たかと思えば、突然兵舎で好き放題やって困っている、くらいに誰かから報告を受けて、質の悪い冗談だけど確認だけしてやる、けど、嘘だったらぶっ飛ばす、くらいの勢いで、砦に戻ったままここに急いで来たのだろう。
後ろに控えている偉い方の騎士様も、まさか辺境伯夫人が来たなんて信じられなかったのかもしれないが、旦那様の言葉と、結婚式でしか見たことのない顔を思い出し、ここに立つ私が誰かを正しく判断したのだろう。 慌ててその場で膝をついて頭をさげた。
少しばかり動揺した様子の神父様は、神職なので神様以外に膝をつくことはない。 そのため、少し離れたところで立ったまま私に頭を下げていらっしゃる。
「団長! お待ちください、だんちょ……。 お、奥様までこちらにっ! これは、大変失礼いたしました!」
少し遅れて入ってきたのは、今日私がここを訪れた時に最初にご挨拶してくださった医療騎士班の副隊長様で、旦那様の名を呼びながら走ってきたところで私の姿も見つけ、慌てて膝をついた。
気が付けば、お手伝いしてくださったズテトーラ様たちも、いつの間にかその場に膝をついている。
もちろん、辺境伯家の侍女であるアルジは、私の後ろで雇用主である旦那様に向かって、立ったままであるが、しっかり腰を曲げ、深く頭を下げている。
異様な空気になってしまったのを、なぜか冷静に私は見る。
(う~ん、旦那様は固まったまま、皆は最敬礼中……。 本来なら、負傷した騎士様たちに対して、あの仕打ちは何なのだと、旦那様や医療班の副団長に言いたいところなんだけど、もしかしたら旦那様はこの実態を御存じないのかもしれない。 タイミングは今じゃないわね。 ひとまず、ここで勝手な行動をしたお詫びと、夜勤の騎士様の寝る場所の確保と医療班をお貸しいただくようにお願いしてみましょうかしらね。)
そう考えた私は、旦那様に向かって淑女の微笑みを浮かべると、ゆっくり丁寧にカーテシーを披露した。
「ご機嫌麗しゅう、旦那様。 砦の不在時に来訪したお詫びを申し上げます。」
「ネオンじょ……ネオン。 なぜこんな所にいるのだ。 この状況はなんなのだ?」
(あぁ、いつもは私のことをネオン嬢と呼んでいらっしゃるのね。 まぁお飾りですものね。)
咳払いして言い直した旦那様の様子に、なるほどなるほど、と思いながら頭を上げてにっこりと笑った。
「本日は家令より『辺境伯夫人として一度、辺境伯騎士団への慰問へ行かれてはどうか?』と進言をうけ、慰問にやってきたのでございますわ。」
そういえば、ピクリ、と、旦那様の片眉が動いた。
「ジョゼフが?」
ぴくり、と、目じりを震わせた旦那様。 どうやら旦那様には内緒だったようですね。
(あの家令、ジョゼフって言う名前なのね。 初めて知ったわ。)
いや、もしかしたら聞いていたのかもしれないが、旦那様同様に3回しかあっていない人の名前なんか、憶えていないからどうでもいい。
(それよりも探る必要があるのは……。)
「えぇ。 それに合わせて、侍女長も焼き菓子も用意してくれたのです。 皆気が利きますのね、とても助かりましたわ。 此方に到着しました時には、お出迎えと見学の案内は、そちらの医療班副長様がしてくださいましたの。 ふふ、またお会いできましたね、お礼申し上げますわ。」
ニコッと笑って変な汗をかいている副長に礼を言ってから旦那様を見ると、苦虫を噛み潰したような顔になってなにやら、なぜ魔獣が出ている今日なのだ……とか言っている。
(何故今日か、なんて私は存じ上げませんよ。)
離れに引っ越してから3か月ほど。 その間は何の音沙汰もなかったくせに、今朝突然、二人で離れにやってきたかと思えば、馬車や焼き菓子まで用意した上で、進言されたんだから、辺境伯夫人として仕事はするという一環なのかと思って伺っただけだ。
確かに、今日の今日で行けと言われてやってきた割には、馬車が到着したときの対応はスムーズだったので、辺境伯家からは事前に私の訪問はしっかりと先ぶれがあって、事前に設定されている物だと思ったのだが。
(なるほどなるほど。 本日の私の慰問は、旦那様には内緒だったのね。 しかし、なんのために?)
慰問を持ちかけた家令たちの意図を考えながらも、にこにこと淑女の微笑みを浮かべたままの私の方を威嚇する様に、旦那様が睨みながら見下ろしてくる。
「それで?」
「はい? どうかなさいました?」
その返答に、睨みは強くなるが言葉はない。
(そんな睨み下ろされても、全然怖くないですが? というか、言葉が足りませんよ? まさか察しろと!? 無理ですよ、夫婦と言っても三度目ましてですよ? 旦那様。)
なんていうわけにもいかず、私は小さな小首をかしげて聞いてみた。
「旦那様。 それで、とは?」
何を問われているのか全然解りませんよ? と旦那様を見上げると、旦那様は私から視線をそらし、私達の後ろ、傷ついた騎士様の眠る室内をぐるりと見渡した。
「これはどういうことだと聞いている。」
(だから言葉が足りないんですよ、旦那様。)
想ったままに喋れたらいいな、なんて内心溜息をつきつつ、淑女として、兵舎を勝手に使ったお詫びと、ここまでの状況説明、それから夜勤の方の宿舎のお願いをするために口を開いた。
「これとは? あぁ、そうでした。 旦那さま、ご相談が……」
「なぜ勝手にこんな無用なことをしたのかと聞いている!」
「……っ!」
私の話が終わるも終わらないもなかった。
旦那様は憤怒に顔をゆがませ、私をさらに強く睨みつけて、大変に強い口調で一方的に言った。
「ここは夜、砦の見張りの者たちが体を休めるために使う兵舎だ。 それをなんの権限があって役に立たない負傷兵を引き入れたのだっ! そこにいるお前たちも、何故、彼女の愚かな行動をすぐに上官へ報告しなかったのだ!」
「……っ!」
旦那様の叱責に、誰かの声を噛み殺す声が聞こえた。
そして、私の中の前世の意識が、拳を握り締めた。