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107・スラティブ改良版により新治療法

「僕が考案した新しい治療法には、この水色のスライムを使うんだ。」


「は、はぁ……?」


 急な話題の転換と、突然その根本をつくという話し方をされた私は、一瞬理解が追い付かず混乱していると、まぁまぁ落ち着いて、といつものように飄々と笑ったクルス先生は、淡い水色のスライムだけを私の目の前に置くと、他の瓶をポケットの中にしまい込みながら説明を続けた。


「彼のカルテの記載を見てもらえばわかる通り、スライムによる壊死組織の侵食療法はとてもうまく行っている。誤算と言えば、思ったよりもスライムが貪欲で、僕が考えていたより壊死組織を侵食する速度が早かったくらいかな。彼がこの療法を受け始めて10日たつけれど、もうほとんどの壊疽部分を食べてしまっていてね、この治療法も終わりが見えていたんだ。侵食療法で使っているスライムは自我がある。壊死組織がなくなってしまえば、今度は空腹から健康な組織を食べてしまう可能性もある。だからそろそろ次の治療法に移りたいと思っていたんだよ。」


 先生の言い分は理解できる。だが私には頭に浮かんだことがあった。


「今まで使っていたスラティブがありますよね? しかしそれでは駄目だという事ですか?」


「駄目だとは言わないが、最良ではないと思っている。スラティブは創部の湿潤管理という形で治癒力を最大限に生かせる状況を作るものだけど、傷自体の治癒速度やそれを補助したり促したりするわけではない。あくまで補助的な役割しかしない物だ。対して侵食療法は『回復を阻害する原因物質を除去する治療』だった。邪魔な物を排除したら次は『回復を促す治療』を行う必要がある。君の目の前にあるスライムで行うのは、皮膚の回復を促進するための『治療』だよ。」


「治療、ですか。」


 目の前に置かれた水色のスライムの瓶を手にし、それをまじまじと見てから、クルス先生を見る。


「その治療の材料が、このスライムだと?」


 スライムの瓶を置き、クルス先生に問いかけると、彼は自慢げに笑みを浮かべた。


「その通り。確かにスラティブは火傷によく効いた。黒色化した部分の周囲に広がっていた火傷の部分はスラティブの効能もあって火傷でダメージを負った部分も新たな皮膚が形成されほぼ完治したと言っていい。しかしその部分の1度から2度の火傷……つまり火傷による損傷は表皮から真皮の部分で収まっていた。しかし3度の火傷は皮膚組織を越え、皮下組織まで熱傷の損傷している。炭化し壊疽した組織は侵食スライムのおかげで綺麗になくなったが、皮膚組織を根こそぎ失ってしまったわけだから、むき出しになった組織を守る皮膚の再生は追いつかない状態になっている。しかしそれでは常に君の言う『易感染状態』だ。そんな状態で日常生活など送れないだろう? ではどうするか……そう考えた時、皮膚に変わる何かを貼り付けて、皮膚の回復を促進させつつもしっかりと保護したいと思っていたんだ。」


 その説明には納得しながらも、私は問いかける。


「皮膚に変わる何かは、現在使用しているスラティブではいけないのですか?」


 そう。正直私は、筋肉や脂肪などの皮下組織がむき出しの部分に、スラティブを貼って皮膚が回復するのを待つものだと思っていた。


 その気持ちを素直に言うと、先生は私の目の前にある薄水色のスライムの瓶を手に取った。


「まぁ正直、それも考えたんだけどね……時間がかかりすぎるんだよねぇ。」


「時間がかかる?」


「そう。ここに来て彼の治療をしながら、スラティブによる火傷した皮膚の回復速度を計算したんだけど、凄く時間がかかりすぎるんだよねぇ。それと、これは治療中に気が付いたんだけど、食いつくされて皮膚組織が根こそぎ失われた部分からは皮膚は再生しないみたいなんだ。」


(それはそうよね? 臓器や皮膚の再生は、今あるその細胞が分裂を繰り返すことで初めてなされる事。逆を言えば皮膚細胞のないところからは、皮膚細胞は当然だけど増殖しない。だって細胞がないのだもの。)


 前世の知識を思い出しながら頷くと、クルス先生は困ったよねぇ、と腕を組み、首をあっちこっちにと傾けながら言う。


「つまりさ、健康な皮膚が残っている火傷周辺、つまり治ったばかりの火傷の部分から、ゆっくりと皮膚と肉が再生し、イメージとしては湖を淵から少しずつ新しい土で埋め立てるように、傷も、周りから少しずつ皮膚が再生していくのを待たなければいけなくなるって事だ。しかし皮膚の再生には時間がかかる。それこそ、スラティブがあっても半年以上はかかるだろう。その間、彼はずっとスラティブを毎日朝晩丁寧に張り替え、むき出しの皮膚が訴える痛みと戦うために鎮痛剤を毎日何度も飲み続ける必要があるってことだ。」


「それは確かにそうですが……。」


 先程思い出した通り、皮膚組織が取り除かれた、筋肉などがむき出しになった部分から、皮膚組織が突然復活して、むき出しの筋層を覆っていくことはない。だからこそ、前世では植皮という、自身の体の、火傷を負っていない別の部分(植皮の範囲で健康な皮膚を採取する部位は変わるが、お尻、大腿部などが多かったと思う)から正常な皮膚をはぎ取り、火傷した部分に移植をして皮膚の再生を促していたのだ。


 ちなみに何度も言うが、私は急性期や外科系に行ったことはないので、植皮が治療の選択肢に上がるような重症患者など見たことはない。せいぜい、湯たんぽやこたつなどで足の脛などを手のひら大の低温火傷した患者程度だから勘違いしている部分はあるかもしれないし、そのような患者は、持病と言われる常日頃から治療をしている基礎疾患もあったため、持病を持たない人よりも完全治癒までにかなりの時間がかかっていた。


 目の前の患者のように、健康で若く、そして魔法での熱傷、しかも範囲が胸部~腹部の半分という広範囲にわたる火傷を負った者の傷が完全治癒――つまり健康な皮膚が受傷した火傷の部分全てを新しい皮膚で覆いつくすまで、どのくらい時間がかかるかわからないのだ。


(高齢者の褥瘡ともまた違うし、本当にわからないのよね……あぁっ! 本当に居眠りなんかせずちゃんと勉強してほしかったわよ、前世の自分!)


 不真面目な自分を責めつつ、私はその治療をしなかった際に彼にどのようなデメリットがあるかを考える。


(完全治癒するまで間、ずっとここに入院しているというのはこちら側がよくても、本人に苦痛が大きすぎる。と、なると、彼は退院して、自宅か騎士団の兵舎暮らしに戻る事になる。……騎士団の仕事に従事しながら、日に1~2回医療院へ来てもらって、創部の洗浄とスラティブの交換は、精神的に負担になるかしら? それに、前胸部は腕を動かせばおのずと動く部分。仕事はおろか、日常生活の全てで、体を動かせば傷がむき出しの部分は引き攣れて痛いと思うわ……その間痛み止めを常用するしかないかしら? それに、創部が汚れた際、むき出しの肌は感染の可能性が高くなる……それに体温調節にはどのような影響があるかしら? そもそもどのような後遺症が残るかもわからない。……剣技の訓練は、上官からの魔法と剣での攻撃という心的外傷後ストレス障害の発症の可能性を考えると騎士団への仕事復帰は無理かもしれない……そうなると治療の間は彼の身は医療班預かりにするか……う~ん、これ以上預かる人数を増やせるか、他の隊長にも相談を……。)


 様々なことを考えて、私が腕を組んで首を傾げると、あははと軽快な笑い声が聞こえた。


「悩んでいるね、隊長。君は心配性で人がいいから、治療以外の、そうだな、彼自身の今後の生活なんか、いろいろ考えているんだろう?」


 その言葉に、私は苦笑を浮かべる。


「いい人かどうかは解りませんが、まぁ、そうですね。」


「では、彼の将来のため、そして隊長の気苦労を少しでも軽くするためにこの治療法を試してみないかい?」


 ことん、とクルス先生は手に持っていた水色のスライムの瓶を置いた。


「これは、数種類の薬草だけを取り込ませ体内に薬効を濃縮させた研究用、でしたか?」


「そう。そしてそれを今回改良したものが、こっち。」


 ニヤッと笑った先生は、私の目の前にもう一つ、同じ淡い水色のスライムが入った瓶を置いた。


「改良版?」


 元来のものと改良版、二つの瓶を手に取ってまじまじと見た後、私はクルス先生を見る。


 どちらも同じ色彩の水色のスライム。例の核は星型で、クルス先生の刻印が済んでいる証拠だ。透明で、プルンプルン。瓶の中で揺らすと、揺らした通りに体も揺れて、張り付いた瓶には透明な粘液が伝って落ちる。


(色調、濁り、核の大きさ、形、粘度、粘液の性状……どれも変わりないように見えるけれど……)


 瓶越しにクルス先生を見れば、にこにこと笑顔のままだ。


(う~ん、やっぱりわからない。これはお手上げだわ。)


 ふぅっと息をついた私は、瓶を置くとクルス先生を見た。


「先生。私にはこの二つの違いが判らないのですが、試作品とその改良版、何が違うのですか?」


 私がそう問うと、クルス先生はとても良い笑顔を浮かべ、二つの瓶を手に取った。


「そうか、ネオン隊長にもわからないか~。仕方がない、では教えてあげよう!」


「えぇ、是非お願いいたします。」


 嬉しそうな先生とのやり取りがちょっと面倒、などとは口にせず笑顔で頷くと、先生は胸のポケットから一つの袋を取り出した。


「まず、さっき言ったようにこのスライムには特定の種類の薬草……こいつには強い消炎効果を持つ『カーミツーレ草』を紅茶の様に加熱後発酵させた茶葉と保湿用の『植物油』、南国の硬い木の実からとれる『油脂』だけを常に与え続けたんだ。その結果、このスライムは身の内に薬効をしっかりと保有している。しかも、かなり高純度で濃縮させている。分泌される粘液までその薬効をもつ。これ自身が薬品だと言えるんだ。」


「消炎鎮痛効果があるという事ですか?」


 青い軟膏で消炎鎮痛と言えば、ここに来た時に欲しいと思った、前世の超有名な非ステロイド性の消炎鎮痛薬が頭に浮かぶ。


「なるほど。ではこのスライムは湿潤療法で使用しているスラティブが薬剤効果を持った改良版という事になりますね。確かに彼の治療には有益ですね。」


 消炎効果を持つだけで、苦痛はかなり緩和されるだろう。そう納得して頷いた私に、クルス先生はいたずらっ子のような笑顔で言った。


「やだなぁ。確かに消炎効果を持ってはいるけれど、それだけじゃスラティブと大差ない。治療速度もそこまでは上がらない。実はね、こいつには薬草などと一緒にこれを与え続けたんだ。」


 先生が先ほどから持っていた紙の包みを開くと、中からは濃い緑色をした粉状の何かが出てきた。


「先生、これは?」


「『浸食療法』で彼の治療に使われていたスライムの死骸だ。」


「スライムの死骸ですか?」


 言って、私ははっとした。


「先生、共食いさせていたのですか!?」


 吃驚して立ち上がってしまった私に、先生はまぁまぁ、と笑う。


「もともとスライムは共食いする生き物さ。地中の虫たちと同じく、食物連鎖の根底を担う魔物だからね。しかし問題はそこじゃない。先ほど言っただろう? 食べさせ続けた結果、高純度の消炎効果を持った。つまりその身に蓄積されたという事だ。そして、彼の腐肉を食べさせ続けたスライムは彼の皮膚組織を濃縮して持つに至り、それを食べたこの水色の改良版スライムは、同じく、消炎効果と共に、彼の皮膚組織を取り込み、自分の一部にしたという事なんだ。」


「……つまり?」


 問うた私に、クルス先生はにやりと笑った。


「元来スライムは怪我の回復速度を上げる効果を持っている。そこに消炎効能と健康な彼自身の皮膚組織を持つこれを張り付ければ……どうなるかな?」


「……もしかして、そのスライムのもつ皮膚組織が、損傷した部分の皮膚の回復の促進をするかもしれない、という事ですか?」


 私の答えに、そう! と、クルス先生は嬉しそうに頷いた。


「その通り! しかも彼自身の組織だから、生体同士が拒否反応を示すこともない。傷の炎症を鎮め、皮膚の回復を促進するうえ、元来の組織を失った部分ではその再生に役立つ可能性もある。どうだい!? まさに画期的なスライムだろう!?」


 ふふん! と鼻高々に笑うクルス先生だが、私はちょっと首をひねる。


(取り込んだのは壊死……つまり生体としては死んだ細胞よね? 果たしてそこから皮膚の再生は出来るのかしら? いえ、でももしスライムに取り込まれた壊死した皮膚片が、再生能力を持つスライムの中で変化していて皮膚細胞として定着できるのであれば、それは前世の植皮手術と同等とは言わないまでも、スラティブよりは効果はあるかもしれない……一日でも、半日でも早く回復するのならば……。)


 鎮痛薬の超投与、過剰摂取による消化器系へのダメージや、薬物中毒になる可能性を考えれば、浸食スライム療法もそうだが、やってみる価値はあるだろう。


(ちょっと人体実験っぽい気もするけれど、古来より、医療はそうして進歩し続けたわけだから、有害とわかれば即治療を中止するのを前提として承諾しましょう。説明と(インフォームド)同意(コンセント)がとれていないのは残念だけど、しょうがない。)


 それに……。


 ちらっとクルス先生を見る。


 治療経過や改良スライムの誕生、私の現場介入。全てのタイミングが合ったのはただの偶然かもしれないが、先生が大見得きって自慢するほど自信のある治療法を、医療隊の隊長である私に無許可で行う事をしなかったクルス先生の医師としての腕はやはり信頼に値する。


(劇画タッチのやり取りはちょっと面倒くさかったけど、許容範囲だわ。)


 納得した私は、目の前で私の許可を待っているクルス先生に頭を下げた。


「先生の言い分は了解いたしました。治療経過を今まで通りしっかり報告してくだされば、否やはありませんわ。今回も同じく、治療中にスライムが逃げてしまうようなこと、有害であると解ったら即中止することを前提に、改良版スラティブの医療院での治療を許可します。」


「もちろんだとも! さぁ、そうと決まれば早速、今からでも治療を開始しよう。ネオン隊長、処置の介助に入ってもらえるかな? 今までの経過報告も出来るからね。シルバー、アルジ。」


 治療許可が下りたクルス先生は、見たことがないくらい良い笑顔で頷くと、椅子から立ち上がり、記録ブースにいるアルジとシルバーに手を上げた。


「すぐに処置の用意をしてくれるかい?」


「準備万端、いつでも大丈夫です!」


「素晴らしいっ!」


 まるで歌劇の役者の様に軽やかなセリフ回しのクルス先生と、すでに洗浄用の湯や処置道具が乗った準備万端の包交車と共に登場したアルジとシルバーの笑顔に、私は一瞬目を見開き、とてつもないチームワークの良さと芝居がかったやり取りに、先ほどまでの鬱々とした気持ちが吹き飛び、つい噴き出してから、ふと首を傾げる。


(あれ? なにか先生が言っていた気がするけれど……)


「隊長、始めますよ。」


「今行くわ。」


(まぁ、後で思い出すでしょう。)


 少し引っ掛かりを覚えながらも、すぐに忘れて私は処置を行うため、クルス先生とアルジ、シルバーと共に、患者の元へ向かったのだった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

誤字脱字報告も、本当にありがとうございます(気を付けているのですが、本当にすみません!)


作者のやる気の源になりますので、いいね、評価、ブックマーク等していただけると大変に嬉しいです!

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