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106・医療棟

「やぁ、ネオン隊長。その服(スクラブ)を着ているなんて珍しいね。」


 スクラブを着て階段を下り、治療棟・診察ブースに近づいた私にいち早く気付き声をかけてくれたのは、相変わらず飄々とした笑顔と口調の、しかしいつもの黒衣ではなく、医療隊メンバーと同じ紺のスクラブの上に、医師とひとめで分かるよう用意した騎士団の紋章の入った白衣を纏ったクルス先生だった。


「本当ですわ、クルス先生。裁縫士の方が頑張って作ってくださった最高のスクラブですのに、しばらく身につけられなかった為か、一瞬、着方を忘れていました。情けない限りですわ。ですがやはりこの格好が一番落ち着きます。」


 笑顔で答えると、クルス先生は面白そうにウインクして見せる。


「それは重畳。僕も君にはそれが一番似合うと思うよ。」


「まぁ、お上手ですこと。」


 そんな他愛ない会話が聞こえたのか、ナースステーションで記録を書いていたアルジとシルバーが、普段向けてくれるよりも圧倒的に明るい、それはそれは満面の笑みを浮かべて立ち上がった。


「隊長、お疲れ様です! いいですね! やはり隊服よりスクラブの方がお似合いです!」


 シルバーの言葉に、うんうんと頷くアルジ。


「隊服を着たお姿も素敵ですが、やはりスクラブが一番お似合いですねっ。」


(ノリが体育会系……というか、掛け声がボディビル大会で先輩にかける声援に似てるのよね……それにアルジもすっかり染まっちゃって。)


 一般的な女性なら、贅を尽くしたドレスより簡素な仕事着が一番似合うといわれるようなもので、正直喜べないのかもしれない。が、私にはそれがしっくりとくるし、嬉しいとも思える。


(つまり、私もすっかり染まってるって事ね。)


 つい噴き出しそうになるのをこらえながら2人に声をかける。


「ありがとう、自分でもそう思うわ。やはり仕事着は身も心も引き締まっていいわね。」


「当たり前です!」


「医療隊だけの、自慢の隊服ですからね!」


 私の言葉にうんうんと頷きながらスクラブを着た胸をドンッ! と叩くシルバーとアルジに、堪えきれず笑ってしまった。


「あ、笑うところじゃないですよ?」


「そうそう、本気で言っているんですから!」


 噴き出した私にそう言う二人に、うんうん、と頷く。


「そうね、ごめんなさい。ところで、例の火傷の患者の今日の処置はもう終わった?」


 私が仕事着を着て降りてきた要件を口にすると、シルバーがいいえと首を振った。


「隊長が下りてこられるちょっと前にクルス先生がいらっしゃったので、これから2回目の処置をするところです。その前に午前中の分のカルテ記載を……」


「そう、僕は彼らの記録が終わるのを待っていたってわけさ。」


 にこにこと笑いながらうんうんと頷くクルス先生と、そんな先生にお待たせして申し訳ありませんと頭を下げている2人。そんな彼らに私も笑った。


「そう、ではちょうど良いタイミングだったのね。」


「そうだね。さて、ネオン隊長。君が最後に彼の傷の状況を見たのはいつ?」


 尋ねてきたクルス先生に、私は少し思案をし、答える。


「彼の治療法が、スラティブによる湿潤療法からスライムによる壊疽部分の侵食療法に変わる前です。忙しくてなかなか処置のタイミングに間に合わなかったものですから。ですが、先生の治療録とカルテは拝見していました。かなり良い成果が出ているようですね、先生。」


 その言葉に、ぱっと解りやすく顔を明るくしたクルス先生は、実はね、と、にこにこと笑いながら私をテーブルに招いた。


 なにかしら? と思いつつ、それに応じて座った私の前に、彼は白衣の腰についたポケットから、明らかにそこから出て来る大きさと数ではない、大きな硝子瓶を3つ置いた。


「先生、これは?」


 中で揺れているのは、一見すれば淡い桃色、淡い水色、淡い黄色の粘度の高い液体のようだったが、その中央に不思議な文字の刻まれた星形の異物を見つけた私は、それが何なのか理解し、しかし念のために先生へ確認をする。


「もしかして、改良されたスライムですか?」


「そう! 一見してわかるとは流石だね。それで隊長。君は僕がそれぞれ研究しやすいように、スラティブ用のスライムは緑、汚水汚物の浄化槽やたい肥育成箱用のスライムは黒と色分けしているのは知っているね。」


「えぇ、それは以前お伺いしましたので……と、言う事はこれらも?」


 私の問いに、クルス先生は頷いた。


「右から、現在使用中の壊疽浸食治療用、数種類の薬草だけを取り込ませ体内に薬効を濃縮させた研究用、そして食用に改造中のスライムだ。」


(ん?)


「あの、食用とは?」


 説明の中に聞き捨てならない言葉に突っ込みを入れた私に、クルス先生は笑う。


「あぁ。今までスライムって食べられたことがないんだよ。まぁ、最弱の魔物とはいえ、あれだけなんでも食べる貪欲さと、強い消化機能、硬い歯があるから敬遠されるのも仕方がないのかもしれないけど……」


 返ってきた返答に、私はさらに首を傾げる。


「え? 歯?」


「うん、ほら。」


 クルス先生は一つの瓶を私の手に乗せてくれた。


「核の下にうっすら白い筋が見えるだろう? それが歯なんだ。スライムは獲物を己の体で包み込んで消化液を出して溶かしながら食すんだけど、それは肉や皮だけでね。骨などの溶けにくい部分は、溶かすと同時に歯で擦り潰しながら取り込むんだよ。賢いよねぇ、獲物を栄養として余すことなく美味しく頂くための根性! 見事な進化だよね! だから僕はスライムが大好きなんだよ。あ、ちなみに牙や前歯はなくて臼歯……人間の奥歯みたいな歯が上下に並んでるんだ。」


「は、はぁ……?」


(先生のスライムへの愛は解ったとして……これは誰得情報なのかしら?)


 なんて思いながら、渡された瓶を持ち上げて、目を細めながら、様々な角度から見てみる。うん、確かに核の下になんとなく白い線が……いや、見えない。


 歯よりも気になる事があった私は、スライムの入った瓶を置いてクルス先生を見た。


「それにしても先生? 浄化槽用や堆肥育成箱のスライムは自己を持たないように核を抜いてありましたよね? しかしこれらには核があります。それも普通のスライムの様に球体ではなく、星形です。それは何故ですか?」


「いい質問だね。」


 私の問いに、クルス先生は頷いた。


「核の有無に関しては、自我があった方が指示が入りやすくて、実験効率がいいからなんだ。核の形に関しては、核に刻印を入れると何故か形が変るんだよね。それはスライムに限らず、核を持つ魔物や生き物全てなんだ。へんな習性だよね。そして、僕の場合は大体その形に変化するんだ。」


 その話を頷きながら聞き、不思議に思った事を聞く。


「核に刻印を入れるのは隷属とするためですか? それに、浄化水槽などの核を抜いたスライムの場合にはどのような扱いに?」


「隷属という表現はとても的確だ。まさにその通り。浄化水槽のスライムたちも一度核に刻印を入れ、その後核を抜いているから同じだ。ただし少々()()()()()()()()()かもね。ちなみに刻印する紋章は、肉眼では判別不可能だが、個人の魔法の指紋のようなもので一つ一つ違うんだ。見た目は小さな点でも、その紋の術式を展開すれば実際には人一人が丸々入る大きさの魔法陣となる。」


「刻印は、言う事を聞かせるため、という事ですね。」


「そうだね。魔術師が魔物や人造物の使役・管理をするためには、対象に絶えず極微量に魔力を流し続ける必要がある。その回路の窓口の役割を紋章が担っているのが刻印なんだ。魔法陣は個人によって変わるから、それを解析すればその人造物や魔術、魔道具を誰がどのような素材で、どのような過程を踏んで作ったかまでわかる。だから安易に自分の作った魔道具や人造物を人手に渡すことは絶対に勧めない。僕は他者の手に渡った瞬間、器ごと崩れ落ちるように術式を組み込んでいるよ。」


「かなり徹底されているのですね。」


(正直、クルス先生の事だからもっと適当な扱いをしていると思っていたわ。)


 そんな風に思った私に、クルス先生はいつもとは違う真剣なまなざしを見せる。


「もちろんだとも。成功や失敗、研鑽を重ねて生み出した英知は個人の財産だからね。大切に守り、守られるのが筋だろう。各階級に合わせて公開されている基本の魔道書に載っている、皆に公開された古代の英知であるならば研鑽の足掛かりとして使う事を許されているものだから基礎としても良いだろう。だが、個人が構築した魔道具や魔術を本人の許可なく盗用や改ざん、悪用し、他者の努力や功績を横からかすめ取り、さも自分の物の様にひけらかすのは、自己満足と顕示欲を満たすだけで、自己研鑽を貴ぶ魔術師としても、一人の人間としても最低で下劣な行為だと思っているよ。」


 その冷たい眼差しに、背すじに冷たいものが一瞬流れたような気がしたが、次の瞬間には、スライムの入った瓶を手にし、にこにこといつもの笑顔を浮かべ、それから、そうだ! と私の方を見た。


「君の部屋にいる鵲。あれも魔術による人造物だったね。ぱっと見、解らないけれど、あれにも作成者である魔術師隊の隊長の刻印がある。鵲の見た物、聞いたこと、もしかしたらすべて、彼も見ているかもしれないよ?」


 その言葉に、私は目を丸くして二階へ上がる階段に視線を移した。


「まさか……。」


 そんな私の反応を見たクルス先生は、あははと笑った。


「本気にしたかい? いや冗談だよ。君に初めてあれを見せてもらった時にちゃんと確認してある。あの鵲は本当に手紙係の役割しか与えられていないし、彼の隊長もそんなことをするような人物ではないよ。だが、今後は気軽に魔術で作ったものを受け取る事に注意するべきだね。」


「……はい。」


 その言葉に胸を手にやり、ほっとした私にクルス先生は、目の前にある桃色のスライムをちゃぷちゃぷと揺らしながら私を見る。


「けれどネオン隊長。君はそろそろちゃんと魔術が何たるかをしっかり学んだほうがいい。何か最近変わったことはないかい?」


「変わった事、ですか?」


(変わった事って、何かあったかしら?)


 先ほどまで頭を悩ましていること以外、何も浮かぶことはないし、変わったこともないように思うが……と首を傾げた私に、クルス先生はやや困ったような顔をした。


「なるほど、無自覚か。これは……困ったな。」


「……え? 何か仰いましたか?」


 小さな言葉は、はっきりと聞こえず、私は先生に聞き返す。


「いや。」


 顎をしゃくって、クルス先生は首を振る。


「トラスル君とセトグス君に言って、明日から魔術の授業を入れよう。」


 その提案には、私は首を振った。


「いえ、大丈夫ですわ。ご存じの通り、規定された魔術の授業は受けておりますもの。」


 アルジと共に、騎士の剣術訓練の代わりに週に2回、おおよそ2時間ずつ、防御や補助魔術を習っている。それを告げるとクルス先生は腕を組んでため息をついた。


「それは基本の魔法の使い方や魔術の構築の仕方……市井の魔力もちの者が習う『基礎生活魔法』や、貴族学院で習う『魔術学』『魔術防衛』の中でも基礎の基礎だろう? そうじゃなくて魔術と魔術師の根本たる話の事だよ。」


「魔術の根本、ですか?」


 いつもの表情なのに、少し緊迫感すら感じる含を感じる言い方に、先程の聞き取れなかった発言や表情の事もあり、不安になってクルス先生を見た。


「あの、それは、一体……。」


「いや、申し訳ない。」


 問いかける前に、いつもの軽い笑顔に戻ってしまったクルス先生は、腕を組んで、体ごと大袈裟に首を傾げた。


「随分と話がそれてしまったな。何の話をしていたっけ……あぁ、そうだ。火傷の患者に対してのスライムによる侵食療法の事だったよね。」


「えぇ、はい。ですが……」


 頷き、けれど先ほどの言葉の真意を聞くために問いかけようとした私に、クルス先生は水色のスライムの入った瓶をはい、と私に手渡した。


「じゃあ、隊長。僕が考案した新しい治療法を聞いてくれるかい?」


 にっこり。


 これ以外の事を聞くことは許されないと言い聞かせるような微笑みに、私は頷くことしかできなかった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

作者のやる気、元気、気合の素になりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると大変に嬉しいです! よろしくお願いいたします~!

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― 新着の感想 ―
ネオンの存在もこの世界の人たちから見たら唯一無二かもしれないけど、クルス先生も唯一無二だよなあ 適度に良識があって適度にマッドなの本当すき そしてクルス先生とネオンを結んだマイシン先生の人柄といい、ア…
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