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95・貴族の仕事と騎士団の仕事。

「これは……完璧ね!」


 私の満足げな声に、看護班、医療班のメンバーも嬉しそうに頷いてくれた。


 本日、医療院の改装や追加工事も全て終わり、無事運用開始となったのである。


 L字型に広くなった医療院は、今まで使っていた旧棟を『治療棟』と名付け、受付と診察室、重症患者管理病棟とし、新棟は『回復リハビリ棟』と名付け、急性期を脱し、日常生活に戻るためのリハビリを行う場所として、現在入院中の該当患者4人を移動させたのだ。


 回復棟は、全体的に治療棟よりやや広くゆったりと作られている。


 大まかな物の配置は医療棟と同じ。 左右にベッドスペースがあり、中央スペースの端の方にナースステーションのブースがあるのだが、医療棟と大きな違いは、ナースステーション以外の中央の大部分を『リハビリスペース』にしたところだ。


 思い出せる限りの知識の中で、『素人よりは詳しいけど、専門家ではない看護師の、広く浅~い知識』を活用し、『浅い知識で患者の健康を害することがない範囲の日常生活リハビリ』を行うべく、かなり簡単なリハビリ設備を用意した。


 5メートルほどの距離の歩行訓練用平行棒、左右に3段程度の階段と真ん中に小スペースのある階段歩行訓練機、天井に滑車を付け縄跳びのロープのようなものを付けた上肢滑車リハビリ機などがそれで、これらは鍛冶場の親方&木工製品を作れる職人へお願いし、頑丈に作ってもらった自信作だ。


 加えて、この世界で平均的な身長の男性が深く座ると足の裏がちゃんと付く高さの、キングサイズのベッドを二つつなげた広さの、少しクッション性を持った天板を付けたリハビリ台も作ってもらった。


 これは、リハビリ棟で本格的な機能回復訓練を始める前後に、この台の上でまずは準備運動として、長い間病床についていたために硬くなってしまった筋肉をしっかりと柔軟体操で柔らかくしてもらうための台。 寝具の上では柔らかすぎ、地面の上では硬すぎるし不衛生なため、何人乗っても軋んだりたわんだりしないよう、さらに頑丈に作ってもらった自慢の品。


(私も動画配信サイトの寝る前ストレッチくらいしかしていなかったけれど、やらないよりは役に立つもの。そうだ、医療棟で前世の国民的ラ〇オ体操を取り入れてみようかしら? みんなで始業前にやったら、体にもいいと思うわ? 2番までならなんとなく覚えているから、伴奏をどうするか考えましょう。)


 うんうん、と頷きながら、私は看護班の皆にリハビリ用具の使用方法を説明していく。


 時に、救護班のメンバーに患者役になってもらいながら、平行棒の使い方など教えると、みんな、これは画期的だとびっくりして『流石隊長です!』と、私の事を手放しで褒め称えてくれた。


(ありがとう、リハビリの先生。 異世界とはいえ知識を横取りしてごめんなさい。)


 と思いながら、せっかく作った回復リハビリ病棟。皆に設備はしっかり有効活用してほしいとお願いし、以前決定していた通り、医療院の総合班長としてラミノー、医療棟の看護主任をアルジ、リハビリ棟の看護主任をエンゼとしてメンバーを割り振って、各病棟別の業務を明文化した。


 医療棟は『生命を脅かす病気や怪我を負う者に対し、患者が苦痛なく治療が受けられるように安心安全安楽に療養できる環境を保たれた』場所。


 リハビリ棟は『社会生活に戻るにあたり、患者が受傷前と同様とは言わないまでも、それに似た日常生活に戻るために訓練する場所』である。


 なので、回復リハビリ棟に移動した患者は、今までベッドの上で上げ膳据え膳だった食事も、中央に用意したテーブルで皆で食べてもらい、入浴もベッドの上での清拭ではなく、備え付けてもらった簡易入浴設備を使用してもらうことになる(お手洗いも同様で、看護班はもちろん、必要に応じて介助を行う)。


 そうやって、徐々に退院後の生活を視野に、自分に残された機能を最大限生かしながら、日常生活動作でできることを徐々に増やして、自宅に帰ってもらうよう援助をするのがリハビリの目標だ。(多分そうだったはず……私は作業療法士でも理学療法士でもないから明確には断言できないけど、うちではそう!。)


 そしてもう一つ。


「練習用の木剣、こんなに重たかったんだな。」


 中庭では、片腕を失った患者が、過去に訓練で使用していた木剣を持ち、びっくりしたように声を上げた。


 白くなるほどに強く剣を握る手がフルフルと震えているのは、腕だけでなく、全身の筋力が低下しているからだろう。


「皆、焦る事はない。 それに、以前と同じ武器を使おうと思うな。 現在の己の力に合わせ、武器を変えていいんだ。 それから、刀身をしっかりと支えるために、握る場所も変えるといいな。」


 剣を握る患者にそう助言してくださっているのは、5番隊隊長イロン様だ。


 定期的な菓子の購入を手配したお礼に、何か医療班の役に立つことがしたいと言ってくださった言葉に甘える形で、週に二回ほどリハビリ棟へ、辺境伯騎士団所属の騎士の義務である剣技訓練の出張に来てくださることになった。


 今日は初回という事で、イロン隊長が直々にこちらへ来てくださり、片手で、両手で剣をふるう患者と医療院のメンバーの訓練を見てくださっている。


 この出張剣技訓練の開始に合わせ、私は医療班の人員配置を少しだけ変えた。


 もともとは、エンゼを医療棟主任、アルジを回復棟主任にと思っていた。 しかし、騎士剣技訓練を日常業務として行う義務のあるエンゼを回復棟の主任としたのだ。(ちなみに物理的に力の弱いアルジと私は、魔道具を使った防御魔法の発動訓練を、騎士団の訓練義務として受けている。)


 しかし、こうしてみていると、患者はやはり騎士であるからか、剣を使う訓練に、顔はいつもよりさらに真剣となり、困ったことに無理をしがちになる傾向にある。


「皆様、まだ退院前なのですから、練習をやり過ぎないように、無理のない範囲でお願いいたします。それから、合間合間にしっかり水分補給もしてくださいね。」


「「「はいっ!」」」


 廃材で作ってもらった屋外用のテーブルに水分補給用のハーブ水と人数分のカップを用意し、訓練中の皆様にそう声をかけると、リハビリ棟をエンゼに任せ、私は医療棟に向かった。





 医療棟では、すでにクルス先生が例の重傷患者の診察をしており、ラミノーとアルジが介助についていた。


 そのため、私はそっと足りなさそうなものだけを用意すると、邪魔にならないようにナースステーションに入り、診察室の片づけを行ってから、昨夜の看護日誌と管理日誌に目を通すために椅子に座って表紙を開いた。


 ぱらり、ぱらりと捲っていると、隣に人影が現れた。


「クルス先生。 診察は終わられましたか?」


「あぁ、回復は良くないね。 彼は時間がかかりそうだ。 ネオン隊長は、回復棟の確認は終わったのかい?」


「はい。 そちらについては後で先生にリハビリについて助言頂きたいのですが……彼は、良くないのですか?」


「力になれる事なら何でも。 で、彼についてなんだが、僕からネオン隊長に、彼の治療について一つ、提案があるんだけど?」


「はい? 提案、ですか?」


 テーブルをはさんだ反対側に座り、ハーブ水を飲みながらこっちを見てにっこり笑ったクルス先生に、私は首をかしげる。


「私は基本的に、非人道的な実験でなければ、先生の治療方針を肯定的に受け止めておりますが……改めて提案とは、なにか新しい治療法をお考えなのですか?」


 それには素直に、うん、と頷いたクルス先生。


「ネオン隊長はさ、患者を治療するにあたって、腐肉だけ食べるスライムを使用することをどう思う?」


 なるほど、新しい治療法の実験をしたいようだ。 だがその対象が医療院(ここ)の患者だから、行動を起こす前にここの責任者である私に確認を取っておきたかったのだろう。


(それにしても、腐肉を食べるスライムか……。)


 クルス先生に対し、私は頷いた。


「治療に使えるというのであれば、もちろん興味はあります。もしかして先生、そのようなスライムの開発に成功なさったのですか? それで彼の治療に使いたい、と?」


「さすが話が早い! 実はこのスライム、別の研究していて偶然出来たんだけど、不思議なことに腐った部分の肉しか食べないんだ。そこで彼の治療にその習性を使ってみようかなって思いついたんだ。あの傷を外科的に取り除く処置をしてもいいんだけど、そうするとあの広範囲だろう? 何回にも区分けをして切除治療と回復待機を繰り返すことになる。そうするとそもそも疲弊した彼にかなりの負担をかけるし、かなり時間がかかると悩んでいたんだ。 そんな時このスライムが出来てね。あの焼けて壊死した部分をスライムに食わせたら早いんじゃないかと思ったんだよ。 そのスライムは壊疽した組織しか食べないし、侵食速度もそんなに早くない。 彼自身の負担も少ないと思うんだ。」


 と、思いつくままに捲し立てるようにそう言いながら、にこにこと笑うクルス先生の話を聞いていた私は、その話に既視感を感じ、首をひねった。


(……前世にも壊疽下部分だけを生物に食べさせるっていう治療法があった様な……たしかウジ虫を使って……そうだ、マゴット療法っ!)


 ぽん、と、頭の中で手を打つ。


 私の脳内の、前世の知識の中のなけなしの看護知識。広く浅く無理なくのんびり仕事をしていたおかげで、その知識は素人に毛が生えた程度にしかないが、その中でちょこっとだけ力を入れて勉強させられていた、とある慢性疾患の合併症を勉強しているときに出て来た治療法を思い出した。


 その治療は保険のきかない自由診療のために高額なうえ、使用する虫の管理が難しいために、少数の医療機関でしか行っていなかった。 しかしテレビの特集か何かで流れたこともあり、一般の人でも一度は聞いたことがある有名な治療法だった。


(たしか難治性の壊疽……例えば、深部静脈血栓症や、糖尿病性壊疽、難治性潰瘍、褥瘡に、マゴット――いわゆるウジ虫さんを1平方cmあたり5~6匹を放ち、もぐもぐとその悪い部分だけを食べさせるんだったっけ。で、それをスライムでやりたい、と。)


 ふむ、と考える。 


「先生。 良い組織や器官まで食べないとおっしゃいましたが、スライム特有の消化酵素で溶かしてしまう、なんてことはないのですか?」


 それには、うんうん、と嬉しそうに笑う。


「事前に実験したけど、壊疽した部分だけ無くなっていたから大丈夫だよ。」


 それは一体何で研究なさったのですか? と聞けないくらいのいい笑顔(・・・・)で言ってのけたクルス先生に、私は問う。


「その後の傷の治りはいかがでしたか?」


「実験体が生体じゃなかったからこう、とはっきり言えないのが現状だ。けれど現状の壊疽した部分を消毒を繰り返すだけよりは、不要部分を綺麗に取り除いてスラティブを貼った方が、正常な組織の育成のためにもいいし、回復速度も上がるだろうね。それに、そもそも傷が胸の部分だろう? 以前の大腿部の手術の様に悪い部分だけ抉るように取り除くために健康な筋組織を傷つけてしまうというよりは、患者のためにもいいと思うんだ。良い組織の部分は極力残したいよね。」


(いや、だから本当に、何で実験なさったんですか……?)


 と考えながら、昔見たマゴット療法の映像を思い出す。


 マゴット治療は、なんというかもう、それは見栄えが大変悪かった。あの治療法のデメリットはずばり、イメージが気持ち悪い&虫さんが逃げ出す可能性がある(のと、多少の痛みを伴う)だろう。


 その点スライムであれば……と考えて、はたと首をかしげて訊ねる。


「先生。そのスライムは生きているんですよね? 逃げたりしないのですか?」


「魅了してあるからたぶん大丈夫。」


 けろっとそう言ったクルス先生だが、私はうう~ん、と首をひねった。


「多分じゃ困ります……あと、先生。その魅了というものは、どうやって使っていらっしゃるんです?」


「う~ん、それは聞かないほうがいいよ。ほら、思い出してごらん? 属性の話、とか。」


 私たちにしか聞こえないような小さな声でそう言った先生に少しだけ眉間を寄せてしまう。


 クルス先生の医者としての腕や、柔軟な思考や咄嗟の判断はかなり信用しているが、全面的に信頼がおけないのはこういう部分(・・・・・・)だ。


 今までの話から、先生の属性が私と真逆の属性であると推測をする。


 闇属性の私は、血統を国家に囲われていてもおかしくないと、魔術師団長であるトラスル隊長とセトグス隊長は言い切った。では、その反対の属性を持つと思われる目の前の人は、本当はどんな身分の人なのだろう。 そして今は『騎士への献身』ではなく『自己の研究』のために騎士団に身を置いてくれている、が、過去、ひらひらとつかみどころなく生きて来たらしい彼をどこまで信じ、話をしていいのかと悩む。


(クルス先生を手のうちに抱え込むには、謎が大きすぎたわ……。マイシン先生の師匠だからとその場で即決してしまったけれど、もう少し慎重になる必要があった……でも医師としての腕は確かなのよっ! 特にこういう治療法を見つけだしてくるところ! そして無断で始めず、ちゃんと考えを聞いて、許可を求めてくるところ!)


 自分の浅はかな行動への少しの反省と、それ以上にあるクルス医師への医師としての信頼度の高さ。


 それに頭を悩ませながら、目の前でにこにこと笑顔を浮かべてこちらの反応を伺っているクルス先生を見た私は、信頼する医師としてのクルス先生に、隊長として頷いた。


「解りました。医療院――私と契約していただく際に、先生の研究にも協力するとお約束いたしましたし、彼の傷がこのままではいけない事、しかし外科的治療が難しいのもわかっております。先生が良きようになさってくださいませ。あぁ、でも、スライムが逃げないような対策をしっかり立ててからにしてくださいね。」


「なるほど、じゃあ、スライムの逃走防止対策をしっかりと考えてから、治療開始しよう。もちろん君に事前に許可をもらってからにするし、治療経過もちゃんと報告するから安心していいよ。……それよりも、君はまだ顔色が悪いなぁ。若いからって無理は厳禁だよ? また病床に戻りたくはないだろう?」


 席を立ったクルス先生は、私の横を通り過ぎるときにそっと、肩を触れた。


「だって君は――。」


 耳をかすめた言葉に、ジリっとした痛みの様な衝撃を感じ、私は大きく振り返った。


 こちらを振り向くことなく手をひらひらとさせながら階段の方へ向かっていくクルス先生の背中を、私は凝視する。


「隊長、どうかなさいましたか?」


「……いいえ、何でもないわ。」


 処置と後始末が終わり、ナースステーションに戻って来たラミノーに私は首を振ってこたえると、姿勢を正しながら手に持っていた看護日誌に目を向けるようにして、クルス先生の声を聴いた自分の耳に触れた。


 ――君はこの時期、良く体調を崩して彼に心配をかけていただろう? 注意しなよ。


 外を見れば、日差しは強い。


 辺境伯家に来て7か月。 季節は巡ってすでに夏だ。


 たしかに夏から秋にかけて、いつも体調を崩していた。気候のせいだろうか、この時期には月に一度は、熱を出して寝こんでしまう。


 しかし、ここにはそれを知るものは一人もいないはず。


(なぜ、クルス先生はそれを知っているの……? それに彼、とは?)


 何とも言えない重い塊を胸に感じて、耳に触れていた手を何かがつかえたように感じる喉元にそっと当てた。

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― 新着の感想 ―
クルス先生、好きだなあ 医者として、人間としての良識はありつつ、ちゃんとマッドなところ。転生者/転移者疑惑を置いておいても魅力的なキャラだと思います。
クルス先生、猫猫とウマが合いそう
戦場等でウジを傷口に這わせて腐肉だけを食べさせ回復を速める治療があり…というショート動画を一昨日あたりにちょうどみたとこでした 視覚的にはスライムの方がメンタルに優しそう…とんスキのスイちゃんみたいな…
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