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93・公私混同と、茶会の招待状

 シンプルながらも重厚な家具で設えられた、初めて足を踏み入れた立派な騎士団長室。


 私は今、何の因果か超仏頂面の旦那様の目の前に座らされ、顔色の悪い旦那様付きの補佐官殿が入れてくださったお茶を、震える手で差し出されました、あぁ、なんてこったい。


 なんて感情をテ・トーラ公爵夫人(くそばばぁ)仕込みの淑女の鉄仮面にねじりこみながら、目の前に出されたティーカップを手にしたわたしは、カップの中の紅茶を見て嫌な予感がした。


 カップの中で揺れる紅茶の色合いが、信じられないくらいとても濃い気がしているのだ。


(なんで紅茶色飛び越えて焦げ茶色になっているのだけれども、これはこういう茶葉なのかしら……?)


 そう思いながらも、入れてくれた補佐官に礼を言い、ゆっくりと口に含む。


(うっ……っ! ものすごく、不味い!)


 思わず噴き出さなかったのを褒めてほしい。


 あまりのまずさに震えつつ、所作に気を付けながら、紅茶にミルクとお砂糖をぶち込み、何とか飲めるようにした私は、そっと補佐官がお茶を用意するために使用したサービングカートのトレイの上をちらりと見て、その不味さに納得をした。


 茶葉が悪いのではない。使用されたのはどうやら辺境伯家で使用されているものと同じ、とても美味しい私のお気に入りの茶葉だ。 ではその茶葉で、どうやってこんなに不味く淹れたのか……は、その隣に立つ補佐官殿を見れば一目瞭然だった。


 彼の視線は旦那様の顔に向けられていて、青い顔をして小さく震えていて、そんな視線を向けられている旦那様は、私の方を睨むように見る、超のつくほど仏頂面しかも不機嫌オーラ全開なのだ。


(なるほど。旦那様のお顔の威圧が怖すぎて茶葉の量とお茶の蒸らし時間を間違えたのね。茶葉も補佐官殿もなんて可哀想なのかしら……。)


 やれやれと溜息をつきながら、私はミルクと砂糖たっぷりの紅茶が半分ほど残ったティーカップを置き、目の前の旦那様に目を向けた。


 先ほどから変わらず仏頂面のまま紅茶を口にし、その味に気が付いたようで、眉間に皺をさらに深く刻んでいる。


(お茶の入れ直しでも命じるのかしら? 自分のせいなのに……仕方ない。そうなったら私が代わりに入れましょう。)


 内心溜息をつきながら様子をうかがっていると、旦那様はティーカップを置いて補佐官をじろりと見た。


「……ベータ、彼女と話があるから、しばらく席を外してくれ。」


 旦那様の言葉に、補佐官(ベータさん、というらしい)は、少しホッとした表情をし、旦那様と私にしっかり腰を折った。


「は、はい。何かありましたらお呼びください、失礼いたします。」


「あぁ。」


 しかし、そのやり取りにぎょっとしたのは私だ。


(え? 密室で二人きりになるつもりなの!? いやいや、そうはさせないわよ。)


 心底安堵した顔で補佐官を送り出そうとした旦那様をよそに、私は微笑みながらしれっと口を開いた。


「ベータ補佐官殿。 そちらの扉、開けたままで出て行ってくださいませ。」


「はい……え? はい?」


 顔を上げ、扉を閉めようとした補佐官がびっくりして私と旦那様を見る。


「いや、閉めて行ってくれていい。」


 難しい顔のまま、出て行け、とばかりに手を払った旦那様に、私は静かに首を振る。


「開けたまま行ってくださって結構よ。旦那様、補佐官殿を困らせてはいけません。ここは旦那様の神聖なる職場であり騎士団の本部、しかも旦那様の執務室です。ここでは旦那様と私は、夫婦ではなく騎士団長である上司と、十番隊隊長である部下としての関係であり、現在私は部下として()()()()()呼ばれのです。夫婦とはいえ、勤務中、それなのに二人密室の中にいては、公私混同ととも思われかねませんわ。そもそも私が隊長となるまで、女性が騎士団内の砦に入ることは厳しく管理されていたのですわよね? 夫婦とはいえ密室に男女がいるという事で、若い騎士たちにあらぬ妄想を想像させるような事があっては騎士団の士気も落ちます。それでは他の者に示しが付きませんでしょう? ですから補佐官殿、扉は開けたままで結構ですわ。」


「……そうだな、開けたまま出て行ってくれ……。」


「かしこまりました!」


 そう言って完璧な笑顔でにっこりと微笑めば、ぐうの音も出なかったのか、思い切り私を睨みつけながらも同意した旦那様。そんな様子に補佐官は少々ほっとしたような笑顔を浮かべると、再び腰を折って、しっかり扉を全開にして出て行ってくれた。


(あーよかった。)


 心底ほっとしながら、ティーカップを取ると渋くて甘いお茶を飲む。 喉を潤し前を見れば、先ほどよりもさらに眉間に皺を刻んだ旦那様が睨みつけるような目でこちらを見ている。


(はぁ……本当に本当にめんどくさい。)


 ティーカップを置き、ひとつ、咳払いした私はにこやかに微笑んだ。


「それで団長。()()()()まで出して私にお話とは、一体何でございましょうか?」


「……。」


 無言のままお茶を飲む旦那様の眉間には、しっかりと深い縦皺がさらに刻まれ、その上で旦那様の口から飛び出したのは耳を疑う言葉だった。


「……君と、二人で改めて話がしたかった。」


(だから、職場です。)


 ため息をつきそうになるのをぐっとこらえながら、私は微笑む。


「えぇ、どうぞ。 今、お伺いしますわ。」


 にっこりと笑って、私は旦那様を真正面から見据える。


()()()()()()()()()()()()でしたら、いくらでもお答えいたしますわ。」


 私の言葉にさらにさらに眉間の皺を深くした旦那様は、手に持っていたティーカップを置いて、深く、深~くため息をついて私を見た。


「そうではなく、君と、きちんと話がしたいと言っている。」


「えぇ、私もそのつもりですわ。()()()()()()()()()()()で私をお呼びになられたのですもの。第10番隊医療隊隊長として、真摯にお伺いし、お答えを返すつもりです。」


「それは、そうではなく……」


 ぐっと言葉に詰まった旦那様は、一度項垂れ、顔を上げて乞うような目で私を見る。


「……騎士団の事ではなく、辺境伯夫人としての君と話をしたいんだ。」


(は~……ここでそんな話をするなんて、完全にアウトなんだけど、解っているのかしら?)


 彼が言わんとすることが解り、なんだか物凄く一気に疲れた気がするが、そこは淑女としてこらえて答える。


「あら、旦那様。私、辺境伯夫人として努めるべきお役目は果たしているつもりでしたが……何かおろそかにしておりましたでしょうか?」


 微笑んだ私は、ひとつ、ふたつ、と、指折りに数えながら確認していく。


「どのお仕事になりますでしょうか? ここは辺境ですので、まだ公の夜会や社交などは行っておりませんが、前辺境伯夫人の慈善事業を引き継ぎ、修道院と併設の孤児院の環境改善はバザーなども継続的に行えるよう道筋を立てて行っておりますし、医療院も継続して進めておりますわ。それから、領地に関してですが、スライムから作られた肥料による領地の農耕改革も順調に進んでおります。もちろんその原料でもあるスライムトイレを含め、公衆衛生問題にも務めておりますわ。基本であるうがい手洗いの推奨も、学校を作ったことで、学校から各家庭へと少しずつ広まっているようです。識字率の問題につきましては、夜の週に一度でもいいから、親年代の方たちも通いたいと要望をいただいております。こちらに関しては辺境伯領の識字率が王都よりも低いことを考えても、とても良いことだと思います。ですが学び舎の用意と教師の問題がございますので、前向きに検討中です。」


 そこまで言って、旦那様の方を向く。


「ほかに何か、私が果たせるお役目がございますでしょうか?」


「……」


 ふぅっとため息をついた旦那様は、私を見た。


「屋敷の事もあるだろう?」


「あら、旦那様。」


 その言葉には、わざと大きく目を開けて驚いたような顔をしてから、私は自分の隊服のポケットから一枚の契約書を取り出すと開いて見せた。


「お忘れですか?旦那様。」


 その紙を見た瞬間、くしゃっと苦虫を噛み潰したような顔になり、旦那様は歯ぎしりのような唸り声をあげた。


「それについては……。」


「残念ですが、これは旦那様からのお申しつけによるものです。私にはどうすることも出来ませんわ。」


 丁寧にたたんで隊服のポケットに入れると、さらに深い溜息と共に、ジトっとした目で旦那様は私を見た。


「君は、いつもそれを持ち歩いているのか?」


「まさか。」


 ふふっと笑った私は、首を振ってそれを否定した。


「こう持ち歩くようになったのは鈴蘭祭の後からです。……辺境伯夫人として旦那様のため、申し渡されたお務めを果たすため、いついかなる時にも、このお約束をお互いに尊重し行動できるようにと、自らへの戒めのつもりですの。これは結婚時に旦那様から言い渡された大切な言いつけですもの。こうして書面を持ち歩き、時に思い出し確認しては、旦那様からの言いつけを守り、出過ぎた真似をすることのないようにと、自らを戒めているのですわ。」


 今言った言葉は完全に建前で、いついかなる時も、旦那様が契約破棄しようなんて言わないよう、身をもって思い出していただくためなのだが、まさか1週間しないうちに役に立つと思わなかった。


 ここでイケメン高学歴高収入高位貴族というハイスペックな旦那様に、この方はツンデレだったのね、とか、トラウマで人付き合いが苦手になってしまった可哀想な方なのね? なんて思える可愛さが私にあればよかったのかもしれないが、残念だ。 わたしだって貴族に対してトラウマ持ちだし、初夜と医療院。2度による一方的な罵詈雑言という仕打ちは忘れていないし、これから先も忘れない。実に執念深く、これっぽっちも可愛げがないと自分でも思うが、これが今の私であり、いざというときにはしっかり身(純潔含む)を守りたい。


 崇高な志を持つ騎士である以上、そう言った恥ずべき行為はないと信じたいが、何しろ暴走しがちな旦那様だ。


 突然襲われて既成事実なんか作られたらたまらない。


 ティーカップのお茶を最後まで飲んだ私は、にっこりと淑女として微笑んで旦那様を見た。


「それでは団長、失礼してもよろしいでしょうか?」


 立ち上がり、丁寧に礼を取る私の手首を取ろうとした旦那様の手をひらりとかわした私は、立ち上がった旦那様に静かに頭を下げた。


「それでは医療院(もちば)に戻りたいと思います。お茶、ごちそうさまでした。しかし旦那様? 時と場所も考えない、公私混同をしたご命令はこれで最後にしていただきたいと存じます。私的なことは、私の執事を通じてご連絡くださいませ。……これ以上の過干渉をされるのであれば、契約不履行とみなしますよ。」


 最後は旦那様にしか聞こえないほどの声量でそう言うと、私は静かに執務室を出、補佐官に頭を下げて本部を出るために歩き出した。








「ネオン隊長?」


「カルヴァ隊長。 ごきげんよう。」


 階段を下りている途中、背後から声を掛けられて振り返れば、階段上には、アミア・カルヴァ辺境伯騎士団副団長、兼一番隊隊長が立っていた。


「先ほどお会いしたばかりですが……本部にいらっしゃるのは珍しい。何かありましたか?」


 私に威圧感を感じさせないよう、ゆっくりと階段を降りてこられたカルヴァ隊長に、私は静かに首を振る。


「いいえ。団長に呼ばれてお話ししていただけにすぎません。 いまから医療院へ帰るところです。」


「団長に、ですか?」


 ぴくっと眉尻を少しだけ上げたカルヴァ隊長は、すぐにいつもの柔和な笑顔を浮かべて私を見た。


「何かありましたか?」


(副団長だから気になるのかしら?)


 そう考えながら、努めて笑顔でそれに首を振る。


「いいえ。最近の辺境伯夫人としての務めについて問われただけです。」


「そうでしたか。」


 淑女の微笑みを浮かべたままそう話をした私に、カルヴァ隊長はそうだ、と私の方を見た。


「ネオン隊長、このような場所でお話しする話ではないのですが、少々困り事と申しますか……。当家より茶会の招待状が届いておりませんか?」


 それには私は首をかしげる。


「カルヴァ隊長から、ですか?」


「正確には私からではないのですが、2度ほど、当家より茶会の招待状を送らせていただいているのです。」


「当家、とは……?」


 はて? と首をかしげると、なるほど、と頷いたカルヴァ隊長は静かに腰を折った。


「当家は侯爵位を賜っており、私自身、カルヴァ侯爵当主を務めております。……といっても、家門の流れとしては、モルファ辺境伯家の分家筋に当たるのですが。実は当家より2度ほど、茶会の招待状を送らせていただいているのです。」


 カルヴァ隊長の静かに探るような言葉に、私は静かに目を伏せた。


(……家令や侍女長には、最低限の茶会や夜会には出ると言っている。それなのに私の手元に届いていないという事は、家門の中で何かあるのかしら? でも、同じ辺境伯騎士団の副団長の家で、侯爵家よ? 何か不都合でもあるのかしら?)


 ザラリとした気持ち悪さを感じた私は、静かに目を開けると、にっこりと貴族的に微笑んだ。


「申し訳ございません。もしかしたら私が忙しさにかまけて見逃してしまっていたのかもしれません。お誘いくださったカルヴァ夫人には、大変な不義理をしてしまいましたわね。」


 すると、彼は赤味の強い茶色の瞳の嵌った綺麗な目元を細めた。


「なるほど。いえ、医療院や鈴蘭祭の事で隊長もお忙しかったですし、仕方のない事です。あぁでも、もし隊長殿のご迷惑でなければ、こちらをお渡ししても?」


 微笑んだカルヴァ隊長は、隊服の内ポケットから、家紋の入った柔らかな茶色の封蝋の落とされた家紋の透かしの入った封筒を差し出してきた。


(これはこれは。 家紋の入った封筒に封蝋……正式なお茶会の招待状だわ。 2度出して2度とも良い返事ではなかったから、隊長自ら渡す機会をうかがっていたということね。随分用意周到だわ。)


 そう考えながら、そっとそれを受け取り、笑みを浮かべる。


「まぁ、当主様自らありがとうございます。ご存じの通り、私には辺境伯夫人としての慈善事業に、医療隊の勤務もございますので、時期はこちらに任せていただいてもよろしいかしら?」


「えぇ、もちろん。妻も奥様の御都合の宜しい時に、と言っていましたので。」


「お心遣い感謝します。では、改めてご連絡いたしますわね。」


 招待状を受け取った私に、カルヴァ隊長はとても穏やかに微笑んでいた。

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― 新着の感想 ―
辺境伯の部下に侯爵位というのは、合わないかと思います。いくら辺境伯の権限が大きいとは言え、侯爵なら一応同列かな?と… せめて伯爵か子爵でないと貴族位が逆転してしまっています。
ここまで読んでいて、発達障害と同じ思考回路していてすごくモヤっとしました。うちの娘と同じ。ASDだよ、旦那様。
その領地での最高権力者が私情で権力(団長命令)奮うって……ダメダメなのでは。
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