92・公私混同はお断りです!
「これより、団長がこちらにいらっしゃいます。 よろしくお願いいたします。」
「了解いたしました。」
先ぶれの補佐官の到着から約5分。 昔のドラマの大学病院院長回診か?と思うくらい、周囲の騎士様達に頭を下げられながら、ぞろぞろと団長である旦那様を先頭に現れたお偉い様御一行を、私はガラと一緒に医療院の扉の前で迎えた。
「医療隊長殿、急な視察のお詫びを申し上げる。」
そう言ったのは一番隊隊長であり、副団長でもあるアミア・カルヴァ様で、私は静かに頭を下げた。
「皆様にも、団長にも。医療院にわざわざ足を運んでくださり、ありがとうございます。ここは患者を抱える医療院です。皆様をお迎えするにあたって、患者側の準備も必要になります。ですので、出来れば次回からはもう少し時間に余裕をもってご連絡いただけると助かりますわ。」
「申し訳ありません。」
頭をあげて『淑女の微笑み』でそう告げた私に、カルヴァ隊長は頭を下げられたが、旦那様は目元を細め、言う。
「ただの視察だ、気にするな。」
そう言う団長に、私は笑みを深める。
「団長に申し上げます。皆様をお迎えする事だけでしたらいついかなる場合でも視察を承ります。しかし医療院は治療の場です。傷つき床についた患者の安心安全を最優先として行動している場所です。患者の病態によっては、視察のご案内や説明に、隊員の手が割けない場合もございます。その件に関しましては、昨日の時点でイロン隊長へお願いしておりましたが?」
ちらりとターラ隊長の方を見れば、困ったように眉を下げて会釈をされているが、それに顔を顰めたのは旦那様だ。
「ターラを責めるな。あいつは落ち着いてからの方がいいと言った。視察にそのような気遣いはいらぬと言ったのは私だ。」
「さようでございましたか。では、団長へ医療隊隊長としてお願い申し上げます。次からは必ず、部下の皆様のご意見をしっかりとお聞きになって行動なさいませ。では、医療院をご案内いたします。院内に入られる前に、こちらのマットで、靴の底の泥をしっかりと落としてから、中にお入りくださいませ。」
医療院の前に置いてあるのは、靴の泥を落とすための昔懐かしの、たわしの様な泥落としマット(大)だ。
騎士団の団員が履いている靴は、基本しっかりとした革のブーツで、どんな状況でも滑らないように靴底には深く溝が刻まれている。そのため、その溝に泥や小石、雑草などが入り込む。
この世界は日本の様に屋内で靴を脱ぐという文化はなく、汚れた靴を履いたまま建物内に入る。そうして床を見事に汚してしまう。 一般の建物であればまぁ許容範囲であるが、医療院では泥だらけの床というのは、汚れもそうであるが感染対策上も極力避けたいところである。
そこで、親方に頼みこみ、耐久性もコシも強い木材の繊維と針金を使用し、しっかりした泥落としマットを作ってもらったのだ。(ちなみにこのマットを厨房長が通りすがりに見てかなり気に入ってしまい、泥落としマットと、その工程でできたタワシが厨房と食堂の入り口に導入されている。)
話はそれたが、泥落としマットの上でごしごしと足の裏をこするという、正しい靴底の泥の落とし方をガラに実践してもらい、皆にそのようにしてもらってから、医療院の中に入ってもらった。
「団長はまだこちらが整う前にいらっしゃったきりだと思いますので、院内の説明をさせていただきますね。 まず入って正面にありますのは、医療院の受付ですわ。医療院に来られた際は、急患以外はまずこちらで受付をしていただきます。向かって左右にあるのは、患者と家族、スタッフと商会などの業者の方との面会スペースになります。こうして、外部から来たものがむやみに院内に入り込まないよう、また、静養中の患者へ接触しないように仕切っております。現在医療院には患者が5名ほどおります。そのうち一名は重傷患者ですので、院内では静かにしていただくようお願いいたします。では、こちらへどうぞ。」
今日はすでにカーテンと衝立が外された受付横を通って、私が先導し、医療スペースへ入る。
「こちらは入院患者スペースを左右に分け、患者を観察・看護しやすいように中央に看護班のミーティング用スペースと治療ブースを設けた医療スペースになります。」
広い室内の3分割にされたスペースの説明をすると、感心したように声を上げたのは、1番隊カルヴァ隊長と4番隊ニオ隊長だ。
「おぉ、綺麗に整備されている。なるほど、隊員が真ん中にいて、両端の眠る患者が一望できる仕組みになっているのですね。」
「さようでございます。」
笑顔で答えると、感心したようにメモを取っていくニオ隊長の補佐官。
「ネオン隊長。昨日はもっとがらんとしていませんでしたか?」
私の後ろに立ち、医療院内を見渡し、そう言った5番隊イロン隊長に頷く。
「さようです。昨日は視察ではありませんでしたし、患者全員が見えるように衝立を立てておりませんでした。しかし、本日は皆様が視察にいらっしゃるとのことで、皆様を衝立で一人ずつ隔離させていただいております。」
「何故だ?」
旦那様の言葉に、私は静かに答える。
「身分が上の方、つまり皆様をお迎えすることになると、ベッドに横になったままでは無礼だと思った患者が無理をしたりしないためです。」
「そのようなことを強要するつもりはないが?」
相変わらずの不機嫌顔でそう言う旦那様に、少々溜息が出そうになるが、押しとどめて儀礼的に微笑む。
「団長やどなたかが強要する・しないの問題ではございません。生まれ付いた身分制度のため、とでも申しましょうか。平民、貴族、貴族の階級など、身についた思考・行動があります。患者である一般騎士の皆様が団長や副団長、各隊の隊長に対して気を使うのは当たり前ではないでしょうか。」
「だから、そのようなことは強要するつもりはないと言っている。」
(話をちゃんと聞いていただきたいわ。)
そう思いながらも説明をする。
「もしもの話ですが。団長が怪我を負い、床についているときに、テ・トーラの養父が来たら、団長は起きて礼を取ろうとなさるのではないでしょうか?それと一緒です。だからこうして視覚的に隔離をし、そのような気遣いをさせぬようにしているのです。」
「……あぁ、なるほどな。」
「ご理解いただけて良かったですわ。」
ふむと腕を組み、顎に手をやった旦那様に、本当に分かってるのかしら?と思いながらも、視察を進めても良いのかと、他の方に視線を移した。
それに気が付いた1番隊カルヴァ隊長が、口を開く。
「それで、ネオン隊長。昨日、鍛錬所で怪我を負った騎士なのですが、案内していただけますか?」
「はい。こちらです。」
唯一パーテーションで隠していないベッドのそばに足を進める。
「こちら、この医療院に常在してくださっている医師のオトシン・クルス先生です。」
「オトシン・クルスです。初めまして。」
(え?先生、そんな大人な対応もできるのですか?)
にこっと笑ったクルス先生は、いつもと違いキリっとした感じで頭を下げ、カルヴァ隊長と握手をしている。
そんな様子にちょっと私が戸惑っている間に、話は進む。
「先生、彼と話は出来ますでしょうか?」
「厳しいですね。痛みが強く、痛み止めを使っておりますがこれが少々強く、眠っております。記録と患者を見ていただいたら解りますが、これだけの傷ですからね、しかたがありません。あぁ、運び込まれてきたときの傷や病状の詳しい説明については、こちらで記録と共に説明しましょう。」
患者に負担にならないよう、彼の現在の様子を見せると、今は患者のいない右側のベッドスペースに移動させるように皆を移動させたクルス先生は、私に看護記録を持ってきて、と、指示を出した。
そこからは、クルス先生とラミノーを中心に、一番隊カルヴァ隊長、4番隊ニオ隊長、5番隊イロン隊長と記録官、補佐官が入り、看護記録や自身が書いた診察記録を見せながら、説明をしている。
その様子を見守るように、少し後ろから見ていた私の横に、大きな人影が近づいたためそちらを向くと、何故か旦那様が立った。
(なぜ横に立つのかしら?)
さりげなく間を取るように動こうとすると、名を呼ばれる。
「……ネオン。」
「……何でしょうか、団長。」
流石に無視するわけにもいかないため、淑女的笑顔のまま答えると、彼は静かに私を見下ろした。
「医療院の中を説明してもらっても良いだろうか。」
それにはにっこり笑みを深めて答える。
「現在、聞き取り調査を行っている最中でございますが、団長は離れられてもよろしいのですか?」
「1番隊カルヴァ隊長たちがいるから大丈夫だ。この医療院の説明をしてほしい。」
(興味もなかったのではないの?あ、興味がないから見学希望?いや、医療院にも興味がなかったのでは?では一体何のために?……あ、私とやり直したいんだっけ?)
だとしても、視察の場で話す内容ではないような気がするし、そもそもいまする話でもないはずだ。
ここは職場で、優先順位は患者の事。そう思った私は静かに旦那様に向かって微笑んだ。
「団長。医療院の全容に関しましては、先ほどお話ししたのが全てですわ。近日中に開放予定の新棟につきましても、ここと同じようにするつもりですし、医療院の建設・運営方法に関しましては逐一報告書で詳細にご説明申し上げております。ちなみに二階は上官用の個室病室、私とクルス先生の執務室、隊員たちの休憩室しかございませんので、見学は御遠慮願いますわ。」
そう言えば少し眉間に皺を寄せた旦那様は、私の方に視線を寄こした。
「君と話がしたいと思っているのだが。」
(そんな熱のこもった眼で見られても気持ち悪いだけです、っていうかここ、職場!)
そう思いながら、笑顔で返答をする。
「医療班の事でしたら今ご説明いたしますわ。なんでございましょうか?」
「いや、そうではなく……。」
「私的な事でしたら、仕事中ですのでお断りさせていただきます。」
「では、本日晩……」「団長。」
にっこりと、本当に微笑みを深めた私は、旦那様にしか聞こえないような声で静かにはっきりと答えた。
「ここは神聖なる南方辺境伯騎士団の砦の中の、医療院内でございます。団長自らその神聖な職場を穢されるおつもりですか?それに、このような公の場所での私的なお話は、貴族として、重要な機密の漏洩につながりかねません。どうかお控えくださいませ。団長自らその調子では、部下や使用人に示しがつきませんわ。」
「……。」
ぐっと黙り込んだ旦那様にさらに微笑みを深めてから、そっと医療院の業務日誌を差し出した。
「こちらが医療院の業務管理日誌になります。彼が搬送されてきた日の詳細と、傷に関しての意見も記載がございます。また、医療院の運営などの方針も書かれておりますので、どうぞ納得いくまでご覧くださいませ。」
「う……うむ。」
私の手から業務日誌を受け取った旦那様は、そこにある文字を見て解りやすく目を開き、そして顔を顰めた。
『契約をお守りくださいませ。ましてやここは騎士団内。部下の前で貴族として恥をかきたくはないでしょう?私的な用事は、離れの執事を通じ、事前の申し立てをしていただくようお願いいたします。』
嫌な予感がしたため、あらかじめそう書いておいたメモをはさんだ業務日誌。すぐにそれに気が付いた旦那様は、顔を顰めたままそのメモを手でぎゅっと握りこむと、乱暴に隊服のポケットに突っ込み、難しい顔をしながら業務日誌を閲覧し始めた。
「本日は視察を受け入れてくださり、ありがとうございました。」
「いいえ、こちらこそなれない点が多く、至らぬ事が多かったと思います、申し訳ございせん。」
代表して労いの言葉をかけてくださった一番隊カルヴァ隊長に、私も淑女の笑顔で返し、他の隊長、隊員の方たちにもお礼を言うと、ぞろぞろと本部の方へ向かっていく皆様を見送る。
「お疲れさまでした、隊長。」
「えぇ、お疲れ様、ガラ。やっぱり緊張するものね。さ、通常業務に戻りましょう?」
ガラと一緒に医療院に入ろうとしたところで、手首に痛みを感じ顔を上げた。
「え?」
目の前には、旦那様の姿がある。
「話がある、ついて来い。」
「……はい? 団長、私これからまだ業務があるのですが。それに、先ほどのメモをご覧にならなかったのですか?」
そう言えば、彼は私を見据え、やや強めの口調で言う。
「団長命令だ、医療班隊長。」
(はぁ!?命令!?)
その言葉に、ぎゅっと唇を噛んだ私は、周りの騎士達にその怒りを悟られぬよう穏やかに微笑んだ。
「かしこまりました。一度部下に指示を出さねばなりませんので、手を離していただけませんか?すぐに戻って参ります。」
そういうと手の力を緩めた旦那様から掴まれた腕を離した私は、一度医療院の中に戻ると、皆に声をかけてから、再度扉の前で待つ旦那様の元へ歩み寄った。
「何でございましょうか、団長。」
「こちらだ。」
そう言って本部の方へ歩き出した旦那様の背中を見て、周囲の目もあって拒否することも、ため息をつくわけにもいかず、穏やかに微笑んでその後を私は歩いた。