91・リハビリと、突然の視察申し込み
(やっぱり私、かなり神経が図太くなっている気がするわ……。)
呆然として、私は明るくなった室内を見回した。
カーテンが開けられ、窓の外には真っ青な空がひろがり、空気の入れ替えのために開けられた窓からは、可愛い小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「さ、奥様。 よくお眠りでしたのでこちらにお食事をお持ちしましたよ。」
メイドがそういって笑いながらセービングカートを押して近づいてくると、クゥ、と、お腹が鳴った。
カートの上にはまだ湯気の立つ、柔らかなパンとスープ、果物のサラダ等が、ベッドの上で食べられるように足のついたトレイに用意されていたのだ。
(美味しそうって感じて、きっとペロッと食べちゃう私、やっぱり図太くなったわ……。)
礼を言いつつ、目の前に用意された朝食を、ぺろりと食べ終わった私は、侍女達に身支度を整えてもらうと、迎えに来てくれたアルジと一緒に騎士団へ向かった。
「おはようございます。傷の処置を致しますので、すこし失礼しますね。」
ベッドに横たわる患者に穏やかに声をかけ、ベッドの上の患者が頷いたところで、私は病衣とさらしを開けると、火傷部位である上半身前面に張り付けられたスラティブを剥がし丁寧に傷口を洗浄する。
「まぁ、これは……。」
綺麗に洗浄が終わり、水分を拭き取った傷を見た私は声を上げ、傍にいたクルス先生も覗き込んで満足そうに笑った。
「お、かなりいいね。スラティブは火傷と相性がいいだろうとは思ってたけど、予想をはるかに超えてるよ。」
「本当ですね。」
少し興奮気味のクルス先生の声に、私は頷く。
スラティブを剥がした創部は、2度熱傷の場所は変わらないものの、比較的軽かった1度の熱傷の部分はたった一晩でかなり赤味が落ち着き始めているのがわかった。
「先生の考案されたスラティブ、本当に凄いですね。」
「あぁ、そうだろう、そうだろう、どんどん褒めてくれていいよ!」
「もちろんです。本当にすごいですわ、クルス先生。本当に感謝しかありません。」
「うんうん、僕も自分の才能にびっくりしているよ。」
うんうん、と、何度も頷き、自身の成果を褒められたことに上機嫌のクルス先生をさらに褒め称えながら、私はシルバーと共に丁寧に新しいスラティブを隙間なく貼り付け始めた。
「それで、昨日の状況はどうだった?」
それを横で見ていたクルス先生の問いに答えるのは、少し眠そうなアペニーパだ。
「はい。彼がしっかり覚醒したのは、魔法をかけてから4時間後でした。その後は痛みがかなり強かったようで、痛み止めを夜間3回使用しています。少々発熱もしていますから、クーリング(冷罨法)もおこない、夜間はこまめに水分補給を促しました。腕……というよりは肩と胸の部分の火傷と傷のせいで腕を動かすとかなり痛みと皮膚の突っ張り感があるようで、自身で水分補給は難しく、私達が介助しました。」
「うん、それは傷が回復するまではしょうがないかな。痛み止めの指示は継続で。じゃあ僕は部屋に戻るね。研究が大詰めなんだ。」
「かしこまりました、何かありましたらお声を掛けますね。」
「うん、その時は遠慮なく声をかけておくれ。」
ひらひら~っと手を振って二階へ上がっていったクルス先生を見送り、私は報告してくれた夜勤当番の2人を労う。
「しっかりした報告をありがとう、アペニーパ、レンペス。夜勤お疲れ様でした。宿舎に戻ったら、ゆっくり休んで頂戴ね」
「お気遣いありがとうございます。それでは、本日はお先に失礼いたします。」
夜勤めの2人を見送った後は、日常勤務の隊員たちと通常の業務に戻る。
いつもならば書類仕事を、と思うところであるが、今日は急ぐ書類もないため、スクラブからシャツとパンツに着替えると、ガラの娘であるモリーと、病衣から軽作業用の衣類に着替えた患者2人といっしょに、親方に作ってもらったつばの広い麦わら帽子をかぶり、首に手布をかけ医療院を出てすぐの薬草畑に向かって歩く。
「じゃあ、30分くらい草取りをして、しっかり体を動かしましょう!」
「「わかりました!」」
小さな椅子に腰を掛けながら、ネオン、モリー、そして患者2人でせっせと雑草抜きをする。
時折『これは雑草ですか?』『いいえ、ちがいます。それは有用なハーブです。』なんてやり取りを交えながら行われる草むしり。なんて牧歌的。 騎士団の敷地内なんて思えない、と手を動かしていると、にゅうっと私をお日様から遮るように大きな影が立った。
私は草むしりをしている手を止め、影の方へ顔を上げた。
「休憩の時間です、隊長。」
4人分の汗拭き用の冷水で濡らし絞った手布の入った籠を小脇に目の前に立つのは私の補佐官であり、モリーの父親でもあるガラで、私はもうそんな時間かと立ち上がった。
「ガラ。 ありがとう。」
「みなさんもうがい手洗いをして、建物に入って水分補給をしてください。」
「「ありがとうございます。」」
「みなさん先にどうぞ。 モリー、抜いた雑草を置きに行きましょう。」
「……(こくこく)。」
頷いて答えてくれるモリーと一緒に、竹のような素材で塵取りのような形状に近い形で作られた、両手で抱えるほどの大きな笊に、4人で抜いた雑草の山を集めてのせると、私は笊を抱え、畑近くに作られた木製のたい肥育成箱の中に入れて蓋を閉めた。
たい肥育成箱の内容物は言わずもがな。厨房で出た生ごみや残飯、お手洗いでお仕事を頑張ってくれたスライムの遺骸。そしてそれらを分解してくれる生きの良い魅了済のスライムで、あの中で立派なたい肥を作ってくれるのだ。
(何度も言うけれど万能すぎる。辺境伯領にたくさん湧いてくれて本当にありがとう、スライム。)
そんなことを思いながら、空になった笊についた土を落とし、農具置き場にそれを片付け終わった私とモリーは、建物近くの井戸でうがい手洗いをすると、建物の中に入って、ガラの用意してくれたハーブ水を受け取り、飲み干した。
リハビリとして一緒に草むしりをしてくれた患者も、汗を拭い、新しい病衣に着替えてから、ベッドに戻って水分補給をしているようだ。
「また隊長自ら草むしりですか?俺たちがやりますって言ってるのに。」
「あら、大丈夫よ。」
処置用カート(いわゆる包交車)の物品補充のため、倉庫から両手いっぱいの資材を持ってやってきたミクロスの腕から零れ落ちそうになっている資材を手に取りながら、私は答える。
「草むしりは患者のリハビリも兼ねているのだし、私もたまには体を動かさないと、どんどん体力がなくなってしまうもの。 それに、草むしりっていいストレス発散にもなるのよ?」
両手いっぱいの資材を一度、中央の机の上にばらばらと置き、処置カートの指定された引き出しや場所に手早く整え入れながら、ミクロスはそうですか?と首をかしげる。
「俺なら、リハビリはリハビリでも、体力回復の散歩や走り込みの伴走の方がいいです。」
「あら、逆に私は騎士様のペースで歩いたり走ったりできないから、草むしりがちょうどいいのよ。」
「なるほど。では走り込みや打ち込みの時は俺たちにお任せを。」
「えぇ、是非お願いするわ。」
そんな穏やかな日常会話をしながら看護記録を確認していると、ガラが声をかけて来た。
「隊長。今宜しいですか?」
「えぇ、大丈夫よ。何かあった?」
「はい。 じつは隊長が草むしりをなさっている間に本部に行っていたのですが、隊長あてに伝言を2つほど預かりまして。」
「2つ?」
首を傾げた私に、ガラは頷くと、ちょっと困ったように眉をさげ、苦笑いしながら言う。
「一つは、5番隊の隊長殿です。『昨日ネオン隊長にいただいたパウンドケーキ、大変に美味しく頂きました。定期的に購入させていただくにはどうしたらいいでしょうか?』との事です。一番確実なのは、バザーの時に事前に頼んでいただくことでしょう、とお答えしましたら、『ではぜひ、バザーの度に各2本ずつお願いします、新作がある時にはそれも是非』との事でした。」
「あら、そんなに?随分と気に入って頂けたようで良かったわ。じゃあ、来月のバザー時には予定より少し多目に焼いてもらうように頼んでおかないと駄目だわ。」
その伝言にくすくすと笑いながら、私は確認し終わった看護日誌を片付けてから、ちらりとガラを見る。
「で、言いにくそうにしているもう一件は?」
「はい。本日昼食後、辺境伯騎士団団長が医療院の視察を行うと、一番隊カルヴァ隊長からの伝令です。」
「はい?」
それには首をかしげてガラを見た。
「視察?」
「はい、それも団長自らです。」
「そんな予定、入っていた?」
「いいえ。」
ぐっと眉間に力を入れてしまう。
「随分突然なのね。落ち着いているときならまだしも、昨日重傷患者も入ったばかりなのに。」
「はい。もしかしたらその件も含めての、抜き打ち視察といったところでしょうか。どなたが来られるか確認しましたところ、1番隊カルヴァ隊長、4番隊ニオ隊長、それに5番隊イロン隊長も同行なさるようです。」
副隊長が3人も連れ立ってくるとはどういうことだろうかと首を傾げる。
「急な視察という割には、随分と……。お断りするというわけにはいかないでしょうね。 視察は10人くらいで来られるかしら?」
「そうですね。視察となれば公的な記録係に雑務を行うものなどもをついてきますので。」
頷くガラに、私は溜息をつく。
「出来ればそんな大人数でずかずかと医療院に来られるのはお断りしたいのだけど、昨日の件の聞き取りの目的なら、お断りするわけにもいかないでしょう……。イロン隊長にはしっかりと、面談の際は事前に連絡をとお願いしていたのに残念だわ。クルス先生にも立ち会いをお願いしましょう。それから、ラミノー、エンゼ、アルジ。」
「「「はい。」」」
それぞれの仕事をしている手を止め、彼らは集まってくれた。
「視察ですか? 急ですね。」
「まぁ、でも昨日の事を考えれば……。」
「そうね。それで悪いのだけど、お昼ご飯の後、彼以外の患者を隠すように衝立を立てて仕切って頂戴。それと、団長がこちらにいらっしゃったら全て私が対応します。ガラはその補佐をお願いできるかしら?」
「了解です。」
「ラミノーは、先生と一緒に該当患者の傍にいて頂戴。団長と隊長の対応はこちらでしますから、彼に不利益がないように、体調の観察を。面談が無理そうだと判断した時にはすぐに私に言ってくれればいいわ。そうすればすぐ引き上げてもらうように動きます。」
「了解です。」
「エンゼとアルジはそのほかの隊員と一緒に医療院内の保全を。 通常通りの業務を行ってちょうだい。何か言われたり聞かれたりしたら普通に答えていいけれど、困るようなことがあれば、私かガラに声をかけて頂戴。すぐに対応するわ。」
「了解です。」
「かしこまりました。」
「では、解散で。」
(一体何しに来るつもりかしら……。)
皆が頭を下げて先ほどまで行っていた業務に戻っていく中、私は小さくため息をついた。