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90・伝言ゲームの様な苦しさ【11/28追加】

 騎士団医療院での一日の仕事を終え、馬車に乗り込みアルジと共に帰路へ着いた。


 辺境伯家の屋敷の門を潜り、母屋へ続く道とは反対側の、庭園を抜け、さらに奥に位置する離れに馬車は停車した。


「隊長、お疲れさまでした!」


「ふふ、貴方もお疲れ様、アルジ。ゆっくり休んで頂戴ね。」


「はい! ではまた明日の朝、お迎えに上がりますね!」


 馬車の扉を開け、ぴょんっとアルジは私より先に降りると、足台を用意して、手を貸してくれる。かいがいしいにもほどがあるアルジの手を借りて馬車を降りた私は、使用人の寮の方へ向かったアルジを見送ると、開かれた扉の向こう、朝とは違う花が飾られたエントランスでいつものように出迎えてくれる離れの使用人たちの中に、仕事上がりには決して見たくなかった顔を見つけてウンザリした。


(朝はいないから安心したけど、やっぱり来たわね。)


 やれやれと言った気持ちでホールに足を進めると、会いたくない顔の持ち主である家令のジョゼフが、一番先に腰を折った。


「おかえりなさいませ、奥様。」


「「「おかえりなさいませ、ネオン様。」」」


 自分だけ奥様呼びだったために乱れてしまった出迎えの挨拶に、家令は眉をやや顰めているが、正直、皆は通常の挨拶をしただけで何も悪くない。


「ただいま、皆。」


 出迎えてくれた離れの使用人たちに笑顔で答えると、傍に寄って来てくれた侍女に脱いだ隊服を預け、この離れの専従執事である年若い青年デルモ・ゲニーの方を見た。


「私が出かけている間に何か変わったことはなかったかしら? デルモ。」


「離れの方はいつも通りで特に変わりございません。……それで、あの……本宅から、ジョゼフさんがいらっしゃっておりますが……。」


 あちらにいます、とでもいうように視線を動かし、遠慮がちにそう言った彼に、私は溜息をついてから、声を掛けられるのを待っているジョセフを見た。


「離れの使用人以外、こちらには寄らないようにとつい先日きつく申し伝えたはずなのに、なぜ本宅の家令がここにいるのかしら?」


 少々口調を強めに言えば、ジョゼフは私に向かって深々と頭を下げた。


「奥様には体調が戻られ、本日より騎士団への業務の復帰となられましたこと、使用人一同、心より喜ばしく存じます。」


「それに関しては、離れの皆が私の事を良くしてくれましたもの、心から感謝しています。しかし、辺境伯家の侍医であるマイシン先生や、騎士団の軍医であるクルス先生方からも『5日間の絶対安静、離れに近づくな』という申し伝えを、使用人の筆頭である家令や侍女長が守ってくれなかった事を、心から残念に思うわ。それで、今日は何か?」


 毎日、しかも朝晩襲来を受けていたのだから嫌味を言ってもいいだろうと思ってそうつげると、彼は至極真面目な顔で私に向かってもう一度頭を下げた。


「その件につきましては、奥様のお体が心配のあまり、失礼な行動になってしまったこと、心よりお詫び申し上げます。奥様のお体の状況がわからず、どうしてよいか、解らなかったのでございます。そこで、奥様が健やかに日々を過ごしていただけるよう、我々の心遣いが行き届きます本宅に、本日からでも居を移されてはいかがかとお伺いに参りました。」 


「あら?」


 彼の言葉に、私はふふっと笑ってしまった。


「何度も言わせないでいただける? 離れへの余計な気遣いは不要ですわ。医師もおりますし、離れの専従の使用人は本当に良くしてくれています。今更本宅に居を移す必要性をこれっぽっちも感じませんわ。いえ、どちらかと言えば、本宅に戻ったら体調を崩してしまうかもしれないわ。だって、今まさに、貴方達の目の届く範囲で私が余計なことをしないように監視したい、と言われたのだもの。」


 それには、静かに頭を下げたままジョゼフは否定した。


「そのようなことは、決して。ただ、あちらの方が使用人の数も揃っておりますので、奥様の些事にも丁寧に対応が出来るかと存じます。」


(だーかーらっ!)


「いいえ、結構よ。私はこれまで通り、離れ専従の使用人とこちらで心穏やかに暮らすことを望んでいるのです。それに関しては、先日もこちらへの過剰な干渉と気遣いに関して強く禁じたはずよ?」


「しかし、元来奥様が離れでお暮しになるなど外聞もよろしくございませんし……。」


(まだ食い下がるか、面倒くさいな。)


 頭を抱えたくなるのをこらえながら、ジョゼフを見る。


「それこそ今さらなのでは? そちらの都合ばかり押し付けるのはやめていただける?私の生活を乱しているのはいつも貴方達よ。はっきり言って迷惑だわ。」


 使用人の前で、すっかり淑女の仮面をかなぐり捨ててしまった私は、大袈裟にため息をつき、ジョゼフを見る。


「ジョゼフ。貴方は契約の場に立ち会い、その詳細を知る家令という立場よ。こうして旦那様と私の仲を取り持とうとしていること自体、あの時結ばれた契約に違反する行為であることに気が付いていないのかしら?」


「それにつきましては、先日、旦那様から奥様へお話が有ったとおりです。旦那様はあの契約を破棄し、奥様とやり直したいと願っていらっしゃる。主人のためを思っての行動でございます。」


「なら、その行動は間違っているわ。」


 少し大きめの、はっきりした声でそう言った彼に、真っ向から反論する私。


 離れのエントランスの空気は一瞬音が消えたように静かになった。


 離れの使用人たちがびっくりして動きを止め、ジョセフと私を見ているようだ。


 そもそも、名ばかりとはいえ、女主人と家令の言い合いなど、誰も止められる権限を持つ者がいないから、見守る以外ないのだろうが、正直見世物ではないし、病気療養明けの仕事復帰初日、疲れているのだから本当にやめてほしい。


(懲りないというかなんというか、主人を全肯定して甘やかし放題というのは、家令としてどうなのかしらね。)


 何度目かの溜息をつきながら、私はジョゼフを真正面から見据えた。


「そう。正しい使用人は。主人を思っていれば主人が正当な方法で行った契約すら破って行動しても良いと思っているという事ね?誓約には魔法契約がなされ、破ればペナルティはそのご主人様が受けるのを忘れているの? そもそも、なぜそれを貴方が言いに来るのです。」


「お仕えする主人のお気持ちを奥様にお伝えするためです。」


「旦那様のため? そう、なるほど。辺境伯家の家令は、旦那様のためになら、主家の内情を親戚筋の方にぺらぺらとお話したり、お飾りとはいえ女主人である辺境伯夫人に対し、使用人たちの目の前で、本宅へ引っ越せ、晩餐を本宅で食べろと命令をしたりするのね。己の本分を忘れ、従事するべき業務をおろそかにするにもほどがあるわ。公爵家なら即刻、紹介状なしで追い出すレベルよ。」


「そ、それは……っ! 旦那様のためにも辺境伯家のためにもと。是非奥様には旦那様に寄り添っていただき、辺境伯家を盛り立てて行っていただきたいと……、主人を思っての事でございます。」


 だからそれはどんな言い訳だよ、と思いつつ、にっこり笑う。


「そう?それにしては、先ほども言ったとおり、家内の内情を分家筋の他者へ、重要機密を使用人へ話すなど、かなり迂闊な事をしているようだけれど?」


「辺境伯家のためでございます。ぜひ、奥様には旦那様と良きご夫妻として辺境伯家を盛り立てて行っていただきたく、奥様の協力を仰ぐためでございます! 奥様に行った事を、旦那様は酷く反省しておいでです。どうか奥様から寄り添っていただきたいのです。どうか、お願いいたします!」


 再び頭を下げたジョゼフだが、私は思い切り冷めた目でしか彼を見られない。


 『旦那様のため』という一方的、『私の意志と尊厳を無視した行動』に、心底正直、堪忍袋の緒が切れそうなのである。


「……それが貴方の言い分なのね。なるほど、よくわかりました。」


「奥様! お判りいただけましたか!」


 明るい表情で顔を上げたジョゼフは、私の顔を見て大きく体を揺らした。


 それはそうだろう。 私はいま、現テ・トーラ公爵夫人(くそばばぁ)から鍛え上げられた淑女の微笑みを捨て、ただ無表情で彼を見たからだ。


「お、奥様……。」


 怯えるように『奥様』を呼ぶ彼に、私は静かに伝える。


「えぇ。辺境伯家の家令は、主人が自らが要望し結んだ契約を従僕の身でありながら進んで不履行にするような行動を平気で行い、主人への忠誠を裏切り、目的達成のためならば、女主人に対しても無礼な態度をとる浅はかな人間だという事が解った、と言ったのです。」


「そんなことはございません!」


 私の言葉に真っ青な顔をして否定するジョゼフに、淡々と伝える。


「いいえ。貴方は、貴方が大切にしているという主人である辺境伯当主に対し、契約の不履行――すなわち、不利益を負わせようとしているのです。これが忠誠を裏切る行為だと言わずに何だというのです? いい機会なのでこの際はっきりと言わせてもらいます。旦那様の周りにいる貴方達の様な人間が、旦那様を可哀想だからとただひたすらに甘やかし、全て先回りしてうまく行くように手配してきた結果が、今の状態である事にいい加減気付きなさい。そして貴方方のその過剰な愛情の押し付けは、旦那様の心の成長を止めていること、旦那様以外の人間の意志を無視し、傷つけているという事にも。」


「私共はそんなつもりでは。」


「ではどんなつもりだと? 現に今、貴方は大切な旦那様のために私の気持ちを無視し、本宅に住めと無理を強いているではありませんか。なのにそんなつもりがないと?」


「……っ。」


 言葉に詰まってしまったジョゼフに、私は告げる。


「あぁ、残念だわ。その様子だと、本当に言われるまで気が付かなかったのね? でも、わかったでしょう? 過去に貴方方が同じことをして旦那様を守った結果、どれだけの人に迷惑をかけてきたのか。その最たる例が辺境伯騎士団の医療問題ではないかと私は忠告したはずです。なのに喉元過ぎれば同じことを繰り返す。こんなことが当たり前の事としてまかり通っている限り、私は旦那様とも、貴方方とも信頼関係を築きたいとは思いません。」


 ぐっと言葉に詰まってしまった彼に、私は静かに玄関を指し示した。


「今日、貴方がここで言った事、行った事を、私は見なかった、聞かなかったことにしておきます。主人に対する忠誠心の強さゆえ暴走してしまったのだと。ただし、3度目はありません。わかったのなら出て行きなさい。そして契約通り、ここに専従として指名されている使用人以外はこちらへ寄越さないで頂戴。 念のために言っておきますが、家令である貴方の権限で、現在離れに勤めてくれている使用人を別部署へ移動させることは、私が許可しない限り、決して許さないわ。さぁそろそろ、貴方の大切なご主人様が騎士団から帰宅される刻限ではないかしら? どうぞ、本来の職場へ戻って頂戴。」


「……かしこまりました。」


 玄関の先でこちらに向かって深く腰を折ったジョゼフが肩を落として本宅へ向かっていくのを見送っていた私は、ひとつため息をつき、自ら玄関の扉を閉めた。


「奥様……。」


 そんな私に声をかけてくれる使用人たちに、私は困ったように微笑む。


「……見苦しいものを見せてしまってごめんなさい。もし、本宅の勤務へ戻りたい人がいれば、遠慮なく申し出てくれて結構よ? 迷惑をかけてしまうかもしれないもの。」


「いえ、いいえ! 私共はネオン様にお仕えいたします!」


 謝った私に、使用人たちは慌てて傍に寄ってきてくれ、労わるように接してくれた。


 そのまま、湯殿に向かい体を洗われ、夕食を取って、床につく。


(……あぁ、本当に疲れた……。)


 ごろんと、ベッドの上で体の向きを変える。


 いろんな言葉、思い、皆を巻き込んで、ぐちゃぐちゃになって絡まる現状に、息苦しさを感じる。


 もちろん、その責任の一端は自分にある事は重々わかっている。 黙っていう事を聞いていれば、反省しているからもう一度だけという言葉を聞き入れ、行動すればもっと丸く収まるという事も。


 けれど、そうしたくないと、訴え、行動することの出来ない自分がいるのだ。


(……自分の事が嫌いになりそうだわ。)


 身を屈め、掛け布団を頭から被り、固く目を閉じて、はやく朝になるように、と、私は心から祈った。

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― 新着の感想 ―
今話ではっきり思いましたが、辺境伯陣営は二言目には旦那様が〜って、すっかり免罪符にしてますね。 主人公、よく言った。
貴女は悪くないよそりゃあ長年旦那様優先してきた結果を目の当たりにした挙句に自分の意思をほぼ全無視されて生贄のようにされたらそうなったっておかしくないよとネオンさんに言ってあげたい……
話が通じない相手との遣り取りはストレスばかりで非常に疲れますね。 自分が間違っていないと思う相手だとなおさら。 でも今はネオンが頑張ってきたことが実を結び始めています。 ネオンの気持ちを大事にしたい…
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