9・生活水準や文化の違いとすり合わせ
(思ったよりも早いペースで進んでいるわ。)
作業進行確認のため、時折周囲を見渡せば、流石は侍女に騎士見習いと言っていいのだろうか。 お願いしたことを的確に、解らない場合には、ちゃんとこちらの状況を判断し、タイミングを合わせて聞いてくれ、理解できたら素早く動いてくれる。 そのお陰で、私は自分の行うべき作業に集中する事が出来た。
3人目が終わり、手洗いとうがいをしてから、ズテトーラ様と共に4人目となる騎士様の元に移動する。
こちらの騎士様は顔の左側と、そこから続くように首からお腹にかけて大きな魔物に爪で裂かれたような傷があった。
「まずはお顔の汚れを落として傷を洗いましょう。 それから胸元の傷を洗浄して体を拭きます。 ズテトーラ様、私が顔を拭いている間に鎧と服を脱がしていただいてもよろしいですか? 血は止まっているようですが、極力、傷が広範囲にある体幹部分は動かさないようにお願いしますね。」
「はい、かしこまりました。」
ここまで確認し頷きあうと、負傷した騎士様の横たわるベッドの、左右に分かれて立った私たち。
ズテトーラ様が、血糊や泥の塊で私には判別のつかない、肩や胸合わせの部分の革ひもを的確に素早く切って、鎧を解いていく。 その手際の良さに感心しながら、私は顔の傷をよく見る。
手を入れると少し熱いくらいの手桶の湯に手布を入れ、まず顔から首にかけての傷の周りについた泥と血が混ざった固まりを丁寧に洗い流してから、固形の石鹸を布を使ってしっかりと泡立て、決して擦ることなく、泡で撫でるようにと心がけて丁寧に傷口を洗っていく。
(……擦った方が早いんだけどなぁ……。 あ! そういえば整形の外来医の処置についた時、犬の噛み傷と泥の擦り傷、滅茶苦茶歯ブラシでこすってなかったっけ!?)
卒倒しそうな患者を支えながら、(うわ、痛そぉ~、先生ドSっ!)って思ったけど、この傷にあれをやってもいいのかしら……泥を傷口から綺麗に掻きだす、という意味ではありなのでは? いや、出血したら嫌だしな……等と考えながら、ひとまずは、傷の原因もわからないし、何より顔だし、と、泡が口や目に入らないように丁寧に洗い、その汚れた泡を何度も手布を使って洗い拭っていく。
のだが……。
(いちいちいちいちっ! 洗って拭って洗って拭ってって、繰り返すのがものすごく面倒くさい! 周囲汚れ防止にナイロンシーツ(※)と、傷口やデリケートな部分を洗うためにお湯を入れて一気に洗い流せる洗浄用のボトル(※)それと膿盆(※)が欲しい! いちいち拭うのは、とても手間だし、めんどくさいし非効率だわ。 じゃーっと一気に洗い流したい! この世界にナイロンなんてあったかな……いや、もう、最悪、油紙か液体のゴムでもあれば作れるのでは? ……よし、代用品を作る方向で、後で考えよう。)
そんな思案をしながらも、次々に洗浄しては新しい布を当て、大きめの布を三角巾の代わりに傷口に当て、しっかりとずれないように、しかしきつくならないように固定する。
「次は体……。 あぁ、ありがとうございます。」
すでにズテトーラ様によって鎧もその下の服も脱がされていたので、服の方を裂いていき、同じように傷口を洗浄していきます。
鎧があったおかげで、思ったよりも傷は浅そうだが、それでも四本の引き裂かれたひどい傷。
前世では私も飼っていた、可愛いがお仕事の猫のひっかき傷でも相当に痛いのに、これは何の魔物の傷なのだろうか。 傷の周辺は紫色に変色し熱を持っていて、そっと傷口に触れれば、騎士様がうめき声を上がる。
(そう、これだけの傷で、ここまで局所的に熱を持っていれば、相当痛いわよね。)
魔物の傷であれば、魔力や呪いの類による魔障の影響があり、通常の傷よりも治りは悪く、致死率は高いと、市井で流行風邪が流行り、修道院併設の医療院の手伝いに駆り出された時に修道女様に聞いたことがある。
今まで実際に見たことがないからよくわからなかったけれど、これがそうなのかもしれない。
触れれば呻き声が上がり、体は力が入って強張る。
「痛いですわよね。 申し訳ありません、今、傷口を洗っています。 もうすぐ終わりますからお許しくださいませ。」
私がそう声をかけると、ふっと、噛み締めていた口元が緩まれたようで、全身の緊張が少しだけ解れた気がした。
全身の筋肉に力が入っていると、実は看護・看護援助は難しくなる。 だから全身の緊張が少し和らぐこと。 それだけで、随分と作業は楽になるのだ。 まぁ、抜け切ったら抜けきったで難しいのだけれど。
相手の不安や緊張を和らげること、これは処置をするのに大切なことだった。
(ここまですっかり忘れてたけど、やっぱり処置の時の声掛けは大事だわ。 処置中は、相手は何をされるかわからなくて不安になるから、こまめに声掛けしなさいって先輩言ってたもんなぁ……。 先輩のお言葉、異世界でも役に立ってます、ありがとうございます!)
おぼろげに覚えている大先輩に心の中でお礼を言いながら、傷口の洗浄を終え、当て布をする。
この体幹部分の布の固定は、背中から布をまわし、前で着物を合わせるような方法で、固定する形にする。 体が動かせない中で、包帯ぐるぐる巻きにするより、傷の観察も布の交換もやりやすい。
「騎士様。 傷を洗い終わりましたから、今度は体を拭かせていただきますね? 体を何度か動かしますので、お辛いようでしたら、少しでもいいので声を出してください。」
そう言って清拭を始めるため、背中の傷のない部分を触った時に気が付いた。
(うわ、熱……っ。 え? もう熱が出るの? 受傷から何時間もたってないのに? 今晩あたりからじゃないの? あれ? この発熱は、外傷性の、侵襲による発熱か、魔障によるもののどちらかであってるよね? うわ~、頼むから敗血症には絶対にならないでほしい……。)
全身性の細菌感染、なんてどうしていいかわからない。
この世界の今の私に出来ることを考えるが、クーリングくらいしか、浮かばない。
幼い頃公爵家で熱を出したこともあったが、確か体温計すらこの世界にはなかったはずだ。
目の前の騎士様の現在の体温が、どのくらいかわからないけど、体感ではかなり高い気がする。
(なんとなく39度くらい? あ、私今冷え性だからもう少し低いかも……? どちらにせよ、体温計と血圧計と酸素飽和度測定器と聴診器がほしい……。 数字で全身状態を確認したい……。)
そう思って首を振る。
ない物ねだりはしないと決めたばかりではないか。
とりあえず全員の清拭が終わったら、この世界で出来る中の、最大の範囲で考えよう。
(そうだ、昔ならではの氷枕なら、水筒袋を使えばなんとかできるかもしれないじゃない。)
よしよし、と自分の頭の中の前世の様々な知識と、こちらの生活水準をすり合わせながら、私は清拭を進めるのだった。
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膿盆→枝豆みたいな形をした大きな金属orプラスティック製のたらい? 様々なサイズがある。
ナイロンシーツ→ 裏側が水を通さない撥水加をしたシーツ おねしょシーツ。 ただし蒸れる。
洗浄ボトル→ 陰洗ボトルとも。 いろいろな形がありますが、食器洗い洗剤のボトルとか、お好み焼きのソースのボトルを想像してください。
炎症→炎症は、『熱感』『腫脹』『発赤』をもって『炎症と定義』される。
敗血症→何らかのウイルス、又は細菌に感染する感染症が原因で、全身に感染が広がった状態。
★参考文献等で確認をしていますが、間違ってたらごめんなさい。