表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/57

不死身と結

 ページを捲る音が鳴り止まない。

 まさに没頭というやつだ、全く辞書から離れる様子がない。俺が先に小説を読み終えても、向こうは辞書を読んでいて飽きないようだった。

 俺の方が読書に飽きてしまって、しばらく寝転がっていた体を伸ばすように起きる。

 没頭しているとはいえ、俺の動きに反応するのは相変わらず。


「俺のことは、気にしなくていいのに」


 苦笑いをしてそう言ったけど、彼は俺の言葉に構わずこちらを見ている。俺がどこかに行こうとしたりするのは、放っておけないんだろう。


「どう? 辞書面白い?」


 そう尋ねると彼は少し俯いたが、再びこちらを見て上げて返してくれた。


「……読んでいて、飽きない」

「そっか。言葉選びの手助けになって、結構楽しいでしょ?」


 俺の言葉に、彼はコクリと頷いた。

 なんとなく俺もそうだったから、その感覚がわかる。言葉を知れば知るほどに、次に繋がる言葉を見つけられるのが辞書の良さだ。


 俺も初めて辞書を手にした時はそうだった。

 言葉を説明する言葉というのは、有り難いもので。自分が何を思っているのか、自分が何を感じているのか、それを伝えるのは言葉なのだ。意思疎通をする時に必要な物でもある、それを教えてくれる人がいなかった俺にとって辞書は……言葉を教えてくれる親のようなものだ。


 親。


 その言葉を思いついて、少しため息を吐いた。

 自分の親はどんな人だったか、俺は知らない。正確にはこの体質を疎まれていたことは覚えている、それだけしか覚えてない。

 気持ち悪いと吐き捨てられて、存在を拒まれたことを思い出せるが。その経緯に至るまでを覚えていない。もしかしたら、俺自体が悪いことをしてしまって……そう言われても仕方ないことがあったのかもしれない。

 愛された記憶がない自分にとって、親という言葉は苦手なものだった。


 彼はどうなのだろう。そこが気になってしまって、俺は彼に尋ねた。


「ねぇ、親は? 兄弟とか」

「……オヤ?」


 彼にはわからない言葉だったようで机に向き直ると、辞書の索引からその言葉を探していた。しばらくして見つけたのか、彼の指がページの上で止まった。


「……親はいないと思う。知らない」


 言葉の意味は理解できるのだろうが。戸惑った様子から、本当に親の顔すら知らないのだろう。次に兄弟という言葉を調べて、意味を読んでから続けて話してくれた。


「兄弟は……わからない。居るかもしれない」

「居るかもっていうのは?」

「……年齢が、近い人はいる。でも、よくわからない」


 言語化するには難しい関係なのだろうか、彼の背景は依然としてわからないままだが。俺のように複雑で、淡白なものなのかもしれない。

 死んだら終わり。泣いてくれる人も、心配してくれる人もいないような……そんな関係のまま、ずっと過ごしているのかもしれない。


「そう、そっか」


 それ以上、話を広げることも探ることも止めた。

 きっとこれ以上は、まだ向き合うのは難しいだろう。俺も未だに母親との記憶に戸惑い、悩むくらいだ。

 親という言葉も、兄弟という言葉も。今、知った彼には難しい。

 彼を気遣っていたところで、彼が口を開いた。


「……不死身?」

「え?」

「不死身……火傷も残ってなかった」


 どうやら、俺の体質について尋ねたかったようだ。彼はそっと辞書のページを開いて単語を指す。俺はその言葉に目をやった。


【不死身】

 不死、死なない体。または折れない精神のこと。


 この場合は死なない体の方の意味だろう。彼にそう問われたので、特に隠すこともなく俺は話した。


「そうだね、俺は不死身なんだと思うよ」


 こんなに他人事なのは、求めて得た力ではないからだ。

 どうすれば死ねるのか、試しても試してもその答えを得ることはできなかった。

 絶望しても終わらせることもできない命に、いつの間にか他人事になってしまった。

 彼に伝えると、戸惑いながら彼は返した。


「じゃあ、私に与えられた命令は。どうすればいい……?」

「だから、俺のことは守らなくていいよ。気にしなくていい。どちらかといえば……俺は君の命の方が心配。俺のことは庇わなくていい」


 不死身の体を守る必要はない、それを伝えると彼は少し悩んでいた。困っているようだ。

 命令は絶対だが、俺の体は不死身だから。どうしていいか、わからなくなったのかもしれない。


『ふふ、良いじゃないですか。もう既に彼は【貴方を守る】という命令を死んでも守りますよ』


 上官の言葉を思い出して、俺はため息を吐いた。困った彼に落ち着けるように話し出す。


「俺は死なないんだ。だから、気にしなくていいから。ね?」

「……難しい」

「うーん、そうかな?」


 難しいと言われて俺も困る。

 それでも、まぁ……この子が無茶しそうなら、俺が止めればいいか。そんな結論に至った。

 彼にはまだ思うことがあったようで、小さく声を投げかけてきた。


「……どうして、敵を殺さない?」

「それは」


 そこも気になっていたのかと思いながら、俺は少しだけ俯いて言葉を返した。


「俺は、誰かの人生のオチになりたくないだけだよ」


 自分が不死身だと気がついた時から、自分の手で誰かを殺す度に『死んだ人間の最後の光景』を想像してしまう。

 痛みと苦しみに歪んだ視界の中で、無表情の俺が見下ろす。それが最後の光景、それがその人の物語の幕引き。

 俺にはない、命の終わり。

 俺にはない、起承転結の、結。

 それが羨ましいのと同時に。誰かの人生の終わりに、自分がなりたくなかった。


「それだけだよ、別に俺は死ねないし。相手を殺す必要もないからね」

「……」

「納得いかない?」


 わかりやすく説明したつもりなのだが、彼は無表情のまま黙っていた。


「……わからない」


 そう正直に言ってくれた方が、まぁ有り難いのだけれど。これ以上の言語化は俺には難しいと思い、『そっか』と小さく返事をするだけにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ