小さな影
頭が痛い。自分の性格的に、割と気にしない方だったのに。こればっかりは……どうしてこうなったのか。
強襲隊なんて物は名ばかりで。俺一人だけで、めちゃくちゃ気楽だったのに。新しい入隊者が子供だなんて。
そもそも、あの動きはマトモな子供ではないことはわかる。一体どこから来たのか、何者なのか……やることがいっぱい増えてしまった。
「ねぇ、入隊に関する書類とか貰ってる?」
俺に声をかけられて、フードの子がスッと書類を出してきた。あぁこういうのは素直に出すのねと、書類を受け取り目を通す。たしかに正式的な書類だ、つまり国は『この子を強襲隊所属の軍人として認める』ということになる。
少し違うのは個人情報の記載が全くないところか、名前も年齢性別も全く記載されていない。
全く、あの人はやりたい放題だな。偉いからこんなインチキ書類で通るんだろうけど。
「えっと、ここにくる前はどこに居たの?」
「……言えない」
「言えないのね……」
俺は頭を掻いて、フードの子の様子を再び見る。
じっと座ったままで姿勢は良い。いつでも反撃できるように構えているのは見ていてわかった、こちらを完全に信用していない。トグロを巻いた蛇のように静かだが、下手な手の出し方をすると飛びつかれるだろう。
体は小さくても、その威圧感は伝わってきて触れづらいが。このままでは話が先に進まない。
「ごめん、せめて性別だけでも教えて欲しいんだけど。君は男の子、女の子?」
「……男」
「そっか、教えてくれてありがとう」
ありがとうと言われて少年は少し首を傾げていたが、それでも向こうから口を開くことはない。ただ俺に聞かれたことを淡々と返してくるだけで、その落ち着きは十四歳のようには思えない。
再び書類に目を通すと、別用紙が含まれていることに気がついた。
変態が『決定事項』と称した内容だった。
1. 彼には『隊長を守ること』と命令してある
2. 命令の優先度は 上官である私>隊長である君 ということになっている。君が何を言おうと、彼は君の傍を離れない
3. 彼の私物等は君の部屋に送られている、確認しておいてくれ
それでは楽しんでくれ
「ほんとに勝手な人だな」
楽しんでくれって何をだよ……変態の思考は全然わからない。それにしても、何が目的なのだろうか。たしかに俺は子供が苦手だが当てつけにしても、ここまで意味のわからないことをするような人ではなかった。
変態といっても、人をまとめるほどの頭はある。自分の欲望と同時に戦績を積み上げて、この国の窮地を勝利へと導いてきた人だ。
ただ、変に頭が回るせいで『俺みたいな』暇つぶしを見つけては、遊んで性癖を拗らせてるわけで……いや、やめよう。変態の思考がわかっていたら、ここまで苦労してない。
変態は変態なのだ。
頭を切り替えるように、俺は少年に声をかける。
「えっと。本当に、名前はなんでもいいの?」
「……命令なら」
「その、命令ってわけじゃないんだけど。あの人……いや、その辺は上官から何も言われなかったのかな?」
彼はゆっくり頷いて、こちらをじっと見つめているだけだ。
名付けを求められても……と遠い目になったが、彼は嫌そうな顔をしない。
「とりあえず出撃の命令が出たら外に出るけど、今日はここで暇潰して終わりだと思う。君の私物が俺の部屋に届いているみたいだから、帰還したら荷解きしようか」
「……はい」
それだけ言うと、俺は静かに書類をまとめて置いた。読書に戻って、平静を取り戻そうとした。
ページを捲る音だけがするだけの車内で、俺だけが落ち着かず。少年を見ると、彼は姿勢も変えずにじっと壁を見つめているだけだった。
***
結局。後処理しか求められなかった戦場に自分の居場所はなく、何事もなく帰還した。帰還する最中も彼はじっとしたまま、まるで置物のように静止していた。
装甲車が拠点まで戻ったことに気がついて俺が立ち上がったら、少年も同じように立ち上がったのを見ると。やはり上官の命令は絶対で、俺から離れないというのは本当らしい。
何を言わなくても後をついてくれるのは水鳥の雛のようで愛らしくも感じるが……いや背後に何も感じないんだこれが。
完全に気配を殺している。どう考えてたって子供のかくれんぼから逸脱しているのだ。足音も気遣いも何もかもが、そこに居ることを忘れそうなくらいに静かだった。
そして俺の部屋についてみれば、さらに彼の境遇や背景を察するような気持ちになり心を暗くする。
「荷物はこれだけ?」
まぁ、俺の部屋にも物はほとんどないし。大きな箱で三つくらい送られてきたって問題ないか、なんて思っていたのに。そこにあるのは彼の衣服だけだった。
俺ですら本ぐらい読むのに……本当に何もない子だと思った。物を持たないのか、持てないのか。黒い糸を引く大人の気配を感じてしまうのは、自分も武器を持たされて戦場に出された側だからだ。
いや、今は彼の背景まで考えていられない。
彼の部屋やら何やら手続きをしないといけないため、自室を離れて拠点の事務員に確認しなければならない。
そもそも自分はあくまで、強襲隊の隊長なだけで。施設関係の決定権なんて持ってないのだ。書類を通して要望を申請できる権利と、出撃命令が出たら好き勝手できる権利くらいしかない。
時々すれ違う人が俺を避けるのは慣れているんだけど。いつもと少し反応が違うのは、影に隠れた小さな少年の姿か。大半がここに居るはずもない子供の姿に狼狽えているような感じだ。そりゃそうだ、俺だってさっきまでそうだったし。
拠点の整備やらの窓口に来て、色々と確認できたと思ったら。
「申請不可って……空き部屋がないってこと?」
「想像にお任せします」
「あぁ……察した。どんだけ嫌がらせしたいんだ、あの人は」
門前払いとまではいかないが『申請不可』の一点張りで、なんとなく後ろにいる変態の気配を感じた。これは何を言っても無駄なのだろうと来た道を戻る。
部屋を用意してもらえて、この子と離れられる時間ができると思ったのに。それがなくなったわけで……どうするんだ、これから。
この子だって、ずっと気を張っていたら疲れるだろうに。目をそちらに向けるとジッと俺を見つめている。
どうしよう、困ったな。
「これはこれは隊長さん。何してるんですかぁ、こんなところで」
あー、この声は。
絡まれてる余裕がないのに。
でも無視をすると逆上するし、仕方ないから少しだけそちらを見る。俺よりも背が低く、小馬鹿にするように話しかけたのはセンスティという奴。なにかと俺に絡んでくる男だった。
「お前って子供のお守りもするのか、本当に何でも屋だなぁ」
「アンタって世間話みたいに機密をペラペラ喋っちゃうから、毎度思うけど調査班に向いてないよね」
そう言うとセンスティは顔を真っ赤にした。
なんでこう……反論とまでいかないが。ちょっと言い返されただけで、こんな反応になるんだか。
「この子のことを知ってるのは上官だけだと思ったけど。アンタが知ってるってことは、もう色々と根回しされてるのはわかったよ」
「は? 何言って」
「俺、忙しいんだよ。放っておいてくれる?」
ちょっかいを出す子供を払うように彼を背にしたが、その態度が気に食わなかったようだ。
まぁ、いつもなんだかんだと嫌味につき合ってやってたし。構ってくれない俺に腹が立ったんだろう。
怒った彼が呼び止めようと俺の肩に手をかけた、その時だった。
「ぎゃっ」
短い悲鳴に振り返ってみれば、しまったと口が勝手に動いていた。
そこには腕が変な方向に曲がってしまった男と、それを見下ろしながら追撃をしようとする子供がいる。
俺は少年の方の手を掴もうとすると『その手はなんだ』と目で訴えてきた。
「やめてあげて、その人は戦闘員じゃないんだ。やりすぎだよ」
「……命令?」
「命令」
それだけ言うと、彼はセンスティから離れる。また俺の影に隠れるように背後に立つ。すぐに医療班を呼び、事情を説明したが。
先が思いやられると重たい頭を押さえた。