9 父と息子のボールゲーム
子供って、とても不公平な立場に置かれてしまう存在だと思う。
まあ、聞いてくれ。
僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。幼年学校の友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。
父はいるが、母はいない。最初は遠くに出かけたと騙されていたが、そうじゃないってうちの墓地に迷いこんだ時に気づいた。
うちの父は子供のことを思って黙っていたのかもしれないが、子供だっていつまでも騙されていないのだ。
僕は母の墓を見て泣いてしまったが、祖父が慰めてくれた。母が亡くなった病気のことは大人でもまだ辛く悲しすぎて語れないことだから、僕が大人になるまで待ってくれと言われた。
『今のフェリルドには言えまい。彼女のことを知るのは、もうフェリルドとお前だけなのだよ、アレンルード。フェリルドはお前が大人になるのを待っている。いつかフェリルドよりも強い男になって、その悲しみを聞いてやっておくれ』
『うん、・・・うんっ』
父は叔父と仲がいいが、叔父は母のことはあまり知らないそうだ。母のことは僕もよく覚えていない。
双子の妹は僕と同じ顔をしているが、母が病気で亡くなったのと同じ頃に、言葉が分からなくなっていたそうだ。今もぶつ切りで言葉を喋るのはそのせいかもしれない。
記憶と言葉を失い、おかしくなった子。よその家の人や心ない人達から妹はそう呼ばれることもあった。
祖父の家に飾られている両親の肖像画。そこには父が求婚した時の言葉が添えられている。
『可愛らしい人。君に一目惚れしました。この薔薇のように燃えている私の心を受け取り、どうか私の妻になってください』
『私も初めてお見かけした時からあなたのことをお慕いしておりました。とても嬉しくて夢のようです。喜んでお受けいたします』
祖父の家にある僕の部屋には、母が僕や妹と一緒に笑っているフォトが飾られている。そのフォトの中にいる僕と妹は生まれた時から4才までで、それが増えることはない。
だけど僕は、廊下に飾られている両親のその絵が好きだった。
髪と瞳の色は父譲り、そして顔立ちは母譲りと言われている僕と妹は、そんなお互いの名前も知らずに出会って惹かれ合った二人から生まれてきた。
だから我慢できる。
僕だって悲しくて寂しいけれど、父はもっと辛い気持ちだからだ。
学校の友達から「お母さんがいない可哀想な子」だと言われていても、そんなものだと思っていられた。だってフォトの中にいる僕達はとても幸せそうだ。
母がいなくなったのはとても辛く悲しい。けれど、どんな母親でもいいわけじゃない、新しい母親などいらない。
ウェスギニー・インドウェイ・リンデリーナ。
父の横に立ち、僕達が母と呼ぶのはあの人だけだ。
そして叔父の執務室で、父の名前が書かれた箱の一つに積み上げられた処理済みの手紙。
『おじ上。これって・・・』
『ああ、兄上への見合い話さ。だけど兄上は、再婚の話を全て断らせるんだ。亡くなっても愛している妻はリンデリーナ殿だけだそうだよ』
『そうなんだ』
中に入っていたフォトを見せてもらったら、綺麗な人もいた。はっきり言って母よりも美人だった。
だけど父は美人を見慣れているそうで、それは再婚の決め手にはならないよと、叔父は言った。
『兄上はわざと野暮ったくなるように髪の毛を変な位置で切ったりしていた人だからね。あまり美醜は気にしないだろう。今はルードとフィルのことしか考えてないよ。だからルードをここに預けるのさ』
『ウソばっかり。父上、フィルのことばっかりだよ。ボクのこと、ジャマだからこっちにおしつけるんだ』
僕は知っていた。父がいつも妹のことばかり気にしていることを。
何かと僕のことは命令してくるくせに、妹には怒ることなくいつだって言いなりだ。
『何言ってるんだ。元々、ここがお前達の暮らす家さ。それにフィルは結婚してよそに行くけど、お前はウェスギニーを継ぐ子だ。だからこっちに預けて父上や私の仕事を間近で見させ、お前に立ち居振る舞いを学ばせているんじゃないか』
『え? 何それ』
父は僕が邪魔だから叔父に押しつけているんだって思ってた。何故なら僕を祖父の家に行かせても、妹はいつだって父といたからだ。
『何それじゃないだろう。フィルは幸せな花嫁さんになればいいけど、ルードはウェスギニーを守って戦う力と賢さを身につけないといけない。フィルではなくルードを父上の側にいさせることで、兄上はルードこそが跡継ぎだと内外に示しているんだよ。子供の内から、もうそれは始まっているんだ』
『え? そうなの?』
『当たり前だろう。だが、いくら兄上の子供でも、ルードがウェスギニーを駄目にしてしまう愚かな男になるなら継がせられないよ。そこは理解しておきなさい。だから父上だって、今からお前に礼儀作法を叩きこんでいるんじゃないか。それはフィルと違ってお前が手にするものが多いからだ』
『そ、・・・そうなんだ』
いつも頼りない妹だけが可愛がられ、気を遣われているのは、とても不公平だと思っていた。
だけど祖父にも聞いたら、叔父の言う通りだと頷く。
妹自身が悪いわけではないが、一度は記憶を失い、言葉を失ってしまった以上、僕の妹は、既に貴族の令嬢としては欠陥品と言われてしまうのだと。
貴族と結婚しようとしても最初の縁談時に侮辱されて低く価値を見積もられるだけだから、もう平民と結婚した方が幸せだろうと。
『どうしようもないことなのだ。フィルが嫁いだ家で、何かとその夫の親族達にあげつらわれても、それは事実だから仕方ないのだよ。そんな家で耐え続けるより、フィルは大事にされる家に嫁いだ方が良かろう。貴族社会とは、縁組する令嬢の格でも値踏みされるものなのだ』
『ボクも? ボクもねぶみされるの?』
『そうだな。子爵になるというそれがお前の価値とされる。だからルード、レミジェスからよく学びなさい。たとえ子爵を継がずとも、レミジェスはその代行としてフェリルドよりも貴族社会を把握している』
僕は子爵家を継ぐから貴族令嬢との結婚になるだろう。
だからこれからの社交界で恥をかかない立ち居振る舞いができているのは当然で、ここでの教育に不満ならば妹とその立場を変わっても構わないと、その時ばかりはウェスギニー子爵家当主の顔で祖父は僕に言った。
『不公平だと思うのであれば、アレンルード、お前はあの家でフェリルドに可愛がられ、甘やかされておればよい。その代わり、アレナフィルをこちらに来させよ。そうなれば女子爵となるべくこちらもアレナフィルを教育しよう。
嫁ぐ貴族令嬢としては傷物とされても、子爵家を継いで婿を取る立場となれば、全く問題にはならぬ。それでも立ち直ったアレナフィルは価値を上げ、縁談が殺到するだろう。その中から良い男を選べばよい。
だが、お前はよそに婿入りするか、自分の力でどうにか生活する手段を見つけるしかあるまいな。婿入りする以上、今度は自分の気持ちを押し殺して結婚相手の機嫌を損ねない、つまりご機嫌取りの方法を学ぶしかあるまい。・・・まあ、フェリルドのことだ。あの小さな家ぐらいはくれるであろうよ』
言われてみて僕は気づいた。
性別が違うだけで、僕と妹は同じ時に同じ両親の間に生まれていることを。そして女の子でも父の跡継ぎになれることを。
僕が暮らしている家はそれなりに大きいけれど、それでも敷地や建物の大きさ、使用人の数で言えば、ウェスギニー子爵邸とは雲泥の差だ。
(どんなにフィルをかわいがっていても、父上は、ボクをえらんでくれていた。フィルをえらんでいれば、けっかんひんなんて言われないのに、それでも父上はボクを・・・)
僕には子爵家の当主となるか、よその貴族の家で妻になる人の使用人扱いの夫となるかの二択。
妹には女子爵となるか、使用人の有無も分からぬ平民の家に嫁いで主婦として生きるかの二択。
とっくに父は僕に前者を、妹に後者を選んでいたのだ。
甘やかされて何でもおねだりを聞いてもらえることだけが親の愛情ではないのだと、あの時に僕は知った。
だけど、だからって妹に対してあまりにもひどくないだろうか。
僕の父は猫可愛がりしている娘に対し、実はとても冷酷な判断を下した人だったのだ。
『ボク、・・・ボク、かしこく、つよくなる。そしてね、フィル、ふこうにさせないっ。フィルは、ずっとボクといっしょにいればいいんだっ』
うまく言えなかったけど、叔父は僕の気持ちを聞いてくれて、お前はとても優しくていい子だねと、頭を撫でてくれた。
― ◇ – ★ – ◇ ―
そんな僕の決意をよそに、妹はけっこう好きにやっている。
父とマーサの甘やかしぶりはひどすぎる。
僕は礼儀正しくおじいさま、おばあさま、父上、おじ上、マーサおばさんと呼んでいるのに、妹はおじいちゃま、おばあちゃま、パピー、ジェス兄さま、マーシャママといったそれで、礼儀正しさなんて全くなくても許されている。
いくら外に嫁がせるつもりだからって、ここまで好きにさせていいものなの?
祖母だって、
「たしかに平民と結婚する方が肩身の狭さもないでしょうけど。だけどどなたかいい貴族の方に望まれれば問題ないんじゃないかしら」
と、首を傾げていた。
『フィルがウェスギニー子爵家の娘であることには変わりないわ。それこそルードのお嫁さんになる人のおうちにフィルが嫁ぐなら問題ない筈よ。その家からうちに嫁いでいるなら、フィルがいじめられることもないと思うのに』
勿論、祖父母や父や叔父の思惑がどうであろうと、僕はいずれ子爵家の当主となり、妹一人ぐらい養ってあげるつもりだからいいんだ。いいんだけど、いいんだけどさ、・・・なんか本当に妹をよそに嫁がせる気あるんだろうか、この人達。
「自分のことフィルっていう子、あまりにも赤ちゃんすぎないかな。もう少しきびしくしてもいいんじゃないかな」
「いいじゃないか。可愛いんだし」
「おじ上がひいきする」
実際、社交教育以外、僕と妹の扱いは変わらない。
それでも僕達は仲良くやっているし、一緒にいると落ち着くからそれでいいんだと思っていた。
僕だって子供じゃない。ある日いきなり赤ちゃんになってしまったというアレナフィルは、僕にとってかなり年下の妹になっちゃったんだって、今では分かっているつもりだ。
(そりゃ見た目は同い年でも、フィルはまだこどもなんだ)
だけどある日、父は僕がはまっていたツイストボールのクラブに通うのをやめろと言ってきた。ちょうど初級と中級コースが終わったところだったので、次のコースを習いに行っていいかと、許可を尋ねておいてもらったところだった。
しかもミントンボールのクラブもだ。ひどすぎる。
マーサからは、僕の体の成長を思ってのことだと言われたけれど、別に他のクラブメイトの子達だって何も問題は起きていない。
これは横暴だと思うので、父の早い帰宅の日を待って直接文句を言うことにした。
父は僕がどれだけ熱心に取り組んでいたかが分かっていないんだ。
すると父は言った。
『ルード。私と出かけようか。フィルは連れていかない。女の子だからね。そして何があったか、誰にも言ってはいけない。さあ、出かけてみるかい?』
『・・・父上。ボクをひどい目にあわせる気?』
なんかごちゃごちゃ言っていたけれど、僕は父を信用していない。僕と差をつけているようでアレナフィルにはちゃんと喜んでもらえるプレゼントを考える叔父と違い、父は甘やかすだけ甘やかしておいていずれ娘を適当な家に嫁がせて終わりにする冷酷非情な人だ。
みんなには見えない所で、僕をいじめるかもしれない。
『心外だな。本格的なゲームを見せに連れていってあげようと思っただけさ。あんなとろとろしたものじゃなくてね』
『とろとろなんてしてないっ』
僕達は本気で頑張っている。どれだけスピードやフェイントも練習しただろう。
父はとても意地悪な人だ。
『はいはい、そうだな。ルードは子供のボール蹴りで十分だ。大人の激しくスピード感あるゲームなんて見るのも怖いだろう。特別チケットだったが、私は一人で行こう。残念だが、ルード。それならフィルといい子でお留守番しておいで』
『行くよっ。行けばいいんだろっ』
『よし来た。ああ、友達には内緒だぞ。迫力が違いすぎて非公開試合なんだ。いいな?』
『う、・・・うん』
父はあまり人にひけらかさないようにしているが、とても運動神経がいい。そんな父が、迫力が違うと言うボールゲーム。
どんなタイプのゲームだろうと思ったら、まずは僕の体にあった防具が必要らしい。
『当たったら危ないからちゃんと防具をつけておかないとコートに入っちゃいけないのさ。お前、見たらどうせちょっとやってみたいとか言い出すだろ?』
『そ、それはそうなんだけど』
そうして僕は移動車に乗せられ、父に見知らぬ建物に連れていかれた。
『ここで何するんですか?』
『お前専用の防具が必要だからな。子供がやっちゃいけないスポーツは防具必須って知ってるだろ?』
『うん』
『だから今回は特別だ。いい防具をつけておけば当たっても痛くないし、せいぜい弾き飛ばされるだけだが、怪我もしない』
色々な人達が僕の体を計測し、色々な物を持たせて振り回した時に負担があるかないか、そういったテストをしていった。
そのゲームに使うボールや道具はオーダーメイドで、専門家の人が調べて体に合ったものを用意するらしい。
『父上。ここまできびしいボールゲームって何ですか?』
『それだけ頭も体も要求される難しいゲームなのさ。だから言っただろう、ルード? あんな子供達とやるようなお遊びよりも興奮できると。・・・怖じ気づいたかい?』
『そんなことありませんっ』
立ち聞きした僕は知っていた。
普段は大人だけでやるゲームだが、今回は特別に子供を入れてみようという話になったらしい。
ちょうどいいと、父はそれに僕を参加させることにした。僕がやめると言えば、違う子供が参加する。
やってみたかった。子供でもトライできるチャンスがあるなら体験してみたかった。
『すぐ泣き喚く子や反射神経の鈍い子は問題外ですからねえ。で、この子、本当に敏捷性はあるんでしょうね?』
『遠慮なくテストしてやってくれ。駄目そうならそれでいいさ』
『分かりました。じゃあ、ボクは防具をつけてこっちに来てくれるかい? その部屋の中で、様々な色や大きさのボールが上や横から君に向かってくるけど、その中から君は白いボールだけを掴んで、なるべく他の色には当たらないようにするんだ。当たってもそのまま続けて。あくまで白いボールを掴んでどこにでもいいから投げ返す。意味は分かるかい?』
『はいっ』
だってとてもわくわくする。僕がどれだけ動けるかをチェックされている横で、父は軽々と僕よりも凄いタイムを出していくのだ。
『どんなスポーツであれ、勝ち負けのあるものが好きな者は戦いたいのさ。戦って勝利する為にそのスポーツにのめりこむ。だが、ルード。お前がやってるお遊びなど、もうつまらなくなり始めているだろう? 参加できるかどうかの簡単なテストですら、かなり難しいだろう? だが、それで70以上を出してくれないとな』
『う、・・・うん。実は・・・。だって、すっごく速いんだ。だけどボク、すぐに84出したしっ』
『ああ。私とてお前ができないと思えば何も言わなかった。だが、できると思った。そしてお前は私の子供だ。試合本番では私が手伝ってやる』
『はいっ』
動きを捉える動体視力も必要だからと、僕はアーチェリーもやらされてスコアをとられた。結構はまった。
帰宅したら弓矢の競技を習いたいと言ったぐらいに面白かった。何なんだよ、アーチェリー。とっても楽しい。
ここはボールゲームの練習施設らしいが、実は軍が使っている様々な撃銃の練習施設も道を挟んだ場所にあるそうだ。
『なんだ、興味があるのかい? こっそり連れていってあげようか? みんなそういう練習は個人的な時間にやるから時間帯を選べば無人だ。子供が入りこんでいてもばれないよ。君のお父さんのゲストカードがあれば入れるからね』
『いいのっ?』
『勿論さ。だって子供には冒険が必要じゃないか』
僕の計測をしてくれていた人は親切で、こっそりその練習場へ僕を連れていってくれた。
本当の軍人が使うものは衝撃が大きすぎて僕では無理だろうからあまり反動のないタイプをと、僕でも使えるようなサイズのロング撃銃を装着させてくれた。ただし、何度も練習させられたけど。
とてもわくわくした。
『へえ、見事な成績じゃないか。姿勢もいい。何なら動く的を当てるというそっちもやってみるかい?』
『したいですっ』
父は僕を預けて仕事しに行っていたから、ばれずにすんだ。
(ボクに何かあった時、すぐ父上にれんらくができるようにって、この人、カードもたせられていたっていうけど・・・)
やはり父は息子の僕を誰よりも愛していて、実は特別扱いしたかったのだ。
ふっ、照れるぜ。
そう思ってしまった僕が甘かったのかもしれない。
うん。いつの間にか気絶させられていた僕は、どうやってか知らないけれど、知らない場所に運ばれていた。
目を開けたら、南国だった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
僕は国外に出たことがない。だけどここはサルートス国じゃないって気がした。だってこんな挿絵を見たことがある。
まさに木々が生い茂り、色鮮やかな鳥が飛び、野生動物が多く生息する場所として。
人はそれを南の島とか南の国とか呼ぶ。
そう、南国。
僕は父に連れていかれた計測用施設の白い部屋で寝ていた筈なのに、目を開けたら蒸し暑く、風も生ぬるいという緑溢れる南国が広がっている。
うん、意味も手段も流れも分からない。どうして泊まりこんでスコアを計測していた冷暖房完備施設から、いきなりもわっとした自然環境よすぎる場所にいるのか。
「目が覚めたか、ルード。気分はどうだ?」
「なんかとても暑いです。それより父上、どうしてそんなへんなかっこうしてるんですか?」
「暑いと感じるのは正しい。さて、水を飲んでおけ」
どうしてなのか、とても蒸し暑い。しかも湿度の高い水や草のにおいも凄い。
なぜか目の前には小川があって、寝かされていた場所は石でゴツゴツしていて背中が痛くて、しかも父も、そして無言で一緒にいる男達もとても薄汚れた肌の色になっていた。
父なんて、玉蜀黍の黄熟色の髪が濃い緑色に変わっている。肌も褐色になっていた。
いつもの艶がある髪はボサボサで、かなりガラが悪い。服も焦げ茶色と緑、・・・いや、分かっている。あれは迷彩服と呼ぶのだ。
そして僕はとても汚い、ぼろぼろの茶色く汗じみた服を着せられていた。
おかしいな、買ってもらった時はとても綺麗だったのに。泥水で洗濯でもしたの?
ところで父上。どうして僕は身に覚えのない大怪我をしているんでしょう?
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
父に言わせれば、これこそが本当のボールゲームだそうだ。
勝手にルードという愛称さえ縮めて、父はルーと呼んでくる。そしてガラが悪くなっていた。
「父上。ボールゲームというのは、ボールを使ってあそぶものです。これはボールゲームじゃありません」
「アホか、ルー。ちゃんと撃銃ん中にも弾丸は入ってるんだぜ? ただ、当たっちまったら怪我するか死ぬってだけさ。お前のボールゲームだってアウトになったら死んじまうだろ?」
「ゲームとしては死んだことになりますが、生きてます。これはボールゲームなんかじゃありません。戦いって言うんです」
ボールが動くのは一緒というが、撃銃から出ていくのは炎を伴う弾丸だ。しかも父や他の人達が持っているそれはとても太い。
どれだけの破壊力があるのか。
「要は本家本元のボールゲームだ。さあ、お前は今から、とっ捕まっていた場所から逃げ出してきた子供だ。運よく人里があったと思って助けを求めたら、実はもっとひどい民兵組織だったと知り、絶望する役割だ。うまく演じろ」
「あの、今からキケンは・・・」
「棄権は危険だぞ? ここで全滅させておかんと、どこから襲われるか分からん遊撃兵達に狩られる。父はここを潰さないと家に帰れないから、うまく殺されないように逃げろよ? 少しでも気取られたらなぶり殺しだ」
それは僕に人殺しを手伝えと言っているのでしょうか、父上。僕、まだ幼年学校生なんです。兵士じゃないんです。
「あの、父上。ここで安全に生きのびられる方法って・・・?」
「今まで俺は生き残ってきた。俺を信じて演じろ。ここの村は子供達を捕まえてかたっぱしから兵士に仕立てるから、入りこんだ方が生き延びられる。そして生き延びる為に、ぶっ放せ。お前が放り込まれたところにこのオモチャを放り込んでやる。お前はオモチャを使ってボールをまき散らす。簡単だろ?」
「・・・ボクは今までそんなの、あつかったことないんですけど」
「嘘つけ。もうお前は練習済みだ。そうだな?」
つまり入りこめる子供が必要で、父はそれに僕を使おうと思ったらしい。
僕は父にスポーツクラブの直談判するタイミングを間違えたのだと知った。
もっと後にしておけばよかった。そうすればこんな所に連れてこられなかったのに。
「あんだけ施設使って練習したんだ。後は実地さ。おめでとう、ルー。さあ、試合本番。みんなが君を待っている。ヒーローの出番だ」
「だけど父上。ボク、いつのまにか足とかにケガしてたみたいです」
ざらついた肌はとても汚れていて汗臭い。しかも太腿とかには大きなかさぶたや傷があって、見た目が痛い。つい、かさぶたを剥がしたくなる。
「ああ。怪我が全くなけりゃおかしいだろうが。お前の顔も首も、背中も色々な怪我や打撲の痕があるし、かさぶたもほとんど治っていたり、血が出ていたりさせてある。だが、痛みはないだろ? うまく怪我した場所が痛いようにふるまえよ? 幾つかはチェックされるだろうから擦り傷は本物にしてあるが、あとの作り物の怪我にしても偽装で血が滲む程度にはしてある。剥がしてもピンクの肌があらわれるようにな」
「はあ」
拒否権ってどこにあるの?
「あとな、ルー。お前の庇護欲を刺激する顔はそれなりに役立つ。フィルを思い出せ。ちょっと優しくされたら懐くなんざ、フィルそのものだ。あいつを誰よりも知っているお前ならできる。だが、絆されるな。どんなにお前に優しくしてくれても、あいつらは色々な場所を襲い、戦利品を持ち帰って暮らしている奴らだ。優しくするのも、お前を優秀な民兵にする為さ。折角だからその襲われた村をも見せてやる」
僕は、一つの里が襲われるのを安全な場所から見せられた。人が一方的に襲われ、傷つけられていく。勝手に入りこまれ、価値がありそうな物を盗まれる。それなのに被害者は一方的な暴力を受けては殺されていくのだ。
ここからでは遠い場所の残酷な行為が、幾つかの望遠カメラを通して僕の目に映る。
「ち、父上。助けられないんですかっ」
「どうやって助ける? 言っただろう、遊撃を得意とする民兵だと。だからほら、ああして離れた場所からも攻撃する。逃げても逃げられないのさ。どうにか逃げたと思っても、彼らの楽しい狩りが始まる」
「だけど、・・・あれは同じ人じゃないですかっ」
「そういう意識がない奴らなんだ」
僕の肩に、それまで無言で見ていた人の手が置かれた。
振り返れば真面目そうな顔でその人が口を開く。軽妙さを失わない父と違い、他の人は視線の先のそれに心を痛めているのだと分かった。
ずくんと心の底に重いものを感じる。
「君が参加しないのであれば仕方ない。だが、彼らは一人でも残しておくと、ああして襲い続けるだろう。人を殺して財産を奪うのが当たり前になった者は、もうそれをやめられないんだ」
「・・・だいじょうぶです。ボクは、ちゃんとはいりこみます」
僕のその言葉に嘘はなかった。
だけど父とその仲間達はひどいと思う。僕の気づかない内に、再び気絶させられていたようだからだ。
そこで「ようだ」というのは、僕にその記憶がないことが理由である。
(先に説明してくれてもいいと思うんだけどっ!?)
僕は気づいたら見知らぬ男達に囲まれていて、かなり乱暴に揺り起こされていた。
彼らが持っている武器には見覚えがある。あの里を襲っていた奴らだ。そして僕は丸腰だ。
「え・・・? ひぃっ、・・・あのっ、あのっ、たすけてくださいっ」
どうやら僕はそこに倒れていて、彼らに見つかったらしい。だけど周囲は岩などで人目につかない場所だったようだ。
彼らはこんな死角みたいな位置で眠っていた僕を見つけたのか。
あの里を襲っていた人達だと思うだけで恐怖に身がすくんだ。
【なんだ、こいつ。何しゃべってんだ?】
【外国人かよ】
「え・・・? 言葉が・・・」
父よ。あなたは僕にうまく入りこめと言ったけれど・・・。
まさか言葉が通じないなんて思わなかったよ・・・!
(ああ、フィル。ボクは今、とてもきみがなつかしい。ことばが通じなくなったボクたち、それでも目を見て、わらいあえればそれでおしゃべりできたね。あれが、こんなにもやくにたつなんて)
僕の妹は言葉と記憶を失ってから頑張ってサルートス語を覚えようとしたらしいが、それはとても難しかったらしく、何かと「これのおなまえ、なぁに?」だった。
僕は必死でフィルになりきった。
誰にでもまずはあのまん丸な目で見上げて、お喋りしようとして、だけどお喋りできずに落ちこんでは、カタコトで頑張ろうとする妹に。
(ボクは、・・・できるっ! 今こそ、フィルよっ。ボクにこうりんするんだっ)
欲しい物の名前が分からない時、妹は身振り手振りで自分が欲しい物や知りたい物を表そうとしていた。それを思い出す。
自分を指差して「ルー」「ルー」と言っていたせいか、僕の名前はルーだと理解された。
【おい、なんか、ルーが水ほしいっぽいぞ】
【なんでそれが分かるんだよ】
【いや、だってほら、コップにいれてもらって、こくこく飲む真似している。なんか一生懸命なのが面白いよな】
【顔も可愛いしな。どこの国の子供だよ、ホント】
【何なんだ、あいつ。見てて楽しすぎるだろ。大事に育てられたんだろうな】
怪しい子供だからと、鉄格子のはまった小屋に閉じこめられたけれど、怪我こそしていても外国のお坊ちゃんが誘拐されたのだろうと思われたらしい。
どうしよう、全くもってその通りだ。犯人は父だ。
僕の着ていた服はあまりにもボロボロだったので、誰かのお古らしい服をもらえた。汚れた盥に入った水で体も洗わせてもらえたけれど、僕はあちこちの傷が水で痛むフリをしながら体を洗った。
「ありがとう。ふく、うれしい」
【何言ってんのか分かんねえな】
【お礼でも言ってんじゃないのか? しっかし素直な子だなぁ】
【だよな。まずは礼を言うのかよ】
【お坊ちゃんってのは人を疑わないって奴か】
その服についていた血痕には気づかないことにしたけれど、彼らは決して悪い人というものでもなかった。
僕を小突く人もいたけれど、優しい人もいた。体を拭いている僕を、気持ち悪い目で見てくる人もいたけれど、可哀想にと傷跡を見て同情するような声をあげてくれた人もいた。
(だけどそれもボクを信用させる手だ。わざといじめる人と、やさしい人をそろえている)
彼らのそういう演技については、父の仲間達からも教えられていた。そうやって僕を優しい人に頼らせようとするのだと。
そんな僕達の間には言葉の問題が大きく立ち塞がっていた。
それさえなければ、僕はこの人達をそれでもいい人だと思い、父やその仲間達が攻撃してきた時も、彼らはいい人なんだと、庇ったかもしれない。
話し合えば分かると言ったのかもしれない。
だけど僕には、そこの人達と心を通じあわせる余裕も時間もなかった。
(みぶりてぶりでつうじ合えることって、用件だけなんだね)
はっきり言って待遇はあまりよろしくなかった。食事はまずかったし、座っているだけでも汗が出てくる。
そしてベッドじゃなくて鉄格子の檻の中でも眠れるものだと僕は知った。
(そっか。ねる時はベッドにいかなくちゃいけないとおもってたけど、そうじゃないんだ)
真っ暗な闇の中でも、虫や動物の声がうるさく響き渡っている。それでも夜が来たら、眠れるのだと知った。
その安眠もすぐに破られたけれど。
いや、なんだかパラパラと顔や体の上に落ちてきているなとは思っていた。だけど僕は寝ていたんだ。それぐらいでは起きない。
だが、ごつっという衝撃があった。
「ぐぇっ。・・・いたっ、何だよぉ、もう」
誰だって文句を言いたくなる。寝苦しい夜に上から何かが落ちてきて起こされたら誰だって文句言うよ。
真っ暗な天井から聞こえてくる父の声は低かった。
「これからこの村はドンパチになる。この小屋の扉を開けてくる奴がいたらそれをぶっ放せ。いいか、俺が声をかけてから迎えに来るまで、もしくはお前の本当の名前を呼んでから扉を開けるまで、誰が来ようがそいつに向かって、問答無用でそれをぶっ放すんだ。俺達は遠くからお前に声をかけても、お前ときちんと会話しない限り、この小屋には近づかない」
「・・・うん」
使い方は教えてもらっていた。
一気に数十発が発射されるそれはとても高価で、よそに奪われてはならない武器だ。
そんな危険なものを寝ている息子の上に落とさないでください、父上。そもそも子供の手が届く場所に置いてあることすら許されません。
言いたいことは色々とあったが、僕は手探りで防具を身につけ、ゴーグルを装着し、落ちてきた武器の弾丸装置を確認し、構えて安全装置を外した。
心臓はどくんどくんと大きく音を立てていたけれど、目をつぶってでもやれるように練習させられたのだから。
途轍もなく長い時間が経ったように思ったけれど、どこかで悲鳴が響いた。
【うわああーっ】
なんだなんだと、誰もが起きて動き始めるような物音や声がする。
【敵襲かっ!?】
【どこだっ】
【誰かぁっ、来てくれっ。殺されてるっ!】
僕は息をひそめて、言葉も分からない叫び声を聞いていた。
【ガキが手引きしたんじゃねえだろうなっ】
【だが、何も持ってなかったぞっ】
【ルーだっ、ルーを殺せっ!】
僕には理解できない怒号が飛び交っている。だけど僕には分かった。
誰が敵なのか。
【あのガキ見つけて集めたところをかっ!?】
【くそっ、どうして俺達のそれを知ってやがったっ】
【あのルーッ、血祭りにあげろっ】
どんなに優しくしてくれても違うのだ。
だって僕は知っている。本当に言葉の分からない子供に、大人というのはどう振る舞うものなのか。
ローグもマーサも、そして父も僕も、アレナフィルにそんな乱暴な言葉や怒鳴り声を聞かせることはしなかった。
だって何も分からない子だから。
一番わけが分からなくて不安な子供を怖がらせるようなことなどしてはいけないから。
(ああ、そうだ。ボクには分かる)
だから僕は構えた撃銃を扉の所に向け、ガタガタと扉が揺れた途端にぶっ放した。ドッガーンと、扉が消滅した。
(え? だって、あそこではこんなパワー、・・・なかった)
思ったよりも凄い威力で、僕を閉じこめていた鉄格子もガッシャーン、ガラゴラガラと、ぶっ壊れた。小屋の入り口も一部消失した。
ゴーグルや防具があったから弾け飛んだ鉄格子の破片も、僕に当たってから床に落ちる。それがなければ怪我していた。
(こ、・・・これ、とってもすごいものなんじゃ・・・)
そこでのこのこと外に出るのはまずいと分かっていたので、僕は消えてしまった扉近くの壁添いに身を隠して外の様子を窺う。
そこへ拡声器を使ったのか、一番聞きたかった声が大きく闇を切り裂いて響き渡った。
「目をつぶれっ!! 腕で顔を庇えっ!! 閃光火炎放射弾をぶちこむっ!!!」
考えている暇はない。
父の怒鳴り声に、僕は反射的に目をつぶって体全体を丸めた。
ドッガーンッ、ザーッ、ジャーッ、ガラガラガラッ、ドオオーンッ、ガーァンッ!
後から聞いたところによると、僕のいた小屋には影響のないように心がけたそうだ。その爆破は里の反対側を中心に行い、そこら一帯を消滅させるようにしたと。
だけど父上。あれだけ威力がありましたよね? 地面どころか、小屋の壁も揺れて、僕、あと少しで壁に潰されるところでした。実際、他の家も全て倒壊していましたよね?
父上。娘に向ける甘やかさの半分も息子に向けてほしいです。
僕、危うく異国の地で圧死するところでした。身の危険を感じてあちこちに転がったから落ちてくる壁とか天井とか屋根とか、そんな凶器からどうにか助かりましたけど、プロテクトがあっても偽装の傷が本物の傷になりました。
バラバラ落ちてくる建物の塊や欠片や土ぼこりで、もうゴーグルは使用不可状態だったんですよ? 服で拭いても拭いても粉塵がおさまっていないから、すぐに見えなくなってたんですよ? 記憶を頼りに見えない状態で動くのってとても大変だったんです。
何より父上。小屋が壊れてしまったら、迎えに来るまで待っていろも何もないと思います。
(出るしかないじゃないかぁーっ)
押し潰されて死んでしまうという危機感を覚え、小屋から這い出た僕は見てしまった。
行く手に立ち塞がる邪魔な木々すら、あの太くて長い撃銃からの水波カッター弾を撃ちこんでメリメリッと倒壊させ、枝の中に隠れていた遊撃兵達をスパッと倒していく人達を。
夜なのにどうして見えたかというと、明るい光が周囲を照らしていたからだ。さっきの凄まじい攻撃は地面を揺るがすだけではなく、辺りを明るく照らし出して、なかなか消えていかないシロモノだった。
(なに、あの人たち。どうして空中を飛んでるんだよ)
僕が渡されていたような反動のあまりない撃銃どころではないのだろう。一発、撃ちこむ度に後ろへと反動がきて、それで撃った人間も後方へと跳ね飛ばされるのだ。
だけどそれを利用して後ろに飛んで、その空中から再び撃ちこんでるって何なのだ。
(いや、ちがう。あれは体に何かをつけていて、そのはしっこが・・・?)
そんな普通なら腕が、いや、体がずたぼろになるだけの武器を軽々と操り、どう考えても人外だなって人達が、父とその仲間達。
僕は見なかったことにしようと思った。
「子供だからってとろとろしてんなっ!! 建物、全て焼いとけっ! 危険なもんは先に酸で溶かせっ!!」
「はいぃーっ」
あの、見てるだけでよかったのではないでしょうか、父上。
迎えに来るまでおとなしく待っていろと言いませんでしたか、父上。
危険物を溶かせるような酸なんて子供が扱ってはいけない超危険物です、父上。
それでも逆らう勇気なんてない。
泣きたい気分で僕は、言われた通り持たされた撃銃の設定をガチャガチャさせながら焼き払っていった。
父上。たまにそっちから変な爆撃が僕を掠めていきましたけど、つまり敵が僕の近くにいたってことですよね?
敵から僕を守ってくれるのは嬉しいんです。
だけど、・・・自分の近くをあんな凄まじいものが爆音立てながら通り過ぎていくのって、実の父親に殺されるのかなって、めっちゃ怖かったです。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
どうして僕はいつも気絶している間に移動させられているのかな。
爽やかな風が流れる白い部屋で、僕は目を覚ました。父はすぐ横にある一人用机に向かい、何やら書いていた。
僕が目覚めたことに気づいたのか、少し顔の角度を変えて笑いかけてくる。
「ああ、起きたようだね。気分はどうだい、ルード?」
「ここ、どこですか?」
「基地の中だ。体内の発信機も回収したし、お前の怪我も治したよ。まずは水を飲みなさい。頑張ったお前には、ほら、クロスリーボールのプレミアムチケットだよ。ローグさんかレミジェスに連れていってもらえばいい。さあ、おうちに帰ろうね」
父はいつものように清潔な服を着ていた。髪や肌も元通りの色だ。言葉遣いも普段通りに戻っている。
起き上がった僕に水の入ったコップを渡すと、机の端っこに置いてあったプレミアムチケットが入った特別封筒を指に挟んで見せてきた。
いつもなら飛び跳ねてしまうぐらいに嬉しいプレミアムチケットだが、僕はもうそんなものでごまかされない。
穏やかに笑って僕の頭を撫でてくる父からは、あのガラの悪い座り方も喋り方も消えていた。
僕も普通の服に着替えさせられている。
「どうしてボク、あんなものにつれていかれたんでしょう」
「楽しかっただろう? お前はまだ子供だから見るだけだったが、ほら、これでお前も体作りが大切だってことが分かっただろう? 私はあまりスポーツをしていなかったが、骨にも筋にも損傷は作らなかったからね、あの程度の反動でも平気なんだ。だけど今、お前が頑張っても、体を壊してしまったらアレができるどころか、普通のスポーツもセーブしなくちゃいけなくなる。分かったかい?」
「・・・はい」
僕はクラブに通うのを諦めた。父は善意で言ってくれていたのだと、嫌でも理解したからだ。
父が僕に嫌がらせでクラブに通うなって言っていた訳じゃないのはよく分かった。
(思いかえせば、父上っておかしい人だった。
母上が平民なのにけっこんしたのはどうしてなのってきいたら、恋におちたパパとママのところにかわいいお前たちが生まれてくるって分かってたからだよとか言ってたし。よそのワガママなおじょう様と結婚してたら、お前たちはブサイクでかわいくなかったかもしれないねとか。
ふつう、おじ上はもっとかたみのせまい立場になるはずなのにそうじゃないのはどうしてなのってきいたら、よその家はレミジェスみたいなかしこい弟をもたないからだよとか言ってたし、さりげなくひどい)
きっと父は家族を愛しているつもりなのだろう。
クロスリーボールの試合もなかなか取れない人気チームのチケットで、更に特別ブースのプレミアムチケットなんて凄すぎる。
愛情がなければこんなチケット、手に入らない。
後日、叔父にプレミアムチケットを見せたら目を丸くして、
「兄上はまた何をやってそれを手に入れたんだい? 貴賓ブースじゃないか」
とか言っていた。
王族の為に押さえられている貴賓ブースは招待されるかチケットを贈られるかしない限り一般人は入れない。
それだけの何かをこなさないと手に入らないチケットだ。祖父が問い合わせてくれたところ、その試合はそのブースが貸し切りだから好きに使ってほしいということだった。出入口も専用で、給仕も付くのだとか。
きっと僕の為に父はそれを要望して手に入れてくれたのだろう。愛はあるんだと思う。
ただ、どうしてだろう。何か釈然としないものがあるんだ。
(見るだけだったって言うけど、ボク、あのすさまじいの、うちまくりましたけど? しかも子ども兵士くんれん村のやきすて、ボクにやらせましたよね? 何より父上。あの反動が平気って、スポーツがどうこうじゃないって思います)
逃げた遊撃兵を追う間、安全にしておいた方がいいからと、村をすさまじい炎で焼くように命じられた僕の気持ちが分かる人がいるだろうか。柱一本残さず、村の周辺にも仕掛けられているトラップごと全て焼きつくせと、僕は命じられた。
しかし父の感覚では、僕はただ見てただけになるらしい。
そりゃね、追撃なんて行かなかったけれど、そういう問題だろうか。
(コレがフィルの言う、生きる世界がちがう人ってやつなんだね)
あんな非常識な戦闘をやらかす人にとって、たかが息子のクラブに通うかどうかなど、我が儘を許すとか許さないとかのレベルではないだろう。はっきり言えばどうでもいいんだよ、きっと。
クラブ内容に興味なんかなくて、僕の体の成長に支障が出ると判断して止めさせた。それだけだ。
父にとっては僕と妹のおねだりでさえ、朝食の卵を目玉焼きにするかゆで卵にするかどうかの違いにしか思えていないに違いない。つまり、好きにしろ、だよ。
反抗する気も失せた。父に反発してもきっと川や湖を殴るようなものだ。
「勿論、団体スポーツはいいことだ。やるなとは言わない。今は悔しいだろうけど、人生は長い。将来を見据えなさい、ルード」
「はい」
もう少し時間が過ぎて、上等学校に入ってからなら好きなスポーツを少しだけ再開していいと言われた。
体ができあがってからなら、好きなスポーツを好きなだけしていいとも言われた。
それまでは全身を使ってバランスよく遊びなさいとも。
帰宅前にまた体のチェックをされたけど、形だけだった。
『もう少し大きくなってまた来てくれれば、成長具合をチェックしてあげよう。何と言っても未来の軍のホープだ』
『えっと、ボク、おじ上の仕事をつぐので・・・』
『おや、残念。だけど子供なんて、いくらでも将来設計は変わるもんさ』
よく分からなかったけれど僕の体はとっくに検査されていて、骨の成長具合も数値化されていたらしい。
僕の計測をしてくれた人が、にこにこと笑って、
「このまま体調を万全にして大きく育って、是非、軍に就職してくれ。君はとても見込みがある」
と、勧誘してきた。
いや、あなた、僕を騙した一人ですよね? 軍の練習場にこっそり連れていってくれたんじゃなく、最初からそのつもりで練習させていたんですよね?
(父上にはさからわないことにしよう)
ウェスギニー子爵でありながら、その仕事を祖父や叔父に任せっぱなしの父。いくら軍で仕事をしているからって稼業をほったらかしっていうのはどうかと思っていた。
だけど僕は思ったのだ。
こんな人が子爵の仕事をし始めたらうちの子爵家クビになる人続出だろうって。
僕が移動の際の記憶がないのは、知らない方がいい運搬方法で運ばれていたかららしい。
死なないように気道と酸素、血液循環は確保されていたそうだ。その確保されないとまずい理由が意味不明すぎる。
(ボクはフィルだけじゃなく、みんなもまもらなきゃいけないのか)
僕の片割れ、双子のアレナフィル。
いずれ大人になった彼女を父の思惑通りに、苦労するおうちに嫁がせるわけにはいかない。小さい時だけ可愛がり、大きくなったら用済みだと捨てるだなんて最低だ。
そして幼年学校生でも使えるなら使えばいいといった認識の父をウェスギニー家で子爵として働かせたらほとんどの人が役立たずとしてクビにされて路頭に迷う。
(フィルをまもれるのはボクしかいない)
それでも僕は父に敵わない。
だけど父は、僕をウェスギニー子爵家の後継者として大事にしている。
かまいたい時だけかまってあげるといったペットのような愛玩をされている妹と違い、僕はちゃんと一人の男として扱われているのだ。
僕のアレナフィル。可哀想な君を不幸なことにはしない。僕が守る。子爵となった僕の横で、君は秘書としてずっと一緒にいればいい。
だからこれから父には、妹は僕の手下なのだ、手を出すなとアピールしなくては。
たしかどこの貴族の家でも、その家の傘下の者には手出しを控えるっていうルールがあった筈だ。
――― フェリルドはお前が大人になるのを待っている。いつかフェリルドよりも強い男になって、その悲しみを聞いてやっておくれ。
だけどお祖父様。
僕、父よりも強い男になれる自信がありません。あの人、ちょっとおかしくないですか?
常識がないっていうのか・・・。
できれば僕、目標は叔父上でキープしておきたいです。