8 誕生日にはバラの花束を
アレナフィルはとても明るくなった。
記憶だけを忘れる通常の記憶喪失でも人格が変わり、好みも変わり、生活スタイルや習慣も変化するとあって、家族を巻き込んで人間関係が破綻してしまうケースがほとんどだ。
更に記憶だけでなく言葉まで失ってしまうケースだと、それが成人で起こり得たならまさに悲劇としか言いようがないことになる。
私は記憶喪失についてまとめられた本を広げてアレナフィルに説明した。
その本の位置を覚えていたらしい。アレナフィルはこっそりと読みこんでいたようだ。
自分がこんなことになっていたら皆が苦しんだと、彼女もふっきれたのか。言葉を覚えて家族と仲良く過ごせている自分はとても理想的な状態だと、アレナフィルは理解した。
(私が完全に4才までのアレナフィルと今のアレナフィルとを名前と顔が同じだけの別人だと認識していることを実感したこともあるのだろう)
普通は記憶を失っても、その前とその後は同じ存在だと考える。ほとんどの悲劇はそれで当事者が苦しむことにあるのだ。
だからこそ私は、同じフィルと呼んでいても明確に分けていたのだと説明した。
アレナフィルに対して「4才までのお前は・・・」ではなく、「あの子は・・・」と、私は全くの別人として語るように心がけた。
かくしてアレナフィルは、私を騙しているのではないかという気持ちを抱き続ける理由がなくなった。
罪悪感がなくなれば生き方も変わるのか。
ちょっと役立つ知識や経験はあるけれども、それは自分に対するオマケみたいなもので、自分は今から成長する子供なのだとアレナフィルは考え始めた。
だから子供っぽい我が儘も言うようになり、演技っぽかったお子様モードも素でやるようになった。
今更誕生日の祝いなど、父だってどうでもいいと思っているだろうに。
それでもアレナフィルは私のクローゼットを勝手に開けて見繕う。
「パピーッ。こっち、きるのっ。おじいちゃまっ、パパのおめかし、きたいしてるっ」
してねえよ。
父親とは哀れな立場だ。これが部下なら黙って床に沈めておけばいいのに、娘というだけで私の負けが確定している。
「フィル、これはおめかしでも何でもないと思うぞ。正装でもない」
「いいのっ。でね、パピーのかみ、フィルがするからまっててねっ。ルードはこっちっ」
娘が息子の手を引っ張って、着替えに連れていく。アレンルードはむぅーっと唇をへの字にしていた。
「えー。ほんとにやるのー。よろこばなかったら、本当におやつ三日間、ボクのだからね」
「いいもーんっ。・・・ルード、お兄ちゃんなんだから、いもーとのおねだり、きいてあげないと、かっこわるいんだよっ」
私の後ろの髪はそこそこ長いが、前と横は普通に切っているので、後ろから見ないと長いことは分かりにくい。後ろの髪は一つに束ねて、革製に見せかけたリングで留めてあるからだ。
けれども髪をいじくりたいのであれば外しておくしかない。
一人になった私は髪を留めていたリングを外し、鍵のかかる引き出しにしまった。
(不快な性格ではない。見ていて飽きない面白さもある)
アレナフィルが出してきたのは、両襟の真ん中にピンを通す穴が空いているドレスシャツだ。それはいいのだが、一緒に置かれているのは以前アレナフィルが父からもらってきた上着飾りだ。
上着飾りといっても、肩よりも少し下の左右の位置にチェーンで繋いだブローチを留める仕様だ。ボタンのない上着やストールなどが外れないように使う。
それは濃い緑の石をあしらった黄金の鷲のブローチを黄金のチェーンで繋いでいるデザインで、昔の私が使っていたものだ。短いボタン無しの上着が風でめくれないように使っていたが、今ではアレンルードがおめかしする時にアレナフィルが出してくる。
しかし今日は私に使わせるつもりのようだ。
(ルードではすぐなくすか壊すかだろうと、父上もフィルに管理を預けたのだったな)
ズボンが漆黒なのはいいが、どうして上着がないのか。しかも、この黒から淡い黒へと上下で濃さが変わっているサングラスに意味があるのか。そして深紅のロングスカーフは何なのか。
誕生日会はそれなりに着飾って出席するものなのだが。男ならばせめてスーツだ。
それでもシャツとズボンを身につけて待っていれば、パタンと扉を開けて二人が戻ってくる。
「パピーッ、見てっ。ルードとフィル、白と黒のおひめさまっ」
「父上。こんなの、おじいさま、よろこびませんよね?」
「・・・・・・どうだろうな」
二人のワンピースドレスは全く同じデザインだったが、アレンルードは真っ白のフリルとレースのドレスで、アレナフィルは真っ黒のフリルとレースのドレスだ。そして二人の袖無し外衣は、それぞれ白い翼デザインと、黒い翼デザインである。
「パピー、シャツのボタン、はずすの。これ、つけるの。コンセプトは、おはだもセクシーな、わるい男なのっ」
「・・・フィル。お前は私をどうしたいんだ?」
実は私の胸元には虎の種の印があるので、それがぎりぎり見えないようボタン三つ程を外し、開いた襟から見える肌の上を金鎖が揺れるようにされた。
深紅のロングスカーフが上着の代わりだとか。
(種の印は見られたくないと言ったからそこは配慮してくれたが。私をまだ蝶だと思ってる客も多い)
誰が喜ぶのか不明だったが、その恰好でウェスギニー子爵邸に行ったところ、アフタヌーンティーパーティといったそれに集まっていた人達がざわっと揺れた。
父の誕生日会といっても、身内だけで軽食を取りながらの茶話会だ。
要は親戚同士で集まり、結束を固める会合である。
今まで私は欠席していたが、父もさすがに今年は二人を連れて来いと言い出した。
『あ、あのね、おじいちゃま。そんなたくさんの人、いるの・・・?』
『大丈夫だ、フィル。心配せずとも、皆、親しい者ばかりだからな。怖がる必要はないのだよ。お前には綺麗なドレスを仕立てさせよう』
『だけど・・・。ふだん、フィルがきないおようふく、フィル、ころんじゃうかも』
『む。では、おじいちゃまがフィルをお膝に乗せておいてあげよう』
『父上は主役でしょう。それなら私が抱えているからご心配なく。心配するな、フィル。動きやすいドレスぐらい注文してやる』
『あのね、おじいちゃま、パピー。それならフィル、じぶんでドレス、ちゅうもんするの、やってみたい』
恐らく人とあまり接触したことのない孫娘では、いきなり裾さばきもコツのいるドレスを着させても怯えてしまうだけだと思ったのだろう。父は好きにしていいとアレナフィルに言った。
これは双子達というよりも、今まで人付き合いをしてこなかったアレナフィルが人慣れする為の一環だ。
だが私とのやりとりでふっきれていたアレナフィルは、エイルマーサとアレンルードの三人で仕立て屋に行き、自分で服を注文した。
(予算内だったら好きにしろと、私も放置してたしな)
皆が集まって歓談している広間に通されれば、アレナフィルは一番奥の真ん中のテーブルにいる父を見つけて手を振った。
「おじいちゃま、おばあちゃまっ。見てーっ、お父さまっ、とってもワイルドッ。でねっ、ルードとフィル、お父さまの、両手に花なのっ」
「ま、まあ」
「これはまた、フェリルド・・・。お前、よく二人も平気で抱えられるものだな」
それなりに正装していた二人ばかりか、めかしこんで集まっていた親戚や、父の親しい知人達もあっけにとられて私達を見つめる。
義母のマリアンローゼは淡い紫がかった水色の落ち着いたデザインで仕立てられたドレス姿だったが、会話を中断して目を丸くした。
私は右肩にアレンルード、左肩にアレナフィルを座らせるようにして抱えていたが、子供達も少ししかおしりを乗せられなくても落ちない程度のバランス感覚はある。私の腕はそれぞれの腰を支えていたが、遠慮なく子供達は人の上でゆらゆら楽しんでいた。
首のボタンを三つも外して黒いサングラスだ。胸元で輝く金のチェーンという時点で、どう思われたやら。
アクセントに深紅のロングスカーフだそうだが、アクセントどころか派手に人目を引いている。
(放蕩に耽る道楽男が、花束抱えた双子のお嬢様を誘拐してきたってか)
さすがのアレナフィルもここまで人がいる中でパピーと呼ぶ程、愚かではなかった。同時に平気でここまで目立つ仮装をしようと思う程、普通でもなかった。
ファレンディア人の感性が不明すぎる。
普通は9才にもなった子供を両肩に一人ずつ座らせて平然と持てるものではないだろうが、いつも自宅で私に運ばれている子供達はそれに慣れていた。おかげで私は二人を運ぶ乗り物扱いだ。
高い位置から広間を見渡し、二人は初めてのパーティに興味津々だ。
アレンルードとアレナフィルはそれぞれ赤と白の薔薇の花束を持っていた。
「凄いですね、兄上。まるで二人のお嬢様をさらってきた悪役です」
親戚にあたる同じ世代の男女と立ち話していたレミジェスが近寄って話しかけてくるが、彼は黒に近い焦げ茶といった落ち着いた色でまとめていた。
「あ、おじ上」
「ジェス兄さまっ。見て見てっ、お父さま、かっこいいでしょっ。男の色気がすっごいでしょっ。うしろのかみも、手ではらりとするだけで、もうフォトでえいきゅうほぞんなのっ」
「なんだ、もうフォトを撮ったのかい?」
「そうなの。そしてね、しらないおねーさんたちも、いっしょにとってくださいって言ったの。あのね、ジェス兄さま。ルードとフィル、ハクチョウとコクチョウのおひめさまなのっ。わるいまおーさまにつかまっちゃったのっ」
「ははっ、そういう仮装なのか」
「・・・気が済んだところで私だけは着替えさせろ、フィル」
父の近くまで寄って二人を床に下ろせば、さすがに子供達のしたことかという納得した空気が広がって、くすくすとした笑みがあちこちで零れ落ちていった。
「おじいさま、おたんじょうびおめでとうございます」
「おじいちゃま、おめでとうございます」
白と黒の小さなお姫様に両側からキスされた父は嬉しそうだが、どちらがどちらか、困惑しているようだ。
二人とも髪の長さはお揃いで、それぞれに白と黒の羽チャームをつけた可愛いリボンを結んでいたからだろう。
「あまりにもびっくりしてしまったぞ。フィルが二人になったとな。どちらがどちらだ?」
「ボクはいやだって言ったのに、フィルがおじいさまはぜったいによろこぶって言ったんです。よろこびませんよね、おじいさま?」
「あのね、フィル、おじいちゃまおどろかそうって、とってもかんがえたの。それでね、おじいちゃま。ルードとね、フィル、しょうぶなの。おじいちゃまがよろこんでくれたら、フィルのかち。おじいちゃまがよろこんでくれなかったらルードのかちで、フィルのおやつ三日分あげなきゃいけないの。おじいちゃま、よろこんでる?」
父の答えはすぐに出た。
「やはり嬉しいものだ。喜んでいるとも。うん、孫娘二人というのもいい。ルードも、どんな恰好でも似合うとは凄いではないか」
「え・・・」
「やったぁっ。あのね、ルードがおじいちゃまのお花だから、フィルはおばあちゃま。おそろいなの」
黒いドレスのアレナフィルがマリアンローゼに白い薔薇の花束を差し出す。ハッと気づいたらしく、白いドレスのアレンルードが赤い薔薇の花束を父に差し出した。
息子よ。お前の敗因は、妹に説明させてしまったことだ。
「まあ、私にもくれるの?」
「そうなの。おじいちゃまとおばあちゃま、おそろいなの。本当はね、おばあちゃま、ピンクのバラにするつもりだったの。だけどお店でね、白のバラは、気品がある人しかにあわないからむずかしいっておしえてもらったの。それならおばあちゃま、にあう気がしたの。・・・おばあちゃま、白もおにあい」
「嬉しいわ。色々と考えてくれたのね」
私とリンデリーナの結婚が勘当騒ぎに発展したことは皆が知っている。
それが取り消されたのはリンデリーナが亡くなったことが原因だと思われていた。対外的に彼女の死因は病死となっている。誰もが知らないふりをしているだけだ。
父が私に子爵の位を譲っても、私達はこの邸で暮らしてはいない。
だからまさかここまで仲が良いとは思っていなかったらしく、ざわざわとした空気が流れた。
「父上、お誕生日おめでとうございます。では、着替えてまいりますので」
「別にそれでいいではないか。どうせ身内ばかりの席だ。・・・うむ。黒鳥と白鳥か。捕まえてきた魔王か何かは知らんが、責任もって逃がさぬようにしておくがいい」
「何故私が見世物にならなくてはならないのですか」
ウェスギニー関係者の間では、私は物静かで大人しく、弟は活発で明るいといったイメージだ。少年の頃からあまり人と話さず、部屋にこもっていた一人ぼっちの印象しかないだろう。
その点、様々なスポーツをこなしていた弟は人の輪の中にいた。
「おじいちゃまも、そう思うでしょ。お父さまね、ちょっとボタンはずしただけでも、大人の色気がクラクラなの。ルードとフィルとね、お花かったときね、いろんなおねーさんが、ぽうっとしてたのっ」
「え? ボクとフィルのこと、かわいい、もってかえりたいって言ってなかった?」
さっきからアレナフィルばかりが話しているので、アレンルードは近くの大人達に、
「素敵ね」、
「もっと見せて」
と、近寄ってこられてくるくると回転してドレスを翻していた。白い翼を模った上着も一緒に広がるから、まさに翼を広げた白鳥だ。
ここまでくると妹とそっくりなお姫様でいいやとアレンルードは開き直っていた。
ドレス姿の可憐さで放蕩スタイルの父親に張り合ってくる。父は息子の将来が心配だ。
「そうなの。フィルたちも、いっしょにフォトとらせてって言われて、そのおねーさんをまんなかにして、お父さまがフォトとってあげたの。お父さま、せっかくだからって、きれいなはいけいもかんがえてとってあげたの。そしたらお父さま、こわくないってわかっちゃって、それからは、ルードとフィルじゃなくて、お父さまばかりにもうしこまれちゃったの。フィルもとってあげたの。もうどのおねーさんも、うれしそうだったっ」
「・・・どこぞの場末にいそうな感じだな。フェリルド、お前、そこまでたくましかったか?」
シャツの袖をまくりあげて派手な腕輪をしている私に、父も色々と思うものがあったのか。
こういう体のラインが浮き出るような服装を私がしたことはなかった。
「あのね、おじいちゃま。お父さま、きやせするの。お父さま、せいふく、かっちりきてたら、きんよくてきなの。そしてシャツだけだと、たいはいてきなの。もう、おうちで三人でフォトとってきちゃった。どこかのまおーさまが、女の子二人をはべらせてるフォトッ」
うっとりと両手で頬を押さえ、いやーんと語り続けるアレナフィルに、周囲の目が私に集まっていく。
一方でアレンルードの表情には「意味不明」と、でかでか書かれていた。
「レミジェス、この子達を頼む。着替えてくる」
「お似合いですが? いつもは厚手のカジュアルシャツなので気づきませんでした。たしかに兄上、いい体ですね」
「やめてくれ。この恰好で二人を抱えていたものだから、誘拐かと職務質問されたんだぞ」
「そこは歩かせていれば大丈夫だったのでは?」
「それこそ誘拐される」
「あ、それならフィル、お父さまのおきがえ、えらんであげるっ」
「次はレミジェスでやりなさい、フィル」
ついてこないように、黒いドレスのアレナフィルの腰をぽんっと掴んでレミジェスに放り投げると、思った通りレミジェスが倒れることもなく受け止める。
「ジェス兄さまなら、・・・うーん。きよらかな方が・・・」
「こらこら。全く元気な九官鳥さんはいい仕事をしてしまったね」
本人は優雅なブラックスワンを目指したようだが、レミジェスには黒い翼をバサバサさせてピーチクパーチクお喋りする九官鳥にしか思えなかったようだ。
「そうなの。お父さま、かっこいいのが知られたらぬすまれちゃう。だけど今日はっ、なんとっ、おじいちゃまのおたんじょうびだから、とくべつ公開っ」
息子のこんな姿を見たい父親がいるとは思えないが、結果的にアレナフィルはいい仕事をしたのかもしれない。
これで不仲だという噂は一気に消えるだろう。
シャワーを浴びてアレナフィルにされたアイシャドウ等を落とし、適当な服を着て戻ったら、子供達は色々な人とフォトを撮っていた。
ちょっと貫禄のあるソファを運ばせ、そこに座った誰かを中心にして、二人の同じ顔をした白と黒の女の子が侍っているという構図だ。
子供達は顔立ちや瞳も丸っこくて、懐かれている気分になるのだろう。どんなポーズをしていても健全で微笑ましい。
これが子供の頃の私ならいかがわしさしかなかっただろう。
(ルード。お前、大きくなった時にどれだけ後悔しようとその投げキッスフォトを回収しようがないって分かってるか?)
後日、ウェスギニー子爵邸の私宛てで、
「お二人のお嬢様に、ご婚約者はいらっしゃるのでしょうか」
という問い合わせが相次いだ。
誕生日会の参加者が、持ち帰ったフォトを自慢してあちこちで見せびらかしたらしい。
「どうします、兄上?」
「いると言ったら相手の名前も書かなきゃいけないしな。仕方ないか」
二人とも男の子だと、答えておいた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
レミジェスに憧れているアレンルードは、何かとスポーツに打ちこんで強くなろうとしている。その気持ちは分かるものの、私はアレンルードの練習を程々にさせておくように指示していた。
だからだろう。早めの時間帯に帰宅して、部屋で着替えていた時にアレンルードが飛び込んできたのは。
「父上っ、どうしてボクにクラブ行っちゃいけないって言うのさっ」
リンデリーナによく似た顔は更に似てきて、アレナフィルとの違いは日焼けぐらいか。
服を脱いでしまえば筋肉や脂肪のつき方などの違いもあるのだろうが、不思議なことに双子の背の高さや服を着ている時の体格はよく似たままだ。
顔や手足のあちこちに擦り傷を作っている息子は、かなり練習にのめりこんでいたらしい。私がエイルマーサに伝えておいたそれを聞き、撤回させようと帰宅を待っていたのだろう。
私と話し合いたければ早起きすればいいだけだが、この子はぎりぎりまで寝ようとする。
「友達より強くなりたい気持ちは分かる。だけどね、ルード。お前は限度を考えなさすぎる。それではいずれ試合どころか、練習さえできなくなるだろう。だからだよ。体を手ひどく使って駄目にしてしまったら、治らないこともあるんだ。練習はいい。だが、しすぎは駄目だ。お前は一生、コートを走れなくなる」
「だけど、ほかの子はそんなことになってないっ」
「他の子は、お前のように体を痛めつけるような練習ばかりしていないだろう」
「ずるいよっ、フィルにはあれやっていい、これやっていいって言うのに、ボクばっかりあれダメこれダメってっ。父上はボクばかりガマンさせてるっ」
通常は跡取りである息子の方を優先して甘くなるものだが、私はそれはしないと決めていた。
ちやほやと甘やかされて育った男の子など身勝手で我が儘な男に育つだけだ。失敗は侍女やメイドに押しつけ、癇癪を起こしては暴力を振るって威張り散らすだけの男がどれ程に多いことか。
育て方にも配慮している親の気持ちを、お前もいつか分かってくれる日がくるといいのだが。
「よその子とお前は違う。もう少し、体が作られてからだ。そしてフィルは、お前に見えないところで色々と調べた上で動いているのだよ、ルード。だが、今のお前に理解できないだろうし、理不尽だという不満も分かる。・・・だからルード。私と出かけようか。フィルは連れていかない。女の子だからね。そして何があったか、誰にも言ってはいけない。さあ、出かけてみるかい?」
「・・・父上。ボクをひどい目にあわせる気?」
アレンルードは少しだけ賢くなった。
もしかしたらレミジェスよりも私の方が強いのかもしれないと、疑うことを覚えたのだ。
「心外だな。本格的なゲームを見せに連れていってあげようと思っただけさ。あんなとろとろしたものじゃなくてね」
「とろとろなんてしてないっ」
むきになって言い返してくる。私はハッと鼻でせせら笑った。
「はいはい、そうだな。ルードは子供のボール蹴りで十分だ。大人の激しくスピード感あるゲームなんて見るのも怖いだろう。特別チケットだったが、私は一人で行こう。残念だが、ルード。それならフィルといい子でお留守番しておいで」
「行くよっ。行けばいいんだろっ」
「よし来た。ああ、友達には内緒だぞ。迫力が違いすぎて非公開試合なんだ。いいな?」
「う、・・・うん」
子供の反抗期というのは、親の愛を拒絶することから始まるらしい。
今もアレンルードは私に反抗しながらむしゃくしゃする気持ちを持て余しているのだろう。自分でもそのイライラがコントロールできないのだ。
それでも私とレミジェスがやるようなデモンストレーションたっぷりなゲームより凄いものが見られるのかもしれないと知り、ちょっとドキドキし始めている。
早速、夕食時に自慢し始めた。
「へへーん。ボク、父上とすっごいゲーム見に行くんだっ」
「へー。行ってらっしゃい」
アレナフィルは誘われたら一緒に遊ぶが、そこまでスポーツに興味がない。全然羨ましがらなかった。
バーレミアスに連れていってもらったファレンディア商人のところで、アレナフィルは沢山のファレンディアの本を買いこんできている。その購入代金は先に私がバーレミアスに渡し、バーレミアスがお買い得な品を選ぶバイト料としてアレナフィルに渡したものだ。
ファレンディアの子供が来ているというので、商人も値引きしてくれたとか。しかし、そこに至るまでにかなり会話をこなして、身元チェックはされたそうだ。
〖ちょっとファレンディア語をマスターしたぐらいで、ファレンディア人は騙されないものさ。だけどお行儀のいい言葉は立派だ〗
〖もしかしたら小父さんが聞き取れないとまずいかと思って共通語で話してただけだもん。その前に小父さんこそどこ出身なの。ちゃんと話してあげても聞き取れないんじゃ意味ないのに〗
〖これでもちゃきちゃきのミワチっ子でい。うん、その独特の発音は本場モンだな〗
〖甘いわね。ミワチはミワチ人って言うのよ。あそこの歴史を知らないの?〗
〖よく知ってるじゃないか〗
〖基本教育で習うもの〗
アレナフィルはファレンディアの名前を名乗ったが、やはり出身地やそこの発音を使わないことを指摘され、それからはその地域の発音で話し始めたら、やっと商人も納得したとバーレミアスが言っていた。
アレナフィルも商人の出身を問い、本当にファレンディア人を装っているだけではないのかとチェックしていたのだからお互い様なのだろう。
〖いやあ、兄さんも悪かったな。ファレンディア語を覚えてくれるのは嬉しいが、ファレンディア人を名乗る外国人にはついつい警戒しちまうのさ〗
〖悪いがその言葉のどこがどう違うのかが分からなかった。やっぱりサルートス人が覚えようとしても無理なのかねえ〗
〖いやいや、兄さんもファレンディア人並みに上手さ。気を悪くせんでくれ。代わりに少し値引きするからよ〗
たかが外国で出会っただけの同郷の者にもそこまで探りを入れるのかと、バーレミアスはかなり驚いたそうだが、聞いた私もまたその閉鎖性に驚いた。
アレナフィルはまだ子供なのに。あまりにも異常すぎないか?
そんなことを思い返していたら、エイルマーサが怪訝そうな顔で問いかけてくる。
「旦那様。学校をお休みしてまで、ルード坊ちゃまを連れて行かれますの?」
「ちょっと視察で行く先に、世界的に有名な選手とチームがいると誰かが話していたのを思い出したのですよ。ルードの未来を考えれば、今、あまりクラブに行かせて膝を酷使させて壊すのは止めるしかありませんが、一方的に止めるのも可哀想です。見に行くぐらいはいいでしょう。悪いがフィルは、戻ってきたら授業の内容をルードに教えてあげてくれ」
「はーい」
うちの子供達、成績も悪くないし授業態度も真面目だとレミジェスが言っていた。少しぐらい休んでも問題ないだろう。
世の中、アクシデント勃発により予定をかなりフル回転させなくてはならないことは多々ある。だから大丈夫だ。
「それなら旦那様。その間、私の家でフィルお嬢ちゃまをお預かりしましょうか。この家は何かあっても気づきにくいんですもの」
善意の提案だが、隠してあるファレンディアの本を読み耽りたいアレナフィルにとって遠慮したいものなのか。
いきなりアレナフィルは、エイルマーサの負担と自分の欲望の狭間で揺れている顔になっている。
「その辺りはマーサ姉さんとフィルで決めてください。不安なら番犬を飼ってもいいです」
「番犬っ!? パピー、そんなの飼ってもいいのっ?」
「構わないよ。ただし、ちゃんと毎日お世話ができるのならね」
「じゃあ、犬のお世話の本、買ってもいい?」
「いいよ。まずはちゃんと何が必要か、どういう風に犬を選ぶのか、勉強しなさい。それから買いに行こう」
番犬については以前から考えていた。けれども子供が小さいと、予期せぬことも起きると思って躊躇っていたのだ。
何よりちょくちょくと使用人が入れ替わる家では、番犬に主人を覚えこませるのも難しい。
同僚の話によると、寂しさの裏返しとやらで暴れん坊だった子供が犬を飼った途端、とても穏やかな子になったそうだ。
「ええっ!? ずるいよ、父上っ。犬ならボクだってボクだけの犬がほしいっ」
「だけどね、ルード。犬は毎日お世話をしなくちゃいけないんだ。遊んでいたからお世話できなかったなんて、駄目なんだぞ。ちゃんと躾もしなくちゃいけない。お前、遊ぶことしか考えてないじゃないか。フィルは家にいるからお世話するだろうが」
「するっ。ボクだってするっ」
「じゃあ、帰ってきてから三人で買いに行こう。そして犬を飼って一年後、きちんとお世話して躾もできていた方しか、今後の犬についての発言権はないものとする。いいね?」
「はーい」
「う、うん」
夕食を終え、二人が書斎に犬の本を探しに行き、どんな犬がいいかを話し合い始めたところで、私はエイルマーサにアレンルードが反抗期のようだから親子で語り合う為にしばらく留守にするのだと告げた。
この頃、アレンルードが通っていたクラブを止められてイライラしていたことに心を痛めていたエイルマーサは、そういうことでしたかと、ほっとした顔になる。
「ですが、反抗期って今でしたかしら。単に暴れ足りないだけではありません?」
「言われてみればいつでしたかね」
大昔、私にも反抗期というものがあった。それに対して母は似たような手段で対応した。
だから私もこれでいいのだろう。
やはり親の知恵とは偉大だ。母は色々とおかしい人だったが、それゆえに様々な人に影響を与え、今も私を導き続ける。