68 アレンルードは強くなりたい
ウィーンウィーンと屋上から村全体に響き渡ったかのようなサイレン。
その音を聞くや否や、彼は無言で僕の口に上着の袖部分を突っ込み、その上着を僕の頭から被せると片手で僕を抱えて大きく跳躍を繰り返して施設の門近くの広場へと空中を駆けていった・・・っぽい。
ぽいというのは、見えるのが地面の僅かな範囲だけだったからだ。頭から被せられた上着と彼の体で見えない範囲が大きかった上、めっちゃ大きく跳躍するもんだから僕も命大事で彼の首に両手でしがみつくしかなかった。
しかも僕が両手でしっかり掴まったと見るや、彼はあちこちのポールとかを握っては空中曲芸レベルで跳んだり、壁を蹴ってはその反射を利用して空中回転とかするもんだから両足でも彼の胴体をがしっと挟むしかなかったよ。父の部下ってどこまでもハード。
やっと止まったと思ったら、やっぱりそこは門の内側にある広場だった。
(別に舌なんて噛まないってのに。これでもトレーニングしてんだからさ)
口に突っ込まれていた袖口部分をぺいっと吐き出して口元をごしごし袖で拭いてから、そうっと上着の陰から周囲を見渡せば、どうやら到着したばかりの二輪や三輪が十台以上いて、ほとんどの人が跨ったままだった。
施設内のあちこちから集まってくる人もいて、なんだなんだって感じだ。
降りていいのかなと思って迷っていたら、彼が片手で僕を抱き直したのでそのままきょろきょろと周囲を見ることにした。だってまだ二輪に乗ってる人がいて、そこらをぐるぐると走らせている。
こんなところで轢かれたくないからね。接触事故起こしてもとろとろしている奴が悪いとか言われそう。
(抱っこされてる方が僕の安全確率高いなこりゃ。悪気なく人を轢いてくタイプだ)
なんかさぁ、集まっている二輪とか、どれも個性が溢れ過ぎているんだよ。なんで二輪に昆虫の黒っぽい翅みたいな模様がついてるわけ?
白鳥の羽モチーフなのか、金属で白く塗装された翼がついているのもあるけど、ドラゴンの頭がハンドルの中央についているのってどこの暴走族?
服装だって傭兵かよと言いたくなる武装っぷりが凄い。軍服よりも私服に近い印象で、ぱっと見はブルーデニムとか皮革とか使った服だけど、僕と同じで難燃性等の繊維が使われている可能性が高い。その関節部分には金属カバーがついていたり、大きめのポケットにはなんだか物騒なものが入ってますって感じだったり、腰や背中にあるそれは撃銃用ベルトにしか見えなかったりね。
僕は危険には近寄らないできた男なのさ。
「何の集合だ? てめえら素人集団避難訓練だろうがよ。あの、ボクちゃん達がんばってますぅな奴らのよ」
「てめえこそどこの子誘拐してお楽しみだよ」
「さっさと返してくんだな。んでヤったんかよ」
「そんなら話は別だぜ、ブラザー。天国へご案内一名様だ」
「部外者立ち入り禁止の意味分かってねえんかクソが」
「るせえ。昨日は先生とか来てたんだよ。俺ぁこの子と健全に牛の世話してたっつーの。それよか何があった」
ポニーテールした髪を赤いリボンで結んでいるのはかぶっている上着で見えなくても、ピンクのシャツに赤い長靴姿の僕を男の子と思う人はいないんだね。
ここで「男です」と言うのもなんだか違う気がする。
アレナフィルじゃあるまいし、僕も抱っこされる年じゃないんだけどね。
「関係ねえガキに聞かせられっか。さっさと戻してこいや」
「子供相手にいちゃこらしてんなら檻突っ込むぞオラ。そこのお嬢さんも変な男に引っかかんじゃねえよ」
「そうだぜ。頼り甲斐があるように見えても子供に手ぇ出す奴はただの犯罪者だ」
「おう。さっさとコテージに戻んな」
「この子は戻してこれねえの。いいから何があったんだよ」
そこへシャツのボタンを留めながら駆けてくるメルニコスが目の端に映った。
お腹のおへそ、見えちゃってるよ。どれだけ慌てて起きたんだか。髪も寝癖ついてるし。
「何があったんですか? いきなりサイレンって・・・」
「メルさん来てたんか。いや何、ちょっとフィーちゃんが誘拐されてな」
「出動さ。人数確認してすぐ出る」
「分かったらてめえもその子戻してこいや。とろとろしてっと殴っぞ」
世界の時間が止まったかと思った。
僕を抱いていた腕が強くなって、もう片方の手で僕にかぶせていた上着を剥ぎ取る。
「なんでそんなことになる。ボスが行ってて、しかも支援に二十八人だぞ。有り得ねえだろ」
二輪や三輪に跨っている人達が目を丸くした。
どうやら僕達の顔はかなり知られていたらしい。そりゃ見せるだけで説明いらないけどさ、まじまじと見られると恥ずかしいよ。
そして皆は何かを納得したかのように、ぺしっと額を叩いたり、あちゃぁって顔で天を仰いだりした。
「ちょい待てや。支援って昨日のそれかよ。んじゃあれ、ルー坊ちゃんの女装か?」
「聞いてねえ」
「そんでか。情報共有どうなってやがる」
「またわざと誘拐させたんかい」
「はあ? どんだけ偽装誘拐でぼったくんだよ」
僕達の周りを二輪や三輪が取り囲んでくる。おかげでメルニコス、近づけないよ。
避難訓練に行った人達、ヴェラストールに向かった人達のことは教えられてなかったんだろうか。いや、そうじゃない。そんなことはどうでもいい。
彼らがフィーちゃんと呼ぶのは僕の双子の妹のことだ。
「どうしてこんなに少ないの? 昨日、こっちに戻ってきた人達、どこに行ったの? 早起きしてどこか行っちゃったの?」
そこへ施設から出てきた女性の声が響いた。
昨日は施設内に女性なんていなかった筈だけどと、僕も釣られるようにそちらへ肩ごしに顔を向ける。なんか周囲の男の人達の体でよく見えない。
「あら、どこの子? 迷子かしら?」
僕がいることに驚いたのか、口調が優しくなった。
あ、見えた。
ダークブラウンをメインベースとした戦闘服をまとっていて、その腰に吊り下げられている撃銃は飾りではなさそうだけど他の人達に比べて小型タイプ。
その風になびくサーモンピンクの髪は結い上げられていたけれど、ほつれた髪が緩く波打っている。淡い青の瞳が僕の顔を認めて大きく開かれた。
「フィルちゃんっ!?」
知らない女の人は、そう僕を呼んだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
僕と妹は入れ替わりっこができるぐらいによく似た双子だ。
そして今、僕は女の子の格好をしていた。牧場体験の客がよく入るようにと、髪の毛なんてポニーテールにして赤いリボンを結んでいる。
うん、誰が見ても可愛い女の子だ。アレナフィル、外見だけは愛らしい子だからね。つまり僕は頼れる男だけど可愛い女の子にもなれるってことだ。
この完璧さが恐ろしすぎるよ、僕。
「まさかこっちに連れてきちゃったのっ? そりゃその方が安全でしょうけど。
ああっ、そうよっ、怪我してる所とか痛い所はない? いきなりこんな所に連れてこられて怖かったでしょうっ? すぐにおうちへ、ウェスギニー家へ帰してあげるわね。
それでも先に精密検査させてちょうだい。安心して? ここには優しい女のお医者さんがいるから大丈夫よ。どんな傷や病気も見逃さないぐらいに優秀な人なの。不安だろうから診察しながらおうちに連絡しましょうね」
近寄ってきたかと思うと腰をかがめるようにして僕を抱きしめ、怒涛の勢いで話しかけてくるその人を僕は知らない。
しかも彼女が近寄ってきた途端、地面に降ろされてささっと距離を取られちゃったんだから男の友情は儚いもんだよ。つまり僕を差し出したってこと。
男ってそういうところあるよね。紳士は女性に親切なのさとか言ってるけど、要は女の人に嫌われたくないってだけなんだよ。
そうして僕は知らない女性に抱きしめられているわけで、この場合どうすればいいのかが分からない。
(進学したと思ったら王妃様と仲良くなって、次には大公妃様に懐いてるし、ここでも可愛がってくれる人ゲットしてたって何なんだろう。いつまでも可愛さだけで乗り切れるとか人生なめすぎだろ)
とりあえずハグってことで、失礼にならない程度にその両肩の下部分をぽんぽんしてみた。すると、更にぎゅっと抱きしめられてしまった。
なんか愛されてる感じ・・・?
よく分かんないけど、アレナフィルったらまた知り合い作ってたわけ? 王族だけじゃ足りなかったの?
引きこもっておうちでふしだらな本を読んでる割にあちこちで誰かを引っ掛けてくる子だから困っちゃうよ。僕に何も報告しない悪い子だから本気で手を焼いてるんだ。
祖父母が寂しがってる時はアレナフィルのフリしてあげたこともあるけど、ここでも僕、アレナフィルのフリしなきゃいけないのかな。とりあえずちょっとほっぺたすりすりしておこう。
ミディタル大公妃にも抱っこされた状態ですやすや寝ていたアレナフィルだ。自分にだけ優しい人を見抜く才能は国内最高峰じゃないかなって僕思ってる。
「もう保護してたのね。そりゃその方が安全だけど、病院から誘拐してきたの? フィルちゃんが危ない目に遭ったって言うからみんなに緊急出動してもらおうと思ったんだけど、とっくに動いてたなんて。あの映像、昨日のだったのかしら。私ったら駄目ね」
「えっと、いや、村長。人違い・・・。この子、フィーお嬢さんじゃなくて・・・」
困った顔でさっきまで僕と一緒にいた人がぽりぽりと頬を掻いているのを振り返る感じで見上げてから、僕は助けを求めるように村長の斜め後ろ側にいるメルニコスを見た。
メルニコスもメルニコスで困った顔をしている。けど、村長って・・・。
つまり僕を抱きしめているこの人がバイゲル侯爵家のアンジェラディータって人だろうか。
ここは僕、「母の仇め!」とか叫ぶシーン? ハグした後で? すりすりもしちゃったのに?
(フィルをフィルって呼ぶの、家族だけなんだけど)
僕も男だからさ、抱きしめられたら柔らかい胸とか意識しちゃうんだよ。爽やかさのある甘い香りにだってドキドキしちゃうんだよ。
僕の母を殺した人だって分かった時点で一気に心も冷めたけど。
母の仇に抱きしめられた時の振る舞い方なんて叔父だって教えてくれなかった。何より母を殺したこと以外はかなりいい人に思えた。しかも美人。
父が褒めてくれた僕の直観力は沈黙中だ。どうすりゃいいの。
(まさか父上を巡る三角関係じゃなくて、フィルを巡る三角関係だったとか? いや、落ち着け自分。なんか多分考えてることがおかしくなってる)
うちの母とは違うタイプだけど、見た目からも優しそうな雰囲気が出ている。普通にうちの父と見合いしたらまとまってたんじゃない? いや、あの父が見合いに行くかどうか怪しいけど。
子供の授業参観も来たことない人だからね。子爵として出席しなくちゃいけないものさえ叔父が代わりに行くだろうと思って放置している人だからね。
どうやらこの人も状況がちょっと分かってないようだ。
周囲をきょろきょろと見渡し、昨日から施設にいた人達が困った顔になっているのを確認したその女性は僕をまじまじと見た。
中腰になって僕と目線を合わせてくれているけれど、やっぱり胸も膨らんでいるし、腰も細いし、女装にしては本気で女性にしか見えない。
そしてアレナフィルがこの人といつ会っていたかってことだよ。
「え? でも・・・。もしかしてフィルちゃんに妹がいたの? 言われてみればフィルちゃんより人懐っこそうね。フィルちゃん、お父様とお母様以外には懐かない子だったもの」
いや、アレナフィルとの接触はなかったのかもしれない。顔だけ知ってたってことか? もう一人の妹とか思いつく時点でうちのこと分かってないよ。
知らない人がアレナフィルの性格を理解しているってのが・・・。うちの妹は知らない人にはまず懐かない。信頼している人には懐くけど、その相手は自分に優しい人って条件を決して忘れない。
アレナフィルっぽくした方がいいのかなって、ハグした後にすりすりしたのがまずかったか。
「違いますって。・・・せっかくだから女の子の格好をしてもらっただけで、この子はルー坊ちゃんの方です。で、フィーお嬢さんに何があったんですか?」
「え? ルー君って、・・・どうしてアレンルード君がここにいるの? ああ、そうじゃないわ。誰とここまで来たの? それならすぐにその人も一緒におうちまで届けてあげるわね。ウェスギニー家は大変な騒ぎの筈だから、誰かあなた達、この子の護衛に入ってちょうだい。フィルちゃんが襲われた以上、混乱している隙にアレンルード君が狙われる可能性があるもの」
なんだかね。母を殺したとかいう人だけど、僕に敵意はない気がする。しかし僕はアレナフィルのおまけ扱いだ。アレナフィルはフィルちゃん呼びで、僕はアレンルード君呼び。
そりゃ初めて会う人からいきなりルード君なんて呼ばれたらムカつくけど、アレナフィルと差をつけられるのもなんだかなぁって気になる。僕達はいつも一緒に扱われていたから。
それに僕の父はアレナフィルを僕よりも甘やかして猫可愛がりしているってのに、アレナフィルの本当の父親疑惑のあるこの女性は僕に対してちょっと距離感あるっぽい。
初対面だから当たり前か。
「えっと、・・・あの、この村の村長さんですよね? 初めまして。僕はウェスギニー・インドウェイ・アレンルードです。女の子の格好をしているのは、体験牧場に女の子がいた方がいいって言われたからで・・・。すみませんが妹に何があったのか教えていただいてもいいですか?」
僕達の事情はともかく、礼儀は大事。子爵家の後継者である以上、僕にはそれが求められる。
それに今はアレナフィルだ。すぐに駆けつけたい。この人はきっと協力してくれるだろう。
いや、落ち着け自分。あの父は既にヴェラストールにいる。そう、娘が誘拐されても無事なら気にせず囮に使う父が。
しかも父の部下達だってヴェラストールに向かった。ネトシル少尉も一緒だ。
今すぐどういうことなんだよって父を問い詰めたい。
だけどあの父は娘が誘拐された際にフォリ先生達の前で僕が取り乱したことをせせら笑って馬鹿にした男だ。父の部下がいる前で僕が取り乱したなら、まさに昨日の寝たふりでダメ出しされたみたいになる。
「こちらこそ初めまして。女の子だと間違えてしまってごめんなさいね。私は、・・・そうね、みんなが村長って呼んでるから同じように呼んでくれる?
明るい性格はお母様譲りね。女装までしてしまうお茶目なところと礼儀正しさはお父様譲りだわ。ご両親の素敵なところを受け継いでるんですもの。こんなに大きくなって、・・・誰もが恋しちゃう素敵な男の人になるのもすぐそこね。
私もニュースを見て慌てて来たから詳しいことは分かっていないの。まずは情報を集めるけど、フィルちゃんが無事で救出されたことだけはたしかよ」
「えっと・・・・・・、ありがとうございます?」
うちの父、いくらなんでも過去に女装はしてないよね?
いつあの人がお茶目だった時があったの?
祖父は父の礼儀知らずぶりにいつも怒っていて僕には礼儀正しくふるまうようにってよく言うんだけど、父と叔父を間違えてない?
(ニュース見て慌ててここに来たとかいうこの人、ここから緊急出動させてフィルを守らせる気だったのか? どうしよう、父上より父親っぽいかもしれない)
そこへ四輪の移動車がやってくる。真っ先に姿を見せたのはバイゲル中佐、つまりこの人の妹だ。こちらは休日の貴族令嬢にふさわしく、レースを使った淡い黄色のブラウスに光沢のある焦茶色の裾が広がったズボン姿だった。
運転してきたのはヴェイドル中尉か。だけど彼は移動車から降りてこなかった。
なんか周囲の二輪や三輪に乗ってる人達を警戒している? ああ、僕も遠目に見たなら近づかないね、こんな集団。
「お姉様っ! えっと、その子は・・・っ」
「え? ファルナったらアレンルード君のこと知ってたの?」
「え、・・・ええ。その子はこちらで預かりますわ。お姉様、ランドリアがお姉様のこと探していましたわよ」
二輪や三輪の間を縫うようにして近づいてきたかと思うと、さりげなく僕達の間に割り込もうとするバイゲル中佐。ただ、さすがは姉(兄?)なのか、僕の背中に回されている腕が解かれることはなかった。
この柔らかい感触はやっぱり女性だと思うんだけど、どこまで完璧な女装なんだろう。いや、どう考えても女性だよね。これだけ胸あるし。
「その前にどういうことなのか説明してちょうだい。ファルナ、アレンルード君が来ていること知ってたのね? ウェスギニー家のご令息と知った以上、私にはこの村の責任者として安全に送り届ける義務があるのよ。ファルナもニュースを見たのでしょう? メル君、村を閉鎖してきてちょうだい。この子の姿は誰にも見られない方がいいわ。そしてファルナ、家に連絡して情報を集めてほしいの。フィルちゃんが置かれている状況を」
「村長、閉鎖するのはこの施設だけでいいと思いますよ? 既にヴェラストールには昨夜の内にチームで向かってますし、現地でそこのアレン君のお父さんが指揮してる筈なんで、僕達がすべきはそこのアレン君の保護だけです。門には本日休園の札してきますね。てか、今乗ってる人が代わりに掛けてきてくださいよ」
「あ。なら俺が行ってきたるわ」
メルニコスが休園札のある場所を伝えると、三輪に乗っていた人が門から出て行った。
「えっと、何があったのか教えてもらってもいいですか? 僕、家に連絡入れたいです」
「無理じゃないかしら。私もすぐにウェスギニー子爵邸に通話入れようとしたけれど繋がらなかったもの。とりあえずルルーシェラに30回はトライするように言ってきたけれど」
「通話が繋がらないなら・・・。ファルナ、うちから誰かを行かせた方が確実よね?」
「メッセージを伝えるだけならお兄様を行かせましょうか?」
いや、なんであの人を行かせるって選択肢が出てくるかな。
お使いに行かせるなら普通に使用人でいいんだよ。侯爵家の跡取り使ってどうするんだよ。
「お兄様なら門前払いはされないわよね。一人でいたなんて、アレンルード君、どこの子達と一緒に来たの? もしかしてお友達同士で冒険か家出しちゃった?」
「えーっと・・・」
ああ、なるほど。門前払いされない人選ってことか。そりゃ次のバイゲル侯爵ならそうだよね。
家出はしてないけど、寮は脱出してきたかな。
「お姉様、どうせなら直接アレン君を送って行った方があちらも安心なさいますわよ。ここにアレン君がいることをレミジェス様はご存じですし、保護者にはリオンが付いてきたから安全だと思って後回しにしていそうですわ。・・・リオン、どこで油売ってるのかしら。まだ寝てるの?」
「え? リオンが来てるの? 見なかったけど、ローゼンが連れてきたのかしら。それなら任せて大丈夫よね? ローゼンとリオンならアレンルード君を送り届けても不審者扱いされないでしょうし、対処慣れしているから厄介なお客様相手のお断りとか、そういうお手伝いもできると思うわ」
「ローゼンは来ていないから無理ですわ。そりゃリオンはお姉様が言えば門番ぐらいはするでしょうけど」
ここにいないネトシル少尉に、バイゲル中佐が呆れた顔を隠さない。反対に村長はほっとした様子だ。
頼りになる人なのにね、ネトシル少尉。ついでにいくら何でも子爵家で侯爵家のご令息を門番になんかできないよ。常識、考えて。
そんなことを思っていたらいつの間にか移動車が一台増えて、フェルシア少尉がこっちに近寄ってくるのが見えた。朝から華やかオーラが漂ってるけど、そんなことより今は情報のすり合わせだ。
僕はこの姉妹を相手にどう振る舞うべきかってことだよ。
「えっと、すみません。リオンさんなら昨夜の内にヴェラストール行ったからここにはいません。それよりも叔父に、ここの人達が二十八人向かったことと、リオンさんもついて行ったことを知らせてあげたいんですが、今って回線繋がらないんですか?」
「なんて役に立たない子。それならアレン君は私が保護しますわ、お姉様。問題はアレナフィルちゃんが殺されかけたことが全国ニュースに出たことですわね。こんなにも大きなニュースになったんですもの。おそらくウェスギニー子爵邸には人が詰めかけているでしょう。場合によってはアレン君は私が預かります」
「フィルが殺されかけた・・・?」
ちょっと待ってくれ。アレナフィルにはミディタル大公家の護衛がついていたんじゃなかったのか。誘拐されるのも問題だけど、それ以上にどうして殺されかけるところまでいくんだよ。
あまりにも事情が分からなすぎる。
僕の疑問を理解しているのか、バイゲル中佐も困っている様子だ。
「大丈夫よ。既に助け出されて病院に運ばれたから。映像で確認する限り外傷はなかったわね。ここから二十八人も行ったなら、わざと誘拐させて大々的に救出されるように仕組んだのかもしれないわ」
「そんな・・・。フィルちゃん、怖かったでしょうに」
涙ぐむ村長がどこまでもアレナフィルを案じているのだが、この二人ってば姉妹の割にタイプが違いすぎて姉妹に見えない。兄妹にはもっと見えない。
おそらくバイゲル中佐も僕と一緒でアレナフィルの誘拐を父が把握していたと思ってる。
そうだよね。僕もちょっと落ち着いてきた。
(心を柔らかくして正解を見抜け。踊らされるな、利用されるな、それでも警戒はされるな。子供のメリットを使ってうまく切り抜けろ。父上がいなくても正しくゴールするんだ)
ここにフォリ先生はいない。僕は誰にも命令する権利を持たない。
それならどうすればいい?
考えてみれば娘の誘拐を予測した上で潜伏先アパートメントと逃走ルートを押さえていた父だ。今回だって何を見越してあれだけの応援を呼んだやら。
「どうしても連絡したいなら駅長の家から通話させてもらえば? あそこ、駅の出資者ってことで別ルートで繋がってるからさ。
その後は誰かが送ればいいけど、子爵邸で警備できる人間が行った方がいいだろうね。ここはルルちゃんも行かせたらどうだろう、村長? ルルちゃんなら侍女も護衛もできる。フィオレファルナ殿が行ったらあっちも気を遣ってしまうよ」
「フェルシア少尉、あなたの発言を求めたつもりはないのだけど?」
「休日に階級を持ち出すことないじゃないか。遠慮なくシャルって呼んでくれていいのに」
ピンクがかった金髪に淡い水色の瞳を持つフェルシア少尉は、ネトシル少尉の中ではチャラ男で定着している。まさにチャラ男の名に恥じない華やか男というべきか。
黒髪に赤い瞳をしたルルーシェラと同じ移動車でやってきたのだからどこまでも華やかすぎた。
女が途切れない色男だよね。うちの叔父もそうか。
「その前に私の意見を聞いてください、シャルークさん。まあ、行きますけど。アレン君に何かあったら村長が悲しみますもの。本格的な戦闘は他の方にお願いします」
「来客全てを追い返せる強面が行けばいいよ。妹が狙われたなら今度は双子の兄を誘き出すか、接触してくるだろう。相手の狙いにもよるけど」
「その前にうちの妹に何があったんですか? 誘拐されて殺されそうになったってどうしてですか?」
以前の誘拐は全くニュースにならなかったし、あれは違う事件として報道されて終わった。
それなのにここまで駆けつけてきた人達はアレナフィルが襲われて救出されたとニュースを見て知ったらしい。
もしかしてうちの名前、大々的に出ちゃったの? うちの父ってば何をしてたの? ついに父も犯人に出し抜かれたの?
あれだけの人数がいて出し抜かれるなんてことあるんだろうか。
僕の第六感は、そんなことないないって言ってる気がする。
「落ち着いて聞いてちょうだい、アレン君。あなたの妹がヴェラストールで誘拐されて、どこかの建物に閉じ込められた状態で火をつけられたみたいなの。ただ、あなたの妹は閉じ込められた建物が焼け落ちる前に救出されたわ。煤で汚れてはいたけれど意識もあったみたいだし、病院に運ばれたから大丈夫でしょう。問題は何故狙われたのかってことよ」
「・・・・・・何故って、うちの妹を狙うのなんて殿下絡みしかないと思いますけど、エリー王子は無事なんですか? 他のみんなは?」
アレナフィル目的で個人的に誘拐する容疑者ナンバーワンは外国にいるし、現在は妹の婚約者だ。誘拐する理由がない。
そしてアレナフィルはエインレイド王子の一番近くにいるガールフレンドだ。
・・・・・・だからって誘拐して建物ごと火をつけた?
どこのどいつだよ。そいつにも同じことやってやる。
うちがどんな思いでアレナフィルを一般部に行かせたと思ってるんだよ。
「誘拐されたのはあなたの妹だけみたいよ」
「待ってください。妹はエリー王子達とヴェラストールに行ってました。ミディタル大公家の護衛がついていてうちの妹だけが誘拐されたってどういうことですか? それとも王子の誘拐は大事件すぎて報道されてないだけですか?」
「・・・どうなのかしら。おそらくニュースもある程度の規制がされているだろうからどこまで本当のことか分からないわね。まずはお姉様、ニュースをアレン君に見せた方がいいですわ。私は駅長のところに行ってウェスギニー家へアレン君をこちらで保護しておくことを伝えてきます。ついでに家にも連絡してきますわ」
ウェスギニー子爵邸への直通ラインはやはり駅長の所にしかないようだ。
「それなら私が駅長のところへ行ってくるわ。ファルナはアレンルード君と一緒にいてあげてちょうだい。こういう時は知っている人が側にいてあげた方がいいもの」
この村長って優しい人の気配がする。自分よりも妹がいた方がいいだろうと判断したのは僕達の関係性を考えてのことだよね。
何か言いたげな空気もあるけど、あえてそれは持ち出さない感じだ。
「心配しなくてももう連絡は来てたよ、駅長の家に。
『アレナフィルちゃんの安全は心配しなくていい。見つかったら取り囲まれるから、まずはローグさんって人の所に行ってこっそり帰宅するように』
ってことだったかな」
皆が黙り込む。
それ、最初に言うべきことじゃなかった?
「フェルシア少尉。それは本当のことなの? いつ、駅長の家に行ったの?」
「え? さっき。あのニュース見てまず駅長の家に行ったんだよ。そしたらそんな伝言受け取ってたんだ。で、フィオレファルナ殿のところに行ったらもう出てった後で、村長の所から来ていたルルちゃん拾ってきたんだよ」
のほほんとフェルシア少尉がそんなこと言うんだけど、この人、どこまで自由なんだろう。
やっぱり僕の味方かも。僕の所に駆けつける前に一番必要な叔父からの伝言を受け取ってきてくれてる。この余裕かましてるところが父の部下って感じだね。女ぐせの悪そうなところも。
「心配しなくていいって、やっぱり分かってて泳がしてたんですか?」
「そうじゃない? ボスが指揮してたならわざと誘拐させたんだろ。前もそれしてお宝手にしたじゃないか。監禁されてた建物を全焼させた犯人は君の妹かもしれないけど」
「・・・は?」
しーんとその場が静まり返った。みんながフェルシア少尉を見つめる。
「誘拐した犯人達はね、君の妹を金持ちジジイに売り払う気だったのさ。それまで監禁しておこうってね。
ところが君の妹ってばね、ほら、今をときめく王子様との旅行だろう?
お財布持って、お着替え持って、そうそう忘れちゃいけないわ、防犯グッズも必要よねって、婚約者の親戚からお小遣い代わりにゴースト発生装置と女の子でも使える武器をもらって出発したんだって。常識的に子供が武器なんか持ってお出かけするわけないから冗談だろうけどね」
「はあ」
父の部下が常識語るなよ。あんた達こそ常識ねえよ。
そう言いたかったけど、今は言えない。言える筈がない。だってアレナフィルだ。
「で、昨日の朝、ヴェラストールのゴーストをニュースで見た君の父親はすぐ現地に向かった。ゴーストを発生させて現地を混乱させた挙句、護衛を置き去りにした娘が次に何をやるかって思ったんだね」
「・・・あはは」
なんでアレナフィル、旅行するのにそんなもの持っていこうって思ったわけ?
へたしたら王子の暗殺計画疑惑をかけられるってこと分からなかったの?
護身用のナイフ程度なら護衛を置き去りになんかできなかったのに。
「そして誘拐された君の妹が監禁された建物が爆発炎上。煤だらけで君の妹は救出された。
一般常識的に誘拐された子が武器を持っていたら取り上げられる。所持に気づかれなくても、それを扱える自由なんて与えられない。実際、手を縛られた状態で君の妹は救出された。
だからあの炎上は君の妹を殺そうとした誘拐犯達の仕業だ、常識的に。もしかしたら犯人達は取り上げた武器の扱いを間違えて出火させたのかもしれないね。
ま、常識的に発火する武器なんか貴族令嬢が持参していた筈がないから、その建物内に保管していた物が何らかの理由で燃えたんだろう」
「えーっと・・・」
常識を打ち出して微笑むフェルシア少尉はどこまでも優雅だ。
だけど僕は笑えない。笑える筈がない。どこまでもこの心が冷えきっていき、怒りは燃え上がる。
僕の妹を誰に売りつけようとしたって? しかも手を縛られていた? 冗談じゃない。ふざけるなよ。殺してやる。そいつら全員ただじゃおかない。切り刻んで獣の餌にしてやる。
僕のアレナフィル、僕の半身。僕の妹をそんな目に遭わせた奴なんて生きる価値などない。
許さない。絶対に許さない。うちの父も娘がそんなことされてて黙ってたなら一発殴ってやる。
(落ち着け、僕。黙ってたわけない。父上とフィルはダメ親子だ。ヴェラストール、叔父上が行けばよかったんだ。そうしたら誘拐そのものがなかったよ)
なんかもう泣きたい。どうしろっていうんだよって、父に怒鳴りたい。
この怒りを誰に向けろってんだ。
わざわざアレナフィルを殺す理由が誘拐犯達にはなかった。誘拐されたという時点で、貴族令嬢にとっては醜聞になる。そんな令嬢が王子の妃になれるわけがない。
十分に目的は達しているわけで、とどめに変態ジジイってことだろう。
(ユウトさんの腕輪は上腕部にあるから見つかりにくい。何より貴族の女の子がナイフよりも危険な物を持ってるなんて普通は思わない)
建物内に監禁されてもあの薬があれば全員を眠らせることができる。監禁された所に都合よく水なんてないよねって思ったらトイレぐらいあるよと言い放ったアレナフィル。金属を切るカッターも壊れたドアノブで試したけど、本気で切れ味が凄かった。
あんな物を持ってるアレナフィルが何をやらかしたかなんて考えたくもない。
どうやって自由に動いて、その上で手を縛り直したんだろう? まさかと思うけど、父が手伝ったとか? やりそう、あの父ならやるね。
祖父へ直談判しなくちゃいけない。父は手遅れだけど、もうアレナフィルはおうちから一歩も出しちゃダメだよ。ウェスギニー家が終わる。
あの大空に広がったゴースト達も凄かったけど、監禁された建物を燃やしてきたってところがアレナフィル。
全員眠らせて脱出する為に持ってた腕輪じゃなかったの?
犯人を眠らせるだけじゃ気が済まなかったの?
むかついたから建物焼いたんだね?
父の子供だ、やられた以上はしっかりやり返してきたんだろうけどさ。もしかして見張りは眠らされてそのままローストされたとか?
僕は叔父に育てられた子供だからそんな乱暴なことしないってのに、アレナフィル、どこまで父の子なんだろう。あ、今はバイゲル家の子疑惑もあった。どっちもぶっ飛んでそうだね。
(ユウトさんの親戚提供って、誰か来たのか? 普通さぁ、外国にいる婚約者にお菓子とかアクセサリーとか綺麗な雑貨とかを手土産に持っていかせるなら分かるけど、煙幕弾だのゴースト発生装置だの武器だの渡すもん? いや、あの男だ。誘拐された時用にってあんな腕輪渡す人だもん。フィルの為なら持たせるよね。そんなのフィル喜んでもらっちゃうよ。僕の鞄まで勝手に鉄板仕込む妹なんだよ。おとなしいお嬢様とか自分で言ってるけど、飛び道具上等で練習場使ってる子だよ)
思い出すのは昨日の映像で空に広がった黒煙と白煙とゴーストの姿。王子様を抱えて逃げたウサギは、置き土産も大胆すぎた。
何をやろうと可愛いから許す父親なんているからあんな子が育つんだよ。可愛く甘えていれば何をしても許されると思ってるような子がね。
(だからってフィルを誘拐してヒヒジジイに売り飛ばそうなんて許さねえ。僕とフィルがいたなら絶対に僕を狙ったってのに。だからフィル、僕といなきゃダメなんだよ)
アレナフィルは我が儘な子だ。僕と一緒に可愛いドレスを着ても、祖父母と父と叔父とローグとマーサに褒められたらそれで終わり。他の人への愛想笑いは僕に任せる横着ぶりで、女の子は自分の為に可愛ければいいのとか言う。
それなのに祖父は、女の子だからそれぐらいでいいと甘いのだ。差別だよね。
いい加減に僕の手下として、正しい令嬢教育されるべきだよ。僕がもう仕込んじゃうよ。
(もしかしたら久しぶりにリノセロス出たかも。あれって父上、知らなかったんじゃないかな)
うちのアレナフィルは眠れるクロサイ。普段は怖がりで卑怯で甘えたらなんでも許されると思ってる頭の中身がお菓子詰め合わせなウサギさんだけど、黒犀とまで呼ばれたアレナフィルの苛烈さは市立の子供達ですら戦慄するものだ。
あれは夢を見たことになっている。そうじゃないと僕達の平穏な生活が終わるからだ。
アレナフィルは子供に対する性犯罪者を決して許さない。
僕達のクラスメイトを襲った男は、乗り込んできたアレナフィルの演技に惑わされたが為に、今度は自分が性的に蹂躙される立場に落とされて心も体も再起不能となった。
ウェスギニー子爵家最強の猫かぶり娘、アレナフィル。その擬態は子供時代の父をしのぐ。そして全てを騙し通した父と違って、アレナフィルのかぶってる猫はみんなが知っている。
(同性愛者達が知り合う場所を知ってる幼年学校生って時点で・・・。しかもそこで協力者を調達してみせたってのが・・・。いや、忘れよう。あれはなかったことだ。ブラックリノセロスは全てを夢にする魔法の言葉だ)
勘弁してくれ、妹よ。お前は王子と一緒に夜逃げしたと思ったら、ゴーストを空に打ち上げて王子の護衛を攻撃し、今度は自分の敵の拠点を焼却処分してきたのか。
そりゃ変態ジジイに買われるよりマシさ? マシだけど、普通じゃないよ。
連休にちょっとお出かけするのなら分かるけど、前日から王子誘拐、朝から観光地の大空を不法奪取、次の日には建造物を炎上させたって、どんな人生歩む気なのさ。
どうすりゃいいの。学校なら妹は僕だったとかいう手を使えても、こうなると誘拐されて救出されたのが兄の僕だったってのは無理がある。
僕と一緒に暮らしている時はただの甘えっ子だったのに、ちょっと僕が寮に入って暮らし始めたらこれ。親分がいないと手下が暴走するって本当だね。
「どうしてそんなことを知ってるのかしら?」
「やだな。怖い顔しないでよ、ファリイ。ここで、大好きなシャル、教えてって可愛く言ってくれたら教えてあげるからさ」
「フェ・ル・シ・ア・しょ・う・い? きりきり吐けって言ってるんだけど?」
「ぅわっ、首が絞まるっ、絞まるんですけどぉっ」
そこで襲われてるフェルシア少尉の情報源は、・・・うん、父だろうね。ユウトの親戚から危険物を渡されていたと知るのはウェスギニー家関係者だけ。誘拐された前後の状況も把握してるんだからそれ以外ない。
となると、やっぱりフェルシア少尉は信頼できる人ってことだ。
うちの父ってば親としてはダメダメだけど、子供の保護者にいい人材を見抜く目はあるんだよ。
(父上だもん。これだって僕がどこまで出来る子か見てるよ。あの時だって僕がユウトさん、フィルの兄だって気づかなかったら、僕だけじゃなく叔父上にも何も話さないつもりだったんだ。父上は僕がどこまで突き止めるかによって渡す情報量を決める。・・・フィルの所には父上とリオンさんがいる。だから大丈夫。僕はこれから僕がどこまで賢く振る舞えるかテストされるってわけだよ)
うちの父ってば本当に常識がおかしいからね。子供のスポーツクラブをやめさせる為に外国の戦場に連れていく人だからね。
何よりここのチケットは父が渡してきた。母を殺した人相手に僕がどう出るかをいきなり試すなんて最低な男さ。
旅行中の娘が誘拐犯の拠点を壊したところで、父にとっては子供がはしゃいでるって感じだろうよ。離れた場所でそのニュースを聞く息子の気持ちなんか理解しないだろうね。
本気で息子への愛が見えない。そのくせ娘は可愛がるだけで何も教育しないんだから差別っぷりがひどいよ。
僕がいるこの村には、母を殺したという村長と、そこらの貴族令嬢より貴族令嬢のような平民の孤児がいて、なぜかその子には父の部下が変質者を装って保護している。
あの父は冷静に僕の行動をジャッジする筈だ。
(なんで僕、こんなに苦労する人生なんだろう。僕の苦労を分かってくれるの、フォリ先生ぐらいだよ。父上がいるならフィルは大丈夫だろうけど。もしかして父上、フィルが誘拐されたってことでミディタル大公家の警備担当者いじめてないよね? あれ? そういえば父上、エリー王子担当だよね? って、わざとフィル使って役立たずな護衛を炙り出したわけじゃないよね?)
分からない。情報が足りない上、どれが正しい情報かさえ不明な今の僕にできることはない。
何よりヴェラストールには父がいたんだ。僕よりも強い父が。
アレナフィルが怪我することもなく救出された時点でお察しって奴だよ。今、アレナフィルの所に駆けつけるといった普通の反応、父が僕に期待している筈もない。そんなことしたら、やっぱり子供だなって、色々なことの真実を教えてくれる日が遠のくだけだ。
フェルシア少尉はきっと僕がどう振る舞ったかを父に報告する。
僕がすべきは、父が自分の知ってることをべらべらと喋りたくなるぐらいに立派な男でいることだ。そうじゃないと父を追い落とすことだってできやしない。
「ファ、ファルナ。やめてあげてちょうだい? えっと、つまりファルナもシャルークさんもアレンルード君を保護する気はあるのよね? もしかして私が一人で空回りしちゃったのかしら」
「そんなことありませんわ、お姉様。どちらにしてもアレン君を無事に送り届けなくてはありませんもの。それは私がいたしますわね」
「いや、フィオレファルナ殿が出てきたらあっちも気を遣うよ。ここの誰かでいいって」
「私には責任があるのよ、フェルシア少尉?」
ある意味、とても気が合ってるのかもね。バイゲル中佐とフェルシア少尉ってば。
「子爵家の息子を侯爵家の娘が送っていったら、あっちだってそうですか、ではさようならってわけにはいかないって。だからって慌てふためいている最中の子爵邸におもてなしさせるのはひどすぎるよ。子爵の関係者が送っていくのなら、後で子爵がみんなに酒奢って終わりでいいんだからさ。
ねえ、アレンルード君? 君だって帰宅したら家人を落ち着かせなきゃいけない立場でバタバタするのは分かってるよね? 保護を頼むならお礼なんて後回しにしてもいい人だって理解できるだろう? そもそもここにいる誰もが子供一人ぐらい十分に守れる猛者ばかりだ」
僕は周囲を見渡した。
フェルシア少尉の言葉を受けて頷く人達はみんな強そうだ。お礼が一番安上がりなのは誰かな。だってあの父がそんなお礼とか考えるってとても思えない。手配するのはきっと叔父だよ。
「そんなら好きな二輪、選ばせてもらって一緒に乗ってったらどうだ? さっき二輪乗りたいって言ってただろ?」
「お? そんなら好きなの乗せちゃるぞ。だが、長時間はなぁ。四輪で送ってって、後は庭で二輪乗せてやる方がいいか?」
「どうせならドンパチやらせてもらいたいねぇ。訓練より実戦だろ、何事も」
「せっかく女装してんならそれで挑発したらどうよ」
うん、僕ぐらい一人で守り通せそうな人ばかりだよ。メルニコスを除いて。
保護者っていう意味ならメルニコスもいい兄ちゃんだけど、ここでみんなが乗ってる二輪や三輪も大型がほとんどってところがね、うん、凄いよね。しかも武器まで携帯してんだからさ。
過剰防衛とか言う以前の問題として、そんなの持ち歩いていいわけ? いや、ここってば私有地だった。しかも国境近くの防衛前線。
ただねえ、・・・僕を狙うってことあるのかな。王子の妃になれない僕を。
僕を誘拐してアレナフィルに偽証させるとか? 僕を誘拐? 幼年学校時代ですら誰もできなかったのに?
「あ、はい。そうですね。・・・えっと、でも僕、ファルナさんと同じ列車で駅まで帰ることにしてそこで解散でいいんじゃないかなって思います。僕、駅まで戻ったら後は一人で大丈夫です」
駅から学校に行って、警備の人に事情を説明してあのダークグリーンのプロテクターを持ち出させてもらおう。あれがあれば、僕は一人で戦える。
それに男子寮や警備棟ならフォリ先生に連絡取れるだろうから、詳しくて正しい事情を教えてもらえるよね。
夜まで待って、一人で空中を跳んで子爵邸まで戻ってもいい。
誘拐されたら建物焼いて帰ってくる妹がいて、なんで兄の僕が守られてなきゃいけないんだよ。
「いや、何人かは同行させた方がいいよ。ルルちゃんは侍女も秘書もできる。今は誰が信頼できるのかも分からない。外出先での誘拐なんて、よほど情報が漏れていないとできないことだからね。もしも次に君が襲われた時、迎撃できる攻撃力は大事さ。まあ、ここも君のお父さんの部下ばかりじゃないから、チョイスそのものは僕が協力してあげる」
フェルシア少尉の言葉は、僕に今まで考えてもいなかった可能性を突きつけた。
「そうね。シャルークさんならいいアドバイスしてくれると思うわ。でもシャルークさんをフィルちゃんに紹介しちゃダメよ?」
「ちょっと待ってよ、村長。だから僕は子供に興味ないって。ランドリアは可愛がってるけど、恋愛対象じゃないからっ。その証拠に他の子供達なんて無視してるよねっ?」
「えっと、それはそうだけど、つまりシャルークさん、可愛い女の子じゃないと嫌なだけよね? さっきからアレンルード君に優しいけど、フィルちゃん、アレンルード君とそっくりな女の子なのよ?」
「・・・普通に礼儀正しい子供には優しいだけって事実を村長が分かってくれない。ここの子供達なんて礼儀知らずもいいところじゃないか」
ここまで信用されていない人もいるんだね。僕の目にはバイゲル中佐を口説いてるとしか見えないんだけど、みんなはそうじゃないらしい。
他の男の人達が全く助け舟を入れないんだから相当だよ。
「この間、ランドリアを起こしに行ったらいなくて、あなたの寝室にいたって聞いたけど?」
「だって一人じゃ寂しいって言われたんだ。添い寝ぐらいしてあげるよ。当たり前でしょ」
「当たり前じゃありませんっ。それならジョルディシアさんにお願いすべきでしょうっ」
「もしかしたら恋人がいるかもしれないじゃないか。これでも色々なことを考えて引き取ったんだって。それに不埒なことなんかしてないし、僕に慣れてるからランドリアだって変な男に引っかからないと思うんだよね」
さりげなくメルニコスに視線を送るフェルシア少尉。メルニコスは明後日の方向を向いて手で髪を整えている。
それに気づいていない村長が一人で怒っていた。
「そういう問題じゃありませんっ。女の子が夜に殿方のお部屋に行くなんてあっちゃいけないのよっ。・・・それよりファルナ。悪いけれど情報を集めてくれる?」
「ええ。私は一度あっちの家に戻りますわね。アレン君は誰を連れて行くか相談していてちょうだい。送っていく時はこちらで手配するから慌てないこと。ちょっとエインレイド殿下のお妃候補も調べてくるわ。その方があなたの妹を狙う可能性の家も絞られるでしょう? 混乱している時にあなたに接触してくるかもしれないもの」
「あ、ありがとうございます」
言われてみればうちでは王子妃狙いの家なんて分からない。侯爵家の方がすぐ調べられるよね。だって王子の妃になろうってんなら王族、公爵、侯爵、おまけで伯爵レベルだ。子爵家、関係ない。
それにフォリ先生だって、王子妃候補のリストは持ってても、そこまで野心が凄い人なんて王族だからこそ分からないだろう。貴族の方が分かる筈だ。
(クラブで仲良い人達の家だったりしたら嫌だな。それもあるから調べてもらって頭に叩き込んだ方がいいか)
まあ、あれだ。
急いで駆けつける必要はないらしい。だってアレナフィル、誘拐された仕返しに建物燃やしてきちゃったし。
父のことだ、更に燃料追加していたかもしれない。それぐらいしそう。うん、するね。
だってアレナフィルを誘拐してめちゃめちゃにする気だったんだ。ユウトのようにアレナフィルを保護するつもりの誘拐じゃない。そりゃ父だってブチ切れるだろう。
アレナフィルは閉じ込められた部屋の窓やドアを壊しただけで、父が建物全部を全焼させたってことも考えられる。あれだけの人数が行っていて、何もしてないわけがない。
(フィル、泣いてないかな。仕返ししてきたのは偉いけど怖がってるよね。父上、ちゃんと慰めてあげてるといいけど。なんでフィルだけが誘拐されたんだろう。王子様と一緒にいて誘拐される隙が生まれたって、わざと護衛がフィルを誘拐させるのに加担したのか? 何だよそれ)
アレナフィルはあれで怖がりなんだ。すぐに泣いちゃう。僕の名前呼んでしくしく泣いてるかもしれない。
ネトシル少尉はいい人だ。僕達は仲良しだし、信頼できる。だけどその兄だというローゼンゴットという人がアレナフィルを誘拐させるのに協力したならお付き合いはここまでだ。
三男がいい人だからって次男が何しようとも我慢する? あり得ないよ。
アレナフィルを傷つけようとする者は僕の敵だ。
(チャラ男さんは頼りになりそう。味方っていう意味では村長もそうだよね。フィルの為にここの人を差し向けようとしてたみたいだし、僕の為にバイゲル家からの情報収集も指示してくれたし。本来は僕の敵な筈なんだけど、いい人そうなのがきつい)
いや、いい人なのは昨日から分かっていた。父が母を殺されても花を植えることで終わりにしたというのも、きっとこの性格を知っていたからだ。
(なんでこの人、母上殺したんだろう。やっぱりなんかあるよ。ほんと、分かってないことがあるって分かってて、その分かってないことが何かが分からないのはきつすぎる)
何よりきついのは、今回の建物炎上をやらかしたのが妹だという事実だ。ニュースになったってことは小規模じゃなかったんだろう。普通の火災なら全国的なニュースになる筈もない。
自分の身を案じてくれる外国暮らしの兄に誘拐されたと思ったら兵器をカツアゲしてくるアレナフィルだ。今度は他人だし、遠慮なく燃やしたんだろうって分かる。
それともアレナフィルが売り飛ばされる予定だった変態ジジイが全く趣味じゃなかったとかさ。そりゃアレナフィル、ブチ切れるよね。男の趣味にはうるさい子だし。
ああ、どうしよう。もう頭の中がぐちゃぐちゃで何にも分からない。きっと僕、かなりパニック起こしてる。
(そういえばフィル、先輩に面倒見てあげるから頼ってくれって言われても、十数年後に出直してきてくれって言ったバカな子だった。十数年後には上等学校生活終わってるよ)
うん、あんな父と娘を領主にしちゃいけない。父を名前だけの領主にさせた祖父の見る目は正しかった。
今の僕に分かるのはそれだけかもしれない。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ヴェラストール駅長の家に行って直通回線を使わせてもらった。僕が一人で通話できるようにしてくれた村長っていい人だ。
これが妹のバイゲル中佐なら遠慮なく同じ部屋で話を聞いていたと思う。
(甘いと言えば甘いんだろうけど、僕ぐらいならどうにでもなるって思ってるのかな。・・・いや、違うか。僕に遠慮してるんだよ、あの人)
それはともかく、祖父と叔父から聞いた話はどうしようもなかった。
アレナフィルは誘拐された時に使われた移動車にコインで何筋もの傷をつけていたらしい。塗料のついたコインを提出して、しっかり証拠確保したことを褒められたそうだ。何だよそれ。
誘拐される時に悲鳴をあげることより車体に傷をつけることを優先していたってちょっとおかしくない? 褒める前に怒りなよ、世間の大人って頭が悪すぎ。
(コインで傷なんてつけられるのか? あんな硬い物に? 帰ったら聞いてみよう)
アレナフィル達を預かっていたミディタル大公妃からウェスギニー子爵邸へ入った連絡によると、アレナフィルは誘拐される直前まで目撃者を多数作っていたから、その身を汚されたとかいう醜聞リスクはかなり低く、しかもうちの父親、そんな娘の計画をこっそり支援していた。
ミディタル大公妃は、アレナフィルが慰謝料目的で計画的に誘拐されたことは黙認するけど、秘密裏の受け取りだから保管方法を今から考えておいた方がいいのではないかと言ってきたそうだ。
譲受を表沙汰にできない大金をアレナフィルは保護者抜きで受け取る気だからって。
(慰謝料でお金稼ぎする為に誘拐されたわけ? 自分から誘拐されに行ったの? フィル、兵器もお金も恐喝で手にいれるものじゃないってこと、知らなかったんだね)
犯罪行為を前提にした記録に残らない大金の受け渡しって、既に裏社会の話だよ。
だからもっと厳しく怒るべきだったのに、兵器の密輸と脱税の為に結婚詐欺してもお部屋でごろごろしていれば許されたってんでアレナフィルが味を占めたんじゃないか。
よりによってネトシル侯爵家の次男にこういう時の口止め料は幾らぐらいが相場かと、アレナフィルは尋ねた。相場の上限までむしり取る気満々。
ミディタル大公妃によると、弟のネトシル少尉がうちと親しいのでその次男はかなりアレナフィルのことを特別扱いして面倒を見ていたのに、アレナフィルはそれが分かっていなかったらしい。要塞の壁を蹴っちゃいけません、お酒を飲んではいけません、男を半裸にしてセクシーフォトとか考えちゃいけませんとか言われたもんだから口うるさい人認定して、何かと反抗していた。
(王子との個人的旅行に同行しておきながら、壁蹴りを注意される子爵家の娘って幼児じゃないんだから。お酒だって出されるわけないよね。また盗み飲みした? でもってどこの男を脱がそうとしたんだよ)
それって注意されるの当たり前だよ。反省して項垂れる筈が反抗してどうするのさ。
ネトシル家の次男が、護衛でついていくから用意できるまでここで待ってなさいと言ったら、言うこと聞かずにアレナフィルは逃げ出してわざと一人で歩き回って誘拐された。
言っても聞かない子を指導するのは諦めて追跡していたその人が、誘拐された証拠を確保した上で連れて帰ろうとしたら監禁場所を全焼させてニュース沙汰にして口止め料を巻き上げるから他にも脅迫材料になるものを先に持ち帰れってアレナフィルは要求したらしい。その報酬はバナナ味とラズベリー味の栄養補給バー1本ずつとドリンク1本。
子供のお使いかよ。そんなもので動いてくれる大人なんかいないよ。ましてや貴族。
そう思ったけど、ネトシル侯爵家の次男の人、弟が何かと世話になっているウェスギニー家の子だからと、アレナフィルの要求を聞き入れて、その失態責任は自分が取るって大公妃に連絡を入れた。
一兵卒からやり直すといった罰則も受け入れると大公妃に告げたらしいんだ。
(なんて真面目で素晴らしい人なんだろう。ニュースで見た時は快活そうな人だったけど、普通ならフィルのことめっちゃ怒って見放してるよ)
何も悪いことしてない侯爵家の令息にそこまでの覚悟をさせたなんて、アレナフィル、ひどい子すぎる。
しかもこっそりその次男に接触してきたうちの父、怖がりな女の子が頑張ってるんだから少しは手伝ってもバチは当たらんだろって言ってのけた。うちの父もひどい男だよ。
ネトシル侯爵家の次男の人、話が通じないうちの父と妹に苦労していた。あの二人がやりたい放題して、その結果責任を関係ない侯爵家の次男が取るっておかしすぎるよね。
うん、ごめんなさい。わざと誘拐される隙を作ったんじゃないかと疑っててごめんなさい。いい人だったよ。ネトシル少尉のお兄さん、とってもいい人だった。
怖がりな女の子はわざと誘拐されないし、侯爵家の人に荷物運びさせないし、口止め料獲得計画も立てない。
祖父と叔父が疲れていたわけだ。
(お祖母様、また寝込んでるんじゃないかな。お祖父様、どんな身分の人相手でも絶対に約束なんかするなって・・・)
アレナフィルを自由にさせたら一生遊んで暮らせる大金をこの数日で持ち帰ると察した叔父は、アレナフィルが戻ってきたら閉じ込めておくから帰宅したら女装してアレナフィルのフリをしろと言った。
僕ならアレナフィルみたいに口止め料金の値上げ交渉はしないからって。
みんなからの信頼が切ない。そういう意味で信頼されてるって、全然嬉しくない。
前回の兵器密輸と一緒だ。今回も祖父と叔父、アレナフィルのしたことは問題だけどウェスギニー家だけの問題じゃないから追認せざるを得ない。せめてものストッパーが僕なんだって。
(あのさぁ、フィル。誘拐の危険性があったら、普通の女の子は怯えておうちに引き篭もるもんなんだよ。なんで誘拐されたら殺人未遂事件にまでグレードアップさせて相手をびびらせようって考えるわけ? しかもそれ、うちのライバル社にもその疑いをかけて攻撃するってひどすぎるだろ)
アレナフィルは強欲な子だ。今回の誘拐も、うちのライバル社が関与しているかもしれないってことを言ったらしい。
うちもバタバタしているけど、うちのライバル社も捜査が入ってしばらくは身動きが取れなくなるだろう。
(普通ならそんな醜聞、結婚に差し支えるから泣き寝入りする筈なんだけど。フィル、結婚しなくても一生遊んで暮らせるお金を手にいれる方を選ぶ気だね。だけど一生の生活費ぐらいはうちで負担すると思うんだよ。フィルだってそれぐらい分かってたよね? じゃあ、何の為に上限ぎりぎりまでゲットする気なわけ?)
勘弁してくれ、妹よ。その大金、何に使う気なのさ。前日から計画立てて、朝から護衛を振りきって逃走し、首尾よく誘拐されたって父の影響受けまくり。
もう王子の学友、辞退しなよ。我が家の名誉の為に。
肝心の王子達は明け方まで騒いでいて、朝食兼昼食をアレナフィルと食べるってことだったけど、つまりアレナフィル、王子達の知らない所で一人勝手にやらかしてた。しかも擦り傷一つないそうだ。
(父上。この状況で家に連絡一つ入れず行方しれずってどうなんですか。だからフィルが真似して悪い子になるんだよ)
言えない。こんなこと、心配してくれているバイゲル侯爵家の姉妹には絶対に言えない。ウェスギニー子爵家トップシークレットだ。
村長は、駅長と相談して特別臨時列車を出してノンストップでヴェラストールまで行けるようにしてあげると言ってくれた。
その気持ちはありがたいけれど、こうなると僕が行くべきはヴェラストールじゃない。ウェスギニー子爵邸だ。
おそらく誘拐犯達は子爵邸にやってくる。ミディタル大公家に保護されたアレナフィルに接触できるわけがないからだ。
ここまでの事件になった以上、ウェスギニー子爵邸にいる祖父もしくは叔父に交渉して黙らせようとするだろう。だから祖父達も、騙されて変な約束なんかするんじゃないって言ったんだ。
被害者であるアレナフィルを黙らせる為、相手は何を言ってくるだろう。アレナフィルはそこで慰謝料を巻き上げるつもりだけど、祖父と叔父は父の帰宅を待って判断する気だ。
そりゃそうだよね。
(なんでこっそり出かけたエリー王子達の動向が漏れてたんだろう。チャラ男さんが言ってたように、まさかうちにも情報を流してる奴がいるのか? ミディタル大公家にはそりゃ沢山いそうだけど、行動が早すぎない?)
使用人なんて、ちょっといい感じの異性を近づければ簡単に情報を垂れ流すって叔父は教えてくれた。それは家族でも同じだ。
叔父だってそんな女性は数え切れない程いたそうだ。そして僕にも教えてくれた。利用する気で恋愛感情を引き出されることもあるだろうと。僕の正義感はウェスギニー子爵家を傾かせる程の恋に姿を変えるかもしれないとも。
そういう意味で僕はまだ叔父に信用はされていない。アレナフィルは信用されている。
仕方がないけどね。たとえ相手に悪意がなくてもそれではすまないのが王侯貴族。恋したが為に全てを犠牲にして破滅した人って結構いるらしい。とある豪商の家は一家離散したんだって。
たしかに僕、自分にできることならって情に絆されること、将来にはあるかもしれない。アレナフィルは誰にも絆されなくても。
信じられないよね。うちの父ってば今住んでいるおうちをアレナフィルにあげるって約束していた。つまりアレナフィルを誘惑しようとしたら、三階建てで庭付き車庫付きで塀に囲まれた安心安全な家一軒、そして甘やかし担当の父と叔父がついてくるそれよりも魅力的な条件が必要だってこと。
誰があんな子にそれだけ貢ぐんだよ。
いや、今の外国人婚約者ならやりそう。だからあの人、婚約者なんだね。それでも三年間の期間限定。
(考えようによりけりってことか。僕に一番近いフィルが、変な男に騙されて利用されることはないんだし。フォリ先生やリオンさんには頭撫でられて抱っこされてるけど、あの二人以上の男がどこにいるかってことだよ)
アレナフィルを誘惑するのはとても難しい。だから祖父母と父と叔父は全く心配していない。アレナフィルに色仕掛けするなら父と叔父以上の顔と肉体と資産と甘やかしテクニックが必要だ。
爵位を継承する領主としての資質でいくなら、その傲慢な身勝手さがアレナフィルは僕よりも上のレベルにあると祖父達は考えている。そうでなければ一族を維持できない。
その点、僕はこの正義感がいずれ何かに傾倒することはあるって思われている。貴族令息って自分の正義を貫こうとして騙されたり、罠にかけられたりしてしまうらしい。
その罠を見抜くことはとても難しいんだって。罠にかけてきた人さえ騙されていることもあるから。
アレナフィルは決して罠にかからないけど。うん、アレナフィルなら絶対に言うね。
――― まずはフィルの好みな肉体とお顔、そして甘い言葉とフィルにセンスのいいプレゼントを贈ってくれる甲斐性持ってから出直して。それからならお話だけは聞いてあげる。だけどフィル、フィルのこと好きじゃない人の為に使う時間なんてないから、フィルのこと大好きなことも大事な条件ね。あ、気持ち悪いのはお断り。
うん、言うね。それぐらい言うよ。あんな子、騙そうとしたらいくらかかって無駄に終わるんだか。そこまで傲慢なこと言える子なんてアレナフィルぐらいさ。
だから何があっても信じていい相手はとても限られる。ローグとマーサだって、子供や孫を使われたら知らない内に大事な情報を話してしまうことはあるかもしれない。
(そういえば先輩にも、うちに叔母と一緒に遊びに行っていいかって言われたっけ。その叔母さん、叔父上と学生時代に友人だったとかって言ってたけど)
領地や資産を持つ貴族はいつだって狙われる。
僕はフォリ先生とネトシル少尉を信じてるけど、それはあの二人にとって僕が育てる対象だからだ。蹴り落とす対象じゃないって分かってるから信用できる。
フォリ先生は次のウェスギニー子爵が僕なら卑怯なことはしないって分かっているからそれでいいそうだ。男の信頼がこそばゆいよね。
ネトシル少尉は近衛に所属しているから人脈が大事らしく、ウェスギニー家の跡取りが僕なら安心できるって言っていた。
笑顔の裏で相手を罠にかけようと考えている貴族は多くて、もしもアレナフィルが子爵になるなら王城の女官を買収して誰かがアレナフィルを襲うかもしれない。女子爵の弱みを握って婿として入り込み、ウェスギニー子爵家を乗っ取る計画を立ててね。
僕なら成人しても、よその令嬢やお城で働く侍女や女官を襲う計画なんか立てないだろうし、そんな卑怯な話を聞いたらまずは阻止する為にネトシル少尉とか近衛に伝えてくれるだろうから安心なんだって。
(スカートでも飛び蹴りできるように練習しなくっちゃとか言ってるフィルがおとなしく襲われるかどうかは謎だな。そりゃ今回誘拐されたけど。でもって高級移動車を要修理にして建物は再起不能にしたけど。・・・フィル、役人になるより治安警備隊に行きなよ。犯罪者の気持ちが分かるから裏をかいて捕まえるのも楽々だよ。点数稼ぎも出世も軽々だよ)
ネトシル少尉は、役人を目指すなら王城の女官も悪くはないと言っていた。貴族令嬢の就職先としては決して悪くないからって。
だけど僕は今、それだけは絶対しちゃいけないって確信している。
あのアレナフィルを王城に解き放ったら、襲おうとした男達を反対に襲って全財産巻き上げかねない。その時に協力させられるのは、まさかフォリ先生とネトシル少尉だろうか。
(女官を男達が集団で襲って辱めようとしたら、反対に男達が襲われて辱められるんだよ。父上は裸にした男をうちの廊下天井に展示したけど、フィルはお城の廊下天井に裸の男達を展示するんだよ。そこから下ろしてほしけりゃ幾ら出すか言ってみなってね。で、力仕事は女の子だからできないとか言って、フォリ先生とリオンさんを呼びつけるんだ)
いやいや、フォリ先生だけは駄目だ。ネトシル少尉がいいわけじゃないけど。
けっこうネトシル少尉ってば話のわかる大人だし、弟が欲しかったとかで僕を可愛がってくれるし、めっちゃいい人だ。いつかアレナフィルと結婚することもあり得るんだけど、そうでもそうじゃなくても一緒にいて楽しい。
上等学校一年生の時点で結婚詐欺と密輸と脱税して、誘拐犯の財産を恐喝する予定の子でも笑って受け入れてくれるのなんてフォリ先生とネトシル少尉ぐらいだろ。あのクラブメンバーも文句言いながら気にしなさそう。
外国人婚約者はアレナフィルとの絆を守る為に婚約しただけなのに、アレナフィル可愛さのあまり、なぜか自宅を乗っ取られようとしている駄目な大人だ。兄としては僕の方がレベルは上ってことだね。
(どうせならあのチャラ男さんに相談してみようか。うちに誘拐犯への情報源がいた場合の見つけ出す方法とか)
うちの父はとてもひどい男だ。独身の弟を、子供の父親代わりに仕立て上げて悪いなんて全然思ってない。
思えば結婚もしてないのに甥や姪の授業参観とかって何なんだろう。叔父がいつも笑顔で優しかったから気付かなかったけど、ネトシル少尉、甥っ子のそんなのに行くなんて考えたこともないそうだ。
そりゃそうだよね。
(なかなか帰ってこない人だけど、父上、僕にはちゃんといい人ばかり揃えてくれている。愛されてはいるのか? うーん、どうなんだろう)
父は僕達の誕生日にフォリ先生とネトシル少尉を子爵邸に招いた。今ではオーバリ中尉を含めて僕のことを気にかけてくれている。
あのユウトだってアレナフィルを餌にしたようなものだけど、かなり凄い人だよね。
ここでランドリアを可愛がっているフェルシア少尉もさりげなく僕の手助けをしてくれている。
だから愛されていないわけじゃない。
父や叔父は、決して僕に下劣な人や性格がねじくれている人を身近に配しはしなかった。
フォグロ基地で陰口叩かれても平気だったのは、別にレスラ基地ならあんなこと言われないって分かっていたからだし、フォリ先生やネトシル少尉が欲しがるようなプロテクターを用意してくれた父ってば、かなり僕を大事にしていると思いはするんだよ。それ以上のことをも要求してくるけど。
まあね、後継者としては大事にされてるよね。
一流の人達を父は僕に見せてくれた。どんなバカ息子でも刺激されて立派に育つってもんさ。
(思えばあのチャラ男さん、今までいなかったタイプだ。これって、そこらの色仕掛けに引っかからないお手本を見とけってことか? あの人、色仕掛けすることはあっても、されることはなさそう。あのルルさんですら負け旗立てて、最初から勝負しないし)
そこんとこ、あの父だけは信用できない。
笑ってそういう人だから仕方ないって言えるのは叔父ぐらいだよ。
うちの母と結婚したのだって、この人との間なら可愛いタイプの子供ができるだろうって理由だったからね。
そのおかげで僕とアレナフィル、とっても可愛い子だけどさ。フォリ先生がお菓子くれるぐらいに。
それでもフォリ先生が抱き上げて頭撫でてお菓子あげて可愛がるのはアレナフィルだけ。
僕は見所がある男だから甘やかして根腐れさせるには勿体無いそうだ。照れるけど、アレナフィルが根腐れするのはいいわけ? ああ、もう腐ってるか。
いずれ王城に行くことがあっても恥をかかないようにと、他の寮監先生達からも僕に礼儀指導がなされている。ネトシル少尉の礼儀作法は近衛としてのそれで、無位無官の貴族令息ってだけならまた違う礼儀作法も覚えておいた方がいいそうだ。
これって僕、いずれフォリ先生の派閥に入るってことだよね。そんなこと考えなくていいってフォリ先生は言ってくれたけど、ここまで面倒見てもらって鞍替えした日には最低な男だよ。
それで考えるとアレナフィルはエインレイド王子の派閥か。いや、休日にあちこち連れてってもらってる以上はフォリ先生? 今回はエインレイド王子との旅行だけど、王妃やミディタル大公妃とも仲良し。
そこはアレナフィルだからね。僕がたとえ負け陣営の派閥についても、アレナフィルがいたら仲良しの誰かは勝ち陣営だろうし、救済策にはなると思うことにしよう。
待てよ。アレナフィルのことだ、負けるかもって思ったら全財産持って外国へ逃避行するかもしれない。ああ、やるね。アレナフィルならやる。そういう子だよ。
結局、僕とアレナフィルがいればウェスギニー家は安泰ってことさ。だから僕はアレナフィルを傷つけようとする奴らを許さない。
(うん、僕がいるべきはウェスギニー子爵邸だ。ヴェラストールじゃない)
直観力は第六感で正しい選択を見抜く才能だと父は言った。情報を集めて事態を見抜き、理性的に選択することが基本だけど、せっかくの才能は伸ばすようにと。
僕の柔らかな心はどんな正解へ辿り着こうとしてる? 分からない。だけど分かってることがある。
ウェスギニー家のアレンルードは、ウェスギニー子爵家を守る男だってこと。
そして母を殺したという村長は僕の敵には回らない。




