66 悩めるグラスフォリオン
従姉のアンジェ姉上が暮らしているリンデル村。
もう会ってはいけないと厳命され、ネトシル家では彼女のことを話すのもタブーとなって久しかった。
それなのにうちの次兄、平然と会っていたどころか、なんとコテージまで借りていやがった。
あの人、真面目な顔して何やってんだよ。それならどうして誘ってくれなかったんだよ。俺がそれで殴られるわ蹴られるわ、しまいにゃ俺が言うこときかないならアンジェ姉上を監禁するとか言われて通話さえ許してもらえなかった時んこと覚えてるだろにひどすぎっだろ。
何事も生真面目に対応するローゼン兄上が堂々と両親の言葉に背いていたとは青天の霹靂だったが、それ以上に裏切られた感が大きすぎる。
が、これを俺は親や長兄に言えない。暴露して次兄を怒らせたら厄介だし、そんなことでローゼン兄上が来られなくなったらどれ程にアンジェ姉上が傷つくだろう。
(いや、ローゼン兄上だ。俺は駄目でも自分だけは了承をとりやがる。そーゆー人だよ)
そんなローゼン兄上は我が家における悩みごと解決係だ。俺のことも気が向いたら庇ってくれるし、あの人を怒らせたら遠慮なく見捨てられる。だから敵には回したくない。
(あの人が出てった後、独身者の僻みだ、所詮は負け犬だとグルフ兄上が笑っていられたのは数日だけだった。あのローゼン兄上だ。戻ってきてほしけりゃ土下座しなとグルフ兄上に要求してても驚かねえ。敵を作らず品行方正に腰も低く生きてる俺と違ってローゼン兄上って性格わり・・・、いや、俺は知らねえ。何も気づかなかった。そうだ、何も知らないんだ)
悩み多き俺の名前は、ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。王宮の近衛に所属する少尉ながら、国立サルートス上等学校で用務員を装ってエインレイド王子の警護を行っている。
そして今はウェスギニー子爵家の長男であるアレンルード君と共にリンデル村までやってきた。ジェイ兄上、ファルナ姉上とも一緒だが、そっちとはうまく別行動できてほっとしている。
ファルナ姉上は俺が頼めば聞き入れてくれるが、ジェイ兄上はそうもいかない事情があるからだ。
ジェイ兄上はネトシル家でも俺の従兄に当たる人だった。つまり俺の叔父の息子だ。だから以前はネトシルの姓を持っていたわけである。
それなのに成人して樹の印が出たことから、叔父はジェイ兄上を分家筋へと養子に出した。それまで叔父の跡継ぎだとされていた彼は、その立場を種の印一つで失ったことになる。
こういうネトシル家の考え方が俺は嫌いだ。出た種の印だけで全てを決めつける。ネトシル家のジェイグランドと言えば優秀な人だったのに、その種の印だけで脱落してしまった。
ジェイ兄上が養子に出された家は子供がいなかったし、そちらの養父母とも仲良くやっているようだが、本家に限りなく近かった身が一気に雑用的な立場の分家へと追いやられたのだからどれ程にショックだったことだろう。
今ならその悔しさと情けなさが理解できる。当時は俺も子供であまりよく分かっていなかった。いつも会っていた人がいなくなったことに落ちこむことしかできなかった。
結局、ネトシル侯爵家を構成する家門の一員ながら、ジェイ兄上はネトシル侯爵家関連の人間からも腫れものを触るかのような扱いとなり、子供の頃から交流があったバイゲル侯爵家の補佐として軍で働くようになった。
それでもプライベートではそれまでの顔の広さもあり、ネトシルの姓を持たないのにネトシル本家の内部事情に通じ、何かと差配している。かえって虎の種の印が出ても実務能力がない奴らより有能だろう。
実際、ネトシル侯爵家に連なる分家であろうと虎の種の印が出ている家ばかりではない。分家でもジェイ兄上のように樹の印が出た人はいたし、その人達はそのまま跡を継いでいる。それなのに、そいつらの方が分家としては本家に近い立場となるのだ。間違ってるだろ、どう考えても。
だけど叔父は優秀な自分の長男に虎の種の印が出なかったことを受け入れられなかった。そういう自分こそ出ていないくせに。
種の印一つで全てが変わるのは、武の名門としての名声を手放せないからだ。その方針にどれだけの悔し涙が流れてきたのか。
(ファルナ姉上にくっついてきたのもアンジェ姉上に会いたかったからだろうな。俺はいいダシになったってわけだ)
好きなら好きと言えばいいって、そんなこと言えるのは何も背負ってない奴だけだ。
家門の結束を高める為、貴族に生まれた子供達は幼い頃から交流を活発に行う。その上で血縁が近い相手を好きになってはいけないのだ。
だから告げることのない想いだったことを俺は知っている。
種の印に樹が出た従兄を、アンジェ姉上は自分も軍に入るから彼を部下にしてほしいと頼みこんだ。だが、アンジェ姉上に出たのもまた樹の印だった。
種の印が出るのも、早ければ17か18あたりだ。遅いと20過ぎても出なかったりする。18才前後で出るとされている種の印が22才過ぎても出ないという悩み相談が毎年のように新聞に載る程だ。
バイゲル侯爵家に残せないと判断されたアンジェ姉上は見合いによる縁談が進んでいたが、その最中に殺人事件を起こした。
そしてジェイ兄上はバイゲル侯爵家の長男であるリオルド兄上の部下として配属され直した。
(アンジェ姉上のことだ。ジェイ兄上のこともリオルド兄上に頼んでったんだろ。かつてはジェイ兄上に従ってた奴らの方が出世も早いときたら)
同じ分家でも、ジェイ兄上が行った先は末端な分家で力などない。もうネトシルの名を持たないジェイグランドを、俺がジェイ兄上と呼ぶことは許されなかった。呼ぼうものなら俺ではなくあの人が叱責される。立場をわきまえろと。
だからだろう。俺はウェスギニー子爵家の双子達が眩しかった。
――― 世界で、一番素敵な、・・・母なんです。
アレナフィルちゃんは賢い子だ。いかに親戚筋であろうとヴィーリン夫人が貴族の血を持たず、立場上は使用人に過ぎないことなど十分に理解しているだろう。
それでも微笑むのだ。ヴィーリン夫人は自分にとって最高の母だと。
そして俺達の前ではきびきび偉そうに話すくせに、ヴィーリン夫人を見つけた途端、人見知りではにかみ屋な幼子モードの舌足らずな言葉遣いとなる。その切り替えっぷりがあからさますぎてどうしようもねえ。
――― 僕にとって叔父は父代わりの兄みたいなものかなって・・・。だから僕は叔父みたいな大人になりたいです。そりゃ貴族だと体に出た印で色々言われるのは知ってますけど、そういう考え方に惑わされない強さを僕は持ちたいです。
アレンルード君は父と叔父との明確な立場の違いも、爵位の有無がもたらすものも、何もかも分かった上で叔父を誰よりも尊敬していると言う。うちでそんなこと言ったら俺なんざ半殺しだぜ。
恐らく誰かにも言われただろう。爵位を継ぐこともなく飼い殺しにされている叔父を尊敬するなど愚かなことだ、叔父という名前の使用人じゃないかと。
だからこそ自分はそう思わない、叔父は立派な人だと、ウェスギニー子爵家の跡取りという立場で表明し続けていることに俺は気づいていた。
(ジェイ兄上、やっぱりルード君いじめちゃってたか。うちレベルならアンジェ姉上の片思いがどうこうはともかく、ウェスギニー家相手なら縁談をごり押しできなかったわけでもねえ。何よりあのアンジェ姉上だ。全くその気がない相手に片思いし続けたとも思えん)
そういう意味では未だにウェスギニー子爵フェリルドが独身を続けていられることこそ奇跡だ。普通は断れない筋から結婚まで押しきられる。
平民の血を引く子供達よりも両親が貴族の血を引く子供の方がウェスギニー家を継ぐに相応しいと、貴族なら誰でも考えるからだ。
(どこか有力貴族がその縁談を潰すように肩入れしてるとしか思えん。なのにあんだけウェスギニー家に出入りしててもその気配がねえ。色々と謎すぎっだろ)
ウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。
もしかしたらガイアロス侯爵家が守っているのかと思ったが、どうやら没交渉らしい。アレンルード君はガイアロス侯爵と一度も会ったことがないとか。
いや、連れてけよ。挨拶行けよ。何やってんだよ、父親。
そこは叔父のレミジェス殿が連れて行けばいいだけかもしれないが、たとえ苗字にガイアロスの名を持っていても、ウェスギニー子爵家に出入りしていれば気づく。レミジェス殿の実母はマリアンローゼ殿だと。
そりゃ連れていけないだろう。ガイアロスの名を持っていても、その血を引いていないなら。
だから眩しくなる。ガイアロス家から嫁いだ夫人はとても病弱な人だったそうだ。長男を産んだ後は体を壊して療養生活に入っていたとか。それ以上の出産は、もう体が耐えられなかったのだろう。
だからセブリカミオ殿はマリアンローゼ殿との間に次男を儲けた。そして血の繋がっていない妾腹の子の未来を思って、正妻である夫人は次男を実子とした。その流れが分かる。
どこまでもウェスギニー家には愛情があった。
「んじゃ弟さん、部屋案内しますよ。東館は閉めとかないと変な奴が入りこんでも困りますんで」
「ちゃんと名前はあるんだが」
「いいじゃないですか。どうせまだ村長の前には出られないんでしょ? そんなら弟さんで」
「・・・言っておくが、俺がどうってわけじゃねえ」
「細かいことは気にしない気にしない。別にネトシル侯爵家のご令息を馬鹿にしてるわけじゃありませんよ。僕なりに色々と考えてるんです。本来、西館も東館も居住区分は部外者立ち入り禁止ですよ」
メルニコスはどうやら俺のことを知っていたらしい。
「どんな修道院だよ。品行方正すぎっだろ」
「そうじゃなくて田舎なんて娯楽がないんです。酒と女、それしか気晴らしがない。そしてここにはいい女が揃ってる。スケベ心も出るってもんでしょう。うまくやりゃあ女共を侍らせてウハウハだぜとゲラゲラ笑ってる男達の盛り上がりっぷりなら隣村の酒場で見られますよ」
それは軍でもよくある。女性の多い部隊がどこかと合同で動く際、特に顕著だ。任務にかこつければ相手も騒げないだろうと、集団で襲う計画を立てていることすらある。
男同士の会話なんざ同僚の女を勝手に品定めするのが当たり前で、本人が聞いたら一生許してくれないレベルの話で盛り上がるときたもんだ。
問題は部下達の反発を恐れてそれを黙認する上官達だ。厳しく指導すれば不満が溜まって反抗的になるというので、ガス抜き代わりに見て見ぬふりをするどころか、迎合しやがったりもする。
猥談に使われてるぐらいならともかく、時には集団で襲う計画すら黙認するときた。
そうなれば女は泣き寝入りだ。重要な任務を控えているとあればそういう問題に対応している余裕などない。
「女だろうがここの地主だってのに、そんな奴らを誰も止めねえのかよ。ま、男なんてそんなもんだがよ」
ここは監獄かと言いたくなる程のウェスギニー家の門を思い出しながら、ここの門も負けてない高さと頑丈さであることにアンジェ姉上がどれ程の不便な生活を送っているのか、俺は思いを馳せずにはいられなかった。
敷居は高くあるべきだ。女としての尊厳を守りたいなら。
「娘や妹がランドリアと遊びたがってるからついてきたとかいう理由で、二階に入りこもうとする奴なんて日常茶飯事だ。普段は子守りなんてしてないくせにね」
「よくある手だな。付き添いなら下見もできる。鍵を盗んで合鍵作っちまえばいつでも夜にゃフリーパスってな。女ばかりじゃどうせ男に飢えてるだろ、これは人助けさって言い分をぬけぬけと言うときた」
「それね。今もその噂は消えてませんよ」
「男の願望なんざそんなとこだろ。女に言わせると、金と容姿と礼儀が揃ってない男なんざ男じゃないってことになるがな」
この問題は王城でも発生している。どれ程に男女を分けても、雨どいなどをよじ登ったり、鍵を壊したり、いつの間にか鎧戸の金具を緩めたりしておいて夜に忍びこむ男は出るものだ。時に誰でもいいからと女を襲う奴もいる。
ひと気のない場所や物置小屋など、どれ程に巡回させてもそういう事件は発生した。
女官は王城内の様々な場所に出入りする。時に密偵の手先として狙われる存在だ。強引に関係を結ばされて脅されるケースは枚挙に暇がない。
王城がアレナフィルちゃんをいずれ女官に欲しがっているのはそれがあった。あの子ならば毅然と対応するだろうと、今から期待しているのだ。
女官にハニートラップを仕掛けて情報源にしている男も多い。
「夜まで待ちませんよ。わざと違う鍵をしまっておいたら、どれだけくすねて忍びこもうとする奴が出たことか。
所詮、ランドリアの友達だって家族に言い聞かせられてる。まずは上の階まで遊びに行けるようになりなさい、そしてお父さんやお兄ちゃんを雇ってもらえるようにするのよ、そうすればうちだって暮らしが助かるわ、いいように言いなさい、あそこは頼りになる男の人がいないんだからいずれ感謝されるわよってね。
子供なんて単純だ。うちに来る度、ランドリアの部屋に行きたがります。駄目と言われたら拗ねたり泣いたり騒がしいもんだ。それを諦めても、今度は兄がどんなに頼りになるかを喋ります。ランドリアは、へーとしか思わないみたいですが」
ランドリアのお友達とやらは、あのチャラ男を見てないんだろうか。あんな華やかな男に甘やかされているランドリアを見てしまえば、自分の家族なんぞ恥ずかしくて話題に出せんだろうに。
女の子は自分を甘やかして大事にしてくれる父親に懐くが、ウェスギニー家のアレナフィルちゃんが特に桁違いで父親ラブなのは女の子が憧れてしまう年上のお兄さんといった役割をもあの兄弟が兼ね備えているからだ。
父と叔父という立場でありながらどちらも妻のいない独身者ならではの緩さがあって、だから一番愛されているアレナフィルちゃんがよそ見などしないのだろう。
そして父親も兄もいないランドリアだが、他人でも十分にその穴を埋めているときた。あの駅長なら学校の行き帰りを見守っているだろうし、このメルニコスが子守りをしつつ、憧れのお兄様とやらはあのチャラ男がいる。
「子供なんざ親に逆らえるもんじゃねえよ」
「ええ。だから居住区分は地元の人間を雇用しないんです。せいぜい花畑の真ん中にある場所に青空市を出してもいいというところまでですね。厄介な紐付きはごめんだ」
領地内の人間ならば領主の館に仕える意味を周囲からもよく言い聞かされる。場合によっては一族郎党がその地で住めなくなるのだから切実だ。
そういうしがらみのない雇用になれば、世間知らずな金持ちからは儲けさせてもらおうという思惑が発生するのだろう。貴族として生まれ育った女村長となれば騙されやすいカモ以外の何物でもない。
「んじゃこっちどーぞ」
手早く東館の玄関の鍵をかけたメルニコスはその聳え立つ門にもしっかり鍵をかけて、西館へと俺を連れていった。大きめのログハウスだが、呼び鈴代わりにドアの前に鐘つき場が用意されている。
「どんなでかさだよ。これってもう村中に響くんじゃないのか?」
成人男性が両手を広げたぐらいの幅がある円形の青銅には大きなイーグルが翼を広げていた。
本来の訪問者は両手でそのぶら下がっているノッカーを持ち上げてカツンカツンと突くのだろうが、これだけ大きいと子供ではその手を挟んでケガしてしまうだろう。
それもあってか、壁のない屋根と柱だけの鐘つき場には天井から木の棒がロープでぶら下がり、柱に固定されていた。その棒を柱の固定具から外し、イーグルを叩いて鳴らすのだろう。
「さすがに村中には響かないですねぇ。昔、村長がドアノッカーとして買ったらしいんですよ。ログハウスは男の子が大好きな家だから男の子が喜ぶノッカーにしてみたって。だけどドアに取り付けるには大きすぎてどうしようもないからここに鐘つき場をカディさんが作ったそうです。最初はみんな面白がって叩くんですけど、すぐに普通に声かけるようになりますね」
「ドアノッカーは片手でトントンするもんだぜ。これは大きすぎ」
「僕に言われても。お姉さんに言ってくださいよ。見慣れたら愛着も出てきますって。もう錆止め加工もばっちりな長生き鳥さんですよ」
その青銅で出来た円盤の中で力強く羽ばたくイーグル。
いつか大きくなったら自分用のマークがあると便利なのよと教えてくれたあの人は、俺を連れてわざわざデザイナーの所まで連れていった。
――― 市販のものでもいいけどね。リオンだって色々なスポーツしてるんだもの。自分の物に入れておくといいわ。好きなものを選びなさい。もっと大きくなったらネトシル家が抱えている工房で同じように作りなさいね。
その工房は繊細な作風で、ネトシル侯爵家が使っている荒々しい作風の工房とは色合いや印象もかなり異なっていた。俺が工房と話し合って選んだイーグルデザインを、シール、焼き印、接着用金属や樹脂、封蝋と、全てアンジェ姉上は揃えてくれた。
大人への一歩ねと、微笑んで。
あれからずっと同じイーグルのマークを使い続けている。俺が幼年学校生の時から使っているマークなので、成人した友人達も似たようなマークは選ばなかった。
(男の子が好きな家だから、か)
ファルナ姉上は、だから俺をこっちに行かせたのだろうか。
あの人はあまりにも優しすぎた。誰のことも大切にしようとして結局は身食いしてしまう。あんなにも弱いのに、その優しさで誰をも受け入れようとして、結局は受け止めきれずにぼろぼろになってしまう人だった。
「僕達が使ってる家だからどうしても散らかってますけど、ローゼン様も面倒な時はこっちで泊まるんです。そういうことにして本当は村長のところに泊まってるんですけどね。ローゼン様のコテージはめっちゃワイルドですよ」
「そうなのか? ぱっと見、可愛い家ばかり建ってたが」
「ローゼン様は自分で場所を選んで好きな間取りで建ててもらったんですよ。簡単には見つけられない隠しコテージです。危ないから普段は立ち入り禁止ですけどね」
信じらんねえ。堂々と自分だけ特別扱いゲットしてやがる。
真面目なフリして、どこまで抜け駆けしてんだよ。
「それ、貸しコテージじゃねえよ。何をアンジェ姉上に自分の家建ててもらって、レンタルとかせこいことやってんだよ。でもって危ない家なんてあっちゃいかんだろ」
「それ言われたらその通りなんですが、経理や登記の関係も出てくるし・・・。現地を見れば分かりますよ。今度は是非ローゼン様と来てください」
「そうするよ」
文句言ってやる。決めた。絶対ローゼン兄上には文句言ってやる。俺は決めたんだ。
ログハウスに見えたが、どうやら西館はただのログハウスではないらしい。窓は三重ガラスだったし、屋内側に小さな扉が窓の横についていて、そこにある突起をスライドさせれば鉄格子や鉄板が窓の外側を覆うようになっている。しかも屋外側、よく見りゃ木材に見せかけた煉瓦加工か何かだ。
これ、ログハウスじゃねえよ。
「まずはお茶を淹れますよ。ついでにランドリア達のおやつも作っちゃいますね。いや、今日は男の子も一緒だからクッキーじゃ物足りないかな。あ、部屋は勝手に見てきてください。部屋プレートに名前が書かれているところは僕達の部屋なんでプレートに名前が書かれてなければ勝手に見ていいですよ」
「勝手に見るのは失礼だろ。後でルード君と一緒に見させてもらうよ」
一階にあったキッチンはダイニングルーム兼用で、武骨で使いこまれた感のあるテーブルと椅子があった。一枚板のテーブルは重量もありそうだ。椅子の脚も太くて簡単には壊れそうにない。
「かなり頑丈だな。入った途端、外の音がかなり小さくなった」
「分かっちゃいました? いざとなったら立てこもって生き延びられるようになってるんですよ、西館も東館も。花畑しかない場所なんで心の洗濯にと、国境越えてやってくる人もいますけどね。・・・んー、自分達で焼く方が喜ぶかな。それとも衣つけて揚げて串さして外で歩きながら食べる方が楽しいかな。だけどランドリア、甘いの好きだしなぁ」
ケトルを火にかけ、メルニコスは振り返りもせずにトマトケチャップソースの瓶を棚から取り出した。
国境を越えてきている奴らって、この地域を巡って奪い合いしていた奴らだろ。
「そっちの方が危なくないか?」
「調べれば調べる程、ここを攻め込むのは悪手です。列車もあるし、すぐに首都まで攻め込むことができそうでしょ? だけどいざとなったらこの地域を切り離し、占拠した奴らを殲滅させられるようになってるんです。列車だって途中の橋を落とせばこっちは陸の孤島になるし、首都に攻め込んだ奴らも挟み撃ちされて全滅するだけ。しかもここ、地形的にあちらから砲撃できるとなればね。その為に伐採も考えてしてあります」
アレンルード君達を行かせたのは、子供に聞かせたくない話があるんだろうなと思ってた。たしかにあのランドリアの前で、お前の友達の家族はお前を利用してここに入りこもうとしてるんだとは言えねえ。子供達の友情まで引き裂いてしまう。
こういう話も子供達を怯えさせるだけだ。
だが、やってくる隣国の人間を警戒しているどころか、わざとそれを思い知らせているのだと語る彼の視点はまさにこの地を守る者だった。
ただの下働きにしては頭が回りすぎている。
「誰がそれを君に教えた? 普通、そんなこと考えて生きてるもんじゃないだろ」
「みんな知ってますよ。村長達、この辺りの防衛作戦も立ててますから」
「へ?」
避難訓練までは分かる。なんで防衛作戦って言葉が出てくるんだよ。
せいぜい避難訓練の指導と、形だけの監査程度と思ってたんだが、作戦とか言われると穏やかじゃなさすぎる。
「村長って誰のことだったっけ?」
「何言ってんですか。そーいやローゼン様も最初はショック受けてましたっけ。もっと大人しい人だった筈なのにって。こんなド田舎で重機動かしてりゃ深窓のご令嬢もたくましくなるのなんて当たり前だって僕は思うんですけど」
この村の大部分は私有地で、それはアンジェ姉上の所有だった・・・筈だ。だから村長というのは実質的に地主であるアンジェ姉上。
その筈だ。その筈なのに。
鄙びた地方の村でひっそりと暮らしているんだ・・・よな?
何よりあの人ってメイドに世話されて生きてきた人だ・・・よな?
貴族令嬢って使用人がいないと生きていけない恵まれた人種だ・・・よな?
「待ってくれ。いや、待ってくれ。なんであの人が重機動かすなんて話になるんだよ」
どんな過酷な環境に身を置いてるんだ。
そりゃあの人は侯爵家令嬢の割に使用人をあまり使わない人だった。それでも使用人がいないと三日と生き延びられない、それが貴婦人ってもんだ。
ウェスギニー家のアレナフィルちゃんは人間世界に疎いから仕方ないとしても、あの人は生まれた時から侯爵家の令嬢だったんだ。
「別に普通にやってますよ? どんな花を植えようとか、どうせならあちこちに木登りしやすい木がある方がいいとか、楽しそうに苗木買いに行ってます。ランドリアが喜ぶからって、高いのに樹齢20年、30年の果樹まで買ってきちゃうし。さすがに山に入っての伐採や植林は危ないから手伝いだけですけど」
「なんで植林とかいう話まで出てくる」
庭師が手入れした庭園を歩くことはあっても、虫や野生動物のいるような所へは近づきもしないのが貴婦人だ。
「山小屋点検も兼ねてますからね。山にも果樹を植えたり、枝打ちしたりして、程々に管理してます。そりゃ村長は女の人だし、力も弱いし、頼りないかもしれないですけど、弟さんより違う意味でたくましいですよ。いつだってその先を見てる」
「・・・たくましかったか?」
「それなりに。診療所で先生達の体触った奴、蹴り飛ばしてから牢にぶちこみましたもん。僕が駆けつけた時はそいつ骨折させられた後。普段がおっとりしてるだけに、そんな村長のファンから始まってレンタルコテージの問い合わせしてくる人も多いですよ。買い取りをもちかける人もいますけどね。売買は村長も保留してますけど、いずれは売ることもあるだろうと道路や区画も今から整えてるわけです」
「買い取りねぇ」
乱暴なことなど苦手なアンジェ姉上が蹴り飛ばして牢にぶちこむってのが想像できねえ。軍に入ったのもジェイ兄上の辛さを思ってのことだったし、最初からデスクワーク採用だ。
辛くても、それを選んでしまう。
思えば俺も小さい頃は我が儘でとんでもない乱暴者だった。それをアンジェ姉上は青あざを作りながらも根気よく俺に向き合い、あちこちへと連れ出してルールを守ったスポーツで力を競うことを教えてくれた。
大人なんて嫌いだったけど、あの人の差し出してくれる手を握って連れて行ってもらう日々が楽しみになったのはいつからだったのか。
いつしか月日は流れ、あの人の手を引いて観客席まで案内できるようになった自分が誇らしかった。
あまりにも乱暴な試合は目をつぶられてしまっていたけど、勝った日も負けた日も笑顔で抱きしめてくれる人だった。
そんなアンジェ姉上が男を蹴り飛ばして牢にぶちこむ・・・。やっぱ想像できん。
「ここ、花畑だけじゃないですからね。教会や青空市、ピクニックできる野原だって設けてあるんです。教会や祈祷所はあくまで無人で祈りたい人はどうぞってことになってるけど、かつてこの地域で亡くなった人達の追悼ができるようになってるし、併設してお墓もあるんです」
「花畑をウリにしといて墓かよ」
思えばあの人、世間知らずな侯爵家令嬢だった。
一般常識的ってもんが抜け落ちてっかもしんねえ。なんで墓だよ。
「オーナーがいいって言うならいいんじゃないですか? この村でコテージ借りてた人だけど、戦死した知らせが来たんですよ。そしたら村長、その人家族いないからって遺体を引き取って、教会の横に霊園作っちゃったんです。お墓には名前と追悼の言葉を彫って、・・・まあ、僕達の素人作品なんですけど、生きてた時の胸像みたいなのを置いて。そういうの見たら、やっぱり天涯孤独な軍人さんだと、もうここに住みたくなるみたいですね」
「彫刻なんざ学校でやった程度だな」
購入ならともかく、自分で作るものじゃねえよ。そういうのは芸術家の才能ある奴がやる分野だろ。
「僕達もですよ。だから柔らかな石で彫ったんです。雨ざらしじゃ何十年ももたないけど、僕達が生きてる間は彫り直したり、違う石を代わりに置いたり、色々とできるじゃないですか。ニコニコしながらランドリアの子守りをしてくれたこともあったし、そういう笑顔の胸像を彫ってみたんです。ま、ヘタクソですけどね。ランドリアも板に犬の絵描いて置いてましたよ」
「・・・犬」
それってただの作品発表じゃねえ? 犬の墓じゃないだろ。人間サマだろ。なんで犬の絵なんだよ。
「そしたら仲間だった人が彫刻家に、ちゃんと硬くていい石で椅子に座って楽しそうに酒飲んでる像を彫ってもらったんですよ。ランドリアの木の絵は風で飛んでっちゃうからって、小さなコンクリートのおうちを作ってそこに入れるようにして。だからたまに、そのお墓の前でピクニックするんです。みんな違う物彫って置いてあるからそれだけでも賑やかですけどね」
「墓ってのはそんなの置くもんじゃないだろ。犬好きだったのか?」
「ランドリア、お絵かきなら犬が一番上手なんです。よく犬の絵見せて褒めてもらってたから、あれはあれでいいんじゃないかな」
ケトルで何やら煮だしていたが、やがて変わった香りの茶がカップに入れてテーブルに置かれた。客用の小洒落たティーカップではなく、どしんとしたマグカップだ。
「ここで採れた葉を乾かしたり、採れた実を炒ったりして作ったお茶です。苦手なら普通のレムレム茶やコーヒーを出しますよ」
「折角だから飲むよ。何入れてんだ?」
「麦とかフェンネルとかミントとか茶の葉とかセサミとかタンポポとか、・・・色々。ケトルや鍋で煮だす一回分ずつ小分けしてるんですけど、季節によって採れるのも違うんで結構適当です。多く収穫できた時にはそっちが増えるし、だから乾燥庫から取ってきた内容で味が変わる茶です」
「そんなもんでいいのか?」
「僕も自分なりに配合量とか考えようかなって思ったことはあるんですけど、収穫量なんて常に変わるんでやってられないなって途中で面倒になって・・・。軍人さんは山に潜む時は湯を沸かす時も適当に食べられる葉を見つけて茶にするらしくて、それなら村長も食べられる葉を覚えたいってんでそういう畑と草原を作ってるんです。草原っつーか、ただの雑草地ですけどね。みんなも、んなもんそこらで適当に摘んでくるもんだろにって呆れてたぐらいです。だけど村長、雑草がお茶になることに衝撃受けちゃって、今じゃその雑草地だけは犬の散歩禁止区域ですよ」
「・・・そうか」
ああ、時は流れていた。
それを切なく感じる。
俺の中ではずっとあの人は最後に会った日のままだった。
(俺だってもう子供じゃねえってのにな。ずっと俺だけ取り残されてた)
あの人の時間だって流れていて、俺の知らない変化を重ねていた。
真面目に向き合い、自分なりに考えて実行していく。
そういう人だ。そういう人だった。穏やかで優しくて、だから追い詰められてしまう程に弱くて、そのくせ自分なりに心を添わせようと努力する人だった。
「子供は繊細な舌持ってますからね。ランドリアには薄く煮だしてるんですよ。だから薄味で物足りなかったらすみません。あの子にはただの湯冷ましを飲ませることも多いんですけどね」
「母親かよ」
よく分からない野草を煮出して茶にするなんて、アレナフィルちゃんが知ったら買い占めそうだ。美味しかったら少し分けてもらって土産にしようと思うが、ここもここで過保護な家政婦ならぬ家政夫が存在している。
若い身空で子持ち男かと言いたくなった。
「気分はそっちかも? 濃い味に慣れてしまうと何か入っていても気づきにくくなりますから」
「まるで毒殺対策だな」
「だってランドリアはどう見ても訳アリだ。勿論、いいお茶だって村長はランドリアに飲ませてます。せっかくだからって僕もマナー講習に誘ってはくれますが、誘ってくれない方が有り難いですけどね。でも村長、仲間外れはしちゃ駄目よってランドリアに教えるんです。皺ひとつない服に着替えて礼儀正しい挨拶もしなきゃならないティータイム。これでも僕、ランドリアの為に耐えてるんですよ」
「言える」
子育ての苦労を語るがごとく、メルニコスは肩をすくめる。
茶会も社交の一つだが、男なら立ち飲みで十分だ。マナーとして身につけてはいるが、目当ての女がいないんじゃ苦痛なだけの時間と言っていい。
俺だってアレナフィルちゃんが王妃様から直々にマナーを学ぶのでなければきっと逃げてた。
「なあ。ランドリアちゃんの親って本当は分かってるんだろ?」
「少なくとも僕は知りません。何かあった時の為に村長が後見人になってはいますが、ジョルディシアさんを母親代わりにランドリアは愛されて育ってます。それで十分でしょう」
「そのジョルディシアさんってのは? 名前だけは聞いたが貴族でこんな所に暮らしてるのかよ」
「未亡人ですからね。気になるんですか?」
どこか剣呑な気配が滲んだが、俺だってタダの好奇心で突っついてるわけじゃねえ。
もしもランドリアが外国の高貴な姫君というのなら、いざとなれば王妃の預かりになる可能性があった。それならば王城で近衛に所属している俺の方がすぐに対応できる。
何も知らない奴らにランドリアが踏みにじられてからでは遅いだろう。シリラ・スフェンなんぞ、どこでも侮られる存在だ。
「当たり前だ。アンジェ姉上が育ててんのはともかく、貴族を乳母につけてるなんざどこの令嬢だよ。知ってりゃともかく、知らなけりゃ何もできねえ。そりゃローゼン兄上が出入りしてるんなら大丈夫だろうが」
「あー、ローゼン様ねぇ。どうかなぁ。この村で一番頼りになるのってやっぱり村長ですしね。それにジョルディシアさんが育ててるのは一番主婦らしかったからで、・・・貴族どうこうは関係ないです」
俺の配慮はメルニコスにとって予想外だったらしく、戸惑った顔で俺を見返してきた。
しかもあのローゼン兄上をあまり頼りにならないと判断している。あのローゼン兄上ならいざとなればすぐに人を動かせるし、必要な根回しもできるってのに。
「そうなのか?」
「ええ。弟さんには分かんないでしょうけどねえ、既婚未婚問わず家事や子育てに不向きな人ってのはいるんですよ」
メルニコスにとってローゼン兄上の人脈なぞどうでもよかったようだ。
貴族の乳母をつける時点でどれだけアンジェ姉上が配慮しているのかと思いきや、そっち方向は全く関係ないと、メルニコスは暗い表情で呟く。
(貴族だって乳母は平民雇うだろうが。それを家政婦だか乳母だかに貴族雇っておいて・・・?)
彼は黄昏を思わせる疲労しきった表情で、ふうっと壁の向こうを見つめた。
その表情は嘘と言い難い。
「貴族、関係ないのか?」
「ないです。ジョルディシアさんが食堂してるのはみんなを見かねたからです。ランドリアを子育てしてるのも村長だと甘やかしすぎるからです。いいですか、弟さん。甘やかすだけじゃ母親にはなれません」
「・・・そ、そうなのか?」
「そうです」
子供を産めば自動的に母親じゃないか。産み捨ててる母親なんざごろごろいるぜ。
そんなことを語ろうもんなら馬鹿にされそうだ。どうやらメルニコスにとっての常識は俺と違うものらしい。
こほんと咳払いして、メルニコスが話を元に戻す。
「そりゃ物理的な意味で男の強さも大事ですが、結局んとこ村長じゃなきゃここは駄目でしたよ。それに弟さんがランドリアにしてあげられることはまずないでしょう。所詮はランドリア、今はアレン君ってお友達にわくわくしてるお子ちゃまですからね。アレン君、ランドリアに泣かされてなきゃいいけど」
「あのランドリアちゃん、いじめっ子なのか?」
「違いますよ。ただ、あの子の知ってる近道は大人じゃ使えない近道だし、十頭以上の犬と一緒に突進してくんです。男の子だから頑張ってくれると信じることにしときますけど」
「ルード君も腕白小僧だし、大丈夫じゃないか?」
このメルニコス、どうやら俺に色々な事情を話しながら、注意深く反応を読み取っていたらしい。
少し困ったような顔で微笑んだ。
「姉離れできてないお坊ちゃまって話だったからあわよくば・・・かなと思ったけど違うみたいですね」
ああ、分かった。どういう目で見られていたのかが。
なんてこった。そうなるとこれまでの会話もどこまで俺が煽ててもらわないと拗ねるかのレベルを測っていたのか。
勘弁してくれ。身内に癖が強くて人の話を聞かない兄姉達がいたら弟のプライドなんてバッキバキに折られるもんだってぇの。
「生憎とアンジェ姉上やファルナ姉上の前で女に手ぇ出す気はない。未亡人にそそられるとかいう嗜好もねえよ」
アンジェ姉上が仕切る場所で使用人に手を出すということはアンジェ姉上をも侮辱することだ。俺にできるわけがない。
女主人に仕える女使用人達をも尊重してこそ、女主人に敬意を払っていると言えるのである。
(侍女やメイドに手を出してもそこまで怒られないし好きにできると舐めてやってくる甘ったれ坊ちゃんと思われてたか。多いけどな、そんな奴。姉が嫁いだ屋敷をご機嫌伺いとか言って訪ねて、姉のメイドを都合のいい女扱いしてるとか。気に入ったメイドを母親付きにしてもらって欲望の捌け口にするとか。そして子供ができたら捨てる。可愛いお坊っちゃまに女主人は注意できずに全てはメイドが汚名を被る)
俺は色々なものを見てきた。誰付きであろうと、そいつにどんな奴の息がかかっているかは分からない。長年、そこの奥方に仕えてきた侍女が、実は数年に渡って肌が荒れるものを化粧品に混ぜていたこともあった。その侍女は、奥方の親戚筋の女が潜りこませていたのだが、実はずっと本家筋の奥方を妬んでいたとかいうオチだった。
ここの人間関係を把握していない状態で手を出すなどありえない。
何よりアレンルード君と一緒にいてそんなバカやらかしたら終わりだ。ウェスギニー子爵家もアレナフィルちゃんの婿には使用人に手を出す男などお断りだと考えるだろう。
貴族だからこそ、こういうところで隙を見せたら終わりだと俺は分かっていた。
「結構多いんですけどね。大抵の男にとっちゃまさに男のドリームなんですけどね」
「男の弱さをもっと弱い立場の女に押しつけてどうすんだよ。男の強さってな女の数じゃねえ」
「いいですね。是非次の避難訓練に参加して、みんなの前でそのセリフ言ってきてください」
東館、そしてこの奥にあるアンジェ姉上の家にどれだけの女性がいるのか分からないが、女所帯だからとスケベ根性でやってくる男達は余程多かったのだろう。
同じ男だからこそ、そんな男達にうんざりするものをメルニコスは抱いていたようだ。もしかしたらここでそういった男達を排除していたのか。
俺とて会話の中でミスってりゃファルナ姉上かローゼン兄上を通して排除されたのかもしれない。
「若いのになんつーかな。そーゆーのって年寄りの爺さんがする仕事じゃないか? 君だってガールフレンドと遊ぶ時間がないんじゃ青春時代がお先真っ暗だ」
不埒な男共から女達を守るのなら、やはりそこそこ歳を重ねた男の出番だろ。なんでまだ二十代の男がそこで出張ってくんだよ。
「ジジイだからスケベ根性がないってもんじゃないでしょう。それに僕、ジョルディシアさん狙ってるんでポイント稼ぎはそれなりにしとかないとね」
「おい」
「だからランドリアには無事に進学してほしいんです。ランドリアがいなくなって寂しくなった時こそ落とせそうですからね。僕が子供にしか見えてないのは分かってますけど、それで終わる気ないんで」
信じらんねえ。成人したばかりのルーキーですってツラして、こいつこそ狼だった。
・・・ああ、それでさっきの剣呑な気配が。ああ、それで。
信じらんねえよ、ホント。
「未亡人ってかなり年上だろ? それこそ受け入れてもらえなかったらどうすんだよ」
「好きになった人が年上だったら何なんです? どんな恋愛だって受け入れてくれるかくれないかはありますよ、年齢関係なくね」
「・・・怒らせたら謝っけどよ、下心あって入りこみたがってる奴らとどう違うって?」
「入りこみさえすれば女をモノにできると思ってるような奴らは自分が気分よくいられる女なら誰でもいいんですよ。僕はジョルディシアさん自身を見てますし、彼女が育ててるランドリアを可愛がる気持ちもあります。それ以上に何が必要ですか?」
それを言ったら終わりだ。男と女がいたらその気があるかないか、それだけだ。
いい女がいるからモノにしたいという欲望ありきな男達と、その未亡人の恐らく中身も含めて惚れてる男とを一緒にしていい筈もない。
「そんなら今から口説けよ。子供なんて夜はすぐ寝ちまうもんだ」
「これだから子育て経験ない男ってのは・・・。口説き落としたとして、僕があっちに泊まるのも、ジョルディシアさんがこっちに来るのもまずいでしょう。自分が寝てる間に母親が違う男としけこんでると知ったら子供がどれだけショック受けると思ってんです」
そう言うお前も子育て経験ないだろが。
俺より年下っぽいのになんでここまで達観してるかな。
「言われりゃ理想的か。ずっとここで暮らし、男手が必要なところをカバーしている。子育てにも十分な一家言がある。そして女は支えてくれて頼りになる男に悪い気持ちは持たない。ランドリアちゃんが進学してから口説くってことは今の時点で全く口説いてないってことだ。それだけ自分を律せる男って時点でも信頼できる」
「そうでしょう」
どうして若い身空で未亡人狙いだよと思いはするが、強引に迫ってないならいいんだろう。
なんかその微笑にほの暗いものを感じないわけじゃないが、よその惚れた腫れたなんざ管轄外。俺だって他人の恋愛事情なんざ興味ねえ。
――― 駄目だって、ランドリア。ジョルディシアさんだって戻ってきてランドリアがいなかったら一人で村に戻ってきちまうだろ。あんなひと気のないとこ、何かあったら大変じゃないか。
まだ二十代だってのに自分の気持ちを押し付けることなく彼女やランドリアのことを考えてやれる老成ぶり。ランドリアがいなければ余程口説きやすいってのに、その子のおやつも作ってやる面倒見の良さ。
肝心の女だってそこまで鈍くはないだろう。自分に惚れてる若い男なんて本当に嫌なら追い出せばいいだけだ。立場としては女の方が上なんだろうから。
できればその恋が叶ってくれる方が有り難い。
「俺にも俺の下心はある。そのジョルディシアさんを口説くのに必要なものなら用意しよう。アンジェ姉上の周りに女しかいないのは不安だし、変な男がいるのも困る。君がそのジョルディシアさんとくっついてくれる方が有り難い」
「必要なもの? 別に人の手なんて借りませんよ?」
「サル上進学なら、ランドリアちゃんがいじめられてないか心配にもなるだろ。二人で様子を見に行くということでファリエに来ればいい。俺は学校内で仕事してるから案内も許可も融通きかせられるし、必要ならわざと時間稼ぎして日帰り予定でも泊まりにまでシフトさせられる。レストランやホテルの手配もな。知ってる人がいない非日常的な場所。美味な食事と、ロマンチックな夜景を見下ろすバーのひととき。同じフロアにある客室。ちまちま口説くより一気にいっちまえよ」
シスコンだと言われてもいい。俺にとってアンジェ姉上は特別だ。
貴族社会ならいつまでも結婚しないのは色々と言われただろう。たとえ政略結婚でもあの人ならどんな男も大切にすると分かっていた。
だけどもう貴族社会には戻れない人だ。
それなら静かに穏やかな日々を送ってほしい。その為ならうちの息がかかった店やホテルの融通だってきかせてやるさ。
「弟さん。あそこまでアレン君の面倒みてる弟さん、いい人に違いないって実は最初から思ってました」
「俺も君はとても有能で信頼できる男だと初めて見た時から感じていたんだ」
俺達はがしっと握手した。
やっぱりウェスギニー大佐の息がかかってなくて、それでいてアンジェ姉上の身近にいる男の存在は情報源として有り難い。
母親の仇であるアンジェ姉上にアレンルード君がどう出るか分からないだけに、俺もいざという時には信頼できる人間をここに欲しかった。
その未亡人への恋心に協力する俺を、メルニコスはきっと裏切らないだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
亡き母親の暮らしていた家は取り壊されたが、同じ間取りで建てられたという家を見に行ったアレンルード君が泣き腫らした目をして戻ってきたらどうしようと、実は俺、それなりにハラハラしてた。
アレナフィルちゃん曰く困ったイタズラ小僧らしいが、アレンルード君はとても素直な頑張り屋少年だ。
たまに友達同士で意味不明なこともやっちゃいるが、食べて運動してよく寝れば背が高くなると信じてちょくちょく背伸びしながら身長を測っているところも心が和む。
母親不在で育つようになった原因がアンジェ姉上にあると知っても、アンジェ姉上が引き取ったランドリアをいじめたりもせず、アレンルード君はいつだって強い心を持とうとしていた。
「ん?」
そんな俺は、なんだか犬の吠え声が遠く届いてきたような気がして振り向く。この建物は外の音をあまり届かせないというのに。
『うっぎゃあああーっ、落ちるっ、落ちるぅっ』
そんな悲鳴にログハウス西館を飛び出した俺が見たのは、振り落とされそうになりながらも両手だけで牛の首回りにしがみついているアレンルード君の姿だった。アレンルード君の腹部と両足は大空へと跳躍している。
「ルード君っ!?」
「これ落ちるぅーっ」
「よぉーっしっ、アイアン、ストップだっ」
なんだろう、この混沌。
門の向こうにある道路では馬に乗った男がランドリアを同乗させているのはともかく、牛の上にいるアレンルード君が悲鳴をあげてて、その周囲を三十頭近い犬が並走している。
たくましい体格の茶色い牛が興奮冷めやらぬ様子で、ガッガッガッガと地面を蹴っていた。その上でアレンルード君の下半身が宙を舞っている。上半身というよりも両腕だけはどうにか牛の首周りにつけられた首輪? 手綱? よく分からん太いベルトみたいな物にしがみついちゃいるが、落ちるのも時間の問題にしか見えない。
「いやあ、よく頑張った。普通はすぐに振り落とされるんだが、ここまでしがみつけてたなんて凄いぞ」
「すごいわ、アレンッ。私なんて乗ったと思ったらすぐに落っこちるのにっ」
「・・・・・・牛、・・・めっちゃ、・・・こえぇえぇ」
のんびりと出てきたメルニコスが、へえと感心したような声を漏らした。
「凄いなぁ、アレン君。ここまでアイアンに乗って帰ってきたなんてさ。あ、弟さん。心配しなくても大丈夫って言ったでしょ。ジグさんは最高の犬使いですからね。あ、でも危ないから牛が興奮してる時は近づかない方がいいです」
「その前に牛って・・・乗れんのかよ。ルード君落ちそうだし、助けに行っていいか?」
馬や牛や犬の性質によっては、知らない人間が近づいただけで興奮状態になる。だから俺もアレンルード君の所に近づくのを躊躇ったのだ。
「大丈夫ですよ、あの家からここまで乗ってきたんなら。・・・ジグさぁん、こっち村長の弟さん。ローゼン様の弟だそうですよぉ」
「おおぅ、聞いた。ランディちゃんはあっちのおうちに送ればいいんだろ? ついでに送っといたるよ。こっちのルー君もうちで泊めたるぞ」
「送る前におやつ食べさせますんで、よかったらジグさんもどうぞ」
ルー君呼びされているアレンルード君。十頭ぐらいの犬とかいうのは誇張と思っていたが違った。そりゃ軍用犬や猟犬が三十頭もいればどんな野生動物も逃げ出すだろ。
だからメルニコスが大丈夫だと言ってたんだなと納得した。
「そんなら子供達藁と泥と涎まみれだぞ。シャワー浴びさせねえと。ルー君、牛に顔なめられて泣いちまったしよ。ランディちゃんもまた髪食べられて悲鳴あげちまうし」
「メル君、怒ってよぉ。あたま食べちゃダメって言ってるのにまた食べられちゃったぁ」
「泣いてません」
「ははっ。大好きの証拠じゃないか」
アレンルード君は泣かなかったと言ってるが、牛の舌はとても長い。さぞ恐怖だっただろう。
ひょいっとランドリアを片腕に抱えて馬から降りた男は、牛の背中でげっそり状態だったアレンルード君をもう片方の手で回収すると門を足で開けて入ってきた。
「シャワールームに直行すりゃいいのか。ランディちゃんの着替え取ってきてくれや」
「小さくなった僕達のシャツ脱衣所に置いてあるから大丈夫です。そのまま連れてってください。汚してもいい服ってことにしてるんで。・・・ほら、みんなおいで。お水あげるから」
「おう」
放置された牛や馬はどうかといえば、そこらの草を食べている。大型犬達も楽しそうにじゃれ合っていたが、メルニコスが屋外にある水道栓からバケツに水を入れ始めるとぞろぞろ集まってきた。
「馬の世話でもしとけばいいか?」
「あ、大丈夫ですよ。ジグさん、すぐ戻ってくると思います。動物達もジグさんが一番だからジグさん来ると大喜びなんですよ。世話してもらってても何かが違うみたいで。ほら、塩あるよ。リンゴもね」
メルニコスが岩塩の板を取り出して塀に掛けると、寄ってきた牛がぺろりとそれを舐める。もらったリンゴを馬が喜んで食べ始めた。
「いるよな、そういう才能の持ち主って」
「ですね。毎日ご飯あげてもやっぱりジグさんだ。もうこればかりはね」
「そんじゃルード君の着替え持ってってやるか」
アレンルード君のバッグを脱衣所に置いておけばいいかと思って向かえば、そのジグという男が脱衣所の前で振り返る。くすんだ緑の髪は短く刈り上げ、焦げ茶色の瞳はとても鋭かった。
だが、人好きのする笑顔でその印象も変わる。
「おう、ルー君は二階のシャワーブースだ。こっちはランディちゃんだから覗きは禁止だぞ?」
「しねえよ。ルード君は二階だな。着替え持ってってやんだよ」
「ははっ。二階にも子供用の厚手なシャツ置いてあったぞ。ルー君だってそれ着るから平気さ。どうせすぐ汚すだろうし、パンツだけ持ってってやんな。ああ、ジグラシッドだ。ジグって呼んでくれや」
「グラスフォリオンだ。リオンでいい」
確実に俺より年上なんだが、問題は階級だ。
こんなんプライベートだろと言えないのが軍関係者。当たり前のように出された手を握れば、おおらかさの感じられる手だった。
「リオンだな。細けえ挨拶はまた後でだ。ちょっとあいつら連れて帰ってくっからよ。着替えんだし移動車回してくらぁ」
「手伝おうか? さすがに牛には乗ったことないが馬ぐらいは乗れる。牛、曳いてかないとまずいだろ」
「あ? お宅連れてったらここ戻ってこなくなるだろ。ルー君もアレやりたいソレやらしてってめっちゃ興奮してたから牛に乗っけてごまかしたんだぜ。リオン君つったか。お宅も参加したいなら子供が寝てから来いや」
「ルード君がやりたがったって何があるんだ?」
母親の故郷に帰ってきてアレンルード君が何に気を取られたのか。気を逸らす為に牛に乗せるのも意味不明だ。
「んー、今日は誰もいねえってんで派手に犬と連携しての訓練してたんさ。ありゃ見た目よか危険でな。さすがに信頼関係ねえ子供にゃ無理ってんでそんなら牛に乗せたるわつって、最初はえー、牛ぃとか言ってたくせに、乗ったら夢中になっちまってよ。しばらく太ももブルブル状態だろうから階段では気をつけたってくれ」
「行くっ、行かせてくれっ」
そうだった。ここはウェスギニー大佐の部下達がいる村だ。
どうやって犬と連携して動くのか。俺だって気になる。特殊訓練って奴だろうか。
「後でな。何ならこっちに泊まりな。じゃあメル君。あの子らが出てきたら髪乾かしてやってくれ。その間に戻ってくっからよ」
「ついでにみんなに声かけといてください。村長の弟さん来てるんで、夜は楽しく、・・・鉄板焼きでいっか。ジグさんには運転しながら食べられるおやつ用意しときます」
「おう」
馬に飛び乗ったかと思うと、彼が操る馬と共にドッドッドッドと走り出す牛。そして犬達も楽しそうにその後をガッガッガッガと駆けていく。
「なんだろう。このあり得ない光景を見てしまった感は」
「ローゼン様も最初に絶句してましたね。あっちの区画に行くと壮観ですよ」
「何が?」
「んー、・・・色々?」
どうやら送ってってくれるみたいだしと、メルニコスはソーセージに衣をつけて揚げ始めた。ついでに子供が喜びそうな穴の開いてないドーナツまで揚げるらしい。
おかげで出てきた子供達も、美味しそうな香りに大喜びだ。
「うわぁ、おいしそう」
「これ、でっかいソーセージが中に入ってるっ?」
「こっちの串付きはチーズ入りソーセージさ。ランドリアもクリームこんもりドーナツあるからな」
「わぁい。メル君のドーナツはね、とぉってもクリームたっぷりなのよ」
シャワーを浴びて出てきた子供二人は大きなシャツを一枚かぶっていただけだが、膝まで隠れてるからいいのだろう。首周りは大きいからか、ちゃんと子供の肩からずれ落ちないように布が足されていた。
「ほれほれ子供達、ミルクもちゃんと飲みな。大きくなれんぞ。ソーセージは粗挽きだから、勢いよくかぶりついたらじゅっと舌火傷しちまうからそーっとな。トマトケチャップとマスタードは好きなだけ掛けていいぞ。ドーナツは甘いから最後。チョコレートクリームもたっぷりだぜ。二人共そのまま食べてろよ。髪をくくってやる。後でもう一度顔を洗って着替えるなら服は汚してもいい」
「はーい。あのね、アレン。こっちのご飯はね、おぎょうぎ悪くてもいいの。だけどそれはこっちだけなのよ。メリハリが大事なの。あっちのおうちで食べる時はおぎょうぎよく食べなきゃいけないのよ」
「そうなんだ? それってランディが怒られない相手を選んでるだけじゃないの?」
「違うもん。こっちはワイルドライフなのよ。いっただっきまぁす」
「いただきます。・・・あ、そうだ。リオンさん、聞いてよ。あの犬、めっちゃ足太くて力あるんだ」
いきなりコップ一杯のミルクを飲みほしたアレンルード君が喋り始める。
さりげなくそのコップにミルクを追加で入れてあげるメルニコスだ。
「ありがとうございます。・・・すっげぇの。犬なのにランディ乗せて歩くんだぜ。僕、初めて犬に乗った。リオンさんは牛乗ってみるといいよ。牛、もう馬と違ってめっちゃこえぇ」
「ルード君が牛に乗ってた時点で俺ぁ目を疑ったよ。凄い犬の数だったな」
「救助犬もいるんですよ。子供ぐらい背中に乗せて戻ってこられます。よくランドリアが助けられてますね」
「だから言ったでしょ。ワンちゃんはみんなおりこうなのよ」
「なんでランディ、住んでる村で犬に救助されてるんだよ」
「だって楽しいもの」
二人は嬉しそうにソーセージに衣をつけて揚げたものを頬張っている。
ランドリアは揚げたてを半分に割って、カスタードクリームとチョコレートクリームを半分ずつたっぷり挟んだドーナツに目を輝かせた。
なるほど、たしかにこれは古着で十分だと俺も納得した。
子供がたっぷりかけられるトマトケチャップソースはとろみが緩いのでだらーっ、ぽとぽとと皿やテーブルの上に落ちてしまっているし、チョコレートクリームやカスタードクリームもたっぷり載せたものだからべたべたとほっぺたや服にくっついてしまう。
後でもう一度着替えさせないと駄目な奴だ。
メルニコスは二人の髪をせっせとタオルで拭いていた。どう見ても保父さんた。
俺には子供用のトマトケチャップソースでは味が薄いだろうからと市販されているものを出されたが、折角だからと子供達と同じものをつけてみた。これでもアレナフィルちゃんのクラブ活動で薄味には慣れている。
「こらこら。おりこうでも普通の犬なんて乗ったら犬が骨折しちまうからな。あの犬達は特別に骨も太くて丈夫で強いんだよ。アレン君も普通の犬に乗るのは駄目だぞ? ちゃんとおうちは見ることできたかい?」
「あ、はい。あの、あそこの家の中にあった絵って・・・」
「絵? ああ、なるべく姿が分かるフォトを絵にして壁に掛けてあるんだったっけ。たださ、村長も結局は他人だから君のお母さんの家族だったのか、親戚だったのか、友達だったのか、そういったことはフォト見て分かるもんじゃなかったからね。他人が混じってたらごめんよ」
何やってるんだろう、あの人。
いや、そういう人だった。アンジェ姉上はそういう人だったけど。
だけどな、自分が殺した女の実家を建て直すのはともかく、壊す前の家からそんな物まで見つけてやるか? わざわざ画家に注文出したのかよ。
なあ、アンジェ姉上。この子達の父親がウェスギニー子爵家の長男だったって分かってるよな? そんでウェスギニー領を継ぐ子達がさ、母親が住んでた貧しい村なんか欲しがるって本気で思ってたのかよ。
ありえねえだろ。全く思い出なんざ存在しねえ土地なんだぜ。
そりゃさ、そういう人だけど。そういう人だったけど。
それでもって思ってしまったんだろうって分かるけどよ。
分かるんだが、子供達が見向きもしなかったらどうするつもりだったんだよ。ウェスギニー子爵邸を継ぐ子にとって、こんな使用人の部屋さえないような農村の家屋なんて価値ないって理解していたろうに。ウェスギニー領にだって立派な邸があんだぜ。
「それ、元の家にあったフォトを?」
「らしいよ。泥まみれだったのをまず洗浄して日陰で乾かして、そうしたら色はもう抜けててね、だからモノトーンの絵にしたって聞いた。暗い絵に思えたろうけど顔の輪郭も剥げた部分は分からないし、陰影つけてごまかすしかなかったらしい」
アレンルード君はそんなアンジェ姉上の行動を馬鹿にはしなかった。
これがうちの甥っ子なら、「こんなまずしいものをボクがよろこぶとでもおもってるのか」ぐらい罵倒しただろうに。
「十分です。それに、・・・多分、母が子供だった時の姿かなって思えるのもあったし」
「それは良かった。食べ終わったら二人共、歯磨きしてまた違うシャツ着ておいで。そこのイスでごろごろしとくといい。どっちも夜は賑やかになるからな。今、お昼寝しとかないと眠くて参加できなくなるぞ」
メルニコスは知っているんだろうか。アンジェ姉上とアレンルード君の関係を。
「はぁい。あのね、アレン。ここのイスはすっごいのよ。イスだけどベッドになっちゃうの。そしてね、おひるねしておかないと、すぐに眠くなっちゃうのよ。だけどきっと夜はたのしいから、おきてないとそんしちゃうのよ」
「その前にランディ、着替えてこないと僕達シャツベトベトだよ」
「だいじょうぶ。こういう服の時は汚してもかまわないの。あのね、お皿をね、シンクにもってって、テーブルをふきふきするのよ」
「あ、皿は洗浄機に入れといてくれよ」
「はぁい」
子供達が歯磨きしに行った途端、メルニコスが俺にジョッキでビールを出してきた。
分かってる奴だ。つまみにピクルスやチーズの盛り合わせも出してくる。
衣をつけて揚げたソーセージ、俺には小さいのを一つしか出してこなかったが、実は子供達が食べている間、壁際のミニ暖炉みたいな所でメルニコスはソーセージをスモークしていたのだ。
「チーズやピクルスやナッツ、燻煙したのもありますよ。普通のと、お好きな方をどうぞ」
「おう。まずはこのままな。またでけえチーズ切り出したもんだ」
「どれも自家製ですからね。お店で売られているのと違って、まさに大地のチーズって味です。どうせ残ってもすぐにはけます」
「いいねぇ」
うん、最高だ。野性的な味が強い。
「いいっすよねぇ。昼間のビール」
「だよなぁ」
俺達はにやりと笑って、そののど越しを楽しむことにする。
子供達は別に大人が何を飲み食いしていようと、自分達のおなかが一杯になったらどうでもいいらしい。戻ってきて自分達が食べてない物がテーブルに並んでいても、煙っぽくてくさいと言って興味を示さなかった。
たしかに燻製って大人の男が好む味だよな。
「これ、イスじゃなくてそのままベッドだよ」
「そんなことないわ。みんないつもすわってるもの。そしてね、よっぱらったらベッドにしちゃうの。だから毛布もそこにあるのよ」
ランドリアがどこまでも仕切っている。頑張れ、ルード君。
「そんじゃランドリア、アレン君と好きな毛布持ってきな」
「はぁい」
どう見ても簡易ベッドだろうというスリムなマットの上にメルニコスがシーツを敷いたものだから、棚から毛布を持ってきて二人は一人一つのベッドで横になった。
「アレンはそっちのグレーね。クッション、まくらにするといいの。私はこっちのブルー。おひるねするとね、子供は大きく育つのよ。大人も少しだけ大きくなるんですって」
「・・・そうなんだ」
普段はベンチ兼簡易ベッドとして使われているらしいが、この場合、子供達が大人の目が届く範囲でお昼寝するのにちょうどいいわけだ。
遊び疲れたのか、二人はくてっとすぐに寝てしまった。
「おや。ランディちゃん、寝ちまったか」
やがて勝手にジグラシッドが入ってくる。
「もうここで食べてから連れてってください。別にランドリアぐらい泊めてもいいけど、ジョルディシアさんが心配するんで」
「そだな。あ、来るのは三人な」
「え? どしたんです? もっといますよね?」
メルニコスが差し出した串刺しの燻製ビッグソーセージを受け取って噛みちぎると、ジグラシッドは困ったような気配をその焦げ茶色の瞳に浮かべ、寝ているアレンルード君に視線を移した。
アレンルード君に何か関係するのか?
「ちょっと個人的な招集入っちまった。タイミングってのは上手くいかんときゃいかんわ」
「招集ってまさか大佐がか? アレナフィルちゃんに何かあったのか?」
「ぁあん? あ、そっか。リオン君もフィーちゃん狙いだったっけ」
「え。ジグさん、弟さんのこと知ってるんですか? もしかして好きな人いるんですか、この人。僕、村長狙いと誤解されないようにって思ってたら」
メルニコスが食らいついてるが、どこまでこの男、俺を知ってんだよ。
さっきも俺のこと知ってるそぶりだったが、問題は俺がこの男を知らないことだ。ちゃっかりテーブルにあったピクルスをフォークで突き刺して食べてるんだが、それ、メルニコスのフォークだろ。
「ん? ルー君の妹のお人形に甘んじとる男の一人さ。その妹が誰とくっつくか知らんが、数年後にゃルー君の年上義弟になるかもしれん男よ」
「何だよ。僕、気を遣って損したよ。弟さん、ローゼン様みたいにみんなにいじめられたら可哀想だと思ったのに」
メルニコスは思ったより俺に好意的だったようだ。ローゼン兄上はもっといじめられても構わないと思う。
「どうだろな。肝心のフィーちゃん、独身主義らしいぞ。失恋して破れかぶれになったお貴族様が村長に手ぇ出さんよう遠慮なく警戒していじめとけよ」
「そんなことより、やっぱりあのゴーストだけじゃ終わらなかったのか?」
「ゴースト? なんだそりゃ」
そこで俺はヴェラストールで大空にゴーストが現れたが、それを本当にやらかしたのがアレナフィルちゃんだと説明する。
ゴースト映像ぐらいでなんだよといった反応だったが、周囲を無力化するものも持参しているらしいと聞いて、ジグラシッドも真面目な顔になった。
「そんでか。なら他の奴行かせた方がいいかもな。ランディちゃん送るついでに避難訓練組呼び戻すか」
「そういうの指名じゃないのか?」
「できるできねえ言わねえよ。そんでも向き不向きはあらぁね。分かってりゃそっちに近づけるさ」
「それより何があった? 個人的な招集ってことは大佐からある程度は聞かされてるんだろ?」
「護衛の支援っつー話だったが、あのフィーちゃんじゃな。そりゃメンバー変えなきゃならんだろ。俺は不向きだわ。できんわけじゃねえけどな」
「フィルだと何があるってんです? 他の人とどう違うんですか?」
いつの間にかアレンルード君が針葉樹林の深い緑色の瞳を見開いてこっちを見ていた。
「この程度でやめる寝たふりならしない方がマシだぞ。いいか、ルー君。愛想よくしとくのはいい。だが笑顔の裏での警戒は忘れんな。たとえボスの部下でも裏切りもんはいるかもしんねえ。よそン所属なら確実にここで親切めかして嘘を教えられるとこだ。何を聞こうが寝たふりし続けろ。こっそり自宅に問い合わせしてからじゃねえと動くな。そのマヌケが皆の命取りになる」
「う、・・・はい。分かりました。気をつけます。で、フィルだと何が違うんですか? 今から父の所に行くんですよね?」
アレンルード君が起き上がっててくてくと寄ってきたものだから、ジグラシッドは冷ややかな表情を緩ませて頭を撫でる。厳しく指導はしても、子供好きなのかもしれない。
「普通ならフォローだけしときゃいいが、フィーちゃんじゃ隠蔽工作までセットってことさね。あの大量殺人鬼なら安心安全だったが、今回はフィーちゃん、そんなゴーストとやらを広げてでも逃げたいぐらいにヤな相手なんだろ。何やらかすやらだ。それをなかったことにしてこなきゃならんのよ。分かる? 機動力と応用力駆使して先回りと後始末のオンパレードって奴」
俺とアレンルード君は何も言えず顔を見合わせた。
アレナフィルちゃんは好き嫌いがとても正直な子である。困ったことに実行力も持ち合わせている。
「えっと、そうしたらあのシャルークさん? も行くんですか?」
「あいつも行かんだろ。ま、情報提供あんがとな。ボス、わざと土壇場でどこまでできるか試してきやがんの。そんでも分かってりゃ載せてくもんも違ってくらぁね。メル君、悪いがバスケットに飯詰めてくれよ。今晩、荷台で寝泊まりせにゃならんわ」
「了解。簡易調理はできるの? 今夜の夜食分はパンにソーセージとチーズとピクルス挟んであげるよ。すぐできるからさ」
「調理は分からん。適当に買いこむ程度だろうが、店開いてるかねぇ。大型に二輪載せて出発さ。二十八人分の夜食頼む」
「それなら多めに水もボトルに詰めとくね。こっちに移動車回してよ」
「すぐ来る。EF9、DZ2だ」
「じゃあシチューポットもいけるね。急いで解凍するよ。そしたら温かいスープ飲めるし」
「悪いな」
話しながらメルニコスはもう手を動かしていた。でかい冷凍庫から数十個のパンを取り出して水を吹きかけたかと思うと一気に大型オーブンへと入れこむ。そして冷凍庫から大きな鍋を二つ取り出した。
部外者の前でよくぞペラペラ喋るもんだと思ってたが、そっちの用意を彼に頼っているなら協力者の扱いになるんだろう。
メルニコスは冷凍されていた二つの鍋を火にかけつつ、野菜を洗う。大きなハムの塊も自動スライサーに掛け始めた。
自分の妹のことなのに部外者扱いされたアレンルード君は不満そうな顔だ。
「その前になんで観光旅行なのに支援とか隠蔽工作なんて言葉が出てくるわけ?」
「そん前になんで自分の妹なのに大物ホイホイしかしねえ事実を見てねえわけ? 普通は誰かから逃げようってんなら暴れるか悲鳴をあげる程度さ。どこの女の子が朝から空にゴースト打ち上げんだよ。二階まで跳躍できるような男達を無力化させられんだよ。どこまで強力なブツ大量殺人鬼に貢がせてんだよ。でもってそんなフィーちゃんだから普通のお嬢様なんざ見飽きた男共に執着されるんだろが」
「・・・う」
文句を言いたかったらしいアレンルード君が負けている。
さすがにローゼン兄上でさえ後れを取るようなシロモノを所持しているとあれば、ウミヘビとやらを差し出してきたあの外国人提供物しかねえか。
アレンルード君によるとプレゼントされたのは眠り薬程度という話だったけど。それ以上の何かももらってたかね、アレナフィルちゃん。
「それなら僕も連れてってください」
「だぁめ。明日も元気にワンちゃん達と遊ぼうな。数年後なら連れてっちゃるさ」
「それなら俺を連れてってくれないか? 少しは役に立つはずだ」
「それも却下。場合によっては貴族を処分する覚悟もねえ甘ちゃん連れてく余裕はねえよ」
へらへらしているのはあのオーバリ中尉と同じだが、こっちの方が年齢を重ねた分、厄介そうな落ち着きがあった。
「どうしてここでそんな物騒な仮定が出てくる」
「だから甘ちゃんなのさ。どうしてフィーちゃんが一番ホットな王子引っ掛けといて無事だったと? 誰しもまずは邪魔な父親狙うさ。何十人の刺客が放たれたと思ってんだよ。で、お宅はもしも息子の今後を憂えたお宅の親がフィーちゃん殺そうとしてたと分かった時、躊躇いなくそいつ始末できんのか?」
「・・・まさか」
その仮定にあり得ないだろと思いつつも、完全に否定できないものがある。
ネトシル家にとって、ウェスギニー家は政略結婚の価値などない家だ。
「ちょっと待ってください。父上、命を狙われてたんですかっ?」
「あー、落ち着いて。ルー君、落ち着け。ランディちゃんが起きちまう。落ち着かん子には何も話してやらんぞ」
「落ち着きました。だから教えてください」
「そうか。で、ルー君の父親、いつ死んだって?」
「・・・まだ生きてる筈だけど」
「そうだな。俺達に指示してきたんだから生きてるな。で、数十人の刺客を無料な練習台だ、とことん使い尽くせ、ネズミですら一匹いくらってのに人間がタダ、被害届も捜索願も出やしねえ現物寄付だぞって言っちまうような父親の何を聞きたいって?」
その意味を理解したのか、アレンルード君が瞼を伏せた。
「心配するんじゃなかった」
「心配する相手は選びな、ルー君。あの人にゃ生きた教材さ。どうやって吐かせるか、どこまですれば人は生きる為に主人を裏切るかのな」
「・・・それでも殺したんですか?」
殺したのだろうと決めつける瞳が陰りを帯びる。
「妹の命より大事か? 生かして戻せばどうなる? 雇い主だって父親の命を狙っても無駄なら誰を今度は狙わせる?」
ジグラシッドはアレンルード君の優しさを甘えだと切り捨てた。
傷ついたように息をのむアレンルード君も分かってはいるのだろう。だけどまだ彼は14才の少年だ。人権などない場所で戦っているわけじゃない。
「あんまりアレン君を仕込まないでくださいよ、ジグさん。子供の内はのびのびと安心できる環境で育てるもんです。僕も怒りますよ。ランドリアだって眠らせてるからいいものの、起きてる時にそんなやりとり聞かせたらタダじゃおきませんからね」
そこでのんびりとしたメルニコスの声が割って入る。
「悪い、メル君。だってルー君はうちがもらうって決めてたんだよ。それをみんなが目ぇつけてんだぜ。ここは強引でも勧誘しとかにゃならんだろ。所詮はボスの息子だ。うちの方がレベル桁違いと知りゃこっちに来るって」
「おっさんは引っ込んでなさい。アレン君はまだ子供です。うちのチビちゃんと明日も草まみれになって遊んでりゃいいんです。ほら、ちゃんと大切に運ぶんですよ」
オーブンから美味そうな香りが漂ってきている中、メルニコスは抱き上げたランドリアを毛布でくるみ直し、ジグラシッドに渡した。
「いつぐらいに目覚めんだ?」
「みんなが夕食を終えた頃でしょうね。ジョルディシアさんには思いっきり遊んだ後お腹いっぱい食べて熟睡してるって話しておいてください。・・・おやすみ、ランドリア。君は興奮しすぎると体調を崩しちゃうからね。これで明日も元気に遊べるよ」
「その計算高さを見せてやれよ。全く無害そうな顔しやがって。じゃ、積み込み頼むわ」
「分かりました」
俺はこの下働きをしているという青年を警戒の目で見ずにはいられなかった。アレンルード君もだ。
「もしかして僕も眠り薬入りのおやつ食べちゃったんですか?」
「ランドリアだけだよ。それもすぐ目覚める程度。だってランドリア、眠らせとかないと、やっぱり君を連れてくってごねちゃうだろ? あの子だって鈍いわけじゃない。警戒しなくてもいいお友達だからね、アレン君はね」
何のことか意味不明だといった顔で、アレンルード君がメルニコスを見上げる。
そして俺は、彼がそんな薬を混ぜたことに気づかなかった。ずっと彼の手の動きを見ていたというのに。
「なあ、君、実はいくつだ?」
「21才です」
「学歴は?」
「上等学校中退です」
「どこを出た?」
「田舎の学校名なんて聞いても分かりませんよ。しかも僕はまともに通ってもいませんでしたからね」
上等学校中退か。
「中退した理由は?」
「学校が潰れ、転校しようにも学費が払えなかったからです」
「君の出身地は?」
「もうとっくに人など散り散りになって、地図に名前が残ってるかも怪しいですね。スーサ、・・・戦争で村がなくなったのはここだけじゃないんですよ、弟さん」
相次ぐ質問に嫌気がさしたのか、メルニコスが野菜のカット作業に戻る。
幾つかに大きくカットした野菜をミキサーにかけていくと、みじん切りになった野菜がボウルにたまり始め、それをメルニコスは鍋の中へと入れていった。
鍋ごと冷凍されていたのは、どうやら挽き肉団子スープだったらしい。そこにこれらの野菜が入るのか。
「なんでここに?」
「成り行きですね。身寄りもなく都会に出ても頼る人もいない。路地でうずくまってた僕をジョルディシアさんの元夫の父親が拾ってくれましてね、そこで使用人として働くようになりました。しかし元夫の方が家を継ぐと素性の卑しい僕はお払い箱です。そしてここまで流れてきて、やがて未亡人になったジョルディシアさんと再会しました。そんなとこですね」
「ってそしたら元雇用主じゃねえか、そのジョルディシアさんっての」
「それが何か?」
平然と返してくるが、あまりにもふてぶてしくないだろうか。
意味が分からないらしいアレンルード君は俺の隣に座ると、メルニコスの背中と俺の顔とを何度も見比べ、くんくんと水の入ったコップを嗅いでからおずおずと口に運んだ。
「信じらんねえ、その下克上」
「失礼な。ジョルディシアさんは大切にされるべき素敵な女性ですよ」
「そのジョルディシアさんのフルネームは?」
「なんで僕に聞くんですか」
「なんで隠すんだよ。雇われてたんなら知ってるだろ」
「ガライエ・ヨルン・ジョルディシアですよ」
アレンルード君が、おやといった顔になる。聞き覚えがある姓だからだろう。
「ちょっと待て。ガライエ子爵家か。・・・って未亡人じゃねえだろ。あそこ、たしか正妻追い出して愛人を妻にしたって。だが、法律的にかなり問題ありで離婚はグレーってことで、愛人上がりの後妻は事実婚だった筈だ。そうか、その元正妻か、ジョルディシアさんってのは」
「離婚されたなんて色々と言われますからね。だから未亡人ってことにしてるんですよ、ジョルディシアさんは。それ以上侮辱すると僕も怒りますよ」
同じ家格となればアレンルード君も気になるらしいが、さすがにこの流れが分からずに眉根を寄せていた。
「侮辱なんてしてねえだろ。その元夫のアホさぶりは噂になってた。両親がせっかくヨルン男爵家のしっかり者令嬢を妻にしてやったってのに、愛人にのぼせあがったってな。その元妻だか、今も正妻としての権利持ちだか知らんが、その人なら是非ほしいと女官長がどんだけ捜してたと・・・。それなのに実家にも戻ってねえ。ヨルン男爵家の跡取りは姉がしっかりしていたせいでひねくれちまって、あんな気の強い姉なら離婚もされるだろうとそんな態度だったって話だ」
令嬢としての花はなかったのか、令息達がそわそわとざわめくようなことはなかったらしいが、茶会やサロンを開催する際に手伝ってもらったという夫人達から高評価だった男爵家令嬢。
慌ただしい時では高価な置物やカトラリーの紛失も多く起こるが、彼女はそういうものも予め数を使用人と共にチェックし、テーブルごとに責任者を決めて完全に回収させてくれていたと感謝する女主人も多かったらしい。
招待客の持病や体調も考え、保温具など私物をわざわざ持参し、必要とあればそれを主催者が用意したということにして対応していたとも聞く。
そんな面倒見の良さと思いやる心を持ち合わせた男爵家令嬢。貴婦人達も人格と能力は跡取り息子の嫁に欲しいが、家としては跡取り息子には家格の高い嫁が望ましく、ならば次男や三男となれば今度は分家として自分達が与えられるものがあるだろうかと悩ましいところだったらしい。
そうやって悩んでいる間にさっさと息子の妻にと手を打ったのがガライエ子爵家だ。問題はガライエ子爵には人を見る目があったが、肝心の息子は親が出来のいい妻をまず考える程に人を見る目がなく、どうしようもない男だったのである。
実家の弟もまた姉の気が強いとアホなことを言ったそうだが、そういう姉だからこそ管理を任せられるのだということを分かっていない愚か者だ。
「女官長ってどこの?」
「王城に決まってるだろうが。女官長が知ればすぐさまスカウトに飛んでくるぞ」
鍋をかき混ぜていたメルニコスが振り返る。
「勿論、言わないでくれますよね?」
「へ?」
「僕に協力してくれるんですよね、弟さん? ジョルディシアさんはここでランドリアを育てながら穏やかに暮らしてるんです。そんな辛い思いをした女性を、自分を裏切った男の顔を見るような場所へ戻すようなことしませんよね?」
「い、いや、・・・だって、あのな、女官長がスカウトしたいってのは、人間としてとても高く評価されているってことだぞ? 女官長があそこまで根性入れて直接スカウトしようとしてるってのは幹部待遇で招くにも近いっつーか、それこそ事情を聞いた王妃様にその元夫が軽蔑されるという意味でもな、鼻を明かせるってわけでな、何より離婚するなら法的な財産を王妃様が監視した上で貰える筈だし、場合によっては後妻を認めずに正妻として返り咲くことだって可能だ」
「フィル、人間として高く評価される子かなぁ」
アレンルード君が、ぼそっと呟いた。
何故ならアレナフィルちゃん、将来は女官にと誘いを受ける予定だからだ。アレンルード君は、絶対に自分の妹には無理だと考えている。
「僕、ジョルディシアさんがここからいなくなったら、ショックで心を癒す旅に出るかもしれません。ところでここの女の人達、どんだけの男達が狙ってると思います? ランドリアもショックでしょうね。幼年学校生で育ての母を失った女の子。荒れて登校拒否とか家庭内暴力とか、それこそ非行に走るかもしれません。そうなったら所詮は生さぬ仲の村長だってパニックだ。そこらの主婦に助けを求めて、変な男達までここに入りこんでくることでしょう。そうなったらどうなるんでしょうね。今現在、全く問題ないお城と、ジョルディシアさんがいなくなったら滅茶苦茶になる村長達。優先順位ってどちらが高いと思いますか?」
幼年学校生の体調管理と称して勝手に睡眠薬を飲ませた男が何やら言っていた。大人しく失踪だけで済ませるだろうか、こいつ。
「言わないでくれますよね?」
「・・・分かった」
アレンルード君が呆れているのが分かる。どうやら大人の恋愛事情があるらしいと悟った様子だ。
椅子から立ち上がったアレンルード君はベンチの所に戻り、のそのそと毛布に潜り込んだ。何を考えているのか、こっちに背を向けている。
「あのさぁ、リオンさん。別にリオンさんの家族がフィルに何かするとは限らないんだし、ついていく分には構わないと思うな。大体さぁ、リオンさん何かとフィルと一緒なんだよ。リオンさんの家族だってバカなことしないよ」
「・・・ああ」
「ましてや今、リオンさんのお兄さんが同行してるんでしょ? それでやらかすことないって」
「まあな」
俺とアレナフィルちゃんが一緒にいるからこそ信じられないうちの親だが、言われてみれば今回は第二王子の護衛ということで大公家、そしてローゼン兄上が同行している。
それで何かを仕掛けはしないだろう。ミディタル大公家もさることながら王子エインレイドに手を出そうものならどんなことになるやらだ。
そしてローゼン兄上を怒らせると仕返しがねちっこい。グルフ兄上がローゼン兄上を怒らせてミディタル大公家へと家出された挙句、母上と義姉上の新しいドレスと化粧品が激減した。おかげで母上に責められる父上、義姉上に責められるグルフ兄上はローゼン兄上に帰ってこいと偉そうに言っては鼻で笑われている有様だ。
(大公妃がちょっと変わった生地のドレスを着るようになった時期や、今のアレナフィルちゃんがローゼン兄上で着せ替え人形してるのを考えても、ドレス生地はそっちに回してんだろな)
よく分からないがローゼン兄上がいた時はわざわざ購入せずとも試供品と称する質のいい美容道具や化粧品などが毎月のように潤沢に渡されていたらしい。それを母上や義姉上は親族の女性にも分けて喜ばれていたらしいが、ローゼン兄上がいなくなった途端、それがぴたっと渡されなくなった。
そうなると自分の小遣いから普通の化粧品を購入するしかないわけで、地味にそれが痛いようだ。ローゼン兄上が渡していたものはメーカー名なども表示されていなかったが、かなり質が良かったらしい。
直接ローゼン兄上に母上達は頼んだらしいが、家を出るとなった時点でその小さな工房とは手を切ったと言われて終わった。自分の家族だと思えばこそ無理して入手していたのだが、その思いは届いていなかったようですねと、そんな返事だったそうだ。
その美容道具や化粧品を作っていた工房は、あくまでその時々の試作品を趣味で作っていて、個人的なやりとりでしか渡さないらしい。ローゼン兄上はふとしたことで知り合いになり、その情報を流さないことを条件に出資と配当関係にあったとか。
そんな説明をしたらしいが、どうせ嘘だろう。
切り捨てるとなったら容赦がない、それがローゼン兄上だ。
(俺の結婚相手としてウェスギニー家の娘は旨みがないが殺す程のものじゃねえ。これでローゼン兄上の失態となるようなことやらかしてみろ。ネトシル家を叩きのめしかねねえのがローゼン兄上。その上でアレナフィルちゃんを殺すとしたら殿下狙いの家か)
黙って子供に薬を盛るような男がここにいるのは不安だが、アレンルード君なりに考えたらしい。
「僕さ、ここでランディと遊んでるし、列車に乗ったら帰れちゃうんだし、大丈夫だよ。それにファルナさんもいるし」
「ああ」
そこでジェイ兄上の名前が出ないあたり、アレンルード君も正直だ。
「だから帰ってきたら話を聞かせてね」
「そっちか」
あっちを向いてふてくされてるのかと思いきや、どうやら自分は連れて行ってもらえなさそうだと踏んで、まだついていけそうな俺を情報源にと考えたらしい。
父親が率いる男達はアレンルード君を可愛がりはしても、情報を漏らしてはくれないだろう。
(そりゃ心配だよな。あのアレナフィルちゃんじゃ何やらかすやらだ)
なんだかんだ言ってもアレンルード君に信頼されちまってるぜ、俺。
本来頼られるべきは、まさに現地にいる筈の父親だ。だけどその父親、信頼というものをアレンルード君には持ってもらえてない。
それはうちも一緒だ。
父親なんて信じられない生き物だよな、お互いに。




