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62 アレンルードは対話を希望する

 よく言うじゃないか。親は選べないって。

 それは僕もよく思うことなんだ。本当は僕、叔父の息子として生まれてくるべきだったのに、間違って父の息子として生まれてきたんだなってね。

 まあ、聞いてくれ。

 僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。寮監先生や学校の友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。

 あんな父に期待できないと考えた僕は、平日の朝は学校でネトシル少尉から護身の心構えや、小さな戦闘訓練をつけてもらっていた。

 侯爵家の三男だというネトシル少尉は話も分かるし、僕にとってとても付き合いやすい大人だ。だって子供だからって言葉で終わらせず、ちゃんと教えてくれる。

 ネトシル少尉ならうちに婿入りしてくれそうだし、妹を大事にしてくれそうだし、叔父や僕とも話は合うし、この人なら妹を手放さずにいられるかもって僕も思い始めていたら、うちの考え無しな妹は海外旅行を無料で済ませる為に外国人と婚約してしまった。

 三年間で自動解約される婚約だって妹は威張ってるけど、僕は相手の外国人が今後の人生を女に騙されずに生きていけるのかどうかがとても心配だ。多分、全財産を身ぐるみはがされるタイプ。

 興味がないことは無視するか殴り飛ばすかしておけばいいって考え方の父でさえ、あの外国人には同情しているような気配がある。

 そんな言葉の足りない父から渡されたものを見て考えこんだ僕は、早速ネトシル少尉に相談した。


「で、これが意味不明なんです」

「・・・っ。大佐は何を考えてるんだっ」


 うん。その言葉、僕もよく思ってます。

 父は普段からもらいもののチケットを僕や妹に渡してくる。スポーツ観戦のチケットだったり、観劇のチケットだったり、何かの展示会や音楽会のチケットだったり、タイプは様々だけど、もらい物だからなのか、その時間帯や日時やその人数分はまちまちだ。

 僕達はそれを叔父に見せては都合のいい時間帯へ振り替えてもらったり、払い戻ししてから並び席で三つ取り直してもらって叔父と妹との三人で出かけたり、叔父と二人で出かけたりしていた。叔父と妹の二人で出かけることもある。

 

(まさかコテージ宿泊付きトラベルチケットなんて誰が思うんだよ)


 朝、ネトシル少尉とそこらにあった物を使って戦う訓練をしているところにやって来た父から「もらい物のチケットとパンフレットだ」と、渡された書類入れ。

 四人まで大丈夫なチケットって話だったから、てっきり何かの競技観戦チケットだろうと思って、男子寮の部屋に戻ってから中身を見てみたら、入っていたのは時刻表と四人掛けブースの特急列車往復チケットと、その終点にある村の観光パンフレットだった。

 宿泊コテージは現地で好きな建物を選べるらしく、妹が喜びそうだなって僕は思ったんだ。


(四人まで大丈夫なら叔父上と僕とフィルで三人。後の一人はリオンさんでも誘おうかな)


 アレナフィルは引きこもりっ子だけど、出かける時は全力でおめかしするよく分からない子だ。綺麗な花々が咲いているらしいし、一番可愛い私なのよって感じで張りきりそう。だけど一面に広がるお花畑だなんてネトシル少尉は面白いかな。

 祖母とマーサとアレナフィルの組み合わせの方がいいかもしれない。

 僕はそこで考えこんだんだ。

ネトシル少尉や僕にはとても退屈そうだよね。花畑なんて、それを眺めてコップ一杯飲み干す程度が限度だよ。それ以上は飽きる。女の子って何かとお花お花って言うけど、五秒ぐらい見たら十分だよね?


(それならお祖父(じい)様とお祖母(ばあ)様、叔父上とフィルがいいのかなぁ。だけど全員が泊まりで留守ってのはまずい気がするし)


 微妙に悩ましいチケットだけに、夕方になってから僕はそれをネトシル少尉に見せてみた。

 現実的に考えたなら祖父と叔父の二人が泊まりで留守にするのは難しい。それなら祖母と僕と妹、そしてネトシル少尉を誘えば男二人、女二人でちょうどいいかなって思ったんだ。マーサも一緒に行きたいけど、夫のローグを置いていけないって、いつも旅行の時には断られるんだよね。

 やっぱりうちの妹、僕が目を離したら何に巻き込まれるか分からないし、見張りは必要だよ。

 するとネトシル少尉が顔色を変えちゃったもんだから、僕も驚くしかなかった。


(うん。うちの父親、本当に何考えてるんだか分からない人だよ)


 だけどネトシル少尉の反応はあまりにもおかしすぎた。


「よりによって大佐、君に何も言わず渡したのか?」

「えっと、リオンさん。この村って何かあるんですか?」

「・・・知らないのか?」

「え、はい」


 何回か口を開きかけては躊躇(ためら)ったあと、ネトシル少尉は僕の両肩に手を置いて苦し気に言った。


「すまない。俺から言っていいのか分からない。レミジェス殿にまず相談してくれないか? そしてアレナフィルちゃんには言わない方がいい。本当にまだアレナフィルちゃんが知らなくてよかった。ありがとう、ルード君。俺にまず言ってくれて」


 早めに確認した方がいいと、警備棟の誰もいない一室に連れていかれた。

 通話通信装置で叔父を呼び出してもらったら、叔父もそんなチケットを父からもらったというので頭を抱えてしまった。


「叔父上? この村って何かあるの? まさか地獄の軍オリジナル特訓キャンプ場が併設されてるとか?」

『ルード、頼むから・・・。その村のことは忘れてくれ』

「そんなの言われても、もう僕見ちゃったし」

 

 叔父はそれを渡してきたのが父であることを何度も確認し、それから諦めたような声で告げた。


『ルード。その村は、・・・君の母上の故郷だ。そしてそこには、リンデリーナ殿を殺した女性が暮らしている』

「え・・・」


 世界が、まるで壊れたような気がした。





― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―





 気づいたら僕は椅子に座らされていて、僕はぽろぽろ泣いていて、手にはホットミルクの入っているカップがあった。

 ネトシル少尉が横に座っていて、僕の肩を抱きながらカップに手を添えている。


「リオンさん・・・」


 天涯孤独だったという母にも故郷があったのかという気持ちと、そんな特別な場所に母を殺した人が住んでいるという気持ちと。

 どうして僕は、僕の母のことなのに何も教えてもらえないんだろう。いつだって大人は勝手な言い分ばかりだ。


「今は誰にも会いたくないだろう? 夕食はどこか賑やかな所に行こう。外泊届も出してある。・・・ルード君が知りたいことは、俺が知ってる限りのことなら話そう。行くにしても行かないにしても、何も知らなければ辛くなるのはルード君だ」

「・・・うん」


 どうせなら明日の朝も外食しようと言われ、警備棟に置いてあった僕の制服をバッグに入れる。たまにネトシル少尉との訓練がヒートアップした時の為、ここに着替えセットを置いてあるんだ。授業に直行できるように。

 鍛錬でも使っている普段着に着替えた僕は、超大型二輪移動車の前部スペースに立たされた。


「本来は荷物を置くスペースなんだが、先行する時にそこは指示する人間が軽く腰掛けることがあるのさ。ほら、ここに腰かけられる。そうすると運転に神経使わずに全体を見渡せるだろ? 後ろにもあるんだが、風を直接感じられるから、くさくさする時には前の方がいい」

「初めて乗った」


 両手で掴まるバーを教えられ、季節を無視したような厚手の上着を着せられ、頭と手足の防具をつけさせられたけど、かなり存在感のある超大型二輪移動車はタイヤ幅も凄い。起動音も凄まじいトルクがグォングォングォンとおなかに響いてきた。


(すっごい大型。何コレ。こんな大きいのがあったんだ)


 全体のベースは紺と黒だけど、黒から紺へのグラデーションが分かりにくいせいか、白や朱の細いラインがちょこちょことあしらわれていてその暗い色が引き立っている。マスコット的なものなのか、そういう模様なのかよく分からないけど、前後左右に小さなハリネズミがマークみたいに黒みを帯びた金色で小さく描かれて貼り付けられていた。

 ハリネズミって可愛いイメージだけど、こうして見るとなんだか凶悪そうだよ。


「凄い。カッコいい」

「これは年齢と身長だけじゃなく腕力とかの更新試験もある厳しいライセンスでしか乗れないのさ。俺が取ったのは上等学校卒業してすぐだったかな。ルード君も取る時には数年毎に体力測定があることを覚えておくといい。地味に面倒だ」

「そうなんだ」

「さ。風と轟音を裂いて出かけるぞ。覚悟しとけよ? 兵士なんざ一皮むいたらガラが悪すぎていい子は失神しちまうんだぜ」


 そうして僕はフォグロ基地とかいう首都から少し離れた場所にある大きな基地近くの、なんかとても賑やかで耳が潰れそうな店に連れていかれた。

 なんであんな分厚い上着を着せられたか、手袋も手の甲側が厚いものだったのか、よく分かった。風を裂いて走るのってかなり冷える。ヘルメットつけてなかったら耳もちぎれちゃいそうだったよ。


「さ。ここなら何を話していても誰も聞こえない」

「それ以前に何も聞こえないよっ」


 ガンガン、ドンドン、ボオオオーッと、様々な楽器の音が大音量な生演奏だ。はっきり言ってうるさすぎて曲なのか、間違えて音を出したのかも分からない。


「イェーエーエエエイ、さっさとブチ消えろぉおおおっ」

「いつまでも天下だと思うんじゃねえよおおおっ」

「ざけんなぁああああっ」


 マイクを持って歌うのかなと思ったら、マイクを持って手を振りながら叫んでる人達がいた。

 心の(たぎ)りをマイクに叩きつけてるんだね。

 ダンダンダンダンッ、ガンガンガンガンッと、全身に響いてくる大音量なダンシング曲は、メロディーなんて分からない。それぞれに楽器持って叫んでるし、踊ってる。


「キャーハハハハッ、負っけったっおっとっこぉ!!」

「よっしゃーぁっ。これで四倍っ!」

「たっるっでっ! いっちゃっえっ!」


 客なのか店の奏者なのか。ドラムやシャウトや手拍子が、僕が耳を抑えても脳内にまで響いてきた。とてもセクシーなお姉さん達がお酒を浴びるように飲みながら恋人らしき男達とけたたましい笑い声を立てている。


「熱くっ、行こうぜぇええーっ」

「うおぉおおおおーっ」


 テーブルの横で踊っている人達もいたけど、床が揺れるのは当たり前で、いつ壊れてもおかしくないぐらいにハードなダンスだ。

 耳栓して、それでもうるさいぐらいの大音量。


(あっちでやってるのは賭博じゃないのかな。いいのかな。もういいや。考えないことにしよう)


 飲食店なんだけど、みんな気儘に踊り出すし、踊る人がいたらピーピーと口笛吹く人が出るし、絶対アレナフィルが嫌がるお店だ。

 健全なのは僕達だけだった。


「こんだけ(はじ)っこなら大丈夫だろ。ちょっと座っててくれよ? 声かけられても話を聞かずに断っていい。ここはカウンターで食事やドリンクを前払いで買ってくるのさ」


 店でも一番静かな、つまり人がいない隅っこのテーブルに僕を残して、ネトシル少尉はカウンターへと行ってしまう。うん、落ちこんでる暇もなかった。

 どうやらここは兵士達がよく来るお店って奴みたいだ。なんか迷彩柄なズボンをはいた人とかうろうろしてるし、女の人も筋肉ついてる人と、水商売っぽい人とが混在している。

 化粧室に行った帰りらしく、ワンショルダードレスを着た女の人が僕の横に座った。


「いやぁん、お嬢さんったら家出ぇ? もお悪い男に食べられちゃうわよぉ?」

「家出じゃないです。でもって男です」

「そーお? じゃあお姉さんとイケないことしちゃう?」

「ごめんなさい。素敵なお姉さんに目がくらんでもついてっちゃ駄目って言われてるのでお断りします」

「じゃあ、誰と来たのぉ? パパぁ? 新しいお母さん、欲しくなぁい?」


 かなり酔ってたらしくてお酒のにおいが凄かったけど、きゅっと抱きしめられた胸がとっても柔らかくてドキドキしてしまう。


「ごめんなさい、お姉さん。僕、お母さんが亡くなったんだけど、その理由を教えてもらう為にここにお兄ちゃんと来たんだ」

「・・・そっか。ごめんなさいね。可哀想に。・・・亡くなっても、あなたのお母さんの魂はあなたを見守ってるわ。泣くだけ泣いた方が楽になるのよ」


 ほっぺたにキスして離れていったその人は去り際に僕の頭を撫でていったけど、そうかもしれないって思った。ここなら泣いても叫んでも誰も気にしなさそう。

 だから連れてきてくれたんだろうか。


「おっ、可愛いツラじゃねえか」


 ここ、なんで勝手に隣に座ってくるの?

 座っていいかどうかの許可を得るとか、まずは声を掛けるとかってプロセス知らないの?

 なんかとっても汗臭い人がどかっと左隣に座ってきて、みしみしって椅子が鳴る。


「けど胸もケツもねえんじゃダメだな。ま、初めての酒ぐらいは(おご)っちゃろう。幾つだ?」

「14才。僕にお酒飲ませたら、おじさんが捕まっちゃうよ。僕の保護者、軍と学校関係者だから」

「はっはっは。おじさんじゃねえよ、お兄さんだよ」


 セリフの後半は思いっきり凄まれてしまった。

 それなのにさっと立ち上がって離れていったところを見ると、やはり未成年の飲酒はまずいみたいだ。


(父上も大佐だし、王子様の学校生活報告係だからね。そんな人の息子に飲酒させたら今の人、叱責どころじゃないよね。うん、僕が初めてのお酒体験しないのは知らない人を守る為の正しい行いだよ)


 と思ったら、今度は僕の両側に一人ずつ誰かが勝手に座る。

 どっちも酒瓶持参って何なんだよ、もう。


「初めての酒場体験か? へぇ、可愛いなぁ。酒飲んでみてえ年頃かぁ」

「普通にご飯食べに来たんだよ。ほっといてよ」

「はっはっは、フラれてやんの。そんならホットミルクかぁ。ねえよ、んなもん」


 左の男から話しかけられたと思うと、右の男は(はや)し立てる。

 勝手なこと言われすぎだよ、何なのここ。


「お待たせ。で何勝手に座ってんだよ。さっさと消えろよ。子供のいるテーブルに酒なんざ持ちこむんじゃねえよ。てめえらだけしょっぴかれろ」


 ネトシル少尉が鶏肉と白身魚とポテトとオニオンのフライ大皿盛り、そしてスパイシーナッツの深皿盛りとソーセージやサラミの大皿盛りを持って戻ってきた。ジンジャーエールの瓶も二つ。持ち方がとっても器用だ。


「てめえなあ。お前が助けに行ってくれ言ったんだろうが」

「で、この子か? お前が今はまってるっつーお嬢は」


 右の男が噛みつけば、左の男が僕を女の子と誤解中だ。


「変な奴ら近づかせんな言ったが絡めたぁ言ってねえ。じろじろ見んな、減るだろが。ほらほら行った行った。・・・さ、まずは温かい内に食べよう。今日は栄養だとかバランスだとかうるさいことはナシだ。そーいや瓶から直接飲むのってやったことないか」

「へーきへーき。これでも市立出身だよ。いっただっきまーす」


 手づかみで食べ、瓶から直接飲むのが当たり前らしい。うん、分かってるね。

 ワイルド上等。


「で、いつまでいんだよ。てめえらの分じゃねえよ」

「いーじゃねーか。足りなきゃ追加したるさ」

「そうそう。いい食いっぷりだ。安心しな、お嬢。食べ終わったらそこの危険な奴から保護してやるからよ」


 ネトシル少尉と僕だけじゃなく、なんか左右の人まで勝手にむしゃむしゃ食べ始めた。二人で座る為の丸テーブルに四人いるんだからめっちゃ狭い。

 刺激的な味付けがクセになるっつーの? まさに男のフライだ。僕も手が止まらない。うちじゃこんな塩っ辛いフライ、まず出てこないよ。


「お気持ちは有り難いですが、リオンさんいるから保護は不要です」


 炭酸が進むっていうの? いつの間にか置かれていた瓶入り水をがぶがぶ飲みながら、僕は、いかに塩が美味しいかを知ってしまった。塩っ辛いのにそれがいい。玉葱もほっくほくだ。


「このナッツぁ美味いぞ。ほら、食べてみろ。全く酒場に女の子連れてくるなんざ最低な男だな。こんな奴にゃ惚れんなよ。世の中、いい人そうなクズばっかさ。いいか? 本当に大事な女の子をこんな所に連れてくる奴はいねえ、そいつぁただのロクデナシさ。よく覚えとくんだ」


 右の人がなんか説教かましてきた。

 ネトシル少尉だってこんなとこ、男でも王子は連れてこないと思うな。


「この子は男の子だ。ふざけたこと吹きこむんじゃねえよ」

「嘘こけ。てめえがデートしてた令嬢の顔は社交欄でチェック済みだよ。いつかやるだろうと思ってたが最低だな。安心しろ、この子は俺らが責任もって保護する」


 いつの間にか左側の男が真面目な顔になっていた。右側の男も頷く。


「悪いがリオン、友情と仕事は別だ。ここでてめえが女といちゃつこうが殴り合いしようがそんなこた目ぇつむってやれたが、さすがに少女を夜に保護者無しで連れ出したのは目こぼしできん」

「はあっ!? 俺が保護者だっつーのっ。俺はちゃんと夕飯食わせてからホテル連れてって、明日の朝にゃ仕事戻らなきゃならねえんだからなっ。アホな絡み方すんじゃねえっ。深夜帯に差し掛かる前にここ出ねえといけねえんだぞっ」


 言うまでもなく、夜の酒場に未成年の出入りは禁じられている。つまり僕達はお酒を飲まずに、深夜帯になる前にこの酒場を出なくてはならない。


「ざけんな、ゲスが。未成年をホテルに連れこむなんざ俺らが見逃す思ってんのかよ。ガルディアス様に負けそうだからって先に既成事実を作ろうたぁどこまで卑怯に生きる気だ、このフラレ男が」

「誤解を押し通すなっ」


 なんか二人共、僕を本気で保護してくれようとしたみたいだ。


「あの、誤解です。リオンさん、僕を連れ出してくれただけで、ホテルに泊まるのは僕が過ごしている寮の門限に間に合わないからです。でもって僕は男です。そしてリオンさんと噂があったのはうちの妹です」


 ちょっと不良体験ってことで、この後はチープで狭い素泊まり激安宿に泊まってみようと言われてたのだ。僕がいつか大人になったら覚えておくと便利らしい。

 大人になると一晩中陽気に騒いだり、連れ出されたり、友達が酔っぱらって動けなくなったり、自宅に戻るにはもう無理ってことになることもあるそうだ。そんな時、お高いホテルは酔っぱらいお断りなことがある。

 だから細かいことを言わない代わりにサービスもない、時に鍵もかかるかどうか怪しいし、客同士のトラブルは放置という無責任な激安ホテルを見つけられるかどうかが路上で朝を迎えるかどうかの分かれ目になるんだって。だから携帯用ドア鍵を持ってきたネトシル少尉と一緒に泊まってみる予定なんだ。


(携帯ドア鍵があるなんて知らなかったもんなぁ。シーツ交換も怪しいからって薄型コンパクトシーツも使うらしいけど、やっぱり僕の知ってる世界はまだまだだね)


 だけどそんなところ、気になる女の子を連れていったらひっぱたかれるし、いい所の坊ちゃんを連れてっても嫌な顔をされるだけだから、緊急避難用で内緒だぞってネトシル少尉はウィンクして教えてくれたんだ。

 怪しげな宿の中でも安心して眠れる宿の見分け方だって習っちゃう予定なのさ。

 不良上等。制服も持ってきたし、明日の朝は駅前とかのカフェで朝食を取る予定。完璧だね。


(リオンさん、本当に面倒見いいよな。なのに友達からは信用がないんだ)


 なかなか信じてくれなかった二人だが、やっと信じてくれる頃にはもうネトシル少尉もヤケ食いするしかない気分だったらしい。

 三人で胸倉掴み合ってた。

 止めようと思ったけどよくよく考えたら僕も幼年学校時代はそんなもんだった。

 他のテーブルの客層も若手の士官や兵士達らしいし、店内はどこも多かれ少なかれそんな感じだからもういいや。

 女の人を取り合って殴り合ったり、浮気してるんだなって怒鳴って乗り込んできたり、どこも賑やかで僕達のテーブルがどんなに喧嘩しても誰も気にしていない。


「この焼肉パンはな、一度食ったら忘れらんねえ最高の味なのさ。まあ食ってけ。誤解した詫びにリオンにも奢っちゃろう」

「てめえ、そん前に俺のチキンもポテトも食べまくったろ。何が奢りだ。てめえらが食った方が多いっつーの。大体、俺ぁルード君と大事な話があったんだよ。てめえらが邪魔したんだよ。悪いと思ってんならさっさと消えろよ」

「いやいや。これは詫びだ。実はな、リオン」

「何だよ」


 右側にいた男が、律儀なんだか姑息なんだか分からない感じで薄切りにした味付き焼肉をたっぷり挟んだパンをネトシル少尉と僕に渡してきた。

 熱い内にはふはふ言いながら食べると美味いとか言われて食べてみたら、めっちゃ肉汁やソースがジューシーだった。ぼたぼた皿に落ちるソースが勿体ないけど、汚れることを気にしちゃ負けなんだって。

 ここ、また来たい。これ、めっちゃ美味しい。牛肉の新しい世界がここにある。


「すまん。お前がウェスギニー大佐んとこの女の子、ついに滅茶苦茶にしようとしてるってんでバイゲル中佐に連絡しちまった。でもって俺達は足止めだったんだ。うん、すまん」

「はあっ!? ・・・・・・ぅぐおっ!!」


 がたっと立ち上がったネトシル少尉が、いきなり僕の前から消える。ガラガラガラガラガッターンと、凄まじい音が店内に響いた。


「え? ・・・リオン、さん?」


 そこで気づいたんだけど、この周囲、未だに誰もいない。店内の客は幾つかのテーブルを空けたところで賑やかにやっていた。

 それは子供を連れこんで酒を飲ませていたとか、それを止めなかったとか、そういうものに巻き込まれない為なんだろうなってなんとなく理解はするけど、それがまずかったのかもしれない。

 いきなり横から蹴られたネトシル少尉がテーブル三つと椅子を幾つか巻き添えにして転がったのが分かった。


「リオン、貴様・・・。よりによってウェスギニー家令嬢に何してるのっ!!」


 怒りに燃えたオレンジ色の髪をした女の人の声が響き渡る。頬張っていた幸せも瞬間冷却だ。


(なんでリオンさん、ここまで信用ないの? てか、この女の人誰?)


 うちの妹、社交界に出たらいじめられるって話だったけど、軍ではやはり父の影響力があるのか、勝手に保護されちゃうらしい。

 いきなり蹴りを食らわせたオレンジの髪をした女の人を見た途端、店内にいた何人かの人達がさっと立ち上がって敬礼した。

 多分、偉い人なんだと思う。

 だけど話も聞かずに一方的に拳や蹴りで語る、いや、決めつけるサルートス軍人。

 僕は絶対に叔父の跡を継いで普通の領主な貴族になろうと決意した。





― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―





 ウェスギニー子爵邸に送っていこうと言ってくれる女の人に、誤解だと何度も言って、騙されているのね分かっているわ可哀想にと何度も哀れまれ、どうにか誤解が解けた僕はフォグロ基地へと案内された。

 本当に可哀想なのはネトシル少尉で、しばらく魂が天国に行ってた。


「ひでえよ、ファルナ姉上。だから俺は虎なんて嫌いなんだ。普通に会話しろよ、話を聞けよ」

「品行方正に生きてたようなこと言うんじゃないわよ。あなたが酒場で起こした喧嘩騒ぎ、どれだけ揉み消してあげたと思ってるの。あなただって虎でしょ」

「好きで出たんじゃない」

「嘘言わないの」


 腹をさすってるネトシル少尉が気の毒すぎる。オレンジ色の髪、淡い青色の瞳をしたこの女の人は、フォグロ基地でも中佐という階級にあるそうだ。


(あの二人、リオンさんに責められる前に消えてたけど、友情は大丈夫なんだろーか)


 連れてこられたフォグロ基地はレスラ基地とはまたちょっと違う感じだけど、多分それはレスラ基地ではいつも練習場に直行するからだと思う。

 執務室らしい部屋はとてもシンプルで、重厚なデスクや椅子などが置かれていた。


「リオンさん、お姉さんがいたんですね」

「ああ、従姉なんだ。うちは男三兄弟だよ。バイゲル家とは子供の頃から何かと行き来があってね」

「もしかしてバイゲル侯爵家のご縁戚ですか?」

「そうそう。よく知ってるね」

「知らない人がいない名門ですよね?」


 ビッグサイズなソファに座れば、ちょっと不思議な気分だ。うちの父もこんな部屋を持っているのだろうか。

 どこかに連絡を入れてお茶の用意を言いつけた女の人が振り返る。


「リオン。あなた、本気で何も知らない令息を言いくるめていたわけ?」

「だから話を聞けってのにっ。大体、ウェスギニー大佐が何も話してないんだから仕方ないだろっ。俺だってレミジェス殿に聞いたけど、それは成人してから話すってことだったから何も言えなかったんだよっ。・・・てか、なんで俺がルード君をわざわざ連れ出してたと思ってるんだっ。それをみんなして邪魔しやがってっ」

「知るわけないでしょう。未成年を酒場に連れてく非常識坊やが寝言ほざくんじゃないわよ」

「だから、・・・てか、誰も何も教えてないんだからしょうがないだろっ。俺は、だから今日はルード君のお母上のことを教えるつもりで・・・ぶふぁぁっ」


 見事な左ストレートを食らったネトシル少尉が、部屋の隅まで飛んでいった。


「リオンさんっ!?」


 たとえ従姉弟(いとこ)同士でも階級の差ってこんな理不尽を受け入れなきゃいけないわけ?

 同じソファに座っていた僕が飛ばなかったのって、実は下から上、左から右という二発入れられてたからだよ。恐ろしすぎるんですけど、この中佐。


「見損なったぞ、リオンッ。そういうことはご家族こそが話すことだろうっ! それをお前はっ、どこまでこそこそと腐り果てた性根の持ち主になったんだっ」

「・・・だから聞けよっ!」


 部屋の隅から主張するネトシル少尉が気の毒すぎた。

 僕には淑女らしい話し方をしてくれるけど、叱りつける時はさすが軍の人だって思う。


「あの、・・・えっと、誤解なんです。うちの父が全くもって説明しない人だから、リオンさん、僕に教えてくれようとしたんです」


 自分でも言ってて虚しくなった。全てはうちの父が悪いって思う。

 父はネトシル少尉の苦難に謝るべきだ。


「アレンルード君。あなたの気持ちは分かるわ。だけどね、どんな情報も他人が勝手な想像で作り上げたものを聞かされるのは、その根底に悪意があるからよ。そんなのを信じては駄目。あなたのお父様を信じなさい。ね?」

「聞けよっ、ファルナ姉上っ。ってか、ウェスギニー大佐がルード君にあの村のパンフレットとチケットを渡したんだってっ。何も説明せずにっ」


 さすがにそこでファルナ姉上と呼ばれていた中佐も真顔になる。


「何だと? 何も説明せずに渡してどうなる」

「知らねえよっ。てか、アンジェ姉上、あそこにいるんだろっ? ルード君だって知らないまま行ったら、・・・それこそお母上を殺したアンジェ姉上と何も知らずに対面しちまうんだぞっ。説明しないわけにはいかないだろうがっ」

「・・・え」


 僕の心が止まったような気がした。


「もしかして、・・・リオンさん。母上、殺した人、・・・知ってるの?」


 アンジェ姉上と言った。つまり母を殺した人はネトシル少尉の身内なのだ。

 まだ僕が幼年学校生だった時、父は言った。母を殺した相手の身内とも仕事で組むこともあれば談笑することもあるし、友人付き合いをもしていると。


(だから叔父上はそれでもリオンさんと友達になってたわけ? 母上を殺した身内だと知ってて・・・?)


 ああ、そうだ。父は言っていた。


――― うちはたかが子爵。それをあの家が、令嬢を殺してもいいと膝を屈した事実をお忘れですか。たかが平民あがりの女など、夫が私でなければそのまま殺され損で終了。相手の一族の中にはうちを憎んでいる者も多い。


 そうだ。ネトシル侯爵家ならば縁戚はやはり公爵・侯爵・伯爵クラス。

 全てが一気に(ひらめ)き、繋がっていく。僕に誰もが何も言わなかった訳も。


(はは、お笑いだ。そうだな、そりゃネトシル侯爵クラスの家なら、犯人の令嬢とやらを殺していいなどと父に言わなきゃいけない時点で屈辱だっただろうよ)


 世界がぐらぐらと揺れる。

 父は犯人の令嬢を殺さなかったと言った。それはきっと僕とアレナフィルの為だ。

 数年前の僕なら分からなかった。だけど今の僕なら分かる。

 たとえ正当な仇討ちであろうと、それをしてしまえばその恨みはウェスギニー家の次の世代にまで及ぶだろう。ウェスギニー子爵家の縁戚といった力は薄い。反対にネトシル侯爵家はかなり厚い。


(ネトシル侯爵家クラスなら、母上を離縁させて父上に嫁いでくることだって可能だったろう。その令嬢が産んだ子がいれば、僕なんて跡継ぎになれる筈もない。恨まれて当然だ。父上は、一体どんな思いで・・・)


 何も知らない僕を、ネトシル少尉はどう思っていたんだろう。笑顔の裏で何も知らない僕を馬鹿にしていたんだろうか。

 所詮は子爵家の子供だから侯爵家の縁戚には逆らえないと高をくくっていたんだろうか。

 だけど・・・。


「あっ、ルード君っ」


 不意にぐぅっと熱いものがこみあげてきて、僕は部屋の外へと駆けだした。

 元来た廊下を走り、案内板の矢印のままに適当な扉を次々と開けて外へと向かう。基地の出入り口じゃなかったけど、暗いからそれでよかった。

 夜だからか、ほとんど人気のない基地内はどこまでも僕を拒絶している。

 方向さえ合っていれば外に出られると思って走ったけど、基地出入口とは違う所に出てしまったと分かったのは、建物内から飛び出てからだ。

 だだっ広い屋外のスペースが幾つかの明かりで断続的に照らされてはいるものの、ほとんどは闇に覆われていた。よく分からない屋外スペースはとても広い。あちこちの建物も明かりがついている部屋が点在していて、ここに人の気配はなかった。

 冷たい夜風が僕に吹きつけてくる。


(大丈夫だって思ってたんだ。僕はずっと)


 たとえ誰かに母のことを揶揄(やゆ)されても耐えられるって思ってた。

 アレナフィルさえ無事にいてくれれば、僕は大丈夫だって・・・。


「ひっく、・・・ふぇっく、・・・ひゅっ」


 サルートス上等学校に入学しても寮生はほとんどが平民出身だから全く普通で、王子様はいても変装してなんか妹と変なクラブやってて、学校ではそんな妹のしりぬぐいしてあげなきゃいけなかったけど僕らしくやってて、ただの寮監だと思ってたフォリ中尉は何かと僕に目をかけてくれてて、・・・だから、僕は忘れてたんだ。

 そんな僕を取り巻く悪意があることを。

 あんな身勝手でいい加減な父でさえ、妹が言う通り、実は魅力的だったりすることを。


「ふぅっ、・・・ぅうっ、・・・ふぇえっ」


 よく分からない暗がりの地面に座り込んでしまえば、闇と一体化したかのようだ。手や足も見えない。

 もう誰にも見つけてほしくなかった。

 結局、大人なんて何も教えてくれない。大人になったら教えてあげるとか言って、僕以外のみんなばかりが知ってる。僕だけ蚊帳の外だ。


(なんで僕だけ教えてくんないんだよ。それでいて、いきなり変なことばっか・・・)


 僕は憎まれてるんだろうか。父はどうしていつも僕だけ仲間外れにするんだろう。

 母親を殺されても憎んじゃいけないの? それならどうして父は母と結婚したんだよ。


「なんだぁ? こん時期、ホームシックにゃ遅すぎるだろ。いじめられたか? どこの所属だ、おい」


 袖で頬をこすっていると、いきなりずさっと上から大きな黒い物体が落ちてきた。そして大きな物体は、ぐいっと僕の襟を掴んで持ち上げる。


「ぅわっ」


 暗い上に逆光で、黒い大きなクマにしか見えない。

 持ち上げ方もかなり乱暴だ。でかい手が僕の服をがしっと掴みこんでいた。


「って、リオルド兄上っ! その子には手を出さないでくださいっ」


 少し離れた所から焦ったようなネトシル少尉の声が飛んでくる。

 リオルド兄上とか呼ばれたそのでかい物体は、どうやらそっちを見たようだ。


「お、リオンじゃないか。なんだ、お前。近衛に行かされた恨みをこめてここで兵士いじめしてたんじゃねえだろなぁ。全くいつまでも非行に走ってんじゃねえよ、ガキが」

「違いますよっ。その子は俺が連れてきたんですっ。大事に扱ってくださいっ」

「リオルドお兄様。リオンの言う通りですわ。私の部屋に案内していたんですけど、ちょっと泣かせてしまいましたの。放してあげてくださいな」


 襟を掴まれたものだからシャツが引き上げられ、お腹が出てる状態で持ち上げられていた僕を跳躍してきたネトシル少尉がぐいっと救い出す。

 いきなり落ちてきた物体が重低音としか言いようのない声だっただけに、ちょっとほっとした。

 なんかめっちゃ粗雑な感じがする、この月明かりの影になって黒いクマにしか見えない人ってば。


「ざけんな、てめえ。まさかここならファルナに揉み消してもらえるからってやらかしやがってたかよ。基地ってなぁ連れこみ宿じゃねえんだよっ。この甘ったれ坊やがっ!」

「ぐぇえっ」


 リオルド兄上とか呼ばれた男に片手で奪い返された僕だけど、またもやネトシル少尉が蹴り飛ばされていた。


「リオンさんっ」

「あら。入ったわねぇ」


 涙も引っこむよ。なんでみんな暴力でしか語れないわけっ?

 ファルナ姉上とか呼ばれてた中佐も、両手を広げてないで助けてあげてよっ。


「リオンさんっ、リオンさんっ」

「なんだ、本当に子供じゃねえか。ん? この顔って・・・。リオン、てめえ。ウェスギニー家の娘をついに泣かせやがったかっ」

「だから誤解なんですっ。リオンさん、何もしてませんっ。ついでに僕、妹じゃありませんっ」


 僕を明かりの下に持っていって顔を確認した男は、なんか立派そうな軍服を着ていた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 さすがに短時間で数発ものダメージは大きかったらしい。

 さっきの部屋に戻ってきたけど、おなかや肩や背中に冷え冷えペッタン鎮痛バージョン貼ってソファに転がっているネトシル少尉の姿はとても哀れだった。


「リオンさん、大丈夫? 明日のお仕事、お休みしないと無理だよ。フィルだってあれで鉄板入りバッグ持ってるし、いざとなったら容赦しない子だし、卑怯技だってマスター済みなんだよ。王子様ぐらい守れるよ。休んでも平気だよ。僕だってこっそり見とくし」

「大丈夫だって。兄上も姉上も仕事に支障が出ないよう顔だけは狙わないから」


 そういう問題?


「全く(たる)んでんな。常に腹には力を入れとけ。だからダメージ食らうんだ」

「入れてたよっ。あんたらが馬鹿力なんだよっ。だからバイゲル家なんてアンジェ姉上以外マトモじゃないんだっ。なんで俺がお宅らから蹴られなきゃならねえんだよっ」

「アンジェラディータは既に勘当した。弱さを良しとするな、リオン。お前が荒れたところで強くなるならと思えばこそ見守ってやってたが、子供に八つ当たりすんなら容赦せん。ウェスギニー家の息子か娘か知らんが子供に手を出すんじゃねえよクソが」

「いつ見守ってたよっ」


 えっと、もしかして母を殺したアンジェ姉上とやら、バイゲル侯爵家の人なわけ?

 うん。なんでそれでネトシル少尉が殴られたり蹴られたりしなきゃいけないのか、僕にも分からない。

 ファルナ姉上と呼ばれていた人が手短にリオルド兄上って人に事情を説明する。こっちは実の兄妹らしく、どちらも似たようなオレンジ色の髪をしていた。兄は茶色の瞳で妹は淡い青の瞳だ。


「なるほどな。アレンルード君、こんな出会いとなったが、バイゲル・ネトシル・ガストリオルドだ。こっちは妹のフィオレファルナ。そこのグラスフォリオンは我々の従弟となる。君のお母上は、私の妹にしてフィオレファルナの姉にあたるアンジェラディータが殺した。現場はこの基地内だ」


 こういう時、人はなんて返事をするんだろう。

 いずれバイゲル侯爵となるその人は、この基地で少将の地位にあるらしい。うちの父より地位も身分も上だ。


「言い訳はせん。君はバイゲル家を憎む権利がある」


 すぱっと言われてしまうと、はいそうですか、では憎ませていただきますとも言えない。

 憎もうにも僕は何も知らされてなかった。

 ここで教えてもらえるのだろうか。父も、そして祖父も叔父も僕に教えてくれなかったことを。


「あの、・・・なんで、母は、その、・・・アンジェラディータさんに、殺されたんですか?」


 バイゲル侯爵家の直系令嬢ならば様付けで呼ぶべきだと分かっていたけれど、そこまで母を殺した人におもねる気にはなれずに、僕はさん付けで尋ねた。


「取り調べの結果、フェリルド殿への横恋慕から突発的な衝動によって殺害に及んだとされている」

「それは、・・・父が、そのアンジェラディータさんを・・・誘惑、したからですか?」

「いや。アンジェラディータの片思いだ」


 すぱすぱ答えてくれるけど、全然状況が分からない。


「なんでこの基地でだったんですか? うちの母、軍人・・・だったんですか?」

「当日、フォグロ基地は開放されていた。フェリルド殿は妻子を連れてここに来ていた。そこで偶然、休憩しようとしたウェスギニー夫人と令嬢がアンジェラディータと同じテーブルに着いた。君はフェリルド殿といて、その場にはいなかった」


 父を挟んでライバルとなる正妻と侯爵家令嬢とのファイトがそこで勃発したとか?


「そこで、・・・母とそのアンジェラディータさんが喧嘩、したんですか?」

「いいや。・・・フェリルド殿の娘を子守りしていたアンジェラディータが、ちょうどテーブルを離れていたウェスギニー夫人の所へ、親を恋しがる娘をあやしながら連れていった際にいきなり殺した。それは衝動的なもので計画性はない」


 聞けば聞く程、状況が不明だ。

 なんでうちの妹、その殺害犯に子守りされていたの?

 まさかアレナフィルの面倒を見させられた恨みで母は殺されたわけ?


「意味も、・・・理由も分かりません」

「そうだな。誰も分からなかった。フェリルド殿は分かっていたようだが」

「父が?」


 やっぱり浮気してたわけ? だけどバイゲル侯爵家の人と平民の母なら、浮気相手はうちの母になると思う。平民の妻と離婚してでも侯爵家の人と結婚するのが貴族だ。

 そしてうちの父はとても人の感情に無神経だ。あの人が誰かのことを理解してることなんてあるんだろうか。謎過ぎて混乱が終わらない。

 うちの父に女心が分かる日なんて一生来ないだろうって僕は思ってたよ。たまに祖母が可哀想になる。


「お兄様。だけどあの後・・・」

「それはウェスギニー家に関係ないことだ。そしてバイゲル家の失態であることには変わりない」

「はい」


 聞いていたネトシル少尉も怪訝そうな顔になると、ガストリオルドと名乗った人はガシガシ頭を掻いて話を続けた。

 一気に場の空気が変わる。


「アンジェラディータは根暗すぎて理解できん奴だったんでな。そんなアンジェラディータをフェリルド殿は妻の仇だというのに殺しもせず、その妻の故郷にコスモスの種を()くことで贖罪としてくれと言った」

「・・・なんでコスモスだったんですか?」


 母の墓にはコスモスの花が彫られていた。

 母が好きな花だったんだろうか。あの父にも母に花を贈るようなラブストーリーがあったなら・・・。


「君のお母上の母親、つまり祖母にあたる方が、コスモスが好きだったそうだ」

「母が死んだから、祖母に花を渡してくれってことだったんですか?」


 なんかもう意味分からなすぎだよ。お墓に彫るなら本人が好きだった花を彫ってあげなよ。故郷に咲かせるなら本人の好きな花にするものだよ。

 なんで父ってばそこで妻の好きな花じゃなくて、妻の母親の好きな花なわけ?

 恋人になった女性に男性が花を贈る時は、恋人じゃなくて恋人の母親が好きな花を贈るものだとでも思ってるわけ?

 だけど天涯孤独だって聞いていた母にも、家族がいたなら・・・。

 母の母、つまりは僕の祖母にもそれが少しは心の慰めになったんだろうか。


「いや。もうその村に住む人はいなかった。どの家も焼け焦げて朽ち果て、埋葬されていない死体は獣が食らっていた。君のお母上はそこの生き残りだ」

「え・・・」


 その意味を理解するまで、僕の頭は少し時間を止めていた。


(生き残り・・・。焼け焦げた家って、それって・・・)


 思い出すのは南の国で襲われていた人達。まるで狩りをするかのように人間を襲っていた民兵達。

 家には火をつけられ、人は悲鳴をあげて逃げまどっていた。そして背後から襲われ、動かなくなった。

 その村で暮らしていた僕の祖父も祖母も、そしていたなら母の兄弟とかも、あんな風に襲われたんだろうか。生き残りということは、みんな殺されたのか。


(だから母上は天涯孤独だったんだ。そして僕に母上の故郷を教えてくれなかったのも・・・)


 僕は目を閉じ、ウェスギニー子爵邸にある絵画を思い浮かべる。


――― 可愛らしい人。君に一目惚れしました。この薔薇のように燃えている私の心を受け取り、どうか私の妻になってください。

――― 私も初めてお見かけした時からあなたのことをお慕いしておりました。とても嬉しくて夢のようです。喜んでお受けいたします。


 ねえ、父上。あのプロポーズの言葉は何だったの? 僕を、ううん、家族を最初から全部騙してたの?

 もう信じない。

 父のことなんて、もう絶対に信じない。


「リオルド兄上、そこまで言うことないだろ。今は綺麗な村なんだ。アンジェ姉上のことはともかく、それ以外はウェスギニー家が話すべきことだし、昔の話を他人が話して聞かせるのはフェアじゃない」


 ネトシル少尉が自分の上着を僕の頭からかぶせてくる。渡されたタオルで顔を隠せば、上半身ごと抱き寄せられた。

 ・・・ああ、そうか。

 僕、いつの間にか泣いてたんだ。


「何も説明されてないからお前が話すってことで連れ出したんだろ? だけどお前、何も知らないじゃないか。ウェスギニー夫人の故郷だなんて、お前知らなかっただろうが」

「・・・後でちゃんと聞くつもりだったよ」

「誰にだよ。アンジェに懐いていたお前に誰も教えるわけないだろ」


 ネトシル少尉が子供のようにあしらわれている。

 揶揄するような響きに、ネトシル少尉もカッとして前のめりになった。


「しょうがないだろうがっ。あんな事件を起こしたんだっ。二度と会うなって何も教えてくれなかったのはあんた達じゃないかっ」

「負け犬に心を寄せんじゃねえよっ!」


 吠えるようなその大音声に僕もびくっとする。

 妹を負け犬呼ばわり。


(さすがはバイゲル家。虎の印を多く輩出してきた名門。そりゃ今はネトシル家の方がリードしてるって言われてるけど)


 母を殺した人だ。悪い人だって分かる。それでもこの人達は実の兄で、実の妹だろうに。

 バイゲル侯爵家とネトシル侯爵家の血を引いた人でもそんなこと言われてしまうんだって僕は知った。


「そんだけ虎の種が偉いのかよっ。だからアンジェ姉上が苦しんだんじゃないかっ。あんたらだって追い詰めた一人じゃないかっ」

「てめえもその一人さ。自分だけ善人とでも思ってんのかよ。アンジェラディータはその少年の母親を殺した、ただの犯罪者だ」


 ネトシル少尉の甘さを(えぐ)るようなせせら笑いに、彼の動きも凍りつく。

 勿論、バイゲル少将が言っていることは正しい。僕だって母を殺した人を理解してあげようだなんて思わない。だけど・・・。


「ファルナは帰れ。こんな時間だ。俺の部屋に二人は泊めてやる」

「それなら私の所に泊めた方がいいと思うのだけど」

「俺の部屋なら食事は運ばせられるからな」

「どっちもお断りだ。ホテルぐらい自分で手配できる」


 ネトシル少尉は従兄を睨みつけた。


「泣き腫らした目の子供をホテルに連れこんだ時点で通報されてファルナ引き取りだろが。アレンルード君も安心したまえ。アンジェラディータの村に行こうが行くまいがそれは君の自由だし、君がアンジェラディータを殺したところでうちは気にしないよ」

「・・・・・・」


 僕に語りかける声は優しかった。それが、何故か悲しかった。

 何が違うのか分からないけど、何かがこの人とは違うんだって分かった。


(みんな、僕がそのアンジェラディータって人を憎むのは当たり前だって言ってくれてる。だから恨むのも憎むのも間違ってない。間違ってない筈なんだけど・・・、何なんだろう。何かがおかしい)


 勿論、母を殺した人に同情なんてしない。しないけど、・・・するわけないけど、でも、・・・犯罪者だからって家族が見捨てたら、どこに救いがあるんだろう。

 もしもアレナフィルが誰かを殺してしまった時、僕はアレナフィルを存在しなかった人間として切り捨てるわけ・・・?

 僕は何かを見落としているような気がした。その何かの正体が分からないままに。


――― 何年かけようとお前はいずれ真実に辿り着くだろう。だけどまだ知るには早すぎる。今は何も気づかないフリをしてなさい。


 僕と双子のくせしてアレナフィルにだけ何故か外国人の家族がいるし、アンジェラディータって人もアレナフィルの子守りの後に何故か母を殺している。

 普通に考えて意味不明だ。


(落ち着け、落ち着くんだ。分からない時はまだ情報が足りてない。それだけだ。父上だって言ったじゃないか。僕は必ず真実に辿り着く子だって)


 幼年学校時代の僕には分からなかったことが、今は分かってる。今は分からないことも、数年後の僕は理解しているのかもしれない。


――― フェリルドはお前が大人になるのを待っている。いつかフェリルドよりも強い男になって、その悲しみを聞いてやっておくれ。


 きっとそれは父しか知らないんだ。だから・・・。


「僕は、・・・大人になったら父に話を聞くって、約束しました。よく分からないけど、・・・パンフレットとチケットはもらいものだって、父は言ってました。中身、見てなかったんだと思います。そのアンジェラディータさんのことも、大人になったら、・・・考えます」

「いくらなんでもウェスギニー子爵だって中身が分かっていたら何も説明しないなんてことはなかったと思いますわよ、お兄様」


 僕に味方してくれるのは有り難いけど、そんなチケットを誰かからプレゼントされる時点で、うちの父ってば実は憎まれてるんじゃないの? もしくは嫌われてる?


(中身を見ていなかったことはないよね。だって中身を見たからこっちに回してきたんだし。それならどうして父上、僕に母上の村へのチケットを渡してきたんだろう。母上の故郷ってこと忘れてたとか? 覚えてるけどどうでもいいと思ったとか?)


 案内されたバイゲル少将ガストリオルドの部屋でシャワーを浴びさせてもらい、外泊用オオカミパジャマに着替えた。アニマルパジャマでもオオカミパジャマはただの上下一体型(オーバーオール)|パジャマっぽい。全体的に焦げ茶色だから模様が分かりにくいんだ。


「基地内にこんな部屋あったら家族も住めちゃうね」

「佐官や尉官クラスはこんな広さなんてないよ。ベッドが二つあるのは護衛が同じ部屋で警護することもあるからだ。基地は時に全ての出入りを閉ざして戦うことを想定しているからね」

「そうなんだ」


 ダブルベッドにネトシル少尉と一緒に寝ることになったけどもう気にしない。

 もう一つのダブルベッドにはバイゲル少将が寝るそうだ。今はシャワーを浴びている。


「リオンさん、僕、フィルに内緒でその村行ってみたい」

「じゃあ週末のヴェラストール行きはやめておくかい? 適当な理由をつけてヴェラストール行きをやめれば、アレナフィルちゃんには気づかれずに動ける」

「・・・うん」


 母を殺した人に何らかの思い入れがあるらしいネトシル少尉。母を殺したその人を殺さなかった父。

 その人はどうして母の故郷にいて、そこで暮らしているんだろう。

 僕は知りたいと思った。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 なんかコーヒーとトーストされたパンやバターの香りが鼻をくすぐったものだから僕は目を覚ました。

 すると目の前に知らない黒髪に黒目な男の人がいて、僕を見下ろしている。丸首シャツにトレーニング用のズボンだけど、見たことない顔だ。


「おはよう、お嬢さん。昨日は怖い思いをしたでしょうね。悪いおじさんはもう牢屋に入れるから安心していいですよ。お話聞かせてくれる? 強引に怖いことされちゃったんだね?」


 僕は目をこすりながら上半身を起こした。

 僕、何か怖い思いしたっけ? 知らない部屋だ。


「おはようございます? ここ、どこですか?」

「人を犯罪者に仕立て上げないでください。この子と一緒に寝ていたのはベッドが二つしかなくて、おっさんと寝る趣味はなかったからです」

「はっはっは。それですんだら基地に憲兵いらないですねー」

「あ、リオンさん」


 背後から頭に手を置かれて振り返れば、とっくに着替えたネトシル少尉がいた。


「おはよう、ルード君」

「おはようございます。あれ? 昨日って・・・、あ、そっか。ここ、なんとか基地だ」


 うん。強引に怖いことされちゃった人って、ネトシル少尉だよね。あれは誰もが同情する苦難だった。


「もう少し寝ててもいいけど、朝食持ってきてくれたみたいだから起きて食事しようか。それから顔を洗って着替えて戻れば十分学校には間に合う。二度寝もできちゃうよ?」

「顔も洗わず食事って行儀悪くないですか?」

「どうせ部屋から出ないからいいさ」


 それもそうだ。


「おや。この子、男の子ですか? 新しい弟さん?」

「こちらはウェスギニー大佐のご子息です。昨日、男同士でワイルドにチキン食べようぜって連れ出したら、女の子と間違えやがった奴らが勝手にここに通報して、しかもバイゲル兄妹、一言も話を聞かずに人を蹴り飛ばしてくれましてね。仕方なく泊まることになったんです」

「ウェスギニー大佐のお子さんって・・・。きちんと許可を得てから連れ出してますか?」

「ちゃんと行き先もうちの責任者に報告の上、手続きしてから連れ出してます」

「それなら結構です」


 隣の部屋に行けば、朝食が用意されていた。バイゲル侯爵家の兄はバスローブ姿だけど、妹は白いシャツとスラックスといった服装でコーヒーを飲んでいる。

 やはり部屋から出ていないか、廊下を歩いてきたかが服装に反映されるのかもしれない。


「おはようございます、ガストリオルドさん、フィオレファルナさん。えっとまだこんな格好ですみません」


 貴族としての立場上、様付けで呼ぶべきなんだけど、そういうのは王城や舞踏会や茶会の時だけ気をつけてくれればいいと言われた。貴族としての礼儀を重んじてしまうと、あちらも僕を様付けしなくちゃいけないからだ。僕、まだ子供だし。

 だからネトシル少尉と同じ対応だ。普通にさん付けで呼ぶ。


「おはよう。心配しなくても学校まで送らせよう。荷台に大型二輪ぐらい載せられる」

「早起きなオオカミさんね。おはよう。兄の子供達なんて朝はもっと髪もぐしゃぐしゃよ。さ、冷めないうちにどうぞ。ごめんなさいね。基地の食事はあまり選べないのよ」

「十分です。普段も決まったものしか朝は出ません」


 椅子に座ると、オレンジジュースがコップに注がれた。

 食べられないものがないかどうかを尋ねてくるバイゲル中佐だけど、ネトシル少尉は兄の方とぽんぽんやり合っている。


「冗談やめてくれよ。上等学校に軍用車両つけられた日にゃすぐに報告されるだろうが。到着早々、事情説明なんて俺は嫌だぞ。てか俺、今日はウェスギニー子爵邸に送迎で行かなきゃなんねえの。ファルナ姉上、二輪置いてくから四輪貸して。でもってルード君、上等学校に送ってってくれよ」

「置いていくも何もあの二輪は私のよ。どのタイプがいいの?」

「ロレルの黒か茶か白。四人か六人乗り。エインレイド殿下を乗せることもあるから整備済み、映像記録はセントラル仕様で。もう出ねえと間に合わねえ」

「そういうことは昨夜の内に言いなさい」

「ねえわけねえし」


 すると僕を起こしに来ていた人が口を開いた。

 頭がしっかりしてくれば、朝の光が室内を明るく照らしていることもあって、黒髪に思えたけど実は濃い紫色の髪で、黒い瞳に思えたけど暗い紺色なんだなって分かる。


「それならこちらで用意します。駐車場までどうぞ」

「ありがとうございます。お世話になります」


 多分この人が朝食を運んできてくれたと思うんだけど、もしかしたらネトシル少尉よりも階級が上なのかもしれない。


「ウェスギニー子爵邸なら連れていけばいいだろう」

「送迎は仕事、ルード君とはプライベート。この子は寮生活してるから手続きさえしとけばウェスギニー大佐までの報告で終わるんだよ。・・・じゃあルード君、また放課後に。アレナフィルちゃんにはユニシクルボールの集中レッスンが入ったから行けないって説明しとくよ」

「はい、リオンさん。トーストだけでも持ってく?」

「大丈夫。あっちの送迎時は朝ごはん出てくるのさ。お茶会レッスンに合わせてちょうどいい量なんだ」

「あ、そっか。うん、行ってらっしゃい?」


 考えてみればここで置いていかれるのもなんかおかしくない? この人達、僕の母を殺した人の兄妹なんだよね?

 問題はこの兄妹、そのことをもう気にしていない感じなんだよ。そりゃ僕も喧嘩腰なわけじゃないけど、妹が殺人することになった夫婦の子供に対して何も思わないのかな。そりゃ逆恨みされても迷惑だけどさ。

 うーむ。よく分からない。

 ネトシル少尉がいなくなったら三人の朝食タイムだ。


「思ったよりグラスフォリオンとも仲がいいんだな。あいつが子供の面倒をみることができるとは思わなかった」

「本当にね。別れた後の相手の交通手段なんて全く考えない子だと思ってたわ」


 二人の評価が散々すぎる。


「リオンさん、とても面倒見いい人です。毎朝、僕に護身テクニック教えてくれます」

「ほう。ならば少し体を動かしていくか?」


 士官達の早朝練習に混ぜてくれるというので、僕は朝食後に参加してみた。

 ハードにやるんじゃなくて柔軟な肉体づくりがメインらしい。へばるまで体を動かしてしまうと、朝の書類仕事に差し支えるそうだ。


「そう、ゆっくりと踵を上げていけ。あくまでゆっくりとだぞ? ・・・うん? 子供で体重が軽いからか。あまり訓練にならんな」

「重量がないからなぁ。その分、身軽に動けそうだな。瞬発力もあるし」

「じゃあそっちやってみるか。どこまで跳躍できる?」


 訓練場にいた人達がそれぞれ声を掛けて指導してくれた。足さばきや腰の動かし方にクセがついていたらしく、上半身のトレーニングを重点的にコーチしてもらった。


「へぇ。この子がウェスギニー家の子か。うん、エインレイド殿下とはどれぐらい仲がいいんだね?」

「お見掛けしたら挨拶させていただくぐらいです」


 学校があるのでと逃げられたからよかったけど、やっぱりどこも油断できない。

 そろそろ時間だからと言われて引き上げたけれど、廊下の曲がり角の向こうでひそひそと話している声が聞こえた。


――― 親が親なら子も子だな。母親の命を金に換えて、しかも恥ずかしげもなく取り入ってやがる。

――― あのウェスギニーの子供だ。そんなもんだろ。

――― 娘はガルディアス様とネトシル侯爵家に取り入ってんだろ。そして息子はバイゲル侯爵家かよ。いい気なもんだ。

――― プライドってもんがないのさ。そうでなけりゃどうして・・・なあ。


 もしかしたら僕に聞こえるようにわざと言っていたのかもしれない。


(なるほどね。ここでブチ切れて喧嘩騒ぎ起こせってか。時間の無駄だ)


 教えられたシャワールームに行って制服に着替えれば、朝、僕が目覚めた時にいた男の人がドアの外で待ち受けていた。

 送っていくねと言われて駐車場から回してあった移動車に乗せられたけど、そういうのってもっと低い階級の人がやるんじゃないかな。


「上等学校の駐車場に送迎で乗り入れることは許されていないので、近くで降ろしますね」

「はい、ありがとうございます」


 後部座席に乗るように言われ、スムーズに動き出せば何でもないことのように尋ねられる。


「さっきの聞こえてたんだろう? 怒らないのかい?」

「・・・怒る時間も余裕もないです」


 なんでそんなこと尋ねてくるんだろう。

 もしかしてこの人もそうなのかなと、そんなことを思った。


「なるほど。妬まれるのも陰口も慣れてる?」

「・・・よく分からないです」


 この人の立場が分からないから、僕もどう答えればいいか分からない。それとも心のままにぶちまけていいんだろうか。それ、アレナフィルの専売特許だよ。

 想像してみよう。妹があんな悪口を聞いたらなんと言っただろうか。


――― え? そんな人達いたの? フィル、今の時点でも評価外、永遠に興味ない。


 うん、それぐらい言うね。最初から目に入れてないよ。

 それでいて言われっぱなしってのも違う気がするんだよね、うちのアレナフィル。


――― 所詮、どんなに足掻(あが)いても足元にも及ばない。そんな人達ってね、こそこそ悪口言うしかできないの。フィル、羨ましがられすぎて大変。あっちでもこっちでも、フィル、嫉妬されてばかり。


 うん、それぐらいみんなに聞こえる声で言いそうだ。それも悲しげに目を潤ませてね。

 そして相手をブチ切れさせるんだよ。

 妹と違って大人な僕は、やはりそこまで喧嘩を売り返す気にはなれない。

 僕は男だからああいうこと言われちゃうんだろうしさ。

 妹が聞かされるならせいぜい父の悪口ぐらいだろうなって気がした。だってうちの妹、男に好かれやすい子だもん。しかもすぐ泣いて大人に言いつける。

 あんな子にひどいこと言って泣かしたら、誰もが問答無用で悪者にされて妹ってば完全不戦勝だよ。アレナフィルをいじめる奴なんてまずいないよ。だってすぐ泣くし。

 そうなると父親を悪く言われて妹は傷つくんだろうか。

 傷つく? あのアレナフィルが? たとえすぐ泣いたとしても、それは自分が甘やかされたいだけのアレナフィルが?

 想像してみよう。妹が父の悪口を聞いたらなんと言っただろうか。


――― パピーってば世界中の男に嫉妬されちゃうの。どこまでも素敵なんだもの。魅力的すぎて罪なパピー。ここの人達、追いつけないレベル違いに腐るしかないんだね。


 うん、それぐらいみんなに聞こえる声で言いそうだ。そして相手の体を父と比べて馬鹿にするんだね。

 どうしよう。ムカッとしていた気持ちが一気に消えてしまった。


「この質問って、答えなきゃいけないことなんですか?」

「そうだね。教えてくれると嬉しいかな」

「はあ」


 バイゲル侯爵家(兄)の部下だから僕に興味があるのか、それとも僕に対する個人的な嫌悪感があるのか、そこが不明だ。


「はっきり言ってそんなことより優先することが多くて、どうでもいいです」


 父は何を考えてあのチケットとパンフレットを渡してきたんだろう。ああは言ってみたけど、いくら父でも中身を見てなかったってことはない筈だ。

 何も考えてないというオチが一番ありそうで恐ろしすぎる。


「普通、家族や自分を侮辱されたら怒るんじゃないのかい? それとも我慢する負け犬根性が染みついてる?」

「え? そこまであの人達、大物だったんですか?」


 しーんと移動車内が静かになった。


「言うじゃないか。小物だからどうでもいいって?」

「あれ?」


 駄目だ。

 あれだけフォリ先生や寮監先生達、そしてオーバリ中尉と一緒に過ごしたものだから、なんかもうあんなこそこそ言ってるようなみっともないレベルなんて目に入らなくなってた。

 だって貿易都市サンリラで、王宮に所属する近衛士官達が教えてくれてたし、フォリ先生付きだけあってみんな経験が違うって感じだったんだ。基地の人達もお互いの得手が違うとか言ってたけど、やっぱり選抜されてるだけあって判断スピードがめっちゃ速かった。大公家の人達は護衛ではなく雑用ですよって言ってたけど、雑用係どころか実はめっちゃ優秀な人達だったらしい。

 

(バイゲル侯爵家やネトシル侯爵家に取り入る前に、僕とフィル、王族との接触率が高すぎだもんなぁ)


 今だって毎週のようにレスラ基地でもかなり偉い感じの人達が親切に教えてくれている。

 もしもサルートス上等学校が攻撃される時はどういうケースがあり得るか、その際に警備棟はどういう動きを取るか。その際は、どこに逃げこんで救助を待つか。

 戦略的なものまで専門家が雑談しながら教えてくれていたから、あんな陰口叩くしか能のない人達なんて本当にどうでもよくなっていた。

 だって僕、考えなきゃいけないことが山積みなんだ。

 父が手配してくれたあのプロテクターだって、嬉しかったのは最初だけ。

 そもそもアレを使うのって何を想定しているかってことだよ。そんなもの渡されておいて、役立たずだったなんてことになったら僕の立つ瀬がないよね?

 だけど僕、まだ上等学校生なんだよ? それでいて鍛え続けている軍人レベルの働きを要求されるの?

 自分の仕事を恐れ多くもフォリ先生に押しつけるような父を持ってると大変なんだよ。

 何かが起きた時には、僕は軍でも選抜チーム並みの結果を出さないといけないって意味で、かなり責任重大なんだよ。

 うちの父の無茶オーダーが暗殺したくなるレベルでひどすぎる。


「どうでもいいわけじゃないですけど・・・。別に今後も会うことない人ですよね?」

「そんなこと言っていいのかな? うちの基地で可愛くない態度とったらお父上が困ると思うよ。君だって軍に入るんなら敵は増やすべきじゃない」


 僕は少し考えた。

 あの父は少しぐらい困った方がいいような気がする。


「アレンルード君?」

「・・・ああ、いえ。何をしたら父が困るかなって考えてました」

「やっぱりお父上が困ることはしたくない?」

「どのレベルだと困るんですか?」


 勝手に外国人と婚約したり、外国兵器を密輸しようとしたり、豪華接待旅行を三年間婚約者に貢がせたり、フォリ先生に豪華列車旅行をおねだりしたり、しかも今回は第二王子と初めてのグループ旅行に行こうとしている14才の娘を持つ父にとって、息子が知らない人達から嫌われ、陰口を叩かれるってことは「どこまで困ること」なんだろう。

 この問答にしても、父にどれ程の影響を与えられるだろうか。


「レベルって?」

「えっと、そもそも父のこと、どのくらい知った上で言ってます?」

「どのくらいって・・・」


 娘が誘拐されると分かっていても、軟禁される場所の合鍵作ってのんびり眺めていたような男だ。

 息子がどこかで嫌われて敵を増やしたとして、父は何か感じてくれるだろうか。


――― ねえな。


 うん、ねえよ。確実に何も思わねえよ、あのクソ親父。

 それに僕、軍に入る気ないし。

 まちがって軍に入る時はレスラ基地希望。サラビエ基地と近衛からも既に勧誘受けてる。

 オーバリ中尉のところは論外として考えない。


(ここまで毎週のように面倒見てもらってるから、やっぱりレスラ基地だよね。うちからも近いし、叔父上の知り合いも多いから面倒見いいし)


 この人、あまりうちの情報を持ってなかったらしくて、彼はそこで黙り込んでしまった。

 こういうの、僕が嫌みを言ったみたいでちょっとヤな空気。


「たしか軍って、最初に所属したところがベースになるんですよね?」

「そうだね。だから君のお父上もうちのフォグロ基地がベースなんだよ。勿論、異動はあるけどね。だけど出世の度にそれぞれのベースに戻る。君も軍に入るならフォグロ基地からとなるだろう。あいつらだって君の上官の一人になる」

「特に僕は軍に入る予定ないですけど、入るとしても最初の所属は違う基地を希望すると思います」


 うちの父上が所属しているところをベースにしても苦労するだけじゃないか。うん、レスラ基地だよ。当たり前だろ。

 その言葉は、彼を不快にさせたらしい。


「父親の七光りは不要だって? さすが余裕だね」


 知らない奴が勝手なこと言うんじゃねえよ。

 七光りって何のこと? 僕に向かって父からぶっ放される火焔弾のこと?


「幼年学校生だった僕を言葉の通じない敵地、しかも誘拐した子供達を兵士に仕立てる為の村に説明なしで置き去りにした父ですけど? そこを父達が襲撃してくれたおかげで僕は一気に村にいた民兵全員からのなぶり殺しルート。

 殺される前に助けてくれましたが、火炎放射弾だの強酸散布弾だのを使った村の焼け残り部分の始末、そして数十人の殺害を僕にやらせた挙句、

『お前は子供だからね。見るだけにしといたけど楽しかっただろう?』

と微笑む父親の下に入って、どんな七光りでいい目を見ることができるのか教えてもらえますか?

 勿論、あの人達は大人なんだから一人で外国の敵地に置き去りにされて檻に閉じこめられた状況から工作活動に入るなんて目じゃない過酷な任務をばんばんこなしてるんですよね?」


 自分でも言ってから思った。

 うん、ねえな。

 あんな陰口程度でオタオタする必要、完全にねえわ。


(考えてみれば父上が悪評なんか気にするわけないか。噂なんて所詮噂だよ。心臓も頭もぶち抜いてかない)


 朝の道路をスムーズに移動車は走っていく。

 さすがに運転してる人もしばらく沈黙していた。


「もしかして・・・、君、父親を憎んでる?」

「いえ、それはないです」

「恨んだりしないわけ? そんな所に連れていかれて利用されても」


 僕は少し考えた。あの時はプレミアムチケットもらったし、軍用犬と遊ばせてもらったし、別に恨む程のこともなかった気がする。信用はしないけど。

 何かとフォリ先生や寮監先生達も僕に同情してくれる。

 だけど僕は父を信用できないって思ってるけど、嫌いになったりはしなかった。

 恨んだり憎んだりもないと思う。それは普通じゃないんだろうか。


「じゃあ、父がそれをしなかったらどうなったんですか?」

「・・・え」


 あの時、父のチームの人だって僕を使うことには悩んでいた。子供だからって。だけど子供じゃないと意味がなくて、あの集団があれ以上に力をつけてからでは遅かったんだ。

 あれから僕は本を読んだ。新聞も読んだ。オーバリ中尉からだって話を聞いた。

 たしかに僕は人を殺したし、破壊活動に関与した。それは罪なのかもしれない。でも、それで無力な村人がなぶり殺しに遭うことの確率は激減したわけだ。

 僕が参加してない特別作戦もあって、きっとあの人達はそちらもこなしていた。

 恐らくその国の上層部とサルートス王国上層部との取引があったのだろう。軍に押さえつけられているそこの王族は、軍が飼っているあいつらを潰さなくては民を守れなかった。


(だから誇りに思える。・・・あの父だけは僕のスポーツクラブを止める教材にしただけでも)


 うちの父は身勝手な人だし、説明もいい加減だし、叔父に押しつけて後は忘れてたりするし、本当に自由すぎてどうしようもない人だ。

 だからみんなプンプン怒りはするんだけど、祖父や叔父、そして他の人達も父の仕事を評価している。

 アレナフィルが隠していたあのファレンディア人のことさえ既に父は把握していた。父はきっと表面のことだけじゃなく、誰も知らないことまで知った上で動いている。


(アンジェラディータって人がいる母上の故郷。そこに行けば、フィルだけがあのユウトさんと家族っていう謎が解けるんだろうか)


 思えば僕、亡くなった母のことより生きてる妹のことでバタバタだよ。父や母への侮辱を悩む暇もないよ。

 考えこんでいると、運転している彼が話しかけてきた。


「お父上は君にそういうことを話してくれるんだ?」

「いえ、特に」

「それでも信じてる?」


 なんでこんなに絡むのかな。暇なのか、暇なんだな。


「信じるも何も、父は不在が多くてほとんど顔見ないです。会話もそこまでありません。だけど、・・・僕が尊敬できる人達が父を評価する。だからそういうことなんだろうって思います」

「君が尊敬する人達って誰なの?」

「・・・なんでそこまで父のこと気にするんですか? 今、父はフォグロ基地に所属してないですよね?」


 僕を起こしに来た時はいい人だったのに、僕が父の子供だと知った時点でそれはなくなったみたいだ。

 もしかして父に恨みがあるんだろうか。


(恨みか、恨みねぇ。あの父上を恨むなんて無駄なことを)


 基本的に父は人の感情を気にしない人だ。

 だから家族に対して自分の種の印で嘘をついてもそのことを忘れてるし、子供達の保護者責任を弟に任せたら後は放置だし、大切な王子様関連の仕事でさえフォリ先生に押しつけてどこかに行ってしまう。

 普通は恐れ多すぎてやらないってこと、分かってないんだ。だからうちの妹まであんな身勝手な子に育つんだ。


「君は、アンジェラディータ様のことをどう思ってる?」

「昨日初めて聞いた名前です。何を思う以前に知らない人です」

「・・・自分の母親の、・・・(かたき)でも?」

「その人に何か思い入れがあるんですか?」


 僕は後部座席にいて、その人は運転用座席にいた。だから顔は見えない。

 そして僕にはあれこれ質問したくせに、僕の質問には答えなかった。

 それってかなり卑怯じゃないの?

 沈黙だけが漂ったまま、僕はサルートス上等学校近くの場所で降ろされた。


「送ってくださってありがとうございました」

「いや。・・・態度が悪くてすまなかった。君は何も悪くないのに。そして、無神経なことばかり尋ねてしまった」


 実は自己嫌悪に陥っていたのだろうか。


「別に理不尽な恨みには慣れてます。僕、王子様を避ける為に平民しかいない男子寮に入ったら、何故かみんなの裏をかいて王子様が男子寮にいたってんで悪評が轟いてますから。

 その時点で寮監先生達からはどんな抜け駆けルートで入寮しやがったんだと全ての行動を監視され、殿下がいらしたと知って退寮手続きを保護者に頼めば、その間に僕の無罪は調べ終わったらしくて、今度は殿下を守る為に退寮はするなと命令されて、全貴族令息の憎しみ街道一人旅。

 僕が十人近い貴族の子達に囲まれて王子との縁を繋ぐよう脅迫されていても教師は見て見ぬふりで助けてくれないし、それでいてその要求を聞いたら今度は王子を警護している方面から僕が叱責どころか処罰されるという救いのない日々を送ってます。・・・毎日のそれをこなしているだけで手いっぱいな僕には、十年前に亡くなった母のことで悩む時間も余裕もないんです」

「・・・・・・」

「だから気にしなくていいです。僕の悪口を言う数百人が、数百数人に増えた程度でしょう? 別に悪口なんて爆発もしなければ刺傷させるわけでもないです。あなたがアンジェラディータさんって人に肩入れして僕を憎むのもあなたの自由だと思います」


 兄に負け犬呼ばわりされていた人だけど、みんながそう思ってるわけじゃないんだろう。

 クールに言ってみたけど、口に出したら実は悲しかった。

 なんで僕はそこまで憎まれなきゃいけないわけ? 母を殺されてそれでも憎まれたり妬まれたりしなきゃいけないわけ? なんで僕ばかりがそんなことを要求されるんだよ。


「事情も知らず悪いことを言った。君を、憎んだりはしないよ。知りたかっただけなんだ。あの人は・・・・・・。いや、すまなかった。聞こえよがしに言い放っていた奴らはきっちり処罰しておこう。君は何も悪くない」


 結局、その人は僕に何も教えずに去っていった。

 言えよ。説明しろよ。一人で完結されても気持ち悪いんだよ。





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