61 眠れぬ夜はウサギを語る
父は言った。
「これが猫ならば産まれて一年も経てば立派な成猫。だが、成長の遅い猫は二年近くかかることもあるそうだ。人間ならば十八年も経てば立派な大人だ。だが、生き物には個人差がある。猫と同じだ。十八年かけて大人になる子がいるなら、四十年かけて大人になる子だっていても構わんだろう」
かなり構う話だと思うが、思いっきり強引に父は話をまとめていた。
つまり外国人としての生を加味したところでアレナフィルはまだ子供だと言いたいらしい。
「別に大人の定義など考えなくてもいいでしょう、父上。中身がどうであれ、私の前で可愛く甘えてくるフィルならそれでいいではありませんか。猫は一年や二年で成猫になるかもしれませんが、五年、十年経っても甘えてくる。フィルも同じですよ。我が家にだけ生息するウサギをどう愛でようが私の勝手です」
「父上、そして兄上。まさかあなた達、フィルを本気で動物扱いしてたんですか」
愕然とした表情で非難してくるこの弟だけは、人を責める資格などない。
「あのな、レミジェス。お前に私を非難する権利はない。大体、人んちの子にどこまで金を垂れ流して甘やかしてたか振り返ってみろ。あれでフィルが人間だったらとんでもない我が儘な勘違い令嬢ができあがってたんだぞ?」
「兄上、フィルは人間です」
そういえばアレナフィル、人間だったか。
「フェリルド様・・・。そりゃ昔からフェリルド様は大人びてらっしゃいましたけど、いくら何でも実の子をウサギ扱いはないでしょう。あの子は奥様によく似た娘じゃありませんの。その仕草に思い出を振り返ることもあった筈ですわ」
「いえ、一度も」
「・・・え」
義母のマリアンローゼは、「妻によく似た一人娘独占溺愛説(副題:亡き妻への愛と悲しみは永遠に)」を信じていたらしい。知らない間にそんな美談がウェスギニー子爵邸で定着していたと知った時にはもう訂正しようがなかった。
では何か。他の家族はアレナフィルを愛玩していてもいいが、私はアレナフィルを見る度にリンデリーナを思い出さなくてはならなかったのか?
顔立ちしか似ていないんだが。それ以外、全然似ていないんだが。
亡き妻を思い出すことがあるとしたら、戦地に取り残された女子供を見る時だったろう。庇護者を失い、絶望に叩きこまれるその姿が妻と重なった。
それすらも他国の事情。僅かな感傷と共に風に紛らせるものだった。
(何故、家族間でもここまで誤解が蔓延するのだろう。だから世界に真実など存在しないんだな)
家族や知人達を殺された悲しみと怒りと無力感に打ちのめされ、復讐を遂げても家族や友達の変わり果てた姿を思い出しては魘されていたリンデリーナ。
子供にできるのは勉強と遊ぶ事だけという現実に打ちのめされ、いつか祖国で己の死後を確認したいと願いつつも、ぼんくら役人生活を目指していたアレナフィル。
過去の死を見つめ続けていた妻と、未来の生を見つめ続けていた娘。
顔立ちはよく似ていても、そして同じように眠りながら泣いていても、二人は全く違っていた。
(どれ程に育児や義理家庭との兼ね合いで慌ただしくさせても、常にリーナは生き残ってしまったことへの罪悪感に苦しんでいた。家族や村人が殺される悪夢の中、リーナの心も血を流し続けていた。どこまでもあの村にリンデリーナの心はしがみついていた。同じ過去に囚われているのであっても、アレナフィルのようにこっそり形見の品を盗んでこようと計画しているのとは根底からして違う)
記憶を失う前のアレナフィルと別人であってもかまわないと告げたことが自信につながったのか。アレナフィルは遠慮なく甘えるようになった。中身が私の小さなアレナフィルではなくても、そんな彼女を疎んじる理由はなかった。
そして私は家に戻ってきた時ぐらい、穏やかな時間を過ごしたい。中身が何であっても私を見つけた途端、笑顔で走ってこの腕の中に飛び込んでくる、そんな娘で何の文句があるというのだ。
「全くお前はどこまで勝手なのだ、フェリルド。子供を立派に育てることこそ親の務めであろうが。娘を愛玩動物と一緒くたにするでない。お前に任せておいたらいつまで経ってもフィルは子供のままではないか」
「先に猫扱いしたのは父上ではありませんか。ウサギ扱いした私を責める権利はありません」
私の深い父性愛を、我が父こそが理解してくれない。
娘の為に外国語を覚え、娘の為に講師を私的に雇い、娘の為に成人後には家一軒をくれてやろうとする。これ程に娘のことを考えている父親がどこにいるというのか。
未だかつて私が勝手だったことが一度としてあっただろうか。
【ニッシーさんもそう思いませんか? 嗜好が腐ってようが、外で喧嘩を売り買いしようが、あの子、私の前ではとても甘えん坊で可愛いウサギさんなのですよ。それが演技でもいいじゃないですか。死ぬまで騙されてやっていてもいい。それが父の愛じゃないんですかね】
仕方がないので家族には見切りをつけ、私は外国人の初老男性に同意を求めた。
彼ならば理解してくれるだろう。
【そうですな。どうせ女など男を騙して手玉に取る生き物。自分の前で可愛らしく演技してくれているならそれでいい。愛華は演技どころか、昔からちょっと抜けてるところに心が和んだものだ。たしかに行動はマヌケなウサギですな】
我が家の甘えん坊で可愛いウサギを、カズオミはマヌケなウサギにシフトしてきた。
似ているようでちょっと違う。それでいて完全に違うとも断じきれないラインだ。
【それは言える。フィルちゃんの中身が同じ世代とか言われても、やっぱり外見が子供だったしな。特に、レンにーしゃまレンにーしゃまと言って笑顔を見せられた日には、どうせ二人きりになったら消える幻でも菓子ぐらい買ってやるかと思えたもんだ。だけどあれはタヌキだろ。垂れ目だし】
バーレミアスなど、どこまでもタヌキ扱いである。
明け方までカズオミやバーレミアスを交えて、ウェスギニー家の大人達で話していたが、ある意味とても参考になることが多かった。
カズオミの語るアイカの話を聞くことで、アレナフィルの独特な感性を理解できたからだ。
「道理でフィル、私を血の繋がった祖母と信じていた時もどこかおずおずとしたものがありましたわ。追い出そうとしていた義母以外はどなたも体が弱かったのですね」
「言われてみればマリアンローゼにはあまり我が儘なお願いはしなかったな。いつの間にか知っていたルードと違い、フィルはこの間まで知らなかったというのに」
「たしかに。父上や母上と一緒に出掛ける時も、フィルは何かときつい日当たりではないか、疲れてないかと、母上には気を遣ってましたね」
バーレミアスと私の二人が通訳でいる為か、話はとても弾んでいた。
特に義母のマリアンローゼは、サルートス国とは違い、結婚したらどちらかの姓を名乗るものの、いつでも届け出さえしてしまえば姓を変更できることに驚いたらしい。
ファレンディア国では妻が夫の姓を名乗り、子供も父親の姓を名乗りながらも届け出さえすれば子供の一人だけ母親の姓を名乗ることも可能だとか。反対に夫が妻の姓を名乗り、子供が父親の姓を名乗ることも可能らしい。
カズオミはサルートス語を覚えることに意欲的で、話しながらもその単語や言い回しについて質問してきた。
父のセブリカミオ、義母のマリアンローゼ、そして弟のレミジェスも改めてカズオミからファレンディア国の排他性を聞けば、私がファレンディア語を覚えてもアレナフィルの前世の調査に乗り出さなかった理由を実感したようだ。
【ファレンディア語は地域ごとに独特の言い回しなどがあるし、見たことがない顔なら、まずどこの出かを尋ねますね。スパイかもしれないと思われた時点で秘密裏に報告がなされます。だから外国人が観光地やある程度の街中ならともかく、それ以外の土地をうろつくのは皆が警戒するでしょう。場所を尋ねられたら嘘を答えるのが基本です】
たとえ同じファレンディア人でも他の地域から訪れていたならなかなか信用しないのだとか。同じ地域の人間でも、技術を盗みに来た人間ではないかと警戒するのが当たり前らしい。
ましてや様々な技術の研究開発を行っている研究センターの経営者に、よりによってその経営者の亡くなった娘の外国人の友人の娘というあり得ない繋がりで接触してきたのだから、本来は無視されただろうと、カズオミは断言した。
【愛華が知らなかったのも無理はありませんがね。研究センターには外国からの客人も訪れていたし、ファレンディア人と結婚した外国人研究者もいました。こちらに来たのが愛華の間抜けっぷりをよく知る優斗で良かったですよ。アレナフィルがもっと大人で、他の人間が来ていたなら国家的な罠だと判断されていたでしょう。しかし生まれ変わっても以前の記憶と人格を維持する方法があるなら、それを知りたいところですな】
生まれ変わりなど、どう考えてもあり得ないことだ。誰だって信じない。
やってきたのがアイカをよく知るユウトでなければどうなっていたのか。ただ黙殺されるだけですんだのか。
(やっぱりフィルに尋ねるよりこっちが確実だな)
婚約ということで準ファレンディア人として優遇されるのはどういう仕組みかと父が尋ねれば、それはユウトの価値によるらしい。
【国益に多大な寄与をしていると認められている人間には色々な特権があります。通常なら婚約者一人程度の筈ですが、家族や同行者も同じく準ファレンディア人として優遇されるというのは、優斗の置かれた立場によるものでしょう。たとえば私も研究者ですが、ファレンディアにおいて一夫多妻が認められておりますな。勿論、ファレンディアは一夫一妻制ですが、私は特別なのですよ】
聞けばカズオミ、今まで十人以上と結婚し、一人と死別、残りは離婚したそうだ。現在、独身。
カズオミにとって結婚とは女性に恥をかかせず共に暮らす手段にすぎないとか。
「道理でフィルがさらりと偽装婚約とか言い出すわけです。育ての父親の一人がそれなら、結婚をあまり重く考える筈もなかったですね」
理解を示そうとしたレミジェスの言葉を、カズオミは否定した。
【いやいや、愛華は結婚や家族というものにナーバスな一面がありましたからな。私の結婚は一つしか教えていなかったのですよ。あの子は何も知りません。愛華もずっとセンターにいたなら、特例について知ったかもしれませんがね】
その辺りの法については色々と条件が異なってくるとかで教えてくれなかったが、どこまでもファレンディア国は自国の力を蓄えることに貪欲らしい。だから国家の役に立つ人間であれば、それに応じた特権を与えるのだとか。
結婚をどこまで繰り返したのかと言いたいカズオミだが、その女性達は離婚してもちょくちょくと訪ねてきてはカズオミの世話を焼いてくれたので、アイカの目にはハーレム状態に見えていたそうだ。
「その方々と結婚し続けようとは思いませんでしたの? あちらもそれを望んでいたかもしれませんのに」
マリアンローゼが尋ねれば、カズオミは微笑んでから軽く手を振った。
【あれでよかったのです。妻達はそれぞれの場所で生き生きと暮らしておりますからな。たまに私の所へ押しかけてくるものだから、愛華にはどれだけ女を侍らせているのだという目で見られたものですがね】
懐かしそうに彼は青い瞳を細める。
女にだらしない人はいつか刺されるんだからね、知らないからねと、ぷんぷん怒りながら説教してきたものですよと、カズオミは語った。
「ですが一夫多妻が認められていたということは、つまり優秀な人材であるあなたに対する思惑もあったのでは? 優秀な男女の間には優秀な子も産まれるだろうという期待と言っていいのか分かりませんが」
カズオミは軽妙かつ軽薄そうな言動をとるので惑わされるが、黙っていれば苦味のある顔立ちで気難しくサディスティックな印象の男だ。
多くの女を侍らせて傲慢に振る舞う姿も似合うだろう。
【そのあたりも期待はされておりましたがね。私という木に妻達は疲れた羽を休め、風雨から身を守ったならば、後は飛び立つだけ。しばし同じ時を過ごしても、私はその旅立ちを見送るばかりでしたな。離婚しなかったのは、もう治療が手遅れだった一人だけ。愛華は私達を本当の夫婦だと信じていましたよ。彼女も愛華を可愛がったものだが、延命治療の甲斐なく旅立ちました】
バーレミアスから通訳してもらったマリアンローゼが目を潤ませた。
「道理でフィルったら男性に対して注文が多いと思いましたわ。ニッシーさんを見ていたからですのね」
「本当に女親に恵まれなかったのだな、そのアイカ嬢は」
「それではその治療代負担がニッシーさんにかかっただけでは? あなたは荷物と言っていい女性だけを引き受けたということですか? その言い方では互いの間に男女の愛は無かったのでしょう?」
レミジェスはそこが気になるようだ。
経営者だからこそ、大多数の人は単発的な善行こそできても、それを維持することはできないと考える。
【だから発明家もしているのですよ。副業の商品販売で稼ぎ、本業の研究は大した儲けにはならんということです。研究というものは一朝一夕に結果が出るものではありませんでね。大きなリターンを生むまでは無駄でも金を出し続けなくては結果に繋がりません】
気になっていたのは、たとえ身を守る為でも弟に危険な腕輪を贈っていた姉のことだ。そしてユウトが外国で起こした悲惨な事件。
必要ならば研究者に殺人を許可し、外国を相手取ってでもその研究者を守る国。
刑法について聞いてみたいものだと、ふと思った。
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明け方まで話していたせいか、目覚めた時には昼だった。アレナフィルは、みんながお寝坊さんだとぷんぷんしながら学校に行ったらしい。
サルートス王国には来たことがなかったというカズオミだが、あちこちの国に行ったことはあるそうで、父や義母、弟と話が弾んでいた。通訳は私かバーレミアスだが、簡単なものなら二ヶ国語対比本や身振り手振りで辞書の力を借りつつどうにかなっている。
今日のカズオミは我が家に来た時とは違い、くだけたシャツとスラックスに身を包んでいた。我が家はあまり格式を重んじないと伝えたからか。
(バーレンは学校に行ったが、言葉が通じなくてもどうにでもなってるもんだ)
朝食、昼食、夕食といった単語、そしておはよう、こんにちは、さようなら、ありがとうといった程度の挨拶ならカズオミはとっくにマスターしていた。
そしてカズオミは身振り手振りを交えながら話す。二ヶ国語対比本も持ち歩く。おかげで使用人達とも意思の疎通はとれているようだ。
義母のマリアンローゼも、カズオミがサルートス人ではないので気楽にお喋りできるらしい。思い返せば、乳母として生活していた頃が一番生き生きとしていた。
私ではなくレミジェスにこの子爵家を継いでほしいという願いが見え隠れした頃は、あちこちの貴族夫人の集まりに出かけていたかと、そんなことを思い出す。
(人間というのは周囲の声に惑わされるものだからな。よその後妻は、先妻の子を押しのけることにかなりの手練手管を駆使するものだ)
午後のティータイムの頃にもなると、かなりカズオミは我が家に馴染んでいた。早すぎだろ。
「では、ユウトさんと仲が悪いというのは、あまり考えなくてもいいんですの? フィルが心配しておりましたけど」
いずれウミヘビが届くことを考え、マリアンローゼはそちらとの兼ね合いを案じていたらしい。ついにそこの人間関係を尋ねる。
私も新聞を読みながら通訳するぐらいはできるが、カズオミはサルートス語を早く覚えたいからと、なるべく簡単な挨拶や質問はサルートス語で話しかけてほしいと要望してきた。
今も私の通訳を聞きながら、サルートス語の単語について質問し、その後、その問いに答えることを繰り返している。
恐らく耳をサルートス語に慣れさせているのだろう。
【あの頃は、本来の愛華を差し置いて何をやっているのだと、あそこの製品は全てぶち壊したものですが、昔のことですな。あの小僧にしても何を甘ったれているのだと、苦々しく思っていたものです。ですが愛華が亡くなってしまえば全ては虚しいばかり。今は何とも思っておりませんよ。アレナフィルから聞いた名前だけを頼りによく私を見つけ出したものだと、そこは褒めてやってもいいですからな】
当時、父に引き取られていたアイカは自分の家族に対するカズオミの敵意にびびり、ユウトが興味を持ってカズオミに接触しないよう慎重にその名前や住所の手掛かりになりそうな物は処分していたらしい。
(そういえば幼い頃、ルードを習い事に行かせては自分とバーレンとの時間に興味を持たないよう調整しまくってたな。要は経験者だったか)
ヴェラストールでユウトはアレナフィルからカズオミの名を聞いた。そしてユウトは、あのアイカとユウトのフォトを持って、それまで面識がなかったカズオミを訪ねてきたそうだ。
(異国に暮らす姉の身を守る物を作ってくれと大金持って依頼しに行って、ウミヘビを送る時に受け取りに来るからと伝えた筈が、作成者は何も言わずに行方不明。普通、持ち逃げって言わないか?)
あのユウトに同情してしまうのは私だけだろうか。
しかも大金を受け取っておきながら、カズオミはかつてアイカに渡していた護身用具をそのまま持参したらしい。処分していなかったからと在庫品で済ませたわけだ。
特別オーダー品を受注しておきながら在庫既製品で済ませた男、カズオミ・ニシナ。
【昨日の内に渡してありますからな。あの子も一度死んだら反省したらしい。きちんと身につけておかないからああなったのだと。本当に馬鹿な子は痛い目に遭わないと理解しませんな、ハハハハハ】
【その護身用具の機能が気になるのですがね】
あの腕輪、今では眠り薬程度しか入っていないという話だったが、それまではもっと物騒な物がついていたんじゃなかったか?
私も学校に危険物を娘が持ちこんでいたことで保護者責任を問われる為に呼びつけられるのは遠慮したい。さすがに学校で危険なことはないだろう。プライベートな外出ならともかく、必要以上の物を持ち歩くべきではない。
だが、カズオミは飄々と言ってのけた。
【いや、なに。使い方は説明しておりませんからな。あの子が本当に愛華ならば使いこなせるでしょう】
【・・・あなたもか。ユウト殿もサイズ合わせの仕方を教えずに腕輪を渡したが、あなたもか】
【その気になれば暗闇でも動ける上、どこかに監禁されてもドアを壊せるシロモノですぞ。愛華の記憶がない子供に与えていいものではありませんからな】
結局、私と同じことなのだろう。
信じていても、自分が判断ミスをしていることも視野に入れて保険をかける。思考に他者からの補正がかかっていないかどうか、まずは己の行動にこそ疑いをかけ、冷静に突き放すのだ。
アイカではないアレナフィルならば、カズオミにとって価値はない。アイカの情報を与えられて演じているのではないかと、その疑いを含めて彼はアレナフィルを観察し続けていた。かつての私と同じように。
「別にそんな危ないものを使うことにはならんだろう。そのユウト殿とやらが渡した眠り薬も使わずに持ってるだけだという話ではないか。あれでフィルは限度をわきまえておる」
ドアを壊せると聞いて、父はどこかに閉じこめられたなら鍵穴を壊せるようなものだと判断したようだ。
誘拐されて地下室に閉じこめられるというケースは多い。そういう場所は、捜索してもなかなか見つからないのだ。
(ドアを壊せる、ねえ。ドアも壊せる、じゃないのか?)
父はアレナフィル個人のこういった二世、二ヶ国に渡る事情はともかく、王族にかなり近い位置に陣取ってしまったあの子が狙われる可能性はあると考えている。
「それもそうですがね。フィルには全ての士官クラスに協力要請できる許可が下りていることを教えてあるから無茶はしないと思いますよ」
「そんな許可があるのですか、兄上?」
「ああ、特別許可だ。要は全ての軍の士官クラス、治安警備隊の所轄隊長に協力要請でき、必要とあれば全ての破壊活動や殺傷をも無条件で認める奴だな」
反逆罪などの特別捜査、王族の危険地域における護衛任務、重要人物の保護といった特殊な任務に就く者に与えられる許可だ。たとえ王宮で近衛に所属している者であろうと、簡単にこの許可は下りない。
「それは将軍以上の人間が認め、国王陛下のサインを要し、その条件として全ての法を熟知し、精神的にも頭脳的にも体力的にも技能的にも高水準のボーダーをクリアした者の特殊任務の際にしか与えられない許可だったかと思うのですが。成人しておらず、特殊訓練も受けていない者には決して下りない許可の筈です」
「何事にも抜け道はある。フィルは怖がりだ。そんな子が正当防衛の範疇を調べ始めたなら、それ以上の権限を持たせておけばいい。あの子は慌てると失敗しかしないが、落ち着いてやれば十分に上手くやれる子だ。大体、殺傷が認められるからって人を殺さなきゃいけないわけじゃない。ただ、眠り薬も時に眠りすぎてしまうことはあって、後で責められんよう先手を打っただけだ」
「ああ、そういうことですか。世の中、加害者のくせに反撃されたら被害者ぶる奴はいますからね」
保護者と出かける時は目いっぱいおしゃれするくせに、普段は男子生徒のようなスラックスに鉄板入りのカバンで通学していたアレナフィル。あの子は保護者しか信じていない。
そしてあのアイカ・トドロキのフォト。あれは誰もが振り返る美女だった。仕事を辞めるしかない程に、しつこく言い寄られてばかりだったことも納得できる容姿だ。
(恐らく男女トラブルに関してはかなりの場数を踏んでいる。だから厄介だと思った途端、真面目に対応せず、その場を離脱することを優先するようになったのだろう。男と女のトラブルに説得なんぞ時間の無駄、意味ないからな。あの訳が分からん王子様に近づいたらどうのこうのという奴も、実体験からくる話だったら怖すぎだな)
思い返せばアレナフィルは子供同士であろうと、男女トラブルが発生しそうな時は常に逃げまくる子だった。そこにはもうこりごりだという思いがあったのかもしれない。
そして今のアレナフィルの横には、様々な令息令嬢が近づきたいと考えている第二王子がいる。
(恵まれて育った奴ってのは時に限度を知らずにやらかす。そして狙いを外すことも多い)
そんなことを考えていたら、トントンとノックの音が響いた。
「失礼いたします。お嬢様から通話通信が入りまして、フェリルド様がおいでならフェリルド様に代わってほしいと仰っておいでです」
「この部屋に回してくれ」
「かしこまりました」
どうせ誰もが身内だからと、音声スピーカー対応にしてみれば、明日の午後から行く予定だったヴェラストール行きを今日からにしたいという内容だった。
「おやおや。明日の授業を受けてから行くんじゃなかったのかい?」
『だってパピー、お城の人ひどいんだよっ。どう見てもレイド狙われてるよっ。でねっ、フィル達、とってもとってもお勉強頑張ってるし、来週に明日と同じ授業あるから、それ受ければ大丈夫なのっ。学校長先生にも了解取ったのっ』
「しかし夜行列車でヴェラストール行きか。そりゃ危険はないだろうが、誰かつけるか」
グラスフォリオンが外されたことから察したわけではなかろうが、やはりアレナフィルはそういう危険センサーが発達しているようだ。
(学校長をまず口説き落としているところがフィルだな)
王子エインレイドが様々な令息令嬢から狙われていると気づき、明日を待たず今日の内に逃走するアレナフィルは思いきりがいい。目標に向かって一直線だ。
『それは大丈夫っ。あのね、大公妃様お願いしたのっ。大公妃様ね、フィルにカードくれてたのっ。だけど今日向かったの知られちゃったらまずいのっ。お願いパピーッ、ダヴィとディーノとリオのおうち、今日、うちに泊まるって嘘ついてっ。お祖父ちゃまやお祖母ちゃま、そんな嘘言えないっ。ジェス兄様も後で責められちゃうっ。パピーしかいないのぉっ』
「それはかまわないが、代わりに無事に行って帰ってくるんだよ、フィル」
うちのウサギ精霊は怖がりだが、保身能力も優れていた。王城の近衛に期待できないと思った時点で、もっと強い護衛は誰が出せるかを考えたらしい。
(それでミディタル大公家なのか。どこも文句つけたくないところを早速選んだのか)
父と弟の溜め息が深いが、アレナフィルの行動はともかくとして、その判断能力は評価した様子だ。
娘よ、嘘をついたと後で責められるのが私ならいいのか?
『うんっ。でね、ヴェラストールの鍵っておうちにある?』
「ああ。私の書斎、入り口を入ってすぐ左の棚の中に入っている。ヴェラストールの札がついてる中で、1番の奴だ。鍵は五つぐらいあるけど持っていっていいのは一つだよ、フィル。そしてナンバーは覚えてるかい?」
アパートメントの最上階は、ナンバーを覚えておけば入れるドア、そして鍵で開けるドアがあるのだ。
鍵を持たずにあのアパートメントに行った時の対応策として、実はナンバーを覚えておけば入れるドアの内側に隠し扉があるのだが、そこはまだ教えていなかった。
『うんっ』
「それならいい。お金も必要だろう?」
『フィル、現金もちゃんとお部屋に確保してるの。おうちは、マーシャママに開けてもらうから大丈夫っ。みんなもおうちでシャワー浴びてっていい?』
「勿論だよ。好きにやってみなさい」
『うんっ。でね、カ・・・ニシナさんは?』
「代わるかい? ニッシーさん、フィルから通話が入ってます」
サルートス語でも、名前を呼ばれて通話相手がアレナフィルならば、カズオミもそうと察する。
【やあ、おはよう。なかなか素敵なティータイムを過ごしているよ。帰宅前のお知らせかい?】
〖もう夕方になるよっ。あのね、和おじさん。私ね、明日からの予定が今日からちょっと四日間留守にするの。えっと大丈夫? ヴェラストールっていう地方都市に行くんだ。学校のクラブメンバーと〗
【そうか。私は楽しくやってるよ。通訳もいるしね。愛されているな、アレナフィル】
〖えへへー。そうなんだよ、みんな素敵な家族でしょ。今週はルード、クラブ活動で戻ってこないけど来週なら紹介できると思うの。ルード、男の子なのに私とそっくりなんだよ。おんなじ恰好すると間違える人続出なんだ。それにいつものおうちにもお母さん代わりの人がいるんだよ。お祖母ちゃんとは違うタイプだけど優しいの〗
【それは楽しみにしていよう。ただし、一つ約束していきなさい。何があろうと自分の命を優先するのだと。アレナフィル、一度の過ちは赦そう。だが、二度目はない。私より先に逝くな】
〖・・・うん。大丈夫。だって和おじさんのがあるもん。何もかもなくして、自分が本当に何の力もないってこと、よく分かったの。子供なんて二輪も何も使えないんだよ。だけど今なら私、サルートス最強かもしれない〗
【当たり前だ。それで今度先に亡くなってみろ。犯人を一家もろとも殺すからな】
〖うん、気をつける。レン兄様、私のこと分かってるから何でも言って。大丈夫、今まで十分に恩は売ってる〗
【あっちも同じことを思ってそうだがな。気をつけて行っておいで】
〖はーい。あ、父に代わってくれる? うちの父ってば素敵でしょ。和おじさんと同じぐらいぶち切ってるんだよ。それなのに紳士なんだよ。前の時にお知り合いになってたらゲットしときたかったぐらいにいい男なの。いや、その時は既婚者だった。駄目じゃん。論外。やっぱり結婚するなら叔父しかいない〗
【紳士なら私も負けてないと思うのだがね。まあ、代わってあげよう。えーっと、フェリルドさん。面倒だな、フェリでいいか。私のことはカズと呼んでいいからあなたもフェリにしよう。よし、フェリ。アレナフィルが呼んでいる】
返事を待たずに決めるところがさすがだが、どんな顔をすればいいのだろう。カズオミは私がファレンディア語を理解できることを知っている。
「どうやらニックネームを決められてしまったようだな。どうした、フィル?」
『行ってきます、言いたかっただけ。お祖父ちゃまとお祖母ちゃまとジェス兄様にも、行ってきます言っておいてもらってもいーい? パピー、フィル、強くなるんだよ』
これが己を隠さなくていいという開放感がもたらす変化なのか。
ユウトとヴェラストールで過ごした時からその変化は始まっていたが、アレナフィルはしっかりと地に根を張り始めた。
愛だけでは足りない何かを、やっと埋められたのか。
自分が何者なのかが分からない不安を、ついに消し去ることができたのかもしれない。
「十分にフィルは強いよ。フィルは世界の誰もが逆らえないぐらいの可愛さだからね。さ、夜行に乗るなら自宅でシャワーを浴びてからきちんと髪を乾かして乗った方がいい。乗り遅れないよう早めに行きなさい」
『うんっ。ニシナさん、我が儘かもしれないけど、面倒になったらレン兄様つけてご飯だけ出しておけばいいからね。パピー、大好き』
「ああ、愛しているよ」
アレナフィルからの通話通信を切った途端、ミディタル大公妃から通話通話が入る。
まさかの大公妃からとあって、取り次ぎの使用人もかなり緊張していた。
「大公妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく。娘から連絡が入りまして、こちらからご連絡申し上げようと思っていたところでした。なんでも妃殿下に護衛の手配をねだったとか。図々しい娘で申し訳ございません」
『アレナフィル様から連絡を頂いたのだけど、そちらにも連絡は入っていらしたのね。謝罪の必要はありませんわ。こちらから通話アドレスを伝えていたんですもの。
どうやら滞在先はホテルに泊まってもいいのではないかとアレナフィル様は考えているそうなの。クラブ活動というのは全て自分でやることを重視しているのかしら?』
どうやらそのホテル滞在というのが引っ掛かっているらしい。
「建前としては困難なことも含めて全て自分達でやることに意義を見出していることになっていますが、その実態は自分達がやりたいことを我慢せずやっているだけですので、似て非なるものかと。どうか建前の方を信じてあげてくださいませ。子供達は大人を騙せているつもりなのです。自分でやることを重視していると言うのであればそうなのでしょう」
ふぅっと、疲れたような吐息を聞いたような気がした。
そして私に裏側の意味をくみ取らせることを諦めた大公妃は単刀直入に切り出す。
『ホテルもいいけど、やはり護衛のことを考えるとうちの別邸に泊まらせた方がいいように思うのよ』
「あの子は警戒心が強いので、知らない人の言葉は信用いたしません。護衛の都合があると言えば理解しますので、その際は殿下がよく知っている人間を差し向けてくださいませ。娘は我が家のアパートメントを使うつもりのようでしたが、そうなると本当に大公家から護衛を出してくださるのでしょうか」
『当たり前でしょう』
別に子供達がどこに滞在しようが安全ならそれでいい問題だ。
アレナフィルは興味ない人間の顔は覚えない子なので、王子が知ってる顔の人間を差し向けてくれと、私は頼んだ。
「こちらも今から護衛できそうな人間を招集するとなると誰が間に合うかを考えていたところだったのです。それではどうぞよろしくお願いいたします。私も一人で子供達の護衛というのは辛いところでした。それでは私は行かなくてもよさそうですね」
『自分の身分と立場をお考えなさいっ。どうしてあなたが自ら子供達の護衛をすることになるのっ』
プチッとオフにされたのだが、相変わらず怒りっぽい人である。
ミディタル大公妃には心が穏やかになるものが必要だ。
「さて、クラブメンバーの家に、うちに泊まるということで連絡か」
「それはこちらでしておきましたよ、兄上」
「まったくフィルは分かっとらん、けしからん子だ」
違う部屋に行っていた父と弟が戻ってくる。
二人で手分けしたなら早かっただろう。
「納得したのか?」
「明日から行くことになっていたが、色々とうるさいことになったので、今日はお宅の息子さん達はウェスギニー家で泊まるということでご了承願いたいのですがと言ったら、どなたも快くご了承してくださいました。他から問い合わせがあっても、うちに泊まっていると口裏を合わせてくださるそうです。どうも殿下のお友達になれたのも成績が上がったのもフィルのおかげだと思っているようで、うちに全部任せるといった感じでしたよ」
「大体、何が嘘は言えないだ。嘘を言わずとも事情を伝え、そういうことにしておけばいいだけではないか」
アレナフィルはこっそり事を運ぶ為に皆を騙さなくてはいけないと思ったのだが、騙さなくても本当のことを話した上で嘘の理由で通してくれとお願いすればいいだけである。
クラブメンバーに第二王子がいる以上、それぐらいは誰だって理解するものだ。
本当にアレナフィルは分かっているようで分かっていない。
「あの子なりに迷惑をかけずにやりたいことをやってるだけなんですがね」
「兄上はいいですよね。私にはそんなことも任せられないと思ったんですよ、フィルは。薄情な子だ」
私を指名したのは、レミジェスでは力不足だという理由だ。それを不満に思っているらしい。
だが、後でウェスギニー家に泊まっていなかったことが判明して責められるなら私でいいと判断したわけで、どちらにアレナフィルの愛の比重が傾いているのかが今一つ分からない。
「いいじゃないか。それこそフィル、ニッシーさんに何を言ってたと思う? 前の自分だった時に知り合って手に入れたかったぐらい、うちの父はいい男だと自慢した口で、いや、その時は既婚者だから駄目だ、対象外と即座に撤回。やっぱり結婚を考えるならお前だったとか言ってたぞ。おかげで彼にはにやにや笑われるし」
「おやおや。あんな美女から本気で結婚相手として評価されていたとは嬉しいものですね。しかも中身がフィルですか」
くくっと笑うレミジェスも本当に拗ねているわけではないのだろう。
早まるな、アレナフィル。こいつはお前にはとても甘くて優しい叔父かもしれないが、常に連れ歩く女をとっかえひっかえしている男だ。
そんなことを思っていたら、警備棟から連絡が入った。
警備棟に所属するアルメアン少尉だ。本日の帰宅時の移動車を運転する係だったとか。
『すみません。本日はクラブメンバー全員をヴィーリン夫人のお宅を経由して大佐のご自宅に送り届けて戻ったところ、男子寮に殿下の外泊届があったというので、寮監メンバーがブチ切れておりまして・・・。どうしましょうか』
連休はガルディアスも行事に出席予定なので、今日からもう男子寮にいなかったらしい。それにドルトリ中尉も同行していた為、他の寮監メンバーは男子寮のことで忙しく動いていたそうだ。
連休だと帰省する寮生も多く、明日の昼からばたばたと外泊届が出される。今日の内に出しておく寮生もいる。
そして警備棟も普段ならクラブの様子をチェックしているが、どうせ放っておいても安心な子供達だしと、今日は映像を見ていなかったらしい。
クラブメンバーに女の子一人というのは、どうしても男女交際的に何かあってはいけないと思われがちだが、あのクラブにおいてはベリザディーノとダヴィデアーレがアレナフィルに対して令嬢の慎みについて説教態勢が常に発動中だ。
警備棟だって校内チェックといった作業、門扉や塀の安全性、堅牢性の確認など、多岐にわたる仕事がある。
送り迎えしてほしい時刻になったら呼びに来るアレナフィルだから安心して放置していたそうだ。
「外泊届のどこに問題があったんだ?」
『それが・・・。
外泊先:よく分からないけれどみんなと行く所。
外泊理由:アレルいわく初めての平民旅行体験。
になっていたからだと思います』
世間知らずな王子様は、真面目に考えて書いて提出したのだろう。いや、面白がっていたかもしれない。
(別に何も出さずに家出したわけじゃあるまいし。どこのお姫様を守ってるつもりなんだか)
人数が多いので少し大きめの移動車を使い、警備棟メンバー三名で送り届けた先があの高い塀に囲まれた家である。クラブメンバー全員、今日はウェスギニー子爵邸に泊まると聞き、明日からの旅行を皆で相談するのだろうと思って、にこにこと運転しながら話を聞いていたらしい。
ウェスギニー子爵邸まで送っていきましょうかと尋ねたら、大丈夫だと断られたとか。
それでも一応、子爵邸からの迎えが来るまでは見守っておこうと、離れた場所に移動車を置いて塀の角に隠れて見ていたら、肩をポンと叩かれた。
振り向いたらミディタル大公家に所属するという男女達がいた。様々な私服を身につけた彼らから、
「お疲れ様です。ここからは私共が引き継ぎいたします。この後は幾つもの護衛チームが組まれておりますが、私共はここからの移動を担当しております。制服でないのは目立たぬためで、非礼はご容赦を」
と、挨拶された。
聞けばクラブメンバー、連休中の旅行に関して様々な貴族達に情報が流れていることが気に入らなかったらしい。
もう近衛から差し向けられる護衛など信じられないと、出し抜くことを考え、その上で何かあってはまずいというので、ミディタル大公家に護衛の提供をお願いしたのだと説明された。
そんな勝手をして大丈夫なのかと思ったが、未成年者だけで動くわけでもなく、ちゃんと護衛も手配している。それもエインレイドにとっては叔父にあたるミディタル大公家。
大公家の護衛ならば実力も申し分なく、あのアレナフィルならそういう変則技もぶちかますだろうと納得した警備棟メンバーは、それならば後はよろしくお願いしますと言って戻ってきた。
すると王子の外泊届を見た男子寮の寮監達が、ブチ切れていた。
あの小娘はどこまで王子を汚染してくれやがると、ブチ切れていた。
「仕方がない。子供達は今日、このウェスギニー子爵邸で宿泊予定だ。そう記録しておいてくれ」
『大佐。まことに失礼かとは存じますが、その真実は?』
「平民旅行体験じゃないか? これからヴェラストールに旅立つそうだ。王族の護衛についてはかなり詳しい大公家がつくわけだから心配は要らんだろう。苦情はクビ覚悟で大公家に入れておけ」
『・・・そんな殺生な。分かりました、そう伝えておきます』
うちの娘は娘なりになるべく人に迷惑をかけないよう、そしていつでも安心安全な日々を送ろうとしているつもりだが、王族やそれを取り巻く人々の仕組みを分かっていない。
だからこういうことになるのだろう。
そんなことを思っていたら、先程の通話で興味を持ったのか、カズオミがうちの父に問いかけていた。
【ヴェラストールとはどこですか? えーっと、
「どこ? ヴェラストール。私、ベラスト、知ってる。ヴェラストール、知らない」 】
ちょっと発音がおかしかったが、サルートス語を積極的に覚えようとしている意気込みは伝わるものだ。
父もファレンディア語を覚えるよりもその方が有り難いと思ったらしい。
「ヴェラストールの場所ですかな? では、地図をご覧になるといい。地図は違う書斎にあります。どうぞこちらへ。ベラストはたしかロマネートの首都でしたな。ベラストを訪れたことが?」
「ヴェラストールでしたらサルートス語ですけど、フォト付きの本がありますのよ。持ってまいりますわね」
「マリさん、ありがとう」
マリアンローゼが部屋を出ていったが、図書室へヴェラストールの本を探しに行くのだろう。
ロマネート国は島国で、我が国ともそこそこ貿易関係を結んでいた。
「セブ、ベラスト、知る。私、カズ、呼べ。三番目の妻、ベラスト、いた」
「はっはっは。カーズですな。なんとロマネートのベラストはそれで知っておられたのですか」
父はカズと言えずにカーズと呼んでいた。カズオミは気にする男じゃないが、ニッシー呼びはどこに行ったのか。
「ベラスト、女、権利、ない。女の仕事、結果とお金、男、もらう、あります。口座、男だけ。戸籍、男だけ。学校、卒業、男だけ。女、学ぶ、できる。だけど女、資格、もらえない。女、戸籍、ない」
「なんと。それは知りませんでしたな」
「外国、文化、沢山。セブ、マリさん、外国、行く、楽しい。ファレンディア、行く、案内する。私、自分の船、来た」
「それはいいですな。ファレンディアとは。ん? 自分の船? カーズは船を持っているのですかな?」
「私、船、持つ。フォト、見る。船、サンリラ。船、停泊、契約、三ヶ月」
ちょっと待て。この男も自家用船で来たのか。
「セブ、部屋、行く。船、フォト、見る」
「それなら地図も持っていきますかな。どんな船なのか楽しみだ。外洋にも出られる船とは」
「船、便利。セブ、マリさん、ファレンディア、旅行、行く。案内する」
「それならフィルの方を連れて行きたいのでは?」
「私、アイカの家、嫌い。私、アイカ、アレナフィル、好き。だけど、アイカの家、嫌い」
「分かりますぞ、うむ」
対比本を見ながら会話を進めていくカズオミだが、面倒なので私はファレンディア語辞典とサルートス語辞典を出しておいたら、既にカズオミが私物化していた。ペンと紙も大活躍だ。
言葉のハードルがあっても世代が近いせいか、父と話が弾んでいる。
二人は肩を叩きながら出ていった。
「なるほど。単語を先に多く覚えてしまえば会話は成り立つのですね」
「その前にカズも船で来たならフィルがファレンディアに行くことができるということだろう。レミジェス、お前も行ってこい。どんな船か知らんが、あのフィルなら気づいたら海の上かもしれん」
「フィルの家というか、アイカ嬢の家を嫌ってるとか言ってましたけど。実際、彼なら入れないのでは? 今のフィルもただの外国人です。そんなことより兄上、お話があります」
「分かってる。この後だろう。一緒に行くはずのお前が置いていかれたわけだ。ミディタル大公家で預かってくれるなら行く必要もなさそうだが」
私も頭が痛いのだ。
護衛に関しては心配いらないだろう。しかし出し抜いた後のことを考えているのか、アレナフィルは。
はー、やれやれと、私は息を吐いた。
「何だかなぁ。これでこの週末は静かになるんだろうが、私の癒しウサギは結果的に殿下を一人占めして皆を出し抜いた身勝手令嬢の名を背負うことを分かってるのかな。困った子だ」
「兄上。困った人なのはあなたもです。昨日からバタバタしていて言いそびれていましたが、ルードから連絡が入っていましたよ。何を考えておられるのですか」
どうやらレミジェスは私と二人きりになるのを待っていたらしい。
「ああ、忘れてた。しかし分かっただろう? フィルはリーナに対して何の思い入れもない。それならルードしかいないじゃないか」
「そりゃそうかもしれませんが、ルードはまだ子供なんですよ?」
「じゃあ何才になればいいんだ?」
「もういいです。ルードにはこっちで対応しておきます」
「ん、任せた」
ぷりぷり怒ってレミジェスも出ていった。
一人残された私は少し寂しい。
(フィルなら膝に座って、やっぱりパピーが一番素敵、パピー大好きって甘えてくれるのに、今や息子はそんなことしてくれないし、弟は育ちすぎたし)
子供の旅立ちとは寂しいものだ。
夕方になってバーレミアスとその妻アリアティナも戻ってきたが、夕食の際にアレナフィル達が夜行列車でヴェラストールへ行ったことを聞いても、「へー」「あらまあ」といった反応だった。
何故なら、
「アレナフィルには内緒ですよ」
と、こっそり教えてもらったカズオミの話が面白かったらしく、そちらにのめりこんでいたからだ。
アレナフィルのクラブ旅行は、どうせ数日後には戻ってくるんだしと、大した感慨もなく流された。
(幼年学校時代からしっかりしていて成績もいいんだし、フィルは放っておいていいってことか。普通はこういう判断なんだよな、誰しも。子供同士で出かけたところで、初めての冒険って奴じゃないか。その中の一人が王子だったというだけで誰もが騒ぎすぎだ。全く過保護すぎる)
異国の婚姻文化も様々なので、それを説明されるなら子供がいない方がよかったというのもあるだろう。学者というのはまた違った扱いをされるようで、文化的な物もかなり見学していたようだ。
「まあ。女系で家を継ぐといったことは聞いたことがありましたけど、新婚時代は夫の家で暮らすとは思いませんでしたわ」
【妻は、女が後を継ぐことは知っていたが、結婚する時は男の家で暮らすとは知らなかったと言っています】
【子供が誰の子なのかが分からなくなっては意味がないですからね。申し込みしてきた男を選び、訪れる日を決め、妻になる女へのもてなしが気に入るかどうかも含めて夫の決定が影響するのですよ】
どこの国に行き、どんな出会いがあったのか。その国で知った文化。カズオミはそれらを語った。
各国にある様々な風習を交えて語られたものだから、私にとっても興味深い内容だった。
【まず、鶏を食べてはいけないという文化に私は打ちのめされたものです。夜明けを告げる鶏は聖なる生き物として大事にされていて、チキンナゲットも駄目、ローストチキンも駄目、チキンスープも駄目、鶏の肉を食べるだなんて以ての外。諦めてカモ肉を食べながら、私はチキンの味を懐かしんだものです】
それをバーレミアスが通訳していくのだが、言われてみれば鶏肉は見なかったなと私は思った。
しかし様々な農家で鶏は飼われていた。卵を食べるのはいいのだろうか。
「鴨はいいのか」
【レミジェスさんが、鴨肉を食べるのはいいのかと言ってます】
【聖なる鳥は鶏だけらしいですな。・・・だが、私は疑っていたのです】
おどろおどろしくカズオミが語る。
アリアティナの口からアレナフィルに私がファレンディア語を話せることが伝わらないようにと、私はアリアティナのいる場所でファレンディア語が分かるようなそぶりは見せないことにしていた。
それについてはカズオミにも理解を求めてある。アレナフィルに変な罪悪感を持たせたくないのだ。
【何を疑っていたのですか?】
【彼らは本当に鶏を食べないのだろうかと。何故なら鴨や雉、鵞鳥や家鴨、鶉や鳩は食べるのです。鳥類という味を知ってしまった彼らは本当に鶏という目の前にある禁断の味に手を出さずにいられたのか。すぐ目の前にいるというのに】
バーレミアスがそれを通訳すれば、父や義母、弟だけでなくアリアティナも、
「言われてみればたしかに・・・」
と、その情景を思い浮かべる。
ゴーストが現れない夕食の席は、かなり和やかなものだった。
【だから私は借りていた部屋から見下ろせる隣の家の鶏を毎日フォトに記録していったのです。言うまでもないが、朝にコケリグリューッと鳴くのは雄鶏のみ。雌鶏は鳴きません】
それをバーレミアスが訳せば、マリアンローゼがおずおずと尋ねる。
「えっと、鶏はキキカッカクゥ、ですわよね?」
「おお。マリさん、鶏、キキカッカクー? ファレンディア、鶏、コケリグリュー。サルートス、キキカッカクー。そこ、ゲゲゲゲゲー。私、コケリグリュー、言う。みんな、ゲゲゲゲゲー、言う。私の言葉、違う、怒られる」
片言でもぐいぐい話そうとするカズオミだ。
「鶏の鳴き声は国によって違いがありますからね。サルートスではキキカッカクゥ、ファレンディアではコケリグリュー、他の国だとクルッククッククー、ゴロッゴゴロッゴ、コエッコエココー、クゥグリュッリュリュー、ケケケケケーと、本当に多彩です。外国人がよその国の言葉を覚えても、動物の鳴き声について話し始めたら母国が分かると言われてますね」
バーレミアスが捕捉すれば、なるほどと皆が頷く。
「国によって鳴き声が違うからって、怒られてしまうんですの?」
【子爵夫人は、鳴き声が違うことで怒られたのかと目を丸くしています】
【怒られましたね。聖なる鳴き声も正しく聞こえないのかと】
「聖なる鳴き声が正しく聞き取れないことで怒られてしまったそうです」
擬音には国ごとの違いが出るものだ。
ゲゲゲゲゲーだなんてどこが聖なる鳴き声だとセンスの悪さに絶望したと、カズオミは懐かしそうに語る。
【フォトを見比べて、私は確信しました】
「撮ったフォトを見比べて、ニッシーさんは確信したそうです」
カズオミは人差し指を一本立てて、真面目な顔になる。
【彼らは雌鶏を食べ、そして年老いた雄鶏もスープのダシにしていると・・・!】
「その隣家の住人は鳴かない雌鶏を食べ、年をとった雄鶏もスープにして食べていると」
まるで重大な謎を解くかのような表情で、カズオミは語った。
よほどチキンが食べたかったらしい。テーマは隣で飼われている鶏だ。
【最初はちょっとした誘惑だったのでしょう。朝を告げる聖なる鳥。
だが、鳴くのは雄鶏だけだ。雌鶏は鳴かない。そして猟に行かなくても手に入る。雌鶏ならいいんじゃないか?
こっそりならば構うまい。私はそう見抜いてます。
そして彼らが食べてしまった鶏は、とても美味だった。いつしか教義は教義として、彼らは罪の道へと踏み出してしまったのです。そうに違いありません】
誰もがその誘惑を理解する。おりしも夕食は鶏肉と野菜のソテー、マスタードソース添えだった。
「一度食べてしまったら、知らなかった時には戻れないものだ」
「聖なる鳥として大事にされていたならまるまると太ったいい鶏だったでしょうね」
「卵が許されるなら肉も・・・と、思うかもしれませんね」
ウェスギニー家の面々が理解を示せば、クラセン家も違うテーマで納得している。
「食べられない物を聞いた時、鶏肉なんて言われた覚えがないわ。鶏を食べるという意識がなかったんじゃなくて、そこはもう言わないことにして食べてみたかったのかしら」
「祖国であれば罪であろうと、外国であれば皆が楽しんでいる様々なチキン料理。知らなかったことにしておいてあげる優しさが大事なことなのか」
皆の感想はともかく、カズオミが隣家の秘密を知るだけですませたと、私には思えなかった。
【私は何食わぬ顔をして隣の家を訪ねました。それもこっそり調理している時に。そして、くんくんと鼻をうごめかして言ったのです。おや、チキンスープですな。私も大好きですと。ところでこの国でチキン料理を出す店を教えてくれませんか、どこでも売ってる筈のチキンが売られていないのですと。そうして私は、食費を払い、鶏肉を食べることができたのですよ】
その流れをバーレミアスが通訳すれば、やはりそうかと、皆もその流れは察していたらしい。
私はこっそりと声を出さずに呟いた。
〖ついでに美味しいチキンレシピを渡したのでは? わざとその国では知られていない材料を含めて〗
にやりと、カズオミが私にだけ見えるよう、ふふっと嗤う。
やはりそうか。そういう奴だったか。一度で満足することなく次に続けたか。
何食わぬ顔でカズオミは続けた。
【お礼に私は幾つかのチキンレシピをその場で書いて渡しました。幾つかの材料が分からなかったり、調理法がよく分からなかったりするというので、そこは自分達で勝手に変更したそうですが、それを食べて隣の家族はチキンとはこんなにも美味しく食べられるのかと感動し、私をちょくちょく誘うようになったのです。そして私は彼らにその調味料や材料の代用品になる物を持っていったり、調理法を教えたりし、そうすればもっと美味しく食べられるというので、何かと食卓に招かれるようになり、その家は鶏を沢山飼うようになったのです】
肉のスパイス焼きにしても、美味しい配合というのはあるものだ。隣の家もいいように鶏肉を集られていると分かっていても、それ以上にカズオミの持ってくる味に負けたのだろう。
私は納得した。
うちの娘、双子の兄をよく食べ物で釣っていた。そして釣られている。その行動の大元がどこにあったのかを。
恐らく我が家の娘、食べ物で釣られるのが一般常識的な日常反応として魂に刻みこまれている。
私はカズオミを見ながら確信した。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
半曜日は朝だけ授業が行われるのだが、アレナフィル達は今日の授業を来週受けるということになっている。だからとっくにヴェラストールにいる筈だ。
昨夜はレミジェスと一緒にランニングしていたカズオミだが、折角だから一緒に出掛けないかと誘われていた。
言葉が分からなくても大丈夫だろうと、弟は判断したらしい。
そしてカズオミは、アレナフィルがいつも暮らしている家で同居もいいが、できれば近くにそれなりに頑丈な設備の家が貸し出されていないのかと尋ねてきた。
朝っぱらからミディタル大公妃から通話通信が入り、アレナフィルの持っていたゴーストセット(ミニサイズ仕様)を売ってほしいと言われたのだとか。
カズオミは折角だから在庫品を持ってきて、この国でも販売しようと考えたらしい。
(実際、研究施設ならこの子爵邸に建てるのが手っ取り早い。だが、販売はなぁ)
カズオミにとって直営店舗はまさに道楽だったらしく不定期営業で、大人も子供も科学を楽しめるものにしていたそうだ。つまり、うちのディナーでやらかしたようなハードさは無い。
店員を一人雇って店舗を持った際の経費について尋ねられたレミジェスは、商店が立ち並ぶあたりに小さな店を出すのか、それとも自宅兼店舗でやってみるのか、どうせなら色々と立地や大きさを見てから決めてはどうかと答えていた。
きっちりとした雇用契約で若い店員を雇うのと、現役引退した人や主婦を小遣い稼ぎさせる為に雇うのと、用心棒もできるような人間を雇うのと、全ては変わってくる。
カズオミの扱う物ならば、学校の売店に置かせてもらうのも一つの手だが、カズオミはあくまで限られた人ではなく皆が楽しめるものを考えているようだ。
何気ない一般人の視点が新たな発想を生むらしく、時々は店頭に立っていたらしい。
レミジェスともうまくやっているようだし、カズオミは放っておいても大丈夫だろうと判断した私は、トレーニングルームで軽く体を動かしていた。
(仕事をさぼって穏やかに過ごす休日はいい。城に行くと、変なことしか持ちこまれないし、フィルに興味津々な奴が多すぎるし)
どうせ警護対象の王子はヴェラストールに行っていて、警備棟からのどんな報告を国王にするも何もない。
「兄上っ! 兄上っ、大変ですっ!! ヴェラストールの緊急ニュースが流れてますっ」
そんな私の朝のトレーニング時間をぶち破ったのは、弟の慌てたような声だった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
うちの子はやっぱりおうちで過ごしているべきだったのではないか。どうしてお外に出す度に何かをやらかすのか。
スクリーンでは、ヴェラストール城と青い空を背景にして、男性用スーツや女性用ドレスを纏った白骨が踊っていた。更には道化の衣装をつけた骸骨達が、カタカタカタ、ケラケラケラと、白い歯を打ち鳴らして飛び回っている。
どの衣装もまさに長い時を経たかのようにぼろぼろなのが恐怖を駆り立てる。夜なら誰もが悲鳴をあげて気絶しただろう。
その骸骨達はふぅっと姿を消したかと思ったら、違う場所に現れたりするのだが、同じ骸骨なのか違う骸骨なのか、衣装も様々で分からない。
レミジェスはなんとなくこのニュースにアレナフィルを連想したらしい。だから私を呼びに来たそうだ。
『臨時ニュースです。本日、暁4時頃、ヴェラストール城にて幽霊が出現いたしました。こちらがその映像となります。ヴェラストール駅からもこうして大きなゴーストが確認できました』
父のセブリカミオと一緒にいたカズオミも、連れ立ってやってきた。
そしてサルートス王国のニュースを興味深そうに見遣ったカズオミだが、青空とヴェラストール城を背景に踊っているゴーストの姿に首を傾げる。
【おや、あれはアレナフィルに持たせていた奴じゃないか。何かあったかな】
【ちょっと待ってくれ、カズ。あのゴーストセットは屋内でしか使えないんじゃなかったのか? フィルが使ったということは、あれは何か理由があるのか?】
【そう慌てるな、フェリ。あれは映像だけだ、感触はない。驚かすことに使えてもそれだけだよ。思うにアレナフィル、誰かを驚かしてその隙に逃げようとしたのだろう】
ストーカー対策用のグッズで、だから尾行してきた相手を驚かせることしかできないと、カズオミは言った。
【どんな映像も明るい場所では不向きなのだよ。だからああやって黒煙と灰煙を使ってゴーストの周囲の太陽光を遮っているのだ。白煙を入れたのは、ストーカーを驚かす為とは違い、大きさのことを考えてくっきりと表れるようにしておきたかったか。それでアレナフィルは護衛付きでクラブ旅行ということだったが、日中に誰かに襲われる程に治安が悪いのかね?】
【あの城は、昔から幽霊が住みついていて、幸せそうな恋人達を破局させることで有名な城なんだ。サルートスの治安はかなり良い】
【ほう。だが、クラブメンバーに王子がいるのであれば治安が良かろうが狙われるだろうな。アレナフィルのことだ。その王子を逃がす為に使ったというところか】
なんてことだ。アレナフィルはペラペラとカズオミに対し、クラブメンバーに王族がいることを喋っていたらしい。
そんな時間など大してなかった筈なのに、いつの間に・・・。
いや、思えば学校で再会したという話だった。王子エインレイドの学友にしてファレンディア語に堪能な女子生徒として、アレナフィルのことはサルートス上等学校、習得専門学校、双方ともに知られている筈だ。
そんな私の心情を、カズオミは察したらしい。
【警戒する必要はない。アレナフィルの親友に第二王子がいると聞いたから、あれを渡しておいたのだ。使えたということはやはりアレナフィルは愛華なのだろう。たとえ普段は護衛が必要な子ウサギでも、今のアレナフィルは王子一人ぐらい守り通せる勇士だよ。まあ、被害額は知らんが】
【被害額は知らない、とは?】
【愛華は研究センター経営者の娘であることを知られずに育っていてね、それであの美しさだ。不埒なことを考えた金持ちのドラ息子もいたということだよ。愛華はどこかに連れこまれそうになっても、拉致されそうになっても毎回あれですり抜けていたのだがね、ある際、かなりの人数がかりでついに拉致されてしまった。すると愛華は、その拉致された場所で離れの建物、そして二度とそのようなことをするなという脅しも含めて、その本邸の建物も全て破壊した。私が教えた通りにね】
いや、そこでウィンクされても。まあ、妥当な教育だ。
【その金持ちのドラ息子とその仲間達、息子を管理しきれずに離れの建物を与えていた両親は自業自得だが、そんなことと知らなかった妹や嫁いでいた姉の人生はその後めちゃめちゃになったそうだよ。姉は離婚されて頼る場所もない。妹は学校で卑劣な犯罪者の身内扱い。やった本人達には何の良心の呵責も覚えはしないが、何も知らなかった姉や妹の不遇なその後を知った愛華はかなり心を痛めた。だから私は愛華に指導したのだ】
【何を?】
【奴らが調子に乗る前に叩き潰さなかったお前が悪いと】
たしかに。
【その後、愛華は私の言う通りに先手必勝を座右の銘とし始めたが、程なくして、ただ好意があってデートに誘っただけの男と、かなり危険な下心のある男との見分け方に悩み始めた】
【なるほど?】
【そしてあの子はあまり武器に頼らず、自分の力である程度切り抜けることを覚えようとしたのだよ。色々な乗り物の免許を取り、デート先にはそれらを前もって隠し、いざとなったら逃走できるようにしてから誘いを受けるようになった。弟の優斗は、デートに応じなければいいだけだと止めていたようだが】
【なぜか見たことないのにその情景が目に浮かぶのだが】
【気のせいだろう。それはともかく、さすがに一度死んでしまうと、愛華も反省したらしい。自分の命が失われては何もできないからな。私もアレナフィルの身を守る為だけに危険物を渡すというのはこの国で揉み消すこともできまいと考えるものがあったが、王子を守る為だったと言い訳すればいいだけならば問題なかろうと判断した】
【つまり?】
【安心したまえ。この子爵邸の五軒程度は破壊できるものを持たせてある。王子なんぞより愛華の方が私には大事なんでね】
アレナフィルがあんなゴーストを展開してまでも逃走したかった相手とは誰なのか。
私はカズオミが話した内容を手早く父と義母、弟に説明した。義母は卒倒して寝室へと運ばれていった。
(何かと倒れるが、いつの間にか元通りの生活に戻ってるところが凄いな。打たれ強いのか?)
子供達にはミディタル大公家の護衛がついていた筈ではなかったのか。何をやっているのだ。
緊急ニュースでは、興奮した様子で女性が空に浮かぶ白骨達のダンスを指差している。
『治安警備隊は悪質で大がかりなイタズラだと考えており、本日、大勢でヴェラストール城の部屋を貸し切りにしていたグループにも事情を確認中です。
専門家は、これを実行する為にはかなり前もって準備しなくては不可能と話しております。現在、数日前からヴェラストール城に不審物を持ちこまれていなかったか、調査中です。それでは、このゴーストをヴェラストール城観光中に見てしまったという方の声をお聞きください』
そこで映し出された顔に、私とレミジェスは見覚えがあった。
『あのゴーストを間近で見てしまったそうですね。どう思いましたか?』
『いやあ、びっくり仰天ですよ。おかげで子供達ともはぐれてしまいまして、もう困ってます。ゴーストを間近で見てしまったものだから、いきなり走り出してしまいまして・・・。ホテルに自力で帰ってきてくれないと、ヴェラストール中を探し回らなきゃいけません』
『それは大変ですね。弟さんか妹さんと来ていらしたのですか?』
『はい。弟達を連れて来ていました。今、姉達も子供達を探しています。ゴーストに驚いてウサちゃんぬいぐるみと逃げちゃったんです。私もあの煙幕で見失ってしまいまして・・・』
『大変ですね。早く見つかることをお祈りしております』
『ありがとうございます』
レミジェスが少し考えるような顔になっている。
「あの顔、ミディタル大公家で見たような気がします」
「ネトシル家の次男だ。その弟なら用務員をしていて、うちにもちょくちょく来てるな。全く情けないものだ。上等学校生達にもついていけないとは」
どんだけ弛んでいるんだ。そう思ったが、ふと気づいた私はカズオミに尋ねた。
【今、映し出された青年は護衛の一人で、娘達に置いて行かれたらしい。姿を見失うような物も娘に持たせたのか?】
【同行者がいたなら発動はさせていなかったと思うが、周囲にいる人間全てが昏倒するようなものは持たせたな。使いこなせているならば。まさかと思うが離れて護衛させていたのかね? それではストーカーと同じだよ。敵か味方かを区別などできる筈がない。平等に無力化されただろう。しばらくすれば起き上がれるようになる】
【なんてこった。・・・仕方がない。報告しに行ってくるか】
父と弟に向かい、何があったか知らないが、アレナフィルがクラブメンバーと逃げる為にあの骸骨達を空に映し、ついでに周囲の人間全てを無力化させたが故に巻き添えで護衛も昏倒する羽目になったらしいと伝える。
「私は王城に行ってこよう。念の為、もうヴェラストールに行ってくる。我が家はいつも通りにしといてくれ、レミジェス」
「はい。カラクリが分かればなんてことありませんが、フィルは本当に思いきりがいい子ですからね」
「大丈夫なのであろうな、フェリルド」
「大丈夫ではありません。我が家の癒しウサギが最強護衛として目を付けられかねない危機です。どうにかごまかさなくてはなりません」
私は慌てて王城へ行く支度を整えた。
ウェスギニー大佐としての仕事で行くのであれば、フォルスファンドの送迎を受けなくてはならない。時間のロスを考えてウェスギニー子爵として登城し、面会希望を王妃に出してみた。
国王では面会理由なども先に提出しなくてはならないからだ。王妃であればご機嫌伺いですむ。
すぐに王妃との面会は了承された。シンプルな白いドレスシャツに紺色のスカートという普段着姿でいたところを見ると、王妃も私が面会したいと願ったのはご機嫌伺いではないと判断したのだろう。
人に会う支度をするよりもすぐに会う方を優先させてくれた。
「驚きましたわ。子爵から面会希望を出されるだなんて」
「国王陛下に面会をお願いすれば理由を明らかにしなくてはなりません。仕事で登城したならば、別口からになりますので」
「ああ、そうですわね。何がありましたの?」
「それはまず緊急ニュースをご覧になっていただければと」
別室に移動して、王妃と共に緊急報道を見れば、ヴェラストール城と骸骨が仲良く並んでいる。
夜なら子供が大泣きしそうだ。
「まあ、大きな骸骨ですこと。一体何が・・・」
「追ってご報告が入ると思いますので先に申し上げますが、あれはうちの娘がやらかしたことで、恐らくエインレイド様を誰かから逃がそうとしてやったのではないかと」
「あらまあ。あの子達、これからヴェラストールに行くのではなかったかしら」
授業を受けてから出発という話を聞いてから、王妃の情報は更新されていなかったようだ。
「なんでも今日の授業は来週に回して、昨夜の内にヴェラストールへ向かったそうです。どうやら王城に手配を任せると、勝手に貴族の方へと情報を流されることに殿下はうんざりなさったようですね。ですが殿下は男子寮においでです。殿下が昨日の内にいなくなったことに気づいた寮監もしくは調理人、はたまた寮生から情報が貴族に流れたのでしょう」
「困ったこと。・・・だけどこんな大きな亡霊達が空に現れては、誰もがびっくりして見上げるしかできないわね。見慣れたら可愛いかしら?」
「その隙に殿下達は逃走したようですが、ついでに護衛達も置き去りにしたようです」
そこで王妃は納得したらしい。わざわざ私がやってきたのは、護衛がついていないことをいち早く報告する為だと。
「あのエリー達がそんなことをするようになるだなんて、男の子ってばやっぱりやんちゃなのかしら。あの子達、いつも一緒にお出かけしていたから大丈夫よね?」
「大丈夫でしょう。普通の子供達は護衛がいなくても安全に観光しているものですし、どこかで緊急ニュースを見かけたなら護衛に連絡を取る筈です。まずはご心配なくと、そうお伝えしに参りました。陛下にもこっそり耳打ちなさっていただければと存じます」
報告したところで遠い地方都市、何の役にも立たない。だが、後になってまとめて報告するよりも、その事実を掴んだ時点で報告しておく義務があった。
蔑ろにしているわけではないという意思表示である。
「分かりましたわ。同行していなかったのに子爵も大変ですわね」
「有名な観光地なので何事も起こらないだろうと思っていたのですが・・・。まさか娘が、たかが逃走する為にあんなことをやらかすとは思いませんでした。前代未聞の珍事ですが、殿下を守る為にヴェラストール城のゴーストが立ち上がったということで、殿下の土産話を楽しみにお待ちください」
「ほほ。本当にアレナフィルちゃんはたくましいわね」
そんなことを言っている内に、新しい速報が入った。
『臨時ニュースです。先程、ヴェラストール城にゴーストが現れた件につきまして、機械の操作を誤ったことによって映し出されたものだと判明したことをお伝えいたします。ゴーストの映像装置を売り込みに来ていた一般人がいたとのことです。
その一般人はヴェラストール城で嫌がる子供に声をかけて取り囲もうとした大人達を見つけ、助けようと思わずゴーストの映像のスイッチを押したものの、間違って最大出力にしてしまったとのことでした。尚、別口の情報筋の話によりますと、その子供は手広く事業を行っている裕福な貴族のご子息であるとのことです。
治安警備隊は厳重にこの一般人に注意を行い、明日には釈放することとなります。
そして子供を連れ去ろうとしていた男達からも、どこからその子供の予定を調べ上げたのか、そして何をしようとしていたのかを調査するとのことです』
王妃と私は顔を見合わせた。
「どうやらミディタル大公妃様が現地から手を回してくださったようです」
「そう言えば体調が悪いから明後日は欠席すると連絡が来ていたわ。トレンフィエラ様がいらしてるなら大丈夫ね」
「はい。明後日は私も欠席いたしますので、父か弟が代理で出席するかと存じます」
「あら。また留守になさいますの?」
ここまでくると、王妃も私の留守は当たり前な気分なのか。最近はこういう軽口も気軽に叩くようになった。
「実はうちの娘、あれでかなり身が軽いのです。恐らく護衛はつかず離れずの距離でいたが為に、無差別に展開された煙幕にまかれてしまったのでしょう。大丈夫とは思いますが、護衛を含めて見守ってこようかと」
「大変ですわね。言われてみればあの黒幕もかなり大きく広がっていますもの。それは見失うのも仕方がないような・・・。いえ、言ってはいけないことですわね。だからって子爵が直々に出ていくなんて」
護衛も含めてお子様の世話は手がかかる。
そこまでするのかという眼差しで王妃は私を労ってきた。
「娘に慣れてしまえば、逃走経路を先に割り出してそこで待ち受けていればいいと分かるのですが・・・。正直、殿下や他のご子息には驚きの連続ではないか、あまりのことに恐怖を覚えているのではないか、パニックを起こしていないかと、案じられてなりません」
娘に慣れるとは、言うならば広い草原で鎖を外し、「さあ、好きに遊んでおいで」と、自由にさせるようなものである。
よく見える場所に敷物を広げ、好きなだけはしゃいだら戻ってくるだろうと、おやつの用意だけしておけばいい。
そうすれば私のゴロゴロむふむふウサギは腕の中に戻ってくる。その間、水たまりで泥だらけになろうが、泉で泳ごうが、花粉や草の実だらけになろうが、まとめて綺麗に洗ってしまえばいいというものだ。
お行儀よく歩こうねと言い聞かせたり、水たまりに突っ込む前に止めようとしたり、その度に綺麗にしてあげようとしたりするから手間がかかるわけで、好きにやらせておいて、疲れて戻ってきたところでまとめて片づければいい。
半放し飼いとはそういうものだ。
「どうかしら。アレナフィルちゃんが面白いおかげで、エリー達は毎日退屈しないそうなの。この間、貴婦人や令息令嬢を交えたお茶会があったのだけど、エリーったら子供達じゃなくて大人の方のテーブルにいたのよね。それで子供達がいるテーブルに行くことを勧めたんだけど、真面目な顔で言われてしまったのよ」
「何をでしょう?」
「心臓がドキドキ、バクバクするような落とし穴が全く仕掛けられていない会話に物足りなさを感じるようになってしまった自分に気づきたくないんですって」
お茶会というものは茶器や菓子などを褒めながら、お互いのドレスや流行の話題を取り上げて歓談するものである。
私が少年の頃は、本に書かれていた異国のおとぎ話をしたり、観光地の話をしたり、変わった意匠を褒めながら何がモチーフなのかを尋ねたり、そんな感じだったかと思う。
言うまでもないが、同じテーブルの皆が笑いさざめくことができる会話が望ましいわけで、一人ぶっ飛んだ独特な話題を持ちこむような真似などしたことはなかった。
「会話に落とし穴などあってはならないと思うのですが」
「そうね。だけどキレがあってコクのあるビールに慣れてしまったら、もう気の抜けたイチゴフレーバーの炭酸飲料では我慢できないのかもしれないわ」
王妃が物憂げに、賢者の落ち着きをもって私に教え諭してくる。
なんということだ。
知らない間に、我が家のゴロゴロむふむふウサギは、酒場のビールに変身していたらしい。




