表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/68

6 子供達の入学と称号



 本人の努力もあって、一年でサルートス語をそれなりに理解したアレナフィルは、5才からの幼年学校入学に間に合った。

 バーレミアスのおかげだ。

 私の三ヶ月有給休暇が終わった後は、私の休日しかアレナフィルを彼に会わせてやれなかったが、二人は仲良くやっていたらしい。映像記録に残るやりとりから察するに、バーレミアスが気になっている女性との関係をアレナフィルが手助けしたようだ。

 二人のお喋り映像で察するしかないが、子守りの手伝いを頼むことでその仲を縮めたらしい。

 バーレミアスの、

「実は友人の子を預けられたんだが、小さな女の子の世話はよく分からないんだ。すまないが助けてもらえないか。・・・実はとある事故に巻き込まれて記憶喪失になってしまった子なんだ。だから言葉も不自由だったりするんだが、君はそういうことを馬鹿にしたりしないだろう?」

と、子供連れデートに持ちこむやり方はどうかと思う。

 デートならデートで普通に誘えばいいだろうに、断られたら心が耐えられないから子供をダシにするって何だそれは。

 アレナフィルも同様で、

「レンにーしゃま? このひと、にーさまのこいびと? あのね、レンにーしゃま、パピー、ごようじあるひ、フィル、ひとりにしないの」

などと、彼女を見上げてにこにこしていたらしい。

 休日だというのに妻を亡くした友人の娘を預かって面倒を見るばかりか、ここまで懐かれているなんてと、彼女は自分の決めつけを恥じたらしい。

 彼女はバーレミアスを、口が悪くて性格もきつくて学歴だけが立派な講師仲間だと思っていたようだ。

 だが、彼女はバーレミアスの真実の姿を知ってしまった。

 偽悪的な言動で優しく傷つきやすい心を覆い隠しているだけで、本当は幼い子供にも慕われる程の人格者なのだと。


(バーレンがいい奴なのは否定しないが、別に覆い隠しているわけじゃなく素の言動だよ)


 そしてアレナフィルの誘導により、次の休日にバーレミアスの家で子守りデートの約束をして一緒に言葉を教え、・・・それを繰り返していた二回目ぐらいまでは仲良く3人で過ごせていたと言えるだろう。

 そのあたりで、

「も、これ、必要ないよな」

と、バーレミアスは映像記録装置を取り外した。

 そしてある休日、アレナフィルは、

「フィル、きょう、ルードとあしょぶ。レンにーしゃまのおうち、いかない」

と、(がん)として行こうとしなかった。

 その日、アレナフィルがいると思って訪ねてきた彼女はバーレミアスと二人きりの時間になってしまったらしい。


――― いやあ、フィルちゃん頼りになるわ。必要なもん、全部教えてくれたし。


 父はとても複雑だ。男が女を手に入れようとするのは勝手だが、それにうちの娘が加担していた。

 私の友人と娘が性別と年齢を超えた友情を構築しているのはともかく、アレナフィルは女性目線でアドバイスし、男性宅に必要な物を買わせたらしい。彼女に言わせると、

【はあ? 女がお泊まりするのに必要なもんってのは、男の貧相な脳みそで思いつくもんだけじゃ全く足りてないっつーの。化粧水も着替えもない家に泊まる女がいるとでも思ってるのっ? そんなの両親が来た時用にって、新品を用意しておけばいいだけでしょうが】

だったそうだ。

 バーレミアスはそのアドバイスをあまり信じていなかったが、逆らいもしなかった。アレナフィルが選んだものを大人しく購入した。

 そしてアレナフィルはバーレミアスに、女性がきゅんっとくるような仮病の演技指導を行い、二人きりの時間を演出した。


(何が「きゅんっ」だよ。病気の男なんざムサいだけだろが。なんで仮病の必要があるんだよ)


 友と娘が理解できない。

 ともあれ幼児の容姿と立場を利用して、アレナフィルはバーレミアスと彼女が接近せざるを得ないように画策した。彼女はそれでバーレミアスに対して好感を上げていったらしい。そして、とどめが具合を悪くして看病する人もいないバーレミアスだ。

 普通に告白してお付き合いするところから始めればいいだろうに、何故仮病?

 私の困惑を置き去りにして、アリアティナはバーレミアスと恋人関係になった。そして不器用な生き方しかできないこの人を放ってはおけないと、何故か結婚まで決めてしまった。


(不器用? あいつが? どこから笑えばいいのか分からん)


 アレンルードとアレナフィルはおめかしして二人の結婚式に参列した。

 幸せそうな花嫁は、アレナフィルが彼の良さを教えてくれたのだと感謝のキスを頬にしていたが、その舞台裏を知ったら、あんな風にアレナフィルを抱きしめて微笑んだだろうか。


――― フィル、がんばった。いいしごと、した。


 満足そうだったアレナフィルだが、その後で、二人はまさに新婚家庭。しばらくは遊びに行くのも遠慮しなくてはならないと気づいたらしい。がっくりと両膝を床について落ちこんでいた。

 ・・・・・・間抜けすぎる。

 そんなあれこれはあったが、アレナフィルは無事に幼年学校へ入学できることとなった。

 仕事帰りに待ち合わせたバーレミアスとは、とても騒がしい酒場の隅で語り合った。


「大丈夫か、フェリル。お前さんにしてみりゃ割りきれんことばかりだろうが」

「まあな。ここまできたらあの子の、生まれ変わる前の魂が蘇ったというのを信じるしかないんだろう。・・・だが、それならフィルよりももっと凄まじい恐怖を味わった人は数えきれない程いる。そういう人達に同じことは起きていない。そこがおかしい」

「それなんだよなぁ。だから人為的に何かが行われ、彼女が生まれ変わったと信じているだけの可能性だって捨てきれない。だがな、彼女が言っていたことは全て本当だ。色々なファレンディア人と交流のある人に裏付けをとった。風習、文化、様々な習慣。間違いない」


 私の未練をいやいやながら断ち切ろうとするかのように、バーレミアスの言葉には力がなかった。

 だから吐露できる。


「ああ。それでも私が知らないだけで、人の記憶を他人に移し替える技術があるという可能性も捨てきれない。人為的にそれができるなら、更に違う性格と記憶を植えつけることも可能だ。快楽殺人狂の記憶と性格なら、一気に殺人兵器もしくは暗殺者となる」

「問題はそこだな。恐怖を感じて前世の記憶が蘇るなら、世界はとっくに混乱してるさ。それがきっかけだと言われるより、本人が生まれ変わりと信じているだけで、単にそういう実験に使われたと判断する方がよほど俺だって理解できる。彼女の為人(ひととなり)を疑っているわけじゃない。だが、あり得ないことなんだ。そして、・・・その上で、・・・彼女は善人だ。そしてお前達家族を愛している。あの子はみんなが大好きなんだ」


 分かっていた。分からないわけじゃない。

 あの小さな体で、アレナフィルは自分にできることを考えながら生きている。


「ああ。私達が愛しているように」


 良くも悪くも私達は大人だった。小さい子供だからこそ大人の油断を誘って事件を起こすことができると判断できる程に。実際、毒物の混入や暗殺行為に使われるのは子供の割合が高い。捕えられようが殺されようが、大した情報も持たせずに使い捨てるのが人間という生き物だ。

 あまりにもアレナフィルの中にある人格は無害だったが、それを好ましく思う一方で冷静に観察する心が共にあった。

 そうして私は、王侯貴族が多く通う国立サルートス幼年学校ではなく、家から一番近い平民ばかりが通う市立レミー幼年学校に子供達を通わせることにした。


(もしフィルがとんでもない事件を起こしても、王族や貴族の子供を巻きこむよりはマシだ)


 他人の人格を移し替えるという成功例がアレナフィルなら、他にも違う人格を植えつけられる可能性がある。

 様々なケースを私は考えなくてはならなかった。

 アレナフィルのような幼女を使って危害を与えようとする相手など、誰がどう考えても王族もしくは高位貴族の子供達だ。アレナフィルを皮切りに次々と魔の手を伸ばすのかもしれない。だから近づけるわけにはいかなかった。

 アレンルードは国立サルートス幼年学校の方へ行かせてもよかったが、二人一緒にしておく方が安全だ。


(ルードはフィルにべったりだ。何かあればすぐに騒ぎ出す。何よりいつも二人でいるなら不審者に接触もされにくい)


 私の苦悩を知らぬ父はそれを聞いて反対してきた。まさかそんな平民ばかりが通う学校へ行かせるとは思わなかったらしい。

 ついには仕事帰りの時間を待ち伏せされ、私はウェスギニー子爵邸に拉致された。さあ、帰ろうと思ったところで、移動車に乗せられて連れていかれたのだ。誘拐罪じゃないのか、これ。

 仕方がないと諦めて一緒に遅い夕食をとりながら話を聞いたが、義母のマリアンローゼは欠席だった。彼女は私が苦手だ。

 今からでもねじこむから考え直せと、スープを飲み干す前から父セブリカミオと弟レミジェスは(わめ)きたてた。


「兄上。どうか二人の将来を考えてあげてください。幼い時から様々な家の子供達と親交を深めてこそではありませんか。あの二人の未来を父親であるあなたが閉ざしてどうする気ですか」

「そうだとも。アレナフィルも言葉を取り戻したというではないか。それならば貴族の家に生まれ育った家の子供達と友達作りをすべきだ。そうでなくばいずれ、なんと粗野(そや)な娘かと嘲笑されるだけなのだぞ。お前とてそれぐらい分かっているだろう。いずれは社交界に出る子供達のことを何と考えておるのだ」


 アレンルードを預けていることで忘れられているようだが、私の勘当は解かれていない。勘当が解かれていない以上、他人だ。他人の仕事帰りを待ち伏せて移動車で連れ去ることは犯罪だというのに、怒らない私はとても寛大だ。


(勘当した息子の子供達の社交界デビューと言われてもなあ。まさか息子は勘当したから不在だが、孫はうちでやりますとか言う気か?)


 誰もが身勝手すぎて、私のような謙虚な人間にはついていけない。だから合鍵があるあの家を使うのは嫌だったんだ。

 エイルマーサは信頼できる女性だが、父にとっては妹が嫁いだ男の先妻の娘、つまり義理の姪だ。ゆえにエイルマーサも義母の兄に対して好意的である。追い返す筈がなかった。


「勘当した息子がどこに子供達を通わせようが勝手でしょう」

「そんな事実はないっ」

「もうボケましたか。言っておきますが、子供達可愛さに接触してきているのはそちらです」


 私の目が冷たくなったのは仕方ないだろう。さすがの父も気まずくなったらしい。

 ワインを飲んで気を取り直すと、仕切り直した。


「分かった。お前は勘当したままだ。アレンルードだけうちに残して勝手に出ていくがいい」

「待ってください、父上。アレナフィルは手放せませんっ」

「どちらも私とリンデリーナの子で、あなた方は無関係ですよ」


 切り分けたステーキ肉にマッシュポテトを絡めて口に運びながら、私はしみじみと孫フィーバーと甥姪フィーバーについて考えずにはいられない。

 二人共、マリアンローゼにとってはレミジェスがどこぞの貴族令嬢と結婚して更にその子が子爵家を継いでくれることが悲願だと分かってないのだろうか。


「私はフィルを社交界にデビューさせる気はありません。それにルードも活発な子ですし、普通の学校に行った方がのびのびと過ごせるでしょう」

「兄上、まさかアレナフィルを貴族と結婚させない気ですか? それにアレンルードだって・・・」

「お前もルードと遊んでいるなら分かるだろう、レミジェス。たかが子爵家の息子が目立つのは、出る杭として打たれるだけだ。あの子は人の目を引きやすい」


 バーレミアスの所へ言葉を習いに行きたかったアレナフィルの策略により、アレンルードは体を使う習い事ばかりに手を出した。

 運動神経のいい子だとレミジェスも感心しているぐらいだ。そしてアレンルードに教えてもらい、今のアレナフィルも運動が得意である。

 同じ体でも思考回路が違うと身体能力も変化するのだと私は知った。


「そうかもしれませんが、アレナフィルだってあんなに可愛いのです。せっかくなら幼年学校でも、貴族令嬢としてのマナーを身につけた方がいいではありませんか。マナーの時間もあります」

「冗談じゃない。あの子達は母親が殺されたことを知らず、遠くに出かけているだけだと信じている。・・・今は事件が風化するまであの子達を表に出すべきではない」

「む。たしかにうちでは誰も口にはせぬが・・・」


 さすがに父も考え始めた。

 母親を侯爵家の令嬢に殺された双子だ。よその家では親も話題にあげただろうし、子供だってそれを聞いていたかもしれない。


「当家が恥じることなど何一つありません。それにあの子達を侮辱するということは、バイゲル侯爵家を敵に回すようなものです。それを言い始めたらいつまでも隠して育てなくてはならないではありませんか。父上、あの子達は紛れもなく兄上の嫡子なのです。正しい教育が必要です。礼儀作法は全ての基本です」

「うむ、その通りだ」


 孫息子の泣き顔を見たくない父に対し、(やま)しいことなどないのだから堂々としておけばいいと弟が主張する。


「だからって子供を委縮させてどうするんですか。言葉を取り戻してもフィルの記憶は戻っていません。いきなり学校で窮屈な思いをさせられていじめられたら礼儀作法の前に家から出なくなるじゃないですか。言葉がおかしくて他の子を泣かせて以来、あの子は公園に行かなくなったのですよ」

「そうだった。フィルは怖がりなのだ。私の前では安心して遊ぶというのに」

「人んちの娘に手を出さないでくれませんかね。ルードだけで我慢できないんですか」


 

 それこそ可愛らしくはにかみながら、

「おじーちゃま、おじーちゃま」

「ジェスにーしゃま、ジェスにーしゃま」

(さえず)るアレナフィルを、

「おお、よしよし。抱っこしてやろう」

「なんて可愛くて賢いんだろう。フィルは本当にいい子だね」

とか言って抱き上げて頬ずりしていたくせに、この二人が子供達のいない場所で、もう少し貴族令嬢らしい言葉遣いと立ち居振る舞いを身につけさせた方がいいと言ってきたのはいつだったか。

 子供達に言って嫌われたくない二人は、私にばかり文句を言うのだ。自分で言え。そして嫌われろ。


「分かりました。兄上、それならばアレナフィルにはマナー講師を雇いましょう」

「だからフィルは社交界に出すつもりはないと言っているだろう、レミジェス」

「いいや、レミジェスの言う通りだ。そうだな、あの子にはやはり貴族としての最低限の礼儀作法を身につけさせねば」

「必要ありません。いずれ社交界に出る? 侮辱されて泣かされてくる場にあの子を展示するくらいなら、フィルはうちで私にだけ()でられていればいいんです。妻とよく似た娘など、父親に甘える以外の仕事はありませんよ。・・・ああ、ですがあなた方には、お祖父(じい)様、叔父様と、令嬢らしい振る舞いをさせて構いません。あの子は私の娘だから、私に対してはこのままでいきますがね」


 アレナフィルを貴族社会に出したくない本当の理由を告げるわけにはいかなかった。しかし妻を殺され、娘を溺愛している父親ならばそこまでおかしい話でもない。

 絶句した父と弟は何やら考え始めた。


(本来、貴族の子は住み込みの侍女や乳母によって教育される。家族に対しても子供の内から礼儀正しく挨拶し、甘えたりする行動はみっともないとされるものだ。その反動がくるせいか、思春期以降に貴族の子供というのは心が不安定になりやすいと、母上は語っておられた)


 アレナフィルは、バーレミアスとやっているサルートス語・ファレンディア語混合会話に染まってしまっている。自覚しているアレナフィルは、普段はファレンディア語を出さないよう気をつけてゆっくり喋る。だからたどたどしい話し方になるのだ。

 そして運動など興味のないバーレミアスは、アレンルードがアレナフィルに教えるようなスポーツ観戦時の掛け声は対応範囲外。

 アレナフィルはアレンルードに教えてもらったスポーツのルールや掛け声を、全てレミジェスで確認しておこうとする。そしてレミジェスはアレナフィルが自分に突進してきたかと思うと、

「ジェスにーしゃまぁ、おしえてぇ」

と、甘えてくることに満足していた。


「む。・・・そうだな。たしかに、あの子の生い立ちは攻撃材料にしかなるまい。勝手に価値を下げられて、変な男の食い物にされるぐらいならば、社交界には出さぬ方がいいであろう」

「それは、・・・そうかもしれませんね。かえって貴族ではない家の方が、アレナフィルは幸せに嫁げるかもしれません。それならそこまでの令嬢教育は不要でしょうか」


 二人の脳裏に、自分達には礼儀正しく距離を取った場所から、

「ごきげんよろしゅう、お祖父(じい)様、叔父様」

と、礼を取り、すっとその部屋から下がってしまうアレナフィルが浮かんだのか。

 その一方で私には抱きついて、

「フィルね、パピー、だいすき」

と、頬にキスする姿を想像してしまったのかもしれない。


(ルードとフィルがあまりにも貴族の家の子らしくないと、最初はびっくりしていたからな。なんでどいつもこいつも勝手なんだろう)


 私とて狭量ではない。だから別にそっちは「お祖父(じい)様」、「叔父様」でかまわないと言っているのだが、お(しと)やかに瞼を伏せて礼をとる作法をマスターさせろと言いつつ、人懐っこく甘えてくるアレナフィルを惜しむ二人がいた。


(極端な話、令嬢教育など上等学校に入る前で間に合う。幼年学校からの持ちあがり組が馴染みやすいのはたしかだが、ルードは自分から色々とやってみたい子だし、フィルは職業婦人を目指す気だ)


 適当な理由を並べはしたが、私は人の命に値段をつけただけだ。

 アレナフィルが我が国もしくは我が家に対して何らかの作戦で使われる時、幼年学校で机を並べている王族や貴族の子息子女を巻き込むことだけは避けたい。身分があるということは、それだけの大きな影響力を持つということだ。

 国立サルートス幼年学校に通う子供達に何かあれば、それはこの国全てに波及する。平民が通う幼年学校ならば、そこだけで被害を食い止めることはできても。

 何より学校に通う必要などないアレナフィルの異常さを、よその家に知られるわけにはいかなかった。


(今のフィルなら幼年学校など全て満点だろう。それでも貴族子女が通う学校じゃないなら、成績がいいのは家庭教師がいいからということで終わる)


 今のアレナフィルの意識は、全くの外国人だ。あのアレナフィルが私の小さなアレナフィルに戻ることはないのかもしれないと思いながら、私はそれでも彼女を守りたかった。

 以前のアレナフィルの記憶は全くないと言っていたが、いつかは以前の心を取り戻す日がくるかもしれないではないか。

 あの子はアレナフィルではない。だが、アレナフィルの体に宿ったもう一人のアレナフィルだ。

 少なくとも彼女は私達を家族と思い、自分なりにできることをしようとしている。アレンルードが薄着なら上着を着せ、汗をかいていたら体を拭いてあげて着替えさせる。

 

(フィルはルードを息子のように思っていて、ルードはフィルを小さな赤ちゃんだと思っている。私はルードをフィルの抑止力に考え、ルードは私という一家の主人の代行気分だ。そしてフィルは私の姉になった気分で幼女を演じ、私はフィルを幼児扱いすることで彼女の反応を楽しんでいる)


 ありふれた父子家庭の筈が、秘密をちょっと抱えただけでここまで普通じゃなくなるとは思わなかった。

 私達家族の内面は、今やとても混線した関係だ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 貴族にとって爵位を継ぐか継がないかはとても大きな違いがある。勝手に父は、ウェスギニー子爵の地位を私に継がせると発表してしまった。


(何故、そんな大事なことを他人から聞かなくてはならないのだろう)


 生きている間は(ののし)り合っていても、亡くなってしまえば、実はリンデリーナを気に入っていたことに気づいたのか。それともいずれアレンルードが色々な疑問を抱くだろうことを考えたのか。

 父は私とリンデリーナの肖像画を描かせ、ウェスギニー子爵邸に飾った。

 それも我が家に訪問した誰かの知人の知人から聞いた。

 私が子爵になったところで何が変わるわけではない。せいぜい勘当がなかったことになり、遠慮なく父がうちへ押しかけてくるようになった程度だ。


(今までは私の留守を狙って来ていたからな。結局は使用人の目がないところで思いっきり子供達を可愛がりたいだけじゃないか)


 子供達が父に誘拐されたところで連れていかれる場所は分かっている。だから好きにさせておいたら、これで堂々と訪問できると勢いづいた父が工事業者を連れて押しかけてきて、弟もついてきて、土産代わりのゴールポストを裏庭に設置させていった。

 家主である私の了解など事後承諾だ。いや、事後であっても了解を問われた覚えがない。それでも文句を言わない私の優しさと思いやりをもう少し父は理解すべきだな。

 勘当も解けてもう何も問題はないのだからと、父と弟からしつこく子爵邸に移れと言われたが、義母マリアンローゼの居心地が悪くなるだけだろうと考えて私はこの家に居続けた。子爵邸は客が多すぎる。この家と学校だけならアレナフィルに接触した人間もすぐに割り出せるが、子爵邸では難しい。

 だから父と弟は、一ヶ月に一度ぐらいはうちに押しかけてくるのだ。


(私が知らないだけで本当はもっと来てるかもな。ここの鍵も持ってるし)


 気づけば買った覚えのない子供達の服や小物や玩具。それなのに私の持ち物は何も増えていない。

 差別を感じるが、双子は子供用ボールやラケットを買ってもらい、それを使ったゲームを教えてもらって腕白小僧街道を爆走中だ。

 だから裏庭に面している窓は、もう格子戸を常に閉めておくことにした。アレンルードのボールで窓を割られないように。


(勘当されて父子家庭だからってんで断っていたのに。これじゃ配置換えも認められんかもな)


 今も新しい球技用のポストを取り付けてもらったというので、アレンルードが大喜びしている。

 リビングルームでは、いつもお土産をくれる祖父と叔父が来たというので双子達がちょこまかちょこまかと纏わりついていた。


「おじ上、あれやってあれやって。こうクイッとやってポンッてやるのっ」

「いいよ。おいで、ルード、フィル。今日はね、フィルでも持ちやすいボールを持ってきたよ」

「ボクはおとなようでだいじょうぶっ。だけどフィルはいもうとだからやさしくしないとだめなんだ」

「うん。いい子だね、ルード。そんな頼りになるお兄ちゃんにはこっちだ」

「うわあ、すごいっ。すごいや、フィルッ。みてみてっ。これっ、これねっ、よごさないようおへやにかざるっ」

「ジェスにーさま、ボール、かわいいの。うれしい、ありがとう。ルードのボール、とってもかっこいいいろ」


 少し小ぶりで跳ねやすいピンクのボールをもらったアレナフィルは嬉しそうだが、私は知っている。それは違う球技に使われるボールで、土がつくような庭で使うようなものではなく、屋内球技で使う高級品だと。

 そしてアレンルードがもらったダークブルーのボールは、通常とはカラーの違う特別製だ。

 弟はどうやら貢ぐクセがあったらしい。ダメな大人だな。


「こほん。私も二人に本を持ってきたのだがな」

「え? これってば、あのオウギをきわめたというでんせつのボールマスターの、ひっさつしょうりのしょだっ。すごーいっ、おじいさま、すごいっ。これねっ、これをもってたらせかいのちょーてんにたてるんだよっ」

「ま、大したものではない。私にかかればな」

「おじいさま、すごおいっ。これ、かいとうにぬすまれないようにかくさなくっちゃっ。だいじにだいじによまなきゃいけないんだよっ」


 レミジェスの入れ知恵だなと、私には分かった。

 

「テーブルナプキンのごほんっ。おじいちゃま、ありがとう。これね、フィル、とってもとってもほしかったのっ。フィル、ごほんみて、おってもいい?」

「勿論だとも。おじいちゃまはちゃんとフィルがほしいものを見通しているのだ。ほら、フィル用のテーブルナプキンだよ」

「うわぁ、きれい」


 嘘こけ。私とアレナフィルの会話を盗み聞きしていただけじゃないか。

 私はちゃんとアレナフィルに、

「テーブルナプキン? 口を拭ければいいんだし、四角く折っておけば十分だ」

と、言ったのだが、どうやらアレナフィルはおしゃれな形に折ってみたり、バスケットにカトラリーと一緒に入れる時にそれっぽい形に折ってみたりしたかったらしい。

 仕方ないから特別に軍隊式のコンパクトに畳むやり方を教えてあげたのだが、それでも駄目だったようだ。


「フィルね、テーブルナプキン、しろいろだけって、おもってたの。えーっと、ももいろ、だいだいいろ、きいろ、きみどりいろ、みずいろ、ちゃいろ」

「正式な場では白だが、フィルがおうちで使うなら何色でもよいのだ。それで好きなだけ練習しなさい」

「ありがとう、おじいちゃま」


 喜んでいる。本気で喜んでいる。抱きついた父に抱き上げられ、その膝に座って本を読み始めるぐらいに喜んでいる。


(人とは外見に影響される生き物なのか。今や子供としての振る舞いも定着してしまった)


 それでも元がファレンディア人だけあって、アレナフィルはサルートス人の常識には疎い。だから変なところで騙される。

 本物の子供ならちょっとでもおかしいなと思ったら駄々をこねて泣き(わめ)いたり、愚図(ぐず)ったりもするので、「ごめんごめん、嘘だよ」で、結果としては騙されずにすむ。その点、中身が大人のアレナフィルはプライド的にそういうことをしたくない。

 だからおかしいなと思っても、相手の言うことを面と向かって疑うなんて失礼だと考えて引き下がるので、結果として騙され続ける。

 アレナフィルは、貴族の男の子は規律正しい言動が重んじられるのできっちりとお祖父(じい)様、父上、叔父上と呼ばなくてはならないが、貴族の女の子は物腰の柔らかさが求められるので、おじいちゃま、パピー、おにーさまと呼べばいいのだと信じていた。

 だから私は優しく呼びかける。


「フィル。女の子は父親のお膝にしか乗っちゃいけないんだよ」

「じゃあ、パピーのおひざ、フィルいくの」


 それでいい。たとえ心が違っていようとも、アレナフィルは私の娘だ。

 一家団欒のあるべき姿に戻ろうとした時、父がアレナフィルに語りかける。


「大丈夫だ、フィル。パピーのパピーであるおじいちゃまのお膝にはいくつになっても乗っていいのだよ。貴族の社会では、女の子だけは特別にそうと決まっている」

「そうなの? えっと、フィル、パピーとおじいちゃまのおひざしかダメ?」


 色々と決まりが多いらしいと知って、アレナフィルは父を見上げた。

 まるで大事な常識を教えようという空気を漂わせ、父は頷く。


「うむ。それ以外の男の場合は遠慮なく(むこ)(ずね)を蹴りつけるのがマナーなのだ。貴族の家に生まれた女の子は、そういう誇り高さを要求される。そこで座ってしまっては、その人を父親としたいという意味に思われてしまうのだ」

「そ、そうなの? フィル、よそのこに、なっちゃうの?」

「そうだとも。フィルはうちの子だから、おじいちゃまかパピーのお膝にしか座ってはいけないよ」

「そーする。フィル、よそのこ、ならない」


 アレナフィルは祖父やエイルマーサ、私やレミジェスから貴族の一般常識を学ぼうと一生懸命だ。特権階級にはそんなルールがあるのだと信じてしまった。

 全く祖父の分際で図々しい。嘘を教えるな、嘘を。

 向う脛を蹴りつけた後、すかさず(あご)にも(てのひら)で一発ぶちこみ、椅子ごと蹴り倒して頭を踏んでおくものだろう。

 父はアレナフィルに問いかけた。


「だが、この本は大人用だ。難しくないかい?」

「えがおおいから、フィル、だいじょうぶっ。あ、だけど、フィルのわからないもじ、おじいちゃま、おしえてくれる?」

「勿論だとも。何でも聞きなさい」

「すごいの、おじいちゃま。どうしてフィルがほしいもの、わかっちゃったの? これね、こうやっておったら、おにわでルードとおやつたべるとき、フォーク、おとさないのっ。ルード、おくちのまわり、いつもよごしちゃうのっ」

「うむ。そんなことだろうと思っていたからな」

「おじいちゃま、まほうつかいみたい」

「・・・フッ」


 ああ、どうして人は同じことを考えるのか。いずれ子爵を継ぐであろうアレンルードは貴族令息としての教育を今の内から考えておかねばならないが、アレナフィルは一生嫁に行かなくてもいいのではないかという思惑が進行中だ。

 今もアレナフィルから頬に大好きのキスをしてもらって、父はご満悦である。


「おやつよりまずは体を動かそうか。おいで、フィル。ルードの言ってたのを見せてあげる」

「すごいんだよっ。おじ上、クイッとやるの、とってもむずかしいのにできるんだよっ」

「どんなのどんなの? ジェスにーさま、はやいから、フィル、いつもぬかれちゃう」

「じゃあ、今日は二人でかかっておいで」

「ルードと? じゃあ、おきがえする。ジェスにーさま、ちゃんと、てかげん、してくれる?」

「いいよ」


 アレンルードを肩車したレミジェスは、アレナフィルの手を引いて連れて行ってしまった。

 二人きりになると、いきなり真顔になった父が口を開く。


「お前、この辺りのガラの悪い者達を排除したそうだな」

「よくご存じで」


 ウェスギニー子爵邸とこの家はそれなりに離れているのだが、情報網でも張っていたのか。

 別に隠すことでもなかった。


「あの子達が通う学校から礼状が届いた。おかげで子供達が安心して通えるようになりましたとな。市からも感謝状が届いた。どうやったのだ」


 突発的な留守もある私だ。学校から父兄への連絡は、ウェスギニー子爵邸のレミジェス宛にさせていたなと、そこで思い出す。

 礼の言葉なら口頭で聞いていたからそれで終わったと思っていた。

 

「学校で友達になった子の家に遊びに行くこともあるかもしれませんからね。可愛らしく着飾った双子を歩かせておいて、金銭目的で手を出そうとした者を(かた)(ぱし)から捕まえて、全員、軍に所属する将校の家族を攫って国家に損害を与えようとした疑いをかけて、たまり場や家を一斉捜索させ、ブタ小屋に放りこみました」

「・・・無理がないか?」

「とても楽しい経験をしたのでしょう。ほとんどが大人しくなって子供に親切なおじさんやお兄さんとなり、あまりよろしくない事務所は閉鎖したようですね。心配しなくても、乱暴な身内に手を焼いていた家族は、彼らが最先端の使い捨て兵士となることに喜んでサインしましたよ」


 そんなことが可能なのかと眉根を寄せた父だったが、物事は可能にするのが処理能力だ。

 学校と父兄、治安警備隊にも協力させたが、軍が後援につくとあって、かなり景気のいい仕事をしてくれた。目に余る乱暴者にイラついていたのだろう。


(ああいう手合い相手じゃ泣き寝入りだからな。人を傷つけるのが楽しい奴らは、被害者の心も折りやがる)


 家庭内暴力を振るい、生活費すら遊興費として奪い去っていく父や夫、兄や弟など、いなくなってくれた方がよほどいいと思う家族もいるということだ。そういう男達は、息をするように暴力を振るう。

 特に小さな子供を持つ母親からは市と学校に感謝の言葉が相次(あいつ)いだらしい。いきなり殴られて小遣いを取られたり、物陰に連れこまれたりといった心配が解消されたからだ。


「言っておきますが、実名を挙げて、頼むからこの人も一緒に連れていって二度とここに戻さないでくれと頼んできた主婦の数こそが多かったのですよ? 私としては子供に暴力を振るったり、誘拐を企んだりしそうな奴らさえ掃除できればよかったのですが、妻子や弟妹を殴って憂さ晴らししている男はかなり多かったようですね。どれも犯罪予備軍ということで軍が有効活用することにしましたが、調査してゲスであることは確認済みです」

「・・・本当に大人しくて物静かな子だったというのに」


 父ははあぁっと深い溜め息をついて話題を変えた。


「もう少し使用人をおかぬのか。茶ですらフィルが用意せねばならぬとは、みっともない」

「平民の学校に通っているせいか、よその家は母親が家事をしていて、家政婦を雇っているだけでも裕福なのだと知ってしまったのですよ。休日はエイルマーサ殿も自宅のことがあるから、こうして自分でできることはしようと、あの子は頑張ってるだけじゃないですか。メイドは洗濯と掃除中です」


 さっき、アレナフィルが淹れた茶を飲んで褒めていたじゃないか。こんな美味しいお茶を淹れられるアレナフィルは素敵な女の子だとか言ってたことを忘れたのか。

 何故、本人に言わず私に言うのだ。自分で言え。そして嫌われてしまえ。


「もっと裕福だと言えばいいだろう」

「これでも色々と考えているのですよ」


 アレナフィルの中にある魂は、ファレンディア国の平民女性だ。生まれ変わったならば新しく貴族令嬢として育ててもいいが、あの性格を考えると自由に過ごさせてやった方がいい。

 自由に決めて生きることを知っている魂に、家の為、夫の為をまず考える生き方はあまりにも苦しいだろう。自分らしく生きられないということは辛いことだ。

 何よりあの泣き虫なアレナフィルの心がいきなり戻ることだってあるかもしれない。その時、その事実を知る者は少なくていい。


「考えているとは何だ。はっきり言え」


 最近、父が何かと疑い深くて困る。老化現象か。


「女の子はたくましい方がいいかと。男にちょっと強く言われただけでそれを受け入れなきゃいけないと思うような純粋培養の令嬢より、男に何か強要されたら反対にぶちのめして脅し返す子で構いません。何の為に家族以外の男を信じるなと教育していると思っているのですか。だからレミジェスにも、フィルをルードと同じように運動させるように言ってあります。大抵の男は、自分よりも速く走れて体を動かせる娘に不埒な真似は考えませんからね」

「・・・それは、あれの母親のことがあるからか」

「ええ」


 父にそんな説明をしながら、私はリンデリーナを思った。

 彼女はきっとこんな私を見たら呆れるだろう。


――― どうしてあなたはいつもそうなのっ。


 何かの折にブチ切れて以来、それが口癖になった。ちゃんと説明しろ、相手だって言われなきゃわからないと、何かとブツブツ言っていたものだ。

 私はただ、愛しているだけなのに。

 だから作戦を変更して彼女の村を襲った山賊を全滅させようと考えた。

 そして今もこんな言い訳を作り、アレナフィルのしたいようにさせている。

 使用人に命じるよりも、アレナフィルは自分でやってみたいのだ。それならそれでいい。

 それであの子が幸せそうに笑えるのならば。


「あれの、・・・母親は、どういう女だった。生意気な女だったが」


 どこか勢いのない口調で父が尋ねた。


「顔は子供達とよく似ていましたね」

「そんなのは見れば分かる。色合いはお前に似て、顔はあの、・・・リンデリーナに、似たのであろう」

「そうですね。・・・どこまで聞きましたか?」


 面倒だったので、私はズバッと聞いた。

 元々彼女の出自など家族に隠す必要はなかった。けれどもリンデリーナの傷は深かった。

 塞がらない傷から血を流し続けている妻の心を更に掻きむしらせることなど誰が選ぶだろうか。だから田舎から出てきて飲食店のウェイトレスをしていた彼女と知り合ったことにしたのだ。


(人の口に戸は立てられん。バイゲル侯爵令嬢の件が出回ったか。私が彼女を殺すと思っていたなら、どれだけの目と耳があのやり取りを見ていたやらだ)


 世間知らずな子爵家の息子を誘惑して結婚に持ちこんだ飲食店のウェイトレスだと、誰もがリンデリーナのことを見ていた。特に私は、サルートス幼年学校時代、上等学校時代、習得専門学校時代、全て地味に生きてきており、女に騙されたとしても誰もが疑わない履歴だった。

 蓋を開けてみれば領土を取り戻したきっかけとなる掃討作戦に関与した立役者の一人だったとなれば、また違う感想もあっただろう。だけどリンデリーナが生きている間は、そのことについては触れずにいてやりたかった。

 もしかしたら誰かが父に耳打ちしたのか。

 バイゲル侯爵家から賠償金といった意味合いの大金がきていたので、それはアレンルードとアレナフィルそれぞれの名義で積み立てさせたが、父に報告がいったのかもしれない。


(バイゲル少佐の見合い相手、いつの間にか失踪したという話だったな)

 

 しばらく迷っていたが、父は言いにくそうに口を開いた。


「お前が潜入工作に向かった先で出会い、協力させ、そして連れ帰ったと。どこから出回った噂か分からんが、小耳に挟んでな」

「侯爵家から、いっそアンジェラディータ嬢を殺して仇をとっていいと、それで手打ちにしようと内々の連絡をもらったのです。それで監獄に出向いたのですが、彼女を殺しても恨みの連鎖が子供達にも続くだけだと判断して殺さず、ちょっとしたおねだりをしてきたのですよ。その時にリンデリーナとの出会いを語りました。それを見ていた者から話が流れたのかもしれませんね」

「では、本当なのか」

「大筋では」


 相手がバイゲル侯爵家となれば、噂とて流す方も警戒する。

 あの監獄はレミジェスが所属する基地の管轄内だったと思い返し、私はカップを口に運んだ。

 もしかしたらあの牢獄内の監視装置の向こうにいたのは、バイゲル侯爵家のメンバーとレミジェスだったのかもしれない。

 書類上では、レミジェスは私の母・アストリッドが産んだことになっている。つまり私の同母弟だ。異母弟と知る者は限られる。


「何故、言わなかった。そういうことであれば印象とて変わっただろう」

「私はいつでも皆のことを考えて行動しているつもりですが?」

「家族のことを考えたなら本当のことをこの父には言っておくべきだった」

「・・・はあ」


 言わない方がいいと思ったから言わなかった。それだけだ。

 しかし、たまには少し反省して、自分のやり方を変えてみてもいいのかもしれない。

 私もアレナフィルのことで心が弱っていたのか。リンデリーナの思い出がこの心にさざ波を立てる程に、優しい風が吹いていたからか。

 気を抜くことのできる休日だったこともあり、私にも吐露する気持ちが生まれていた。


「父上。私のリーナへのプロポーズを知りたいですか?」

「・・・む? まあ、言ってみるがいい」


 金目当てのウェイトレスだと信じていた父だ。今となってはそんな辛い思いをしてきた女性だったのであればと、後悔があるのかもしれない。

 これで情にもろい人だ。


「たしか・・・、

『たかがあんなチンケな手伝い程度でやった気になってんじゃねえよ。どんだけ俺が(タマ)ぶっ放して罠仕掛(トラっ)てやったと思ってやがる。こっちは幾つかの頭目(タマ)さえ()りゃあよかったもんを、村で虐殺(ジェノ)ったのが下っ端(チャチ)ってんで、全部半殺し陳列したったろうが。まさかてめえ、クソ簡単な手間だったたぁ思ってねえだろうな? 使用武器代金と俺の任務外手当代ぐれえ払ってから死ねよ、貧乏人。・・・とりあえずてめえにあるのはその顔と体だけか。それなら可愛い子が生まれるだろう。一人当たり100ローレ (※) で換算してやる。ついでに女()けの仕事をする度に20ローレだ。てめえじゃこれ以上は稼げねえよ。俺は高いぜ? 頑張って返済すんだな、借金オンナ』

でしたかね。感動的な二人きりのプロポーズの返事は、

『そ、それはいくら・・・?』

でしたか。一つ一つ大体の相場を教えてあげている途中で気絶しましたけど」

「お、お前は・・・」


(※)

100ローレ=100万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として150万円

(※)


 単に張っていた気が緩んでの気絶だったが、あの時の彼女はぎりぎりだった。

 長閑(のどか)山間(やまあい)の村。

 村の誰もが顔見知りで、互いの畑や養蜂も協力し合って生きていた。人々は昨日と同じ今日が来ると信じ、季節ごとの決まりを大事に執り行う。山の中で見つけた綺麗な花を手折って持ち帰れば家族が目を細めて綺麗だねと言い合う、そんな村だった。

 その日、街に出かけていたりして惨劇を免れた者は、親戚を頼って散り散りになったという。彼女とて一人で村に残っても生きていけないことは分かっていた。

 それでも一度は知り合いを頼れるように逃がしてやったのに、結局は私を選んで戻ってきた時点で何があったかは察する。

 離れて暮らしている親戚なんて所詮は薄情なものだ。どうせ愛人かつ無給の使用人としてなら屋根裏部屋にでも住まわせてやってもいいとか言われたのだろう。


(屋根裏部屋で暮らした方がいいのかとか、一日の家事仕事はどこまでかとか、他の家族にも旦那様、奥方様呼びしなきゃいけないのか、何人の愛人をしなきゃいけないのかとか、変な質問ばかりきてたからな。それぐらいなら自立した方が余程いいだろが)


 同じ愛人をしなきゃいけないのなら私相手の方がいいと思ったのか。

 私が貴族で、しかも正妻として婚姻手続きしたと知ったリンデリーナは、その書類を見せてもなかなか信じなかった。

 生まれた子供達の手続きを見て、やっと納得した頃には、双子の世話に追われて毎日がバタバタだった。

 忙しい方がリンデリーナには良かったのだ。救えなかった家族の命を嘆く余裕もない程に忙しければ、それで眠ることができた。

 癒えない傷があったとしても、リンデリーナにとって生まれた双子は救済だっただろう。


「任務について喋るわけにはいきませんから、本当の出会いを語るわけにはいきませんでした。ですが恋愛結婚となると、誰もが出会いを聞くものでしょう。私としては生まれてくる子には、

『パパとママの出会いかい? パパが疲れて座っていた時、ママがとても美味しいコーヒーを渡してくれたんだ。そうしてパパとママは恋に落ちたんだよ』

がいいかと思って、リーナにウェイトレスのバイトに行ってもらい、そこへコーヒーを飲みに行ってみたのです。皆が見ている前で、予約席の正装した客が給仕の女性に深紅の薔薇の花束を渡して、

『可愛らしい人。君に一目惚れしました。この薔薇のように燃えている私の心を受け取り、どうか私の妻になってください』

と、プロポーズ。返事は、

『私も初めてお見かけした時からあなたのことをお慕いしておりました。とても嬉しくて夢のようです。喜んでお受けいたします』

で、5ローレ (※) 天引き。歓喜のキスシーン、15ローレ天引きでは、周囲で悲鳴があがっていましたね」


(※)

5ローレ=5万円

15ローレ=15万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として、5ローレ=7万5千円、15ローレ=22万5千円

(※)


 ここまで妻に対して太っ腹な支払いをしてあげた私に対し、父は全く感動してくれなかった。

 店内にいた客全てから祝福されるプロポーズだったというのに。

 眉間に指を当て、何度も顔を左右に振る。そうしてはあぁっと息を吐きながら下を向き、やがて顔を上げた。


「いつからお前は破落戸(ごろつき)になった」

「現場なんてそんなものですよ。紳士的に行動してたら結果は出せません」

「・・・・・・」


 どうやら父親として息子を理解しようとしている様子だったから、誰も知らない本当のプロポーズを教えてあげたというのに文句の多い人だ。

 父は冷めたお茶を飲み干すと何も言わず出ていった。

 知らない方がいいことはある。だから言わないだけなのに、私の思いやりを誰も理解してくれない。

 私も冷めたカップを口に運べば、茶の渋みが咽喉を通り過ぎていく。


――― 命乞いするならっ、どうして、・・・どうしてみんなを殺したのよっ! 


 自分の手で命を奪う恐怖に震えながら、それでもリンデリーナは私だけに任せはしなかった。

 村人達を惨殺した彼らへのとどめを、血にまみれた手でリンデリーナは泣きながらやり遂げた。誰かの名前を呼びながら。


(覚えてる。リーナ、君の勇気を。・・・私が生きている限り、ずっと)


 ただ泣くだけの女なら安全な場所に送り届けて終わりだった。腰を抜かしながら、手や膝をがくがくと震わせながら、それでもリンデリーナは立ち上がって戦おうとした。私だけに任せずに。

 だから妻にしたのだ。

 

「あれ? 兄上、父上はどこに行ったんです? 子供達にオレンジジュースでも飲ませようと思って取りに来たんですが、兄上も飲みますか?」

「いや、いい。父上ならなんかよく分からんが、ぷりぷり怒って出ていった」

「またですか。少しは仲良くしてください。あれで父上、兄上と仲良くしたがっているのに」

「ゴロツキ呼ばわりされただけだったぞ?」


 後になって知った話だが、父の指示でリンデリーナの墓石に子爵夫人(ヴォイカウンテス)の称号と生前の彼女を褒めたたえる美しい詩、そしてコスモスの花が彫られたらしい。

 故郷の名を聞くだけで震えて足がすくんでいたリンデリーナは、再びあの村へ戻ることはなかった。だけどそれで良かったのだろう。戻ったところで彼女が本当に会いたかった人達はいない。

 今、リンデリーナは枯れないコスモスの花に囲まれて静かに眠っている。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ