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56 レミジェスは今日も気苦労が絶えない


 幼い頃から可愛がっていた姪に結婚や婚約といった話が出る時がきたら、叔父として手放す寂寥感にさいなまれることだろうと、覚悟していた。

 私達は血の繋がった叔父と姪で、恋愛も結婚も不可能だったからだ。

 どんなに姪が、

「結婚するならジェス兄様がいいの」

と、言ってくれていても。

 その成長が健やかであるように、毎日の何気ない日常が幸せなものであるようにと、母のいない辛さから守ってあげることだけが私にできることだと思っていた。


(まさか姪の婚約を知って寂しさに呆然とするどころか、後始末に奔走させられることになるとは)


 私は、ウェスギニー・ガイアロス・レミジェス。

 ウェスギニー子爵である兄の補佐という立場で、全面代行をしている。それが兄の愛なのだと私は知っていた。子爵としての仕事をほとんど押しつけてくることで、誰にも私を侮らせまいとしているのだと。

 兄の愛情はたまにピントを外している。いや、常に外していたかもしれない。

 ウェスギニー子爵家は現在も引退した父が子爵としての表の顔を維持し、私が差配していた。

 たまに甥は、

「もう叔父上、僕達の父親になろうよ。僕、叔父上を父上にして、父上は伯父上でいいって思うんだ。どうせフィルも気にしないよ。フィルはもうお祖父(じい)様達の子供でいいよ。そしたら叔父上、フィルの兄になるんだから今の呼び方で問題ないし」

と、本気の口調で呟いたりする。

 とても心惹かれる提案だが、血筋や立場も貴族には大切なことなので、甥の将来を狭める気はない。

 そして半曜日に朝から国立サルートス上等学校の警備棟まで呼び出された私は、夕方には帰宅したのだが、いつもの週末は甥だけしか戻ってこないので、姪もいる夕食はとても賑やかだった。

 姪が大臣相手に色々とやらかし、父と母も警備棟まで駆けつけたからだ。

 私の両親は王妃と共に警備棟を見学し、どれだけの映像監視装置があるのかを見せられ、これならばアレナフィルも安心だと安堵したらしい。

 その後、映像監視装置の部屋で王妃や警備棟責任者のエドベル中尉達と、アレナフィルが皆に第2調理室でサインを要求するのを見てショックを受けたそうだ。


(まさかあの様子を王妃様と一緒に見ていたとは)


 私はその時、現場の第2調理室にいたから知らなかったのだが、アレナフィルを止めようとして乗り込もうとする父を、警備棟の士官や兵士達が、

「大丈夫ですっ。アレルちゃん、あれ、いつものことですっ」

「それぐらいで怒るなら、フォリ中尉、とっくに激怒してますっ」

「ウェスギニー大佐に言いつければ書類なんてこっそり回収してくれますからっ」

と、必死で止めていたとか。

 その後、サインを集めたアレナフィルがそれらを鞄に仕舞い、書き添えた文字はあったにせよ、さくさくとサインしてくれた二人にサービスオプションをつけるというところで、映像を見ていた警備員達は、

「さすがアレルちゃん。贔屓っぷりが凄い」

「なんというどんでん返しいじめ」

と、感心していたそうだ。

 あまりプライバシーを踏みにじるまいと、第2調理室のそれは画質が荒いものになっていて、チェック表や沈黙誓約書の内容は見えなかったそうだが、王妃は興味深く映像に見入っていたらしい。

 そして二人だけ廊下に連れ出したアレナフィルが、そのオプションの費用請求はするけれど、実際にはもらわないから払ったことにしてそのお金はポケットに入れておけばいいと囁く様子が、しっかり警備棟内の映像監視装置に映っていたとか。


『二人には協力前向きお礼として、オプションは無料でつけてあげます。だけどオプション費用はしっかり請求するので、その分は裏金として二人のポケットにしまってくれていいです。内緒ですよ?』


 内緒どころか警備棟に所属する士官達が王妃と共に、アレナフィルが二人に耳打ちする様子を映像で見ていた。

 父は、偽装婚約と密輸の次は賄賂と裏金作りかと、孫娘の健全な成長に大いなる疑問を抱いたそうだ。母は決定的な不正教唆を王妃に見られたと、気を失いかけたらしい。

 けれど王妃にはそこが好ましかったようだ。この子ならば王子エインレイドを任せられると。

 卑怯でも陰湿さのないアレナフィルなら信頼を裏切ることはないと、息子のメリットを王妃は考えた。


「だからガルディが気に入っちゃったのね、アレルちゃん。自分のことしか考えていないフリして、しっかり自分に味方してくれる二人が秘密裏に動かせるお金を用意するだなんて。エリーを立ち会わせたはずだわ。ガルディったら、いずれアレルちゃんがエリーの秘書官になることも視野に入れてるのね」


 いずれはアレナフィルを妃にと望みながらもあえて試しているのは、第二、第三の未来をも視野に入れているのだろうと呟いた王妃。

 そして、どうしてあんな甘えることしか考えていない孫娘に入学早々縁談の打診が来てしまったのかを、父と母は理解したのである。

 アレナフィルはとても都合がいい子だった。無駄に男に夢を見ず、欲しがる物は分かりやすく要求し、それは節度を心得ている。


(それでもガルディアス様は優しいお方だ。フィルが嫌がるならば結婚も就職も無理は強いないだろう)


 あのファレンディア人との婚約は三年後には解消される予定だが、アレナフィルはもうこの後、誰からも目をつけられずにいられるだろうか。

 父はそこを案じたらしい。

 本気で転校を考え、かえってもっとまずい展開になると気づいてうなだれたとか。サルートス上等学校だからこそ、皆の監視の目が行き届いているのだ。転校などしたら、何も把握できなくなる。

 そうして戻ってきた子爵邸では、双子が相変わらずどうでもいいことで喧嘩していた。どっちもお互いが大好きってことでいいだろうに、

「フィルってば僕のこと好きすぎるよね。仕方ないから面倒みてあげるけど」

「ルード、フィルのこと大好きなの。男の子って、真実、なかなか認めない」

と、自分の方が立場は上だと主張し合うのだ。

 喧嘩していてもしばらくすれば仲良く遊んでいるので、我が家では誰も気にしない。そこが広い邸の利点だろうか。

 だが、さすがに夕食時にはアレナフィルへの小言も生まれる。


「アレナフィル、もうお前はよその男と口を利かずともよい。全く誰にこんなことを教わったのだ。しかもフォト入り文書など、どうやって作ったのだ」

「パピーの書斎、使ったの。だけどね、お祖父(じい)ちゃま、人は裏切る。フィル、いつか悪い噂立てられるかもしれない。その時、ルードとかフィルに子供いたら、過去すぎて否定難しいよ。フィルやルードの子供達、未来閉ざされたら可哀想。これ、ウェスギニー家の保険。それに口きかないの無理。お祖父(じい)ちゃま、フィル、そしたら学校でお医者様、呼ばれちゃう。クラブのお友達、男の子」

「どうせ学校の生徒なぞ、フィルにとって男ではなかろう。そちらはいいのだ」


 父の言葉に、「お前は自由になる財力のない子供に興味なかろう」という裏の意味を聞いたような気がした。孫娘を可愛がっている父だが、その孫娘の懐き具合は資本力で増幅できると知っている。

 父はその文書を一通り眺めてから、私に渡してきた。


「つまり叔父上、あれでしょ。フィルの子供が女の子で、

『あなたのお母様、とんでもなく非常識な方でしたのね。母から聞きましたわ』

とか言われて馬鹿にされた時、その文書をずらーっと額に入れて飾ってある部屋に案内して、

『うちの母のアレナフィルは、上等学校生時代からこうして皆様から評価されておりましたのよ。どうかしら? あなたやあなたのお母様に、私の母程に評価されることができますの? ほほほほほ』

って喧嘩売り返して悔しがらせる奴」

「そういうことは考えなくてよろしい。好きな額と部屋を選んでいいから」

「さすが叔父上。分かってる」


 アレンルードは、選手のサイン色紙と間違えている。

 門外不出部屋を作ってまとめておくか。


「フィル。お野菜も残さず食べられて偉いわね。だけどもう少し食べていいんじゃないかしら」

「お祖母(ばあ)ちゃま、ルードが食べすぎなの。フィルの量、とってもバランス取れてる。ルード、動いてるから沢山食べてるの」


 母は学校でのことを棚上げにして、帰宅後に再び白いフリル付きオレンジのワンピースドレスに着替えたアレナフィルの世話を焼いていた。

 もしかしてアレナフィルの、「都合が悪いことは無かったことにする」という切り替えは、この母によって学んだものではないのかと、私は疑っている。

 何かと寝こんだり、倒れたりする母だが、それで儚くなることもなく、それを忘れることにして日常を続ける図太さがあった。


「やっぱりあなたを社交界に出さないなんて無理があったのよ。こんなに可愛いんですもの。だけどあれだけ酒乱なのをご覧になっているというのに・・・」


 子爵家の娘でも、別に王族や高位貴族との縁組が不可能なわけではない。養女縁組などよくあることだ。

 それでも社交界に出すつもりがなかったのは、ただの子爵家息女なら実母や本人のことで皆に侮辱され、何かと嫌がらせをされたり、傷つけられたりする恐れが高すぎたからだ。

 だから王子エインレイドの学友となった時点で、我が家も方針転換を迫られていた。しかしあの誕生日会の醜態に、こんな酒乱な娘に多くは望むまいと、我が家は元通りの道を選ぼうとしたのである。

 しかし毎朝のマナー教育などを行われてはそうもいかない。やはり社交界でも力があり、そして我が家に対して誠実な貴婦人を当たろうと検討していたが、貴族なんて貴族同士の縁故が凄すぎてすぐには決められない。そうこうする内、よりによってアレナフィルは外国人と勝手に婚約してしまった。

 泰然としているかのように思われているウェスギニー子爵家だが、様々な外部からの圧力に疲弊し始めている。現場にも、我が家の一人娘が王子妃候補にまで躍り出たことからの圧力だと内々に告げ、ここは耐えるように指示しているから、落ち着いているだけだ。

 弱音など吐けない。私達が潰れては、双子がどんなことになるか。


「大丈夫、お祖母(ばあ)ちゃま。ルード、フィルに変装できる。心配ならルードがフィルに変装して社交界出れば大丈夫。それにフィル、あれからお酒、飲んでないの。フィル、いい子なの」

「ルードは跡取りなのよ、フィル。そろそろ理解しましょうね」


 アレンルードが女装するのは父や私の誕生日だけだと、母は信じている。まさか上等学校で披露したとは気づいていなかった。

 本日も酒入りの菓子で寝てしまったことで呼び出されたのだから、アレナフィルの言葉に信用などある筈もなく、少し小言が入っている。

 父と私も、母を陰険な貴族社会に巻きこみたくないのだが悩ましいことばかりだ。


「いいかい、フィル。母上を連れ出してあげたいならうちからも移動車は出せるし、車両を貸し切ることだって十分にできる。よその資本力に釣られちゃ駄目だよ。ね?」


 よりによって豪華列車旅行でアレナフィルは釣り上げられた。どうやら母を連れ出してあげたかったらしいが、それなら我が家で計画すればいい。


「えっと、ジェス兄様。フィル、釣られてない。あれはご褒美。それにお祖母(ばあ)ちゃま、自分からは贅沢しないの。それならご招待、いいと思う」

「まあ。なんて優しい子なんでしょう。フィルったら私の為に?」

「騙されちゃ駄目です、お祖母(ばあ)様。フィルはお祖母(ばあ)様ともお出かけしたいけど、単に豪華列車に釣られただけです」

「ルードひどい。フィル、お祖母(ばあ)ちゃまのことしか考えてなかったもん」

「どう考えてもお祖母(ばあ)様、引率者じゃないか。フィルはフィルのことしか考えてないよ」

「そんなことないもん。ルードがエスコート、できないのが悪いんだもん」

「僕、関係ないだろ」


 本当にすぐ喧嘩し始めるのだから子供達は元気だ。ひとしきり(さえず)らせた後で、私は決着させる。


「まずは行きたい所をフィルが決めなさい。なんでもかんでもよそから取ってくるんじゃないよ。分かった?」

「そうよ、フィル。あなたの気持ちは嬉しいわ。だけどね、フィル。私はあなたがおとなしくしてくれているだけで幸せなの」


 母がアレナフィルを抱きしめているけれど、「おとなしくしてくれているだけで」という部分にとても力が入っていた。

 母はアレナフィルの自分に正直な行動パターンは先妻であるアストリッドに似たのだろうと考えている。

 だが、人の考え方や行動など、後天的なものがほとんどではないだろうか。私は養母アストリッドの行動とアレナフィルの行動を似ていると感じたことがない。


「いい加減、人のものは自分のものっていう図々しさを反省した方がいいと思うな。フォリ先生達だって、フィルほど図々しい女子生徒は初めてだと思うよ」

「図々しくなんかないもん。フィル、自分のものしか自分のものじゃないもん。ルード、決めつけよくない」

「自覚もないんじゃ治しようがないね。こんなバカな子、やっぱりおうちから出なくていいよ」


 アレンルードは仕方がないと思いながらも、自分だけのアレナフィルを取られたみたいで悔しいのだろう。

 だからサンリラでも、本来はガルディアスの護衛である士官達がそれを察し、アレンルードをかまってくれたのではないか。

 今日、私はアレナフィルがあれだけの説明を大臣達にしたことで、エイルマーサにあの家の通話通信履歴を取るように頼んであった。


「それよりフィル、ユウトさんと国際通話通信していたのかな」

「え?」


 アレナフィルの瞳が、動揺を映して揺れ動く。


「いつの間にやり取りしていたのかと思ったらかなり通話していたみたいだね、フィル。小さな荷物も届いていたようだし。兵器の輸送とかに関してはこちらに言うように伝えてあったはずだよ」


 これ以上アレナフィルに勝手な行動をされると齟齬が生じかねず、私もきちんと言い聞かせなくてはならなかった。

 子育ては、叱るところと褒めるところがある。


「通話費用なら大丈夫なの、ジェス兄様。ちゃんとユウト・・・さんから通話代はもらってるの」

「そういう費用の心配はしなくていいんだ。いくらでも通話はしていい。だけど勝手に話を進めるのはやめなさい。ついでにその通話費用とやらはお返ししておこうね。後で出しなさい」


 どうしてうちの子が通話通信する代金を、他人からもらわなくてはならないのか。

 現金で返すのが望ましいものの、それでは角が立つというのであれば、違う物に代えて返すしかあるまい。


「えーっと、そしたらフィル、一度おうちに帰らないと・・・」

「まずはその金額はいくらだったのかな? 全くよその資本力に釣られちゃ駄目って言っただろう」


 あの家に帰らせたら、この子はまたもやマイペースにごろごろと好きに過ごすだけだ。


「釣られてないの。勝手に送りつけられてきただけなの。だからパピーの口座にこっそり入れておくつもりだったの。もしくは外国通話分だけ支払い別にしてもらって払うとか」

「叔父上。フィル、それで証拠隠滅する気だったみたいですよ。変な所だけ知恵が回るんだから」

「ルード、うるさいの。も、ルード、お部屋行っていい。ルード、邪魔」

「うるさいんだよ、フィルのくせに」


 アレンルードの言う通りだ。どうしてそんな姑息な手段を思いつくのか。

 あのユウト・トドロキの入れ知恵かと思いもしたが、あの青年はそんな手続きがあることも知らないような気がした。あの男、恐らく支払いは全て秘書にさせておくタイプだ。


「フィル。相手の言いなりになってどうするのかな。報告はまず兄上か私にしなさい。子供がそんな手続きする方が問い合わせを受ける。兄上に育児放棄の疑いで調査が入ってからでは遅いんだよ」

「ええっ!?」

「もう、あのウミヘビが届くまで、フィルはここで過ごしなさい。あっちのおうちだと、フィルは何をするか分からないからね」

「そんな・・・! ジェス兄様、マーシャママ、フィルを心配しちゃう。マーシャママ、フィルが元気に朝起きて、夕方に戻ってくるまで心配してましたよって、いつも抱きしめてくれるんだよっ!?」


 それはもううちの母にさせればいい。うちだって毎夕、今日は何もやらかさなかったねと、抱きしめながら確認するぐらい喜んでやるだろう。


「大丈夫。きちんと説明は入れておいたから。こっそり夜は外国人と通話していたようだと言ったら、道理で朝はなかなか起きないと思いましたって納得してくれたよ」

「ふみゃああっ」


 夜更かしがどうしてばれないと思っているのか。エイルマーサはまた夜中まで本を読んでいたのだろうと思っていたらしい。

 とっくに裏付けを取った後と知り、アレナフィルが恨めし気な顔になる。


「全くフィルってば放っておくとろくなことしないよね」

「ルード、うるさい。フィル、いい子だもん」

「自称だね」

「はいはい。その続きは歯を磨いて顔を洗って、シャワー浴びて着替えてベッドの中に入ってからにしなさい」


 そんな双子は私の寝室で仲良く眠ったが、深夜にむっくりと起きたアレナフィルはこっそりとトイレに行くフリでベッドを抜け出し、ファレンディア国へ通話通信を入れていた。

 時差があるから夜に電話するのはともかく、その流れがあまりにも手慣れているとしか言いようがない。


(あまりにも子供らしくない。そう、フィルは子供らしくないんだ)


 人気のないホールで、アレナフィルはひらひら寝間着でお喋りしていた。こんな人気のないところで、酔った住み込みの使用人が通りがかったらどうする気なのか。

 住み込みの使用人の棟は別棟だが、主人と使用人の火遊びなんてよくある話だ。

 平和そうな顔でアレナフィルはお喋りしている。


【一応、8台の内、2台はノーマル、3台はオプション3ね。あとの3台は、明日データ取って知らせるから、それでオプション決めてくれる?】


 国際通話通信自体を責める気はなかった。どれだけ長時間したところで構わない。

 だが、いつか本当にこの国を捨てていくのではないかと心配になる。兄はどうするつもりなのだろう。そしてアレナフィルもまた何をどう考えているのか。

 ファレンディア語など分からないが、敬語を使っていないのは分かる。そして気のおけない会話をしていることも。


【あの人達、父の部下だし。学校に出向している軍人だから、ウミヘビはもうサルートス軍に納品決定。まあ、一人は学校関係ないけど。あ、ちゃんとユウトの件は沈黙誓約書書かせたから大丈夫。今は父の部下でもエリートだからいずれ父より出世する筈なの。だから先にサインさせちゃった。・・・あ、一人だけまだだ。ヴェインさん、全く違う基地の所属だからそうそう会わないんだよね。それが三人目。父の直属の部下なんだって】


 己の判断が間違っていたのではないかと、たまに不安になる。

 本当は彼との交流を禁止すべきだったのではないか。

 カタコトしか話せなくなったアレナフィル。母が殺されたと知って泣いていたアレンルード。

 兄の子供達を幸せにしてやりたいと思っていたのに、あの青年は簡単にアレナフィルを手に入れてしまった。

 あのユウトの正体はアレナフィルの家族というが、どうしてアレナフィルだけがあまりにもファレンディアに染まっているのか。

 私とて仕事で領地に行くこともあれば、泊まりがけの仕事もある。ポルノ小説を読み耽っているのを知られたくないという理由であの家にこだわるアレナフィルを、兄はローグスロッドとエイルマーサという疑似両親をつけて育てさせた。

 

【あの人達に近づいたら私の身が危険だよ。貴族にも上中下があって、うちは下なの。そしてあの二人は上。だからうちのルードが上中の貴族のお坊ちゃま達にいいようにされないよう、面倒見が良くてルードを潰さない、そして味方してくれる貴公子の存在を確保しときたいわけ。うちのルードも貴族の跡継ぎとしてはそれなりなんだけど、あの二人とは比べもんにならないから。そして私が恋人候補に名乗りをあげようもんなら、あの二人に目をつけてる貴族連中から全力でうちが潰される】


 アレンルードの名前を連呼しているところを見ると、双子の兄のことで何か要求しているのだろうか。

 本来は我が家のお姫様と婚約した図々しくも忌々しい外国人と見なされる筈が、アレナフィルに利用されている力関係が見え隠れしていて、アレンルードも彼に対して同情的だ。

 スピーディにサインしてくれた二人にはオプションつけて支払い請求するものの本当には支払わなくていいと断言したアレナフィルは、恐らくユウト・トドロキにその負担を押し付けるのだろう。

 どう考えても我が家の姪は資産がないと飼育できない子である。

 うちの兄は、

「ウェスギニー家固有種の新種ウサギとして、アレナフィルを登録したらどうだろうか。絶滅種ならうちから出さなくてもいいだろう」

と、呟いていたことがあった。

 何を馬鹿なことをと思ったが、実は兄が正しかったのかもしれない。


【レンさんにジェス兄様が話をつけてるけど、レンさんの奥さんをずっと一人で放置もできないもん。だけど私、昼間は学校あるしなあ。いや、ティナ姉様もその間、子爵邸で泊まってもらえばいいのかも? どうせ送り迎えは出てるから一緒に乗せてもらえばいっか。明後日、ちょっと隣の習得専門学校行って、聞いてみる。二人共、同じ職場なんだよ】


 アレナフィルには食事をしながら貴族の義務を教えていくしかないと、私は思った。

 まだ家族や親しい知人友人の名前を出す程度ならいい。だが、外国人に今のアレナフィルの交友関係を知られるのは、場合によっては売国の疑いをかけられかねない。

 あの子の周囲には王族、それも王位継承権を持つ者が二人もいるのだ。

 一般市民が新聞などの情報を外国人に喋るのはどうでもいい。だが、貴族が貴族ゆえに知り得た王族のことや軍事のことを外国人に知らせるのは、罪となる。


(そのあたりも相談せねばなるまい。ガルディアス様が親しく友誼を結んだことになっている以上、フィルが知ってる程度のことを言ったところで問題は発生しないと信じたいが、フィルは自分のやってることがかなり把握されていることを知らない。だから注意もしにくいが、貴族の義務として守らなくてはならないことを一つ一つ例に挙げていけば自重するだろう)


 兄によるとファレンディア語は難しい言語だとか。それぐらいなら違う二ヶ国語を覚える方がいいと、そんなことさえ言われた。

 こうしていても、何を話しているやらさっぱりだ。

 どうも話が弾んではいるようだが、「ルード」とか「リオン」とか人名がちょくちょく出ているところを見ると、今日のことを相談したのかもしれない。


【ユウト。今は幸せ? 寂しくない? 親がどんな親でも、子供は勝手に幸せになる権利があるんだよ】


 どこかアレナフィルの言葉が、相手を案じるかのような気配を帯びた。


【うん。ウミヘビの件が片付いたら旅行の件を持ち出すつもり。祖父母は心配性で、叔父は父の決断待ちだから、父が帰宅してからかな。父は私のことはかなり許してくれるから、あっちから説得するの。だけどね、ユウト。自分の幸せも考えなくちゃ駄目だよ】


 そろそろ会話も終わるのか。

 私は先に自分の寝室へと戻ることにした。遅いようならば、トイレに行こうとして目覚め、いないアレナフィルを迎えに来たと言えばいい。


【そうする。ユウト、いざとなれば全て捨ててやるって思ったら、人間ふっきれるんだよ。だから無理はしちゃ駄目だからね】


 だけどアレナフィル。

 どんなに心惹かれてもファレンディアになど行かないでくれと、血が繋がっていなければ言えたのだろうか。血が繋がっていればこそ愛した姪を、それゆえに手放さなくてはならないのだろうか。


――― レミジェス。お前だってもう未来を見てもいいと思うぞ。


 あの時、私は兄になんと答えただろう。


――― 私だってもう吹っ切れていますよ。


 だけどまだそうではなかったのだと突きつけられる。

 こうしてアレナフィルが知らない言語で楽しそうに外国人と話していると思うだけで、悲しみが波のように押し寄せてくるのだ。

 兄が了承している以上、私には何を言う権利もないと分かっていてもそれが寂しかった。


――― 時が流れれば流れる程、思い出がとても優しくなる。


 優しい思い出を心の奥底に閉じこめ、生きていけると思っていたのに。

 可愛いアレンルードとアレナフィルの成長する姿を見守るだけでよかった。


――― お前が愛されていたからだろう。


 兄の言葉が今も胸に木霊(こだま)する。

 何も言わず、昔から微笑んでいるだけの兄だった。それでいて、あの人は私の指針だった。


(いつだって、私が本当に辛い時には傍にいてくれた)


 会いたい・・・。

 無性に、今は兄に会いたかった。何も言わずとも私の心を知っていたあの兄に。

 



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 朝が来て休曜日。

 私はアレンルードとアレナフィルを連れてミディタル大公家へと向かった。兄の使っている家に寄って荷物を持ち出してきたアレナフィルだが、オプションの為のデータを取るのが二人プラスオーバリ中尉ということで三人だと、ほっとしていた。

 

「念の為、5枚持っていく。ギリギリは危険。フィルは安全策とる良い子」

「凄い荷物だね、フィル」

「仕方ないの、ジェス兄様。データ取るの、とても大変」


 人数が多いと大変だから絞りたかったとぼやく姪は、わざと昨日のサイン会で高慢に振るまったのかもしれない。

 姪が様々な事情を並べ、いずれ起こるであろう自分の不都合を説明すれば、みんな文句を言わずにサインしたのではないか。

 ミディタル大公家に到着すれば運転手が、

「レミジェス様。いかがいたしましょうか」

と、尋ねてくる。


「そうだな。連絡したら迎えに来てくれ。本来は昼前に下がらせてもらうべきだが、どうなるか分からないから」

「かしこまりました」


 昨日の時点では、すぐトレーニング用エリアに通すようにしておくと言われていたが、私達を迎えた若い男性、恐らく家令見習いは、

「おまちしておりました、ウェスギニー様。ご案内させていただきます」

と、私達を五人掛けのソファが二つ向かう形になっている応接用の部屋へと案内した。

 しかも案内してきた者が部屋から下がったかと思うと、入れ替わりでミディタル大公・ディオゲルロスが現れる。


殿(でん)・・・」


 言おうとした途端、軽く眼差しを横に揺らされた。私は軽く瞼を伏せることで了承を示す。


「おお、アレナフィルちゃん。聞いたぞ。自分に忠誠を誓う犬にしか褒美はやらんと、宣言したそうではないか。はっはっは、愉快愉快。金払いがいいか、自分の為なら黒を白とも言うか、非合法のプロかの三人だけ選別し、セミオーダーとは今から成人後のプランに一直線だな」


 朝から覇気溢れるディオゲルロスに感動していた様子のアレナフィルと、やっぱり強いと奥歯を噛み締めた様子のアレンルードの違い際立つ我が家の双子だ。

 その言葉に、アレナフィルの表情が抜け落ちる。


「えっと、大公様。それ、誤解、・・・です」


 アレナフィルは「サルートス語理解したくない」な顔になっていた。


「大公閣下、おはようございます。早朝からお騒がせしております」

「おはようございます。以前は稽古をつけていただき、ありがとうございました」


 言い直せば、それでよかったらしい。満足そうに頷かれる。


「うむ、おはよう。レミジェス殿もアレンルード君もそうしていると兄弟のようだな。アレナフィルちゃんがこの年から着々と手駒を揃えつつあるとは、ウェスギニー家も将来有望ではないか」

「相変わらず閣下はご冗談がお好きでいらっしゃいます。さ、アレナフィル。ご挨拶を」


 私はアレナフィルが挨拶できるようにと、その背中に軽く触れて促した。


「あ、はい。おはようございます、大公様。本日はガルディアス様とのお約束がありまして、お伺いいたしました」


 ミディタル大公ディオゲルロスが入室してきた時点で、私達はソファから立ち上がってその脇に移動していたが、アレナフィルはマナーレッスンの成果を見せて、美しい姿勢で挨拶をした。正装ではない時の服装でも挨拶するレッスンもされていたようだ。


「うむ。三人共座り直したまえ。で、アレナフィルちゃん。どれが本命でどれが愛人だ? 勿論、ガルディアスが本命だな? それともあいつは愛人か? だがなぁ、ガルディアスと愛人関係することで裏金作りやコネ就任や裏の人脈作りをするとなれば、かなりの男を渡り歩くスカイダンス人生となるぞ? その時は決して落ちぬよう気をつけなくてはならん。手駒はもっと増やしたまえ」


 アレナフィルを真ん中にして私達三人が座ろうとしたところ、ディオゲルロスの興味はやはり姪にあったようで、そんなことを言われた。


「ひゃああっ!? 違いますっ!! どなたも本命でも愛人でもないですっ」


 スカイダンスといえば曲芸の一つで、客席の上に縦横無尽にロープを張り、その上で軽快な曲に合わせてダンスする演目である。

 余程の練習を積まないと客席に転落することもあり得るが、重なり合うスカートを翻して踊るそれが煽情的で男性に人気だ。

 ミディタル大公・ディオゲルロスの言葉に硬直したアレナフィルは慌てて否定し始めた。

 どうすれば分かってもらえるのかとそっちに気を取られたアレナフィルがひょいっと両脇を掴まれ、テーブルを越えて宙を飛ぶ。

 ディオゲルロスに引き取られたアレナフィルは、その膝の上に納まった。


「謙遜せずともよい。虚偽証言にサインした三人だけ特別扱い。今から自分の為なら犯罪行為も躊躇わん人間を選別しているとは見事なものだ。うむ、そういうことなら私の分も頼むぞ。安心したまえ。愛人にはなってやれぬが、『パパ様』と呼んでも良い。私には若僧共にはない権力がある。共寝をする気にはなれぬが、こうして舞踏会で膝の上に座らせて愛でるぐらいはしてやろう。安心して皆に注目されながら、私に甘えるがよい。次の日から賄賂がばんばん贈られてくる」


 うちの子、王族の父親と息子を誑かした希代の魔性の女(ファム・ファタル)となる日も近いらしい。


「あの、大公様。舞踏会とか、パパ様とかは全力でお断りしますが、それとは別で、えっと、ちょっと、そもそもウミヘビ、数が限られていて、余分というのがないんです」

「大丈夫だ。うちも獲得予定だからな」

「・・・そういった事情、まだ私、全然知らないんですが」


 アレナフィルは数が8台と限られている以上、余裕はないのではないかと、控えめに主張したが、ディオゲルロスは軽く終わらせた。


「事情把握など下の者にさせておけばよい。私は決定するのみだ」

「・・・ひゃい」


 アレナフィルはとても怖がりな子だ。気迫に呑まれていると分かったのだろう。

 ディオゲルロスの覇気が弱まる。


「ふっ。安心するがよい。だからといって子供に無茶な要求はせぬ」

「はい」

「良い返事だ。これをやろう」


 ディオゲルロスはポケットから高級チョコレート店の小箱を取り出してアレナフィルに渡した。あれならば4粒入りサイズか。

 人肌程度の温度にした蒸留酒と一緒に食べるとふくよかな味わいが引き立つとされる。

 あの店のチョコレートは子供だった頃の双子が欲しがるので少し齧らせたことがあったが、滑らかさは理解できても子供の舌に合わなかったようで、アレナフィルが早く大人になりたいと、悔しがっていたものだ。

 アレンルードは、私が勧めた子供用チョコレート菓子でいいと感じたらしく、それ以降、私が大人用の菓子だと言うものには興味を示さなくなった。


「うわぁ、これ、大人になったら一度は買いに行ってみたいという憧れの・・・!」

「それは良かった。子供にはもっと食べやすい菓子がいいかと思ったが、アレナフィルちゃんならよい菓子も分かりそうだからな。酒と一緒に食べるものだが、濃い味の飲み物と合わせることもできよう。色々な調味料にも詳しいと言うではないか」


 ぱああっと、アレナフィルが破願する。


「ありがとうございます!」


 途端にご機嫌になったアレナフィルの頭を撫でているミディタル大公ディオゲルロスは満足そうだ。

 あれ程言ったのに、もう資本力に釣られている姪がいた。

 さすがにミディタル大公の膝とあっては、引き取るのも難しい。

 そこへ開いていた扉から、三人の青年が現れる。


「父上。何を話しこんでいるのですか。トレーニングルームに直接案内してくる筈が遅いと思ったら・・・。保護者の前でよその令嬢を抱きかかえているなどと、アレナフィル嬢も幼児ではないのですよ。本人だって嫌がってるでしょう」

「別に嫌がってはおらんぞ。お前達を愛人として使いつくすにせよ、私のことはパパ様と呼んでもいいと言っておったのだ。小僧共など、私のおこぼれだけもらっておればよい」


 息子の非難など気にする父親ではなかった。


「アレナフィル嬢。そういう時はさっさと逃げてこい。知らん奴が見たら、ミディタル大公の愛人スタイルだ。その手に持ってる高級菓子に釣られたのは分かるが、レミジェス殿のお気持ちも考えろ」

「釣られてはおりません。好きでここに座ってるわけでは・・・。大体、この部屋で一番強いお方を前にどうやって私が逃げられると」


 可愛い姪は、とても隠し事が下手だ。今日は酔っていないというのに、四人の虎の種の印を持つ者の強さをとっくに把握していると自分から白状していて気づかない。

 

「なるほど。ではそのミディタル大公を出し抜く手段を考えてみせろ。そうしたらそのチョコレートと同じものを、違う味を選んでプレゼントしてやる」


 父親より弱いとされたのが悔しかったのか。それともアレナフィルをその気にさせる楽しさに目覚めたのか。

 ガルディアスからの問いに、アレナフィルは簡単に釣られた。


「ガルディアス様が先攻して大公様が避けた拍子にリオンお兄様が私を救出、その際に生まれたリオンお兄様の隙を大公様が攻撃すると考えられるので、そこをヴェインお兄様がフォロー。後は私、叔父と一緒に脱出しますので三人で頑張ってほしいなと思います」

「どこまでも男を使い捨てていく気だな、アレナフィル嬢。だから結婚詐欺師と言われるんだ」

「言われてませんよっ!? 大体、大公様に私がどう対抗できるというんですかっ」


 先程からアレナフィルは立ち上がって逃げようとしていたのに、ディオゲルロスは見事な把握能力を有していた。立ち上がる為、アレナフィルがちょっと重心を前に持っていこうとすれば、それを察知して膝の角度を微妙に変えてタイミングを壊し、手を伸ばして立ち上がろうとすればその手をさっと掴まれる始末。

 反射神経と運動神経でアレナフィルは負けっぱなしだった。


「男を見る目があるな、アレナフィルちゃん。お前ら三人だけセミオーダーとはしゃらくさい。それならば私をと言っていたところだ。どうせうちの取り分くらいあるであろう」

「どうなんでしょうね。ウェスギニー大佐はまだ戻っていないので保留状態ですよ」


 さすが軍事に関しては最高の地位に就く方だけはある。自分に渡されぬ筈がないと決めつけていた。

 道理で兄も、本来は全く関係ないミディタル大公家分について配慮していたわけだ。この性格を理解していたのだろう。

 私はコホンと咳払いして、注目を集めた。


「兄から聞いていた話では、ガルディアス様分を含めて2台がミディタル大公家、ネトシル少尉分を含めて2台が王宮、サラビエ基地とレスラ基地に1台ずつ、そしてオーバリ中尉含めて兄の所に2台でしたか。ただし、どこも使う時には融通し合うという約束になっていたかと。

 あえて分割して保有するのは、普段のトレーニングに使うからだそうですが、姪によると、セミオーダーである程度を個人に合わせたものにしてしまえば、使用時に占有登録してしまうと他人が使えなくなるそうですね。敵地で奪われて使われることはないという話でした。セミオーダーだとそういうオプションがついてくるそうですが、通常はつかないと。

 それでですね、すみませんがうちの姪が恐れ多くて怯えておりますので、大公閣下、その子を解放してくださると助かります」


 アレナフィルが誘拐されたことは、ミディタル大公家がこっそりつけていた護衛、正式な王宮の近衛による護衛、そしてアレンルードを鍛えるということで参加していたレスラ基地、更にはフォリ中尉として在籍しているのだからと譲らぬサラビエ基地、それぞれの士官や兵士の報告によって把握されていた。

 沈黙の代償に、数が限られる希少兵器を。

 それが兄の決断だ。


「怯えてはおらんぞ。さっきからせっせせっせと私の腕の隙間を探して逃走トライし続けておる」

「父上、面白がってるでしょう。その子は玩具じゃないんですよ」

「うむ。これはアレだな、子ネズミのようだ」


 この邸の主人がアレナフィルを面白がっている内は仕方がないと諦めたのか。私の隣にグラスフォリオン、アレンルードの隣にボーデヴェインが座る。


「無駄でも逃げようとして頑張ったご褒美に飴をあげよう、アレナフィル嬢。昨日、喜んで舐めていただろう。アレンはよく動くから棒が付いていない奴だな」


 大公の膝の上からアレナフィルを救出してくれたのはありがたいが、ガルディアスの膝の上に移動したのであれば意味がないのではないか。

 父親の手に、ガルディアスは棒付きキャンディを握らせている。


「おい、こら。ガルディアス、それは私のだぞ」

「アレナフィル嬢はあなたのものじゃありませんよ、父上」


 ディオゲルロスの隣に座ったガルディアスはアレンルードに軽く頷いて合図したかと思うと、テーブルの上で菓子の入った袋を滑らせる。

 棒付きキャンディのアレナフィルと違い、アレンルードは個包装された菓子袋だ。アレンルードも、さっとキャッチした。


「あ、これ、中にチョコレートやソフトキャンディが入ってる奴だ。ありがとうございます、フォリ先生」

「お前は途中で噛み砕くからな。沢山入っている方がいいだろう。アレナフィル嬢は丹念に練りあげているタイプだそうだが」


 ミディタル大公が、小娘の為に棒付きキャンディの包装を剥いて食べさせるのを見る日が来るとは思わなかった。

 だけど何故だろう。撫でられる触れ合い動物園を思い出してしまうのは。

 お菓子を与えないでくださいという札を立てておかねばならないのだろうか。


「あ、昨日のと違う味。どっちも美味しい」

「ネトシル少尉が今日もアレナフィル嬢にあげようと思って持ってきていた奴だ」

「ありがとうございます、リオンお兄様」

「いや、喜んでもらえて嬉しいよ」


 隣に座るグラスフォリオンが笑い出したいのを堪えているのが、震えている手を見れば分かった。


「フィルって本当に浮気な子だよね、叔父上」


 甥は正しくこの状況を理解していた。双子の妹の懐き具合は、子供の小遣いでは購入を躊躇われる値段の菓子で買えるのだと。

 数は多いが安い菓子のアレンルードと、数は少ないがちょっと値段の張る菓子のアレナフィル。

 どちらも自分のもらったものに満足しているのだから問題ないが、把握されていることが悩ましい。


「それで真面目な話に戻るが、数が多いならばそういった自分専用というのがありがたいものの、個数が限られるとそれも悩ましいものだな。敵に奪われにくくなっても、味方も使えないとなればどっちがいいやらだ」

「ガルディアス様。そういう真面目なことを語る前に私を下ろしてください」


 アレナフィルもアレンルードの軽蔑する眼差しに感じるものがあったのか。

 やっと今になって主張し始めた。


「別に父の前だからと呼び方を変えずともいい。私とて弟妹が欲しかったのだ。だが、よその子を可愛がると色々と面倒なことになってな、その子の人生が変わってしまう。その点、今のアレナフィル嬢には保護者がいて、変な外野の目もない。せっかくだからおとなしく座ってろ。どうせいつも家族で慣れてるだろう」

「慣れてはいますが、それは家族だからで・・・。それならルード貸してあげます」

「フィル、勝手に僕を売らない」


 アレンルードはアレナフィルが卑怯な子すぎると、この間から悩み中だ。

 そこはピシッと撥ねつけた。


「撫でて菓子を食べさせるならアレナフィル嬢で十分だ。アレンを愛玩するなど持ち腐れも極まる。お前の中身がただのぐーたら我が儘ババア猫なら、アレンの中身は光を浴びて栄養を糧にぐんぐん成長する若芽だ。黙って撫でられてろ」


 ガルディアスの方でも我が家と同じ結論に達していた。

 

「叔父様、ここに私を可愛がっているフリで実は(けな)してくるお方がいます。ヴェインお兄様、ここは成長を待って恋人になりたい女の子を颯爽と助ける場面です」

「お菓子抱えてそう言われても。フィル、仕方ないから舐め終わるまでそこにいなさい」


 食べ物だけをもらったら逃げてくるという、野生動物みたいな真似はやめてほしい。何ももらわなければ引き取ることもまだ簡単だったものを。


「なんでこんな偉い方々の前でご指名かなぁ。アレナフィルお嬢さん、そこはネトシル少尉ご指名でいきましょうよ」

「リオンお兄様は優しくていい人だから巻きこみたくないです」


 うちの姪、グラスフォリオンを温存し、ボーデヴェインは使い倒す気である。


「ひどすぎますよっ!? いえ、それでもボスの娘だから仕方ありません。いつでもこの膝と腕はお貸ししましょう。お嬢さんから私の腕の中に飛び込んでくる分には、自分に責任はないのでいつでもウェルカム。だけど私から奪いに行くのは、そちらの方々を敵に回したくないので遠慮させていただきます」


 ボーデヴェインにも選択する権利はあった。


「女の子に全ての責任を押しつけて自分は安全圏だなんて最低です。そんな独り善がりな腕に自分から飛び込んでいくのは遠慮します。ヴェインお兄様、抱っこヘタクソだし」

「子供なんて担ぐぐらいでちょうどいいんです。言っておきますが、ヘタクソなんて言うのはお嬢さんぐらいですからね?」


 男として譲れぬものがあるのだろう。

 なぜかヘタクソという言葉には、男の心を折る何かがある。


「叔父上。出番だって、フィルが言ってます」

「うちの兄はいつ帰ってくるんだろうね」


 我が家よりもはるか高位の邸宅で姪を抱っこする程、私は非常識ではなかった。

 平然とした顔でやれるのは兄ぐらいである。私には荷が重い。


「おお、ウェスギニー子爵か。彼ならまだ戻るまい。現地の状況はよく分からんがな。あの男の出動理由と予定は、どうせ全てダミーになるのだ。心配せずとも安心して待っていてよかろう。本来はもっと出世していいものを、結果を出すがゆえに大佐から上に出世させられん男だ。出世させないでくれという嘆願も凄まじい」


 その時、アレナフィルの表情が固まった。

 かつてアレナフィルは自分の父親が薄給だと信じ、浪費改革計画を立ち上げたことがある。

 世間の一般的な給料を調べ、兄の老後費用まで計算したアレナフィル。何才ぐらいで大怪我するかもしれない、体調を崩して入院するかもしれないと、それに要する治療費まで勝手に計算したアレナフィルは、兄の主治医へのお礼の品物まで予算に組み込んでいた。

 それを聞いた父は、景気によって貨幣価値も変化していくから、そんなことはまだ子供のお前が考えるものではない、大きくなって習うことだと、たしなめた。難しいことを言えば、アレナフィルも変な計画を諦めると考えたのだ。

 しかしアレナフィルは、それならばと物価上昇率を調べようとした。それを見た父は面倒になったのか、アレナフィルに、お前の父親が貧乏でも祖父はお金持ちだから大丈夫だと吹きこんだ。

 結果、アレナフィルは何かとおねだりしては更に甘えるようになったのである。アレナフィルは父や私から少し多めに小遣いを渡されていた。

 ちょこちょこと変な物を買ってはいるようだが、アレナフィルの買い物はかなり堅実だ。


「あ、すみません。私もその嘆願書にサインしました。大佐でまだ現場に入るって時点で特例ですし、これ以上、出世されたらさすがに現場に入ってもらえません」

「叔父様。お父様、もっと出世していいと私は思います。そしてヴェインお兄さんは裏切り者だと判明しました。もううちに出入り禁止にしていいです」


 アレナフィルの中で、出世イコール給料アップという方式が輝いているに違いない。だが、アレンルードの中では、出世イコール身の危険という方式が点滅したようだ。


「叔父上。僕が成人して足場を固めるまで、父上は今のまま出世しなくてもいいと思います。そしてヴェインさんはいい人です。我が儘な子の意見より、僕の意見が優先されるべきです」

「家長である兄上が帰宅してから二人で主張しなさい。現在、オーバリ中尉は我が家にとって兄上の大切な部下の一人だ」


 双子の意見対立を、ミディタル大公とその息子が楽し気に見つめている。

 同じ顔をしていても感性が異なる二人を面白く感じているのだろう。

 そして私は兄の足を引っ張らぬよう、意思表明を避けた。


「ひどいっ。ルードはお父様がおうちに帰れなくてもいいのっ? 出世したら留守だって減るんだよっ」

「ひどいのはフィルの方。父上が自宅に毎日いたら、僕がどんなことになると思ってるんだよ。虎の種の印を持つ者はパワーが有り余ってるって言ってたの、フィルじゃないか」

「大丈夫。お父様、子供には優しい」

「大丈夫じゃないよ。フィルが騙されてるだけ」

「騙されてないですぅ」

「騙されてますぅ」


 こんな娘などあまりにも我が儘すぎて問題外だと、ミディタル大公家が判断してくれないだろうか。

 あのユウト・トドロキとの婚約解消後を思うと頭が痛い。うちのアレナフィルに妃なんて務まるのか。


「自分可愛さもここまで正直だと清々しいな。妹扱いなんぞよりさっさと妻にしてしまえばよい、ガルディアス。そうすれば気の利かん夫より、舅に遠慮なく懐くであろう。

 中身がババア猫だろうが何だろうが、明るく元気な子に躾けてあげよう、アレナフィルちゃん。何なら虎の種の男ばかりに囲まれさせてやってもよい。筋肉を愛でたいと言っていたではないか」


 うちのアレナフィルは、筋肉は筋肉でも自分をいい気分にさせてくれる筋肉が好きなのであって、ただの乱暴な人間や、汗臭いそれはお断りという子だ。

 この子の趣味に合致する筋肉の持ち主は、気を遣って甘やかすという技能も要求される。


「お気持ちだけで十分です。それに極秘情報なのですが私、現在とても愛し合っている婚約者がおります」


 アレナフィルもガルディアスはともかく、その父親はまずいと判断したようだ。

 だけど問題はそこではない。

 ガルディアスは殿下であり、ミディタル大公家で暮らしていないのだ。


「聞いておる。たしか未成年の内に全財産を巻き上げ、結婚できる年になる前に捨てるという男のことだったな。

 その年でそれだけの悪女とは勿体ない。成人後は遠慮なくガルディアスの子を産み、同じような悪女を沢山育ててサルートス貴族や外国人達から全ての富と権力を巻き上げるがよい」


 うちの姪は何十人の娘を産まなくてはならないのだろう。

 毎回、双子や三つ子を出産しなくては間に合わない。


「誤解ですっ」

「真面目に取り合わないのが一番早い終わらせ方だぞ、アレナフィル嬢。安心しろ、誰もこの人の言葉は話半分でしか聞かない」


 この中で一番ディオゲルロスを理解しているであろうガルディアスが、妥当なアドバイスを告げた。そして己の父親に向き直る。

 学生時代のガルディアスは、高位の貴族だからと低位の貴族令嬢に対して高圧的に振る舞う男子学生に対し、罰則規定を学校側に要求した人だ。自らもその模範となった。


「父上、婚約なんて遊びに行く約束としか思ってない子を買いかぶっても仕方がないでしょう。さ、アレナフィル嬢。昨日、気に入っていた菓子を帰り間際に持ち帰ってもらえるように料理人には伝えてある。

 たしか家族にも食べさせたかったんだろう? 少し香りづけの蒸留酒が入っているから、夕食後に食べるといい。

 約束したチョコレートは違う日に差し入れてやる。ヴィーリン夫人と食べたらいいんじゃないか?」

「ガルディアスお兄様。いくらでも抱っこして撫でてください」


 どうすればいいのか。ガルディアスの甘やかしテクニックが上昇しつつある。


「叔父上。菓子に釣られて浮気する子がいます」

「フィルはまだ子供なんだよ。心はまだ赤ちゃんなんだ」


 入学当初、甘やかされることしか知らんという意味を理解してない坊ちゃん共はこれだからと、兄はせせら笑っていた。あれならばアレナフィルにとって物足りないレベルであり続けるから保険で考えておけばいいと。

 しかし今やアレナフィルは小生意気なだけのウサギではないと判断され、どんどんとアレナフィルのエサが把握されつつある。瞬く間に誰もが甘やかす技術をレベルアップ中だ。


「いい子だ。素直な子は好きだぞ。悪女になるのは成人してからにしとけ」

「私も太っ腹な方は大好きです。そして悪女にはなりません」


 そんなやり取りを聞き、アレンルードは隣から私を見上げてきた。


「叔父上。男を利用してお金を巻き上げるのが悪女なんだよね? そうしたらフィル、もう悪女だよね?」

「そこは考えないことにしておきなさい」

「うん。ところで叔父上。ウミヘビ8台分っていくらの価値があるの? フィル、何もしてないのにもらうんだよね?」

「おうちに帰ったら話し合おうね。だから今はそれも封印しておきなさい」


 ミディタル大公家は蝶の種の印を持つ者にそこまで価値を見出さないだろうと、私は思っている。

 アレナフィルをからかうようなことは言っていたが、かつてのディオゲルロス王子の逸話を思い出す限りその筈だ。

 本来はガルディアスもまた父親とは違う意味で、蝶の種の印を持つ者に興味を示さない筈だった。

 双子達には分からないだろう。謹厳実直、常に謙虚で礼儀正しいとされた彼が、幼児ならばいざ知らず、ここまで特定の貴族子女を可愛がっていること自体が異例なのだと。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 なるべく使用時の恰好に近い方がいいからと、シャツと伸縮性のあるズボンといったトレーニングウェアに裸足(はだし)で計測したいと、アレナフィルは言い出した。

 陸上で使うものじゃないから、履くならばゴム底のぺったん靴にしてもらいたいそうだ。


「水辺で使うなら、たしかに排水機能付きゴム底靴でしょうね。だけどそれなら裸足の方がいいかもしれません」

「ゴム底もランクがありますしねえ。計測なら皆さん、どなたも裸足で大丈夫じゃないっすか? あ、アレンルード坊ちゃんはちゃんとトレーニングシューズ履いといてくださいよ。今まで靴を履いていたのがいきなり裸足でやり始めると、バランス崩して痛めることがあるんですよ。やるなら簡単な練習から」

「はい、ヴェインさん。そんなに違うんですか?」

「靴ってのはあれでかなり足の負担を軽減してくれてるんですよ。アレナフィルお嬢さんが、裸足がいいと言うならそうしといた方がいいでしょうからね」


 室内なので裸足でも後で足を洗えばいいだけだ。

 ちゃっかり参加しているミディタル大公・ディオゲルロスを見て、アレナフィルが首を傾げる。


「大公様とガルディアスお兄様ってほとんど同じ体格ですよね? それなら一台で二人を占有登録も可能だと思うんですけど。あれ、つまりすぐに装着できるってことですし」


 父と息子に背中合わせで立ってもらって、アレナフィルは二人を比べた。

 大体の体の厚みや筋肉のつき方がよく似た数値ではないかと、アレナフィルが悩み始める。


「アレナフィル嬢。普通とデータを取るそれとの違いをきちんと教えてもらえないか? 体格が同じならというが、誰でも使えるのとどう違うんだ? 父だけじゃなく、同じ体格なら同じように使えるということか?」

「うーん。占有登録しなければガルディアスお兄様に合わせた物であっても、他の人だって誰でも使えちゃうんですよ? だけど先にデータを取ってそれを送るというのは、いざとなれば登録されたデータの人しか使えなくするという機能をつけることができるってこともあるんです」


 アレナフィルは青インクの残光ペンを取り出して、壁にデフォルメされた人間の形を描いた。


「あのトビウオバッタ品は、体の幾つかに固定するフリーサイズ製品でしたが、ウミヘビはほとんど全身を覆うことになります。だから通常のウミヘビは、最初に大きい状態で、装着することで使用者に合わせて縮むわけです。

 だけどセミオーダーは体格データを送るので、無駄に縮む分を削除できます。何故なら縮む分は内側に収納されるわけで、それが動きにくさにも影響するわけです。

だけどミディタル大公家に2台が割り当てられるとして、そして大公様とフォリ先生が1台を占有ということで共有するなら、二人のデータを送ることで、その二人のどちらが使ってもいいように、小さな箇所ごとに大きい方を選択して作り上げます」

「だが、人の体格は変わるだろう。そうなるとどうなる?」

「ある程度の体格変化を考えて作られているから大丈夫です。セミオーダーといっても、完全にぴったりと言うわけではないですし、そこは伸縮性のあるものが内側に入ります。何より、全身を覆うタイプじゃなくて一部固定で使用することも可能です。それはノーマル仕様もセミオーダーも変わりません」


 ウミヘビは全身を覆うものだが、分割して一部だけ身につけた状態でも使えるのだと、アレナフィルが説明した。


「アレナフィルお嬢さん。そうなると、たとえば一人があのトビウオと同じ使い方をして、残った腕部分とかの装備を他の人に使わせるというのは? 動力がないから無意味だったりするわけですかね?」

「うーん。そっちの使い方に気づかれたなら仕方ないですね。今、説明しておきましょう。その場合、親子の魚状態でくっついて水中を移動できます。その際は、空気圧縮ボンベの空気を二人で分け合いながらになりますけど」


 コバンザメのように付着して泳ぐスタイルを思い浮かべればいいらしい。

 アレナフィルは人間がうつぶせ状態で上下に重なっている様子を壁に描いた。分割したウミヘビを上側の使用者がどの部分を装着し、下側の同行させる人間にはどの部分に装着させるかを、赤インク残光ペンで丸く囲んで内側に斜線を引いていく。


「つまり、一人がウミヘビでどこかに侵入し、そこで救出した誰かに自分の装備を半分こ状態にして一緒に脱出できると」

「そういう使い方もできます。というより、それを想定して作られてますね。恐らくそういった様々な使い方について、届いたらレクチャー時間が必要になります。水中で離れることのないように、上下の人間を固定するやり方も教わらなくてはなりません」

「分かりました。どうぞ続けてください」


 本当はもっと詳しいスペックを把握しているのだろうと判断したか、ボーデヴェインの口調が丁寧なものになった。

 敬意を示したのか。それとも感情次第で情報制限してくる子にぞんざいな態度を取り続けても利は無いと思ったか。

 アレナフィルはバッグの中から、折りたたまれたヒト形の袋を四つ取り出した。


「そうしたらガルディアスお兄様はナンバー1の1。大公様は1の2で採寸しましょう。リオンお兄様はナンバー2、ヴェインお兄さんはナンバー3で」

「アレナフィルお嬢さん。どうして私だけお兄さんになっているのでしょう」

「裏切り者に敬意を払う必要はないのです。あと、オプション費用、ちゃんと払うんですよ?」

「・・・はい」


 嘆願書へのサインは、兄が薄給だと信じているアレナフィルのご機嫌をかなり損ねたようだ。

 そしてアレナフィルはヒト形採寸用の袋にナンバーを書き、四人に渡した。


「それにまず足から入ってください。これは使いきりで体の採寸を取るものなのです」

「では服も脱いだ方がいいのか? 水着の方がいいのか? そうなるとアレナフィル嬢はいない方がいいだろう」

「水着姿が一番ですが、服を着ていてもいいです。裸でウミヘビを装着するわけじゃないので、あそびがあった方がいいですし。

 救助用に使う人は水着で採寸した方がいいんですけど、なんか軍とかに採用された場合は水着でも色々なものを仕込むせいか、服を着た状態で採寸した方が、満足度が高いそうです。あそびの部分にナイフとか入れておくらしくて」


 ぴったりにしてしまうと、武器をしこむ余裕がなくなるそうだ。

 アレナフィルは椅子を持って、ボーデヴェインに近づいていった。背の高さが違いすぎるからと、椅子の上に立つ。


「背筋をまっすぐにしといてくださいね。両足は肩幅程度に広げて、手をまっすぐ横に。一気に袋が締まるので、手や足の指もできるだけ広げておいた方がいいです。顔は耳の位置も把握させたいので、頭のてっぺんまで一気にいきます。一応、鼻部分はすぐに助けてあげるから、呼吸は一時的に止めてください。ちょっと袋を上まで引っ張ります」

「なんつーか、椅子だと危なっかしいですね。レミジェス様に代わってもらったらどうですか、お嬢さん?」

「椅子は私が押さえておきましょう。大丈夫、フィル。何なら抱きかかえてあげるよ」

「それなら椅子だけ押さえておいてください、叔父様。これね、一気にプシュッといくの」


 採寸用ヒト形袋を手や足の先から頭に向かって引っ張り、なるべくぴっちりにする。

 それから袋を頭の上でまとめ、アレナフィルは幾つかある印の内、二つの印を貫いた。

 パシュッという軽い音と共に、一気に採寸用ヒト形袋が収縮して、ボーデヴェインのスタイルが丸わかりとなる。手際よくアレナフィルは鼻部分にレーザーを当てて穴をあけ、彼の呼吸を確保した。


「採寸データ数値が袋の表面まで出てくるまで少し待っててください。なるべく動かないで。

 叔父様、これ、しばらくしたら表面に色々な記号とかが出てくるの。最後に、青い線に従って破って、出られるようにしてあげて欲しいの。袋を回収して、その数値を伝えればサイズは完璧」


 皮膚呼吸は大丈夫なのだろうか。目や口も袋できゅっと覆われているので返事しないボーデヴェインだが、こちらの話は聞き取れているようだ。


「なるほどね。だからルードにはまだ早いのか。これからルードも背が伸びるだろうし」

「それもあるけど。・・・あのね、叔父様。軍人さんは自分で使うけど、うちは誰が使うか分からないでしょ? 叔父様とかルードが救助に向かうわけじゃないでしょ? うちはフリーサイズがいいと思う」


 現実的にウェスギニー家が使うならば被災時の救出作業で、その際は私やアレンルードが向かうことはまずないと、アレナフィルは割り切っていた。

 うちは領軍を持っている大公家とは違う。


「それならミディタル大公家もフリーサイズがいいんじゃないのかい、フィル?」

「んー。だけど一つがセミオーダーで、一つがノーマルでしょ。多分、どちらも使ってみたら、なるほどって思うんじゃないかなって思います。視力に合わせてズーム倍率も決めていくから。フリーサイズは自分でズームも毎回セットしなくちゃいけないけど、セミオーダーは最初からぱぱっと合わせられるの。装着もお洋服を着る感じですぐにセットできるの。フリーサイズは自分で一つ一つ付けなきゃいけないけど」


 ボーデヴェインを覆っている特殊布の表面に、赤い色で記号や数値らしきものが浮かび上がってくる。

 アレナフィルは再び椅子の上に上がり、ボーデヴェインの頭の上にある余剰部分にある次の印を貫く。


「ヴェインお兄さん。5カウント以内に両手を下ろして、足を閉じてください。それからそのままの姿勢でいいと言うまでじっとしててくださいね。あ、返事はいりません」


 誰もが興味津々で見ているが、グラスフォリオンが話しかけた。

 

「へえ。腕を下ろした状態でも数字が出てくるのかい? なんかオレンジの文字が浮かび上がりかけてるね」

「そうなんです。だからリオンお兄様も後で同じようにしてください。一回目はきゅっと絞るけれど、二回目からは少し緩んで、ポーズ取りやすくするし、その際のサイズ変更も表示されます。ポーズ変えたら、少しラインも変わるから」

「そこまで細かくデータを取るんだね」


 ポーズによって違う色で浮かび上がってくるということは、かなり細かい採寸だ。

 セミオーダーという言葉には簡単な採寸しかイメージできなかったが、これはどれ程の違いが出るのか。


「体の動きをなるべく妨げないようにしないと、ウミヘビで戦えないから」

「この文字ってファレンディア語?」

「そうなんです。このデータを元に、あちらでモデル人形データが作成されて、それに合わせてウミヘビが調整されるの」

「そうなるとそれなりの重さもあるわけだ。全身を覆うわけだろう?」


 先に入手した遊泳補助具は首や足首などに固定させるものだったが、ウミヘビは体全体を覆うものらしい。たしかに重量の違いは出るだろう。気にするような身体能力ではなさそうだが。


「それをトレーニングルームのデータと、プールでのデータ、そして河川でのデータを送って決定することになるんですよね。作業するとしたら何時間を目安にするのか、その時は体力が十分なのか、たとえ体力が落ちていても何を優先するか、とか。どうしてもガード能力を重視すると重くなります」

「優先?」

「そう。ガード能力か、激しい水流の中でも動けるような推進能力か。父の所の2台に関しては、使用する外国の年間水温推移表も必要となると思いますけど、たとえば冷たい海や川で使うのであれば体温保護を重視することになるんです。狂暴な水中生物がいるかどうかも含めて、スペックもそれに対応していきます」

「狂暴な水中生物ねえ」


 グラスフォリオンは水中で敵と戦うケースを想像したようだ。


「たとえばワニとかサメとかがいる所では、その牙も跳ね返し、それどころか噛みついた途端にその顎が引き裂かれる自動攻撃能力を付帯させます。

 尚、それを普通のノーマルにつけたら、誰かが水中でぽんっと叩いて合図しただけで殺されることになるわけです。だから通常使用のウミヘビにそんなのはつけません。

 そしてヒルみたいなものがうようよいる所で使うならば、皮膚を全く出さないようにしなくてはなりません。その際は体外に電流が放出されるオプションがあるといいわけです。

 だけどそれを普通の時に使うとなれば、まさに厄介なことになります。だから三人共、使い道についてはバラバラにしてチェックしておいた方がいいです。貸し借りし合い、どんな状況にも対応させたいなら、皆が違うものに特化させるしかありません」

「なるほどねえ。じゃあ、アレナフィルちゃん。俺の場合は何を重視すべきだと思う?」

「職務的に、誰かを救出することだと思います。誘拐や水難事故に遭った王族や仲間を助けるとか? 自動攻撃装置よりも水中探査と体温維持、そしてツイン使用などの快適性ではないかなと。その場合、脱出時のことを考慮し、即座に離脱できるよう推進力を優先する感じで」


 アレナフィルからチェック表を渡されていた彼等だが、どういう水温で使うのか、水流や求められる技能などについても事細かく分かれていて、それすらも、一番に優先する条件、二番目に優先する条件といったものを選ばなくてはならない。

 だが、サルートス国は海戦がまずない国だった。誰しもそこまでこだわる条件など思いつかない。

 というわけで、自分達よりもウミヘビのことを知っているであろうアレナフィルに考えさせるという手抜きをグラスフォリオンは選択した。

 

「そっか。ありがとね。じゃあ、フォリ中尉だとどうかな?」


 ミディタル大公・ディオゲルロスが興味深げな笑みを浮かべる。


「大公家ならば水害時に人道的支援という形で貸し出すことが多くなるかと思います。

 となれば、河川の氾濫や水難事故を想定し、油や木の枝やゴミが沢山流れていても怪我をしないような頑丈さ、なおかつ重厚さよりも疲労軽減ということで軽さを重視、そして何かがぶつかってきても受け流すタイプにした方がいいと思います。汚水環境であることを鑑み、周囲の水に汚染されぬよう呼吸他もガードさせるべきかと。サルートス国の全ての河川の水温推移表をチェックして、最低水温から最高水温までカバーする感じで。

 あ、オレンジ色も終わったから、次はヴェインお兄さん、両足をある程度前後に広げて、両手も同じように前後に肩の高さで広げる奴、いきますよ。楽なように腰を少しひねってください。(ひじ)は直角に折って。要は、水の中でバタバタ足を前後に広げるとしたらどこまでかを考えてください。プシュッて音がしたら5カウント以内に」


 アレナフィルが次の印を貫けば、ボーデヴェインがさっとポーズを取った。

 左手と左足を前に、右手と右足を後ろに広げて、やや腰をひねっている。肘はカクッと直角に折られているので、まるで走っている時間を切り取ったかのようだ。

  

「体をねじらせても採寸するんだね」

「筋肉のうねりとかも分かっている方が、その盛り上がり部分に負担がかからないようにするから装着しても楽なんです。ただ、こんなのでカスタマイズされてしまったら、ヴェインお兄さん、水中でのお仕事ばかり回ってきそうですけど」


 くっとグラスフォリオンが失笑する。


「いいんじゃないか? どんな方向であれ、特化したものがあるのは悪いことじゃない」

「それもそうですね」


 ミディタル大公家といえば、大貴族として何かあった時に支援する立場だろうと考えたアレナフィルと違い、戦闘にも使う気満々だったディオゲルロスとガルディアスが、チェック表を改めて見ながら何やら相談し始めていた。


「はい、そしたら最後にさっきとは違う足で前後に広げて、両手は真上に上げてください。顔もできれば上を向いてください。腰はひねらなくていいです」


 アレナフィルが最後の印を貫いて、ボーデヴェインが両手を真上に伸ばすポーズをとる。

 全ての表示が浮かび上がり、青い線に従って破いたところ、出てきたボーデヴェインは自分が先程まで包まれていた黒い特殊布袋の表面にびっしりと文字や記号、ラインが浮かんでいるのを見て顔を(しか)めた。


「うわぁ、なんか呪いみてぇ。気持ち悪ぅ。お嬢さん、よくこんなのが浮かんでくるの、びびりませんでしたね。これ、びっしり浮き出てますけど、全部チェックするんですか。そこまでしなきゃいけないもんっすかねえ。水中遊泳補助にちょっと攻撃能力が付いただけですよね?」


 貿易都市サンリラで手に入れた製品が、何カ所か固定すれば使えるものだったので、仰々しく思えたようだ。


「そりゃここまで計測して合わせなくても十分に使えるのは分かってますけど、どうせなら少しでも使いやすい方がいいじゃないですか。

 どんな作業や功績も、それを成し遂げる人を支える地道な努力だって必要なんです。こういった小さなデータ処理に手を抜かない人達のそれが、ぎりぎりの時に命を拾う結果になることもあります。

 だから肝心の当事者にはクソ生意気なことを言われても、なだめすかしてデータを取るのです」

「・・・もしかして、俺、クソ生意気とか言われてます?」

「どう思います?」


 馬鹿にした顔で問い返すアレナフィルに、ボーデヴェインも困惑顔だ。

 勿論、アレナフィルの言葉は間違っていない。それこそサルートス軍でもそういった調整を行う所に行けば同じようにプライドを持って仕事に当たる人達がいるだろう。

 だが、うちの姪は上等学校一年生で、働いたことなどない子である。先日の貿易都市サンリラのバイトを除いて。

 疑問と困惑をその顔に浮かべながら、ボーデヴェインはカリカリ頭を掻いた。

 

「で、これをお嬢さん、どうするんです?」

「全ての数値を色ごとに分類して表にし、トリプルチェックしてからあちらに伝えます。サイン会では意地悪しましたけど、それもあって計測する人数をあまり増やしたくなかったっていうのもあるんですよね。こっちとあっち、温度計も違うから、全部あちらの数値に換算しなきゃいけないし、何より本当に望んでいるスペックを聞き出さないと満足してもらえないから」


 これだけ色別で浮かび上がったものをまとめ、その後、三回もチェックするのだと当然のように言うアレナフィル。

 一つの間違いも起こさないという矜持がそこにあった。

 うちの姪、上等学校一年生で、働いたことなどない子である・・・筈なんだが。


「本当に望んでるスペック?」

「ああいうチェック表って、嘘にチェック入れちゃう人って出るんです。だけどウミヘビ、暗殺に使うなら静音性能と擬態能力、現場離脱能力にスペックを取らなきゃいけません。そうじゃなくて船とかも相手に戦う攻撃能力に特化するなら、静音性能は犠牲にしてスピードと重厚さにスペックを取ります」


 時に後方支援と現場において情報共有がなされないことがある。何に使うかも知らせず、スペックだけを要求するというものだ。

 自分で命を懸けないくせに情報だけ抜き取る机上決定に対する現場の不満もあるだろう。そして真面目にありのままを伝えても、現場を知らない後方の判断で勝手な変更をされたりもする。

 それぐらいなら大事な情報など与えず、現場でどうにかするからまともに動くものだけ寄越せといったことになるのだ。

 けれどもアレナフィルは、その状況を理解した上で、正しい情報を渡せばそれに合わせてやるのだという誇りを見せてきた。

 うちの姪、上等学校一年生で、ファレンディアで雇用されたことなんてない筈なんだが。


「なるほどねえ。だから子爵邸に残っているデータを使うより、きちんと取り直すって言ったわけですか」

「そう。通常はこんなセミオーダーなんていちいちやらないし、やってもらえるのは限られた人だけ。それならとことんしてもらった方がいいかなって。そりゃ子爵邸に残っているデータでも十分なんだけど」


 限られた人だけやってもらえるというそれをもぎ取ってきたアレナフィル。それだけユウト・トドロキの権限があるということだ。

 本当は知らないふりをしていても良かったという迷いを見せるのは、ユウト・トドロキを利用したくない気持ちと、自分を取り巻く人達への情とで揺れたからだろうか。

 少しでもスペックは高い方がいい。ちょっとの使いやすさが、命を拾うこともある。

 アレナフィルはそれを知っているかのようだ。


「たまにお嬢さん、全てを見通しているかのような大人っぽいところがありますよね」

「人生経験が違いますから。

 何と言っても私、貴族でありながら市立の幼年学校に通い、時には兄の影武者をしてグラウンドを駆け、しかも今や王子様とクラブ活動している、酸いも甘いもかみ分けたお嬢様ですから。

 敬語も続かないお兄さんとは人間としての深みとレベルが違いますのよ。ほほほほほ」


 よほどボーデヴェインが父親不在の原因の一端を担ったことが気に入らなかったのか、どこまでも人を馬鹿にしたような高笑いをする姪がいる。

 上司の愛娘じゃなかったらほっぺたつねるぐらいしそうだな、あのボーデヴェインの表情的に。


「あははは。そんな敬語も続かない人間として浅い男にちょっと珍しい兵器をあれこれ使って育ててみるってどうですか、アレナフィルお嬢さん? これでも尽くしちゃう男ですよ?」

「私、子供だから兵器なんて分かりません。このウミヘビで終わりです。長らくのご愛顧、ありがとうございました。だけど感謝して尽くしてくれる分にはかまいませんよ。遠慮なく無料で私に奉仕し、馬車馬のように働くのです・・・!」


 その場合、アレナフィルがボーデヴェインにまず命じることは父親の出世工作だろうか。

 だが、誰もこれが最後で打ち切りとは思っていないだろう。私とてアレナフィルがアレンルードに提案していた安眠ベッドとやらが気になっている。

 

「叔父上。あそこに調子に乗ってる子がいます」

「フィルが公衆の場で口を開きそうになった時だけ止めてあげなさい、ルード」


 ボーデヴェインのを見ていたから手順は分かる。

 アレナフィルを椅子に立たせてまでのことはなかろうと、私とグラスフォリオンの二人で、ディオゲルロスとガルディアスの採寸を代わりにやってみた。

 一気に縮むそれがどうなっているのか気になっていたからだ。


『レミジェス様、これってちょっと応用したら誰か拘束する際にも便利そうじゃないですか?』


 こそこそとボーデヴェインが囁いてくる。

 アレナフィルは余った採寸用ヒトガタ袋をアレンルードに見せて、顔だけ出した状態で「まっくろ着ぐるみ変質者バージョン」とやらを提案していた。

 そんなみっともない恰好したくないと言いながら、ちょっとアレンルードは興味持ち始めている。


『ファレンディア製品は、珍しいタイプなど使用料をがつんと取ってくるらしい。製品を買う分にはいいが、その技術を買うとなるとかなり高額らしいよ』

『そこはお嬢さんへの愛の力でどうにかなりませんかね。ボスに聞いてみたらどうにかなるのかな』

『成人する前に婚約解消する娘の為にそこまで貢いでくれるかどうかは分からないが、うちも変な借りを作りたくないのだよ。外国人にウェスギニーを乗っ取られるのもごめんでね』

『あー、そっか。坊ちゃん殺しちまえば乗っ取れますね。そりゃまずい。最初は小さな贈り物、やがてのっぴきならぬ貸しを作っていつの間にか入りこみ、あっという間に乗っ取る王道パターンっすか』

『ま、様子見だ』


 目の端で、顔の前面以外は真っ黒な袋で覆われた甥がいるのだが、着ぶくれした状態で採寸袋に入っても、まだクロクマの着ぐるみというにはもこもこ具合が足りなかったようだ。

 アレナフィルの心を考えなければ、とっくに切り捨てていたファレンディア人。だが、兄が許した。

 それが全てなのだ。


(兄上。ですがもうフィルを酔っぱらわせて色仕掛けで聞き出した方が早い気がします。私がその手段を取る前に早く戻ってきてください)


 クロクマ着ぐるみごっこをする為に大きめサンダルを履いて袋に入ってしまったものだから、アレンルードがうまく走れずによったよったと歩いている。


「ぺったんぺったんって歩けばいいんだよ、ルード。気分はがに股親父だよ」

「ねえ。熊ってそういう歩き方じゃないと思うんだけど。それ、ペンギンの歩き方じゃない?」

「じゃあルード。ペンギンになればいいよ。フィル、白い模様描いたげる」

「えー」


 うん、所詮は子供だ。

 しかしその後、アレナフィルが四人それぞれの採寸ヒトガタ袋に浮かんだ記号や文字らしきものを書き写し始めた時、もしかしてアレンルードに邪魔されたくなくて、わざと着せたのだろうかと疑った。

 アレンルードは身動きとりにくい着ぐるみ状態で動く訓練とか言って喜んでいたが、アレナフィルはとても真面目な顔で記録し始めたからだ。

 そこにはもう軽口をたたく少女はいなくて、採寸者としての矜持があった。





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