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55 アレンルードは差別を感じる


 世の中には、とても大変な苦労をしているのに全く評価されない立場があると思う。

 だから僕は主張したい。兄というのは一つの職業として、その労苦に見合う報酬を受け取る権利があるんだってね。

 まあ、聞いてくれ。

 僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。寮監をしている先生や友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。

 父はいつも通り留守なので、学校で酔っぱらって寝こけた妹の為、祖父母と叔父が駆けつけ、そして授業が終わった僕までもが引き留められている状態だ。だけど僕、祖父の説教に巻きこまれたくないんだよね。

 叔父と一緒にレスラ基地に行って体を動かしたいのに、寮監をしているフォリ先生はクラブルームにいろと言う。


「フォリ先生、僕をそこまで引き留めるということは、妹の暴走を止めろという意味ですか?」

「いいや。折角だから違うやり方も見ておけ。お前の妹、家と外での態度がまるっきり違う猫かぶりだからな」

「うちの妹が猫かぶりなのは否定しませんが、どうせみんな家族は知ってます」

「だが、お前が知ってるのは家族に見せる真実の姿だ。他人に対しての態度じゃないだろう?」


 この人も本当に謎な存在だ。何のメリットもないのに、僕に関しては色々と融通してくれる。

 エインレイド王子が可愛いから僕にまで気を遣っているのか、それともアレナフィルが目当てかと思ったりもしたけど、叔父に相談したら、そもそも僕の感情なんて全て無視して命じられる立場の方だよと言われてしまった。それもそうだ。


「まあ、いいですけど。だけどうちの妹、何をやるにしても間が抜けてますよ?」

「エリーに対して王子と同じ特徴だとか言い放った兄に比べ、エリーが名前を尋ねただけで変質者扱いした妹の方が間抜けだとしても、目くそ鼻くそだろうが」


 ぐはぁっ。・・・いい加減、忘れてくれよ。少年時代の可愛らしい失敗の1ページじゃないか。


「妹に言わせると、過去のことをずっと言い続ける男は心がケチなんだそうです」

「そうやって調教されてきたんだな。過去を振り返らん潔い性格だなと思っていたが、妹に躾けられていただけか」


 天啓のようにその言葉が僕を貫く。


「い、いやいや。うちの妹は僕の手下みたいなものです。そんな躾けられたなんてありません」

「そういうことにしといてもいいが、どっちにしても妹がやってることを知らなくていい筈がないだろ。エリーにもいい経験だから見学させておくが、お前も見ておけ」

「そーします」


 いつも半曜日は叔父と一緒にレスラ基地近くのお店で食べるけど、今日の昼食は妹のクラブルームでネトシル少尉、エインレイド王子と一緒に食べた。


(何をやったか知らないけど、フィルも本当に困った子だよ。そーゆーとこ、父上に似たんだと思うな)


 これっていつの間にか派閥に組み込まれてるって奴じゃないのかな。だけど今更なんだろう。

 他に変な目のないランチタイムは、エインレイド王子と一緒でもかなり気楽だった。

 自覚していなかっただけで、実は男子寮でも僕は気を張っていたのかもしれない。

 先程のランチを思い出しながら、僕はそう振り返った。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 誰にも見られないなら、用務員に扮しているネトシル少尉も王子と一緒にいたところで問題ないそうだ。

 普段の用務員を装っている時は全く目も合わせないぐらいに他人を貫いているネトシル少尉なのに、クラブルームで3人しかいないランチタイムとなれば、気さくで面倒見のいいお兄さんだ。

 テーブル代わりの調理台で、プレートを手際よく並べて席を作ってくれた。そして次々と話を振ってくる。


「それでみんなはアレナフィルちゃんが病気って信じたんですか?」

「うーん。お見舞いに行こうっていう話になるって分かっていたから、具合が悪くて休んだことにしておいてよって言ったら、なんか納得してたかなぁ。警備棟にも今日は立ち入り禁止って聞いたら、もう何も言わなかったよ」

「エリー王子も仲いいお友達にそれしか言えなかったのは辛かったでしょう。頑張りましたね」


 普段の観戦席ではワイルドなのに、王子の前ではネトシル少尉も流れるような優雅な仕草で食べる。クラブメンバーに説明できなかった王子を慰めていたけど、肝心のエインレイド王子は野菜をもぐもぐと食べながら複雑そうな表情だった。


「うーん。どうなのかなぁ。なんかダヴィやディーノ、分かってる感じだったよ。最近、ウェスギニー子爵、王宮に全くいないからアレルに直接ぶつかってきたんじゃないかって言ってた」

「へ? うちの父、何かあったんですか?」

「あれ? アレンが知らないってことはディーノ達の話が間違ってたのかな。僕も後でガルディ兄上に聞こうと思ってたんだけど、なんかね、ガルディ兄上がウェスギニー子爵と何かやったらしいんだ。ところがその恩恵? とかいうの、気に入った相手にしかあげないらしくて、不満が爆発したんじゃないかって話だったよ」


 あのファレンディア国の水泳補助用具なんだか、兵器なんだか分からない奴のことだろうか。

 エインレイド王子と僕は、スープを上品にスプーンで掬っているネトシル少尉を見つめた。


「いやいや、どうしてそこで自分は無関係ですって顔をしてるのかな、ルード君。そしてエインレイド様、現在、この警備棟は近衛がわさわさいることをお忘れなく。もしも私が情報を漏らしてエインレイド様に不要なご心配をかけたと分かったら懲罰ものです。この部屋だって監視装置があることぐらいお分かりでしょう」

「心配しないから、こっそり教えて? だってガルディ兄上、忙しそうだったし。僕には内緒にしているけど、あれで夜中とか出かけて色々してるみたいなんだよね」


 そういえばフォリ先生、書類上は男子寮の寮監なんてしていない人だった。

 愛されてるよね、エインレイド王子ってば。


「あの方も何足ものわらじを履いておられますからね。だけど駄目です。大人のことは大人がやります。エインレイド様は一年生を全力でやらないと」


 仕方ないから僕は口を開いた。


「リオンさんには色々な事情もあるとして、僕は子供だから喋っても問題ないです」


 一拍おいたけどネトシル少尉が止めに入らなかったから、言っても問題ないと僕は判断する。何も知らない方が困ることってあるよね。たとえ子供でもさ。


「エリー王子、うちの妹、外国人と偽装婚約して、婚約者ということで外国の兵器を『私物』ということでこの国に幾つか持ちこむことになってるんです。それを受け取るのがうちの父を含めたフォリ先生達なんです。数が限られているから、どうしても分けられるところは絞られていて、だから不満がある人が父を探してるんだと思います」


 眼鏡を外しているエインレイド王子が、ローズピンクの瞳をぱちくりとする。


「え。そんなの大変じゃないか。ウェスギニー子爵、大丈夫なのかな。だけど偽装婚約は旅行の為じゃなかったの? どうやったら兵器とかって話になるんだろう。アレル、何も言ってなかったけど」

「妹は自分のことしか考えてないから、もう偽装婚約したことも忘れてます。どうせ解消される婚約だから、してないも同然だと思ってるんです」

「うん、分かる」


 分かられてしまっている妹が情けなさすぎる。

 祖父母と叔父からは諦められている父だが、どうやら王子からはそれなりに信頼されているみたいだ。だから僕は心配いらないと言ってみた。


「で、父がいるところに辿り着く方が大変だと思うから大丈夫だと思います。下手に近寄っていったら、囮にされて敵のど真ん中に丸腰で放置されます。経験者の僕が言うから間違いありません」


 ネトシル少尉の茶色い瞳と、ローズピンクなエインレイド王子の瞳がとても温もりに満ちたものとなる。

 戸棚からお菓子を幾つか取り出して、一緒に置かれていた沢山のポーチの一つに入れた王子がいた。


「アレン、このチョコレートパイ、とっても美味しかったよ。ケース買いしてるから少しぐらい減っても大丈夫。お部屋で食べるといいと思うんだ。でね、ペンとかメガネとかの模様が描かれているポーチってペンケースやメガネケースに見えるから、こういうスティック状のお菓子を入れていてもばれにくいんだって」


 不思議なことに上等学校へ入学してから、父の息子というだけで同情が集まってくる。

 幼年学校に通っている頃は、貴族で素敵で気さくな父親と叔父だと、みんなが羨ましがってくれたのに。


「ありがとうございます。だけどいいんですか?」

「いいよ。だってこれ、いざという時はとっさの賄賂に使えるようにって、ポーチもまとめ買いしてある奴だから。アレル、そう言って堂々と先生達に渡してるし。あ、ちゃんと健康的な豆とか海藻も作ってた時は入れてるけどね」


 なんで王子の口からケース買いとかまとめ買いとか、中身が菓子だってばれにくいポーチとか、賄賂とかって言葉が出てくるんだろう。

 王子が所属しているクラブルームに、どう考えてもクラブ名称とは真逆の道を行くお菓子が盛り沢山だけど、一番の問題は王子の庶民化かもしれない。

 汚職を許してはならない立場のお方が汚職側の気持ちが分かるようになったら誰が責任をとるのかな。


「そうしたらポーチで中身お菓子って先生にバレバレじゃないんですか?」

「誰も気にしてないよ。どうせこのクラブ、先生達を巻きこんで勉強してるし、先生達も興味深そうだからいいんじゃない? アレルのおかげで知ったお菓子を買って帰ったら家族に喜ばれたとか、そんなことも言ってたし。たまにお菓子で手品してるよ」

「はあ」


 一緒のお茶会を夢見る貴族令嬢を放置して、スナック菓子に詳しくなっている王子様。せめてその影響が伯爵家とか平民の男子生徒からだったならよかったのに。

 いつものソーセージパンを買う必要がなくなった僕は、美味しく昼食を平らげて男子寮へと戻った。洗濯物をバッグに入れてから、すぐに警備棟まで引き返したけれど。

 そして叔父と一緒にレスラ基地に行こうと思ったら、フォリ先生から引き留められたのだ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 この警備棟の責任者はエドベル中尉だ。だけど更にその上の総責任者がうちの父ではなかっただろうか。その父は違う仕事で行方不明中。

 父は責任者という仕事に就いちゃいけない人だって僕は思った。

 妹が何をやらかすか見ておけと言われた僕は、叔父と一緒に先程ランチを食べたクラブルームに戻ったけれど、酔っぱらって寝ていた筈のアレナフィルは元気に復活していた。

 うちの妹、可哀想な子だからってなんだかんだと免除されてるんだけど、その必要って本当にあるの?


「なんかフィルばっかりずるいよね。あっちのクラブ棟なんて、せいぜい一人当たりロッカー1個だよ。それだって一年生はまずもらえないのにさ。誰だってこんな棚を何列も使ったりなんてしてないよ。たとえクラブ長でも」

「普通のクラブみたいにクラブメイトが30人も50人もいるなら仕方ないさ。ここは5人しかいないしね」

「全く迷惑だよね。おかげで僕、マーサおばさんに変なまずいお茶出されたんだよ。体にいいからとか言って。めっちゃ苦かった」

「よかったじゃないか。体にいいんだろう?」

「その前に僕、別に糖尿病とか関係ないと思うんだけど」


 警備棟の第2調理室で叔父とお喋りしていても、アレナフィルは何やらさっきから書類とかをぱさぱさと鞄から取り出してチェックしている。

 戦闘服とか言っていたオレンジの服はとっくに布バッグに仕舞っていたけれど、戦闘服っていうのは防御力が大事だ。アレナフィルは全く分かってない。

 なんでひらひらフリフリした子供っぽいワンピースドレスが戦闘服なんだよ。頭おかしいんじゃないの?

 今はスラックスタイプな制服だからいいけど。

 すると今まで何やら考え込んでいた妹が顔をあげ、きっと僕を睨んだ。


「あのね、ルード。ルード、関係ないからいなくていいと思う」


 さすがに温厚な僕もむっとする。

 関係ないって何だよ。自分が僕の手下だってこと忘れてないか? なんで僕を追い出そうとするんだよ。

 だけどここで喧嘩し始めたら、妹はすぐに大人へ言いつけると分かっていた。うちのアレナフィルはとても卑怯な子だ。

 だから僕は愚かなアレナフィルに言い聞かせる。


「僕だって好きで来たわけじゃないよ。フォリ先生が、フィルがまた変なことやらかすみたいだから、父上への報告の為にも参加しろって言ってきたんだ。叔父上だっていきなり呼び出されてるしさ。フィルはまず家族に相談することを覚えなよ」


 叔父も僕の味方をしてくれた。


「そうだね、フィル。何かする時にはまず兄上か私に相談しなさいって言っただろう? 学校のことならルードがいる。ルードはとても頼りになる子だよ。だけどね、大臣にあそこまで言わせるだなんて、一体何をやったのかな? まさかと思うけど、わざと討論を吹っ掛けたりしたんじゃないだろうね?」

「え・・・っと」


 なんでそこで口ごもるんだよ、アレナフィル。

 図星か。図星なのか。

 やっぱり家族が見てないところでまたやらかしたのか。


(分かってたけどね。授業休んだって時点で)


 さすがに自分が不利だと理解したのか、アレナフィルがおろおろとしている。

 と思ったら、いきなり少し涙ぐんだ感じで、叔父を見上げてきた。


「だ、だってジェ・・・叔父様。私、叔父様だけに苦労させるだなんて耐えられません。叔父様、私を庇って矢面に立ってくれてたんでしょう? あんな陰険そうでねちねちした乱暴そうな人達に」


 さすがに学校で兄様呼びはまずいぐらいの理性はあったらしいが、その陰険そうでねちねちして乱暴そうな人達ってどういうこと?

 ちょっと待ってくれ。それは聞いていない。乱暴だなんて言葉、恫喝とか暴力とかに直面しない限り出てこないセリフだ。

 僕は後でフォリ先生に話を聞かなくてはと決意した。

 叔父もそこが引っ掛かったのか、アレナフィルに対して優しく微笑んだ。


「誰がそんなことを言ったのかな。庇うも何もフィルはいつだっていい子だよ。問題なんて何一つ起こっていなかった」


 いつも通り甘えたいだけの妹は、いつの間にか叔父に抱きついてほっぺたすりすりしている。

 思うんだけどこんな変態な子、父や叔父はいい加減心配にならないの? 仲良しのしるしを僕とやるのは双子だからいいけど、父親や叔父はちょっと違うんじゃない?


「嘘。子供だからって何も分からないわけじゃないんです。私だって当事者なんです。・・・叔父様だけが辛い立場に置かれるなんて絶対に駄目。それぐらいなら、お父様と私と三人で一緒に駆け落ちして幸せになりましょう?」


 初めと真ん中はいいけど、終わりがおかしかった。

 僕の双子の妹、試験成績はいいけど、ただのお馬鹿さんだ。駆け落ちは家族とやるものじゃないって知らないんだね。

 そんな姪を見捨てない叔父はとても人間ができた人だ。

 愚かなアレナフィルの頭にキスして、うんうんと聞いてあげている。


「私、パ・・・お父様と叔父様がいれば、それだけで満足です。権力社会で心を病む必要はないって思うんです。新天地で長閑(のどか)な日々を送りながら、(すさ)んだ心を癒しましょう?

 ウェスギニー子爵はお祖父(じい)様、まだまだお元気だし、ルードがいるから大丈夫です」

「あのさぁ、フィル。僕、まだ子供なんだけど。それに結局、フィルだけがいつでも幸せすぎない? そもそもフィルの後始末で叔父上が奔走していたわけで、反省することなく駆け落ちとか言って、父上と叔父上を連れて遊びに行く計画って何なのさ」


 アレナフィル、勝手に僕のこと決めつけてるし。僕、まだ上等学校一年生なんだよ?

 女の子だからって甘やかして育てるから、こんな身勝手な子になるんだ。

 祖父母はともかく、父と叔父に対して僕は女の子の間違った育て方について主張したい。

 僕の不機嫌そうな顔にアレナフィルは何かを感じたのか、叔父の腕の中からするりと抜け出して僕の所へやってきた。

 そしてぎゅっと両手で僕の手を包み込むように握る。


「ルード、ジェス兄様取られそうだからって拗ねちゃ駄目」


 拗ねてないよ。呆れてるんだよ。言っとくけど叔父上、アレナフィルのことは可愛がっていても信じてはいないから。

 それなのに双子の妹はすまなさそうな表情で身勝手なことを言い募った。


「ルードも連れてってあげたいけど、学歴がなかったら、学校にも通えない馬鹿な子とか言われちゃうんだよ?

 アイツ勉強できないんだぜって、使用人にも好きにされちゃうの。

 授業を受けて賢くなるの、とっても大切。ルードの将来を考えたら仕方ないんだよ。お土産買ってきてあげるから。ね?」

「安心しなよ、取られるも何も、どうせほとぼりが冷めるまでお出かけしておけばいいやってだけだよね。父上も叔父上も、そんなのに付き合わないよ」


 馬鹿な子なのはアレナフィルの方だ。僕の将来を考える以前に、子爵家息女が父と叔父同伴で家出する方が余程将来を閉ざしてる。

 というよりそれ、ただの家族旅行。

 誰が聞いても真面目な兄は学校に通っているというのに、不真面目な妹は学校をずる休みして遊びに行ったって奴じゃないか。


「そうだね。別に人間付き合いに疲れたなら領地に引っこめばいいし、駆け落ちしなくても家族で仲良く暮らせばいいだけだね。何ならローグさんとマーサさんの部屋も用意するからいつでも戻ってきなさい。それよりフィル、先に棚を見せてもらったけど、なんでファレンディア観光ガイドブックなんてあるのかな?」


 さすがの叔父も、このままではアレナフィルの身勝手すぎる旅行計画に巻きこまれると判断したのか。アレナフィルがクラブルームの棚に隠してあったらしい本の件を持ち出した。

 

「え? えーっと、えっと、ほら、フェリンキングダムってどんなのかなぁって、興味があったってゆーか・・・。あのね、三年前にできたらしいの。ユウト、そこに連れてってくれるって言ってたし」


 なるほど。外国の遊園地まで、ボディガード兼お財布役の父と叔父を連れて行きたかっただけか。

 それって権力社会、関係ないよね?

 荒んだ心を癒すも何も、それが楽しいの、アレナフィルだけじゃない? フォリ先生達と出かけ始めて、男が3人いないと不便だとか思い始めただけだろ。


「叔父上。一緒に駆け落ちしましょうとか言っときながら、フィル、違う男と外国デート計画中って白状してますけど?」


 父は言った。あのユウトはアレナフィルの家族だと。

 だけど法律上は結婚できる男女ということになっているそうだ。二人の戸籍をどんなにたどっても繋がりは分からないだろうと、父は断言した。

 そうなると家族と言っても血が繋がっていないとか、違う親の子供として育ってるとか、そういう落とし穴があるとしか思えない。


「デ、デートじゃないもんっ。フィルが遊びに行きたいだけだもんっ。だけどユウトが美味しいレストランランキング、目を通してるとは思えないし、そしたら調べておかないと損するだけなんだもんっ」

「へー。結局デートじゃないか。一人で行く気なんだろ? フィル、父上と叔父上だけじゃ満足できないなんて本当に浮気がすぎるよね」


 やっぱりうちの妹、尻軽って奴だね。

 家族なのは僕達も一緒なのに、どうして彼と二人だけで出かけることになってるんだよ。

 何かといえば、パピーパピー、ジェス兄様ジェス兄様と甘えまくっておいて、今度は外国であの男に甘え・・・というより、使い走り扱いかよ。

 そのあたりが、なんか僕があの外国人に優しくしてしまうところだ。あの存在にむかついてはいるんだけど、アレナフィルの態度がどう考えても兄に甘えるって感じじゃなさすぎる。

 するとアレナフィルが焦ったような顔になった。

 

「そんなことないよっ。やっぱりルードも行ってみたいよね? フィルもそうだと思ってたのっ。

 見どころは全部網羅しておきたいよねっ? 大丈夫、フィルは完璧。だからルード、一緒に行こう?

 どうせユウト、一軒家に一人暮らしだし、好きなだけ泊まっていっていいって言ってたもんっ。お仕事忙しくて三週間に一日しか帰宅できないらしいけど、必要な物は全部お世話してくれるササキさんに言えば大丈夫って。そのおうち、駅にも近いし、お店も近くに色々あるし、全然心配ないよっ。

 ついでにユウトの職場の同僚の娘さん、両親が仕事ばっかりで放置されてるんだって。私達より二つかそこら年下だけど綺麗な子だって言ってたよ。だから一緒に遊びに行こう?

 それでね、フェリンキングダム遊園地にはホテルもあって、とっても美味しいみたいなの。あ、ほら、ガイドブック読んでていいよ」


 妹よ、お前の目的はどこにあるのだ。いつの間にそこまで約束を取りつけて情報収集までしているのだ。

 何が「そうだと思ってたの」だよ。嘘ばっかり。この勢いでごまかす気だと僕には分かる。


(兵器を貢がせた次は、自宅を貢がせるのかよ)


 叔父の脱力感を僕は見てしまった。

 本気でアレナフィル、あのユウトを自分の子分扱いだ。まさに彼の財産も何もかも私の為にあるのですって感じで。

 そんなアレナフィルは、棚から出したファレンディア観光ガイドブックを僕に押しつけてきた。


「あのさあ、フィル。まさかユウトさんのおうちも乗っ取る気? 三週間に一日しか帰ってこないなら、フィルの天下じゃないか。今のおうちだけで十分だろ? フィルだって子爵邸に住めばいいだけなのに、それをいかがわしい趣味に没頭したいからって、あの家を一人で好きに使っておいて、しかもそれを外国にまで広げるって何なのさ」


 まさか現地で買いあさってその支払いをあの男に押しつける気とか? ああ、やりそう。

 僕はもうアレナフィルを信頼なんてしていなかった。


「い、いかがわしくなんてないもん」

「フィル。まさかと思うけど、ファレンディア国に永住しようとか考えていないね?」


 アレナフィルに甘すぎる叔父も、さすがに看過できなかったらしい。

 やっぱりおうちに閉じこめておかなきゃダメな子だ。

 厳しくしかるよりも優しく問いかける方がポロポロ自白すると知っている叔父は、アレナフィルに微笑みかけた。


「本当に浮気しちゃってるのかな? 私は悲しいよ、フィル」


 叔父はけっこう女性に人気だ。いつだって相手を完璧にエスコートする紳士だ。

 もしかして恋人なのかなと、僕が気を回してきた女性の数は両手の指の数をとっくに追い越してしまって、最近は「またか」で、僕は諦めている。

 そんなそぶりを姪にだけは見せない叔父は、アレナフィルを優しく抱きしめてから頬にキスしていた。

 所詮、いかがわしい本しか読まない妹だ。実戦経験で全く叔父に敵うものではなく、顔をピンクに上気させてうっとりしている。


「浮気なんてしてないもん。フィル、旅行には行くけど、永住はしないの。だってユウト、フィルが結婚できるお年になったら、じゃあ一緒に暮らそうねって言いそう。フィルね、結婚するならジェス兄様が理想。だから大人になる前に旅行して、フィル、さっさと逃げてくるの」


 妹よ、貴様は鬼か。

 全てを手に入れて男を破滅させる悪女か。


「いい子だね、フィル。だけど外国への旅行というのは・・・。それは兄上に相談してからにしなさい。滞在費用も割り出さなきゃいけないから勝手に決めちゃ駄目だよ。分かったかい?」


 それでも叔父は、アレナフィルがファレンディア国で暮らすとか言い出さないならそれでいいと判断したらしい。まるで花嫁を抱く新郎のように、アレナフィルを両腕で抱き上げていた。

 父なら普通に猿の子抱っこなのに、叔父は花嫁抱っこスタイルだ。

 ここがやはり女性に人気と言っても、結婚相手として人気な父と、恋人として人気な叔父の違いなのだろう。

 えへへへと、嬉しそうなアレナフィルは、甘やかしてくれるならそれでいいというお馬鹿さんだ。


「お金は要らないの。お小遣いは持ってくけど。ユウト、お金稼ぐだけで使わない生活だったから好きなだけ使ってって言ってた」

「それこそお金を使わせたら、強引に結婚に持ちこまれかねないよ。フィルはとても可愛いんだから気をつけなさい。男を信じちゃいけないよ。父上と兄上とルード以外はね」


 まるで口説いているかのような少し低めの甘い声に、アレナフィルが叔父の首に抱きついて頬をすりすりし始める。

 とてもご機嫌な時のアレナフィルパターンだ。


「大丈夫。フィル、ちゃんと相手、見てるの。フィルがね、お金使わせるの、そういうの言わない人だけ。変な下心のお金、全部お断りなの。ユウトね、ジェス兄様と一緒。何があっても、フィルの味方」


 可愛さだけで乗りきっていくアレナフィルは、まさに今からキスでもするんですかといった調子の頬ずり倍増状態だ。

 叔父も苦笑するしかなかったらしい。


「それならいいけど。本当にフィルは甘えるのが上手だね」

「あのね、ジェス兄様。女の子が甘えたいの、大好きな人。ジェス兄様、フィルを甘やかすの、とっても上手なの」


 針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の大きな瞳が、至近距離で叔父の赤い瞳と見つめ合う。


「やれやれ。本当にフィルは目が離せないから困るのに、そう言われたらおしりペンペンもできやしない。兄上になんと言えばいいのかな。あの大臣達と接触してしまったとなると」


 なるほど。

 さすがの叔父も言葉で言っても聞かないアレナフィルには、もうおしりペンペンして躾けるしかないと、実は考えていたのか。

 だけど叔父なら全然痛くなさそうだ。ぺしっどころか、ぽすん程度の気がする。


(パチンパチン叩かれれば、アレナフィルも少しは反省するんじゃないかと思うんだけどね)


 だけどアレナフィルは、いつも笑顔で全てのおねだりを聞いてくれる叔父にそう言われたことで、ちょっと焦ったらしい。

 顔を蒼白にして、体全体をびくっと跳ねさせた後、叔父の首を絞める勢いで抱きついた。

 せっかく花嫁抱っこしてくれていた叔父の背中にアレナフィルの足が回っている。

 うん、妹がスカートではなくスラックスを選択したのは正しい。アレナフィル、お姫様じゃなくてただの(タコ)だよ。


「フィ、フィル、ジェス兄様のペンペンなら、我慢するっ。だから、だからジェス兄様っ。パピーには、パピーにだけは言わないでぇっ」


 叔父のおしりペンペンは痛くないが、父なら痛いと判断したのか。

 父はアレナフィルに甘いが、弟である叔父のことは全面的に信頼して任せているところがあった。叔父から、アレナフィルの躾の為におしりペンペンしておいた方がいいと言われたら実行するかもしれない。


(父上もなあ、・・・あの人、普通の力加減が分かってないことはあるかもなぁ)


 だけど妹よ。お前はどこまで叔父に巻きつく気なのだ。

 どこかでこんな感じのものを見たことがあるような気がする。


(あ、そうだ。病院に連れて行かれたくない子のアレだ)


 本人は必死なのかもしれないが、きっと今の叔父がアレナフィルから手を離しても落っこちはしないだろう。

 

「こらこら。可愛いフィルを本気で私がペンペンするわけないだろう? ・・・しょうがないな。安心しなさい。兄上にはフィルが怒られないように言っておくから。兄上だって大臣と会うことは会うんだ。だから何も知らないわけにはいかないよ。それでもフィルにはどうしようもなかったと、言ってはおいてあげるけどね」


 駄目だ。叔父は結局、アレナフィルに甘い人だった。

 だけどそんなことであの父上が騙されてくれたりするの? そりゃ父上、気にしないってことはありそうだけど。


「じゃ、じゃあ、パピーにはお茶を飲みながら話題に出ただけって言ってぇ。フィル、何にも言ってないのぉ」

「あちらから言われたら、そんな嘘、すぐにばれちゃうぞ。仕方ないなぁ。大臣にしつこく言われて、フィルなりにユウトさんから聞いたことを考えながら頑張って答えたってことにしておこうね」


 悪あがきする妹は叔父に偽証させる気だ。落ち着かせようとして頭を撫でてくる叔父に頬ずりしながら、せっせせっせと甘え倒している。

 愚かな妹よ、父は叔父の君に対する甘さを十分に知っているってこと、分かってる?

 妹はうまくやっているつもりだろうが、全てはあの父の掌の上でダンスしているだけだ。叔父もそれが分かっているから、アレナフィルに対して馬鹿な子程可愛いことになっているのかもしれない。


「ジェス兄様ぁ、やっぱり好き。だからお祖父(じい)ちゃまにも言わないでぇ」

「おやおや、そっちもか。しょうがないな。なるべく柔らかい表現で少し割り引いて報告しとくよ。父上もたまに王宮へ行くわけだし、知らなかったは通じないからね」


 好きなのと、言いつけないでほしいことと、全ては別物だよね? そういうことが通じるのは幼年学校に入学するまでじゃないの?

 だから僕はズバッと言った。


「それで終わらせるからフィルが全く反省しないんだと思います、叔父上」

「も、ルード、いなくていい。さっさと寮か、おうち帰っていい。フィルはそう思う」


 むっとした顔でアレナフィルが言い返してくる。

 生意気なんだよ、僕の手下にすぎないくせに。


「僕は叔父上と約束してたんだよ。とっくに外泊届も提出済み。それをフィルが授業をずる休みして寝こけてたんじゃないか」

「・・・具合が悪かったんだもんっ」

「顔色、とってもいいよ、フィル」

「休んだから回復したんだもんっ」

「マーサおばさんにも通話通信入れて聞いたけど、朝から元気だったって?」

「子供はちょっとしたことですぐに体調崩すんだもんっ」

「フィル、言い張ればごまかせるって思ってるの、フィルだけ」


 ぐうの音も出なくなった妹は、目に涙を溜めてぷぅっと頬を膨らませた後に、いきなり方向転換して甘える表情に切り替えた。

 

「ジェス兄様ぁ。ルードがフィル、いじめるんだよ」

「しょうがないな。男の子なんだから妹には優しくしてあげなさい、ルード」


 しょうがないのは、どこまでも大人に甘えて物事を押し通そうとするアレナフィルだ。

 叔父が自分の味方だと思った途端の、あの勝ち誇ったような表情に叔父だって気づいているだろうに。


「だからフィルが味を占めてるんじゃないですか。父上も問題あるけど、叔父上も大概だと思います」

「フィルは我が家のお姫様だからね。さ、フィル。そうルードを追い出そうとするんじゃないよ。ルードだって話し合いの邪魔はしないで壁際で見てるだけだ。

 誰かにフィルの名前を持ち出されて、騙されたルードがとんでもないドジを踏まないよう、ここは諦めてルードにも事情を把握させておきなさい」


 アレナフィルの言葉を全面的に受け入れているようで、そこは譲らない叔父がいた。

 まあね。叔父が甘いのはアレナフィルの方だけど、叔父が信用しているのは僕の方だってことだよ。

 だってアレナフィル、お馬鹿さんだし。


「だけどジェス兄様。ルード、まだ子供」

「子供でもルードはフィルを守る為なら大人になるよ。大丈夫、ルードは何があろうとフィルの味方だ」


 アレナフィルは僕よりも大人なつもりだけど、叔父は僕を一人の男として見ているし、アレナフィルを手のかかる子だと知っている。

 だからアレナフィルにそう言い聞かせれば、単純にも妹は笑顔になった。


「うん。ルード、ぎゅーっ」

「全く。いつもそれでフィルはごまかすんだから」


 仕方がないから腕を広げてあげれば、アレナフィルが抱きついてくる。

 まあね、アレナフィルが誰よりも頼りたいのは僕だって知ってるけどさ。

 分かってない妹の背中に手を回せば、アレナフィルもぎゅっと僕の背中に手を回してしがみついてきた。そんな僕達の肩に、叔父が優しく腕を回してくる。


「どんな時にもルードには話しておきなさい、フィル。ルードはいつだってお前の味方だ。私が駆けつけるまで二人で力を合わせて助け合うんだ。いいね?」

「うん、ジェス兄様」

「フィル、返事だけは立派だよね」


 だから信用してもらえずに僕をつけられるんだよ。

 僕がアレナフィルに助けてもらうことは何もなさそうだけど、その言葉がアレナフィルの暴走を和らげるのかもしれない。

 僕はそう思うことにした。

 だって仕方ないよ。馬鹿な子程可愛いもんだし。


「じゃあルード、お菓子出したげる。お部屋の隅で食べてていいよ。ね? フィル、とっても素敵なお昼ごはん食べたの。だけどルード、ミルクとソーセージパンだけだよね? 今日はおうち、帰ってくるんでしょ? そしたらフィル、おうちでマーシャママと一緒に、お肉焼いたげる」

「フィルって本当に分かりやすいよね」


 うん、分かった。この国の王子に対し、僕にお菓子を出しておけばご機嫌になるとか吹きこんだのは誰かってこと。

 なんかおかしいと思ったんだ。いきなり棚からお菓子を出して渡してくるだなんて。


「だけど僕、そこまでお腹空いてないよ」

「じゃあ、ポップコーン。フィル、作ってあげるの」


 アレナフィルは棚の中から、鮮やかな赤やオレンジ、緑や青といった樹脂製ボウルを取り出し、その中から赤と青を選んだ。そのプリントされた球団マークに見覚えがあるのは僕だけではあるまい。


「ねえ、フィル。なんでこのクラブルームにそんなチープな食器があるの?」

「物事、メリハリ大事。手作りお菓子はね、陶磁器。だけどね、スナック菓子は、こーゆーの。その方が美味しい」


 味は変わらないよ。観戦席で食べられるようにスナックが入った状態で売られているカラフル容器が、なんで王子様も所属するクラブルームの棚にあるんだよ。どう考えても持ち帰ったものの再利用だろ。


(ロイヤルボックスなら、たとえ試合観戦でもこんな容器出てこないって知らないんだね、フィル。これが貴族令嬢としてのマナーが身についていないってことなんだな)


 アレナフィルが蓋つき鍋を取り出してオイルを垂らし、一粒だけ乾燥トウモロコシを入れた。

 そして鍋が温まってから、じゃらららっと乾燥トウモロコシを追加投入する。


「ここ、もうお菓子食べ放題クラブに名称変更しなよ」

「違うもん。成人病予防研究クラブだもん」


 寝ていたアレナフィルはお腹が空いていないだろうと、量を控えめに出したって聞いたけど、僕達は十分にお腹いっぱい食べている。

 だけどミルクとソーセージパンだったと信じているアレナフィルだ。

 後で体を動かせばいいか。僕はそう思うことにした。

 これでうちの妹、僕のことが世界で一番大好きだからね。手料理ぐらい食べてあげなきゃ仕方ないよ。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 ウェスギニー家三者会談が終わったと思ったら、クラブルームにエインレイド王子が戻ってきた。

 良かった。僕一人で食べるのには量が多すぎたよ。

 何をやるのか知りたくもないけど、僕は一番隅っこの調理台の所で座っていた。そこなら邪魔にならないからだ。


「あ、アレン。ポップコーン食べてるんだ。なんかそれ、色は選べないんだってね。だから僕達みんなで見に行って一個ずつ買えば全色揃うんじゃないかって言ってたんだ」

「だけどこれ、試合見ながら食べるのが美味しいんであって、おうちでこれって寂しくないですか?」

「そうなんだ? 僕、前から気になってたんだよね。ああいうみんなが並んでる席」


 その前に僕、気になることがあるんだけど。

 みんなで見に行くって、まさか試合観戦行くの? よりによってスナック入り容器買ってみんなで応援するあの席に?


「そのみんなが並んでる席に座っている人達は、エリー王子がいるようなボックス席に一度は座ってみたいとか思ってると思うんですが、けっこう席によっては見えなかったりしますよ。あれは空気を楽しみに行くものだから。それより、よかったらここどうぞ。僕のクラブルームじゃないですけど」

「アレンって真面目だね。僕達、いつも好きな所に座ってるよ」


 別に王子がどこに行こうがどうでもいいって僕は思うんだ。だけどそれを(そそのか)したのがウェスギニー家息女というのだけはやめてほしい。

 せめて伯爵家令息達であってくれ。


「こっちが塩味、こっちがキャラメル味です。でもってこっちがスパイス味。僕のお勧めはキャラメル味です」


 スパイス味は空腹なら美味しかったんだろうけど、お腹がいっぱいだと食欲をそそる香りもちょっとご遠慮願いたいってとこ。

 王子はどれも少しずつつまんだ。


「うーん、キャラメル味もいいけど、僕はやっぱり塩味かな。アレンもキャラメル好きなんだ? アレルもね、いつもコーヒーの上の生クリームにキャラメルソースたっぷりかけるんだよ」

「僕はコーヒー、あんまり飲まないけど、マーサおばさん・・・、えっと、うちの家政婦してくれてる人が作るポップコーンは塩味だから、やっぱり違う場所ではキャラメル味がいいです」


 あまりおしゃれなお菓子は作れないのよ、ごめんなさいねと言ってくるマーサだけど、僕にとってはおしゃれなお菓子なんてどうでもよかった。あんなのを喜ぶのは女の子だけだと思う。

 だからよそではマーサが作らない味を食べて、家でも食べられる味ならマーサに作ってもらうんだ。そう決めてる。


「その人ならクラブの発表会で来てくれてるよ。とても優しい人だよね」


 叔父はちょっと離れた所から僕達を眺めていたけれど、うちの妹は僕が構ってあげなくて拗ねたらしい。

 そこで口を挟んできた。


「なんでレイドまで来ているんでしょう。ルードも関係ないけど、レイド、もっと関係ないですよね? 何ならポップコーン持たせてあげるから、男子寮に帰っていいですよ」


 僕達二人を追い出そうとするアレナフィルは、ポップコーン如きで僕達を言いなりにできると思っている。

 そんな愚かな妹に、王子は丁寧に説明した。


「そうなんだけど、ガルディ兄上・・・じゃなかった、フォリ先生が、分からなくてもいいから見ておけっていうから来たんだ。僕はアレル、優しくて思いやりのあるいい子だって知ってるけど、フォリ先生は、お前はいい子すぎるからアレルの図々しいところをもう少し見習ってもいいって言うんだ。で、来てみたらアレンがいたわけでさ。人の目がないところなら、アレン、僕を避けないし」


 もしかして僕は王子に反応を試されていたのだろうか。

 そういえばいつもはお互いに挨拶しかしないのに、今日はここでフランクに声かけてきたっけ。


「言っておきますが、エリー王子。僕だって好きで避けてるわけじゃなくて、貴族のいない寮でも寮生から話を聞き出している貴族がいるであろうことを考えると、なるべく一緒にいるのを見られない方がいいんです。

 僕を脅せばエリー王子を動かせるかも? なんて思われるわけにはいかないんです。卒業後の進路とか、家族の職場とか、貴族はその気になれば十分に寮生を操ることができます」


 家の事情や自分の立場的に王子の情報を流したり、変な誘導をすることを断れなくなったり、そういったことが起きたなら、傷つくのはエインレイド王子だ。そして生徒も在籍し続けられなくなる。

 僕はいざとなったら何をやるか分からず、どこまでの権限もあるのかも分からないという要注意人物ということで、あくまで皆を惑わす役割をこなしていた。

 父のことだ。勝手に僕の特例許可を取っているような気がしてならない。


「ごめんね、気を遣わせちゃって」

「大丈夫です。うちの父や妹と違って、エリー王子、常識的ですから」

「えっと、・・・ウェスギニー子爵も常識的でいい人だと思うよ? そりゃアレルの常識は分からないけど」


 うん、エインレイド王子はうちの父を誤解している。妹に対する認識は間違っていない。

 その解釈にむっときたのか、アレナフィルが両手を腰に当てて偉そうに言った。本気で僕達を追い出したいらしい。 


「フォリ先生が全て悪いとして、フォリ先生にはレイディからしかってもらうから、やっぱり二人共出ていったほうがいいと思うんです」


 どうしてうちの妹は虎の威を借りることしか考えないの?

 大体さぁ、あのフォリ先生がしかられるだなんてそれこそあり得ないだろ。


「そうなんだけど、僕、レミジェス殿にもお話があるんだよ。みんなには了解取ったんだけど、アレルだけまだだったからさ。今度の連休、ヴェラストールにみんなで行かない? だけどアレル、女の子だから、僕達とだとご家族が心配しちゃうだろ? だからきちんと説明しなくちゃって思って。

 ガル・・・フォリ先生が、うちのでもミディタル家でも好きな方の別邸使っていいって言ってたから、どうかなって思ってるんだけど。ディーノとダヴィのおうちも別邸持ってるって話だったから、どこのおうちのでもいいみたいだよ。勿論、アレンも一緒ならもっと心配いらないと思うんだけど。あ、ちゃんとアレルには専属で世話する侍女をつけるよ」

「え? ヴェラストール?」


 ぴくっと反応するアレナフィルは、とても分かりやすい。

 疾しいことを考えていませんという意思表示もあって、エインレイド王子はこの場で言い出したんだなと、僕は察した。

 侍女をつけられてもうちの妹、王宮の侍女なんて使いこなせるの? アレナフィルのいかがわしい趣味がばれちゃうの?

 うちの名誉の為にそれはやめて。めっちゃやめて。心の底からやめて。侍女はうちから出すから。


「うん、そう。アレル、行ったのに全然観光できなかったんだって? 僕も行ったことないし、それならって思ってさ。護衛も了承済み」

「ジェ・・・叔父様」


 アレナフィルはきゅるんとした顔で叔父を振り返った。

 なんて現金な奴だ。妹よ、お前は絶対に役人になっては駄目だ。賄賂で買収される未来が見えている。


「そうだね。この場合、安心なのは護衛の部屋もある王宮かミディタル大公家の別邸かな。だけどね、フィル。エインレイド様は大切な王子様だ。だから夜まで女の子が一緒に遊んでいたら、それだけで即座に報告が行ってしまうんだよ」

「え? 別に不純異性交遊なんてしないのに?」


 その前に女の子と思われているかどうかも怪しいってことを理解しなよ、アレナフィル。

 なんかウェスギニー子爵家令嬢の皮をかぶったお婆ちゃん呼ばわりされてたよ。


「それでもだよ。だからルードも同行させて、夕食を終えたら二人とも同じ部屋に下がって、それからは出て行かない方がいいだろうね。女の子が一人だけとなると、一晩中でも監視がつきかねない」

「はい、叔父様。じゃあ、後でフォリ先生に、仕事しない別邸はどちらか聞いておきます。要は報告されなければいいんですよね?」


 うちの妹の影響を受けてエインレイド王子の性根が歪んだ場合、ウェスギニー子爵家が責任を取らされるんだろうか。

 兄として見過ごせないものがあった。 


「フィル、そんな聞き方して、問題児って思われても知らないよ? 叔父上もちゃんとフィルをしかってください。だからフィル、どこまでも非常識なんです。エリー王子の前で言っていいことと悪いことがあります」

「えっとアレン。僕、気にしないから。それにアレル、口ではどうこう言ってても、いざとなればとってもしっかりしてるんだよ」

「騙されちゃ駄目です、エリー王子。うちの妹はどこまでもひどい子です」


 やっぱり温室中の温室育ちだと、アレナフィルの正しい姿を見通せないのかもしれない。エインレイド王子はアレナフィルを信じていた。

 心の奥が熱くなる。

 僕にもそんな風にアレナフィルを信じていた時代があった。そう、僕が習い事をして強い男になるのを待ってくれているんだと信じていた時代が。


「やれやれ。女の子一人じゃ王宮だって本当に了承するかは怪しいし、いざとなればルード、お前がフィルのフリをして一緒に行って差し上げなさい。どんなに外見は女の子でも、中身は男の子だから大丈夫だろう」

「叔父上。それで騙されるの、お祖父(じい)様とお祖母(ばあ)様だけだと思います」


 うちではいつも一緒だからお互いの行動を知悉していても、クラブでのアレナフィルの行動なんて分からないし、分かりたくもない。

 叔父の解決法はとても投げやりだった。


「叔父様。そうしたら私だけがお留守番ですか?」

「フィルは私が連れていってあげよう。フィルはうちのアパートメントで寝泊まりして、昼間だけ一緒に遊べばいい。何なら夕食が終わった頃に迎えに行ってあげるよ。往復が列車なら、同じ車両に乗り合わせてみんなで楽しくお喋りできるんじゃないかな」

「それなら僕、女装する必要ないと思います」


 叔父はアレナフィルに対して甘すぎる。それなら僕もそっちに泊まるよ。

 よその別宅でお泊まりだなんて気疲れするだけじゃないか。


「叔父様、大好きです。ルードはみんなと仲良く遊んでるから、夜は私と二人きりでデートしましょう」

「こらこら。子供は夜更かししちゃいけないんだよ、フィル。堂々と言うのはやめなさい。そういうのは現地でこっそり言うんだ。ドレスコードのある大人っぽい店でいいかな」

「えへ」


 どうしてエインレイド王子からクラブ合宿に誘われて、叔父と姪の夜更かしデートになってるのかが分からないんだけど。

 なんでドレスコードのあるお店なの? どうせならみんなで夜中散歩して、スナックバーで立ち食いした方が楽しくない?

 常に微笑が標準的に装着されているっぽい王子が、そこで僕に尋ねた。


「ねえ、アレン。夜更かしってこっそりするもんなんだ?」


 僕達と違って、王子になると時刻的な管理も厳しいのかもしれない。王子は夜更かししたことがないのかもしれなかった。

 そう思った僕は、なるべくうちがそのあたりはルーズだとばれないように言葉を考える。


「そうですね。この場合、フィルは叔父と一緒に夜遊びデートだから、子供としては褒められたものじゃなくて、だけど保護者同伴だから大目に見てもらえます。

 だから堂々と言うものじゃないよと叔父は言うわけで、だけど夜遊びと言っても叔父と一緒ならせいぜい深夜まで開いているおしゃれな店でドリンクを楽しむ程度だから大したことじゃない感じです。

 妹は父や叔父をアクセサリーと勘違いしてて、おしゃれしたら見せびらかそうとするんです」


 おめかしした子供がみんなに「可愛いね」「まあ、可愛いこと」とか言ってもらえるのは昼間で、夜間なんて誰だって子供よりも着飾った綺麗なお姉さんに目が行くものなんだよね。

 アレナフィルはそれが分かっていない。

 どんないい男とやらにエスコートされたところで、満足するのは子供だけだ。

 僕はそれぐらいなら、もっと楽しいことして遊んでいたい。


「ああ、そういうことなんだ。アレルって何かあってもただじゃ起きないたくましさがあるよね」

「欲望に正直なんです。エリー王子も言えばそれぐらい連れてってくれるかもしれないですけど、全然面白くないですよ。高いだけの小さな皿しか出てきませんし、周囲は気取って着飾ってますけど、知らない小父(おじ)さんや小母(おば)さん見ても楽しくも何ともないです」


 スナック菓子が十個は買える値段で、小さなお皿にちょびっとしか入っていないおつまみとやらに、どんな魅力があるっていうのさ。

 夜の動物園とかの方がよほど楽しい。だって昼間はダラーッと寝てるだけの肉食獣が、目をらんらんと輝かせて動いてるんだ。


「そう聞いてしまうとつまらなそうだね。ただ、アレルならどんなつまらないことも楽しく変えてしまいそうだ」

「叔父の注文したお酒をこっそり盗み飲みするだけじゃないですか? 反面教師ならともかく、あれはどうしようもないですよ」

「叔父様。ルードが私を不当に(おとし)めてきます」


 正直に言いなよ、アレナフィル。

 図星だって。


「うん、困ったね。エインレイド様の前では取り繕っていたいのに、実はうちが生真面目な家じゃないってばれてしまった」


 可愛がっていてもアレナフィルの本性なんてお見通しの叔父がくすくすと笑っているが、その笑みをさっと消して立ち上がる。

 どうかしたのかなと思って叔父の視線の先、つまり入り口側を見れば、父の親友であり隣の習得専門学校講師バーレン、フォリ先生達男子寮監メンバー、ネトシル少尉が入ってきた。


「すまない。待たせたな、アレナフィル嬢」

「いいんです。その代わり無条件で私の言うこと聞いてくれれば」


 フォリ先生の声掛けに対し、アレナフィルはとても図々しい答えを返す。

 そんな愚かな女子生徒に対し、フォリ先生は「はっ」と鼻でせせら笑いながら、バーレンを振り返った。


「好きな席にどうぞ」

「ありがとうございます。自習室なのか調理室なのか分からないクラブルームですね」


 壁には年号表とか数式とかが大きく書かれて貼られている上、腹持ちのいいお菓子のレシピとかもぶら下がっている。

 レシピも自分達で試して、いいなと思ったらそれぞれのシールを貼ることで、長期的な人気レシピが分かるようになっているのだとか。何故か学校長先生用のシールもある。

 潤沢なクラブ予算のからくりが僕には分かった。

 アレナフィル、結局はみんなを利用することしか考えてない子なんだね。

 大体、どうしてフォリ先生にあそこまで無礼かつ強気な挨拶返しができるんだろう。


「フィルって本当に図々しいよね」

「たかが遅刻程度で、ガル・・・フォリ先生にあそこまで強気に主張できるの、僕、アレルだけだろうなって気がする」


 僕に王子も同意した。

 男子寮とかだと、エインレイド王子もフォリ先生と呼ぶようにしていて、この場のメンバー的にどう呼ぶかを迷ったらしい。


「別にいつもの呼び方でいいと思いますよ、エリー王子。誰も気にしないと思います。うちの妹に比べたら全く問題ないです」

「そうだね。僕もアレル見てると、なんだか心が強くなる気がするんだ」


 そうかもしれない。アレナフィルがあそこまで礼儀知らずだと、自分はなんて素晴らしい人間なんだろうって自信が生まれてくるよ。

 僕達はポップコーンをつまみながらファレンディア観光ガイドブックを広げていたけれど、ネトシル少尉がパチンと片目をつむってきたので、目立たないように手ではなく指を振っておく。

 誰もが予想していた通り、フォリ先生は無礼すぎたアレナフィルに笑いかけていた。そう、目が笑ってない笑みって奴。


「なあ、アレナフィル嬢。どうして俺達が遅れたか、聞きたいか?」

「そういえばレイディはどうなさったんです? ・・・はっ、まさか私をいじめようと、フォリ先生、レイディを追い返したんじゃ!?」


 その声音に身の危険を感じたアレナフィルは正しいが、あのお口はもう修正不可能だ。

 もう女子寮に入ってその根性を叩き直されてきた方がいいと思う。


「アホか。現在、貴賓室で歓談中だ。呼んできてほしいのか?」

「歓談中・・・。いえ、あの大臣ご一同様でしたら謹んでお断りいたします」

「心配せずとも大臣はもう帰った。二度と来ないだろう」

「あ、よかった。じゃあレイディ、歓談ってすぐに終わりそうですか?」


 妹よ、うちはしがない子爵家だ。そしてそのレイディと呼ばれているお方は王妃殿下だ。

 僕は妹の図々しさが、いつかウェスギニー子爵家を破滅に導きそうで頭が痛い。肝心の王族が許しているからいいけど、父は娘の教育をいい加減なものにしていた責任を取るべきだ。


「どうだろうな。なんだ、いて欲しいのか?」

「勿論ですよ。見てください、室内に女の子って私一人なんですよ? 心細くて今にも気を失いそうです」


 気を失いたい顔をしているのは、たかがウェスギニー子爵家息女でありながら、フォリ先生にそこまで礼儀知らずに接している現実を見ている大人達だよ。

 フォリ先生が自分で動く人だって分かっているから誰も何も言わないだけだ。

 するとフォリ先生も罠にかかったバカウサギに、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。


「そうか。それなら呼んできてやる。そうすればアレナフィル嬢も心強くいられるだろうからな。折よく貴賓室で歓談している相手は、ウェスギニー前子爵夫妻だ」

「いえいえいえっ、大丈夫ですっ。レイディがいなくても私は一人でできるのですっ。お気遣いなくっ。・・・って、フォリ先生、ひどいですよっ。叔父達ばかりか、祖父母まで呼んだんですかっ?」


 勝負はあっけなくついた。

 保護者を呼ばれて焦るだなんて、問題児の反応だよね。


「そっちは俺じゃない。だが、孫娘が学校で授業を休んだと聞き、息子が駆けつけたとなれば、夫妻が駆けつけてくることだってあるだろう。いいじゃないか。何をやる気か知らんが、見ててもらえば」

「さ、そろそろ始めましょうか。もうみんな揃いましたしね。皆さん、どうぞお座りください」


 都合が悪くなると、アレナフィルはいつもこれだ。話を変えてしまえば、それまでのことはなかったことになると思ってる。

 肩をすくめたバーレンが、叔父に話しかけた。


「やっぱりフェリル、まだ戻ってきてないんですか」

「そうなんですよ。それでフィルはあなたまで呼んだんですか?」

「フィルちゃんのことだから、いざとなったら自分に味方してくれる人数合わせってところじゃないですか? 俺は都合のいい男扱いですからね」

「あの子にとっては世界中の男がそう見えていやしないかと不安になるんですがね」

「世界は広いし、たまにはそんな子もいますよ」


 どうやらバーレンは叔父と一緒に座る気らしい。

 さっき僕達と昼食をとったネトシル少尉はこっちにやってきた。


「ちょっとお邪魔しますね。鍵を掛けてあるから大丈夫とは思いますが、誰か入ってきた時は、私の背中に隠れて顔を見せないようにしてください」

「リオンさん。だけどエリー王子、いつもここでクラブ活動してるんでしょう? なんで隠れる必要があるんですか?」

「エインレイド様だけなら学校にいるのは当然だけど、本来、ガルディアス様方が一緒にいるのはまずいからだよ、ルード君。何も知らない他人が見たら、この顔ぶれは一体・・・と、気を回すってことだ。唯一の女性であるアレナフィルちゃんが目的だと勘違いされる」

「分かりました。僕も部外者が入ってきたら、エリー王子を背中で隠しますね」


 僕は席を移動しようとしたが、肝心のエインレイド王子がそれを止める。


「その前に廊下にも近衛来てたし、そりゃこの部屋は外から扉開けて入ってこられるけど、鍵かけてるんだよね? 見られるなんて心配する必要ないんじゃないの?」

「その通りです、エインレイド様。護衛なんて、ほとんどが何も起こらないままで終わります。ですが、その何事もない繰り返しが千回、五千回、一万回と続いたその一万一回目に何かが起きた時、何かが起こるかもと考えて動いていればこそ、被害を未然に防ぐことができるのです。全ての無駄に終わった警戒は、いつか来るその一回に対応する為にあるのです」

「あれ? だけどそうしたら窓際も危なくないですか? この場合、窓が割られることも考えるようにって、僕、教わりましたよ」

「そうそう。偉いね、ルード君。ここはまだ外から見えない位置の窓だが、そういう意味では常に窓側に誰かがいてすぐに庇えるようにした方がいいんだ」

「はい、リオンさん」

「別に僕達、いつもここで窓際だろうがドア側だろうが好きに動いてるけど。ここが学校内で一番安全だと思う。近衛だって廊下にあれぐらい来てるんだよ」


 本人的には色々と思うものもあったらしいけど、エインレイド王子を真ん中にしてネトシル少尉がドア側、僕が窓側ということで落ち着いた。

 そんな僕達をしり目に、アレナフィルは先生達と何やら見つめ合っている。いや、探りを入れ合っている?

 男子寮の寮監先生達、僕とはそうでもないけど妹には何故か警戒心があるっぽい。

 ともあれ、皆が思い思いの場所に座った。

 そして偉そうな態度で妹が司会をしている。


「さて、皆さんに来てもらったのは他でもありません。実は、ファレンディアからウミヘビ発送の手配ができたと連絡がありました。

 ファレンディア人のユウトは、サンリラでの夕食会で紹介された通り、皆さんが私の親戚筋のお兄さん達だと信じています。そして私がフォムルからヴェラストールまでユウトと一緒にいたことを口外しない見返りに、あなた方にウミヘビを一台ずつ進呈しようと約束してくれました。

 というわけで皆さんには、私が誘拐などされておらず、そしてあの長期休暇において、私には何ら恥じることなど一つもなかったというこの誓約書にサインをしてほしいのです。全員からサインを頂けないのであれば、残念ですがウミヘビの発送はお断りするしかありません」


 僕の隣にいたエインレイド王子が首を傾げた。


「どう見ても系統が違いすぎるけど、みんなをウェスギニー家の縁戚だと信じる人なんているの? いつからアレル、水産業に乗り出したの?」


 ウェスギニー家のメンバーを知っていればこそ、どこが似ているんだって気になったんだろう。王子の疑問は当然だ。親戚のお兄さんというにはあまりにも無理がありすぎる。

 そんな無茶なアレナフィルの話を信じたフリしなきゃならなかったユウトに僕は同情した。

 そしてウミヘビと言われたら、誰だって海の中にいる狂暴な生き物を思い浮かべるよ。


「えーっと、ウェスギニー君。当初は私達がもらえる予定だったかもしれないが、届いたところで私達に渡されることなくフォリ中尉の所に集められ、それはあなたのお父上と話し合いの上で軍でも幾つかの所へ渡されるのですよ。そんなのにサインしようがしまいが、私達には全くメリットがないのですがね」


 ドルトリ先生が呆れたような声で指摘しているが、もっと言ってやってくれと僕は思った。

 うちのアレナフィルはお馬鹿さんなくせに実行力がある。ここはガツンと言ってくれる人が必要だ。

 それなのにアレナフィルは受けて立つ子だった。


「渡した後のことは、私のあずかり知らぬことです。ですがドルトリ先生は、この後もフォリ先生と一緒なんでしょう? 恨まれるのは困るんじゃないですか?

 だって私、サインがもらえないなら、発送停止を告げます。そうなると、その渡す予定先からも恨まれるのでは?

 サルートス国、ファレンディアの兵器購入はお金がかかりすぎるって取り引きしていないんですよね? それが手に入るかもしれないと糠喜びさせられて、手に入らなかったら八つ当たりとかもされて、左遷異動とかあるかもしれないですよね? それ、困るのドルトリ先生じゃないですか?」


 そんなことを言って皆を黙らせた後、アレナフィルが寮監先生達とネトシル少尉にサインしてほしいとかいう紙を渡していく。

 興味深そうに、エインレイド王子がネトシル少尉のそれを覗きこんだ。僕もだ。


「ネトシルさんのフォトも入ってるんですね。だけどこの髪型、いつもと違って雰囲気が違っていい感じかも。なんか若く見える? というか、親しみやすそう? いつもが親しみにくいわけじゃないけど」

「そうかも。リオンさん、たまにはこういう髪型もいいと思います。というか、サンリラではこんな感じでしたよね?」

「あー。多分、これ、サンリラでフォト撮った時のかも。そういえばアレナフィルちゃんが撮ってたか」


 僕達はフォトの枠模様とかに意識が行ってたけれど、肝心のネトシル少尉は文面を流し読みして、くくっと笑い出しかけていた。

 さすがに目立ちたくないので大笑いするのを避けたらしい。他の寮監先生達は厳しい顔つきだ。

 早速ドルトリ先生が、アレナフィルに(けわ)しい目を向けた。


「言っておきますが、あなたのお父上も絡んでいるのですよ? しかも何ですか、この誓約書。一人一人のフォトまで入っている上、どうしてサンリラでもフォムルでもヴェラストールでも、あなたが完全に男性とは距離を置いていたことを証言する内容になっているんですか。既婚男性と独身男性二人、鍵のかかる同じ部屋で寝泊まりしておいて、あれが貴族の娘として品行方正だったと本気で思ってるんですか」


 うん、もっと言ってやって。

 その十倍は厳しく言い聞かせてくれていい。もう父も叔父も甘やかしがすぎる。


「そんな事実はありませんでした。それはフォリ先生と一緒にいたドルトリ先生他、皆さんが全員その誓約書にサインすればそれで終わりとなるのです。安心してください。私に変な醜聞が出回らない限り、それは外に出しません」


 それなのにアレナフィルは、黒を白だと証言するように強気で迫っていた。

 いつものたどたどしいお喋りはどこに行ったの? 甘やかしてくれない相手には猫をかぶる必要も見出さないわけ? しかも何を不正行為を堂々と迫ってるわけ?

 妹よ、お前は甘える時とそうじゃない時の落差が激しすぎる。

 僕は父の親友であるバーレン、そして叔父のレミジェスをちらりと見た。


「なんで俺には沈黙誓約書とやらが回ってこないんですかね」

「あれを出す時があるとしたら、まさに貴族同士や軍内での潰し合いです。フィルとてクラセン殿を巻きこみはしないでしょう」


 二人はそんなことを話している。

 そりゃそうか。いくら我が儘で愚かなアレナフィルでも、身分的にも身体能力的にも分の悪いバーレンを巻きこむはずがなかった。

 だけどこの場に呼んでいるのは、一人でも味方が欲しいだけなんだろう。

 肝心のバーレンは、味方どころかただの見物人しているけど。


「私達を脅そうとしても、その前にあのウミヘビとやらが手に入らなければ、あなたのお父上が困るのですよ、ウェスギニー君。私達の分として入ってくる予定のそれで、あなたのお父上は色々と動いておられましたからね」

「大丈夫です。以前から私、父が危険な仕事をしているのが辛かったんです。糠喜びした人達にはお気の毒でしたが、この際だから責任取って父は軍を辞めて、私と一緒に仲良く暮らせばいいと思います。それにウミヘビ、私だけがもらえばいいだけですから。勿論、父を通じて有料で貸し出すことぐらいは了承します」


 自分の願望が駄々洩れな妹がいるのだが、どこまであの父が好きなのかなって、僕は本当にそれが疑問だ。

 そりゃ父の顔はいいかもしれないけど、性格がダメダメだよ。叔父の方が数百倍素敵だ。

 大体、レンタル業で稼ぐつもりなら、その内容は違うものにしてほしい。「移動車の貸し出しいたします」とか「別荘の貸し出しいたします」とかなら理解できるけど、「兵器の貸し出しいたします」って、何だよそれ。

 そんな商売、前例あるの?


「フォリ中尉には渡さないと?」

「フォリ先生と、フォリ先生についてきた皆さんが全員サインすれば渡しますよ?」


 ドルトリ先生とアレナフィルが睨み合っている中、フォリ先生とネトシル少尉はあっさりとサインしていた。

 だけど二人共、めっちゃ下向いて笑ってるよね? もしかして「兵器貸します」の方が面白いと思ってる?


「レミジェス殿。こう言っては何ですが、姪御さんについてどうお思いでしょう?」

「しかりつけたいのは山々ですが、ウェスギニー家としてはその誓約書が手に入ってくれる方がありがたいので、今、姪を止める理由がありません。それに我が家は、アレナフィルが密輸だの兵器の譲渡だのに関与することなど、できれば()めさせたいのです。結果として兵器が手に入らなくてもそれならば仕方がないということで、ウェスギニー家は問題ありません」


 保護者に保護者らしいことをしろと言いたかったのか、ドルトリ先生が叔父に矛先を向けてくる。

 けれども叔父はその先を見ていたようで、そんな人を食った返事をした。

 損することになっても、撤退したことがいいことはあるよね。


(たしかになぁ。一度関与してしまったら、どうしても痕跡は残る。短期的に混乱が生じても密輸させない方がマシって考え方もあるか)


 様々な考え方や決断があって、それのどれもが間違っていないこともあるんだね。

 国には国の、軍には軍の、そして子爵家には子爵家の判断があって、どれも正しいのだ。

 たしかにこれは生きた授業なのかもしれないと、フォリ先生の言葉の意味を噛み締めていたら、ドネリア先生が口を開いた。


「ウェスギニー君。誓約書など求めなくても、私達にはフォリ中尉からとっくに口止めがされている。守秘を求められた以上、私達は家族や恋人にも話さないものだ。軍は上下関係も厳しい。ウェスギニー大佐及びフォリ中尉から命じられた以上、私達が君やあの外国人について口外することはなく、心配は不要だ」


 その通りだ。

 男子寮で寮監をしている先生達は、フォリ先生が抱える直属の部下のようなもの。わざわざフォリ中尉がかまった子爵家息女程度のことで誓約書など要求されるものではない。

 それ以上に表に出せない機密事項に触れている立場なのだから。


「だけどそれは父やフォリ先生が健在の間だけでしょう? しかも二人より上の人から言われたら、ほいほい語っちゃいますよね? 父はいつだって危険な場所にいますし、フォリ先生だって何があるとも限りません。だから私は二人が亡くなるケースも踏まえて動いているのです。亡くなったらどんな命令も破り放題じゃないですか」


 無神経すぎるアレナフィルの言葉に、メラノ先生がガタッと音を立てて立ち上がる。

 よりによって妹は彼等の忠誠を侮辱した。妹の立場によっては決闘を申し込まれても仕方がない発言だ。

 だから貴族令嬢としての教育を、・・・・・・いや、そんな子だから一般の部に行かせてたんだった。だけど父の配慮は全て裏目に出ていると思う。


「言葉に気をつけろ。よりによってフォリ中尉に対し、亡くなるとは仮定であろうとも言っていいことではない」

「永遠に生きている人はいません、メラノ先生。そして物事に『絶対』なんてないんです。それならば私の母はどこでどうして亡くなりました? 様々な危険の仮定を念頭に置いているからこそ、人は生存確率を上げていくのです。何も口にしなければ人は平和に長生きできると、先生は本当に思ってるんですか?」


 その言葉に僕はアレナフィルを見た。

 母を殺した貴族について、未だに僕は教えてもらっていない。そしてアレナフィルは何も知らない筈だ。

 だけど本当にアレナフィルは何も知らないのか? そしてまさか、寮監先生達はみんな知っているのか?


「あなたのお母上がどう亡くなったかなど、私が知る筈がないでしょう」

「王子であるエインレイド様に一番近い場所にいる女子生徒を調べ上げない筈がないですよね? そういうごまかしは不要です。何より私はフォリ先生が若死にする確率は高いと判断しました」


 本来、侮辱した悪者の筈のアレナフィルが詰問する側になっている。更にとんでもない暴言をかました。

 ここまで来たら決闘は避けられないかもしれないと、気が動転しかけた僕だったが、そこでフォリ先生が軽く手を振って、メラノ先生を着席させる。


「アレナフィル嬢。俺が若死にするという根拠は何だ?」

「ミディタル大公様ですよ?」

「ほう。どういうことだ?」


 僕の隣にいるエインレイド王子が、理解できない生き物を見るような目になっていた。

 そうだよね。僕だって理解できない。ミディタル大公なんて、あの人がいたら向かう所敵無しって感じだよ。若死にどころか、一緒にどこまでも長生きできちゃうよ。


「仕方ありません。フォリ先生には素敵な列車旅行を提案していただいたので教えて差し上げましょう。

 私はエインレイド様と兄との三人でミディタル大公家へ行きました。私の勘によると、ミディタル大公様は虎の種の印が出ています」

「それは誰でも知ってることだな。一目瞭然の事実だとも言われている」


 愚かな妹に対し、フォリ先生の相槌があまりにも当たり前すぎる。


「私は知らなかったのです。だけどフォリ先生と違ってミディタル大公様はかなり場慣れしている感じでした。父に聞いたら、ミディタル大公様が危険な地域の前線に出たことはないとか。だから私は悟ったのです」

「何をだ?」

「こっそりと抜け出して、ミディタル大公様は危険地帯で大暴れしていたに違いないと」

「だとして、それがどう繋がるんだ?」


 多分それ、誰もが勘づいているよ。

 何もそれを指摘されなきゃいけないことないよ。


「分かってないですね、フォリ先生」


 ちっちっちっちと、アレナフィルは右手の人差し指を左右に振った。

 いつもの僕ならその手をぎゅっと握りしめて、アレナフィルが「ああーっ。指折ったぁっ」と、文句言うのを眺めるところだけど、こういう時はまず流れを見るようにと叔父から教わっている。

 だけどどうして叔父はアレナフィルを止めないんだろう。


「フォリ先生は虎の種。そしてミディタル大公様はかなり虎らしい虎の種。自重を考えない虎の種っていうのは、身近な虎の種を悪気なく無断で危険な場所に連れてって放り出し、

『ほぉら、楽しいだろう?』

と、やらかしかねないものなのです。

 ゆえに・・・! そこそこ常識的なフォリ先生は気づいたらいきなり危険な状態にいて、まともな装備もなく撃銃弾が撃ちこまれ続け、訳が分からないまま瀕死の状態になりかねないと私は見たわけです・・・!」


 あれ? さっきまでアレナフィルがとても愚かなことを言い出していたのに、僕、すとんと納得してしまったよ。

 うん、やるね。あのミディタル大公ならやるね。うちの父よりもやりそう。いや、確実にやる。もしくはとっくにやらかしまくっている。

 その納得は、同じく虎の種の印を持つ父親を持っているフォリ先生と僕に共通する何かだったのかもしれない。


「ふむ。なんつーことを言いやがってくれると思ったが、かなり説得力がある話だ」


 もしかしたら経験者だったのだろうか。僕でさえアレだった。ミディタル大公はまさに唯我独尊。

 フォリ先生は僕に対してけっこう面倒見がいい人だけど、それは僕の経験がどこか共通項を持っていたからなのかもしれない。


「そうでしょう。気をつけておいた方がいいですよ? ああいう人達に悪気はないですから行動が読めず、それでいて実行力があるから警戒するのが難しいんです。なるべく悩みを話さないことです。気晴らしにと善意で連れていかれかねません。回避策は、ある程度使えそうな、だけどまだ手のかかる虎の種を大公様の近くに配置して、自分に目を向けさせないことです」


 我が身が可愛い僕は、そそそっと叔父の所へ中腰で近寄っていった。二人の間にある丸椅子に座る。

 その使えそうでまだ手のかかる虎の種って、父の近くに誰がいるのかって話だよ。アレナフィル、僕にいずれ虎の種の印が出るって予言してるんだけど。


「あのさ、叔父上。やっぱり父上、仕事辞めなくていいと思う。少なくとも僕が成人したら、父上、ずっと休みなしで軍の仕事してていいと思う」


 あんなアレナフィルの我が儘を聞いていたら、父が程いいところで軍を辞めることになるじゃないか。有り余ったエネルギーを僕にぶつけられたらたまらないよ。


「そうかもしれないね。だけどその時はルードよりも、フィルの結婚候補相手に暴れるんじゃないかな」

「そんなの誰も今更必要ないし。叔父上、僕の危機だよ」


 結婚候補とか言われても現在の婚約者は家族で論外、フォリ先生やネトシル少尉はとっくに完成してるじゃないか。


「うーん。ルード君、フェリルは子供達を愛してると思うんだが」

「バーレンさん。これは父の愛がどうこうじゃなく、父の非常識っぷりの話なんです」


 次のクラスに進みたいと言ったスポーツを一時的に停止させる為、息子を戦地へ連れていく父親に常識はない。

 僕の危機にはまだ時間があると見たか、フォリ先生達の話は続いている。


「目を向けさせないというが、俺の父親なんでな」

「虎の種なんて、好奇心旺盛でパワーが有り余ってるだけです。何かその気を引くような人身御供を出しておけば、息子になんて目を向けません。とりあえずドルトリ先生を大公様に差し出してはどうでしょう。ひねくれた根性がとてもまっすぐになると思うんです」

「本当に転んでもただでは起きないな、アレナフィル嬢」


 うちの妹、やられたらやり返すタイプだったんだね。さっきの恨みを忘れていない。


「ウェスギニー君。何故そこで私の名前を出すのですか」

「ドルトリ先生が意地悪だからです。女の子に優しくできないなんて最低です。大公様の下で元気に暴れまわってくれば、まっすぐな気性に生まれ変わり、もう少し思いやりを持てるようになると思うんです。

 いいじゃないですか。一緒にいるのがフォリ先生という息子か、ミディタル大公様という父親か程度の違いです」

「あなたは思いやりで、事実の改竄と偽証に手を染めろというのですかっ。こんなのにサインしてしまったら、それが真実となるのですよっ」

「男の度量を見せてください、ドルトリ先生。無力で哀れな私が大人の犠牲になるだなんて間違ってます」


 自分の危機を察したか、ドルトリ先生が額に青筋立て始めた。アレナフィルにはどうでもいいことらしいけど。

 アレナフィルにかかれば、裏口入学とか不正とかも全て女の子なら許されることになっちゃうね。

 うん、こんなバカで悪い子、お外に出せないよ。

 はあああっと、音さえ出ているドルトリ先生の溜め息も深い。


「あなたじゃなくて、あの外国人が問題なんだって分かってますか?」

「私は彼のポケットマネーでファレンディア旅行を楽しむ予定なのです。そうである以上、サルートス国でのことは全て私が解決しておかねばなりません。私の高級旅館と遊園地併設ホテルでの豪華旅行がかかっています。黙ってサインしてください」

「まさにあなたの都合じゃないですか」

「子供なんてそんなものです。大人の庇護を必要とするからこそ、自分にできる範囲で努力するしかないのです」


 膠着状態の主張をしている二人だが、ネトシル少尉が立ち上がってアレナフィルに誓約書を渡した。

 一人になって寂しかったのか、エインレイド王子もポップコーン容器とガイドブックを持って僕達に合流してくる。

 大人二人に生徒二人で、なんかいい感じ。バーレンも位置を変えて、僕の隣を王子に譲った。

 ちらりと僕達を見たネトシル少尉もそれなら安心だと思ったらしい。叔父は元軍人だしね。


「はい、アレナフィルちゃん。

 俺もね、休暇中も報告義務がある以上、所属部署に報告はしてるんだが、俺がもらう予定とかのウミヘビは、ウェスギニー大佐を交えての話し合いで、王宮の近衛で共有することになっている。

 だから勝手ながら、この誓約書にアレナフィルちゃんは常に品行方正で生活していたこと、税関事務所で真面目にバイトしていたこと、更には知り合いになったファレンディア人と俺達を引き合わせ、通訳しながら我が国に今まで導入されたことのない兵器を譲渡してくれる手伝いをしてくれたと書き添えといたよ。

 また、君に対して近衛の方から変な噂が流出することがあったら、それは悪意ある忘恩の所業だともね。これでいいかな?」

「ありがとうございます、リオンお兄さん。文句つけずにさくさくとサインしてくれたフォリ先生とリオンお兄さんには別途でサービスしておきますね」


 父と叔父とは違う方向性で甘すぎる。さすがに偽証罪などには手を染められないが、どんな悪評が出てこようとも未成年ながら協力者として動いていたからだと、ネトシル少尉はそっちで真実を覆い隠す気だ。

 なるほど。書き添えるという手段で、その誓約書が独り歩きしないようにしたのか。

 こういう手もあるんだなと、僕は思った。

 ところで愚かな妹よ。別途サービスって何をやる気?


「はは。そういう気を遣う必要はないよ。ただ、ファレンディア旅行に行くなら俺もついていきたいな。旅費は自分で負担するし」

「うーん。ユウトの船を使うので旅費はかからないです。だけどユウト、一人暮らしだから部屋数も聞いてみないと分からないんですよね。ルードは子供で私の兄だからいいんですけど、もしもユウトの職場に顔を出すならリオンお兄さんだと警備員が通さない可能性が高いです。ホテルを取ったら行動が別になっちゃうし、ファレンディア語を話せない人にとってあの国はとても不親切です」


 僕を連れていくことは問題ないと判断していたみたいだけど、ネトシル少尉だと警備員が通さないってどういうこと? やっぱり外国の軍事兵器製造施設だから?

 観光ガイドブックはとても楽しそうな国なのにと、僕は目を細くしてむぅっと考えこむ。叔父もだ。


「そうなのかい?」

「観光地で遊ぶ分には問題ないんですけど。・・・ちょっと聞いておきます。ただ、難しいとは思います。

 ユウトにはみんな親戚だって説明しましたけど、出国及び入国手続きでウェスギニー家とは無関係って分かっちゃいますし、そうなるとリオンお兄さんをその場で海に放り出しかねません。

 ユウト、私が好きになりそうな異性は気づいたら排除し終わってるタイプなんです。ヴェインお兄さんは全然紳士じゃなかったから私の恋愛対象外って判断したようですけど、どこに出しても恥ずかしくないリオンお兄さんなんて何をされるか分かりません」


 オーバリ中尉、いい人なのに。そりゃ紳士的とは言い難いけど。それでも子爵邸では祖母に対して貴婦人に対する姿勢をとっていたから、やれるのにやらない人なんだと思う。


「褒めてくれてありがとう。だけど同世代との偽装恋愛に根性入れるんじゃなかったのかな、アレナフィルちゃん?」

「頑張りますが、ユウトが信じるかどうかは怪しいのです。叔父やルードを信じさせるぐらいに難しいミッションです。頑張りますけど」


 同世代との偽装恋愛って、同世代との恋愛が普通だよ。うちのアレナフィルは父と叔父大好きで、身近に紳士的な王子様やタイプの違う伯爵家令息がいても、全く異性を意識していないお子様だけど。

 大体さ、アレナフィルがその相手を好きかどうか、見抜けない人なんているの? 他人ならともかく、親しい人間なら一発だよ。


「つまり偽装は無駄ってことだね、叔父上」

「そうだね。リオン殿は誰が見てもいい男だ。だけどそれなら兄上が一番受け入れてもらえないのか?」

「フェリルは父親だから問題ないでしょう。俺も警戒されなかったのは、やっぱり既婚者だからですかね」

「なんでアレル、そこまで年上趣味なのかな。僕達、同じクラブに女の子一人なのに全然そんな感じしないし、ランチの時だって女の子三人しかいないよねって、いつも話してるんだよ」


 エインレイド王子に対して申し訳ない気分になってしまう。僕のやってるクラブ活動なんて、応援マネージャーしてくれる女子生徒達、男子生徒達から大人気なのに。

 そして王子にも年上趣味がばれている妹がどこに出しても恥ずかしすぎる。

 そこが大人なネトシル少尉が、アレナフィルに優しく問いかけていた。


「それこそファレンディアで監禁されちゃわないのかい?」

「ユウトはそんなことしません。私の周りをお掃除しても、私のことは決して傷つけないです」

「男の排除は掃除なのか」

「ユウトに言わせるとそうなります」


 呆れた顔で、そんな妹の頭にフォリ先生がぱさりと誓約書を置いた。


「ほら、俺のサインだ。王子エインレイドの学友として全学年一位の点数を叩き出したウェスギニー家令嬢アレナフィルについて、長期休暇を利用して私生活についても王宮や大公家、様々な貴族の監視下で観察したが、貿易都市サンリラ、ゴバイ湖、フォムル、ヴェラストールでも全て品行方正かつ優秀であったと書き添えてある。必要ならばこれに王宮の近衛や女官のサインも入れさせよう」

「ありがとうございます、フォリ先生。そこまでは必要ありません。じゃあ、フォリ先生とリオンお兄さんは期待しといていいですよ。とっても嬉しくなるサービスをつけておきましょう」


 沈黙誓約書の筈が、フォリ先生にかかると私的生活の採点表になるんだね。

 そんなのに近衛や女官のサインも入れられたらお妃様ルート、ひゅるるるるーどっかーんだよ。


「そんなのはともかく、なんで会ったばかりの外国人が自分の周りを掃除すると断言できるんだ、アレナフィル嬢? まさか本当に彼に結婚詐欺を仕掛けて逃げてたのか?」


 言葉を選ぶネトシル少尉と違い、フォリ先生はズバッと尋ねた。

 どうしよう。うちの妹は結婚詐欺師だったのか。


「失礼な。結婚を約束・・・・・・まあ、昔、なんかよく言われていた気はしますが、それは子供ゆえの可愛らしいそれで、あんなのが有効とは思わないです。いえ、認めません。だから私は何も悪くないのです」


 本来、そんな侮辱などと怒る筈の貴族令嬢が、歯切れ悪く言い逃れようとする。

 しーんと、室内を静けさが支配した。

 しばらくしてドルトリ先生が気を取り直したように首を横に振って、それから口を開く。


「やはり結婚詐欺をしていたのですね、ウェスギニー君。だけど君はどんな幼さでそれをやらかしたのです? そんな子供の約束を本気にする男も男ですが、世の中には常識のない男だっているのですよ。まさか、だからあんなとんでもない監獄みたいな家に隠れ住んでいるのですか?」

「人聞きの悪いこと言わないでください、ドルトリ先生。そんな大昔のこと、ユウトも私も忘れてましたよ。大体、『大きくなったら結婚して』だなんて子供の約束、信じる方がおかしいんです。どれも無効ですよ、無効」

「ではお金を巻き上げたりはしていないのですね? 彼の船とか言ってましたが、あなたは海外旅行に相手の船を使用し、相手の家に泊まり、それでいて婚約届を相手の国で出しておいて結婚する気はないんですよね? 結婚をエサにお金を出させておいて、詐欺と言わないと本気で思ってるんですか?」


 これが成人ならば口約束でも婚約が発動するケースがあるが、子供の場合は全て無効だ。だからアレナフィルの主張は正しい。

 だけどやっていることはドルトリ先生の言う通り、アレナフィルはただの悪女だ。


「どうせ私が結婚する気ないの、ユウトは知ってます。それに婚約届なんてウミヘビ発送と旅行における優遇及び支出削減目的、合理的なやり方ってだけです。何より私にお金を使わせると言っても、それでユウトは私と一緒に過ごせるんです。別にいいじゃないですか。

 まさかドルトリ先生、付き合った女の子とうまく行かなくなったら、今まで使った金返せとか言うみっともない男ですか? 恥ずかしいですよ、それ。

 それに結婚詐欺どころか、ユウトは子供の頃から色々なバージョンの優しいおじさんによる懐柔やら薄幸の美少女やら年上の美女やらのトラップを経験してきてます。彼にそんな心配すること自体が笑止です」

「ハニートラップなんて使い古されても尚引っ掛かる奴がいるから使われ続けるのですよ。実際、あなたはそれであの男を篭絡していたじゃないですか」

「仕方がありません。誰よりも私が魅力的だっただけです。・・・全くもう、それならドルトリ先生はサインしなくていいです。紙、返してください」


 ブチ切れたアレナフィルが誓約書を回収しようとする。どうせもう誰よりも重要視されるフォリ先生のそれが手に入ったからどうでもいいのだろう。

 

「書きますよ。どうせフォリ中尉がサインした以上、それが全てです。全くどれだけ男を利用すれば気が済むんですか」

「・・・それなら最初からおとなしくサインすればいいのに」


 全員のサインを集めたアレナフィルは、それらを鞄に仕舞った。


「さ、これで良し。というわけでフォリ先生。ウミヘビはこれで8台が届くわけですが、あくまでそれは本家本元のウミヘビ。あのバッタ品と違い、圧縮酸素ボンベも付いて水中でも呼吸可能、激突防止機能もついている上、必要とあれば全身を覆うことで小型のサメに噛まれても傷を負わないといった形状にも変えられます」

「ほう。そうなるともう別物だな」


 フォリ先生が興味深そうな様子だ。僕も聞き耳を立てる。


「あれはトビウオの劣化コピー商品で、今回やってくるのはトビウオの進化版のウミヘビですから。ですが、あくまで無料でくれるのは口止め料的なその本体。それだけで問題なく使えますが、有料でオプションもつけられます」

「オプション?」

「はい。これは特別にオプションを買わせてあげるというものです。速やかにサインしてくれたお礼に、フォリ先生とリオンお兄さんの分は、最適オプション選択をしてあげるので期待しておいてください。だけど他の6台分はどのオプションを購入するか、つけずに無料ですませるかどうかを決めてください。ちなみに価格表がコレです」


 アレナフィルが価格表を取り出してフォリ先生に渡した。

 いつの間にそんなものをやり取りしていたのか。だからアレナフィルを自由にさせちゃいけないんだよ。


「オプションでこの値段か。凄いもんだな。だが捕捉補助付き攻撃装置の1から10って、どう違うんだ? 

1が安くて200ローレ、10が高くて2000ローレとあるが、十倍もの価格の開きがあって、それで十倍の効果や威力があるというものでもないんだろう?」


(※)

200ローレ=200万円

2000ローレ=2000万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として200ローレ=300万円、2000ローレ=3000万円

(※)


「さあ? 私だって見たことないから分かりません。どう違うのかを説明してくれと言ったら、能力や威力なんてのは社外秘に決まってるだろうと言われました。まともな売買でじゃないんですから、ここはもう値段で決めてください」


 そういえば密輸で手に入れるんだった。

 企業秘密なのか。売買契約したところにしか、その能力は明かされないのか。

 叔父も考えるような表情になっている。やっぱりアレナフィル、子爵邸で住まわせておくんだったと思っているんだね。


「俺とネトシル少尉には最適なものを選ぶと言ったが、それはどう決めるんだ?」

「ウェスギニー家でトレーニングルームを一通り使いましたよね? あのデータを送ってユウトに算出させます。誰と共有するにしても、本来のベストマッチなカスタマイズを二人に合わせるので使いやすいと思います。オーバースペックでも使いにくいだけですから。

 バランスのいいオプションで、更に細かい微調整もしますから期待しておいていいです。まさにオーダーメイドの仕上がりとなるでしょう。

 勿論、データは多い方がいいですから、改めて取り直してもいいですよ? その時は私に立ち会わせてほしいです。プロテクトに重点を置くのか、攻撃能力に重点を置くのか、疲労度軽減に重点を置くのか、そういったことを念頭に置いてデータ取っていった方が確実ですから」


 意味が分からない。だってオプションは1から10まで決まっているんじゃないのか?


「どーゆーこと、叔父上?」

「恐らく1から10までは、それぞれどの方向性のオプションがどのクラスとか固定されているのだろう。だけどデータから割り出すというのは、たとえば防御能力はオプション8のそれ、攻撃能力はオプション2のそれといった感じで、更にバランスを変更してくるんだと思う。ある程度、バランスを考えたオプションでも、個人の能力に応じて変更されたなら、お二人と同じ身体能力の人間しか合わないということだ。実質的に他の人が使いにくいことになるだろう」


 誰でも使えるものだったのに、それもそれでどうかと思う。

 虎の種の印を持つ者に合わせてカスタマイズなんかされちゃったら、普通の人がきついじゃないか。みんなで共同使用すると言っても、専用になってしまう未来しかない。


「ちょっと待ってください、ウェスギニー君。そうと分かっていたら私達だってすぐにサインしましたよ?」

「自発的なサインだからこそ信じられるのです、ドルトリ先生。本体だけでも価値があるんだから、強欲ジジイみたいなこと言わないでください。あ、フォリ先生とリオンお兄さんはこのチェック用紙に自分がウミヘビに求める方向性をチェックしていってください。全てを叶えはしませんが、あちらで計算してカスタマイズスペックを決定するでしょう。それで算出されたオプション費用、ケチらず払った方がいいですよ。まさにその良さを実感できます」


 アレナフィルは自分の好きな人にだけサービスする身勝手な子だ。

 フォリ先生とネトシル少尉にチェック表を渡した。


「凄い項目数だな、アレナフィル嬢。利き腕から使用用途別の使い方まであらゆる場面を想定しているようだが」

「そうですね。アレナフィルちゃんも先にこれを出していたら、みんな即座にサインしただろうに」

「利益で人を買ってたら、メリットがなくなった途端、牙を剥いてくるじゃないですか。それぐらいなら信頼できる人だけでいいです、私。何よりこっちの数値をあっちの数値に直してって、面倒くさいんです。私にとって何のメリットもないんです。フォリ先生はお金払いがいいからサービスしますけど」

「ねえ、フィル。それ、僕のこと忘れてない? あのユウトさん、僕にもくれるって言ってたよね?」


 そういうことなら僕だって欲しい。別にあの遊泳グッズでも十分楽しめたけど、そういうことなら僕だって自分用の特別バージョンが欲しいに決まってる。

 だけどアレナフィルは首を軽く左に傾げた。


「そうだけど、子供が兵器を所有してもその万能感に溺れて人生破滅すること多いって、ユウト言ってたよ。本当は何も言わず渡して終わるつもりだったけど、やっぱり大人になってから用意してあげようかって。

 そっちの方がいいんじゃない? ウェスギニー領で水難事故が多いようならすぐに渡してあげるけどって。今がいいの、ルード? 今の身体技能に合わせても、大きくなっていく内に服と一緒で体に合わなくなっちゃうよ?」

「え? 子供でも大人でも使えるんじゃないの?」

「それは本体。ウミヘビは本人に合わせたゴーグルもつけられるの。本体は普通のゴーグルだけど、オプションでフォリ先生とリオンお兄さんには視力や視野の補助もつくよ。だからいち早く色々なものに気づけるし、場合によっては暗い海でも動けるの。今のルード能力で渡されたら、大人になった時、リオンお兄さんのが使いやすくていいなぁって羨ましがるようになっちゃうよ」


 つまり、父が僕に用意したプロテクターと同じことだ。

 僕の腕力では使いこなせないからと、他の2台に比べて僕用のはワイヤーロープが短い。そしてブレードもかなり能力が劣っていた。勿論、それでも十分に凄いんだけど、やっぱり子供ってのはできないことが多すぎる。


「大人になってからでいい」

「うん。ルードはいい子だから、ウミヘビじゃないものが良かったらそっちにしてあげるって。お勧めは、どこでも安全ベッド。とっても便利なんだよ。雨が降っても雪が降ってもぬくぬくで野宿できるし、熱砂の砂漠でも涼しく眠れるの」

「ホテルに泊まればいいじゃないか」

「んもう。ルードは分かってない」


 分かってないのはアレナフィルだ。それが必要なのはアレナフィルだと思う。

 興味深げにネトシル少尉のチェック表を叔父が覗いていたが、それを見てアレナフィルが叔父にもチェック表を渡してくる。


「川で使うならどれくらい濁った水を想定しているのか・・・って、つまり濁流での使用が多いならプロテクトに重点を置けるわけか。海で使うにしても高温ガスが噴出している場所でも使うのかとか・・・。様々なケースに対応できるというそれがあまりにも幅広いね、アレナフィルちゃん」

「道具は使う為にあります。どういった環境下でどこまで使うかを踏まえ、材質も変更します。だからオーバースペックでも意味がないんです。普通の海で使うならそんなオプションつけていても違う脆弱性が出てしまうだけですけど、正しく用途を告げてくれればできる限り変更してくれるってことです。

 体格や持続力にも合わせてより使いやすいものに仕上げるから高くても購入されるんです。何もしてなくても使いやすいですけど、どうせなら自分なりに合わせてもらった方がいいです」


 そんなことを説明したアレナフィルだが、不意にフォリ中尉とネトシル少尉の腕を掴んで廊下に出ていった。こっそりと話したいことがあるのだろう。


「なんて隠し玉の多いお嬢さんだ。レミジェス殿はどうなさるんです?」

「どうするも何も、クラセン殿の分も兄は軍に流す気での8台ですから。それよりドルトリ中尉、うちの兄はいつ戻ってくるのでしょう。兄がいないと姪のやりたい放題が止まらないんです」

「すみません。それはこちらも分からないんです」


 その後、戻ってきたフォリ先生の話によると、明日の休曜日、二人のデータを取る為にミディタル大公邸に行くという話になっていた。

 そりゃまあ、うちのスポーツルームよりもハードな測定機器がありそうだけどさ。



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