54 レミジェスの兄は今日もいない
物心ついた時からとても優しい兄だった。物静かで、何かとやんちゃをする私を見守ってくれている母と兄が大好きだった。
母と兄はとてもよく似た顔立ちで、自分は全く母や兄に似ていなかったが、二人が私の淡い黄色の髪も赤い瞳もなんて素敵な色合いだろうねと微笑んでくれるから、そんなものだと思っていた。
ウェスギニー子爵邸とは違う小さな家に暮らす母はあまりにも自由奔放すぎて、だから一緒に暮らせないんだなと諦めていたけれど、兄が母の所を訪れる時はいつも私を連れて行ってくれた。
『レミジェス。今日は母上の所へ遊びに行こう』
『行くっ。だけど兄上、そのおにもつ、なぁに?』
『母上相手に油断はできない』
『?』
母の住む家には私達の部屋もあったし、とても面倒見のいい人なので手ぶらで行っても全く問題なかった筈だが、思い返せば兄は何かと荷物を持っていっていた。
隠れてお菓子でも食べていたのだろうか。まあ、些細なことだ。
『いらっしゃい、私の子供達。さあ、今日はそれに着替えるんだ。熊を仕留めに行くぞ』
『母上。僕達、子供って分かってますか? 子供が武器を使うだなんてカンゴク行きですよ。それにレミジェスに何かあったらどうしてくれるんです』
『何もなければいいだろう。その為に注意して行動するんじゃないか。どんな武器の使用もばれなけりゃいいんだ、ばれなきゃ。みんな、ベテランだぞ。お前はいい子だからみんなと一緒に参加できるよな、レミジェス?』
『はい、母上。だいじょうぶです、兄上。ボクが兄上、まもってあげます』
『全くどこの子爵夫人が病弱なんだか。あー、やだやだ』
『お前は頭が固いな。男ならもっと腕白に生きろ。レミジェスなんて元気なものじゃないか』
『だけど母上。兄上は、母上によく似てます』
『そうだな。フェリルドの外見とレミジェスの中身を足したら私ができあがる』
『そしたら母上、妹をうんでくれたら、女の子も足してかんぺきです。兄上も妹、ほしいと思います』
『妹か。女の子もいいなぁ。レミジェスもいいお兄ちゃんになりそうだ』
どちらかというと、兄よりも私の方が母と馬が合った。がしがしと乱暴に頭を撫でては屈託のない笑顔で抱きしめてくれる母が好きだった。
だから疑わなかったのだ。そんな母と私の血が繋がっていないことなど。
父の傍には紺色の髪と赤い瞳をしたマリアンローゼという専属侍女兼私の乳母がいて、まさに子爵邸の女主人のように全てを仕切っていたが、それは役職的なものだと思っていた。その赤い瞳が自分とよく似た色である理由など、全く思いつきもしなかったのだ。
何故ならその侍女兼乳母は、あくまで私をレミジェス様と呼んでいたからだ。兄が私の乳母に対して格別に親切であることには気づいていたが、父の世話を全て行う専属侍女に対する敬意だと信じていた。
私は何も見えていない子供だった。
そんな私が名乗る名前は、ウェスギニー・ガイアロス・レミジェス。亡くなったウェスギニー・ガイアロス・アストリッド子爵夫人の産んだ次男となっている。
実母のマリアンローゼは男爵家の血筋だが傍系であり、貴族としては平民に近いレベルだ。だからこそ私の将来を考えて、養母であるアストリッドはガイアロス侯爵家の血筋としてくれたのだろう。
当時の父と養母と実母の関係がどうであったのか、私には分からない。
分かるのは本妻であるアストリッドが子爵夫人として子爵邸で過ごしていても、愛人であるマリアンローゼとは仲が良かったことぐらいだ。
よく三人でお茶を楽しんでいた。あの頃は、乳母も家族みたいなものだし、父と二人だけではつまらないから三人でお喋りしているんだなと思っていたが、大人になってみたら違う思いも生まれる。
本妻と愛人が同席するテーブルで、父は何を考えていたのだろうと。
(母上の勢いに吞まれていただけかもしれない。思い返せば、使用人でありながらお仕着せを着ることもなく、食事の席にいて家族扱いされていることで気づくべきだったんだ。あれは乳母特権ではなかったんだと)
父の専属侍女でありながら私の乳母でもあったから気づかなかった。私は実母を乳母だと信じ、だからこそ母のように甘えて育っていた。
兄がマリアンローゼに甘えることはなかったが、性格上の問題だと信じていた。
(兄上はいつから知っていたのだろう。それ以前に、母上はどうして父上と結婚したんだ?)
ガイアロス侯爵家は王家との縁組も多かった名家の一つだ。わざわざ子爵家などと縁を結ばずとも、もっといい家格との縁組が望めただろう。
繊細なことだけに、父には聞けない。
実子である兄なら聞けたのかもしれないが、養母が亡くなった時はまだ兄も子供だった。何も聞いていないだろう。
そんなことを思いながら警備棟を管理するエドベル中尉に連絡をもらった私は、かつて養母が使っていた移動車で国立サルートス上等学校に向かった。
(この移動車も母上の形見分けでもらったものだった。いずれルードにあげると約束したが・・・。思えばガイアロス家、ウェスギニー家に嫁いだ娘が別居していても気にしなかったのは、・・・いや、その別居の為の家を与えていたって何なんだろう)
出かけ間際に、父にあの大臣がアレナフィルに接触したようだから行ってくると話してきたが、思えばアレナフィルも何かとやらかす子だ。
あれは実の祖母であるアストリッドに似たに違いないと、父と母も諦めている。あそこまで後妻に溜め息をつかせる前妻も珍しいのではないか。
そんな私の実母マリアンローゼだが、前妻であるアストリッド似の息子フェリルドにはあまり興味がないらしい。二人はお互いに礼儀正しく接している。
(どうせ半曜日だ。帰りがけにアレンルードを乗せてレスラ基地に連れていけばいいだろう)
そんなことを考えていた私はレスラ基地に、
「今日の甥の訓練は、すみませんが休ませてください。王妃様が学校にいらしていて、エインレイド王子様に甥がついている状態なのです」
と、連絡を入れるすぐそこの未来に気づいていなかった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
案内されたのは警備棟にある映像監視室だった。
「これはまた凄い数ですね」
「はは。昔は校内に見回る兵士を増やさなくてはなりませんでしたが、おかげでそういうこともなく、殿下も伸び伸びと過ごしておられます」
サルートス上等学校のあちこちに設置された映像装置を一括で見ることのできるこの部屋では、急遽設置された簡易装置で、画質は荒いものの貴賓室の様子が映っている。
盗聴装置とやらの音声と合わせれば大体のところが分かるわけだが、アレナフィルは絶好調だった。
たしかあのワンピースドレスは、
「あのね、ジェス兄様。フィルね、お祖父ちゃまとお祖母ちゃまとね、親子ごっこしたいの。だからね、可愛いお洋服、買って?」
などとねだられて私が買ってあげたものだ。
仕立てさせようかと言ったが、
「これ、仮装。本気でやったら、痛い人。だから、いいの」
と、断られた。
落ち着いたアプリコットオレンジに真っ白なフリルがついていて、まさに年老いてできた子供を可愛がっているようなコンセプトによく合ってはいたが、ああしているとまだ幼年学校生のようだ。
だけどいかにあの外国の技術を我が国に導入するのが無駄に終わるかを説明している様子は、全く子供らしからぬ態度で、私は姪の扱い方についてしばし悩んだ。
いつも穏やかなエドベル中尉の眼差しだが、ことに今日は私の苦悩を理解しているかのようにとても優しい。
「こんなことと分かっていたら、説明役は私がしたというのに」
「いやいや。レミジェス殿が言っても、大げさなと言われて信じてもらえなかったと思いますよ。アレルちゃんだからこそ説得力があるのではありませんか? ですが壁? 空気に字を書けて、しかもしばらくしたら風で消えるとは便利なものもあるものですね。メモ用紙が近くに無くてもどうにでもなる」
「あの残光ペン、1本5ロン (※) 程度でしたかね。その空気に色をつける空気インクが足りなくなったら、その補充は3ナル程度だったかと思いますよ」
(※)
3ナル=300円
7ナル=700円
1ロン=1000円
5ロン=5000円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として3ナル=450円、7ナル=1050円、1ロン=1500円、5ロン=7500円
(※)
市販のレーザー等を改造してアレナフィルが作ったものだ。我が家では何かのゲームをする時のルールをテーブル上に書くのに使っている。一番の消費者は兄で、どうやら仕事先で使っているらしい。
個人使用だからこそ材料費が高くついた。無駄に終わった試作品などを考えたらいくら費やしたことか。
だから普通に紙に書いた方が安いシロモノである。勿論、うちの工場で製造して市販するのなら材料の仕入れ価格もかなり安くできるし、もっと安価で売ることもできる。それなりの儲けも出るだろう。だけどアレナフィルはイタズラに使いたいらしく、売り出すのを渋っているのでそのままなのだ。
とても怖いドラマを見た後に、残光ペンの赤いそれで血痕を描いておく野望があるらしい。
よく推理ものである「たしかに私は血があちこちについているのを見ました」「ですが、どこにもそんな形跡など見当たりませんな」というアレをやってみたいのだとか。
その場合、自分が描いたことを忘れて夜中のトイレでそれを見つけ、悲鳴をあげて騒ぐのがアレナフィルではないかと、私は疑っている。そして子爵邸では双子達が壁とか床に血が飛び散った時の絵を描こうとトライしていたのを使用人達も見ているので、たとえ血痕らしい模様があってもまずはパタパタとあおぐことだろう。
「おや、レミジェス殿も買われたのですか?」
「えっと、まあ。アレナフィルに言えば沢山持っていますが、あの場でそれを言えば、あのお客さん達にプレゼントしなきゃいけないというので一本とか言ったのでしょう。今、姪が使っているのは青色ですが、ネトシル少尉には何色インクのを渡すつもりなのやら。褒めてあげれば、中尉になら喜んでプレゼントしてくると思いますよ」
「そうでしたか。ですがその値段と知ってしまうと、子供からもらうわけにはいきません。買わせてもらうならやはり大佐に言わないと」
「材料が高いのがその値段というだけです。今、姪が使っているのもなくしても惜しくない一本1ロンか7ナル程度のものでしょう」
「その違いは何ですか?」
「持ってるペンの外部分です。彫りの入った金属製とか木製は高いですし、安い樹脂で作ったものは安いですね。残光インクは同じなので、それなら軽くて短い樹脂製が惜しげなく使えると、高いのは姪も使わずに放置してます」
映像の中でアレナフィルは、ファレンディア国のユウト・トドロキに200ローレ払って教えてもらったとか言っていたが、そんな時間などなかったし、アレナフィルの口座にそんな引き出しもなかった。
(そういうことにしておいた方がいいと分かって言っている嘘だ。トビウオだかウミヘビだか知らんが、そんな物よりよほど融通してほしいのはこっちの義肢じゃないか)
あのユウト・トドロキは、商談に応じるのであればアレナフィルを窓口にして仲介手数料を取っていいとか言っていたが、現実的にアレナフィル以外の窓口は不可能だ。
基本的に自分の技術をホイホイ教える技術者などいない。ある程度は教えても肝心なことは秘匿するものだ。
そしてよほどうまくやらない限り、初めての導入など勝手が分からずに損をすると決まっている。技術レベルが違いすぎる以上、こちらが分かっていないことが絶対に出てくるだろう。
そう、アレナフィルしかいない。あのユウト・トドロキにその点を配慮させられる人間など。
問題はユウト・トドロキが所属するその製造会社で、彼がどの立場にいるかだ。
(ルードとは無関係なのにフィルとは家族だというあの男。どうやったらそんなことが可能なんだ? だが、家族だからこその融通と執着ならば、あの男がフィルを騙して利用し、損をさせることはない)
兄によると、アレナフィルが家で不遇な目に遭っていると信じたが故のユウトの疑心と警戒を解いたのは、私がアレナフィルの為に見繕った部屋が無駄に豪華だったからだとか。
いい仕事をしたなと言われても、別に私とてアレンルードを冷遇しているわけではないのだが。
外国でしか通じないとはいえ、娘の婚約届に保護者としてさくさくサインする兄も兄だが、アレナフィルがファレンディア旅行に行くなら現地の有力者に保護されておいた方がいいのも事実だ。
(昔からファレンディアにこだわっていたフィル。兄上の言う通り、無理に止めて暴走されるより、管理した状態で接触させておいた方がいい。勝手に出国されてしまうよりは)
兵器の購入や譲渡など、もうアレナフィルを関与させたくない。だが、兄の任務を思うと姪の暫定婚約者は利用価値がありすぎる。
そんなことを思っていると、画面の向こうでアレナフィルは蒸留酒入りの菓子と飲み物に飛びつき、どうやら酔っぱらってしまったようだ。
『しょうがないなぁ。有料通話装置、国際通話だと高いんですよ』
『気にせずこの警備棟のを使って構わん』
会話から敬語が吹き飛んでいる姪がいた。
王妃とグラスフォリオンは微笑を浮かべているが、大臣達一行は何を考えているやら。
(以前から思ってたが、フィルは教えるのが上手だ。なんで問い合わせ文章まで書いてるんだか。あれならお小遣いあげるからと言って、うちでバイトさせるべきだったか。だが、金に困らせてはいないしな。何よりこれ以上小遣い稼ぎをさせたら、それだけ勝手な行動しそうで悩ましい)
よりによって王族に対して全くの敬語無しトーク。子爵家の娘としてはアウトだった。だが、それを企んだのが彼で、分かっててやらかした以上、アレナフィルに非はない。
どこまでうちの姪は、王族と親しいんですアピールをそのつもりもなくやらかしてしまうのか。
私が項垂れていると、エドベル中尉が慌ててとりなしてきた。
「す、すみません、レミジェス殿。アレルちゃんも緊張が高まりすぎて、・・・礼儀を払ってないわけじゃなくて、単に緊張しすぎただけだと思うんです」
エドベル中尉はアレナフィルが普通に敬語を使わなくなったのだと勘違いしたらしい。
そうではなくて私は酒を飲ませることでアレナフィルの口を割らせている彼に困っている。
「ああ、いえ、分かっているから大丈夫です。ガルディアス様のことですから、姪に酒のきいた大人の菓子を出してしまったのでしょう。うちの姪は酒に弱いと知っているのに、困った方です」
「え? ・・・いや、駄目ですよ。子供に酒入りの菓子は駄目です」
「そうなんですよね。ガルディアス様も困ったお方です」
映像の中でグラスフォリオンがアレナフィルを抱きかかえて貴賓室を出ていったのを確認し、私は映像監視室を出た。
「アレルちゃんを休ませるなら、更衣室でしょう。女の子だからアレルちゃん専用で一部屋を空けてあるんです。こちらです」
「ご配慮いただき、恐縮です」
エドベル中尉に先導され、アレナフィル専用の更衣室兼休憩室へと案内される。行く途中で、物置部屋から折り畳み簡易長椅子ベッドと毛布をエドベル中尉は取り出した。
「その長椅子ベッド、私が運びます」
「いやいや、こんなの軽いものです。ちょくちょくと土いじりもするので、アレルちゃん専用にしていますが、さすがにあの部屋に監視装置はついていないのです。宿泊用の部屋はまずいので、簡易ベッドで申し訳ないのですが、目覚めるまではこれを使ってもらいましょう」
「お世話をおかけします」
通常のベッドに比べて幅は狭いが、仮眠なら十分だ。
すぐに女官達とアレナフィルを抱いたグラスフォリオンがやってきたが、私の姿を見て女官長が微笑んだ。
「いらしてたのですね、レミジェス様。あの、アレナフィルお嬢様は眠っておいでですけれど、決して変なことがなかったことは保証いたします」
「どうぞご心配なく。映像で確認させていただいておりました。どのあたりで挨拶に伺うべきかと悩んでいたところです。いかがいたしましょう」
「できれば、適当なところで貴賓室においでいただければ・・・。王妃様は朝だけで終わるおつもりだったのですけれど、ガルディアス様が昼食を用意するよう命じておられたようなのです。今、第一調理室で料理人が昼食の準備をしております。・・・もし、時間を潰すのでしたら第2調理室に行かれてはいかがでしょう。どうやらガルディアス様、エインレイド様とアレンルード様が男子寮に戻ったら今日のお昼はここで食べるようにとお伝えするように手配していたようですの」
「甥もですか? それはまた」
レスラ基地近くで食べさせるつもりだったが、ここまできたら今日は無理だ。
アレナフィルの分も用意されているということだったので、私はレスラ基地とエイルマーサに連絡を入れた。
グラスフォリオンによると、午後からアレナフィルは、ユウト・トドロキに自分が誘拐されたことを口外しない為の沈黙誓約書にサインするよう寮監達に要求する予定だとか。
通話通信装置に出たエイルマーサは、アレナフィルから今日の昼食は学校で取ると伝えられていたらしい。
『レミジェス様まで呼ばれていらしたんですの? フィルお嬢ちゃま、本当にクラブ活動、頑張っておいでですのね』
「はあ。申し訳ないのですが、今日はうちにルードと一緒に連れて帰ります。フィルは香りづけの酒が入った菓子で酔っぱらって寝てしまったものだから、それで呼ばれたんですよ。学校で酔っぱらったとなると、不名誉なことがあったと誤解されたくない学校側の事情で保護者が必要だったようです。大した量は入っていなかったけれど、フィルはかなりお酒に弱いようだ」
『あらあら。そういうことでしたら、起曜日はそちらから通学なさいますの?』
「その予定です。フィルは、今度は大臣相手にやらかしましてね。生意気な小娘だと思われただけならいいのですが、どうやら兄を動かすのにいい駒だと思われたようなのですよ」
『まあ。なんてことでしょう。分かりましたわ。この家は鍵をかけて無人にしておきますわね。レミジェス様もご用事の時は我が家に連絡をくださいまし』
「お願いします」
アレンルードによると、いかがわしい本を読み耽りたいが為にアレナフィルはあの家で暮らすことにこだわっているのだとか。
読むだけなら子爵邸でもいいだろうと思う私だが、アレナフィルがそういう大人の恋愛に興味があるのならばと、使用人が変な考えを起こしてもまずい。
悩ましい限りだ。
「エドベル中尉。エインレイド様がいらっしゃるなら、簡単にクラブルームの台も拭いて片づけておきましょう。うちの姪も何を持ちこんでいるか気になりますし」
「はは。いつも帰る前には棚に片づけてから帰ってますよ。棚に押し込んでというのが正しいかもしれませんがね」
「貴賓室に伺った方がいい頃合いになりましたら教えてください。あまりにも早く伺うと、変に勘繰られてしまうでしょうから」
「ええ、分かりました」
私は第2調理室へと向かったが、それはアレンルードがぼやいていた破廉恥なフォトブックが置かれているようならば回収するつもりだったからだ。
(男の子同士で女の子のフォトブックをこっそり眺めるのはいいとして、うちのフィルが男の子達に見せているとかいうのはまずい)
一通りチェックして、女の子の水着姿なフォトブックがないことに安心したものの、アレナフィル専用の棚にあったファレンディア観光ガイドブックに脱力した。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ある程度の時間を潰した後、貴賓室まで挨拶に行けば、今まで私を見る度に、アレナフィルの婚約届をこの国でも出すようにと喚き立てていた大臣が、全くそういったことを言わなくなっていた。
それどころか、そんな過去があったことを忘れているかのような様子だ。
「姪がお世話をおかけしたようで、申し訳ございません。皆様を前に寝てしまったとか」
「それは私の失態で、アレナフィル嬢は全く悪くないのだ。どうか責めたりなどしないでほしい。妹がいたらこんな感じだろうかと思うと、つい好評だった菓子を出させてしまった。蒸留酒がきいていたことを失念していたのだ。申し訳ない」
そんなことを言っているが、双子の誕生日会でクセになってしまっただけだと、私には分かっていた。
アレナフィルはちょっとのアルコールで、楽しい酔っぱらいと化すのだ。そして遠慮がなくなる。
「ガルディアス殿下にはいつも姪を可愛がっていただき、恐縮でございます。ですが姪はガルディアス殿下の周囲にいるような妙齢のご令嬢ではなく、まだ子供でございます。菓子はそこらの店で売られているソフトキャンディぐらいでお願いいたします」
「ごめんなさいね。王宮から連れてきている料理人ならそこは大丈夫だったのだけれど、今日はミディタル大公家から出張させたようなのよ。その料理人も大人しかいないと信じていたみたいね」
「滅相もないことでございます。姪もすぐに目を覚ますことでございましょう。どうぞ妃殿下も、お気に病まれませぬようお願い申し上げます」
一人にしか出されていない菓子ならば、誰もその蒸留酒に気づきようがなかっただろう。程いい所で退場させるなら子供が寝てしまったという流れが良かったわけで、だからミディタル大公家の料理人を使ったのだ。
王宮の料理人ならば、軍の士官や兵士しかいない筈の警備棟で王妃が王子達のクラブ活動を見学していることを知っている。大人用の菓子など出さない。
ミディタル大公家の料理人は、なんと言われて騙されたのか。気になる女性士官を口説くのに協力してくれとか言われていたら同情する。
「レミジェス様もどうぞお座りになってくださいな。ガルディが昼食を用意させているそうなの。レミジェス様の教育に関するお考えも是非お伺いしたいわ。アレナフィルちゃんは、進路についてはレミジェス様に相談するって言っていたけれど」
「こちらにどうぞ、レミジェス様」
「恐れ入ります」
女官が作った私の席に座れば、なんかいきなり難問が降ってきた。
うちの兄は私が何を言おうと子供達を市立の幼年学校に入れ、勝手に上等学校の部も決めていた。私は子供達のことで呼び出されたり、授業を受けている様子を見に行ったりはするが、大切なことは全て兄が父親として決めてしまうのだ。
もしかして私は都合のいい弟なのだろうか。
「教育と言われましても、・・・まだ一年生です。子供達にはお友達と仲良く遊び、授業は真面目に受けて、あとは健やかに成長してほしいと思うばかりです」
「アレナフィルちゃんはお勉強を頑張りすぎてるものね。もう少し遊んでもいいんじゃないかと思うのだけれど」
「本人は十分に自分のやりたいことをしているだけですが、それが勉強を頑張っているようにも思えるのでしょう。あの子が資格を取ろうと考えているのは、単に運動ではアレンルードに負けると分かっているからで、今の内に裏をかこうとしているだけです」
「あらまあ、そうなの?」
「アレナフィルはあれでアレンルードに負けたくないところがありまして。アレンルードに何かを自慢されても、自分はこっちをやったんだとか言って張り合って、そしてアレンルードをその気にさせるのではないかと。一応、限度はわきまえている子供達ですから好きにさせております」
アレナフィルが心配なアレンルードは平日の放課後にクラブ活動し、半曜日と休曜日はレスラ基地の訓練に夢中だ。
あの子はどこまでやる気なのだろう。付き合う私も私だが、目を離すわけにはいかなかった。
うちの双子は二人でいる時は自分のしたいことを主張し合って喧嘩するが、それでいていないと寂しがる。そんな時、アレナフィルはカラ元気で何かに打ちこむのだ。
そして戻ってきたアレンルードが自慢する何かに対し、自分も違うことで自慢し合って喧嘩する。そして寝る頃になったら仲良くごろごろしている。
(フィルが資格を取りたいのは、単に自分が望むところに就職したいからだろうな。あの残業がない役人生活とやらの)
適当にごまかしながら、私はアレナフィルのこのところの変化について考えた。
あのユウト・トドロキと過ごしたアパートメント。アレナフィルはあれから変わった。
「ふふ。やっぱりレミジェス様の方がお父様のようね。肝心のフェリルド様とは王宮で会っても、アレナフィルちゃん達のことは、『何ですか、それは?』状態で、何もご存じないのよ」
「兄も留守が多いので・・・。まとめて報告はしているのですが、兄は職務上、帰宅する前に王宮に顔を出しているようで、家庭のことは二の次三の次となっております」
「レミジェス様を信頼していればこそだわ。それにアレナフィルちゃんはお父様と叔父様が大好きだもの。ガルディがちょっとした買い取りを持ち掛けたのだけれど、お金の話はお二人のどちらかがいる場所でと、ぴしゃりと言われたのよ」
先程のあれか。大臣の前で私達が別個の立場であることをアピールする為の芝居だ。
アレナフィルは賢い子だが、自分一人で決断はしない子でもあるのだと。
「幼い頃から兄目当ての大人が近づいてくることが多かったものですから、子供達には、兄か私が同席しない状態で大人に話しかけられたら、それはまず詐欺を疑うように教えてあります。どんなに立派そうに見えても逃げてきなさいと。ガルディアス様にはどうぞご容赦くださいませ」
「勿論、私の考えが足りなかったことは理解している。いつものことだからな。どうせ後でウェスギニー子爵に言えばいいだけのことだ。だが、アレナフィル嬢は、ちょっと気を許したかなと思っても全然だ。ボーイフレンドができたところで、父や叔父レベルの愛はないだろうと言いきるとは。いくら家族でもあそこまで愛されるにはどんな魔術があるというのか、そこが不思議だ」
セリフだけなら恨み言っぽいが、そうではないのだろう。
私は軽く片目を瞑って微笑んだ。せっかくだから可愛い姪をみんなの前で思いっきり自慢しておいてもいい。
「古来、年齢を問わず女は女ですよ、ガルディアス様。私以上の愛情をあの子に向ける男はいないと、姪も理解しているのでしょう」
「具体的にはどうしたらそうなるのか男として是非聞いておきたい。いずれエリーに娘ができたら私もあそこまで愛されてみたいからな」
「常識や経済観念を厳しく教える使用人を用意した上で、自分だけが甘やかせばいいのです」
聞き耳を立てていた皆も面食らった顔になった。
「それは小さな暴君の作り方ではないか? どんなに使用人が教えても、雇用者が甘やかすのでは意味があるまい」
「姪は我が家の小さな暴君ですよ? あの子が気に入らない使用人は辞めさせますし、あの子が入れない場所はありませんし、あの子が何を持ち出そうが何をどれだけ使おうが、我が家においてそれはあの子の自由です」
嘘ではない。ただ、アレナフィルは暴君と言う程の我が儘を言わないだけだ。
「あのぅ、お話に割りこむようで申し訳ございませんが、あまり我が儘を聞きすぎるのはどうかと思いますよ、ウェスギニー様? 子供の内に我が儘を聞きすぎてしまうと、大人になっても我慢できないご婦人となります」
「ご忠告いただきましてありがとうございます。ですが私も姪が可愛いのでそれでいいのです」
大臣一行の末席にいた寝不足らしき隈が浮いている青年の言葉を私は一蹴した。
するとその青年の横にいた三十代らしき男性がにやにやと変な笑みを浮かべてくる。
「たしかにお可愛らしいお嬢さんでいらっしゃる。ですがねえ、あまりにも規格外なのはいかがなものかと思いますよ。実際、ご令嬢がお誘いを断っておられることで、いささか支障も出ておられるのでは?」
きたなと思った。
アレナフィルにはあちこちの貴族からお茶会の招待状が届いている。全てこちらで断ってはいるが、かなりむかつかれているようで、うちの持ち会社に嫌がらせといった圧力もかけられていた。
王子エインレイドと仲がいいらしいと知られて以降、ウェスギニー子爵領の工場や会社に対し、取り引き停止や納品遅延などといった嫌がらせが行われ、現在の業績は半分に落ちている。
(だから強気にも出ていたのだろう。しかしうちの底力は尽きていない)
アレナフィルを茶会とやらに行かせ、少しあちらにいじめられてくればそれで済む。だが、どうしてそんな時間をあの子に耐えろと言えるだろう。
何より、そこまでしてアレナフィルを引っ張り出そうとする以上、無事ですむとは思えなかった。取り返しのつかないことになってはたまらない。
「さて。別に支障などは出ておりませんが?」
「それはまた強気なことだ。たしかに賢いご令嬢で、ガルディアス殿下が気に入っておられるのも理解できるものではありました。ですが、ご令嬢にはやはり他の優秀なご令嬢の知己も増やしておかれた方がよろしいのでは?」
「様々なことを考えた上で、姪のことは我が家で決定しております」
先程、アレナフィルにやりこめられたのがむかついていたのか。それとも他の貴族の息がかかっているのか。
いや、他の貴族の影響を受けていたからこそアレナフィルに好意的ではなかったと見るべきだろう。あの愛らしい姿を見て攻撃的だったということは、そういうことだ。
そして大抵の男は、女が出しゃばることを快く思わない。
「時にはそれで思いがけない結果になったりするのでは? 王宮でもご令嬢をお持ちの父君などと会話することがございますが、ウェスギニー家のご令嬢とお友達になりたくてもなかなかなれないと嘆いておられたと聞いております」
「つまり、決算書を姪と見たいわけですか? ですが、そういうものは他家の方に見せるものではございません」
「そういうことは大人に任せ、ご令嬢にはご令嬢のお付き合いがあるものです。まあ、あなたには分からない世界かもしれませんが」
父の後妻となった母マリアンローゼ。私は前妻であるアストリッドの次男となっているが全く似ていないことと、マリアンローゼ譲りの瞳とあって、そのあたりは既に露呈していた。
だから所詮は愛人の息子、つまりは使用人レベルだろうという当てこすりも多い。
「令嬢同士の付き合いも何も、時間は有限です。姪には違う時間の使い方があります。貴族子女としての時間に憧れる時が来たら、それから始めることでしょう。今、あの子は貴公子とはどんな女の子に恋するのだろうと、そういった観察に興味津々です。何かとガルディアス殿下やグラスフォリオン殿に誘われ、保護者同伴で出かけるうちの姪は、お二方がどんなご令嬢を好きになるのだろうと、しっかり観察していますからね」
「・・・それはどういうことですか」
私の余裕にむっとした声が返る。
「いずれ双子の兄がガールフレンドを作る時には自分と仲良くしてくれる女の子がいいそうです。まずはよそのご令嬢の観察から始めているのでしょう。あの子にとっては目の前で実際に繰り広げられる男女の駆け引きの方が、恋に恋する令嬢しかいない茶会よりも面白いのではありませんか?」
軽く視線を流せば、心得たように微笑するワインレッドの瞳があった。
「やれやれ。まるで私が様々な女性と浮名を流しているかのような言われようだ。挨拶程度でも目くじら立てられるとは。まあ、私の目がないところでちょっとした意地悪をされたり、もしくは親切にされすぎたりした時にはすぐに報告してくるのは助かるか。裏表が激しすぎる令嬢と親しくなりたくはない」
「あまり姪をご利用なさらないでくださいませ」
「アレナフィル嬢も私を利用しているのだからお互い様だろう。夫妻は仲良くする時間が必要だとかで、私と出かければ祖父母もデートできると考えているような子だ。ロマンチックなデートが多いと若返るとかいうのがアレナフィル嬢の持論だったが、それで前子爵夫妻は若返ったのか? 元々がお若いからよく分からんのだ。効果があるようならば、うちで勧めてもいいかと思っているのだが」
彼が勧めたら、それこそ祖父母を交えた二組のデートどころか、ペア三組もしくはペアが四組のデートになるのだろうか。
なんだかげんなりしそうだ。
「さて。どちらも年相応だとは思いますが、それは気分的なものではないでしょうか。祖父母孝行に皆様を使うものではないと、言い聞かせておきます」
「それは手遅れのようだ。既に私はアレナフィル嬢に、列車旅行を提案した。祖父母や侍女同伴、更に友達も誘うようにと言ったら、かなりご機嫌だった」
「あの年で成人した殿方を利用していると、姪が言われるようになったらどうしてくださるのでしょう」
「その時には責任を取ろう。使う金にけちけちしない私は、世界で三番目に魅力的だそうだからな。私も金を使うだけの妻より、金を生み出してくれる幼な妻の方が嬉しいというものだ。成人を待つ間に、十分に羽も伸ばせる」
「・・・子供をあまりおからかいになりませんように。ガルディアス殿下には釣り合うご身分のご令嬢方が列をなしておられます。姪は、殿下のなさることの隠れ蓑にすぎません。今回は我が国の利を見ればこそ沈黙いたしますが、次はよそのご令嬢をお使いになられますようお願い申し上げます」
実際はその反対だが、恐らく彼は気にしないだろう。
「そこを理解した上で、保護者同伴デートですませてくれる令嬢の心当たりが他になくてな。だが、そのせいで何らかの損失が出ているのであれば配慮しよう」
「お気遣いはご無用でございます。我が家において何の損失も出ておりません。どちらかというと、魅力的なお誘いをかわすのに苦労しております」
「ふ。それもそうか。二歩も三歩も先を読む者は読むものだ」
その含むような言い方に、大臣達が少し考えるような顔になった。
実際、うちと取り引きを停止してきたところが続いたせいで混乱は生じたが、そうと知って接触してきたのがアールバリ伯爵家の関連会社だ。
有り難い話ではあるが、それでアレナフィルとの婚約を持ち出されてはかなわないと、あえて乗らずにいる。
(あれはフィルを気に入った息子のことを考えただけだろう。本人達は仲良く遊んでいるだけでも、異性というだけで大人は勘繰ってしまうものだ)
肝心の子供達は何も知らない状態で、大人達は十年後、二十年後を見据えていた。
グランルンド伯爵家はアールバリ伯爵家のような販売に携わる事業展開こそしていないものの、王宮で出会った際に誘われるサロンは常に上質な関連施設である。
王子の妃候補の潰し合いということでアレナフィルへの攻撃を開始した家がそれなりにあっても、肝心のアレナフィルと接している息子を持つ伯爵家から見れば、アレナフィルによって息子が第二王子の側近候補へいきなり躍り出たわけだ。しかもアレナフィルのおかげで成績は上昇中。
ウェスギニー家を攻撃するわけがなかった。
(ウミヘビの入手に関して、いずれ噂も出回るだろう。ガルディアス様がフィルを使ってうまくやってのけたという噂はとっくに流れている。フィル自身がやらかしたという噂よりはマシだが、そうなると余計に我が家への攻撃は凄まじくなる筈だ)
妃候補の娘自身を攻撃できないのであれば、その実家を潰せばいい。そういうことだ。
この状況を放置して兄は留守を決めこんだ。ウェスギニー家は動かないし、どんな話も進めない。兄が戻ってくるまでは。
そこで大臣が割りこんできた。
「あー、こほん。その、魅力的なお誘いとはどういったことが? いや、ご令嬢も先を読むところがおありだったが、他にも何か?」
「いえ、大したことではありません。我が家のことです。それより、例の金食い虫な導入は解決したのですか?」
先程の男もそれで自分がしくじったことに気づいたようだ。まさか他にもうちのアレナフィルが関与する何かがあるとは思っていなかったのだろう。
私の切り返しに大臣も面食らったような顔になり、もごもごと視線をずらす。
「む。・・・そうですな。いや、あなたもお人が悪い。そういうことならばちゃんと説明してくれればいいものを」
「と言われましても、我が家もいきなり姪を人身御供に差し出せという話では、さすがに唯々諾々とはまいりません」
そんな感じではあったが、昼食の時間になれば、会社を経営する立場など不案内な大臣達だ。
けっこう話は和やかに進んだ。アレナフィルの説明はかなり大雑把だったからだ。
「実際に、外国の物を輸入するのであれ、技術を導入するのであれ、あちらもこちらの実績を見てきますからね。適当な会社で実績が無かったり、もしくは誠意のないやり方をしていたりするようだと判断したら、あちらも吹っ掛けてくるでしょう。ですが本当に事業として考えるならば、まずそういった会社を国内でも当たった方がいいでしょうね」
「大体の価格を知りたいだけでもですか」
「国内であれば大臣が問い合わせたなら普通にまともな返事が戻ってくるでしょう。ですが外国にしてみれば、技術だけ取られて終わりにされてはたまらないと、あちらも疑ってくることを考えた方がよろしいかと」
特に王妃は口を挟んではこなかったが、位置的に表情がよく見える場所に座ったので、少し考えるような様子になったこともちょくちょくあった。
(妃殿下はこういったことにはノータッチだった筈だが、フィルの影響かな。エインレイド様がフィルの影響を受ける以上、ご自分も理解しておきたいと思われたのだろう)
だから素人にも分かりやすく説明したつもりである。それもあって有意義な時間となったようだ。
「なかなか楽しい昼食でございました。妃殿下は、まだこちらに?」
「ええ。せっかく来たんですもの。息子がどんな風にやっているのか、見ていきたいのよ」
「そうでございましたか。それでは我々はお先に失礼いたします」
大臣達一行は、官位はあっても爵位のない人間達だ。有力な貴族達ともうまくやりたいし、同時に風の流れを見て方針を変えていかねば生き残れない。
だからこそウェスギニー家が孤立するなら有力貴族の尻馬に乗って攻撃してもいいと考えるし、それがまずいと思えば方針を変更する。
そんな大臣など小者だからどうでもいいが、今、有力貴族達に我が家への攻撃を止めてもらっては困るのだ。
本当の敵をあぶり出すまでは。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
サルートス上等学校敷地内にある警備棟の貴賓室で、私はとても気が張る昼食を終えた。
「それでは私共はここで失礼いたします。本日は王妃殿下には貴重なお時間をいただいたばかりかご配慮いただきまして本当に有り難うございました」
「お役に立てたようで良かったですわ。これからもどうぞ頑張ってくださいましね」
「はっ。・・・ウェスギニー様も、気が変わりましたら是非お嬢様のことではご相談をくださいませ」
「恐れ入ります。姪もまずは自己研鑽を積む時期とありまして社交など全く考えてはおりませんが、いずれご縁がありましたらその時にはよろしくお願いいたします」
私にも感謝はしていたようだが、結局は私をどれ程に口説き落とそうとしても私がアレナフィルをどこの茶会にも出さないという姿勢を崩さなかったので、そこが気にくわなかったようだ。
機嫌がいいのか悪いのか分からない状態の大臣達一行がいなくなると、警備棟に両親が来ていると報告される。
「それでは私も下がらせていただきます。フィルエルディーナ殿下、ガルディアス殿下、退出のお許しを頂戴してもよろしゅうございますか」
「ええ、後で私もお会いしておきたいと伝えてくださる?」
「かしこまりました」
あまり仲が良くないのではと噂される二人だが、どう見ても仲良さそうだなと感じた私はそこで席を外すことにした。二人で話しておきたいこともあるだろう。
そして両親が案内されたという部屋に行けば、エドベル中尉や女官長を交えて何やら談笑していたらしい。二人がきっちりと昼の正装をしてきたのは、やはり王妃がいると聞いたからか。保護者としてはあまりにも格式ばった服装だった。
「父上。母上までどうなさったんです?」
「まさかじっと家で待ってもいられまい。フィルはすやすやと寝ていたから起こしても可哀想だと思ってお前を待っていたのだ」
「今日はフィルもおうちに連れて帰りましょうね、レミジェス。フィルはまだ子供だもの。やっぱりフェリルド様を待つ暮らしが寂しかったに違いないわ。だからあなたに買ってもらった服を着ていたのよ。本当はうちで暮らしたいと願っているのではないかしら」
「母上。身につけるものに贈ってくれた相手へのどうこうという思考は、フィルには通じないかと。単に気に入って着ていただけだと思いますよ」
「あなたは男だから分からないのよ。女の子の気持ちが」
あの子供っぽいワンピースドレス姿に、何故か母が騙されていた。
どうせ連れて帰るつもりだったからいいのだが、思うに親子ごっこデートで、母はアレナフィルを孫ではなく娘だと勘違いし始めていないだろうか。
アレナフィルの不埒な読書傾向について、私もアレンルードも父や母に言うことはなかった。知らない方が幸せなことはある。
そこで女官長がアレナフィルの昼食の手配について話しかけてきた。
「ご心配なさいませんよう、レミジェス様。アレナフィルお嬢様がお目覚めになったら昼食を出すよう命じております。エドベル様も私も、アレナフィルお嬢様の茶会マナー講習には同席しておりますので、お二方に今までの進捗状況をお話しておりました。ネトシル様はお仕事がおありですので、そちらに向かわれましたけれど」
「フィルが大臣と会ったと聞いたから、なんぞしておらぬかと案じたものの、そうではないということだったが・・・。レミジェス、大丈夫だったのか?」
つまり貴賓室で私が食べた気にならない食事をしている間に、父と母は女官長や警備棟責任者と和やかに食事をしていたわけだ。
私もこっちで食べたかった。
「大臣がこだわっていた義肢の技術を本格的に我が国へ導入するなら、無駄に設備費用が掛かりすぎて損するだけだということを懇切丁寧に教えていたようですね。結局、最高品質でなくてもいいだろうと違うメーカー候補をフィルが提案したことで決着しました。・・・フィルはご褒美に、ガルディアス様から祖父母やルード、ほかの友達とも一緒の列車旅行はどうかと提案されたそうです。宿泊付き列車旅行でも侍女も連れていくならば醜聞になるまいと。どうします、母上? フィルは母上なら花畑がある場所がいいとか言ったようです」
「家族旅行なら喜べるけれど、なんてこと。ああ、やっぱりよそでは口を開いてはいけませんと教えておくべきだったのよ。どうすればいいの」
「一体どうしてそこでご褒美とかいう話になるのだ。あの子は変な物の譲渡だけでは我慢できぬとでも言うのか。だからフェリルドに育児などさせるべきではなかったのだ」
母だって蒼白になるだろう。まさか自分の立場で行き場所のリクエストをしたとなれば。
そこへひょいっとアレンルードが顔を出す。
「あ、叔父上。昼食会は終わったんだ? リオンさんとエリー王子もとっくに食べ終わって、王妃様と帰るつもりが何かまだ残らなきゃいけないって話だったけど。王妃様にもお会いしたけど、とっても優しくてとっても上品なお方でいらしたんだよ。フィルじゃ百年修行しても、気品の差が凄すぎて追いつけないと思うな」
「なんだ、三人で食べたのかい?」
「うん。エリー王子と二人だけって話だったけど、リオンさんと三人であのクラブルームで食べたんだ。なんか分かってるよね。薄切り肉を骨にぐるぐる巻いてかぶりつくお肉って男のロマンだと思う」
どうやら別の料理が出されたのだろう。こんなにお肉が膨れていたんだよと、アレンルードはとても嬉しそうだ。
父達も眉根を寄せているところを見ると、貴賓室ではなくクラブルームでのメニューが違ったらしい。
「そういえばどうしてお祖父様とお祖母様もいらっしゃるんです? 叔父上、今日はお祖父様達も基地に行くの? お祖母様には基地なんて乱暴すぎると思うけど」
「違うよ、ルード。午後からフィルが何かやらかすみたいだから見に来たのさ。父上と母上はフィルを心配して来たんだよ」
「へ? フィル、なんか朝から具合悪くて寝てるって話じゃなかった? 僕、エリー王子からそう聞いたよ」
「世の中ってのはね、菓子に入っていた蒸留酒で酔っぱらっただけでも具合が悪いことになるんだよ」
「またか。フィルってば懲りないよね。それよりお祖母様、あまりお外に出かけないでしょう? リオンさんが話してたんですけど、旅行用の列車って目的地だけじゃなくて、途中の駅で降りて散策する時間もあるそうなんです。列車の中に食堂もあるし、車両には使用人用の個室もついているから、かなり移動車よりもリラックスしていられるそうなんですけど」
後妻の場合、最初の結婚程には出自をどうこう言われるものではない。それでも心ない言葉はあるもので、どうしても使用人から妻になったという言葉が付きまとう母は、あまり社交的ではなかった。
既に私が話していたが、孫息子をがっかりさせまいと母も初めて聞いたような顔をしてみせる。
「まあ。聞いたことはあるけど、わざわざだなんて。それに最近はあなたとフィルの付き添いで、皆様にも連れていっていただいているのに」
何かとアレナフィルを連れ出す結婚相手候補達。保護者として何度も同行した母も少しずつ慣れていっているものの、やはり日帰りではないとなれば怖じ気づくものがあるようだ。
「お祖父様とお祖母様だけだと、そう思っちゃうかもしれないですけど、みんなで行くのはどうかなって話だったんです。僕達だけだと、フィルってば我が儘だから。お祖母様がいれば少しは気を遣ってそこまで我が儘言わないんじゃないかなって」
そこでアレンルードが、いかにヴェラストールでの滞在でアレナフィルが我が儘だったかを語り出す。
ユウト・トドロキと一緒に食事に行っても、自分が決めたことを彼も同意していると、勝手な嘘ばかりついていたと。
「言葉が分からないからと思って、フィルはずるい子です。あんなのを野放しになんてしちゃいけないと思います」
私達のテーブルでは、あの外国人が無気力すぎてどうしようもないからアレナフィルが先導しているのだろうという解釈だったが、同じテーブルにいたアレンルードは妹が卑怯だと感じていたらしい。
「そうかもしれないけれど、ルードがそう思いこんだのではなくて? そりゃフィルはくだらない嘘をつくこともあるけれど、大抵は怒られたくないだけだもの。その方も不満があれば口にしたでしょうに」
「お祖母様。フィルを信じすぎちゃいけないです。フィルは僕よりも我が儘で悪い子です」
「これ、ルード。そういうことは家に帰ってからにしなさい。その場にいたクラセン殿が何も言わなかったのならどうでもいいことだったのだろう」
少年の主張は、祖父母の「いい年した大人のことなど、子供がそこまで心配せずともいい」といった感覚により、あまり取り合ってはもらえなかった。
「お祖父様もフィルに甘すぎます」
「仕方あるまい。お前は跡取りだからしっかり育てねばならんが、フィルは、・・・うーむ、まあ、なるようになるであろう」
「何それ。お祖父様、それは贔屓です」
アレンルードが元気にアレナフィルを振り回しているようで、その上手を行くのがアレナフィルだ。
だからアレナフィルのことを、大人はあまり心配していなかったりする。
そこにノックの音が響いて、一人の女官が入ってきた。
「失礼いたします。アレナフィルお嬢様がお目覚めになり、昼食も全てお召し上がりになりましたことをご報告いたします」
「ご苦労様。気持ち悪そうだったり、頭痛を起こしていたりする様子はなかったのね?」
「はい。アレナフィルお嬢様は制服に着替えた後、午後からの用意をなさるということでございました。ガルディアス様に、逃げないでねと念押しなさっておられましたが」
最後の一言を、大人は誰もが聞かなかったフリですませる。
「逃げないでねって、フィル、何なん・・・」
アレンルードの口を、私はぱっと片手で塞いだ。
じとっという恨みがましい針葉樹林の深い緑色の瞳は、アレナフィルばかりが礼儀知らずすぎると言いたいのだろう。
そこへ違う女官がやってくる。
「失礼いたします。いらしておいでならば是非セブリカミオ様、マリアンローゼ様とも警備棟の見学がてらご歓談なさりたいと、妃殿下が・・・。あの、何かありました?」
「いえ。甥を連れて行こうとしたら、つい手が顔に当たっていただけです。では、私はこの子を連れて出ていましょう。やはり姪が心配ですから。父上、母上、私は子供達を見ておりますので」
アレンルードは映像監視装置の映像を見ることができる部屋の存在を知らないが、恐らく王妃はそこにも案内してアレナフィルが安全であったことを保証したいと考えたのだろうと、私は察した。
「う、うむ。マリアンローゼ、参ろうか。それではエドベル中尉、女官長。我々はここで」
「それでしたら貴賓室の前までご案内いたしましょう。女官長もそろそろお戻りになるのでは?」
「ええ、エドベル様。ですがその前に、マリアンローゼ様もアレナフィルお嬢様の休憩室をお使いになられてはいかがでしょう? 鏡や洗面用具も揃っておりますから」
「ありがとうございます。是非、お会いする前に身だしなみを整えたく存じます」
皆がぞろぞろと去った後、塞がれていた唇を解放されたアレンルードがぼそっと呟いた。
「叔父上がひどい」
「ごめんよ、ルード」
警備棟は男達の集団だからまだいいが、女官には一人一人に様々な人間の息がかかっている。
それを思うと、あまり軽率な発言を聞かせるわけにはいかなかった。誰もが味方ではない。
(子供達に分からぬように終わらせたいが、まだ一年生。先は長い。フィルが外国人と婚約したと知られれば、攻撃も減るかもしれないが、確実なものにする為、我が国でも届を出すようにと圧力をかけられるだろう。結局は、否定し続けるしかない。フィルが堂々と婚約者などいないと言ったように)
現在、ウェスギニー家は王宮の女官や侍女達に鼻薬を嗅がせてはいない。
それ以上に金を積んだ相手に味方されるだけだからだ。




