53 ガルディアスは厄介ごとを片づけた
国王の地位を狙おうが狙うまいが、どうせ十分に恵まれている立場だ。そして全く恵まれていない立場だとも自覚している俺の名前は、サルトス・フォリ・ラルドーラ・ガルディアス。
軍では中尉として在籍し、国立サルートス上等学校の男子寮で寮監をしている。
何かと王宮に戻れと言う国王に、俺と比べられる実子のことも考えてあげてくださいと何度言ったことだろう。
ウェスギニー子爵家が少し妬ましくもなる。俺と違って外野にわいわい騒がれないからだ。
(この警備棟にも馴染んでしまったな)
そんなことを考えながら警備棟の貴賓室に向かえば、廊下には近衛士官達や女官達が控えていて、皆が俺に礼を取る。
俺の斜め前を歩いて案内している女官より、俺の方がここには詳しいのだが。
背後のグラスフォリオンもそう思っているだろうなと確信する俺の前で、女官が貴賓室の扉をノックした。
「ガルディアス様、グラスフォリオン様、お連れいたしました」
近衛兵により開けられた扉から入れば、アレナフィルを慰めていた様子の王妃フィルエルディーナが微笑む。
「ありがとう。・・・悪いわね、ガルディ。往復の付き添いと言ってあったのだけれど」
「いえ。ネトシル少尉からエリーの話を聞きながら楽しく過ごしておりました。おやおや、相変わらず泣き虫だな、アレナフィル嬢」
泣き虫どころか、ただの屁理屈小娘としか思ってはいないのだが、俺は適当に調子を合わせた。
俺に続いて入室したグラスフォリオンが如才なくワンピースドレス姿のアレナフィルを抱き上げる。
「おはようございます、皆様方。やはり知らない男性はまだ早かったんじゃないでしょうか。せめてレミジェス殿を同席させておいた方が良かったのではありませんか?」
ポケットに入れてあった棒付きキャンディを勝手にアレナフィルの口に突っ込んだグラスフォリオンは、やはり食べさせたかったらしい。
食べたいかどうかぐらい聞いてやればいいのに。
相変わらず彼の瞳にはアレナフィルが幼女に見える魔法がかかっていた。
「知らない人だから人見知りしてしまったかな。大丈夫だよ、アレナフィルちゃん。怖がらなくてももう大丈夫だ」
「リオンお兄様ぁ。・・・あのね、頭、もっと垂らした方がステキ」
血縁でもない男に抱き上げられているというのに、勝手に手櫛で男の髪を乱しているインコ娘はそれが恋人同士でしかやらないことだという一般常識が欠けている。
そもそも男から肩に手を置かれて泣き出したのではなかったか。グラスフォリオンなら自分から近づいていくのか。相変わらず差別が凄まじい。
王妃も呆れた顔を隠しきれなかった。
「相変わらずブレないわね、アレナフィルちゃん」
「何でしたら今度見せてもらうといいですよ、アレナフィル嬢のイメージチェンジテクニック。周囲に埋没していたネトシル少尉が、いきなりあちこちで年上美女ばかりから声を掛けられ続けていました」
せっせとグラスフォリオンの髪を指に絡ませてアレナフィルがカールを作り上げていくものだから、彼の堅苦しかったイメージがどんどんと崩れていく。
この世間知らずインコには分からないのだろう。癖のある髪をきっちりと固め、できるだけ気難しそうな年上の男に見せかけようとしているグラスフォリオンの立場と気持ちが。
いや、被害者が喜んでるからいいのか。
「エリーもそれなら魅力的になるかしら」
「どうでしょうね。アレナフィル嬢は、相手の好みを考えません。双子の兄はアレナフィル嬢によってアライグマのパジャマをいつも着せられているそうですよ。もう嫌だって言っているのも聞かずに」
アレナフィルがグラスフォリオンにどんなイメージを持っているかは知らないが、ガラの悪い店でテーブルに足を乗せて賭博に興じる姿を見てみれば目も覚めるだろうに。
虎の種の印を持つ奴なんて大なり小なりそんなものだ。大切なのはそういったプライベートを仕事に持ちこまないことだけである。
「知らない人から肩に手を置かれてしまったものだから怯えてしまったのよ。悪いけれどあなた達もいてちょうだい。二人共、ウェスギニー子爵に信頼されているから大丈夫でしょう?」
打ち合わせていた通り、王妃はとても困ったような表情を作っていた。演技とは思えない熱心さで棒付きキャンディをくわえたアレナフィルと二人の世界を作り上げているグラスフォリオンを目の当たりにして、内心では王妃もドン引きだろうに。
「ですからアレナフィル嬢にはまず父親に紹介してもらい、常にご家族同伴で、更に時間をかけて信頼を築いてからでないと駄目だと言ったでしょうに。こちらは本当のことを言っているだけなのに、誰も彼もが信じなくて困ったものだ。そうして子供を怖がらせて泣かせて何がしたいのか。・・・アレナフィル嬢を見れば、知らない男など全ては痴漢だと思うことぐらい分かるだろうに」
俺とグラスフォリオン、そしてボーデヴェインが何かとアレナフィルを連れ出していることを知っている王妃が、あくまで保護者に信頼されている立場であることを強調する。
ウェスギニー子爵自身は家族以外のどんな男も近づけたくないだろう。
グラスフォリオンにしがみついているアレナフィルの頭を撫でれば、へにゃっと笑う。うん、可愛い。
ほわんとした気持ちが伝わって来たような気がしたが、頭を撫でられると反射的に出るのかもしれなかった。
「ガルディアスお兄様ぁ、・・・ひっく」
「いつまでも泣くな、アレナフィル嬢。ほら、約束していた試験問題集だ」
嘘泣きだと分かってて見ている方も辛いんだ。お前のヘタクソな演技がばれない内に終了させておけ。
俺は手っ取り早く次のエサを与えることにした。
「うわあ。これ、欲しかったんです」
「ああ、笑ったな。大丈夫だ、もう何も怖いことはない」
「はい、お兄様」
夏の長期休暇で同じ時間を過ごしながら、在学中に取得したい資格について話したことがあった。それらの問題集を渡してやれば、嬉しそうに笑う。
ドレスや宝飾品などを贈るよりもこういった物こそ大喜びで受け取るアレナフィル。
このインコ娘はクラセン講師に色々と相談はするが、資格の取得といったたくましさを家族の前では見せたくないらしく、どこまでも頼りない娘でいようと内緒で受験予定だ。
どこまで家族に甘やかされたいのか。
お馬鹿さんな方が可愛がられて全てのおねだりを聞いてもらえるとアレナフィルは信じている。
安心しろ。変な策略を巡らせなくてもお前はただのバカ娘だ。
「買いに行きたかったけど、本屋さん、父が戻ってくるまでお出かけできないから、・・・本当に、嬉しいです」
「気にするな。通常は成人してから受験するものだが、年齢制限はない」
「みんなで一緒にお勉強します。仲良く受かると嬉しいです」
俺の思惑はそこにあった。
学校の試験対策として、クラブメンバーに勉強を教え始めた小娘だ。いずれアレナフィルが何らかの資格を取り始めたら、クラブメンバーもその影響を受けて取り出すだろう。
賢い大人がいれば成長するわけじゃない。質のいいライバルこそが少年を成長させる。
「そうだな。期待している。エリーも受けるのか?」
「試験問題見せてから、みんなでどれを取りたいのか考えます。自分がやりたくないものを受けても意味がないから。だけど5級とかなら持っていてもいいかも?」
危険物の取り扱い5級なら、社会ではあまり通じないが、危機意識が身につく。被災時にも身の安全をはかることができる。
なるほど、王侯貴族の子弟にはいい線だなと思いながら、どうせならもっと上を目指してくれていいところだ。
エインレイドはアレナフィルに触発されて変わった。それもいい方向に。
問題集のタイトルを見ながらアレナフィルが嬉しそうに笑うが、きっとその脳裏に輝いているのは「無料」の一言だろう。
「重いからちょっと預かっておこうね」
グラスフォリオンが、アレナフィルの腕の中にあった問題集を取り上げて違うテーブルに置いた。
その厚みに改めて大臣達一行が息を呑む。
グラスフォリオンがアレナフィルの子供っぽさをアピールするのに加担するなら、俺はアレナフィルの価値を増幅させるつもりだった。
「エリーが何か資格を取れたらご褒美にまたどこかに連れて行こう。前子爵夫人と出かけたいところを考えておくといい」
「はい。お祖母様、お花が大好きなんです。綺麗な所がいいです。リオンお兄様も一緒?」
休日にはアレナフィルを連れ出している俺の噂は広まっているが、こうなると何が目的か、大臣達も戸惑い始めた。
グラスフォリオンを見上げるアレナフィルに、頼れるお兄さんポジションでいきたい彼も微笑む。
「勿論だよ。だから心配しなくていい」
「はい。ガルディアスお兄様、いつも綺麗なおめめパッチリ系お姉様にモテモテだから、ほっとかれて寂しくなるんです。リオンお兄様も凄みのあるお姉様にモテモテですけど、そういう人はお花畑にいないから」
「はは。言われてますよ、ガルディアス様」
「花畑にいるかいないかだけで、言われてることは同じじゃないか?」
連れていく先が、それなりにドレスアップした者しか入れない場所ならばどうしても知り合いばかりに会う。それは仕方ないことだ。
普通に挨拶を受けたりはしていたが、どうやら拗ねていたらしい。
すると王妃が微笑んだ。
「アレナフィルちゃんはお勉強頑張り屋さんだものね。二人が一緒なら怖くないでしょう? 練習じゃなくてお茶だけ飲みましょうね。泣いたら何か飲んだ方がいいわ、アレナフィルちゃん。甘いお菓子もあるのよ」
お菓子という単語に反応した様子を、誰もが見てしまった。
だがな、アレナフィル。お前、そのキャンディだけで十分じゃないのか? ちゃんと朝食、取ってきたんだろう?
「そちらもアレナフィルちゃんが怯えて警戒するような話し方はやめてくださいな。幼年学校入学前からウェスギニー子爵目当てで近づいてくる大人に連れて行かれそうになることばかりだったというので、家族が認めた人以外を信用しないように徹底されている子ですのよ」
「申し訳ありません。まさか・・・、いえ、すみません」
「部下が失礼いたしました。かなり賢いお嬢さんだと聞いていたので・・・」
王妃の言葉に、大臣達が棒付きキャンディを舐めている子供を目の端に入れながら、何とも言い難い表情で謝罪する。
女官長がその場の空気を壊さないようにと、アレナフィルに微笑んだ。
なんでアレナフィルだけが王妃や女官達に優しくされているのか、俺にはとても疑問だ。父親の為に小遣いで買う酒を俺に買わせていたことで呆れていたじゃないか。
「アレナフィルお嬢様。マナー練習は、今日はしなくていいですからね。怖がらなくても大丈夫ですよ」
「はい」
返事だけ立派なインコ娘は、女官長によって王妃と俺の間に座るよう誘導された。女官長は、この表現詐欺娘が何かしやがった時には俺に擦りつける気だ。俺は後始末専門係ではない。
王妃は、グラスフォリオンが試験問題集を置いたテーブルに目を遣った。
「アレナフィルちゃん。あれ、全部受験するの?」
「私はそのつもりです。だけどお勉強はみんなでやりたいから、もしかしたら少し保留しておいて、体を動かす方の資格を先に取ろうって言われるかもしれません。馬のお世話の資格もあるらしいんです。今、それも誘われています。早口言葉検定は、みんなちょっと微妙な反応でしたけど」
誰が一番の権力者なのかを薄々察しているインコ娘は、王妃の質問にはいつも前向き姿勢で答える。答えすぎて更に混乱を呼んでいるが、王妃にとってはいい気晴らしなんだろう。
「早口言葉検定?」
「はい。それをマスターすると、何かあった時、短時間でかなりの情報を伝えられるらしいんです。聞き取る方も同じぐらいにマスターしていないと意味がないんじゃない? って、みんなは言ってたんですけど。父に聞いたら、所持金が限られていて有料公衆通話装置を使う時に活躍するだろうって言われました」
俺がアレナフィルにくれてやった問題集の中に、早口言葉検定の問題集など入れてなかった。そんなものを受験するだなんて聞いてない。
なるほど。相談する相手によって、参考的に挙げる資格にも違いを持たせていたか。だから信用できないんだな、このアホ娘。
父親がクラセン講師をつける筈だと、俺は納得した。相手によって態度と情報を変えているアレナフィルを把握しようとしたら、様々な人間が必要となるのだろう。
「そうなの。だけどそこまで一年生の内から頑張らなくてもいいんじゃないかしら。もっと遊んでもいいと思うのよ。やる気が空回りして燃え尽きたらどうするの?」
「その時は旅に出ます。違う場所で違う自分になってリセットすることで見えてくるものがあると思うんです。父もいつまでも元気で働けるとは限らないし、その時は父と二人で仲良く各地の名物を食べてみたいです。白い地図を用意して、行ったところを塗りつぶしていったら楽しいと思うんです」
進学した途端、親の期待に押し潰される子供は珍しくなく、それを王妃は案じて優しい言葉をかけた。
しかしアレナフィルは全く違うゴールを持ち出している。
そこでどうして旅に出ることになるのか。普通はどんなに優秀な成績を取りたくても取れない自分に絶望して引きこもるとか、もしくはこんな努力をし続けても自分が何を目指すのか分からなくなって世界が怖くなるとか、その勉強をし続けるモチベーションを持てなくなるとか、そういう話なのだが。
「転んでもタダでは起きない感じね、アレナフィルちゃん。ボーイフレンドじゃなくてお父様と行くの?」
「はい。だけど父が不在なら叔父と行きます。成人してドレスが似合う年になったら、叔父にエスコートしてもらって、父とファーストダンスを踊って、叔父とセカンドダンスを踊るのが夢なんです。父はエスコートの約束をしても帰宅していなさそうなので、やっぱり叔父かなとは思うんですけど」
所詮は自分の欲望しか見ていない小娘だった。
繊細な少年少女の絶望と違う世界に生きているアレナフィルは、自分のことしか考えていない。
「まあ。その頃には素敵なボーイフレンドができてるかもしれないわよ?」
「そうだといいんですけど、たとえボーイフレンドができても、その繋がりなんて不安定なものですよね? 何があろうと私を愛してくれるのは家族だけだと思うから、私も家族を一番愛したいです」
あまりいたずらが過ぎると他人は見放したりもするが、家族ならば諦めて庇い続けるだけのことを、なんだか美化している子爵家の娘がいた。
自分に酔っている上等学校生を放置して、大臣が俺に鋭い眼差しを向けてくる。
ウェスギニー大佐と組んで手柄を掻っ攫ったと思われている誤解はまだ継続中のようだ。
言わせてくれ。あれは最初から最後まで、そこのインコ娘の所業だと。
「ガルディアス殿下。こんな所までお出ましとは・・・。まさかわざと控えておられたのですか?」
「泣かせるようなことをしなければ出てくる必要もなかったのだが? 結局は断られているのを、あんな頼りない子供を利用するつもりか。飴一つで笑顔になる子を巻きこむことなく、大人でカタをつけるべきことであろう」
ぐっと大臣が唇を噛む。
「ですが・・・。ですが、かなり賢いという話ではありませんか。あなたとて、だからその子を利用されたのでしょう」
「優秀さを評価しているのは事実だが、かなり誤解があるようだ。まずは状況をよく見るがいい」
こくこくとお茶を飲み終えたアレナフィルに追加のお茶が注がれ、菓子が出されている。
黒っぽいスポンジケーキで包んだ甘いクリームと砂糖で煮詰めたベリー。エインレイドがアレナフィルに食べさせてあげたいと言っていた菓子だ。
だから今日、用意されたのだろうか。
幸せそうに食べ始めるアレナフィルに、王妃が問いかける。
「気に入ったかしら?」
「はい、レイディ。ふんわりとしていて、中のぷちぷちしているベリーがとっても甘いです」
「よかったわ。アレナフィルちゃんは本当に美味しそうに食べるのね」
降嫁した王女は子供らしく食べることなどなく、常に皆の手本として礼儀正しく口に運んでいたものだ。
王妃にとってアレナフィルは、自分が本当は娘にしてあげたかったことを振り返る象徴なのかもしれない。
だがな、アレナフィル。お前、さっきまで嘘泣きしていたんじゃなかったのか? 菓子を食べたらもう忘れたのか? とてもご機嫌そうだが、人見知りキャラクターはどこに行ったんだ?
きっと俺の疑問は俺だけのものじゃない。グラスフォリオンもそうだろう。
思った通り、アレナフィルの緊張はもうなくなったと判断したらしく、大臣の隣に座っているぽっちゃりめな男がこほんと咳払いしてアレナフィルに話しかけた。
「えーっと、アレナフィルちゃん? こちらの方は怪しい方でも何でもないんだ。変な話もするつもりはなかったし、・・・だから話を聞いてくれないか。君の婚約者の話を聞きたいだけなんだ」
「・・・私に婚約者はいませんけど?」
アレナフィルは不思議そうな表情で尋ね返す。
俺とグラスフォリオンは、笑い出さないように耐えた。
「は?」
「私、まだ子供だから婚約者はいません」
未来において婚約した事実を抹消する予定だと聞いていたが、既にその事実を抹消していたのか。
どこまでも自分のことしか考えていないアレナフィルは、外国に問い合わせることなどできまいと踏んで、堂々と嘘をかました。
サルートス国民であるアレナフィルがファレンディア国で何かしらに巻きこまれたならば、まだ我が国の民が・・・と、話を持っていくことはできる。だが、アレナフィルはこの国で生活中だ。
ファレンディア国にはファレンディア国の法があり、その国で現在どういう手続きと処理がされているかなど、外国に関与されるものではない。
「人違い、だと思います。そういうことでしたら、お気になさらず、どうぞお引き取りください。レイディは、私に母も姉もいないことを不憫に思われて、お茶会のマナーを教えてくださってるだけです。もっと上級生のお姉様方のことだろうと思いますが、どうぞ調べ直してそちらを当たられてください。私、まだ一年生です」
戸惑ったような顔で自分に話しかけてきた男を見つめ返すアレナフィルはおずおずとした様子だが、騙されるのは大臣一行ぐらいだろう。
「い、・・・いや、だけど、君・・・、ウェスギニー子爵家のアレナフィル嬢だろう?」
ふくよかなタイプの部下に任せた方が緊張されまいと考えたであろう大臣だったが、さすがにそこで黙っていられなくなったらしく、自分からアレナフィルに確認する。
「はい」
「ファレンディア国のユウト・トドロキ殿と婚約しているよね?」
「していません。・・・あ、えっと、お約束ならしました。ユウト様、とてもお綺麗な顔立ちでしたので、もしも私が大人になって誰も結婚相手がいなくて、そしてユウト様もその時に独身だったらお嫁にもらってくださいって」
ファレンディア国で婚約届を出しておきながら子供らしいままごと遊びに話をすり替えた、外見だけは幼年学校生、中身はババアな14才が何やら照れながら言っていた。
「えっと、・・・つまり結婚の約束、だから婚約、だね?」
「違います。私、父と婚約なんかしてません」
「は?」
大臣が婚約と言う意味を教えようとしたら、何故か父親を出してくるアレナフィル。
お前って奴は、二言目にはパピーしか言えんのか。
俺とグラスフォリオンは、この場にいない男を心の中でげしげしと踏んでみた。父親だということしか価値のない男だろ。もう捨てていい。
「だって私、同じこと、いつも父や叔父に言ってます。父はいつも最愛の女の子は私だけだって言ってくれるんです。だから一生仲良く暮らしましょうねって、私も父に言っています。
叔父もなかなか結婚しないものですから、もうここはまとめて父と叔父を両脇に揃えて目の保養をしながら生きていこうかと。
だって私、父と叔父のこと、大好きなんです。だけど父や叔父と仲良く暮らしていても、それって婚約とも結婚とも言わないって思うんです」
「あ、・・・はあ。仲がいいのですね」
高らかに父と叔父への愛を語る上等学校一年生だが、婚約者の話はどこに行った。
大臣もまた戸惑っている。
たしか大臣は、「ウェスギニー子爵にとって子供は出世の道具」説を信じていた筈だ。
「はい。だって父も叔父も顔とスタイルがいいんです。やっぱり毎日見飽きない顔と体って大事だと思います。せっかく娘に生まれたなら堪能することこそ正しい在り方だと思うんです。だって父も叔父も、エスコートは最高で、いつでも優しい人ですから」
あのな、アレナフィル。何を照れてるか知らんが、お前はそこの大臣から、父親にいいように利用されても気づかない都合のいい娘という話を確信されたって分かってるか?
俺の呆れた視線に気づいたか、アレナフィルは全く違うフォローをし始める。
「勿論、たまに私を連れ出してくださるガルディアスお兄様やグラスフォリオンお兄様、それにボーデヴェインお兄様もとっても素敵で、見ているだけで心が満腹状態になります。これが大人の魅力なのねってドキドキしてしまうぐらいです。父は、そういう一流の男性を見ておけば、変な殿方に引っ掛からないだろうと言うのですけれど、本当に素敵です。そう思いません?」
「は、はあ。まあ、どちらもそうでいらっしゃいますね」
大臣が、所詮は親に利用されているだけの小娘かといった判断を下したと見て、ぽっちゃり系の男がアレナフィルに対して相槌を打った。
アレナフィルは気を遣って俺達を持ち上げてみただけだと分かっている俺とグラスフォリオンだが、大臣一行は全く違うことを考えているだろう。
そうと気づかず、アレナフィルはうんうんと頷く。
「やっぱり男の人から見ても素敵ですよね。そうしたらなんと、ガルディアス様とグラスフォリオン様がお友達になったユウト様ったら、今までにないタイプだったんです。
今まで私、父や叔父を見ていて、男の方の魅力は鍛えられた筋肉にあると思っていたんです。だけどユウト様みたいな筋肉とは無縁の方でも、頭が良くて細身でバランスがいい美形なら、これはこれで素敵って思ったんです。
だからいつか私が大人になって、ユウト様も私も独身で恋人がいなかったら結婚を前提にお付き合いしてくださいって言ったんです」
「そ、そうですか」
「はい。六番目ですけど」
「・・・六番目?」
「ええ。私、父と叔父とガルディアスお兄様とグラスフォリオンお兄様とボーデヴェインお兄様にも同じこと言ってるので、ユウト様は六番目です。本当は一番私を可愛がってくれる祖父を一番にしたかったのですが、祖父には祖母がいますからやめたんです。だって祖父と祖母が仲良くお出かけしているのってとても幸せなんです。たまに私、祖父母と親子ごっこするんです。お父様とお母様と子供ごっこ。祖母が楽しそうにしてくれるからいいかなと。父も気にしませんし」
「・・・・・・はあ」
あの男が六番目ねえ。お前は六番目の男と婚約届を出すのか。
大臣も溜飲が下がったのか、俺を見てくる眼差しは露骨に馬鹿にしているものだった。
だが、いつまでそれを貫けるかだ。
「こほん。その六番目とかいうのはともかく、ガルディアス様はそうなると三番目なのですかな?」
「はい。以前、三番目は父の親友だったのですけど、父の親友は私が取り持った縁で結婚してしまったので外したのです」
お前のかつての三番目の男は、何かとお前が童顔キチク男と罵声を浴びせている奴なのか。
本当に言葉に全く誠意のないインコだ。何も考えずに囀っている小鳥に、まともな感性は存在しない。
「あなたの取り持った縁?」
「そうなんです。父の親友だけあって話の分かるところが気に入っていたんですけど、まさに才色兼備と言っていい可愛らしいタイプの素敵なお姉様がいて、これは相性ばっちり、ここでこんな清楚で知的なお姉様を逃がすだなんて絶対駄目だと思ったんです。
だから二人が仲良くなるようにデートを何回か仕組んで、ついに結婚までゴールインさせました。あの時は、なんて私ってばいい仕事をしたのだろうと、本気で自分に感動したぐらいです」
若気の至りで、乙女を鬼畜男の手に落としたとかいう話だったか。
こんな子供が何を「縁を結んだ」と言ってやがるのかと、大臣はまさにそんな顔になっていた。
通常、貴族の縁組はもっとシビアなものだ。
「あなたのお気に入りとは、いったいどういう基準なのですかな」
「見ていて心が喜ぶ美形鑑賞です。ガルディアスお兄様にしてもグラスフォリオンお兄様にしても着やせしているだけでいい肉体していますよね。うっとりするぐらいに素敵です」
「・・・・・・それは、いささか不埒な趣味ですよ、お嬢さん」
贅肉のついた男達の前で俺達の肉体を褒めるとは、その勇気には敬意を表してやろう。
大臣のいささか蔑むような声に動じる神経を、アレナフィルは持たなかった。
「そうですか? だけど大人だってやっているでしょう?
何の為に試験があるのかといえば、それはその人が学んだ蓄積を見る為です。少し話せば知性と教養は分かるものです。その姿を見れば鍛えた肉体も分かります。表情にも生き方は出ますし、知識の引き出しはそれぞれに違うものです。だから試験や面接を行い、いい人材を獲得するのではありませんか?
もしもあなたが人を使う立場にあるならば、私以上に人を眺め、観察している筈です。それを不埒な趣味だと言う人はいないでしょう」
人材採用の面接と人事評価を、自分のふしだらな趣味と同列に語っている子爵家の娘がいるのだが、保護者はどこだ。
こんなのも代理として俺が対応しなきゃいけないのか?
どう考えても家での躾の範疇だろう。全く、だから面白くて手に入れたくなる。アレナフィルはいつだって俺達の常識の斜め上空を飛行していく愚かな小鳥だ。
「私は一緒にいるならお喋りしていても楽しくて優しい人がいいです。
勿論、結婚したらその人はパートナーに一番誠実であるべきだと思うから私の『大人になってもお互いに恋人がいなくて独身なら結婚してくださいリスト』から外しますけど、それまでは私がうっとり眺めていても私の勝手だと思うんです」
はっきりきっぱり言ってのけたアレナフィルに、女官長以下、女官達も拳を握っているのだが、同意か反感か。
俺は大臣に対して助け舟を入れてやることにした。
「私が三番目とは思わなかったな、アレナフィル嬢。かなり私は高評価されているということか?」
「本当は五番目だけど、ちょっと気遣って三番目にしてみました。だってガルディアスお兄様、とっても人気だからすぐに他の人とゴールインしそうですよね? だから順位を上げても意味がないかなって思ってるんです。どうせガルディアスお兄様、すぐに私を忘れて捨てていきます」
嘘つけ。お前、試験問題集、無料でもらったから三番目にしただけだろ?
「なんだ、五番目か。あれだけ利用しといて。この私を荷物持ちだと思っているのはアレナフィル嬢ぐらいだぞ」
「いい男はどれだけ貢いだかなんてカウントしないからいい男だと思うんです。父も言ってました。何をしてやった、あれをしてやったと、恩着せがましい男などに引っ掛かるなと。その上で、考え無しに浪費する男も論外だと」
男から金だけ巻き上げて指一本触らせない結婚詐欺女みたいなことを言っている14才。ある意味、見事かもしれない。
大臣一行は、アレナフィルをちょっとお小遣いに毛が生えた程度で取りこむことも考えていただろう。
「ウェスギニー子爵がいる限り、アレナフィル嬢はまともな恋愛ができそうにないな」
「いいんです。だって父がいれば私、それで満足ですから。それにガルディアスお兄様、いい男ですよ? ケチ臭いこと言わないですし、試験問題集もくれました。
自己満足にすぎないプレゼントなんて、処分が面倒なだけです。相手が欲しがるものを外さない上、お茶目なところもあるガルディアスお兄様とグラスフォリオンお兄様は、たとえその身分がなくても、その存在感だけで女性を虜にする魅力的な男性だと思います。私、素敵な男性を素敵だと見極めることに妥協したくないのです」
身分がなくても魅力的ねえ。かなり高い評価をつけてくれたと思うべきか。
棒付きキャンディだの、茶菓子だので泣き止むような子供だと思っていた大臣達を、幼年学校生にしか見えない少女が微笑んで見つめている。
そう、大臣は俺でさえ三番目や五番目かと馬鹿にするつもりだったようだが、大臣達などジャッジする価値もないと、アレナフィルは言外に言ってのけていた。
俺達は当て馬か。
「ユウト様も引き出しの多さがとても魅力的で、ガルディアスお兄様やグラスフォリオンお兄様と話している時は技術者の視点から専門的な話を、そして私とお喋りしてくださる時は人を驚かせるおもちゃの話をしてくれました。・・・ユウト様の工房で作っているというそれもパンフレットになっているものではなく、殴り書きでのそれを見せていただきましたけど、たしか義肢が気候風土の違うサルートス国でも変わらず動くかの耐久試験でいらしていたとか」
「そうですね。やはりその話を、アレナフィルさんも聞いていたのですか」
アレナフィルがどんな子供なのかを判じかねた大臣達に代わり、一行の中で一番若そうな男がアレナフィルに対して問いかけた。
「はい。何と言っても大人になって恋人がいなければ結婚を考える同盟を締結した仲間ですから」
先程まではすぐ泣く子供としてステージ外に置かれていた子供が、今、テーブルの女主人と化している。
アレナフィルは自分のペースで話を進めることに成功した。
「サルートス国での大量生産は無理とあって、我がウェスギニー子爵領の小さな工場でならば作れるのではないかと思い、ユウト様からお話を伺いました。
ですが、サルートス国での技術は荒すぎて、全ての工具をファレンディア国から買い付けなくてはならないこと、何よりそこまで細心の技術を持った人間を育成しなくてはならないこと、それに要する年月と費用を試算した結果、ウェスギニーの小さな工場でも採算が取れるまで二十年はかかり、その価値はないと判断しました。
では、ファレンディアで出来上がったものを輸入するというのはどうかと思いましたが、その工房はもっとお金になる製品がメインで、大した儲けにもならない義肢など、空いた時間に少数を作ってあげるだけでも奉仕作業だとか。
大量生産など論外、いい技術者をそんな金にならないもの作りに従事させるぐらいならもっと金になる製品作りに携わせるということでした。
その人のデータを取った上でのオーダーメイドであることを考えたなら、技術発表の試作品でありこそすれ、ユウト様の工房はその製品を本当に作って売り出したいわけではないのです」
大臣に質問されて答えるといった立場ではなく、アレナフィルは自分こそが話し合いの主人であるという位置を確立するところに持っていきたかったのだ。
大臣一行もそうと悟ったらしい。
それまで何も言わずに様子を見ていた男が唇を歪める。
「なんとまあ、子供だと思いきや、やはり・・・か。やはり小賢しさはあるようですな」
「まあ、ひどい。子供相手に小賢しいだなんて。そういうひどいことを言うおじ様には、私が作ったウェスギニー子爵領でそれを製造したらどれくらいかかるかの試算表、やっぱり教えてあげません」
アレナフィルの言葉に反応したのは、彼らは認可や導入を許可する立場であり、経営者ではないからだ。
貿易で何かしら締結したなら、後は国民にそれを知らせるまでが仕事だと考えている。
まだ機嫌を取ればいいのならばと、大臣は方針を変えてアレナフィルに対し、いい人そうな表情で笑いかけた。
「いや、勝手に価値を推し測ったことに間違いがあるだろう。ウェスギニー家のアレナフィル嬢。その試算表を見せてもらえるかな?」
「その前におじ様はどこのどなたですか?」
「は?」
「レイディがお茶会練習のお客様役でお招きしたということでしたので、私もお名前を聞くことはしませんでした。ですが、ウェスギニー子爵家が試算したデータを、名前も知らず、祖父も父も叔父も了承していない人に渡す程、私も子供ではないのです」
うん。よくやった、アレナフィル。
誰もが名前を知っていて当たり前の大臣が、まずは名前を名乗れと言われるとは思わなかっただろう。
今の顔を見ることができただけでもこの場にいた価値はある。
「そして試算表は私が作ったもので、父も叔父も持っておりません。
何故ならユウト様は、ウェスギニー子爵領では手を出す方が損になるのは何故かを教えてくださる為にご指導してくださったのですから。普通ならば、損したところでその工場の選択ミスということで放置するものです。知識は金銭で贖わなくてはなりません。私はユウト様から教えを乞う為に、200ローレ (※) を支払いました。その姿勢を評価して教えてくださったのです。
勿論、子供が大金を持ち、自分勝手に散財するのはよくありませんが、私、貴族の娘としての社交でお金を使わない代わりに、現金で好きに使っていいお金を渡されておりましたので、我が家としては全く問題ございません」
(※)
200ローレ=200万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として300万円
(※)
サルートス上等学校に通う子供達は誰もが裕福だが、金の使い方には品性が出るものだ。
アレナフィルは、社交よりも学ぶことに金を使う価値があると言いきった。
その上で、子供がそれだけのお金を自分の小遣いから賄ったのに、それをかすめ取ろうとする大臣達を馬鹿にしたのだ。
「私が200ローレを払った上で学んだそれを、無料で教えてもらおうとするのはおかしいと思います。それならあなたも200ローレ出してユウト様に教えていただくべきです。ユウト様のお話は難しいことも多くて私には分からない箇所もありましたが、大人ならばそんなこともないと思います」
ぐうの音も出ない大臣達だが、誰がそんなことだと思うだろう。
(愛されて甘やかされていたいくせに、お前はどこまでもただ微笑んでいるだけの人形扱いを拒否していくか、アレナフィル)
これだから面白い。あの男はアレナフィルに貢ぐ男であって金を取る男ではないが、いない人間に全てを押しつけてみせるアレナフィルは、どこまでも強気だ。
そういうことなら俺もその嘘を真実にしてやってもいい。
「くくっ、やっぱり可愛がられているように見せかけて取れるものは取っていたか。さすがだな、アレナフィル嬢。そういうことならば、ネトシル少尉と祖父母同伴家族デートは、豪華列車旅行なんていうのはどうだ? あちこちの駅で降りて散策できる。勿論、退屈しないよう双子の兄も、アレナフィル嬢の友達も連れてきて構わない」
「え? 豪華列車旅行?」
やはりエインレイドも連れて行ってやろう。とても寂しい思いをしていたようだから。
俺のエサに、アレナフィルはすかさず食いついた。
「ああ、そうだ。いつもは夕方前に送り届けていたが、宿泊付きとはいえ、侍女や護衛も連れていくし、ウェスギニー前子爵ご夫妻やレミジェス殿と同じ個室車両ならば、ほかの車両に男がいても全く問題なかろう。その上で600ローレ (※) 払おう。今、その試算表について教えてもらえないか?」
(※)
600ローレ=600万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として900万円
(※)
「えっ。600ローレ? どんなぼったくりですか。私、そんな悪い子じゃないです」
「その年で金の使い方を分かっていたご褒美だ。愚かな使い方はしないだろうからな」
あまり大臣達を虚仮にしたままでもまずい。だが、ポケットマネーで子供にそこまでの金を動かせる人間は限られる。
俺は資本力で、大臣に対して圧倒的な差を見せつけた。
「え? だけど私、今度遊園地で大散財する予定なんですけど。大金をもらったらぱあーっと使いきっちゃいますよ?」
「別に構わん。その代わり、エリーにもいずれその顛末を教えてやってくれ。いい刺激になるだろう」
どうやったら遊園地でそれだけ使いきれるというんだ。
アレナフィルの上気した顔は金額か豪華列車旅行か、さて、どちらの理由によるものだろう。
「ありがとうございます、ガルディアスお兄様。ですがお金のやり取りに関して父や叔父に相談することなく、お返事はできません。だけど豪華列車旅行の許可を祖父母と父と叔父にとってくださるのでしたら、ここは特別サービスで教えて差し上げます。だってガルディアスお兄様、色々な所に連れてってくれますし」
「物わかりのいい子は好きだぞ、アレナフィル嬢」
「私もお金払いがよくて、けちけちしたことを言わない方は大好きです。やっぱりガルディアスお兄様は五番目じゃなくて三番目かなって」
俺とアレナフィルはにこにこと微笑み合った。
自分の好意は金で買えると断言している子爵家の娘にとって、それでも俺は三番目か。
お前はどこまでパピーが好きだよ。
「ここは一歩進んで二番目か、いっそ一番目に持ってこないか?」
「ごめんなさい、ガルディアスお兄様。私の記憶が始まった時から常に私を大切にしてくれた父と叔父を裏切ることはできません。その代わり、ガルディアスお兄様がどなたかとお付き合いもしくは結婚するまでは、私の三番目でキープしておきますから、それで許してください」
その三番目、どんな価値があるのか全く分からないのは俺だけか?
「その強欲さも悪くないな。そして私も大臣がそこまでのめりこんだそれに興味がある。で、資料を取りに行かないと説明は難しいか?」
「大丈夫です。頭の中に入ってます。えーっと、レイディは興味ありますか? 製品内容から説明した方がいいですか? それとも市場価格も踏まえた上での説明は鬱陶しいですか?」
そこでアレナフィルは、この室内で一番偉いのは誰なのかを思い出したらしい。
王妃はせっかくだからアレナフィルのそれを見ておこうと考えたようだ。
「ここはガルディがスポンサーだもの。ガルディに聞いてちょうだい、アレナフィルちゃん」
「私は大臣が興味を持っていたとかいうそれを見てもないのでな。何も知らない人間に対しての説明で頼む」
「分かりました。なるべく簡単に説明していきますので、更に詳しく知りたい時は、ガルディアスお兄様は別にお時間を取ってください」
アレナフィルは立ち上がり、白い壁の所へと向かった。
ポケットからペン型の何かを取り出す。
「では、この壁に書いていきます。あ、後で消すことを心配しなくても大丈夫です。これ、一定時間が経ったら消えますので。インクとか塗料を使うわけじゃなく、空気中に色のついた空気を滞留させることで壁に文字を書いているかのように見えるだけです」
「アレナフィルちゃん。そんなの、どこで買ってきたんだい?」
色のついた空気を滞留させるとはどういうことかと、グラスフォリオンが入手ルートを尋ねた。
「えへ。ユウト様から買いました。お外で使うには風で飛んでしまうらしくて、屋内でも風の動きがあるところではちょっと駄目なんですけど。グラスフォリオンお兄様、興味ありますか?」
「風で飛ぶのはちょっと困るな。だけど何かあった時、緊急時にどこにでも痕跡を残せるかもしれないという意味ではとても興味あるよ」
それはつまり侵入者もしくは敵に倒されても情報を書き残せるという意味なのだが、アレナフィルは物騒な使用方法には気づかなかったらしい。
だが、場所を問わずに文字を書き残せるのは価値がある。あのファレンディア人、そりゃ外国で捕まる筈だな。
「じゃあ、一本余ってるからグラスフォリオンお兄様にあげます。その代わり、豪華列車旅行でフォトモデルしてください。窓からの淡い陽光に照らされて物憂げにしているのとか、きっと絵になる気がします」
「勿論、俺のことは好きにしてくれて構わないよ」
「はい」
あのな、アレナフィル。お前は兵器だけじゃなく、そんなペンまで強奪していたのか。
しかも手放す対価がそれなのか。
この娘を父親が隠して育てていたのは、よその家を破産させない為じゃなかったのかと、俺には思えてきた。
「では、ユウト様が扱っていた義肢についてですが、現在、サルートス国で出回っているのは木製や芯に金属を入れたものが主流です。勿論これも、一人一人の体に合わせて使いやすくしなくてはならないので、専門の技術者の所で細かく微調整されるオーダーメイドです。
ですが今回、ユウト様が扱っていたのは、本物の肉体にしか見えない上、寝たりお風呂に入ったり泳いだりする時に取り外したりする必要もないというものでした。それこそ体が動かなくなったり失ったりした人にとって、朗報としか言いようがありません。何故ならば、本物の肉体のように関節も動くのですから。
義肢といっても手足だけではなく、肉体のどの部分であろうと、内臓以外であれば対応可能で、しかも取りつけて本格始動してしまったなら、メンテナンスに行くのは五年後でも大丈夫という画期的なものです。体形が変わらなければという注釈がつきますけど」
なんだかこの娘を利用するのは難しそうだと思い始めた大臣達を憐れんだのか、王妃が大臣に話しかける。
「道理で力を入れていたわけですわね。多少、嫌がられようが何であろうが、これは話をまとめる価値がありますわ」
「恐れ入ります。全くその通りでございます」
唯一の理解者に対し、大臣も救われた思いだろう。
だが、感謝するなら俺にじゃないのか? 俺の言葉でアレナフィルが説明し始めたわけなんだが。
「その内部に使われている芯、つまり骨の役割をする材質は、金属ですが水や汗に触れても錆びず、しかし骨と同様の強度になっています。つまり凶器にならぬよう、強い衝撃を与えれば折れるようになっています。その金属は合金ですが、その材料、割合、加工法などはメーカーしか知らず、技術込みで購入するしかありません。形を指定して購入するので幾らとも言えないのですが、まあ、片足の膝から下までということで大体が100ローレ (※) としてください」
「質問いいかな、アレナフィルちゃん? ならば長さで換算されるのかい? 太もも部分も含まれたら倍額かな?」
大体の長さ当たりの換算表を作ろうと考えたのか、グラスフォリオンが質問した。
だが、アレナフィルは首を横に振る。
「どちらかというと技術料が高いのであって、半分の長さであれば半額というわけではありません。これは大人サイズの値段ですが、たとえば両手両足なら四倍金額というものでもなく、二倍程度です。とはいえ、この場合はあくまで試算表なので、大体、骨を含んでいる物を作るとして、尚かつ骨部分は100ローレから200ローレと考えてください」
「分かった。ごめんね、続けてくれる?」
もしかしたら義肢の手配をしてあげたい人がいるのかもしれない。
ネトシル侯爵家は武の名門侯爵家、ゆえに大怪我をした者もいるだろう。そして金ならある。
「この骨部分にしても微妙に値段が異なってきます。というのも、その人の職業や生活に応じてのオーダーメイドをあの工房は可能としており、場合によっては軍人の動きに耐えられるような鋼鉄レベルで強い骨も、そして高齢のやせ細った人にも対応できるような弱々しく軽い骨も作れるので、一概にいくらとは言えないのです。
更にはオプションで別金額が発生しますが、発熱機能などを取りつけることもできます。つまり雪山などで遭難した場合、その義肢で体を温めることもできるということです。また大きな川や湖沼、海辺で暮らす人ならば水に浮く機能を取りつけることもできます。それは50ローレ程です」
(※)
50ローレ=50万円
100ローレ=100万円
200ローレ=200万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として50ローレ=75万円、100ローレ=150万円、200ローレ=300万円
(※)
アレナフィルが白い壁に簡単な人の体を描いて、片方の膝から下を丸く囲って、「100ローレ」、「オプション50ローレ」と書く。
大臣達が食い入るように見ているのだが、あのファレンディア人は金額を提示していなかったのだろうか。
なんだか不安になってくる話なのだが、大臣達は費用も考えずに話を進めようとしたのか? いや、まとめて購入するから安くさせるつもりだとか言っていただろうか。
(雪山で発熱し続けられる時間はどれくらいだ? 水に浮くというのはどこまでの重さに耐えて浮いていられるということなんだ? そうなると、従者で連れていった方が生き延びられるということか?)
だが、こんなオプションが多彩にあるとなると、本来のメーカーでしか対応できないだろう。大量生産品ならまとめて買うことで安くもしてくれるだろうが、個別対応なオーダーとは受注生産あるのみだ。
「まずサルートス国に導入するならば、その骨部分の金属も何種類導入するかを決めなくてはなりません。何故ならそこまで細かい微調整された骨の流通はファレンディア国だけで、他国であればファレンディア国の特別製品使用料を、購入とは別に払わなくてはならないからです。一番、無難なタイプを決めるとして、加工した骨を買わせてもらうならばまだ1000ローレ程度の使用料を先に払う必要がある程度ですが、もしもサルートス国でメンテナンスするならば、1000ローレとは別に5000ローレを最低でも払わなくてはなりません。それは工場の大小によりますが、ウェスギニー子爵領の数十人規模の一番安い工場で、取扱使用料金が6000ローレです。ですが、それは材料を買わせてもらうのであって、加工用の器具は別個に買わなくてはならないのです。そちらの加工用器具は5000ローレ見ておいた方がいいかと思います」
(※)
1000ローレ=1千万円
5000ローレ=5千万円
6000ローレ=6千万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として1000ローレ=1500万円、5000ローレ=7500万円、6000ローレ=9千万円
(※)
「この時点で、そこまでのお金を出してまで工場を作ったり取り扱いしたりするメリットについて考えるものは出てきます。必要としている人が千人単位、万人単位でいるならばともかく、数十人や百人程度の需要で取り扱っても旨味はありません。何よりそれだけのお金を払っても、ガラクタとなるとあっては」
「ガラクタ? どういうことだ、アレナフィル嬢?」
すぐに壊れるという意味なのかと思い、俺が尋ねるとアレナフィルが振り向いた。
「工具と材料があっても、技術者がいなければ使いこなせないということです。メンテナンスといっても、それは作るより簡単という意味ではありません。骨部分だけであっても、ほんの僅かに削りすぎても、今度は削りすぎたものをどうしようもないことになります。何より肉部分もまた大事なのです。
さて、この技術者を育成するにせよ、ファレンディア国ですら100人から始めてモノになるのは数人です。サルートス国でその技術者を育成する為にファレンディア国から技術者を招聘し、そしてモノにならない九十人余りをどうするかという話も出てきます」
「なるほどな。だが、今の時点でそれなりに技術のある者に学ばせればモノになる確率は上がるだろう」
素人に学ばせるなら脱落者は多くもなろうが、最初から技術のある者に学ばせるのならば脱落者は減る。当然のことだ。
「それでもモノにならない人が多く出ることを踏まえた上で、生活できる給料を出しながら育成しなくてはならないわけです。
家族持ちの男性の一年間の給与が400ローレとして、何らお金を生み出さない技術習得をさせておけるのは何人でしょう? たとえば100人の技術者を学ばせるとして使い物になるのがどれくらいの割合かは分かりませんが、その時点で、一年間で4ナロメインの費用が発生します。半分の50人なら2ナロメイン、更に半分の25人なら1ナロメイン。
そして教えてもらう際にはその工具をファレンディアから買い付けなくてはなりません。また、ファレンディアの高レベル技術者を招いて指導に当たってもらう為に、お友達価格で安く協力してもらっても数千ローレ以上必要になるのは分かるかと思います。
つまり、始動する前の初期投資において、どんなにコンパクトな安価ベースでいくとしても、3ナロメインは用意してほしいです」
(※)
400ローレ=400万円
1ナロメイン=1億円
3ナロメイン=3億円
4ナロメイン=4億円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として400ローレ=600万円、1ナロメイン=1億5千万円、3ナロメイン=4億5千万円、4ナロメイン=6億円
(※)
「ふむ。採算が取れるのは二十年後というのはそれか。たしかに初期投資を回収するだけで十年がかりだ」
そして肝心の需要だ。そこまでの高額な義肢を誰が欲しがるか。
誰もが皆、財産家ではない。
「ユウト様の持っている工房でも、この繊細なそれに対応できる技術者は20人もいません。だから多くの発注には応えられないし、金にならないそれに対応させたくないというわけです。
何故ならいくら高額品でも人が義肢に払うのは数百ローレ。覚悟しているのはせいぜい500ローレが限度でしょう。そして一つのそれを作るのに要する期間はどんなに短くても一ヶ月。基本的には一年を通してデータを取ります。優秀な技術者をそんな採算の取れない仕事に就けておくよりも、違う仕事で稼いでもらうというのが経営者の判断になります。何故ならば、骨となるそれを決めたら今度は肉部分に移るからです」
「無駄に高機能すぎるのが仇になっているわけか」
「その通りです。あくまであれらは、これだけ高品質高機能なものを作り上げることができるという発表作品にすぎません。
技術を売るとはそういうことです。いずれは義肢専門の専門病院を作りたいとか、リハビリセンターを作りたいとか、そういったその技術を必要とする所に高く売りつけてお金にし、そのお金でもって違う技術を育成する為にある展示作品にすぎないのです」
アレナフィルは白い壁に、中央に骨のある肉の断面図を描いた。
今、アレナフィルはサルートス国の大臣側ではなく、ファレンディア国のユウト側で話をしている。彼がどうして大臣との商談を蹴って帰国したのかが分かった気がした。
「次に肉部分の説明になりますが、骨の周りには髄液や神経、筋に肉や脂肪が混在しています。表皮の色は肌に合わせてのオーダー染色となりますが、産毛やすね毛も自由自在のオーダーメイドです。尚、日光に当て続けても十年経っても色あせ無しの表皮、はたまた日焼けしたような色に変色する表皮と、幾つかのパターンがありますが、導入するならばどちらかにしろと言われることでしょう。まあ、そんなのはどうでもいいとして、肉部分です」
「どうでもいいの、アレナフィルちゃん? 女性にとってとても大事だと思うわ」
十年もあれば表面も擦り切れたりすると思うのだが、日焼けにも対応できるとは・・・。
それを欲しがるのは暗殺者じゃないのか? 俺にとっては物騒な使い方ばかりが先程から思い浮かぶのだが。
「レイディ。だけどその産毛とかの割合や肌の色とかって反対側の体のデータを転写するからそこまでじゃないんです。せいぜい技術としては300ローレぐらいだからどうでもいいかなって思うのです。それ以前にもっとお金と技術がかかるのが肉部分なんです」
「そうなの。肉が大事だったのね。しかもお金がもっと飛んでいくのね」
「はい、そうなんです。骨よりもこちらの技術がメインです」
アレナフィルが、「皮膚素材導入費用は300ローレぐらい」と書き、断面図の横にも「胴体側」と分かりやすく書いている。
女性が使用する立場で考える王妃に対し、どこまでも金から離れないアレナフィル。
「さて、この断面図だけで計測値を何百回も取り、動かそうとした時でもどこまでだと動きをためらっている状態なのか、本当に動かそうとしたらどの強さの脳波と信号が出るか、計測とモデル人形出力を繰り返していきます。
つまりここで病院の設備と専門医、そしてプログラミング技工士が必要になります。
必要になってくるのが専門機器です。その設備がある病院ならいいのですが、脳内の信号やその際の様々な体内全てのデータ、つまり瞳の動きや発汗なども全て計測し、それをモデル人形に出力してその行動が正しいかどうかのすり合わせを行うわけですが、それらの設備をゼロから揃えようとしたら1ナロメインは必要となります。
ですから、そういった医学的研究を行っている専門機関と提携するのが一番安上がりでしょう」
(※)
300ローレ=300万円
1ナロメイン=1億円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として300ローレ=450万円、1ナロメイン=1億5千万円
(※)
「すまないが、アレナフィルさん。そのモデル人形というのは何かを教えてもらえるだろうか」
大臣の部下が手を挙げて尋ねた。
「はい。人間の行動をモデルとして追跡する人形です。
たとえばあなたが仮に右手の肘から先を失い、義肢を作ろうとしているとしましょう。では、あなたはなくなった右手を上げようとしてみます。だけど右手をなくしているので、右手は上がりません。だけど右手をあげようとした気持ちは頭の中で生まれていて、それに合わせて肩とかも動いているわけです。
左手で右の肩と上腕部を触ってみてください。右手を上げようとしたら右肩も動いているのは分かりますね?」
「ああ」
体を動かす時、様々な部位が連動している。
アレナフィルは分かりやすくそれを教えていた。
「では、隣の人がモデル人形だとしたら、あなたのその右手を動かそうとしたその信号を受けて、代わりに右手を上げるわけです。
正しくその信号が伝わっていればあなたがどこまで右手を上げようとしたのか、それこそ軽くテーブルの上に手を置く程度に上げるつもりだったのか、それとも伸びをするぐらいに頭の上まで上げるつもりだったのか、そのモデル人形を見れば分かるわけです。
その信号伝達が合っていなければ、全く違う左手とか、右足が上がるかもしれません。自然な動きになるように、ほんの少しだけ上げるだけとか、動こうとしてためらった時に少し上下に揺れるとか、そういったことまで全てモデル人形を見ながらデータを照合していきます。だから何百回、何千回でも自然な動きになるように、何度も日を変えてそれをやります。何故なら緊張していたり、その時の体調によったりで、違うデータになるからです」
「そうか。うん、説明ありがとう」
「どういたしまして」
あのな、アレナフィル。彼はきっと思っているだろう。お前は何才のつもりだと。
何が「どういたしまして」だ。お前、自分が彼よりも上の立場だと認識していることを言ったようなもんだぞ。
いや、そこに気づかないからインコ頭なんだ。
ここまでくると義肢というレベルを超えている。
「この肉部分ですが、体温程度の発熱機能を入れるとして、場合によっては脈拍などもオプションで取りつけることができます。義肢を使っていることを知られたくない人は、そういうオプションをつけます。だからどの材質を使うかで値段は変わってきます。
先程、雪山で暖を取れるような発熱機能を骨につけるか、水に浮く機能をつけるかと言いましたが、それに合わせて肉部分も違う材質を使うのです。いざという時に発熱する機能をつける人は、水分を熱に変える材質を表皮裏に仕込むこともあります。また、浮く機能をつける人は、肉部分もさらに浮きやすくなるものを使います。
また、肉部分は必要とあれば表皮からの触感が伝わるようにもできます。ただし、怪我した時には本気で痛いので、つけない人がほとんどです。それでも職業や家庭の事情的に誰かに触ったり看護をしたりする人、つまり医療関係者や家族との触れ合いが多い人はつけることを選びます」
「アレナフィル嬢。そのオプションは他にもあるのか?」
それはもう、まさに失った手足の疑似肉体だ。
義肢の製造工場的なものを考えていた俺達だが、アレナフィルの話を聞いていると医療機関の割合も多分に含んでいないだろうか。
「ありますよ? だけど冷やかしはお断りです。お金を用意した上で本気ならば見せてくるとは思いますが、その予算に応じて見せるものも違ってくるでしょう。とりあえず私は、ガルディアスお兄様、グラスフォリオンお兄様にとって必要かな? と思えるオプションを例に挙げてみました。やっぱりお仕事で冬の山に入ったり、船でどこかに行ったりするかもしれませんし」
「ありがたいが、やっぱり方向性がおかしいな、アレナフィル嬢」
つまり俺とグラスフォリオンに合わせてオプション例を挙げていたらしい。俺達が軍に所属していなければ違うオプションを例に挙げてきたのか。
ちょっとむっとした顔になったアレナフィルだが、そのまま話を続けた。
「何にせよ、どのタイプで商談をまとめるかを決めて、そして発注量によっても金額が増減します。
そのあたりは単純な金額計算ですが、問題は義肢の肉部分です。
その自分が動かそうと思ったらその通りに動くというそれを義肢部分に埋めこんでいく作業は数百万から数千万のデータポイントが必要となります。
その為、専門医の要望に応えてプログラミング技工士がそれを作り上げていくのですが、それはモデル人形とは別にモデル義肢を作ってまずはそれで試します。そのモデル義肢を使って生活してもらい、それで不具合が出ないかどうか、生活上どんな時に不便な動作をするかをチェックしてもらうわけです。
この専門医は幻肢痛にも詳しく、しかも経験豊富な医師であることが望ましく、プログラミング技工士も心理学を学んだ人であることが望ましいとされています。何故なら、人の心や体は機械のようにはいかないからです。加齢による不具合が出ていたりしたら、その際の反応速度やレベルも増減しなくてはなりません」
「医師は医師でも、いささか専門的知識が深い医師が必要となるわけか。その技工士も」
機能を使いこなせないのであれば意味がない。使用者の肉体に合わせて反応速度も変えられる義肢。
場合によってはファレンディア国に留学して学び直す必要も出てくるのではないかと、俺は思った。
「そうです。ガルディアスお兄様方みたいな人の反応速度になると、一般人とは違ってきますし、耐えられる強度も違ってきます。そういった様々な経験がある医師が必要となるわけです。また、データポイントにしても、一般人ならば普通の人のように肉の動きが分かるように、そしてガルディアスお兄様みたいな職業ならば、見ても悟られぬようにと、そういったプログラミングをしていかねばなりません」
「では軍のそういった計測を行っている部署に協力させねばならんわけだな」
反射速度などを計測するチームはかなり優秀だ。そちらを回せば使い物になるのではないか。
そう思った俺だが、アレナフィルはそうは思わなかったらしい。
「理論上はそうなりますが、一般人への義肢作成なら、そんなハードな骨もケーブルも使用しないです。世の中、一番大多数で需要があるものが流通すると決まってます。その場合は軍も自分達用に予算を組み、一枚噛ませてもらう必要があるでしょう。
だけど何かとお金を使ってくださる気持ちに応えて教えてさしあげるなら、そのお金を用意しても無駄に終わります。目先の欲に駆られてお金だけ失うのは他の人に任せて、ガルディアスお兄様は高みの見物しといた方がいいです」
「そうしておこう。続けてくれ」
「はい」
医師と技工士らしき絵を四人ずつ壁に描いたアレナフィル。骨の作成を行う技術者だけではなく、そちらの人材も必要となるのか。
「サルートス国に義肢制作の専門医がどれだけいるかは知りませんが、工場を稼働させるならそれに連携した病院、そしてその医師を雇用する必要がでてきます。プログラミング技工士は、留学に出して学ばせるか、招聘して教えてもらうかで、やはり人件費及び人材育成費用としてそこそこ見ておく必要があります。
先程の骨などよりも高いお金がかかりますし、何よりそのデータのプログラム法を買い取るには骨なんて目じゃないお金がかかります。教育する医師や技工士にもノウハウだけを持ち逃げされないようにしなくてはなりません。
ですが、この技術も教えてもらえるのは上っ面だけです。そこは覚悟しておかねばなりません。
モデル義肢を使って数ヶ月経ち、違和感やこすれ、微妙な当たり具合などのチェック、わざと転んだりした時の反応などデータとの照合ができて、やっと本当の義肢制作にかかります」
その前に教えてもらうならファレンディア語を覚えなくてはならないという前提をアレナフィルは言わなかった。
俺でさえ、ファレンディア語は最初から捨てている。面倒な言語だからだ。
「専門医も、たとえば川や池が多く湿気が強い場所に暮らしているとか、山中や海沿いで暮らしているとか、そういった生活環境で体の負担が違ってくることは分かっていると思いますが、それによる負担の違いも考えてあげられるだけの経験がないと、結局は活かしきれません。ですが、経験豊富な医師になると高齢なことが多く、教わるのであれば比較的若い方が候補になるでしょう。そうなると学べることも取りこぼしが出てきます」
「問題は学んだことに沢山の欠落があっても、サルートス国側では分からんことだな」
「そうなります」
アレナフィルがどこまで本当のことを言っているのかは分からない。だが、アレナフィルが無駄に金を捨てるだけだと断言する以上、それはそうなのだろう。
この小娘は嘘つきで身勝手だが、誠実で優しい子だ。
「普段使っている言葉が通じない異国で、その国の言語の微妙なニュアンスを理解するのは難しいことです。解釈違いによっては、全くでたらめなことを信じることだって起こり得ます。まだ経験を積んでいる医師や技工士ならばおかしいことに気づき、とことん問い詰めることで正しく理解することも可能かもしれませんが、言い方によっては現場で険悪なことにもなるでしょう。若いからこそ将来性を買われた医師や技工士に、そこをうまくやれと要求するのは酷です」
言葉も違う国で学ばされる人間の状況まで説明してくるアレナフィルに、大臣達も質問できなくなったようだ。何故なら、そんなことまで彼らが考えることではないからである。
アレナフィルは仮定として語っているが、まるで失敗した事例を知っているかのようだった。
「サルートス国でも、自分に部下がついたら部下に仕事をある程度は教えますが、自分なりのコネや裏技や人脈は教えませんよね? それに自分だけが使えるそれを部下に渡したりもしません。ファレンディア国は更にそれが顕著です。
よほど打たれ強い医師やプログラミング技工士でないと、途中で心が折れて辞めるだけでしょう」
俺は女官長に合図し、用意してあった菓子と飲み物を取りに行くように伝えた。
それなりの金をかけて留学させたところで肝心な技術は教えてくれないのだと、アレナフィルがやんわりと伝えたことで納得する。
あの商談は壊れてよかったのだと。
(あの偏食野郎のことだ。アレナフィルが噛むのであれば、まだ誠意をもって履行するかもしれんが、ほかの奴なら平然と金だけ巻き上げて知らんぷりしそうだな)
自分が脱出する為ならば全てを死体に変えても気にせず、アレナフィルには傷一つつけようとはしなかった男だ。
アレナフィルが本当に言ってやりたかったのはそこなのだろう。ウェスギニー家のレミジェスはアレナフィルの盾だったかもしれないが、大臣が失敗するのを防いでもいたのだ。
「えーっと、そういうことで、一番安上がりなのはファレンディア旅行してそこで作ってくることだと思います、ハイ」
アレナフィルの説明が終わり、そそくさとテーブルに戻ってくるのだが、思うに部屋の隅で新しく淹れられているお茶に気づいただけではないのか。
なんだか分かっているようなタイミングで、アレナフィルの前に新しい茶が違うカップに入れて出された。
「アレナフィルお嬢様。そのお茶は冷めておりますから、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます」
俺はミディタル大公家の料理人に作らせておいた菓子と飲み物を女官長に取りに行かせていたが、それも出させる。
「さっき食べててもこれぐらい入るだろう、アレナフィル嬢? 栗は嫌いだったか?」
「大好きです」
質より量を要求されると嘆いてばかりのミディタル大公家の料理人を呼んでおいたのだが、先日の晩餐会で出した菓子をリクエスト通り作ってくれたようだ。
これは出来立てから時間を置きすぎると、パリパリ感がなくなってしまう。
真っ白な生クリームと果物で飾られたケーキの皿に、アレナフィルが目を輝かせる。
「長く喋って疲れただろう。茶が冷めるまでこの炭酸入りジュースも飲むといい。その菓子は差し入れに持ってきたんだが、さっきと違ったタイプで栗のクリームが入っている」
「ガルディアスお兄様。そういう大盤振る舞いなところ、最高だと思います」
「ああ」
分かりやすく買収される人間はとても楽だ。
アレナフィルは酒で香りをつけたクリームを嬉しそうに頬張った。果物とクリームで飾られたスポンジケーキの下には栗とパイが隠れているのだが、食感も味付けも全く違っていて手が込んでいる一品だ。
さすがに子供へのご褒美なので他の誰にも出さなかったが、文句は出なかった。
「ガルディアスお兄様。これ、とっても美味しいです。どこで売ってますか? 早速買いに行くんです。これって、もしかして予約しなくちゃ駄目ですか? みんなにも食べさせてあげるんですっ」
凄い熱意で尋ねてくる様子はとても可愛い。
王宮の料理人は色々と面倒だが、ミディタル大公家の料理人は母にさえ了承を得ておけばいいので使いやすかった。
「気に入ったならまた差し入れてやる。とある来賓を交えての晩餐会で出したデザートだ」
「うわぁ」
素直な反応に、玉蜀黍の黄熟色の頭を撫でると、先程とは比較にならない程の幸せな気持ちが伝わってきた。
もしかしてウェスギニー子爵フェリルドがこの感覚に気づかないのって、慣れすぎてこれが標準仕様だと思いこんでいるだけではないのか?
小さく砕いたゼリーが入った炭酸ジュースにも香りづけの蒸留酒が入っていたのだが、幸せそうに太いストローで飲んでいる。
そこで俺は切り出した。
「ところでアレナフィル嬢。もしも君がサルートス国に、そこまで高品質高機能でなくてもいいから、そこそこ品質のいい義肢を普及させたいと思ったらどうする?」
「ファレンディアの、そういう物まねメーカーと契約すればいいんじゃないですか? あそこまで高機能じゃなくても、人間、杖や歩行補助具を使ってどうにかしているわけで、何もわざわざユウトのような一番高いところと契約しなくても、もっと安いところと契約すればいいだけだと思います」
物まねメーカーという言葉に色々と思うものはあるが、その通りだ。
最初に良い物を見てしまった大臣には気の毒だが、一般大衆的に普及させるならば最高の物である必要はない。
「そうだな。誰もが手に入れることができる価格で、取り扱いも分かりやすく、故障した際の修理やメンテナンスも容易であることが大事だ。応急処置も自分でできる程度が望ましい。一般に普及しているものとは常にそういうものだ」
アレナフィルもそのあたりは分かっているようで、力強く頷いた。
「ファレンディア人でもあんなセンターの高額製品、買える人なんて一握りですよ。どこぞの英雄だとか、王族だとかに恩を売る為に最高品質で発注がかかるってものです。つまりその後に大金が動くってことです。大体、義肢に発熱機能なんて要らないでしょ。触れば冷たく感じないって程度で十分。そこそこ関節を動かせたらそんなものでしょ。だったらカニエ製造とかサダミツセンターとか、そのあたりかなぁ。まだあるかなぁ」
「それはあのユウト・トドロキに尋ねれば分かるか?」
メーカーまでは自信がなかったらしいアレナフィルに尋ねれば、ううんと首を横に振る。
スパークリングワインと違って、アルコール濃度が高い蒸留酒だっただけに回るのが早いのか。
「それは聞くだけ無駄。ガルディお兄様だって普段はオーダーメイドな服ばかりでしょ? それこそ立派な門構えの服飾店は知っていても、庶民が買うパンツ売り場を知らないようなもん。ユウトに聞いたところで、サルマネメーカーを知らなきゃいけない理由を教えてよって鼻で笑うのがオチ。・・・知りたいんですか?」
本気で偉そうだな、この小娘。もう年上の男を呼び捨てなのか。
皆の目がなければ頭をかいぐりかいぐりしてやるのに。
「ああ、知りたいね」
「しょうがないなぁ。有料通話装置、国際通話だと高いんですよ」
「気にせずこの警備棟のを使って構わん」
しょうがないのはお前だ。
酔っぱらいを淑女扱いしても仕方がないので、俺は顎で部屋の隅にある通話通信装置を示した。
てくてくとアレナフィルが歩いていき、どこかのアドレスを左手で入力する。右手はそこにあったペンとメモ用紙に伸びていた。
すかさず立ち上がって近寄って行ったグラスフォリオンがその通話先アドレスを記憶したことだろう。
【いくつか知りたいのですが、まずキタナのカニエ製造、そしてイコマのサダミツセンターの番号を教えてください。その後、ファレンディア国全体に範囲を広げ、クラス6からクラス8までの義肢製作所を順にお願いします】
アレナフィルの唇から出た意味不明な言語は恐らくファレンディア語だ。
(少し声のトーンを低くしているのは年上に見せかけたいからか? そういう知恵は回るんだな)
俺は黙って見ていた。
【はい、構いません。カニエ製造かサダミツセンターに商談を持ちかける予定ですが、同業他社も知っておきたいだけですから】
先程アレナフィルが口にしたカニエとサダミツという単語は聞き取れたが、それだけだ。アレナフィルの手が凄まじい速さでメモ用紙の上を滑っていく。
どれ程に子供っぽいファッションで身を包んでいても、大臣達ももうアレナフィルを馬鹿にはできないだろう。
アレナフィルは戻ってくると、そのメモを俺に渡した。
「クラス6が少し高品質、クラス8がその中では低品質。これ以上、品質を下げるならわざわざ外国のものを買う意味がないの。大体の値段を聞いてあげたいのは山々だけど、時差的に営業してないし、今はあっち、夜明け前だからって割り増し料金取られちゃった」
「仕方ない。仕事が早いな、アレナフィル嬢。真ん中がファレンディア語、右側がサルートス語か」
「そうじゃないと何が書かれてるか分からないでしょ? こっちだと夕方になってからが、あっちのお昼なの」
お前は酔っぱらうと敬語がなくなるんだな。それでも有能なら許せる。
三列に線が引かれた左には数字、真ん中は意味不明な文字なのでファレンディア語、右がそれを訳したものだろうとあたりをつけたらその通りだった。
「ああ、分かりやすいな。このクラス分けでいくと、あのユウト殿の義肢クラスは?」
「あそこが扱っているのはクラス1から3ぐらい? だけどさっき説明したのはクラス3から4ってとこかな。一般人への発表作品だから」
ウェスギニー子爵家。娘が外国人と婚約したことより、産業スパイをしているかもしれないことの方がもっと重大事項じゃないのか?
なんでそこまで知っている、アレナフィル。
「で、これはどこから教えてもらった情報だ?」
「勿論、年中無休で教えてくれる番号案内サービス。誰でも通話すれば、有料でファレンディア国内の通話通信アドレスを教えてくれます。外国からだから3ローレ取られるってことだったから、警備棟の人にはガルディお兄様が責任もってお金払っておいてください。ファレンディア国内からならせいぜい30ナン程度なんだけど、そこはもう仕方ないってことで」
(※)
30ナン=30円
3ローレ=3万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として30ナン=45円、3ローレ=4万5千円
(※)
思えばアレナフィルは隠されて育っていた。
実はファレンディア国で成長していて、その間に偏食の多い男を誘惑して情報を抜き取っていたのか。あの父親なら、あり得る気がしてきた。
問題は、市立の幼年学校の出席率からしてそれが不可能なことだ。
「ふぅん。これらの会社、尋ねればアレナフィル嬢並みに詳しく価格を教えてくれるのか?」
「通話通信で教えてくれるところはまずないですね。文書通信で、外国に輸出実績があるのか、その際の値段はどれくらいなのかを、どこかの会社を使って問い合わせた方がいいです。ガルディお兄様の所の会社、使うの?」
「そうだな。良かったら問い合わせの例文を書いてくれると尚ありがたい」
貿易都市サンリラの税関事務所で皆を驚かせた能力とやらがどれ程のものかと、わざとそう言ってみたら、ふっふっふと偉そうに胸を張るエセ幼年学校生がいた。
「仕方ないですね。リオンお兄さんと一緒にフォトモデルしてくれるならやってあげてもいいです」
「・・・くっ。はは、そうだな。自宅から出さないのならやってやる」
「約束ですからね」
こいつの趣味が満開なフォトのモデルなど、まさに裸体ポーズとやらじゃなかろうな。そんなのが出回る方がまずいのだが、あの他人が入りこめない家から出さないのならば無いのも一緒だ。
妥協しないと自認するアレナフィルだが、どうやら俺達はそれなりに評価される肉体だったらしい。
(フォトモデルはいいが、お前、自分の父親にそれが処分されることも考えてるのか? よその男のプライベートフォトを持つなんざ、通常の父親なら絶対許さんシロモノだぞ)
愚かな小娘は自分のコレクションが増えるとご機嫌だが、哀れなものだ。今だけ勝利の美酒に酔わせておいてやろう。
アレナフィルは通話通信装置の所からメモ用紙を取ってきて、ファレンディア語で何やら書いていった。
女官に赤色のペンを持ってきてもらい、その文章に色々と説明事項を書き加えていく。
挨拶言葉や、定型文としてこの言葉が必要だとか、そんな感じだ。
(ただの翻訳よりも分かりやすい。エリーもアレナフィルの授業を受ける方が分かりやすいと絶賛してたが、クラセン講師の手伝いで学んだか)
初めての問い合わせの時に使う単語で、二回目からは違うものを使うといった注意事項に、道理で税関事務所が子供でも働かせようと考えたのかを理解する。
「ご褒美に今日の授業は公休ということで出席扱いにしておいてやる。疲れただろう。ちょっと休め」
「別にまだ夜じゃないですよ。お日様が出てる時間帯は元気に動く時間です」
俺が視線で命じると、酔っぱらっていたことには気づいていたグラスフォリオンがアレナフィルを後ろからひょいっと腰を掴んで抱っこする。
反射的にグラスフォリオンの首に掴まったアレナフィルは自分と同じ高さにある顔をじーっと眺め始めた。
「お疲れ様、アレナフィルちゃん。大人に囲まれて緊張しただろう。休憩室に行こうね。女性も二人、付き添いでお願いするから大丈夫だよ」
「リオンお兄さん、やっぱりもう少し色気を出してった方がいいの。そうしてると横顔のラインもきりっとしてて精悍さがとっても魅力的。
前から見ると甘い感じなのに、そのギャップにきゅんときちゃう。お隣は習得専門学校なんだよ。ぴちぴちの女の子がウハウハ。年上の妖艶系お姉様もいいけど、たまには年下の清純派もいいんじゃないかなぁ」
理性が飛んでいるのか、思っていることを垂れ流している小娘は、何か首を傾げている。幼かったエインレイドも、俺以外の男に抱き上げられるとあんな表情をしたものだ。
子供は本能的なものなのか、いつも慣れ親しんでいる存在じゃないと緊張し始める。
アレナフィルならば、どうせいつも自分を抱っこするのは父親なのにとか、そんなことを考えているのだろう。
「そうだなぁ。だけど今は仕事だけで手一杯だからなぁ」
だが、グラスフォリオンもアレナフィルには慣れたものだ。怖がらせないような口調に、アレナフィルの警戒はあっさりと消えた。
早すぎないか、おい。
警戒心が強いのはいいが、あっけなく突破されやすいのがどうしようもない。
そしてアレナフィルの目がとろんとし始めた。抱っこされたことで感じる体温に気が緩んだのだろう。
グラスフォリオンがそんな背中をぽんぽんと軽く撫でてから、俺に対して少々非難するような眼差しとなる。
「全く子供に何を飲ませてるんですか」
「はは。幸せそうな寝顔じゃないか。・・・女官長。どこか一部屋に簡易ベッドを運び、目覚めるまで二人、室内で待機させておけ。扉の前は警備員に守らせ、眠る令嬢の部屋に押し入る者がないよう手配せよ。ウェスギニー家から学校側へ怒鳴りこまれてもかなわん。レミジェス殿に連絡を入れて来校を要請し、女官長自らが事情説明し、必要ならば全ての記録を渡してアレナフィル嬢に不名誉なことは全くなかったことにご理解いただくように。そこはエドベル中尉に協力を仰げ」
「かしこまりました」
恐らくあの姪を溺愛している叔父ならばもう来ているだろう。それを言ってしまえば大臣達にこれが茶番だと気づかれてしまうので、俺はあえてアレナフィルの名誉を重視するかのようなことを命じた。
俺の命じる扱い方によって、価値を推し測られる一面も忘れてはならないのだ。
グラスフォリオンならばうまくやるに違いない。
アレナフィルを抱えたグラスフォリオンが女官長と共に出ていくのを確認してから、俺は大臣達に向き直った。
「さて、ここで俺が600ローレでアレナフィル嬢から買い取ったメモがあるわけだ。我が国にそこそこ質のいい義肢を普及させたいクラスならこれで十分と、そんな妥当なクラスのものだが」
「・・・殿下もお人が悪い」
「いや、なに。まさか王妃殿下が出向いている理由が、たかだが息子のガールフレンドにマナーを教えている為だと思われてもどうかといったところだからな。
妃殿下は、息子の代に優秀な人材になりそうな娘が母のいない子爵家令嬢と知って、今の内に資質を確かめておられた。そうと知れば私とて協力するというものだ。
先にアレナフィル嬢に目をつけたのは王妃殿下であり、私もそれを踏まえて動いている。大臣はこちらがウェスギニー家の娘を横取りしたかのように思っていたかもしれんが、見ての通りアレナフィル嬢はとっくに妃殿下の庇護下にある。あの外国人と接触したのもこちらが先だ」
くすくすと王妃が笑う。
「嫌だわ、ガルディ。私、アレナフィルちゃんをデートに誘うように言った覚えはないわよ」
「本人の資質を見極めようとするならば私的な時間を共に過ごすのが一番でしょう。あのアレナフィル嬢、肉体には虎の種、頭脳には魚の種を要求してきますからね。たまにはああいう珍種もいいものです」
「そうねえ。ガルディがフォトモデルをするなら私も見てみたいのだけど」
仲良くしていても実は不仲だという説が流れ続ける王妃と俺だが、現実はこんなものだ。
「ウェスギニー家のレミジェス殿は、姪の要求する被写体になる為、濡れたシャツを羽織らされたり、色々なポーズを取らされたりしたそうですよ。父親でさえ弟に押しつけて逃げ出すシロモノだそうですが、我が国の為、私も体を張ることにいたしましょう」
「ほほほ。だけどそのアレナフィルちゃんの文書って外交用とは違うのかしら」
王妃は俺の持っているメモ用紙に視線を向けた。
外交用ならば王宮にもちゃんと人材がいる。だが、アレナフィルはあえて民間の会社が使うそれを勧めてきた。
「国として問い合わせたならどんなに高くついても引き下がれないことはあります。アレナフィル嬢の言う通り、どこかの会社に問い合わせを出させた方がいいでしょう。ウェスギニー家のレミジェス殿が頑張ってくれたおかげで大臣も損失を出さずに済んだというのはあるでしょうが、あの情報を教えるだけでアレナフィル嬢から200ローレを取っていった男です。それは姪から報告を受けていたであろうレミジェス殿とて大臣に無料で教えてあげようとは思わなかったかもしれません」
「アレナフィルちゃんも思いきりのいい使い方をしたものね」
ほうっと広げた扇の陰で吐息を漏らす王妃だが、大臣達もまさか俺が出張らなければアレナフィルから200ローレをふんだくられていたのかと思うと、反論する気にもならないようだ。
だが、何も教えてもらうことなく話を進めていた場合、大きな損失を出した可能性が高いと、嫌でも分かっただろう。
国の運営上で言うならば大した金額ではない。だが、その金額があればもっと違うことができる。
「実際、アレナフィル嬢と本当に婚約届をサルートス国で出してしまい、ウェスギニー家の跡継ぎ息子が不慮の事故で亡くなったなら、外国人がウェスギニー子爵家を乗っ取ることも可能なわけです。そりゃあ何があろうと子爵家はサルートス国での届け出を出さないでしょう。貴族令嬢を国外へ嫁に出すような簡単なものではないでしょうね。義肢ですら様々なオプションをつけられる技術を持つ男が、ウェスギニー女子爵の婿として王宮に出入りし始めてしまったら、我が国は王宮の内側からファレンディア国に攻めこまれるのだから」
俺の言葉に、大臣達がハッとしたような顔になる。
場合によっては、自分達が国家反逆罪に加担するような危険な綱渡りをしていたことに気づいたのだ。
インコ娘が囀っている間は黙っていても、そこは一国の王妃。彼女は含みを持たせた声音で俺に尋ねた。
「レミジェス様はご結婚の予定はないのかしら」
「爵位を継がないとなると、子爵の方が人気のようですね。だが、優秀な息子と娘のいる子爵は再婚する気配がない。レミジェス殿も変に貴族と結婚してしまえばお家騒動になりかねないと考えているのではないでしょうか。レミジェス殿はかなり頭脳派だと見ましたが」
「そうみたいね。アレナフィルちゃんのお小遣いはレミジェス様が渡しているという話だったもの。子供に大金を持たせても、あの使い方を教えたのがレミジェス様なら、それこそうちのエリーの教師をお願いしたいぐらいだわ」
やがてコンコンとノックの音が響く。
「失礼いたします。ウェスギニー子爵家のレミジェス様がおみえになりました」
近衛兵が案内してきたところで、俺達は昼食を取りながら話し合いを始めることにした。
大臣達は、レミジェスに対してとても好意的にふるまっていたが、これが面の皮の厚さというものだろう。




