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51 ガルディアスはエインレイドが可愛い


 子供ってのは限度を知らんから困る。それを見守って後始末してやり、いずれ立派な良識を身につけるように導いてやるのが大人の立場だとしても。

 俺の名前はサルトス・フォリ・ラルドーラ・ガルディアス。軍では中尉として在籍している。

 現在は国立サルートス上等学校の男子寮で寮監をしているが、そこで見つけたウェスギニー子爵家の双子から目が離せないところだ。

 特に妹の方は浮かべる表情もやらかす行動も言い出すこともかなり面白くて、持ち帰って育ててみたくなる可愛さだったが、よその家の子を誘拐するわけにもいかない。

 放っておいたらピーチクパーチク囀り続ける様子も見ていて飽きないが、膝の上に座らせてうんうんと聞いてやるだけで心が和みそうだ。何よりあの相手をまっすぐ睨みつけて自論をぶちかます様子が楽しかった。

 怖がりで、何かあるとすぐにうきゃっと飛び跳ねては先制攻撃で口を動かす行動パターンも、インコが全身の羽を毛羽立てて膨らませているかのように愛らしくて、これはもう成人したら妃にくれと言うしかない。

 父親であるウェスギニー子爵からは凄く嫌な顔をされて、論外だとか言われている。

 しかしアレナフィルは単純だ。

 大人になったあいつが欲しがる物を提示してやれば、何も考えずに頷く気がしてならない。

 そりゃ数年後にはエインレイドが本気になっているかもしれんが、だからと言って今の二人を引き裂こうとは思わない。

 俺はエインレイドの心を守る為、男子寮にもぐりこんだのだから。

 上等学校に進学した途端、友達の態度が変わったとショックを受けていたエインレイドだが、王族ならみんなが通った道だと教えてやり、話を聞きながら慰めている内、アレナフィルに出会って吹っ切れたらしい。寮監専用エリアで毎日のことを笑顔で話すようになっていた。

 俺達のように抑圧されることなく、エインレイドの大切な時期を伸び伸びと過ごせるように守ってやりたい。

 サンリラにも一緒に行きたがっていたが、場所的にエインレイドを連れて行くわけにはいかなかった。

 次の長期休暇にはアレナフィルもサンリラに行かないかもしれないし、その時には誘ってやれないかと思ってはいる。今回はサンリラでの無料宿泊をエサにしたが、次は何であの小娘を釣ればいいやら。

 

「聞いておられるのですか、ガルディアス様っ」

「勿論聞いているとも。だが、そこまでぎゃんぎゃん叫ばれる覚えはないのも事実だ」


 今日も会議室は平和だ。安定の動物園だ。普通の動物園と違って可愛い生き物が全くいないので、全然心が和まない。

 なんでこんなところで老害共の顔を見ていなくてはならんのかと思いながら、俺は静かに見返した。


「たしかに私は現在、基地にて中尉の任務に当たっている。そちらで呼ばれたのであれば、お説ごもっともと言ってやってもよい。だが、王族としてこの場にいて、何を責め立てられねばならぬのか分からんな。貴族でさえあれよりももっとやらかしたことはあるであろう。私がしたことは周囲一帯の一時的な道路封鎖と二棟の建物を一時的に近衛兵により差し押さえた程度だ。それも短時間で終わり、特に被害もない」

「ですから、その強権的な道路封鎖の理由についてお伺いしたいと申し上げております」

「ただの勘違いだ」

「勘違いでそのようなことをしていいとお思いでしょうか。よくよくお立場をお考え下さい。国王陛下におかれましても、どうぞガルディアス様の権限について見直されますよう進言させていただきます。立場あればこそお気の向くままに何をなされようが構わないというものではありません。ガルディアス様は王族を離れることと発言なさったと聞いております。今になってそれが惜しくなったというのはいかがなものでしょうか」


 弱い犬程よく吠えるものだ。サルートス国王とミディタル大公兄弟は、

「考えてみればガルディはやんちゃをしない子であったなぁ」

「だからつまらん男になるのだな」

などと、こっそり話していたりする。吊るし上げにあっている俺のことを全く心配してくれていない。

 王位継承権の順位を下げてくれと言ったことが洩れて以来、こうして俺の権限を削いでおこうとする馬鹿が増えた。

 もしかして俺は、我慢しすぎだったのだろうか。


「どうやらお前は軽率であると言われているようだが、ガルディアス、何か申し開きはあるか?」

「私は、自分が軽率であるとは考えておりません。

 実は私と友人は、エインレイドの警護責任者であるウェスギニー大佐と親睦を深めるべく、大佐一家を交えて休暇を過ごしておりました。すると大佐の令嬢が、ひょんなことから外国人と知り合い、私達も身分を明らかにせず外国の話などを聞いて見識を深めておりました。

 ですが大佐は職業柄、たとえ私的な旅行であっても近づいてきた者については調査を行っており、その外国人自身には特に問題はなかったものの、その外国人とよく似た名前と特徴、よく似た年頃、そしてよく似た経歴の青年が他国にてその地域一帯に居住する数百人を殺害する毒を撒いたという情報が上がってきたのです。

 他国にてそれを成し遂げた犯人は逃亡し、今も捕まっていないとか。恐らく広がり方からして有毒ガスであっただろうと考えられます。

 私達がいたのはヴェラストール駅付近。もしそこで同じことが起きたらどうなるでしょうか。

 私は同行していた近衛のネトシル少尉及び私の警護に当たっていた士官及び兵士達に命じ、付近一帯の住民を避難させ、道路を封鎖し、そしてまずは身柄を確保いたしました。

 身柄を拘束後、取り調べた結果、彼はそのような危険物を所有しておらず、更に人間性も善良であると確認がとれました。ゆえに非礼を詫び、大佐もまたウェスギニー家の別宅に招待し、関係改善を図ったわけです。

 ヴェラストールはほとんどの王侯貴族が別宅を構える地。休暇を楽しんでいた者も多かったことでしょう。万が一のことを考えての行動を軽率と言われる覚えはありません」


 そこでウェスギニー大佐が手を挙げる。


「言ってみるがよい、ウェスギニー子爵」

「はい、国王陛下。ガルディアス殿下は皆様に対して柔らかい表現にとどめておられましたが、調査によりますと、その外国人が他国にて地域一帯を無力化し、飛行場を制圧し、母国へ逃げ帰った存在である確率は89%でございます。決して被害妄想による行動ではないと、私からも申し上げさせていただきます」

「ほう。つまり軍人であったのか?」

「いいえ。危険な薬物を所持していたか、地域一帯を無力化する術を持っていたか、荒事に()けた精鋭が救出作戦に当たったものと考えております。それだけ己に価値があると認識し、身の危険を感じて用意していたのでしょう。

 その地と同程度の損害がヴェラストールにて行われた場合、外国からの到着便や出発便にも影響が出るばかりか、付近の住民など1400人、旅行者を含めれば最低でも2000人余りの死者が出た可能性がございます」


 その言葉に、会議室にいた全員が息を呑んだ。

 なんつ―危険人物だ。肉食べたくねえ偏食野郎のくせに。

 アレナフィルの野菜多めな夕食を食べていた姿を俺は思い出す。


「また住人が死に絶えた近隣の建物には強盗が入り、ほとんどの貴族が持つ別邸が破壊され、高価な家財道具や金品の強奪が起こったことでしょう。多数の死者が出た場合、疫病が流行ることも考慮せねばなりません。その被害は、ここに出席の皆様であれば、別邸の窓や扉が破壊され、置いてある宝石や高価な衣装、金や銀製品、家具や絵画、移動車全てが盗まれることとなります。地域一帯の被害額試算表はございますが、かなり巨額となりましたのでわざわざ出すまでもないでしょう。言うまでもございませんが、王族や貴族の別邸における被害総額はそれに含まれておりません。

 それからその外国人は我が国において観光を楽しみ、ガルディアス様や他の方々とも意見交換をなさり、よい関係を築き上げてからつつがなく帰国の途に就いたことを報告いたします」


 誰もが文句を言えなくなっていた。

 その試算表を出されてしまえば、俺のしたことが完全に正しい判断となる。それ以前に人命に被害が出ていた場合、外国からの重要人物が巻きこまれていたらまさに国際問題が発生しかねない。


「も、申し訳ございません。ガルディアス様には私の浅慮をお詫び申し上げます」

「構わない。この私にたかが一部地域の封鎖程度で権限削減を申し立てたのだ。それだけの人的被害をみすみす見逃せと言ったに等しい者が、自発的にどれだけの権限を辞退するのか、興味深い」

「そ、それは知らなかったからで・・・」

「私もそうだ。その時点では情報もまだあやふやで、幾つかの条件が合致するにすぎなかった。その上で判断を下すのが上に立つ者の義務だ。無駄であったとしても責められるものではない。私はそう考えている。だが、今の時点で私のそういった考え方に対して異を唱える権限が誰にあるのか、よく己に言い聞かせよ。私の上に立つ方は国王陛下のみだ」


 そんな俺を糾弾しようとした馬鹿こそが辞職すべきだと、誰もが察した。


「も、申し訳ございません。調子に乗った私をどうぞお許しくださいませ、ガルディアス様」

「いや、私とて厳しいことを言うつもりはない。王族としてこの会議に出席していてそのような呼ばれ方をされるとは思ってもいなかったが、まずは落ち着いて健康を見直すがいい。静養し、いつか身も心も元気になった姿を見たいと私も望んでいる」

「そ、それは・・・」


 だからアレナフィルからも樹の生き方だと言われてしまったのだろう。

 そんなことを思いながら、俺はそいつに味方する者がいるのかどうかを観察する。誰に命じられてやらかしたかは知らんが、簡単に見捨てられるという現実を誰もが知るべきだ。

 俺の微笑にその意志を察したか、誰もが表情を消して瞼を伏せた。


「色々とお疲れが出ているのでしょう。君、医師殿のところへご案内を」

「はい、大佐。・・・どうぞこちらへ」

「では、その300人の死者が出た時の疫病の発生におけるその地域の汚染状況を分かっている範囲で簡単に説明いたします。それがヴェラストールで行われた場合についての試算も用意しておりますが、他国のそれで十分にお分かりいただけるかと存じます」


 さりげなく部下を使ってそいつを退出させているウェスギニー子爵だが、俺がエインレイドの為に今からうざい人間を少しでも消しておこうと思うように、彼もまたアレナフィルの盾となっている俺を攻撃する奴を消しにかかったか。

 あの顔、二度と見ることはないかもしれない。


「うっ」

「ぅげっ」

「なっ、なんてものをっ」


 会議場の壁に映し出された悲惨な映像は、遠くから望遠レンズを使ってのものだったらしい。

 外傷の有無も分からぬほどの腐乱した軍服姿や制服姿の人々、そして様々な鳥や生き物が地面に転がっていた。


「これが、その外国人が他国でしたと考えられる結果でございます。ご覧いただいたように、ここまで遺体の腐敗が広がりますと、誰もがその異臭に近寄ることもできず、更にどんな毒物かも特定できず、腐肉となったそれを動物が食い荒らすわけでございます」

「ぅぎゅっ」

「・・・おふぅっ」


 国王や王弟は平然と見ていたが、貴族の目には気持ち悪さが先に立ったらしい。生々しさに、口元を手で押さえているのは、なんとなく腐臭が漂ってきているせいか。


「まとめて焼却するしかありませんが、今度は誰が亡くなったかどうかの証拠も消えるとあって手をこまねいている内に疫病が発生し、腐臭で誰もが近づけず、この辺り一帯が封鎖され、遺体は放置されました」

「ちょっ、・・・出ておかれた方が」

「ぅっ、申し訳、ない」


 平然としているのは士官達だが、ほんのりと僅かながらも空中に漂う腐敗臭。よく見たら口で呼吸してやがる。

 しれっと国王には届かないようにしてあるあたり、芸が細かすぎないだろうか。


「同程度の被害がヴェラストールで起こった場合、こんな田舎ではなく大きな都市ですので放棄もできず、復興にかなりの年月を要することは言うまでもありません。また、ヴェラストールでは遺体の放置をするわけにはまいりませんので、巨額の特別予算を組むこととなったかと存じます」


 その説明の最後の方は、かなりの人数が席を立って駆けだしていった。吐きに行ったのだろう。苦悶の表情、野生動物に食い荒らされた死体。

 それらが腐敗臭と共に全ての壁に映し出されたのだから。


(大した臭いではなかったが、恐らく映し出す熱気でわずかに漂うようにしてあったか。・・・そこまでして娘を守るか? どこまで出し惜しみしてやがる)


 状況を見ながらどの情報を出すか出さないかを考えていたのか。おかげで俺が「大佐の令嬢」と口に出したことすら、皆の脳裏から消え去ったことだろう。

 さすがはウェスギニー子爵。誠実な顔をした悪夢。自分の娘のことなど黙殺して俺に全てを押しつけやがった。


「どうやらこの程度でも刺激が強かったようでございますね。これから本当に悲惨なものが映し出される予定だったのですが。仕方ありません。・・・君、窓を全て開け、映像を消したまえ」

「はい、大佐」


 涙目で戻ってきた老害共もさすがにもう喚く根性がなくなっていたようで、俺としてもちょっとスカッとしている。誰もが目を赤くしているところを見ると、実は手洗いスペースにはもっとひどい腐敗臭を設置していたのかもしれない。


(誠実な顔をしただけの悪夢だ。その場を離れれば大丈夫ってことは、・・・ねえな)


 くくっと笑い出しそうになっているミディタル大公は、ウェスギニー子爵が俺を庇う為に動いたことを察しているようだが、いつの間にそんな情報を集めていたのかを興味深く思っているようだ。

 ミディタル大公、俺の父親だという自覚があるんだろうか。少しは息子を庇えよ。

 皆が着席したところで、国王が口を開く。


「なるほど。そうと分かったら問題はあるまい。ウェスギニー子爵の支援あればこそだな」

「いえ。その外国人はガルディアス殿下方と同世代でして、ゆえに理解し合い、意気投合なさったようにございます。実際、彼の調査を行う直前、殿下方とは食事や酒を共にし、親しく語り合ったとか。

 身柄確保した際、ガルディアス殿下の装備に目を留めたようで互いに敵意がないことを確認後、ガルディアス殿下の装備の改良点をアドバイスされたと伺いました。そのメモ書きはガルディアス殿下より開発部へと回されており、我が国にとっては新しい技術のヒントですので開発部が奮起し、早速試作に取り掛かっております。つまり彼はそれだけの頭脳を有していたが為に他国で拉致監禁され、脱出の際に多数の死者を出したことになります」


 手柄を譲り、その恩を違う形で取り立てると言われるウェスギニー子爵。


(なあ。俺、「大佐の令嬢が、ひょんなことから外国人と知り合い、私達も身分を明らかにせず外国の話などを聞いて見識を深めておりました」って言ったよな? つまり先に知り合ったのはアレナフィルだって俺言ったよな? なんでそれすっ飛ばしてあの偏食野郎と俺達が意気投合したことになってんだよ。いいけどな)


 今回の手柄はアレナフィルの名前を出さない為の心づけだな。全ての原因は誰の娘だ、全く。

 どうせならアレナフィルの優秀さをアピールしておいてもいいかと思ったが、どれだけ情報を隠し持っているやら分からない子爵を怒らせてもメリットはない。

 俺はもう何も言わないことにした。

 これ以上、アレナフィルの名前を出そうとしたら、何を披露されるかも分からない。ここらで退転しておくべきだ。今度は俺を潰しにかかる情報を出しかねない男だけに調子に乗るのはヤバイ。

 何よりアレナフィルはいい物を手に入れてくれる予定だ。今回はそれでよしとしよう。


「ほう。さすがではないか、ガルディアス。相手を怒らせることなく、技術を簡単に手に入れてきてしまったか。住民を避難させた際も盗難などの犯罪が行われぬよう、街角には兵士を立たせたと聞いておる。よくやった」

「近衛でもベテランが来ておりましたので、治安警備隊との連携も慣れたものでした。混乱もなく終了しております」


 王城なら色々と細かい時間割もあるが、私的な旅行の警護とあればその場に応じて対応すべしとされている。だから俺はわざと士官や兵士達が楽しめるようなスケジュールを組んでやっていた。

 これでも気を遣って生きてんだよ。あいつらにも自由時間にはのんびりと塩水湖や温泉で過ごさせてやろうと思ったんだよ。ゴバイ湖なら大して警護せずとも軍の持ってる敷地内だから安全だしな。


(近衛、ミディタル大公家、サラビエ基地と、俺にはそれぞれの士官もしくは兵士がついていた。こんな会議場での上っ面ではないものが報告されているだろう。かえってウェスギニー大佐の工作部隊が一番口の堅さで信頼できるとは)


 貿易都市サンリラでもアレンルードを指導するんだから俺の警護は手を抜いていいと言ってあったのに、面白がってどの士官もアレナフィルのことを観察していたらしい。通常の貴族令嬢とあまりにも違う行動に、好奇心が刺激されすぎたのだろう。

 マーケットでの買い物でも、魚売り場で包丁を借りて(さば)かせてもらい、調味料コーナーで買ったばかりのそれをぶっかけた上で袋に入れてもらって持ち帰っていたアレナフィル。

 帰宅する時間を無駄にせず、味つけに使うテクニックだとか言っていたらしいが、そのド根性に近衛の士官や兵士達は心を射抜かれたらしい。

 ウェスギニー子爵家で幼い頃から働かされ続けてそんなにもたくましくなったのだろうと、なんだか違うストーリーが広がっていると先程聞いたばかりだが、もう知らん。

 近衛の報告はエインレイドが喜んで話を聞きたがることもあっただろうが、俺の護衛報告の筈がアレナフィルの観察日記になっていた。


「うむ。中尉では、せいぜいお前の護衛しか動かせなかったであろう。必要ならば権限を増やしても良いのだぞ、ガルディアス。今、私に何かあればそなたが次の国王なのだからな」


 実の所、権限があるからこそ無駄に命令しなきゃいけないのがかったるい。自分の力でやれるところまでやりたいのを抑える方が苦痛だった。


「権限的に不自由はございません。今後とも力を尽くしてお支えしてまいります。国王陛下もどうぞそういったことは口になさいませんよう」


 実子がいるというのに、未だに俺を王位継承権第一位に据えたままのサルートス国王。そろそろ外してもいいんじゃないですかと言うのにも飽きた。疲れた。

 うちの考え無しな父親が国王の位でも狙っているのかと言わんばかりの言動をしていても、それが咎められないのは下剋上する必要がないからだ。自分の一人息子が王位継承権第一位。王位狙ってく必要ないだろ、そりゃ。

 何も考えずに(きわ)どい発言をするのは子供の頃からだったねぇと、国王に苦笑させるミディタル大公。俺の爪の垢を煎じて飲め、不用意な発言をするなと、言うのにも疲れた。諦めた。

 俺は、もしかして耐えすぎていたのかもしれない。


「相変わらず真面目なことだ。皆もよく聞いておくように。私はガルディアスを次の国王とした決定を変えるつもりはない。実の息子より甥の方が優れていると思えば、それを否定する理由もないのだ。・・・お前も基地などに行くからだぞ、ガルディアス。私の隣で王太子として動いていれば、権限がどうこうと言われずにすむものを」

「はっはっは。心配めさるな、兄上。この弟がガルディアスより頼りになりましょうぞ。ガルディアスはまだひよっこですからな。一人前になるには人生経験が足りな過ぎだ。がっはっは」


 てめえに言われたくねえよ・・・!!

 こんな奴でも大公。こんな奴でも父親。こんな奴でも重鎮。こんな奴でも王弟。こんな奴でも・・・。

 あ、なんか泣きたくなった。いや、これも俺の試練だ。


「陛下も大公もご壮健。ならば自己研鑽にまだまだ努力してまいる所存にございます。今しばらく我が儘をお許しください」

「本当にガルディアスは成長が遅くて困ったものだ。ですが兄上、我々もまだ若い。雛から卵の殻が取れるのをゆっくり見守りましょうぞ」


 俺は耐えた。

 たまにミディタル大公をぶん殴ることができたらどれだけスカッとするだろうと考えてしまうことがある。大喜びして高価な芸術品を巻きこもうが誰を怪我させようが気にせず大暴れすると分かっているからやらないけどな。

 苦労してんだよ。これでも色々なパワー関係考えながら動いてんだよ。

 ああ、放浪の旅が俺を呼んでいる。いや、我慢だ。この程度、俺が踏ん張らなくてどうする。エインレイドを守ってやれるのは俺だけだ。

 

「では、次に長引いております避難状況と、各地域の負担状態についてですが、皆様、8枚目をご覧ください」


 今回、フェリルドは軍のウェスギニー大佐ではなく、貴族のウェスギニー子爵として会議に参加していた。それを俺は怪訝(けげん)に思う。

 普段のウェスギニー子爵席にいるのは、父親の前子爵セブリカミオもしくは弟のレミジェスだ。

 しかも今朝、兄弟で一緒にいるの見かけたぞ。弟、どこに行ったよ。

 まさかアレナフィルが保護者に無断で外国人と婚約を決め、税金を払いたくないという理由で兵器の密輸をしようとしているのだと、その時の俺は思いもしなかった。

 会議後、すぐに説明の時間を取ってほしいと言われ、巻き込まれたが。

 そんな俺を先を見ていない愚か者だと誰が言えるだろう。

 そもそも誘拐犯と婚約しようと考える貴族令嬢がいると誰が思うんだ?

 本来は止めるべきウェスギニー子爵家も苦渋の選択だった。

 娘の婚約自体は忌々しい事態だが、購入記録が残らない兵器が手に入ることを軍人としてのフェリルドは受け入れざるを得ない。俺ですらあの兵器の入手メリットを考えてしまったように。

 そして少ない台数ゆえに、このことが知られたら有象無象(うぞうむぞう)が乗り出してきて全て回収していくことを危惧したフェリルドとレミジェスは、もっと多くもらえないかと軍から娘に頼みこんでくる未来を案じた。

 だが、忘れてはいけない。アレナフィルがあの兵器を貢がせるのは、自分達のことを揉み消してくれる代償である。

 貴族令嬢が誘拐されただの何だのと言われるそれを黙っててもらいたいだけだ。

 別に顔も知らない人に差し出したいなどと、アレナフィルは全く思っていないのだ。

 そして自分の誘拐騒ぎが明るみに出るのであれば、あのアレナフィルのこと、それなら兵器はあげないと言い出すのが見えていた。ゆえに兵器が欲しければ口止めを呑ませるしかない。


(実際、誘拐されただなんて醜聞、あいつ恐れる必要ないだろ。俺もネトシル少尉もすやすや寝てたのは知ってるし。あの外国人だって執着ひどすぎだろ)


 アレナフィルは知らなかったのだ。

 既に誘拐犯とその被害者であった二人の情報を持っているのが俺達だけではないことを。あの救出作業には近衛だけではない士官や兵士達が動き、アレナフィルが誘拐されたことは十分に知られていた。

 だからフェリルドは大臣や貴族の相手を弟に任せ、俺と共に寮監をしているマレイニアル達などと個別の時間を持っていたのである。彼らの取り分の兵器を譲らせるために。

 マレイニアル達は基地所属のエリートだが、王城で行われている会議に出席できる立場ではないから俺とは別行動だった。王城では俺も王族として違う貴族や侍従達に囲まれる立場となる。

 レミジェスはその外国人との商談が駄目になったことでブチ切れた大臣の部下達に散り囲まれ、色々と対応に追われていたのだと、その時の俺はまだ知る(よし)もなかった。

 大体、あの外国人が適当にモデルとして見せた製品がそこまで価値があるとか、見てもないのに知る筈がない。

 すぐに巻きこまれたが。

 そう、この会議後、俺はその大臣率いる役人達にも怒鳴りこまれた。

「ガルディアス殿下はご自身の点数稼ぎに、有益な商談をお潰しになられたのですかっ!」と。

 大臣にとってはそれこそ自分の大きな点数稼ぎになる商談だったらしい。

 その商談とやらは、後でレミジェスに聞いたことによると、

「どうせ彼、断る気だったそうですよ。そんなの大量に輸出する手間の方が面倒で、もっと金になる製品は他にあるとか言ってましたし」

というものだったが、そんなことだって俺が知る筈ないことだ。

 繰り返すが、俺はその時点でアレナフィルの婚約も、そしてその外国人がどんな商談をキャンセルして帰国したかも知らなかったのだ。

 俺にとっては偏食なモヤシ外国人をアレナフィルが拾ってきて、その後、その男にちょっとした執着を向けられたという程度のことだったのである。

 実はかなり様々な意味で価値のある男だった外国人。


(それを骨抜きにしてるって何なんだ、あいつは)


 てかな、もうおうちでずっと閉じこもってろ、アレナフィル。

 お前は男に貢がせ、踏み台にすることしか知らんのか。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 王城といっても王族の居住エリアは違う区画に分かれている。

 未成年の子供が政務や会議に参加することはないので、エインレイドは平和に過ごしていた。


「なんか疲れた顔してるね、ガルディ兄上。アレルがくれた玩具(おもちゃ)、面白かったよ。あと少しで本物のモンスターだと思われて討伐されちゃうとこだった。大きな毛虫の衣装、着せたもんだからさ」

「はは。その毛虫みたいなダンス、部屋で一人でやってたぞ。今度見せてもらうといい」

「そうなんだ? アレルって見てるだけで面白いよね。男の子なら同じ寮で過ごせるのに」

 

 同じ顔をしていてもアレンルードとアレナフィルは全く違う。

 だから土産にゴバイ湖の塩入り純白石鹸をあげて、俺は教えてやった。


「アレナフィル嬢、今年のターラの日には石鹸に模様を彫って、母親代わりの家政婦にあげるそうだ。祖母にはシルクの布で包むとか言っていた気もするが。おまえもしてみるか、エリー? ああ、これがみんなが彫った石鹸のフォトだ。アレナフィル嬢はこの花だった」

「うわあ、面白そう。僕、ターラの日って白いお花だけだって思ってた」


 毎年、ターラの日には白い花を摘んで、エインレイドは会う女性みんなに渡していく。

 世間では色々な白い雑貨をあげたりもするのだが、街歩きもあまりしたことがないエインレイドはそういったことを知らなかった。

 物ではなく、心を大切にするエインレイド。

 いい子だ。素直に育ってくれて本当に俺は嬉しい。

 

「お前の為に、白い花園を作ってくれてるんだ。花も渡した方がいいだろうな。学校があるから、前倒しで。だけど母上や姉上には特別に石鹸をつけてもいいんじゃないか? 俺も彫ってみたぞ」

「今から間に合うかなぁ。僕もやってみたい。母上、喜んでくれるかなぁ」


 ああ、なんて可愛い子だろう。エインレイドは本当に素直で頑張り屋だ。

 お前だけは健やかに育ってくれ。誘拐されたからって、誘拐の事実揉み消しをネタに誘拐犯から兵器を強奪するような子にはならないでくれ。頼むから。


「大丈夫だ。ほら、これが本。道具だが、自分で試しに筋を彫ってみたら使いやすいのが分かる。図書室に行って図案を探すのもいいだろう。失敗した石鹸は自分で使えよ。あ、アレナフィル嬢がお前達への土産で塩買ってたから、塩は買ってこなかったぞ。塩を贅沢に使った料理をお前達とやるんだって言ってたが、クラブ長のくせしてあいつ、クラブの名称覚えてないんじゃないか」


 成人病予防で塩分を取りすぎないのがどうのこうのと言ってなかっただろうか。本当にあそこ、ただの調理クラブだな。

 それでもアレナフィルは試験前には皆を巻きこんで勉強会をするし、その際の教え方はかなり上手い。


「アレル、そーゆー子だから。あ、母上には僕が彫るの、内緒にしといてね」

「勿論さ、エリー。お前は本当にいい子だ」

「ふふっ。これでも僕、悪い子なんだよ? 歩きながらの立ち食いだってしちゃったんだ」


 薔薇色の瞳を軽くつむっていたずら小僧のような表情を浮かべるエインレイドが偉そうに言ってのけた。


「けしからんな。そんな不良に育てた覚えはないぞ、エリー。悪い子にはお仕置きにこれだ」

「え? 何これ? 地図?」

「ああ。ヴェラストール駅周辺の雑貨店や美味しい店の地図だ。案内所で配ってた。アレナフィル嬢はほとんど見てないからな。もし行く時には参考になるだろう。ウェスギニー家はアパートメントという話だったから、何ならクラブメンバー全員、邸に招待してあげればいい」


 俺が渡した観光マップを見て、エインレイドが首を傾げる。

 クラブメンバーで行くならば使用人がいないアパートメントより、世話してくれる使用人がいる別邸を使った方がいいだろう。

 あの朝ご飯を食べるウサギパジャマ姿を見ることがないよう、俺はそちらへと誘導した。さすがにアレを真似されては困る。似合うとかそういう問題ではない。エインレイドはかなりアレナフィルに影響されているのだ。


「そっか。特別急行使えばヴェラストール、日帰りだって無理じゃないって言った人いたっけ」

「日帰りだとせいぜい昼食と少しの散策程度になるぞ。せめて二泊三日だろ」


 たとえば半曜日(はんようび)の午前中で授業が終わった後に用意しておいた荷物を持って出発し、休曜日(きゅうようび)、そして祭日の起曜日(きようび)といったそれで予定を立ててもいいのだと教えたら、途端にそわそわし出した。


「そうなの? ちょっと考えてみる。ありがとう、ガルディ兄上」

「ああ」

「兄上もそうやって旅行計画立てた? どれくらい前に言っておけばいいのかなぁ」

「俺に合わせる必要はない。旅行なんて当日決めても実行できる奴だっている。そう思えば、予定予定と喚く奴は無能だと思っておけ」

「ふふ。それでもみんな下見してくれてるし。なるべく余裕持ってやってみるよ」

 

 嬉しそうに地図と本を抱える姿を見ていると、素直な子がいかに育てやすいかを実感する。

 エインレイドはいい子だ。勝手に誘拐犯と交渉しないし、勝手に兵器の密輸を考えないし、勝手に婚約したりもしない。

 普段、男子寮で生活しているエインレイドなので、侍従達も一緒になって石鹸を彫るのに協力するだろう。また連休を利用してちょっとした旅行をするのであれば、侍従達の出番だ。


「ああ。今の内にしたいことはやっておけ。ちゃんと協力してやる」


 エインレイドの頭を撫でてから、俺はウェスギニー家が貴族棟に持っている部屋、つまりレミジェスの所へ向かった。さすがに彼には同情を禁じ得ない。

 サンリラでの税関事務所の件を聞きつけ、役人や女官のスカウトばかりか、実は子爵領内で令嬢を幼い頃から働かせていたのではないかと、変な調査まで入ったらしい。そのあたりは市立幼年学校の出席率でどうにか疑いを晴らせたそうだが、マレイニアル達が酒場で働いていたのではないかと疑ったのと同じである。

 アレナフィルのやらかしたことは、あまりにも子供のすることではなかった。

 自宅では変な客がやってくるかもしれないと、双子はウェスギニー子爵邸にて過ごしているとか。たしかに前子爵の所にいる方が安全だろう。

 今、アレナフィルに変な大人が接触しない為に。

 同い年なのにうちのエインレイドと比べて悪ガキすぎないだろうか、あの子爵家令嬢は。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 そんな長期休暇もいつかは終わりを告げる。俺は寮監として男子寮に戻った。

 子供は気楽でいい。喧嘩したとか、物がなくなったとか、勝手に菓子を食べられたとか、色々な経験を経て大切なものはきちんと自室に鍵を掛けて保管することを覚えていく。

 長期休暇どころか、王城にいたら休みなどない。国立サルートス上等学校の男子寮に戻ってくると、やっと煩わしいことが終わった気がした。全く終わってはいないのだが、もう知らん。


「せんせー。鼻血用に使うから、冷え冷えペッタン、貸してくださぁい」

「あ。せんせー。それ、できれば二つ」


 新学期が始まる為、寮生達もちらほらちらほらと自宅から戻ってきているのだが、何故か患部を冷やす商品を借りに来る奴が多い。


「今日、そんなに暑い日じゃないだろ。うだったのか?」

「菓子の食いすぎかもしれないな」

「久しぶりに会った早々、喧嘩したとは思えんしなぁ」

「念の為、買い増ししてこよう。夜になって店が閉まってからじゃ遅い」


 発熱や咳ならば感染を考えて少しは慌てたりもするが、特に発熱もしていないとか。そんな感じで昼が過ぎたが、夜になるといきなり増えた。


「先生っ、すみません、冷え冷えペッタン貸してくださいっ。洗って返すので、できればタオルも」

「せんせーっ。借りた本を切ったとかで喧嘩が始まってますっ」

「すみません、気づいたら隣の部屋の奴が鼻血出してたんですっ。どうすればいいですかっ」


 これはいったい何の騒ぎだ。

 さすがに放置できないと冷え冷えペッタンだけじゃなく氷入り枕も用意して向かえば、なんと上級生達の部屋にはいかがわしいフォトブックが何冊もあった。

 どうやら回し読みしていたらしいが、それで早く寄越せと喧嘩になり、更には過激すぎる内容に鼻血を出し、しかもお気に入りの女の子のページを勝手に切って壁に貼った寮生が出たものだから殴り合いになったそうだ。


「彼女はっ、僕だけの女神なんだっ。見ないでくれぇっ」

「これはみんなのものだって言っただろうっ」

「もう一回借りればいいじゃないかっ」

「いやだぁあっ。他の奴らに汚されてしまうぅっ」


 我が国の女性用水着とは、首から手首、足首まで覆うタイプであり、更にフリルやリボンなどで体形があまり露骨に出ないものである。

 そのフォトブックにおける水着は、肌の露出面積があまりにも高すぎた。下着姿もとても過激だった。

 ・・・ああ、うん、そりゃ鼻血出すよな。


「お前ら、これ、どこで手に入れた」


 いや、入手ルートは分かっていた。何故ならそのフォトブックのタイトル他は外国語で書かれていたからだ。フォトに国境がなかっただけだ。


「えっと・・・。あの、一年生のウェスギニー君にもらいました」


 そうだろうとも。

 あと一回でも騒ぎを起こしたら全部没収すると告げ、皆が見た後で、欲しいページを仲良く分け合うように指導し、俺達はアレンルードの部屋に行った。

 肝心の本人はけろりとしたものだ。


「うちの妹からいかがわしい本をもらっちゃって、だからいつも世話になってる先輩達にあげたんですよ。そしたら過去の試験問題もくれるっていうし。だって僕、ああいうふしだらな本を見て喜ぶ年じゃないし。・・・え? エリー王子には見せてもないですよ。どうしてそんな嫌がらせしなきゃいけないんですか。ああいう破廉恥(はれんち)なのは、もっと大人になって、それもこっそりすることじゃないんですか?」


 アレンルードは欲しい人にあげようと思い、

「もらいものだけどお土産でーす。日頃お世話になってるからぁ」

とか言って、クラブに連れて行ってくれたり、たまにお菓子をくれたりする上級生達に配ったそうだ。

 そしてそれを見ていた寮生同士、貸し借りし始めた結果が鼻血祭りだった。

 アレンルードは自分がそういうことに興味ないこともあり、同学年には配らなかったらしい。

 ・・・・・・アーレーナーフィールー。お前って奴はぁ、なんで兄にあんな本を渡してやがる・・・!

 配ったアレンルードは、

「女の子の下着姿のフォトブックなんて、そんなの見るわけないでしょう。僕達、まだ一年生なんですよ」という、とても清らかな少年だった。汚れているのは、兄やその友達が喜んで見るだろうと考えた妹だけだった。

 まだ同学年の寮生には見せず、上級生の所へ持って行ったところにも配慮が見られる。全く配慮が見られないのはアレナフィルだけだ。

 父親に苦情を入れてやろうかと思いはしたが、もらった寮生達が喜んでいるのも事実である。

 仕方ないから俺達は肩をすくめ、目こぼししてやることにした。先にもっと過激なフォトブックを俺達も追加でもらっている。あれはもしかしたら賄賂だったのかもしれない。


(エリーに見せなかったならいいか。アレンルードはそういう点、ちゃんと常識がある)


 そんなことを思って迎えた新学期。

 アレナフィルは自分の兄だけじゃなくクラブメンバーにまで、下着や水着姿の少女がポーズを取っているフォトブックを土産として渡したらしい。

 エインレイドにはそんなものを見せまいとしたアレンルードの気遣いは無と化した。

 何故ならアレナフィルはそれを悪いことと思っていなかったからである。そう、アレナフィルはいいことをしているつもりなのだ。

 エインレイドは本を見て、自分が知らなかった世界を知った。


「あのね、こういうのを上級生にあげたら、色々と融通してもらえるんだって聞いたんだ。そういうやり方って学校じゃ教わらないものなんだね。

 ところで、女の子とお付き合いしたら下着を贈るものなの? そういう時のセンスを、こういうのを見て勉強しなきゃいけないって本当? 僕、女の子の下着だなんて、ちらりと見えた時でも目を逸らすようにって習ったんだけど、もう少し僕も大人になったらそういうのを選ばなきゃいけないの?」


 エインレイドがアレナフィルセレクトとかいうフォトブックを抱えて寮監エリアの方へやってきて、そんなことを尋ねたものだからアドルフォンがまず発狂した。


「うちのエリー王子になんつーこと教えやがったあっ、あんの非常識娘ぇっ!!」

「え、えっとね、アレルね、サルートスの常識が外国の常識とは限らないんだよって言ってたけど。僕、は、恥ずかしいけど、そういうことなら、ちゃんとマナーとして、理解しなくちゃいけないかなって・・・」


 耳まで真っ赤になって、そういう文化もあるのならば否定しまいとするエインレイドの真面目さは立派なんだが、どう考えても何かが違う。


「エリー王子。そのいかがわしい本はこちらで預かっておきます。もう少しあなたが大きくなって、そして見ても平気だなって思える時がきたら、ここに取りに来てください。アレルちゃんの常識は世界の非常識ですよ」

「あ、うん。みんなもそう言ってた」


 穏やかな口調でレオカディオがフォトブックを回収し、本棚の一番上に置いたかと思うと、ちょうどそこにあったテーブルナプキンをかぶせてタイトルも見えないようにしてしまった。

 全く、男子寮でエインレイドがとんでもないことを覚えてしまったら、王城の侍従達にどんな文句をいわれることやらだ。

 ナイスだ、レオカディオ。


「えっとね、・・・アレル、女の子の真っ赤な下着をバラみたいな形に折って包装した『パンツのバラ』がお店の男性用下着売り場で売ってるって言ってたけど、みんなもそういうの買って恋人に贈ってるの?

 本物のお花よりパンツのお花の方がいいの?

 僕、パンツは用意されてるから下着売り場って行ったことないんだけど、やっぱりそういうのも世間知らずなの?」


 バキッと凄まじい音がして、マレイニアルの手元にあったトレイが破壊された。

 うちの素直なエインレイドがアレナフィルによって汚染されていくのだが、保護責任者は何をやってやがると言いたい。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 アレナフィルの送迎は警備棟から出しているが、スケジュールを変更して昨日の夕方と今朝の送迎はグラスフォリオンが行ったと聞いていた。

 それ自体はどうでもいいが、どうやら警備棟のメンバーはアレナフィルにどんな顔で会えばいいのかが分からなかったらしい。

 アレナフィルのフォトブック汚染は、恥じらうべき少女が平然としていて、何故か男の方が恥じらうという結果をもたらした。

 紳士たる者、令嬢に対して下着の話などしていい筈がない。ゆえに何も言えない。言えないだけにどうすればいいのか分からない。


「だってアレナフィルちゃんのお土産、こんなすっごいエロエロ本だったんですよっ」

「しかも王子やクラブメンバーがもらったのに比べてかなり過激じゃないですかっ。クラブメンバーに渡されたフォトブックですら、とんでもないレベルでしたよっ」

「えっと、まあ、いいスパイスには、・・・なった、のかな? えっと、負けないとか、言ってくれちゃって。・・・えへ」

「どんな顔してアレナフィルちゃんに会えって言うんですかぁっ」

「妻になんて言えば・・・!」

「こんなのを持ってるの見られたら、うちの家庭が崩壊しますぅっ」

「えっと、俺の恋人は恥ずかしがってましたけど、・・・なんか下着、可愛いとか言って、持ってきました。あれ? 取り上げられた、のか・・・?」

 

 若干名(じゃっかんめい)、微妙な反応はあったが、エロスがエロスすぎるフォトブックを土産にどどんっともらってしまったということで、警備棟はアレナフィルを避けるようになっていたのだ。

 グラスフォリオンはとっくにもらっていたので、今更だったらしい。


「あいつは男を振り回すことしか知らんのか。父親に苦情入れとけ」

「ウェスギニー大佐は多忙により非常事態以外は連絡不要、代理権限をフォリ中尉にとのことです。この場合、フォリ中尉に苦情を入れておくのでしょうか」


 警備棟の責任者であるエドベル中尉エイダルバルトがきっぱりと言いきったが、アレナフィルからフォトブックを代表で受け取ったのは彼じゃないのか? なんで俺が対応しなきゃならないんだ?

 娘が娘なら父親も父親だ。仕事を何だと思ってやがる。

 俺よりも年長のエドベル中尉だが、同じ中尉でありながら俺に対して変な反発がないのは、あまりにもアレナフィルが何かとやらかし続けているからだろう。

 これで自分がウェスギニー大佐からの代理権限を任されていたら、様々な方面からの苦情を一身に集めなくてはならなかったから助かったと思っているに違いない。

 税関事務所でアレナフィルが色々とやらかしたというので、学校長に何度も連絡が入ったことを、彼も知っていた。更にはサルートス国における発禁本ときたものだ。貴族令嬢のやらかすことじゃない。

 今やアレナフィルは、本人は何も分かっていない台風の目と化していた。


「エリーもアレンも、欲しい奴に譲るということで対応した。我が国で売買は禁止されている発禁本だ。適切に処分するように。・・・ところで今朝からお茶会練習が再開だったな?」

「はい。王妃様も到着なさって、先程から女官達がフロアを占領しています」


 レンノ少尉候補生シルベールが報告してくる。

 立場上、王城に所属する近衛兵達に譲らなくてはならないものもあり、ある程度の警備はしているものの、一時的に権限があちらに回っているのだ。


「アレナフィルちゃんも元気に始めてると思いますよ。なんかせっかく素敵なフォトブックあげたのに、みんなが文句言うってブツブツ言ってましたけどね」


 グラスフォリオンは長期休暇中、アレナフィルに髪型や香水までいじくられていたが、怒ることもなく楽しんでいた。

 今も面白がっているのだろう。

 アレナフィルの非常識っぷりは貴族の娘としてはあまりにも問題がありすぎるが、貴族社会に紛れこんだ生き物だと思えば楽しめる。本人に悪気がなく、全てが善意だと分かってしまえば余計に目が離せない存在だ。

 さすがに王妃相手のお茶会レッスンであんなフォトブックの愚痴は零さないだろうが、アレナフィルはその今一つが信じられない。


「今日はターラの日だからな。朝、渡してもらうようにしておいたが挨拶ぐらいしておくか」


 ターラの日とは、昔の若い国王が窮地にあったところを助けてくれた女性に感謝する日ということで、権力を取り戻した後で決めた日だ。休日扱いにはならないが、自分よりも年上の女性に白い何かを贈る日となった。それも高価なものはセンスが悪いとされ、あまり気張らずに白い花を贈る人が多い。

 その時、その女性が暮らしていた家の庭に白い花と青い花が咲いていたというので、一般家庭だと祖母や母には白い食器を、他の家族は青い食器を使ったりすることで、感謝を示したりもする。勿論、花は別に贈る。

 職場だとかなり男性にとって試練な日だ。恨みを買わないようにと、白と青それぞれのカラーで二粒の飴を包んだ棒付きキャンディセットが売られている。年上だろうが年下だろうが、白も青も入っているから女性にばらまくにはちょうどいいだろうというものだ。

 見ただけで年上って分かるものじゃない。一目で相手が年上女性だと分かるからいいってものじゃない。

 何を考えて厄介な日を決めてくれたのか、俺のご先祖様。


「あのもの知らず娘、ターラの日ぐらいは知ってんだろうな」

「またまたぁ。ちゃんとアレナフィルちゃん、知ってますよ。だから石鹸に模様を彫ったんじゃないですか。ま、オーバリ中尉なんて今日は基地に報告に行かなきゃならないってんで、あのドクロマーク彫った石鹸、持ってくとか言ってましたけどね」


 一緒にアレナフィルの誘拐騒ぎをどうにか隠蔽した仲間だと思えば、お互いに言葉にできない気安さも生まれるというものだ。

 アレナフィルがあの外国人と婚約したと知ってかなりショックを受けていたグラスフォリオンだったが、三年で解約とか、密輸として税金払わずに輸入するとか、あの男と婚約したことにより今までの年上趣味をかなぐり捨てて同世代との恋愛重視に移行したとか聞いて、女神様に地上の法と常識は適用されないとかブツブツ呟いていた。

 皆が怪しんでいた通り、あの男とは前からの知り合いだったらしいが詳しい事情は家族にも口を割らないらしい。そしてアレナフィルは自分よりも年上のあの男を、自分の婚約者という名前の使い走りだと見なしているとか。

 やはり結婚詐欺をしていたのか。それを今度は家族公認、相手も了承の上でやらかすのか。

 結婚できない未成年の時だけ婚約者として使い倒し、成人する前に婚約破棄するのだと家族に説明してのけたアレナフィル。

 しかもそんな屈辱的な扱いをあの男は嬉々として受け入れたとか。

 どこまであいつは男の純情を踏みにじって生きていくつもりなんだろう。


「女上司に迫られるのイヤとか言ってただろうに。ドクロデザインは時に、死ぬまで共にって意味があるってこと知らんのかよ。婚約の贈り物の裏側に彫ったりとかな」

「・・・知らないかもしれませんね。昔の上流階級で流行ったそれって一般的でもないですし。あ、女上司って貴族でしたっけ」


 俺とグラスフォリオンは顔を見合わせた。

 それこそ「え? これってプロポーズ?」と、思われても文句は言えないモチーフだ。だが、教養のない貴族なら知らないこともあり得る。その女上司はどちらだろう。

 今からでも止めてやるべきだろうか。

 

「いや、人の恋路に首突っ込んでも意味ないだろう。もうとっとと捕まっちまえ」

「そうですね。ざまぁ見やがれってんだ」


 貿易都市サンリラでアレナフィルと同じ302号室に入りこみ、着ぐるみウサギにモーニングコーヒーと「朝のベーコンですよ。はい、あーん」サービスをしてもらっていた奴にくれてやる情けなどない。

 俺とグラスフォリオンはライバルと言えばライバルだが、実はけっこう馬が合う。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 発禁というのはつまり販売が許されていないわけで、贈与となればその取り締まりから外れてしまう。アレナフィルはそこをきちんと理解していた。

 だから警備棟と近衛との間で我が国では発禁とされているエロスに満ちたフォトブックのやり取りが行われたことを黙認した俺は、酸いも甘いも嚙み分けた理解ある男のつもりだ。

 女だって男の目がないところでは非情と言ってもいいランク分けをしている。聖人などいない、それが世界の真理だ。それなら男がそういういやらしい本を愛読したところでいいじゃないか。

 この世界に汚れなき者がいるとしたら、エインレイドとアレンルードだけなのか。いや、どっちもアレナフィルに夢中じゃないか。どうしようもなく汚染されている。


(それでもなぁ、アレナフィルの根底に悪意はない。だからかえってアレナフィルを自分の中の基準にした方が、変な思惑に騙されないだろうと思うと引き離せないところだ。ただ、アレナフィルはあまりにも非常識すぎる)


 困った子爵家令嬢だが、一緒にいることでエインレイドはアレナフィルの(したた)かさをぐんぐんと吸収している。自分がしたことの後始末を人に押し付ける手際など、あそこまで堂々とやられてしまうとエインレイドも「あれ? 僕って貴族の侍女達に世話されている王子じゃなかったっけ?」と、なるらしい。

 だからこそ違いが際立つのか。

 アレナフィルは二人きりの時はエインレイドに敬語で話すことで気を遣っているつもりらしい。日頃は礼節を忘れずにいても二人きりになるとこっそり親身になった口調で会話してくる侍女達に慣れているエインレイドは、そこで「やっぱりアレルって何かが違うよね」になるようだ。

 そんなことを思いながら王妃とアレナフィルが茶会の練習という名前のお喋りをしている部屋に向かえば、廊下や給湯用の部屋を行き来している女官達がにこにことしていた。


「おはようございます、ガルディアス様」

「おはようございます」

「おはよう。何かいいことでもあったか? みんな機嫌がよさそうだ」


 王妃付きの女官や侍女ともなれば、俺の子供の頃もよく知ってる間柄だ。


「今日はターラの日でございましょう? 前倒しでエインレイド様からお花を頂いておりましたけど、今年はちょっとしたおまけも頂戴してしまいましたの。ほほほ、私共との合作ですのよ」

「合作?」


 何のことだと思えば、どうやらエインレイドは石鹸に模様を彫ろうとして失敗してしまったらしい。削りすぎたり、あと少しというところで変な部分を彫ったりしてしまったそうだ。

 こんなにも無駄にしてしまったと悲しそうなエインレイドに対し、女官や侍女達は知恵を絞った。

 そうして白い石鹸を全て刻んでしまい、精油を振りかけて、小さな白い布袋に少しずつ詰めたのだとか。


「ポケットに入れておけば香りも良く、出先で手を洗う時にさっと使えますもの。それを今、試してみたらなかなかいい感じでしたのよ。普段はあまり香りの強いものはよろしくないのですけれど、今日はターラの日。エインレイド様から頂戴したものとなれば、手からこうして花の香りが漂うのも素敵なものですわ」

「なるほど。香水と違ってシンプルに花の香りであれば好ましくもあり、他の香りと争うものでもないか。エリーもいい相談相手を見つけたな」


 同じ年頃の少年達を男子寮で見ているせいか、エインレイドもそれなりに乱暴なことや粗雑なことをしたがるようになってきているが、そのあたりはバランスをとってやるしかない。

 俺は王城では今まで通りのおっとりとした王子として、そして学校では周囲に合わせて振る舞うことを少しずつ教えていた。そういう意味で、いずれアレンルードはいい手本になるだろう。

 アレナフィルに比べてかなり乱雑で粗野だが、それでいてアレンルードは貴族としての嗜みも身につけている。


「ガルディアス様がどこにもいないって、落ちこんでおられましたの。もうお元気になっておいででしたか?」

「ああ。友達から休暇の過ごし方を聞いて、昨日は大興奮だった。友達同士でのお泊まり会にも憧れているようだ。次の長期休暇の前にエリー付きと相談しておいてくれないか」

「かしこまりました。奥方様に相談の上、然るべくお望みどおりになりますよう手配いたします」

「頼んだ」


 この敷地内で王妃のことを奥方様、アレナフィルのことをお嬢様と呼ぶようにしているのは、いつ誰が警備棟に入ってくるか分からないからだ。ここまで出入りするようになってしまえば形だけだが、あくまで王妃はこっそりとやってくる素性の知れない貴婦人なのである。

 別に俺がいるのだからエインレイドを連れ出すことも、勝手に予定を決めることもできないわけじゃない。だが、城の居住エリアでエインレイドのことから切り離されたと、不満を募らせた侍従達に暴発されても面倒だ。

 彼等にとっては王族に仕えることこそが存在意義であり、生き甲斐であり、誇りなのだ。はっきり言えば、爺さん達に泣かれてもうざい。

 予定通りに一人暮らしをするのであれば世話役としてエインレイドに仕え続けられたものを、今やエインレイドは男子寮の生活を気に入ってしまい、一人暮らしをする気が完全消滅状態だ。

 おかげでエインレイドがたまに王城へ戻ると指一本動かす必要もない程だとか。これもエインレイドに対する忠誠心なのか。

 

「それで皆が廊下に控えているとは珍しいな。茶会の練習役として参加していないのか?」

「いえ。奥方様がお嬢様と二人きりになりたいと人払いをなさいまして・・・。ですから今しばらくガルディアス様もおいでになりませんよう」

「人払いするような話題が出たのか?」


 アレナフィルも名乗らない貴婦人の素性を察しており、何かとエインレイドのことを相談しているようだ。わざわざ人払いをしたとは、かなり繊細な話題だったのか。

 女官はしばし躊躇ったが、その内容を分かっている範囲で明かした。


「実は、休暇中のことで、お嬢様がお金の使い方について言及なさり、奥方様が、もしかしてお嬢様をお金の力で婚約を迫ろうとしている者がいるのではないかと心配なさって、事情をお聞きしようとしたのでございます。お嬢様は人に聞かれるのも恥ずかしい事情があるからと。・・・お嬢様の名誉もございます。お通りになりませんように」


 どうやら女官長は、ウェスギニー子爵家の台所事情もあるのだから、そういうことについては触れてやるなと言いたいらしい。

 たしかに貴族令嬢など、ドレスの代金が捻出できないとか、あまり高価な宝石が買えないとか、そういったことを恥ずかしくて口に出せないことはある。そんなことを男に知られたくはないだろうと、それは今まで様々な没落を見聞きしてきたがゆえの情けか。

 だが、相手はアレナフィル。切なげな顔の裏で男の肉体を品定めし、被害者ぶった言い分で男の服を脱がせて落とし物扱いするようなアホ娘だ。


「いいから通せ。言っておくが、あの小娘は金で買われて泣く泣く嫁ぐことを了承するような乙女ではない。名誉も何も、自分が可愛ければ黙って金を出せ、勿論返す気はないと、男の胸倉を掴んで恫喝するような奴だ。守るべき名誉の方向性が正反対だ」

「んまあ。ガルディアス様の胸倉を掴んだのですか?」


 さすがに女官が目を丸くした。

 たしかに俺の胸倉を掴もうとするのは、アレナフィルの身長と体格では難しいだろう。


「いや、違う。俺達はホイホイあいつの買い物に金を出してたからな。おかげで茶やコーヒーも甲斐甲斐しく運んできてくれたが、あいつは自分を無力な少女と侮って連れ去ろうとした奴に対し、刃物を突きつけさせた上で首を絞めて脅迫したんだ。そいつは移動車数台分の慰謝料をふんだくられて、二度としないことを約束したぞ。あの可愛さに血迷っただけの金持ちだったからな。ああ、全ては父親の手の中で終わっている。口外無用だ」

「承知しております。・・・ですがガルディアス様、その時何をしていらっしゃいましたの?」


 子供から目を離したのか、男が何人もいてどういう体たらくかと、責める気満々だ。

 俺は嘆息した。あの可愛さに誰もが騙されていると。


「当事者達に分からないよう、その様子を眺めていた。少しは怯えるかと思ったら、凶器をもった双子の兄を背後に従えた上で、その一幕をなかったことにしてやる慰謝料交渉だ。助けに入るタイミングを見ていた全員が脱力するってもんだろう。アレナフィル嬢を溺愛している筈のウェスギニー家の男達全員が、その男に同情して優しくしてたぞ。その誘拐騒ぎも、アレナフィル嬢の行動がおかしすぎて話を聞きたいと、あっちも放置できずにしただけのことだったからな」

「なんと素晴らしい。道理でエインレイド様が明るく強くおなりになったわけでございます」

「精神的にたくましくはなってるようだな。何にせよ、アレナフィル嬢の価値はあちこちで急上昇だ。何があろうと守れ。だが、とりあえずはここを通せ」


 命令し、無理に通るのもできないわけではないが、したくない。俺にとっても母親のように面倒を見てくれた女性だ。 


「かしこまりました。どうぞお通りくださいませ」


 彼女が腰をかがめて俺に礼を取れば、廊下にいた誰もがさぁっと端に寄る。

 音を立てぬように扉を少し開ければ、中の会話が聞こえてきた。


『どんなに父に喜んでもらいたくても、私はまだ子供。どうしてもお小遣いの予算の関係で、やはり安いお酒を選んだり、二種類のお酒をあえて一種類だけにしたりと、そういうやりくりはありました。ですが何と言うことでしょう。寮監先生達は、私が予算の関係で諦めたお酒を自分達が買い、更には一緒に飲もうと言ってくれたのです・・・! 私はあの時、まさに使えるお財布の大きさが違うという意味を実感しました』


 俺が黙って女官達を振り返ると、お金問題はお金問題でもかなりせせこましいお金問題だと彼女達も悟ったらしい。


「な? 子爵家が金に困っているかもしれない名誉問題じゃなく、未成年がそこらの酒屋で酒のボトルを小遣いで買おうとする際のやりくりだ。しかもあいつが買う為には俺達大人が同行してなきゃならなかった。あいつは子供に酒は売ってもらえないことを知っている」


 女官達も、何やら踏ん切りのつかない顔で頷く。

 今まで様々な貴族令嬢を見てきたが為に、金銭問題と言えばもっと大きなものだという思い込みがあったのだろう。

 何の為に自分達は人払いされたのかと、そんな表情だった。


『そして、それは始まりに過ぎなかったのです』

『始まりにすぎなかったの?』

『はい、始まりにすぎませんでした』


 重大な真実を語ろうとしているかのようなアレナフィルだが、多分、警備棟そして寮監の誰もそんな口調に騙されはしないだろう。

 だが、王妃フィルエルディーナは真に受けた様子だ。


「まさか、あの子達、アレルちゃんにまでお酒を飲ませたんじゃ・・・」

「あ、いいえ。それはありませんでした。私、子供なのでお酒はまだ飲めないのです。その代わり、私は寮監先生達の為に、グラスに氷とお酒を入れて出したり、何かつまめるものを作ったりしていました。だって、そうすれば寮監先生、父にもそのお酒を勝手に出していいと言ってくれたのですから。私は自分の労働で、自分のお小遣いでは買えないお酒を父に貢ぐことにしたのです」


 俺が来たことに気づいた王妃と、俺の後ろにいた女官達が反応に困った表情を浮かべる。

 アレナフィルは、まさに一片の曇りもない明るい口調で当時の決意を高らかに表明していた。


「貢いじゃうの、アレルちゃん」

「はい。だって私、父が世界で一番大好きですから。愛に殉じる私を愚かだと人は言うのかもしれません。だけどこの愛こそが私の人生を輝かせている、・・・そんな気がするのです」


 理解できずに繰り返してしまう王妃と、分かってもらえたと思って余計に掘り下げて語る小娘との温度差が甚だしい。

 別に娘に貢いでもらわなくても、父親はそれぐらい平気で買える。子爵邸には常備されている。なんで娘の父親に対する愛が、よその男に買わせた酒なんだ。意味不明だろ。

 女官達も、自分達が思っていたのと違うステージであることを実感したようだ。


「だからってあなたにお酒の給仕をさせるだなんて。たかがお酒じゃないの。どうしてガルディ、そんなひどい子になっちゃったの」

「いいんです、レイディ。だって私、父の為ならそれぐらい我慢できますから」


 俺に対し、どういう理由があろうと子供に酒の給仕をさせるなと糾弾してくる王妃は、まさに金に物を言わせて少女を好きにしているといったそれをイメージしたのか。

 そんな俺にも言い分はある。嬉々(きき)として酒の蘊蓄(うんちく)を語っていたのはそこの被害者ぶってる小娘だと。


「誰も通すな。さすがに子ダヌキの表現詐欺を糾弾するのを見せるには忍びない」


 俺は小さく命じて後ろ手に扉を閉めた。

 そして、玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の頭をがしっと掴む。


「んきゃっ!?」

「何を俺達がお前にひどいことをしたって流れになってるんだ、ウェスギニー。そもそも俺達はお前とウェスギニー子爵二人であの一戸を使えるようにしておいたのに、次から次へと男を引っ張りこんだのはお前だろうが。最初に妻帯者、次に二十代独身男。お前はどれだけ男に飢えてるんだって言われても仕方ないところだったって分かってるか、ん?」

「痛い、痛いですっ。レイディ、この乱暴な寮監先生が私をいじめますっ」


 アレナフィルは馬鹿だが、頭は悪くない。誰に助けを求めるべきかを即座に判断しやがった。


「ガルディ、女の子にひどいことをしないでちょうだい。いきなり頭を掴むだなんて可哀想じゃないの」


 さすがに俺もこの人には逆らえない。仕方ないので生意気インコの頭を解放した。

 ふうっと安堵の吐息をついたかと思うと、アレナフィルは菓子に手を伸ばしてパクッと食べ始めた。

 ウェスギニー家、娘を甘やかしすぎだ。いつも後始末をしてやってるから、誰か来てくれたらもう一安心だと思ってトリ頭が全て忘れるんだろ。


「ひどいのはアレナフィル嬢の方ですよ。全く次から次へと問題を起こすくせに、終わったらもうそれを忘れているのですからね。見てください。あなたに助けてもらってもう一安心と思ったら、菓子食って平和そうにしているじゃないですか」


 俺はウェスギニー家の保護者じゃない。びしっと指摘した。


「ちっ、違いますっ、フォリ先生っ。これはお茶を飲んで心を落ち着かせようとして、だけど心がドギマギして恐怖に震えていた私は、間違ってお菓子に手を伸ばしてしまっただけなのですっ」

「そんな間違いがあるかっ」


 言い逃れにも程がある。

 出来の悪い言い訳でも許してくれる保護者ばかりに囲まれているから、こんなアホができあがるのだ。


「そうね。アレルちゃん、お菓子食べてると本当に幸せそうな顔になるわね。だけどね、ガルディ。アレルちゃんはまだ子供なのよ。そこまで怒らなくてもいいんじゃないかしら」

「あんな悪知恵を働かせておいて、子供と言い張るものでもないでしょう。聞いてください。このアホ娘、勝手に婚約したんですよ。それも親の了解も得ずに」


 恋愛や婚約といったアレナフィルに対する接触は、国王の命令により凍結されている。

 だから「親の了解も得ずに」というところを俺は強調しておいた。


「親の了解を得ない婚約だなんて、それは不可能じゃないかしら。届け出を出さない口約束なら可能でしょうけれど、それは婚約と認められないもの。つまりボーイフレンドと結婚を約束しちゃったのね。休暇中、そんな情熱的な恋人ができちゃったの、アレルちゃん?」

「ち、違います、レイディッ。あれは無駄なお金を払う必要はないという庶民の知恵っ。無駄な出費をなくす為の節約術なのですっ」


 王妃フィルエルディーナは、まさに何も知らない少年少女の「大きくなったら結婚しようね」「うん。約束よ」を思い浮かべたようだが、アレナフィルの否定がひどすぎる。


「まあ。アレルちゃんったら節約で婚約するの?」


 自分が知らないだけで世の中には節約による婚約というものがあるのだろうかと、フィルエルディーナの眉根が寄せられた。

 自分が身分制度の頂点にいることを知っている貴婦人は、自分よりも恵まれない立場で生きている令嬢には様々な事情があるのかと考えたものの、どんな状況なのかが分からなかったらしい、

 だから俺はすぱっと言った。


「違いますよ。こいつがやろうとしているのは密輸です」

「何てことを言うのですかっ。密輸じゃありませんっ。あれは限られたお小遣いの中でより良い物を手に入れるという、賢いお買い物術なのですっ」

「お前は1ナン硬貨 (※) すら出してないだろっ」

 

(※)

1ナン硬貨=1円

物価的には1.5倍。つまり1.5円

(※)


 先程まで立場の弱い子爵家の娘に対して同情的だった王妃は、やはり長い付き合いである俺の言葉と人間性への信頼を取り戻したようだ。

 紺色の瞳には、アレナフィルが何をやらかすか分からない少女だったということを思い出したがゆえの理性が湛えられている。

 俺は椅子を引き出して座った。


「全くお前のおかげでこっちがてんやわんやして、しかも学校が始まればおとなしく生徒をしているだろうと思いきや、男子生徒に鼻血噴かせてるってのは何なんだっ」

「ちょっと待ってくださいっ。私、そんな男子生徒の顔面を殴るだなんて乱暴なことしてませんよっ!? 確実な冤罪ですっ」

「お前が冤罪を語る資格はとっくにないっ」

「横暴ですっ」


 日中から鼻血を出した寮生が続出した為、冷え冷えペッタンや念の為の氷を入れる枕を買い出しに行った寮監の、本来は不要だった雑用の原因は全てこのアレナフィルだ。

 横暴などと言われる覚えはない。


「じゃあ、寮生達にどんな過激な本を渡したかを思い出せっ」

「ぐっ。そ、それはっ、私が渡したわけじゃありませんっ」

「お前こそが諸悪の根源だっ」


 ぐぅっと口ごもったアレナフィルは、ちょっと考える顔になった。

そしていきなり明るい口調になって立ち上がる。


「あ、そうそう。フォリ先生。朝のお茶でもいかがでしょう。ほほほ、叫んだら咽喉が渇いちゃいますよね」


 壁際にあるカートの所へそそくさと向かったアレナフィルだが、俺はポケットの中からカードサイズのフォトブックを引っ張り出して、ちらっとフィルエルディーナに見せた。

 男子寮内でこっそり回し見るのは目こぼししてやれても、学校に持ちこまれるのは困る。小さいサイズはその恐れがあった。だから没収したものだ。


――― 外国から輸入されてきたものの、我が国の法では販売が許されず、だから処分することになって彼女がもらってきたものの一冊ですよ。

――― んまあ。


 真っ赤になったフィルエルディーナが顔を背けたので、俺もポケットに仕舞い直す。

 この件でアレナフィルがどれ程に冤罪を叫ぼうと、もう彼女は味方しないだろう。


「それでも婚約というのは本当なのね? 節約で密輸な婚約というのがよく分からないけれど、まさかアレルちゃんが婚約・・・。どうしてそんなことになってしまったの。だってどなたもそんなことできる筈が・・・」


 男子寮のことは考えないことにして、王妃フィルエルディーナがそこに話を戻した。

 アレナフィルは俺のお茶と菓子を用意しているようだが、珍しく遅い。何を迷っているんだ。こういうターラの日は、青い食器に決まっているだろうに。

 俺は王妃も知っておいた方がいいと思っているので、正直に告げる。


「外国人とやらかしたからですよ。サルートス人ならともかく、外国人じゃどうしようもない。全くこのアホ娘、何てことしてくれるんだか」

「ひどいです、フォリ先生。それにちゃんと三年で解消されるんですよ? 婚約と言っても、相手とは海を隔てているから、その間に一度遊びに行ったら、後はもう解消です。どうせ結婚できる年齢になる前に終わる話なんだからいいじゃないですか。しかもサルートス国で届け出は出さないから、生活に何の支障もきたしません。私はとても賢い選択をしたのです」


 アレナフィルは俺に対して赤い模様が描かれたティーカップと菓子皿を出してきた。

 うん、庇ってやる価値は無い。

 皿の色を確認したフィルエルディーナも、

「負けてないわね、アレルちゃん」

と、呟く。

 

「いい根性だな、アレナフィル嬢。ならばどうしてお前の父親と叔父が忙しいことになってるか教えてやろうか? お前の外国人婚約者、

『サルートス国でも婚約届の受理をしてくれたら、大臣との話し合いができなかった製品、前向きに考えてあげてもいいですよ』

とやらかしてきたそうだ。今、お前の叔父は、大臣を相手に立ち向かい、

『それなら大臣のお嬢様があの外国人に気に入られればいいことでは? うちの姪が可愛いからといって人身売買をされては困ります』

とまで言い放って、喧嘩を売った。・・・なんでお前っ、あんなとんでもない奴と婚約したっ」

「だってっ、だってサルートス国で届け出はしないでいいって、ユウト言ってましたよっ!?」


 しないでもいいってのは、してもいいってことだろう。

 最初は相手が受け入れやすい簡単な条件を。それから段階的にちょこまかちょこまかと、どんどんと条件を増やしていくのはよくある手法だ。


「お前にはそう言っておいて油断させて、大切なことは大人同士で決めるって奴だろうがっ。誘拐までした男を信じるアホはお前ぐらいだっ」


 王妃フィルエルディーナの唇が、「誘拐・・・」と、声を出すことなく繰り返す。

 アレナフィルはそれに気づかなかった。


「アホって何回言うんですかっ。私悪くないのにっ」

「お前が全て悪いっ」


 全く勘弁してほしい。やってられるか。

 

「うちのエリーを見習えっ。危険な場所にも人にも近づかず、アホな条件も大人に尋ねることなく交わさないエリーをっ。お前はどこまで考え無しだっ」

「考えたからこそ婚約したんじゃないですかっ。先生だってそれでもらえるの嬉しいくせにっ」

「手に入れるにしても婚約するなんて条件は不要だっただろっ。どうしてそうなるっ」


 俺が知っている時点では、あの誘拐がどうのこうのというのを揉み消す為に融通してもらうということだった。それがどうして俺があの後始末に翻弄されている間に、婚約ということになっているのか。

 アレナフィルの保護者から話を聞いて理解はしたが、理解したくなんかない。


「税金が高いのが悪いんですっ」


 この国の王族を前にして、税金について堂々と非難しやがる馬鹿がここにいた。


「じゃあ、レミジェス殿が大臣にいびられてるのは誰が原因か言ってみろっ」

「私じゃなくてユウトが悪いんじゃないですかぁっ」

「お前のっ、婚約者だろうがっ」

「偽装婚約なのにぃっ」


 よし、よくぞ言った。

 王妃フィルエルディーナの唇が、

「偽装婚約・・・」

と、動く。

 これで外国人との愛が生まれたのであれば・・・などといった誤解で、アレナフィルを気に入っている王妃が変な口添えをし始めることはないだろう。

 数回だけのつもりが恒例になっている程、王妃はアレナフィルとの時間を大切にし始めていた。

 通り一遍の報告を受け取るより、アレナフィルの口から息子のことを聞くのが嬉しかったのだろう。そもそも店で買い物をしてスタンプを押してもらい、それを集めたら粗品がもらえるという仕組みなど、アレナフィルが語る話は王妃にとって自分が知らない世界の話だ。

 だからこそ息子が何を楽しんでいるのかを知っておきたくて、話を聞こうとする。

 真面目なマナー講習だと思っている王城とウェスギニー子爵家は、アレナフィルが茶会で出してみる話題がファッションでも流行でもなく、エインレイドの一般人を装って失敗した話とか、王子様に毛虫を見せないように奔走した伯爵家令息達の話とか、カウボーイに変装するには何が足りないかとか、そんなものだとは思ってもいないだろう。

 王妃はアレナフィルから聞く話をとても興味深く感じていた。何故ならアレナフィルは、王妃が知る必要のない市場についても話していたからだ。時に王子の学習ペースについて何故かアレナフィルが王妃に相談している。

 結局、警備棟と女官しか二人の仲の良さを知らないのだ。

 そして王妃に無用な心配を掛ける必要はないと、誰も彼女にアレナフィルの婚約の件を伝えていなかったのである。


「税金を払いたくないって理由で婚約を決めて、それを節約と言ってのけるお前の思考が全ての元凶だっ」

「それで得するの、フォリ先生達じゃないですかっ。ユウトと私の不本意な婚約によってタダで希少製品手に入れる人が文句言うなんてあんまりですっ。レイディッ、聞いてくださいっ。フォリ先生ったら、私を利用して欲しい物手に入れるくせして、この私をいじめますっ。私はもっと大事にされていいと思いますっ」

「なんでお前はいつもいつも人に甘えて頼って終わらせるんだっ」

「自分がもう可愛くないからって、文句言うのサイテーですっ」


 今までアレナフィルのことをエインレイドがふてぶてしいと表現する度、フィルエルディーナは我が子の女の子を褒める感性がおかしいのではないかと心を痛めていた。

 あんなにも素直に学び、努力する元気溌剌な少女を褒めるのならばもっといい言い方があるだろうにと。

 しかし、そこは王妃。

 まずは話を聞こうと流れを問いただす。


「ちょっと待ってちょうだい。誘拐だなんて冗談じゃないわ。アレナフィルちゃん、怪我はなかったの? どうしてそれで偽装婚約とかになっちゃうの?」

「えっと、誘拐じゃなかったからです。ちょっと友情が熱すぎた感じで・・・? ちゃんと遊びに来てねってお誘いしておいたのに、みんながそれを邪魔してたんです」

「えーっと・・・?」


 アレナフィルに説明させる程、状況把握が不明瞭になることはない。

 俺の補足により、王妃フィルエルディーナも流れを理解した。


「そうなの。ひょんなことから知り合った外国人がいて、だけど身元調査が終わるまで会わせないように皆さんが手配していたら、アレルちゃんに会えないことに()れたその方、誘拐してまでお喋りしようとしたのね」

「はい、レイディ。一般常識がない人だったんです」

「お前もな」


 アレナフィルのやったことを、全て俺の名前を出すことで霞ませやがったフェリルドへの恨みが言わせた。

 このインコはエサを目の前に垂らされれば何も考えずにぱくっと食いつくのだ。


「ガルディ、意地悪言っちゃいけません。その方が極端すぎたのよ。だけど相手の目的が分からないからと窓の外から見守っていた皆さんを置き去りに、アレンルード君が飛びこんでナイフを突きつけたのをここぞとばかりに首を絞めて慰謝料を要求するのはね。アレルちゃん、それはどうかしら」

「だけど私には1ナン硬貨も入らないんです。口止め料として何もしなかったフォリ先生達がもらっちゃうんです」


 あくまで被害者ぶろうとインコが(さえず)る。

 慰謝料をアレナフィルではなく俺達が横取りするのかと、王妃が冷たい眼差しになりかけた。

 安心しろ。それを融通してもらった理由に、俺やグラスフォリオン達の友情だの意気投合だのを全面に出してきたウェスギニー大佐は、俺達のポイントを稼がせた上で、いずれ違う形の取り立てをしてくるだろう。

 

「まるで俺達が悪人のような言われようですが、アレナフィル嬢が巻き上げたのは、現金でも宝石でもなく、我が国にない外国製兵器です。子供が持っていていいものじゃないでしょう」

「え? 兵器? まさか外国のそういった関係者だったの?」


 子爵家の娘と婚約に持ちこめた以上、外国の貴族かと思っていたらしい王妃は、目をぱちくりとさせた。


「ええ。帰宅する暇もない父親のウェスギニー大佐は、その兵器がやってきた場合の配置先を交渉中です。娘の婚約も密輸も脱税も許しがたいが、軍に所属する者としては我が国の為、見逃すしかないと苦渋の決断だそうですよ。前子爵、そして子爵の弟君も、我が国の為には輸入した記録が残らない入手の方が望ましいのも理解できると、涙を呑んで偽装婚約を受け入れたそうです。前子爵夫人は、孫娘が密輸に手を出すだなんてと寝こんだとか」

「まあ。なんということ。そうよね。私も娘がそんなことに利用されたら嘆き悲しまずにはいられないわ。婚約なんて女の子にとっては一大事だもの」


 祖母の前子爵夫人とて寝込むのは当然だと、王妃も理解を示す。しかし家族が偽装婚約をアレナフィルに強要したわけじゃないことをすぐ思い出したらしい。

 節約術とか言って偽装婚約を決めた当事者はここにいる。

 もらうならもらうで税金ぐらい払ってあげようという保護者の話も聞かず、ウェスギニー家の資産が減るのは許せないとやらかした小娘は王妃の向かいに座って、自分は悪くないとぬかしていた。


「一大事どころか、どうせサルートスでは届け出なんて出さないから大丈夫と、家族に言い放った存在はそこにいますよ。てんやわんやしているのは家族だけで、張本人はご機嫌で過ごしていたとか」


 サルートス国で婚約の届け出を出さず、未成年の間に解消すれば経歴はシロだと余裕(よゆう)綽々(しゃくしゃく)に言ってのけるアレナフィルにとって、婚約など一大事どころかただの節約テクニック。


「そ、それは・・・。私だって寝こみましたっ」


 分が悪いと思ったか、どうでもいいことを張り合い始めたアホがいた。


「お前はベッドの中でごろ寝しながら菓子食べて本を読んでただけだろがっ」

「決めつけはいけませんっ」


 アレナフィルはそんな事実はないと反発してくる。


「お前の兄がどこにいるか思い出せっ」

「ルードの馬鹿ぁっ。フォリ先生もなんでルードに聞いちゃうんですかっ」

「お前の嘘は底が浅すぎるんだっ」


 王妃も俺がアレンルードから裏付けを取ったと察したのだろう。

 疲れたような顔で首を左右に振って、自分なりに事態を消化した。


「二人共。もうお茶を飲んで落ち着きなさいね」


 常に優雅な物腰で微笑む自分を王妃は取り戻す。全てを理解した上で、あくまで何も聞いていませんとする微笑だ。

 その後、エインレイドがアレナフィルをふてぶてしいと表現することがあっても、フィルエルディーナは全く気にしなくなった。

 うちのエインレイドは物事を素直に受け止め、人を見る目のあるいい子だ。






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