46 グラスフォリオンは乙女心が分からない
貿易都市サンリラでの休暇は、初めての経験で溢れていた。思えば誰しも自分に全くその気がない女性を口説いたことがなかったのではないか。
アレナフィルちゃんが眠った後に男同士で集まって語り合ってしまえば、気づいたその事実。うちが所有しているアパートメントは使用人の目がない為、ちょっとざっくばらんな時間を取りやすい。
パパ大好き、パパみたいな人と結婚するのと言っちゃうようなお子様の相手なんて、俺達は誰一人としてしたことがなかった。
そんな俺の名前は、ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。
未来の恋人にして未来の妻予定の女の子と休暇を楽しんでいたら、ライバル二人に加えて、訳の分からない外国人まで現れてしまったところだ。
そして未来の恋人は、やっと休暇スタイルになって現れた父親に抱きついて、パピー、パピーと甘え中である。かなり可愛い。あんな全身全力で甘え倒すような貴族令嬢など見たことがなかった俺達はとてもカルチャーショックを受けた。
ネトシル侯爵家が所有するアパートメント302号室のリビングルームでは、熱烈歓迎すぎてソファに押し倒されたウェスギニー大佐がいる。
――― え。父親の腹に馬乗りになってって、なんで怒らないんだ、ウェスギニー大佐。
戦闘訓練とかなら分かるものだった。そして幼児であってもそんなことはあるかもしれない。
いくら記憶に五年分の欠如があっても、だけどそれは・・・。うん、俺はされても気にしないけど。いや、是非やってくれ。
だけど俺が同じことをしようとしたら、この命、次の朝日を拝めるのだろうか。
娘に対して女の子としての慎みを教えるべき父親は、まるで恋人に捧げるかのような愛の言葉を垂れ流していて、クラセン講師もまたかというような顔だったからいつものことなのだろう。
――― 駄目だ。レベルが違う。
実際、いくらフォリ中尉がアレナフィルちゃんを望んでも、サルートス王宮では「ほにゃらら家の令嬢を是非」や「〇〇家の令嬢が相応しいのでは」といった路線が既にある。さりげなく引き合わされてもいる筈だが、本人がその話を進める気がないから何も交際情報を聞かないのだろう。
それなりの投資をして育て上げた一流令嬢を擁する立場の人々から見れば、フォリ中尉がアレナフィルちゃんに幻滅してその気が失せてくれるのが望ましい筈だ。
フォリ中尉に男子寮までついてきた士官達にしても、一族などや家といった柵からは逃げられない。俺も含めてだが、彼等とてフォリ中尉には劣ってもそれなりに人気のある独身男だ。
だからアレナフィルちゃんには俺達レベルで手を打ってくれないかという思惑もあってそれなりに優しい言葉をかけていた筈である。そのあたりはフォリ中尉も理解しているだろう。
ちょっとした気のありそうな、なさそうなといった中途半端で相手の好意を繋ぎとめるであろう言葉は、貴族ならばマナーだと言っていい。
どんな必要性があって縁が結ばれるかも分からないのだから。そして脈がありそうならば、いつだって進展できそうな程度をキープする。それは危うい状態で、いつ恋愛に落ちるかも分からない程、ぎりぎりに。
だが、ウェスギニー大佐のアレを見てしまえば、アレナフィルちゃんが全く誘惑されなかった理由が分かってしまった。分かるしかなかった。
所詮、俺達は着飾った令嬢に対し、そのリボンやドレスを褒めればそれで頬を赤らめてもらえた奴ばかりだ。ちょっと気のあるようなそぶりと言葉だけでホイホイ釣れる日々を送ってきたのである。
だが、ウェスギニー大佐は違った。
『パピーは何飲みたい?』
『要らない。お前の笑顔が何よりものご馳走だし、お前の声が私の全てを潤すよ、フィル。ずっと会いたかったからね。さあ、可愛いお喋りを聞かせてくれ』
何を飲みたいのか尋ねられたなら、適当に相応しいものを考えて答えるものだろう。
俺達は愕然とした。
相手はもてなす気持ちの表れとしてまずは飲み物を聞いているのであり、そこで断るだなんてことをした日には相手が困るか気分を害すだけだというのに、あえてそれをウェスギニー大佐はやらかしたのである。
そんな飲み物を持ってきてもらう時間も惜しいばかりに夢中な少年少女の恋愛など青いものだと失笑されるものだが、ウェスギニー大佐のそれは飲み物を断ることすら口説く手段だった。
何だよ、おい。親子だろ。父親なら、娘が運んでくる飲み物に目を細めてろよ。断られた娘だって困っちゃうだろ。
『フィルもパピー会いたかったの』
『いい子だ』
何故だろう。アレナフィルちゃんは困るどころか、嬉しそうに父親に頬をすりすり状態だ。
いや、分かる。分かりはするんだ。けれど親子であの会話は許されるのか。
(恐らくどこの家も父親があんな恥ずかしいこと言ってくれるのはせいぜい4才までだ)
通常、こんな独身の男達に囲まれて、いくら親友のクラセン講師と部下のオーバリ中尉がいるとはいえ、娘がふらふらと誰かに対して恋心を持つのではないかと父親ならば心配するだろうサンリラ滞在。だが、全く心配していなかった理由を俺達は理解した。
アレナフィルちゃんにとっては、俺達のほめ言葉などヴィーリン夫妻の「おお、似合ってる」「可愛いですわ」と同じレベル、いや、それ未満だったのだ。
全く男として意識されるレベルに達していなかったのだと。
もうオッサンじゃないかと言いたいが、ウェスギニー大佐は子持ちのくせして今も女性に人気だ。男性からは嫌われまくっている程に。
アレナフィルちゃんがあと五年育っていたら、まさに年の離れた恋人同士に見えただろう。
『フィルは花のように可愛いから、今日の夕食には髪にリボンをつけてお出かけしてくれるかい?』
『うん。何色のリボンがいいかなぁ』
基本的に女は男と違う美的感覚があり、似合う似合わないの感性が異なる。だから男はあまり細かい指示を出さない方がいい。趣味が悪いと陰で言われるからだ。
リボンがいいと言えば子供じゃないとか、宝石を贈る甲斐性もないのかと、相手の侍女達の間でも言われてしまう。
それならジュエリーにすればいいかと言えば、それも違うのだ。小さな宝石を使った髪飾りは貧相だとか、大ぶりなのは使いにくいとか、使い道が分かってないとか、男には分からないことで責められる。何より使った金額で愛の大きさを測定されるとあっては、予算はどんどん右肩上がりだ。
しかしウェスギニー大佐は娘に何もプレゼントを渡したことがないそうだ。いや、好きな物は全て買ってあげているらしいから虐げられてはいないにしても。
『フィルは似合わない色がないから難しいな。ああ、だけど蝶みたいに広がる幅広のリボンがいい。私にとってフィルはいつだって綺麗に咲いている花のお姫様だからね』
それ、お子ちゃまのおめかしじゃないのか?
たしかアレナフィルちゃんは華奢な金の髪飾りも持っていた筈だ。誕生日に祖父母からもらったもので、髪の色とよく似ているから石が浮いているように見えてお気に入りなのだと言っていた。俺達と出かける時につけていたから覚えている。
だが、ウェスギニー大佐が希望したのは幅広のリボン。あくまでお子様扱いだ。
それでいて誰よりも愛されていると分かる。宝石で飾り立てる必要もなく、彼にとっての聖域なのだと。
これが他人ならば恋愛感情を返さなくてはと焦るところだろうが、娘という立場でそれを浴び続けているアレナフィルちゃんは、恐らく普通の口説き文句ではそうと気づかなくなっているだろう。
(だけどなあ。相手が大佐だからアレナフィルちゃんもおとなしく受け入れているだけで、俺達が飲み物を断ったら脱水症状を心配して、リボンを指定したら女の子に夢を持ってるタイプですねと言いそうな気がするんだよ)
真実は一つだ。女の子は好意を持っているか否かで感性をチェンジする。
やがてアレナフィルちゃんは俺達がいたことに気づき、コホンと咳払いして、それまでの親子いちゃいちゃラブラブタイムをなかったことにした。えっと、もうみんな、ずっと聞いてたけど?
「えーっと、それじゃあ皆さん、今日の夜はお外に食べに行きましょう。お父様、私、バイト先で美味しいお店を教えていただいたんです」
さすがに人前でしていい親子のやり取りではない自覚はあったようだ。
「なあ、フィルちゃん。もう取り繕っても遅いものってあると思うぞ」
「何のことですか? 意味わかりません、レン兄様」
アレナフィルちゃんは言い張れば通じると思っている。
「さ、お着替えしてこなくっちゃ」
「アレナフィルちゃん。そういえばリボン一緒に買ってきたの、俺のバッグに入ったままだった。取ってこようか」
どうせ色々と話すこともあるのだろうしと、俺はウェスギニー大佐達をそこに残し、アレナフィルちゃんを追いかけることにした。
思うにアレナフィルちゃん、戦線離脱だ。一人で放っておいたら、ちょっと恥ずかしくて足をバタバタしてしまうだろう。
そうして何事もなかったことにして、俺は何色のリボンが似合うか、髪は一つにするか二つに分けるかの相談に乗ってあげた。
「じゃじゃーん。でねっ、リボンにはスプーンとフォークのミニチャームを吊り下げちゃうのっ」
「ははっ。そんなのつけてたら美味しく食べられちゃうぞ。がおーっとかって」
「きゃーっ、食べないでくださぁいー」
うん、俺達ちょっとラブラブカップルっぽいよね。
服を着てからリボンを合わせるから、やはりあまり指定されると困るのだと教えてもらった。似合う色、似合わない色というのはあるもので、男と違って女は周囲からそのあたりも値踏みされるから大変らしい。
引きこもりの割にはよく知ってるね、アレナフィルちゃん。
「はは、可愛い。お店の人も喜びそうだ」
「そうなの。だけど頭の後ろ側だから、壁際の席とかだとけっこう食べ終わるまで気づいてもらえなかったりしちゃうの」
「帰る時に気づいて、感動しちゃうかな。大佐は気づくだろうけどね」
「うーん。父はあれで鈍いからどうかなぁ」
そしてアレナフィルちゃんはリボンを一緒に見立ててくれたお返しにと、俺の黄土色の髪をペイント剤で暗く陰った赤から金の光沢が入った茶、そして蜂蜜の黄色とグラデーションに染めてしまった。
シャワーで落ちるし、夕食の時だけだからちょっと冒険してみてもいいよねと言って。
「やっぱりね。危なさを感じさせるのに清冽な印象。リオンお兄さんは色々なタイプに変身できるタイプだと私は見抜いていたっ。いやん、もうこの危険な色気が素敵」
「えっと、ご飯を食べに行くだけだよね?」
俺に色気を作ってどうする。一緒に寝室まで来てくれるというのなら、・・・・・・うん、俺の命日だな。
だが、自分でもここまで印象が変わるとは思わなかった。三つの色が光と影を単調ではなく髪に作り上げ、触れたら切れてしまう危うさが出ているものだから、ペイント剤の威力にびっくりだ。
あとでフォトを撮ってやり方を書いておこう。いつか役に立つかもしれない。
(この子、こっち系でも才能ありそうだよなぁ。本人は、おしゃれってのは経験数が全てで、失敗を繰り返してどんどん上達していくもんだとか言ってるけど)
アレナフィルちゃんは自分のやりたいことをやっているだけなのだろうが、女性に嫌悪感を抱かせないやり方や、好まれやすい応対について学ばされていると、たまに感じる。
皆に、髪のイメージチェンジ一つで舞台の看板になれる色男っぷりだなと言われたが、肝心の店内はそれなりに薄暗くてあまり意味がなかった。
何より女の子一人だけであとは男ばっかりなんだぞ。意味ないだろ。
(わざわざ顔を見ておきたいということは、やはり大佐も知らない顔だったわけだ)
アレナフィルちゃんが決めた店には違うテーブルに例の外国人がグループで来ていたが、向こう側を向いていて背中合わせのアレナフィルちゃんが気づくことはなかった。
だが、店からの帰り際にアレナフィルちゃんの背中を見ている彼にクラセン講師が声をかけて少し会話をしたようだ。
【偶然ですね、ロッキーさん。お友達・・・にしてはお年が違いすぎますか】
【仕事関係です。いらしていたなら声をかけたのですが。・・・アレルさんと同じ髪の色をしていた方もお兄さんですか?】
【ああ、彼は父親ですよ。仕事で合流が遅れたんです】
【そうでしたか】
【折角だから紹介すればよかったですね。って、もう行っちゃったか。子供は寝る時間だからってあいつはうるさいんですよ】
【いえ。あの・・・親子関係は実はいいのですか? いえ、人違いかもしれませんが、ウェスギニーという苗字は多いのでしょうか。貴族の令嬢はあまり料理をしないと聞きましたが】
【この国におけるウェスギニー子爵は彼一人ですが、同じ姓を持つ数までは分かりません。亡くなった奥方の忘れ形見なので全ての我が儘を許すぐらいに可愛がってますよ。おかげで本人は貴族にあるまじきバイトをするわ、貴族としての礼儀作法を覚える気はないわ、自分で料理をするわ、やりたい放題ですね。フィルちゃんの色合いは彼そっくりですが、顔立ちは奥方に生き写しなんです】
クラセン講師は明るく喋っているが、彼の方はどちらかというと言葉を選んでいるかのように思える。だけどどうしてあのクラセン講師が、ここまでフレンドリーに話しているのだろう。普段はこんな風に喋らない人なのに。
【てっきり冷遇されて、変な使い方をされているのかと】
【冷遇? まさか。まあ、ロッキーさんが貴族の方々とお話をするならいい噂は聞かないでしょう。母親のいない娘は貴族社会で欠陥品です。まともな知能もなく愚かすぎて外に出せないという噂が蔓延してますから】
【そんな噂を放置する家族はどうかと思います】
【信じる奴が阿呆なんですよ。それに訂正して得るメリットもない。たかる虫が増えるだけだ。実際のあの子を見ての縁談に、ウェスギニー家は頭を抱えていますからね】
【どうして頭を抱えるのですか?】
【父親はあの子が好きになった人と結婚させてやりたいと願ってるからです。だが、誰もが好物件すぎた。どちらにしても学校を卒業するまではそういった話も保留です】
【保留?】
【我が国は子供の権利も尊重します。あの年での婚姻は許されませんし、婚約届には婚約期間中における養育費用の負担、そして婚約中に亡くなった場合にも相続権が認められます。まだ子供の彼女に婚約を突きつけるのは早いと、卒業するまで縁談は凍結されました】
【・・・そうでしたか】
何を話しているかは分からなかったが、やはりクラセン講師も彼に対して何らかの思い入れがあるように思えた。
ファレンディア語が分からなくても、ウェスギニーという単語は分かる。
俺もクラセン講師には気に入られているのかなと思うことはある。リオン君と呼ばれる時はまさにそれだ。ネトシルさんと呼ばれる時は真面目な会話の時だろうか。
結局、クラセン講師はアレナフィルちゃんが幸せになるのであれば誰でもいいのだろう。そしてウェスギニー大佐も。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
アレナフィルちゃんはとても不思議な子だ。ゴバイ湖に面した別荘にやってきた俺達だが、どうやら軍関係者となる別荘の管理人や使用人に、色々と考えたらしい。
どんなに丁寧に対応されていようとも、その根底にある感情が通じてしまうことはある。
アレナフィルちゃんは愛想笑いを浮かべながら礼を言うことはあっても、あまり気を許していないように見えた。どこか膜を感じる。
(値踏みしているかのようなそれは出るものだ。たとえ上辺だけは笑顔でも)
だが、そこを力技でアレナフィルちゃんは押しきった。
気づいたら俺達それぞれの部屋に、ポルノグラフィなフォトブックが置かれていたのである。最初は使用人達が置いたのかと思った。
しかしタイトルや書かれている文字がサルートス語ではなかった。何が目的だろうと皆でまず首をひねったところで聞こえてくる屋外からの会話。
『きゃっ。こんな破廉恥なのをお読みになりますの?』
『別に図鑑にだって、男の人の体と女の人の体は載ってますよ?』
『そ、それは・・・そうですけど』
不思議そうに問い返す声は、まだ性別を真実の意味で理解していないからだろうか。
あえて子供であることを前面に押し出していくアレナフィルちゃんは、怪訝そうな顔で見つめ返したようだ。
『まあ、お嬢様。こんなの、・・・恥ずかしいじゃありませんか』
『そうですわ。・・・けれど、綺麗な体ですわね』
『えーっと、私にもあるのですか。いえ、良家のお嬢さんがこんなものを見てはいけません。これは没収・・・って、それは受け取ったことになってしまうのですかな。それもそれでまずいような、いえ、持たせておくよりもいいような・・・』
『そこはもう厳選してありますっ。セクシーな男を見てないと女はセクシーを忘れちゃうし、セクシーな女を見てないと男もセクシーじゃなくなっちゃうのっ。こーゆー人の隣に立っても恥ずかしくない自分って思ったらおしゃれにも気合いが入るよねっ』
そう言いながらぱらぱらとめくっている管理人や使用人達とて、返す気はなさそうだ。
だから俺は下の階のベランダの手すりを掴むことで速度を落として落下し、着地した。
「年上美女に可愛がられるっていうけど、俺の所にあったのはきりっとした制服やスーツ姿の女性特集だったね。だけど俺より年上じゃないよねぇ、あれは。過激すぎて鼻血出すかと思ったよ、俺は」
「あ、リオンお兄様」
近づいて声を掛ければ、熱弁していたアレナフィルちゃんが振り返る。
ちょっと破廉恥な本を見てしまうのだなんて男の子にはよくあることだが、女の子はどうしても非難がましい目で見られてしまう。
年頃になった少年達が背伸びした大人の本を兄の部屋などから手に入れて、こそこそと友達と見たりするってそれなりに経験しているものだ。
けれど子爵家のお嬢様がそれをしたのを軍関係者に知られるのは望ましくない。この使用人達もどこぞの貴族と繋がっている。大したことじゃないが、後で揶揄されたりしたら可哀想だ。
「だって外見と中身は別。前髪をそう流しているとふとした時の微笑の甘さが年上美女の心をぐっと掴みそう。だけどリオンお兄様ってば、実はクールでホットだから自立して仕事している女性を評価する感じがするの。自分の秘書してくれる女の子とか、頑張ってる女性をさりげなく手助けするっぽい感じがするから、ワーキングウーマン特集なの」
うん、揶揄されたところで負けそうにない。恥ずかしさに泣きだすどころか、その場を制しそうだ。
アレナフィルちゃんは恥じることなど全くないとばかりに自分の正義を語り始めた。
色々と考えてくれたチョイスなんだね、ありがとう。
「うーん。子供があんなのを・・・って怒ろうと思ったけど、そんなこと言われたら怒れなくなっちゃったぞ。さてどうしよう」
「そうでしょ? ちらりと見える足首とか、ふとした時の胸の狭間にときめいちゃう? だけどお堅く見えて、実は脱・い・だ・ら、その下着も中身・・・って、いやぁんっ」
すまん、アレナフィルちゃん。俺は見逃してあげようかなって思ったけど、フォリ中尉までは通じなかったようだ。
背後からアレナフィルちゃんの頭をがしっと片手で掴んだフォリ中尉は、健全なお子様の教育に対しても一家言を持っている。
彼なら全部集めて焼却処分するだろう。そういう人だ。
「子供が何を言ってる、このアホ娘」
「アホじゃないです。だって恋人とかがいない若い男性はどうしてもムラムラするから・・・って痛いっ、痛いですっ」
「せっかくだからあれらは喜びそうな奴に渡すとして、本当に困ったお嬢さんだな。おとなしく令嬢らしいこともできんのか」
「失礼な。ちゃんとお嬢様っぽいことは今からやるのです。ほらっ」
その会話でアレナフィルちゃんの暴走によるものだと証明されたし、取り上げられずに済んだと思った管理人及び使用人達がほっと胸をなでおろしたことに俺は気づいてしまった。
フォリ中尉の性格からして全てを回収し、皆の前で焼き捨てるぐらいはすると思ったのだろう。
実はもらって嬉しかったのか。
(虎の種の印を持つ前でそこまで反応したらまずいだろ、おいおい。フォリ中尉だって気づいたっつーの)
考えてみればサルートス国内では販売を許されないぐらいに過激なフォトブックである。しかもモデルはそれぞれに容姿が優れていた。
(アレナフィルちゃん。君は、実はなんて無自覚に小悪魔なんだ・・・! いや、女神様、まだ小さいから自分が何やってるか分かってないんだ。仕方ないんだ、うん、仕方ない)
報告には証拠が必要だ。しかしフォトブックは一人一冊。たとえば彼や彼女達が、
「あのウェスギニー家のアレナフィル嬢ですが、このようなものを配っておりました」
などと、報告するならば現物を渡さなくてはならない。
そしてフォリ中尉は喜びそうな奴にあげようと言ってしまったから、
「皆様の本はこちらで処分しておきます」
と、使用人達による回収などはできない。
この場合、男性の使用人が渡されたそれを手放すだろうか。読みこんだ跡がついていたらそれもそれであれだし、もうなかったことにするのが見えている。女性の使用人だって渡してしまえば戻ってこないことは分かっているだろう。
(何かあったら伝えるようにと言われていても、それで言う程の報酬が出ているわけじゃないだろうしなぁ。親しくなって何でも打ち明けてもらえるとかいうそれを目指そうにも、アレナフィルちゃん、侍女がいなくても自分のこと全部できちゃう子だし)
大人には過激なフォトブックを渡しても、自分が持っているのはハウツー本。
悪気がなかったらしいアレナフィルちゃんがトライしようとしている飾り彫りをした石鹸の本を見せられ、フォリ中尉と俺は苦笑した。
― ◇ – ★ – ◇ ―
正直、石鹸に模様を彫って何の意味があるのかと、俺達は疑問だ。だって使ったら溶けるものだし、それなら模様に意味などないだろう。
だけどターラの日という、年上女性に白い何かを贈る日の為に白い石鹸に模様を彫るのだと言われてしまえば、なるほどと納得しないわけじゃない。贈り物は何かと面倒なのだ。
あまり高価なものを贈る日ではないだけに、ターラの日が近づくと、白い包装フィルムに包まれた棒付きミニキャンディ、白いキャンドル、白いカップ、白いスプーンなどが良く売られだす。
「やっぱり私としてはこんな感じで彫りたいって思うんですよね」
「アレルちゃん。初めてなんですよね? 本を出すぐらいの人が見本で一番に持ってきているのは、初心者には無理なのではありませんか?」
「大切なのは前向きにトライする心です、マレイニアルお兄様」
ドルトリ中尉が真実を指摘しているが、早速彫り始めたアレナフィルちゃんは、
「やってみないと分からないですよっ。・・・ああっ、彫りすぎちゃったっ。いいや、稲妻が光っていたことにしよう」
と、更に前向きだった。練習用石鹸でよかった。
「シーリング手袋を用意させろ」
「そうですね。ちょっと待ちなさい、アレルちゃん。あなたの手つきは危なっかしすぎます。包丁は何とも思いませんでしたが、今のそれはとても危ない」
深く濃い群青色の髪をしたドネリア少尉が、慌てて指にぴたっとくっつく手袋を取りに行く。
「みんなが見てるから緊張して失敗しちゃったんですよっ。そんなら皆さんもやってみるといいのですっ」
「え。いや、ここまでナイフ使いが下手なのはちょっと一見の価値がありますよ、アレルちゃん。完全無欠なお嬢さんに見えて、意外ですね」
「嫌ですねぇ、ボンファリオお兄様ったら。そんな完璧だなんて本当のことを」
失敗を隠そうと修正し始め、更にどんどん失敗していくアレナフィルちゃん。大丈夫、君になら美しい模様が彫られた石鹸ぐらい、いくらでも贈ろう。
「いいですか? こういう時は刃先が滑っても怪我しないように左手はここ、右手はこの角度。まずは彫る材質のクセを掴まない内は浅くいくものです。そしてもっと摩擦力の高い物を下に敷きます。更に横にこういう枠を置いて、確実に固定しなくてはなりません。横着は駄目です、横着は」
「ふぁい」
「そして初心者は簡単なものにするのが基本です。基礎がない者は難しいものにトライしようとして失敗するものなんですから」
「・・・はい」
ついに見かねたマシリアン少尉がアレナフィルちゃんの背後から両手を重ねて教え始めた。
何故俺が手を出さなかったかというと、彫刻は得意じゃなかったからである。やはり教えようとして下手なんて嫌じゃないか。後でマシリアン少尉に教えてもらうことにしよう。
細い枝に小さな葉が三つ程、そして小花が二つといった可愛らしいデザインなら失敗しないだろうと、勝手に図案を決められたアレンフィルちゃんはそれにトライして、今度は上手に彫ることができていた。
「うん、いい感じですね。細い線のものなら、失敗しても分かりにくいんです」
「だけどもっと難しそうなのがいいです。手抜きっぽいじゃないですか」
「じゃあ、次はイニシャルの飾り彫りに挑戦してみたらどうですか」
ある程度のコツを掴んだら、アレナフィルちゃんも調子が出てきたようだ。
ほとんど座学気分でマシリアン少尉の指導を見ていた俺達はアレナフィルちゃんがいなくなってからトライしようと決めていた。
年長者のプライドというものだ。
ターラの日というのはちょっと厄介で、祖母や母、伯母や叔母、姉や従姉といった相手に贈るわけで、甘いキャンディでは手抜きに思えるのか、何かと厭味ったらしい言葉が飛んでくる。
本来は白い小花を贈る日なんだから白い花でいいじゃないかと思うのだが、いつしか花の豪華さを競わされたりしているし、面倒くさい。
石鹸なんて考えたこともなかったが、自分で彫ったといえば特別感も出るだろう。
「ところでアレナフィル嬢。どうして俺だけ男のだったんだ?」
「これでも気を遣ってみたのです」
「どこがだ」
アレナフィルちゃんの寄越してきたフォトブックは、それぞれ違うパターンの特集ものだったが、フォリ中尉のだけが異色だった。
化粧をしている美青年ではあるのだが、女装をしていてそれがとても似合うのだ。見せているのは背中や肩、足の一部なのだが、男でもドキドキしてしまうなまめかしさがあった。
誰もが、
「なんで一人だけ男なんでしょう」
「そうですね」
と、首をひねっていたが、俺だって意味が分からない。
けっこうフォリ中尉はアレナフィルちゃんに買ってあげていたからサービスするなら分かるのだが、それでいてどうして女装した美青年特集なのか。
「んー。なんかほら、ガルディお兄様って大公様の息子さんじゃないですか」
アレナフィルちゃんは石鹸に下絵を描きながら答えているのだが、彼に対してここまでぞんざいな対応をできるのはこの子だけだろう。それを良しとしているフォリ中尉は順応が早いのか、その方が聞き出せると思っているのか。
「つまりお坊ちゃま中のお坊ちゃま。そうなると私物なんて使用人のチェックがうちなんかより凄く入っていると思うんですよね。しかもフォトブック見られて傾向を掴んだ上で色仕掛けなんかされたら、据え膳をご馳走様するにはリスクありすぎっていうか、下手にフォトブックの情報出回って、
『自分と似たタイプ。これって脈があるかもっ?』
なんて思われたら厄介でしょ? だからアレにしてみました」
「いや、それでどうして男になるんだ」
面白そうに笑っているのは、気にしていないからか。後で俺がもらったのを回してあげた方がいいのか。
いくら綺麗でも、男のフォトブックなんかもらっても嬉しくないだろうに。
「現実世界にいないタイプだからいいかなーって。あれってフォトブックだから分かりにくいですけど、背景にある小物もビッグサイズで、モデルさん達を華奢に見せかけているんですよ。女性よりも女性として色気のある男性だなんて、真似しようにもできないでしょ? 軍で男の人に囲まれていても、あれが好みだと思われたら大丈夫ですよ。あんな凄みのある美人さん、まずいませんから」
「・・・子供の気の回し方がおかしすぎて、何とも言えんな。お前、本当は幾つだ? アレンなんてまだまだお子様だっつーのに」
「実はなんと、お兄様方よりも年上なのです」
ああ、本当にこの子の思考は子供らしくない。いつだってみんなの真ん中にいて、愛されているというのに、いつの間にかそこの人の輪に入れないような顔をするのだ。
(本当に謎が多い子なんだよなぁ)
俺は、この子がバッタ品だと断じた水泳補助装置の性能を計測していたフォリ中尉達のことを思い返した。アレナフィルちゃんは裏側に説明書が書いてあると言ったが、輸入している社員達が知らなかった専用装置を知り、安全装置がどういうものかさえ知っていた。
フォリ中尉や俺はレミジェス殿とアレンルード君に幼年学校時代の生活を詳しく尋ね、どうやらアレンルード君が知らないアレナフィルちゃんの時間は、アレンルード君が習い事をしていた時、アレンルード君が子爵家で色々と教わっていた時、そしてアレナフィルちゃんがクラセン講師の家に行っていた時だと割り出した。
おとなしくおうちで遊んでいたというアレナフィルちゃんだが、実は叔父や兄が知らない空白時間が沢山あったのだ。尚、夜は一緒に寝ていることの多かった双子なので、ドルトリ中尉が言うところの「酒場の厨房で働いていた説」は崩れた。幼年学校時代は家政婦をしているヴィーリン夫人も、よく夫婦で泊まり込んでいたからだ。
あの水泳補助装置は、ウェスギニー大佐やクラセン講師も使い方を知らなかった。
ならばどうしてアレナフィルちゃんはそれらの知識を有していたのか。
(しかしそれが問題かといえば全く問題ではないってとこがなぁ。レミジェスさんとアレンルード君、あのロッキーとやら、変装していたアレナフィルちゃんに翻弄されて知識だけ奪われた被害者なのかなぁって、そんな感じだし。そりゃ肉体にこだわるアレナフィルちゃんの好みじゃないってのは分かるんだが)
まるでアレナフィルちゃんは彼に対して罪悪感を抱いているかのような顔をするのだ。
俺はこの別荘でアレナフィルちゃんが泣きそうになっていたことを何度も思い返し、その理由は何だろうと考え続けていた。
『みんな、最近は私が作ったのをすぐ覚えてマスターしちゃうんですよね。色々と苦労して覚えてきたのに、みんなの上達が凄いの。羨ましいぐらい』
落ちこんで後ろ向き気分だったアレナフィルちゃんはそう言った。
アレナフィルちゃんの料理は隠し味とか、ちょこちょこと工夫が入っているらしい。クラブメンバーにも「小麦粉だけより、アーモンド粉末も入れた方が美味しいんだよ」
などと、両方を作らせて味見させていた。
けれどもヴィーリン夫人は、今までアレナフィルちゃんはお手伝いしかしたことがないと言っていなかったか。
上等学校生になってお料理に目覚めたのかと、ヴィーリン夫人は目を細めて嬉しそうに語っていた。本にレシピのコツとして書かれていたなら、苦労して覚えたとは言わないだろう。
だけど俺はその不自然さに気づかないフリをした。
『作っているのがアレナフィルちゃんだからね。だから覚えてしまうんだと思うよ。みんなが君を大好きだから、行動をそのまま覚えてしまうんだ。俺だって言われてみればそんな塩で包んであるのを食べたことがあるような、ないようなってそんな気になるけど、きっとアレナフィルちゃんが作ってくれるのを見たら一生忘れない自信がある』
『えへっ、・・・嬉しいです』
本気だけどね。作りながら楽しそうに説明するアレナフィルちゃんの姿を、誰もが楽しい思い出として覚えてしまう。
笑おうとして目頭に浮かんだ涙を、俺は指先でそっと受け止めた。
その時の表情を何度も思い返しながら、どこかもどかしい思いを俺は解消しきれずにいる。
『リオンお兄さん?』
『泣きたいなら我慢しないでいい。無理して笑うこともない。あのロッキーさんと会ってから、アレナフィルちゃんはずっと悲しそうだ。本当はもう一度会いたいとかいうのなら、いくらでも権限使って捜してあげるよ』
声も出さずに泣くようなことを、子供にさせたいわけじゃない。
俺の指に水滴を認めて、アレナフィルちゃんはごまかせないと悟ったらしく、苦笑する。
そんな顔が、子供らしくない。まるで我慢し続けて、何かが決壊したかのようだった。
『会いたくは、・・・ないの』
『別に誰も怒ったりなんかしないんだよ? 気持ちを閉じ込めなくても、君の願いを誰もが叶える』
我慢することに慣れすぎたのかと思い、俺は誰も君を責めたりなんかしないのだと伝える。
あの時、やっとアレナフィルちゃんが隠している何かに近づけたと思ったのに。
『ううん。だって、・・・私と会ったら、きっと殺したいって思われるだけ』
『・・・・・・殺される、ね。だから怖かったんだ?』
この辺りにアレナフィルちゃんの勘違いがありそうだ。
あの男相手に変装して結婚詐欺を働いて全財産を巻き上げた挙句、逃げたというのなら全ては納得だ。
というより、俺達の間ではかなり濃厚な説と化していた。そういう意味でアレナフィルちゃんは信用がない。
あの子ならやりかねないと、そこまで言わしめた上等学校一年生はアレナフィルちゃんぐらいだろう。
『そうじゃないの。そうじゃない・・・。多分、私が、・・・幸せだから』
思わず流れたらしい涙がぽとぽとと落ちていく。
外国人の女の子が幸せそうだからって殺意を抱く成人男性がいたとしたら、そいつこそが危険人物だろう。だが、彼の薄い緑色の瞳にあったのは、何かを諦めているような、切望しているような、悲しみに満ちたものだった。
君は知らない。君の手料理を口にする度、彼の表情が止まり、唇を噛み締めていたことを。
まるで君の料理が、彼に永遠に失ったものを思い出させるかのように。
だからこそ俺達によって、
「幼年学校時代、変装して第二の自宅で彼と結婚生活しながら全財産を取り上げて逃げたのでは? 幼いと思って油断していた彼は、小さくて可愛い奥さんの成長を待っている内にトンズラされたんですよ」
「普通ならあり得ないですが、アレルちゃんならやるかもしれませんね。言葉の通じない彼は、異国でアレルちゃんという言葉の通じる子供を保護し、家事をしてもらっていたら、いつの間にか家の中のものが全て消えてた・・・というのならば」
などと言われていたのである。
勿論、俺としては否定したい推理だ。だが、奇妙な説得力がありすぎる仮説だった。
『どうして彼が君を殺すんだ? そこまで強そうじゃなかったけど』
『彼は、毒物の専門家。勿論、義肢とかの知識もあるけど。彼が大切にするのは、姉一人だけ』
『そっか。だからアレナフィルちゃんは出されたものを絶対に口にするなって言ってたんだね。もしかして君が出した手紙、彼の逆鱗に触れたんだ? たしかお姉さんへの手紙だったね』
そんな外国人の家庭事情まで日記に書いていたとしたら、君の母親は一体何なのだ。無神経にも程がある。
だが、俺は知っている。日記なんてかったるいと思って書かない奴の方が多いことを。
業務日誌ですらまともに書かない奴ばかりだ。日記など心に余裕があるか、何かを吐き出さないと心が保てないか、そういう人達がする作業だ。
天涯孤独で働いていた平民女性にそんな余裕が本当にあったのだろうか。
『多分。だからもう行かない。絶対に』
『ああ。そうだね。その方がいい。・・・大丈夫。ここだけの話だが、トール・トドロキは、既にこの国を出ている』
『・・・え?』
何かがおかしいと思いながらも、俺はアレナフィルちゃんの頭を撫でてその顔を覗きこんだ。
『君があまりにも元気がなかっただろう? だからちょっと調べさせたのさ。昨日の船で彼は出国した。たとえ再びサルートス国に来ることがあったとしても、君の家はあの難攻不落な塀と門に守られている。送り迎えも完璧だ。怖いことなんて何もないよ』
『・・・はい。ありがとうございます、リオンお兄さん』
お礼を言うアレナフィルちゃん。だけど君、本当は彼を怖がってなどいないだろう?
だが、毒物の専門家ね。機械工学だけじゃないのか。それともどちらかが虚偽なのか。工作活動では技術者や科学者に化けることなど珍しくない。
だけど二人を繋ぐ糸が分からなかった。
(実際には、幼年学校生が家政婦や双子の兄の目を盗んでそこまで動けるもんじゃない。何より彼はサルートス国が初めての外国人だ。だから接点などある筈がない。ないんだが、どう見てもアレナフィルちゃんにとって彼は初対面ではない。そして彼にとってアレナフィルちゃんは初対面なのだ)
俺達の間では、「変装したアレナフィルちゃん彼に結婚詐欺を働いた」説、地味に消えていない。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ゴバイ湖の別荘から、温泉町であるフォムルに移動すれば、今度のホテルは貸し切りだ。
クラセン講師夫妻には違う宿を用意し、ウェスギニー大佐親子とは違う階に俺達や、更にもっと上の階にはレミジェス殿とアレンルード君の部屋を割り振ってある。
従業員に化けた警備が館内を巡回している為、同じ建物内にいてもアレンルード君の存在にアレナフィルちゃんが気づくことはない。アレナフィルちゃんが今どこにいるか、こちらに連絡が入るからだ。
水着をつけてバスローブを羽織り、蒸し風呂に行くことを勧められて、早速アレナフィルちゃんはウェスギニー大佐と向かったらしい。
「じゃあ俺達も行くか。アレンは先にダイニングで食べておいた方がいいかもな」
「そーします。だけどここ、裏にグラウンドもあるんですよね。ナイター設備もあるって言うし、夜食とかも出るんですか?」
「先に伝えておけばそれなりに用意しといてくれるだろ。ただの夜食じゃ物足りないと思うぞ」
「じゃあ、お願いしとこっと。叔父上、ご飯食べて軽くシャワー浴びたら着替えて運動してもいいですよね?」
「いいけど蒸し風呂は体力を使うし、そのまま寝ちゃうんじゃないか? ルード、蒸し風呂は初めてだろう」
「お風呂ぐらいで疲れないよ」
フォリ中尉がウェスギニー大佐に交渉して貸し出してもらったプロテクターとやらはかなり興味深い性能だ。俺も是非使ってみたい。それは寮監している士官達も同様だ。
オーバリ中尉は交代で教えるとしてその時間数はどれくらいになるかと割り出し、考えこんでいた。
「うーん。これらは気を抜いて使うと大怪我しかねませんからね。慣れてもない内から夜に使うのは感心しないっすよ。勿論、それなりに明るい環境なら教えもしますけど。暗視ゴーグル使うにしても、まずは基本を押さえてからっすね」
「はい。・・・だけど父上、僕のサイズって今しか使えないのに。これ、もらってもいいってことかなぁ」
「いいんじゃないっすか? だって坊ちゃん、尾行とか警護のやり方とか習ってるんっしょ。王子様がトラブルに巻き込まれる時はシャレにならねえことも考えられるし、何かあった時に使える手段は今の内にマスターしとけってことだと思いますけどね。どれもある程度の体格差には対応しますし、関節部分の保護は弱くなるものの、成人するまで坊ちゃんはそれ使えますよ。恐らくボスの自腹で用意されてますね、これ」
フォリ中尉がウェスギニー大佐から貸してもらったプロテクターと、周囲の木々などを利用して空中を跳躍するそれは、オーバリ中尉の指導の下、使うようにと言われている。
説明も全て押しつけられている彼は、どこまで話していいのかと迷っているようだ。
「それなら代金を払えば俺でも用意してもらえるんですかね?」
「うーん、ネトシル少尉は無理っすよ。近衛の上層部からいちゃもんつけられかねねえっすからね。実戦部隊は軍のあちこちに貸し出す形でそこそこうまくやってますけど、俺らを近衛が貸し出してほしいってことはないですよね? だから関係としてはあまりよくないんすよ。今、王宮にボスが配属されてますけど、あれもかなり嫌がられたっつー話」
「じゃあ、俺も無理なのか? 俺は今の時点でサラビエ基地所属だが」
フォリ中尉が身を乗り出すが、オーバリ中尉が呆れ顔で手を軽くパタパタと横に振った。
「基地ならいいってわけじゃなくってっすね。うちのボスの立場も考えてあげてくださいよ。まあ、俺の分ってなってるのを個人的に貸し出す形にはできるんで、そんで手ぇ打ってくれりゃいいんじゃないっすか。俺、自分のちゃんと戻ったらありますもん。これ、レミジェス様とアレンルード坊ちゃんのはダークグリーンに塗装されてますけど、もう一つの俺の分は白っしょ。つまり建物とよく似た色とか好みの色とかに今から塗装できるわけっす。アレンルード坊ちゃんのは、王子様に何かあった時の為にと男子寮に持ちこんでいたとして寮監の先生が黙認すれば、校内で何かあっても戦力になるってことっしょ」
プロテクターの内、頭に装着するそれには、通信装置もついているのだと、オーバリ中尉がそれを示す。三つはお互いに離れていても通話が可能なのだ。
「え。じゃあ、僕、有料の通話装置使わなくても叔父上と連絡とれるんだ?」
「そうっすけど、その時にお互いに装着しとかないと意味ないっすよ、坊ちゃん。何より周囲の音も拾っちゃうからやめといた方がいいんじゃないっすかね。それにこのソードとかシャレにならねえんで、他の生徒が触ることができる場所に保管するのはやめといた方がいい。置き場所は先生に相談するんですね」
「そうなると私の分として兄が用意してくれていたのは、リオンさんに貸し出す形にしておけばいいですね。フィル達が卒業する時まで貸与という形で。兄が何を想定したのか知りませんが、学校でこんなものを使わなきゃいけない時があったら、それこそルードだけが使うのは心配です」
「そーゆーことっす。まあ、俺もボスの大切な坊ちゃんとお嬢さんですし、五年ぐらいフォリ中尉に貸しといてもいいっすよ。で、五年後には俺も忘れっぽいから存在そのものを忘れるかもしれませんね」
どうしてオーバリ中尉が新品のそれを平気で手放そうとするのかと思ったら、実戦部隊は自分なりに使いやすいようカスタマイズされたものを持っているそうで、白なんて彼の好みじゃないそうだ。それをウェスギニー大佐も知っているということだった。
そしてダークグリーンの塗装はレミジェス殿が乗っている移動車、そしてアレンルード君の瞳と同じ色だ。
「あ。だけど追加の装着分はそっちで自腹切ってくださいよ。これ、暗視ゴーグルと大小ソード、ハンマーやフック、ワイヤーは付いてますけど、でもって坊ちゃんには十分にオーバースペックっすけど、大人用のはそれ以上に装着するならかなり金食いますから」
「そうなのか?」
どうやら他にも何らかの武器や装備を取りつけることもできるらしい。
「ったり前っすよ。このプロテクター、最低価格で350ローレ (※) っすけど、武器までセットだし、それなのに通信装置がこの三つで完結してるってことはもっと高いラインの試作品じゃねえかって思いますしね。坊ちゃんもサイズが合わなくなっても捨てちゃ駄目っすよ。ちゃんとボスに言って再利用しねえと勿体ないっすからね」
(※)
350ローレ=350万円
物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として525万円
(※)
「はい。そんなにいい物なんですか? 僕が見た時、父達は大木すら切断したり、僕が使ったのも連射できましたけど、それはついてないんですね」
「これこれ。坊ちゃんはあくまで正当防衛が通じる程度で逃げる為ですよって。ま、爆破された瓦礫に埋まっても潰れねえ程度にはいい物っすよ。ここの最上階から落ちても、コレつけてたら死なねえっすね。その分、戦闘時には生身部分を狙われる。でもって衝撃があっても気づかねえ。本格的に自分を磨きてえなら、もっと低スペックタイプで練習した方がいいっすけど、いざという時にはこんぐれえじゃねえと守れねえと思ったかな。ボスは言わねえ人っすからね」
「はい。学校でそんな物騒なことあるかなぁ」
どこの戦場に行く気なのかと、アレンルード君が首を傾げた。
だが、よその国ではあったことだ。いつの間にか市民としてばらばらに入りこんでいた敵国の兵士達が全滅覚悟で一つの建物を襲撃し、その建物内にいた人達を皆殺しにした事件が。
だから国立サルートス上等学校では門でチェックがあり、校内の通路も蛇行していたりしてそのあちこちに監視装置がある。
いざとなればエインレイド王子だけを安全な場所に連れて行かねばならない。それが俺の役目だ。
「使いこなせねえならもっと低スペックにしてもらった方がいいっすよ。これ、重さもありますからね」
「うっ、たしかに。これ、僕つけて走れるかなぁ」
「装着してみりゃそこまでじゃないっすよ。走らなくてもワイヤー伸ばして、飛びますからね。中に重量軽減装置もついてます。ただ、俺らがもしも特攻かける時にゃこんぐらい使いますし、安もんじゃ太刀打ちできねえっす。ま、坊ちゃんの体はまだまだだから、いいもんに守ってもらっといた方がいい。耐衝撃を落としてある方が動きやすくて攻撃力も増すっつーもんだけど、やっぱり使いこなす肉体が必要なんっすよ。だから大人サイズは衝撃吸収能力が坊ちゃんのより低いが、そん代わり攻撃補助能力が高いわけっす。ま、レミジェス様は今も鍛えてるから大丈夫っすよ。ただ無茶やらかすと関節やられますんで」
値段を聞いてしまえばさすがに無償で借り続けるというのはどうかと思わずにいられない。
ダークグリーンか。うん、アレナフィルちゃんの瞳の色だね。差し色はアレナフィルちゃんの髪の色だ。買い取りさせてもらえないか、後でこっそり交渉しよう。要は上司や同僚にばれなきゃいいんだろ。
・・・・・・あれ? だけどここで使い方教わるんじゃばれるんじゃねえの?
― ◇ – ★ – ◇ ―
水着をつけて入るという蒸し風呂は、男女が同じ場所に入る混浴だとか。
体をほかほかにした後は、男女別になったシャワー室で汗を流して体を洗う。先に体を洗ってから蒸し風呂に行ってもいいそうだ。
先にウェスギニー親子が来ている筈なのだがと思えば、どうやらあまり熱くない部屋にいたようだ。
二人で寝転がっていたけれど、まるで恋人同士のように娘の髪を撫でている父親がいた。
あれが許されるのは娘が幼年学校低学年までだと思うのは俺達だけだろうか。
「なんか草っぽいにおいはいいんっすけど、ボスってばちょっとおかしくねえっすか」
「しょうがない。俺達は熱いスチームサウナの部屋に行くか」
こそこそと話し合った俺達は、あまり熱くないスチームサウナの幅広ベンチの上で仲良くごろ寝していた親子の邪魔をしないように離れた。
俺達に気づいていないアレナフィルちゃんはともかく、気づいた上で軽く手を振って終わらせるウェスギニー大佐はどうなのかと言いたい。
「横になってたら貧血起こしても分かりにくいだろうに。異常に気づかないことにもなりかねないってのに、大佐が相手じゃ注意もできない」
「あっちはあまり熱くないから、水分補給さえ忘れなければかなり長く過ごしても平気らしいぞ」
聞こえないよう小さな声でぼやくマシリアン少尉に対し、メラノ少尉がそんなことを言っているが、二人の邪魔をしまいと、何故かここにいることを気づかせない努力をしている俺達は何なのだろう。
潤いがない。
蒸気を出すにしても花の香りなど水に混ぜて香りを立たせるらしい説明書を見ながら、俺はアレナフィルちゃん達がいる部屋と同じ香りのものを見つけた。
(同じ香りにしておいた方がいいだろう)
水にそのハーブオイルを混ぜて、熱された石の上にかけていけば蒸気がどんどんと熱気を噴き上げる。
――― フィル。心だって冷えたら悲しくなる。私はお前の心が温まるまでずっと傍にいるよ。
そんなウェスギニー大佐の声が聞こえてきてしまえば、俺達だって男だ。
父親といることで落ち着くというのであれば、安らげる時間を守ってやりたいと思わないわけじゃない。あの外国人と出会って以来、アレナフィルちゃんは本当におかしかった。
一度目はサンリラの税関事務所で彼の顔を見た途端、倒れた。
二度目に会って夕食に連れてきた時から、ずっと塞ぎこんでいる。
理由を頑なに言わないアレナフィルちゃんだけど、辛そうに泣くから問い詰めることなどできなかった。
だからこれだけの男が揃って沈黙し続けるスチームサウナに、やがて熱さに耐えきれなくなったマシリアン少尉が通路側の窓を少し開ける。
涼しい風が入ってきて、俺達は水を飲みながらもやっと一息ついた気がした。
すると、あちらの部屋から声が聞こえてくる。
――― パピー、たまに涼しい風、気持ちいい。
――― ああ。どこか窓を開けているんだろうね。肌寒かったりしないか? もう少し熱いスチームの方がいいかい?
いや、俺達だって分かってて何を知らないフリしてんでしょうね、あの人。
――― ううん。汗だらだらするより、ここの方がいい。体の芯がほかほかしてる。
父親の図々しさに比べ、アレナフィルちゃんの健気さに感涙しそうだ。
――― パピー、実はとってもモテてた?
――― 残念なことに、それはなかったんだよ。初めてお付き合いしたのがリーナだったからね。おかげで私は一目惚れしたリーナと結婚まで皆が驚くハイスピードで突き進み、そして今は可愛いフィルに溺れている。
どうしよう。あそこに騙されている子供の女神様がいるのだが。
「え。大佐が悪い噂を流されてたのって、フラれた恨みもあるって話ですよね。たしか結婚する前だった筈ですよ。それからはわさわさ出るわ出るわで、結局火のない所に煙は立たないのか、それだけ敵が多かったのか」
「そりゃウェスギニー家の長男だったら、いくら次男の方が目立っていても長男が子爵になるってんで、それなりに見合いじゃ人気だったって聞いたことありますよ。見合いが嫌で実戦部隊に移ったとか」
「え。ボス、そんなのが原因だったんすか」
ドルトリ中尉にドネリア少尉が言えば、オーバリ中尉が驚いたような顔になる。
子持ちでも独身の子爵はまだ若いこともあり、夜会などでもかなり人気だと俺達は知っていた。未亡人や独身令嬢などから何かと、
「あ、眩暈が・・・」
「酔ったみたいです」
みたいなお誘いをかけられては、堂々と皆の前で抱き上げて、
「どうかご無理をなさいませんように。・・・君、悪いが気の利くメイドを呼んできてくれ。最低でも二人だ。不名誉な噂を立てられぬように扉を守り、落ち着いたところで必要なものを用意するように」
と、警備に声をかけてメイドを最低でも二人用意させ、そして警備の兵士も二名は連れて休める部屋へと抱えていくのだ。
それで色仕掛けは無効となるのだが、そこまで大切にされるだなんてと感謝されるのか、据え膳をかわされたことで恨まれるのか、よく分からない人だ。
おかげで余計に、
「何なんだ、あのわざとらしい男は」
と、無関係な男性達に嫌われる。
何故なら自分も同じようにしなくてはならなくなるからだ。具合が悪くなったと言われたら二人きりで部屋に消えようとしか思わない男は多い。
好感を抱くのは、その具合が悪くなったという女性の醜聞を気にする兄弟や配偶者ぐらいだろう。
おかげで本当に具合が悪くなった貴婦人達もそういう時に頼るのはウェスギニー子爵だ。彼ならば自分の名誉を考えてくれると確信できる上、王城から自宅へと連絡を入れさせてくれるので着替えや化粧用品などを持った小間使いが駆けつけてくると分かっている。
そしてそのわざとらしさを嫌っている男達にしても、自分の姉妹が世話になるならウェスギニー子爵をと思ってしまうのだ。他の貴族男性ならばいいように食い散らかされる。
――― なんだ、信じてくれないのかい? 私は可愛い恋人が男達をとっかえひっかえしていることに、この心を痛めていたのに。だけど少しは反省して、私の相手ぐらいしてくれるんだろう?
――― とっかえひっかえはしてないの。フィル、なんか、利用される女? になった気がする。
浮気男の言い訳みたいなことを並べてる父親を叱り飛ばしていいぞ、アレナフィルちゃん。
それこそ、そこにいる男は舞踏会の度にとっかえひっかえ様々な貴婦人に秋波を送られている。ある意味では利用されている男なのかもしれないが、既婚女性からの評価がとても高いというむかつく男の代表格だ。
こっそりどんなつまみ食いしているかも分かったもんじゃない。
――― そうなのかい? じゃあ、もう誰にも利用されないよう、おうちに隠してしまおう。本当にね、可愛いフィルをどんなに世界中から隠しても、誰もがお前を見つけてしまって私も困ってるよ。
――― フィルも、パピーだけ、いればいい。あ、ルードとジェス兄様も。マーシャママと、ローゥパパも。お祖父ちゃまとお祖母ちゃまも。
いい子だ。いい子すぎる。
俺達みたいな汚れた大人と違い、アレナフィルちゃんは家族に愛されて育っている小さな女神様だ。
「あー、もう耐えらんねえ。熱すぎるっつーの」
オーバリ中尉が立ち上がった。そしてウェスギニー親子がいる方へと行ってしまう。
――― この浮気者さん。そしてこの場に学校のお友達がいたら、そのリストがもっと増えるんだろう?
――― そ、そんなこと、ないもん。
可愛い純真な少女をいじめる資格などないというのに、なんというけしからん大人だ。
コンコンと壁を叩いて二人の邪魔をしに行ったオーバリ中尉は、さて、何が気に入らなくて乱入したのだろう。
やはり純粋無垢な少女が父親に騙されているのを聞いていられなかったのか。それとも上司のあんな甘ったるい言葉なんぞ聞きたくなかったのか。
――― 目のやり場に困ることしてないでくださいよ、ボス。可愛い女の子を一人占めってひどくないっすか?
――― 遠慮なく見えない所へ消えればいいだろう。何よりこの子は私のものだが?
これは俺達に対する牽制なのか。やはり娘を奪っていく男など父親は認めんという奴なのか。
――― ヴェインお兄さんもスチームサウナ、入りに来たんですか?
――― いや、さっきから違うサウナにいたけどね。ここで人目もはばからず抱き合っている男女がいたものだから、みんな、あっちで無言で虚しく汗だけ流してたんだよ。で、アレナフィルお嬢さん。せっかくだから、俺のこともそのリストに入れてみない?
――― え。それは嫌。だってヴェインお兄さん、私より父の方が好きですよね。
――― そらまぁ、ボスは嫌いじゃないですよ。なんつっても上司ですから。
――― ふふん。まあ、そういうことにしておいてあげましょう。
どうやら三人で入り始めたようだが、あちらのブースはそこまで熱くないからいいのだろう。
もういいやと、窓を全開にする。
――― ヴェインお兄さん、固定具つけたまま、スチームサウナなんて大丈夫なんですか? 熱くなりすぎませんか? 泳いでた時にも思いましたけど、ちゃんとお医者さんに診てもらってます?
――― ああ、これね。自分で外せるんだよ。本当はもう外しておいてもいいんだけど、何かあった時に治りかけの所へ衝撃を受けたらまずいだろ? だからつけてるだけ。
――― 外して大丈夫な固定具とは一体・・・。
何かあったらって、どうせ女に刺されるとかそんな所だろ。アレナフィルちゃんが頑張ってバイトをしていた昼間に、いつの間にか美女とどこかに消えていたのを俺達は知っている。
「アレナフィル嬢に何かあってはということで、あのプロテクターを持ってきたという話だったが、あんなのを一度でも使ったらアレンが手放さないのは分かってる。エリーと同じ寮にいるアレンの為に作らせていたんだろうか。少年サイズなんて特注だろう。オーバリ中尉は試作品だと見ていたが」
「どちらかというと、エリー王子と一緒にいるアレルちゃんの為に作らせたんじゃありませんか? あの双子は身が軽い。たとえ校内で何かあったとしても、自分だけは逃げられるような気がします。ですが、エリー王子が近くにいたらどうでしょうか。アレルちゃんも一人で逃げたりはしないでしょう。アレンがあんな防具と武器を持っていたなら、妹と一緒にいる王子を守ろうと校内のどこにいても駆けつけるでしょう」
疑問を呟いたフォリ中尉に、ドルトリ中尉が自分の見解を述べるが、それは俺達も思っていたことだ。
貸し出すとレミジェス殿が言ってくれたからいいものの、あの真っ白な大人用サイズは、アレンルード君が大きくなったら好きに塗装すればいいと思っていただけじゃないのかと。
(どうなんだろうなぁ。アレナフィルちゃんに対して手を挙げたフォリ中尉と俺ってことも考えられたけど、さすがにエインレイド王子を差し置いてアレナフィルちゃんってことはないだろうし。だけど三つあって、どうして一つを白い塗装にしておいたのか)
結局、ウェスギニー大佐の考えることは分かるようで分からない。何も考えてないってこともあり得るから余計に惑わされる。分かるのはアレナフィルちゃんを大切にしていることだけだ。
「エリー王子の警備なら今までと同様にしとけばいいと思ってそのままで維持、そしてアレルちゃんに目をつけられたと知った途端、ここまで用意するって、優先順位を間違っていると思うのは俺だけでしょうか」
ドネリア少尉のぼやきに、フォリ中尉が苦笑する。
「安心しろ。皆が思ってる。・・・だが、仲が悪いから使えないっていうのはありそうだな。今回は俺が頼んだから出してきたが、あちらから先に出されたなら俺達はともかく、それを聞いた基地と王宮が、何をやっても許される実戦部隊と混同しているのかと、大佐を責めただろう。せいぜいエリーをダシに出させたという形を取るしかあるまい。大佐の息子を、エリーを守る為に利用しているのだと。・・・・・・こうして初めて見えてくるものもあるものだな。ウェスギニー大佐の誠実な悪夢たる所以が」
俺達ももう水をがぶ飲みし始めた。どんどんと出ていく汗が新陳代謝を促しているって気になる。
その間も三人は何か話していたようだ。
――― わざわざ上司の憩いの時間を邪魔しに来て、言うのがそれか。
――― 言いたくて言いに来たわけじゃないんすけど。二人の世界の邪魔しねえよう、どんだけこっちが静かにしてたと思ってんすか。しかもボス、知ってて無視してましたよねっ?
――― さあ。気づかなかったな。可愛い娘しか目に入っていなかったよ。
何なの、あの人。
ウェスギニー大佐のことは知っていた。だが、こうしてプライベートな姿を見続けていると、噂に翻弄されていたことを実感する。
出世の為なら何でもする男。そう言われていた男の弱点はもう明らかだ。
この情報が貴族社会に広まれば、アレナフィルちゃんにはハニートラップが休む暇もなく仕掛けられるだろう。ウェスギニー大佐は敵が多い。
いや、軍にも敵は多い。いずれアレナフィルちゃんが成人したら、あのいけすかない大佐の娘をもてあそんでやろうと思う奴は出てくる筈だ。
だが、あんな将来有望という意味ではトップ独走中のエインレイド王子の横にいて、健全にお友達しているとなると・・・。
それ以前に、寮監している士官四人に対して対象外宣告をしたアレナフィルちゃんは、かなり冷徹に男を判定する。ハニートラップを仕掛けられたところで、あの子が引っ掛かるだろうか。
――― 言うと思いましたよ。けど、こっちの邪魔しねえよう、めっちゃクソ熱いスチームサウナ入ってた俺らは限界なんっすよ。そろそろ出ましょうぜ、ボス。夕食時間的に合わせねえとってんで、俺がババ引いて言いに来たんすよね。
――― 私はフィルと二人きりの食事でも良かったんだが仕方ない。じゃあ、フィル。シャワーを浴びて出ておいで。それから支度して夕食に行こう。
――― はい、お父様。
もう誰も気にしないから、パピーでいっていいと思うよ、アレナフィルちゃん。
何故そんなばればれなことを、未だにばれていないかのように振る舞おうとするのか。俺にはそれが分からない。
いや、仕方がないんだ。
女神様、世間知らずすぎて、言い張ればどうにかなると思ってるんだよ。




