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43 グラスフォリオンは騙されたフリをする


 

 お目当ての女の子がバイトだなんて脈無しもいいとこじゃないかと、そんなことを言っていた先輩達だが、その女の子が倒れたとなればさすがに慌てたらしい。

 俺の名前は、ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。王宮の近衛に所属する少尉ながら、国立サルートス上等学校で用務員を装って王子エインレイドの警護を行い、今はサンリラで休暇を楽しんでいるところだ。王宮勤務な先輩達に見守られて。

 屋上に集音装置なんぞ取りつけていなかったから会話は聞こえなかったが、俺はクラセン講師とアレナフィルちゃんが明るい表情で302号室に戻ったことを確認し、1階に行った。

 そこには先輩方がだらけた格好で思い思いに寛いでいるが、テーブルの上には幾つかのフォトや書類が散らばっている。


「すみません、遅くなりました」

「仕方ないさ。さすがに税関の監視映像装置は画質が悪くてな。特徴的によそからの映像を利用してフォトに落としこんだものだ。その男を見ていた後、アレナフィル嬢は倒れた。特にやり取りは無し。男はアレナフィル嬢に何の反応も示さなかった。空気汚染確認されず。健康状態問題なし」

「そうですか。・・・知らない顔ですね」


 俺は薄い金髪に淡い緑の瞳をしたそのフォトをテーブルから取り上げてじっと見た。特にアレナフィルちゃんの身近な人に似ているということもなさそうだ。


「レミジェス殿にも確認してもらったが、似たような顔の知人もいないそうだ。この男は、サルートス国に来るのは初めてだと言っていたらしい」

「レミジェス殿が把握していないだけで、誘拐されたとか襲われそうになったとか、そういう事件でもあったのでしょうか。その際の加害者に顔がそっくりだったとか」

「分からん。ウェスギニー大佐は現在連絡が取れない状態だ」

「と言いますと?」

「特別任務中だ。アレンルード君は、昔見た動く死体の出てくるドラマで似たような血だらけの顔を見たかもしれないとか言っていたな。ま、お前さんもそう時間外にそう真面目に取り合うなよ。俺達だって片手間仕事だ」

「言える。ガルディアス様、予定外の四人ついてるしな。と思ったら警護以外の作業押しつけてくれるし」


 先輩方はフォリ中尉の警護を行うのだが、寮監をやっているサラビエ基地出向組寮監チームが間近にいるので、ほとんどアレンルード君の教育係と化している。フォリ中尉の警備よりもアレナフィルちゃんの見守り係に業務が変更されていることに最初はぼやいていたが、最近は好意的だ。

 所詮は子供なのであまり真面目にやっていたら飽きてしまうだろうと、フォリ中尉からも適度に息抜きするように言われているので、ちょくちょくとアレンルード君を遊ばせたりお菓子をあげたりしながら近衛に入るといいぞと刷り込み中だ。


「それならお言葉に甘えまして。怖いの駄目だったのか、アレナフィルちゃん。それで気絶しちゃうだなんて可愛すぎ」


 俺の言葉も崩れてしまう。陰ながらの警護の筈が、彼等もアレンルード君に尾行のやり方を教えながらのそれに変更されたわけで、そこにはフォリ中尉の意向が多分に、いや、全面的に影響していた。

 本来はいくらフォリ中尉の要望でも警護に彼の意向は無視されるものだが、アレンルード君が武器の使用にある程度の慣れがあったことと、生徒として大人では入りこめない場所にまでエインレイド王子と共に行動できることが考慮された。

 たとえ変装して違うクラスばかり渡り歩いている王子でも、アレンルード君はクラスメイトだ。そして双子の妹がいればこそ、その気になれば王子と簡単に合流できる。用務員よりも護衛として望ましい位置にいる貴族令息なのである。

 何より護衛の甲斐がない護衛対象を警護しているより、アレナフィルちゃんの報告をこまめに行っている方が、それを受け取る王宮側が喜ぶことも影響しているだろう。ウェスギニー子爵が表に出さない恥ずかしい子と思われていたアレナフィルちゃんは、今や表に出したくないぐらいに大切なウェスギニー子爵家の秘宝と思われているのだ。

 そしてアレナフィルちゃんの尾行も、途中で飽きたアレンルード君を楽しませる方向にフォリ中尉自らが転換していたのだからどうしようもない。


(どっちもまだ子供だからな。明日のヨットを取りやめる必要もないか。アレナフィルちゃんもそんだけ怖がりなら無茶なことしねえだろ)


 動く腐乱死体(リビングデッド)に似ていたのか。うん、そりゃ倒れるかもな。

 やっぱり小さな女神様、俺がいつだって大事にしとかなきゃ駄目だろ。


「ご飯も元気に食べてたんだろ。なら大丈夫さ。近くで見てもそっくりだったな、双子のお兄ちゃんと。こっそりフォトをエインレイド様に渡してるんだが、とても喜んでおられた。普段、スカート姿見ないからって。ほらほら、お前さんは休暇中だろ」

「本当は一緒に来たがっておられましたからね。そんじゃ失礼しまして。・・・なんでエインレイド様と仲いいんです?」

「昔からエインレイド様、ガルディアス様大好きっ子だったからな。だから俺達じゃエインレイド様の警護につけないのさ。すぐ笑顔で駆け寄ってこられてしまう」

「え。ちょっと待ってくださいよ。俺達より先輩方の方がもしかしてエインレイド様と仲いい?」


 護衛対象からの信頼、おっさん達に負けた。なんてこった。

 俺は空いている椅子にどかっと座った。


「当たり前だろ。ウェスギニー大佐と二人でディナーに行くつもりがみんなと一緒になったことも書いておいたんだが、それで思いつかれたのだろう。エインレイド様、王妃様をディナーに誘われたそうだ。陛下はトフィナーデ様がお誘いになったらしい。それをお聞きになった大公妃様が、ガルディアス様のお戻りを手薬煉(てぐすね)引いて待っているとか」

「無理じゃないですかね。ガルディアス様、察しないっつーか、察する気ないですよ」

「そーだろな」


 アレナフィルちゃんはエインレイド王子の一番近くにいる女子生徒だ。

 王宮が集めている様々な姫君や令嬢の情報リストからは何故か名前が洩れていたが、現在はその名が明記されている。同時にあの子は当て馬みたいなもので、本命は別にリストアップされているという話でもあった。

 何にせよウェスギニー・インドウェイ・アレナフィルの情報に、リビングデッドが苦手だという項目が一つ増やされたことは想像に(かた)くない。その情報、必要なのか? 大抵の令嬢は苦手だろ。

 



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 様々な国の言語を操るクラセン講師と違い、アレナフィルちゃんはファレンディア語に特化している。

 だから毎日税関事務所だけではなく、一般の輸入会社などにも税関事務所でスカウトされてバイトに行っていた。

 怪しげな会社は税関事務所も止めるからだろう。信頼のおける会社ばかりだそうだ。

 毎日楽しそうにあちこちの会社で働いている。どうやら時間数でカウントされるバイト契約にしたらしく、あちらもアレナフィルちゃんが来る時間に合わせて仕事を用意しているようだ。

 翻訳や書類仕事がメインだとか。


「説明書とか、分かりやすく使い方が書かれている方がいいですからね。あ、お裾分けで調味料ももらってきちゃいました。だけど味見してみたら、説明書に書かれていたよりも量を減らして使った方が美味しい感じかなぁ。だからみんなにジャッジしてもらおうって」

「ふぅん。それで2種類のソースが出てるんだ?」


 輸入会社からもらったという調味料も夕食で出されたりする。バイトが終わって帰宅ついでにマーケットで買ってきたものを調理して夕食にしてくれるアレナフィルちゃん。

 本気でこの子、使用人がいなくても暮らせそうじゃないか?


「そうなんです。こっちの赤いお皿が説明書に書かれていた使い方で、青いお皿が私なりに水で薄めてからオイルや酢や甘みを混ぜて作ってみたソース。これ、説明書が間違ってると思うんです。水で薄めて使えるお得な濃縮タイプな気がするんですよね。運搬を考えて濃縮タイプを買ってきたつもりが、説明書は普通の薄めていないタイプのをもらってきたんじゃないかなぁって。そういうケアレスミスってありそうだと思うんですよ。ふっふっふ、私ってば名探偵っ」

「ははっ。じゃあ今度は名探偵グッズも買いに行こっか。変装用に可愛らしい髪ゴムをプレゼントさせてください、ウェスギニー名探偵。実は大佐の香水いいなと思って、俺の香水も見てほしくてさ。女の子に嫌われない香りが知りたいんだよね。そのお礼」

「え? いいのっ? リオンお兄さん、そしたら私にイメージチェンジされちゃうかもっ」

「望むところさ。だって休暇中は色々なことにチャレンジするものだろ? 俺達、面倒だから友人が使ってる香水、そのまま買ってきてもらってるんだよね」

「へえ。お友達が柑橘系、好きだったんですね。似合ってます」

「汗かいてもごまかされやすいしね。俺達全員お揃いなら統一性も出るだろ。みんな面倒だから同じのを更衣室に一本置いておけばいい」

「なんという理由。だけど合理的」


 うん、いい感じだ。俺はデートの確約をとった。

 どうやら貴族令嬢だけどバイトしているぐらいだからそこまでお金持ちな家ではないのだろうと思われているらしく、アレナフィルちゃんはバイト先でちょくちょくと声を掛けられているらしい。

 だけど父親と保護者であるクラセン講師の許可を取らないとお出かけはできないと言っているようで、そのあたりは全滅だ。


「香水ねぇ。俺らだと無臭を心がけてっからなぁ」

「そうなんですか?」

「そうそう。俺はたまぁに内部監査みてえな仕事にも回されっから、特徴のあるものは排除しとくんですよ、お嬢さん。ま、潜入する時にわざと特徴的な香りのものを使ったり、そーゆー仕事じゃない時には好きなのを使ったりもすんですけどね」

「あれ? 父の部下なわけですよね? じゃあうちの父も香水駄目なんですか?」

「いんや? ボスみてえに顔が知られてる人が潜入は無理っしょ。それに任務によって上司も変更されるんっすよ」

「大変なんですね。じゃあヴェインお兄さんには今日お魚をオマケしたげます」

「えー。魚かぁ」

「ちゃんと小骨は取ってありますよ」


 白身魚のフライに対して出されたソースは、どちらがいいかという問いに対して半々な反応だった。


「こういうソースは濃いのが当たり前では? アレルちゃんが薄味好みなだけで間違ってないと思いますよ」

「それはどうだろう。濃いと分かっているから少量をつけたが、普通にソースとして使うならどっとつけるだろう。そうなるとこちらの薄い味が本来の味ではないかと俺は思う」


 マシリアン少尉に対し、ドネリア少尉が()(とな)える。

 俺も濃い方は少量つければいいだろうと思ったが、薄い方はたっぷりつけて味を楽しめる。どちらがいいかと言われても、どちらも悪くないって感じだ。


「舌の肥えている先生方でも半々ですか。うーん。じゃあ、オマケで1枚レシピを作っておこうっと」


 アレナフィルちゃんは夜遅くまでかけて、1枚の紙に薄めて使う時の配合や簡単レシピを幾つか分かりやすく書いたものをイラスト付きでまとめていた。

 いい子だ。いい子すぎる。

 その輸入会社ではアレナフィルちゃんのレシピを社員がそれぞれ試したらしい。


「えっへっへー。できれば違うレシピも1枚分欲しいなって言われちゃいましたぁ。それもちゃんとバイト代出してくれるって」

「アレナフィルお嬢さん、売りこみ方がえげつねえっすね。そりゃ翻訳できる奴はそれなりにいるっしょうが、独自レシピまで書けるなんざ独壇場じゃないっすか」

「面白そうだからそのレシピと調味料を2つずつくれないか? エリーが喜ぶだろう」

「先生方には好きなだけ差し上げますよ。あげたのには簡単なソースとかちょっと隠し味的な使い方とか、見栄えのいい使い方とか書きましたけど、本来はもっと違う奥行きがある調味料なのです。クラブルームにも持っていくと思うので、ガルディお兄様から渡すなら、クラブメンバーには黙っててねって言っておいてくださいね」

「ああ」


 台車を借りてもらった調味料を持ち帰ってきたアレナフィルちゃんだったが、半分にあたる15本程をフォリ中尉に渡していた。使いきれないという思いがあったからだろう。

 さすがのフォリ中尉も、

「こんなに要らん」

とか言っていたが、

「だーいじょーぶ。先生方で分けたり、お土産にしたりしたらすぐはけますよっ。ちゃんとレシピもつけたげますっ」

と、押しきられていた。

 アレナフィルちゃんも子爵邸やヴィーリン夫人にお土産で渡したとして、ファレンディア風料理を作らないならなかなかはけないという気持ちがあるのだろう。無駄にしたくないんだな。


「アレナフィルちゃんはお料理するからいいんだけどね。俺は男子寮の食事を回してもらってるから、料理することはまずないし」

「それは言えますね。俺の住んでる部屋も調味料なんてあったかなぁって感じかも。ソースなんて賞味期限が切れたのが何年前やらってとこですよ。アレナフィルお嬢さんにゃ分からねえかもしれんが、一人暮らしの男のキッチンなんて酒とつまみしかないっつーの」


 俺とオーバリ中尉は遠慮しておいた。自分で作るより作ってもらった方がいい。


「ソースや隠し味にしか使えない、そう思うのがド素人っ。この真髄っ、見せてあげましょうっ。色々なメーカーが出している調味料ながら、じゃじゃーんっ、私がこの調味料にここまで根性を入れたのはっ、ここが美味しいメーカーだからなのですっ。ふっふっふ、こんだけもらったら惜しくないっ。お肉を焼いて煮込むのにもこれはお役立ちなのですっ」

「こら、子ダヌキ。反り返りすぎだ。後ろにひっくり返って頭打っても知らんぞ」

「お? おおうっ、私に何かあったら世界の損失」

 

 フォリ中尉が横に座っているアレナフィルちゃんの後頭部をツンツンとつついた。椅子の脚が浮いていたことに気づいてアレナフィルちゃんが慌てて姿勢を戻す。


(税関事務所が子供のバイトを雇うって時点で異例なんだよなあ。優秀すぎたんだろうが、どんなものかと雇ってみた会社もあるだろう。お役立ちなのはいい。目立ちすぎるのがまずい。貴族がバイトなんざいいことには思われん)


 いくら余った分とはいえ、もらってきた調味料の数も多すぎる。きっとそれは、外国の慣れない調味料を普及させる目的もあって渡してきたのだろうと、俺は察した。

 何かで出たことがあったかもしれない調味料だが、外国のソースだけあってあまり美味しくないなと感じたものだ。だが、アレナフィルちゃんが出してくれたので、俺はあの時のまずさを覚悟した上で食べたが、特にまずいということもなかった。使い方が悪かったのだろうか。

 それとも美味しいメーカーだからこそ、これが美味しく感じるのか。


(取りこまれている。取りこまれているぞ、アレナフィルちゃん)


 思えば何かと美味しく食べたいアレナフィルちゃんだ。

 書いていたレシピも、子供でも作れるような簡単な使い方が多く、俺達も味見したが、拒否感は出なかった。

 1枚の紙にまとめたのは、印刷するのも簡単だからという理由だったが、両面に印刷すれば1枚でもっと試してみたい購入者が増えるだろう。だから追加で頼まれたのだ。

 本人が喜んでいるからいいんだが、現物支給に釣られて広告作業を押しつけられたと気づいていないアレナフィルちゃん。彼女には違う野望があったらしい。

 どうやら余っている物やもらえる物は全部ゲットする気だ。


「えへへー。リオンお兄さん、運転できるから、もしも沢山もらったら、移動車出してもらっていいですか?」

「勿論かまわないよ」


 さすがに税関事務所はどうにかなっても、一般の会社には入りこめない。たとえもらった物を運ぶだけでも入りこめるならそのチャンスは逃すべきではないと、俺は微笑んだ。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 まさかあんなにももらってくると思わなかったのだから仕方がないだろう。

 数日後、俺は倉庫の片隅で「アレルちゃん用」という貼り紙付きの木箱の量に、一瞬言葉を失った。


「アレナフィルちゃん。バイト代、全部注ぎこんでコレ買ったの?」

「もらったんです。バイト頑張ってたらご褒美って。リオンお兄さん、大型移動車、運転していたぐらいだから運んでもらえるなって思って」

「そうなんだ。もらった、ねえ」


 バイト代、残ってないんじゃないの? こんだけもらえるってどんだけ出したよ。

 アレナフィルちゃんの懐が心配だ。


「はい。中身は本なんですけど、あ、こっちはお酒。それからこっちは缶詰。瓶の調味料はこっち。後は色々な雑貨なんです。販売の流通上、まとまった数で販売するから、どうしても余剰が出るそうで」

「そうなんだ。どうせ寮監の誰かは定期的に移動車で行き来してるし、ついでにウェスギニー家に配達してもらってあげるよ。開封せずにそのまま自宅に送りたい物を教えてくれる?」

「えっ、いいんですかっ? 良かったっ。あ、お酒はこっちで飲んじゃいましょう。調味料も幾つか残してあとはおうちっと。うちは無人だけど、近くにマーシャママのおうちがあるから地図描いておけばいいですねっ」

「ヴィーリン夫人のお宅なら俺が知ってるから大丈夫さ。ウェスギニー子爵邸でもいい」

「いえっ、そこは自宅でっ」


 目が本気だった。これらを祖父母や叔父に見られたくないのだろうか。

 アレナフィルちゃんに、自宅に直行させたい木箱にシールを貼ってもらって、

「後は俺が積んでおくよ」

と、俺が頭を撫でると、嬉しそうに笑う。


「大変だから手伝います。その為に早く来たんだし」

「この程度が大変だと思う虎の種はいないさ。どちらかというとさっさと積んでしまうから近くにいられる方が危険なんだ。俺達は普段、周囲に一般の人がいないことを確認してから動くからね」

「む。なるほど、そうでしたか」

「ああ。こんな木箱、ひょいっと足で蹴り上げた所に人がいたら危ないだろ?」


 離れた所に座らせて、しばらく見てもらっていたら納得したらしい。


「すごぉい。本当に軽々と運んじゃうんですね」

「安心したかい? じゃ、行っておいで」

「はい」


 手を振って事務所の方へ走っていくアレナフィルちゃんの後ろ姿が可愛すぎた。

 ぽんぽんと載せてしまえば、さて、あの寮監している士官達に運んでもらうよりレミジェス殿に渡した方がいいような、悪いような・・・。

 ウェスギニー子爵邸の方が、使用人達もきちんと整頓までしてくれるだろうに。

 俺はしばし迷った。そこへ、ひょいっと倉庫の入り口から男が顔を出す。


「あ、もしかしてあなたがアレルちゃんのお兄さんですか? いやぁ、アレルちゃんにはお世話になってます。おかげで倉庫で埃をかぶってた物も一通りはける物ははけました。アレルちゃん、不用品はもらってくれましたしね」

「あ、はい。親戚の者ですが、お世話になってます。えーっと、だからってこれはもらうには多すぎますよね? 積んでしまいましたが」


 俺は移動車に積んだ木箱を指さした。

 笑顔で近寄ってきた男は、なんと社長だったらしい。


「いやいや。何でも中の本は公序良俗に反するってことでファレンディアでは良くてもサルートスでは販売しちゃいけなかった物なんですよ。ま、個人で楽しむ分にはいいわけで、お兄さんも楽しんでください。移動車で運ぶって言うから、他の会社の倉庫からもアレルちゃん用のを積んでったんです。うちだけじゃないから安心してください」

「はあ」


 倉庫で声をかけてきた社長に尋ねたら、アレナフィルちゃんは「歩く処理係」という異名を取っていた。


「お酒もこの味を喜ぶ人がいなかったんだが、アレルちゃんが冷やしたり温めたりの美味しい飲み方やその際にぴったりなおつまみを書いてくれてねぇ。皆も試してみたらこれが合うんだよ、また。しかもその飲み方が美味くてねえ。私もはまりましたよ」

「それは、・・・良かったです?」

「うんうん。何でもお父さんや親戚のお兄さん達が良く飲むとかで覚えたそうですね。はっはっは。今回、その試飲をしてみた(おろし)の人達からも好評でね。その際はアレルちゃんが裏方でおつまみを作ってくれて、ファレンディアの調味料を使ってくれたおかげで一気にはけましたよ。いや、本当にあの子はいい子ですな」

「ありがとうございます」


 どうやらなかなか売れない物に対して売れるような使い方アドバイスをしたり、その使い方イラストを描いたり、説明書のない物に説明書を作ったり、販売が法に触れる物は個人間の贈与ということでもらうことにしたらしい。

 平たく言えば、木箱の中身は大人向けな本だとか。本は輸入貨物の隙間を埋める程度に仕入れていたので大々的な損失にはならないそうだ。

 他の社員も、そういうことならとそれなりの数をもらったそうだが、いくら個人で楽しむと言っても、誰しも自宅の本棚には限界があるらしい。


(そうだな。ウェスギニー家なら十分に空きスペースはあるだろう。だが、誰がこんなけしからんフォトブック読むんだ? そしてアレナフィルちゃん。君、これを祖父母に知られたくなかったんだね。うん、問答無用で全て処分されるな)


 俺はやはり寮監をしている士官達に荷物を運んでもらおうと決意した。アレナフィルちゃんの行動は見られているし、こういった物を運んでもらうとなったらこっそり中身も調べられる筈だ。

 公序良俗に反する肌色成分多めな本を読み耽る令嬢は妃候補には相応しくないという声が出てくれて、俺は全く構わない。

 目を離した隙に何かをやらかすあの子を、俺はいずれ手に入れたいのだから。

 その時の俺は、まさかアパートメントでみんなに対し、

「売れない本、もらってきちゃったんです。ファレンディアの本だからそこらの本屋では買えないですよ。皆さんも好きなのどーぞ好きなだけもらってください」

と、やられるとは思ってもみなかった。


(隠す気ないのかっ。って、恥じらいはどこ行ったっ!?)


 言うまでもなく上等学校生がバイト先でもらってきた本を分けてもらおうとする大人はいないわけで、誰も見に行こうともしなかった。ゆえに内容がどんな本なのか、誰も知らないままで終わった。

 そして寮監をしている士官も、

「これらの中身は全部本って、どんだけもらってきたんだ」

と、呆れる程度で中身をチェックせずに運んだらしい。

 クラセン講師が手に入れてきた外国語の本を楽しそうに読んでいたのを見ていたから仕方ないのだろう。ファレンディアの本なんて俺達では読めない。

 アレナフィルちゃんのファレンディア語はかなり堪能で、通訳をこなせるレベルだとクラセン講師も言っていた。本もサルートス語並みに読めるそうだ。

 そんな先入観があって、どうしてその中身の本がいかがわしい内容ばかりだと思うだろう。

 人間、放っておいても中身をペラペラお喋りする子が相手だと、チェックする手間を省いてしまうのだと俺は知った。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 ふらりとウェスギニー大佐はやってくるが、やはりふらりといなくなる。

 全く予告なしに現れ、いなくなる直前になって「今日からまた戻れない」と告げるそれにムカムカきたのは俺達ぐらいで、アレナフィルちゃんは平然としたものだった。


「いつもそんな感じですよ。家族でも情報は流さないのも仕事の内なんだって言ってました」


 俺達だってそれは分かっている。だが、やられると地味にむかつく。信用されていない気になるからだ。

 一緒にいて初めて、同じ軍の所属であろうと意識が違うということを突きつけられる。ウェスギニー大佐は家族であろうと、同じ軍に所属する士官であろうと、情報漏洩の要因になりかねないものはきっちり排除するのだ。

 愛情や義理といったものすら任務には関係ないと、ウェスギニー大佐は割りきっている。

 だが、これは微妙な誤爆をもたらした。


(軍に所属する貴族の離婚が多いのは、放置されてエスコートしてくれる夫がいないことにむかついた妻の当てつけ浮気が原因だ。ネトシル家だって、それだから軍に力を入れている一族と縁を結ぶ。そういう家の令嬢なら理解があるからだ)


 アレナフィルちゃんはこの年齢でそのあたりを理解し、安全な場所にいる自分達が文句を言うことがおかしいと考え、そんな父親を(ねぎら)おうとするのだ。

 妃としてはいささか元気すぎるし身分にも問題があるが、自分の妻ならいいんじゃないか? と、考える奴だって出るというものだ。寮監をしている士官達にしても、フォリ中尉にくっついて色々とやっているせいで、恋人との間に隙間風が吹いていたりする。

 フォリ中尉の警備で交代する士官達も、アレナフィルちゃんの行動を話題にあげるわけで、自分の妻や恋人より羨ましいぞといった感想がちらほらし始めた。

 今のところは妻や恋人に対して贈り物でどうにかごまかしたり繋ぎとめたりしている士官や兵士達だが、アレナフィルちゃんは贈り物がなくても怒ったりしないし、理解を示した上で、無事に戻ってきてくれたならそれでいいと笑うのだ。


(アレナフィルちゃん。君には大きな謎がある。あんな顔だけの父親のどこがいいんだ?)


 いついなくなるか分からない父親だからか。ウェスギニー大佐が戻ってきたらアレナフィルちゃんはくっつきまくりだ。同じベッドで添い寝してもらいながら、ずっとお喋りしているらしい。

 二人きりだと、「パピー、パピー。フィルね・・・」と、甘えているのに、俺達がいると「お父様。私は・・・」と、貴族令嬢らしい話し方を心がけていると、実はみんなにばれているところが可愛かった。

 そして今日、ふらりとウェスギニー大佐は戻ってきた。


「お父様、お帰りなさい」

「ただいま、フィル。いい子にしてたかい? ほら、エインレイド様からだ。缶の模様と色合いが綺麗だからだそうだよ。中身は花の香りがするお菓子だ」

「うわぁ。ありがとう、お父様。レイド、元気そうだった?」

「そうだね。心の甘みが足りないとか言ってたかな」


 針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳が、娘をじっと見下ろす。


「そっか。じゃあ外国のオモチャ、お父様、持って帰ってくれる? ぐねんぐりんしていて面白かったの。見たら一発で元気になっちゃう。レイド、ああいうくだらないのも笑えると思うの。きっとおうちだとおやつを好きなだけ食べられなくて悲しかったんだね。学校が始まったら私もお菓子あげるの」

「いいけど渡すのは少し日数がかかるよ。報告がてら王宮に寄っただけだからね」

「大丈夫。お菓子のお礼はお手紙書くし、いつ届くか分からないのって楽しいもの。渡せなかったらお父様がみんなと遊べばいいと思うの。お仕事で運ばれてる時、見てるだけで面白いからお父様がもらってくれてもいいんだよ」


 それは予想できない動きをするあの玩具(おもちゃ)だろうと、俺達は察した。

 まさにぐねぐねした動きをしたかと思うと、いきなりぴんっと動きを止めたりする。芋虫のような形をしたそれは中に重心が移動する物が入っているらしい。うねったり、直立したり、そういった仕組みはどうなっているのか分からないが、虫みたいな模様のカバーをかけたら巨大な虫だと思って女性や子供は悲鳴をあげるだろう。


「今日は休曜日だったからお休みだったのかな。夕食は食べに行くかい?」

「ううん。お父様、まずはゆっくり休んで。あのね、税関で荷物チェックする時、お酒って本当にお酒かどうかのチェックもあるんだって。それで開栓したのをもらってきたの。ついでにラベルが傷んだのももらってきたの。そのお酒出したげる。昨日はフレッシュなのを冷たくして出したんだけど、今日はね、あえて熱くしてみる。熱いお酒がのどを通り過ぎながら酔いが程よく回って気持ちいいの。気の張る仕事を終えた時にはあれがいいんだ。・・・あ、飲んだことないから私には分からないけどっ。会社の人がそう言ってたっ」

「・・・そうか。楽しみにしておくよ。じゃあ、ちょっとひと眠りさせてもらおうかな」

「うんっ」


 アレナフィルちゃんを再び抱きしめて頬にキスしたウェスギニー大佐はクラセン講師に合図すると、二人で寝室へと消えていった。

 現在、302号室は俺達にとって憩いの場になっている。リビングルームなど色々な物が散乱しまくりだ。

 色々と言いたいこともあっただろう寮監チームは、沈黙を選んだ。何故なら昨日のキンキンに冷やして飲むという酒があまりにも美味だったからだ。

 

「揚げてから煮て、それから冷やしたのが美味しいんだよねーっ。あれがもう合うのなんのって」


 ふっふっふとご機嫌なアレナフィルちゃんがダイニング・キッチンルームへいそいそと移動する。


「昨日のも美味しかったし、あれをもう一度出したら大佐も喜びそうだけどな」

「そうなんですけど、ほら、父ってば移動してきたばかりじゃないですか。そういう時は程よく酔いが回るのを飲んで心地よい眠りについた方がいいんですよ。あれもいいですが、今日のもいいと思いますよ。昨日のは明日にでもまた出しますね。淡白すぎるかなぁって思ったけど、そうでもなかったから明日のおかずはもっと通なものにしてみましょう」


 俺が気に入ったと知って、ご機嫌になるアレナフィルちゃんが可愛すぎた。


「アレルちゃん。どうして大佐も知らない飲み方を君が知っているのかなって、こっちは不安になるんだけど」

「嫌ですねぇ、ドルトリ先生ったら。世界には本という素晴らしい知恵を教えてくれるものがあって、私はそれを読みこんでいるだけなのです」


 そんな戯言(たわごと)を信じている奴などいない。

 ドルトリ中尉はウェスギニー家の近くの酒場で、夜になったら厨房で働く娘がいなかったかどうかを調査させていた。

 双子の兄に変装できることも踏まえて少年姿も考えられたが、年をごまかすならばやはり化粧をして大人に見せかけるだろう。

 髪の毛をペイント剤で変えていた可能性も踏まえて聞きこみをしているが、はかばかしい結果は得られていないようだ。


「熱いものと冷たいもの。ツンと鼻に抜けていく辛味と、じんわりと口内に広がる甘み。様々に違う味をつまみながら味わうお酒。ああ、早く大人になりたい」

「大人になってもならなくても、行動そのものは一緒っすよね。子供ん時には見逃されても、大人になってからの酒乱はボスも皆に平謝りしなきゃならなくなるんで、諦めて一生酒断ちしたらどっすか」

「そーゆー意地悪言うヴェインお兄さんにはアルコール飛びまくったお酒を出しちゃいますよっ」

「すんません。俺が悪かったです」


 酒がなくてもアレナフィルちゃんが作る料理を囲むのは楽しい。出されるお酒と一緒に食べると、もっとその時間を楽しみたくなる。

 安いワインをチープそうなつまみと一緒に出された時は、内心では「新兵が飲むレベルか」と思った俺達だったが、食べて飲んだらかなりその組み合わせに舌が魅せられた。

 あえて安いものの方がワインに合って、高いつまみでは美味しく思えないのだと、高い材料で作ってみたのを比較用で出されて、なるほどと感心した。

 問題は、「何故それを知っている」だ。


(ドルトリ中尉は夜の酒場説を取り下げないが、あの家を抜け出してどこか行ってたっつーのはやっぱりピンとこないんだよなぁ。何かとルード君と一緒に寝てたって話だし。しかもあの門、鍵もかなりしっかりしてただろうし)


 ちろりと舐めて味見することはあっても、アレナフィルちゃんはお酒を飲まずにみんなとお喋りしながら食べる時間を楽しんでいる。


「美味しそうだね、フィル。バイトは大丈夫かい? 辛いことはないかい?」

「大丈夫です、お父様。渡された書類を運んだり、荷物を言われた通りに分類するぐらいのお仕事だから」

「そうか。税関事務所がメインなら無茶もないだろう」

「そうなの。職員だけの特別食堂がとっても安くて素敵」


 父親が何も知らないと思ってヘタクソな嘘をついている小さな女神様がいるのだが、俺はどうすればいいのだろう。

 サンリラの税関事務所からサルートス上等学校のキセラ学校長にアレナフィルちゃんの問い合わせが行き、王宮経由でウェスギニー大佐へは既に報告が行っている筈だ。

 アレナフィルちゃんは優秀すぎたのだ。

 まさにファレンディア国人並みの語学能力を駆使し、今まで税金を安くする為に誤解を招く記載を続けていたそれを指摘し、更に使用用途の欺瞞も遡って訂正したのである。ファレンディア側の反論に対し、構造に関してのファレンディアの法まで持ち出してやりこめたらしい。


(なんでサルートス王国のバイトが、ファレンディアの法に詳しいんだよ)


 現在、ファレンディア国側の税関が混乱しているのではないかと言われているそうだ。

 肝心の本人はクラセン講師と、

「やっぱり脱税はよくないよ」

「そーだな」

と、暢気(のんき)なものだが、俺達には一連の出来事を隠している。

 そんなウェスギニー子爵家令嬢アレナフィルをサンリラに伴ったのがフォリ中尉ということで、彼の抜き打ち視察ではないかという見方が政務部門でも囁かれているとか。あえて事を大きくしない為、子供を使っただけだと。


(妃候補の令嬢だと目くらましをかけつつ、本当は自分の秘書として考えているのではないかってことも囁かれてる。はたまた大佐による娘の売りこみだとも)


 その真実は、アレナフィルちゃんが色々な物を手に入れたかったという単純な理由なのだが、誰も信じない様相を呈してきていた。

 それでもフォリ中尉とオーバリ中尉と俺は知っている。

 あの木箱の中の肌色成分多めな本をめくりまくって「これこそお宝っ」などと、アレナフィルちゃんがやっていたことを。

 アレナフィルちゃんに、

「このモデルさん、姉様によく似てると思うの」

と、プレゼントされたクラセン講師は、

「俺、実物派なんだよねぇ。見るだけってつまらなくないか」

と、言いながらも受け取っていた。

 俺達三人は、その内容はともかく、現実に持ち込まないならいいんじゃないかということで知らないことにしている。


(アレナフィルちゃん。幾つかの本を自分の寝室に確保してどーすんの。滞在中に見るの? 君の読書傾向が分からない)


 肝心の保護者は、自分といる時の娘は全くそんな本を読まずにべったり状態でお喋りしているものだから、全く気づかずにいた。

 俺は思った。

 親として失格だと。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 そんなある日の夕方、アレナフィルちゃんは恐怖ドラマで出てきた生きた腐乱死体(リビングデッド)によく似ているという青年を連れて帰ってきた。

 その淡い金髪と薄い緑の瞳をした青年は、クラセン講師、そしてアレナフィルちゃんと一緒にマーケットで買い物をして帰ってきているという連絡が来ていたからこちらも心の準備ができていたが、レミジェス殿とアレンルード君はこっそりその姿を見に行って、

「判断しがたいな」

「そうだね。好き好き出てないし、だけどなんか変」

と、言っていたそうだ。

 顔立ちは悪くないが、鍛えられているとは言い難い優男だとか。

 実際に見てみると、それも納得できた。フォトだけではなく本人を見ればもっと理解ができる。

 連れて帰ってきているのだから意気投合したのかと思いきや、どこか薄い膜を張って対応しているかのようなアレナフィルちゃん。だけど(いと)っているというわけではなく、いつもよりも野菜や海産物の多い食卓は彼の好みを考えたものなのか。

 かなり気を遣っているのが分かった。


「えーっと、これがサルートス・ファレンディア語の対比本です。これを見て指させば、お互いに何を尋ねたいのかが分かります」


 旅行者が使うと便利な二ヶ国語の対比本は、相手の名前や職業や年齢を尋ねるフレーズ、そして自分のことを紹介するフレーズなども同じマスの中に二ヶ国語で書かれている。

 だから何を尋ねたいのか、そしてよくある返答も指させば分かるのだ。しかし、何故知らない外国人を連れて帰ってくるんだ?


「せっかくだから夕食に誘ってきました」


 それは見れば分かる。

 だが、俺達はこの男の顔を見たアレナフィルちゃんが気絶したことを知っているのだ。もしやあの不出来な保護者が知らない内に脅迫とかされているのではないかと、誰もがそういったことを思い浮かべる。

 一体、この優男にアレナフィルちゃんはどんな弱みを握られているのか。

 フォリ中尉の腹心と言ってもいいドルトリ中尉は、まさにフォリ中尉の恋人が浮気したかのような怒りを内包しているのだが、一応笑顔を浮かべてはいた。

 あれはアレだな。フォリ中尉がアレナフィルちゃんを選ばないのは許せても、アレナフィルちゃんがフォリ中尉を選ばないのは許せないってヤツだ。

 可哀想なアレナフィルちゃん。俺ならあんな小うるさい取り巻きはいないのに。


「えーっと、アレルちゃんの亡くなったお母さんがお友達になったファレンディア人の弟さん、ですか」

「はい。母のお友達だったファレンディアの女性に、いつかお会いして母のことを聞かせてくださいと、お手紙を書いたところ、弟さんがちょうどサルートスに来る用事があったそうなんです。それでお手紙を配達しがてら、打ち合わせをと・・・」


 ドルトリ中尉が柔らかな水色(ベビーブルー)の髪を後ろに撫でつけた状態で聞き出しているのだが、その紺色の瞳は決して笑っていない。

 微笑みながらそれがここまで胡散臭(うさんくさ)いのは才能だな。

 人間、なんかいっちゃってる奴がいると冷静になるもので、俺達はそれぞれに渡された二ヶ国語の対比本をぱらぱらとめくっていた。

 気絶した割には好意的なところも見せるアレナフィルちゃんは、

「皆さん、同じ世代だからお友達になれると思うんです」

と、そんなことを言っていたが、どうして自分より年上の男達に外国人のお友達を作らせようとするのかが分からない。


「お名前は、トドロキさんだそうです。ロッキーと呼んでほしいそうです」

「呼ぶのはいいんすけどねえ、アレナフィルお嬢さん。そもそも言葉が通じるのがクラセンさんだけじゃどうしようもなくないですか?」

「だからその為に、質問内容の言葉を指させば何を聞いているかが分かる対比本があるわけじゃないですか」

「まあまあ。俺でよければ通訳ぐらいやりますよ。フィルちゃんもいるから会話は困りませんって」


 クラセン講師はその男にもにこやかに話しかけた。


【さすがに可愛い妹が初めてのボーイフレンドを連れてきたら尋問に入っちゃったようでしてね。ま、その内に落ち着きますよ】

【沢山の兄がいるんですね。誰もが全然似ていませんが】

【親戚筋の兄代わりですからね。血縁としては遠くなりますが、小さい頃からみんなを兄だと思って育っているから、誰にとっても可愛い妹なんですよ。目に入れても痛くないって奴です。おかげで父親も安心して預けて仕事に行ってます。やはり変な虫がついたら困るでしょう】

【なるほど】


 クラセン講師は俺達に向かって、

「保護者である父親に挨拶するのは当然だと主張するので連れてきたが、お宅らはみんなフィルちゃんの兄代わりで、同じ一族だって説明してあるからな」

と、言った。

 なんだか会話数と通訳の内容に、手抜きを感じずにはいられない。

 アレナフィルちゃんはドルトリ中尉を振り切ってキッチンの作業台に逃走した。


「とりあえず食事ができるまでこれを飲んでてください。スティック野菜でも齧りながら」

【食事ができるまでこれでもどうぞ。トマトを中心にした野菜ジュースです】


 俺達には小さなショットグラスに冷えた酒を、そして彼には生姜の絞り汁をちょっとだけ加えた野菜ジュースをグラスに注いでアレナフィルちゃんが出してくる。

 弱った胃腸にも飲みやすいということで教えてもらったジュースじゃなかったかと、俺は思った。

 自分一人だけ皆と違うものを出された彼は戸惑うような顔をしていたが、一口飲んで少し呆然としたかと思うと、まさに次々とオーブンや鍋をフル活動させているアレナフィルちゃんを見つめ始めた。


【何か気になることでも? 俺達と同じ酒の方が良かったかな】

【いえ。お酒よりもこの方がいいです。ですが親戚というだけでここまで実の兄妹のように仲がいいとは。それだけ男しか生まれなかったんじゃやっぱり可愛がられてしまうものかもしれませんが】

【普通ですよ】

【サルートス国では一族の繋がりがとても深いのですね。そしてこれだけの数の保護者がついていても、バイトをさせるとは、なかなかたくましい教育方針です】

【はは、暮らしに困ってなくてもバイトするというのはやはり変に思えますか】

【どちらかというと感心します。しかも皆さん、その体格で教育者とは、この国は文武両道を実践しているようだ】

【俺は生憎とスポーツは苦手ですけどね】

【私もです】

 

 何を話しているか分からなかったが、まあ、大したことではないだろう。

 クラセン講師もにこにことしながらも、当たり障りのない世間話で始めている様子だ。


「はい、ヤングコーンのオーブン焼き。そのまま皮剥いて食べてくださいね。あ、私のはお皿に三つ置いといてください。人参のグラッセは少し冷えてからの方が美味しいかも」


 テーブルにどどんと置かれていく料理は、いつもよりも野菜が多めだった。

 フォリ中尉がアレナフィルちゃんの横に立って話しかける。


「今日は野菜料理が多いな」

「大丈夫です。豚肉のフライにワインビネガーソースを絡めたのなんて、じゅわーでこってりだし、挽き肉入り包みを揚げたのだって熱々でフォークが止まらないですよ。だけど今日はどんなお酒が合うかなぁ。うーん。多分、辛口の澄んだお酒が合うと思うんですよね。フォ・・・、ガルディお兄様、物足りなかったら追加で作るから言ってください」


 アレナフィルちゃんは加熱していた油にそれらを投入した。

 フォリ中尉も気づいているのだろう。いつも食事やお茶を用意する時の歌がないことに。アレナフィルちゃんは料理の時間を歌で測る。


「いや。客人に合わせたメニューなんだろう? いい子だな」

「えへ、ありがとうございます。なんか濃い味付け苦手なのに、お肉と内臓料理ばかりで吐きそうな感じだったらしいんです」

「肉と内臓料理ばかり? なんでまた」

「どうやら通訳の人の好みだったみたいで、それがサルートス国で一般的な料理だと騙されてたみたいですよ」

「そりゃ気の毒に」


 一応、客人の反応を観察することにしていた俺だが、アレナフィルちゃんに声をかけた。


「何か手伝えることはあるかい、アレナフィルちゃん」

「それならリオンお兄さん、冷蔵庫にあるの、カットしてもらっていいですか? 焼いた茄子(なす)とトマトと炙った青魚を層にしてある奴。マリネで仕立ててたんで、お酒のつまみになるかなって思ってたんですけど、あっさりしているからおかずでも食べやすいと思います」

「それなら俺が切ろう」

「ありがとうございます、レオカディオお兄様」


 ドネリア少尉が立ち上がって冷蔵庫から取り出したそれをカットし、四角い大皿に盛り付ける。

 やがて肉料理も並べられ、アレナフィルちゃんも席に着いた。


「エビのスパイススープは辛そうであんまり辛くないけど、スパイスがあるから食欲出るんです。冷たいものばかりだと胃腸をひやしますからね。 【ロッキーさん。先にスープ飲んだ方がいいですよ。スパイス仕立てで辛そうだけどそこまで辛くないです】 あ、エビはまだお代わりできます。手が汚れたらこれで拭いてください」

【ありがとう。これで手を拭けばいいんだ?】

【そうです。汚れたら洗うから言ってください】


 アレナフィルちゃんは、みんなに濡らしたミニナプキンを配る。

 いつもより薄味仕立てだなと思ったが、彼にはちょうど良かったらしい。みんなには味付け用のソースや調味料なども出されていたが、彼はそのまま飲んだり食べたりしていた。


「貝のズッキーニソース、パンに合います。だけどパンがしっとりしすぎちゃうからみんなはお肉と食べた方がいいかも? 【ワイン蒸しした貝のズッキーニソースは、パンにつけて食べてください。フライや揚げたものはお肉だから食べられなかったらお魚料理食べるといいですよ】 」

【たしかに肉は一生分食べた後だけど。ピーマンのグリル焼き、中に何か入ってる?】

【よく太ってるからピーマンに見えるけど、青唐辛子なんですよ。だけどあまり辛くない青唐辛子です。チーズが入ってるから火傷しないように気をつけて】

【そうなんだ。・・・ん、たしかに熱々だ】


 俺達は豚肉や玉ねぎや人参を揚げてビネガーソースを掛けたものが気に入っていたが、彼はどうやらあまり肉は食べたくなかったようだ。玉葱と人参のフライだけって、それ一番美味しい具を逃してないか?


「ヴェインお兄さん、ちゃんと野菜も食べないと」

「俺、気遣いさんだから、お客さんに野菜譲ってあげてんだよね」

「嘘ばっかり。ちゃんとみんなの分、野菜だってあります」

【人参のは甘くしてあるのかな?】

【グリルしてグラッセにしましたけど、香辛料を散らしてあるから、甘いけれどそこまで甘くないって味です。人参を食べている気になりますよ。人参は目にいいんです】

【・・・本当だ。柔らかすぎない】


 尋ねられたら答えるアレナフィルちゃんは、説明する時以外は全く違う人を見て話しかけたりしているのだが、話しかけられたら一言もしくは二言、何かをプラスして話しているようで、その度に彼は何かを勧められて食べている。

 どれだけ野菜好きなんだろう。

 

「で、ロッキーさん。お仕事は何を? この国にはどんな用事で来たんっすか? お姉さんの手紙の配達だけじゃないですよね?」

【彼は、仕事のついでに姉の手紙を届けるなんて、なんて親切な人だろうと感心している。お仕事は何をしているのかと、尋ねた】


 早速、オーバリ中尉が彼に尋ねれば、クラセン講師が通訳をした。


【私は、体の補助を行う物を作る仕事をしています。例えば体の機能を一部失った人に義肢を作ったり、車いすでは目の位置が低くなるので動かない足を動いているかのように見せかけて移動できる道具とか、そういうものですね。義眼も作ります。サルートス国からそれを輸入したいという問い合わせを受けて、こちらではどれぐらいの設備があるのかを見に来ました】

「ロッキーさんは、義肢や義足、義眼など、更に生活の手助けをする機能を持たせたものを作っているそうだ。サルートス国で取引をもちかけてきた会社の設備を見に来たらしい」


 不思議なことにアレナフィルちゃんは通訳する気がないらしい。だけど俺達が話している時、彼をじっと見ていた。

 不思議だ。

 フォリ中尉や俺と話しているアレナフィルちゃんを彼が何とも言えない顔で眺めていたように、アレナフィルちゃんも彼を見ている。

 それなのに何を会話することもなく、視線が合いそうな時には見ていた方が視線を逸らすのだ。

 俺は食事が終わった時点で、皆に酒を勧めることにした。


「よかったら飲みやすい酒でもいかがです? 食後なら酔いにくいでしょう」

【彼は、酒でもどうかと言っている。食後なら酔いも回りにくい】

【いただきます】


 俺があまりアルコール度数の高くないものを作ればアレナフィルちゃんが不安そうな顔になる。


「リオンお兄さん。彼、あまりお酒、得意じゃないかも」

「え? そうなんだ? だけど低めにしといたし・・・。それに彼、了解しちゃってるけど」

【ロッキーさん。あまり胃腸、丈夫じゃないなら、お酒は控えた方がいいと、思います】

【毎日の内臓料理が苦手なだけで、別に胃腸は弱くないよ。肝臓も強いんだ。だけど心配してくれてありがとう、アレルさん】


 どうしてそこまで彼のことを案じるんだろうね、アレナフィルちゃん。

 俺としてはある程度酔ってもらいたかったんだが。

 やはり人間、酔えば注意力が散漫になる。


【そうそう。姉からの手紙を渡さなきゃいけなかったんだ。アレルさん、連絡をくれたら港まで迎えに行くから安心して来るといい。姉も、友人の娘さんに会えるのを楽しみにしている】

【ありがとうございます、ロッキーさん】

「それは、お姉さんから預かった手紙だそうだ。お姉さんは友人の娘であるフィルちゃんと会うのを楽しみにしていると、彼は言った」


 皆の前で手紙を開いたアレナフィルちゃんが、外国語の手紙に見入った。

 だけど嬉しそうには見えない。自分から手紙を書き、そして相手から返事が来たというのに、どうして喜ばないのだろう。



『 アレナフィルさんへ

  お手紙をありがとう。リンデリーナさんのお嬢さんに会える日がくるだなんて、とても嬉しいわ。

  ぜひ、いらしてくださいね。その時は迎えに行きますから、どこかに泊まるだなんて寂しいことを言わないでちょうだい。

  あなたのお母様との思い出を語り合う日がくるのを、指折り数えて待っています。 アイカ・トドロキ 』



 その内容を教えてくれるアレナフィルちゃんは、どこか悲しげだ。それでも笑顔を浮かべて、お礼を言う。


【嬉しいです。大人になってファレンディアに行くの、夢だったから】

【姉は友達が少ないので、喜んでいました。待っています】


 それなのに彼は不思議に思わないらしい。ただアレナフィルちゃんを見つめている。

 二人は何故か相手の反応を見ているようにすら思えた。手紙さえその小道具に過ぎないかのように。


【それでは、今日はご馳走になりました。そろそろお暇いたします】

「彼は、そろそろ帰ると言っている」

「あ。ホテルまで送っていかないと道が分からないですよね。レン兄様、私、送ってくる。 【道が分からないでしょう。どこのホテルですか? 教えてくれたらちょっと道を先に聞いてきます】 ガルディお兄様、管理人さんにホテルの名前聞いたらどこにあるかも教えてくれますよね?」

「女の子が夜に外に出るな。それなら誰かが送っていくさ。えーっと・・・」


 フォリ中尉が止めたのは、夜が理由だけじゃないだろう。俺達も頷いた。


「それなら俺が送っていくよ。ホテル名を聞いてくれ。すぐに調べてくる」

「そんじゃ俺も散歩がてら送ってきますよ。あ、通訳でクラセン先生もお願いします」

「はいよ」

「ありがとうございます、リオンお兄さん、ヴェインお兄さん」


 だが、調べに行くまでもなく、俺も知ってる高級ホテルだった。

 門の所までみんなと一緒に見送りに出たアレナフィルちゃんだったが、階下に降りる際、

「彼には油断しないでください。何か出されても口にしないで」

と、囁かれて俺は頷く。

 やっぱり俺、信頼されちゃってるよね。俺なら大丈夫って思ったのか。

 何も口にするなとは、見た目通りの優男じゃないらしい。


【ファレンディアでまた会いましょう、アレルさん】

【はい。まずはお金を貯めて、いつか行ってみたいです。その時にはお世話になります】


 別れの際の挨拶は、あくまで礼儀正しいものだった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 アレナフィルちゃんの忠告は有り難かったが、彼は何も仕掛けてこなかった。

 彼が知りたがったのはアレナフィルちゃんの亡くなった母親のこと、そしてファレンディア語をどうやって覚えたのかということ、そしてアレナフィルちゃん自身のことだった。

 それについてはクラセン氏が対応していた。俺達では分からない。


【あなたもファレンディア語はお上手だが、アレルさんのファレンディア語はまさにファレンディア人と言われても信じるぐらいです。亡くなったリンデリーナさんが教えたのですか? リンデリーナさんはどれくらい話せたのでしょう?】

【リンデリーナさんはあの子が幼い頃に亡くなっていましてね。最初に教えたのは私ですが、ファレンディア人で商売している人とかに教わりながら覚えたようです】

【そうでしたか。アレルさんは何がお好きなのでしょう。苦手なものとかありますか? 姉がとても楽しみにしているのです。ファレンディアの苦手な料理を出したら可哀想だ】

【特に好き嫌いはありませんが、お菓子をもらうと喜びますね。自分でも作ります。ですが、本当に迷惑ではないのですか? いきなり見知らぬ子供から手紙をもらって、あなたのお姉さんも驚いたでしょうに】

【喜んでいましたよ。是非、色々と話したいと。ですがあれなら通訳はいらないですね。ところでアレルさんは、いつも料理をしているのですか? 子供なのにかなり手際が良かったですね】

【実はちゃんと使用人はいるのですよ。だけどあの子は料理が趣味で、自分で作ると言って本当に作ってしまうんです。せっかくサンリラに来たのだからと、ちょくちょく外食に連れ出してはいるのですが、今日はロッキーさんの為に腕を振るったようですね。・・・無理に食べさせたのでなければいいのですが】

【いえ。とても・・・そうですね。食べたい味ばかりでした】


 俺達には何を二人が話しているのか分からなかったが、アレルという言葉だけは聞き取れる。

 二人で話してくれていた方が、変な動きがあっても気づきやすいのだが、俺は彼のアレナフィルちゃんへの執着を感じずにはいなかった。


(トール・トドロキか。ホテルに宿泊予定を出させよう。それからもう二度とアレナフィルちゃんに会わせない方がいいだろうな。何を盛るか分からない奴に接触させるなんざ言語道断だ)


 それはフォリ中尉も分かっていたようだ。

 彼をホテルに届けた後、警護に当たっている先輩が合図してきたので、俺は二人に先に帰ってもらって、ホテルからトール・トドロキの宿泊予定を出させる。


「トール・トドロキ様ですか。はい、もう半月ほどお泊まりいただいております。504号室、505号室、604号室、605号室ですね」

「何故、そんなに部屋を?」

「お連れ様がいらっしゃるからではないかと。それにミニキッチンのあるお部屋をご要望なさいましたので、テラス付きのお部屋を用意いたしました。いつまでの滞在かは決めておられないということです」


 そんないい加減な宿泊予定をよく受け入れるものだと思ったが、ホテルへの紹介者がファレンディアの外務大臣だった。

 レミジェス殿の所にも寄ってみたが、

「トール・トドロキというファレンディア人ですか。聞いたことがありません。兄に聞いてみなければ分かりませんね。しかし何も口にするなと言われるとは、一体どんな・・・」

と、困惑した表情だった。

 そしてアレンルード君は、

「うーん。フィルちょっとおかしかったよね、買い物してる時。怖がっている感じじゃなくて心配しているような顔だった。それなのにリオンさんに何も口にするななんて、そんな危険な人って思っててなんでフィル、そいつのこと心配してたんだろう」

と、そちらが気になる様子だったが、そうなるとリビングデッドは関係ないのかもしれない。


「彼もよく分からないんですよね。アレナフィルちゃんには通り一遍のことしか言わないのに、クラセンさんにはアレナフィルちゃんのことをかなり聞いてた様子で。姉の昔の友人の子供に興味なんて持ちますかねえ。しかも熱情を感じないっていうか、困ったような、・・・泣き出しそうな? いや、それはないか」

「うーん。父上や叔父上に見切りをつけてフィルってば全く違うタイプを好きになったのかなって思うところだけど、あの顔は違う気がする」

「そうなのかい、ルード?」

「うん。フィル、僕が病気してあまり食べられない時の顔に似てた」


 俺達はアレナフィルちゃんの行動から()し測ろうとするが、アレンルード君は表情から読み取ろうとするのか。それが兄妹というものかもしれない。


「ああ、そういえば肉と内臓料理ばかり通訳に案内されて肉にうんざりしていたとかそういう話でしたね。だから彼、アレナフィルちゃんの野菜と魚料理ばかり食べてましたよ」

「うーん。それって病人用の食事作りと変わらなくない? フィル、たしかあの時、冷たくて甘いの出してくれたよ。そういう時は食べやすいものを食べようねって言って」

「だけどフィルがそこまでするのはルードだからだろう。彼は初めて会ったって話じゃないか」

「そうなんだけど、本当に初めて会った時にはフィル倒れたんだよね? その後でもりもりご飯食べてたみたいだけど、やっぱり初めてじゃなかったんじゃない? だってフィルが本当に初対面なら近づかないと思うもん。フィルの警戒心、かなり強いんだよ」


 親しくなったらそうでもないが、初対面の人間は全て何かしらの思惑を腹の中に隠しているかのように思っているところがあったと、アレンルード君の方がそこは慎重だ。

 アレナフィルちゃんが俺に気をつけるようにと言ったことを気にする様子もなく、いつ知り合ったのかを考え始めた。


「アレナフィルちゃんからフォリ中尉が話を聞き出せているといいんですけどね。先輩がフォリ中尉から、適当な商談を入れて明日から彼をアレナフィルちゃんに接触させるなと命じられたそうですよ」

「うーん、さすがフォリ先生。叔父上、僕、権力というものを見た気がします」

「うちも子会社を迂回させて接触させてみようか。クラセン殿は兄上に頼まれてフィルの全面的な味方だから何も教えてくれないだろうしね。それよりルード、彼の宿泊をどう思った?」

「えっと、横にも下にも逃走できる感じ? 盗聴に備えてるのか、よく分かんないけど」

「そうだね。紹介者に大臣を持ってくることができるなんて、さてどんな背景があるのやらだ」


 そして俺がアパートメントに戻ると、フォリ中尉が1階で権力を行使しまくっていた。


「幾つもの商談を持ちこませろ。その外務大臣が今まで紹介した奴らのリストも調べさせるんだ。ウェスギニー大佐に連絡取れ次第、トール・トドロキについて問い合わせろ。それから彼の入国履歴もだ」


 最初に出された野菜入りのトマトジュース。そしてファレンディアの調味料を多用した夕食。

 食の好みを把握していて初対面。そんなことがあり得るだろうか。


「やはり夜はどこかの酒場で変装して出会ってたんじゃないですか? それならお互いに知らないのにアレルちゃんが彼のことを知っていた理由になると思いますが」

「場合によっては本人じゃなくその兄弟と知り合いだったということもあり得る。たしかアレナフィルはファレンディアの商人からもファレンディア語を教わっていたんだったな。それが彼の縁戚の者だったんじゃないか? だが、彼は姉しかいないと言ってたよな。本当のこととは限らんが、腹違いとか確執のある兄弟か?」


 ドルトリ中尉はあくまで酒場で働いていた説を支持しているようだが、フォリ中尉は直接の知り合いではないがお互いを知り得る条件があったと、そっちの線を疑っているようだ。


「レミジェス殿は知らない名前だと。そしてアレンルード君は、買い物している時のアレナフィルちゃんの彼を見る表情が、アレンルード君が病気になって食べられるものを聞き出そうとする顔によく似ていたと言ってましたよ」


 俺がそう言えば、フォリ中尉に顎でくいっと椅子を示された。座ればどうやらフォリ中尉も困ってはいたようだ。


「かなり落ち込んでる」

「何故ですか? ずっと泣き出しそうでしたね。いつも元気なのに、あんな顔、始めて見ましたよ」


 誰のことかなんて、聞くまでもない。

 俺はあの男をアレナフィルちゃん自身が知っているのだと思っている。問題はそのことを年長者であるあの外国人が分かっていないという状況が分からない。


「昔、知っていた奴によく似ていて、だからほっとけなかったと言っていた。子供が昔とか言い出しても鼻で笑うとこだが、あそこまで落ちこまれちゃ笑えん」

「どうして落ちこむ必要があるのかが分からないのは俺だけですかね。内臓料理が苦手だったとしても今夜それは解消できたわけでしょう? 大体、魚料理だってどこの食堂でもありますよ」


 父親の任務に関係する外国人で、その資料をアレナフィルちゃんが見てしまったのだろうかと、俺は考えてもいた。

 俺だって子供の頃、父の書斎に侵入したことはそれなりにある。


「そんなのは知らんが、アレナフィルだ。その昔知ってた奴の好きな料理だったのかと尋ねたら、その昔知ってた奴ってのが、自分が作る料理はみんな美味しいと言ってくれて、好き嫌いを教えてもくれなかったと呟いてたよ。だが、ウェスギニー一族にそんな男がいるのかって話だ」

「子供が作る料理を美味しいと食べてくれた男ですか。俺だってアレナフィルちゃんが作ってくれる料理は全て美味しいですけどね? あの手料理に好き嫌い言う奴は食わなきゃいい」


 好き嫌いなどないし、アレナフィルちゃんが俺に渡してくれるなら水一杯ですら甘露だ。


「そうなんだが、ここは違うだろ。何が気になっているのかって尋ねたら、アレナフィルはこう言った。いつも美味しいと言ってくれるから、自分はそいつが好き嫌いさえ言えなくなるぐらいに自分へ依存していたことに気づかなかったと」

「・・・ちょっと待ってください。だってあの家はちゃんと家政婦がいるんですよ? お客様にちょこっと手料理を作ってみましたってわけじゃないわけですか?」


 それではいつも手料理を食べさせていたかのようではないか。


「そうだ。おかしいだろう? 今まで幼年学校に通っていた子供が、いつ赤の他人に料理を振るまえたんだ? しかも依存する程。それを同じ家で暮らしていた双子の兄が知らないことがあるか? アレルが知らないとなったらそれはクラセン家に預けられていた時のことだ。だが、クラセン氏も初めて会う相手だった。・・・訳が分からん。ウェスギニー大佐が戻るまで俺達ができるのは時間を稼いで二度と会わせないことだ」


 念の為、俺はアレナフィルちゃんの所まで行って、どうしてあんな注意をしたのか尋ねてみた。


「えっと、・・・実は、レン兄様の自宅を訪ねても毎日留守だったのでストレス溜めてたらしくって、会った時には毒殺されそうなぐらいの危ない気配を出してたんです。だから、ほら、何を入れられるか分からないなって思って・・・」

「・・・ああ、そっか」


 うん、仕方ないよ。小さな女神様、嘘が下手だから。

 だから俺はよしよしとアレナフィルちゃんの頭を撫でておく。しょんぼりとした顔を見たら、フォリ中尉が問い詰められなかった理由が分かるってもんだ。


「この暑い中、ずっと留守で、職場の習得専門学校を教えてもらっても部外者、しかも外国人相手じゃあけんもほろろな対応だっただろう。そりゃあ殺意も芽生えるか。ま、殺されなくてよかったよ」


 俺が笑いかければ安心したように笑うから、もうそれでいい。

 言えないことがあって、だけどそれで自己嫌悪している。そんな子から聞き出さなきゃいけないことなど何もないだろう。

 無理して明るく笑うアレナフィルちゃんは、とても寂しそうだった。

 やがてウェスギニー大佐からクラセン講師に連絡が入り、クラセン講師はわざわざ外に行って直接何かを通話したらしい。

 そんなアレナフィルちゃんの日々は平常を取り戻し、けれどもどうやら彼はかなり優秀な製品を扱っていたようで、適当に商談もさわりだけで終わらせる予定が、本格的に熱が入っていた。

 




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