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41 ボーデヴェインはアレナフィルを観察する


 負傷の痛みも気づかないフリしてりゃいつの間にか治っちまうもんだ。過去を振り返っても役に立つことなんざねえ。だから人ってな今を楽しんで生きるんだろな。

 俺の名前は、オーバリ・ベントソン・ボーデヴェイン。夏の長期休暇を貿易都市サンリラで過ごしているところだ。

 あんな無茶な作戦に放り込まれて生還しただけでも立派だと思うんだよ、俺。服の下にはバリバリ固定具がはまっている状態だ。休暇じゃねえの、療養中。

 国の無茶なしわ寄せでホント苦労しちまうよ。

 まあな。どうしてサルートス王国では平和ボケした国民がきれいごとを口にして幸せに生きていられるのかってことだ。この国が攻めこまれねえのは、悪魔の軍隊があるからってな。

 そんで我が国では他国の兵士に親を殺されちまった子供が売り飛ばされることもねえし、女が身売りすることもねえ。人権を尊重された国民は、国によって守られている。

 常に踏みにじられるのは弱者ってことは言うまでもねえ。けどサルートス王国では女も子供も理不尽な暴力や搾取などから守られるよう法が整備されてるってな。そいつぁ外国行く度、実感するね。

 国民全てが荒んだ日々を送るか。それとも大部分の国民には平和と安全を確保した上で、とんでもねえ暴力と理不尽と殺戮を軍に押しつけるか。

 サルートス国王は後者を選び、そして侵略戦争を続けている。

 途方もねえ大きな夢だ。

 我が国に併呑された土地に住む民全員にまだ安心して暮らせる幸せは浸透してねえが、サルートス国王は二十年後、三十年後を見据えて動いてるっつーわけだ。

 先代のサルートス国王時代に我が国の領土となった土地に住む民は、前の国に戻りたくないと口を揃えて言う。子供達には教育がほどこされ、様々な職業に就く機会が与えられ、権力者に踏みにじられることもなく治安警備隊が皆の安全を守ってくれるっつー日々を、彼らは知っちまった。そりゃ前の国に戻ったら奴隷のようにへいこらしなきゃならん日々しか待ってねえもんな。

 しかし戦争は金がかかる。軍の維持費なんて莫大の一言で終わっちまう。金がなければ国家の理想なんぞ枯れ葉一枚の重みもねえってもんだ。

 その資金を調達してくる為にも、俺達みてえな工作部隊は色々とやってくるんだが、大金が動けば動く程、危険も大きい。ま、命があっただけでもめっけもん。そんだけさ。

 だからだろう。カーテンをさっと開けて、

「あっさでっすよぉ」

と、子供ならではの高い声で起床を告げる生き物を抱きしめることが、いつしか俺の朝の習慣と化していた。


(ああ、癒される。やっぱお嬢さんってば触ってるだけで(なご)むよなぁ)


 みんなから可愛がられてる上等学校一年生の女の子は、ボスの娘だ。双子で同い年の兄もいるが、そっちは別行動。

 寝室は別だが、同じ302号室で寝泊まりしてるもんだから、アレナフィルお嬢さんは毎朝のお目覚めコーヒーを運んできてくれんの。へへっ、ちょっとくすぐってえもんだな。

 俺が同じ部屋に来ても「へー」で終わらせたクラセン先生は、すりおろし野菜が入ったバナナミルクだ。最初はそっちを出されたが、「大人はコーヒーなんだぜ」って言ってやったら呆れた顔をされて、それ以降コーヒーを運んできてくれるようになった。

 どうやらバナナミルクはお子様味覚な自分に付き合わせるんじゃなく、朝の目覚めにカロリーを腹にぶちこんだらさくさく動けるし快便を促すってことで持ってきてくれたらしい。つまり健康管理だ。

 今更、やっぱりバナナミルクでいいよとも言えねえ。

 駄目だな。お貴族様ってのは能ある平民に嫌がらせするわ、身勝手な行動に付き合わせるわ、どうせ同じ人間たぁ思ってねえんだろって気持ちが、寝ぼけてたせいでとげとげしい言動になっちまってた。そんな子じゃないって分かってたのに。

 反省はしたが、アレナフィルお嬢さんはそんな俺のことを怒るでもなく気分を害するでもなく、「カッコつけてる馬鹿なんだな」と、判断したっぽい。そんな目だった。スカートめくりする男の子を見る目だった。

 かえって俺のダメージでけえよ。

 それならコーヒーぐらい持ってきてあげるけど、ちゃんと栄養は食事でとるようにと言われた。俺は子供か。

 そうして俺はコーヒーのついでに一口ソーセージや一口ベーコンなどを「あーん」してもらって、お礼にアレナフィルお嬢さんを抱きしめてはその頭に頬ずりして心を癒している。他の蝶を知ってりゃ比較できんだろうが、軍なんぞ虎こそうろちょろしてても蝶なんざいる筈もねえ。

 ボスが溺愛してんのも頷けるっつーもんだ。と思ったら、ボスはこの感覚に気づいてなかった。

 別に双子のどっちも可愛いし癒されるし一緒だろとか言ってた。信じられん。

 だが、こいつはあの誕生日会で知った者だけの秘密だ。ライバルが増えるのも冗談じゃねえし、アレナフィルお嬢さんがその能力の限界を理解した上で使いこなせているなら誘拐されてもおかしくねえ話になるからだ。

 女で破滅した男は多い。そしてアレナフィルお嬢さんの使い道によっては、兵士百人よりも凄い成果をあげられるだろう。

 だからあのフォリ中尉でさえ側近である筈の士官達にもそのことを告げてないんだ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 誕生日会の時、アレンルード坊ちゃんに女装してもらって仲良さそうなフォトを撮ってもらった俺だが、あの時、アレナフィルお嬢さんは酔っぱらっててとても正直だった。

 酔ってない今は、ちょっと抱きしめたり頬にキスしたりするぐらいは抵抗せずに許してくれる。祖父母や父親や叔父にいつもされてるから、その延長だと思ってるようだ。

 だけどアレナフィルお嬢さんが自分から頬にキスするのは父親だけ。俺もそんな一途な娘をいつか作ろう、そう決めた。

 少女がキツネさん着ぐるみパジャマで朝ごはんを作っていたり、ウシさん着ぐるみパジャマでバナナミルクを運んでいたりする様子は、とてもほのぼのとしている。

 これならいけるかもと、俺はアレナフィルお嬢さんとのフォトをお願いしてみた。

 やはり色々なフォトがあった方が、「まだ子供だけどいずれ結婚する予定の子にメロメロなんです」って説得力が増すだろ?

 今度、基地のロッカーにも飾っておかなきゃな。いや、通報されるか。


「あの小悪魔ドレスも良かったっすけどね、そのパジャマを見たらやはりこれは撮っておくべきであろうと思うわけっすよ」

「このパジャマだとヴェインお兄さん、今度は幼年学校生相手にって話になりそうで、シャレにならない。そんな気がする」

「へーきへーき。だって別に悪いことしてないもーん」

「もーんって何」


 そんな流れを経て、ピンク耳ウサギパジャマを着た女の子が起きたばかりの俺に「あーん」とフォークを差し出している場面とか、朝の乱れたベッドの上で仲良さそうにバナナミルクを飲んでいるアライグマパジャマな女の子とコーヒーを飲んでいる俺という場面とか、そんなのをクラセン先生に撮ってもらった。


「顔は分からないよう角度にしといたが、フィルちゃん、ヴェイン君のお友達に声を掛けられてもついてっちゃ駄目だぞ」

「それは知らない人って言うと思う。ついてかない」


 これは手帳か財布にでも入れておこう。手帳ってのも色々な情報を書きつけてあるので、任務地には持っていけねえ。しかし地域や年など別で様々な情報を書きつける為の手帳を俺は沢山持っていた。色々な場所で様々な人間を装ってくる為、きちんと情報を書き残しておかないと、偶然再会した際に厄介なことになるんだよ。

 そんなことを不自然に見せねえよう、普段の基地任務ではどうでもいいことを書きつけた手帳を持ち歩くようにしていた。だけどそれは理由付けだ。

 俺はこの出来事が本当にあったのだと、そんな証を残しておきたかった。

 どんな救いのない場所で汚濁に塗れた任務をこなしてきても、戻った時に綺麗なぬくもりを思い出せるフォトが俺を迎えてくれたなら生きててよかったと思えるだろう。任務に私物なんざ持っていけねえ。だけど帰宅して迎えてくれる中の一つにフォトが増えてもいいだろう?


(俺だけが思い出せるだろう。朝、起きたばかりでも飲みやすいよう香りに特化した豆で淹れてくれたこと。まだ起きてない腹に受け入れやすいよう、赤身の多い部分をわざわざ買ってくれたこと。治りが早いようにと、俺には特に血肉になるものを多くしてくれていたこと)


 言葉にしない思いやりと優しさが常に俺を包んでくれていたのだと。

 そんな俺の純情を知りもせず、フォリ中尉やネトシル少尉はフォトを見て、

「事情を知っているから、おいおいと言うだけで済むが、普通にこんなのを大事にケースに入れて持ち歩いている男がいたら、そいつを要注意人物として報告する。査定に響かないよう上司に事情を・・・って、上司から逃げる為だったな」

「男よりも女の方が、これを見たら軽蔑しそうですけどね。それを狙ってるからいいんでしょうが、知らずに見たらまずこの女の子を俺も保護させますよ」

とか、言ってた。

 うん、このフォト、破壊力はめっちゃ抜群。

 高い位置の物を取る時、アレナフィルお嬢さんの腰を掴んで持ち上げたり、ちょっと二階に忘れ物を取りに行きたい時とか、ひょいっと掴んで窓から出入りしたりしていたおかげで、俺に慣れたアレナフィルお嬢さんとはいいフォトが撮れた。監修したのはお嬢さんだが。


(ボスも何かとお誕生日会とやらでは仮装させられたって言ってたっけ。どんなのなんだ?)


 俺の胸にもたれて眠る女の子の髪を一筋手ですくって、それに口づけているフォトなんて傑作すぎて、フォリ中尉達には見せられなかったよ。ぜってえ大笑いされる。

 そのフォトは、

「そこは優し気な手つきって分かるように中指以降は折るっ」

「お祈りするみたいに目を伏せがちにしてっ」

「一ヶ月禁酒させられた後で美味しいお酒を小皿に大匙一杯だけ入れられたのをすするような気分の表情っ。その後はまた三ヶ月飲めないのっ」

「レン兄様っ。柔らかな光が差し込んでいるような陰影つけてっ。その白い布を張るのっ」

と、事細かく指導されて出来上がった傑作だ。

 その結果、俺が見ても「え? 俺、いつの間に片思いに苦しむ男になったよっ」と、混乱するぐらいに切なげな愛に満ちたフォトができあがっている。そしてボスには憐れむような眼差しで見られた。

 自分から言い出したけど、ここまでのクォリティは求めていなかったと言っていいっすか?




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 情報とは常に秘されているもんだ。国民には知らされずに色々と変化していくものがある。

 本来はきちんと休暇を取れる筈だったボスが呼び出されたのは、恐らく独身で貴族であることも関係しているだろうと俺は察していた。


(またかよ。ボスも講和が見え始めたらそっちに任せてトンズラするもんな)


 徹底抗戦は失うものが多い。長引く程、痛手を負う。だから相手に屈したところで、奴隷のような身に落とされるわけでもないなら早めに講和した方がいいと考えることもある。

 そうなれば敵国、つまりサルートス側のそこそこいい地位にいる相手と自分の娘とを結婚させて手打ちにすることもあるわけだ。人質代わりに嫁がせるというものだな、平たく言えば。

 さすがにサルートス王国の王族に、敗戦した側の娘なんぞ娶る価値はねえ。今、ぴちぴち独身の王子様は結婚したいご令嬢がめっちゃ沢山列をなしてるってのに、なんでそんなご褒美やらなきゃならねえよ。

 軍に所属するボスはウェスギニー子爵領の領主でもあり、独身の貴族だ。

 これ以上戦わせてはサルートス王国の損失も増えるだけと、そういうことを考えるお偉いさんも出てきたんだろうよ。人質代わりにあちらの娘をボスに娶らせればいいではないかってぇ奴だ。それをさもありがたい話のように相手へと持ち掛け、ボスには事後承諾。


(アホだなぁ。ボス、そーゆーの毎回蹴ってっけど)


 問題はそういう手段を考えつくぐらいに思考が停止したお偉いさんがいるってことだ。ボスは軍に「いてやってる」ことを理解してねえ。

 そしてにおわされた提案に微笑んで出かけたボスは、ボスなりの「素晴らしい結果」とやらに結果を変えてしまうのだ。

 それが許されるのがあの大佐という地位なのか。それともそんな愚かな手段を思いつく奴よりも上の立場とボスが内密に取り引きしただけなのか。

 誰にでもいい顔をしていると言われているボスだけに、全てがあり得るような気になっちまう。それすらもボスにとっては目くらましなのかもしんねえけど。


(ボスってばどんくらい権限あんだろなぁ。なんか全くねえようなこと言ってっけど、んなわけねーだろ)


 時に「あの男は使い勝手がいい」みたいなことをほざいている奴もいっけど、何かあったらボスにまず持ち掛けるぐらいに頼っている事実を自覚してねえ。

 上司から逃げる為、ウェスギニー子爵邸で寝泊まりさせてもらったり、暇ならついてこいとボスのお供をさせられたり、アレナフィルお嬢さんの護衛がてらデートさせてもらってたりした俺は、アレナフィルお嬢さん達が珍しい植物だの可愛い動物だのを見ている時に、ボスが交流している人達を見てそれに気づいた。


『ええ、私にとって目の中に入れても痛くない娘です。・・・え? ああ、本命は同じぐらいの濃い黄色の髪をした・・・、いえ、口が滑りました。どうぞお忘れください。ちょっと間違えたのですよ。あなたが相手だとつい心が緩んでしまいます』


 もしもし、フォリ中尉。お宅さん、本命の練習用にアレナフィルお嬢さんを使ってるようなこと言われてますけどいいんですか? うん、ボス怖いから教えたげないけど。

 勿論、聞かされた方だって無条件に信じるわけじゃねえ。だけど揺れる心ってなぁあるよな。

 ボスの言葉は嘘か本当か。はたまた髪の色はフェイクで、実はアレナフィルお嬢さんに近い立場の令嬢が本命なのかもしれない。

 誰もが惑わされちまう。ここまで隠されてきた娘など父親も恥じてる存在なんだろうよとと。

 けれども父と娘の間にある笑顔が通常よりも強い情愛を感じさせる。それは演技か真実か。

 判断しきれないまま、ボスに吹きこまれた情報が脳裏を巡っていく。

 俺が外国でやってきたそれを思い出させる社交術。そういえば俺に仕込んだの、ボスだったわ。


『恋人とは、やはり子供が成人してからと。長すぎた春でしょうか。あなたもよくご存じでは? ・・・え。どなたも知っておられましたよ。あなたもあの頃、かなり雰囲気が柔らかくなられておられました』


 娘とのお出かけすら情報収集に利用する父親がいたよ。フォリ中尉とネトシル少尉とお嬢さんをダシにして、ボスってば自分の国でフェイク情報拡散してやがったよ。

 長い付き合いの恋人がいるとは知りませんでしたぜ、ボス。そのお話相手にも、愛人がいるってことですかい。だけどそれ、相手のそれを聞き出す為の幽霊ですよね?

 娘の存在感すら消し去ってたボスが隠している恋人。アレナフィルお嬢さんがフォリ中尉と接近することを良しとしない者は、そっちを狙うだろう。


(そっちにトラップかけてそーだな。生きて帰ることはなかった、それが返事だ。って奴?)


 金を出してそういった汚れ仕事を命じる奴ってのは、まず自分で仕事を指示しなきゃなんねえ。けど、ボスは自分が作戦を考えて己で実行してきた専門家だ。

 証拠を残さず工作してきた経験がボスの中にゃ蓄積されてる。

 アレナフィルお嬢さんに対して仕掛けようとする表の攻撃への対応はフォリ中尉やネトシル少尉に任せ、裏の攻撃は跡形もなく葬り去るつもりだろうよ。

 その為ならお嬢さん自身も囮に使う。

 なんてひでえ男なんだ、ボス。惚れるぜ。


 後日、それを口に出したらぼそっと言われた。


『誤解だ。私はいつだって子供達に振り回されている』


 そういうことにしといてもいいですが、ボス、あなたが別名義で所有していた家屋が出火して身元不明な死者が多数出てたこと、俺、知ってんです。

 チーム仲間の絆、なめんでください。警告がてらまとめて処理しただけですよね?




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 ボスがいなくなったら、可愛らしいワンピースやフリルのついたスカート期間は終わりなんだって。アレナフィルお嬢さんはボスとの親子デートの為におしゃれしてたんであって、ボスがいなくなったら日常が戻ってくるんだそうだ。

 アレナフィルお嬢さんにおける日常の意味が行方不明だ。

 ボス。あなた、ちゃんと父親だって認識されてます? なんかお嬢さんの中ではおうちにやってくるとても珍しいお客様扱いになってないっすか?

 ここまで突き抜けられっと、アレナフィルお嬢さんを見てるだけで笑える。

 訳の分からない呪文を歌いながらお茶を淹れたりもしてんだが、俺達の前ではサルートス国語で歌って時間を計ってる。もう聞いてたからその呪文でいいよ。

 たまにゃあ手伝うかと、アレナフィルお嬢さんが歌っていた同じ歌を俺も歌って茶葉が開くのを待っていたことに気づいた日には愕然としてしまった。それはネトシル少尉も同様だったらしい。

 俺達はアレナフィル菌に感染してしまったのだと知った。

 感染を逃れたフォリ中尉は、

「俺はやってもらうのが仕事なんだ」

とかぬかしていた。

 アレナフィルお嬢さんの言うところの格差というものを感じた。

 そして大好きな父親がいなくなったってんで、お嬢さんはバイトに行くつもりらしい。それがサンリラ旅行の目的だと言ってはいたが、もう忘れたかと思ってた。


「じゃじゃーんっ。まーさーに、お堅い事務職員って感じの白いシャツに紺のスラックス。羽織った淡いブルーの上着で体温調節もバッチリ。エプロンはちょっと濃い朱赤色にしてみました。やっぱり他の人に間違って持っていかれない色って大事っ。というわけで、ちょっと世間の厳しい風に吹かれに行ってきます。私がいなくてもお昼ご飯は食べるんですよ? 寂しいからってお酒かっくらってゴロゴロしてちゃ駄目ですよ?」


 クラセン先生と一緒に出掛けるつもりらしいアレナフィルお嬢さんは、髪も一つにまとめて髪ゴムで留めてた。外見から入るところがアレナフィルお嬢さん。お堅い事務職員ならではの色気が足りねえよ。

 あんたは子供に留守番を言いつける母親か。

 そんな思いはフォリ中尉も同様だったらしい。


「お前はどこのババアだ。ま、いいバイトが見つかるといいな。気をつけて行ってこい」

「はぁい。行こ、レン兄様。その日の募集バイトが貼り出されてるんだって」

「ああ。そんじゃ夕方までには戻るよ」


 出かけるつもりらしいと知ったネトシル少尉はとっくに窓から飛び降り、ウェスギニー家のアレンルード坊ちゃんの所へ知らせに行っちまった。

 尾行の練習らしいが、さて、あっちはどんな変装を見せてくれるんだろうな。

 二人が仲良く出ていってから、俺はフォリ中尉を見た。


「そちらの四人も尾行につくんですか?」

「いや。顔が割れすぎてる。アレンの練習にはレミジェス殿も付き合うそうだし、俺の護衛から二人程、フォローに入ると言っていた。まあ、輸入会社の倉庫バイトを考えているそうだし、アレンもすぐ飽きるだろ」

「ですね。けど、一日目だから俺も尾行しときますよ。変な会社だとボスに殺される」

「大丈夫じゃないか? 二人が募集掲示板に着く頃を見計らって、レミジェス殿がそれなりに伝手のある会社に募集を出してもらうそうだ」

「まさかのイカサマバイト。ま、安心ですかね。女の子のバイトなんて変なことに巻き込まれたら困る。ましてやお嬢さんは貴族だし」

「ああ」


 とはいえ、俺達も暇タイム。どうせなら尾行してみようということになった。だけど俺、要人警護の任務なんざしたことねえや。

 

「フォリ中尉、虎ですもんね。んじゃ俺達のやり方で行きますか。あれ? 護衛がついてる人をそーゆーのに巻きこむのはまずいんですかね?」

「気にしなくていい。何かと制限ばかりされてたまにどこかで発散したくなるんだ」

「大変ですねぇ」


 俺達は作業員のような服に着替えた。工具を入れているかのようなバッグも腰に取り付ける。中身は変装グッズや小物だ。


「この手袋とシューズ、かなり摩擦力あるんすよ。道路を普通に歩く時には感覚が違いますんで気をつけてください」

「ああ。これなら壁すら登れそうだな」

「そーゆー使い道ですからね。ま、何か作業してるんだなって思われるだけですから安心してください。はい、ヘルメットに見えるフード。裏返したら帽子になります。四階の人の分まで持ってきてないんで、このまま行きますよ。あ、後で責任問題とか言わないっすよね?」

「大丈夫だ」


 作業用ゴーグルに見せかけた望遠機能付きゴーグルは、瞳の色を分からなくさせるカラー吸収タイプだ。

 建物の屋根や太い木々の枝、ポールなどを移動していくそれは地上を尾行するより気楽である。日差しが暑いけど。

 そして俺達はクラセン先生とアレナフィルお嬢さん、そしてそれを尾行しているアレンルード坊ちゃんと付き添いのネトシル少尉やレミジェスさんを屋上から見下ろしていたわけだが、さすがにネトシル少尉にはすぐ気づかれた。

 仕方ないから手を振ってみた。手を振り返してきたネトシル少尉の行動でアレンルード坊ちゃんが気づき、

「僕もあっちがいい」

とか言っていたが、聞こえなかったことにしておこう。そこまで余分は持ってきとらんのよ。


「ところでどーします? 募集掲示板でメモ取ったけど、お嬢さん達、なんか港の方に行ってますけど」

「あっちにあるのは税関事務所なんだがな。迷子か?」

「はっはっは。ボスの子供が方向オンチ、ははっ。そりゃいいや」


 しかし税関事務所の看板を確認した上で、二人は建物に入っていった。


「うーむ。窓から覗けないこともないが、窓から覗く不審人物がいたら通報モノ。ここは事務員になりすました方がいいかな。ズボンはこのままでいいか。はい、裏返したらほーらびっくり、作業服が白シャツに」

「顔でばれないか?」

「その為に眼鏡と付け髭と髪ペイント剤があるんすよ。髪型変えるだけでかなり・・・あ、有名人っしたね。じゃあ、ここは目立っちゃうメガネで」


 そこらの売店で文書用ファイルなどを買って小脇に抱えればそれらしい感じだ。

 地上に降りて建物に入ろうとすると、アレンルード坊ちゃんが近寄ってくる。


「ずるいですっ。フォリ先生ってばっ」

「そう文句言うな、アレン。お前だって変装してるんだし分からない・・・わけはないか。しょうがない。俺の後ろに隠れてろ。二人いりゃあお前ぐらい隠せるだろ」

「やったっ。叔父上っ、じゃあ僕、先生達と合流するからっ」

「迷惑にならないようにね。さすがに簡単な変装しかしてないから建物の中はまずい。私とリオンさんはそこのカフェルームで待機しておくよ」

「そうですね。どうせ出入口はここだけだ」


 エインレイド王子とアレナフィルお嬢さん達が出かける時の尾行術を学びたいというアレンルード坊ちゃん。俺達には道楽みたいなもんで、対処もいい加減だ。

 保護者のレミジェスさんもやる気があまりない。そりゃ尾行するより一緒に行けよって誰だって言うよな。

 赤毛のカツラをつけたアレンルード坊ちゃんにダミーの書類を持たせ、俺達三人は事務所の建物に入った。


「さて、どっちに行ったかな。ああ、あっちだそうだ」


 知らない男が合図してくる。恐らくアレンルード坊ちゃんにつけられていたというフォリ中尉の護衛の一人だろう。

 サルートス国人ばかりか様々な外国人がごった返している事務所は、俺達二人がいなくてもアレンルード坊ちゃんを隠す人の盾は十分ありそうだった。それでも子供はあまりいないし、双子を見間違えるってこともないだろう。

 あちこちに案内板があって、検査場や桟橋も国ごとに分かれている。


「なんかサルートスじゃないみたいだ。知らない言葉ばっかり。変わった服の人もいる」

「あちこちから外国船がやってくるからな。はぐれるなよ、アレン」

「はい。だけどフィル、バイトするんじゃなかったのかな。外国の会社で働きたいのかな」

「アレナフィルお嬢さんですからねぇ。外国の船倉バイトなら船にも乗れるとか思ったんじゃないですか? だけどあれは子供ができるような内容じゃないんですよねぇ」


 そうして俺達が追いかけた先で、アレンフィルお嬢さん達は職員とカウンターを挟んで何やらやり取りしてた。その後で職員が何かを探しに行ったところを見ると、何かの資料を請求していたんかね。


「うーん、聞こえないや。どうやったら近づけるかな」

「あまり近づきすぎるのはまずい。予備の簡易集音器を貸してやろう」

「さすがフォリ先生」


 そして物陰に隠れて聞いていた俺達だが、片耳に集音器をセットしながらも周囲に怪しまれるわけにはいかねえ。警備員につまみ出されるのはごめんだ。

 だから二人で書類の打ち合わせをしているかのような演技、そしてバイトの少年にその指示をしているかのようなフリをしながら、簡易集音器の使い方を教えた。

 アレンルード坊ちゃんは、かなり演技が上手かった。誰も不審に思ったりしねえの。

 そこへアレナフィルお嬢さん達のやりとりが聞こえてくる。方向を絞らないと違うやりとりが大きく聞こえてくるから厄介なんだが、そればかりは簡易グッズ、仕方ねえよ。


『はい、本の内容の禁止例リストよ。だけどあまり本の内容までチェックする程、輸入されてこないのよね』

『そうですよね。だけどこれでうちの兄、本が大好きなんです。もしも知らずに法律違反するわけにはいかないので、やはり調べてからと思いまして・・・』

『立派ね。頑張ってちょうだい』


 そんなアレナフィルお嬢さんに、違う税関職員が話しかけた。


『ちょっと君達、ファレンディア語、得意なのかい? これ、読めるかい?』

『・・・あー、悪筆ですね。これ、多分、口語的に書いちゃったんですよ。もしかして内部出身じゃないですかねぇ、これ書いたの。あの辺り、わざとファレンディア国人同士にも閉鎖性見せてこういう書き方するんです。これ、最初にガツンと言った方がいいですよ? ファレンディア共通語じゃないだろって』


 知らなかった。アレナフィルお嬢さん、ファレンディア語できたのか。

 

「凄いな。俺もある程度は外国語をマスターしたが、ファレンディア語は難しいからトライしなかった。それができるとは・・・」

「フォリ先生。父に聞いたんですけど、外国語習得の近道はその国の恋人を作るか、ムフフ小説を読むことだそうです。僕、フィルがファレンディア語できるって聞いても感心する気になれません」

「よく言われる話だが、そういう口語的なそれと、書類でのそれとは別だからな」


 坊ちゃんの方は、ファレンディア語ができないらしい。

 だけどムフフ小説なんて、ああいう年頃の女の子にとっては軽蔑するもんだろ。読むことはまずねえだろうに。

 この場合、クラセン先生から教わったと考えるのが妥当だ。

 アレナフィルお嬢さんは、

「黒と赤のインクペンと不要な紙、貸してください」

と言うと、ちゃっちゃかちゃっちゃか書かれている内容を書き出し、その横に赤いインクで問題の内容を書いていったようだ。


『こういう意味なんですが、口語的なそれだから、正式書類になると違う意味に解釈もできます。これはきっちりと指摘しなくてはなりません』

『そ、・・・そうなんだ。いや、辞書には・・・』

『辞書はその言葉が持つ意味が網羅されているのでそういう書き方もあるのかなと解釈します。だけど実際にはそういう意味で使われていないことも考えなくちゃいけないです。ちょっと税金表貸してください。産業分野の』

『あ、ああ。これかな。だけど難しいよ。大丈夫かい?』

『大丈夫です。・・・ほら、やっぱり。これで計算すると、一つ一つは大した差じゃないですけど、輸入品なら単位も違ってきますよね。これは税金逃れって奴です。書き方一つで誤解させ、この書類分だけで80ローレ近い差額が生まれてます。コンスタントにそれをすればどうなりますか? ほらね?』


 おいおい、アレナフィルお嬢さん。あんた、いつから管理職になったんだ?

 周囲の職員や一般人まで、その場に相応しくない年頃の少女を見つめてんだけど。


『君、子供の割には賢いね。幾つだい? ファレンディア国人かい?』

『14才です。サルートス国人です』

『だが、その年でそこまで詳しいって言うのはちょっとないだろう』


 ちらっと見たところ面白そうに眺めていたクラセン先生だったが、そこで進み出たようだ。


『その子はサルートス上等学校の一年生ですよ。ですが、入試でも全教科満点で入学しています』

『・・・あなたは?』

『私、サルートス習得専門学校で言語学の講師をしております』


 どうやら自分のカードを出したらしい。俺はこういう時、絶対に顔を見られないようにと顔を出さずに音声だけで判断する訓練がされてんだが、変装しているから平気だとばかりに覗いているフォリ中尉とアレンルード坊ちゃんは、

「おいしいところを取ってったな」

「バーレンさんもカード持ってるんだ。今度見せてもらお」

などと囁き合ってる。もうばれたらばれたでいいや。どうせ仕事じゃねえし。


『この子は小さな時からファレンディア国の商人から言葉を習いまして、ここまでマスターしてしまったのですよ。旅行がてら肌で輸出入というものを学んでもいいかと思いまして、ちょっと働いてみるつもりで、資料を頂きに来たのです』

『そうでしたか。では、身元は安心ですね』

『はい。何でしたら遠慮なくお問い合わせください。サルートス上等学校のキセラ学校長ならたしか以前カードを頂いたことが・・・。ああ、こちらが学校長室の連絡先です。ですができれば習得専門学校の私の方への問い合わせですませていただけると助かります。あまり生徒のバイトというのは暮らしに困っての搾取ではないかと痛くもない腹を探られることが多いので』

『拝見いたします』


 習得専門学校の講師としてのカードだけなら身元詐欺も疑われただろう。けど上等学校長のカードまで出されたら信用はアップする。

 何より語学能力に詐欺はねえ。

 

『貿易会社でバイトするのもいいが、それならちょっと税関でバイトというのはどうかな? ファレンディア国の船はかなり入ってくるのでね』

『やりますっ。ね、レン兄様っ?』

『そうだな。その方が確実な知識を身につけられる』


 なんということだろう。

 アレナフィルお嬢さんは、叔父が用意した「安心できる会社」でのバイトをすっとばかし、どこよりも大きな企業でのバイトを決めてしまった。税関事務所。オーナーはサルートス王国だ。


『えーっと、いつから働けるかな?』

『今からでも大丈夫です。実はバイト掲示板見て、内容的にまずは法律も把握した方がいいだろうと思ってここに資料を取りに来たんです。その資料を持ってバイトの面接に行くつもりでした』

『そりゃ良かった。じゃあ、こっち。入って入って』


 アレンルード坊ちゃん、暗い顔で呟いてんだけど。


「なんでフィル、いつも浮気な子なんだろう。ちゃんと叔父上、フィルのバイト用意しといたのに」

「たくましいじゃないか。ここなら心配することもないだろう。帰宅する頃になったら来ればいい。学校の名前まで出した以上、あちらも変なことはしない」

「あーあ。しょうがないや。フォリ先生、一緒にお茶飲んで帰りませんか。叔父とリオンさんも待ってると思います」

「そうだな。いや、あの二人を呼んできてくれ。アレナフィル嬢の様子を一度ここから見ておけば安心するだろう。姪の初めてのバイトなんてそりゃやきもきするさ。そうだろ?」

「はい」


 素直に小走りで去っていくアレンルード坊ちゃんは、伸びやかさが印象的な少年だ。

 しばらくするとネトシル少尉達だけじゃなく、いつの間にか合流していたらしい寮監してる四人の士官達も一緒にやってきた。レミジェスさんはアレンルード坊ちゃんが何か訴えているのを笑顔で聞いている。

 角度的にここからだとちょっとまずいだろうと、場所を更に物陰へと移動してた俺達の所へやってきた一行は、アレナフィルお嬢さんがまさか税関でバイトとはと、その手堅さに感心したらしい。

 だが、簡易集音器をワイドモードにして一緒に聞き始めると、表情がどんどん歪んでいった。


「なんでフィル、こんなに馴染んでるの? 叔父上、フィルに無免許運転だけじゃなく書類処理までさせてたの? 僕には早いって言ってたのに」

「違うよ。そんなわけないだろう。やるとしたら兄上だ。私じゃない。大体、フィルにだけ手伝わせるってその間、お前をどうしてたって言うんだ。基本的に私がいつも一緒なのはルードなんだぞ」

「そうだった。ひどいよ、父上。フィルばっかり」


 あのボスが娘に書類仕事を手伝わせたなんざとても思えん。あの人の任務は超極秘ファイル。通常業務にしても基地から持ち出し禁止だ。

 その思いは俺だけじゃなかったようだが、アレンルード坊ちゃんに見えない角度で、レミジェスさんはパチッと片目を瞑ってきた。すちゃっと俺は小さく敬礼する。

 だってウェスギニー子爵邸における客人への対応は全てレミジェスさんが担ってるんだもん。レミジェスさんを敵に回したらウェスギニー邸へは立ち入り禁止。俺はそれを知ってる。

 ボス、いない人間ってのはいつだって犯人にされるもんなんですよ、無実だろうとね。

 そんな俺達の静かなやり取りに気づく筈もねえ原因の女の子は、カウンターの奥で女事務員モードを発動させていた。良かったっすねお嬢さん、そのカッコが役立って。


『すみません、おかしいところ、全部赤インク訂正入れてみました。これでいいですか?』

『あ、ありがと。へぇ、ファレンディア語とサルートス語と両方で書いてくれたんだ』

『それならお互いに分かりやすいですよね? 差し戻す際、口頭でも確認できるかと思いまして。それなら二度手間も防げます』

『うん。分かりやすい。あ、それなら悪いけど、これもいいかな?』

『はい、同じ感じでいいでしょうか』

『是非頼むよ』


 さっきからフォリ中尉と俺が首を傾げているのがアレだ。おかしすぎっだろ。生徒のバイトなんざせいぜい書類を運んだり、複製を取ったりする程度だ。

 そりゃ語学能力を買われたとはいえ、尋ねるだけに留めて書類そのものは職員が対応する。そういうもんだ。

 提出された書類の間違いチェックなんざバイトの仕事じゃねえよ。

 だが、職員の気持ちも分かっちまう。アレナフィルお嬢さん、手早く書類を読みこんでさらさらと書きこんでくんだぜ。


「所詮、仕事が早く終わるならそれでいいって感じっすよね。アレナフィルお嬢さん、あまり外に出さずに育てられてたっつー話っしたけど、やっぱりどっかの役所でバイト経験あるんじゃないっすか」

「あ、そういえばローグさんが役人だ。フィルにとっては第二の父みたいな人だよ。だからあの子は将来役人になりたいって言ってるんだけどね」

「フィル、ローグおじさんに教わってたのかなぁ」

「そうかもね。だけどクラセン殿はさすがだね。何ヶ国語できるんだか」


 アレナフィルお嬢さんはファレンディア国の書類だけだったが、クラセン先生はあちこち呼ばれて色々な国の書類だけではなく、対応にも駆り出されている。


「すっごい。バーレンさん、外国語で喧嘩してる」

「喧嘩口調に聞こえるだけだ。あの国はかなり大声で喋る特徴がある」

「そうなんですか。もしかしてフォリ先生も話せるんですか?」

「挨拶程度だな。あそこまでまくし立てることはできん」

「へえ」


 沢山の人がやってくるもんだから、人の波に紛れて見えなくなったりするアレナフィルお嬢さん。集音期でも違うやりとりばかりが聞こえてくる。アレンルード坊ちゃんは外国人の服装や小物に興味津々だ。


「なんであの人達、片耳だけにイヤリングをつけてるんだろう」

「あれは信仰を表しているんだ。あの片耳だけのをつけている人を見たら、その人には山羊肉料理を出しちゃいけない。山羊の乳も飲ませちゃいけない」

「山羊なんて食べたことないです」


 そこはやはりフォリ中尉が詳しい。アレンルード坊ちゃんも目を丸くして素直に聞いてる。


「食べずに生きていく方が幸せだからそれでいい」

「まずいんですか?」

「個性的な味だ。・・・せっかく来たんだ。何なら昼はここで食べていくか、アレン? 港を見ながら食べるってのも悪くないぞ」

「はい。あ、だけどフィルと一緒になっちゃわないかな」

「あの分なら職員用の食堂に行くだろう。税関の職員は、食事時におごられたりして無茶な要求を受け入れてくれといったお願いを受けないよう、職員専用の食堂があるんだ。だけどこういう所の手続きは一日がかりだったりもするからな。一般が利用できる食堂がある。色々な国の人がいるし、周囲は外国語ばかりで、異国に来た気になるぞ」

「行くっ。叔父上、いいですよねっ? ねっ?」

「いいけどあまりご迷惑にならない程度にね。さっきからお前は質問責めじゃないか」


 一般人用の食堂は、チケットを購入してカウンターに出し、番号札を受け取って、出来上がったら呼ばれるので取りに行くというタイプだった。

 

「少し早めだからまだ混んでないんだな。太陽の位置をよく見ておけよ、アレン。食べている内に眩しくて逃げ出す席は後が辛いぞ」

「あ、そっか。そしたら、うーんとどこにしよう」


 海や船が見える窓際席に目を輝かせたものの、海の照り返しがあると教えられたアレンルード坊ちゃんが困った顔で悩み始める。うーん、ボスの息子たぁとても思えん素直さだ。


「そこは窓際のテーブルを捨てるといいのさ、ルード君。どうせ眩しくて窓際からみんな逃げ出す。だから窓際から一つか二つ内側の席でも十分に外が見えるんだ」

「リオンさん、あったまいいー。じゃ、どこがいっかなー」


 アレナフィルお嬢さんとは違った人懐こさがあんだよな。

 同じウェスギニー家の子でも、寮監をしている士官達はアレンルード坊ちゃんに好意的だ。いつも男子寮で一緒だからか?


「ちゃんとみんなが座れる大きなテーブルを選ばないと意味がないんだよ、アレン。まさか一人だけで座ろうとか思ってないね?」

「さすがに一人用テーブルは考えてなかったですけど、・・・うーん、じゃあメラノ先生ならどこにするんですか?」

「一番奥の一番内側かな」

「それって海、見えません」


 同じ顔でも性差があるからか? ふくれっ面してもお嬢さんとは印象が違うのな。

 濃い紫(パンジー)の髪をしたメラノ少尉は赤い瞳を細めてアレンルード坊ちゃんの頭を撫でた。

 そこへドネリア少尉が加わる。いつも真面目腐った顔をしているドネリア少尉は、深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪をきっちりと撫でつけていて、その髪が黒く見えた。


「特別に船渠(ドック)の見学許可を取ってあるんだ。その内に見学しに行こうと思ってね。食堂からの船を見るよりダイナミックで楽しめる。係留されてる船より、修理工場の方が迫力があると思わないかい?」

「いいんですか? ドネリア先生、いつの間にそんなの取ったんですか?」

「港町で観光できる場所は限られているからね。本当はアレルちゃんを連れていってあげるつもりで見学許可を申請していたんだが。・・・本当にバイトに行くとは思わなかった。見てた限りじゃどうやら続きそうだ」

「しょうがない。じゃあ僕が女装したげます。僕をフィルだと思っていいですよ」

「別にその必要ないから」


 ぽんぽんと慰めるようにドネリア少尉の肩を叩くアレンルード坊ちゃん。あの女装は可愛すぎっだろ。やめとけよ、そこの兄さんが新しい扉開いちまうぜ。

 その間にレミジェスさんはその一番奥のテーブルへさっさと移動していた。他の奴らも同様だ。


「あっ、放ってかれてるっ。ひどいよ、先生達っ」

「はいはい。じゃあアレンは俺と一緒に食券を買いに行こう」

「マシリアン先生は何にするんですか?」

「一番売れ筋な料理を聞いてから決める」

「あ、なんかずるい」


 アレンルード坊ちゃんの肩を抱くようにして連れてくマシリアン少尉は、他のテーブルからフォリ中尉の顔が見えにくいようにと、幾つかのテーブルに護衛が散らばることを気づかせたくないんだろな。

 ちょうど鉢植えで姿が見えにくい位置にフォリ中尉が座れば、それに合わせて皆が席を決めていった。


「ルードは騒がしい子ですからね。他の席が見える位置がいいかもしれません。変な動きをしている人がいたらすぐ口に出すでしょう」

「あ、俺、ここにしときます。怪しい動きなら合図してくれればすぐ対応できますんで」


 レミジェスさんには、

「あなたまだ怪我人ですよね。人材はいるんですからおとなしくしておきなさい」

なんて言われちまったが、俺は聞こえないフリしとく。

 だって俺だけ平民って居心地悪いんだよ。

 フォリ中尉の分はドルトリ中尉が買ってきてたが、俺の分はレミジェスさんが買ってきてくれた。


「僕、毎日違う国のご飯食べよっかなぁ。薄切り肉焼き、美味しそうだった」

「あれはかなり辛いぞ、アレン。汗だらだらになる」

「フォリ先生、食べたことあるんですか?」

「一応な。メニュー表には簡単な説明も書かれてるから、明日も来るならじっくり見てから注文すればいい」

「はい」


 食券売り場は入り口にあったが、メニュー表は各テーブルに各言語で印刷されたものが置かれてたのさ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 さりげなく回遊してクラセン先生とアレナフィルお嬢さんの様子を見ては報告してくれる護衛のおかげで、俺達はのんびりと過ごしてた。

 一般人用の食堂は食券制だからだろう、休憩スペースも兼ねてるようだ。

 

「ここならせいぜい行き帰りだけ見といてやれば大丈夫だろ。アレン、何なら明日はヨットに連れてってやろうか」

「ヨット?」

「ああ。風を読んで帆を調節して動かすんだ。もしかして泳げないか?」

「泳げます。だけど海に放り出されたらさすがに・・・」

「泳げるならちゃんと引き上げてやるさ。首と手首と足首に浮きリングをつけるから泳げなくても溺れない。外国料理が気になるなら、昼はちゃんとした店に連れてってやる」

「やったっ。叔父上っ、いいですかっ?」


 アレンルード坊ちゃんを見てると、フォリ中尉の本命はどっちだと聞きたくなるのは俺だけか?

 気持ちは分からんでもないけどね。俺だってアレンルード坊ちゃんはチェック中だ。さすがに体が本調子じゃないから一休みしているだけなんだよ。別に巻き返しの分が悪いとか思ってねえ。


「お気持ちはありがたいのですが、ただでさえあの子の相手をしていただいて、更にこの子まで。しかもヨットに同乗させるとなると・・・」

「私達の遊びに付き合わせるだけです、レミジェス殿。日焼けしないように帽子にもこだわるアレナフィル嬢ではヨット遊びをしたがるとは思えませんからね。私達とてせっかくサンリラに来てぼうっとしていても仕方がない。レミジェス殿もいかがですか? 明日はいい風が吹くらしい」

「ご一緒いたしましょう。ただ、この子はヨットを動かしたことがありません」

「私達も教えるから大丈夫です。慣れたら勝手に体が動きますからね」


 複雑そうな表情のレミジェスさんは、甥を可愛がってもらって喜べばいいのか、軍に入ったら要求される技能の種まきをされてることに困ればいいのか、判断しかねてるってとこか?

 ネトシル少尉と俺がフォリ中尉を止めねえのはそこなんだよな。自分ちに取りこみてえ人材の能力が幅広くて困らねえ。まだ先は長い。


「せっかくだから風の向きと帆の角度を教えてやろう、アレン。燃料を積んだヨットは免許がないと動かせないが、帆だけのヨットなら免許は要らん。つまり燃料が切れても、帆と風があれば船は動かせる」

「フォリ先生、僕、漂流する気はないんですけど」

「そっちの生存技術はオーバリ中尉に尋ねろ。ヨットなら海面がすぐそこだからな。岸も遠い海原でちょっとした開放感があるもんだ。ま、ひっくり返ることも多いから、ひっくり返る練習もしなきゃならんが」

「へえ。先生達はヨット乗れるんですか?」

「当たり前でしょう。軍に入ったら一通りの免許を取らされます。」


 ドルトリ中尉が恨めし気に答えてるが、風力に頼るアレが嫌いなクチか。分かる。俺もそっちは好きじゃねえ。風を切ってくからいいんだ、そうだろ?

 どこの港から出るか、どのタイプのヨットを幾つ手配するか、そんなことを相談してはフォリ中尉が合図するだけで護衛の誰かがどこかに消えていくんだぜ。まさに命じる者といったところか。

 もうすぐ夕方になるというので、甘いおやつを食べさせてもらっていたアレンルード坊ちゃんが、お代わりをねだろうとしてレミジェスさんに止められたところで、その知らせは入った。


「失礼いたします。アレナフィル様がお倒れになり、医務室に運ばれました。命に別状はなく、異常もないとのことです。医師は疲労ではないかと」


 その時のレミジェスさん、そしてアレンルード坊ちゃんの顔は一気に血の気が引いてた。アレンルード坊ちゃんの腕をがしっとフォリ中尉が掴んでなければ駆けだしていただろう。

 少年の肩を引き寄せるようにして落ち着かせたフォリ中尉が眼差しだけで次の情報を促す。


「精神安定剤と栄養剤が投与され、現在眠っておられます。後は帰宅して休めば一晩で治ると。クラセン様がタクシーを捕まえて帰宅するということを仰っておいででしたので、こちらの手配した車をタクシーに偽装いたします」

「分かった。オーバリ中尉、ネトシル少尉、先に戻ってくれ。あのクラセン殿ではタクシーから降ろしたアレナフィル嬢を階段で落っことしかねん」


 さすがの慧眼。たしかにあのクラセン先生じゃアレナフィルお嬢さんを抱きかかえて階段・・・は、どんなもんかな。見てる方がこええよ。


「はい。行きましょう、オーバリ中尉。ルード君、心配しなくても後でちゃんと連絡を入れる。精神安定剤と栄養剤なら頭も打ってないし、精神的なものだろう。もしもホームシックならレミジェスさんと君がいればすぐ治るだろう。その時は迎えに行くよ」

「そうっすね。ボスがいなくなったら倒れるって、もうお嬢さん、ボスのこと好きすぎじゃないっすか」


 あー、やっぱアレナフィルお嬢さん、ボスと一生一緒じゃないと駄目っぽいな。うん、これはもう婿を迎えて同居だろ。それに耐えられるのって俺ぐらいじゃねえの?

 フォリ中尉は残って何をするつもりかと思ったら、すぐに指示を出している。


「それから所長に連絡を取り、監視映像装置の閲覧許可を取り、複製を持ち帰れ。それから早急に空気の分析を。特に彼女のいた周辺を重点に」

「かしこまりました」


 アレナフィルお嬢さんは、バイト初日から様々な書類に関する問題点を洗い出していた。

 有毒ガスによるそれをフォリ中尉は考慮したのか。


(そりゃフォリ中尉になら毒ガスも意味あるかもしれねえが、あのお嬢さんにそこまでの価値はあるかねえ)


 そんなことを思いながら、俺はネトシル少尉と共にアパートメントへと戻った。

 フォリ中尉もそこらへんは自分の権力だけで押し通さない人だよな。ボスなら気にせずやりそうだけど。

 恐らくウェスギニー家の二人を残したのは、レミジェスさんを使い、お嬢さんの保護者としての立場による情報開示、そして何よりアレナフィルお嬢さんとそっくり同じ顔の双子の兄という外見による身元確認もあったんだろう。

 時間と共に消滅及び改竄、口止め工作されていく証拠は存在する。スピードが命ってのは間違いなかった。

 でもってさりげなく俺が外されたのって、ボスへの報告をされねえ為なんだろうよ。けっ。



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