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39 要求に応えて文句を言われる


 思い返せばアレナフィルは小さい時から男を惑わせる生き物だった。

 仕方のないことだと思っていた。

 アレンルードとアレナフィル。二つの丸っこくて可愛い生き物が、きゃっきゃと転がっていたかと思うと、自分達を眺めている大人をじーっと見上げては「あそんで」「かまって」と、期待してますポーズに入っているのだ。誰だってちょっと頭を撫でてあげたくなるだろう。

 嬉しそうに笑う様子が生きているぬいぐるみレベルで愛らしかったりすれば、二つは無理でもとろい方を一つ持ち帰ってしまおうという誘惑だって生まれてしまうだろう。

 勿論、誘拐なぞ許す気はなかったが、一番しつこかったのは実の弟だった。アレンルードを送り届けてきては代わりにアレナフィルを持ち帰ろうとするのだからどうしようもない。

 成長して元気に走り回りすぎるようになり、ひょいっと持ち帰ることができなくなったなと思った時にはかなり安心したものだ。

 それなのに平和な時間は長くは続かなかった。

 通常、貴族の婚約だの何だのが本格化するのは、18才前後からだ。つまり上等学校卒業前後からである。

 それまではのんびりしていられると思ったら、アレナフィルは虎の種の印を持つ青年二人に目をつけられてしまった。

 ガルディアスはアレナフィルみたいにずけずけ言う小娘が新鮮だったからだろうし、グラスフォリオンは勘違いが爆走している精神錯乱だろうと、私も思っていたかった。

 このサンリラ行き旅行に反対しなかったのはそこがある。バーレミアスも同行させていることだし、学校とは全く違う場所で一日中アレナフィルと交流してみれば自分達の勘違いに気づくだろう。いい加減、正気に戻れ。

 アレナフィルはたしかに面白くて可愛い子だが、ガルディアスの妃として考えるなら不適格だ。その新鮮さはお育ちの違いによるもので、下町に行けばそんなのゴロゴロしている。

 また、グラスフォリオンの妄想している地上で生まれた女神様だの優しい世界だのの世迷言(よまいごと)はあまりにも異常だ。そろそろ通報レベルで精神も含めた医師の診察を必要としている。

 ボーデヴェインは上司からの結婚話を潰す為だからどうでもいいとして、私は二人が冷静になってくれると信じたかった。

 それなのにサンリラで合流してみれば、本来は予定になかった寮監勤務の士官四人もくっついてきているし、グラスフォリオンはエインレイドの警護担当なので健康診断は綿密に行われていて異常なしという結果だったし、アレナフィルは堂々とバーメイドをしていた。

 バーメイドのバイト代みたいなものとして全ての酒とシロップと買い出しした食料品はガルディアス持ちだったそうだが、そんなものにどうしてうちの娘は釣られているのだ。アレナフィルには自由に使える金を渡してあると、レミジェスも言っていたのに。


(面白すぎて手放したら負けだと思い始められたらまずいってのに。寮監チームに期待するか。うちの子なんてとんでもないと、今頃は四階で話し合ってることだろう。使用人の採用と妃候補は違う)


 シャワーを浴びた私が寝室に行けば、ウサギな上下一体型(オーバーオール)の半袖パジャマを着てアレナフィルが眠っていた。

 明るい室内は、私が来るまで起きていようと思ったからなのか。

 顔にかかっている玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪を指先でのけてやれば、うっすらと目を開ける。


「パピー」

「ああ、ごめん。起こしてしまったか。もう暗くするよ」


 私に向かって伸ばされる両腕が頼りなく揺れていたので、その腰と膝を持ち上げるようにして位置を少しずらさせる。同じベッドに入れば、落ち着く角度を自分なりに模索してからぎゅっと抱きついてきた。


「パピー、フィル、捨てない?」

「何だそれは。ルードと離れてて心配になったのかい? 結婚して外に出されるんじゃないかとか不安になったかな?」

「だって貴族の人、それが当然、言ってた」


 一族の維持を考えればより良い結果をもたらす婚姻を考えるのが貴族の務めだ。だからよその家は兄弟間でも熾烈な跡継ぎ競争が発生する。


「うちは違うよ。言っただろう? お前は我が家の女主人だと。たしかにお前の婚約者になり得るメンバーだが、あれとて幾らでもひっくり返せる。お前の選択肢として排除はしないが、強制だってしていないし、どちらも自由だ。彼等(かれら)がいい女に目移りする可能性も高い。それはそれで仕方ないことだ。人なんて巡り合わせだよ、所詮はね」


 アレナフィルの中身には大人の意識がある。

 問われる時はごまかさずにはっきりと伝えるよう、私は心がけていた。


「だって、フィル、女の子だし」


 私に親離れしろと言われた気分になっていたのだろうか。自分のいない所でどんな会話がなされたのか、アレナフィルなりに不安だったのかもしれない。

 時にアレナフィルは繊細だ。


「馬鹿だな。ルードにはレミジェスをつけているが、お前にはいつだって私だっただろう? お前が成人したら、私が夫妻で出席しなくてはならない場には、代わりにお前を連れていくことになる。ルードも婚約者が決まるまではお前の背中に隠れているだろう。フィル、私達はお前が必要だし、何よりルードはお前の結婚話は全て潰してでも一生縛り付けておく気だぞ」

「・・・それはそれでまずい、気がする」


 バーレミアスをつけてあっても保護者不在で男達との小旅行ということに、結婚を見据えた相性を見る為のそれを感じていたのか。

 よしよしと頭を撫でて、髪にキスして、抱きしめる。


「まさかあんな若僧共に、たかが三日程度で浮気かな? 私は仕事でどれだけの美女に囲まれようと、いつだって可愛くて大切な女の子はフィルだけなのに。娘が薄情すぎて、私は悲しいよ」

「ちっ、違うもんっ」

「本当に? 私は外じゃいつだって愛想笑いしかしていないのにね。ここぞとばかりに移り気ウサギさんの楽しそうなフォトを沢山見せられたよ」


 まるで嫉妬しているかのような言葉を織り交ぜながら、目と目を合わせれば、ぽぅっとアレナフィルの瞳が潤んでいった。

 ふふっと笑って頬をそっと触れる程度で撫でれば、さらに耳まで赤く染まっていく。

 睦言(むつごと)を交わしているかのような手間を惜しむつもりはなかった。ここまで私が大切にしている異性はアレナフィルだけだ。

 愛は言動全てで伝えないと相手の心には響かない。


「楽しかったかい、フィル? なるべくお前が行きたそうな場所を提案したつもりだったが。どこも交通の便が悪い上、ああいった昔のものにルードはあまり興味がないからね」

「うんっ。あのね、パピー。とっても面白かったのっ」

「そうか。お前の言葉で聞かせてくれ。あいつらの報告なんてただの羅列だ」

「えっとね、あ、レン兄様は古城の蔵書室がお気に入りになっちゃったんだよ。フィル、あそこの本棚のお掃除もしたの」


 人の体温は落ち着かせる効果があるというが、アレナフィルも少しずつ元気を取り戻していった。おずおずとしたものではなく、本気で幸せそうに笑うからすぐに分かる。


「あそこの城主は、かつて白の騎士と呼ばれたフォーラレイト卿の子孫なんだよ。フィルはあのお話、大好きだっただろう? いつも読んでいた」

「ええっ。そうだったのっ。そんなこと全然言わなかったっ」

「フォーラレイト卿は絵本にも歴史の教科書にも載っている偉人だからね。城主はご先祖様が有名すぎてそれには触れられたくないのさ。だから全く知らないで行った方がいいだろうと思ったんだよ」

「・・・そうかも。フィルも、おじいちゃまのおじいちゃまのおじいちゃまのおじいちゃまが有名人とか言われても分からないし、それで訪ねてこられても困る」

「そうだね。だけどあの城主はこの時代でも馬場を持ち、斧や槍で戦う手段をマスターしてるんだよ。ご先祖様の名前を辱めないようにね」

「なんてストイック。まさに白の騎士様の子孫」

「ルードだとはしゃぎすぎるからね。本棚のお掃除をしてきちゃうフィルで良かったよ」


 シーツの狭間で二人きりの時間は、穏やかで安らぐ空気に満ちたものだ。この子は幾つまでこうして私といてくれるだろう。

 リンデリーナによく似た顔立ちの、それでいて中身はリンデリーナにも私の小さなアレナフィルにも全く似ていないこの子は、自信たっぷりなくせに愛情に対して懐疑的だ。

 それでも自分の為に組まれた寄り道だったと知って嬉しかったのか、私の寝間着に目元をこしこしとこすりつけている。


「ねー、パピー。もうお休み?」

「数日は一緒にいられるよ。どうしても外せない用事はあるが、それ以外では一緒にいる。バーレンもヴェインも当てにならなさすぎる」

「他の人は?」

「お前を私から盗み出そうとする泥棒予備軍だな。もうルードとお前を交換しておこう」


 それはいい考えに思えた。

 この三日間で何があったのか。五年後には即座に婚約届をとか、そんなことを言いかけたガルディアスは、何なら我が家では下宿をしないのかと、ふざけたことまで言い出した。

 三階の部屋が空いていることを聞きだしたらしく、三階全て借り上げるからエインレイドと一緒に暮らしていいかと持ち掛けられたものだから、本気で娘を転校させたくなった。

 あのガードシステムはそんなものの為にあるわけじゃない。思い出したらむかついてきた。

 これはもうウサギパジャマな娘を抱きしめて癒されるしかないだろう。

 

「それだとフィル、ここに来た意味ない」

「もういい。欲しい物は何でも買ってやるし、好きな所へ連れてってやる。あんな奴らに笑顔なんぞ二度と見せるな。全くうちの娘をどこまで欲しがる気だ」


 ああ、本当にむかむかする。

 仰向けになっていささか乱暴にアレナフィルを片手で抱き寄せれば、私の胸元に手を載せたアレナフィルがくすくすっと笑った。


「パピーってば、横暴なのも素敵。あのね、パピー。フィル、あれやりたい。パピーと海辺のデートしてね、砂浜で追いかけっこするの」

「海辺って、ここら辺は大きな港しかないから砂浜はないぞ? 全て係留用にフォーミングされている」

「・・・・・・え」

「港じゃ駄目なのか?」

「港だと、それじゃ捕り物。フィル、犯罪者」

「そうか。難しいな」

「うん」


 なんだかショックを受けている。

 どれ程の青年や少年に囲まれようと、この子は誰よりも私が好きだ。言葉遣いと一緒で、父親大好きな幼女時代をいつやめればいいか分からないというオチかもしれないが。

 

「それじゃあ可愛い犯罪者さん、代わりにここでデートしよう。父上もレミジェスもルードもいないことだし、たまには私に独占させてもらえるんだろう?」

「うんっ」


 くすぐったそうな顔で笑うアレナフィルの額にキスすれば、私の胸元に頭をぺたっとつけて少しずつゆっくりと寝息に変わっていく。ウサギパジャマのフードを外していたせいか、その髪があちこちにばらけていた。

 頑張って起きていても眠かったのだろう。


「さ、おやすみ。私のウサギさん。お前はウェスギニー家の子だ。よその虎にどんなご馳走を見せられても後ろ足で砂をかけてきなさい。全く完全に遮断したら反動が大きいかもしれないとガス抜きさせたつもりが、どこまでお前は食べられそうになってくるんだ」

「はぁい」


 なんとそういうことだったのかと、安堵した表情が浮かんで、くすぐったそうに笑って瞼が完全に閉じる。

 この気温だとフードはかぶらない方がいいだろう。

 朝になってぐしゃぐしゃの髪でぴぃぴぃ言い出さないように、その長い髪を軽く手で梳いて髪ゴムで緩くまとめておけば、私であれば何をされても気にせず眠る娘がいた。

 一人で寝ている時は物音などにすぐ反応して目覚めるアレナフィルだが、私やレミジェス、アレンルードといる時は何をされてもぐだぁっと寝続ける傾向がある。それだけ安心しているのだろう。


(蝶の種の印を持つ者は優しい気持ちをあげることができる、か。だが、どんな書物にもそんな記述はなかった)


 私がアレナフィルと一緒にいるだけで優しい気持ちになるのは当たり前だ。娘なのだから。息子であるアレンルードの顔を見るだけで元気な気持ちが生まれてくるようなものだろう。

 そういう意味では、蝶の種の印を持つ者にそんな特異な能力があったところで、家族や親しい間柄では正しく認識できないのかもしれない。


(この中では残りドルトリ中尉が虎だ。彼はフォリ中尉に対しての気持ちが強すぎてフィルに対して懐疑的なところが出すぎている。そんな彼でも絆されることがあるのなら、やはりフィルの言っていたそれは正しいのかもしれない。だが、うちのフィルを見てて絆されない男なんているのか? そしてフィルが自分に対して優しくない男に優しい気持ちをあげるかどうかも怪しい)


 その日、私は三人の子供がいる夢を見た。

 同じ顔をした三つ子で、息子が一人、娘が二人だ。二人の娘は性格が全く異なるのに、わらわらと変な青年や少年達が現れて、どちらも美味しいお菓子に釣られて持ち帰られようとする。そんな虫共を地面に沈めて一安心だと思ったら、息子が二人と手を繋いで、

「さ、帰ろっか。二人共、僕が一番大好きだよね」

「好きー」

「・・・うん、好き」

と、美味しいところをさらっていった。

 娘達よ。たしかに安全かもしれんが、そいつもそいつでちょっとまずいような気がするのだが。

 それに私の小さなアレナフィルはいつだってアレンルードに泣かされていたのに、父親とは所詮使い捨てられる運命なのか。

 ライバルは一番身近なところにいるのかもしれない。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 一度はサンリラに来ていても、急な連絡を受けて私はレミジェスにアレンルードを任せてミュンヘルまで出向いていた。

 そうして仕事を片付けてサンリラに戻ってきたかと思うと、アレナフィルがホームシックらしいというメッセージに悩んでいたレミジェスとアレンルードにより、移動車から降りる余裕もなくネトシル家が持つアパートメントへ送り出されたわけである。

 おかげで私の持っていたバッグの中身はアレナフィルによりさくさくっと洗浄機に放り込まれた。


「大丈夫、パピー。ずっとパジャマでいても、フィルもパジャマ。寂しくない」

「お前はいつだって休日の朝ご飯を終えるまでパジャマだろう」

「だってフィル、貴婦人の休日、優雅って決まってる」


 勝手にバッグを開けられても危険物はないからいいかと寝たふりをしていたら、半袖ウサギパジャマな娘が寝室まで野菜入りバナナミルクを持ってきた。


「ひどいんだよ、パピー。レン兄様のお部屋にも、フィル持ってったの。そしたらね、レン兄様だけじゃなくヴェインお兄さんもいて、ヴェインお兄さん、コーヒーじゃなきゃ嫌だって言う」

「泥水でもすすらせとけ」


 子供っぽい飲み物に思えてもビタミンとカロリーが入っているこれは、アレナフィルが休日の朝に作るものだ。いつもよりすりおろし人参が多く入っている。

 グイッと飲めば、アレナフィルが私の疲労を案じていることに気づかされた。

 

「ご馳走様、フィル。さあ、朝ご飯は何にしようかな」

「それだけど、ね、パピー。フィル、朝ご飯作る」

「いつもお手伝いしてくれてるだろう?」

「うん。だけどパピー、もっとお休みする。パピー、きっと昨日、無理してここまで来たの」


 移動車専用道路のチケットをアレナフィルは見てしまったのだろう。どのゲートにいつ入ったか、どのゲートをいつ出たか、あれには刻印されてしまう。


「厚手の服ばかりでばれちゃったかな。優しい子だね、フィル。だけどフィルの野菜ミルクで十分元気が出たよ。普段は不味いビタミン入りドリンクと固形食だからね」

「パピー、可哀想すぎる」


 寝癖を隠す為にウサギのフードをかぶっている娘の頭を撫でて、ダイニング・キッチンルームへ行けば、キノコや輪切り野菜、チーズなどの具が載ったパンが十枚、オーブンにセットされていた。

 そして袖なしシャツにズボンといった服装のボーデヴェインが、首を傾げながらヨーグルトを小分けしている。


「あ、ボス。おはようございます。アレナフィルお嬢さん、もうジャムも入れといてもいいんじゃないっすかね」

「ああ、おはよう」

「好き嫌いあるから。ヨーグルトは塩で食べたい人、砂糖で食べたい人、ジャムで食べたい人、ドライフルーツを入れたい人、好み激しい」

「塩なんて入れる奴いるんすかね」

「美味しいですよ?」

「味覚おかしいんじゃないっすか」


 コーヒーポットには二十人分ぐらいの量が入っていて、いい香りを漂わせていた。


(そうだった。この子は大人の女性で、しかもクラブメンバーばかりか警備棟だの学校長だのの胃袋を掴んでる子だった)


 いつもはエイルマーサのお手伝いでお皿を並べたり、洗い物を手伝ったりと、そんなことしかしないアレナフィルは、休日もミキサーにかけるだけの飲み物こそ作るが、料理と言うほどのことはしない。

 けれどもこのメンバーなので自分が作るしかないと思ったようだ。

 そこへタオルを首にかけたバーレミアスが顔を出す。


「おはよう、フェリル。301号室は無人だから、シャワーが混雑しそうならそっち行くといいぞ。で、まだパジャマなのか?」

「おはよう。直行してきて着替えがないんだ。フィルが洗浄機にかけてくれてるが、どれも厚手の長袖だからな」

「ああ、そっか。くつろぎ着でいいなら俺のを貸すぞ」

「助かる。すぐに調達するが、まずは朝食・・・と思ったんだが、二階で食べるんじゃないんだな」

「みんなここに来るんじゃないか? だってフィルちゃんを二階と三階、パジャマで往復させるわけにもいかんだろ。あ、フィルちゃん。俺、アーティチョークたっぷりで」

「はぁい」


 葉野菜やオイル漬けのアーティチョークを軽く火を通して付け合わせにするつもりらしいアレナフィルは、元気に返事をした。オレンジをカットしたものは、手際よく十枚の皿それぞれに入れていく。


「 ♪ 葉っぱはホットホット、鮮やかグリーンが目印さっ、ふーたりぶん、よーにんぶん、ろーくにんぶん ♪ 」


 うちのうっかりウサギは、加熱時間を歌うことでタイマー代わりにする生き物だ。

 初めて見たらしいボーデヴェインが眉間にしわを寄せていたら、コンコンと開いている扉を叩いてグラスフォリオンが顔を出した。


「おはようございます、ウェスギニー大佐、クラセン殿、ア、・・・アレナフィルちゃん、・・・可愛いね」

「えへへー。おはようございます、リオンお兄さん。じゃあここはもう五人、先に朝食取りますか」

「あ、待って待って。いや、他の人、アレナフィルちゃんが起きてないようなら朝食を持ってきてあげた方がいいのかって迷ってたんだよ。それなら呼んでくる」

「じゃあ、もうパンも焼いておきますね」


 空のカップとコーヒーポットがテーブルの上にどどんと置かれ、カトラリーもカトラリー立てに入った状態で出されている。

 テーブルの真ん中にはスプーンが突っ込まれたジャムの瓶や砂糖やミルクの入ったピッチャーなどがあって、そこらへんは自分でやれということか。

 アレナフィルなりに手を抜くところは手を抜くつもりらしい。


「おはようございます、ウェスギニー大佐」

「おはようございます、フォリ中尉。よく眠れましたか?」

「おかげさまで。・・・アレナフィル嬢、もしかしてそれは寝間着なのか?」

「パジャマですが? だってまだおうちだし」

「そりゃ外には出てないにせよ、未婚の娘が男達の前で寝間着というのはまずいだろう。ウェスギニー大佐も何か・・・、あの、もしかしてウェスギニー家は寝間着で朝食をとる決まりでも?」


 朝食の習慣とは様々だ。食堂で集まって食べる家や、家族でも別々の食堂で食べる家、そして自室に運ばれてきたものを食べる家など、その家によって違いがある。

 貴族であれば、自室のある廊下まではともかく、ダイニングルームまで寝間着で行くというのは非常識の極みだった。このアパートメントも自分一人や家族だけならば問題ないが、他人が来ている以上、寝間着でいていいのは寝室だけだ。


「違いますよ。私は純然たる事実として、着替えがなかったのです。今、クラセン氏から服を借りるという話をしていたところです。うちの娘は、・・・休日の朝はパジャマでご飯を食べて、それからのんびり動き出すんですよ」

「ガルディお兄様も気にしすぎですよ? 大体、普通の服の方がもっと薄手だし、肌も見えてます」

「・・・そうか。だが、普通なら誘惑されているかと思うところだから、先に着替えを・・・。いや、かえってこっちの方がいいのか? こんな赤ちゃんパジャマな子供なんて・・・」


 ガルディアスの困惑を見ていると、なんだかうちがいけないことをしているかのようだ。

 王侯貴族の場合、起床したら使用人が着替えを用意しているので、寝間着で食堂に向かって朝食をとること自体があり得ない。寝室で食事をとるなんて、病気の時だけだ。

 勿論、貴族だろうと一人暮らしとかをしたことがあればそこまでこだわらない感覚を理解もするのだろうが、彼は常に人から見られて生きてきた。

 私とてウェスギニー子爵邸ではやらない。自宅ではやるが。


(このまま幻滅してくれんかな。フィルの場合、朝食を作る際に汚したりしてもパジャマならそのまま洗濯できるから、それからのんびり着替えればいいという合理的な理由なわけだし)


 外出するときはおめかししたいアレナフィル。休日、私がいる時は親子で出かけたりするので、朝食を終えてからゆっくり私とアレンルードとアレナフィルの服や小物を揃えるのだ。だから我が家の休日は寝間着で朝食をとることが多い。

 エイルマーサに知られたらちょっと怒られそうだから、双子もそこは絶対に言わない。

 

「ガルディお兄様。飲み物とかは自分で自分の分を入れるタイプだからお好きな席どうぞ」

「ああ。なんだ、勝手にカトラリーも取ればいいのか?」

「そうなんです。セットしてもよかったけれど、やりすぎると続かないんですよね」


 そこへ四階に寝泊まりしている四人が、「おはようございます」と入ってきて、アレナフィルを見て自分の恰好を見て、再びアレナフィルの恰好を見てがっくりと椅子に座りこんでいた。


「なんで赤ちゃんパジャマ。可愛い女の子の自宅ウェアを楽しみにしていたら赤ちゃんパジャマ」

「ひどいです。赤ちゃんパジャマじゃないですよ、ボンファリオお兄様。これはウサギさんパジャマです」


 淡紫混じりの桃色(シクラメンピンク)の頭が、がっくりと下を向いて震えているのだが、何を期待していたのだろう。可愛らしいワンピースドレス姿だろうか。


「あれだけ大人を翻弄しといて、健全に赤ちゃんパジャマって何なんだ」

「だから赤ちゃんパジャマじゃないですってば、レオカディオお兄様」


 深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪をしたレオカディオは何を怒っているのだ。上等学校一年生に翻弄される自分をまず恥じろ。


「もう大人びてるのか、ただのお子様なのか、はっきりしてください、アレルちゃん」

「だから私はぴちぴちの一年生なのです、マレイニアルお兄様」


 虎の種の印を持つマレイニアルは性格にひねたところがあるが、ゆえにアレナフィルに絡もうとしては不完全燃焼で拗らせ中だ。そういう生き物だと思えばいいだけなのに、まだまだ青い。

 それでもオーブンから漂ってくる香りに、大人しく皆は着席した。


(サラミもチーズもたっぷりだもんな。ただのトーストより食べ甲斐もあるだろ)


 バーレミアスもこれが分かっていたから隣からテーブルや椅子を運んできていたのだろう。

 服を調達してくるつもりだった私だが、

「お父様はお休みするっ」

と、アレナフィルが両手を腰に当ててぷんぷん主張するので、そういうことならとだらだら過ごすことにした。

 大体レミジェスとアレンルードが私に車から降りる時間をくれたなら着替えだって持ってくることができたのだ。

 来てみたらアレナフィルも元気だし、サンリラで遊びたいみたいだし、そちらには連れて行かなくても大丈夫だろうという伝言をグラスフォリオンに入れてもらうよう頼んでおいたら、彼は通信ではなく直接レミジェス達へ会いに出かけてしまった。

 

(あいつも外堀を埋めまくってくる奴だよな。レミジェスにアレナフィルの三日間の様子を事細かく話すことでポイント稼ぐつもりだろ)


 肝心のアレナフィルは、出かけてくるというグラスフォリオンに「買ってきてほしいものリスト」を渡すと、次に自分なりの大きな表を作って、みんなに朝御飯として〇や×や本数を書かせている。買い物リストの中に、私のシャツなどもあったが、レミジェスが用意してくれることだろう。


(朝食用の表ね。普通ならしっかりしすぎたお嬢さんということになるんだろうが、あの子の中では、駄目な男の子達の面倒を見てあげるといった気分だろうな)


 尽くしたいわけではなく、アレナフィルは合理的に考えているだけだ。朝、自分がさっさと取り掛かることができるように。


「朝のソーセージの数とか、目玉焼き卵の数とか焼き加減とか、ベーコンは何枚とか、一覧表にしておけば分かりやすいですからねっ。卵料理も大好きなのは二重丸、ちょっと苦手なのは三角、嫌いなのは×つけといてください。卵も半熟とか完熟とかきちんと印つけてくださいね。オムレツに入れたい具も」

「アレナフィルお嬢さん。なんでそこまでできるのか聞いてもいいかな? 普通、軍に入ったばかりの二十才でも目玉焼き焦がしてんだけど。しかもお宅、家政婦さんもいるわけだよね?」

「嫌ですねぇ、ヴェインお兄さんったら。女の子は秘密が多い方が素敵なんです。女の子の舞台裏を覗こうとする男なんてウザくて気持ち悪いだけですよ」


 寝癖を隠す為のウサギフードにはピンク耳がついている。つぶらな瞳が愛らしい双子は、もう少しシンプルなパジャマを着たがるのだが、鏡を見てしまうと自分でも似合っていることに気づいてしまうのか、それとも肌触りがいいからなのか、おとなしくツナギ型パジャマを着るのだ。


(だから昨日は挨拶に来なくていいと言ってあったのに。まさかあの恰好で食事するとはなぁ)


 クローゼットを見たところ、アレナフィルのパジャマは他にもウシとかタヌキとかキツネとかクマとかネコとかの上下一体型(オーバーオール)が並んでいた。

 エイルマーサの仕業(しわざ)だろうが、こんなのを着ている子供を襲おうと思う男の方が恥じ入る事態だ。ある意味、その気を削ぐ素晴らしいセンスかもしれない。


『い、言っておくが、別に変な趣味はないし、子供に手を出す気もない。だが、・・・ちょっとウサギを撫でたいだけなんだ。誰も見てない所で』

『ガルディアス様。抱き上げて頬ずりして抱きしめて思いっきり撫でたいという気持ちは分かりますが、あの子はもう幼児期間を過ぎているのです。可愛い生き物だなという気持ちは、あの子の年齢的に世間では通じないのです。そして本人も幼児じゃないから、それはおかしいことも分かってしまうのです。一度やってしまったら知らなかった昔には戻れません。諦めてください』

『そこを何とかっ。私だって膝に座らせて甘やかせる妹が欲しかったのだっ。これもバイトということでっ』

『・・・今から大公妃様にお願いしてみてはいかがでしょうか』


 朝食後、思いつめた様子のガルディアスから癒しウサギの出張レンタルを頼むと交渉されたが、断っておいた。

 ボーデヴェインなら撫でたいと思った時点で撫でてしまうのだろうが、ガルディアスは自己抑制に()けている。そして個人的な時間は全く社会に影響しない為、その抑制も緩みがちになることが分かっていた。

 一度許したら、だんだんと撫でる時間が長くなり、その頻度が増えていくだろう。彼はかなりストレスのたまる状況下に置かれている。


(ネトシル少尉に見られても参加するだけだろうが、あの四人に見られたらフィルがどこまで誘惑しているんだって話になりかねないからな。だから「誰も見ていない所で」と、希望する気持ちは分かる。分かるんだが)


 アレナフィルはあのウサギフードの下できょとんとしている表情も可愛い子だ。ガルディアスがツナギパジャマにはまって、エインレイドに着させても困る。

 エインレイドならばキツネか狼の着ぐるみパジャマが似合うだろうが、さすがに我が家の影響だと王宮や大公邸に知られては言い訳もできない。

 彼はきっとあんな着ぐるみみたいな服を見たのも初めてだったのだろう。一流品に囲まれて育ってきたのだから。


『いいですか、ガルディアス様。うちの子達も本邸ではアニマルパジャマは着ません。うちのような緩い貴族でも非常識なパジャマなのです。

 あれはあくまであの小さな家だけのことです。

 色々とお悩み多いお立場は理解しますが、アレナフィルはあまりにも考え無しな子です。誰に見られても聞かれてもおかしくない程度に留められておかれますように。

 エインレイド様の前で、あの子がそれをぽろりと喋ってしまったらどうなりましょうか。どうかエインレイド様のお手本としての生き方をお崩しになりませんよう』

『子爵はよく知っているのだな』

『貴族は知らぬそぶりで網を巡らせているものでございます』


 そのあたりを詳しく説明したら理解したようだ。実際、アレナフィルのお口は隠しごとのできないお口である。

 諦めて朝の挨拶の時だけ、抱き上げて頭を撫でて頬にキスすることで我慢するとか。

 うちの子は本当に存在そのものが罪作りだ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 アパートメントと言っても、侯爵家の持ち物だ。庭にもそれなりの広さがあるので、ランニングや軽い運動をしてシャワーを浴びた後は、私もバスローブを羽織って風に吹かれていたりする。

 窓は大きいし、外部からは見えないし、ついでに何かあったら所定の位置から合図が入るといったことも関係していた。


「こういう時間もいいよな、フェリル。元気なお子様達はお出かけだし、なんか特別な休日って感じがするしよ」

「家族ができたらどうしても独身のようにはいかないからな。それに環境が普段と違う方がはかどるってのもあるんじゃないか?」

「それな」


 バーレミアスはダイニング・キッチンルームのテーブルを使って古城の資料をまとめたりしているが、サンリラでは各国のドラマが字幕付きで流れているので、それを見ている時もある。

 私もアレナフィルが不在の間にファレンディアのドラマとやらを見てみたが、自分が解釈した言葉と字幕の言葉との違いに、やはり母国語ではない限界を感じた。バーレミアスに言わせると、

「そういう言い回しはその国独自の文化もあるから一概にどうとも言えないと思うがな」

と、私の訳も間違っていないとか。

 やはりアレナフィルはこの街にファレンディアとの旅客船状況を調べに来たらしい。

 私にできるのは自由時間をそれなりに与えて、あの子が欲しい情報を全て手に入れられるようにすることだ。

 だからあえて好きに出かけさせてみたら、旅客船発着場の売店で各国の菓子を買いこんできた。ファレンディアではないよその国の食べ物に娘は夢中だ。ファレンディア国だけじゃなく、よその国への旅客船スケジュールまでもらってきていた。


「ただいまぁ。パピー、レン兄様、今日のおやつはテルローサの焼きほわほわ。みんなにも分けてきたの。これね、早く食べないとほわほわがどんどんなくなっちゃうのっ」

 

 そこへガルディアス達と買い物に行っていた筈のアレナフィルが駆け込んできて、買ってきたお菓子を私とバーレミアスにぐいぐいっと押しつけてくる。

 ボーデヴェインには途中でばったり会ったそうで、渡したらその道端で食べていたとか。

 手づかみで食べられるように紙ナプキンで包まれていて、口に入れた瞬間からしゅわしゅわと消えていく菓子は、テルローサ国出身のオーナーがやっている店で売られているそうだ。尾行していた筈のアレンルードも食べてみたのだろうか。


「あはは、面白いね。フィルちゃん、高級市場は楽しかった?」


 しゅわーっと口の中で溶けていく菓子に、バーレミアスも顔がほころんでいる。


「とっても凄かったっ。警備員さんが何人もずらーっと並んでてねっ、扉を入る際に一斉に手を胸の前に当ててくるの。フォリ先生は先に連絡してあったとかで何も言われなかったけど、私達の後に入ろうとした人、身分証明書とか出さないと入れてくれないってことで足止めされてたんだよ」

「お前が欲しい物は見つかったかい? 高級品しか扱ってないから、調味料とかもいい物が揃っていただろう?」

「そうなの、パピー。フィル、沢山買っちゃった。ウェスギニー家に請求書が送ればいいって話だったけど、フィル、その場で支払う形にしてってお願いしたの。そしたらね、フォリ先生が払ってくれたけどどうしよう。フィル、沢山お買い物させちゃってる」

「お前より十分にお金持ちだから気にしなくていい。遠慮なくたかっておきなさい」

「おいおい、フェリル。珍しいな、お前がたかれと言うなんて」


 普段、アレナフィルの買い物はバーレミアスがなんだかんだと理由をつけて払うようにしている。それは私から出ているものだが、娘の支払いを父親が負担するのは当たり前だ。

 まさか私より年下の士官達に支払わせるとはと、バーレミアスが問うような顔になる。


「そこで子供のフィルが払う方が何事かと思われる。五人もの成人男性に囲まれて買いに行った日用品や食料品を未成年の女の子が支払うのはおかしすぎるだろう。彼らとて貴族だ。未成年の女の子の家にたかったとなったら、彼らやその姉妹の縁談にすら差し支える」

「ああ、なるほどね。通報されてもやばいか」

「そういうことだ。どうせ後でフィルの買い物分は私が彼に払うから問題ない」


 かかった費用など、終わってからまとめて仕分けしてそれぞれに分担することになっている。一度きりならばともかく、今後もあり得ることとなれば最初に取り決めておいた方がいい。

 私はアレナフィルだけではなく、いずれアレンルードも連れ出されるようになるだろうと感じていた。ガルディアスはアレンルードにも目をつけている。

 我が家はどこの派閥にも属しておらず風見鶏とまで揶揄されているが、次のウェスギニー子爵が次の世代を担う王族を間近で見ておくことは決して悪いことではない。


「え? だけどパピー。フィル、色々お買い物しちゃったよ。あれ、パピーに買ってもらったの、ルードが知ったら、フィルだけずるいって泣いちゃう」

「ルードに比べて習い事やお付き合いの少ないフィルの方が、本気で支出が少ないんだ。こういう時に挽回しておきなさい。小遣いとして200や300ローレ (※) 使ってもかまわん」

「そんな大金っ、夜逃げできちゃうっ」

「これこれ、フィルちゃん。夜逃げはやめとこーな」


(※)

100ローレ=100万円

200ローレ=200万円

300ローレ=300万円

物価を考えると貨幣価値は約1.5倍として100ローレ=150万円、200ローレ=300万円、300ローレ=450万円

(※)


 私とてそんなに使うと本気で思っているわけではない。だが、アレナフィルに遠慮させたくなかった。

 彼らといるならば、相応しい装いをする為に一気に100ローレやそこら使ったとしてもおかしくない。その際、みすぼらしい恰好をアレナフィルにされては、ウェスギニー家に何が起きているのかと囁かれる羽目になる。


「オーバリ中尉以外は貴族だ。同じウェスギニー家の子でありながらフィルだけお金をかけられていないという噂が立つ方が困る。ルードの為にもフィル、そこは気にせず使ってウェスギニー家に請求書を回しておきなさい。双子の妹を踏み台にしている兄だと、社交界でそんな噂が一度でも立ってしまったら消すのに苦労する」

「大変なんだね、社交界って。フィル、やっぱり穏やかに生きる」

「そのあたりのバランスは、私がいない時はフォリ中尉もしくはネトシル少尉に相談しなさい。彼等なら厄介な相手や人間関係も頭に入っている。たまに学術関係の権威を装う詐欺師もいるから、そういう時はまずバーレンだ。まあ、ここはサンリラだからトラブルはないだろうけどね」

「はぁい。レン兄様、お勉強ばかりなの」

「色男は金と力がないって決まってるのさ。どろどろしたのは不得意分野だ」


 バーレミアスとはアレナフィルのフォローを頼むという内容で契約しているが、今回は彼の妻にアレナフィルが無料券をプレゼントしたこともあり、タダ働きしてくれるということだった。

 友情に金銭を挟むことを侮辱と感じる者もいるだろうし、ビジネスライクに受け止める者もいるだろう。しかしバーレミアスは家族にもアレナフィルのことを沈黙し続け、私が望む通りの支援をしてくれている。その折り合いを、金銭契約を交わしているからということでつけてもらっているのだ。

 本来はバーレミアスも副業を検討することもあっただろうが、アレナフィルのおかげでそれをせずにすんでいると思えば、どちらにとっても悪い契約ではなかった。

 思ったより至れり尽くせりの優雅な旅行になっているが、アレナフィルの将来における縁組を踏まえた相性をみる為と聞いて、バーレミアスも納得している。

 政略結婚には様々なものが動く。だからそれなりの経費をかけてでも相性や価値観のすり合わせを調べるのだ。


「あ、そうそう。パピー、今日のディナーにはこのサファイアウィングがいいと思うの。爽やかでクールなのにちょっと甘いフェロモンがパピーにぴったり。香水売り場のお姉さん、これは使う人を選びますって言ってたけど、パピーのフォト見せたら黙りこんだんだよ」


 そりゃアレナフィルが男性用香水を、

「デート用のプレゼントなんです」

と、買いに来たところで、誰だって十代のボーイフレンドにあげるつもりだろうと考える。だから買おうとするのを止めたのは、十代の少年には合わないと判断したがゆえの良心だ。売り場のお姉さんは悪くない。

 どんな私のフォトを見せたのか、私は考えないことにした。


「そうか。ありがとう、フィル。あとでつけてくれるかい?」


 この後はアレナフィルと出かける予定だ。この子が望む装いと香りを纏ってやれば喜ぶだろうと思って尋ねれば、笑顔で頷いてくる。


「うんっ。あ、パピー。パピーの言ってたお店ね、とても美味しいみたいなの。だからね、みんなも行きたいって。普段ね、男子寮でお子様大好きメニューばっかりなんだって。たまにはおしゃれして美味しいご飯、食べたいみたいなの。だからレン兄様もお留守番やめて、フィル達とお出かけしよ?」

「それはいいんだけど、男五人に囲まれて出かけた先で父親の香水買ってくるって何なの、フィルちゃん」


 砂浜追いかけっこができない代わりに、私はアレナフィルに港近くの料理店でのディナーデートを提案した。

 高級市場に行くという話だったから、ついでにデート用のおしゃれな服や靴やバッグも買ってくるようにと言ってあったのだが、結局は全員でディナーに行くことになっている。


(二人で予約してあったんだが、既にあいつら人数変更手配済みだろうな)


 うちの娘は父親にデートをせがみながら、誰かにちょっと言われただけで同行を了承してしまう薄情ウサギだ。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 我が家としては不本意ながら、現在うちのアレナフィルは、ガルディアスの妃候補の一人だ。

 今までどんな令嬢の名前も出さなかった彼が気に入った以上、うちとしては辞退一択ながらも妃候補の一人なのである。アレナフィル自身は結婚相手候補に二股どころか三股をかけている状態でも、彼の妃候補である事実からは逃げられない。


(候補というのは、独身貴族令嬢のほとんどが適用されたりもするんだが、今現在は有力な候補ってことになってるんだよなぁ)


 そういった事情を理解していなかったのだから仕方がないのだが、アレナフィルは手間を省く為だけにバーレミアスと一緒の部屋で泊まろうとやらかした。

 私はどうしてもここを離れる時がある。その上でバーレミアスとボーデヴェインという成人男性が寝室そのものは別ながらも鍵のかかる住居内でアレナフィルと同居という事実は、あまりにもふしだらだ。

 世間的にはどう考えてもアレナフィルの貞操の危機である。


(バーレンはそういうことを嫌うし、ヴェインもお子様は対象外なんだがな)


 ゆえに清掃と洗濯は、ガルディアス側の人間を受け入れるしかなかった。つまりよからぬ男女関係があった時には見逃さない目を持つ使用人達ということだ。

 使用人を入れるのを嫌うアレナフィルには、

「このアパートメントが契約している、地元の人の雇用がかかっているのだ」

と、説明した。他人ながらも生活がかかっているとなれば、アレナフィルも受け入れる。

 真実は、つまりアレナフィルが変な男女関係を誰かと持ったならば、即座に報告が王宮及び大公邸に行くということである。

 エインレイドの学友としていつも一緒のアレナフィルだけに、ふしだらな女子生徒では困るという思惑がそこにあった。何故なら異性の学友である場合、妃候補の一人になるからだ。

 それだけに私と同じ寝室で、しかもベッドが一つしか使われていないことにも問い合わせが来ていた。


『うちの娘はまだまだ子供です。結婚なんて全く考えられない程、子供なのです。怖い夢を見るから一緒に寝てとお願いされれば、どんな父親だって添い寝するものでしょう』

『あの・・・、ですが、その、あの、お嬢様は、たしか上等学校一年生だったかと・・・』

『体はそうでも、娘の心はまだ9才やそこらの幼さです。他人にどうこう指図される覚えはありません。文句があるなら今からでも娘だけを引き取ります。人見知りする娘を不本意ながら同行させていることをお忘れなく』


 そこはもう強気で答えておいたが、ひとの家の親子関係に口出しする前にアレナフィルを妃候補リストから外してくれ。

 寮監をしている四人は、逐一アレナフィルの作るメニューを報告しているようだ。ガルディアスが毒見されるのを待たずに食べてしまうので出された料理を報告することでごまかしているらしい。

 勿論、あれだけエインレイドにも食べさせていたアレナフィルなので、そういった警戒も形骸化している一面はあった。

 ガルディアスは独身なので、手料理と称して眠り薬を仕込まれ、一夜の情事に持ち込まれることがあり得る。だから独身女性の料理などには口をつけないと決まっているのだが、アレナフィルに対してはガルディアス自身がそういったルールを無視していた。


(彼もストレス溜めてるだろうからなぁ。それが分かっているだけにあまり厳しいことも言えん)


 まさか302号室で料理するとは思わなかったらしく、二階のキッチンルームやダイニングルームには監視映像装置をつけていても、こちらにはついていない。せめてアレナフィルの買い出しリスト内容をある程度用意することで、警備チームの食品管理担当者も妥協している。

 肝心のガルディアスは、「男子寮でもぱっと作れる簡単おつまみ」とやらをアレナフィルに教えてもらっては、

「お前が作りに来い。寮監側の建物なら生徒にはばれない」

などとふざけたことを言っていた。

 

(今から監視映像装置をつけたらすぐに分かってしまうからつけられない。誰も料理しないなら調理人を出張させられたのだろうが、フィルは朝のヨーグルトやソーセージに至るまで毎日違うメーカーのを買って味比べをしている有り様だ。夕食も買ってきた物を組み合わせてちゃかちゃか作っている)


 だからといってアレナフィルは、全て自分で作るといった努力をする気はない。

 美味しそうだと思った店があったら入ってその場で食べたり、持ち帰ったりして、それでいて楽しく食事も作る。新鮮な魚を買ってきて自分で処理して豪勢な海鮮料理を作ったかと思うと、面倒な時は缶詰や冷凍食品を使ってちゃちゃっとすませたりもする。冷凍食品の食べ比べとかもやっていた。


(どの冷凍食品が美味しいかコンテストをされるとは誰も思わなかっただろうな。こんだけの男の胃袋あってのことだが)


 店の料理人にもアレナフィルはこの辺りで他に美味しいお店はどこかと、そんなことすら聞いていたらしい。うまい料理人はうまい料理人を知るものだ、とか言っていたらしいが、一口ずつ沢山の味見をしても残りの料理の処理要員がこんなにもいるとか思っているアレナフィルは、料理店での注文も絶好調だ。


(父親とのデートにあれだけの男を連れていったかと思うと、全ての料理をアラカルトで頼みまくるとは)


 一回の来店で自慢メニューの全てを平らげようとする強欲な娘は、マーケットでの買い物も豪快だ。

 どうせ清掃が入るのだからと、ウロコ取りや内臓の処理は二階のキッチンですませたりしていた。ついていった士官達も、どれだけウロコが飛び散るのかを知って、何故302号室でやらなかったかを理解したらしい。

 かと思えば、缶詰を使って残り物処理料理とかやらかした時は、今まで自宅で残り物の食材を処理させられたことなどなかった彼等に大きなショックを与えてしまった。


(かなり自分の欲望に正直なファレンディア人女性だったんだね、フィル。知ってたが)


 だがな、娘よ。父はお前が心配だよ。

 今までのお前のお手伝いは、皿を並べたり、ソースで模様を描いたりする程度だったことを思い出してくれ。休日だって私と一緒に作るからシンプルな料理がほとんどだったし、食べに行ったり、持ち帰ったりしてきたことが多かっただろう。

 ミキサーにかけるだけのバナナミルクはともかく、十人分の料理ができるなんてことがおかしい事実に思い至ってほしい。我が家はエイルマーサという家政婦がいて、彼女の負担軽減で日中に使用人も入っている家庭だ。

 ちょっとした趣味のお菓子や軽食まではともかく、大鍋でどどんと作ったりできるのはおかしいだろう。

 本来、保護者同伴の外出しか知らないお前は初見の店に入る勇気もなく、魚は調理されて出てくる切り身しか知らないお嬢様な筈なんだ。

 

(きっと忘れてるんだろうな。クラブであれこれ作っていたこともあって)


 それでも私が観察に徹していたのは、アレナフィルがいずれファレンディア国へ行きたがっているからだ。心残りな何かがあるにせよ、今のアレナフィルはサルートス国の民、サルートス貴族の令嬢である。何かあったら我が家の娘がしでかしたことになるわけだ。それがたとえば不法侵入であっても。

 私はアレナフィルができること、できないこと、家で猫かぶりしていない時にはどう動くのかを把握しておきたかった。

 それなのに男子寮でヒヨコの面倒を見ていることしかできない雛鳥達が、ピーチクパーチクとかしましい。

 

『ウェスギニー大佐。真面目にお聞きください。どう考えてもおかしいではありませんか。平民で入隊してくる兵士ですら、調理なんてヘタクソもいいところです。お嬢様を、まさかと思いますが使用人扱いしていたのではありませんか? それは虐待というものです』

『落ち着いて考えてから口に出したまえ。使用人扱いしていたら子供だって委縮して育つだろう。何より気に入らないメイド達を追い出したのはアレナフィルの方だ。私はそれすら咎めていない』


 メイドの流し目すら対応できずに幼年学校生のお子ちゃまに守ってもらったと笑い話にされたのは私の方だ。

 あれは精神的ないびりに該当するのではないか。


『そうかもしれませんが、・・・放置もまた虐待です。子供は大人の庇護下で健やかに育つ権利があります』

『うちの娘は伸び伸びと自分の欲望に向かって一直線に進む日々を過ごしている。学校における評価も悪くない。あれを健やかと言わずして何を言うのか言ってみたまえ』


 ウェスギニー家を継ぐアレンルードと違い、アレナフィルはおねだりすれば大抵のことは二つ返事で叶えてもらえる立場である。

 私の留守が長くて寂しい時にはレミジェスを呼び出しては添い寝してもらっている娘は、自分で自分のケアもばっちりだ。


『それはそうかもしれませんが、・・・立場に相応しい教育を受ける権利がアレナフィル嬢にはあります。あれでは貴族令嬢として物笑いの種になるだけではありませんか』

『うちの娘が物笑いの種になったことがあったか? その前に誰も顔を知らんだろう』


 笑われる前に茶会の一つにも参加しないアレナフィルを、まずは招きたい人ばかりだ。

 初めての茶会でいじめられたら二度と出てこないと分かっているので、その最初の茶会をする主催者はかなりメンバーを厳選することになるだろう。今のアレナフィルは、ガルディアスにもエインレイドにもかなり近い貴族令嬢という立場なのだから。

 ちなみに、あのミディタル大公家の茶会は茶会としてカウントしていない。


『それはなかったかもしれませんが、・・・ちょっと待ってください。そういうことではなくてですね、大佐。お嬢様がおかしいと思わないんですかっ。年齢経験を考えればどう見ても異常ですっ』

『正常と異常の違いなど、損害が起きなければそれでいい程度のことだ。留守がちな私と二人暮らしの娘が生活無能力者だったら、そちらが問題だろう』


 ガルディアスの側にいる士官達は、誰もが姉妹や親戚にそれなりの令嬢がいる貴族だ。自覚しておらずとも、どうしてもアレナフィルと比べてしまう。

 私室を出る時にはそれなりの恰好をしてからというのが常識的な彼等にとって、パジャマで朝食を作るアレナフィルは理解できない生き物だった。

 思えば私もアレナフィルに毒されたものだ。

 エプロンを持たせていなかったことに気づいた私が買ってあげようとした時、アレナフィルは言った。


『パピー、パピー、フィル、あれやりたい。新婚さんごっこしながらエプロン買ってもらうの』


 だから店で娘が望む通りのセリフを言ってあげた私はとてもできた父親である。


『可愛いフィル。私の為にこのクマさんエプロンをつけて毎朝ミルクを運んできてくれないか』

『嬉しい。一生フィル、ミルク運ぶの』

『愛しているよ』


 エイルマーサが用意している衣服から割り出し、私はクマさんエプロンを選んだ。

 問題はパステルカラーでファンシーなエプロンに、アレナフィルは「これじゃない」な気持ちになってしまったことだ。

 しかし店員達も素敵な笑顔を見せている。


『お似合いですわ、お嬢様』

『ええ。なんて愛らしいんでしょう。とてもお似合いですわ』

『ありがとうございます』


 自分でも似合っているとは思いながら、何かが違うとアレナフィルは気づいてしまった。エプロンを抱きしめながら床に膝をついていたらしい。


『バカだなぁ、フィルちゃん。娘はずっと家にいればいい父親が選ぶものなんざお子様モード強調路線、誰も幸せカップルだなんて思うかよ』

『はっ』


 グラスフォリオンとボーデヴェインを連れてガルディアスの所へ行き、アレナフィルは問題点を洗い出したらしい。

 やり直しで出かけて周囲の羨望を浴びながら、ピンクのフリルが可愛いエプロンやすっきりしたデザインのエプロン等を買ってもらったようだ。

 子供に対して新婚カップルみたいなセリフを言わされた三人の反応がどうだったかは知らないが、通報はされなかったと信じる。


「さ、フェリル。たまには飲みに行こうぜ。フィルちゃんなら大人っぽいエプロン買いに行ったから、ほっといてもいいだろ。夕食も済ませてくるよう頼んどいた」

「そうだな。知ってるか、ここってばゴーガザスの食事を出す屋敷があるんだ。酒もあそこの甕ごと買いつけ、土も全て用意した状況で埋めて運んできてるんだ。まさに本場の味らしいぞ」

「えっ? あの幻の・・・っ!?」

「ゴーガザスの高官専用なんだが、ちょっとそっちの人間を助けたことがあってな、紹介状もある」

「お前ってばサイコーッ」


そうして子守りを押しつけた私とバーレミアスは、昔に戻って馬鹿なことを言い合いながら港町の夜を楽しんできた。

それこそ行った店を知ったなら、アレナフィルが嫉妬で連れてってとむくれるだろう。だけどお子様は連れていけない所もある。

だからレミジェスに手配させておいた菓子を、アレナフィルへのお土産で渡しておいた。


「このケーキは数ヶ月かけて漬けこんだフルーツをたっぷり使っているし、味も濃い。日持ちするから、好きな時に食べなさい。バーレンと買いに行って、ついでによそで食事してきた」

「ありがとう、パピーッ、レン兄様っ。これっ、数百年続いているお店なんだっ。なんか箱も凄いよっ」


 食事どころか酒まで飲んできたことを、私の服をくんくんしていた娘は察していたようだが、渡された土産で全ての不満は吹き飛んでいた。


「たしか薄く切って軽いパイ生地に載せて食べたのが有名なアレだろ。若い時に特集記事を見た覚えがあるが、贅沢に厚切りにして食べた奴が、味の分からない奴って言われてたっけ。フィルちゃん、出してくれる時には薄切りにしといてね」

「毎月決まった数しか作らないから箱にナンバーも打たれているのさ。喜んでもらえて良かったよ、フィル」


 おかげで遅い帰宅にも文句は言われなかった。

 そんなアレナフィルのエプロンも大活躍だ。

 朝は私のクマさんエプロンで可愛らしく、

「朝のお野菜ミルクなの」

と、ベッドまで運んでくる。

 昼はガルディアスのシンプルエプロンでお姉さんっぽく、

「沢山食べて大きくなるのよ」

と、自分よりも年上の青年達に偉そうにやらかしている。

 夜はグラスフォリオンのフリルエプロンで、

「炭酸にする? 冷茶にする? それともス・-・プ?」

と、幼な妻パターンで飲み物を聞いているが、ほとんどが使用人のいる家で育っている為、分かってくれたのはボーデヴェインだけだった。

 寝る前、リクエストされた酒を作る時にはボーデヴェインの黒いエプロンをつけて、

「駄目ですね。口説き文句はもっとスマートにやってください」

と、バーメイドしながら文句をつけているアレナフィルは、幼女から大人の女までそれぞれの役どころをなりきり中である。


(ちょっと自分ちの別邸に出かけてた間に、士官達がなりきりプレイを調教されていた・・・)


 そんなアレナフィルは全てにおいて規格からずれていた。

 文句をつけたいのか、庇ってやりたいのか、寮監チームも迷走中だ。


(ルードはルードで、「父上と先生達がいて尾行する意味ないよね」とか言い出して、レミジェスに遊びに連れてってもらい始めた。だから最初からフィルと一緒にいろと言ったのに)


 尾行しながら私がアレナフィルにあれこれ買ってあげているのを見て、

「なんで僕、それを見てなきゃいけないの?」

と、アレンルードもその不公平さに気づいてしまったらしい。

 寂しくなってレミジェスに甘え始めたそうだ。


『兄上がルードの分も買ってあげないから』

『一緒に出掛けてたなら買ってもやれるが、どうしろと』


 誰も彼もが身勝手に移り気な上、私に文句を言って終わらせるのだから困ったものだ。





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