37 グラスフォリオンは休暇を楽しむ
夏の長期休暇は、貿易都市サンリラへ行くことになっていた。つまり、これはアレナフィルちゃんとの婚前旅行である。
ミニキッチンやトイレ、簡易ベッド付き大型移動車をウェスギニー家まで運転してきたが、同乗しているフォリ中尉の顔には疲労があった。
俺の名前はネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。夏の長期休暇を今から楽しむ予定である。
ありふれた木綿のカラーシャツとズボン、そしてシルバーの装飾入りベルトと無骨なシューズという目立たない服装にしてきたが、それはアレナフィルちゃんが「地味すぎ。コーディネートしてあげる」と言い出すことを狙ったものだ。
ここまできたら俺とてアレナフィルちゃんの性格を読むってもんだ。エサまきは自然に、そして確実に食いつかせなくては。
今こそ仕事を忘れてプライベートに全力で浸る時。
いや、分かってる。武装はしていないが、いざという時にはロープになるベルトに火を起こせるシューズという時点で、職業病から逃げられていないことぐらい。
「学校じゃなくて、しかも護衛もついてんだぞ。なんでああもあいつらは俺が好きすぎるんだ」
「しょうがありませんよ。それにどうこう言ったところで腹心じゃないですか」
「アレナフィルに関しちゃなぁ。可愛い子猫達を侍らせるのはいかがなものかと噂になってますよと、うるさいうるさい」
「そして、その子猫ちゃん達に可愛さも技能も頭も劣るネズミを差し出してくるとか? 大変ですね。良かったらどちらの子猫も引き受けますよ」
「言ってろ」
私的な時間はあえて普通に接するようにと言われているので軽口を叩けば、派手なサングラスや男性用アクセサリーで自由業らしき雰囲気を打ち出していた姿に、真面目そうな気配が滲んですぐに消えていった。
同じ国立サルートス上等学校内にいても、俺はエインレイド王子の為に送りこまれた立場だ。
だから指摘できずにいるのだが、思考及び行動パターンが独特なアレナフィルちゃんは、フォリ中尉だけじゃなくエインレイド王子にとっても、裏山をひとりで散歩中に見つけてしまった子ウサギか子タヌキみたいな存在なのだ。
餌をあげて食べる姿を見てみたいし、ちょんちょんとつついてしゅんっとする姿を楽しみたいし、こっそりと部屋に持ち帰って誰にも内緒で可愛がりたい。
献上された愛玩動物と違って誰の手垢もついていない出会いなど本来は望むべくもない立場ゆえに気に入ってしまったのだと。
側近という立場も、縁戚を繋ぐ令嬢を送りこむ工作も担っていない今の俺だからこそ、それが見えていた。
部外者の方が真実に近づく瞳を持つのかもしれない。
「逃げる為に早く出てきてしまいましたが、門は開いてますね」
「家主不在だけに本来は玄関先で拾ってくとこだが、正直、どんな生活してるか気になるんだよな。あそこ、かなり奥に広いだろ?」
「ルード君は遊び場になってると言ってましたよ」
ウェスギニー家の家政婦をしているヴィーリン夫人とは何かと立ち話をする仲の俺だ。今までは礼儀上、勧められても玄関先ですませていた。
家の主人であるウェスギニー大佐が不在である以上、未成年でもアレナフィルちゃんこそが女主人。いくらヴィーリン夫人がいても女性しかいない屋敷へ立ち入るのはヴィーリン夫人及びアレナフィルちゃんを軽く見ることだ。おかげで、
「まあ、旦那様が信頼されていらっしゃる方ですのに。なんて自分に厳しいんでしょう」
と、感動されている。
抱き上げたり頭を撫でたり遊びに連れ出したりしている時点で礼儀も何もあったものじゃないが、そういう一線は守るといったところで、俺はメリハリをつけていた。
親しくなっても礼儀を守り続ける実績を重ね、俺は信頼を築く。
「おはようございます。かなり早い到着になってしまいましたが、道が思ったよりも空いていて・・・」
「早朝から申し訳ない。思ったよりも早く出ることになってしまったものだから・・・」
「あらまあ、おはようございます。お二方とも、どうぞおあがりになってお待ちになってくださいな。さっき、オーバリ様もお着きになったものの走ってきたとかで、今、シャワーを浴びておいでですのよ。今、クラセン様にそう連絡していたところですの」
図々しくシャワーまで使わせてもらっている男のせいで、礼儀どうこうを考える前にあっけなく家の中に入ることができた。
通されたリビングルームからは裏庭が見えるようになっているのだが、整地されてコートのラインが引かれ、更にはロープでできた全身運動遊具がある。
「先にフィルお嬢ちゃまを起こしてまいりますわ。あ、飲み物は何がお好きかしら? 朝食は食べていらっしゃいましたの?」
「はい。早く来た私共が迷惑をかけているのですから、どうぞいないものと思っておかまいなく。あ、良かったら裏庭を見ていてもいいでしょうか? あれはアレンが?」
「ええ。坊ちゃまお嬢ちゃま用ですけれど、旦那様もレミジェス様もお使いですから、大人でも大丈夫ですわ。体を動かしたいのでしたら先生方もどうぞ。オーバリ様もシャワーを浴びに行く前にご覧になって、一通り試しておいででしたのよ。やはり軍の方は身体能力が違いますわね。あ、着替えならありますから汗をかいたら遠慮なくシャワーを案内いたしますわ」
「いえ、そこまで本格的にやりませんから」
人んちにやってきてどこまでも好きに生きてるな、あの男。
さすがに家の中に若い男達がいるとなると身支度を急がせなくてはならないと思うのか、アレナフィルちゃんの朝食が載ったトレイを持ってヴィーリン夫人が二階へと上がっていった。
「なるほど。身が軽いわけだ。ロープに片足を引っかけてぶら下がった状態で、蹴る練習ができるようになってるのか」
「三半規管が鍛えられることには納得ですが、この家、おかしくないですか?」
「何がだ?」
「表側と違ってこの裏側、壁面やバルコニーの柱とか、さりげなく足場があるんですよ。そこそこの身体能力があれば、裏庭からバルコニーに全て侵入可能です。物騒なことこの上ない」
「裏庭に侵入する前に塀と門があるわけだろう? 何より裏庭の格子戸、かなり頑丈じゃないか?」
「そりゃそうですが、まさか外の壁を使って室内に出入りしてるわけじゃないですよね?」
「そーいやアレン、寮でも窓からよく出入りしてたな」
裏庭に設置された「ルードの秘密基地」という表札付きの物置小屋などを見ながら、俺とフォリ中尉はアレナフィルちゃんがどうして子爵邸よりこちらの家で暮らしているのかを理解した。出かける必要がない程に色々な物が揃っているこの家こそが、子供達の秘密基地なのだ。
夜間でも裏庭を明るく照らす設備があり、退屈しない時間を過ごせる。
そこらの公園などより余程楽しい設備だった。
『着替えまですみません』
『いいんですのよ。それ、フィルお嬢ちゃまがセクシーフォトとやらを撮る為だけに買ったシャツですもの。そのままお持ちになってくださいな。ゆったりしているから着やすくて肌になじみやすいと思いますわ。・・・あら、ちょっとお待ちになっててね。お客様が』
『おはようございます、マーサさん。フェリル不在で門が開けられてるのって初めてじゃないですか? まあ、こんだけの士官が揃ってる家に入ってくる奴もいないでしょうが』
『ほほほ。小さかった坊ちゃま方が誘拐されない為の門でしたもの。今となっては必要ないのですけれど、習慣は止まらないものですわね』
やがてシャワーを浴びて着替えまで提供されたオーバリ中尉や、クラセン講師が到着したらしく、そんな会話が裏庭まで響いてくる。
「何なんでしょうね。真面目に礼儀正しく行動している自分が虚しくなるんですが」
「俺もだ。着替えぐらい荷物の中から出せばいいだけだろう」
室内へと戻れば、ヴィーリン夫人は紅茶を用意していた。
茶会に使われるような気取った茶器ではなく、モーニングティー用のポットとカップだ。ころんとした形状に、女性らしいチョイスを感じる。
「フィルお嬢ちゃまもシャワーを浴びてから参りますわ。どうぞお茶でも飲んでお待ちになっていてくださいましね」
茶だけではなく、リビングルームでヴィーリン夫人手作りのオニオンとハーブ入りビスケットにはベーコンと豆のピリ辛煮込みが、そしてスコーンには甘いクリームが添えられて出されていた。チキンシチューが入ったポットも添えられている。
空腹ならばどうぞということらしい。
客というよりもまるで自宅のように馴染んでいる奴がいるのだが、本当に何なのだろう。
「やっぱり手料理っていいっすよねぇ。マーサさん、俺と結婚してくれませんか?」
「ほほほ、今度から前もって言ってくださればちゃんとしたお食事を用意しておきますわ。あり合わせで申し訳ないのですけど」
「んなことないっす。あー、俺、ここんちの子になりたい」
オーバリ中尉はばくばくとシチューやビスケットなどを口に運ぶが、クラセン講師はスコーンにクリームとバターを塗って優雅に窓の外を眺めながら食べていた。
俺達は十分に食べて来たので茶しか飲まなかったが、リビングルームの棚に並んだ蒸留酒はウェスギニー大佐の好みによるものか。
棚に並んだ本は、「奇抜な発明」「戦争の功罪」「ツイストボール、我が人生」「屋外調理大事典」「生き残る商売百選」「あのスキャンダルの真実」「可愛いファッション」「魅惑のフォト」「愛の嵐はいきなり始まる」「隠されたプリンセス」「移動車のペイント剤」「子供が反抗期になったら読む本」と、ジャンルを問わない感じである。
「けっこう読んだ跡がついてる。やはり子育てには苦労があったのだな」
「あ、それ、読んでたのフィルちゃん。フェリルが読むワケないよ」
感心したフォリ中尉に、クラセン講師がその手に取った本をちらりと見てから水を差した。
「何故アレナフィル嬢が反抗期の本?」
「ルード君が反抗期になった時の為じゃなかったかな。フィルちゃん、自分しか父親と兄を育てられる人はいないって思ってるからさ。ねー、マーサさん」
「ええ。フィルお嬢ちゃまはお勉強家ですわ。いつでもルード坊ちゃまの反抗期が来てもいいように努力中ですの。だけどルード坊ちゃま、フィルお嬢ちゃまが気づかない内に反抗期は終わったんじゃないかしら。ルード坊ちゃまもいい子だから、いつが反抗期なのかよく分からなかったんですのよ」
「ルード君の反抗期ねぇ。フェリル相手じゃ徒労になりそうだけどなぁ」
「そうでしたわね。たしかちょっとおかしい時があったような気がしますけど、旦那様とどこかに出かけて戻ってきたらいつもの素直で可愛い坊ちゃまでしたわ」
「ははは。そりゃフィルちゃん、出番ないですよねぇ」
フォリ中尉は黙って本を本棚に戻した。
ウェスギニー家にどっぷり漬かった関係者だからこうなのだろうか。父親の力技も、妹の方向性も全てがおかしすぎると気づかないらしい。
端っこにあるから気づかれにくいが「息子の自立と結婚」は気が早すぎる。それはウェスギニー大佐が用意したものなのだろうか。まさかアレナフィルちゃんじゃないと信じたい。
俺は尋ねてみた。
「アレナフィルちゃんには反抗期ってなかったんですか? それとも今からですかね?」
「フィルお嬢ちゃま? ちょっと反抗期っぽい時はありましたけど、それで旦那様に言い寄ろうとしていたメイド達を追い出したのではなかったかしら。代わりに高機能な掃除用品や洗浄用品を買い揃えてしまいましたわね」
「そうですか」
それは反抗期と呼ばないような気がするのは俺だけだろうか。興味ないらしいオーバリ中尉は、ぱくぱくと食べ続けていた。
二杯目の紅茶を飲んでいるクラセン講師は笑いながら同意する。
「ははっ。あの統計取ってた奴でしょう。既婚・未婚別、年代別で分類して、フィルちゃん、魅力的な父親が悪いのか、父親を狙ってるメイドが悪いのか、かなり悩んでましたもんねぇ。で、ある日いきなり爆発」
「そうですのよ。あの時は、いつも甘えん坊なフィルお嬢ちゃまがついに自我に目覚めたのかと、お祝いのケーキを焼こうかと思いましたもの。駆けつけたレミジェス様にその場で了承を取り、フィルお嬢ちゃまが二度と来ないようあの子達に通達したのですわ。あの時、あのメイド達はお嬢ちゃまが反抗期だから実際よりもひどく言ってるだけだと喚いておりましたけど」
フォリ中尉と俺は、貴族令嬢なのにどうして専属侍女がいないのかを理解した。メイド程度をあしらうこともできずに娘を悩ませた父親こそが反省すべきだ。
そうしてアレナフィルちゃんは侍女やメイドがいなくても困らない令嬢に進化してしまったのか。
「過去の裁判記録を例に挙げながらの子供の主張でしたか。後から来た子爵もそれでフィルちゃんの言い分を認めたんでしたっけ。そういえばフィルちゃん、フェリルに反抗したとか聞いたことないな。本当の反抗期はこれからですかねえ」
「どうでしょう。旦那様は留守がちですから反抗なんてしていたら甘える時間が減ってしまいますもの。フィルお嬢ちゃま、おねだりしたいことが沢山ありますから反抗している暇がありませんわね」
「そういやお揃いコーディネートでお出かけする予定がシーズン終わって落ち込んでたこともありましたね」
「そうですのよ。次の年にはお嬢ちゃまが大きくなっててサイズが合わなくなってたのですわ。ほほほ」
ヴィーリン夫人やクラセン講師は俺達がサルートス上等学校で警備や寮監をしていることは知っているが、貴族ながらも泡沫的な分家筋だと思っていた。
母親代わりを自任しているヴィーリン夫人は、いずれアレナフィルちゃんと俺達の誰かに縁談が持ち上がるかもしれないと考え、今の内から価値観のすり合わせをしている。
だからこうして教えてくれるのだろう。フィーリングが合わない結婚は不幸なだけだ。
(つまりアレナフィルちゃんは主人に迫るメイドを見たら追い出す子だと。つまりメイド相手の火遊びは許さないってことかな、これは。しかしそれで過去の判例記録って何だよ、おい)
俺はちらりとフォリ中尉を見た。
思った通り、フォリ中尉は理解不能だと言わんばかりで眉間にしわを寄せている。
(アレナフィルちゃん、女神様が地上に降りた子だから普通じゃないんだ。ウェスギニー大佐も単なる非常識人間なんだ。常識を放棄すればこの人達みたいに楽になれるんだな)
学生時代は優秀だと一目置かれていたらしいレミジェス殿は、兄に虎の種の印が出たばかりに家を継げずに飼い殺しの憂き目にあった哀れな弟だと、せせら笑って馬鹿にしている人もいた。
俺も、巧妙に隠しているだけで兄に対して鬱屈するものがあるだろうと思っていた。
だけどたまに、そう、たまになんだがレミジェス殿、実は兄一家のことを好きすぎるだけじゃないかと、俺は疑っている。
(大佐、どう考えてもいい加減だもんな。弟、下剋上するより、そんな兄の後始末係の方がやり甲斐あるとか思っただけじゃねえの? 大体、娘に飲酒疑惑があの誕生日会で生まれた以上、普通リビングルームの酒は撤去するよな? なんで棚に並んでんだよ。どうしようもない父親すぎっだろ)
勿論、俺はアレナフィルちゃんを可愛いと思っているし、信じている。
ただ地上に降臨した女神様は世間知らずで、子供がお酒を飲んじゃいけないことも、無免許運転しちゃいけないことも分かっていないだけなんだ。
きっと天上の世界では子供の神様でもお酒を飲むことができたし、乗り物だって自動運転だったんだろう。だから仕方ないんだ。
――― あの珍獣をそこまで言うのはネトシル少尉ぐらいだ。自分の欲望ロード爆走中の小娘だろ、どう見ても。エリーだって、あそこまでその場限りの正論で乗りきろうとする女の子は初めて見たと目を丸くしてたぞ。
――― それだけ特別な子ってことじゃないですか。警戒心強いのに、信頼できると思ったら、とっても可愛い顔でにこって笑うんですよ、にこって。あー、一緒に暮らしてくれるなら家一軒ぐらい手配すんのに。
――― それは犯罪だ。
様々なおとぎ話でも、地上に遊びに来ていた女神や妖精を手に入れようとする男達の物語がある。その気持ちが痛い程に分かってしまった。うん、あれは捕まえるね。ウェスギニー大佐だって戦場で記憶喪失な女神様拾って持ち帰っちゃうね。
いつかフォリ中尉も俺と同じ悟りの領域に達するだろう。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
どうせ警護の人間はつけられる。だからフォリ中尉とオーバリ中尉と俺とがいれば運転も大丈夫だろうと、宿泊設備付き移動車を一台手配してクラセン講師とアレナフィルちゃんを乗せていく予定だった。
土壇場までウェスギニー大佐とアレンルード君が一緒に行くと言い出すんじゃないかと思っていたが、結局言われなかった。レミジェス殿も増えたところで大丈夫だったのだが。
安全な装甲で覆われている大型移動車は、多少の攻撃などかすり傷さえつかない。
(まさか、いつの間にか話を聞きつけて自分達の足まで用意しているとは)
男子寮で寮監をしている士官達まで同行することになったものだから、俺が運転する8人分の簡易ベッドがついた大型移動車だけではなく、前後に中型移動車が一台ずつ走ることになった。
中型移動車には男子寮の寮監をしている四名が二名ずつ分かれて乗る。
「リ、リオンお兄さん。ヘ、変更、変更はできないんですか。たとえば警備員のお兄さんとかに」
「俺の権限はそっちにないんだよね。俺は近衛から出向させられてるけど、男子寮は違う基地からの出向で、つまり警備棟に配属された人達とは違うルートなんだよ」
「え」
そうと知ったアレナフィルちゃんは、こそこそと俺の服を引っ張った。俺に頼めばどうにかなると思っていたらしく、へにゃあっとしてしまった顔がめちゃめちゃ可愛い。
どうしようもできないと知り、とぼとぼと皆の所へ戻っていくアレナフィルちゃん。その背中に哀愁が漂っていた。
気を取り直して愛想笑いを貼り付けたアレナフィルちゃんは、心変わりの期待を隠して彼等に話しかける。
「まさか、先生方も行かれるとは・・・」
「何を言ってるんでしょうね、このお嬢さんは。フォリ中尉を一人でどこかに行かせるわけないでしょう」
「先生方はエインレイド王子様の為に寮監しているのではないかなって思うんですけど」
「その通りですよ。エリー王子の為に寮監になったフォリ中尉の為、我々も寮監をしているのです」
これはどう考えても引く様子がないと知り、とどめのショックを受けているアレナフィルちゃんをドルトリ中尉がいじめていた。柔らかな水色の頭をしたドルトリ中尉は、性格がちょっとひねくれているのだ。
「どうして休日にまで先生に見張られなくてはならないんでしょう」
「先生と思わなければいいんですよ? ね、アレルちゃん。さあ、出かけますよ」
淡紫混じりの桃色の髪をしたマシリアン少尉が慰めているようで、実は全く慰めていない。
大人の監視が外れた状態でクラセン講師と共に好き勝手に動きたかったアレナフィルちゃんにとって、同行者が増えるのはとても嬉しくないことだ。子供というのは鋭い生き物で、何をやらかそうが面白がって好きにさせるであろう俺達はともかく、他の寮監達は貴族の青年として冷静に自分を観察することを見抜いていた。
だが、これはあくまでプライベートな外出である。
俺はしょんぼりとしているアレナフィルちゃんの頭を、よしよしと撫でてみた。オレンジとイエローが混在する色合いの髪が、朝の太陽光を浴びて輝いている。
ちょっと甘えたい気持ちらしい気分が流れ込んでくるようなこないような、そこらへんは曖昧だ。
だけど見上げてくる表情がくりくりした瞳も相まってとてもラブリー。それが全てだ。
「大丈夫、アレナフィルちゃん。プライベートなんだから遠慮なく皆を荷物持ちだと思えばいいのさ。運転は俺がするけど、ベッドもついているから眠くなったらお昼寝だってしていい。お茶も淹れられるし、途中で寄ることができそうな店も地図にチェックしてある。休憩がてら、美味しいっていうお店に入ってもいいだろう?」
「はいっ。リオンお兄さん、大型の免許持ってるんですね」
「ああ。何なら教えてあげようか?」
俺がかばってくれると思ったか、いきなり元気を取り戻すアレナフィルちゃんが抱きしめたくなるぐらいの可愛さだ。ああ、このまま二人だけで出かけたい。
ん? あ、ぽやぽやっとした小さな幸せ気分が生まれた気がする。やっぱりこれがアレナフィルちゃんの蝶ならではの能力とやらなのか。
アレナフィルちゃんは目を輝かせて運転を教わりたいと言い出した。
「えへへー。私、免許を取れる年になったらすぐに取りたいんです」
性格は違うのに、双子はどちらも技能習得に貪欲だ。
何があっても味方だと思われているのか、公私をきっちり分ける人だと信頼されているのか、学校では完全無視でもこうやってプライベートでは自分を見せてくるところが愛らしい。
だが、俺には分かった。
(アレナフィルちゃん。君、無免許運転がばれた時、俺に運転を教わってたからってごまかす気だね。どうしよう。この子の嘘に騙されたフリをしてしまうウェスギニー家の気持ちが分かりすぎてしまうんだが)
だってさ、この子こうして大人を手玉に取ってるつもりなんだぜ?
大切な宝物を地面に埋めて隠して、だけどこんもりと土が盛り上がっているからバレバレなケースに通じるものがありすぎだろ? 土をかぶせてあるから見つからないと、自分でも大威張りなんだ。
こんな風にちょんちょんと袖を引っ張ってくるところなんて、「これぞ女の子の可愛さというものか・・・!」な驚きを世界にもたらしてくる。まだ子供な女神様は、一生嘘がドヘタクソでいい。
もう地面に膝ついて打ち震えたくなるぐらいに可愛いんだが、そこは大人の余裕で、俺は何でもないような顔をしておいた。
寝る前に思い出して感動しなおそう。
「ん? どうした?」
「寮監先生達が乗る二台、あれ、もしかしてプロペラついてるんじゃないですか?」
「よく気づいたね。いざという時には空を飛べるって奴だ。だから何があろうが安全だよ」
こそこそと耳元で囁いてくるのだって、その「あなただけを信頼しています」感が世界をバラ色に染めていくんだぜ。これこそ女神様の福音って奴。
だけどそんなアレナフィルちゃんの視点は独特だ。
さりげなく周囲で俺達の会話を聞いている寮監メンバー達も、アレナフィルちゃんが移動車の構造まで頭に入れているのかという目で観察し始める。
(さっきも俺との会話、しっかり聞かれてたからなぁ。だからいじめられちゃったんだけど)
ドルトリ中尉達が調達してきたのは普通の中型移動車に見えるが、いざという時にはフック付きワイヤーロープが発射され、大型移動車を吊り下げることも可能なタイプだった。だが、それを見分けることができる時点で普通ではない。
「中型移動車で空を飛べるのって初めて見ました」
「そうなんだ? あれはもう航空関係の免許も必要だからね。軍の持ち物だが」
「ですよねー。普通で売ってる筈ないって思いました」
ウェスギニー大佐が仕込んでいたのだろうか。だが、実物を見せずにどうやって教えたのだろう?
世間知らずな割に頭でっかちなアレナフィルちゃんは本当に不思議な子だ。
人に教えるのが上手なアレナフィルちゃんなので尋ねれば教えてくれたかもしれないが、俺にしてもフォリ中尉にしても観察しながらその秘密を解き明かしていく手順を面白がっていた。
だって種の印が出るのは上等学校卒業前か後だ。おおよそ五年は何も言えないし、手を出せない。それならのんびりとやるしかないだろ?
すぐに答えが与えられるより、自分なりに観察して答えを見つける方が楽しいってもんだ。
だから俺はアレナフィルちゃんが喜びそうなこれからの予定をちょっと教えてみる。
「せっかくだからね。途中の山菜料理が有名な店で昼食にして、今日はフォトネー遺跡に向かうよ。夜はその近くで宿泊だけど、フォトネーの頃を再現してやや現代寄りにした料理が出るって話だ」
「フォトネー遺跡っ。あの沢山の石が積まれてて彫刻がすっごいとこですよねっ。一度リアルに見てみたかったんですっ」
「ああ。不便すぎてわざわざ行こうとは思わない場所だもんな。だけどみんなが一緒なら楽しいと思うよ。見るだけじゃなく登ったりもできる」
「きゃーっ。ルードやっぱり来ればよかったのにっ」
大喜びで両手をきゃいきゃいさせて飛び跳ねる。ああ、うん、手をばしばししたいんだね。
それなら俺の体ぐらい遠慮なくぽかぽか叩いてくれていいんだけど。そうして抱きしめたらめっちゃ俺達、ラブラブっぽいよね。
(あー、こりゃ溺愛するわ。レミジェス殿、姪はもう嫁に行かずに婿取ればいいって思っちゃうわ。俺、三男じゃなくて長男だったりしたらきっと論外でふるい落とされてたわ)
ともあれ俺達は、まず秘境にある遺跡に向かうことにした。
― ◇ - ★ - ◇ ―
観光地と言ってもあまり多くの人が訪れるわけではない場所を選んだのは、伸び伸びと過ごす目的もあった。やはり顔見知りとばったり出会いたくはない。
それは正しかったと、俺達はすぐに悟った。
何故なら一人で目立ちまくる少女がいたからだ。
「うわぁ、大っきいーっ。高ぁいっ。あれはもう頂上まで制覇するしかないっ」
ゲートをくぐり、フォトネー遺跡を前にして仁王立ちしたアレナフィルちゃんは感動しながら変な宣言をしていた。
周囲の観光客達が、くすくすと笑みを誘われている。
「そっかー。頑張れよ、フィルちゃん。俺は途中まででいいや。ま、何とかと煙は高いところにのぼりたがるってな」
「レン兄様、お年だから」
ざっくり反撃するアレナフィルちゃんは、売られた喧嘩は買う子だった。
クラセン講師の口角がぴきっと動く。
「これこれ、アレルちゃん。この遺跡の天辺まで登るだなんてあの階段、何千段あると思ってるかな。程々のところで引き返した方がいいよ。まあ、アレンならやりそうだが」
「ふっふっふ。甘いですね、メラノ先生っ。たしかにあの中央の階段と通路を使うそれはかなりの段数と長さがあります。しかぁしっ、この遺跡は頑丈な岩石っ。しかも事故防止で柵までついてるわけですよっ。ゆーえーにっ、私はできると見たのですっ。ちゃんと窓から計測していたから間違いありませんっ」
じゃじゃーんと巻き尺を掲げるアレナフィルちゃんはとっても元気だ。
「あのなぁ。計測してたっつーが、それと遺跡登りと関係あるのか?」
「ふっふっふ、フォリ先生も分かってないですね。なるべく苦労せずに結果を持ち帰るっ、それがマイポリシーッ」
クラセン講師、オーバリ中尉、そして寮監五人と俺という八人の男に囲まれている少女が一番偉そうだ。よほど自分の目で遺跡を見ることができたのが嬉しいらしい。
この自信たっぷりにやる気なアレナフィルちゃんだが、最初から汗をかきたくないクラセン講師はともかく、俺達相手じゃ一番にへばるのではないだろうか。
俺達、職業的に体力には自信あるんだよね。だから俺達は大丈夫だ。大丈夫なんだが。
「途中でへばったら俺達の誰かが背負って下りればいいか。ま、やれるだけやってみろ」
「ふっふっふ。私を甘く見てはいけませんよ、フォリ先生。私にはっ、リオンお兄さんという秘密兵器があるのですっ」
「まさか背負って登ってもらおうとか考えてませんよね、アレナフィルお嬢さん? ボスに言いつけますよ。男に密着していちゃいちゃしてたって」
え? それぐらいやるけど? どうせ俺、成人男性ぐらい平気で担いで移動できるし。
アレナフィルちゃんを背負って仲良く頂上までデートなんて喜んでやるけど、別に?
「まっさかぁ。どうせ皆さん、頂点まで行きそうじゃないですか。だから私は手を抜くのですっ」
そしてアレナフィルちゃんは、俺に滑車付き荷物吊具を渡してきた。ご丁寧に布製の腰掛け用ベルトが片方についている。
工事用現場で搬入時、重量のある荷物を上げ下ろしする際に使われるシロモノだ。
「本は重いですからねっ。役立つだろうと思って持ってきたら早速役立ちましたよっ。リオンお兄さん、まずはあそこの柵の所からお願いしますっ」
「ああ、いいよ」
「なるほどな。これなら一気に上昇させてもらえるわけか。それなら俺も頂上まで上がってもいっかな」
「レン兄様が私を利用する」
「減るもんじゃないだろ」
俺は別にいいけどね。
ひょいひょいと階段を駆け上がりつつ、俺は持たされた道具を確認した。工事現場でよく使われているメーカーのもので、強度は十分だ。
要は先に階段を上り、柵に滑車付き荷物吊具を取りつけてアレナフィルちゃんが布ベルトなどを装着したら一気に上昇させるだけだ。大して力も要らない。
「なんかズルもいいところじゃないですかねぇ」
「アレンだったら自力で登ったと思いますけど、人を利用する気満々な時点でアレルちゃんですね」
寮監業務をしている彼らの声を背中に聞きながら、俺はあの子が窓にメジャーを当てていた行動を思い返していた。アレナフィルちゃんは幾つかの柵の位置など、窓から見える景色で長さを大まかに計測し、現場で指標となる長さを測って、自分が持ってきた滑車付き荷物吊具が使える高さを割り出していたのだ。
どうしよう。感心すればいいのか呆れればいいのか分からねえ。
「きゃーっ。すっごぉい。空に浮かんでるみたぁい」
一気に垂直上昇する景色を楽しんだアレナフィルちゃんは特に高所恐怖症でもなかったようだ。めっちゃいい笑顔だった。
虎の種のくせに、
「俺、怪我人っすからぁ」
とか言うふざけたことをぬかすオーバリ中尉もそれで上がってきた。朝からランニングしてた奴が何言ってんだ?
「十分な耐荷重があるとはいえ、ちょっとびびったな。だけど一気にここまで上がれるってのはいい」
「そーっすね。これはクセになるかもしれねえっす」
「次はリオンお兄さん、これ使っていいですよ。私が階段上りますっ。やっぱりこういうのは順番ですからねっ」
次は自分だと言って、階段を二段ずつ飛ばして駆け上がっていく少女がいるのだが、あの元気さなら普通に階段を上っても大丈夫だったのではなかろうか。
だけど俺の為に駆けあがってくれてるって嬉しすぎる。もうにやにや笑いが止まらないじゃねえか。
「あいつ、ちゃんと固定できるんだろな。しくじったら落ちてぺしゃんこだぞ」
「大丈夫ですよ。フィルちゃん、あれで色々な物を運び入れるのに慣れてるんです。使えないならあんな道具持ってませんって」
一抹の不安を抱えているらしいフォリ中尉に、クラセン講師が軽く手を横に振った。
どんな重い荷物をアレナフィルちゃんは運び入れているというのか。
「思うんすけどアレナフィルお嬢さん、貴族のご令嬢にしてはたくましすぎませんかねぇ。一体、何をどこに運び入れてたんすか」
「ん? 台車で持ち帰った買い物とか? ベランダから部屋に引き揚げるのさ。重い荷物をえっちらおっちら階段使って運ぶより楽ってもんだ。壁紙を傷めることもない」
さすがクラセン講師は把握しているようだ。
だけどさぁ、アレナフィルちゃん。その買い物とやらの内容、保護者は知っているのかな。知ってたなら大佐にしてもレミジェス殿にしても運んでくれたと思うんだよね。クラセン講師はしないだろうけど。
「面白そうだな。俺もやってみよう」
「・・・ちょっと待ってくださいっ。固定を確認してからですっ」
「俺達が確認するまで絶対にダメですからねっ」
フォリ中尉も今度はこれで上昇してみたいというので、慌ててドルトリ中尉とドネリア少尉がアレナフィルちゃんの固定を手伝うというよりも代わりにやろうと追いかけていった。
(交代で取り付けてみんなを引き上げていけば、誰もがクソ真面目に階段を全部上らなくても頂上まで行けちゃうってことかよ)
すぐに上の方から、アレナフィルちゃんがドネリア少尉に対してぷーぷーと自分ができる子なのだと主張している声が落ちてくる。
「心配しなくても先程俺が確認しました。俺達が三人でも十分に耐荷重な奴です」
「なんでそんな物持ってんだ、あいつ。双子の兄なんざ普通にロープ買う程度だってのに」
鎖の破損もなかったことを告げれば、フォリ中尉が首を傾げた。
「あのー、クラセン先生。アレナフィルお嬢さん、一体どんな重い荷物運び入れてたんです? わざわざ台車とかって、普通はそんな重い買い物しませんよね?」
「ああ。フィルちゃん、隠し部屋作ってたんだよ」
「隠し部屋っすか? なんでそんなの必要なんです? ボスなら拷問用で必要かもしれませんけど、そんなら地下室っしょ」
オーバリ中尉も上司の娘だと思えば好奇心がそそられるらしい。だけどなんで拷問用とか考えつくかな。
「違う違う。フィルちゃんはおうちにこもって巣作りしたい子だから、ルード君に見つからないスペースが欲しかったわけ。だから部屋の壁際に棚や家具を置いているように見せかけて、その裏側に隠しスペースを作ったりしてたんだよ。ちゃんと長さを測ってしまえばそのスペースには気づかれてしまうけど、家具の配置とかで分かりにくくはできるからね」
「・・・そこまでして何を隠したかったんです?」
「ん? 気に入りの菓子とかだろ。寮に入ってから、平日は自分の部屋に置いておいても勝手に食べられないって言ってたから」
なんつーくだらない使い方だよ。菓子なら棚に入れて鍵かけておけばいいだろ? 隠し部屋ってそんな使い道の為にあるもんなのか?
もう笑うしかない。
アレナフィルちゃんといるだけで、ただの遺跡すら新鮮な驚きと幸せで満ち溢れるのだ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
フォトネー遺跡の周辺は、はっきり言って超のつく僻地だ。民家? 何それって奴だ。
だからまともな宿に到着するまでかなり走らなくてはならなかった。振動がこないタイプだからいいが、通常の移動車ならこんな舗装されていない道路などあまり通りたくないぐらいだ。
その代わり、人の目を気にする必要がない。
「なんという素晴らしい緑溢れる自然豊かな場所でしょう。どの方向を向いても山がある」
「そうだな。フィルちゃん、気をつけた方がいい。街路灯がないってことは、日が暮れたらまさに真っ暗闇だ。普通の道路で遭難する奴だ」
「・・・うわぁ」
移動車を降りたアレナフィルちゃんは、舗装されていない道路にも驚いていた。
辺鄙な場所にある宿は周囲がほとんど私有地で、移動車数台を駐車するのに百台以上のスペースがあったりする。
他の宿泊客も実は関係者なので、俺はアレナフィルちゃんに大型移動車の運転を教えてあげることにした。
「あ、ここで後ろの映像が出るんですね。横がここ」
「そう。うん、筋がいいね」
「うわぁいっ」
無免許運転ができることを知られたくないアレナフィルちゃんは、あくまで「初めて運転用の前部座席に乗りました」を演じているが、乗る前にさりげなく移動車の前後左右、モニターカメラ破損の有無、そして下部や上部チェックしていたことに俺は気づいていた。
(安全運転の基礎はできているようだけどな。まるでちゃんと教習を受けたかのように)
しかも俺がアレナフィルちゃんの背丈より実は少しだけずらしてセットしていた座席とモニターを、俺が後部を見ている隙にこっそり直す。
(大型は座席をフィットさせるのも中型・小型と別の仕組みだ。アレナフィルちゃん、無免許運転は大型もだな、こりゃ)
騙したいわけじゃないが、メンバーの力量を把握しておくのも大切なことだ。俺はアレナフィルちゃんがどの程度動かせるか、正しいデータを把握しておきたい。
周囲の山も私有地、この野原な駐車場も私有地、そして道路も私有地という宿は、田舎だからこその広さだった。
この辺りでは、土地の売買は「山一つ」が単位だとか。だから伸び伸びと上等学校生に運転させることができる。周囲に人がいないのだ。
「道からはみ出しそうになったら即座に運転を切り替えてあげるよ。まずは自分で動かしてみるといい。どうせ人も動物も近くにいないしね」
「はい。このレバーは何ですか?」
「ああ、それをオンにしておくと、最高速度のリミッターがかかるんだ」
恐らく他の士官達も窓や物陰などから観察しているだろうが、アレナフィルちゃんの運転技術は初心者のものではなかった。
しばらくは感覚を掴むのに苦労していたようだが、すぐにカチャカチャと手や足を動かしてスムーズに動かしていく。
大型も触った経験はあるが、あまり数はこなしてなかったのだろう。
技術レベルとして俺はそう判断した。
直進だけじゃなく蛇行や徐行、ジグザグ走行まで自分なりに動かしてみるのは、この移動車の動きを把握する為だ。
けれども俺は気づかないフリをする。
「ホントここならルードも遠慮なく走り回れそう。コート何個分あるかなぁ」
「やっぱり一緒じゃないと寂しい?」
「はい。だけど仕方ないですよね。男の子だから頑張りたいんだろうなって思うし、いつまでも二人でいられないから」
何かと双子の兄にも楽しませてあげたかったと考えてしまうアレナフィルちゃん。だけどルード君は君を守る実地訓練で先行しているだけだ。俺に朝の練習を頼んできているのも君を守りたいからだ。
男は言葉じゃなくて行動で語るものさ。
この双子は、離れていてもお互いを大切に思っている。
いい子達じゃないか。あの大佐には勿体なさすぎる。
「何なら中型も運転してみるかい?」
「いいんですか? だけどアレ、航空と船舶の免許も必要なんでしょう?」
「飛ばないなら大丈夫さ。川や池にだって入らなけりゃいい」
「やりたいですっ」
左折や右折や停止用フラグライトを完璧に使いこなしているのを確認した俺は、寮監メンバーが乗ってきた中型にアレナフィルちゃんを誘った。
無免許だろうが何だろうが、動かすことが可能だと知っているだけで選択肢は広がるものだ。
大型はあまり駐車場から離すわけにはいかないが、中型ならこの辺りの道路を走らせても問題ない。
「大型はさすがにでかすぎるけど、中型ならいいだろ。さ、道路を走らせてみよう。あっちの山までは私有地だって話だったから、もう今日の客は全員到着してるし、誰とも会わないさ」
「そうですよねっ。きっと何もしない時間を楽しみたくてこういうところに来るんですね」
「そうだろうね。・・・だけどそれ、俺達にはちょっと退屈すぎるな」
「私もそんな気がします」
どこにスイッチがあるのか、どれがどのレバーなのかと最初は混乱しつつもすぐに理解したアレナフィルちゃんは道路を楽しそうに走らせながら、操作を失敗したフリをして湖に移動車を飛びこませた。
「ああっ、水の中に入っちゃいましたっ」
「・・・大丈夫。これは水上でも移動できるから」
「うわぁ、まるで船みたい」
「さあ、スロットルもハンドルも水上だって同じように使える。せっかくだから水上ドライブしてみよう」
「はいっ」
俺は腹筋に力を入れて笑い出したい発作に耐える。
(あのね、アレナフィルちゃん。間違って水に飛びこんじゃう時、わざわざ段差のない場所を選ぶ余裕なんて普通ないからね? ついでに切り替えスイッチまで勝手に押さないからね?)
どうしよう。ばれてないと思ってるところがめっちゃ可愛い。
こんな嘘つき女神様、抱きしめて頭ぐりぐり撫でまくる以外、必要なことってあったっけ?
運転しながらアレナフィルちゃんはすいすい泳いでいる魚に大興奮だ。
「うわぁ。釣り竿持ってきたらきっとあのお魚ゲットッ」
「ははっ。そしたら俺とアレナフィルちゃん、キャンプできちゃったね。火起こしなら任せてくれていいよ」
「そうですよっ。もうどこでも生きていけちゃいますっ」
なんて楽しい子なんだろう。
だけどね、アレナフィルちゃん。湖から上陸した時に水中用プロペラの巻きつきゴミ排除ジェット処理できる時点で、「水陸両用タイプ、初めて触りましたぁ」は無理があると思うんだよ。
言わないけどね。
クラセン講師という子供に世話させるような駄目な大人を見て育っていたせいか、俺が本気でそういったことに気づかないと思っているアレナフィルちゃんは、満足そうにドライブを終えた。
「えへへー。楽しかったです」
「そりゃよかった。アレナフィルちゃん、運転の才能ありそうだから、取れるようになったらすぐ取った方がいいかもね」
「はい。やっぱり就職の為には軒並み免許取得ですよねっ」
そんなアレナフィルちゃんの目標は、定時で帰宅できる日向ぼっこ役人生活だ。
必要以上にこの子がオーバースペックなんだけど、それで合格狙っていくつもりだろうか。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
山の夜は早く、そして朝も早い。宿泊客はどうしても宵っ張りになるので朝食時間はそこまで早くないが、澄んだ空気が静かな朝を包んでいる。
用務員に扮してエインレイド王子の警備についている俺は、尾行も得意だ。
特にこんな場所ならさっと木々の枝に飛び乗って目立たないように追跡することも朝飯前である。
(文字通り朝食前にお散歩に行くとは。昨日、運転しながら景色のよさそうな所を覚えてたんだな)
部屋に「お散歩に行ってきます」という書き置きを残し、朝もやにけぶる道をてくてくと歩いていくアレナフィルちゃん。声をかけても良かったが、俺は黙って見守ることにした。
アレナフィルちゃんが隠し持ってる様々な一面をどこまでも把握しておきたいからだ。
【 ♪ もう君はいない 共に暮らした家には別の人が住んでいた
もう逢えないのか 今も愛しているこの耳に君の声が届かない ♪ 】
どこの国の歌だろうか。
サルートス語じゃない歌を歌いながら、水玉模様のシャツにスラックスといった服装のアレナフィルちゃんがトコトコと歩いていく。
一人でも寂しい感じはしない。道端の草花を眺めながら朝の空気を楽しんでいた。
【 ♪ 捨てられた俺は 今も月を見上げて悔やんでいる
もしも会えたなら お前を壊してどこにも逃がさない ♪ 】
どんな内容の歌なのか分からないが、周囲に民家もなくすれ違う人もいないとあって、アレナフィルちゃんは絶好調だ。
たまに音程を外しているっぽいところも可愛いんだけど。
俺を悶えさせてどうしたいんだ。頼むから要求を言ってくれ。
(ガルディアス様。あんたまでついてきてどうするんですかね。ついでに無言で腹抱えて笑ってるって)
お互いにフード付きの長袖長ズボン、ゴーグルにグローブといったそれは、不要になったらさっと剥がして証拠隠滅する為のものだ。山中における尾行を悟られない為に装着するそれは、毒蛇の牙も通さないものだった。
こういった追跡の際はダニなどの虫やクモの巣、枝葉などの汚れが付きやすいので、そういう格好で動く。
俺よりも音楽の教養があるフォリ中尉だ。たとえ外国の歌でも音程をところどころ外していることにすぐ気づいたようだ。その度に噴き出している。
だけど歩きながら歌ってるんだから仕方ないと思うんだよ、うん。
【あー。やっぱり同属植物だ。こっちの方が高度があると思ったけどそうでもないのかな】
一面の草花が咲く野原を見下ろす場所に立ち、アレナフィルちゃんは何かを呟いていた。
「さっきからあれは何語だ?」
「さあ。クラセン殿なら分かるかもしれませんが」
「一人で朝の散歩としゃれこみつつ、あれは何なんだ」
「どう見ても伸縮タイプの棍棒ですね。護身用じゃないですか?」
俺のいる枝と隣り合う枝に飛び移ってきたフォリ中尉だが、お互いに目をつけるのは同じところだったらしい。
ポケットに棍棒をしのばせて朝の散歩って何なのだ。どこまで使いこなせるのか、それが気になって仕方ない。
「何かあっても逃げ延びられるようにか? あの高い塀と門は守る為か? あんな凶器持ってうろつく奴を外に出さない為か?」
「そっちを疑いますよね。だけど使えない護身用の道具は危険なだけです」
実は暴れん坊なのかと、フォリ中尉も不可解そうな表情を浮かべていた。
ひと気のないところで誰かに襲われたらと思って俺もこっそりついてきたのだが、何だか一人で対応できそうだな、アレナフィルちゃん。
「使えるかどうかを試せるか?」
「無理ですね。誰かをけしかけるしかないでしょうが、そうなるとあの子も本気でやり合うし、その後は外出に怯えるかもしれません。今は野生動物や蛇などの対策で持ってきたのでしょう」
非常事態や信頼できるかどうか分からない関係ならばともかく、今はただの小旅行だ。気にはなるが、怖い思いをさせては可哀想だろう。
何かと家族に甘え倒しているアレナフィルちゃんだが、こうして一人で動いている時の仕草にはそういった片鱗などなかった。
ガサゴソと草むらで音がしたら、拾った石をさっと投げて何かが飛び出してこないかを窺う。
もしかしたら歌っていたことも動物除けの意味があったのかもしれない。大抵の生き物は人の声で逃げる。
そして猟師が獲物と間違えて人を撃ってしまうことも防止する。
あんな便利な場所で生まれ育ったとは思えない程に、山歩きに慣れている様子だった。
「俺ならアレンを仕込むが」
「娘には生存能力をつけさせたのかもしれないですね。たとえ営利誘拐されたとしても、移動車を奪って逃走できます。何と言っても誠実な悪夢ですよ」
「だな。ただの可愛いだけの子供に見せかけて、あの双子を入れておいたらどれだけ生存確率が上がるやらだ。どうせならキャンプに入れてみりゃもっとはっきりするだろうが」
「絶対に行かないでしょうねぇ。アレナフィルちゃん、どこまでもできないフリする子ですから」
ウェスギニー子爵の言葉など信用できないと、俺達はアレナフィルちゃんを見ながら推察を重ねている。あの子はとても危機管理意識が高い。
「無免許運転に関しちゃ叔父も兄も知らなかったわけだろ。いくら何でも隠しすぎじゃないか? そりゃアレンも戦地に連れていかれたこと、妹に話してないらしいが、それは心配させたくなかったからだし」
「アレナフィルちゃんの特技、子供にはまずいからじゃないですか? 飲酒も無免許運転もルード君マネしちゃいかんでしょう。男の子ってのはどうしてもやってみたくなる。格闘術とかはこっちも口を酸っぱくして言ってますし、相手も必要だから後のことを考えたら普段の生活じゃまずやらないにせよ、アレナフィルちゃんのやらかすことは自分一人いればできちゃいますからね」
「どこまで一人ぼっち大好きなんだ、あのクソガキ」
俺達が見ている先で、アレナフィルちゃんはただ野原を見ていた。
やがてぽつりと涙が地面に落ちる。
景色に感動したのか。それとも辛いことを思い出したのか。
「おい。腹減りすぎて泣いてるぞ。参った、菓子なんて持ってきてない」
「女の子は何もなくても泣くものですよ。何よりここでお菓子あげるのっておかしくないですか?」
声を出さずにあの子は泣くのか。
お互いに気まずい空気が漂ったが、ここで出ていった日には変質者扱いされそうだ。俺達とて一般常識的に女の子の尾行をしている時点で、そういう目で見られても文句は言えないことぐらい分かっていた。
明後日の方向を見ながら、フォリ中尉が呟く。
「今日の宿は古城がウリなところだ。当時の仕組みも、なかなか見ごたえがある。早めに到着させてくれないか」
「そうですね。ルード君がいないことがちょっと寂しかったみたいです。大佐もヴィーリン夫人もいないのでホームシックに陥っているのかもしれません」
「かえって我が儘言ってくれる方がいいんだが」
「我が儘に見せかけて我慢する子ですよね」
一緒にいたなら抱きしめてあげられるが、一人で出てきたアレナフィルちゃんはそれを拒絶していた。
あの危うさを守ってあげたくても、俺にはまだその権利がない。
【大丈夫。まだ私は正気。怖くない】
何かを自分に言い聞かせているような小さな声に、俺はその年には似つかわしくないものを感じずにはいられなかった。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
本日の宿は古城ホテルというものだ。
今となっては珍しい昔の建築技術で建てられている。あまり子供ウケするものではないが、大して価値のなさそうなガラクタに見えても歴史的価値のある家具などが使われていた。
だから躾のなっていないお子様お断りなホテルである。
今回も14才の子供が一人混じっていたものだから難色を示されたが、その子供がウェスギニー子爵家令嬢ということで了承が出た。領地のある貴族令嬢ならば歴史的な価値のある物を大事にすることも理解しているだろうと判断されたからだ。
昔の城は、時に辺鄙な場所にある。それは近隣の住民を守る砦ともなっていたから仕方ないのだろうが、今の時代には行くのも一苦労だ。
けれども景色はとても素晴らしい。大型移動車なので車高もあり、アレナフィルちゃんは目を輝かせていた。
「うわぁ、すごぉい。さっきは川しか見えなかったけど、あんな水門があったんだぁ」
「そっちの支流、必要以上に川幅と深さを確保されてるから涸れた川に見えたのさ、フィルちゃん。もっと高い場所に行けば段々畑も見えるかもな。ここらの農園はかなり大きい。未だに昔の城が残っているというのも、それだけ裕福な領主だったことが影響しているんだろう」
「そうなんだ。レン兄様、そしたら安く売ってたりする? 農園がある所って、新しい作物を試験栽培してたりしたら変わった野菜売ってたりするよね」
「直売所があるなら安く買えると思うが、買っても食べきれないだろ。旅行中なんて外食しかしないんだし」
「それもそっか。おうちの近くにも農園があればいいのに。・・・あっ、あの実って何だろうっ。見たことないっ」
お目付け役である筈のクラセン講師は、今日の宿が古城と聞いてとてもご機嫌だ。
どうやら一度泊まってみたかったらしい。
アレナフィルちゃんは古城と言われてもピンとこないらしく、単眼鏡を取り出したりして眼下に広がる景色に夢中だった。
「アレナフィルお嬢さん。ここからもう少し行った先にあるロータリーで販売所がある筈ですよ。年寄りが井戸端会議しながら売ってるフリして無駄に喋り続けてる場所っすね」
「なんでそんなこと知ってるんですか、ヴェインお兄さんってば」
「逃亡中の奴を追いかけてここらの農園にぶち込まれたことがあるからっすかね。昼は農作業、夕方から早朝にかけて変装してる可能性を考えて老若男女問わず接触しまくって捜しましたよ」
「うわぁ。で、見つかったんですか?」
「その辺りは沈黙義務がありますんで。コンテナ売りだが、食べてみたいから数個だけ売ってって可愛くおねだりすれば売ってくれますよ」
そういうことならと、俺もそのロータリーへ右折する。
「あ、やばい。アレナフィルお嬢さん、そのまま出てこないでください。顔も見せちゃ駄目っすよ」
片手でアレナフィルちゃんの上半身を座席に押しつけて横倒しにしていったオーバリ中尉だけそのロータリーで降車すると、幾つかの果物をばら売りしてもらって戻ってきた。
「さっき見えてた奴はこれっすよ。普通のレモンの数倍はある大きさだからレモンに見えなかったんしょーね」
「ええーっ? こんな大きなレモンがあるのっ? おばけレモンだよっ」
「普通のレモンより酸っぱくないんすよ。でかいからレモンピールも沢山取れる。けどお嬢さんはここ降りない方がいいっすね。なんか男が多いと思ったら休日だった。ここはいつでも農作業してる男どものお嫁さん募集中っすよ。顔見せたら取り囲まれて試食と称して逃がしてもらえねえ。いくら力自慢が傍にいても、あれこれカットされたフルーツでお嬢さんが次から次へと釣られちゃどうにもならんでしょ。農園見学までフルコースご案内だ。その合間にタイヤパンクさせてってね。子供でもお手付きされちまう」
「そんなのについてくわけないですぅー」
「あー、はいはい。そーですねー、そーでしょーとも」
俺は黙って出発する。
うん、アレナフィルちゃん引っ掛かるわ。農園見学だなんて喜んでついてく。
ビッグサイズレモンに感動しているアレナフィルちゃんは、嬉しそうに両手で持ち上げて香りをくんくんしていた。
「アレナフィルちゃん。ここからは外を見ておいた方がいい。急カーブが多いからね」
「はぁい。リオンお兄さん、運転疲れてないですか? 大丈夫ですか? 何なら取り締まりがないだろうということで、ここは私が運転代行に初トライしてあげます」
「おいコラ、そこの上等学校一年生。フェリルに言いつけるぞ」
「や、やーねぇ、レン兄様ったら。冗談に決まってるのに。運転なんて遊園地のしかしないに決まってるじゃない」
「はは。こんなの全然だよ。ああ、ほら。もうすぐしたら今までより大きな水門が見えてくるよ」
「え。・・・うわぁ、真っ赤な水門がある」
フォリ中尉とオーバリ中尉の憐れみに満ちた眼差しに、アレナフィルちゃんは気づいていない。
アレナフィルちゃんが駐車スペースで動かした大型のタイヤ痕、それは俺達が中型で湖に出かけた際にチェックされていた。全くの初心者は空いているスペース全てを使って動かすが、運転できる奴は自然と地面の表示に従って動かしてしまうものだ。よほどのヘタクソでない限り。
アレナフィルちゃん、君が無免許運転していたであろうことは誰もが確認し終えてるんだよ。
「これだけの水門は、それだけ支流から本流に流れ込む量を調節する必要があったってことさ。堤防が決壊したら終わりだからな」
「え? それで言うなら本流から支流へと水を逃がすんじゃなくてですか?」
「それは水を引くんじゃなくて、揚げてからだな」
ばればれな嘘を見かねたらしいフォリ中尉が、幾つかの水門について説明することで強引に話を変えた。
水はけのいい土壌と乾燥した空気を好む品種と、それなりに湿度を含んだ土壌を好む品種についても話を広げていく。
遠くに見える揚水設備を教えてもらったアレナフィルちゃんが身を乗り出すように見始めたので、俺もスピードを緩めた。
「今は川底もさらって氾濫も起こりにくくなったが、それで高台にあるわけだ」
「低地が穀倉地帯でもあったなら、その氾濫が土地を肥やしてたってことですか?」
「それとこれとは別だな。穀倉地帯となったのは、それとは別の開発があったからだ。氾濫で起きたのは風土病だった」
「どうやって克服したんでしょう」
フォリ中尉の説明を聞きながら、アレナフィルちゃんは窓から見える景色と学校で習ったそれとを擦り合わせている。
彼の話は教科書や授業で習わない内容だから興味深いのだろう。
「クラセン先生ってボスの友達なんですよねー。ボスってば昔から足クセ悪かったんですか?」
「蹴られるようなことをするのがどうかと思うが、フェリルは昔から礼儀正しいタイプだったぞ? 軍に入ってから粗野になったが、それでも外面は良かったしな。家族も大事にしてたし」
「あー。ボスの弟さんね。いや、いい人なんですけどね、男兄弟ならもっと距離あってもいいんじゃないかなぁって」
「俺に言ってどうする」
「だって可愛い部下がいるのに、ボスってば弟さん優先するんですよ。ひどくないですかね」
「上司にくっついてたい気持ちが俺には分からん」
習得専門学校の講師なので先生と呼んではいるが、オーバリ中尉は上司の親友に愚痴を言いたい気分のようだ。
だけど本当に妬いている相手はアレナフィルちゃんだろう。
フォリ中尉や俺もそうだが、オーバリ中尉にしても分かっているのだ。自分の事は全く語らないウェスギニー大佐がここまで踏み込ませたばかりか、邸にまで俺達を招いたのは、アレナフィルちゃんの婿候補という一点あるのみだと。
肝心のアレナフィルちゃんは分かってないだろう。
自分の父親が、ここまで娘の気持ちを重視して動いている事実を。
女上司から逃げているだけのオーバリ中尉など、そこまで受け入れる必要はない。だが、俺達への牽制には使える。そんな思惑が透けていた。
上司にいい所を見せたいオーバリ中尉は、
「お嬢さんはまだ好みじゃないけど、ボスの息子になるのもいいかも?」
などとふざけたことを言い出しているぐらいだ。
彼は俺達と違ってウェスギニー大佐を見ている。それは実戦部隊と呼ばれる潜入工作部隊に所属する仲間意識からか。
だが、ウェスギニー大佐が今も前線に出ること自体がおかしいのだ。後釜を狙っているのか。
(ルード君も大切な跡取りだろうが、その教育はレミジェス殿が仕切っている。育児方法にはかなり疑問があるが、アレナフィルちゃんはウェスギニー大佐にとって唯一の弱点だ)
その気持ちが分かるのは俺達三人だろう。
いずれ蝶の種の印が出るのかもしれないと思いながら、何かとアレナフィルちゃんの頭を撫でたり、足場の悪いところで手を繋いだりしていると、伝わってくる優しい気配が心を癒していく。
オーバリ中尉が全く趣味じゃないアレナフィルちゃんを何かとかまってしまうのもそれがあるのだろう。
昨晩は、
「お小遣いあげるから俺の抱き枕にならない? 大丈夫、手は出さない」
というアホな提案をして、
「私、一緒に寝るのは父だけって決めてるんです。やっぱり私も幸せな気分で眠りたいから。ヴェインさん、そーゆー自分のことしか見えてない未熟者なんだから、ここはもう包容力のある年上がいいですよ。自分に合うと思っている人と、本当に合う人って違うもんなんです」
と、却下されていた。
アレナフィルちゃんの言う通りだ。
もう女上司に捕まっちまえばいいんじゃねえの?
お前さん、どうせアレナフィルちゃんと結婚したらあの子爵邸でも現在の自宅でも楽しく過ごせそうだなとか思ってるだけだろ? それなら俺に譲れ。それだけだ。
(レミジェス殿ってば応援チームがかぶっても違っても楽しく過ごせるしなぁ。暮らしに困ってない分、嫁に出すより婿を取りたいって思ってるし)
こうして俺達と過ごす時間も、アレナフィルちゃんとの相性を見ようという思惑がある筈だ。あの家はアレナフィルちゃんの気持ちをかなり重視している。
本来は舅なんぞとの同居生活なんてクソなもんだが、ウェスギニー大佐の子育て具合を聞いてると窮屈そうなところがない。いや、あの男は父親の義務を完全放棄している。家族には何も言わず長期留守にしても仕事だからとすませ、休暇予定も告げず、可愛がりたい時だけ子供を可愛がるという身勝手ぶり。
普通は捨てられるか家族から存在ごと忘れ去られてるぞ、そんな父親。
それでも舅として同居というのであれば面白いんじゃないかと俺は感じていた。追い越したい男を間近にして生活できるなら、俺はもっと伸びることができるだろう。
それをオーバリ中尉が掻っ攫ってくってか。冗談じゃねえ。
そんな羨ましいこと、完全阻止するに決まってるだろが。
「ああ、ここが門ですね。もう到着しますよ。アレナフィルちゃんも疲れただろ?」
「ううん、運転して一番疲れてるのリオンお兄さん。ここが門。だけど門の前も後ろも道が続いている」
「はは。こういう門ってのは、ここで間違いないですよっていう案内板みたいなもんだからね。だけど見て分かる通り、街灯がないから、敷地内でもあまり暗くなるまで居住区分から離れちゃ駄目だよ」
「あ、そっか。真っ暗な中、月と星しか明かりがない状態でこの道を歩くのは無理だ」
俺は古城を宿泊施設にしたというその敷地へと、移動車を乗り入れさせた。都会っ子なアレナフィルちゃんがきょろきょろと窓から外を眺めている。
「別にフィルちゃん、ライトぐらい持ってるだろが」
「そりゃ暗くなってから出かけるなら忘れないとは思うけど。日暮れって早いのかなぁ」
「こんだけ保護者がいるなら誰かといりゃあどうにかなるさ。一人にはなるんじゃないよ、フィルちゃん。旅行で訪れた子供が現地の犯罪者に襲われるってケースはそれなりにあるんだ。さて、城の持ち主ってどんくらい変わってんのかな。あまり持ち主が変わりすぎてると過去の資料、処分してんだよなぁ」
「レン兄様は自分の趣味に走りすぎ。こういう所では童心に返って素直に楽しむべきなんだよ」
「お子様なら一人いるから十分だ」
クラセン講師はアレナフィルちゃんと仲がいいが、会話を聞いているとよくケンカにならないなと感心する。
だけど日暮れが早いなら一人で行動するのは危険だと指摘したクラセン講師は間違っていない。前もって下見されている筈だから犯罪者はいないだろうが、迷子になったら見つけにくいのも事実だ。
俺達の誰かが一緒ならアレナフィルちゃんを抱き上げて問題なく城に戻ることができるが、アレナフィルちゃんだけなら変な所で足を滑らせて怪我をしかねない。
道が道として存在しているのは移動車がそれなりに行き来しているからで、その両側は鬱蒼とした茂みが広がっていた。
まあね、門を通っても城に行きつくまでグネグネ道が続くからね。
子供はお城のお庭で遊んでおくべきだな。




