36 男だけの貿易都市サンリラ
夏の長期休暇は、子供達にとってもわくわくするものだ。どこに行くだの、何をするだの、何かと興奮したりする。今まではウェスギニー子爵邸に行き、あちこちへ連れていってもらってははしゃいでいた。
けれども今年はバーレミアスと一緒に貿易都市サンリラに行くというので、アレナフィルはアレンルードをずっと口説き続けている。
サンリラには貨物船で外国の品が入ってくるので、
「男の子が鼻血出しちゃう本だって手に入るかもしれないんだよっ。ルード、もう夜はわくわくだよっ」
などと言って説得していた。
娘よ。それで食いつく兄がいたら、その方が情けなくないか?
扉や窓を開け放しているせいで、二階のやりとりは一階のリビングルームにまで筒抜けだ。
エイルマーサなど、
「本当にフィルお嬢ちゃまはルード坊ちゃまが大好きですわねぇ」
と、おやつを用意してから自宅へちょっと戻っている。
『あのさぁ、フィル。自分が男の裸体ポーズ集を見てるからって、僕にもそれを押し付けるのやめてくれる?』
『ど、どうしてそれをっ』
ついにアレンルードは言ってしまった。
いやーん、きゃっ、うふっ、うふふふふと、アレナフィルがこっそりと楽しそうに見ている半裸ポーズのフォトブックはしっかりした布製カバーがかけられているのだが、それで余計にアレンルードが興味を持って、
「なんだこの本。わざわざ紐で開きにくくしてある」
と、中身を見てしまうのである。
様々なタイプの美青年が色々な角度から撮影されており、美しい筋肉を作りたい男にとっても参考になるものだろうが、絵画を描くような芸術家などが購入対象らしい。
けれどもアレンルードはその裸体に感心するより、後ろから見た一糸まとわぬ男のケツにげんなりしたようだ。
アレナフィルは賢いが、一番お気に入りなお菓子を机の上に置いておくところも、見られたくないものは隠し部屋に持っていくのに油断して何かと自分の部屋に広げておくところも、全てがどうしようもないうっかりウサギだった。
『どこまで爛れてるわけ? 恥ずかしいなぁ、もう』
『そっ、そーゆールードだって、すぐに爛れた心の持ち主になるんだもんっ』
応戦しているアレナフィルの旗色がどんどんと悪くなっていく。
男子寮からなかなか戻ってこない双子の兄がやっと帰宅したというので、アレナフィルはサンリラにも一緒に連れていきたいだけなのだ。
『ま、僕は僕でお祖父様の家で過ごすから、フィルはそのよく分からない怪しげな本を頑張って買ってきなよ。挿絵は見られないようにするんだね。きっと軽蔑されるから』
『ひどいっ。ルードだって本当は行きたいくせにっ。だって、塩水湖だよっ? 勝手に体が浮いちゃうんだよっ。入ってみたいでしょっ』
『別に力を抜けば、勝手に浮くものだよ。後は顎を上に向けておけば呼吸だって問題ない』
『それに温泉だって出てるんだよっ。のんびりとお湯に浸かって、だらーってできるんだよっ。まさに至福の時間だよっ』
『僕、体を洗うのはシャワーでいいから』
アレンルードがいないと寂しいアレナフィルと、アレナフィルをこっそり観察する気のアレンルードとは平行線だ。
貿易都市サンリラの近くにある塩水湖などにも行く予定なので、アレナフィルはどんなに楽しいかを延々と並べていた。
『お魚だって美味しいのにっ』
『僕、あの小骨が多いのって好きじゃない』
『蟹とか海老とか貝だって美味しいんだよっ』
『別にここでも食べられるし』
『新鮮さが違うんだよっ』
喚き立てているアレナフィルは、アレンルードが大好きだ。
せっかく男子寮から戻ってきて一緒にいられるのにと、ショックを受けている。
『何よりフィルが買いたがってるいかがわしい本を買う為に僕まで働かされるのなんて嫌だよ。一人で頑張りなよ』
『一人より二人の方が儲かるのにっ』
『そんなことだろうと思った』
ここで折れるわけにはいかないアレンルードは、涙目になっている妹の反応がちょっと楽しくなっているようだ。
どうして男の子は好きな女の子をいじめてしまうのだろう。
『ルード、フィルと離れてても平気なのっ!?』
『いい加減、僕離れしなよ、フィル』
バタバタバタという足音が響く。
可哀想にアレナフィルは泣かされてしまったらしい。
リビングルームでコーヒーを飲んでいた私は、カップを置いて少しそのテーブルを離した。
「パピーッ」
私を見つけて、うわぁんっと飛びついてくる玉蜀黍の黄熟色の頭がある。
「パピー、聞いてっ。ルードがひどいのっ。フィルとサンリラ、行かないって言うんだよっ」
よしよしとその頭を撫でた私は、我が家のソファが頑丈でよかったと思った。
全体重をかけて飛びこんできた娘は、すりすりと私の胸に頬ずりしている。アレンルードに振られた悲しみを私で癒しているようだ。
「それは仕方がないだろう。お前とバーレンの行動に巻き込まれたくないというのは。私は出先から直行するから、ちゃんといい子にしておいで。フォリ中尉よりはネトシル少尉かヴェインと一緒にいるんだぞ」
「ええっ!? パピー、一緒に行かないのっ?」
私の前ではかなりの猫かぶりをしている娘なので、あえて離れている時間を私は入れていた。アレナフィルが自然体で過ごせる時間も必要だからだ。初めての街だからこそ、幼くふるまうことをうっかり忘れることもあるだろう。
その配慮を分かる気もない娘がここにいる。
子供っぽく甘えるのが大好きでも、やはり中身は自立した女性だ。意識を切り替えて過ごす時間もまた大切だろうに。
人前では、「お父様」と、貴族の娘らしい言葉遣いをしていることも忘れているのだろうか。忘れていそうだな。
「バーレンが一緒だから大丈夫だろう。それよりフィル、リーナの日記を見つけて、独身時代に出かけた先で友達になったファレンディア人に手紙を書いたんだって? バーレンが言ってたが、そういうことならファレンディア語の辞書でも買ってくるといい。リーナの独身時代のことは私もよく知らないが、お前の母親のことだ。色々と聞きたいこともあるんだろう? いい人だといいな」
「あ、うん。そうなの、パピー。・・・ごめんなさい。だけどマミーの日記、フィル、汚して駄目にしちゃった」
存在しない日記なので、汚したことにしたようだ。思うに捏造するのが面倒だったのだろう。
リンデリーナの遺品は、全て一室にまとめてあった。いずれ処分しなくてはと思いながら、アレンルードとアレナフィルがいつかリンデリーナを懐かしめるようにと、手をつけずにいたのだ。
「別にいいさ。妻の独身時代の日記を読もうとは、私も思わないからね。リーナだっていくら夫でも男に読まれたくはないだろう。リーナの物は、娘のお前が好きにすればいい。ルードだって男だ。母親の物を使おうとは思わないさ」
「ありがとう、パピー」
基本的に母親の物は娘が受け継ぐ。勿論、子爵家の宝飾品ならば息子が受け継ぐのだが、リンデリーナは私が買い与えた物しか持っていなかった。
彼女はほとんど身一つで私と結婚したからである。
リンデリーナの事情を知っていればアレナフィルも独身時代の日記なんて無茶なことは言い出さなかっただろう。彼女の過去はバーレミアスも知らない。
私はリンデリーナの過去はいずれ大人になったアレンルードだけに話せばいいと考えていた。
「クラブのお友達と遊ぶ約束はしていないのかい? ランチを食べている女の子とか」
「うん。なんかね、長期休暇って、やっぱり貴族のお付き合い、あるみたいなの。フィル、そっちに参加するの、なんか面倒そう。でもって、女の子達は、・・・フィル、多分、ついていけない」
「そうだな。無理して人に合わせる必要はない。フィル、だけど何をするにしても、程々のところにしておきなさい。お前は他の誰でもなく私の娘だ」
「うん」
ぎゅっと私の首に両手を回してくるアレナフィルは、本当に大きくなった。
4才だった頃のアレナフィルはもういない。その髪にキスして、「愛しているよ」と囁けば、この子はくすぐったそうに笑う。
リンデリーナによく似た顔で、全く違う表情だ。
そこへ軽い足音がして、二階から降りてきたアレンルードが開いていた扉からひょいっと顔を出した。
「まぁたフィル、父上に甘えてる。父上、こんなフィルが先に行くだなんて無理だと思います。父上がいないと泣いてしまうだけです」
「バーレンだっているんだし、それはないだろ。ルードこそ、フィルと離れて大丈夫なのか? やっぱり一緒に寝たいって思ってもフィルはいないんだぞ」
「平気です。だって僕、フィルと違ってしっかりしてるんです」
子爵邸ではレミジェスに、自宅では私に甘えてくっついているアレナフィルである。私が留守な時にはエイルマーサにべったりだ。
アレンルードは、アレナフィルではガルディアスやグラスフォリオン、ボーデヴェインとの旅行では夜泣きするだけだろうと、この間からずっと主張している。結局は心配なのだ。
だがな、息子よ。この子の中身は成人女性だ。さすがにそれはないだろう。
「えー。ルードよりフィルの方がしっかりしてるよ」
「してないよ。フィルはもう黙ってなよ。僕の手下なんだから」
「フィル、ルードの手下じゃないもん」
ぷいっと顔をそむけたアレナフィルにアレンルードはむっとした顔になり、つかつかと近寄ってきてその腰を掴んだ。
「ほら、父上から離れなよ、フィル。荷造りだってしてないだろ」
「ルード、自分がパピーに抱きつきたいからって、フィル、離しちゃ駄目なんだよ。荷造り、フィル、寝る前にさっさとできるもーん」
「何言ってるんだよ」
娘よ。アレンルードは私に抱きつきたいわけじゃなく、お前が私にくっついているのが不満なのだ。ここは察して兄に抱きついてあげなさい。
「パピー、ルードが拗ねてる。だから三人でぎゅーっ」
「全くお前達は幾つになっても・・・。ほら、ルード。お前もレミジェスと出かけたりするんだろう? 移動車を出してあげるからフィルと一緒に買い物に行こう。買ってきたい物とか、まずは書き出しなさい」
その言葉に、アレンルードも何が必要かをちょっと考えたらしい。私は二人一緒に軽く抱きしめてから、よしよしと頭を撫でて二つの額にキスした。
「えへへっ。ルード、気が変わったら一緒に連れてってあげるよ」
「べっつにー。僕は強い男になるんだよ」
「一緒に行かないから強くなるの? 何それ。ルード、変だよ」
「変じゃない」
「変だもんっ」
「変じゃないよっ」
結局は二人共、拗ねているだけなのだ。
アレナフィルはアレンルードが同行しないから拗ねているし、アレンルードはアレナフィルが自分に抱きついてこないので拗ねている。
「分かったからお前達、その決着はコインを投げて表と裏で決めなさい。さ、必要な物を書き出しにお部屋に行っておいで」
「はーい。行こ、ルード。キャンプ行くなら、虫刺されとか虫よけ、買っておくといいよ。フィルね、ランタンは沢山あった方がいい。そう思う」
「そういうの、現地にあるんじゃないかなぁ」
「人を信用しちゃ駄目。行ったら無い、よくある」
アレナフィルが手を繋いだことで機嫌を直したアレンルードが、一緒に二階へと消えていく。
一日の内でも寒暖差が大きい地域は、夏と冬が混在したりもする。屋外行動が基本になるアレンルードには、気温の変化に対応できるような服が必要だろう。
エイルマーサには、二十代の男達が見ても変な気にならないようなアレナフィル用の室内着を買っておくように頼んでおいた。
(父上はもうガルディアス様がフィルを本気で望んだ時のことを考えて動いている。エインレイド様よりはマシだが、やはりネトシル少尉程度が無難だ)
五年後・・・。
アレナフィルに浮かぶのは何の種の印なのか。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
アレナフィルは思いついたらストレートに行動する子だ。
アンデション伯爵家のローゼリアンネという上級生による招待状の一件で、ファレンディア国に手紙を出せば、まだ生きている家族に接触できるではないかと思いついたらしい。
相談に乗っていたバーレミアスによると、亡くなったリンデリーナがファレンディア国に行ったことがあるということにして、そこで以前のアレナフィル(亡くなった自分の生存時)と友達になったというストーリーだそうだ。そして遺児アレナフィルはリンデリーナの日記を読み、ファレンディア国にいる「母のお友達(亡くなった自分)」宛てに手紙を出すことで、今も生きている家族と接触しようと思ったという流れである。
それを聞いていたので、私もアレナフィルに「話は聞いているよ」で、変な言い訳に困らないようにしておいた。なるべく以前のファレンディア人だった時の情報を集める為だ。
外国人というだけが理由ではないだろう。アレナフィルはいささか異端だ。
『家族か。生きてるなら会いたいだろう、それは』
『どうだろなぁ。フィルちゃん、前の自分の父親が返事を寄越さずにはいられない内容にしておくって言ってたけど、なぁんか信用してないっつーか、愛情なんて全く期待してなさそうだったぞ? 前のフィルちゃんの父親、どうも彼女の母親の財産目当てで結婚したっぽいからな。要は寄生してる父親だったんだろ』
『何だそれは』
『だからまだその父親に見つかってないものを回収してきたいんだろ。フィルちゃん、おかげでフェリルと親子になって初めて父親ってこんなに素敵な存在だったのかって感動したらしいし』
『・・・・・・』
『え? 照れてんの? なあ、フェリル。照れてんの?』
『黙れ』
もしも家族と名乗り合えるのならば、本当は帰りたいのかもしれない。
そう思ったりもしたのだが、バーレミアスにはけらけらと笑って否定された。どうやらアレナフィルは以前の家族に未練はあまりないらしい。
単に、あれ程早く死ぬとは思っていなかったので心残りのあれこれを始末してきたいだけだとか。
(そんなもの、とっくに処分されているんじゃないか? どれだけの年月が経ったと思ってる)
そう思わないでもなかったが、どうやら以前のアレナフィルの両親は母親が先に亡くなり、そして父親は再婚していたそうだ。
彼女は母方の祖父母から受け継いだ家を所有しており、そこにはどうやら隠し物置などもあったりして、今となってはそういったからくりを知るのは彼女だけだとか。そこから取ってきたいものがあるらしい。
未婚の彼女が亡くなった時点で父親がその家を相続しただろうと、彼女は考えている。
自分が亡くなった後のことを見届けたい気持ちは理解できた。
アレナフィルはバーレミアスに協力させて、まだ生きているであろう前の父親からの連絡を待つつもりだ。
(絶対に父親が飛びつくであろうエサを手紙に書いたから無視されないだろうって、・・・大人になったらあの国に行きたいと思っていたのが、考え直して今の内に手を打とうと思ったか)
中身は成人女性の意識があるからと、私はアレナフィルが何をしようが自由にさせている。アレンルードは令息教育されている自分に比べてアレナフィルが甘やかされすぎだと不満らしいが、成人女性なら自分が教わりたいものを自分で取捨選択する自由もあるというものだ。
実際、アレナフィルはバーレミアスに相談して、身につけておくべき教養なども年齢に応じてマスターしていくように段取りを組んでいた。入学後に王族と接触してしまったことで、まだ取り掛かっていないそれが露見しただけだ。
未だに家族の前では舌足らずな喋り方をするアレナフィルは、学校では年齢に見合った喋り方ができているのだから自宅でもそれで統一すればいいのに、甘やかされたいばかりに子供っぽさを手放さずにいる。
もうばれているのだということを分かる気もなく、甘えれば全てはごまかせると考えている我が家のうっかり精霊は、中身が父親と同じ世代だと分かったらもう甘やかしてくれないかもしれないと、あくまでバーレミアスだけに秘密を打ち明けて利用する気満々だ。
お馬鹿さんな娘が可愛すぎる。
数年後に蝶の種の印が出たなら、アレナフィルにはどれだけの男が群がるだろう。そしてガルディアスやグラスフォリオンも本気で乗り出してくる時、どれ程の混乱が生じるのか。
(成人してからでは外国旅行などフィルが思う通りに行けはしまい。あいつらは絶対に一人で行かせないだろうし、そしてフィルに完全自由な時間を与えないだろう)
それなら私の管理下にある内に、行ってきた方がいい。私ならアレナフィルが一人で出かけたがっても「そうか。行っておいで」で気づかないふりをしてやれる。
私がリンデリーナと小さなアレナフィルを失ってから時は流れ、今では私もファレンディア語を話せるようになった。あの国へ潜入して調べてみようかと思ったこともあるが、ファレンディア国は排他性が著しい。手続きやら何やらを考えると面倒だった。
『手紙の受け取りがお前んちなら色々と手間もかけるだろう。すまんが頼む』
『しょうがないさ。俺宛てなら、外国からも手紙は届く。うちのにもばれにくい。さすがにお前んちじゃマーサさんの目はごまかせんだろ。分かったら全部報告するよ』
『頼む。どうもあの子は分かってないようだが、ちょっとおかしいからな』
『そうだな。いくら勉強済みといったところで、普通は満点を取り続けるなんてできるもんじゃない。教員の資格を取っていたからって、分野違いもあるってのに。しかも秘書業務にも慣れてるってちょっとおかしいだろ。けど、誰しも触れられたくないことってのはあるもんさ』
『いいさ。無理に聞き出そうとして心を閉ざされる方がまずい』
小さな会社の事務員をしていたという以前のアレナフィル。その経歴が、今のあの子とあまりにも結びつかない。
いつかはそれを乗り越えて幸せになってくれるといい。それもあって長期休暇中におけるバーレミアスやガルディアス達との貿易都市サンリラ行きを、私も止める気にはなれなかった。
できればそこで、アレナフィルが王侯貴族の妻にふさわしくないことを彼らが実感してくれればいいのだが。
(学校や自宅と違って開放的な気分になったらフィルのことだ。絶対にやらかすだろう、貴族令嬢ではありえない非常識行動を。そこでネトシル少尉も目を覚ましてくれんかな。大体、フィルの優しい世界を守ってあげたいって何なんだ。あの子は十分に自分に優しい世界を構築してるぞ)
自宅のカーテンやシーツ、絨毯の取り換えにしても、新しく買い替える時にはアレナフィルと相談してあの子が好きな色やデザインを手配してほしいと、エイルマーサには頼んであった。
おかげで食器や雑貨、ライトなども補充交換する際にはアレナフィル好みのものが選ばれている筈だが、以前ちょっとセクシーなナイトウェアのチラシを見ながら溜め息をついていたウサギパジャマな娘を見ている限り、日常着に関してはエイルマーサの意見が多分に影響していそうだ。
恐らくアレナフィルが大人っぽい寝間着を希望して却下されたりもしたのだろう。エイルマーサはこれから思春期に入るであろう双子の内面を刺激しない為にも、わざと子供っぽくしたがっているところがある。十代の男の子は色々と大変だという母親としての意見だ。
(私もいくら娘と言っても、ああいったひらひらな薄い寝間着でベッドにもぐりこんでこられるのは困る。やはり分かっている母親は必要だな)
自衛意識が高いアレナフィルなので外での時間はあまり心配していないが、その分、自宅における防衛意識が皆無だった。父や兄が異性であり男だという意味も理解しているかどうか怪しいものだ。
それを責める気はない。わざわざ教える気もない。
どうせアレンルードはアレナフィルを愛している。どれ程に自宅内では警戒心皆無でも、そんな妹を兄は守り通すだろう。
(問題はサンリラか。わざわざ尾行なんかしなくても仲良くころころしていればいいだろうに、レミジェスもルードに甘すぎる)
アレンルードも薄々は気づいているのだろうか。アレナフィルの異常さに。
妹に自分の抱いている違和感の理由を聞き出すよりも、自分で調査した方が確実だと考えているのかもしれない。私もよく片手間に自分の勘の答え合わせをしたりしていたものだ。
もしもアレンルードが虎の種の印が出る子で、私とやはり似ているのだとしたら・・・。
(フィルに注意した方がいいのか? ルードは自分で辿り着くだろう。私が母のそれに気づいたように)
そう考えて、私は軽く頭を横に振った。
軽い感じでも指摘すれば、アレナフィルは聡い子だ。自分の気持ちを押しこめて普通のサルートス人らしく行動しようとするだろう。
故郷のものを懐かしく思う気持ちを、あの子に我慢させたくはない。たとえそれで手に入れてくるつもりのものが、おかしな便利グッズや趣味に走った本だとしても。
サンリラにはファレンディア国との貿易船ばかりか旅客船も出ている。航空といった技術は開戦といった意味合いを持つこともあり、外国との行き来は陸路もしくは海路が一般的だった。
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夏の長期休暇は、家族で別荘に出かける人は多い。別荘が立ち並ぶ区画では、招待という形をとって家族ぐるみの見合いが行われたりもする。
そして誘拐が多発するシーズンだ。いつもと違う場所で開放的になった裕福な家の子供が狙われやすい。
まっすぐ行くだけなら小型移動車でも十分だが、宿泊設備のついた大型移動車で出かけようとするガルディアス達は、アレンルードの味方らしい。
バーレミアスとアレナフィルを連れて貿易都市サンリラに行く途中、ちょこまかと観光をして時間を稼ぐようグラスフォリオンは手配していた。
『ルード君も一緒に行くように誘ったのですが、断られました。まだ一年生なのに頑張りすぎてないかと心配です』
『知らない街でも上手くやれるか試したいんだろう。娘があまりにも寂しがるようなら行かせるから、適当にやっておいてくれ』
『私が言うのもおかしいかもしれませんが、ウェスギニー大佐はお子さんのことを放置しすぎではないでしょうか』
『ここまで見守っている父親はそうはいないと自負している』
『・・・え』
私はかなり娘を束縛しているつもりだが、周囲にはそう見えないらしい。
私に見切りをつけたガルディアスとグラスフォリオンは、アレナフィルの好み等も考えて旅行日程を組んだようだ。まっすぐサンリラに向かわず、古城に宿泊したり、独特な工法で作られる家屋が可愛らしい田舎町なども立ち寄ったりするとか。
それはアレンルードが先にサンリラへ到着し、周囲の下調べをしておく時間を作る為だ。ガルディアスがサンリラに出向く以上は警備や護衛は必須、アレンルードはそちらとも連携してアレナフィルを陰ながら護衛する実地訓練をすることになっている。
アレナフィル狙いの二人だがアレンルードのことも気に入っているらしく、アレナフィルには何も知らせず全面的にアレンルードの味方をしていた。
(男同士だからか。ほとんどやんちゃな弟を可愛がる気分なんだろうな)
王子エインレイドはいい子すぎて手間がかからない。週末にレスラ基地で教わった内容を、平日には復習がてら相手してもらおうとするアレンルードに、他の基地のやり方を知りたい警備棟や男子寮の面々は積極的に関与していた。
アレンルードが「とってもカッコいいっ。父上っ、これにしてっ、これっ」という理由で買わされた真紅の移動車で一人寂しく自宅を出たが、アレナフィルは私の不規則な不在に慣れている。いつものように、
「パピー、行ってらっしゃいなの」
と、送り出してくれた。
小さい時も可愛かったが大きくなっても可愛くて、きっと成人しても可愛いだろうアレナフィル。
うちの固有種ウサギは、やはり一生うちで愛されていればいい。問題は目をつけた二人が一蹴できない家に生まれていることだ。
むかむかしながらサンリラに向かえば、やはり海辺の街は風が強かった。久しぶりにサンリラにある別邸を訪れれば、車庫の屋根が以前の焦げ茶色から象牙色に変わっている。
カーテンなども全体的に明るい色合いに変化していた。
「お帰りなさいませ、フェリルド様」
「屋敷が若返っていて驚いたよ。何かいいことでもあったかい?」
「はい。やっとお坊ちゃまをお迎えすることが叶いました」
「今までは小さかったからな。船に乗せられてしまえば取り戻しもできない。成人したらレミジェスとここを訪れることも多くなるだろう。良く面倒をみてやってくれ」
「かしこまりました。レミジェス様とアレンルード坊ちゃまは団欒室でお過ごしです」
サンリラ別邸は、ウェスギニー家が経営する工場で使う材料などを買いつけた際の倉庫的な役割も担っている。邸部分より倉庫部分の方が広いし、寮のような宿泊施設も倉庫に隣接して建ててある。
先に到着していたレミジェスとアレンルードは団欒室で仲良く茶を飲んでいた。
「兄上、早かったですね」
「あ、父上だ」
「二人共、特に疲れてなさそうだな。だけどルードはここが初めてだろう。今日は早めに休みなさい」
サンリラにうちの別邸があることをアレナフィルは知らない。アレナフィルが成長しても荒っぽい男達が多い仕入れや輸出に関与させるつもりはない為、レミジェスも伝える必要を見出していなかった。
女性でも爵位を継ぐことが可能な我が国と違い、男尊女卑が凄まじい国もあり、そういう国出身の男達は何をやるか分かったものではない。
アレンルードは移動の疲れもないようで、とても馴染んでいた。
「フェリルド様は何をお飲みになりますか?」
「そうだな。同じ茶を淹れておいてくれ。私はシャワーを先に浴びてくる」
「かしこまりました」
ウェスギニー邸から派遣されているメイド達なので、レミジェスやアレンルードの世話にも慣れている。
アレナフィルの影響で何かとシャワーを浴びる習慣がついている私だが、あの子が好むフレグランスもバスルームには揃えられていた。
部屋着に着替えて再び団欒室に行けば、二人はどうやら地図や観光案内のそれを広げて語り合っていたようだ。
「陰ながらの護衛というのは、路地などを使って先回りしたり、身を隠したりすることも必要となる。全て頭に叩き込まなくてはならない。そのあたりは先に来ていた彼らが詳しいから遠慮なく教わりなさい、ルード」
「だけどさぁ、叔父上。フィル、基本的におうちで遊んでるのが好きなんだよ? 路地とかそこまで覚える必要あるかなぁ。せいぜい変な本屋とかマーケットとかの場所だけチェックしておけばいいと思うんだよね。ねー、父上?」
私を見上げてくるアレンルードの頭を撫でてから、私は空いていた椅子に座る。
「さあな。フィルに見つかったところで、抱きついてお前を離さなくなるのがせいぜいだ。好きにやりなさい」
連携と言っても、その実態はアレンルードの性格と身体能力を近衛が把握しておきたいという程度のものだ。いざという時にエインレイドの近くにいる男子生徒として。
今回もちょっとしたお試し体験で様々な通信機器や合図などを駆使し、変装したりして追跡することがメインとなる。
「僕、サンリラに父上が使ってる建物があるとは聞いたけど、ここまで広い家とは思わなかった。ねー、父上。これならフィル、ここで過ごした方が良くないですか? アパートメントよりフィル、こういうおうちの方が好きだと思うな」
「それじゃ実地練習にならないからね。兄上だってその為に口利きしてくれたのだから予定通りに頑張らないと」
「そうだぞ、ルード。変装したところでお前はお前だ。フィルに気づかれたらゲームオーバーだからな。ずっと一緒だったお前にあの子が気づかないと本当に思ってるか?」
「フィル、お間抜けさんだもん。僕だってこれでも変装の才能あるつもりなんですけど」
「心配しすぎですよ、兄上。フィルはしっかりしているようで、抜けてます。何かに夢中になってたら、変装していないルードが隣にいても気づきませんよ」
「それはそうだが」
ウェスギニー家が所有するサンリラ別邸は管理人も常駐だ。アレンルードはバーレミアスとアレナフィルを今からでも引き取りたがる。結局、妹がいなくて寂しいのだろう。
卒業前後までお預けされたアレナフィルに対してのガス抜きも兼ねた旅行だ。あちらのフィールドに預けることも仕方なかった。
アレナフィルにとっても他人の男を間近で見ることで色々と考えるきっかけになってくれればいいのだが。今なら子供ということで全てが大目に見てもらえる。成人してからはそうもいかない。
(フィルはあまりにも独特すぎる。これでイメージダウンして興味を失ってくれればいいんだがな。護衛につく奴らから、うちの娘はあまりにも不適格だという報告が相次いだら周囲がどうにかしてくれんかな)
普段のアレンルードでは絶対に着ないような服装や小物などで別人になりすましていく際には、着替えた服や小物もガルディアスの護衛達と連携して引き取ってもらったり、あちらの変装をフォローしたりという小細工が必要となる。
今回、アレンルードはそれを実地で行うのだ。
どうせガルディアスに警護が必要だと思っていないこともあって、先に来ている護衛達もアレンルードを鍛える気満々である。
「どうせならさ、叔父上だってフィルにもここにうちの建物があるって教えてあげればよかったのに。そしたらフィル、わざわざフォリ先生達のそれに引っ掛からなかったよ」
「いずれここの持ち主になるのはルードだからね。いつかルードとフィルがそれぞれ結婚した時、勿論ルードがここをフィルに貸し出すのは構わないけど、その時だってルードの奥さんと子供の方が優先されるんだ。そういったことを考えると知らない方がいいってことはあるんだよ、ルード」
「そんなの・・・。だってフィルは僕のなのに。それにここだってフィルのお部屋、用意されてるのに」
「だってルードが結婚してもフィルを大事にしたいならあった方がいいだろう?」
アレンルードに言い聞かせている内容の論理が破綻していた。そんな矛盾した行動をとり続けてお前はどうするのだ、レミジェス。いつの間にお前はアレナフィルの部屋まで用意していたんだ。
ウェスギニー邸でも、
「双子でも次の子爵はアレンルードだ。常にアレンルードを優先するように」
と、使用人達に命じながら、レミジェスはアレナフィルに対して侮るような行動をとった者を即座に解雇し続けている。アレンルードに対して行った者は厳重注意だ。
レミジェスがアレナフィルの為に用意する物はいつも吟味されていて、その金に糸目を付けぬ溺愛ぶりは姪というよりも幼な妻に近い状態だった。
アレンルードのイタズラが怒られることはあっても、アレナフィルのやることなすこと全て許されるといった具合で、何を優先しているというのか、私には意味不明である。
(よその男と結婚してもいいが子連れで戻ってきてもいいって考えてるからな、レミジェスは)
ウェスギニー子爵家の資産はウェスギニー子爵のものだ。その前提は覆らない。
よその家では爵位を継がない子供が、爵位を継ぐ兄弟との差を知ることでひがんだり、その立場になり替わろうとしたりと、色々なお家騒動がよく起こる。
ゆえに我が家ではアレナフィルに対し、必要以上の資産を知らせないようにしていた。
アレナフィル自身は今住んでいる自宅と一生暮らせる程度の金銭をもらえると知ってからは、
「そのお金はいざという時の為に置いといて、細々と楽な仕事をしながら生活費を稼いでくればいいよね」と、幸せな未来計画を立てている。
私に対して迫ろうとしていたメイドを見て以来、アレナフィルは使用人を信頼していないところがあるので、子爵になる兄に対して妬む気持ちはないようだ。
(ルードの妻になる娘が、フィルを妬むことはあり得る。我が家においてはフィルにそこまで差をつけたくなくとも、ルードの子を産む未来の子爵夫人を蔑ろにはできない。今の内にフィルにもそれをわきまえさせておくことは大事だ。大事なんだが、大事なんだがなぁ・・・)
爵位を継がないレミジェスが子爵家の資産全てを把握し、私の全権を代行していても全く問題になっていないのは、アレンルードがレミジェスの息子といった認識と扱いになっているからだ。近年雇用した使用人の中には、私の子供達ということになっているが、本当はレミジェスの子供ではないのかと疑っている者もいるらしい。
それだけ仲が良すぎて、アレンルードをレミジェスが蹴り落とす心配がない。そしてアレンルードも私よりレミジェスを信頼していた。
成人したアレンルードがいつか結婚するとしても、その妻がレミジェスを侮ることなどアレンルードは決して許さないだろう。
レミジェスが結婚しないのは、アレンルードにライバル心を抱く年の近い従弟を作らない為だとアレンルードは考察し、その愛情に応えるつもりだ。父と義母のマリアンローゼも、アレンルード達が成人したところでレミジェスは結婚するのではないかと見ている。
器用なくせに不器用な弟を、私はせかすことなく好きにさせてやりたかった。その結果、私とリンデリーナの間に生まれた愛の結晶を弟に取られたりして、たまに少し寂しい。
「そうだ。この間、『君の弟君とそのご子息がレスラ基地と仲良くやっているようだが、甥があんな逸材なら君も君のご令息も色々と悩ましいことだろう。良かったら君の甥とうちの娘とを婚約させないか。婿として引き取ろう』と、そんな話をもらったよ」
「へ? 僕、叔父上と親子に思われたんですか?」
レミジェスと並んで座っているアレンルードが私の方を振り向いた。
アレナフィルが好みそうな可愛い雑貨店をチェックしているようだが、恐らくそれらは無駄になる。
「らしいな。私の息子は女装できる男子生徒だという思い込みが強すぎて、レミジェスと阿吽の呼吸で動いている少年訓練兵がそれとは思わなかったらしい。お前、護衛どころか戦闘訓練も受けていたのか、ルード?」
プロテクターで完全防備した姿なら顔立ちも分からない。小柄な少年と一緒にいるレミジェスとで、どちらもウェスギニーだと聞いて、そんな誤解が生じたらしい。
「戦闘訓練なんてものはしてないけど、・・・まあ、少しはお試しぐらいだよ、父上」
「ここで変にごまかすより正直に報告した方がいいよ、ルード。兄上のことだからね。尋ねた時点で全て目を通していてもおかしくない」
アレンルード可愛さに私への報告をかなりマイルドにしていたレミジェスが天井を仰いだ。
私は息子がしたがるなら弟もついていることだし、何をしていようがさほど気にしないが、他人からそこまで目をつけられたとなれば話は別だ。
まだ印が出る年ではないが、身体能力的に悪くないと考え、売りに出される前に安く確保しておいていい人材と判断されたのだろう。
「えー。だって父上、いなかっただろ。ハッタリだって、そんなの。叔父上もそこで白を切るぐらいじゃなくっちゃ」
「お前はエインレイド王子を理由にした特別訓練ということになってるだろう。私の権限で問い合わせれば全ての内容が引き渡される。お前はテロ組織殲滅訓練まで受けてどうする気だ、ルード?」
「げっ、ばれてる。・・・だって、ほら、・・・父上。もしかしたらフィルがそういう人達に誘拐されるかもしれないし?」
その場に沈黙が満ちた。
アレナフィルは趣味に没頭できるおうち大好きっ子だし、出かける時には保護者同伴だし、王子達と遊びに行く時には前もって予定表を出した上で警備がついているという箱入り娘だ。
現在、学校への往復も警備棟から移動車が出ている。
ふらふらと買い物に出かけたところを誘拐しようとする奴が出たとしても、あの鉄板入りバッグで殴りつけて逃げ帰ってくるだろう。
言ってみたアレンルードも、「ないな、それは」な表情になっていた。
「正直に言いなさい、ルード」
「どうせならできるところまでやりたいなって思いました」
そうだろうとも。
どうせレスラ基地で様々な武器を操り、色々な道具を駆使して動き回る部隊を間近で見て、自分もあんな風にかっこよくなりたいと思ったのだろう。
少年が何に憧れるかをレスラ基地はよく理解していた。
「今後もそういった戦闘能力を普段の生活では見せないように」
「はい、父上」
どうせ虎の種の印が出たら軍に入りたがるかもしれないし、それならそれでいいかと、私もそんなものだった。
困難があればある程、成長するタイプは存在する。
アレナフィルの成績が良すぎてかすんでいるアレンルードだが、現実対応能力はこの子の方が上なのだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
アレナフィル達の宿泊予定のアパートメントをチェックし、尾行の際に立ち食いできるような軽食を売っているスタンドも頭に入れる。
そういったことを教わっていると、アレンルードも子供が尾行しているというのは目立つだけだと実感し始めた。変装しようがしまいが人の記憶に残りやすいのだ。
アレンルードを見かけた小売店の店主とかがにこっと笑いかけて、
「おや、さっきもいたね。迷子かい?」
と、尋ねられたりするものだから、
「ううん。散歩してたらまたここに来ちゃった」
などと笑顔で答えている内に、
「あれ? 僕、もしかして尾行に向いてない?」
と、気づき始める。
周囲が広々としたレスラ基地の近くでクラブメンバーを見守るのとは勝手が違ったのだ。
少年がたむろっているような場所なら目立たないのだろうが、今度はそういった所にガルディアスやバーレミアス、アレナフィル達が近づくとも思えない。
そういったこともアレンルードが気づくかどうか、そしてどう対応するかを彼らはチェックしていたようだ。
「あのぅ、子供でも目立たない方法ってありますか?」
そう尋ねたアレンルードに向かって皆は、
「お。早かったな」
「よし、よく気づいた」
と、がしがし頭を撫でていた。
この件に関して私はあくまで保護者である。レミジェスと一緒に父兄参観に徹していた。
アレンルードは皆からアレンと呼ばれ、成人後のスカウトを受けまくりだ。
「貿易港の近くなんてそういった輸出入関係事務所や倉庫がほとんどだもんなぁ。アルバイトをしに来ている少年を装うにしても、倉庫の場所を教えられるんじゃアレンの行動がおかしすぎるってもんだろ。さあ、どうする?」
「どうするって・・・、なんかそう言いながら目がにやにやしてるんですけど? 何なんですか、気持ち悪いなぁ、もう」
いずれ子爵になる立場のアレンルードだが、双子の妹が心配なあまりに訓練を受けて陰ながら見守ろうとすると聞いて、士官も兵士もアレンルードを微笑ましく見守っていた。
通常はそれでも恵まれた立場のアレンルードにむかついていやみったらしくふるまう奴は出るものだが、メンバーが良かったのか、それともアレンルードがあまりにも貴族令息らしくないからか、少女っぽい顔のせいか、仲良くやっているようだ。
「俺達みたいに酔っぱらいや喫茶してる客を装うにしても、アレンじゃちょっと若すぎるもんなぁ。補導されるってもんさ」
「諦めて女装しなよ、アレン君。得意なんだろ?」
「・・・言うと思ったぁっ!」
元々が人懐っこいアレンルードだ。気分転換と称して球技をしたり、昼食を取りに行く店を賭博で決めたり、タネも仕掛けもある手品を教わったり、皆のいいオモチャになっている。
サラビエ基地・レスラ基地・王宮近衛隊・ミディタル大公家と、あちこちから出されたメンバーから成り立つ混合護衛チームにアレンルードが加わったそれは、護衛対象に護衛なんていらないこともあり、暢気なものだった。
「うーん。あちこちから教わる以上は軋轢も生まれるのではないかと思ってましたがかなり平和ですね、兄上」
「やり甲斐のない護衛より、発展途上な子供を構ってる方がエインレイド様の為にもなるっていう達成感があるのかもな」
私はレミジェスとサンリラの街を散策しながら、たまに息子の様子を見たりしていたが、アレナフィルを送り出したエイルマーサからは変な報告が入っていた。
『ええ、皆様、予定時刻よりも早くいらっしゃいました。フィルお嬢ちゃまがシャワーを浴びて身支度なさっておられる間に、レミジェス様が設置されたワイヤー入りロープ遊具をお試しになったご様子です。そしてフィルお嬢ちゃまがテラスに設置したスペースをご覧になって、誰が考えたのかとお尋ねになりましたけど、フェリルド様だと答えておきました』
「ありがとう、マーサ姉さん。これ以上、フィルに目をつけられたら困る」
『フィルお嬢ちゃまが下りてきた頃には、皆様、リビングルームで寛いでおられましたけれど、是非フェリルド様がおいでの時に泊まりに来たいとのことでしたの。ああして皆様が一堂にお揃いになると壮観でしたわ。どなたもそれぞれに魅力的でいらっしゃいますこと』
「うちより広い家があって、何を泊まりに来る気だ。しかも予定時刻より早く来たら、フィルなんてパジャマじゃないか」
『そうでしたわね。テラスの屋外用セットをご覧になって、フィルお嬢ちゃまが試しに作った自動お茶くみシステムに笑い転げておられましたわ。さすがにあれはフィルお嬢ちゃまが本を見て組み立ててもらったのだと説明するしかありませんでしたけど。あれは自分で淹れた方が早いですものね。それに茶葉がいたむだけですし』
「手を抜こうとして余計に忙しいことをフィルはやってますからね。あれを役立たせようと思ったら、一日に数十回のお茶を淹れるのでなくてはならないでしょう。百人近い家族がいないと役立ちませんよ。ま、出発したならいいか。マーサ姉さんも戸締りしたら後はもう放置しといてください」
『ええ。女の子が一人だからと、皆様かなり配慮してくださったようですわ。何かあった時には押せば周囲に助けを求める装置なども見せていただきましたの。予定表も見せていただきましたし、あれでしたら安心ですわね』
エイルマーサによると、ガルディアス、グラスフォリオン、ボーデヴェインがバーレミアスとアレナフィルに同行するだけではなく、更に男子寮の寮監をしているメンバーもついてきたとか。
しかも移動車は三台で、二台が前後を守るという話である。
「おかしいな。寮監メンバーを誘う気はないと言っていた筈だが。一台がどうして三台に増える」
それを聞いたレミジェスも首を傾げた。
「うーん。もしかして大事なガルディアス様にフィルが手を出したらまずいとか思われたんですかねえ。寮監メンバーってどれも貴族でしたし、色々な令嬢の重圧が凄いでしょう」
「手を出すも何も、うちのフィルはまだ子供だぞ?」
「やはりそこは少女趣味だと思われたんじゃないですか、三人共。たしかにフィルは可愛いですが、未成年に手を出したら成人男性の方が罪に問われます。それをさせたくなかったか、手を出されて決定的になるのを避けたかったか」
「まあな。しかしガルディアス様がやりたいのはフィルの餌付けだし、ネトシル少尉は仲良く遊んでやりたいだけだし、ヴェインは自分の命綱だと思っているだけなんだがな」
そしてアレンルードは、第二王子の近くにいるアレナフィルを守る為、こうして実地訓練に臨むわけだが、関係者の方向と温度の違いが凄すぎる。
(まさかガルディアス様にそういう願望があるとは思わなかったしな。考えてみれば登城できるのはデビューを終えた成人のみ。小さな子供はエインレイド様だけだった。飼われているのも屈強な軍馬や猟犬。弱いくせに勝気なウサギを餌付けして素直にさせたくてたまらないってとこか)
ガルディアスも普通の貴族の家に生まれていたならば可愛いペットの一匹や二匹、飼うことは可能だっただろう。しかし彼の成育環境はそのような自由を許さなかった。そして今や愛玩動物など飼っていられる余裕がない。
成人して自分で決定できる時間を手に入れた今だからこそ、うちの双子にはまってしまったのか。アレナフィルに求婚予定と言いながら、ガルディアスもグラスフォリオンもアレンルードを懐かせ中だ。
(時間がある時だけ可愛がればいい生き物だしなぁ。あの二人が仕込むおかげで、エインレイド様の為だと誰もが誤解中だし)
私の息子という立場も影響したのだろう。妹を理由にしているだけで、アレンルードは自主的な訓練を希望する程にエインレイドへの忠誠心を抱いているという誤解は増加の一途だ。
アレンルードがいくら否定しても信じていない人は多い。普通は兄に妹を尾行なんてする理由がないからだ。
――― おお、君がアレンルード君か。エインレイド様の為に感心なことだ。
――― え? いえ、僕はただ妹の為に・・・。
――― うんうん、聞いているとも。エインレイド様が、優秀なガールフレンドといるというのはね。それを妬むこともなく、君はなんて努力家なんだ。教官にも話はしておこう。遠慮なく叩きこんでもらいなさい。
アレンルードは、王子エインレイドと同じ寮に寝起きしている唯一の貴族だ。校内もしくは寮内で何かあった時に内部から外部へ情報伝達及び救出業務に当たらせるべく経験を積ませる為だと、軍関係者は信じていた。
おかげで必要以上にハイスペックな武器まで使って練習させてくれている。そんなもの、学校にも寮にも持ち込めないという現実を彼らは忘れていないだろうか。どいつもこいつもめでたすぎる。
(レミジェスをつけてなかったら強化合宿にまで連れていかれたかもな)
私達の視線の先で、広間に集まった護衛チームはアレンルードを囲むようにして話し合っていた。
「可愛い女の子の恰好もできるなら、変装で成年女性にも化けられる筈だ。そっちの方が目立たない」
「そうだな。成長して体が出来上がってからでは無理だが、今ならできるだろう。いざとなれば女教員にも化けられる。もしも立てこもり事件が起きても、男子生徒より女教員の方が入りこめるはずだ」
「あのぅ、僕、あくまでうちの妹を見守りたいだけなんですけど、皆さん、校内で何が起こると思ってるんでしょう?」
消極的なアレンルードの意見など誰も聞いていない。
ミディタル大公家が持つ別邸の宿舎で護衛チームは寝泊まりしている為、アレンルードはそちらの別邸にいる使用人達から化粧してもらうことになった。いいおもちゃという奴だ。
「こんなに可愛いのに、年増に見せかけなくちゃいけないだなんて」
「新陳代謝が激しいから化粧がすぐ落ちるってのはありそうですね。目の周りと口紅と髪型でなるべく年上に見せかけた方がいいでしょう」
「少し長い前髪でごまかしてはいかがですか? こんなに可愛いんですもの」
「思うんですけど、童顔な男っていう設定は駄目なんですか? なんで僕、いつも女装になるわけ?」
貴族子弟としての慣習でアレンルードが髪を伸ばしていることもあり、女装した方がしっくりくることもあっただろう。成人男性としては、まだ背丈が足りなかったのだ。
息子の抵抗は無視された。
「走りやすい靴にしておきましょう。女性のバッグが大きくても不自然じゃありませんからね」
「上着の色で覚えられやすいから、下のシャツは白にしておいて、後は上の服だけ交換していけばかなりごまかせると思います」
街に溶け込むなら男同士でいるより女連れの方がいい時もある。
だから女性の士官や兵士もチームに入れることを考えていたらしいが、ガルディアス自身が、
「いざという時には俺達と連携するわけだろう? ふざけた小芝居に女まで必要なのか?」
といった反応だったのでやめたとか。ガルディアスは護衛が見えるところにいようがいまいが気にしない。
アレンルードも、ガルディアスやグラスフォリオンにどれだけ気づかれずに尾行できるかをチェックされるそうだ。
「父上ぇ―、叔父上ぇ―」
淡い紫色をしたかつらをつけられて女装した息子が、広間の端からたったかたったかと走ってくる。その大股ぶりにスカートにしなかったのは正解だなと思った。
「こんな靴でここまで身長ごまかせるなんて知らなかった。父上、叔父上、見て見て。ほら、僕ってば母上そっくり」
「そうだな。だから紫系の髪はやめておきなさい。フィルにすぐ気づかれるぞ」
「そうしていると綺麗なご婦人だよ、ルード。変な男についてっちゃ駄目だからね?」
「へへっ」
胸元に詰め物をして女性用スーツを着た息子が、くるくるとその場で回転してアピールしてくる。その瞳がオレンジ色だったなら、たしかにリンデリーナそのものだった。
子供達は母親が亡くなってもその面影を宿して幸せそうに笑うのに、彼女はもういない。いつかはこんな風に彼女も笑えただろうか。
時間と共に悲しみが色を変えていくのを待っている間に、リンデリーナは失われた。
「尾行は交代制だからな。自由時間もたっぷりあるだろう。私はフィルの所にも顔を出さなくてはならないから、お前はレミジェスに美味しい店にも連れてってもらいなさい。この街は海鮮料理が多い」
「そうなんだよねー。フィル、連れてってあげたかったな。お昼、みんなが連れてってくれたお店も変なお魚とかいて面白かったんだよ。父上も今度連れてってあげる」
「ひどいな、ルード。兄上だけなのかい?」
「叔父上、僕と行くのはもう決まってるからいいんだ。だって叔父上、ずっと僕と一緒だし。あ、そうだ。僕、出かける時は叔父上の恋人役してあげる。ほら、こうしてるとめっちゃお似合いっぽくない?」
レミジェスの腕に自分の腕を絡ませるアレンルードを見ていると、さっきまで嫌がっていた女装じゃなかったのかと言いたくなるのは私だけだろうか。
亡き母に似ている女装なら、この父の所へ来るべきだと思う。
「それは嬉しいな。だけどそんな恰好していたら女性らしくご飯もカトラリーで小さくついばまなきゃいけないんだぞ、ルード。私と行く時には男の子の恰好で行こうね。串焼きだってかぶりつきたいだろう?」
「あ、そうだった」
女装を自慢してから護衛チームの方へと戻っていくアレンルードの背中に、レミジェスが目を細めている。
どうせ男同士だからと堂々と着替えているアレンルードを眺めることにも飽きた私達は、うちの別邸に戻ることにした。
海辺の街は風が強い。石畳の街では、風がひゅううーっ、ごおおおーっと音を立てて上空を流れていく。
私達が歩いている地上では建物が邪魔してそこまでの風は吹きつけてこないが、こうして弟と歩きながらスタンドで立ち飲みコーヒーなどを買えば、安っぽい使い捨てカップがかなり熱い。
「ちゃんとメニューを見ずに買うからですよ。私のアイスコーヒーと交換してあげます、兄上」
選ぶのが面倒な私の性格を知っているレミジェスが、勝手に使い捨てカップを交換していった。
冷たいコーヒーは懐かしいシロップの甘さで、こんなことに弟が何かと女性に好感度が高い理由を見たりもする。
(こいつ、まさか全員の砂糖だのミルクだのの量を覚えてんじゃないだろな。あの時は糖分ぶちこみたかっただけなんだが)
思えば久しぶりに外でこんなものを一緒に飲んだ。
たまにはいい。こうした二人きりの時間も。
「レミジェス。お前だってもう未来を見てもいいと思うぞ」
「私だってもう吹っ切れていますよ。だけど今はこうしていたいんです。どうしてでしょう。時が流れれば流れる程、思い出がとても優しくなる」
「お前が愛されていたからだろう。人間、愛していれば優しくもなるさ」
飲み終えたカップをスタンド横のダストボックスに投げこみ、私は軽く弟の頬に口づけてから歩き出した。
子供達と違って腰をかがめなくてもひょいっとキスできる高さなのは助かる。この気温で熱いコーヒーを飲ませてしまった礼はこんなものだろう。
「兄上、まだ私を子供だと思ってるでしょう」
「お前がいつまでもルードとフィルを赤ん坊扱いするのと一緒さ」
こうしてアレンルードに付き合ってサンリラまでやってきたレミジェスだが、おかげで別邸では留守を任せてある子爵邸や領地からの連絡で何かと慌ただしい。
それでもアレンルードを一人にしないところにレミジェスの愛情が透けていた。ああいった護衛チームにも我が家に対して不快感を持っている者がいないとは限らない。
それで傷つくことがあったとしても、レミジェスがアレンルードを導くだろう。
ウェスギニーからの報告なら私も代行できるが、元々私の代行がレミジェスなので、現場を混乱させない為にも私は口出しせずにのんびりしていた。
おかげでアレンルードは父よりも叔父を更に尊敬中だ。これが父親の悲哀だろうか。
(私の仕事は機密が多いから持ち帰るわけにはいかないだけなのだが)
たまに領内に抜き打ちの視察に行く私だが、レミジェスではなく私にこっそり取り入ろうとしてくる者を調べれば、何らかの不正をしていることが多かった。
子爵としての全権代行を弟に許している時点で分裂するのが当たり前のウェスギニー家が分裂せずにいられるのは、結局は私達の関係性なのだろう。
「兄上が男で良かったです」
「そうだな」
心の底から同感だ。
私に骨の髄まで利用されているだけだと噂されている弟だが、少年時代から様々なスポーツに手を出し、今やあれだけの会社経営もこなしている男だ。
物腰は温和だが、プライドだって低くはない。決して従順な犬などではなかった。
「だから私もあの子達を愛せます」
「もう少しパワーを落とせ。あれが普通だと思ったら子供達がよそで混乱する」
「大丈夫です。そんな生活レベルが落ちるようなよそには出しません」
「・・・お前は父親か」
わ・た・し・の娘なんだがな。
そりゃアレナフィル達のスケジュールも打ち合わせも全てレミジェスに任せてはいるが、それでも父親は私なのだが。
幼年学校時代は父兄としてレミジェスに行かせていたが、それはあくまで「代わりに来ました」の域にあった。
(フィルが私を外見評価、レミジェスを内面評価しているのを知って以来か? 娘って薄情だよな)
あの小さな邸で私が手元に置き続けているアレナフィルは、私の直接的な影響下にある。
その上でのアレナフィルの言葉。あれでレミジェスも最後の不安が消えたのだろうか。
(結局は異母弟ってので遠慮してたからなぁ。やっとその必要がないって理解したか)
とはいえ、変なところで頑固な弟を私はどうすればいいのだろう。
周囲に気を遣い、虐げられても耐えているのは私だけだ。




