34 アレンルードは兄である
半曜日や休曜日はクラブ活動をしていた僕だけど、今は平日だけのクラブ活動にしている。そして僕は週末になると自宅に戻り、双子の妹と裏庭で遊ぶのだ。
あそこが一番落ち着くのは、僕達の為に作られた遊戯スペースだからだろう。
ところがこの週末、休曜日にミディタル大公妃から妹がお茶会のお招きを受けたということで僕も同行することになり、子爵邸の方へ戻った。
「おお、戻ったか。おや、ルード。何を悲し気な顔をしているのだ?」
「だってお祖父様。今日、フィル達の発表会とやらでお昼から学校が閉鎖されたんです。僕は先に家に戻ってましたけど、マーサおばさんもいないし、みんなが帰ってくるのを待ってたら、父上ってばそのままこっちに連れてくるし」
「だからすぐに夕食にしてやると言ったじゃないか。それに何も食べてないようなことを言うな。しっかりオートミールバーとかソーセージとかシリアルとか食べ散らかしていただろう」
「父上。あんなのじゃ足りません。だから叔父上とどこかで食べてから行くって言ったのに」
昼過ぎには戻ってくるって聞いていたのに、戻ってきたのは夕方だった。ひどいよ。
「まあまあ。すぐに用意させるよ、ルード。フィルはまだ寝てるけどね」
「普通、到着したら目を覚ますのにさ。フィルってば、もう寝てても抱っこして運んでもらえるとか甘えてると思う。叔父上、そのまま落っことしたら目を覚ますんじゃないかなって僕は思います」
「そんな可哀想なことできないよ。クラブ参観も頑張ったんだしね」
僕の名前は、ウェスギニー・インドウェイ・アレンルード。国立サルートス上等学校の経済軍事部一年生だ。友達はアレンって呼ぶし、家族はルードって呼ぶ。
僕は男子寮で生活しているけど、双子の妹は自宅から違う校舎に通っている。
そんな妹は何故か校舎も違うエインレイド王子達と一緒につるむようになって、僕はなるべく妹と間違われるように行動していたけど、やはりいつまでもごまかせなかったみたいだ。
妹の存在、つまりウェスギニー子爵の娘がエインレイド王子の近くにいることがばれた。
変な妬みが向けられることを考えると頭が痛いけれど、本人はこうして叔父の腕に抱かれてすぴすぴと居眠りしている。なんでここまで平和を満喫してるの? 自分の立場ってもんを分かってないよ。
移動車の中で鼻をつまんでみたのに、口を開けて呼吸するんだからどうしようもなかった。
「フィルならば皿が置かれたら起きるであろう。ルード、このまま食堂に行きなさい。すぐに用意させよう」
「はい、お祖父様。お祖母様は?」
「明日のお前達の衣装を用意しておる。フィルは女の子だから可愛らしい服装であればいいが、お前は次の子爵だからな。礼を失するわけにはいかぬ」
「あ、はい」
双子でも、立場の差は出てくる。
本当はどこかの伯爵家の令嬢からいきなり茶会の招待状を押しつけられたアレナフィル。それを断る為にミディタル大公妃からのお茶会の招待をその日は受けているからと断ったそうだけど、本来はデビューもしていない子爵家の娘などが招待される筈もない。
だからミディタル大公妃がエインレイド王子を招き、エインレイド王子は同じ男子寮にいる僕を誘い、そして僕は双子の妹を連れて行ったという形にするそうだ。
面倒くさいけれど、建前は大事なんだって。
(わざわざフィルの為に招待してくれたことにするぐらいだし)
ミディタル大公家の息子が寮監のフォリ先生だとアレナフィルは言っていた。そしてフォリ先生はこのお茶会には欠席。
つまり、お見合いではない。そして、そういうことなのだ。
(だけどさ。もうそういうことならフィル、エリー王子じゃなくてリオンさんと仲がいいって思われてた方が良くない? フォリ先生も論外だから)
アレナフィルは僕の片割れであり、僕の半身だ。
だからずっとうちで暮らせばいいと思っていたけれど、エインレイド王子の妃候補などとなるぐらいなら、適当なボーイフレンドを作っておく方がずっとマシだ。だけど変な奴は駄目だ、冗談じゃない。
だから休日は自宅に戻って妹の行動を見張っていたけれど、僕が家に戻ったら僕にまとわりつくんだから、アレナフィルってば僕が好きすぎて困る。やっぱり一生うちにいればいいよ。
祖父母や父、そして叔父にもそんな思いがあるのかもしれないが、フォリ先生はあまりにも問題すぎた。それでも止めなかったのは、僕では分からない事情が祖父達にもあるんだろう。
(このままだとフィルは通常の子爵家息女としては格落ち。だけどフォリ先生がエスコートする程の令嬢だとなれば話が違ってくる。父上や叔父上にしても、フィルの選択肢を広げてあげたいのかもしれない。・・・そりゃ僕だってフィルが本当に好きな奴ができて、そいつが身分高い貴族の子だったりするならって思うと、今のままよりその方がいいって分かるけど)
僕は家族ぐるみのお出かけとかいう訳の分からないものに同行しながら、改めて社交について学ばされていた。祖父や叔父は「貴公子として生まれ育った存在とはどういうものか」という生きたお手本を僕に見せようとしたのである。
男子寮ではなんか大柄で気のよさそうな兄さんだなって感じのフォリ先生だけど、あれはわざとくだけた感じにしていたらしい。
プライベートで出かけたなら誰かが馴れ馴れしく声をかけられるような隙なんてないし、誰もが即座に礼を取るし、それが当然とばかりに堂々としていて、まさにこれが人の上に立つ男の姿って奴なんだって僕には分かった。それなのに妹は全く分かってなくて、お金持ちな貴族だとここまでみんながちやほやしてくれるんだねって感心してた。
僕は愛情や可愛さだけでは子爵家を維持できない意味を知った。
(やっぱり背の高さって必要だよね。リオンさん、僕より気づくの早いし)
普段は用務員姿で校内を歩いているネトシル少尉だけど、プライベートで出かける時なんてまさにサービスを受ける側といった雰囲気しかないのに、それでいて周囲のことをよく把握している。僕もそれはできるつもりだったけど、レベルが違った。
そんな二人がアレナフィルをエスコートしているものだから、ウェスギニー家だって注目される。誰かと挨拶を交わしていてもアレナフィルを当たり前のように尊重する二人の姿は、こそこそとアレナフィルの陰口なんて叩かせないものだった。
『アレナフィル嬢は子供だが暗算も速く、かつての数学者の法則を用いて分析してみせる面白さがあるのでな。理論だけで現実は割り出せないものだが、語る内容も面白ければ、見た目も愛らしい』
『・・・そうでございましたか。そんなにも賢いと評価なされておられるとは』
『賢いと評価したのは学校長だ。貴族としてのゲートを使わず実力で今年度の学力一位を叩きだした才媛と絶賛していた』
家族だけが愛していても、守れないものはあるんだ。かつておかしくなった傷物の子爵家令嬢として格落ち扱いされる筈だったアレナフィル。本来は心ない対応をされることもあったかもしれない。だけどフォリ先生がそれをさせない。
この場でフォリ先生がエスコートしているアレナフィルこそ、誰もがその二人の前では道を開かなくてはならないのだ。
それを分かってない妹だけが、ガルディアスお兄様、グラスフォリオンお兄様呼びして、「あくまで妹スタンスで可愛がられてます。私は恋人志願な方々のライバルじゃありませんよ。私を巻きこまないで」アピールしていた。もういいよ、誰もアレナフィルに期待してないから。
ネトシル少尉がエスコートする時は、叔父とお喋りしながら僕とアレナフィルを間に挟む感じだけど、おかげで独身時代の遊びではなく家族ぐるみで丁重に扱っている雰囲気が漂う。なんか挨拶のついでに招待されたおうちが多すぎて、訳が分からなくなった。
だけど侯爵家の三男であるネトシル少尉がここまで個人的に披露した令嬢は今までいなかったらしい。
アレナフィルに対して皆が礼儀正しく扱うようにさせる為の布石を打っているのだと、二人の行動に僕は理解した。
さすがにあれはまだエインレイド王子では無理だ。年齢と経験の差は大きい。既に社会に出てそれなりの結果を出している二人だから、子供同士の仲良しとは違うレベルで扱ってもらえるんだ。
僕は、まだ僕達が学校に通っている子供にすぎないという現実を突きつけられた。
(肝心のフィルは分かってないけどね。いや、分かる気がないのか。だってフィルだもん)
それでもいい。だって僕のアレナフィルがお妃候補だなんて無謀すぎる。部屋の本棚にセクシーすぎる男女の挿絵が書かれているような外国の本を沢山並べて幸せそうに読み耽っているような妹なのだ。
見た目は僕と一緒で可愛いけれど、どこに出しても恥ずかしい子だよ。
――― 女の子の秘密には気づかなかったフリをしてあげなさい。世の中にはあんな本どころではない行動に出る悪女が盛りだくさんだ。フィルは読むだけで行動には出ないからね。あの子は後腐れの多いよその男のご機嫌取りをするぐらいならレミジェスに甘えて好きな物を買ってもらうさ。
あまりにも子供としてふさわしくないふしだらな趣味だって僕が直談判した時、父は最低レベルな悪女よりマシという無茶苦茶な説得で僕を黙らせた。
世の中の令嬢は虎視眈々と素敵な男子を物色し、周到に断れない一幕へと持っていくそうだ。何なんだよそれ怖すぎる。
父が娘にだけ甘い可能性も高かったけど、あの父が言う以上はそうなのかもしれないと思った。
たしかに叔父とアレナフィルが一緒に出掛けると、年の離れた婚約者だろうと思われることが多い。叔父がアレナフィルのおねだりを何でも聞いてあげる様子がそれに拍車をかけていた。
女の子ばかり優遇されて人生ってなんだかとっても不公平だ。
いいけどね。代わりに僕も父上にいいシューズを買ってもらう約束してるから。
(それで不満をわめき立てるより、それを受け入れた上で交渉した方がいいって叔父上は言ったけど、娘や姪があんな子で不安にならないのかなあ。父上も叔父上も普通はこっぴどく怒るもんじゃないのかなぁ)
本に手作りカバーをかけておけば真面目な本だと思われるだろうって、そんなごまかし方でみんなを騙せているつもりのお馬鹿なアレナフィル。
普通の人は本があったら中身を広げて見てみるもんなんだって理解した方がいいと思う。どの本も挿絵があまりにも不届きすぎるよ。
だけどいいんだ。
そんなアレナフィルのお馬鹿さんなところを分かった上で愛してあげられるのは僕だけだから。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
これでも僕は物事を正しく見る能力があると自負している。
そしてミディタル大公家は人外魔境だった。あそこが王侯貴族の邸だなんて僕は認めない。
大公家という名前を返上して、ミディタル要塞と名付けるべきだ。もしくはミディタル軍事訓練基地でいい。
礼儀正しい作法をおさらいしてから着飾って大公家へ向かった僕とアレナフィル、そして現地集合したエインレイド王子の三人は、いきなりミディタル大公家のメイド達にそれぞれ小部屋へと連れていかれた。問答無用で着替えさせられるという荒業だ。僕達は顔や体を全体的に覆うプロテクターもつけさせられた。
(何のために僕達、おしゃれしてきたの? お茶会への招待じゃなかったの?)
何故か僕達は花が咲き乱れる庭ではなく男どもがひしめき合う訓練場へと案内されたのだ。そして片手剣術を取り入れた練習試合、いや、訓練指導をされることになっていた。
お茶会って意味を、大公家はよく調べ直した方がいい。
その低く力ある怒号が空気を割って、腹の底までずずんっと響く。
「者どもーっ!! お前らの力っ! 今日もエリーに見せてやるのだぁっ!!」
まさに、「おおうっ!!」という返事が空気を揺るがしていた。
あのぅ、あなた方、その王子を守る立場の方々なのでは? その王子を練習試合とはいえ、叩きのめそうとしてどうするのさ。
怪我しないように気をつけてはいたようだけど、思いっきり剣を叩き落とされる王子も慣れた様子で参加していた。お茶会と聞いていた筈が、そんな汗臭く泥にまみれる時間になっても文句を言わない王子の忍耐強さが凄い。
そして僕は「ほらほら、次。ぼやっとしない」と、背中を押し出された。
救いは三人が一緒だったことだろうか。
あちこちのエリアでそれぞれに練習試合や稽古が行われていた。
「うわあっ、なんで足払いっ!?」
「甘いっ、甘いぞ少年っ! 戦場で誰が礼儀正しく試合をしてくれると思っているのだっ」
そんなことを言われたけれど、大公家だからと真面目に試合をしようとした僕の立場がない。そして僕の相手をしてくれたのは女性だった。めちゃくそ強かった。
(駄目だっ。この人、曲芸的なそれを見せても惑わされない人だ・・・! って、父上と同じタイプじゃないかぁっ)
うん、お茶会で礼儀正しくカップのお茶を飲むどころか、水道栓から水をガバガバ飲んでたよ。地面に倒れても回復したらすぐに練習用片手剣を持たせられたよ。僕、指導をお願いしに来た覚えないんだけど。
目が点になっていた僕とアレナフィルをよそに、なんだか慣れているといった表情の王子は、
「良かった。こーゆーのされるの兄上と僕だけじゃなかったんだ」
とか呟いていたけれど、もしかしていつもこういうもてなしを受けていたのだろうか。
・・・・・・王子へのいじめ? それで王宮側は苦情を入れないわけ?
ミディタル大公は、なんだかとても熱い人だった。アレナフィルには十分手加減してくれていたようだけど、それでも地面に転がる羽目になっていた。
怪我はしないようにしてくれているけど、それは防具があったからだ。
「フィル、・・・大丈夫?」
「大丈夫じゃない、手が痺れちゃった。ちゃんと受け流したつもりだったのに。うー、当たらないように大きく下がるべきだったのかなぁ。一人じゃ勝てないよ、あれ」
地面に膝をついたアレナフィルが手をさすっていたけれど、それでも勝とうと思っているらしい。双子の妹が馬鹿すぎた。
いや、もう少し実力差を見ようよ。僕でも無理なのにアレナフィルが勝てるわけないでしょ。
僕は、あれこれと僕達におめかしした服や小物を用意してくれた祖母の興奮とは別に、さりげなく僕とアレナフィルの着替えを移動車に載せていた父をちょっと呪っておいた。
どうか父が美味しそうなお肉にあーんとかぶりつく瞬間、フォークからお肉が落ちますように。
(父上。服を汚した時の着替え用って、どうして普段着を入れているのかなって思ってましたけど、分かってたんですよね? 父上が知らない筈ないですよね? 子供に何も言わないってひどすぎないですか? 子供への配慮が全く感じられません)
大公家には僕達にちょうどいいサイズの運動用服があった為、その着替えは役に立たなかったけれど、父はきっとこの実態を知っていた。
「うわっ」
「目の付け所は良かった。だが、こちらも観察はしているのだ。次の手を読まれるのでは意味がないぞ、少年。まあ、地面に転がる時の受け身は兄妹揃って上手だ。そこは褒めてやろう」
「あ、ありがとうございます。・・・・・・うっ」
僕から視線が逸れたと思った時点で突きに行ったつもりが、見事に撥ねつけられた。木剣をはたき落とすついでに僕の体までここまで飛ばすんだから実力差なんて語るまでもない。
「かかってくる前に呼吸を整えろっ!」
「ぐっ、・・・はいっ」
なんか僕、エインレイド王子や妹の5倍以上、練習試合をさせられているんだけど。一つに括っていた髪の毛なんてとっくにばらばらになって土塗れだよ。
そんな僕を見下ろしてくるミディタル大公は、柔らかな黄緑色の髪を短くしていたけれど、ワインレッドの瞳はフォリ先生と同じ色だった。そしてフォリ先生よりもかなり態度が大きかった。
いや、それは当然なんだけど、見上げる姿はまさに獅子のような猛獣を思わせる。
「力尽きるのは構わん。だが、倒れる前にぎりぎりの体力は残したうえで倒れるのだ。力尽きた時にこそ、殺意ある者は近づいてくる。最後の力でそいつを倒せるようにしておかねばならん。まずは生き残ることを考えるのだ。そのような正々堂々とした剣では、試合しかできぬぞ」
「はい。ご指導、ありがとう、・・・ございます」
それ、もっと早く言ってほしかった。
だけど僕、普通に試合しかしないと思うのでそれでよくないですか?
「うむ。素直なのは良いことだ。君は伸びしろがあるな、アレンルード君。だから今日は見逃してやろう。回復するまで寝ているがいい」
「は、・・・げふぉっ、・・・はい」
良かった。あそこで反論していたらもっと稽古がつけられただろう。うん、実力差がありすぎる人には逆らわないに越したことはない。
寝ているがいいって言われても、もう地面から動けないんですけど。
なるほど。僕よりも先に、
「僕、もう体力の限界です」
と、離脱した王子はそれがあったのか。
(おっかしいなぁ。こそこそと体力を残しておくより、全部の力を放出するまで立ち向かってこいってのが、ミヌェーバ流片手剣術の考え方だった筈だけど)
片手剣術の流派でも、ミヌェーバ流は一番有名で歴史もある流派だ。エインレイド王子だってそれを習っているだろう。
いや、僕にも分かっている。この大公の指導って今までもあって、恐らくエインレイド王子、自分が習っているミヌェーバ流片手剣術と、叔父の前で行う片手剣術とを分けて対応することにしたんだろうなって。大体さぁ、足払いどころか、拳まで叩きこまれそうになる片手剣術って何なんだよ。
非常識すぎる。そしてうちの父親を思い出させる身勝手な独善ぶり。
僕が王子の立場だったとしても、この大公に逆らうよりもおとなしく言うことを聞く方を選ぶね。
「貴族令嬢だから夫に仕えて生きるだなど、冗談ではない。いいかね。強さは力だ。力は権力だ。全てをひれ伏させて、手に入れてこそ我が人生。そうではないかねっ」
うちの妹は引きこもりだけど、裏庭にある色々な遊具を使って毎日体を動かしているし、僕の練習相手もしているので、そこらの貴族令嬢より身が軽い。
片手剣術は習ったことがないけど、叔父や僕に教わって基本はマスターしているのだ。
ミディタル大公に、いずれ軍に入れと言われて、アレナフィルの頬は引き攣っていた。だけど違う。休憩中も話しかけながら、ミディタル大公は相手の呼吸を慎重に見ているのだ。
「あ、あの、大公様。そこに、我が国の王子様がおいでになるのですが・・・」
「うむ。勿論、目に入っているとも。可愛いエリーをこの私が見逃すことなどあり得ん。なあ、エリー?」
僕はミディタル大公を獣のような人だと思った。
「叔父上。僕の前でよりによって反逆を唆すようなことをしないでくださいって、アレル、言いたいんだと思います」
「反逆? なんだ、アレナフィルちゃんはサルートス国が欲しいのかね。はっはっは、なかなかの欲張りさんだなぁ」
「違いますっ」
妹よ、そこで乗せられてはいけない。
何にも考えていないようで、考えているのかもしれないけれど、実はもっと危険な人だよ、ミディタル大公。
「それでアレナフィルちゃん。サルートス国が欲しいなら、そこのエリーを誘惑してしまえば話は早いぞ。そしてさっさと息子を産むといい」
「何を言ってるんですか、叔父上。アレルはウェスギニー子爵ぐらいのセクシーな筋肉がないと好みじゃないそうです」
エインレイド王子はアレナフィルと仲がいい。だから知ってしまったのかもしれない。その恥ずかしい願望。
だけどお願いだから我が家の恥を堂々と言わないでほしかった。
「あら、筋肉を評価するとは意外だわ。だってエリー様と仲がいいのでしょう? 根性はありそうだなと思ってはおりましたけど」
先程、僕の木剣を叩き落とした女性がそんなことを言っているけれど、やはりこれはアレナフィルを見極めてやろうという時間だったのか。
サルートス上等学校でも頂点に立つ身分のエインレイド王子と仲がいいのであれば、肩書きや権力、そして将来性を重視するのではないかと、彼女は言いたかったらしい。
だけどエインレイド王子は軽く肩をすくめて答えた。
「アレルは正直なんです。告白してきた男子生徒にも、13年後に出直してくるように言ってました。ついでにマシリアン少尉もいい体をしているけれど包容力が足りないとか文句つけてました。家柄は鑑賞の役に立たず、顔も生まれた時点である程度は決まっているから、基本は肉体なんだそうです」
「ほう。なかなか見る目があるじゃないか。ならばここにいる奴らを好きに見繕っていいぞ、アレナフィルちゃん」
恐らく実技を伴う筋肉を評価するミディタル大公と、単に筋肉のついたスタイルを愛でたいだけのアレナフィルとの間には越えられない溝があるだろうなと、僕は思った。
「駄目ですよ、叔父上。アレルってば、筋肉だけでも駄目なんです。ウェスギニー子爵なんて、アレルが好む抱きしめ方をマスターさせられたそうです。ちゃんとアレルのスピードに合わせて、強弱もコントロールしないと文句言うんです。アレル、妥協しないから」
「ひどいです、レイド。なんだか私、とっても我が儘な子じゃないですか」
妹よ、ぷぅっと頬を膨らませているが、文句を言いたいのは僕の方だ。なんて恥ずかしいことをエインレイド王子に語ってたわけ? その会話、この場にいるかなりの人が聞いてるんだよ?
ああ、ウェスギニー家のどんな噂が生まれるのだろう。父は気にしなさそうだけど、祖父母と叔父に心から同情する。
(父上は貴族だけど、現場にも出ている軍人でもある。出世の手段の一つは上官の娘との結婚。そして今の会話では、まるでウェスギニー子爵は娘婿を軍から探すと思われかねない。まずいだろ、フィル。いや、王子狙いと思われるよりマシか? やっぱりリオンさんかなぁ)
一度は勝手に肉体を測定されたばかりか、思想なども全てチェックされていた僕だから分かる。
これ以上、彼らに情報を渡すべきではない。
だから僕は上半身を起こした。
「ほう。アレンルード君はなかなか回復が早い。いい顔つきだ。では、稽古をつけてやろう」
「はっ!? いえっ、僕っ、まだ動けませんからっ」
「諦めなよ、アレン。叔父上って相手の限界を見抜くの、かなり得意」
エインレイド王子がアレナフィルの腕を取るようにして逃げていった。ひどすぎる。
「安心するがいい、少年よ。これでもガルディやエリー、そして様々な新兵卒を教育してきた身だ。本当にへばっているのか、そうではないのかぐらい、見抜く目はある。さあ、立て。行くぞっ」
「っぎゃーっ」
僕は、アレナフィルの変な噂が出回る前にそれを阻止したかっただけで、エインレイド王子の口を閉ざさせたかっただけなのだ。どうしてそこでミディタル大公の稽古をさらにつけられなくてはならないのか。
それでも僕は、まずは自分の態勢を整える。
「そうでなくてはな。かかってくるがいい、少年よ。エリーを守れる剣となるか、見極めてやろう」
「・・・お言葉を返すようで、本当に申し訳ないんですが、僕、軍に入る気ないんですけど」
「進路変更などよくあることだ。行くぞっ」
王族を巡る王位継承、側近や重臣による利権など、うちみたいな縁戚関係を強固にしていない家が手を出す分野ではない。
だからエインレイド王子の取り巻きとして食い込むつもりなど、僕にも妹にもないのだ。当たり障りなくやり過ごしたい。
ガキッという凄まじい音を立てて、僕は風圧を伴うその剣をどうにか食い止めた。
「ぐぅっ」
ああ、もう帰ったら叔父に頼んでもう少し重い剣で稽古をつけてもらおう。
そんなことを考えてしまう程に、僕は全身に逃がした重みの隙を見て距離を取った。
互いに向き合って分かり合える何かがあるとか言うけれど、僕にしてみれば向かい合って分かることは、三十六計逃げるに如かずって言葉の重みだけだよ。
息子よりも凄まじい覇気が、目の前の男から放出されている。
僕の不運を犠牲にして、エインレイド王子とアレナフィルはこそこそとお喋りしていた。
『あまり言ってることは気にしなくていいから。行動で語るんだ、叔父上って。知らない人が聞いたら簒奪かと思われかねないことはいつも言ってるけど、叔父上、その必要ない人だし』
『そーだね。・・・実力で大公様、世界を取りに行けちゃうよ』
『領土拡張はしすぎてもよくないんだよね』
『たしかに無料でもいらないって地域はありそう』
妹よ、お前は王子の言っている意味を勘違いしている。
だけど子供のお喋りでも王子と貴族子女のものとなれば聞いている人は聞いているもので、特に二人の背後にいる人達は目を丸くしていた。
わざと手加減した剣を交えてきたミディタル大公が僕に囁く。
――― 本当にあの子は知らぬのか。
――― 妹に貴族の友人はいなかったので・・・。クラブで友人もできたと聞いておりますが、王子も一緒なのでまず話題には上がらないかと思います。
――― さすがはセブリカミオ殿だ。お喋りスズメとは違う。
妹の教育に祖父は無関係なのだが、あえて僕は否定しなかった。全ての元凶は父の手抜きだ。
ミディタル大公も打ち合ってくれる気らしいので、僕も有り難く胸を借りる。
何度も僕が打ちこんでいくのを見て、アレナフィルは王子といつものお喋りタイムに入ったようだ。なんかひどくない? 僕だけひどい扱いじゃない? 招待されたの、アレナフィルだよね?
『もしかしてお茶会に招かれたという私は本気でオマケで、ルードが本命だったのでしょーか』
『そうじゃないの? だって寮監の仕事にかこつけて全校生徒の体育系の成績表とか、スポーツ系クラブの主力メンバーとか、そっち調べてたし。アレンなんて毎朝、格闘術習ってるでしょ。大体、取り巻き候補だの恋人候補だの言ってられる人って、暇なんだよ。国を守ることができる人材しか見てないんだよね、本当に国を動かしている人ってのは』
何を二人で観客サイドに入っているのさ。
ついでに寮監の仕事にかこつけて調べていたのはフォリ先生であって、ミディタル大公じゃないと思うんだけど。
ちらりと見たミディタル大公のワインレッドの瞳はフォリ先生と同じ色だけど、息子がチェックしていた人材がここに回されるわけではないだろう。
ガツッと音がして、僕の木剣が跳ね飛ばされる。
「ま、参りましたっ」
「うむ。では少し休憩するがいい。さあ、エリー、そして少女よ。十分に休んだであろう。かかってくるがいいっ」
「ええっ!? もう終わりじゃなくてっ?」
甘いよ、エインレイド王子。ただの休憩なら見逃してくれただろうけれど、小さな男女交際が発生していたら誰だって邪魔するでしょ。ましてや保護者サイドなら。
たとえその二人に可愛い恋のワルツが発生していなくてもね。
「何を言っているのだ、エリー。そんな軟弱者に育てた覚えはないぞ。行くぞっ」
「うわああっ」
「きゃあっ」
踏み込みはしないものの、振り回されたその木剣が風圧を起こしているんだけど。一体、ミディタル大公ってば何なのだ。
怖がりなアレナフィルは何かあるとすぐ逃げてしまうのだが、ここでは逃げ場所がない。それこそ後ろに大きく跳んで引き下がったものの、ミディタル大公に死角はないと判断したようだ。
「おおっ、アレナフィルちゃん、見事な跳躍だなっ」
「レイドッ、ここは両側から攻めましょうっ。真正面からやるのは無理ですっ」
「分かったっ」
見ていた人達が、
「二人がかりかぁ。可愛いなぁ」
「エリー王子の背中に隠れるんじゃなくて共闘かあ」
などと、にやにやして囁き合っている。
「やああっ」
「とうっ」
「甘いなっ。そしてタイミングも合ってないっ」
付け焼刃ではあのミディタル大公に通じないだろう。
きっとそれはアレナフィル以外の皆が理解していた事実だ。それでも面白そうに笑っている大公にとっては余興なのか。
先にエインレイド王子の、次にアレナフィルの練習用の剣を叩き落としたミディタル大公はとても楽しそうだった。
「ったーっ」
「いたっ」
「まだまだ。さあ、木剣を拾うのだ、二人共。稽古はこれからだぞ」
「は? 叔父上、もう夕暮れですけどまだやる気ですか? これで終わりなのでは? たしか夜には予定があると・・・」
どうやら時刻的に終わりだろうと思って、エインレイド王子はお喋りに興じていたらしい。
「おう、そうであったか。仕方がない。では汗を流して着替えなさい。出かけるまで、今の海外情勢の話をしてやろう」
「・・・ありがとうございます、叔父上」
休みの日ぐらい遊ばせてほしいだろうに、王子って大変だな。
うち、子爵家で良かったよ。
来た時と同じ服に着替えなおそうかと思ったけど、持ってきているならば普段着に着替えるように言われてしまった。どうせ人に見られるのは来る時だけで、帰る時の服装は見られないからだそうだ。
なんだか大人の世界って・・・。いいけどね。
実はかなり時刻は押していたようで、僕達は立ったままのミディタル大公からぽんっと外国土産を渡された。
「領土の取り合いは何かとあるが、おかげで外国の物が流通することが弊害か。流れてくるのはいいものばかりではない。だが、菓子に罪はないからな。これはなかなか甘くて人気だった。三人共、持って帰って食べなさい。大丈夫だ。変な物は混入されていない」
外国で人気なお菓子をもらっても・・・。有り難くもらうけど。
「あ。これ、お菓子だけど、この絵からして、溶かして飲み物にもなるみたい。見て見て、レイド。ほら、これ、多分そういう意味ですよ。ね? だけど温度がサルートスと一緒なのかなぁ。この温度だとおかしくないですか?」
「国ごとで温度の表示って違ったりするよね。明日、みんなで調べてみようか」
「ここで分かるようなら訳していったら、ほら、大公様も飲めちゃいますよ。大抵、飲めるものって甘さを調節できるんです」
「ふぅん。じゃあ、僕はこっちの二行目から訳していくね」
「はい。分からない単語は適当にやっちゃいましょう」
アレナフィルは使用人に辞書を持ってきてもらって、そのお菓子の説明書きを王子と一緒に翻訳し始めている。
どうやらそういう調べ物はいつも一緒にやっているらしい。仕方ないから僕も手伝おうかと思ったけれど、ミディタル大公が持っていた風変わりなナイフをさっきからちらちら見ていたことに気づかれたらしい。
「これはナイフに見えるだろうが、実は違うのだよ。これが書物だと言われて信じるかね?」
「え? ですが大公閣下。それはどう見てもナイフと鞘ですよね? 少なくとも金属製品です。文字でも刻まれているのですか? だとしても書物というのでしょうか」
「そう見えるだろう? だが、これは武器の携帯を許されない人達が持っているものなのだ。抜いてみるといい」
渡されたそれを抜いてみれば精巧にできてはいるが、ナイフと鞘に見せかけたからくり細工だった。金属色に塗装されているだけで、金属でもない。剣に見せかけた部分の留め金を外せば知らない文字が書かれたものが広がっていく。
たしかにこれは書物なのだろう。こういった物を持つ人にとって大切なことが書かれているのだ。
「防犯用のダミーでしょうか。だけどこれだけ細かい造りって何なんでしょう」
「さてな。いずれそういった文化も流れてくるのかもしれん。だが、全てがいいものではないだろう。物だけならば阻止もたやすいが、思想や薬物は時に厄介だ。時には国をむしばむ。ゆえに軍に属する者は愚かであってはならん」
「はい」
言わせてください。僕、子爵家の跡継ぎなので軍には入らないんです。妹も入らないです。
怖くて言えないけど。
「三人共ここで食事していくといい。何なら泊まっていっても構わんぞ。その時は学校まで送らせよう。じゃあな」
「はい。行ってらっしゃい、叔父上」
「えっと、大公様。行ってらっしゃいませ?」
「ありがとうございます、大公閣下」
にこにこと手を振るエインレイド王子だが、さすがに大公家で一泊はハードルが高い。
家の主人が出ていくのを客の僕達が見送るのも何かが違うような気がした。これでいいのか、大公家。
「エリー王子、外泊届は明日までですか? 僕は明日、家から送ってもらう予定だったのですが。さすがに泊まりまでは予定していなかったんです。何より制服がありません」
「じゃあご飯だけ食べていけばいいんじゃないかな。叔父上も、泊まっていってもいかなくても気にしないよ」
「皆様、お腹が空いておいででしょう。少し早いですが、食堂までおいでくださいませ。奥方様も本当は今日を楽しみになさっておいでだったのですが・・・」
「仕方ないよね。急な会食ってどうしてもあるよ」
ミディタル大公家の執事らしい男性が食堂まで案内してくれたけれど、本当はあそこまで長く練習試合をさせるつもりはなかったらしい。
どうやら予定では軽く僕達の動きを見て、後はお茶する予定だったそうだ。そんなことを、案内する男性が話してくれた。
「アレンルード様があまりにも期待できると思われておしまいだったのでしょうね。アレナフィル様もとても身軽でおいででしたので、旦那様もその気におなりになったのでしょう」
「なんか軍の人ってそういうところがあるよね。いい人材を見つけたらすぐに試そうとするとこ」
ぼやくエインレイド王子の声音には実感がこもっている。
ミディタル大公家の夕食は、まさに柔らかく肉汁たっぷりな牛のステーキばかりか、ガーリックシチューで煮込んだ鶏肉が付け合わされ、色とりどりの野菜がソテーサラダで出てきた。
「うわぁ、レイドとルードが好きそうなご飯。もしかしてレイド、ここの料理人さんにリクエストした?」
「僕は何も言ってないけど、ガルディ兄上が言ったかもね。アレルもこういうお野菜、好きでしょ」
「うんっ。お野菜は軽く火を通した方が沢山食べられていいんだよ。あー、ソースも美味しいっ。ねっ、ルード・・・って、もう食べちゃったっ!?」
「ごめん。礼儀知らずは許してよ。だけどお腹空いてたんだ」
妹よ、僕は君達よりもかなり動いていたのだ。そんなとろとろしたペースで食べていられないよ。
「お代わりはまだ沢山ございます。どうぞ」
僕が空にした皿を回収して新しいお皿が置かれるけれど、同じ料理に見せかけて鶏肉の味付けが違っていたり、ステーキは上下に分かれていて間に薄い焼き野菜やマッシュポテトが挟まっていたり、サラダにかけられているソースが今度はスパイス仕立てになっていたりした。
「お腹が空いていた時は悲しかったけれど、今はとっても幸せです。料理人さんにありがとうございますって伝えてもらってもいいですか?」
「勿論ですとも」
二人はお皿一回だったけれど、僕は三回食べたことになる。どのお皿も違う味付けだったから、その為だけに作ってくれていたのだろう。
とても美味しゅうございました。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
少年時代を惜しみなさい、子供時代は二度と戻ってこないのだからって大人は言う。
だけどさ、少年時代って要は扶養家族なわけで、お小遣いの中でしかお金は使えないし、どこかに出かける時にはちゃんと大人に伝えて了解を得てからじゃないと行くこともできないんだ。
食事の時間には間に合うように帰宅しないと怒られるし、惜しむも何も子供にできることなんてとても限られてる。そんな中で何をやれって言うの?
あえて言いたい。少年は、堕落した自由を謳歌できる大人時間に早く辿り着きたいのだと。
大人はいいよね。自分のしたいことをする自由があって、夜更かししても怒られないし、何も報告しないで好きに動けるんだからさ。
だけど僕だって大人がどれだけ大変かってことも分かってはいるんだ。
うちの父は儀式への列席や舞踏会の参加やサロンの招待など、社交に出る時はいつもウェスギニー邸で着替えてから向かっていた。それは平民に紛れて役人を目指すというアレナフィルに、貴族社会というものの華やかさを感じさせない為だったのだろう。
経済軍事部の校舎においてもアレナフィルの存在を隠せなくなってきたからこそ、父や叔父が心配していた意味を僕は実感している。
全校舎総合 1位 ウェスギニー・インドウェイ・アレナフィル(一般部)
校舎ごとに貼り出される試験の上位者は、経済軍事部のみ全校舎総合の順位も貼り出されていた。
凄いことなんだろうけど、うちの妹は、
「試験で一位になったからって、一番素敵な人生を送れるってわけじゃないんだよ。ご機嫌取りが上手な人こそ一番幸せな地位をゲットとかしていくのが現実なの」
などと可愛くないことを言うし、自分の校舎のそれすらまともに見ていなかった。
妹はどうやら父の友人であるバーレンにお勉強ばかりさせられていたようで、この程度でミスする方がおかしいといった感覚だったりする。どんだけ勉強させられてたんだ?
だけど僕は、経済軍事部のあちこちで囁かれる妹の名前に聞き耳を立てずにはいられなかった。
貴族のお嬢様は悪口を言う時も丁寧なんだね。
『あの間違った結婚でできた双子の片割れでしょう? そりゃアレンルード様の方は子爵になるかもしれませんけど、一般ってことは勉強しかできないのじゃありません?』
『どなたもお付き合いしていないようですものね。まともなマナーもわきまえておられないのでしょう』
『それでもどなたか、ご挨拶ぐらいはしたことあるのではありません? そういうことでしたら私達のお茶会に招いて差し上げたらいかがかしら』
『そうですわね。だってドレスを着た時ですら、お兄様の方が出てきたということは、双子でも似ていらっしゃらないのかもしれませんわ』
『似ていない双子だと、時に辛いものがありますわよね』
幼年学校時代、僕はまだ習い事とかで最低限の貴族子弟と交流はあったが、妹は全くそれがなかった。そういう僕も交流といったところで、年の差もあって可愛がってもらったなといったところだ。
妹に至っては、平民のお友達すらいない有り様である。
だから友人として妹を誘う手段や繋がりをどの貴族令嬢も持っていなかった。もしかして父はここまで読んでいたのだろうかと、僕は恐ろしくなった程だ。
(お祖母様がフィルに、お友達とお茶会すると美味しいケーキが食べられるわよと勧めた時も、フィル、それなら自分の欲しいお菓子を叔父上に買ってもらうから大丈夫って、そんな断り方してたっけ。綺麗なドレスを着ることができると言っても、僕達、家族の誕生日にはおめかししてたしなぁ)
だからアレナフィルが全く貴族生活に憧れなかったのだなと思うと、そういう育て方をしてきた父が一番悪いような気がするけれど、あんな意地悪そうなことをお喋りしている女の子達に誘われたお茶会なんて行く方が拷問だ。
やっぱり妹は一生うちにいればいいと思う。アレナフィルの幸せを守れるのは僕だけだ。
(間違った結婚か。何だよ、それ)
肖像画やフォトの中で僕達と笑っている母はとても心が強い人だったと、父は言う。その強さは、弱い人が大事なものを守る為の強さだったと。
だから優しい人だったんだろうなって今の僕には分かるようになった。小さい時には分からなかったことが、色々な経験を重ねて分かるようになっていくんだって思う。
それを叔父は、お前がそれだけ理解できる人の気持ちを増やしているからだよと褒めてくれる。だから急がずにその日を待つんだ。
僕は男だから母のことを僕に向かってあれこれ言うようなみっともない真似など、学生時代しかされないだろうけど、妹が社交界に出たら女同士の集まりでそこをあげつらわれていじめられることはあるだろうと、叔父は言っていた。
――― 可哀想だけど貴族と結婚したなら、その嫁ぎ先でもフィルはずっとそれを言われ続けるだろう。
だから父達は、アレナフィルを貴族と結婚させる気がなかったのだ。たとえ本人同士は気にしなくても、親族までもがそうとは限らない。
結婚相手の親族という逃げられない関係の人からずっと馬鹿にされ続ける日々なんて、誰だって嫌だよ。
僕も知らない男子生徒に声をかけられたことがあった。
『ウェスギニー家のアレンルード君だろう? 平民の母を持っているというのは本当か?』
『もしかしてうちの母に横恋慕? 僕は母そっくりだからね。よく血迷った男に口説かれるんだけど君もそのクチ? 悪いけれどうちの母は父だけを愛してるんだ。その気持ちはお断りするよ』
『だっ、誰がだっ。貴族の血を半分しか持たないくせにっ』
『それが? 僕の身上調査をしなきゃいけない理由でもあったの? 僕、別に何かの申し込みをした覚えはないけど』
祖父や父、そして叔父が心配していたような怒りはなかった。もしも僕が一人っ子だったなら、そいつを殴りとばすぐらいはしていたのかもしれない。
だけど僕はその時、双子の妹がエインレイド王子と一緒にいることをどうやってごまかすか、そっちのことだけで毎日頭がいっぱいだった。亡くなった母よりも生きている妹が大事だ。
母のことをあげつらわれて怒る以前に、そこまでして自分の優位を取ろうとしてくる奴らに何が奪われるのかという根本的な問題に、そこで僕は気づいてしまった。
(僕を馬鹿にしてコイツ、何のメリットがあるんだ?)
だって社交界の頂点に立つのが王族として、今、この上等学校で一番ホットなエインレイド王子と一緒の寮にいる貴族は僕だけで、仲良くお喋りして休み時間ばかりかクラブ活動でも友情を築いている貴族は妹達だ。クラブ活動では平民も一人混じっているという話だったけれど、市立幼年学校に通っていた僕と妹は気にしないし、どうやら王子達も気にしていないらしい。
エインレイド王子はお世辞やおべっかを喜ぶタイプじゃないし、感情のままに我が儘を言うタイプでもない。だから貴族の取り巻き志願者達から逃げ出したんだろう。
なんといっても一緒にいるのがアレナフィル。
うちの妹は男に対する要望と苦情がうるさいし、しつこく言い続ける。あれに耐えられる時点でエインレイド王子はかなりの忍耐力があるって僕にも分かるよ。
何よりフォリ先生、僕達のお誕生日会にまで来たわけだし。
そう思うと、僕に対して喧嘩を売ってくる生徒に対しても憐れむ気持ちしか生まれてこなかった。
(母上への侮辱を許す気はないけど、平民なのは事実だしなぁ)
結婚した当事者は、
「それがどうした? あんな村に貴族がいたら、そっちの方が訳アリだろ」
で、全く気にしていない。
令嬢として貴族令息からの評価を気にする筈の妹は、
「どうせならルード、マミーの色でパピーの顔に生まれてくれればよかったのに」
で、母が平民であることよりも父親ラブしか考えていない。
(こんな父と妹を持って、僕が悩まなきゃいけない理由があるんだろうか。結局、平民だとか言われても家族が気にしていないなら侮辱にはならないんだよね)
子供でいられる間は子供でいなさいと、叔父は言ってくれる。だけど子供だからこそ子供でいられない時もあると思うんだ。
僕はこの国立サルートス上等学校に入学してから一気に大人になることを要求されたと感じている。
(問題はエリー王子との距離の取り方だろうな。フィルがああいった立場にある以上、僕は離れていた方がいい。だけど・・・)
ウェスギニー子爵家は、父も叔父も有力な貴族との縁を結んでいない。祖母も貴族ではあるが分家筋の出身で、よその貴族の家に侍女として仕える程度の弱い立場だったらしい。
父の実母は有力貴族出身だったが、父が少年の頃に亡くなっている以上、そちらとの縁はかなり薄かった。だって父の実母は二十年以上前に亡くなっているのだ。祖母の兄弟はまだ生きているけど今まで一度も僕は会ったことがない。
――― だからルード。お前だって我慢しなくていい。本当に好きになった人と幸せになっていいんだ。だから種の印を偽装することもないし、相手の身分を考えて身を引かなくてもいい。ただ、お前を利用してお金や財産を巻き上げることしか考えていない友達や恋人は作ってほしくないけどね。
そう言ってくれる叔父の優しさが口先だけじゃなくて、叔父が忙しく働いているのは僕達を守る為だったんだと気づいた時、本当の愛情を僕は知った。
ウェスギニー子爵家は政略結婚をしないでいられるぐらい、経済的に安定している。
双子の妹の、
「恋人ならやっぱりパピー。だけど結婚するならジェス兄様がいいなぁ」
というふざけた意見は論外だが。たとえ母が今も生きていたとしても、僕は母と結婚したいとは言わなかっただろう。妹はあまりにもお子様すぎる。
大体、妹が言うところの紳士なんて本の中にしかいないよ。男の集団なんて女の子の話ばっかりだし、男同士で集まったらいやらしい話しかしないから。それが現実ってもんだ。
まあね。そんな妹が仲良く過ごしているんだから、あのクラブメンバーは人間性も寛容さも大丈夫なんだろうけど。
僕はつらつらとそういったことを考えながら、半曜日の校門を出ていつもの駐車場に向かった。
「アレンルード坊ちゃま。お洗濯物はこれだけですか?」
「うん。叔父上は?」
「レミジェス様は、本日は直接向かうと仰っておいででした。昼食はラウンジでとのことでございます」
「もしかして仕事が忙しかったのかな。僕、一人でも大丈夫なんだけど」
「そんな寂しいことを。ですが坊ちゃまが毎週お戻りにならないのでは、お嬢様が寂しがっておいででしょう」
「どうかなぁ。どうせクラブで戻らなかったりしてたから、僕が毎週お祖父様んちにいるのも気づいてないと思うよ」
迎えに来ていたウェスギニー邸の使用人が僕の荷物を受け取る。叔父が来てくれる時は、いずれ僕に譲ってくれると約束した針葉樹林の深い緑色の移動車なんだけど、仕方がないや。
地味なダークブラウンの移動車は、あまり僕の好みじゃなかった。やっぱりかっこいい方がいいよね。叔父の愛車はその気になれば崖から飛び降りても大丈夫なんだ。一度、湖に着水してもらった時はとってもわくわくした。
僕が乗りこめば、レスラ基地に向かって動き出す。
「旦那様と奥様が、最近は週末が近づくととてもご機嫌よくおなりです。奥様が坊ちゃまの練習用の服をかなりお買い求めになったようで、恐らく衣裳部屋に増えているかと。もしもよろしければ奥様に・・・」
「そっか。ありがとう。うん、お祖母様にお礼を言うの忘れないようにしなきゃね。なんかもう週末は帰ってるって言っても、ほとんど寝てるもん。あまり存在感無いと思うんだけど」
帰りは疲れきって移動車の中で眠りこけてしまい、邸に到着しても寝ぼけた状態でベッドに放り込まれているんだ。朝食時には一方的に僕が喋っているかもしれないけど、あまり祖父母孝行しているとは言い難い気がする。
「坊ちゃまのお健やかなお顔を毎週見ることができるというだけでも旦那様、奥様にとっては嬉しいことなのでございます。お嬢様もたまにはいらしてくださるといいのですが、フェリルド様のお帰りをあの家で待ちたいと仰られてしまえば無理も申せません」
「フィルはさ、そういうとこ駄目なんだよね。人と会う時に全力投球するせいか、それ以外だとおうちに閉じこもっていたがるから」
あれだけのいかがわしい本を、妹はいつの間にかどこかに移動させている。妹の部屋の本棚は、千冊程度しか置くことができないとかぼやいていた。同じ棚でも僕は色々な物を置いているけれど、妹は外国語の本に特化している。
どれだけ変な本を持っているのか、そして隠し場所はどこなのかなんて調べる気にもならないけれど、どうせ使っていない三階の部屋だろう。
三階には客室が並んでいるけれど、あの家に客は来ない。
「フェリルド様が別邸をお使いなのは昔からです。フェリルド様もお嬢様のお顔を見る度にほっとなさっておいででしょう」
苦笑する使用人は、こういう時に僕とアレナフィルの差を感じているのかもしれない。
僕がウェスギニー邸に帰るのは駄目になった服の処分や、疲れきって寝てしまう僕の世話をしてもらえるからだけど、同じ顔をしていてもそれがいずれウェスギニー邸で暮らすことになる僕の在り方なのだろう。
(まさかクラブ活動をここまで減らすことになるとは思わなかったな)
僕は毎週末にはレスラ基地に向かい、叔父やレスラ基地の軍人と共に尾行の仕方や戦い方を学んでいる。
それはエインレイド王子と一緒にいるアレナフィルの為だ。たしかにネトシル少尉や警備の人達はアレナフィルを守ってくれるだろう。だけど、そこにはれっきとした優先順位がある。
エインレイド王子を守る為ならば、たかが貴族子女にすぎないアレナフィルは見捨てられるのだ。
(母上を守れなかった父上のようにはならない。僕はフィルを誰にも傷つけさせない)
僕の半身。片割れのアレナフィル。
誰もが王子を守るのだとしても、僕だけは君を守ってみせる。だって僕は兄だから。
たった一人の手下を守れない男が、子爵になって領地を守ることにどんな意味があるだろう。本当に大切なものを僕は知っている。




