31 グラスフォリオンは気づいてしまった
時々、全ての変化はアレナフィルちゃんが連れてくるのだろうかと、俺は考えてしまう。
俺の名前は、ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。少尉ではあるが、現在、国立サルートス上等学校で用務員を装いながら王子エインレイドの警護を行っている。
どうせ警備員もいる学校内だ。退屈な仕事の筈だったが、何かと変化に溢れている。
何故なら俺は運命の出会いを果たしたからだ。橙色と黄色が混じったお日様みたいな髪をして、その瞳は深い森の色なアレナフィルちゃん。
同じ顔をした双子の兄との方が交流も多いが、それは叔父のレミジェス殿と一緒に試合観戦に行くからだ。そんな頼れるお兄さんポジションを確立しつつあった俺に、アレンルード君が相談してきたのは当然だっただろう。
「格闘術? どうせ暇してるからいいけど、俺でいいのかい? 寮監先生達の方が身近だろうに」
「だけどリオンさん、叔父のお友達ですし、何より強いんでしょう? そりゃ僕、誰よりも弱いですけど。僕、リオンさんが一番信頼できます。駄目ですか?」
「いいや。どうせ一人で鍛錬するより相手がいる方がいい」
そんなやりとりがあって、俺は毎朝、ウェスギニー子爵家の跡継ぎであるアレンルード君に格闘術を教えることになった。どうやらアレナフィルちゃんが、ウェスギニー大佐の次に強いのは俺だと言ったことも影響しているらしい。
「フィルってばあれで人を見る目はあるんですよね。なんかみんな強そうだなって僕は思ったんですけど、ここはフィルの評価を信じてみようって」
強くなりたければ強い人に教わること。アレンルード君はよく分かっている。照れるぜ。
だけどあの時、俺達三人、ちょっと体を動かしてみたが、何がアレナフィルちゃんの判断の根拠になったのかが不明だった。一番弱いとか言われたオーバリ中尉だが、そんなことはなかった。俺達では思いつかない戦い方など、やはり俺達よりも場数を踏んでいる理由はあったと感心したものだ。
だけどアレナフィルちゃんが酔っていたとはいえ、いい加減なことを言ったとは思えない。
(本当に面白い子なんだよなぁ。可愛く演技してるのって普通はウザいだけなんだけど、あの子の場合は笑かしてくれるし)
集音器で聞いた際、彼女は自分がどこまで喋ったのかと頭を抱えていた。つまり彼女はもっと多くの情報を握っているということだ。どこでそんな情報を手に入れたんだ?
あの強さというものの根拠は俺達も理解できなかったが、まあいい。つまりアレだろ? 要は俺についている鎖を外してしまえば、もっと強くなれるってことだろ? いいね、そういうのは好きだ。
問題はうちの家だ。ウェスギニー子爵家の娘が成人したら交際を申し込みたいのだがと、家族の前で言ったところ、真っ先に母から反対された。
「なんですって? もう一度言ってみなさい。よりによってウェスギニーの娘ですって? あなたは何を考えているの、グラスフォリオンッ」
「十分に考えた結果です。勿論、まだ上等学校に入学したばかりの子供に向かってどうこう告げる気はありません。ですが卒業する頃には交際を申し込み、いずれ求婚したいと考えています」
「何か言ってやってください、あなたっ」
「うむ。何故、ここでそんな跡継ぎでもない娘なのだ、グラスフォリオン。お前は虎の種の印が出ているのだぞ? もっといい家でそれなりの家があるであろう。勿論、エインレイド様がウェスギニー家の息子と寮で親しくなったというのは聞いている。だがな、だからと言ってその妹とは愚かな選択だ。お前にはこの父がいい令嬢を探してやろう。バカなことを考えるな」
父は俺の結婚もまたネトシル家の利益になるものを期待している。虎の種の印が出た貴族の男は、あちこちから婿として人気だ。勿論、分家として家に残ってもいい。
「それは遠慮します、父上。今まで父上が勧めてくれた令嬢で、俺が惹かれる人は一人としていませんでした。別にアレナフィル嬢とて、卒業する前にボーイフレンドができるようならば俺は身を引きます。何といっても彼女が卒業するまでそういった接触はならぬという陛下のご命令ですからね。ですが、俺はあの子が気に入ったんです」
「おいおい。ちょっと待てよ、グラスフォリオン。お前、子供なんかが好みだったのか? 意外だな、フォトぐらい持ってないのか? 見せろよ。何ならうちに連れてこい」
「黙っててください、兄上。あなたと違って俺は変態じゃありませんからね。数年後を期待しての俺の目は、あなたと違って曇ってませんよ。それにウェスギニー家の令嬢は礼儀知らずな男など、ただのゴミとしか思ってません。あまり恥ずかしいことを言わないでほしいですね」
家柄に本人の努力はなく、顔は生まれた時から大体決まっていて、ゆえに男が努力で作り上げられるのは筋肉だと主張するアレナフィルちゃんだ。
彼女は自分を礼儀正しく尊重する男かどうかを見極める目もかなり高い。あの誕生日会で、オーバリ中尉がぼろくそに言われたのがその証拠だ。
こんな兄を見せたら嫌われるかもしれない。うん、兄はちょっとそこらの地面に埋めておくべきだな。
「何を言っているのっ。ウェスギニー家はっ、ウェスギニー子爵のせいでっ、アンジェラディータがどんなことになったかっ。しかもアンジェラディータをまともに育てられなかったと、離婚騒ぎまで起きたのよっ」
「それとこれとは別でしょう。何よりアンジェ姉様はもう穏やかに地方で暮らしてらっしゃるではないですか。そりゃあ国境近くの村というのは安全面で気になりますが、少なくとも子爵の子供達は関係ないでしょう。どちらかというと、あちらが被害者だと思いますよ」
「あそこがどれだけ多額の賠償金を取ったと思ってるのよっ」
「払ったのはうちじゃないでしょう」
淡くオレンジがかった薄いピンクの髪に、薄い青の瞳をしていた彼女は、いつだって優しく微笑む人だった。
今、国境に近い鄙びた村でひっそりと暮らしているという。
けれどももうあの人に会ってはいけないと言われていた。だから俺は会いに行くこともなく、ただ時折、バイゲル侯爵家の誰かと話す時にその消息を聞くだけだった。
(一度、会いに行ってもいいのかもしれない。もう俺は子供じゃない)
俺も母から聞いた、ウェスギニー子爵家が平民の妻を殺されたということで多額すぎる賠償金を受け取って豪遊しているという話を信じていたのだが、アレナフィルちゃんの経済観念はかなり堅実だ。
一ヶ月分のクラブ予算を一年分だと思いこんだアレナフィルちゃんは、品質保証された老舗メーカー品を購入するという意味ではそこそこお金を使うが、浪費はしない。凄い量のまとめ買いには笑ったが、少年達の消費量を予測していたのだと分かる。賢い子だ。
生活費ぐらい持つから、もう婚約届出して今すぐ俺の所へ嫁に来てくれていい。それなのに放置されているという噂とは裏腹に、アレナフィルちゃん、実はウェスギニー家全員から愛されているお姫様だった。
いつでも偉そうに家族へお説教しているらしいが、そこが面白いらしく嫁に出したくない気配がぷんぷんしている。俺もあんなお説教なら毎日してくれていい。アレナフィルちゃんのお説教は相手への愛が溢れているんだ。
(疲れてそうだなと思ったらすぐ熱がないかとか、咽喉が腫れてないかとかチェックするし、栄養たっぷりな野菜ジュースとか飲まそうとしたりするもんなぁ)
やりくり上手なご褒美に、余った予算は飲食費として有効活用していいと、学校長に言われてご機嫌になっていたアレナフィルちゃんは、結果として王子の栄養管理をさせられていることに気づいていない。
いくら別邸で暮らしていると言っても、もう少し貴族らしく高価な品物やサービスに慣れ親しんでいるものだろうにと思い、親しくなったことを幸い、あの賠償金を生活費に使わなかったのかとレミジェス殿に尋ねてみた。
王子の護衛に当たるからこそ気づいた違和感ということにして、レミジェス殿にはそんなことを口に出す失礼さは俺が年下であること、そしてまだまだ若輩者であるがゆえの率直さということで目をつぶってもらった。ホント、レミジェス殿が寛容な性格で助かった。
そういう質問はあまりにも下品すぎると軽蔑されても文句は言えない。そこは俺がある程度の事情を話したことでレミジェス殿も理解を示し、丁寧に教えてくれた。
その賠償金は二つに分けて双子達それぞれの口座に入っているそうだ。そのことを子供達は知らない。
「たしかにかなりまとまった金額でしたね。ですが、うちの兄もちょくちょく療養中の部下をあの村に行かせているのだから、そんなものじゃないですか?」
「え?」
「怪我することも多い部隊ですからね。とはいえ、血気盛んな虎の種の印を持つ者ばかりが集められた部隊、療養なんて酒場で喧嘩騒ぎを起こすことだと思ってる集団です。それならもう国境近くの村に巡回に行かせて、ついでにひっそり暮らしている女性の手伝いでもしてこいと、兄は放り出しているのですよ。勿論、その女性に失礼な真似をしようものなら次の朝日は拝めないと思えと言い聞かせているようです」
「・・・そうでしたか」
兄に小間使い扱いされていると陰口を叩かれているレミジェス殿だが、子爵としての実態はこちらが受け持っているのだと、今の俺は理解している。
俺が口にしたことで、そういえばと俺と彼女との関係を思い出したようだが、どうもバイゲル侯爵家の誰かと親しいようで、大きな拒否反応もなく彼女の情報を教えてくれた。
「付近の住民も、いざという時にあれだけの軍人達を寄越してくれるかもしれないと期待すれば、彼女に対して不埒な真似など考えないでしょう。どちらかというと、彼女に去られる方が怖いと思いますよ。名目は国境付近の巡回となっていますが、誰もがまず彼女に挨拶して、力仕事は何でもしますと声かけしているわけですからね。問題は本気で惚れる男達が出ていることかもしれません」
「は? え? それはつまり・・・」
「ええ。あの村に家を借りて、休暇になると滞在する者もいるとか。こればかりは兄も本人同士のことで口出しできず、もう面倒だからと、いつからか考えないようにしていましたね」
「面倒・・・」
親子間の情報共有はどうしようもなくダメダメだが、兄弟間ではちゃんと行われているらしい。
だけど面倒って、それ、ひどくないか? そりゃそんなこと言えた義理じゃないが。
「兄とてこっそり治安の手助けはできても、男と女の惚れた腫れたまではどうしようもできません。兄や子供達が失ったものを思えば私も何も言えませんが、一般論として淑やかな年上の美女が僅かな使用人と共に暮らしていれば支えてあげたいと思う男も出るのでは? あの部隊は虎の種ばかりで構成されていますし、バイゲル侯爵家は黙認するつもりのようです。兄ももう過去を忘れてあの地を離れ、幸せになってくれればいいのにと言ってましたか。ですが彼女、村を美しい景色の広がる観光地にしてしまいましたからね」
「観光地ですか」
「ええ。季節の折々に可愛らしい花が咲くとても美しい村ですよ」
別にずっと泣き暮らしていると思っていたわけじゃないが、そこで何故辺鄙な村を観光地にしているのかが、俺には分からない。ついでに恋人になりたがっている男が複数いるという事態も意味が分からない。
(だってあの人、樹の種だったし、虎と言えばむちむちタイプが好みってもんだろ? そりゃ清楚系だけど虎の好みじゃなかったよな? あの人、身持ちも固いタイプだったし。だけどどうしてウェスギニー大佐があの人のことを気にかけてるんだよ。おかしいだろ。好きでもないくせにそういうことするから、あの人だって勘違いしたんじゃないのか。だけど・・・)
思えば今の彼女が実際にどうやって暮らしているのかなんて、うちの母も分かっていなかった。ただ、過去の恨みに目を曇らせて・・・。
俺もそうだった。過去の彼女の思い出ばかりを追いかけて、今の彼女を見ていなかった。
(実際にそこで暮らしているあの人の安全を考えて動いていたのが大佐だった。何だよ、それ。俺の方が余程カッコ悪いじゃねえか)
だから母とやり合い、ついでに父や兄達とも喧嘩して家を出たわけである。家を出たと言っても、どうせ男子寮に併設されている建物に寝泊まりしていたから全く困らない。エインレイド王子が卒業するまでに住居を考えなくてはならないだろうが、それまでに護衛担当の交代だってあるかもしれない。
(あ。だけどそういうことならウェスギニー家に下宿なんかさせてもらっちゃったり・・・・・・、俺の命日か。だけど家賃代わりに護衛ぐらいは・・・。いや、冷静になろうぜ、俺。やはり近くに家を借りるか)
アレナフィルちゃんは習得専門学校卒業後、あくまで役人になる未来設計らしい。
あの大きな目をくりくりさせて、書類を持ってきびきび働くアレナフィルちゃん。うん、いいかもしれない。俺はもう転職してもいい。だから是非、俺の秘書もしくは補佐として働いてほしい。
そんなことを思っていたら、やはりというか、そうだろうなというか、なるべくしてなったというか、王子の変装がばれ始めた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
俺とて学校のあちこちにある監視映像装置を使って見ていれば気づく。王子エインレイドの変装に気づいている生徒達がちらほらと出ていることに。
だが、そこまでして王子が王子扱いされたくないと示しているのに、それで近づこうとするのであれば、かえって王子から嫌われるだけだ。ゆえに誰もが遠巻きにするといった状態で様子を窺っていた。
「たしかアレナフィルちゃんは、王子に友達ができたら逃げる気満々だったと思うのだが。クラブを設立したから仕方がないと思っているのか、それとも忘れているのか。そしてこうなった以上、どう出るのか」
「アレナフィルちゃん、自分に危機が訪れないか、訪れてもどうにかなるようなら、そのまま忘れちゃうところがありますよね。入学時点で六年分の授業内容を終えてるわけでしょう? そりゃ学校には時間潰しに来ている気分だろうから、あまり周囲に気を配ってなくても仕方ないのかもしれません」
エドベル中尉とアルメアン少尉が、映像を見ながらそんな会話をしているのだが、俺達はアレナフィルちゃんの周囲に対する無関心さにちょっと驚いてもいた。
普通、あそこまで見られてたら怖気づかないか? なんであそこまで皆が見ているのにリラックスして大あくびとかできるんだ?
「うーん。あそこまで注目されていて気づかないアレナフィルちゃんが不思議すぎる。普通、あれだけ見られていたら怯えると思うのに。ルード君情報によると、子供の頃から見られるのには慣れているから、接触してこない限り意識しないってことでしたかね」
「ネトシル少尉。もうほとんどウェスギニー家から認められているのだろう? そのあたりを噂で流しておいた方がよくないか? 変な接触をされて、あの子に何かあってからでは遅い」
「できるものならやっています、エドベル中尉。ですがフォリ中尉、そしてオーバリ中尉も参戦している以上、今は足並みを揃えなくてはならないわけです。ガルディアス様は、エインレイド様がどう動くかをも含めて今しばらくは静観するつもりのようで、そうなればこちらもエインレイド様を優先いたします」
エドベル中尉は俺が家族と喧嘩して家を出たことを知り、そこまで本気ならばと俺に同情的だ。
だけどあの誕生日会に招待された俺達は、アレナフィルちゃんにいずれ蝶の種の印が出るであろうことを確信してしまった。
客観的に見て、今のアレナフィルちゃんは平民の母を持ち、その母を亡くしている上、過去には言葉や記憶を失ったというワケあり子爵令嬢だ。
しかしいずれ彼女に蝶の種の印が出て、更に双子の兄に虎の種の印が出たらどうなるか。あの二人は一気に価値を上昇させるだろう。確率的に次の世代にも虎もしくは蝶が出ると思われるからだ。
(そんな理由で望まれるなんざ可哀想すぎる。二人共いい子だ。だが、そんな四、五年後よりも今そこにある問題だ)
エドベル中尉だけでなく警備棟のメンバーは、アレナフィルちゃんが可愛いから傷ついてほしくないと思っている。
俺だってそうだ。何も知らせず、守ってあげたい。
だけど学校生活というものは生徒達で作り上げるものだ。肉体的かつ物理的な危険がない限り、手を出せない。
「こういう時は一番弱い存在、つまり唯一の女子生徒であるアレナフィルちゃんが狙われるだろうに。勿論、危険は排除するが」
エドベル中尉も暴力や強要などが行われないようにと、その辺りは守るつもりだが、それだけでは守れないことを案じていた。
「そこは伯爵家の二人に期待しましょう。あえて経済軍事部を外れた二人ですが、頑張ってますよ。何より全ての懸念を大人が取り除いてばかりいたら、自分達で乗り越えることができなくなります」
「まあな。だが、助けを求められたらちゃんと助けてやりなさい」
「はい。・・・頼ってほしいんですけどね」
そんなぼやきが口を突く。
アレナフィルちゃんは予測しにくい子だ。何かあればすぐ相談してほしいと伝えたが、あの子はどう出るやら。
(面白すぎる子だからなぁ。コグマのようにのっそのっそと大胆だったり、ウサギのようにびくびくと怖がりだったり、フクロウのように賢いかと思えば、ニワトリのようにお馬鹿さんだ。卑怯なことを考えてはお人好しすぎてドツボにはまっている。やっぱり天空に住んでた愛の女神様、間違って下界のウェスギニー家に生まれてパニック中なんだな)
そして、やはり女子生徒から接触されたのはアレナフィルちゃんだった。まあね、王子と一緒にいる四人の中で唯一の女子生徒だから当然か。
お茶会の招待状をもらったというアレナフィルちゃんは、映像監視装置の向こうで、グランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君にその招待状を見せていた。
― ◇ – ★ – ◇ ―
娘を思う親心があちこちに設置させた映像監視装置は、かなりの数だ。それらは警備棟にある映像室で見ることができる。
あの大佐、王子を思う責任者としての気持ちよりも、娘を思う父親としての気持ちの方が重すぎやしないだろうか。
おかげで手を抜けて助かっているが、ちょうど校舎の外にあるベンチにアレナフィルちゃんはダヴィデアーレ君を誘い出し、その封筒を見せていた。
アンデション伯爵家のローゼリアンネ嬢からの招待状。ダヴィデアーレ君にとって母方の従姉に当たる女子生徒だ。そしてアレナフィルちゃんは全く面識がない。
すぐにダヴィデアーレ君は事情を察したらしく、謝った。
『悪い、アレル。ローゼは出さないって言ってた筈なのに。うちからも苦情を入れておくよ』
『へ? いや、ちょうどこの日、予定があって、だからお断りのお返事を出したんだけど、ダヴィ、親戚なんでしょ? だから一応、知らせておこうと思っただけなんだ。だって私達、いつも一緒だし』
責めるつもりは全くなくて、友達だから話を通しておこうと、アレナフィルちゃんはそんな気持ちで彼だけを連れ出したらしい。慌てて手をパタパタ振る仕草に、彼もオレンジ色の瞳を細めて失笑した。
『ああ。なんかローゼも困ってた。ローゼは婚約届の書類を出してこそいないが、それなりに両家とも婚約を認めている相手がいるんだ。その婚約相手の妹から茶会を開いてくれ、そして僕の友達であるアレルを呼んでくれとねじこまれて、断りにくかったらしい』
従姉自身はアレナフィルという存在に対して何も思っていないのだと、ダヴィデアーレ君がそんな事情をアレナフィルちゃんに説明し始める。
映像室では俺だけではなく、寮監や警備の士官達もその映像に見入っていた。
『それで僕に招待状を持ってきて、アレルがどんな子か聞かれたんだが、僕がアレル、あまりそういうお付き合いはしたくないんだって話したら、それで引き下がってくれたんだ。ローゼの婚約相手の妹も、僕がアレルとよく一緒にいるというので、僕の従姉に当たるローゼならって思ったんだろうが・・・』
ダヴィデアーレ君は映像の中で、
「それなのに、どうしてやっぱり出してるんだ。断るって言ったのに」
と、悔しそうに唇を噛んでいる。
そればかりはどうしようもない。自分が思う通りに他人が動いてくれる筈がない。
アレナフィルちゃんも腹を立てているわけではなかったようだ。
『いやいやいや、それってそのローゼリアンネさんも被害者だよねっ? そりゃ結婚する相手の妹なんて小姑だもん。事を荒立てたくなかったのは当然だよっ。というかさ、そもそも私を呼んでどうしたかったの? ダヴィ、知ってる?』
『さあ? ローゼはかなりおっとりとした性格で、わざわざお友達になりたいのかと、そんな感じだったけど。あ、ちょっと待ってくれ、アレル。これ、名前部分だけ、ローゼの字じゃないかもしれない』
『は?』
招待状の宛名部分を、ダヴィデアーレ君はアレナフィルちゃんに指し示した。
『もしかしてその場で茶会に招きたい友達がいるとか言って、宛名を書いていない招待状を持ち帰って、更にアレルの宛名だけ自分で書いたのかもしれない。だってほら、この招待状、アレルの宛名だけインクの色が僅かに違ってるだろう? ついでに招待状の封蠟が薔薇模様だ。だけどローゼは昔から何かと名前に因んで薔薇グッズをもらうものだから、実は薔薇のモチーフが嫌いなんだ。たしかローゼは違うモチーフを封蠟に使っていた筈だよ』
よくある話だ。花や宝石にちなんでつけられた名前だと、誕生日にはその花や宝石をあしらったものばかり贈られるので、いい加減飽きが来る。
名付けた親の好みと名付けられた子の好みが一致するなら誰も苦労しない。
『ホントだ。私の宛名とローゼリアンネさんの名前、インクの色が微妙に違う』
『ローゼはたしか自分なりのインクをその場で作るんだ』
『そっか。じゃあ書き上げてしまってそのインクを処分したら同じインクは作れないんだ』
言葉はとても感心しているといった様子だが、アレナフィルちゃんの表情は、「そんな面倒なことする人いるんだ」と、あからさまに語っていた。
『そうなるな。まあ、ローゼ自身は自分で割合を覚えているんだろうが、人には作れないと言うだろう。だから招待状を手に入れた相手が、手元にあった近いインクを使ったのかもしれない。招待状はそういう悪用をされるから相手の名前を知らずに出したがる貴族はいないんだが、・・・ホント、無茶苦茶やらかしてくれるな。これでアレルに何かあったらローゼの責任になるじゃないか』
『だよね。そーゆーこそこそしたのって嫌い。他人に自分の責任を押し付けるなんてひどいよ』
怒り始めるアレナフィルちゃんは、自分を招待したい人こそが名乗って来いと、ぶつくさ文句を言い始める。
どうしよう。あのぷぅっと膨らんだ頬が可愛くて指先でつんつんしたくなる。なんて可愛いんだろう。
『ああ。ごめんな、アレル。ローゼにはちゃんと伝えておくよ。いや、婚約相手の母親、うちの母の友人の一人だ。わざわざローゼの名前で、エリー王子が気に入っている男子生徒の妹にローゼが知らない招待状を出そうとしたと伝えておこう。叱責はされるだろうが自業自得だ』
『えっと、だけどダヴィ。その婚約者の相手って侯爵家じゃないの? 立場、悪くなるのは悪いよ』
『気にしなくていい。親が知らない方が問題だ。だが、どうしてアレルが侯爵家って知ってるんだ?』
『えーっと、実は学校生徒のフォト名簿、見たから?』
ウェスギニー家の極秘情報によると、アレナフィルちゃんの正体はうっかりウサギの精霊だそうだ。父親が嘆く気持ちがよく分かる。
在校生のフォト名簿などを持っているのは、学校関係者だけなのだよ? そんなものを見ることができたという時点で、君は特別待遇されていることをうっかり喋っていることに気づいているかい?
ダヴィデアーレ君はそれについて騒ぐことも指摘することもなく、全てを消化できる賢い生徒だった。さっさと結論に入る。
『ま、一つや二つ、年上程度なら十分に妃候補になれるからな。先にアレルを潰しにかかったか』
『ちょっとちょっとっ。勝手に潰さないでっ』
ダヴィデアーレ君は周囲の様子を慎重に見渡し、誰もいないことを確認してから低く囁くような声でアレナフィルちゃんに問いかけた。
『アレル、レイドはエリー王子だな?』
『・・・・・・な、何のことか分からないな』
ぎくっとしたアレナフィルちゃんは、棒読みでカッコよくしらを切ろうとする。そして目を泳がせた。
もうこれはアレだな。女神様は純粋培養で清らかに成長するから、下界の嘘というスキルを身につけられずにいるんだろう。うむ、やはりここは年上趣味でいこう、アレナフィルちゃん。
身も心も汚れた俺を遠慮なく利用してくれ。君を取り巻く俗世間から、喜んで君を守る。
(どれだけ嘘をついてもウェスギニー家が放置している理由はコレか。嘘が嘘になってねえ)
貴族令嬢と言えば常に微笑みを忘れず、何があろうとその裏に全てを隠す笑顔の仮面を身につけていなくてはならない。
いいよ。もうアレナフィルちゃん、社交界に出さなきゃいいだろ? そこはウェスギニー大佐に完全同意だね。俺以外の奴なんぞに見られなくていいよ。
あの双子に関してはあまりにも謎だらけだったが、知れば知る程理解できてしまう自分がいた。
「どうしよう。アレナフィルちゃんの嘘が下手すぎて、俺、もう見てられない」
「俺もだ。ダヴィ君、あまりの嘘の下手さに、一気に脱力したぞ。あ、持ち直した」
カルクレ少尉候補生が片手で両の瞼を覆えば、レンノ少尉候補生が同意する。
『とぼけなくていい。ディーノと僕だって、頭はあるんだ。いくら幼年学校で距離を取っていたからと言っても、顔立ちは変わらない。何よりクラブ活動といえばどこもメンバー確保の為、掲示板に広告を出すっていうのに、うち、全く出してないじゃないか』
『だって、あのクラブは私の為にあるクラブだもんっ』
言いきっちゃったよ、アレナフィルちゃん。
そうだね。もう君、あそこの主と化してるよね。ついでに王子の存在がばれてない時なら、募集をかけたところで誰も集まらなかっただろうね。そして今なら応募が殺到するよ。
『それがおかしいって話じゃないか。警備棟の中にクラブルームがあって警備は万全、しかも子爵家の縁戚にあたる平民と言いながら、あそこまで教養が身についている平民がいるわけないだろう』
『へ? 何それ』
『何それじゃないっ』
そこでエドベル中尉が呟いた。
「アレナフィルちゃんを問い詰めるとは無駄なことを。そもそもアレナフィルちゃん、過ぎたら全て忘れる子だ」
映像室にいた誰もが、うんうんと大きく頷く。
エインレイド王子を巡るアレコレで、いつしか俺達はアレナフィルちゃんを完全把握していた。
アレナフィルちゃんには「あの時、こうだったじゃないか」は言っても無駄だ。そこは「あのね、これはね、こういうことなんだよ」にしておけ。自分の精神安定の為にも。
『この間っ、フォリッテリデリーで、あまりにもボリューム凄すぎるからって減らしてもらったら、代わりにフルーツをもらっただろうっ。バナナとか、マンゴーとかっ』
『ああ、うん。美味しかったよねー。やっぱり夏になったらもっと安くなるかなぁ。今はまだ高くて手が出ないけどぉー』
両頬に手を当ててうっとりとし始めるアレナフィルちゃん。
塩分や糖分、油脂分の摂取を控えるようなクラブを立ち上げておきながら、アレナフィルちゃん自身は真逆の世界で生きていた。
『そっちじゃないっ。大体っ、僕達がバナナは手で剥いて食べてっ、パパイヤとかマンゴーはアレルのフルーツナイフでカットしてもらったっていうのに、レイドは全てカトラリーで食べてたじゃないかっ』
勿論、ダヴィデアーレ君やベリザディーノ君、そしてこの映像室の士官達全員、その気になればカトラリーで上品に食べることは可能だ。だけどやる奴なんていない。
貴族のマナーとして果物をカトラリーだけで食べる作法は習っていても、現実的に丸ごとの果物が皿に載って出される筈もなし、知ってはいるが使わない死蔵マナーだ。
「考えてみればエリー王子、平民的な食事のラフさ、知るわけがなかったですね」
「そんな食べ方までの報告は来ませんでしたしね」
俺達も言われて気づいた。王子は常に上流階級の人としか食卓を共にしたことがなかったのだと。
お付きの者がいない外食など、まさに上等学校に入ってから経験しているエインレイド王子だ。ドルトリ中尉が納得すれば、ドネリア少尉もその盲点に気づいたらしい。
丸ごとの果物を出された。だからカトラリーで食べよう。そんなところだったのだろう。
『器用なんだなって、そう言ってたくせに』
そこで何故か、
「後から言い出すのってケチ臭すぎだよ」
と、文句を垂れているウェスギニー大佐言うところのうっかりウサギがいた。
ウサギさん、ウサギさん、君はそこで何も思わなかったのかな?
いや、アレナフィルちゃんのことだ。王子がカトラリーで果物を食べていたところで、さすが王子様とか思ってそれで終わっていそうだ。うん、それで終わったな。
そしてきっと自分も美味しくフルーツ食べてご機嫌だったんだね。見てなくても分かる。
『他に言いようがないだろう。何よりあそこまでテーブルナプキンを全く汚さない食べ方ができる時点で、誰がどう見ても作法を叩きこまれた貴族以上じゃないか。あっちが子爵令息でアレルが平民っていうのなら理解もできたが、あまりにもおかしすぎるだろう』
『すみませんね、テーブルナプキン汚しまくりで』
何故そこで喧嘩を売るのか、アレナフィルちゃん。
「ちゃんと皮を剥いてあげたのにさ」
って、そういう問題なのか?
アレナフィルちゃん、アレナフィルちゃん、ダヴィデアーレ君達は、あえて騙されてくれていたんだと思うよ?
さすがに彼もむっとしたらしい。
『アレル、これでも僕とディーノは先に下見でフォリッテリデリーに行っていたんだ。僕達五人が行った日はどの店員も来店客も親切だったが、下見の時はかなりガラが悪かったぞ。酒だって皆が飲みまくってはゲラゲラ笑ってたし、音楽は大音量で耳が潰れるかと思った』
レイドと名乗っている少年の正体は王子じゃないのかと悩んだ二人は、外出時に何かあったらまずいと考えたらしい。
あえて経済軍事部を避けた二人だが、それは家庭内の立場を考えてのことである。自分達がレイドと呼んでいる男子生徒の正体が王子であるならばその安全を配慮しておくのは自分達の義務だと、他の店もチェックしておいたそうだ。
まあね。軍基地近くの飲食店なんて、どこもストレス発散で騒ぎまくってるわな、普通。
それなのにアレナフィルちゃんは、自分も我が儘になって騒ぎまくるお酒の記憶が残っていたのか、うんうんと頷いた。
『お酒が入ったら誰しも明るくなるよね』
『それなのに、僕達五人が行った日には、ガタついていた椅子やテーブルは全て補修されていたし、僕達が注文する時も、他の客が親切にどれが美味しいとか、こういう味付けだとか、色々と教えてくれるときたものだ。おかしいだろう? まるで僕達の為に親切な客という人達を配置していたかのように』
その通りだ。王子が行く日には店員も客もこちらの仕込みで揃えてある。
顔見知りがいたらおかしい為、学校内でついている護衛や警備は行かないが、そこはレスラ基地に任せることになっていた。
『可愛い子には親切にするって普通だと思う。それ、ダヴィとディーノが可愛くなくて、私とリオとレイドが可愛かっただけじゃないの?』
『アーレール?』
『・・・すみません』
これ以上、悪足掻きを続けるのならば考えがあるぞと匂わされ、さすがのアレナフィルちゃんも諦めたようだ。
だけどそうなれば次に行くのがアレナフィルちゃん。
『それで二人共どうするの? 王子様に近づきたくないから違う部を選んだんだっけ。じゃあ、クラブも退会するんだ?』
『勝手に決めつけるな。どうして最初に言ってくれなかったんだ。僕とディーノがどれだけ気まずい思いをしたと思っている。なんで僕達が全く知らなくて、他の人からレイドの正体を聞かされなくちゃいけないんだ。まさかと思いながらも、もしも本当だったらまずいから、二人で下見にも行ったんだぞ』
『えっと、・・・お疲れ様?』
ダヴィデアーレ君の溜め息が深い。
こういう時は自分達の事情を話して理解を求めるものなのに、アレナフィルちゃん、もう次のことに意識が行っているからだろう。
分かりやすくダヴィデアーレ君達の状況を語れば、労われてしまった。
いやいや、アレナフィルちゃん。彼が求めているのは事情説明だよ。
「アレルちゃんですからね」
「アレルちゃんだからなあ」
男子寮で寮監をしているドネリア少尉とマシリアン少尉が分かり合っている。
フォリ中尉はダヴィデアーレ君の表情を観察し続けていた。
『一緒に食べてるベルナ達も、もしかしたらお妃候補として気に入っているのかもしれなくて、だからアレルが目くらましとして一緒なのかと悩んだし、僕達がどれだけ二人で頭を掻きむしったと思ってるんだ。しかも一緒に帰宅しているアレルがその正体を知らない筈がなくて、だけど僕達に何も言ってくれないってことはどういうことなのかって、ずっと考えこんでいた。どうして少しでも匂わせるとかしてくれなかったんだ』
『どうしてって、・・・だって、別にどうでもいいかなって』
『は?』
ダヴィデアーレ君、アレナフィルちゃんを睨んだところで存在しないものは出てこないと思うよ。
アレナフィルちゃんにとって、そこまで深刻なことではなかったのだ。彼女にとって大切なのは王子の正体ではなく、自分が全校生徒にいじめられないかどうかだけだったのだから。
『そんなの言われてもぉ、私だってぇ、まさかレイドが変装してまで、王子様ブームに浮かれている人達から逃げ出したがっているなんて思わなかったんだもん。そりゃあ最初は私と二人きりだったし、変な誤解されたらまずいかなぁと思ってたけどぉ、その後でディーノが加わったから、正体がばれたらディーノに任せて私は逃げればいいかなぁって思ってたしぃ・・・』
『最低だな、アレル。お前一人だけ、一目散に逃げだすというのか』
言い訳がましく語尾を伸ばしているアレナフィルちゃんは、どうにか言い逃れようと時間稼ぎをしていた。
観察し続けてきた俺達にはもう分かっている。
アレナフィルちゃん、口では立派なことを言ってみるがその根底にあるのは我が身可愛さだけで、だから逃走しようとしてはお人好しっぷりで全てを無駄にしていく、とても残念無念な子なのだ。
そんなアレナフィルちゃんの言葉を真面目に受け止めたダヴィデアーレ君が、険しい眼差しで詰っている。
いやいや、君達に王子のことを押しつけようと企んでいながら、どっぷり自分から罠の泉に飛びこんだのがアレナフィルちゃん。
仕方ないだろう。ウサギさんは臆病な卑怯者だが、いい子なんだ。
『だってっ、だってうちっ、吹けば飛ぶような子爵家なんだよっ? それこそ全校生徒からいじめられちゃうっ。ディーノやダヴィは伯爵家だし、学友としても十分いけるけど、うちは無理だよっ』
『別に婚約者候補というわけでなし、そこまで考える必要もないだろう。それに貴族なら・・・、まあ、別にアレルをどうこう思っているわけじゃないが、そりゃアレルは候補になるとは僕も思ってはいないが』
『別に気を遣わなくても、母親の件があるから貴族令嬢としては私、かなりランクが落ちるってはっきり言ってくれていいけど?』
ずばっとアレナフィルちゃんが切りこんだ。
王子のことに気づいたならば、アールバリ伯爵家のベリザディーノとグランルンド伯爵家のダヴィデアーレも貴族として当然、最初から王子と共にいたウェスギニー子爵家のアレナフィルについて情報を集めただろう。
どうせその前に、同じクラブの女子生徒として家族が彼女についてある程度を調べただろうが、エインレイド王子が絡むとなれば真面目な話となる。
伯爵家の跡継ぎではない息子ならば自由恋愛的に悪くない相手だっただろうが、彼女が王子の相手として妃となるかもしれないと考えて情報を集めたならば、かなりアレナフィルちゃんは厳しい条件だっただろう。こういった情報は、友情などより優先される。
(ウェスギニー子爵家の実質は、先代と次男だ。三人で子爵という存在を成り立たせているあの家は全く分裂しておらず、安泰だ。問題は、次の世代を産んだ子爵夫人が平民出身であることだろう。もしもウェスギニー大佐が貴族の後妻を迎えて子供を産ませたら、そちらに跡継ぎという立場をルード君は持っていかれる。そしてアレナフィルちゃんも適当な家に嫁に出され、その子達が嫡子扱いとなる。・・・普通ならば)
母親という庇護のないアレナフィルちゃんは、社交界で自分の道筋をつけてくれる存在がいないのだ。
貴族令嬢としてはかなり厳しい道となる。祖母のマリアンローゼ殿も後妻で、血筋的にいいのは亡くなった先妻の方だし、その先妻は長男と次男が成人する前に亡くなっている。
母親代わりの祖母マリアンローゼ殿では、社交界に対してそこまでの力と人脈がないのだ。
社交界に出さないという判断は、恐らく娘に不快で辛い思いをさせない為でもあるだろう。
母親が平民であり、殺されたこと、そして自分も一時期はおかしくなっていたことを全く卑下する様子もなく、そういうものだという割りきりぶりで言ってのけたアレナフィルちゃんに対し、ダヴィデアーレ君は唇を歪めた。
(そうだよな。一緒にクラブを立ち上げ、楽しく過ごしていた友達だ。その友達が勝手に大人の事情で低い価値をつけられていたと知ったなら悔しかっただろう)
俺ですらブチ切れて家族とやらかした。扶養されている少年達では、そこまで怒ることすら許されなかったに違いない。
『アレル、言っておくが僕は、ディーノもだが、僕達は君のランクが落ちているなんて考えたことはない。こんなひねくれた招待状を寄越そうとするような女子生徒の下劣さに比べれば、アレルは聖なる乙女のように高潔だ』
『あ、・・・はい。それは、・・・どうも』
彼なりに、自分は君の味方だと伝えたかったのか。
「うん、青春だな」
「水を差すようですが、エドベル中尉。そもそもアレナフィルちゃん、気にしてたりなんかするんですか? だってウェスギニー家唯一の令嬢でしょう? しかも卑屈になることなくアレナフィルちゃん、常に願望が駄々洩れですよね? 何よりこの年でフォリ中尉とネトシル少尉に望まれ、エインレイド殿下と親友なんですよ? 貴族令嬢のトップ爆走中じゃないですか」
感動しているエドベル中尉には悪いが、俺もアルメアン少尉に同意だ。
貴族令嬢としてはかなり分の悪いアレナフィルちゃんだが、貴族令嬢としての社交点数はゼロどころかマイナスでも、本人の魅力が突出しすぎている。
そしてもしアレンルード君に虎の種、そしてアレナフィルちゃんに蝶の種が出たならば、そういった種の印がとても出やすい血筋という希少価値で、一気に結婚相手としての価値を上昇させるだろう。
『僕達だって考えた。実はアレルは王子の秘密の恋人で、だけど妨害を恐れてこんなことをしているのかと。だけどアレル、君の趣味はあまりにもおかしかった』
『・・・私の趣味が?』
どこがおかしいというのだと、アレナフィルちゃんが首を傾げた。
ダヴィデアーレ君は、やっと自分の言葉が通じたのかと言わんばかりの表情で大きく頷く。
『大体、何なんだ。男は年上じゃないと駄目だとか、しかも筋肉が必要だとか、更には束縛だけは駄目だとか、要求度は高いくせに全く自分はそれに見合うものを持たない。しかも紫系の髪の人は多いというのに、紫系は人を狂わせるとか変なこと言い出すし、君は一体、どこまで不敬を重ねる気だ』
この学校でも一番多い髪の色は紫だ。
しかしアレナフィルちゃんは紫の髪の毛というのは人の理性を狂わせる、セクシーな色だと主張していた。特に茄子のような深い青色と紫色と黒色とが混じり合った色にこそ、それがあるのだとか。
意味が分からない。
俺達だってその言い分に首を傾げたものだ。
何故ならアレナフィルちゃんが夢中な父親と叔父の髪の毛は、よく熟れた玉蜀黍を思わせる色合いだったり、淡い黄色だったりしている。何より本人、紫に染めたエインレイド王子の髪の毛に全く反応を示していないじゃないか。
『だってっ、それ好みの話だったしっ。文句あるならダヴィだってみんなだって、好きな女の子のタイプ言えばいいだけなのにっ、なんで私だけ責めるのっ』
『世間の貴族令嬢なら恥じらってそういうことは口にしないと決まっているんだっ』
果敢に言い聞かせるダヴィデアーレ君は、今こそクラブメンバー唯一の女子生徒を更生させようとしている。
だけどアレナフィルちゃんは冷静に指摘した。
『個性の否定はどうかと思うよ、ダヴィ』
『個性じゃなくて礼儀知らずな女子生徒を責めてるだけだ』
そりゃそうだ。相手は王子エインレイド。
貴族として礼儀をわきまえろと、言いたくもなるだろう。そんなアレナフィルちゃんだからこそ王子が気に入ってこんなことになっているのだが、そうと知らなければ言いたくもなる。
俺はレミジェス殿やアレンルード君と交流したことでよく理解できたが、寮監達の中にはやはり不快に思っている者もいるだろう。表面上はともかくとして。
そしてフォリ中尉も理解している。
ただ気に入られて愛されるのを待つだけの貴族令嬢の枠から、とっくにアレナフィルちゃんがはみ出しているどころか、その枠内にいないことを。
『ひどいっ。ダヴィだって礼儀知らず仲間のくせにっ。王子様にスコップ洗わせたのダヴィだよっ』
『知ってたらそんなことしなかったっ』
『それは言い訳っ』
あのね、アレナフィルちゃん。
どうして君が彼を責める立場に立っているのかな?
(怒られたくないあまり、相手を責めることで問題をうやむやにする気だ。なんて卑劣な手を)
ダヴィデアーレ君の面食らった顔は、なんでそうなると、そう雄弁に語っていた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
さすがに周囲がこうなってくると、王子もいつまでも知らんぷりしているわけにはいかないと思ったのだろう。
クラブメンバーが警備棟の第2調理室に集まり、仲良く調べ物をして、アレナフィルちゃんがどう考えても高カロリー高脂肪な飲み物を作って休憩することにしたところで、口を開いた。
『あ、そうだ。ごめんね、みんな。僕の正体がそろそろばれ始めたみたいなんだ。色合いを変えただけだったから、長持ちはしないと思ってたけど』
既に自分の正体はみんな分かっているよねと、そんな前提で話し出す王子は変なところで押しが強い。
『あ、チョコレート、おっきな欠片が落ちちゃった』
カップの上でチョコレートをすりおろしていたアレナフィルちゃんがそんなことを呟くのだが、どうせ溶けるだけじゃないのか?
だけどね、アレナフィルちゃん。泡立てたホットミルクに蜂蜜入りコーヒーを混ぜて、更に冷凍してあったホイップクリームを浮かべるばかりか、誕生日にもらったチョコを削って上にトッピングしたそれ、飲み物というよりも甘いお菓子に入るんじゃないのかって、俺はいつも不思議だ。それともやはりあれは飲み物なのだろうか?
さすがに皆も自分の好みが出てきたのか、泡立てたホットミルクだけでいいとか、生クリームが甘いから蜂蜜は入れなくていいとか、チョコレート粉末よりもキャラメルシロップがいいとか、それぞれにカスタマイズしているようだ。
そして自分の話よりもチョコレートの欠片に意識が行っているアレナフィルちゃんを放置し、何事もなかったかのように王子は話を続けている。
『ところで僕、アレルの双子の兄のアレンからは、思いっきり避けられてるんだけど、こうなると君達からも避けられるのかな?』
レイドと呼ばれていた少年が、流しで髪をジャバジャバ洗ってペイント剤を落とせば、紫色の髪が淡い淡紫の花色に変化する。そして眼鏡を外してしまえば、ローズピンクの瞳の王子様。
驚いていたのはマルコリリオ君だけで、焦げ茶色の瞳を丸くしてあわあわあわといった感じだった。
アレナフィルちゃんはそんなことよりも水が垂れた床が気になるようで、じーっと見ている。
そしてベリザディーノ君とダヴィデアーレ君は、とても疲れきったような顔になって、はああっと息を吐いた。
『勘弁してくれ。いや、してください? どうして気づかないフリしていたのに、そういうこっちの努力を無視してくれるんだ』
『諦めろ、ディーノ。もう無理だろ。ここ数日、遠巻きにしている奴らが多すぎた』
伯爵家の息子達だけがまともな反応である。すると自分だけが知らなかったのかと、マルコリリオ君がショックを受けた。
『え? え? えーっと・・・? ちょっと待って、みんな。もしかして気づいてなかったの、僕だけ?』
『大丈夫だよ、リオ。私も気づいてなかったから』
アレナフィルちゃんが、私は味方だとばかりにマルコリリオ君の肩にぽんと手を置く。
相変わらずばればれな嘘がひどい。これはもう才能だ。
『ちょっと待ってよっ。アレルが知らない筈がないよねっ? ちょっと待ってっ。それこそ僕っ、なんかとっても場違いなところに来てたっ!? ど、どうしようっ。どうすればいいんだろうっ』
『うわぁ、何それ。学生が学校に来ていて場違いってどーゆーことぉ? リオってば何しに学校来てるの? 学生の本分、忘れすぎだね』
『まぜっかえさないでよっ、アレルッ』
マルコリリオ君の狂乱ぶりをアレナフィルちゃんに押しつけたベリザディーノ君とダヴィデアーレ君、そしてエインレイド王子は仲良く話し出した。
『レイド。髪、きちんと拭いておかないと風邪ひくぞ。ほら、ちゃんと拭けよ』
『大丈夫だよ、これぐらい』
『ディーノの言う通りだ。ちょっと温風器借りてくるよ』
きちんと髪の毛を乾かしてセットしてからじゃないと人前に出てはいけないと思っていた王子は、男子寮やクラブメンバーと一緒にいるうちに、ほったらかしにしている男子生徒があまりにも多いことに気づき、最近は真似するようになっている。
警備棟の更衣室から温風器を勝手に取ってきたダヴィデアーレ君が王子の髪に温風を当ててあげれば、ベリザディーノ君もタオルで水気を取って櫛を当て、軽く括ってあげていた。
恐らく二人の頭にあったのは「風邪をひかれたら困る」というものだろう。
アレナフィルちゃんは、「うわぁ。二人共、甲斐甲斐しいなぁ」という目で見ていたが、貴族の二人は王子が体調を崩した場合、その前に何をしていたか調査されることを知っているのだ。
肝心のエインレイド王子は、鍛錬を欠かさないのでそうそう風邪などひかない。
『って、僕の為だけに色を落としてくれたの? ごめん。あ、そうだ。ちょっと待ってよ。そろそろばれ始めたって、結局どうなっちゃうの? もうレイドとは一緒にいられないの? 僕、クラブ退会しないといけないんだ?』
『そうじゃないってば。リオ、僕だって言わないですむならずっとこのままでいたかったんだけど、なんかやっぱりばれ始めたらどうしようもないだろ? それならもうみんなで話し合うべきかなって思ったんだ。そもそも僕、王子だからって寄ってこられることがとても嫌だったんだよ』
『え・・・。そっか。そうだよね。そうじゃないと、こんな変装なんてしないよね。ごめん、レイド。取り乱しちゃって』
温風器を片づけに行ったダヴィデアーレ君が戻れば、五人は相談し始める。
何故かテーブル代わりの調理台にポテトチップスが出ているのだが、あそこのクラブ、名称と実態、何かが間違っていないだろうか。
『たしかにいつまでも騙しとおせるとは誰も思っていなかった。だけど二ヶ月近く騙しとおせてしまった。これは快挙と言うべきではないかと、私は思う。レイドは自信を持っていい』
『うん、アレルはいつでも前向きだね』
『まあね。だってうだうだ考えててもどうしようもないもん』
アレナフィルちゃんは、状況が変われば一気に意識を切り替える子だ。今もエインレイド王子とそんなやりとりをしながら、残りの三人の出方を見ていた。
既に覚悟を決めているのか。
『でさあ、ディーノとダヴィとリオはどうするの? これでもレイド、普通の生徒してみたいって、みんなに囲まれてちやほやされるのが嫌で変装してまで一般人生徒してたわけだけど、さすがに隠し通せなくなってきたみたいだよね。そりゃあレイド、王子様だし? 命令したり学校長先生に話を通したりすれば、みんなも逆らえないって分かってるわけだけど? それでもさ、友情とかって強制するもんじゃないから、王子様とは距離を置きたいならそうはっきり言ってあげた方がいいと思う。中身のない友情なんかを続ける方が空しいだけだもんね』
アレナフィルちゃんは、心に嘘をつきたくないポリシーの持ち主だ。バレバレな嘘はよくついているが、結局は自分のしたいことや好きなことに我慢をしたくないのだろう。
だからエインレイド王子が一番に彼女を捕まえた。何かと、
「王子様なんて面倒だし、近づいたら身の破滅」
とか言いながら、それでも生徒の立場から
「王子様のことをもう少し考えてあげなよ。気の毒すぎるでしょ」
と、彼の境遇に本気で同情して大人達を相手に喧嘩を売った彼女を。
今だって男の子達三人を前に、嘘の友情なんかを差し出すような薄汚い真似はするなと、そんな表情を浮かべている。
くりくりした針葉樹林の深い緑色の瞳は、とても雄弁だ。
かえってエインレイド王子の方が三人に同情してしまったらしい。くすくすと笑い出した。
『それこそアレルが一番に逃げ出すと思ってたな、僕は。だって王子様とは距離を置きたいって、あれだけ言ってたじゃないか。僕を目の前にして、王子様になんか近づきたくないってあれ程主張されるとは思わなかったよ』
『そりゃそうですけど。今でもそうなんですけど。・・・・・・だけどレイド』
今でもそうなのか。正直すぎるぞ、アレナフィルちゃん。
だけど王子はもう傷つかない。口先の言葉よりも、行動に現れる真実を見ているからだ。
『信じられない。いくらビーバーでも、本当にそんなことを本人に向かって言ったのか』
『聞かなかったことにしよう、ディーノ。もうアレルは理解不可能な生き物だと思おう』
『アレルって凄いね。どうやったら王子様を前に貴族令嬢がそんなこと言えちゃうの?』
こそこそと三人が呟いているが、アレナフィルちゃんはエインレイド王子をまっすぐ見つめている。
そんな力強い表情もできるんだね。
映像室では皆が注目していた。
『それこそ見かけたことがあるだけの王子様なら、そんなものだったと思います。だけど私達は一緒に遊びに出かけて、買い物もして、ご飯だってお茶だって、何度もしている友達じゃないですか』
いつもは口から出まかせのような立派なセリフを吐いて終わらせるアレナフィルちゃん。だけど今の彼女は自分の心をありのままに伝えようとするかのような顔で、エインレイド王子から目を離さずに話した。
『私達の間には、ちゃんとお互いに対する気持ちがあったと、私は信じてます。あなたが心を許せる親友ができるまで、私はあなたを一人にはしません。大丈夫、いざとなれば大人に全ては押しつけてしまえばいいんですよ。そうでしょう?』
『あはは。言うと思った。アレルって本当にそういうところが卑怯っぽいくせに、男前だね』
『失礼なことを。私はいつでも正々堂々ですよ』
ああ、そうか。ベリザディーノ君達という友達ができて、それでも君がまだ逃げ出さなかったのはそういう理由があったから・・・・・・なのか?
単にクラブのメリットに流されただけじゃないのか?
うーむ。見極めきれないところがアレナフィルちゃんなんだよなぁ。
しれっと大人達のせいにして後はうまくやろうと誘っているところが卑劣っぽい。
エインレイド王子と自分のマグカップを、小さくこつんと当てて乾杯みたいなことをしているけれど、・・・アレナフィルちゃん、もうほとんど中身残ってないね、それ。
『こらこら。なぁに二人でいい空気を作り上げてんだ。そりゃあ、エリー王子となればこっちも敬語は遣わなきゃならないし、正直、そんな本当のことなんてどれだけの人にばれても僕達には言わないでくれればずっと騙されていられたってとこだが、こうなったらしょうがないだろ。正々堂々、変装してますがそれがどうかしましたか? でいりゃあいいと思うね』
ベリザディーノ君が、アレナフィルちゃんの頭にぽんと片手を置いて、テーブルにもう片方の手を置く。
言わないでくれればずっと騙されていられたのにというのは、ダヴィデアーレ君も同じ気持ちなのか。
二人もまたとっくに覚悟を決めていたのだろう。
『ぼ、僕もっ、僕もそう思うっ。そりゃあ僕だって本当は近づくのも恐れ多いって立場だしっ、図々しいって言われてもおかしくないけどっ。だけどっ、それならとっくに弾かれてたと思うしっ。せっかくお友達になれたんだし、そりゃあ、長くは続かないのかもしれないけど、やれるところまで友達でいたいよっ』
泣きそうな声のマルコリリオ君は、どうしても身分差を考えてしまうのか。あの伯爵家だけでもびびっていた子だ。
『なんでそうリオってば後ろ向きなんだか、押しが強いんだか分からない人生歩んでるんだ? だけどさ、レイド。僕も立場上、皆の前では敬語で話すしかない。どうせならできるところまで騙してくれるとありがたいよ。だって折角のレイドっていう親友を失いたくない。勿論、エリー王子もいい王子様だ。だけど、やっぱり恐れ多いだろ? そう思わないか?』
『僕に同意を求められても・・・』
ダヴィデアーレ君が、自分達は王子様の取り巻きをしたいのではなく、あくまで君とこういう親友でいたいのだと、己の心を告げれば、まさに青春だ。
うんうんと、気恥ずかしい空気が映像室にまで流れこんできた。
『ほら、レイド。みんな、王子様だからじゃなくて、レイドだから友達でいたいんですよ。ね? それはレイド自身の魅力って奴です。私が言った通りだったでしょう? 変装して別人だからこそ、この友情はレイド自身が得たものだったんですよ』
『そうだね、アレル。君の言った通りだった』
自分は偉いと胸を張るアレナフィルちゃん。君って子は・・・。
『ちょっと待て、アレル。つまり変装を唆したのはお前なのか? よりによってお前が、この国における何ら恥じるところのない王子をわざわざ平民になりすまさせた張本人だったのかっ? 何を考えてるんだっ』
『うっさいなあ、ディーノ。だからディーノだって、王子様に自分の着替えを持たせてトイレに走っていけたんだよっ。なんで私に文句言うのっ』
『思い出させるなぁっ。うちの家族に知られたら謹慎モノだろうがっ』
攻撃されれば迎撃するアレナフィルちゃんは、可愛いだけじゃない小さな戦士だ。
自分だけが怒られるのなんて嫌だとばかりに皆を巻き込み、そして皆を囮にして逃走するつもりだ。
『そっか。頑張ってね、ディーノ』
『ヒトゴトにするんじゃないっ。所詮はビーバー族でも、人間サマの常識ぐらい身につけろっ』
『えー。だって私がレイドに荷物持ちさせたの、先生とかにばれてたんだもん。それならみんなも巻き込まないと私だけがいじめられる』
『そんな理由で共犯者にするなっ』
アレナフィルちゃんが卑怯者すぎた。
常に発進な二人がこんな感じでグイングインやっていると、制動タイプな二人は落ち着くしかなかったらしい。
『仕方ない。ディーノとアレルを人身御供にすることにして、僕達はうまく逃げよう、リオ。それより今後のことだ。恐らく、このメンバーに入りたいと思っている奴がかなりいる筈だ』
『そうだね、ダヴィ。だって同じ授業を受け始めている生徒、増えてるし。なんか睨まれてるなぁって僕も思ってたんだ。不良なのかなって思ってたんだけど、レイドが王子様だったからなんだ』
『うん、僕も変装するまで知らなかったけれど、王子ってだけで人が集まるもんなんだね』
しみじみしているエインレイド王子に、変装している時こそ普通の生徒気分を味わえた時間だったと知って、二人が気の毒そうな顔になった。
そうなれば五人で真面目に話し合い始める。
『てかさぁ、私、このメンバーに変な人、入ってこられて、子爵家程度が横にいるんじゃねえよとか、自分から身を引くこともできないのとか、物陰で言われたりするのイヤだなぁ』
『そんなことないと言えないのが辛いところだな。そういう意味では僕とディーノも所詮は跡継ぎではない息子だ。私的に訪ねてきて、その立ち位置を譲れと言われる可能性が高い』
『だな。まだ僕達は嫌な思いをするだけですむが、アレルでは何を言われるやらだ』
『三人でもそんなことあるんだ? じゃあ、僕なんて・・・。あれ? だけど僕だとかえって貴族の人と顔見知りでも何でもないから大丈夫なのかも?』
『結局、王子とか呼ばれててもそんなもんなんだよね。僕の気持ちなんて無視して、みんなが勝手に自分の都合のいいストーリーで動けとばかりに要求してくるんだ。もううんざりだよ』
五人はミントウォーターを飲みながら、ポテトチップスをぱりぱりと食べ出している。
そしてこの成人予防研究クラブにはもう誰も入れないことにしようと決めたようだ。どうせ掲示していないクラブなので、入りようがない。
問題は、ランチを一緒にしている一般部の女子生徒三人だった。今や男子生徒四人、女子生徒四人といったランチタイムはそれなりに楽しい時間である。
『問題はあの三人か。平民だし、女の子だと色々とあるかもしれない。やっぱり避けられることになるのかもな。ディーノ、どう思う?』
『どうだろう。ここまで一緒にランチしていて今更だが、他の女子生徒が勝手に加わってくるってことはありそうだ。だってレイドと一緒にランチできる可能性があるんだぞ? そりゃ押しかけてくるだろうよ』
『うーん。それも今更だよねぇ。まあ、まだレイドのことは経済軍事部だけで、他の校舎には広まってないから、後一ヶ月ぐらいはどうにか持ちそうだけど』
王子の正体に気づき始めているのは貴族で、経済軍事部に集中している。
だから他の校舎ではそうでもないのだ。しかし五人が受けている教室を追いかけるようにしている生徒も出ていた。
肝心の王子は、それに対して視線も合わせずに無視している。とはいえ、ランチタイムはさすがに一般部の校舎まで来て一人で取る気になれないのか、誰もが断念しているようだ。
『だけどさ、もうランチタイムまで入りこんできたら、もうお昼はここで食べればいいんじゃないのかな。だってここがクラブルームって誰も知らないし、さすがにここまで追いかけてきたら排除できると思う』
『リオ、ナイス。うん、そうしよう。だけどなんでレイドにそこまでくっつこうとするんだろうね。メリットなんてないのに』
『え? ごめんね。僕、メリットなくて』
『あのな、アレル。ビーバーには分からない貴族の常識ってもんがあるんだ。頼むからこれ以上、お前は自分の感想を垂れ流すな』
たまにベリザディーノ君が苦労人に見えてくるのは俺だけだろうか。
そりゃビーバーも可愛いが、あの「やるなら来い」でぐーたら、それでいて行動的なアレナフィルちゃん、どっちかっていうとヤマネコっぽいと俺は思うんだよね。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
やがて経済軍事部を中心に、流れ始めた噂がある。
――― エインレイド王子は優秀な人材にしか興味がない。彼が身近に置いている生徒は、誰もが学年十位内に入っていて、それぞれが属する校舎においては五位以内だ。
この順位というのも同点が複数いたりするから、何位といったそれは上から三番目の点数でも順番としては六番になったりする。
なんにせよ、アレナフィルちゃんの試験対策勉強をクラブルームで受けた四人は、次の試験では全教科満点を目指す気になっていた。
そりゃ学校長だってクラブルームに入り浸ろうが、クラブの目標とはかけ離れたおやつを食べていようが、黙認するだろう。それどころか、たまに来てお喋りに参加していたりする。
『君達は知らなかっただろうが、ゴッディラム先生とエガー先生はちょっとだねぇ』
『ああ、エガー先生、何かというとゴッディラム先生のこと貶してましたよね。だけどエガー先生、いつもゴッディラム先生のこと見てるんですよ。だからゴッディラム先生に、私言っちゃったんです』
『ほう、何を?』
『エガー先生、女の人とお付き合いしたことないから本当は綺麗ですねって声かけたいのにプライド的にそれができずに思ってもないひどいこと言って、その後で壁に隠れて座り込んで、どうせ僕は口説く言葉なんて言えないんだっていじけてるんですよって』
『・・・そうなのかね』
『まあ、ちょっと誇張しちゃったかも? いいですよ、女の人にひどいこと言ってる時点でそれぐらい言われても。
で、放課後、ゴッディラム先生の髪型とお化粧と服、ちょっと私がいじって、あとはレイド達にエガー先生に質問に行ってもらって、二人をばったりニアミスさせたら、ディーノ達も、
「うわあ、ゴッディラム先生、そうやってると本当にお綺麗ですね」
「この後は予定無いなら帰りにカフェ行きませんか? あ、勿論、自分の分は自分で払う奴ですけど。年上の美女って憧れなんです」
って褒めるじゃないですか。
エガー先生なんて見惚れて耳まで真っ赤になっちゃって、それでなんかゴッディラム先生、そこまで言われるぐらいに駄目なのかなって思っていたのが、一気に自信持っちゃったんですよね』
『ごめん、アレル。僕、あの時、ゴッディラム先生があんなにお化粧すると綺麗なんて知らなかったから、言われてたセリフ言えなかった』
『僕もそうだから仲間だよ、リオ。だけどあのゴッディラム先生があそこまで変わるとは思わなかった。スタイルも綺麗になってたような気もしたし。その点、レイドとディーノはちゃんと言えたもんな』
『アレルに言われてたセリフ言わなかったら一生恨まれそうで頑張ったかな』
『僕もだ。大体、なんで年上の美女が憧れになってるのか分からなかったけど、まあ、それでゴッディラム先生が明るくなったからいいのかな』
『うーむ。君達、先生の個人的なことにあまり首を突っ込むのはだね・・・』
『大丈夫です、先生。ディーノがカフェの名前を幾つかあげたところでエガー先生ってば割り込んで、なんか試験のことでちょっと話があるとか言って自分がカフェに誘っちゃったんですよ。私達は生徒なんだからさっさと帰りなさいとか言って。
その後はどうなったか知りませんけど、最近は普通に雑談するようになったなぁって。だから大丈夫だと思います。・・・ところで先生、これってば私達、エガー先生とゴッディラム先生の授業では恋のポイント加算もらっていいと思いませんか?』
『二人共真面目だからそれはないだろうが、それ以前に君に加算は必要ないだろう、ウェスギニー君』
『ねえ、アレル。恋のポイント加算って何?』
『いいですか、レイド。人生において恋は全てを輝かせる恩寵です。ゆえに先生達は枯れるしかなかった恋の芽生えを成長させてあげた私に最高の感謝を捧げ、全ての授業成績を最高評価にしてくれてもいいわけです』
『うん、どこまでもアレルが強欲なのは分かった』
『言っておきますが、レイド君。そんな加算は学校に存在しません』
『大丈夫です、学校長先生。僕もアレルの無茶な主張は社会で認めちゃいけないって理解してます』
俺は知っている。今やエガー教師は、女性は何をプレゼントされたら喜ぶかをアレナフィルちゃんに尋ね、アレナフィルちゃんはこそっとゴッディラム教師にエガー教師に尋ねられたのだが何をプレゼントされると嬉しいですかと尋ねていることを。
二人にはそのお礼に自分達への補習授業をねだり倒しているものだから、なんだか誰も損してないところが凄い。そうやってクラブメンバーの苦手なところを先生からも補習させているから、皆の成績も上がっていくのだろう。
(やっぱりそこんとこ、子供らしくないんだよなぁ)
どうやらアレナフィルちゃん、上級生の試験も教員室で受けさせられ、全学年のテストで満点を取ってきたらしい。その秘訣を尋ねられ、
「幼年学校時代から上等学校、習得専門学校のテストを受けさせられ続けた結果です」
と、暗くつぶやいたアレナフィルちゃんは、渡すのは卒業時だが全教師の意見一致もあって卒業証書をゲットしたとか。
卒業式にしか渡されないのであれば、そこに意味などないように思うのは俺だけだろうか。
(クラセン講師の専門は、一般部の先にある言語学。だけどアレナフィルちゃん、どうも習得専門学校の試験、理工がメインっぽいって、意外だったな)
アレナフィルちゃんはおうち大好きな引きこもりっ子だが、それでいて攻めるところは攻めるタイプだ。就職に有利な資格や免許はなるべく早めに取っておこうと考えている。
そういう女子生徒が身近にいれば、そりゃ王子だっていい刺激を受けるだろうと大人は考えるものだ。
現実的にはアレナフィルちゃんのいい加減さにエインレイド王子が染まってきているような気がしてならないのだが、それでいいのだろうか。
(まさか王妃様が学校へ乗りこんでいらっしゃるとは・・・)
元気に過ごし、仲良く友達と遊び、そこそこの点数さえ取れていればいいというのが、王宮サイドの意見だった。
学友候補が暴走し、よく分からないクラブに入ったのは仕方ないとして、家庭教師がいなくてもいい成績をキープできる原因が子爵家の娘にあると知れば思うこともあったのか。
単に自分達が選抜した学友候補が愚かすぎた現実を見たくなかったのかもしれない。
(あの噂、誰が流したものだろうな。何にせよ、まずはそれなりの成績を取れってか)
エインレイド王子は、相手の身分や性別を問わず優秀な人材を好むということにしておきたくなったのか。
全く隠していないアレナフィルちゃんの異性に対する好みは、「(父や叔父のように)たくましくてセクシーで、包容力があって女をいい気分にさせてくれるエスコートのできる大人の男性」だ。
大切な王子様を誘惑されることはないと確信できたのかもしれないが、王子を誘惑しようとする女子生徒よけには便利だと判断されたらしい。
いきなりアレナフィルちゃんに貴族令嬢教育をさせなくてはという意見が大きくなっていたようだ。
ようだというのは、俺が知らない内にそうなっていたからだ。
(まあね。それならアレナフィルちゃん、逃げ出しようがないけどね。絡まれようがないんだし)
学校に通う日は、少し早めに学校へ来ることになったアレナフィルちゃんの貴族令嬢教育が始まった。
そのマナー講師を務めるのは身分を隠した王妃フィルエルディーナ様だ。
(あり得ねえ。変装してりゃいいってもんじゃねえだろ)
謎の貴婦人としてアレナフィルちゃんに社交マナーを教えるという役割に、フィルエルディーナ様はノリノリだ。
淡紫の花色の髪も息子と同じペイント剤で紫色にしている。
何が凄いったって、それを父親のウェスギニー大佐が知らないことだ。
今、アレナフィルちゃんの通学は送り迎えのどちらも、警備棟が出す移動車で行われている。そしてエスコート役や、茶会に招かれた男性客役として、警備棟や男子寮の士官が使われるのだ。王宮の女官も貴婦人役として参加しているが、その内容が凄かった。
「まさか菓子にわざと虫や髪の毛を入れられていた場合とか、使いにくいカトラリーをセットされていた場合とか、同席者に分からない嫌がらせが行われていた場合の対処法って何なんだよ。茶会ってそういうことがあるのかよ、おい」
「今日は椅子にピンを仕込まれてスカートが切り裂かれる場合の見分け方と対処法だったぞ」
「しかもドレスに茶をぶっかけられた時のごまかし方って何なんだよ」
貴婦人達の優雅な茶会にはとても優雅ではない何かがあるのだと、俺達は知ってしまった。
大抵、そういう時の令嬢は泣きながら逃げ帰るそうだ。
「今度から俺、気が弱そうな令嬢には気をつけておいてやろうって思った」
「俺も。王妃様はさすがにそういうことにはならないけどって、そりゃ王妃様には誰もしないだろうが」
何かとエスコートでパーティに参加している士官達より、兵士達の方がそれについては詳しかった。
「ああ、よくあります。ですから大抵の夜会では、私共も薄手の布を持っておくようにしておりました。戻ってこない上、私共が自分で用意しておく布ですから安物ですが」
「私の元隊長はそこそこ良いマントを着るようにと言っておりました。そういう令嬢を放置もできず、かといって人を呼ばないでほしいと泣かれる為、夜会の警備では大きめのマントを身につけておくようにと。先にその令嬢のお宅に連絡を入れさせると後で使用人がマントの返却がてら礼を伝えに来るものですから、あまりにもみすぼらしいものではみっともない、程々の物にしておくようにと」
「私の隊長は、近くの小部屋に大きめなワンピースと椅子を用意させておりました。仲のいい侍女がとても親切で面倒見が良かったものだから、その方がいいだろうと。騒ぎがあれば主催者が恥をかきます。まあ、よくある話なので、それぞれの隊長のやり方次第かと。問題は令嬢とお約束していた貴公子がそんなことと気づきもせず、すっぽかされたと怒り狂うことですが、こればかりは・・・」
そういう嫌がらせにしてもやりそうな女性の申し送りはあるそうで、ある程度は気をつけているものの、会場内での動きなど兵士では止めようがない。だから騒ぎにならないように被害者の救出を手早く行うのだとか。
本来の配属とは違い、ここでは士官達も兵士ということになっている。だからまだこうして教えてもらえるのだろう。
その女性の情報を詳しく教えてくれと頼んだが、他言を許されていないのでと、断られた。
「あの・・・、ですが王宮に行った時、警備に当たっている隊長クラスに尋ねれば教えてくれると思います」
「そうです。あ、ですが嫌がらせしたという冤罪をかけられている令嬢も多いので、あまり情報を信用しすぎるのもどうかと思いますから、程々に。大抵、嫌がらせをされたと本当のことを訴えた貴族令嬢に限って、相手の令嬢を貶める為の嘘だろうって言われて終わります」
「そうなんです。不思議なことに、実は嫌がらせなんかされていないのに、あの人にされたと嘘を吹聴する貴婦人に限って周りの貴公子も信じるんです。あれは何なのでしょうね」
「そういう時に正しいことを教えたらこちらがクビになります。だから何も言えません」
それを聞いた俺達はちょっとお互いの顔を見てしまった。
それなりに貴族として生きていれば、エスコート予定だった令嬢からの土壇場キャンセルや、もしくは嫌がらせをされたという被害者令嬢の心当たりなど、自分なり身内なりで思い当たることがあるものだ。
大抵は出がけに足を挫いたとか、階段から落ちたとかいう理由だっただろうか。そして、何かと嫌がらせされては泣かされている気の毒な令嬢の心当たりもないわけではなかった。まさか加害者側とされた令嬢、実は冤罪だったのだろうか。
もしかして俺達は容易く騙されていたのだろうか。
「なんであそこまでその令嬢達の名前教えてくれないんだろうな」
「思うに、言ったら終わりだと思ってるからだろう」
「つまり俺達の身内もしくは縁戚の令嬢の名前があるとかな。聞いてしまえば名誉問題が発生するから言えないと思ってるとか」
「実は被害者を演じた令嬢が俺達の家族と結婚したとかな、・・・はは」
その相手を罠に嵌めて被害者ぶって終わらせたという令嬢や夫人達の名前を、兵士達は決して教えてくれなかった。
どうしよう。俺達の心が迷路にはまっていく。




