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30 インコはガルディアスの腕に舞い降りた


 王族や貴族にとって、結婚というのは未来に対する一つの投資であり、布石となるものだ。

 俺の名前はサルトス・フォリ・ラルドーラ・ガルディアス。軍では中尉として在籍している。

 現在は国立サルートス上等学校の男子寮に寮監として入りこんでいるが、先日、ウェスギニー子爵家の双子達の誕生日会に招かれた。

 おかげで今、とても忙しい。

 久しぶりにミディタル大公邸に行けば、近くにいるのになかなか顔を見せないとはどういうことだと、両親が責め立ててきた。

 数ヶ月に一回しか会わなかった時を思えば十分に顔を合わせていると思うのだが。

 そんな父は今日も絶好調だった。この人に精神的な苦労など無縁だなと、俺は確信している。


「聞いたぞ、ガルディ。兄上から子供に婚約を迫るなと言われてたのに、ウェスギニー子爵家で一泊してきたんだと? 更には今度、婚前旅行に行くというではないか。はっはっは、可愛いエリーが意識している女の子を横取りとは青春だなっ」

「婚約を迫った覚えはありませんし、ウェスギニー家では私以外にも男が二人招待されてましたよ、父上。更には婚前旅行ではなく、皆で行く合宿旅行です。別にエリーは友達として気に入っているだけなのですから、かまわないでしょう。何よりエリーの結婚相手であれば、子爵家の娘などあまりにも不適格です」


 サルートス国王の弟にして俺の父親であるミディタル大公。

 色合いや外見や虎の種という相似性に、俺もこの人を見る度に「ああ、俺、この人と親子なんだな」と実感するが、この性格にはついていきたくないし、染まりたくもない。

 どうしてもっと慎重な性格に生まれてこなかったのだろう、この父は。

 兄が寛容すぎるという事実が、この奔放な弟を作り上げてしまったのか。


「だけどガルディ。あなたもそれは同じことって分かってるのかしら? だから養女にしてくれる家を探していたのでしょう?

 いきなりどうしたの?

 陛下も結局あなたを可愛く思っておいでだから、そんなにも望むのであれば仕方がないってお気持ちになっておられるじゃないの。

 フィルエルディーナ様も興味津々で、ダンスパーティの時にその子を見に行きたいってずっと仰っておられるわ。私もこっそり見に行こうと思っていたけれど、王妃様には譲るしかないところよ。全くあなたって子は可愛いタイプが好みだったの? 知らなかったわ」

「母上。気に入らないのは分かりますが、邪魔はしないでほしいですね。ぼやぼやしていたら負けるのは戦争も結婚も同じことです。少なくとも私を含めて虎の印を持つ男が三人、胸もぺったんこな小娘を見たその日に結婚を視野に入れた事実をお忘れなく」


 青い髪に水色の瞳をしている母は、色合いこそクールだが、性格は激しいタイプだ。

 普通ではない行動で強く自分を印象づけただけの小娘ではないのかと、そちらをまだ疑っている。だからつまらなそうな反応を返してきた。


「まあ、また一人増えたの?」

「ええ。ウェスギニー大佐の部下の平民ですよ」

「平民なら結婚はないわね。そんなのを数える価値などないわ。だって子爵が平民の妻をもらってしまったのだもの。次の代ではさすがに貴族と結婚させないとまずいと考えている筈よ。多少のことには目をつぶって、難ありでも貴族と結婚させるでしょうね」

「それがウェスギニー子爵、娘には相手の身分を問わず好きな相手と結婚すればいいと、自分の友人を通じて娘に伝えていましたよ。次のウェスギニー子爵にとって唯一の姉妹だというのに」

「なんですって? 何を考えてるのかしら」


 母がその水色の目を(けわ)しくする。

 この母の敵愾心(てきがいしん)の原因はアレナフィルではなく、その父親にあるだろうと俺は思っていた。

 同じ虎の種の印を持つからこそ、意識してしまう。どちらが上なのかを知りたくなる。

 だからアレナフィルのような子爵の娘などにこだわるなと言い、それでいて肝心のアレナフィルが俺など全く見ていないと知れば、むかつくのだ。

 俺は、母がアレナフィルを惜しがるような情報を一つ投げ込む。


「おかげでその平民の中尉、自分が留守の時は実家に入り浸っていても文句は言わない、ウェスギニー子爵との同居でもいいと言ったものだから、アレナフィルは数年後、彼との結婚を前向きに検討するそうです。全くどれだけ父親が好きなんだか」


 俺では絶対に提供できない条件をオーバリ中尉は出してきたのだ。もう女上司とやらにさっさと捕まってしまいやがれ。

 ちょこまかちょこまかと動いては変な自論を振りかざし、じーっと大きな目で見つめては全く見当違いな解釈にたどり着くアレナフィルは、簡単に捕獲できそうでできない珍獣だった。

 俺のぼやきに、ワインレッドの瞳を細めて父が呵々(かか)と笑う。


「それではガルディは負けような。あの男、どう見ても顔だけの虎なのに結果を持ち帰る。出世しか頭にないとされながら、出世の道を自ら断つ。その娘も令嬢リストから零れ落ちていたそうだが、入試は満点の賢さなのに一般部。その部下にくれてやり、娘をずっと手元に置くつもりか。単なる人形の娘ならばそういうこともあろうが、なかなかに面白い。本当に面白い親子だ」


 父は基本的に何も考えていない。全てを勘だけで乗りきっていく男だ。

 名前を聞かれただけでエインレイドを変質者と決めつけ、更には俺を無能な兵士認定して説教をかましてきたと聞いた時から興味を持っていた。


「私は面白くありませんけどね。試験問題を解くのと、王侯貴族社会を上手に泳いでいくのとは別ですのよ。ガルディ、あなたはちょっと毛色の変わったタイプが新鮮すぎてそれに惑わされているようね」

「これでもそこらの貴族子女などより十分に毛色の変わった男女も令嬢も見てきたつもりですよ、母上。かえって通り一遍な貴族の常識でしか見ていない母上の視野の方が狭いのでは?」


 揶揄されたと気づき、むっとしたらしい母の頬が赤く染まるが、いい加減に公平な視野で考えてもらわないと困るのだ。

 ミディタル大公妃が不快に思うならば、アレナフィルはどこまでも遠くなる。

 俺は真面目な顔になって続けた。


「先代子爵の祖父ならば、私はともかく、ネトシル家を前向きに考えるでしょう。ですがどちらにも、アレナフィルは子供だからこの話は引っ込めてほしいと伝えてきましたよ。

 双子の兄もアレナフィルがエリー達に囲まれている事実が気に入らないらしい。

 つまりウェスギニー家にとってアレナフィルを独占する方が、家の隆盛よりも大切なのです。13才でこれだ。恐らく彼女はとても魅力的な蝶となるでしょうね」

「まだ13でしょう? 蝶の種の印が出るとは限らないわ」

「何故そうと言いきれるのだ、ガルディ?」


 父の方が興味を持っているのは、同じ男だからだろう。息子が目をつけた娘だからこそ、なんだなんだと好奇心を(うず)かせている。


「三人目の虎、オーバリ中尉が断じました。他の蝶と同じ気配があると。本人が気づいてないだけで、早めに印が出ているのではないかと言っていましたが、アレナフィルはまだ出ていないと否定しました。ですが自分がいずれ蝶になることは分かっているようでしたね。

 私とネトシル家のグラスフォリオンが、それを見極めようとしましたが、たしかに今までの蝶の令嬢よりも魅力的な気配を持っていると、三人の意見が一致しました。

 ウェスギニー家はまさかといった反応でしたが、蝶になると言われても簡単に受け入れて終わりました。思うにそれも視野に入れていたのでしょう。いえ、だからこそアレナフィルを目立たぬ場所に置き続けたのかもしれません」

「ほう? 蝶の印が娘に出れば、どの貴族も大喜びで見合いをさせるものだが」


 蝶の種の印が出た娘は、誰もが魅力的だと言われている。蝶の種の印がでた女性と結婚した男性は彼女を手放さないとも。

 それゆえに妬まれやすく、そして受け入れられやすい。

 そういう母親から生まれた娘は蝶になる可能性が高くなるからだ。


「生憎とアレナフィルは、蝶の種だからと自分に寄ってくる男は大嫌いだそうです。私達にも、自分に惚れられたら困るから寄るな触るなあっち行けと逃げ回りましたよ。

 私が他にも蝶の令嬢と踊ったことも会ったことも十分にあると言えばダンスには付き合いましたが、幸せな人生を送りたいから自分が不幸になる高い身分の男との結婚は嫌だそうです。だからエリーもお断りだそうですよ」

「なんと、ふられたか。まあいい、それも人生経験だ。相手はまだ13の子供だからな。おじさんに思われたのであろうよ」

「その程度で諦めるようでは何も手に入れられませんよ、父上。何より印が出ていない今の年であれです。数年後では遅い。恐らくウェスギニー家も、いずれ成長したアレナフィルを巡っての熾烈な争いはごめんだ、ひっそりと好きな相手と結婚してほしい、だが愚かな男を選ばれても困るってところでしょうね」


 通常、娘の見合いに力を入れるのは母親で、あの家では祖母のマリアンローゼの仕事だ。けれどもお友達を作ってあげようと女の子達を集めてみればお山の大将となり、どんな男の子が好みだろうかと連れ出せば見向きもせず、男女混合な子供達と遊ばせてみれば脱走する孫娘に、祖母も匙を投げたのだとか。

 そこは父親の友人に無免許運転で旅行を提案する娘だ。同世代の令息令嬢など耐えられなかったのだろうと察しはつく。それでもまだ祖父母の前で無駄な猫をかぶっているだけ、気を遣っているつもりだろう。

 恐らくアレナフィル達は祖母と血が繋がっていないことを知らない。だが、いずれ知ったとしても全く問題にならない筈だ。振り回されていても祖母は孫達を愛し、孫達も祖母のことを大切に思っている。

 祖母本人も血が繋がっていないことを忘れているのではないかと、俺は思った。


「だがな、箱入り娘が口先だけの男に騙されるのはよくあることだぞ。お前達を袖にして、そのアレナフィルが後悔しなけりゃいいがな」

「ウェスギニー兄弟に溺愛されて育った娘が、実行力とそれを実現する資産を持たない口先だけの男に騙されますかね? アレナフィルの経済観念はかなりしっかりしていますよ、父上。こっそり集音器を使えば出てくる出てくるあれやこれや。家族にも内緒で、ノーマルと水陸両用移動車を小型・中型、そして二輪飛翔も小型まで無免許運転できるそうです。父と兄不在の別邸は、彼女にとって何にでもトライできる遊び場だったようですね」

「やはりお前が獲得してこい、ガルディ。エリーが気に入った子ならうちの養女にしてやってもよかったが、国王を支えてこその大公家。たくましい妃が必要だ。蝶なら更に良い」


 言うと思った。

 父は、魅惑すると言われる蝶の種に興味がない。だが、独学でそれだけの技能を身につけたのであれば、十分に評価する人間だった。


「残念ながら父上、それ以前の問題がありましてね。アレナフィルは、マナー講師がいないそうですよ。アレナフィルの情報が他の家に出回るぐらいならマナーなど身につけなくていいというのが父親の判断だったとか」

「まあ。なんてこと。それが貴族のすることかしら。娘に対する虐待よ」

「そうかもしれませんね。軽く礼儀作法を教えてきましたが、アレナフィルは途中から、もう貴族をやめるからいいとか言い出していましたか。大きくなったら平民に混じり、暮らしに困らない程度に稼いで、酒とつまみを楽しみながら趣味を広げて生きていきたいそうです」


 同時期に成人する双子の兄が、妹にそれをさせるかどうかも分かっていない愚かなアレナフィル。だが、夢を見るのは自由だ。


「貴族の娘が親の庇護なしに稼ぐことなどできるわけがないでしょう。全くどこまでも子供ね」

「ですから母上、彼女は全ての試験で満点だと言っているではありませんか。そして彼女は残業のない部署の役人を目指しています。

 使用人がいなくても生活できるアレナフィルは、物価も知った上で自分なら大丈夫だと判断しているのですよ。今だって通いの家政婦はいても、父親が不在の夜は本当に一人ですからね」

「なんですって。侍女もいないというの。それが子爵家のすることかしら」

「子爵邸でもつけていないそうですよ。双子はいつも叔父の部屋で過ごすそうで、まとめて世話されるからいいそうです。叔父の侍女達はアレナフィルを最優先しているとか。それだけ可愛がっているのだから役人だなんて未来の夢は止めそうなものですが、その様子もない」


 ウェスギニー家のレミジェスにも彼なりの思惑があるのだろう。


「あなたは何を言っているの、ガルディ。蝶の印が出るであろう貴族の娘がどうして役人なの。しかも自分の稼ぎって、まさに誰もが生活の苦労をさせないからと求婚するのが蝶の種でしょう。何を考えてるの、ウェスギニー家は」


 うちの母は誰の味方なのか。

 いきなりアレナフィルが愚かすぎるのは親の怠慢だと言い出して、ウェスギニー家を糾弾する流れだ。


「さあ? ですが私も子爵家と同家格の子弟にアレナフィルの存在が知られるのは避けたい。あの家はそれでいいと飛びつきかねませんからね。

 母上、私はアレナフィルを本気で手に入れたいのです。プライドにこだわって、後で唇を嚙むようなみっともない真似はごめんです。だからアレナフィルの情報を他に流すことなくマナーを叩きこんでくれる女性を用意してください。ええ、私に相応しい礼儀作法を叩きこんでくれる貴婦人を」

「・・・・・・蝶の種。そうね、惚れこんでくる相手次第で全てをひっくり返すことすらあるのが蝶だもの。王妃様にも相談してみましょう。だけどね、ガルディ。あなたが篭絡(ろうらく)される姿は見たくないものよ」

「そうですか? 真っ先に目をつけた私は見る目があると思っているところですよ。印が出る前にどれ程の男が彼女に対して名乗りをあげるでしょう。五年は長すぎます。とはいえ、未成年に手を出す大人は変態だと考えるような小娘相手に口説いても逆効果。全く()らしてくれるものだ」

「いいではないか。簡単に手に入れられるものなどつまらぬ。まあ、適当な理由でもつけて連れてくるがいい、ガルディ。そこまでお前が気に入った娘だ」

「分かりました、父上。機会がありましたら」


 情報として見聞きしていたことと、実際に現地に行ってたしかめるのは違う。今回、ウェスギニー家に行って、それをしみじみと俺は実感した。

 ウェスギニー家のメイド達は、聞けばそれなりにアレナフィルのことを教えてくれたが、それとて複雑な心境ではあっただろう。

 唯一の令嬢が高位の貴族へ嫁ぐかもしれないとなれば、子爵家にとって朗報だ。情報を渋るより好意を持たせる為にも語りたい。問題は、肝心の子爵家当主達がそれを望んでいないことだ。

 

(アレナフィルは優しい気持ちを皆にあげていると言った。ウェスギニー家はそれをよそにくれてやる気がないのだ。家が潤っても自分達の心が荒むのであれば虚しいだけだからな。どうせ暮らしに困っているわけではない。アレナフィルが気に入った婿を迎えて皆で仲良く暮らせばいいと考えているのだろう)


 別邸では父から、子爵邸では叔父から最愛の娘として育ったアレナフィル。貴族の娘としての躾がされていないだけだといえばその通りだが、子供可愛さに全てを甘やかして育てていることと同じようで違うと思えるのは、それをしたのがあの男だからだ。


(息子の教育を弟に任せていたのなら、あの全権委任状も当然か。だが、誠実な顔をした悪夢と呼ばれるウェスギニー子爵が娘可愛さに躾を(おこた)った? あり得るのか、そんなこと。

 理由に惑わされるな。あいつは自分の親友を娘につけてまで家族を(あざむ)き、自由にさせている男だ。何故、そこまでアレナフィルを自由にさせている? それともそれだけ自由にさせているからこそ、蝶の資質が今から出ているとでもいうのか?)


 知れば知る程、謎が生まれるウェスギニー・ガイアロス・フェリルド。

 ウェスギニー子爵邸に飾られていた夫妻の肖像画に、これがあの殺されたという妻の姿かと、まじまじと眺めたものだ。あんな求婚のセリフ、酒も飲まずに言える男がいるのか? 口説き言葉なんて女が使うものだろう。

 そうして貴族に見初められた平民の娘は双子を産み、顔立ちは母親、色合いは父に似てすくすくと育った。


(社交界ではウェスギニー子爵の娘と聞けば、

「ああ、あの駄目になった子の方でしょう?」

と失笑する夫人もいるという。

 戦いを知らぬ貴族は愚かだ。誰であろうとひどい目にあえば心を壊される。それでも立ち直った者の乗り越えた辛さ、悲しみ、恐ろしさも理解せぬとは。

 それなら自分も我が子を目の前で殺されても平気でいられるか試してみればいい。幼児にとって母親は世界の全てであっただろうに)


 記憶や言葉を失ったというのは知っている者は知っている情報だったらしく、サルートス幼年学校に行かなかったこともあって知能も一般より劣る存在になり下がったのだろうと、アレナフィルは決めつけられていた。そんなアレナフィルはせいぜい後妻か、経済的に苦しい貴族の家に実家からの援助金を持って嫁ぐしかないと思われていたようだ。


――― ここだけの話ですけれど、いずれ跡取り息子が大きくなったら縁談に差し支えますもの。その時は先にそれなりの持参金をつけて出すのではないかしら。

――― 幼年学校にも行けなかったお嬢様でしょう? 可哀想だからお茶会にでも招いて差し上げようかと思いましたけれど、ウェスギニー家ってば断わってきましたの。今もまだ外に出せないお嬢様なのかもしれませんわね。

――― ご子息も幼年学校に行かなかったそうですもの。家庭教師で済ませているのでしょうね。


 そんな噂も少しずつ変化してきている。それでも錯綜しているのは否めない。


――― ご子息はエインレイド様と同じ寮に入りこんだのでしょう? さすがはウェスギニー子爵ですわ。もうお嬢様の方は切り捨てられたのでしょうね。上等学校にも通わせず存在を抹消しているそうですの。

――― あら、実はご子息の方も心を病んでしまったのではないかと、私は聞きましたわよ。双子の妹の代わりにドレスを着たりもしているそうですの。

――― 今、ウェスギニー子爵家にどんな招待状を送っても全て断ってくるのですって。非礼を承知でいきなり訪問した夫人も不在と言われて帰るしかなかったそうですのよ。

――― まあ。では本当なのかしらね。なんでも男子寮に、お嬢様の方を男装させてエインレイド様に迫らせているというのは。

――― 本当に手段を(えら)ばないやり方ですわ。エインレイド様も男の子ですもの。それでは、・・・ねえ?

――― 学校にも通えないお嬢様ですもの。そういうことでエインレイド様を誘惑するしか使い道がなかったのではありません?


 現実はかなり優秀なアレナフィルだ。どうしてそんな噂をあの男は払拭(ふっしょく)しておかなかったのか。


(目をつけられたくなかったからだ。全く何を考えてるんだ。普通、俺が言い出したなら、それこそどこかに形だけ養女に出して前向きに動くものだろう。そりゃ同居はできんが)


 ネトシル家のグラスフォリオンは跡継ぎではないから婿入りも可能だ。同時に、侯爵家から跡継ぎでない子爵家の娘へ婿入りするのは現実的ではない。

 当て馬役として調達してきたというオーバリ中尉が実は一番現実的なのかもしれないと思うと、かなりむかむかするものだった。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 そうこうしていると、ネトシル侯爵家のグラスフォリオンが、家族と大喧嘩して家を出たという話を警備棟で聞いた。

 肝心のグラスフォリオンは国立サルートス上等学校で用務員に扮してエインレイドの護衛をする任務に就いている。男子寮に併設されている男性宿舎で寝泊まりしている為、あまり本人の生活に変わりはなかった。

 そして本人も勘当してくれて構わないとばかりに現在の任務終了後、近衛から基地所属への転任について打診し始めたものだから慌てたのはネトシル家の方だ。

 よりによってグラスフォリオンは工作部隊を希望したのだから。上司にはウェスギニー大佐をという逆指名である。


(実戦部隊なぞ危険な戦闘地域に行くこともあれば一人で敵地に潜り込み、何年もかけて崩壊の種を仕込むこともあるという。生きてるか死んでるかさえ分からん任務に行かれたくないだろ、そりゃ)


 即座にネトシル家はグラスフォリオンとの関係修復に乗り出し、今後も近衛に所属することを条件に彼の出す条件を飲んだらしい。つまりアレナフィルに対する婚約の根回しだ。


『勘当されてでもアレナフィルちゃん一本でいけば、あのウェスギニー大佐、もう俺に本決まりにするだろうと思ったのに。うちの家も腰が据わってなくて困りますよ』


 ぼやいていたグラスフォリオンだったが、そうかもしれないなと俺は思った。

 ウェスギニー家のフェリルドはかなりおかしい男だ。子供達の誕生日にプレゼント一つ渡したことがないという。仕事で外国に行く時でもその予定を家族に告げないものだから、アレンルードが子爵邸で、

「そういえば一ヶ月ぐらい父上の顔、見ていないね」

と、呟いたこともあったとか。普通、子爵が一ヶ月近く音信不通で誰も心配しないのだろうか。

 そして息子を連れて行った戦地にしても、アレンルードはボールゲームを見に連れていってやるという言葉を信じて連れ出されたそうだ。

 移動車の運転を教えてやったらアレンルードもそのあたりをぽろぽろと教えてくれたが、噂のイメージと当事者が語るイメージがあまりにも違いすぎることに驚いた。


(なんで子供に無理して体を損なうようなことをするなということを教える為に、戦地へ連れて行こうって発想になるんだ? 口で言えばいいだけだろう? アレンだって物わかりの悪い子じゃない)


 その経験は息子に「うちの父はちょっとおかしい。僕はああならないようにしよう」という自立心を育んだそうだが、息子もそれに影響されておかしくなっている気がする。

 それでも本人なりに一生懸命考えた上で努力するアレンルードのまっすぐさは好ましいものだった。

 だからだろう。王侯貴族が集う世界でどう見られてしまうのかが不憫すぎて、教えてしまったのは。


『あのなあ、お前、軍では父親の出世の為に使われた道具扱いな息子ってことになってるぞ。お前の意思なんぞ全くの無視で使われてると思われてる。そこらへんは頭に入れとけ』

『そうですか。じゃあ父に利用されて傷ついた僕は心を病んでもう軍には入れませんって言えばいいですよね。だってヴェインさん、勝手に僕を予約した気になってませんでした? さすがに僕、あんな世界に行きたくないです』

『いや、そうじゃない。同じ貴族達からそういう目で見られるようになるってのは辛いだろう。今の内から少しずつ印象を変えておくか、否定するような話を流しておいた方がいいってことだ。いずれお前が子爵になるんだろうが』

『んー。だけど印象を変えてもいいことってあるかなぁ。かえって孤立しておいた方が、うちの妹に面倒な縁談も来ないからいいです』


 誰が軍の話をしたというんだ。そんなの自分から仕官しなけりゃいいだけだろうが。けれども貴族社会からは逃げられない。

 お前は自分のことより妹なのか? お前の思っている面倒じゃない縁談相手ってのはどういう奴なんだ?


(言われてみればアレンは虎っぽいか。あの物事を深く考えず、それならいいかですませていくところが。だから俺は樹の生き方だと言われてしまったわけだが)


 アレンルードは、アレナフィルから強い虎になると言われたことが嬉しかったのか、それとも父と同じ印が出るのであればここは負けられないと思ったのか、グラスフォリオンに格闘術を教わり始めた。

 格闘術を教わって、それでいて軍に入る気のないお前はどこを目指しているんだ、アレンルード。

 何故グラスフォリオンなのかと思ったら、

「叔父の友人なら信用できるから」

だそうだ。クラセン講師・バーレミアスは要警戒対象らしい。

 どこまでも信用のない父親だった。

 息子から信頼の欠片も持たれていないウェスギニー子爵にして大佐フェリルドは、その指揮下にある筈の警備棟に沢山の溶岩プレートを置いて去っていった。

 士官ばかりか兵士達にも全員一枚ずつくれたところは太っ腹なのかもしれないが、俺は初めてそんな贈り物を見た気分だ。


(そして俺に再度ここを押しつけて国境へ行ってしまった。溶岩プレートが賄賂(わいろ)になると思ってるあたりが訳分からん。肉を焼くと旨いって、単に村の復興用土産の布石じゃないのか? アレナフィルがその美味しさを語りまくっていたそうだし、ここはエリーにも屋外で焼いてやるもんなのか? 学校長達は自宅で焼いて食べたとか言っていたが)


 警備棟に所属する兵士達は喜んで家に持って帰っていたが、士官クラスは貴族出身が多いのでどうすればいいのかが分からずに戸惑っていた。

 けれどもアレナフィルが自宅の裏庭で溶岩プレート焼きをした野菜や肉がとても美味しかったと言っていたので、そのやり方を聞いたら、鉄板焼きと同じ要領だとか。

 そういうことならと、寮監や士官達の溶岩プレートを使い、男子寮の寮生達に溶岩焼きパーティをしてやったら焼いて塩コショウしただけで肉も野菜も美味しいと、皆がもりもり食べていた。

 たしかに美味だと感じたが、アレナフィルに言わせると鉄板焼きでもその厚みで美味しさが違ってくるのと同じことだとか。

 現在、男子寮では溶岩プレートに熱い視線を送る寮生が続出しているので、

「寮監に言えば貸し出してやる。ただし、火の始末はきちんとすること」

と、伝えておいた。

 寮生達は参加者を募り、休日はお金を出し合って野菜や肉やパンを買いに行き、わいわいがやがやと楽しく焼いて舌鼓を打っているようだ。

 

(俺が通っていた時は、こんなこと考えもしなかったな。エリーにとっていい経験になるだろう)


 自分達で切った野菜や肉を焼くにしても、人参を大きく切りすぎて生焼けだったり、焼きすぎて焦げたり、そんな失敗すら楽しかったらしく、エインレイドも家族に話すことが次から次へと止まらない。

 そういう意味ではフェリルドはいい仕事をしたのか。仕事を放棄してどこかに行ってしまった無責任大佐のくせに、国王夫妻の高評価は依然として継続中だ。


(何なんだろう。真面目に生きている自分がとても虚しくなるんだ)


 そして内々ながらも噂は出回るものだ。

 グラスフォリオンが家と対立してまでも望んだアレナフィルに、うちの母も負けられないと思ったのか。さっさと邸に連れてきて顔を見せろと騒ぎ始めた。

 成人した男が未成年の女子生徒を勝手に邸に連れこむわけにもいかないことぐらい考えてほしい。

 それに大公妃よりも王妃の希望を優先するに決まっているだろう。


(ダンスパーティまで待てないとか言い出した。さてどうするか)


 王妃にしても大公妃にしても、たかが子爵家令嬢一人、なんとでも呼び出すことはできる。それをしないのは、俺がそういうことだけはしないでくれと言った為だ。

 通常ならば光栄な招待であっても、時に力のない令嬢にとっては恐怖でしかないことがある。俺はそういうことを良しとは思わなかった。

 アレナフィルはエインレイドと仲良く過ごしている。他のクラブメンバーもいい子達だし、平和な学校生活を満喫させてやりたい。

 そんな俺の思いが矛盾していると分かっていても。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 俺の性格は虎の種の印を持つ者らしくないと言われている。慎重なところがあるからだ。

 エインレイドをあちこちに行かせてどうにか時間稼ぎをしていたら、とある放課後、いきなりアレナフィルが男子寮までやってきた。

 そして俺に会いたいと、レオカディオに要求したとか。

 俺達が使っている区画に通されたアレナフィルは、思いつめたような表情をしていた。


「どうした、ウェスギニー。わざわざ俺にとは、何かエリーかアレンのことで心配事でもあったか?」

「先生。先生って本当は偉い人なんでしょう? 私に貴族の人間関係、教えてください」

「・・・どうして俺に聞きに来た?」

「理由が必要なんですか?」


 言葉だけなら図々しくて強気な要求だが、その表情はとてもしょんぼりとしたものだった。まるで雨に打たれた子犬のように頼りない。

 やはり接触した奴が出たかと、俺達も察した。


(ネトシル侯爵家のことだけでも調査に入った家は多かっただろう。そしてエリーの試験成績が登校拒否していると思えなかった以上、誰だって変装を疑って探し始める。そして遠巻きに見ているだけではもう我慢できなかったか)


 ベリザディーノやダヴィデアーレが、いかにアレナフィルに悪意ある視線を気づかせないように立ち回っていても、四六時中ついているわけではない。

 送迎を警備棟が担当していても、ほんの僅かな隙は生じるのだ。

 それでもエインレイドの正体に気づいたであろう伯爵家の二人が、自分達なりに考えてその変装を受け入れ、気づかないフリで動いている。

 それならば俺達も少年達二人の頑張りを尊重してやりたかった。


(あの二人はお前にこそ頼ってもらいたかっただろうに。口にしなければ気持ちは伝わらないのだろうが、それでもお前の優しさは残酷だな)


 アレナフィルは間違っていない。冷静に自分の分かる範囲で身分の上下を考え、俺を選んだ。いくら情報を制限しても、自分達の誕生日会で気づいただろう。誰があの場で一番身分が高かったのかぐらいは。

 その冷静な判断力が、男心を理解させないのか。

 近くにいる自分達にまずは相談してほしかったと、このことを知ればあの二人の少年は傷つくだろうに。

 それでも俺は泣き出しそうな顔になっているアレナフィルの頭にぽんっと手を置いた。


「安心しろ、誰も責めてない」


 アレナフィルが俺を選び、そして俺が承諾した以上、これは俺の案件だ。俺はレオカディオを振り返る。


「ドネリア少尉。しばらく俺の部屋には誰も近づかせないでくれ」

「いいんですか? アレナフィル嬢については尊重すべしと決められています。ウェスギニー大佐も黙ってはおられないでしょう」


 どこの誰とは言わないが、とある心配性な大佐は、俺が寝室に誰かを連れこもうものなら隣の部屋の壁から突撃できるような工事をしてくれやがった。不要なこと言うまでもない。

 戻って来てあれを見た時はどこまで判断力をなくしているよと呆れたものだ。

 だがな、レオカディオ。俺はお前にも実は信用されていなかったのか?

 アレナフィルは気づいただろうか。レオカディオは俺に尋ねることで、アレナフィルに対し、不安ならば助けに入ってあげようとさりげなく伝えたことを。


「別に何もしないし、最初の部屋しか通さなければ大丈夫だろう。こんな誰が来るかも分からんところで言えることと言えないことがあるだけだ。何より今、ウェスギニー大佐は国境から離れられん。俺以外の誰が対応するんだ?」

「分かりました。では、ウェスギニー君。後でお茶を持っていきましょう」

「ありがとうございます、先生」


 本当は父親に相談したかったのではないか。帰りを待っているのに戻ってこないと不安な夜を過ごしていたのではないか。

 そう思った俺は、アレナフィルにまだ当分お前の父親は戻れないのだと匂わせた。


(少し緊張が取れたか。娘が成人した男しかいない場所に入ってくるのは恐ろしいものだ。そういうリスクを意識するには子供だし、本来はまだ鈍い筈だが、こいつはもう自分が蝶の種になると自覚している上、恐らくそういった男の欲望を理解している)


 レオカディオもそれに気づいていたから、あえてあのようなことを言ったのだろう。

 4階にある俺の部屋に通せば、アレナフィルは興味深そうに見渡した。

 

「寮監先生の部屋って、続き部屋が二つもあるんですね」

「まあな。右側がキッチンルーム、左側が居室、その奥がバスルーム、そして寝室だ」

「つまりここは応接用の部屋ですか」

「そうなる。さすがに奥の部屋に連れこもうものなら俺とて叱責されるどころじゃすまん。ほら、掛けろ」

「はい」


 俺が向かいのソファを示せば、素直に頷く。かなり安心した様子で、肩の力を抜いたのが分かった。

 俺よりも上の立場の人間という抑止力があると知り、警戒心を解いたのだろう。


「それならお茶を持ってきてもらう必要、なかったのでは」


 そんなアレナフィルは、キッチンルームが気になるらしい。

 毎日クラブで皆にお茶を淹れているから、それがもう自分の仕事に思えているのか。単純な奴だ。

 しかしアレナフィルは俺の侍女でもなければメイドでもない。愛人でもないのに、俺の居室でそんなことをさせるわけにはいかなかった。


「キッチンルームで、まさかお前に淹れさせるわけにもいかんだろう。で、どうした? 誰かに絡まれたか?」

「・・・お茶の招待状をもらったのです。祖父や叔父に相談すればうまく断ってくれると分かっていますが、学校で顔を合わせる相手に対し、何も知らないわけにはいきません。客観的に見たエインレイド様の置かれた状況、この招待状の差出人の情報、我が家の立場、そして先生とネトシル少尉のことを教えてください」


 見せられた封筒に書かれた差出人の名前は、「アンデション・ウォルウェイ・ローゼリアンネ」と書かれている。

 俺は絶句した。

 ああ、そうだ。こいつは賢そうに見えて実は馬鹿な奴だった。まともなことを言ってるかと思えば、その正体はただの空回り珍獣な奴だった。


(お前がダヴィと呼んでる奴のフルネームッ、グランルンド・アンデション・ダヴィデアーレだろがっ)


 頼ってやれよ、クラブメンバーを!

 本当にお前、男の純情、どこまで踏みにじっていく気なんだ・・・!

 俺が言うのも筋違いだから言わないが、本気で同情するわ。


(だから俺、エリーに「本当にガルディ兄上、アレルに求婚する気あるの?」とか言われてしまうんだな)


 アレナフィルを妃にと望みながら、俺は特に強い行動をしていない。グラスフォリオンのことを知ればこそ、エインレイドもそこが気になるらしい。

 だけどエインレイドも結婚というのは一緒に暮らせることだとしか思っていないから、そんなものなのかなと首を傾げるだけだった。

 いずれエインレイドも恋を知り、王族としての立場に立てば全てを理解するだろう。

 ライバルになりかねない存在を排除するよりも、俺にとってはこの国を支える民の力を引き出す方が優先されるということを。まあ、それは別件だ。


(こいつは令嬢じゃない。そうだ、あの男が戦場で拾ってきた生き物なんだ)


 そうだ、こいつは珍獣なのだ。うっかりウサギだか、シッポ攻撃するビーバーだか知らないが、人間の常識を知らない生き物なのだ。

 こんな奴を分かろうとすること自体が人間の野生動物に対する傲慢さだったなと、俺は自省した。


「ここなら俺じゃなく、グランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君が詳しいだろう。アンデション伯爵家は、彼の母方の実家だ。ちょっと待ってろ」

「あ、はい」


 こっちへ来てしまったものは仕方がないと、俺は居間の本棚へ資料を取りに行く。

 もうこんな珍獣を令嬢扱いするのも空しいだけなのでアレナフィルの隣に座り、俺は資料の中から一つの行を指さして見せた。

 あとでクルミでもあげたらカリカリコリコリ(かじ)るだろうか。ミルクの方がいいのか?


「ほら、これだ。アンデション伯爵家の娘、ローゼリアンネ嬢。ほとんど黒に近い髪にオレンジの瞳をしている」


 これはエインレイドが国立サルートス上等学校に在籍中、通学している、もしくは通学することになる貴族令嬢の一覧だ。何故かウェスギニー家のアレナフィルは載っていなかったが、役人のミスがあったものと考えられる。

 氏名と容姿の特徴、誕生年月日、趣味や特技、更には演奏や技能における受賞内容などがまとめられており、何が得意なのか、今分かっている成績評価についても記載されていた。

 勿論、生徒に見せていいものではない。だけどどうせこいつ、人間じゃないからいいだろ?


「え? そんな人、いませんでしたよ? たしか、黄色っぽい髪が二人、紫の髪が一人、青い髪が一人です」

「それはおかしいな。ちょっと待ってろ。その顔、覚えているか?」

「髪と瞳の色程度なら」


 今度からアレナフィルには撮影機器を持たすべきだろうか。いや、こいつがうまく立ち回れるとはとても思えない。

 それこそ喧嘩を売ってきた相手に、「では、これから録画を始めます。覚悟はいいですね?」とでもやらかしそうだ。


(口先だけは立派だが、人間関係においてはただの劣等生だからな。三日目にして同級生が痺れを切らさなかったら、ランチメイトにも名乗らず一年過ごしてたんじゃないのか? 大体、言って普通に行動する子なら父親だって言い聞かせるぐらいはしただろ。もう放置しておいて、問題が起きてから適当に後始末しておいた方が一番合理的だとでも思ってるんじゃないのか?)


 俺とて考え無しにウェスギニー子爵邸を訪れたわけではない。相手のホームで祖父母の為人(ひととなり)を見ておきたかったのだ。

 あの常識的な祖父母は俺とグラスフォリオン、そしてボーデヴェインという所属の違う三人の姿に、これは対象外の娘をダシにした、非公式な話し合いでもあるのではないかといったことすら考えていたようだ。

 この俺に打診されても騒ぎ立てていないのは、若さゆえの衝動的な発言だと思っているからだろう。グラスフォリオンに対しても同様で、途中でこちらのその気が失せても対応できるようにしている。


(さすがはセブリカミオ殿か。派手ではないが慎重な人柄で知られている)


 俺やグラスフォリオンに恥をかかせず、それでいて孫娘の瑕疵にならぬよう立ち回っている祖父母と叔父の対応に、俺はこういう貴族の在り方もあるのかと教えられた思いだった。

 同時に俺は若さの暴走などするわけにはいかない環境で育っている。その俺の置かれてきた状況を、彼らが真に理解することはないのだ。


(さすがに俺がいて、エリーにもアレナフィルにも変なちょっかいを出されるわけにはいかないからな。だが、エリーが落ち着いたら誰か信頼できる奴に任せて基地に戻る筈が、どうしてウェスギニー大佐にここを押しつけられてるんだ?)


 エインレイドは今も俺がいるというので喜んでいるが、おかげでちょこちょこと抜けてから戻ると、その分を取り戻すかのように留守の間のことを楽しそうに語ってくる。

 あの悪名高いウェスギニー大佐ではエインレイドが潰されるかもしれないと危ぶんで短期間だけ着任した筈が、エインレイド可愛さに負ける気持ちを見透かされているのか、あの男に利用されているとしか思えない状況だ。


(そういえばエリーのガールフレンド候補もどうなったんだよ。アレナフィル独走じゃないか)


 俺は居室の本棚から全校生徒のフォト名簿を取り出し、部屋に戻るとアレナフィルの隣に座った。

 向かいよりも隣に座る方が、表情の変化を読んでいることに気づかれにくい。


「貴族なら経済軍事部だ。覚えているならその顔を見つけてみろ」

「はい」


 針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳が、なんでこんな物があるのか、しかもどうして私の隣に座るのだと、ふにょっと歪んだ表情も相まって雄弁に問いかけてくるが、俺は無視した。

 視線だけで「さっさと見つけろ」と伝えたら、ぱらぱらとページをめくって真面目に探し出す。


「この人達の顔が似てます」


 ああ、そうだろうな。指先を置いて他の顔を見比べていたからそうだろうと思ったよ。

 誰もが上級生だったが、さて、どのルートからの情報だろうか。

 その四人の名前をメモしつつ、俺は彼女達の家の派閥を思い返した。


「いいか、ウェスギニー。アンデション伯爵家のローゼリアンネ嬢の招待状は本物だろうが、基本的に貴族の子は幼年学校時代から茶会や趣味の場を通して知己を増やしているし、親戚付き合いもこなしている」

「はい」


 アレナフィルの頭に手を置きながら話しかければ、どうしてこの人は私の頭を触るのかなという目で見上げてくる。

 なるほど、たしかにささくれそうになる心が落ち着く作用はあるような気がする。俺はアレナフィルに触れる度にその感覚を感じていた。


(だから誰もが頭を撫でてしまうのか。だけど撫でるとふにょっと笑う顔が可愛いから撫でてしまうってのもありそうなんだよなぁ)


 この程度なら普通に男なら恋人や家族を相手に似たような感情を覚えるのではないか。

 彼女の持つ蝶としての資質かどうかが今一つ見極めきれないのは、強く感じる程ではないからだ。しかし触る度に感じる。

 問題は俺が小さなエインレイドを抱き上げて撫でていた時も似たような感覚をいつも感じていたことだ。だから違いに悩む。

 そしてどうもアレナフィルはもぞもぞと落ち着かないらしい。


「何を変な顔をしてるんだ。もしかして他人に近づかれるのが苦手なのか?」

「はい」


 そういえばよく頭を撫でられている奴だったが、撫でられたらそれで終わりだったか。家族以外の異性と同じソファで座るということにも無縁だっただろう。

 独身の貴族令嬢である以上、それは当然のことだ。

 仲良く過ごしているクラブメンバー達も、マナーとして異性とは程々の距離を維持する常識を身につけていた。

 だが、やっぱり見ているとなんだかちまちまとした生き物に見えてくる。

 手乗りインコというのか、なんとはなしに、「ほらほら、こっちに歩いてごらん。いい子だな」と、腕の上を歩かせたくなるような何かがあった。


「慣れろ。誰にでも近い距離を許すのはまずいが、お前が俺を選んだんだ。そうだろう?」

「え? そういう話でしたっけ?」


 不思議そうな顔になっているが、この珍獣は馬鹿ではない。相談しやすいのはグラスフォリオンだっただろうが、相手の家格によっては迷惑がかかるかもしれないと考えたのだろう。

 その優しさがグラスフォリオン、クラブメンバーの伯爵家の息子達、そして自分の家族を戦力外通知に至らせた。

 そんなアレナフィルはお馬鹿さんだ。貴族というものを分かっていない。

 今の時点で動くような愚かな四人に対し、グラスフォリオンであればうまくやれたのだ。警備とは別に近衛から回されている彼が、それぐらい対応できなくてどうするのか。

 そしてグラスフォリオンにとっても、その方がありがたかっただろう。あいつはアレナフィルを手に入れたいのだから。

 貴族社会を理解していないという一点が、アレナフィルを「うーむ。間違ってはいないんだが、その勘違いがあと一歩のところで残念だな」といった行動へ走らせる。学校長がぼやいた通りだ。


「お前は惜しい奴だが、根本は間違っちゃいない。エリー王子狙いじゃないとしたいのであれば、誰か適当な奴を使うしかないだろう。そしてお前はクラブメンバーを巻き込みたくない。そうだな?」

「そうかもしれませんが、なんで先生が、お見通しだぜって感じで語るのか、それが分かりません」


 頭を撫でながらその回数をカウントしていたところ、どうやら触れ合っている時間ではなく、アレナフィルの表情が緩んだ時に優しい気持ちが流れ込んでくるように感じた。たしかにウェスギニー子爵邸で、笑顔の時には強く感じたような気がする。

 俺は鈍いと言われたが、もしかして他の虎ならばもっと鋭く感じ取れたのか。

 だがな、アレナフィル。

 この俺を頼っておいて、撫でられる程度ですむなら安いもんだろうが。

 子供だから大人が助けてくれて当たり前と思ってるのかもしれないが、これがお前、頼ったのが他の大人だったり、お前自身が成人していたりしたら、どれだけのメリットを相手に提示しなければならなかったか。

 まあ、いい。手乗りインコに恩を着せても仕方がない。


「気にするな。お前のことを知った上でローゼリアンネ嬢が招待状を手配したのか、頼まれて仕方なく書いたのかは知らんが、その四人が、お前のその制服でアレンではないと見極めていたのなら、お前がグランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君と一緒にいたことも分かっている筈だ。その上で本人であるローゼリアンネ嬢が出てこなかったのなら、考えられることは大体が三つだ」

「三つ・・・」


 図々しくも不満そうな顔をしやがった。

 俺だっていきなり持ちこまれたそれを名探偵よろしく謎解きできるわけないだろう。その場を見てたわけでもないのに。


「ダヴィデアーレ君自身がお前への招待状を渡す繋ぎを断ったか、実はローゼリアンネ嬢とダヴィデアーレ君の仲が悪いか、もしくは招待状を出したくなかったのにその四人に押しきられたか。ま、そんなところか」

「ダヴィが断った・・・?」

「当たり前だろう? 一度も会ったことのない相手に招待状を出す? 予定も訊かずに? 大体はその相手を知っている人に紹介してもらってからだ。それならお前に対しては、アールバリ伯爵家のベリザディーノ君、グランルンド伯爵家のダヴィデアーレ君のどちらかを通すだろう。貴族ならばな。だが、それがなかったというのであれば、二人が頑として断った。そういうことだ」


 するとアレナフィルは少し考えこみ、何かに気づいたように顔をあげる。


「え。だけど二人共、そりゃ貴族令嬢なお友達は欲しくないかとか尋ねてきてたけど、まさかそんなことなんて思わないですよ」

「あのな、あいつらの立場も考えてやれ。家族からの要求とお前との友情との間でかなり頑張ってたんだろうが」


 鈍い。鈍すぎる。そして間抜けで愚かだ。

 どうしてお前の鈍さを反省するところを、俺に文句を言う行動へと走るんだ?

 それでも俺は丁寧に小さな脳みそしか持たない手乗りインコにも理解できるよう教えてやった。


(なんで俺があいつらを持ち上げてやらなきゃいけないんだろうな)


 だがな、アレナフィル。いい加減に自分が一般大多数的な感性を持たず、非常識であることを自覚しろ。

 そんな親切で心優しい俺に対し、躾のなってない子爵家令嬢は身を乗り出して変な要求をしてきた。


「となると、ここはまず情報を集めなくては。というわけで先生、先生の立場と使える権力と、そしてこの四人のおうちとディーノとダヴィの家族関係を教えてください」

「・・・なんでここで俺の権力とか言い出すんだ」

「私に何かあったら、大切なエインレイド様だって影響するんですよ? ここは男として自分の全権力を使ってでも私を守ることで王子様を守るところじゃありませんか」

「あのなぁ、お前はどこまで俺を利用する気だ」


 何故ここで俺のエインレイドに対する愛情を人質に取ってくるのか。そんな要求を聞き届けてやる方が、俺にとっては問題だ。

 そりゃ俺も後で判明したところで、「子供なりにエリーを守ろうと考えていたのだ。そうなれば俺が力を貸しても仕方がなかろう。許せ」と、それで終わらせる自信があるからいいが、お前な、俺に対するそんな要求を人前でやったなら叱責どころではすまないんだぞ。

 俺が気に入って妃にしようとするのと、その相手のおねだりを叶えてやるのとは全てにおいて別物だ。


「誕生日会でご飯食べさせてあげたじゃないですか。だからその恩と思ってください」

「なんでそれが恩になるんだよ」


 そんなせせこましい恩を押し売りされる日が来ようとは。

 まあ、いい。よく猫も狩った虫やネズミを好きな人に貢ぐというしな。珍獣だからしょうがないのか。


「まずはレミジェス殿に相談して、そのアンデション伯爵家のローゼリアンネ嬢にお断りの返事を書けばいい。その日は先約が入っているという理由にしてな。安心しろ。その日はちゃんと違う茶会に招いてやる。その四人が文句つけられないところだ」

「・・・まさかとんでもないおうちじゃないですよね?」

「安心しろ。身分は高いが、貴族とのごたごたとは一線を引いている。今後、どんな招待状が来ても、その貴婦人のお話し相手として予定を全て空けているので約束できないと断ればいい」

「・・・・・・先生。その貴婦人の承諾はまだ取ってないですよね?」


 かなり警戒心を剝き出しにしているが、この俺を頼ったのが運の尽きだ。

 アレナフィル、お前に接触したい貴婦人はそれぞれに存在するだろうが、この俺が動く相手は限られる。


(まだ子供だからな。俺だって数年後って言っているのを理解してくれればいいんだが)


 俺はアレナフィルの顎に指を引っかけて上向かせた。

 こういう時、普通ならキスでもするのだろうが、虎の種の印を持つ者は相手の気配にも敏感だ。相手が誘惑されたがっていないのであれば、その気も削がれる。

 健康的ではちきれんばかりの肉体的な女性を虎が好むと言われる所以(ゆえん)だ。


「いずれこういう話になるのは分かっていたから、承諾なら取りつけてある。ミディタル大公妃だ。誰もが文句つけられん相手だろう?」

「・・・・・・・・・大公妃って、それ、普通の貴族令嬢のお茶会の方がよほどいいような気がします。私、そんな偉い方とのお茶会に参加するなんて無理です」

「大公妃はお前が礼儀知らずでも気にしないさ。どうせ俺で慣れている。うちの母だし、他の客もいない。何ならエリーの話でもしてやれ。きっと楽しく聞くことだろう」

「先生の、・・・母親。ところで先生、ご婚約者は?」


 エインレイドに続いて、今度は大公の息子の恋人になりたい令嬢に絡まれるのではないかと、アレナフィルが警戒し始めた。

 そんなあるかどうかも分からないことより、キスされるかどうかという俺の動きこそを普通は警戒するものだと思うのだが、俺にその気がないのをアレナフィルも察しているのか。

 つい指の腹でアレナフィルの顎を撫でていたら、手触りは悪くなかった。栄養状態はいいらしい。


「婚約者ねえ。何度も色々な話が出ては消えていったな。安心しろ。サルートス国王陛下は種の印も出ていない子供に対し、成人が結婚を強要することに不快感を示されておられる。勿論、お前も俺の婚約者候補かもしれないという話は生まれるかもしれんが、それならあのクラブメンバーなりネトシル少尉なりを巻きこむか?」


 アレナフィルは少し考えると、吹っ切ったかのような表情で俺を見つめてきた。

 少しタレ目な顔立ちはどうしても丸っこく思えて、人はこの女子生徒を幼く捉えてしまうのだろう。その本性は自分なりにメリット・デメリットを考えては右往左往している珍獣だ。


「分かりました。うん、先生ならどうにでもなりますよね。ところで先生、大公妃様のお茶会ってどんなドレスで行けばいいんでしょう」

「制服でも普通のドレスでも何でもかまわん。だが、あまり着飾る必要はない。気合の入ったドレスなど着ていったら、まさに俺の婚約者候補となりかねんからな。普通に、世間知らずな王子が学校で馴染めているかを心配している大公妃にお話をしに行くスタンスでいればいい」


 今、未婚の貴族令嬢が着飾って大公の邸に行こうものならどんな噂が立つか。そしてあの父は、何も考えずに首肯しかねない。

 物事、じっくりと時間をかけて根回しをしてから、動くべき時にさっと動くべきなのだ。

 力でごり押しするやり方は父一人のことにしてほしい。


「まさかと思いますが、実は王子の情報を手に入れて大公家がとか・・・。まさかと思いますが、先生、実はエインレイド様の近くにいることで・・・とか、どろどろしたものがあったりしませんよね?」


 こいつは馬鹿だ。

 よりによって大公家が王子の弱みを握って実権を取りに行こうとしている裏の企みはないですよねと、変な確認を入れてきた。

 そもそも大公家にその必要はない。反対に取れる実権を投げ捨てている。


「ミディタル大公は、国王の弟なんだが? 何がどろどろしているのか、俺に分かるように言ってみろ」

「ってことは、先生ってレイドの従兄でしたか。道理で態度がでかいと思いました」


 納得したように明るい顔になるアレナフィルだが、もう俺は本気で投げ出したくなった。

 こいつ、ちょっと過激な貴族令嬢の群れに投げ込んでもいいんじゃないか? 毛を逆立てて逃げ出して素直になってからなら可愛がってやってもいい。


「もういい。おさらいだ。歩くスピードとコーナーの曲がり方、そして挨拶の仕方をやってみろ。自分より身分の高い貴婦人に対するものだ」

「・・・はい」


 いずれレオカディオが茶を運んでくるだろう。

 俺はそれまで座るタイミング、どういう言葉にはどういう言葉を返すか、そういった礼儀作法を特訓することにした。


「よその邸は全て使用人の目が光っている。スキップするように歩くな。そこはスカートの裾すらまくりあげることなく静かに歩け」

「はいっ」

「返事はあくまで静かに『はい』だ。語尾をはねさせるな」

「・・・はい」


 やがてコンコンとノックの音がして、深く濃い群青色(ウルトラマリン)の髪をしたレオカディオが、青い瞳を瞬かせる。

 どうやらもっと甘い空気が流れているのではないかと思っていたようだ。


「もしかして歩く練習ですか?」

「あと、挨拶の口上だな。ウェスギニーはあまりにも実体験が少ない」


 男とは違う戦場が貴婦人の社交にあることを、レオカディオは知っている。

 気の毒そうな顔になって、彼はアレナフィルを励ました。


「頑張ってくださいね、ウェスギニー君。歩く速度も、腰をかがめる時のタイミングも、正式な場では全て決まっているものですから」

「はひ・・・」


 アレナフィルは、彼が来たならこれで終わりと思っていたらしい。

 その顔には、「助けてくれると思ったのに・・・!」という無念さが浮かんでいて、彼は笑いを噛み殺すようにして部屋から去っていった。

 その丸わかりな表情がやっぱり貴族らしくないのだが、なくさせるのは勿体ない。

 悩むところだ。

 

 

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