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26 娘が狙われているのだが


 娘のアレナフィルが同じ一年生の王子エインレイド、ベリザディーノ、ダヴィデアーレ、マルコリリオと一緒に立ち上げた成人病予防研究クラブ。

 所詮は子供達の研究クラブだ。仲良くみんなでお勉強していると信じ、私も国境近くのリーセン基地に向かい、あちこち行き来して忙しく働いていた。

 王城へ行く回数を減らしたところで、ガルディアスが報告を代わりにしているのだから問題はない。いざという時に出動も何も、あのメンバーなら十分に学内で対応できるだろ? それなら私は不要だろ?

 様々な仕事をひと段落させて本来の業務である王宮勤務へと夕方前に戻れば、やっとのんびりできるといったところか。

 

(来月には二人の誕生日か。今年はどうするかな。ヴェインも、「娘の誕生日に招いた」という実績で誘っておかなきゃならん。あ、ネトシル少尉も必要なのか? いや、あいつはもういいか? レミジェスに考えさせよう)


 アレンルードとアレナフィルの誕生日には、家族でご馳走を食べる。

 6才位まではローグスロッドとエイルマーサが一緒の自宅お祝いだったが、7才あたりから子供達を連れてそこそこ遠出して遊ばせてやり、ウェスギニー子爵邸での晩餐という流れになっていた。父が孫と一緒に祝いたいとうるさかったからだ。

 陰湿的なところのある父は、私が相手にしなかったものだからエイルマーサに交渉したのだ。私が知った時には子供達の誕生日はウェスギニー子爵邸で仕切った後だった。

 どうやら動物園などに連れて行って子供達におねだりされたアイスクリームなどを買ってあげるのが父と義母にとっても楽しかったらしい。

 ローグスロッドとエイルマーサも日をずらしてお祝いをしてくれるから、二人にとっては誕生日のご馳走が二回ある。


(今までフィルには友達がいなかったからな。だが、一緒にランチしている友達もできたのだし、やはり女の子同士、お友達にもお祝いしてもらいたいだろう)


 問題はうちの娘を取り巻く人間関係だ。

 上司に結婚相手として目をつけられているボーデヴェインは特別チームでできる限り長く引っ張っておいてやったが、いつまで持つか。

 アレナフィルは人情派だ。ボーデヴェインが上司から結婚を迫られていると聞けば、同情して隠れ蓑として誕生日会に参加させるぐらい、すぐ了承するだろう。


「大佐。ご不在時のエインレイド様の護衛報告がこちらです。全て問題ございませんでした」

「そうか。何か変わったことはあったか?」


 現在、この部署は日替わりで一人だけ待機させ、他の日は前の部署に行かせている。

 おかげで優秀な人間を取られたと思っていた部署からは、数日に一回は出さなくてはならないにせよ、戦力が戻ってきたと喜ばれ、お礼にと何個ものぬいぐるみが届いていた。お礼にはそれを抱きかかえた娘のフォトだけでいいそうだ。意味が分からない。

 それらは孤児院に寄付させ、お礼に子供達の笑顔フォトを送らせておくように命じておく。


「いいえ。エインレイド様は無茶をなさいません。毎日つつがなくお過ごしです。ただし一度、街の方にお友達と五人で買い物に出かけたのが楽しかったようで、できればもっと行きたいとのご要望です。現在、王宮側の侍従達と警備棟、そして男子寮とで相談中ですが、フォリ中尉が独断で連れ出す可能性も高まっております」

「エインレイド様を連れ出すのは他の士官と兵士に任せ、フォリ中尉は男子寮で待機と命じておけ」


 よりによってあの二人が揃って男子寮にいること自体がまずいのだ。王宮側は(なま)けてないで、さっさと彼を引き取れと言いたい。


「伯爵家の子息達ばかりか、お嬢様まで普通に一人で通学しておられます。何かあれば治安警備隊に駆け込めばいいと教わってしまったエインレイド様が、どこが危険なのか分からないと、王宮側の侍従達とケンカなされました。どうやらクラブの男子生徒から休日に一緒に遊ぼう、うちにも来ないかと、誘われているようです。

 現在、ウェスギニー子爵家の縁者の裕福な家庭に育った平民の子ということですませていますが、仮の名前までは考えていなかったそうで・・・」


 ここまで変装した姿で長続きするとは思っていなかったのだから仕方ないのか。友達になったなら正体を明かして普通に友達付き合いしておけばいいだろうに。


「妃殿下のご実家なり何なりの姓を使わせていただくか? だが、いつまでも隠し通せはしまい。さすがに自宅に招待されてしまえば、名前を名乗らぬわけにはいかん」

「そのあたりをお嬢様も心配なされたようで、まずはクラブ活動のオブザーバーを招くそれですが、第一回目はそれぞれの保護者をも招くというのはどうかと、提案されたようです。保護者も巻き込んで、クラブでは生徒の誰もが対等な立場なので貴族の子でも優遇はしないし、差別化しない為にも愛称だけで呼び合うのだと、それを宣言しておくというのはどうかと」

「何をあの子はどっぷりつかりこんでいるのだ」


 うちの娘がとてもいい子すぎる。

 これでは本気で、将来は王宮に勤務しろとか言われてしまうではないか。

 見た目のいい青年貴族に口説かれながらおねだりされるというハニートラップを仕掛けられても、王族を守る為ならば毅然と拒否できるようなしっかりした女官が王城には必要だ。それなのに、そこまで芯の通った人材がいないのだとぼやき続ける女官達は、身元も根性もしっかりした娘を欲しがり中だ。

 そこへコンコンとノックの音が響き、フォルスファンドがやってきた。


「ウェスギニー大佐。今日の夕食を一緒にいかがかと、陛下からのお尋ねでございます」

「喜んで同席させていただきます」


 それ以外、私に何が言えただろう。

 なんだかとても嫌な予感がした。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 貴族として出席する時は子爵なので大した身分ではない。そして今回の業務に抜擢されなければ基地で勤務している身だ。

 王子エインレイドの警護状況を王宮で報告を受けて国王トリエンロードに申し上げる立場と言っても、そんな報告など数十秒ですむものだった。

 それなのに何故かちょくちょく短期間で国王夫妻との食事をこなしている。


「今度は違う基地に行っていたとか。本当に忙しいのだな」

「恐れ入ります。本来の業務はフォリ中尉が代行してくれておりますので、安心して向かうことができております。

 陛下まで報告はなされないかと存じますが、火山の噴火に対応するタイミングでもって攻められる恐れがありましたので、特別チームを組み、リーセン基地を拠点として行動しておりました。

 今も彼らは周辺を巡回しておりますが、斥候は全て処理いたしました。このまま終わればいいのですが、戦闘になりましたらリーセン基地より陛下にも報告がなされるでしょう」

「なるほど。だが、そういったことは大佐の仕事ではないのではないか?」


 国王トリエンロードにしても、大佐ともなると通常は机仕事で、現場に出ることはないといった認識だろう。私以外にこの王宮にいる大佐は、せいぜい社交と上司のご機嫌取りが仕事だと断言してもいい。


「通常はその通りですが、結果としてその方がバッファー8基地に人を回せます。少数精鋭で回せる場所と、人数が必要な場所とを考えれば、私が特別チームを指揮し、援軍を出せるようにした方がいいと判断しました。

 リーセン基地は土木作業にも慣れている兵士が多く、ゆえにバッファー8基地にとっては心強かったのではないでしょうか。現在、バッファー8基地は損害がなるべく少なくすむよう、夜を徹して火山対策に当たっております」


 私はリーセン基地に恩を売り、リーセン基地はバッファー8基地に恩を売った。何事も持ちつ持たれつなのである。

 だが、トリエンロードも誰かから言われたのかもしれない。私が自分の本来の仕事を放り出していると。

 貴族も軍も足の引っ張り合いは日常茶飯事だ。


「それら全て、王宮での仕事を(ないがし)ろにしているわけではなく、フォリ中尉の実力であれば私の業務を十分に果たせると認めているからにございます。

 その上で私が指揮した特別チームは、誰もが経験と実績ある者達です。急襲を未然に防ぐこともいたしました。

 今後のプランを指示し、戻ってまいりましたが、何かあれば連絡がくるかと存じます。その際には出動いたしますが、我が国の為と、陛下にはご了承いただければ幸いにございます」


 王子エインレイドの警護状況報告ならば、他人の私を通すよりも今の方がいい筈だ。

 しかし国王が指摘したかったのは私の仕事放棄ではなかったらしい。


「ふぅむ。三面六臂(さんめんろっぴ)の働きとは、まさにこのことか。同時期に一人の人間が責任者となる業務が複数行われているなど、書類の改竄かと疑うところだが、目の前でここまで鮮やかにされてしまっては感嘆するしかない。人を見出す力があるのだな」

「恐れ入ります。部下に恵まれた幸運に感謝するばかりです」


 私的な夕食ながらも、そこは国王の食卓。砂肝と茸とオリーブといった組み合わせのオイル煮が、塩気とガーリックの風味でパンに合う。イカの詰め物も、娘が好きそうな味だ。

 

「そうなると、またウェスギニー様、ご自宅にお戻りになっていらっしゃいませんでしたの?」

「はい。本日からは王宮勤務に戻りますので、自宅から通うことになります。突発的な事態でしたので、私が参りましたが、それで生まれた時間を無駄にせず、誰もが万全の体制を整えて(のぞ)んでおります。妃殿下におかれましてはお心安らかにお過ごしくださいませ」

「あの、・・・ですけど、お子様とは連絡ぐらい取っておられたのでしょう?」

「いいえ? 何かありましたでしょうか。不在時、子供達のことは弟に任せております」


 通常の王宮勤務と違い、私が参加するような特別チームとは工作部隊、つまり家族にも任務を漏らさないことが要求される。

 保護者である私の帰りを待たせるより、弟のレミジェスに父親としての役割は押しつけていた。保護者参観など、私が知る時にはもう終わっている。誕生日だっていないことの方が多い。

 レミジェスも双子の父兄として関与できるなら喜んで代行していたし、双子もその方が私の帰りを期待するより合理的だと思っている。全く問題はない。


「えっと、・・・実は、うちのエリーとの時間、なのかしら? 二人でお茶を飲む時間というのを賞品にして令嬢コンテストがあったらしいのよ」

「そうでしたか。それはまた、どこに出しても恥ずかしくないご令嬢ばかりが参加なされたことでしょう。まさか、うちの娘が参加したのでしょうか?」

「それはないのだけれど・・・」

「それは安心いたしました」


 にこやかに微笑んでおいたが、全く安心してない。全然安心できない。

 うちのアレナフィルが無関係なら、そんな話題が出てくるとは思えないからだ。まさか王子の茶会に乱入でもしたのだろうか。


「あの、・・・食事をしながら見てみません? うちのエリーよりもしっかりしたお嬢様ばかりだったのだけれど」

「拝見いたします」


 他に何が言えただろう。

 私は、次々に出てくる様々なデザインのドレスを着ている少女達の数に驚いていた。どれだけの人数がそのコンテストに出たのか。

 時代は変わったものだ。王子とのティータイムすらコンテストの賞品とは。


「どの令嬢もいずれ劣らぬ名花の蕾ばかりでございますね。エインレイド様も悩まれたことでしょう」

「エリーは最後の子に投票したみたいなの。26番目だったかしら」

「26人も出たコンテストでしたか」


 王子と一回のお茶を飲む為に、ここまで着飾って得意なことをアピールしなくてはならないのか。貴族は大変だな。

 自己紹介とちょっとしたデモンストレーションの最初の方だけでカットされているので、次々に映像は変わっていくのだが、こんなくだらないコンテストを誰が映してきたのか。


(警備棟は警備と護衛に特化している。貴族令嬢のアピールなんぞ管轄外だろうに)


 そう思っていた私の目に飛び込んできたのは、最後の真っ白なローブを着た少女だった。フードで顔が隠れていても誰なのか、私に分からない筈がない。


「先程、うちの娘は出ていないと、お聞きしたかと・・・」

「そうなのよ。アレナフィルちゃんじゃなくてアレンルード君が令嬢コンテストに出ちゃったそうなの」


 それ、何の慰めにもならない。

 映像の中、白いローブを着た少女が皆に語りかけている。


『皆様、本日はいかがでしたでしょうか。どなたもご自分の魅力を余すところなく披露してくださった令嬢ばかり。まさに、恋の矢に射抜かれてしまった方々もおられるでしょう』


 真面目な口調だが、あのローブが意味するところを私は知っていた。すぐにその口調が、可愛らしくも少し甲高い物へと変化する。


『だ・け・どぉ、このアレンちゃんがぁ、み・ん・な・に、教えてあ・げ・る。女の子はね、夢見る乙女が全てじゃないってことっ!』


 放り投げられた真っ白なローブの中から、いきなり現れる破廉恥(はれんち)と言ってもいい黒のミニスカート。黒いミニタイプ翼と黒いシッポ。頭には黒い(いばら)の冠に、赤いリボン。

 息子よ、外ではやるなとあれ程言っておいただろう。

 何をお前は指でポーズ作って、顔に当てているのだ。片足立ちしながら、足のラインを見せつけているのだ。


『おおーっ』

『かっわいーっ』

『めっちゃ可愛いーっ』

『うおおおおーっ、アレンちゃーんっ』


 貴族令嬢がやったら軽蔑されるどころじゃすまない衣装だが、アレンルードは男子だ。

 太腿までの半ズボンなどスポーツをやっていたら何というものでもない。ミニスカートに変わったところで、何とも思わないだろう。


『声援、ありがとーっ! そんな君達にサービスしちゃうっ。アレン、歌いまーっす! みんなぁ、一緒に歌ってねぇっ。み・ん・な、用意はいいかなぁっ?』


 ポーズの一つ一つがあざとすぎる。上半身をねじったり、手を振ったり、ウィンクしたりと、お前はどこの芸人だ。それはうちの誕生日会だけだと、あれほど言っておいたのに。

 み・ん・なのところで一語、一語区切りながら、両の掌を合わせてからくるりと翻し、アレンルードは何かを見せるようなポーズまでしていた。


『いいぞぉーっ』

『アレンちゃーんっ』

『さっいこぉーっ』


 25人のドレス姿と自己アピールは何だったのだろう。この熱狂ぶりは何なのだ。


「もう、消してもいいのではないでしょうか。どの令嬢も、こんなことをされては面目丸つぶれでしたでしょう。本当に息子がご迷惑を・・・」

「まあ、ウェスギニー様。最後までご覧になった方がいいですわ。アレンルード君は本当に素敵な子ですのね。私、感動いたしました」

「その通りだ。女装と思って軽視すべきではない。なんとしっかりした子であろう。次のウェスギニー家も安泰ではないか」


 それなら自分の息子に女装されて、男達の歓声を浴びさせてみるといい。そうすればきっと私の気持ちも分かるだろう。

 私も今まで娘が男装しようが、息子が女装しようが気にしたことはなかったが、さすがにここまで人の目にさらされるとなれば話は別だ。

 映像の中で、アレンルードはノリノリだった。


『はぁい、じゃあっ、「美しき流れ、祖国の愛よ」 いっきまーすっ』


 国歌を指定することで皆と一斉に歌い始めているのだが、お前はいつから合唱のお兄さんになったのだ。いや、合唱のお姉さんか。

 やがて歌の最後のところでアレンルードは赤いリボンと黒い茨の冠を投げ捨て、さっと白い翼と白のロングドレスに早変わりしてみせた。


「 ♪ 地上を潤し、(あまね)く満たす・・・

    (たた)えよ我が祖国、この誇りにかけて・・・ ♪ 」


 貴族令嬢のようなお辞儀をすれば、男子生徒達の歓声が凄い。

 小さく両手を合わせ、はにかむような笑顔は女の子にしか見えないだろう。

 それはレミジェスにおねだりする時のアレナフィルの表情によく似ていた。


「ありがと。アレン、嬉しい」


 絶対、思っていないな。

 もじもじしながら甘えるようなその顔と舌足らずな口調は、アレナフィルがエイルマーサにおやつをねだる時のそれだ。

 いつもアレナフィルばかり甘えてばかりでずるいと言って怒っていたアレンルードだが、真似できる程に見てきた歴史があったらしい。


『ぐおおおおーっ、男でもいいーっ』

『アレンちゃーんっ』


 白いロングドレス姿の天使モードなアレンルードが皆に微笑み、丁寧に語り掛けた。


『皆様、本日はありがとうございました。どうぞ清き投票をお願いいたします。

 また、これはあくまでエインレイド様とのお茶会を賭けてのコンテスト。このひと時が終わりましたら、勝負のいざこざを明日からの学業に持ち込まぬようご留意ください。

 勿論、我が国において頂点に立つサルートス上等学校の生徒の方々。皆様におかれましては浮き足立つことなくイベントはイベント、学業は学業と、明日には忘れ去ってくださることと信じております』


 意訳:今だけ投票してくれりゃいいんだよ。明日からは声かけてくんな。うぜえ。

 


 投票はそれぞれのフォトの下に生徒章を押す方式だったらしい。アレンルードがもらったスタンプは圧倒的に多かった。

 アレンルードがエインレイドとのお茶会など望まないことは分かっていたので、男子寮では菓子店のキャンディ詰め合わせ缶が寮生全員に配られたそうだ。


「そうでしたか。息子のことですから、サクラで声援を寮生に頼んでいたかもしれません。妃殿下にはお心遣いを頂戴しまして・・・」

「いいえ、そんなこと。だってエリーの為にしてくれたことですもの。エリーもアレンルード君が自分に内緒でこんなことをしてくれたんだって感動していましたわ。てっきりフェリルド様の指示かと思っていたのですけれど」

「いえ、今知りました」


 記念にと、王妃フィルエルディーナからカードケースに入った息子の小悪魔フォトをもらった。息子の女装フォトを父親が持ち歩いてどうするのだ。

 もらったのがリンデリーナだったら喜んだだろうが。


(リーナ、君の息子はここまで(したた)かに、そして鮮やかに成長している。こんな兄がいたら妹の存在など消し飛ぶだろう。同じ寮で寝起きし、しかも女子パワーで優勝しているのでは)


 不思議なものだ。こんなにも時が流れてよりリンデリーナに似てきているのに、性格だけはどこまでも乖離していく。

 家族を守れなかったことに慟哭していたリンデリーナの息子は、何を教わらずとも妹を守る子に育った。家では何かと妹をいじめて泣かせているが。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 一年分の予算だと思っていたものが、実は最初の一ヶ月は初期投資でお金がかかるだろうというキセラ学校長・ヘンリークの思いやり予算だったと知り、アレナフィルは国立サルートス上等学校の経済観念にショックを受けていた。

 どうやってこれを一ヶ月で使いきれというのだと(おのの)き、格差がどうのこうの、経済の悲哀がどうのこうの、寄付金の恐怖がどうのこうのと、何やらブツブツ呟いていたが、一晩()ったらどうでもよくなっていたようだ。


(娘よ、お前の自腹購入品とて、クラブ費に手をつけず王子と一緒に消費するのだと知ってしまえば学校側だってその余ったクラブ費用を何に使っても構わないと言うに決まっているだろう)


 アレナフィルは使途を明確にした出納帳を出さなくてもいいと言われ、他のクラブも割り当てられた予算使い放題なのかと、目が点になったらしい。

 王子の為に女子生徒の小遣いを使わせないよう学校長が特別に配慮しただけだろうが、アレナフィルは自分達の行動がそこまでチェックされていることに気づいていなかった。

 アレンルードとは別なやり方で、アレナフィルもエインレイドの普通に過ごす日々を確保する為、色々と考えたらしい。

 月に一回、エイルマーサは視察者(オブザーバー)として成人病予防研究クラブに顔を出すことになっていたが、初回は保護者の参観日としたそうだ。

 他のクラブメンバーの保護者も来るのであればと、私も見に行くことにした。

 エイルマーサはアレナフィルのクラブを見守る係に選ばれたというので、とてもワクワクしている。


「あらまあ、フェリルド様。そんなくだけた服装でいいんですの? それ、ファッション眼鏡でしょう? そりゃあ前髪もおろしている方が、お若くて素敵ですけれど」

「どうも一人の子は親が忙しくて見に来られないようです。そして二人は貴族なので、かなり上質な服装でいらっしゃることでしょう。委縮(いしゅく)してしまったら可哀想ですからね。それならいっそ野暮ったい農作業服みたいな恰好の方がいいかとも思ったのですが、それではフィルがブーブー文句を言いそうです。だから今日は、チャラチャラした父親だなってことで」


 薄茶のサングラスはえんじ色のフレームだ。私はそれを、シャツの左胸よりやや上部についているミニループに引っ掛けていた。

 黄色と緑のストライプ模様が入った、黒を基調とした丈夫な木綿シャツは、まさにお前はどこのスポーツ観戦に行くつもりだと言われても仕方ない恰好だろう。濃紺のデニムズボンにトレッキングシューズといった服装は、どう考えても学校に行く保護者の姿ではない。


「そうでしたのね。では私も着替えてまいりますわ」

「それはやめてあげてください。どうしても女性は服装で常識度合いをチェックされます。フィルはクラブの中でただ一人の女の子ですから、母親が非常識だと思われたら可哀想です。・・・そういえばローグさんは?」


 父兄として非常識な恰好であろうと、私の場合は何とでも言える。

 何より私の立場であれば王宮もしくは軍の制服で行くべき場所である。王子エインレイドの警備も兼ねる警備棟は、現在私の指揮下にもあるのだから。

 くだけた服装の方が王子エインレイドの存在を隠す目くらましになるだろう。


「それがまた仕事が入りましたのよ。何でも水道設備が破裂してしまったんですって。あちらの西部では断水しているそうですわ。最後の工事がいつだったのかとか、そちらも責任問題が発生するかもしれないんですって」

「ああ。西は多いですね」

「そうなんですのよ。ローグは工事会社の使用した物の欠陥を疑っていましたわ」

「ここまで多いと誰でも疑いますよ。ローグさんも大変だ」


 アレンルードの好みで買わされた真紅の移動車を運転してサルートス上等学校へと到着すれば、遠いコートからラケットでボールを打つ音と歓声が響いてくる。

 門で来校者のチェックをしていた警備員、つまり兵士の目が何を思っているかはよく分かった。


(妻は亡くなっている。私は独身。女に声をかけては日々を謳歌してるってか)


 子供はかっこいいのが大好きで、それに乗る父親のイメージや周囲からの視線というものを(おもんばか)ってはくれないのだ。

 私生活は派手に遊んでるんだぜと、きっとこそこそ噂されるのだろう。


「あえて門から駐車場までは蛇行させてあるのですよ。スピードを出させない為にね。そして背が低い木々を両脇に植えてあります」

「事故を防ぐ為でしょうか。子供達の安全を考えてますのね」


 初めてサルートス上等学校に来たエイルマーサは私の案内を聞きながら周囲を興味深そうに見渡した。駐車場だけでもそれなりの広さがあるし、どの建物もまた余裕をもって建てられている。

 移動車を降りたエイルマーサは向こうに見える校舎を眩しそうに見上げた。


「なんて広い学校なんでしょう」

「午前中で終わっているので校舎ももう閉まっているでしょう。そうでなければ案内もできたのですが。フィル達のルームは警備棟ですから、あの建物です。・・・何か揉めているようですね。ゆっくり来てください」


 警備員が二人の男女、特に男の方に詰め寄られている。あの帽子のバッジは警備担当の兵士か。

 私はサングラスをかけてからそちらへと走り寄った。私の姿に気づいた警備員がホッとしたような顔になる。


「失礼。何かトラブルでも?」


 振り向いた初老の男性はスモーキーグリーンのジャケットとスラックスを身につけていた。一目でシルクのシャツだと分かる。

 妻らしき女性はどうやら暴走している夫を止められなかったようで困った顔をしていた。


「君は誰だね? 勝手に口を突っ込んでもらわないでほしいのだが」

「仕事では彼の上司に当たります。本日は成人病予防研究クラブの参観で参りましたが、私の部下が何か失礼でも?」

「ふんっ。やはり真面目そうに見せかけて、遊んでばかりのクラブなのだろう。まともな服装もできん保護者とは」


 私は、鷹揚に頷く。


「この後、息子の入っているスポーツのクラブにも顔を出す予定があるのです。その際は一緒にコートを走りますし、応援もしてあげなくてはなりません。先に娘が立ち上げたクラブの発表会を見に来ただけです。それで彼が何か?」

「ならばまずは名乗れというのだ。普通、クラブというものは姓名を明らかにして相応しいクラブ長や副長を決めるものというのに、こやつは名簿も渡さんというのだ」


 興奮している理由は、クラブ長に一番身分の高い生徒を持ってきた時代を知っていればこその要求だろう。

 そのクラブの現役生徒を加えた卒業生リストまで配られるのが普通だ。今回、新規に設立したにせよ、メンバーの住所と氏名リストが作成されないことなど考えられない。

 気持ちは分かるが、クラブの成立理由が成立理由だ。


「そうですか。・・・名簿を渡すようにと言われていたのか?」

「はい。こちらの方が警備棟にクラブルームがある以上、姓名は把握しているだろうから名簿を出すようにと。学校長に話をされてはどうかと申し上げましたが、断られたとのことです。それでお断りしておりました」


 彼は兵士なので、貴族と分かる保護者に対して強く出られなかったようだ。同時に王子の存在を秘す為にも、頷けなかったに違いない。

 同じ警備員でも士官の方であればまだ対応できたとは思うが、本来は学校の警備メンバーに士官などいる筈がなかった。


「それでいい。グランルンド伯爵は、おそらくクラブを設立したのが女子生徒だと聞いておられなかったのだろう。

 ダヴィデアーレ君の身分はたしかにクラブ長に相応しいだろうが、今回は友達同士がクラブを立ち上げたわけではない。女子生徒の独自研究を聞いた学校長が直接クラブ設立を許可し、更にそのやり取りを聞いてしまったダヴィデアーレ君が自分も参加したいと後から加わったのだと知っておられたら、そういうことは(おっしゃ)らなかった筈だ」


 初老の男性が目をやや見開く。

 自分の顔と名前を私が知っているとは思わなかったのだろう。また、自分の孫息子がクラブ長に相応しいと私が言ったことで、その身分を軽視されていたわけではないと悟った様子だ。

 すかさず夫人が場を和ませようとする。


「ほら、あなた。そういうことですって。いいではありませんの。大体、女の子が一人だなんていかがわしいも何も、そのお父様が警備員の上司なら、いかがわしさなんてありませんわ。・・・ところでお名前を伺えるかしら? 夫をご存じでいらしたの?」

「この服装だから分かりにくかったのでしょう、伯爵夫人。クラブの生徒全員が対等な立場だというコンセプトを聞いてしまえば、父親としても平民に合わせた服装にするというものです。本日はようこそ」


 私はワングラスを外し、前髪をあげてから、夫人に向かって礼を取る。兵士には、もう行っていいと軽く手を振った。

 助かったという表情を隠すように伏せ、警備担当の兵士が気配を殺してその場を離れていく。


「まあ、ウェスギニー様じゃありませんの。あらまあ、まあまあ、なんてことかしら。お父様はお元気でいらっしゃる?」

「はい。本当は父も来たがっておりましたが、成人病予防などと言われたら孫達と一緒にお菓子を食べるのもできなくなるではないかと気づき、それで来るのをやめました」

「まあ、ほほほ。それもそうですわね」


 伯爵家の息子が訳の分からない女子生徒に引っ掛けられたのではないかと案じていただろうが、そこは伯爵夫人も切り替えが早かった。

 髪をばさばさと元に戻し、サングラスをかけてから私は夫人に囁く。


「貴族ではない子も参加していますが、クラブの生徒全員、成績はそれぞれの部で上位10番以内です。身分差で委縮させない為にも、どうか愛称だけで呼び合い、対等な立場だというそれを見守ってあげていただけませんか? その為に、私の権限で警備棟の一室をクラブルームに提供したのです」


 婉曲的に孫息子の成績を褒められたことに伯爵夫人も微笑んだ。


「勿論ですわ。そういうことでしたのね。かえってクラブ棟よりも安心ですわ。夫は、クラブ棟にも入れてもらえなかったなんて、とんでもないクラブに違いないと心配しておりましたのよ」

「ああ、それで名簿をご覧になりたかったのですね。ですが学校長が直接許可を出したものをそこまで案じる必要もないでしょう。何より、皆が一年生ですしね」


 いつの間にか伯爵も機嫌を直している。

 通常、クラブ設立に学校長が直接許可を出すことはない。もしかしたらかなり真面目なクラブではないかと、改めて考えたようだ。

 実際、成人病予防研究クラブなどあまりにも華やかさがない名前だった。


「ウェスギニー子爵はその名簿を見たのではないか? 一体、どういうメンバーなのだね」

「実は私も軍の仕事で不在でしたので、まとめて話を聞いたぐらいです。学校長が心配ないというので心配しておりませんでした。子供の時点で家柄とか言い出してもあまり関係ありませんからね。それぐらいなら将来有望な生徒と切磋琢磨して、試験勉強をしてくれていればいいかと」

「む。まあ、それはそうであろうが、やはりクラブ棟にも部屋がないというのは情けなかろう」


 火山の噴火だの何だので忙殺され、やっと帰宅できたのですよと言えば、なるほどと思ったらしい。

 私が警備棟の方向を軽く腕で示せば、二人も納得した様子で歩き出した。

 歩きながら私も会話を続ける。


「ご覧になれば、それは杞憂(きゆう)とお分かりいただけるでしょう。クラブ棟よりも環境はいい筈です。何か間違いがあってはいけませんので、常に警備員を見回りにも行かせております」

「それで警備棟でしたのね」


 警備棟など男の警備員ばかり。更には男子四人に女子一人のクラブだ。

 その女子生徒の置かれた状況に不安を抱くのも無理はなかった。


「ええ。娘が密室で男子生徒に囲まれているだなんて冗談ではありません。それぐらいならクラブ活動などしなくていいというものですが、一年限りというので許可した次第です。肝心の娘は、私は飼育係ではないと、ぼやいていますが」

「飼育係? 何か飼っておりますの?」

「男の子なんて、おなか空いたしか言えない動物だと、ブーブー文句を言っておりましたね。大人の心配をよそに、子供達は色気より食い気に走っているようです。・・・・・・と、失礼。連れが何か遅れているようです。そこですから。伯爵もこれは他のクラブと違い、全く名誉などはないことがご覧になればすぐにお分かりいただけるでしょう。どうぞお先に」

「あ。あら。ええ、ありがとうございます」

「む、うむ。では後ほど」


 私が学校長ヘンリークと話しているエイルマーサの所まで戻ると、二人はアレンルードの話をしていたらしい。


「あら、フェリルド様。今、学校長先生のキセラ様からお話を伺っておりましたの。ルード坊ちゃまったら、学校でもドレスを着てしまったのですって。ほら、フォト。ご覧になって。これを頂いてしまいましたの。可愛すぎてどうしましょう」


 どうしよう。息子の女装フォトがどこまでも拡散していた。


「アレナフィルには内緒にしていた筈ですから、見つからないようにしてくださいよ? ・・・学校長もいらしてたとは。グランルンド伯が名簿を欲しがっておられましたが、これはうちの娘と学校長の間でクラブ設立が許可され、他の生徒は後から加わったのでクラブ長は娘であること、そして娘が愛称だけで呼び合い、皆が対等な立場だと決めたと説明しております」

「おお。ありがとうございます。では、私も保護者の方々には改めて説明しておきましょう。・・・何故か、関係ない女子寮の寮監まで聞きつけてやってくることになったと聞きまして」

「なんとまあ。その内、女子寮の生徒まで入部すると言い出さなければいいのですが」

「それを案じているところですが、どうも王妃様の縁者ではないかと」

「・・・それはまた」


 アレナフィルがクラブ予算の金額に(おそ)(おのの)いていたという話をすれば、ヘンリークはいやいやと首を横に振る。

 ベリザディーノが出納帳に記録する係だが、金銭チェックは皆でやっているそうだ。

 警備棟の第2調理室に入れば、調理台がテーブル代わりでそれぞれに丸椅子が用意されている。好きな所へ座っていいらしい。


「スカートの裾が床にこすれてしまいますね。・・・ご婦人方には少し高めの幅広な椅子を用意してくれ」

「はい」


 室内にいた警備の士官が、慌てて椅子を取りに行った。警備棟には貴賓室や休憩室もあるが、私の告げた条件は貴賓室にある椅子のものだ。

 アールバリ伯爵家もグランルンド伯爵家も祖父母が来たというので、男性の分もそちらの椅子が運ばれてきた。エイルマーサも含めて布張りの椅子そ勧められ、女性はほっとしたような顔となる。


「助かりましたわ、ウェスギニー様」

「いえ、娘もスカートではなくスラックスなので気づかなかったのでしょう。少々お待ちください、伯爵夫人。通路側は落ち着かないことでしょう。壁側でも、余裕のある席を作らせます」


 一つの調理台でも悠々と六人は座れるのだが、生徒は五人。保護者が二人ずつ来たとしても十人だ。

 私は学校長や父兄がゆったりと座れるように調理台や椅子の配置を移動させた。


(問題は一番いい椅子を用意すべき存在がアレってことか)


 何としたことか。お前らはどこの破落戸(ごろつき)だと言いたくなるような服装の男子寮の寮監達が室内にいる。

 ここまで真っ黒なサングラスをかけ、ぶっといバングルだのイヤーカフだのをつけた、ほつれやかぎ裂きまである上着だのズボンだのを着ている若者達には、グランルンド伯爵も何も言う気にならなかったのかもしれない。

 そっちはもう若いからいいだろうと、私も丸椅子のまま放置することにした。


(ばれにくくはあるが、一気に質を落としてるな。ストリートギャングの集会か? そりゃ声もかけられんだろうよ)


 同じ貴族の士官であっても、王子の護衛だと気づかれたらまずいと判断して映像モニター室にこもっているグラスフォリオンに比べ、男子寮の奴らはどこまで身勝手なのか。

 何人かは教師も来ているようで、

「気になりまして」

「授業参観みたいなものでしょうか」

などと、話していた。教師達はもう丸椅子でいいからと、自分達から辞退した。

 気持ちは分かる。この状況で布張りの椅子にどうして座れるだろう。

 警備棟責任者のエドベル中尉・エイダルバルトは、アレナフィルの近くにいた。警備員は制服を着ているが、やはりエインレイドを目の隅で追いかけている。彼らは壁際に丸椅子だけ持っていき、座って見学するといった形をとるらしい。

 皆が着席したと見て、五人の内、まずアレナフィルが立ち上がり、挨拶をした。


「今日は、ようこそおいでくださいました。

 この成人病予防研究クラブは、できたばかりのクラブです。これから私達が成長し、大人になり、社会に出て、老後を迎えていく過程を考え、いつまでも元気でいられる体を維持する食生活に特化して研究するクラブとして設立しました。

 誰もがおうちでできる小さな努力といったテーマですので、どうか気楽にご覧ください。

 通常のクラブはクラブ長以下、上下関係が存在しますが、私達はみんな一年生なので、立場は同等です。仲良く愛称で呼び合うこと、おうちの身分をお互いの関係に持ちこまないことを約束しました。保護者の皆さんにも私達の考え方を尊重してもらいたいです。

 私はアレルです。どうかよろしくお願いします」


 皆がパチパチと拍手してくれて、娘もほっとしたようだ。着席した途端、背後のエイダルベルトに、

「立派なご挨拶だったね」

と、頭を撫でられて、

「ありがとうございます」

と、嬉しそうに笑っている。

 それはいいんだが、アレナフィル、ほのぼのとしたお前のやりとりを、どうして他の四人の生徒達も笑顔で見守っているんだ?

 お前、男の子扱いされてるって言っていたが本当か?

 メンバーの様子を見るだにちゃんと女の子扱いされているようで、父はとても心配なんだが。

 次にアールバリ伯爵家のベリザディーノが立ち上がる。


「ディーノです。まず、これから配るお茶の説明をさせていただきます。

 えーっと、ある程度の年齢から脂っこいものなどは胃もたれしやすいということで、肉の脂身などこってりしたものを食べてもさっぱりするようなお茶が市販されています。

 僕達は市販されているお茶を飲み、味が飲みにくいことに注目しました。自分達で育てたハーブを加えることで味の改良をしてみましたが、それがこれらのポットになります。よければ味比べをしてみてください。1番は市販されていたお茶。2番はそのお茶に市販されているドライハーブを加えたもの。3番は新鮮なハーブを加えたものです。新鮮なハーブを加えたものが、一番飲みやすいと思います。

 そして全くそういう効果はないですが、4番は僕達が世話しているハーブを使い、お茶として飲みやすいハーブティーを作ってみました。・・・・・・僕達、胃もたれってしないから、どんなに味の改良を考えても、正直、そのさっぱりするお茶があまり口にあわなかったんです」


 学校長や教師達がぷっと噴き出したのは仕方ない。たしかに十代の男子生徒に胃もたれは理解できないだろう。私にも理解できない。

 役割分担があるのか、用意されていた四種類のお茶がセットされたトレイを、ベリザディーノが配っていった。

 普段、給仕しかしてもらっていない伯爵家の息子が運んでくるものだから、

「ほほほ、頑張ってね」

「上手に運べたわね」

などと、女性にからかわれている。

 もうすぐ配り終えるというところで、王子エインレイドが立ち上がった。


「レイドです。良質な栄養を()り、しかし栄養過多とならない為の食生活において、僕達は社会人の毎日について調べました。

 今回はあまり運動しない、・・・つまり机の前に座って仕事をする人を対象にしています。

 まず、キノコや野菜、海藻に含まれる小さな繊維が体の中を綺麗に掃除していくことは皆さんが知る通りですが、葉野菜を湯がいてからキノコや野菜、貝などから出た旨味だけで味付けしたものを作ってみました。物足りない方は、テーブル上のカリカリベーコン、塩、酢、胡椒を散らして食べてください。・・・正直、僕達は厚切りベーコンと一緒に焼いて食べた方が味としては美味しいと思いました。

 ですが、先にこうして野菜をまずゆっくり食べることで奇妙にもお腹が膨れるような気になったのです」


 そこは嘘だ。アレナフィルがぼやいていたが、理論上、先に野菜を食べることでお腹が膨れるような気になるのはある一定年齢以上の人なのだとか。実際、アレナフィルもクラブメンバーも、その感覚が分からなかったらしい。

 しかしテーマがテーマだ。

 ここは自分達もそれを感じたと、嘘でも言ってみることで辻褄をあわせることにしたそうである。


(そりゃ孫も成人した女性に合わせた食生活改善が根底にあるんだ。無理も出てくるか)


 ワイン蒸しした貝とそれで出た煮汁にとろみをつけたものを、まず深さのある皿に敷く。それに、法蓮草(ほうれんそう)を湯がいて絞ったものを食べやすく切り、それからみじん切りにした玉葱とトマトとマッシュルームをオイルと酢でマリネしたものを混ぜた温野菜のサラダを載せたものだそうだ。

 それを一皿ずつエインレイドが皆に配っていく。全体を見渡せる位置の壁際に座っている警備員にはテーブルがなくお茶のトレイを膝の上に置いていたが、そこに載せていった。


「おや、十分に味はついているようだが。ベーコンを散らさなくても問題なさそうだ」

「そうですわね。この程度で十分だと思いますわ。十分に塩味もありますもの」


 恐る恐る試食した大人達も、味は悪くないと頷きあう。


「その塩味は、貝が持っていた塩分です。追加の塩などが不要な人は、それだけ舌が、その程度の塩分でも十分に味を感じる為、濃い味付けを必要としていないのだと思います。尚、体をかなり動かす人は塩分を体が欲しがるので、それでは物足りません。つまり机に向かっている人達は素材だけの味で大丈夫ということになります」


 エインレイドの説明に、皆が理解したように頷いていたが、私を含めて男子寮や警備員にとっては薄味すぎた。

 人目を考えてベーコンや調味料に手を伸ばさないだけである。

 どんな病人食だよと思っているのが、男子寮の寮監達の横顔だけで分かった。


「ダヴィです。皆さんが繊維を多く含む物を口になさっておられる間に、世代における消化能力の変化について説明したいと思います。

 まずはこちらの表をご覧ください。

 そして繊維を多く含む物を食べて消化管内を綺麗にすることで、消化能力を向上させる大切さについても説明いたします。これを(おろそ)かにするということは、体内の老化を進ませるということです」

 

 グランルンド伯爵家のダヴィデアーレが、壁に設置したボードに貼られている人間の体が求める栄養や、様々な食品の栄養価表、そして食物繊維を多く含む食べ物の一覧表などを指揮棒で示していく。

 簡単に描かれた人間の体の絵で、消化時間についても語り始めた。教師の一人がうんうんと頷いているところを見ると、その教師が指導したのかもしれない。消化による疲労についても語り始めていく。


「リオです。ダヴィが、体の負担について説明している間に、お肉のお皿を配らせていただきます。

 脂身の少ない部位の鶏肉を使いました。脂身の旨味が混じっていないお肉では物足りないと思いますが、薄切りにして粉をつけて湯がいたものを、一つはコンソメゼリー仕立てにしてあります。もう一つはスパイスで刺激的な味付けにしてあるので野菜や豆と一緒にあえてあります。

 味が薄いのはコンソメゼリーを添えてある方なので、そちらから食べた方がいいと思います。ゆっくりよく噛んでお召し上がりください」


 一人だけ保護者が来ていないマルコリリオが鶏の胸肉料理を配り始めれば、アレナフィルが食べ終えた法蓮草の皿を回収していく。

 

「ふむ。確かに淡泊な味だ。かえってお腹が空きそうですな」

「そうですわね。ですが普通のお肉料理だと・・・。あっさりしていて私にはちょうどいい感じです」


 コンソメゼリーの角切りを添えた胸肉は、いささか淡白すぎた。特に男子寮の寮監と警備員が不満そうだ。


「へえ、なかなか辛いな。こっちも肉は淡泊だが」

「まあ、本当に辛いですわね」


 反対に同じ胸肉でもスパイスで朱色に染まっている方は、女性は辛すぎると言い、男性は気に入ったというところか。


「これ、ソースはまだあるのか? あるなら分けてくれないか?」

「えーっと、・・・アレル、ソースある?」


 ガルディアスに問われたマルコリリオが、アレナフィルを振り返る。


「先生。そのソースはもうなくて・・・。トマトピューレにペッパー、ガーリック、ジンジャーとかを入れたレッドソースだったんですけど、みんなで女性に好かれやすいよう酸味を、つまりシトラスペッパーとか、レモン皮とか、考えながら足して作ったものなんです。つまり、レシピを逸脱(いつだつ)しているので、同じ物は作れないといいますか・・・。

 それとは全く違うんですけど、オーブン揚げした手羽肉やモモ肉に本来のレッドソースを男性好みにして絡めたものなら用意できます。今日の発表会が終わったら食べる予定で置いてあるので、なんでしたら後でご参加ください」

「それなら今、男にはそっちを出してくれりゃいいのに」


 クラブの本質を無視したリクエストをしている奴がそこにいた。

 さすがのアレナフィルも戸惑い、ふにゃりとした顔になる。


「今回のコンセプトはどこに?」

「気にするな。後で打ち上げするつもりったって、どうせ見に来てるのは保護者らだ。それなら今出しても一緒だろ」

「あくまでこれはクラブ設立の方向性を発表する為の試食であってですね。・・・ううっ、うちは調理クラブじゃないのに」


 後で食べる予定で置いてあったのなら、それをガルディアスが知らない筈がない。わざと言っているのだろう。

 アレナフィルは、棚の扉を開けて六つの天板を取り出した。


「ああっ、アレル。それ、僕達のだろっ」

「もう一緒に食べればいいでしょ、ディーノ。文句はそっちの寮監先生に言って」


 そのままでも食べられそうなフライドチキンを、アレナフィルは3台のオーブンで温め始める。こちらは手羽肉やモモ肉といったもので、胸肉の淡白さとは無縁だ。

 こんがりさせてから天板を取り出し、赤いソースをかけて混ぜると、再びオーブンの中に入れれば、すぐにぷぅんと食欲を誘う香ばしさが漂った。アレナフィルは、一度かき混ぜて更に少し加熱する。


「これ、手づかみで食べるものなので、良かったら皆さん、こちらのミニタオルで手を拭いて食べてください」


 アレナフィルが棚からリネンの束を出して、一度濡らして絞っている間に、男子生徒達がさっさと幾つかの大皿に分けて皆のテーブルに置いていく。


「こっちの胡椒がガツンとくるのがいい」

「やはりこちらの方が血肉になるといった感じですね」


 男子生徒を含め、警備員や男子寮や女子寮の寮監達、教師だけでなく、保護者にとってもこちらの方が良かったようだ。

 女性もまた、辛いけれども食欲を誘うと言い合っている。手づかみはお行儀が悪いと言うべき貴族の女性とて、こういう場では手づかみで食べるものだと、苦笑して受け入れていた。


「そのソースに入っているハーブはリオが育てたんです。ちょっと独特な味なので、万人受けしないかもと、出す方にはいれなかったんですけど」

「たしかにこのハーブらしき独特の臭気さえ感じるが、美味しいとも感じる。つまりそのハーブには食欲増加作用のある成分が含まれているのかもしれないね。調べてみるといいだろう」

「はい」


 ダヴィデアーレは教師らしき男性と食べながら、どの本がどうの、ここの蔵書がどうのと、発表を忘れて語り合い始める。

 もぐもぐ食べながら、「あれ? 研究発表はどうなったんだろう?」と、そんな表情になっているアレナフィルに、ガルディアスが話しかけた。


「やっぱりこっちの方がいけるじゃねえか。なんであんなつまらん胸肉、出してきたんだ? しかもお前、どんだけ肉を用意してたんだ。五人で食べる気だったのか? この大皿盛りを?」

「・・・お忘れかもしれませんが、先生。肉は食いちぎるような筋肉もりもり男の為の食生活じゃなく、私達は普通の穏やかな日々を送っている人達のことを考えてですね、このクラブを立ち上げたのです」


 お前の為に作ったんじゃないやいと、当てこするアレナフィルはやる気満々だ。

 誇り高く顔をあげて、太いバングルだのネックレスだのつけてガラの悪そうな服を着た男に対し、びしっと言いきった。


「そしてこの揚げ鶏のレッドソース()えは、私達と、それから場所を提供してくださった警備棟の方に出す予定だったのです。そもそも揚げている時点でこれはカロリーが高いのです」

「いや、別にもう警備も見に来てるだろ」


 子供の威嚇など、そよ風ほどにも感じないガルディアスが真実を指摘する。

 警備の少尉候補生が皿に幾つかのチキンを盛り、こっそりと出ていったことには私も気づいていた。恐らく映像モニター室にいる仲間への差し入れだろう。

 

「うっ」


 言い負かされてしまったアレナフィルの、ぐぅっとしょんぼりしかけた顔が楽しかったのか、ガルディアスの顔が舌なめずりしている獣を連想させる。

 たしかにアレナフィルがしょんぼりしてしまうと、ちょっと涙目で見上げてくるところが可愛い。だが、そこで調子に乗ったら終わりだ。

 所詮、誰からもちやほやされて育ってきたガルディアスには分からないのだろう。だから懐いてもらえないのだと。

 アレナフィルを懐かせようと思ったら可愛がることあるのみである。


「最初のお茶と飲むと、こういう揚げものの脂がすっきりするね、フィル。ちゃんと調べたんだね」

「パ、・・・お父様ぁ」


 おいでと手招けば、ペタッと私に抱きついてきた。いつものように膝の上に座らせて、よしよしと肩と頭を撫でて髪にキスしてあげれば、それで安心したらしい。

 エイルマーサがすっと近くにあった椅子を引き寄せて私達の間に置いたので、私はそこにアレナフィルを座らせた。


「そうですわ、フィ・・・アレルちゃん。お友達と力を合わせて頑張りましたのね」

「マー、・・・うん」


 優しさが欲しかったらしいアレナフィルである。エイルマーサにも頭を撫でられて、甘えるように目を閉じてうっとりし始めた。

 エインレイドが羨ましそうに見ているが、もしかしたら彼も撫でたかったのかもしれない。

 アールバリ伯爵夫人が、はらりと扇を広げてアレナフィルに話しかけた。


「アレルちゃん、でしたわね。よかったら、一度うちに遊びにいらっしゃらない? ゆっくりお話もしてみたいもの」


 そこでぴくっと反応したのがグランルンド伯爵夫人だが、そちらの夫妻は教師と何やら会話をしていたので耳を澄ましているだけか。


「ありがとうございます。ですが、すみません。私、父の帰宅が不定期で、休日、父が帰宅する時はいつも一緒にいたいのです。それにどこかに寄る時や出かける時は、先に家族へ相談し、その許可を取ってからと決められています。ですからお誘いはとても嬉しいのですが、父を通していただかないと何もお返事できません。すみません」


 私は苦笑してアールバリ伯爵夫人に話しかけた。


「すみません。実はうちの娘は、常に父か弟、もしくは私と一緒でないと外に出してこなかったのです。保護者同伴でない外出の経験がございません。お誘いはありがたいのですが、どうかご容赦を」

「そうですの? お父様が知らないだけではないかしら。子供達で仲良く買い物にも行ったと聞きましたわ。男の子達と一緒に買い物に行くぐらいの元気なお嬢さんですもの。平気ではありません?」


 ベリザディーノは彼女にとっての長男の次男。悪くないと考えたか。

 だが、娘を安く買いたたかれる気はない。


「先に、娘は私に相談し、こちらでも下調べして了解したのです。何より娘は買い物の際、私が差し向けた者達が護衛していることを知っておりました」

「ええっ? そうだったのか、アレル? なら、どうして僕達に荷物持たせたんだよっ」


 ダヴィデアーレからの小さな叫びには、エインレイドが答えた。


「あ、ごめん、ダヴィ。僕もその護衛は知ってた。アレルのお父さん、心配症だもん。お友達ができたら僕からも報告してる。僕と二人の寄り道は駄目だったけど、四人もいればアレル一人ぐらい守れるだろうって、許可が出たんだよ。アレルの行動、全てお父さん、把握してるよ?」

「まさかの箱入り。たかがあの程度の買い物に護衛って・・・」

「え。やっぱり子爵家のお嬢様ってそういうものなんだ」


 ダヴィデアーレとマルコリリオが、まじまじとアレナフィルを見つめる。肝心の娘はきょとんとした顔をしていた。


「こちらの警備棟なら何かあればすぐ私に連絡が来るので、私の管理下にあるならばとクラブ活動を許しましたが、我が家にとっては一生、家に置いておきたい娘でして・・・。まだ親離れもできていない子供なのです」

「・・・ですが、いずれ社交界にも出すのでしょう?」

「いえ。うちの娘は怖がりですので、どこか住まいを与えて、ひっそりと暮らすように手配するつもりです」


 父親をまず通すこととなれば、「それは婚約を申し込んでいるのか?」という扱いになってしまう。

 アレナフィルと自分のホームでじっくり話し、見極めたかったであろうアールバリ伯爵夫人にとっては、何ともむかつく流れだっただろう。

 肝心の孫息子であるベリザディーノは、やれやれといった顔で肩をすくめていた。


「お祖母(ばあ)様。僕達とアレルは友達です。変なこと考えないでくださいって何度言えば分かるんですか」

「んまあ。あなたが楽しそうに話していた子が、ウェスギニー様のお嬢さんだったのよ? 変なこととは何ですか」

「アレルを楽しまない人はいません。僕達の友情に、大人が割りこまないでください。全く、だから父上に来てくれって言っておいたのに」

「んまあ、んまあ。なんてことでしょう。私は孫の初恋ならって思ってあげたのに・・・!」

「男友達に初恋を覚える程、僕は酔狂じゃありません」


 男友達認定されてしまったアレナフィルが、自分の両手をじっと見下ろしている。いや、見ているのはまっ平らな胸かもしれない。

 女の子は種の印が出る18才前後で一気に成長し、体のラインも変化するので、どうしてもそれまでは男女の性差が際立たないのだ。男の子もやはり種の印が出るあたりで体が出来上がる。


「この後、出す予定だったパンですが、あえて平べったい形に焼いた平焼きパンです。あまり沢山食べなくてもよく噛んで満足感が出るようにと、この形になりました。色々な穀物などが入っていますので、どうぞよく噛んで食べてください」


 祖母の恨めしそうな視線を無視したベリザディーノがパンを配り始めた。


「えっと、ディーノ。飲み物出していい? あのお茶、量は飲みにくそうだし」

「ああ、頼む。どうせアレル、また作ってくれるさ」

「えーっと、じゃあ、お好きなものを、皆さん選んでください」


 ベリザディーノに尋ねてから、やはり空気を一掃しようとばかりにマルコリリオが冷蔵庫からアイスティーやアイスコーヒー、ビネガードリンクなどのボトルを出して、コップと共に提供していく。

 それらは自分達用のドリンクだったようだ。

 ボトル瓶にそれぞれ「ストレート」「蜂蜜入り」「砂糖入り」「濃いめ。アイスクリーム用」などというラベルが紐で引っ掛けられている。

 学校長は、その手作りドリンクについて、ちょっと疑問を抱いたようだ。


「君達、その年でコーヒーなど作って飲んでいたのかね」


 年齢的に、上等学校低学年生は苦いコーヒーを好まない。炭酸飲料が人気だ。


「今日は大人の人が見に来てくれるので、飲み物の参考として作ってあったものです。コーヒーには消化を助ける作用や、血管に影響する効果があります。僕達では苦くてミルクと砂糖が必要になり、効果を実感できませんでした。ですが今日の父兄にはストレートで飲んでいただけるよう、水出しで作ってあります」

「ほう。なんと感心な。本当に幅広く調べていたのだね」


 生徒達が気を遣って警備員達に飲み物を作って提供していたのではないかと、そっちを案じたらしい学校長だが、全く違う角度からの返答に改めてコーヒーの入ったコップを眺める。

 

「せいぜい調べたことの発表会と思いきや、試食を出せる程とは思わなかった。五人で頑張ったんだな、エリー」

「はい。アレルは、お土産も用意したんですよ。ブレンドに使えるハーブのミニ鉢植えとか、小腹が空いた時に食べても太りにくいおやつとか、栄養表とか」


 アレナフィルを真似してなのか、エインレイドもガルディアスとマレイニアルの間に座っていた。さすがにこちらは頭を撫でられたりしない。

 ガルディアスに対し、エインレイドは野菜や鶏肉の湯がき方などを説明し始めた。


「方向性を見失ってすぐに瓦解するのではないかと案じていたが、真面目に頑張っていたのだね。この海藻と豆を焼いたものがおやつになるのか」

「はい、先生。甘くないし、素朴すぎて物足りないかもしれませんが、栄養がとれて、体内を綺麗にします。果物も一緒に食べた方がいいですけど、ぽろぽろと菓子くずが落ちないので、調べ物をしながらつまむのに便利です。これをお土産にと」


 ベリザディーノが、お土産用として小分けされていた小袋を一つ渡せば、その教師は早速ぱくぱくと食べ始める。


「ふむ。咽喉(のど)が渇くな。飲み物は必須か」

「水分は念入りに飛ばしています。飲みますか? このビネガードリンク、疲労回復にいいそうですよ。さっぱりします」

「・・・そうだな。この甘さと酸っぱさがいけるか」


 もう喫茶クラブに名称変更して、金取って売ったらどうだ?

 ビネガーに含まれている成分が疲労にどうだのこうだのと説明し始めたそれに、教師がうんうんと頷きながら補足を加えていく。


「ビネガーは何を使っているんだ?」

「飲みやすさを考えてアップルビネガーです。健康を考える人は違う酢を使うこともあるそうですが」

「たしかに飲みやすい。だが、疲労回復の成分を考えるならば・・・」


 使われているビネガーのメーカーを尋ね、教師はそれならばと違う酢も提案し始めた。早速メモを取る生徒達である。しれっと試飲を約束させる教師は何を考えているのか。

 室内には、「この子達、とても便利そうだ」な空気が、学校関係者の大人達に生まれていた。


「ウェスギニー君。成人病予防研究クラブ、皆で頑張りましたね。最初に活動チェックも兼ねて手が空いている教師にも見てもらいたいと言われた時はどんなものかと思いましたが、納得できましたよ」

「ありがとうございます、学校長先生」


 近寄ってきた学校長ヘンリークに頭を撫でられながら褒められ、娘が幸せそうに笑う。

 ところでうちの娘には、褒める時に頭を撫でなくてはならないルールでもできたのか?

 何故、誰もがアレナフィルの頭を撫でているのだろう。


「うんうん。次回の開催日も是非知らせてくださいね」

「・・・・・・え? え。いえ、あの、・・・一回目なので頑張りましたが、来月はせいぜい育ったハーブを使ったお茶程度しか作らないというか、ここまでのものは無理というか、・・・そんな、見ていただくような内容がないと思います」


 いつものように口先だけのアレナフィルが次回の約束から逃げようとする。

 学校長ヘンリークはそんな女子生徒の両肩をがしっと掴んだ。


「それでいいのです、ウェスギニー君。学問とはすぐに答えや発展があるものではありません。それでもこつこつと頑張ることが大事なのです。・・・聞きましたよ。君達は、お菓子にしてもどこまでの甘さを抑えても美味しいと感じられるか、代用品はあるか、ちゃんと沢山の人に味見してもらいながら試行(しこう)錯誤(さくご)していたそうですね。その努力こそが尊いことなのです」

「あ、・・・・・・はい」


 オーブンやレシピの感覚を把握する為、アレナフィルは砂糖を使った場合、蜂蜜で甘さを出した場合、甘味料を使った場合、砂糖は控えめでビターチョコレートを使った場合、小麦粉ではなく違う粉を使った場合など色々と作り、甘さをどれくらい抑えても美味しいと感じられるか、教員室へ持っていってアンケートを取っていた。

 真面目にやってますアピールだ。

 せせこましくも姑息なことにかけて、アレナフィルはプロの域である。惜しむらくはそれが皆にばればれなところか。

 教師には糖分控えめ、油脂分控えめ、炭水化物控えめなお菓子を出してアンケートを取っておきながら、第2調理室でクラブメンバーは砂糖やバター、チョコレートチップやナッツもたっぷりな菓子をぱくぱく食べていたと警備棟は知っていた。

 なんにせよ悪意や敵意のない積極さには弱いアレナフィルは、そのお人好しな性格でいつもドツボにはまっている。

 アレナフィルは、学校長に押されていた。


「来月もまた、楽しみにしていますよ。たとえここまでのものなどなくていいのです。その時はみんなでお喋りしながら、クラブで一ヶ月、どういうことを調べてどう思ったかを語るだけでいいのですよ」

「・・・そ、それこそ、・・・他のクラブが、先生を待ってると、思います」


 アレナフィルよ、父はお前の将来が心配だ。

 他のクラブが学校長の訪問など待っていないから目をつけられたんだろう?

 学校長ヘンリークばかりか、教師、寮監、警備員達も、お前を見る目が変わってるじゃないか。ウェスギニー子爵は幼い娘を使用人扱いして食事まで作らせていたとかいう話が出回らないことを祈るばかりだ。


(どれだけ大量の鶏肉を買いに行ってたんだ。余ったら冷凍するなり持ち帰ってもらうなりすればいいと思ってたにせよ)


 息子達を育て上げたエイルマーサは、

「あらまあ、頑張りましたのね」

程度だが、誰もが料理を得意とするわけではない。

 アイスクリームまで手作りしていたことが、コーヒーに浮かべろと要求したガルディアスによってばれたのだ。

 お前は、色々な果汁を使った氷菓子まで作っていたのは、

「卵の白身を無駄にしたくなかったからなんです。お菓子食べて遊んでたわけじゃないんです。どれも鶏になる命で、卵黄を使ったなら卵白も無駄にせず頂くべきです」

と、食材に関する感謝がどうだのこうだの言い訳していたが、それはもう問題ではない。

 冷凍してあったパンやハンバーグステーキにしても、

「頭を使うとお腹が空くんです。そこで酸化した油脂とかたっぷりなお菓子を食べるのではなく、栄養価を考えた方がいいんです」

と、無駄な言い訳していたが、そういう理由に意味はない。

 誰だってあの揚げ鶏のレッドソース和えを出されてしまえば、

「これはカロリー高いんです。クラブの目的に合致してないんです」

とか言ってる女子生徒が料理上手だと一口で気づく。

 そりゃ男子生徒が夢中になると気づく。食べ盛りの男子生徒が、帰宅するまで空腹に耐えなくてもいいのだ。


(やはり顧問になりたいですとか言い出す教師が増えそうだな。フィルがちょこまかちょこまか作っているのは映像で見ていた警備や寮監とて、作っている物をチェックはできても真空パッキングされたそれを味見まではできなかった筈だ。難癖つけるようにしてアレコレ出させたのはそれがあったか)


 ガラが悪い平民生徒の父兄として参加したのはそこがあったのだろう。ガルディアスにしてもマレイニアルにしても自分でエインレイドが口にするものを確かめておきたかった。けれどもその顔は一発で伯爵家にばれる。

 だから誰もが直視を避けるガラの悪い身なりで参加したのだ。


(クラブは週に三日までと決まってる筈だが、クラブ活動ではなく勉強会という名目で平日は毎日使ってるって話だしな)


 道理で秘密のお部屋にあるアレナフィルの駄菓子が減っていないと思ったのだ。アレナフィルはとっくにここの主と化していたらしい。

 娘よ、バーレミアスを思い出せ。お前、奴のお世話係だっただろう?

 うちの娘は、あまりにも周囲の人の心を見ていなさすぎる。




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