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23 固有種はその土地でしか生きられない


 私がガルディアスの存在を知った時点で考えたのは、これで皆の顔を立てて手を抜けるということだった。

 私は王宮で王子エインレイドの護衛状況の報告をまとめ、それを国王トリエンロードに報告する部署の責任者となった。私という存在を王子に付けたという恩を売りたい人もいれば、フォリ中尉・ガルディアスの着任を手伝うことで私の鼻を明かそうとした人もいる。

 そんなくだらない事情だ。

 軍を辞めそこなった私は十分に出世しているし、財産もある。別に評価を求めなくてはならない理由もないのだが、面倒なのでそういうことにしている。

 何かあった時に私を学校に投入できるようにも何も、虎の種の印を持つ士官達まで配置されておいて私の助けが必要だったらあいつら存在価値ないだろ?

 私はフォリ中尉・ガルディアスに私の業務代行を命じておいた。つまり国王へ私の代わりに報告しておけということだ。

 国王夫妻もガルディアスが相手ならば気兼ねなく質問もできるし、場合によっては息子であるエインレイドがその報告通話に参加してくるので満足されている。

 私への評価が低くなることはないどころか、現時点で最高評価がつけられたらしい。恐らくアレンルード・アレナフィル加算もあるのだろう。

 

(レミジェスもかつては軍で働いていたしな。アレナフィルは自分の存在がばれたらいじめられると怯えていたが、あの監視装置をかいくぐっていじめるのは至難の(わざ)だ)


 いざとなればレミジェスも戦える保護者だ。警備との顔つなぎもしておいた。問題はない。

 ゆえに私はそこに居ずして結果だけを受け取る形を作り上げ、他の仕事に(いそ)しんでいた。

 王宮で私の指揮下にあった者達も一人だけ緊急連絡用に残しておけば十分だ。交代で出ておけと伝える。

 そうして私達は噴火対策に乗り出した。

 ある程度の見通しが立った時点で部下達を基地で休ませる。現地の士官に後を任せて私だけ昼過ぎに王城へと戻れば、何やら学校長から変な連絡が届いていた。

 待機中の部下も困ったような顔をしている。


「うちの娘がクラブ活動を始めることと、エインレイド様の警護状況とは関係ないと思うのだが」

「申し訳ございません。緊急ではないと判断し、バッファー8基地には連絡を入れませんでした」

「それでいい。こんな平和な連絡を入れられたら汗と泥まみれになってた奴らが暴動を起こす」

「はい。・・・皆は現地解散でしょうか?」

「この数日間、寝てないのでな。基地で爆睡だ。明日もここで待機してくれ」

「はい」


 わざわざ連絡を入れてくれたのだからと、国立サルートス上等学校長・ヘンリークに連絡を取れば、とっくに娘の新規クラブ活動申請は受理されたとか。

 別に子供が何クラブに入ろうが作ろうがどうでもいいと思うのは私だけだろうか。過保護な学校長だ。


「申し訳ありません。ここ数日、不在にしておりましたので折り返しの連絡が遅くなりました」

『そう伺っておりました。ですが、本当にアレナフィルさんは立派です。教師達からも、家族の為に美味しいご飯やお菓子を作ってあげたいというクラブ活動はあっても、このようなクラブを考えた生徒はいなかったと、そんな声があがっておりました』

「そうでしたか。家に帰ればいる家政婦の為に、なぜ学校でクラブ活動になるのか、よく分かりませんが、娘には明日の朝にでも話を聞いておこうかと思います」


 するとキセラ学校長は驚いたらしい。


『なんと。明日の朝まで帰れないのでしょうか?』

「いえ。実は今、王城に戻ってまいりまして、これから各関連部署への報告があるのです。おそらく本日、娘が起きている時間帯には戻れないかと」

『それはアレナフィルさんも寂しかったことでしょう。そうなるとこの数日、ずっと戻ってこられなかったのですか』


 王宮における王子エインレイドの警護関係の報告責任者なので、私が不在というのは違う仕事で他の場所に出向いていただけだと思っていたらしい。泊まりこみしなくてはならないような仕事で戻っていなかったのかと、学校長が確認してくる。

 十代の上等学校生が保護者不在の家で過ごしているというのはあまりよく思われないのだ。場合によっては未成年者を施設で保護することになる。


「はい。ですが娘は私の不在にも慣れております。ただ、何をし始めるつもりかよく分かりませんが、家政婦を母のように慕った挙句(あげく)、そのようなことを考えるとはと、内心では呆れている方もおいででしょう。どうか学校長には娘を正しく導いてくださいますようお願いいたします」


 しかし我が家はいざとなれば子爵邸で暮らせばいいことなので、私は何ともないかのように話を続けた。どうせ学校長もまさか夜間に一人とは思っていまい。

 エイルマーサが泊まり込みだと考える筈だ。


『いえいえ、それこそ心配ご無用です。入学早々、あのようなことを言えるということは、幼年学校時代から自分なりに調べていたのでしょう。高齢者にとっての必要な栄養やカロリーが、子供とはどれ程に違うのか、そしてそれをすり合わせるにはどうすればいいのか。あそこまで人を大切に思い、努力したお嬢さんは立派です。私は感動いたしました』

「・・・あ、はい」


 うちの娘に努力・・・?

 もしかしてアレンルードの話だっただろうか。


『お任せください。国王陛下からもご連絡をいただいております』

「国王陛下? 何故、ここで国王陛下・・・?」

『いやいや、ウェスギニー様はどうぞお仕事に専念されてください。勿論、教育者としてきちんと対応いたしますとも』

「ありがとうございます。どうぞ良きようにご指導ください」


 なんとなく不安だったが、やり始めたのがアレナフィルだ。しかも学校長はアレナフィルに好意的だ。ならばひどいことにはならないだろう。

 何よりたかが学校のクラブ活動。そう思って忘れることにした。

 そこで声をかけてきたのが、部署で待機していた部下である。


「ウェスギニー大佐。ネトシル少尉からの定時報告については、警護とは無関係だから大佐への報告の必要はないということでしたが・・・。お伝えしておいた方がよかったでしょうか。私も書き留めている途中で面倒になってやめたのですが」

「たしかに娘のクラブ活動申請とエインレイド様の警護は関係ない筈なんだが、なぜ国王陛下・・・。ちょっと見せてくれ」

「はい」


 待機中に入ってきた連絡だからその場でメモを取ったものの、グラスフォリオンの「異常なし」の後が、アレナフィルの話だったので途中で記録をやめたそうだ。

 メモ書きを見せてもらったら、たしかに彼が報告するまでもないと判断する内容だった。


『異常なし。

 変装しているエインレイド様を受け入れて一生徒と扱ってくれるクラブ探し、難航中。

 エインレイド様、ベリザディーノ君の二人、アレナフィルちゃんがぽろっと()らした、家政婦ママへのカロリー制限料理や体にいいハーブティーのクラブがないだろうかという悩みを聞きつけ、一緒に考える。すると学校長とフォリ中尉、そして二名の飛び入り生徒の後押しにより、新クラブ申請をアレナフィルちゃん提出の流れ。

 学校長は、アレナフィルちゃんがクラブ長ならエインレイド様は問題なく過ごせると判断。

 フォリ中尉は、これでアレナフィルちゃんがエインレイド様から逃亡できないと判断。

 どうしてこうなったのと困惑しているアレナフィルちゃん、可愛すぎる。

 アレナフィルちゃん、クラブ活動名簿は愛称で登録を決定。エインレイド様の正体は他の三名生徒、未だ気づかず。

 私がエインレイド様の正体を守らなくてはと決意に燃えるアレナフィルちゃん、愛と勇気の守護乙女としてついに覚醒。

 父親と自分に合わせた食生活ではカロリー取りすぎだと、家政婦ママに親孝行する為にも長生きしてもらわねばと今から食生活を改善させようとするなんて、新入生が考えることだろうか。

 これはアレか? 家族愛を世界に広める為に地上に降臨した女神の幼い姿なのか? 育ったら女神に進化するのでは?

 これはもう我が国の至宝としてどこかに隠しておくしかないと思うのだがどうだろう。知り合った男子生徒、全員がプロポーズしてしまうのが見えているじゃないか。男装してても可愛すぎるのだが、仮面をかぶせておく方法はないだろうか。

 ・・・以降、記録停止。 』


 私は言った。


「ここまでメモを取っただけでも十分付き合った。ご苦労」

「はっ」

「学校の予算を使って菜食メニューを作ることの何が女神だ、何が至宝だ。あいつ今度川にでも放りこんでおけ。頭が()いてるんだろう。・・・それより、各部署に礼を兼ねた報告を行い、更に予算を分捕ってくる必要がある」

「はいっ。・・・何か眠気覚ましをお持ちしましょうか」

「大丈夫だ。既に打ってある」


 国王がどうこう言っていたのは気にかかるが、物事には優先順位がある。国王も息子が入るクラブ活動だからと何か口を挟んだのだろう。

 問題はうちの娘の魅力がどこまでも知られていきかねないことだ。

 グラスフォリオンも軍のエリートコース士官だ。あいつの縁談相手やあいつ自身の家族が、アレナフィルを邪魔だと考え、排除に動くことも考えられる。

 五年は短く、そして長い。いずれ何らかの手を打たなくてはならなくなるだろう。




― ◇ – ★ – ◇ ―




 部下達は基地で休ませてやったものの、私が王城に戻ってきたのは根回しの為だ。

 慌ただしく特別予算や行政の支援要請、更には特別法による一部地域の閉鎖と侵入者に対する措置法とを追加で認めさせる為に働いたなら、後はもう帰宅して休みたかった。休息は大事だ。

 だが、何としたことだろう。

 国王夫妻から夕食を一緒にどうかと誘われてしまった。晩餐といった大仰なものではなく、食事しながらちょっとした会話をというものだ。

 断るわけにもいかない。どうせなら現地のことを話せば関係部署の仕事も早くなるだろうと、そう考えて行くことにした。

 しかしそちらの報告は既にされていたようで、国王トリエンロードも状況を案じていたらしい。

 

「工場を奪取と」

「その恐れがあります。避難の為、無人になったと知れば、攻めてくることは十分に考えられますので、ぎりぎりまで兵士に守らせることとなっております。幾つか溶岩が噴出している箇所もありますが、その映像は追って提出されるかと存じます」

「うむ」


 食事をしながら仕事の話。

 素晴らしく合理的だ。国王夫妻と私の三人だけだから、変な映像も流れない。


「ところでウェスギニー子爵。堅苦しい話はそこまでにして、学生時代、ダンスパーティは誰にパートナーを申し込んだのだ? たしか姉妹はいなかったであろう?」

「はい。毎年、ちょうどいい相手が見つからないというお嬢様がいらした時、そのお相手を務めておりました」


 なるべく顔立ちを隠すようにして目立たぬようにしていたのだが、女子生徒もまたおとなしいタイプはそれなりにいる。

 適当に頼まれた女子生徒のパートナーを務めて終わらせていた。


「そうか。いや、実はな、たしかにアレナフィル嬢に対し、五年間程、婚約やそういった恋愛を感じさせる接触は無しと決めたが、毎年行われる学校のダンスパーティはどうなるのかと問われてな。・・・まさか、いくら何でもアレナフィル嬢とて四人のパートナーはまずかろう?」


 五年とも六年ともされるそれは、種の印が現れるそれが大体18才前後だからだ。17才で出るか、19才で出るかで違ってくる。成人の証ともされるそれは個人差がかなりあるのだ。


「何故、四人なのでありましょうか」


 いやいや、おかしい。私は王子エインレイドの警護状況の報告部署責任者だ。それなのにどうして娘の話がここで出てくるのだろう。


「バッファー8基地に行っていたのでは聞いておらぬのも無理はない。

 実はエリーと一緒にあちこちの校舎で授業を受けていたアレナフィル嬢だが、建築理工部でアールバリ伯爵家の長男の次男ベリザディーノ君と目が合ってしまったそうだ。

 するとアレナフィル嬢を見てしまったベリザディーノ君は、二人に声をかけ、一緒にあちこちの授業を受ける仲間に加わったそうだ。・・・その子は、アレナフィル嬢の瞳から目が離せなかったと、だから吸い寄せられたと主張している」

「・・・うちの娘はまだ幼く、動物のようなところがあるのです。よく、猫が何か動くものがあればじーっと見ているのと同じです。その男子生徒は、動物好きだったのでしょう」


 まだ寄ってきただけならばいい。うちの娘、ちょくちょくとお持ち帰りされそうになるのだ。

 ひょいっと大人に抱っこされて持ち帰ることができるサイズから脱出してくれた時には、どれ程に安堵したことか。

 

「そしてエリーとそのベリザディーノ君とベンチでお喋りしていた際、母のように思っている家政婦の為に、カロリーの少ないお菓子や、消化を助けるお茶など、年齢にあったものを提供できる為の料理を作るクラブがあればいいのにと、アレナフィル嬢は言っていたそうだ」

「はい。よく分かりませんが、そのような内容でクラブ申請をしたとか。家ですることと学校ですることとの違いも分かっておらぬ娘で恥じ入るばかりでございます」


 別に何も恥じてはいないのだが、そういうことにしておく。

 うちの娘は、みんなから可愛がられる子供でいたいばかりにお子ちゃまスタイルを貫きすぎてやめ時が分からなくなっているお間抜けウサギだ。

 お皿運びを手伝って褒められては嬉しそうにしているアレナフィルは、だからこそ家で料理ができない。


「うむ。クラブ活動申請にはまず5人必要なのだが、そこでいきなり初対面ながら名乗り出たのが、医療薬品部のグランルンド伯爵家の三男、ダヴィデアーレ君だ。どうやら三人の姿を見かけて、自分も仲間に入りたかったらしい」

「エインレイド様に気づかれたのでしょうか」


 まさか国王がクラブ活動申請の条件を語る日がくるとは。在学時代には知らなかったことだろうに。


「いや、どちらもエリーには気づいていないそうだ。幼年学校でも親しくなかったと。

 それから貴族ではないが、地理植物部のマルコリリオ君も、園芸クラブの試し体験中だったらしいが、近くの花壇を手入れしながらその話を聞いて、ぜひ新しいクラブに入りたいと言い出したそうだ」

「高齢の家族がいたのかもしれませんね」


 うんうんと頷いてから私はスープを飲んだ。

 その子の家族構成などどうでもいい。学校のクラブ活動なら娘に危険もないだろう。


「あの、・・・失礼ですけれど、フェリルド様。香水はクールソサイエティかピュアリリーをお使いですの? それはアレナフィルちゃんが決めたとか。本当ですの?」

「え? ああ、そういう名前だったでしょうか。おままごと気分なのか、娘は私のものを何かと選びたがるところがございます。おままごとの延長でも泥団子を食べさせられるわけでなし、店で娘が選んだものを購入し、使っております」


 王妃フィルエルディーナは何が聞きたかったのだろう。

 いや、分かっている。この間まで幼年学校生だった女の子が父親の香水を選ぶのはちょっとおかしい。

 しかし店で娘が気に入った香水を買い求め、父親が使う流れだったと言えば、そこまでおかしいことではない筈だ。


「アレナフィルちゃんは、学校でもスラックスで、まさに男の子にしか見えないそうですのよ。多分、エリーといる時は歩幅や仕草を男の子っぽくしているからではないかと、ガルディは言っていたけれど。ダンスパーティにはフェリルド様も父兄として参加なさいますの?」

「分かりません。大抵は弟が私の代わりに父兄として参加しております」


 授業参観に行っていたのはレミジェスだ。ダンスパーティも父兄として参加するならレミジェスだろう。

 予定が分からない私を当てにするぐらいなら、確実に予定を合わせてくるレミジェスにエイルマーサも打ち合わせをする。


「実は、ちょっと直接会ってみたかったのだけれど。だってエリーがあんなに楽しそうなんですもの。学校のダンスパーティなら紛れ込んでいても分からないでしょう? こっそり会っても許してくださる?」

「・・・うちの娘は全く礼儀がなっておりません。フィルエルディーナ様のお顔も存じ上げません。エインレイド様に、きちんとご正体を娘に伝えてくださるようお願いしていただけましたらと」


 ここで許さないという返答の選択肢はなかった。

 宮仕えに「かしこまりました」以外の返答など許されない。


「ふふ。ありがとう。・・・ガルディが不思議がっていたのよ。どうしてフェリルド様はエリーのフォトをアレンルード君に見せていなかったのかと」

「王族の方々のフォトや名前を記録したものは、誰にどう盗まれるかも分かりません。勿論、王族方の情報など他国にも出回ってはおりますが、せめて私の手元から流出することはなきようにと、あえて持っておりませんでした。ましてや子供は何かあった時、すぐに表情に出します。知らなければ情報は洩れません。申し訳ございません」

「ああ、そういうことでしたのね。アレナフィルちゃんにも私のことは言わないでくださる? どうしてガルディは自分のことを言わないでほしがるのか、この目で見てみたいの」

「妃殿下のお望みのままに。ですが、ああいう時は何が起こるか分かりません。どうか警備棟にも先にお話を頂きまして、近衛による護衛と警備との間で連携を取らせてくださいますよう」

「ええ」


 何かあった時、持ち帰ることができるのは己の体のみ。だから私達は潜入先で全てを記憶することを求められる。

 何より私が貴族で、こうして王宮勤務になっているから失念されているが、私は実戦部隊に所属して工作活動をしていた身だ。近衛として実績を積む貴族出身ルートとは違うのである。王族のフォトなど持っている筈がなかった。


(ダンスパーティね。まだ先のことではあるが、うちの子、双子なんだし、一緒に踊っておけば・・・いや、まずい。目立つのはまずい。もうフィルにも男装させて出席させるか)


 年に一回、サルートス上等学校ではダンスパーティが行われる。

 ガルディアスのことを前面に出してきたが、フィルエルディーナにしてみれば可愛い末っ子が気に入っている子爵家の娘だ。

 のんびりと構えているつもりが、ライバルなお友達が出現だと思ったのか。アレナフィルが誰かと恋人になってしまえば、王子とお友達をしているのは難しくなる。

 肝心のアレナフィル、どの生徒も年下すぎて対象外なのだが。


(わざわざ王妃がおしのびで学校に出向いたとして、それが全く噂にならないものだろうか)


 不自然な動きは人の目につくものだ。よりによってガルディアスが望み、エインレイドの一番近くにいる令嬢として知られてしまえば、まさに様々な思惑の者達がアレナフィルを取り囲む。

 いずれリンデリーナのことでアレナフィルが侮辱されることもあるだろう。その時、その言葉を投げつけられるアレナフィルではなく、アレンルードがどう出るか。

 五年・・・。

 せめて五年、誰の目にも触れないでいてくれたならば・・・。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 帰宅すれば、まだ娘の部屋の明かりはついていた。

 アレンルードが男子寮に行き、私も留守がちでは一人でいるのも怖いだろう。そう思って廊下の常夜灯を幾つか明るいものに交換しておく。

 その音を聞きつけたのだろうか。部屋から白いウサギのツナギ型パジャマを着たアレナフィルが飛び出してきた。


「パピー、お帰りなさいっ。聞いてっ、フィル可哀想なのっ」


 ウサギ耳つきフードは取り外せるタイプで、だから取り外してあるようだが、おしり部分にはしっぽ模様のアップリケがついている。

 一人でできるんだよな子供達がお腹を出して寝ない為のツナギパジャマ。エイルマーサはいい母親だ。

 

「ただいま、可愛いウサギさん。その寝顔だけでも見ようと思っていたところだよ。まだ起きてたんだね」


 アレナフィルが抱きついてくるのを待ってから抱きしめる。それから幸せそうな顔になった娘を抱き上げれば、とても満足そうだ。

 アレナフィルは私を好きだから抱きつきたいし、抱きついた後で抱きしめてもらいたい。そして抱き上げられて同じ目線になることで、私が戻ってきたことを実感したいのだ。

 よく分からないが、一度で三倍の至福だとか。


「寝るのはもうちょっと後だよっ」


 私が連日帰らなかったので寂しかったのか、ちょっとプンプンし始めた。


「そうか。鞄を置いてシャワーを浴びたらコーヒーでも飲もうかと思っていたところだ。フィルも飲むかい?」

「うんっ。フィル、()れといたげる」

「それは嬉しい。愛してるよ、フィル。ゆっくり話を聞かせておくれ」


 アレナフィルの頬にキスして床におろせば、軽やかにたったったったとキッチンルームへと駆けていく。

 考えてみれば、なんでこんな面倒なことになっているのだろう。

 うちの娘は私といるのが大好きだ。それならずっと私と暮らせばいいのに、誰もがアレナフィルの結婚相手には自分をと売り込んでくる。

 やってられんと思いながらシャワーを浴び、一階へと降りて行けば娘は自分用にとても甘そうなコーヒーを作ろうとしていた。


「ミールクはホットホット、はっちみっつ入―れてー」


 それってもう、コーヒーじゃないだろ?

 うちのキッチンルームで白ウサギが歌っている。


「おーひさまはちみーつ、おーもさはてーんびん」


 私のコーヒーはできているようだが、アレナフィルが飲む方は蜂蜜入りホットミルクをコーヒーに足したいようだ。

 いや、蜂蜜入りホットミルクにコーヒーを足したいのか?


「そぉーこーでっ、じゃじゃーんっ、冷凍庫から生クリームぅっ」


 誰に向かって宣言しているのか。うちに生息している白ウサギが賑やかすぎる。

 絞り出して小分けしてあった生クリームを冷凍庫から取り出し、コーヒー入りハニーミルクに浮かべると一つではちょっと小首を傾げて、結局二つ入れた。

 更に棚からキャラメルクリームを取り出して、まだ溶けきっていない生クリームの上にくるくると載せていく。


「んまあ、なんて素敵なことでしょう。ルードが見たら、羨ましくってキィーッですね」


 いや、アレンルードなら出来上がりを待たずに牛乳を一瓶飲み干す。

 満足そうなアレナフィルは、どんな甘いものを作り上げているのか。それをコーヒーとは呼ばないと思うのは私だけか。

 私はそうっと娘の背後に近寄った。そして腰をかがめて耳元に唇を近づける。

 

「食いしん坊さん、ちゃんと後で歯を磨くんだよ」

「ひゃあっ」


 うひゃっと体を飛び跳ねさせて、アレナフィルが振り向いた。

 おお、涙目で睨んでくるところがファイトだな。


「パ、パピーッ。足音させないで近づくの、駄目なんだよっ」

「はは、驚かせたかったのさ。お詫びに運ばせていただけませんか、お嬢様?」


 腰をかがめて娘の手を取り、その甲にキスする。アレナフィルは赤くなり、ぷんっとそっぽを向いた。


「そ、それなら、・・・許してあげますっ」


 そこで私のことが好きすぎて、許さないとは言えないうちの娘、食べたくなる可愛さだ。

 これ、うちだけに生息する固有種なんだからよそにあげる必要ないだろ? もう一生、うちで生息させておけばよくないか? この子だっておうちが大好きだし、この生活に満足している。


「ほら、ちゃんとガウンを羽織(はお)っておいで。風邪をひいたら大変だ」

「ありがと、パピー」


 アレナフィルの部屋から取ってきた、ウサギ耳付きフードのついたピンクのガウンを着せれば、白ウサギが桃色ウサギに変身だ。

 袖を通させて、フードもかぶせたら、私と同じ玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪が隠れてしまったが、その愛らしさだけは隠しようがない。

 そりゃこんな大きな濃い緑の瞳で見つめられたら、ふらふらと吸い寄せられる生徒だって出てくるさ。当たり前だろ。

 

「自己管理は大切だよ、フィル。可愛いお前に何かあったら私は仕事が手につかなくなるからね」

「はぁい」


 リビングルームまで二つのカップを運び、私は棚近くの肘掛け椅子(アームチェア)にしようと、その横のローテーブルの上にカップを置いた。

 ぽてぽてと後ろをついてきたアレナフィルを抱き上げてから座る。アレナフィルはいつものようにおとなしく私の膝の上に落ち着いた。

 アレンルードは、

「僕、もう子供じゃないし」

とか言って膝の上に座るのを嫌がるようになったが、アレナフィルは全く嫌がらない。思うに女の子は幾つまでそれを受け入れるのか、普通が分からないのだろう。


「ほら、クリームが溶けない内に飲みなさい。・・・ん、やっぱりフィルのコーヒーが世界で一番だ。留守の間、変わりはなかったかい? ルードがいないからそこまで大変じゃなかったとは思うが」


 尋ねてみただけだ。この子は思いきり自分のしたいことを満喫している様子だった。

 ベッドにはファレンディアの小説が何冊も転がっていたし、秘密のお部屋とやらから持ち出してきた駄菓子も棚や机に沢山置かれていた。

 自分のお菓子を勝手に食べてしまう天敵がいない楽園ライフを謳歌していたようだ。アレンルードは妹が大好きなくせに泣かすのも大好きだ。

 家政婦のエイルマーサはアレナフィルの部屋に入ったところで、せいぜい窓を開けたり閉めたりする程度だ。外国語の本が転がっていても、また挿絵を楽しんでいるのだなとしか考えない。

 アレナフィルにキャラメル付き生クリームが浮かぶカップを持たせてやり、私も自分のコーヒーを飲めば、やっと心が落ち着いた。

 しばらくは忘れていられる。あの汗と土埃のにおい立ちこめる時間を。怒鳴り声や泣き声が響き渡る混乱を。

 家とは自分が鎧を脱げる場所なのだろう。


「王子様情報によると、ルードは毎日お洗濯するようになったみたい。洗濯に出せばいいのに、ルード、キレーなおねーさんには出したくないんだって」

「照れちゃって出せないのか。家でこんなに可愛いフィルを見慣れているくせにな」


 打った眠気覚ましがそろそろ切れる頃だ。コーヒーにブランデーでも足して眠り薬にしよう。

 そんなことを思って棚にあった瓶からコーヒーに垂らせば、アレナフィルが私のことをじーっと見つめている。

 スキンシップが足りなさ過ぎただろうか。かまってほしいけど我慢している顔だ。

 桃色ウサギフードを後ろへ外し、現れたアレナフィルの髪を撫でてからその柔らかな額にキスした。目と目を合わせれば、針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳に私が映っている。

 ちょっと頬を赤くして、娘はこくこくと生クリーム入りホットミルクもどきを飲み始めた。

 この子は愛情が足りないと感じると、すぐ悲しそうな顔になるのだ。


「とても甘そうだね、フィル」

「うん。甘いよ。パピーも飲む? コーヒーに蜂蜜とミルク入れて、くるりん生クリーム浮かべて、キャラメルクリームくるくるしたの」


 いや、コーヒーはほとんど入っていなかっただろう?

 そこで見栄を張ってコーヒーが多そうなことを言い出すうちの娘が、唇に生クリームとキャラメルクリームをつけている。

 私はそっと可愛い唇の脇に親指を滑らせ、それを舐めた。


「いや、いい。・・・ん、本当に甘いな」


 自分の舌で舐めてもよかったが、このうっかりさんが、それが普通だと思いこんでも困る。

 だけどこれ、生クリームの中にも砂糖が入っているだろ? お前、それを二つも入れたのか。しかもミルクに蜂蜜まで入れてたよな?

 それでご機嫌になって歌っていた白ウサギだ。やはりうるさいことを言わない私と暮らすのが一番幸せではないか。


「ルードにはフィルも女子寮に入れろと言われたが、やっぱりこんな可愛いフィルをおうちからは出せないな。ルードもフィルがいないと嫌だと言って、すぐに自宅通学に切り替えそうだ」


 男子寮でも元気に過ごしているようだが、いつまで持つやら。

 自分がいなくて寂しい思いをしている妹がいれば満足だろうが、兄がいないことで気楽に生活していると知ったら一気に不機嫌になって自宅通学に切り替えそうだ。


「ルード、クロスリーボールとユニシクルボールのクラブに入りたいから、寮から出ないと思う。男子寮の4年生にね、クラブの先輩がいるんだって。どっちかにしとけばいいのに、両方できたら二年後、カヤックボールにも特別に入れたげるとか言われて、その気になってるんだよ。週末もおうちに帰らずに練習するんだって」


 カヤックボールは、水上で、一人ずつが小型のボートに乗ってボールを操るゲームだ。水上でボートに乗っている者同士が争うのだから、かなり荒っぽい。


「おやおや。カヤックボールだからプールで遊べると思ってるんじゃないだろうな。あれはかなり激しいから、体が出来上がってからじゃないとクラブには入れない」

「ルード、痛い目に合わないと分かんない子なんだよ」


 困ったもんだよねとぷぅぷぅしている娘は、少しずつ落ち着いた気配になり、機嫌を直し始めた。

 一人でいることが苦にならないアレナフィルは、それでいて寂しがり屋だ。この矛盾を本人だけが分かっていない。


「そうだな。フィルが賢くて助かった。寂しいだろうに、ちゃんとルードの様子も気にかけてくれてたんだね、フィル。同じ経済軍事部に行こうものならお前に身代わりをさせかねないと思っていたが」

「そうだ、パピーッ。王子様、ちゃんと他のお友達できたんだよっ。もう私、お役御免だと思うのっ」


 いきなり娘が興奮し始めた。

 御役(おやく)御免(ごめん)どころか、もっとがっぽり入りこんだのは娘よ、お前だ。

 一緒にランチを食べている女子生徒達はクラブに入ってくれないのか。いや、あの王子のことだからアレナフィルを誘導してそれを言わせていない可能性もある。もう一人の男子生徒・ベリザディーノも同様に。

 まだ子供でも少年達とてそれなりの場数は踏んでいるだろう。他の少女達が入ってきたらクラブ内でバランスをとるのが難しくなることぐらい分かっている筈だ。

 

「ああ、それか。こっちに学校から連絡が来てたよ」

「え? そうなの?」

「ああ。とても感心していた。フィル、マーサ姉さんにカロリーが高くないお菓子を食べさせたり、健康的なハーブティーを飲ませたりしようと、こっそり調べてたんだって? フィルはこんなに甘いものが大好きなのに、マーサ姉さんの為に色々と考えてたんだな」

「う、うん。フィル、マーシャママのおなか大好きだけど、きっと体には悪いの」


 私の胸元ですりすりするのがお気に入りな娘は、エイルマーサの柔らかくたぷっとしたおなかに抱きつくのも大好きだ。

 人のぬくもりに安心するのか。ぎゅーっと抱きついて目を閉じる時の表情はとても幸せそうだ。

 私の帰宅を知ると安心した顔で駆け寄り、抱きしめられると幸せそうに目を閉じて抱きしめてくる。こんな顔、サルートス上等学校でうろついている盗人達は一生知らなくていい。


(実の娘でなければ、よそ見などさせなかったのに)


 可愛いアレナフィル。私のもう一人の娘。

 私と同じ玉蜀黍の黄熟色(メイズイエロー)の髪、針葉樹林の深い緑色(フォレストグリーン)の瞳、そしてリンデリーナによく似た顔を持つこの子を不幸にだけはしたくない。

 親子でなければずっとこの家の中で守ってやれるのに、父親など報われないものだ。いつかこの子はよその野良犬なんぞに恋をして、そいつを選んでしまうのだろう。


「いい子だね、フィル。学校からは、『お宅のアレナフィルさんが、家政婦さんの健康を気遣って新しいクラブを立ち上げました』ということだったが、その後で熱く語られた」

「立ち上げたんじゃなくて、立ちあげさせられたの、パピー。私は望んでないの」


 王子に伯爵家の息子という悪くない友達ができたんだ。お前が逃げるかもしれないと、誰だって気づくに決まっている。そこで自分がしたいこと、欲しいものといったことを、ぽろぽろと垂れ流したらどうなるかも分かっていなかったのか。

 馬鹿な子ほど愛されてしまう理由が、アレナフィルを見ているとよく理解できるようになった。


「そうなのかい? みんな感心していたよ。追加連絡が別口からきていたからね。なんでも医療薬品部の子に薬効を調べさせ、地理植物部の子に使用するハーブを育てさせ、建築理工部の子に保管や乾燥を任せるんだって? 経済軍事部の王子を使って学校長にその場でクラブ新設の許可をとらせたあたり、ウェスギニーの娘は無駄なく人材を使い倒すやり手だと聞いたよ」

「・・・パ、パピー。それには悪意ある改竄(かいざん)を感じます。フィルは、フィルはその犯人を見つけて、叩きのめさなくてはなりませんっ」


 アレナフィルが小さな(こぶし)をふるふると震わせて高く掲げる。

 あのガルディアスをどうやって叩きのめすというのか。反対に食べられてしまうからやめておきなさい。

 こんな桃色ウサギが自分から飛び込んできたら、誰だって自分の巣に持ち帰る。


「そうだろうね。はたまた違う別口からは、クラブ活動してみたかった殿下と一緒に新クラブを立ち上げたと聞いた。

 クラブ入会時は名前を登録しなきゃいけないから、変装していても殿下の正体は露呈してしまうが、友達同士で新クラブを一緒に立ち上げて、二人がクラブ長と副長ならその必要もない。

 三番目の連絡してきた奴は、フィルは本当に心優しくて人を大事にする、見た目通りに全てが愛くるしい女の子で、男なら誰だってお嫁さんにしたい最高のお嬢さんだって、みんなにも力説していたようだね」


 全くグラスフォリオンの牽制(けんせい)にも頭が痛い。アレナフィルはあまりにも存在感を放ってしまった。

 だからいち早く皆に触れ回ることで、他の同僚や知り合いがアレナフィルに対して自分と同様の申し込みをしないように、先に目を付けたのは自分だとアピールしている。

 ガルディアスとグラスフォリオンは少なくとも五年は手を組んでアレナフィルを守るだろう。しかし今はお子様なアレナフィルが恋を覚える年頃になった時こそ、二人は一気にライバルとなる。

 私に似たなら四年、妻に似たなら六年。面倒だから二人共この五年の間に恋人を作って勝手に幸せになってくれ。

 我が意を得たりとばかりに、アレナフィルが力強く頷いた。


「そうだよ、パピー。フィル、とってもいい子だよ。やり手じゃないよ」

「ああ。間違ってもフィルに手を出さないよう、きっちり言い聞かせておいたから安心しなさい」

「・・・パ、パピー」


 五年後、あいつら全員ちょっとヤバい所に派遣してもいいだろうか。いない人間に恋などできまい。

 生還率10%とかいう前線とか。いや、10%なら戻ってくるか。ならば1%。いや、まだ手ぬるいかもな。

 なんだかちょっと媚びているような表情で、アレナフィルがもじもじと見上げてきた。


「あのね、それでね、パピー。王子様にお友達ができたら、フィル、お役御免なんだよね?」

「そうなんだが、フィル、クラブ長になったんだろう? 五人でぎりぎりなんだって? 今、お友達をやめられないんじゃないかい? せめてそのクラブに他の入部者がいないと」

「・・・そんな気はしていた。フィルはもっと、普通の子が入りたいって思うクラブを作らなきゃいけなかったの」


 愚かな桃色ウサギも自分の敗因には気づいていたらしい。がっくりと項垂(うなだ)れた。

 立ち上げたのがこの子じゃなければ、他の四人も入らなかっただろう。

 まだアレンルードそっくりの姿で通学しているからいいが、この子がドレスアップした姿を見てしまったらどうなることか。年に一度のダンスパーティはまだ先だが、頭が痛い。

 ウェスギニー関係者だけが参加する父の誕生パーティではいつも注目を集める双子のドレス姿だ。


「そうだね。成人病予防研究クラブは、ちょっと入る人を選びそうだね。だけどフィル、そういうことならと、校外の人を指導者ではなく視察者、つまりオブザーバーということでそのクラブ活動に参加させてはどうかと、王宮からコメントが入ったらしい」

「ふぇっ? ど、どうして王宮・・・。それ、王様とかっ?」


 惜しい。エインレイドに相談された王妃フィルエルディーナの発案である。

 エイルマーサの健康を案じるアレナフィルにより、王子エインレイドは「相手に何も言わず、だけどその手助けをする」という優しさを学んだらしい。

 アレナフィルが作ったお菓子やお茶をその人は喜んで口にしてくれるのだろうかと、息子から相談されてしまったフィルエルディーナの面目躍如(めんもくやくじょ)か。

 そういうことならその女性を誰にも文句をつけられない立場で招待してしまえばいいのだと、王妃は息子に教えてあげた。そして国王もその旨を学校長へ伝えさせた。

 うちの娘はどうやら家族のほのぼの団欒のネタに使われていたらしい。


「どうだろうね。形式上はクラブ活動の指導者ということになるが、そのクラブはフィル達が調べて研究することになってるから、実態はオブザーバーだ。フィル達が作ったものを一緒に飲んだり食べたりすることになるだろう。指導者じゃないから謝礼金は支払われないけど、生徒達が作ったお茶をプレゼントするのは問題ないそうだよ。その材料費の予算はつけられている筈だ」

「え? 顧問に先生がつくわけじゃないの?」


 顧問になりたがる教師が殺到したのだ、娘よ。

 何といっても王子が友達と共に一から始めるクラブ活動。


「ああ。父兄として上等学校に行くのは躊躇(ためら)われても、クラブ指導者として訪れるなら問題ないんじゃないかな。マーサ姉さんには、いずれ学校から参加協力のお願い文書が届く筈だよ。せっかくだから校内案内してあげてもいいだろうね。校庭で遊んでいるルードを見られるかもしれない」

「パ、パピーッ」


 うちの娘はこれで「お金は大切なんだよ」なポリシーの持ち主である。全てが無料と知って、目をキラキラさせ始めた。

 とはいえ、顧問になれなかった教師達の不満もありそうだ。変なところで足を引っ張られないといいのだが。


「マーサ姉さんが普段から飲めるよう、できたお茶とかを渡すのはいいけれど、どうせなら美味しくできたお菓子とか、たまに教員室にも幾つか献上しておきなさい、フィル。そうすればお前がクラブ活動とは関係ない、自分達用に甘くてバターやクリームたっぷりなお菓子や甘い飲み物を作っていても見逃してくれるよ」

「な、なぜそれを・・・」


 コーヒーを飲む父親に付き合って、自分にはたっぷり糖分と脂肪分を入れこんだ飲み物を作った娘が、まるで大切な秘密を暴かれてしまった罪人のような顔をする。


「うちの妖精さんが、甘くないお菓子を喜んで食べるとは思えないからね。ましてや他の子は男の子ばかりじゃあ、全然足りないだろう」


 バーレミアスが、アレナフィルは料理が得意だと言っていた。菓子作りもそれなりにこなせるらしい。ただし使っている調味料や計量の小物がファレンディア国とかなり違うようで、本人はそこに不満をぶちまけていたとか。

 バーレミアスと相談したアレナフィルは、子供が料理をやり始めてもおかしくないのは18才以降だと、結論づけた。

 それまではエイルマーサのお手伝いをするぐらいで、何もできない子供を装うつもりらしい。だが、そんなクラブを作ってしまったなら、このうっかりウサギは、遠慮なく料理の腕を披露するだろう。


(教師達とて職を失いたくはないだろうが、王子の情報を全く流していないわけではなかろう。本当の花嫁候補の戦いは、印が現れてから始まる。今は情報集めに専念している貴族もいる筈だ)


 いざとなったら王子エインレイドは料理上手な子が好みだという噂を流してアレナフィルを守るしかないのか。そればかりは本人の技量。

 目の前で作らなくてはならないのであれば、アレナフィルに嫌がらせもできずに本人が特訓するしかあるまい。


「私のせいで夜更かししてしまったね、フィル。さあ、歯を磨いて寝る時間だ」

「うん。パピー、あのね・・・。一緒に寝ても、いい?」


 おずおずと言い出すアレナフィルが可愛すぎるが、この子の正体はおマヌケうっかりウサギの精霊だ。

 もうポケットに入れて持ち運んでもいいんじゃないか? ウェスギニー家固有ウサギは父親のポケットに入ったまま、いつでもどこでも一緒でいいんじゃないか? 二度と私の知らぬところで娘を失いたくはない。


「私はそのつもりだったよ。荷台で仮眠しながらフィルとルードの夢ばかり見ていたからね」

「パピー、なんて可哀想」

「仕方ない。私達が時間を無駄にすることで、誰かの命が失われるかもしれない。寂しい思いをさせたね、フィル。だけどまた一人ぼっちにしてしまう」


 アレナフィルが小さく首を横に振った。


「ううん。フィル、分かってるからいいの。パピー達が嫌な思いをして、みんなの笑顔、守られてる。フィル、大きくなったら、そんなパピーと穏やかに暮らすの」

「ああ。楽しみにしているよ」


 ブランデーよりもアレナフィルの方がよほど眠気を誘う。

 離れている間にうちの息子も妹べったりを少しは矯正されてくるといいのだが。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 夜が明けてしまえば、またしばらくは帰宅できない日々となる。アレナフィルには、男の腕の中で目覚めれば頬にキスされて愛の言葉を囁かれるというロマンチックなお目覚めパターンをやっておいたから、変な若僧にくらりとすることもないだろう。


(早く押しつけられる奴が育ってくれんかなぁ。もう仕事辞めたい)


 それでもしなくてはならないことがある。私はバッファー8基地から通達しておいた集合場所に立っていた。

 通常は違う上下関係の部署に配属されていても、非常時には臨時チームが結成される。それが工作活動を行う実戦部隊だ。

 ほとんどが虎の種で占められているので虎の種の印を持たないと入れないと思われている。実は他の種も混じっているのだが、あまりクローズアップされないのだ。

 そうして集まったなら気心知れた仲間達である。さっそく私の背後から飛びついてきたのは、灰色の髪をしたボーデヴェインだった。


「ああああーっ、お会いしたかったですぅっ。もう俺、引き抜いてくださいよーっ。あんな所、嫌ですぅっ。ボスなら異動権限ありますよねっ!?」


 うちの双子ならともかく、よその男に背後から抱きつかれても全く嬉しくない。

 平民出身の虎の種。灰色の髮にオレンジの瞳をした彼は、よほど今の部署が嫌な様子だ。けれど王子の警護状況の報告部署なんて退屈なだけだろうに。


「無茶言うな。あんな鸚鵡(おうむ)仕事に貴重戦力引き抜いちまったら俺が懲罰食らうわ。で、何が問題なんだ?」

「上司が嫌です。あんなワガママ女、無能のくせに命令ばっかでやってられませんっ」


 いきなり背筋を伸ばし、きりっとした顔で報告するかのように言われても、お前も大概我が儘だぞ? てかな、上官に背後から抱きついてきた時点で、普通なら殴り倒されてるっつーの。もう踏むのにも飽きたからやらんが。


「お前がその上司、コントロールできねえのか。お前んこった、単にさぼってんの見つかりまくってただけじゃねえだろな」

「真面目にやってますよぉ。大した仕事じゃねえし。それが、なんつーんですかね? 俺を使いこなしてみせるって豪語してるっぽいんですよ、あの女。もう嫌ですぅ。俺にあの女、みんなの前で自分を褒めろって命令してくんすよぉ。何を褒めろっつーんですか。やっとこれで離れられてスッキリ。もう特別チームでずっといってよくないっすか?」


 うーむ。再び男に抱きつかれても嬉しくないが、他の奴らも同情するような眼差しだ。


「オーバリの上司、誰か知ってるか? あれ? こいつ今、どこまで出世した?」

「へーい。現在、オーバリ中尉でぇす。そいつの上司、聞いた話だとぉ、そいつの前でよくシャツのボタン外してるそうでーす」

「めっちゃ食う気満々だっつー噂でぇす」

「おかげでヴェイン、口説こうとした女ばかり個別攻撃されてぇ、全員に振られましたぁ」

「貴族オンナにぃ、遺伝子狙われてまぁす」


 ああ、なるほど。たしかにボーデヴェインは顔も悪くない。


「中尉か。よくそこまで出世したな。平民からだとその年じゃ難しいだろうに」

「そりゃまあ、ボスと特別作戦行きましたしぃ。ボス、俺んこと、遠慮なく使いましたしぃ。それにあの女の下に配属されちまったじゃないすか。そん為にやられた感、満載なんすけどね。まだ俺、あと十年は少尉だったと思うんすけど、私のおかげで中尉になれたのよアピール凄くて困っちまってんすよ」

「・・・そんなら大事にしてくれるだろ。口ではどうこう言ってても、少しは可愛いとか思ってんじゃねえか? 貢いでくれる女なんだろ。助けちまったら、もう後戻りはできねえ。恨みも買う」

「俺にだって夢はあんすよ。俺ん子供に、お前の父親は母親に買われた男だ言われて育てんすか? やめてくださいよ」


 私はひどい男だろうか。

 泣き虫だった私の小さなアレナフィル。あの時の喪失を繰り返さない為なら、もう誰が泣いても構わない。


「そうだな。ならヴェイン。お前、当て馬になってみるか?」

「は?」

「うちの娘が13になったんだが、私の娘というので目をつけられててな。うちの娘は樹の種だろうと言っているのに、今からツバつけといて18になったら樹でもいいからと獲得する気満々な虎の種が二人だ」

「へ? ああ、大変っすねぇ。けどボスのお子さん、男じゃなかったっすか? 訓練村に発信機つけて送りこんだとかいう子っしょ?」


 独身のボーデヴェインに父親の気持ちは全く理解できないようだ。

 工作部隊は、ほとんどが独身者で占められていることもあるだろう。


「双子の妹がいるんだ」

「へー。そりゃボス似なら美少女なんしょーね。だからトチ狂ったんすか?」

「いや、母親似で、可愛い系だな。どうやら二人共、美女には食傷気味だったらしい」


 うーんといった表情のボーデヴェインは、13才の女の子と言われてもピンとこないらしい。


「あー、贅沢なこった。けど、子供ですからねぇ。俺、子供趣味ないっすよ。そりゃいつかは育つとか言われてもぉ、ボスは好きっすけど、別に子供は別人格っすからねぇ。何よか五年もお預け? ごめんっす」


 大体の傾向として私達のような虎の種の印を持つ者は、生命力に溢れた健康的な女を好む。ボーデヴェインも弾けるような肉体を持つ女が好みだ。

 ゆえに13才など対象外すぎて、とてもやる気がない。やる気があったら排除しなきゃならんが。


「当たり前だ。お前にくれてやる気はない。だが、うちの娘に目を付けたのは、一人はガルディアス様だ。もう一人は侯爵家の息子で少尉だ。

 二人が五年後に争うのは見えているが、私としてはこの二人を狙っている貴族令嬢の家から、娘が傷つけられるのを避けたい。

 三人目を装って参加してみるか? それならばお前の休日や業務終了後、私と会うと言えば、その上司も邪魔はできまい。・・・娘に対し、本気になることも手を出すことも許さん。それは国王陛下の命令でもある。あの子は今、エインレイド様の親しい学友だ」


 にやりと、オレンジ色の瞳を煌めかせてボーデヴェインが笑う。

 相手にとって不足はないと思ったか。所詮、男など戦って勝つのが楽しい生き物だ。


「へえ。そりゃ面白そうだ。俺を欲しいあの女は、ボスの娘が邪魔。だけどボスの娘はガルディアス様とエインレイド様と侯爵家の少尉が注視し、国王陛下の命令も出ている。手は出せねえ。・・・うん、いい感じっすね。やりますっ」

「ああ。うちの娘はどの縁談も知らんし、ガルディアス様の正体も知らん。

 ガルディアス様から娘への執着を切り離したい奴らは、俺のお気に入りであるお前にこそ、俺が娘をくれてやるつもりだと思うだろう。そうなればお前を俺の娘とくっつけようと、お前の上司をお前から切り離す方向へ動く。うまく泳ぎきってみせろ」

「はいっ」


 私のアレナフィル。

 今となっては誰よりも愛しい娘。お前は既に見つかってしまった。だけど何も知らなくていい。その成長は十重二十重(とえはたえ)に守られ、いつか大きく羽ばたくだろう。

 誰かに望まれるのではなく、お前の心が望むままに。




 ・・・・・・何故だろう。羽ばたいた途端、待ち構えていたアレンルードに捕獲されておうちに戻ってくる様子しか思い浮かばない。



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