22 グラスフォリオンは見守っている
百聞は一見に如かずとは言うが、まさにその通りだ。
俺の名前は、ネトシル・ファミアレ・グラスフォリオン。少尉ではあるが、現在、用務員の仕事をしながら王子エインレイドの警護を行っている。
所詮は国立サルートス上等学校。気楽にできるお仕事だ。
とはいえ現在、王子のお気に入りとなったアレンルードとアレナフィルという生徒をも気にかけなくてはならなくなったので、何かとやらかしてくれる双子は、王子よりも警備棟で申し送りが多かったりする。
(洗濯してもらう為に妹を男子寮で入れ替わらせるって何だよ、そりゃ。本当に退屈しない双子だな)
さて、今日はとっくに仕事も終わっていたのだが、男子寮にいる娘を父親が引き取りに来るというので俺もその様子を見ることにした。
父親が息子をぶら下げて男子寮に消えたのを見届けてから、ウェスギニー子爵家のレミジェス殿に挨拶しようとしたら、お互いに悪くない感触だった。
世代が違っても先輩後輩の縁があったり趣味が同じだったりするのはフィーリングが合いやすい。
(そりゃね。俺、これでも条件いい方だし。爵位は継げないけど縁談は降るようにあるし)
兄であるフェリルドの学生時代については陰気で野暮ったい男子生徒だったという情報しかなかったが、弟であるレミジェスはスポーツをかなりこなしていて、すぐに情報が集まった。
家まで送り届けた時、家政婦の女性が送ってきたのはレミジェス殿の手配だと信じていたことから仲は良いのかもしれないと思い、せっせと情報を集めた甲斐があった。
スポーツ観戦と晩餐のお誘い。うん、いい感じだ。
(小児性愛者と誤解されないよう、試合は男同士でアピールもできた。よっしゃっ。これでアレナフィルちゃんと一緒とか応援に来てほしいとか言ってたら即座に要警戒、軽蔑モンだったぜ)
とはいえ、さすがに参った。
ウェスギニー兄弟がアレナフィルちゃんと手を繋いで体操しながら帰っていったが、上司の見送りぐらいはしなきゃいけないだろうということにして、俺はそれを少し離れた暗がりから見ていた。
夜だから暗がりしかないのだが、それは皆も同様だ。ウェスギニー親子の会話に誰もが興味津々だったのである。
そして俺は聞こえてくる会話に打ちのめされた。
――― フィルね、パピー、世界で一番大好きだけど、結婚、安定した愛と強さが大事なの。ジェス兄様、語らず努力の人。フィルは知ってる。
通常の貴族令嬢が己の結婚相手に求めるのは爵位や財産、そして容姿だ。けれどもアレナフィルちゃんは全く違うことを言い出した。
(ああ、あの子はちゃんと見ている。華々しい肩書きや他人の価値観じゃなく、自分の目で人を見る大切さを知っているんだ)
樹の種である叔父を、優秀な虎の種と言われる父親よりも高く評価する。普通なら馬鹿にされる話だ。
そんなことを口にした時点で愚かな娘よと、誰からも笑われる話なのである。
あえてそれをアレナフィルちゃんが言えるのは、ウェスギニー大佐がその価値観を許していることがあるだろう。だけどきっとアレナフィルちゃんは、誰の前でも同じことを言うに違いない。
あんな小さく弱い子が言えることが、俺には言えなかった。
(言ってあげればよかった。たとえ子供の言葉に価値などなかったとしても)
結局は父親の顔を気に入っているアレナフィルちゃんが、叔父ではなく父親と一緒にいるとか言ったことで終わった話だったが、どうやらアレナフィルちゃんは頼りになる年上が好みらしい。
そしてウェスギニー大佐とアレナフィルちゃんを乗せた移動車のライトが遠ざかっていく。
駐車場でそれを見送ったレミジェス殿の足元を、俺は持っていたライトで照らした、
「ありがとうございます」
「移動車はどちらでしょう? 照らします」
「ありがとうございます。・・・兄が変なことを姪に質問したりして、さぞご不快でしたでしょう。姪も未だに幼児気分が抜けておらず、お恥ずかしい限りです」
俺達はレミジェス殿が手で示した移動車の方向へと歩き出す。
「いえ。とても心が和みました。私もいつか姪に理想の結婚相手だと、・・・言ってはもらえないでしょうね。思えばあんな風に子供の相手をしたこともありませんでした」
「持ち上げられて、結局は兄を選ばれてしまいましたがね」
苦笑するレミジェス殿の耳元で俺はこっそり囁いた。
「ガルディアス様からの伝言です。先程、女子寮の寮監がうろついておりました。女性だからと油断してついていかぬよう、アレナフィル嬢にご注意を。女子寮は管轄外です」
「分かりました。ありがとうございます」
レミジェス殿は運転手を使わず、針葉樹林の深い緑色の二人乗り移動車だった、
小型タイプのバタフライドアとは意外だ。しかも水陸両用ばかりか、簡易飛翔もできるタイプ。要は崖から落ちても運転手がコントロールしている限り、ある程度ならば浮遊して着地もしくは着水できる。
「こういう感想は失礼かもしれませんが、意外です。悪路走行できるタイプでしょう。フォーマルのイメージがありました」
「いずれライセンスを取れば甥にあげると約束しているものです。ですが甥は先日の合宿で軍の大型に惚れこんでしまったようで、さてどうなるやら」
「仕事で乗ったら嫌気がさしますけどね」
「ははっ、違いない」
移動車の中に置いてあったカードを二枚、レミジェス殿は渡してきた。
既に一枚の中央には俺の名前が書かれている。裏側には、レミジェス殿の直通連絡先だ。
これを持っていけば、ウェスギニー子爵邸に予約なしで案内してもらえる。
「何かありましたらどうぞこちらにご連絡ください」
「ありがとうございます。一枚はあちらに渡しておきます」
「お願いいたします。それでは遅くまで申し訳ありませんでした。どうぞ良い夜を」
「お気をつけてお帰りください」
レミジェス殿の移動車を見送りながら、俺はふと思った。
慣れた様子で動かしていたからそんなものと思っていたが、あれはかなり旧式ではないのかと。
(いや、違うよな? だってあの静音性、けっこう新しいだろ?
だがあの運転方式ってかなり前のバージョンじゃなかったか? え? もしかしてマニアかよ。けどそんなヴィンテージ車、甥にぽいっとやっちゃうもんか?
エンジン取り換えながら使ってるとしたら、新車の方がよほど安いじゃねえか)
やはりウェスギニー家は謎だ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
俺はとても迷っている。それはアレナフィルちゃんのことだ。
エインレイド王子を始めとしたお友達からはアレル、そして家族にはフィルと呼ばれているアレナフィルちゃん。
俺はどちらの愛称で呼ぶべきだろう。
育児放棄に見せかけて実は娘を溺愛していたウェスギニー大佐のおかげで、学校中にかなり多くの映像監視装置が取り付けられてしまった。巡回しなくても警備棟の映像監視室で見ていればいいから助かる。
おかげで仕事がとても楽すぎる。アレナフィルちゃんの呼び方を真剣に悩むことができる程に。
「時間が余ってるなら体を動かしたいとこなんだが、さすがに目立つもんだしな」
「諦めて警備棟のトレーニングルーム使ったらどうです?」
「物足りない」
男子寮からやってくるフォリ中尉も、この部屋で昼食時間や休み時間には音声のボタンを入れて映像を眺めていたりする。
お友達作りと言っても二人共自分から声をかけるタイプじゃないから、いつも二人だ。ランチタイムだけ五人だ。
一年生がいつも二人きりで授業を受けていて小さな恋が生まれたらどうしようと悩んでいたら、ひょいっと三人メンバーとなってしまった。
「問題はなぁ、一人友達が増えたっつーことか」
「いいことだと思いますが?」
フォリ中尉の気持ちも分からないではないが、エインレイド王子は友達を作りたがっていたのだから構わないだろう。
俺はそう思っていた。
エインレイド王子とアレナフィルちゃんが二人で仲良くあちこちで授業を受けていたら、一人の生徒が加わったのである。大柄な体格で明るい性格のようだ。
「アールバリ・フォーシェン・ベリザディーノ。アールバリ伯爵の長男の次男ですね。建築理工部ということは、伯爵家も手広くやっていますから、そちらの知識を求めての進路でしょう。サルートス幼年学校では、特にエリー王子に接触もしなかったそうです。だから変装に気づかないのかもしれませんね」
「フルネームを名乗っても、エリー王子もそうなのかという態度でしたし、アレナフィルちゃんも聞き流していたから、その態度が新鮮だったのかもしれません。アールバリ家はお金持ちですから」
寮監をしているドルトリ中尉が改めてその少年情報を語れば、警備棟の責任者であるエドベル中尉も穏やかな口調でコメントする。
「なぁんかなあ。エリーが不安がってんだよ。こいつっつー友達ができたらアレナフィルが離れていっちまうんじゃないかってな」
「どうでしょうねぇ。だけどあの子も他に友達がいるわけじゃないのと、要は自分の安全が確保されていれば特にどうでもいいって感じじゃないですか? エリー王子に近づきたくないのも、それを知られたらいじめられるとかいう、なんかよく分からない学園を舞台にした小説が原因みたいですし。ああして変装してエリー王子がエリー王子だと知られてなければ仲いいもんじゃないですか」
フォリ中尉がエインレイド王子の不安を吐露すれば、マシリアン少尉が画面を「ほら」と、指さす。
そこには三人の少年としか思えない光景が映っていた。
アレナフィルちゃんは可愛らしい女の子だが、ああして少年二人と一緒にいると女の子顔の男の子に見える。
その理由を俺はアレナフィルちゃんが行動や仕草を変えていることにあるだろうと思っていた。双子の兄とよく入れ替わっていたという話だが、エインレイド王子といる時のアレナフィルちゃんは、アレンルード君の歩幅や身振り、そして浮かべる表情に似せているのだ。だから男の子っぽい。
言動にも女の子の繊細さが見られないのだ。
『いいか? お前は認めたくないかもしれんが、タレ目はタレ目だ。いいじゃないか、顔面の可愛らしさがアピールされてて。お前はクールソウル系を目指してるつもりかもしれんが、どう見てもほわんぽやん系だ』
『あんまり人のことタレ目タレ目言ってたら、みんなの前で、
「ベリリンちゃーんっ、今日も可愛いねー」
って言っちゃうよ? 言っておくけど、私、クラス中の注目集める自信ぐらいあるんだからね。もうディーノ、卒業までみんなからベリリンちゃん決定だよ?』
アールバリ家のベリザディーノも、アレナフィルちゃんを可愛いと褒めたいのか、無駄な足掻きはやめろと言いたいのかよく分からないが、アレナフィルちゃんは決して負けていない。
『親切で言っとくけど、ディーノ。不条理でも、ここは負けを認めておいた方がいい。アレル、言わずに実行するから。人間、やられてからじゃ遅いことってあるからさ。それにアレル、本来は予告なしで動くよ。まだディーノとは知り合ったばっかりだから初回サービスで忠告してくれてるだけだよ』
『レイドが言うならそうかもな。うん、悪かった、アレル。二度とタレ目とは言わない。だからちゃんと何かする前にはお兄さんに報告しような?』
ぽんぽんとアレナフィルちゃんの頭に手をやるベリザディーノは、結局、アレナフィルちゃんを可愛いと感じているだけではないだろうか。口を開けば二人の「見解の相違」が際立っているだけで。
ベリザディーノは年齢の割に大柄で、三人の中で一番背が高い。乱暴さはなく明るい少年だ。
『背が高いと思って。その内、私だって伸びるんだからねっ』
『はいはい。あ、そうだ。僕、二人に合流したんで幾つかの授業、ちょっと別で受けとかないといけないんだ。じゃあな、行ってくる』
『あ、そんなら私、付き合うよ』
『そうだよ、ディーノ。僕達だって復習になるしさ』
『サンキュ。あ、レイド、ちょっと肩かして。靴ン中、何か入った』
『ん』
王子の肩に片手を置いてバランスを取り、片足だけ靴を脱いでぽんぽんとひっくり返している様子は仲の良い三人組にしか見えない。
あのベリザディーノとて王子の正体に気づいていたなら絶対にやらない筈だ。エインレイド王子も友達から靴を脱ぐ際の支えにされたことなど初めてなのか、ちょっと面白そうな顔だ。
「まあな。たしかに三人で仲いいっちゃ仲いいんだが、もうすぐクラブ活動決めるようになるだろ。できればエリーにも体験させてやりてえが、無理かねえ。エリーも何か入ってみたいらしいんだが、それでアレナフィルが自分から離れていくのは嫌だって思ってるようでな」
「今、学校側が全てのクラブ長と副クラブ長達を洗い出しています。だけどアレナフィルちゃん、エインレイド様を雑貨屋さんや露店巡りに連れ出してあげたがってるようですね。ウェスギニー大佐に、お出かけする時は王宮から護衛を派遣してくれるのかを尋ねているそうです。既にプランを父親経由で王宮のエインレイド様の護衛チームに渡しておいてほしいと出してきたそうです」
警備棟の責任者であるエドベル中尉が、数枚の紙をテーブル上にぽんっと置いた。
どれどれと皆が見れば地図と寄りたい店、そして乗り合い路面車利用の許可と利用区間も全て記載されている。幾つかのプランがあるが、押さえておきたいものの優先順位が色分けされていた。
ふんっとドルトリ中尉が鼻を鳴らす。
「ネトシル少尉。この子、どう考えても幼くないですよ? あなたはあの子供っぽい家族に対する態度で騙されていませんか? エリー王子に何も言わずにプランを立てて提出して、許可が下りたら教えてあげようと考える小賢しい13才の中身が、本気であなた、幼児だと思ってるんですか?」
全くだ。そこまで優しく思いやり溢れているなんざ幼児どころか地上に降りた女神だろ。
「本質を見てください、ドルトリ中尉。いい子じゃないですか。下見もできるし、ルート変更も先に指示しやすい、まさに理想的な護衛対象です。しかもエインレイド様を糠喜びさせないよう配慮するお嬢さんに、何を突っかかってるんですか。学校の警備は学校内だけだろうと、わざわざ父親が王宮に行った際にと託すあたりも、可愛いものじゃありませんか」
ホント、何なのかね。
アレナフィルちゃん、こちらの任務についての理解もありすぎだよ。理想的すぎて今すぐ本気で嫁に欲しい。もう今から俺と暮らしてよくねえか?
学校での王子の護衛なんざ退屈すぎっだろって思っちゃいたが、あの子を知れば知る程欲しくなっちまうんだけど。
だってさ、次から次へと新しい一面を見せてくる。
エインレイド王子に感謝ってか。王子に気に入られてしまうぐらいならとウェスギニー大佐が焦らなければ、俺の目はなかった。
だけどねえ、ウェスギニー大佐。普通なら王子に気に入られた娘を侯爵家とかの養女にして結婚させるってよくある手なんすけどね。そんくらい、分かってんでしょ。
大出世できる大チャンス棒に振ってまで俺を選ぶって、ホント噂なんざ当てになんねえよ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
以前はエインレイド王子とアレナフィルちゃんを乗せて送っていっていたが、最近は一緒に行動しているベリザディーノも警備仕事の人間が帰宅ついでに送ってあげるという形をとって移動車を出している。
俺も移動車を出した際は、
「うーん。俺は仲いいの、アレナフィルちゃんのお父さんじゃなくて、叔父さんの方なんだよ。よく一緒に試合も見に行ったりしてんだよねー。何なら君達も行く?」
といった感じで適当に説明しておいた。
ウェスギニー子爵は誠実そうな顔をして出世しか考えてない男だという噂を聞いているのかどうかは知らないが、ベリザディーノの先入観がそれで消えていることを祈るばかりだ。
恐らく警備棟が移動車を出して二人を送っていってあげているのは、ウェスギニー子爵に弱みを握られているからだと、少なくともアールバリ伯爵家は考えているだろう。
(アレナフィルちゃんは子爵家令嬢、王子は身分を隠す為にウェスギニー家に縁ある平民の子息となってるからな)
それでも子供達の友情にアールバリ伯爵家が口出ししないことも分かってはいた。何故ならベリザディーノは長男じゃないからだ。
そんなことを思いながら窓の外を見て休憩していたら、コンコンと開いていた扉がノックされた。
「ネトシル少尉。駐車場でいつものお喋り中ですが、近くで違うクラブの子達が作業しています。誰か回しましょうか? 学校長がまっすぐ駐車場に向かっていますので、何かお話したいことがあるのかもしれません」
「あ、あんがとさん。あそこ、カメラが遠いもんなあ。俺、行ってくるよ」
「そうですね。あそこはさすがに会話が拾えません。私も参ります」
カルクレ少尉候補生は事細かく真面目に報告してくるタイプで助かっている。
ウェスギニー大佐は「てめえの頭も使えんのか?」な人だ。士官なら子供達ぐらい一人で守れて当たり前と考えている。
警備棟と男子寮のメンバーを確認した後、
「今までの経歴は確認した。それならお前らでできるだろう。こっちを煩わせるなよ」
とばかりに丸投げしやがってくれた。
警備棟責任者のエドベル中尉は権限を増やされてやりやすくなったものの、責任も倍増だ。
そして今、ウェスギニー大佐が行うべき国王陛下への報告はフォリ中尉に代行させて自分の作業をカット。そして王宮で俺達の報告を受け取る部署は日替わりで一人だけ残して、後は違う作業に振り分けやがった。
今やウェスギニー大佐に連絡を取る時は双子のお子さん絡みだけときたものだ。それもレミジェス殿に連絡を取った方が早く終わる。
・・・・・・何か違わないか?
なんであんな男が出世しやがってんだよ。自分の仕事を何だと思ってんだよ。
しかしウェスギニー大佐が総責任者権限で己の仕事をカットした結果、仕事だからとフォリ中尉から直接連絡が入るようになった国王陛下ご夫妻が満足しているのだから要領が良すぎだ。
さすが誠実な顔をしただけの悪夢と呼ばれるだけはある。仕事を怠けて評価されるっておかしいだろ。
(虎の種が一人いれば護衛五人に相当する、ここまで揃ってて何の心配がある? とか言われちゃあな。文句も言えねえ)
駐車場に向かえば、三人はいつものベンチに座って仲良くお喋りしていた。何故か学校長がその後ろで話を聞いている。
(ちゃんと仲良くできているのか、それとも大人には見えないところで変な関係ができあがっていないかってな。そりゃ学校長も心配だろうよ)
ちょっと離れた場所から俺達も見守ることにした。
三人の会話は相変わらず平和だ。クラブ案内のチラシも持っている。
『もうすぐクラブ活動案内あるだろ。二人はどこか入るのか?』
『それは自分の入るクラブを聞いてくれというおねだり? いいよ、ディーノ。このアレル様が聞いてあげる。聞くだけだけど』
『ほんっと態度でけえよな、お前』
『ほほほほほ。だって三人の中で私は唯一の淑女。文句があるなら女装していらっしゃい』
相変わらずアレナフィルちゃんが意味不明だ。
あんな可愛い高笑いがあっていいのか? もう撫でくり回すしかないだろ?
『お前は淑女じゃない、海狸枠だ』
『そりゃビーバーは可愛いけど、私は川でダムづくりをするビーバーではなく、真の姿は誰をも魅了する愛の妖精なのです』
両手を広げているアレナフィルちゃん。もう背中に羽を生やして天上まで光に包まれて上昇するしかなくないか?
『本気で図々しいな、お前。可愛いのは外見だけか』
『中身も可愛いよ。その証拠に同じ顔してる兄より私が愛されている』
そうなのだ。双子でも、ウェスギニー子爵邸においてアレンルード君だけが大事にされているという下馬評だったが、どう考えてもそれはない。かえってアレナフィルちゃんの方が甘やかされている。
やはり女の子だからなのか。
だけど三人の会話は、ぽんぽんと進んでいた。学校長も、遠慮なく言い合える仲のいい様子にほっとしているようだ。
男の子二人を両脇に揃えておいて、全くアレナフィルちゃんが意識していないところも凄すぎる。普通はもっと女の子って得意になるもんじゃないのか?
子爵家の娘が王子と伯爵家の息子を両脇に侍らせてるなんざ、他の令嬢相手に得意満面になってもいいってもんだ。それも分かってない時点で、やっぱり子供だろ。ドルトリ中尉はひねくれすぎだ。
『クラブは余力でするもんだ。まあ、いけそうだからクラブ活動するかどうかってとこなんだけど、二人はどうかなって思ってさ』
『私も考えてなかった。うちの兄は球技系のクラブ入る気っぽいけど。レイドはどう? レイドとディーノ、なんかあまりスポーツするってイメージはないよね。不得意でもなさそうだけど』
『そうだね。僕はやるとしたら室内でやるのがいい。片手剣術とかなら習ったりもしたけど、運動は嗜む程度でいいよ』
エインレイド王子はもし自分が怪我をしたりしたら怪我をさせた相手が責められると分かっている。だからやらないのだ。
『へえ、片手剣術か。どこの流派?』
『ミヌェーバ流』
『おお、古典正統派。優雅だが勇ましい趣味じゃないか。僕は朝、軽く馬を走らせる程度はしてるけど、それぐらいだな』
『・・・くっ、このお坊ちゃま共め。うちなんかボール蹴りだというのに』
いや、アレナフィルちゃん。君達だってやる気になればいくらでもできるから。
ウェスギニー大佐、自分でどれも教えられるだろ?
そんなことを思っていたら、フォリ中尉もやってきて俺達の横に並んだ。何やってんだ? という顔だったから様子を見に来たのだろう。
帽子とサングラスでかなり印象を変えているのだが、そうと分かって見ていたなら騙される筈もない。
『アレルだってやってみたいなら先生を紹介するよ?』
『そうだぞ。何ならうちの馬に乗りに来るか?』
『遠慮します。私、筋肉は触って堪能する方で、自分がつけたいわけじゃないから。やっぱりあの固さと熱量のバランスは他者だからこそなんだよ』
アレナフィルちゃんは遠慮したわけではなく、自分のポリシーによって筋肉は程々にしておきたいのだと言い出した。
聞いていた二人の少年だけではなく俺とカルクレ少尉候補生、そしてフォリ中尉の顔から表情が抜けていく。この子は本気で何なのだ。
『女の子がドレス似合う体形にしたいなら、今、やりすぎるとあとで筋肉を脂肪に変更してその上で痩せなきゃいけないんだもん。疲れるだけでしょ。私、大きくなったら自分の似合う服着たいから、程々でいいの』
『え? 何それ、アレル。ドレスなんてそもそも体形見えないよね?』
『真面目に考えるな、レイド。こいつはビーバーだ。ウェストがない生き物だからドレスに憧れてんだ』
『そんな貧相な体で、喧嘩売る気なら買っちゃうよ、ディーノ』
『誰が貧相だよ。これでも俺、ちゃんと腹筋割れてんだぜ?』
『そんな自己満足な筋肉に価値はないんだって。ディーノは分かってない』
そしてアレナフィルちゃんは、いかにウェスギニー大佐の肉体が素晴らしいかを説明し始めた。
『やっぱり堪能できる肉体というのは、こう首元のボタンを外していても、色気が漂わないといけないんだよ。うちの父、完璧。胸元のしなやかな筋肉の動きに見惚れちゃえるよう、父の部屋着は私セレクト。お肌もつやつや、それでいて汗臭くないっ。しかもっ、私が抱きつくのを待ってから抱きしめてくれるタイミングはもうベテランの域っ。それが力任せじゃないところも抑制がきいていて、いかに私の動きを把握していないとできないことか。うっとり最高なホールド力と筋肉を、ダークアサシンかデビルズラブ、はたまたエクセレントポイズンの香りで楽しみたい。・・・というわけで、ディーノの体なんてね、まだヒヨコ』
はああっと両手を広げて溜め息をつくアレナフィルちゃんを、ベリザディーノは恐ろしい生き物を知ってしまったような慄きでもって見ている。
『いや、なんでそんな父親にセクシー路線な香水求めてんだ? デビルズラブって、親戚の兄さんが使ってたけど、めっちゃ勝負香水だろっ? 何を高級品、自分の楽しみの為に買わせてんだよっ』
『似合うから。それに勝負香水じゃないもんっ。お仕事の時はクールソサイエティか、時に意外なピュアリリーッ。ちゃんとほかの人の香水とケンカしない組み合わせだって考えてるっ』
きっぱりと言いきるアレナフィルちゃん。そっか。ちょっとそれ、今度見てこよう。
いや、アレナフィルちゃんに選んでもらえばいいのか?
エインレイド王子も意味がよく分からなかったらしい。
『え? 触った時の筋肉の力の入れ方まで採点されちゃうの? しかも筋肉つけろと言いながら汗臭いのは許せないの? それに使う香水や私服まで指定って何それ。アレルの支配欲が凄すぎる』
『抱きしめる時の力の入れ具合まで指定って何なんだよ、アレル。自分の少女力最低レベルを棚上げにして父親にとんでもない要求を突きつけるとは、なんて恐ろしい奴』
どうせ父親のそれらは全てアレナフィルちゃんの要求に応えただけだろうと、少年達も察したらしい。隣のフォリ中尉など、何かもうしゃがみこんでいるのだが大丈夫だろうか。
もしかしたら持っている香水とかぶったのかもしれない。それとも勝負香水にしていたのか?
(エリー王子に寮で尋ねられるアレコレがあまりにもおかしすぎるって悩んでたもんな。そういえば勝負香水って意味、王子は分かってんのか? ああ、そうか。どうやって説明しようってがっくりきたのか)
エインレイド王子可愛さに寮監として着任してきたフォリ中尉は、学校生活を楽しめるようにと相談に乗ってやりながら、まさに家族として支えている。
そんな努力を知る筈もないアレナフィルちゃんは自信満々に反論していた。
『分かってないなぁ。息子は母親の最後の恋人で、娘は父親の最後の恋人なんだよ? 息子や娘のセンスがよければ、身につけるものを選んでくれたら親は嬉しいもんなの。母親が息子にそれを言わないのはね、息子のセンスがないからなんだよ』
どうしよう。隣のカルクレ少尉候補生が胸を押さえている。
『二人とも、まずはお母様の身につけるもののセンスを磨いてから言いなよね。うちの父は全てにおいてかっこいいんだから。それとも二人とも、お母様の服や香水を選べるぐらいのセンスあるの?』
『・・・な、ないかもしれんが、そんなの息子が選ぶもんじゃないだろ』
『そんなの、・・・分からないよ』
ここで「ある」と言いきれる上等学校生がいるのだろうか。いや、この場にいる成人男性の誰一人として自信なんてない。
うちの母とて俺に選ばせるぐらいなら気に入りの店員に尋ねる。
そんなことを思っていたら、何やらトルコ石の青緑色の髪をした生徒が話しかけたそうに三人の背中を見ていた。
以前から気になっていたのだが、三人をちょくちょく見ている少年だ。特にベリザディーノが加わってから羨ましそうな顔で見ている。
頑張れ少年。友達作りのコツは最初に話しかける勇気だ。
『まずは二週間に一度はお母様にお花を一輪でもプレゼントすることから始めてみなよ。路面車停で売られている花でいいんだから。もしくは女の子に人気のお菓子を買っていくとかね。あ、大事なのはすぐにお腹に消えるか、捨てるかできるものってこと。趣味に合わない物をもらっても迷惑なだけだから』
学校長が何やら考えるような顔つきになった。
近くの花壇で作業していた暗い苔の緑色の髪の男子生徒が聞き耳を立てていたのか、三人を振り返る。
『お前は本当に上等学校生か?』
『諦めなよ、ディーノ。アレルは少女の皮をかぶった魔法使いだから。・・・ま、騙されたと思ってやってみたら? 僕もそれなら今度、お花買ってみようかな』
『うん。あえて安い花でいいの。お庭のでもいいんだよ。お母様の為に綺麗な花を選んで渡したって行動が大事なんだから。それでお母様のお部屋の窓際にね、可愛い小さな花瓶を置いて小さな花を挿しておけばいいんだよ。二週間に一度ずつでも、息子から花をプレゼントされるの、嬉しいもんだから』
『へえ。じゃあ、アレルも花とかもらったら嬉しいのか? 双子の兄とやらもプレゼントするのか? 意外だな。けっこう可愛いとこもあったんだ』
実は心優しくお花を愛する少女だったのかとベリザディーノが明るく問いかけた。
『え? 私はそういうのってお金の無駄で嫌い。お花を買うお金があれば、それで違う物が買えるよね。うちの兄がそんなのくれたら、無駄遣いするなって叱り飛ばすよ。当たり前でしょ。したいんならお庭の花を切ってくる程度だね』
その時の二人の鼻白んだ反応は、その場にいた全員に共通だった。
ふっ、やってくれるぜ、アレナフィルちゃん。君は最高だ。どこまでも翻弄してくる。
おかげでエインレイド王子は理解ができなければ話題を変えるテクニックをかなり上達させてしまった。
『あ、そうだ。アレンはクラブの掛け持ちを狙ってるらしいよ。だけど球技も他の学校と合同だったり、市との合同だったりするだろ? その強さがどうだのこうだの、みんなと騒いでた』
『どのクラブに入ろうがどうでもいいけど、泥だらけになった服の洗濯術をマスターしてからにしてほしい。たしかアマチュアチームと合同で活動してるとこを狙ってたんじゃないかな。よその学校とだと、結局は生徒同士でしょ。その点、社会人チームとの合同クラブの方が強くて刺激的なんだって』
『へー。双子なら応援とかで同じクラブには入ったりしないのか? アレルも運動は得意だろ?』
『うーん。私はね、双子だからこそ重ならない所で生活したいんだよ』
同じ顔をした双子にも双子なりの悩みがあるのかもしれない。
単にアレンルード君の洗濯物を押しつけられたくないだけかもしれないが。
『私としてはさ、どうせなら健康的なお茶みたいなのを作って飲むクラブがあってくれればいいんだけど。フレッシュハーブティーとか。だけど既存のクラブだと、多分、私の求めてるものじゃないんだよね。ほら、あそことかで花壇作ってるけど、私、そういう地道な努力したいわけじゃないんだよ。いや、自分でどうにかするしかないんだけど』
向こう側の花壇で作業している生徒を軽く顎で示したアレナフィルちゃんだが、背後の花壇で作業している暗い苔の緑色頭の男子生徒がまたもやぴくっと反応した。
『え? つまりアレル、何がしたいわけ? ハーブティーを買いに行きたいの?』
『まずは何を求めてるか言ってみろよ、アレル。実は知らないだけでそういうクラブがあるかもしれないぞ』
アレナフィルちゃんに圧倒されていても、二人とも頭の回転はいい。まずは聞き出しにかかった。
『実はさ、うち、母はもう亡くなってて、親戚筋の女性が、母親代わりで私達を育ててくれたんだよ。旦那さんもその為にうちの近くに引っ越してくれてさ。二人は父よりもずっと年上なの。二人には息子はいても娘はいなかったから、私を実の娘のように可愛がってくれたんだ』
『え、・・・あ、そうなのか』
物憂げに語るアレナフィルちゃんに、ベリザディーノがいたたまれない表情を浮かべる。
だけど夜の学校で父親と叔父に守られて帰宅した時のアレナフィルちゃんを見ていた俺には分かった。その寂し気な口調にあまり意味はないのだと。
『どしたの、ディーノ。トイレなら行ってきなよ。大きい方でも気にせず待っててあげるよ』
『・・・黙れ。くそアレル』
『誰がだよ。我慢はよくないんだからねっ』
『もういいから話を続けてよ、アレル。ディーノも行きたければ勝手に行くよ』
おとなしかったエインレイド王子もアレナフィルちゃん操縦術をマスターしつつある。脱線していく二人をまとめるテクニックがベテランの域に入る日も遠くはあるまい。
『男の人ってお肉好きだし、カロリー高いものもよく食べるでしょ。それって高齢女性の体にはきついんだよ。だけど父も私もまだカロリーが必要な生活してるし、それに付き合ってたらどうしても過剰摂取なの。だから私はさ、せめて消化を助けるお茶とか、新陳代謝をよくするお茶とか、カロリーの低いおやつとかに、少しずつ変更していきたいんだ。だけど、そういうことを子供が言い出すのっておかしいんだよ。子供は甘いお菓子を、わーいって何も考えずに食べるもんだから』
『ねえ、アレル。それを自分で言っちゃう時点でおかしいよ。やっぱり中身、お婆ちゃんだよ』
『気にすんな、レイド。こいつはビーバーだ。木や草を食べて生きてるから普通の菓子が口に合わないんだ』
さっきから三人の後ろで話を聞いていたトルコ石の青緑色頭の生徒が、何やらうずうずし始めた。
俺はただの用務員を装っているし、カルクレ少尉候補生も学校長を見かけた巡回の警備員を装っているから追い払えない。下手なことをしてエインレイド王子の正体に気づかれるわけにはいかなかった。
『だからさ、これが学校で勉強したことだって言って持ち帰れば飲んでくれるかなぁって考えたわけ。学校で作ったお菓子なら一緒に食べてくれるでしょ? だけどさすがに学校で成人病予防の食べ物クラブってなさそうじゃない?』
『うん。全てのクラブを知ってるわけじゃないけど、ないだろうね』
『そうだな。アレルって考えなしに見えて、本当は考えてるとこあるよな。その人の為に勉強したのか、そういうこと』
『うん。私を娘のように可愛がってくれた二人だしね。二人の老後は近所に住んで、ちょくちょく顔を見せてあげるんだ。だからね、元気で長生きするよう食生活を改善しといてあげたいんだよ。第二のお父さんとお母さんだから』
何なの、この子ってば。本気で今すぐ婚約させてくれ。
ウェスギニー大佐に土下座してもいい。
アレナフィルちゃんの正体、地上に降臨した女神様の子供形態だろ? 地上で今、大人になろうとしてんだろ?
『で、考えたのは、学校でそういうヘルシークラブがあって友達が所属しているんだけど、人気がなくて可哀想だからそこの作品を買ってあげたってウソで、お菓子やお茶を家に持ち帰ろうかなってこと。後は、こっそりブレンドして保管する場所を確保することと、調理する場所なんだよね』
『えーっと、クラブ関係なくて、アレルがもうやる気なのはよく分かった』
『全くだ。お前の場合、言い始めたら既に動くんだな。よく分かったよ』
立派じゃないか。口先だけじゃなくて、ちゃんと実行するんだぜ。
周囲への愛に溢れていて実行力もある。完璧だろ? そりゃこんな至宝、高い塀も門も必要だわ、うん。
『失礼な。材料は私の小遣いでどうにかなるとして、後は不自然じゃない提供方法なんだよ。子供らしく、
「あのね、これ、頑張ってご本見ながら作ったの。ママに食べさせたかったの。だめ? 食べてくれない?」って甘えながら、
「そんなことありませんよ。いただきますわ」
と、それを口にしてくれるように持っていきたい。茶は家のどこかに隠すとして、あとは菓子を作る場所かな。うちのキッチンは使えないんだよね。そして味を良くするために新鮮なハーブは欠かせない。そこはこっそり裏庭に植えるとしても』
『それを口にさせる為、甘えながらという計算高さが凄いね、アレル』
『そうだな。良いことをしている筈なのに、子供らしさにこだわることで犯罪臭が漂っている』
そうだな。アレナフィルちゃん、君は世界最高の暗殺者になれる資質の持ち主だ。
甘えながら出されるだなんて、そんな君の手料理を断れる奴はいない。
『それなりの薬効がある葉を煮出したりする以上、どうしても味がねー。はっきり言えばまずいんだよ、あれって。だから甘えながらじゃないと口にしてもらえないと思うんだ。
そりゃあ私だって、可愛がられているのをいいことに甘えながらってのは、あざとすぎてみっともないって思う気持ちはあるよ? だけど仕方ないんだよ。そこはプライドを捨ててかからなきゃ。だって孝行する前に早死にされたら終わりだもん』
年齢に相応しくない思慮と未来を見通す視野。
たしかにあざといのかもしれない。だけどこの子の根底には愛がある。大事なのはそれだろ?
そこで、学校長が動いた。
「ふむ。そういうことならクラブを新設するというのも悪くはないと思いますよ、ウェスギニー君。たしかに生徒らしからぬ活動分野ですが、試しに一年だけの短期クラブ申請をしてみたらどうですか?」
「へっ?」
振り返ったアレナフィルちゃん、そして二人の少年達は俺達がいたことに気づいて、うぎゃっとした顔になる。
愕然としているアレナフィルちゃんの顔が、どこまで聞かれていたのかと考え始めたのが分かった。
だけど学園長は全く気にしていない。マイペースに話しかけている。
「クラブ活動申請はちょくちょくありますが、一過性の気分だけで続かないのがほとんどです。だから試しに一年だけの活動と区切ることがあるのですよ。どういう指導者が必要かが分かれば、一年契約で週に一度の来校もお願いできるでしょう。まずはそのプランを立ててごらんなさい」
「え・・・。だけど先生。一人でクラブ活動するのは、駄目だと思います。どんなクラブ活動でも最低人数は必要だと・・・」
全くだ、学園長。いくら王子の正体を黙っていてくれそうなクラブ長達が見つからなかったからって、新しいクラブを作らせようっていうのはかなり無茶がないか?
すると、さっきから三人の背後で話しかけたそうな顔をしていた二人の生徒が声を上げた。
「あのっ、それっ、僕も参加しちゃいけませんかっ。つまり食生活改善における成人病予防ってことですよねっ。社会に貢献する立派なクラブ活動だと思いますっ」
「僕もそのハーブティーに興味がありますっ。育てやすい植物なら、一緒に育てては駄目ですかっ」
落ち着いた物腰で、象牙の灰白の髪をさらりと掻き上げ、学校長ヘンリークは振り返った。
「君達は? 1年生かね?」
「あ、はい。グランルンド・アンデション・ダヴィデアーレ、医療薬品部です。あの、実は三人がそこにいるのを見つけて・・・。授業で色々な校舎を回っているのに混ぜてもらえないかと思って、声をかけようとしたら、なんだかかけるタイミングが分からなくて・・・。あの、盗み聞きするつもりはなかったんですけど、それでも成人病を予防する為の代替食とかって、是非、参加したいです。別に僕自身も成人病に悩んでいるわけじゃないですけど、大事なことだと思いますっ」
グランルンド・アンデションというと、伯爵家の何番目の息子だ?
トルコ石の青緑色の髪をしているグランルンド伯爵家の少年は、医療薬品部か。
「ハネル・バックルンド・マルコリリオです。地理植物部です。僕は花壇クラブのお試しで今日は花の入れ替えで回っていたのですが、あまりピンとこなくて・・・。聞くつもりはなかったんですが、三人の話がとても面白くて、つい立ち聞きしてしまいました。ですが、そのハーブティーに興味があります。どんな味なのか知りたいですし、雑草として捨てられる草が役立つのかどうかも知りたいです。僕は見て美しい花より、何らかの効果がある植物を世話したいです」
こっちの暗い苔の緑色頭は知らん名前だ。
フォリ中尉、そしてカルクレ少尉候補生も、グランルンドの名前はすぐに分かったようだが、もう一人は知らないと、その仕草だけで合図してきた。
「学校長先生。クラブは何人から設立できるんですか? 僕も参加してみたいです。アレルの計画していることがとても面白そうだという理由ですけど」
エインレイド王子が学校長に質問すれば、慌ててアレナフィルちゃんが二人の間に割りこんだ。
ベンチをひょいっとジャンプした身軽さに、目撃した全員が目を丸くしている。
助走も無しに膝より高い位置のベンチ、それも背もたれ付きを超えるたぁ、虚弱設定はもう無理じゃないか?
「いっ、いえっ。そういう思いつきでクラブ活動するものじゃありませんっ。人は何事も熟慮して口にし、そして行動すべきだと思いますっ。誰だって親孝行は自力でやるものですっ。ええっ、私もここは自宅でよく考えたいと思いますっ」
さすがは常に言葉だけは立派なアレナフィルちゃん。
だけどその自宅でどうにもできないから悩んでいたのではなかったかい?
このお馬鹿さんなところが可愛らしくて、もう撫でくり回したくなるのだが、どうすればいいのだ。
するとベリザディーノが軽く手を挙げる。
「学校長先生。建築理工部、アールバリ・フォーシェン・ベリザディーノです。僕にとっては全く理解できない分野ですが、新設の為の人数が足りないなら入りたいです。アレルがしたいことに人数が足りないというのであれば、五名でどうにかならないでしょうか」
「ふむ。だがね、アールバリ君。クラブ活動は自主性を重んじるものだ。そのような理由は感心しない」
王子の為なら二人きりのクラブ活動でもいいじゃないかと思っているであろう学校長だが、さすがに他の生徒も参加を希望しているとあれば真面目なことを言い出した。
ベリザディーノはエインレイド王子の事情を知らない。それでも一人の生徒として、学校長に自分の意見を述べる。
「はい。アレルの食生活改善は、僕に理解できない話でした。ですが理解できないのは今現在の話です」
「ふむ。続けたまえ」
「実は、僕は最初、二人があちこちの授業を渡り歩いているのを見て、馬鹿ではないかと思っていました。だけど気になっていたんです。どうして二人はそんなことをしているのだろうと。
そして勇気を出して声をかけ、一緒に回ってみたら、自分の世界がいきなり開けたんです。
様々な校舎の特徴に、その部に進む生徒への配慮を感じます。違う校舎の授業を聴講できるシステムは、専門しか理解できない生徒を生まない為だと気づきました。それは、自分の狭い世界に閉じこもっていては分からないことでした。今、僕は二人と友達になれて本当に良かったと思っています。二人が、僕の視野を広げてくれたんです」
「ほう。・・・よく、理解したね」
ふむふむと淡い青磁の目を閉じて頷く学校長だが、フォリ中尉や俺はそっと視線を流した。
知らないということは幸せなことだ。
あの校舎ごとの特徴の違いは単なる部ごとの主張が凄すぎて、もうそれぞれに好きなデザインを採用させた結果だ。
専門、専門と喚く部ごとの対立の結果なのである。彼が思い至ったような専門が違っても手を取り合うといった理想世界は存在しない。
それをどうにか仲良くさせようとして聴講システムも考え出されたが有名無実もいいところだ。アレナフィルちゃんが引っ掻き回すまでは。
「アレルの話は、僕にはよく分かりません。カロリーをとるのが悪いと言われても、体が欲しているものを食べて何が悪いのか分からないからです。その分、運動すればいい。その女性だって食べる量を減らせばいいだけじゃないかって思いました。
だけど、きっとそんなことじゃないんです。アレルは大切な人の為に、今から自分にできることをしようと考えてずっと調べてきた上で言っているんですから。
僕はそれを理解したいし、協力したいです。いつか、僕が母の為にそうしたいと思った時、アレルと同じように動ける自分になる為に。何より、この友情の為に」
「なるほど。素晴らしい、素晴らしいことだよ、アールバリ君」
ちなみに短期クラブの場合、クラブ申請書の最低人数は五人で、その申請書が提出されれば教員達の会議にかけられる。
自分のやりたいことが学校公認でできるというのに、なんだか逃走したがっている気配が濃厚なアレナフィルちゃん。
その顔を見た俺達には分かった。アレナフィルちゃん、これはヤバイと思っていると。
クッと下を向いて苦笑したフォリ中尉が、顔を上げたかと思うとにやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。その後、真面目な顔を作ってアレナフィルちゃんに話しかけた。
「ところでウェスギニー。成人病予防の食生活改善とは、どういう指導者が必要なんだ? 医療分野か? それとも植物学か? 調理でも特定の料理人か?」
「あ、いいえ。・・・えっと、たとえば乾燥させた葉や樹皮を煎じたり、ハーブを煮出したりしてお茶代わりに飲むのは、多分、もう市販されている商品であると思うんです。そういうのを買うのではなく、たとえばそのハーブを育てて新鮮なものを使うとか、そういうことをしたいんです。
その方が日持ちはしませんが、味がよく、効果も高い筈です。
で、カロリーや炭水化物の量を減らすというのは、色々なやり方があると思いますが、多分、自分で調べることで対応できると思います。だから、別にクラブ活動ではなくても、図書室で調べて自宅で試すだけで十分と言いますか・・・」
「つまり、学校外から指導者を招く必要すらないわけか」
「そうなんですっ」
問われれば真面目に答えるあたりがアレナフィルちゃん。
色合いだけ父親に似たものの、くりくりおめめと、ころころ変わる表情が可愛いアレナフィルちゃんは、隣の習得専門学校の講師が手伝いに欲しがる優秀な生徒だ。この子にクラブ指導者など要らない。
アレナフィルちゃんは、だからこれはもう自分でやるから放っておいてくれと、まさにその表情で強く訴えている。
(アレナフィルちゃん。君には致命的な弱点がある。かえって都合がいいと、学校長や俺達に判断されるであろうことを、自分からぽろぽろと喋っていることに気づかない迂闊さだ)
学校長もフォリ中尉の質問に答えるアレナフィルちゃんを見ながら、エインレイド王子や他の生徒達の表情を観察していた。
きっとこの後、二人の生徒の成績や評価表を調べ上げるのだろう。
「だそうですよ、学校長。つまり自分達で本から調べ、煮出したり調理したりして作ってみるという、実践型の自由研究でしょう。結果として茶や菓子や料理ができるにしても、ウェスギニーの小遣いで材料も賄えられる程度という話でしたし、たいしてクラブ活動費もかからなそうです。成人病が気になる教師を顧問につければ一石二鳥かもしれませんね」
「何言ってんですかぁーっ」
錯乱するかと思ったアレナフィルちゃんに、学校長はとても優しく微笑みかける。
学校長にも学校長の立場があると、アレナフィルちゃんは分かっていなかった。それだけだ。
ウェスギニー大佐が本来は国王陛下に警備状況を報告する立場なら、学校長は学業について報告する立場である。
「遠慮しなくていいのですよ、ウェスギニー君。生徒の自主性を重んじてこそのサルートス上等学校。しかも先程の話を聞く限り、ウェスギニー君はもうほとんどを理解している様子でしたね。
幼年学校時代から、自分なりに調べていたのでしょう。立派です。
顧問はこちらで用意しましょう。遠慮なく実験台にして、大切な女性の健康を守ってあげなさい。五名いますから、クラブ申請書は受け付けますよ。明日、教員室へいらっしゃい。書類は用意しておきますからね」
「え」
きっとこれで、エインレイド王子は身分にとらわれない友人を作って学校生活を楽しみ、更にはクラブ活動にも参加したという、学校長キセラ・バイケシュ・ヘンリークの成果の一つが生まれるのだろう。
既存のクラブに入って、王子様だからと皆が群がり、そして王子がクラブに行かなくなったという流れよりも余程いい。
学園長はそんな算盤を弾いた筈だ。
(所詮は俺達もなぁ、毎回報告に「異常なし」を記載し続けるより、どういう生徒とどういう接触があって何をしたとか、毎日のように事細かく報告がある方が評価されるのと同じなんだよな。てか、異常なしならいいだろって思うのに、つまり仕事してねえんじゃねえのとか言い出すせこい奴らってのはどこにでもいる)
立場は違えど同じ状況だから俺達だって理解してしまう。
警備棟はグランルンド伯爵家のダヴィデアーレ、そしてマルコリリオという少年の名前を明記し、ついでに二人の簡単な情報を書き加えて定期報告書内の欄を埋めるだろう。
大体、学校生活でどんな危険があるというのか。だからこそ怠けてても分からないだろうと、そんな当てこすりもある。
それがどうだろう。
アレナフィルちゃんが何かとエインレイド王子と一緒になってあっちこっち引っ張り回してくれるものだから、今までの王族の護衛日誌に比べてエインレイド王子の護衛日誌は変装記録とか、学友からの外出提案とその調査とか、独自路線の記載事項がありまくりだ。
今回、エインレイド王子が変装して・・・というそれも、いつまで周囲に気づかれないでいられるかカウントされている。
大人とは汚い世界で生きているものなのだよ。給料をもらう為、仕事してますアピールは欠かせない。
「え・・・?」
アレナフィルちゃんの呆然とした顔はちょっと可愛かった。




